2018/6/2 UP!
bayfm 6月のタイムテーブルに掲載されたケイ グラント・インタビューの完全版です。
☆RADIO DJになったきっかけは?
『スカウトです。練馬のカフェレストランで。』
☆え?カフェレストラン?
『今は同じ人がそば屋やっているんだけど。
そのカフェレストランが朝5時ぐらいまで開けてたんだよ。
その頃、アメリカから友達がいっぱい来てたから、
そこでみんなでワイワイやってたんですよ。
「Hey,Macho Man,why don’t you drink any more? Come on!!Come on!!」
とかってやってたわけ。
そんなある日、トントンと肩を叩く人がいて、
その方が某西麻布の番組制作の方だったんですね。
そこからまずJ-WAVEでしゃべるようになったのがキャリアの始まりかな。
さらに翌年、アルファベットや片仮名だったり数字のラジオ局が
日本全国にできはじめて、あっという間にラジオDJの数が足りなくなっちゃって、
何局も掛け持ちしてやるのが翌年89年。
その時やってたのはJ-WAVEとFM802。
でも、もうその翌年90年ぐらいにはFMヨコハマもやってたんです。』
☆各局開局して1年、2年くらいの頃ですよね。
『そうですね。で、92年ぐらいには
NACK5のカウントダウン番組(「ALL JAPAN TOP100」)やったりとかして。
でもね、89年ぐらいに実は「FLINTSTONE」という
bayfm番組のデモテープを録ったんですよ。
そこから時がたってこのように番組でお世話になるようになったと。
番組を始めるにあたって「番組何にする?タイトルは?」ってなったから
「低音レディオ」でいいじゃんって言ったら面白いってことになって。
その代わり原田(低音レディオディレクター)じゃないとやらないよってことで。
原田とは実は番組をやったことはなかったんですよ。
ドイツのSPEEDカーイベントとかは毎年一緒にやってたんだけど。』
☆やはり、原田さんが小林克也さんと一緒にやってるってことも大きかった?
「当然でしょう。生放送をよりリアルスティックにあなたのお手元にお届けできるのは、
アイツとしかできないってこと。」
☆声のケアはどのようにしていますか?
『特にありません。』
☆ええっ?それで声枯れることとかないんですか?
『ないですね。ああ、でも、デブタレントとのんだ時は枯れかかる時があるね。
みんな声がでかいからさ。松村(邦洋さん)とか
うっちー(内山信二さん)とかと話してると声枯れちゃうんですよ。
「みんなきいてくれ~~」とかやってるとさ(笑)』
☆どうやったらケイさんのような“低音ヴォイス”が手に入りますか?
『両親と神に感謝です。』
☆変声期より前から、
もうそのボイスに対しての何かアイデンティティはあったんですか?
『ないですよ。体育会系だったから変声期の頃に完全に声を潰して。
もう一番ひどいときの柳ジョージさんよりひどい声で普段会話してて。
で、卒業して治ったらこういう声だったわけ(笑)。
変声期にガーッと声帯を鍛えて、
潰れたから声帯がさらに鍛えられて声が大きくなったし。
鳴りものもでかい。肩幅もあるから。いろんな条件が揃ってこの声だったわけ。
だから大会で大声を出したおかげです(笑)
で、なんでこの答えにしてたかというと、
よく外国の方に「Your Voice is gifted.」って言われる。
だからやっぱり神に感謝なんだなって。』
☆唯一無二ですもんね…
案外、DJになろうとか、声を作ろうとかではなく
ナチュラルに今の立ち位置になられたんですね。
『でもあの頃からのラジオDJと話すとみんな言うのは
「目指してたらなってないよ」って。全員いうよ。クリス・ペプラーさんとかも。』
☆当時ナレーターとか、DJになろうとしてなった人って
あまりおられなかったんですか!?
『一切いなかったよ。
みんなだってコピーライターだったり外タレのアテンダントだったり…
そんな連中がある時突然DJやるわけだから。
ただ、条件と人はバイリンガル。これが条件だったからさ。
そりゃファッショナブルな、
変に業界の色に染まっていない新しいモノができるわけだよな。』
☆AMとは切り離されていたんですかね、当時は?
『僕らが中学生ぐらいの中波(AM)って今のFMステーションの形態だったの。
洋楽も邦楽も半々で。色んな番組もあったし。
それが、AMはステレオ化する前に喋りがメインの番組になったんだ。
ちなみに文化放送のステレオ化した時の第一声は僕とセーラ・ロウエルだよ。
「JOQR in STEREO.」って言ったのは僕なんですよ。
1回きりだったけど、STEREOだからFMを意識したんだろうね。
コンテンツの振り幅はFM程ないけど、当時は中波もSTEREO化したり、
色々変化してったんだよね。』
☆今のFMはAM寄りになってるとよく言われますけど、そういうところは感じる?
『でも人々の生活に溶け込んだり、根ざそうって思ったら、
やっぱりそういうふうな形を取るのは必然だったのではないかな、と思うんですよ。
町工場とか、家内制手工業やってるような一日中ラジオを聴いてる環境においては、
昔のFMチックなものだけではなくて、AM的な賑やかし番組も必要なのではないかと。
例えば、Good Musicだけがずっと流れてるんだったら、
ラジオじゃなくてもいいじゃないってことでしょう。
でも、逆に言うと、自分が今やっていること(=低音レディオ)っていうのは
かつて僕らが求めていたFMとしての役目・役割的なものに
立ち返っているだけなんだよね。
折角イイ音のクオリティで送出できるんだったら、
イイ音を出したほうがいいじゃないかと。』
☆イイ音の中に声、それを流すマイクや機材のクオリティ、
音楽の質感もあるってことですね?
『そうそうそう。』
☆「Bass Radio」ではなくなぜ「低音レディオ」?
『練馬放送でやってる「The Radio GrantHeights」についての話からはじめるけど、
「CMフリー」「ジングルなどSEは自分が出したい音だけ」
「ただひたすらメール読んでる」ってことです。
そことガッツリ差別化してるという意味も込めて、「低音レディオ」。
メディアとしての特性もあるし。
ただ、「低音レディオ」入り口で「The Radio GrantHeights」聴いた人は
「低音レディオ」のスピンオフ的に捉えちゃってるのかな。
「低音レディオ」は、きっちりナイト・プログラムで、
ミュージック・プログラムとして伝えていかないという使命を感じています。』
☆ケイさんにとっての“Good Music”とは?
『人生に、想い出と共に刻み込まれるような曲。』
☆「低音レディオ」で聴く選曲の流れとしてトータルで聴いた時に
「Good Music」を感じますが、
これはケイさんにとってもやはりGood Musicってことなんですか?
『もちろん選曲に暗黙のルールはある。
例えば、EDMはパーティーで聴くと楽しいけど、
僕の声と沿って、ラジオで流れるとノラないよね。
じゃあ、自分がパリピで「今日もいっちゃうぜえ!」ってキャラだったら
そりゃあノルよね。
だから、人々に安らぎとか上質な時間を与えるっていう意味の
ルールの中で定められたFUNKだったり、Soulだったり、R&Bだったり、
50s・60sの名曲だったり、JAZZだったり……これが自分たちの中でのルール。
自分のVOICEだったり、その録りの質だったり、
ジングル・SEだったりの質感の中での選曲の質感が定まってきているだけで、
縛りがあるというよりはトータルな流れの中の滑らかさ、その日のカラーだよね。
毎回帰りの車で反省会しながら帰るんだけど、
「今日はAOR寄りだったねえ」とか「今日はJAZZYだったねえ」とか
「でも、あそこでBALLADかけたのがクリッピングになって
どんどんCOZY UPしてったよね」とかそういうのを話しながら毎週帰るワケ。
それがまた来週の放送作りに活かされるわけですよ。』
☆選曲がその回によって偏りがあるっていうのは気にしないってことですよね。
『だってそれも「低音レディオ」じゃない。これも低音、来週も低音。
だけど、その”ルール”の中でセレクトしてるからそんなに大きくハズレない。
だからって、けして懐メロのプログラムだって訳じゃない。
2018年リリースの楽曲だってかかるさ、良いモノであれば。』
☆話は変わりますが、異性を落とすときの口説き文句はなんですか?
『“好きです。”まどろっこしいのは老人には時間がない。
昔だったら変なせめぎあいをしたかもしれない。
今の自分を考えたときの「好きです」ってこと。』
☆ケイさんにとって愛とは?
『暖かく、裏切らず、心地よい。』
☆ドン底な時、うまくいかない時に心がけることはありますか?
『Good Musicの魔法に委ねる。
23くらいの時に父親が突然死んだんです。
それで自分がとりあえず家の稼業を背負ったわけです。
あれもやんないといけない、これもやんないといけないって
いっぱいいっぱいになっちゃって。
家業はスイミングクラブだったんだけど、子供にスイミングを教えて、
その後バスの運転もして…って言うくらい忙しくて神経性胃炎になっちゃって。
その時、バスの中でずっとかけてたFENで、
ケイシー・ケイスンの「American Top 40」という番組があって、
そこでMen At Workの「Down Under」がかかった時に、
胃の痛みがスッと引いたんだよ。
で、「うわあ、やっぱ音楽って薬だあ!」って思ったわけだ。
そこから思ってるんだよね。
自分にいい運気だとか、モチベーションを上げるためだとか、
凹んでいると思ったときは自分が好きな音楽でなんとなく戻すということです。』
☆RADIO DJじゃなかったら何になってた?
『インストラクターを経て、ご隠居。
ラジオDJになる前は、ボディ、フリーウェイト、バーベルとかの
インストラクターをやっていたんだ。
今で言うところの大人のためのジムみたいなものを当時は作ろうとしていたんだよ。
今は24時間のジムはいっぱいあるから作ろうっていうのはないかな。
人生の残りがあんまりないから健康維持のために通っているけどね。』
☆犬派?猫派?
『イヌ派です。昔、猫と犬が両方家に居たんですよ。
犬はさ、「こっち来い」っていうとこっち来るだろ?
猫はこっち来ないだろ?だからって猫が嫌いなわけじゃなくて、
自分が寝てたらお腹の上に乗ってきたりとか可愛い部分もあるわけよ。
でもある時、炬燵の布団の端で寝てた猫を踏んづけたことがあって、
そん時「ブギャアアア」とかいって逃げてってそれ以来全く近寄らなくなったわけ。
だから「僕には猫はもしかしたら合わないのかもしれない」。
それから犬派になったってワケ(笑)。』
☆男らしさとは?
『女々しさ。女々しいって言葉は女性にはあてはまらない。
女性には「mannish」って言葉がある。男らしい。
だから、女々しい部分があってこその男さ。
じゃなきゃ、男の歌うラブソングとか別れうたは成立しないんだよ。』
☆夏といえば何ですか?単語orエピソードでお答え下さい。
『ビーチボーイズとドクターペッパー。
bayfmのサマーキャンペーンポスター見て、真っ先に思い浮かんだのはこれですよね。
僕は、bayfmサマーキャンペーンポスターこそが夏のイメージだろうと思う。
当時、Dr Pepperは日本で飲める唯一のケミカル臭い飲み物だったんだよね。
アメリカだったらルートビア。
MUGっていうのが一番いい感じにケミカルで外気温が高い時に飲むと最高なんだよ。
BOOZEしたいときはこれにバーボンとか入れて飲む。』
☆ケイさんのヒーローといえば誰ですか?
『小林克也さん。アラン・フリード。ウルフマン・ジャック。
FENで喋ってたジム・ピューターとケイシー・ケイサム。』
☆DJにスカウトされる前から彼らはヒーロー?
『そうです。自然と自分の中にいたのは昔からRADIO DJ。
僕はRADIOリスナーだったんですよ。
克也さんについては「BEST HIT USA」をずっと聴いてたんです。
克也さんの喜寿のパーティーで提供クレジットを真似して
「僕はこれを何万回も聴いて育ったんです!」って。』
☆人生最後の言葉、選べるなら何といいますか?
『いい、人生だった…。人生は瞬間の定義だから。
これは「PRIVATE KG」でも前言ったことがあるんだけど、
「人生ってのは金太郎飴と一緒で一本の棒なんだ。
その断面にその時なんと書いてあるか…
ある時期には辛と書いてあるかもしれない…
けれども棒のエンドに幸って書いてあったらそれがハッピーエンドなんだよ。
だから、断面が常に幸と書いてある人生を送るためには、ポジティブにいたいなと、
そういう風に思います。」
☆ケイさんにとって「完璧な一日」とは?
『そこそこ面白くて、そこそこリラックス出来て、良く眠れる日。』
☆すでに亡くなったミュージシャン、一人だけ復活させられるなら誰?
『マーヴィン・ゲイ。100年に一人出るか出ないかのアーティストと思います。
もちろんジェームズ・ブラウンもいるし、フレディ・マーキュリーもいる。
ただ、マーヴィン・ゲイっていうのは歌詞に出てくる。
例えば、Bobby Brownの「ROCK WITCHA」には
「Let’s hear some Marvin Gaye, ooh」って。
口説き文句なんだよ。これが歌詞になるんだぜ。
口説き文句として歌詞になった人っている?いないよ、そういう人って。』
☆子供の頃から変わってない所はありますか?
『顔。18からこのまんまです。』
☆曲紹介をカッコよくキメるコツを教えて下さい!
『サーフィンと同じようなもので、いい波をメイク出来るようなもの。』
☆外さないってことですか?
『だから、POWERINGしちゃうこともあるし、
乗り遅れることもあるし、歌始まっちゃうこともあるし。
経験もそう。捨てカウントで一拍「クッて」くるものもあれば、
一拍遅れるものもあるけど、それは何曲聴いてきたか?
というところに対しての経験値。
知ってるものについてはものすごく余裕かまして戦えるよ。
だからって、事前に聴くことはしない。
流れた時に「あ、この曲か!」って思いながらやるし。
「ああそうだった、これだこれだ!」てね。』
☆今のFM-DJで曲紹介をイントロにバッチリはめる人意外といないですよね。
『意外とうちに酷似してるなと思うのは、
トムセン陽子さんがやってる「Happy Hour(InterFM)」、あれスゴい気持ちいい。
曲紹介も、内容も、流れる曲も、声も、声の作り方も。
だから、ミキサーがうちのチームのミキサーと
同じアイデアを持ってやってるんだろうね。むちゃくちゃイイぜ。
完パケでもいいからbayfmに引き抜いたらイイと思う。』
☆低音レディオの選曲はどのように行われているのでしょうか?
『ケイ グラント、原田、鹿野で熟考している。』
☆様々な立場、様々な状況のリスナーさんに寄り添う秘訣は?
『番組を聴いてもらっている、という感謝の心を持って接しているが、
嫌なヤツはイラっとすることもある。
☆嫌なヤツ?
『Twitter上とかにいるそういう人達、
みんな「ケイさん、触れちゃだめです」って言うけど僕はそれが嫌なんだよ。
放置したり見ないふりするのが。だから、本人に直接
「なんでこんなことなる?意味ないだろ?誰も幸せにならないだろ?」っていう。
いじめっ子的な立ち位置で喜んでる奴らって
それなりに楽しいこともあるんだろうけど
「ウチの番組じゃ通用しないぜ」っていうブリーディングを「
低音レディオ」はしてると思う。リスナーを育てていると思う。』
☆はじめてのラジオ放送のことは覚えていますか?
『良く覚えています。緊張したっていうか、バブルの1年前だろ?88年って。
すべてがキラキラで。芸能界じゃない、ラジオって。
その頃のラジオって明らかに派手なんだよ。
バイリンガルのナビゲーターでテレビに出てるような連中がいっぱい居たわけ。
bayfmでいうところの打ち合わせスペースみたいなところに
著名人・有名人がいるのよ。
「Hi!」って言ったらそんな人達が「Hi!」って応えてくれるような場所に
練馬でバーベルとかダンベル持ってた人間が急に臨じてしまうとさ…
「すごいとこきちゃったなあ」って(笑)。たじろぐよね。
半年くらいかかったよ、慣れるのに。
毎週毎週「またこのきらびやかな場所に来た」ってフレッシュでしたよ。
RADIO DJが海外と同じようなプライオリティを持ってたのは
意外とFM創世記のことかもしれないです。』
☆ラジオを食べ物に例えると?
『ハニーマスタードディップ。
天皇陛下も食べた「鴨のハニーマスタードソース」っていうのがあるんだけど、
それだな。甘いんだけど、ピリリとしてて、クセになって、また来てしまう。』
☆低音レディオにまつわるエピソードがあれば教えて下さい。
『2015年12月、EXILEのライブ前の寿司屋で
bayfm局員と隣り合わせになったのがキッカケ。』
☆低音レディオを車のパーツに例えると?
『カーレディオのチューナーのボワンと光る灯り。
これは、是非タイムテーブルに乗っけてほしい。
50s60sの車のRADIOのチューナーに光る明かり。
それは、ノスタルジックという意味ではなくて、
今みたいなLEDではなくて、当時のほわんと明るい感じ。
一燈で照らしているあの感じが低音レディオかな。
アンティークカーのカーチューナーにぽわんと光るあかり。』
☆ズバリ、ひとことで“低音レディオ”とは?
『あなたの心の薬箱。』