2025/5/11 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、「都市森林株式会社」の代表取締役、そして一般社団法人「街の木ものづくりネットワーク」の代表理事「湧口善之(ゆぐち・よしゆき)」さんです。
東京生まれの湧口さんは、大学で西洋美術史を専攻。卒業後は建築設計事務所に勤務する傍ら、世界各地を訪れ、建築や都市を研究。その後、木造建築に取り組み、岐阜県高山に移住し、木工や林業を学び、東京に戻ってからは街の木に着目、都市林業に取り組んでいらっしゃいます。
そして先頃『都市林業で街づくり〜公園・街路樹・学校林を活かす、循環させる』という本を出されています。
きょうはそんな湧口さんに、都市林業の課題や可能性のほか、「街の木ものづくりネットワーク」の活動などうかがいます。
☆写真協力:都市森林株式会社


街の木を木材に
※まずは、本のタイトルにもなっている「都市林業」、初めて聞く言葉なんですが、これはどういうことなのか、教えてください。
「都市林業っていうのは、都市で林業をしようっていうことだと捉えられがちなんですけれども、山の林業とは全く違うというか・・・。
これまで街の木は、街路樹だったり庭木だったり、育てているんですけれども、伐ったら、ほとんどごみ同然というか、伐った瞬間、目の前からパッとなくなってくれたらいいのになっていうような感じだったんですよね。
植木屋さんや伐採屋さんとかも伐ると、それをお金を払って捨てに行くのが普通のことだったんですけれども、そういうものを木材として、あるいは他の資源としてでも、もっと活用することができないかなっていうのが、都市林業の簡単な説明になります」
●なるほど。湧口さんがこの都市林業に目を向けるようになったのは、何かきっかけがあったんでしょうか。
「もともと僕は建築をやっていて、そこで木造建築とかやっていたんです。そういう中で建築に関わっている人って、みんなそうだと思いますけど、ずっと壊されないで長く残って、ゆくゆくは文化財とか世界遺産とかになるようなものを作りたいなって、みんな思っていると思うんですね。それを言うか言わないかはちょっと別としても・・・だけど、なかなかそういうことが、今できていないなっていうのがあって・・・。
で、なんでだろうって、ずっと考えていた時に昔は、今ここにあるもので作るのが当たり前だったから、そこに木があったら木で作るし、石があったら石で作るし、草があれば草で作りますよね。もし水と氷しかなかったら、水と氷を工夫して、イグルーみたいなものを作ってみたりとか・・・。
ああいうのってその土地ならではの個性とか、そういうものが自ずと備わっていて、そしてそこの人たちにとっても、すごく大事なものだっていうか、アイデンティティの一部みたいになっていっていると思うんですけど、今の時代って素材生産の仕組みとか物流も変わっているし、そういうことがもうなくなっちゃっているんですよね。
だから、もしお庭に大きな木があっても、これを使ってテーブルを作ろうとか、お家を建て替えた時に柱にしようとか、そういうことをするのはすごく不合理なことになっちゃっているっていうか、めちゃくちゃお金がかかる話になっていたりとか・・・。で、そうやってできたものに、なかなか愛着も抱けなかったり・・・。
なので、かっこいい建築はいつも作られているんだけど、数十年経ったら壊されちゃうみたいなことが続いていて、そこをなんとかできないかなっていうところから素材への探究というか、そういうのが始まっています。
で、街の木は現状、木材にすることはやっぱり合理的ではなかったから、みんな使っていなかったんだけど、それを上手くいろんな工夫をして合理的にできたならば、面白いことになるんじゃないかなっていうのが、その発想のきっかけなんです」
(編集部注:湧口さんによると、家庭から出る、樹木を剪定した枝などは燃えるゴミとして処理されますが、業者が伐った公園の樹木や街路樹は、リサイクルすることになっていて、堆肥や製紙用のチップ、バイオマス用の燃料として活用されているそうです)
都市森林は多種多様!?

※これまで街路樹や公園の樹木が「木材」として活用されなかったのは、どうしてなんですか?
「それは木材用の原木として、良くないからなんですよね。この話をする時、いつもこの話をするんですけれども、山の木でもヒノキとかスギとか、あれは人工林で畑みたいなものだから、ちょっと違うんですけれども、広葉樹の場合はだいたい山で100本、木を伐ったら5本くらいしか木材にならないんですよ。そのくらいしか木材用の原木としていいものって山でもないと・・・。
街の木はどうかっていうと、山の木よりもっと悪いんですよね。やっぱり剪定をすごくしちゃっていたりするし、そうすると樹形も歪んでいるし、あとは木が弱っているから腐っていたりとか、いろいろと良くないことがあって・・・。
そういうものを木材にすること自体は、お金さえかければできるんだけど、そうやってお金をかけて材料を得ても、それで例えば木工とか大工さんとか工務店とか、そういう木を扱うところが仕事になるかっていうと、まあ普通はならないから・・・。
なので、特別に思い入れがある木です、思い出の木なんですとか、記念の木なんですとかっていうと、それにすごくお金をかけて、何かするっていうことはあったと思うんですけれども、なかなか普通には活用できないっていうのがあったわけです」
●山の林業はスギやヒノキ、カラマツなどの針葉樹で木の種類が少ないイメージがあります。一方で、都市の樹木は街路樹にしても公園の木にしてもたくさんの種類があるように思えるんですけれども、そのあたり種類についてはどうなんでしょうか?
「ここがすごく都市の森、私はそれを『都市森林』なんて呼んでいるんですけれども、都市のいろんな木々の面白いところで、ありとあらゆる樹種がありますね。
で、自然の、在来の木もありますし、その在来の木も例えば、東京なんかでも、本来はもっと南のほうに生えていた木をこっちに持ってきたものがあったりとか、園芸的に改良というか、桜もいろんな種類がありますけど、そういうものもあったり・・・。あるいは海外の木もすごくたくさん植えられているし、本当にいろんなものがあるなっていうのは、面白いところでもあります」
●そうすると都市林業では、そういった多種多様な樹木も活用していこうということなんですか?
「それはもうなんでも活用しますね。大きな木だけじゃなくて小っちゃな木とか、こんなものを木材にするって、そもそも思わないようなものまで、なんでもやってみます」
東本願寺、みんなの物語

※湧口さんは、研究のために国内外の建築を見てまわったそうですね。これまで見た中で、特に感銘を受けた建築物はありますか?
「印象に残った建物はいろいろあるんですけれども、ひとつ紹介すると、京都の東本願寺がとても印象に残っているというか感銘を受けたというか・・・。
どこがっていうのは、何もそういう話がなくても、とにかくすごい建物ではあるんですね。みなさん行かれるところだと思うんですけれども、ものすごく大きなケヤキの木を無数に使って作られています。
東本願寺は明治時代に再建しているんですけれども、再建した時に日本中から、それこそ東北からも四国からも、みんな村中総出とか町中総出で、ケヤキを伐り出して運び出して・・・。
運び出す時に使ったロープ、それも女性の長い髪の毛と麻の繊維を編み込んで、直径が30センチもある、ものすごいロープが展示されているのを見たことがあるんですけど、そういうものを作って、そしてみんなでその木を集めて、そして東本願寺に(日本中から木が)集まってきて作られたっていう、そこにはやっぱりみんなの物語が、ものすごく乗っかっているだろうなと思います。
都市林業でやりたいのは、そういうことなんだよねっていうのがありますね。みんなで木を育てて、それを活用することにも、みんなで関わって、そしてひとつの大事な建物ができあがったら、それはみんなにとって大事なものになるし、200年経っても絶対壊したくないよねってなるんじゃないかなっていう、そういうことなんですけど・・・」
街の木ものづくりネットワーク
※「都市森林株式会社」とは別に、一般社団法人「街の木ものづくりネットワーク」を設立したのは、どうしてなんですか?
「やっぱり街の木と言った時に、それに携わるのは仕事の文脈で携わる人ばっかりじゃないと思ったんですよね。やっぱり一般の人たちが・・・仕事でやっている人であっても、仕事の文脈ではお金がいただけないからできないこともあると思うんですよ。
だけど、これをやったらみんなすごく喜ぶんだけどな〜とか、そういうなかなかプロの仕事としては成立しづらいことを、非営利であればできることもあると思うし・・・。林業ができるとか木工ができるとか、そういうことじゃない普通の人たちは、それこそ小さな子供たちでも街の木に携わって何かできることがあるんじゃないの? って思って(一般社団法人を)作ってみました」
●具体的にはどういった活動をされているんですか?
「よくやっていたのは、なんでもいいんですけれども、収穫祭なんてことを毎年やっていましたね。街の木の食の恵みを活かそう! ということで、お庭の木でもいろいろ実がなったりとか、あるいはハーブとして使える木があったりとか、いろいろとあると思うんですけど、そういうものをみんなで持ち寄って、そして一緒に料理してパーティーしよう! みたいな、そういうイベントをよくやっていました」
●そのほかには、どういった活動がありますか?
「よくやったのは苗木を作るっていうことですね。それもタネを買って来たりして、苗木を作るんじゃなくて、工事現場、工事でこれから伐られちゃう木の子供を探して、それを救出するというか、そしてそれを鉢植えにしておいて、お家で育ててもらうとか、そういう活動もしていますね。それを工事が終わったら、そこに植えに行こうね! という形です」
●苗木を自分たちで育てて植樹をするということですけれども、一体どんな種類の木を植えているんですか?
「本当にいろんな種類があるんです。例えば、最近やっているのだと、団地から大きなマンションに建て替えるプロジェクトの現場では、その団地の樹木の子供たちを苗木にしています。
例えば、樹種で言うと、トウカエデとかケヤキ、アキニレ、ユズリハ、シラカシ、カツラ、ゲッケイジュ、ムクゲなど、まだまだあるんですけれども、その団地で目立っていた樹種のタネを取ったり、足元に生えている小さな苗木を救出して、そして新しいマンションになった時に植えようねっていうようなことで育てていたりします」

●苗木を育てて植樹をすると、自分が植えた木に愛着が湧いてきますよね?
「そうですね。実際に植えた木が成長していくのを見ていけますし、きっとそこを通りかかるのがいつも楽しみになると思います」
●そうですよね。実際に参加されたかたの反応はどうでしたか?
「これはもう本当に間違いないっていう手応えがあるというか、本当に子供たちも生き生きしています」

(編集部注:「街の木ものづくりネットワーク」の活動の、ひとつ事例として南町田グランベリーパークのリニューアルの際に、参加者のみなさんに工事中の公園に入ってもらい、苗木を救い、その苗木を各自自宅で育ててもらったあと、リニューアル後の公園に植樹することができたそうです)
みんなが喜ぶ都市林業に
※湧口さんによると、都市林業に取り組み始めた頃は、街の木を木材として活用する事例がなかったため、丸太を集めるために工事現場に足を運び、頼み込んでもらい受けていたそうです。その後、いろいろ事例を作って、ようやく自治体からも仕事として発注が来るようになったということです。
●伐採したあと、木材はどこで保管するんですか?
「倉庫をいくつか持っていて、そこで積み上げて保管するんですけど、そこがやっぱりいちばん大変なところではあります」

●大変なポイントというのはどこでしょうか?
「やっぱり土地のコストが高いっていうことだったり・・・うちも製材所っていうわけではないので・・・。製材所ではそれに特化した仕事をしているから、だから製材所に預かってもらうっていう手もひとつはあるんですけれども、都市林業の難しいところって特化していたらできないっていうところなんですよね。
なので、ありとあらゆる仕事があるので、伐採に先立っては木の診断をしなきゃいけないし、どの木が使えるのかなっていうところを診断できなきゃいけないし、設計もしなきゃいけないし、実際の物作りもしなきゃいけないし・・・。
作るものは小物雑貨から家具、建築まであるわけで本当に幅が広くて、街づくり的なお仕事もすごく大事になってくるし・・・。木材を製材して保管するっていう、そこに特化した仕事であれば、そこでコストダウンとか効率化もしやすいんでしょうけれども、なかなか難しい、そこは大変だなというところです」
●湧口さんが思う都市林業のいちばんの課題ってなんだと思いますか?
「これまでに木材にされてこなかった木々を木材にするっていうことは、お金さえかければできるんですよね。それはどんなごみからでも家具でも何でも作れるわけですよ、お金さえかければ・・・。
だけど、そこを真正面から本当にこれはお金がかかっても、活用してよかったなっていうのを作ろうとしているんですね。
そうじゃなくても、例えば何か環境にいいことをしているというような、プレゼンテーションがしやすい分野でもあるんです。今まで捨てられていた街の木を木材にしました! みたいなことで評価されてしまうこともあり得る界隈ではあるので、それでOKってなっちゃう事例はいっぱいあるんですよね。
そういうことだと、本当に誰が喜んでくれているの? って、何かいいことやってます感っていうのはあるんですけれども、本当は誰も喜んでないっていうようなこともすごくあると思うんです。そうじゃなくて、どうしたら本当にみんなが喜んでくれることをできるかっていうことに、ずっと食い下がって工夫をしていくっていうのが、都市林業の本来やるべきことだと思っているんです。
自然な形で街の木を木材にすることが成立しないといけないと思うんですよ。でもこれまでにされてこなかったということは、それだけ難しいということであって、とにかく僕のほうでは、これは本当に嘘がないことをやっているなっていう事例を、とにかく頑張って作るというのが大事だなと思っているんです」
本当のことをする
※湧口さんは、新しい本の中で都市林業をもっと進めるために、3つの提案をされています。そのうちのふたつ、「都市林業を街路樹で」と「都市緑地を小中学校の演習林に」について説明していただきました。
「まず『都市林業を街路樹でやりましょう』っていう、これがもともと都市林業のいちばんコアな部分です。今、街路樹は無数に木が植えられているわけですけれども、それらは大きくなるだけ大きくしちゃって、それから太い枝を切ったりして、木を痛めて樹形もゆがんで、そしていよいよダメとなってから伐採されて、そうなった時は中が腐っていたり虫が食っていたりで、樹形も悪いから木材にするのもすごく効率が悪いんですよね。
そういう木々で僕はこれまで物を作ってきたけれども、この状況が変われば劇的に状況はよくなると思うんですよ。
なので、街路樹の剪定をしたり、手入れをするコンセプトを変えましょうって、林業的に最初から木材として活用する、そういう手入れをしていけば、いい樹形にして健康な木を育てる、太い枝をいっぱい伐らなきゃいけないような段階まで育ったら、その時点で伐採して新しい木に更新する。
そういう山の林業で当たり前にやっていることを街でもやったほうがいいんじゃないですかって、そうするとすごく効率的になるんじゃないかっていう、そういう提案ですね。
『都市緑地を小中学校の演習林に』っていうのは、僕も今、中学校でそれに近いことを小さい規模ですけれども、やり始めているんです。学校の木々ももちろんそうなんですけど、そのへんの近くの公園もそうですし、せっかく木があるんだから、そこを学びの場にしましょうっていうそういう提案です。
そこの木を剪定したり伐採したり活用したりっていうことを、学校のプログラムとして少し取り入れてやっていけば、体験の機会が無限に生まれていくよと、そのことは学習と、ものすごく結びついていくよっていうところで、とてもこれは可能性があるんじゃないかと、すごく手応えを感じているところです」
(編集部注:もうひとつの提案「清掃工場をハブにしよう」についてはぜひ本を読んでいただければと思います)

※では最後に新しい本『都市林業で街づくり』に込めた思いをお聞かせいただけますか?
「とにかく本当のことをしようっていうことです。
木を活用するとかっていうことだと、とにかくそれだけで何かいいことをしている感が出ちゃうと思うんですけど、そういうことで満足せずに本当に誰かが喜んでくれることをずっと考えて、いろんなことを工夫して、逆に言うと、そうしないと今まで木材にされてこなかった木を木材にするっていう無理なことを、無理じゃなくするっていうことはできないし・・・。
そうやって本当のことをやっていれば、私たちの街でもずっとこれから残っていくような街の空間とか建物とか、そういうものも作っていけるんじゃないかなって、そういう思いを込めて書かせていただきました」
INFORMATION
『都市林業で街づくり〜公園・街路樹・学校林を活かす、循環させる』
湧口さんの新しい本には、前例がなかった都市林業を成立させるための取り組みや街の木を木材として活用するためのノウハウ、そして住民を巻き込んだプロジェクトなど、興味深い内容にあふれています。なにより、湧口さんの都市林業にかける熱い思いを感じる一冊、ぜひ読んでください。
築地書館から絶賛発売中! 詳しくは、出版社のオフィシャルサイトをご覧ください。
◎築地書館:https://www.tsukiji-shokan.co.jp/mokuroku/ISBN978-4-8067-1679-2.html
「都市森林株式会社」と「街の木ものづくりネットワーク」の活動については、それぞれのサイトをぜひ見てください。
◎「都市森林株式会社」:https://www.toshiringyou.com
◎「街の木ものづくりネットワーク」:https://machimono.amebaownd.com
2025/5/4 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、東北学院大学の准教授「目代邦康(もくだい・くにやす)」さんです。
目代さんは1971年、神奈川県生まれ。東京学芸大学・教育学部・在学中に、中学や高校の社会科の先生になろうと、科目として「自然地理」を選んだところ、その先生がとても面白い方だったということで、自然地理や地形学の道に進むことになったそうです。
そして、京都大学大学院・理学研究科の博士課程修了後、筑波大学の研究センターなどを経て、現職の東北学院大学・地域総合学部の准教授としてご活躍されています。ご専門は「地形学」や「自然地理学」で、その学問を一般の方向けにわかりやすく解説した本『地形のきほん』を先頃出されています。
きょうは目代さんに、地形が私たち人間や生き物に与える影響のほか、九十九里浜が出現した地形的な要因、そして、住んでいる地域の地形を知る必要性などうかがいます。
☆写真協力: 目代邦康

液状化は「砂粒」の性質が原因!?
※目代さんのご専門は、地形学や自然地理学ということですが、どんな学問なのか教えていただけますか?
「地理は小学校とか中学校で習うかと思いますけれども、その中で特に自然、地球の表面で起こっている、いろいろな自然現象について調べるというのが自然地理学です。
特にその中でも私、地形についていろいろ調べております。地球の表面がデコボコしていますけれども、そういった山とか海岸とか、そういう場所がどうやってできたのか、どういうような地層からできているのかとか、今後どうなるかとか、そういうようなことを考える研究分野です」
●研究のためには、実際にフィールドに行って調査するんですよね?
「実際に現場に行って、土地がどんな形をしているのかを計ったり、穴を掘って、そこにある土とかを持って帰ってきたり、あと石を叩いて、どんな地層があるか調べたりですね。それだけで終わらなくて、持って帰ってきたら、今度はそれを分析したりします。
最近は飛行機から撮った写真とか衛星から撮った写真とか、あるいは自分でドローンを飛ばして撮るとか、そういうのも含めて、分析するというようなことをやっています」
●いろんな方法があるんですね。メインのフィールドはどこになるんですか?
「いろいろなところをやっています。ここ1年間は、能登半島地震がありまして、そのあと被害を受けた場所の地形を調べているので、ここ1年間は金沢のほうに何回か行っていました」

●具体的には、どういった方法で何を調べるんでしょうか?
「今調べている、能登半島地震のあとの現象ですと、”液状化”です。地震の揺れで(地面が)液体のように変わってしまう、それで建物が曲がってしまうとか、そういう現象なんですね。
そこの形を調べていくのと同時に、何でそういった変化が起こるのかを、地層を掘って、砂からできているんですけども、砂粒の大きさとかを測るんですね。で、どういうような砂の性質なのかが、地面の形が変わってしまう原因になったりしますので、そういうのを分析したりしていますね」
日本列島の地形が多様な理由とは?

※ここからは目代さんが先頃出された本『地形のきほん』をもとにお話をうかがっていきます。本を読んでいて、改めて、地形は私たち人間の暮らしにいろんな影響を与えているんだな〜と思いました。地形の多様性が、自然や生き物の多様性を生み出していたんですね。
「いろいろな場所に地面があって、生き物は、鳥はちょっと飛んでいますけど・・・とはいえ、地面の上で生活するので、生き物の生活は切っても切り離せないですね。
切っても切り離せないんですけれども、いろいろな生き物がいる今の状況を考えると、場所がそれぞれ違うので、そこに合わせて生き物がそれぞれ進化してきています。やはり、地球の環境の基盤というか、ベースになるのが地形の違いというところになるんだと思います」
●日本列島の地図を思い浮かべると、山脈が連なっていて、川もたくさんあって、海岸線もすごく複雑で、ところどころに平野があってっていう感じで、地形的にかなり多様で複雑なイメージがあるんですけれども、その多様さを生んだ要因は何なんですか?
「いちばん大きいのは、地球の表面に10数枚のプレートというものが覆っているんですけども、それがお互いに動いておりまして、(日本列島があるのは)あまり動かないプレートと、よく動くプレートのちょうどそのぶつかり合うところなんですね。
あまり動かない大陸のプレートと、よく動く海のプレートがぶつかり合うことで、ギュッと押されて山はできますし、海のプレートが日本列島の下に沈み込むことで火山ができます。
で、さらに気候の条件として雨がよく降るので、削られた土砂が運ばれて、平らな土地が作られてと・・・条件からするとふたつですね。地球の上でよく動いている場所だということと、雨がたくさん降る場所だということかと思います」
●そういった要因があったんですね〜。日本列島の地形を大きく分けると、山と平野になるんですか?
「日本列島に限らず、高くて尖っているところが山で、低くて平らなところが平野で、地球上、分けると基本そのふたつなんですね。で、日本の場合だとその中間もあって、丘陵地って呼ばれる場所がその中間になるんですけども、基本的には高さと、丘か丘でないかというところで分ける、そういった分け方になります」
●この山と平野、だいたいどれくらいの割合になるんですか?
「だいたい日本列島は、ほぼほぼ山でして、7割以上が山地です。で、3分の1から4分の1ぐらいの狭いところが平野です。その平野に多くの人が住んでいるというのが日本の特徴です」
●日本で考えてみると、人口が集中しているのは首都圏だったり、関西圏だと大阪や名古屋あたりですけれども、平野ができるのはやっぱり川が影響しているんでしょうか?
「そうですね。平らな土地は何で平らかっていうと、川が運んできた土砂が、川が氾濫して土砂を溜めて、あるいは海からも土砂が入ってくることがあるんですが、そういう水の働きがあるから平らな土地ができるんですね。そういう意味では川の働きというのは重要です」
(編集部注:ちなみに「山脈」と「山地」の違いなんですが、その定義は、目代さんの本によると、日本列島の場合、規模がより大きなものが「山脈」、山脈より規模が小さいものが「山地」、山地よりもさらに規模が小さいものが「高地」になるとのこと。これはあくまで日本列島の区分だということです)
九十九里浜が長いのは、硬い岩盤があるから!?
※ベイエフエムがある千葉県には、九十九里浜という日本で2番目に長い砂浜があります。その長さはおよそ66キロもありますが、どうしてこんなに長い砂浜ができたのでしょうか?
「なかなか難しい質問ですね(苦笑)。砂浜のいちばん端っこに何があるかなんですね。ずーっと砂浜なんですけれども、いちばん端っこは硬い岩盤が出ているんですね。どこもそうなんですけれども、削られにくい硬い岩盤があるところがふたつあると、その間が砂浜になるんです。
で、九十九里浜ですと、北の銚子のところに少し古い硬い岩盤が出ていますね。一方で南のほう、房総半島の南のほうもちょっと山がちですけども、そこもまた岩盤が出ています。そのふたつの岩盤が離れているので、その間が砂で埋められて、非常に広い砂浜になっているということです」
●そうやってできるんですね〜。今、この日本で砂浜がどんどん減っているっていう話を聞いたことがあるんですけれども、原因は何なんでしょうか。
「根本的には、先ほど平野は川が運んできた土砂でできるということを言いましたけれども、川が土砂を運んでこなくなったんですね。
運んでこなくなった理由は何かというと、ひとつには山から崩れた土砂が川を経由して海まで来るんですけれども、その途中でダムがあったり、いろいろな人工構造物があって、せき止められて流れてこないというのがあります。
もうひとつの理由は、今はあまり掘ってないんですけども、昔はコンクリートに入れる砂を川から取っていたんですね。川底をどんどん掘って・・・。
やがて砂が流れてくるだろうと思っていたんですけど、全然流れてこなくて・・・で、川でたくさん取っちゃったので、最終的に海の近くの平野まで流れていかないので、砂浜の砂が供給されるほうが少なくなってしまったので、波でどんどん侵食されて減っている、そういうことになります」
●観光地としても知られる鳥取砂丘に、植物が生えて草原化しているっていうニュースが以前ありましたけれども、これはどうしてなんでしょうか?
「砂丘に限らずなんですけれども、日本の地形はどこもちょっとずつ動いているんですね。で、砂浜も山のほうから砂が運ばれて、海からちょっと削られて、そのバランスが取れているとあまり形が変わらず、山のほうから(砂が)運ばれてこないと、どんどん削られて減ってしまう・・・。
で、砂丘は砂浜にあるんですけれども、そこの砂丘にやはり同じように山のほうから土砂があまり流れてこなくて、海のほうから削られるのもあり・・・。さらに砂が減ると風が吹いた時に、動く砂の量が減っちゃうんですね。砂がたくさんあると動ける砂がたくさんあるんですけど、あまり動ける砂もなくなって・・・そうすると雨は降りますから、どんどん草が育って雑草が増えてしまうと、そういうような状況です」
地形が地名の由来に!?
※地形はお天気にも影響を与えていますよね。やはりその要因になっているのは山ですか?
「そうですね。冬の間、例えば関東地方ですと、乾燥して乾いた風が吹いてきますけど、同じタイミングで日本海側はたくさん雪が降っています。
大陸のほうから風が吹いて日本海側で湿った空気があって、その湿った空気を含んだ風が日本海側で雪をどんどん降らせちゃうんですけど、風はずっと吹いてくるので、その風が山に雪を降らせたあとに吹き上がって、山を越えてきた時にはもう乾燥しているので、湿った空気が乾いた風に変わるというのは、山を越えるということが大きいですね。冬場の関東地方の乾燥なんかは、基本的には日本列島の大きな山が影響しています」
●そういう関係性なんですね~。あと違った側面だと、地形は観光資源とも言われたりしますよね。景勝地には人が集まってきますが、そんな観光資源を守るための制度と言えば、日本ではどういった制度があげられますか?
「そうですね。観光地ですと美しい景色があるので、多くの人が訪れますけども、人がたくさん来るからいろいろな開発をしてしまおう、お金儲けに使おうっていう人もだんだん出てくるので、そういった利用を制限するような仕組みがいくつかあります。
いちばん大きいのが国立公園と呼ばれるものでして、レクリエーションなどで私たちが自然に親しむということと同時に、そこの場所を保護しましょうというようなことが、国立公園の中で法律として定められていて、適切な管理というのが行なわれています。
あとは、最近ですとジオパークですとか、湖ですとラムサール条約の登録湿地とか、そういう国際的な取り組みなんかも含めて、いろいろな場所で適正な管理、使い過ぎ、“オーバーユース”って言うんですけれども、そういったことはなるべくやめるようにして、そこの場所の自然環境が維持されるような取り組みが各地でされています」
●そうなんですね。話は変わりますが、地形の特徴がその場所の地名になっていたりもするんですか?
「そうですね、非常に多いですね。先ほど(話に)出た九十九里浜も、長いって話になりましたけれども、九十九里もないんですけれども、長いのが象徴で九十九里ですし、いろいろな場所の形の特徴で(地名を)付けていたりします。
ちょっと変わったものですと、岩場は山ですと“ゴーロ地形”、岩がゴロゴロしているから、“ゴーロ地形”と言うんですけれども、その“ゴーロ地形”がなまって、“ゴロウ”になりまして、北アルプスにある“野口五郎岳”や“黒部五郎岳”なんかは、その“ゴロウ”から来ています。岩がゴロゴロしているという地名です」
地形を知ると防災につながる!?
※改めてなんですが、地形を理解すると、どんなことが分かってきますか?
「自然の中で生きているということを、私たちはなかなか普段は、便利な生活、都会で暮らしていますので、認識することがないんですけれども、考えてみると住む場所に平らな場所があるとか、土地がちゃんとあるというのは、それも地形ですし、山のほうから水が流れてきて、その水を使って私たちは生活するための水を得ています。そういった自然がある、地形がちゃんとあることによって、生活基盤が支えられているんですね。
そういった自然がどういうふうにして、そこに存在しているのかが分かると、自分たちがどんな場所にそもそも暮らしているのかが分かります。さらにその自然、時々地形は変化するんです。
その変化した時に何が起こるのかというのは、どんな地形だったら、どんなことが起こるのかは大体予想がついているので、そこの場所が今後どんな自然災害が起こるのかというのが、おおよそ予想をつけることができます。それが分かるとそれに対して準備することができるんですね。
川の近くだったら、どういうふうに逃げなきゃいけないかをあらかじめ考えておくとか、地震の揺れがどうも強そうな場所だったら、家を建てる時に丈夫に作っておくとかですね。
そうすると私たちの生命や財産を守ることもできますので、自分たちがどんな場所に住んでいるのかを知ることは、よりよく快適に、さらに自分たちの生活や命を守る、そういったことにつながると言えます」
●地形を知ることは、防災にもつながるということですね!
「はい! そうですね」
●どうやって調べればいいんですか?
「(私の)本を読んでいただくのがいいんですが(苦笑)、自然現象なので地形に限らず、ほかのものもそうですけど、よく観察してもらうというのがいいかと思います。
同じように見えても実は小さい坂があったり、ちょっとした崖があったり、土地の高さが違ったり・・・あと川のところでは砂があったり石があったり、形の違いがあったり・・・そこにある物、土とか石とかそういったものに違いがありますので、その違いに気づいて、なんでそれが違うんだろうかって考えていくと、だんだんと地形が見えてくるかと思います」
●最後にこの本『地形のきほん』を読むかたが、どんなことを感じ取ってくれたら、目代さんとしてはうれしいですか?
「地形を自分が認識するようになって、考えていたこと、気になっていたことをなるべく盛り込むようにしました。
周りの景色の中に地形は溶け込んでいますので、意識しないとなかなか気づかないところがあるんですね。なので、そういった “あっ、周りに実は坂があるじゃん!”とか、“こんなふうにここの場所、土地の利用の仕方が違うけど、出来方が違うのかな?“とか、そういういろいろな、気づくきっかけになってくれると嬉しいですね。
景色は一様ではなくて多様性に富む自然の中に自分が住んでいるんだっていうのを、今回の本を読んで景色を見て、旅行をした時に周りを見ていただいて、いろいろ気づいてもらえると嬉しいと思います」
INFORMATION
目代さんの新しい本をぜひ読んでください! 地形を作り出す働きから、代表的な地形や暮らしとの関わり、さらには災害や歴史など、地形の基礎知識を豊富なイラストと共にわかりやすく紹介。ひとつの項目が見開き2ページで完結しているので、関心のあるところから読めますよ。地形を知るための入門書的な一冊、おすすめです!
誠文堂新光社から絶賛発売中! 詳しくは、出版社のオフィシャルサイトをご覧ください。
◎誠文堂新光社:https://www.seibundo-shinkosha.net/book/science/91487/
2025/4/27 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、山と旅のイラストレーター「やまとけいこ」さんです。
やまとさんは愛知県生まれ。高校1年生の時に学校登山で、北アルプスの蝶ヶ岳(ちょうがたけ)に登り、頂上から見る穂高(ほたか)の山々、そして満天の星空に魅了され、山の虜に。武蔵野美術大学在学中はワンダーフォーゲル部に所属。
卒業後はイラストレーターや美術関連の仕事をしながら、2003年から黒部源流の薬師沢小屋などの山小屋で働き始め、シーズンオフは絵を描きながらの海外ひとり旅をスタート。
2020年には、通い慣れた富山県に移住。2021年からは、夏山シーズン中は薬師沢小屋の支配人、オフは街で絵を描くなどの仕事をされています。
そして先頃、その小屋の料理人時代のエピソードをまとめた本『黒部源流 山小屋料理人』を出されました。この本は、山岳雑誌「山と渓谷」に連載していた、薬師沢小屋の厨房での出来事を書いた人気エッセイを書籍化したものです。
きょうはそんな やまとさんに、山小屋ならではの料理人の仕事や、人気のメニューのほか、水と命にあふれる黒部源流の魅力などうかがいます。
☆写真&イラストレーション:やまとけいこ


薬師沢と黒部川の出合いに建つ
※まずは、この本の舞台になっている薬師沢小屋(やくしざわごや)はどのあたりにあるのか、教えてください。
「富山県を流れる黒部川という川があるんですけれども、その川のもっともっと上流のほうに、遡ったところにある山奥の小屋です」
●首都圏から行こうと思ったら、どういうルートで、どれくらい時間がかかりますか?
「今は新幹線が通じていますので、東京から富山まで行って、夏の間は折立(おりたて)登山口というところまでバスが通じています。その登山口までバスに乗って、そこから登山が始まります。
標高1350mの折立という登山口から約1000m登ると、太郎兵衛平という山小屋があるんですけども、そこまで登って、そこから少し下って谷底の1920mに薬師沢小屋があります。6時間から8時間ぐらい歩くと到着します」
●かなり歩くんですね! ちなみに薬師沢小屋は例年、いつ頃からいつまで営業しているんですか?
「例年、7月1日から10月1日頃までの営業になっています」
●最大で何人くらい宿泊できるんですか?
「現在は、ひとり一畳のスペースということで50人程度ですね。コロナ以前はほんとに人数制限がなくて、120〜130人くらいで、ひとつの布団をふたりで使うような状態でした(苦笑)」
●そんなに宿泊できるんですね! スタッフの数はどれくらいなんですか?
「シーズン通してだいたい3人で、お客さんが増えてくると4人、5人と増やして対応しています」
●薬師沢小屋は、どういったロケーションにある山小屋なんでしょうか?
「名前の通り、薬師沢という川とそれから黒部川の本流、その川と川がぶつかったところを“出合い”と言うんですけれども、薬師沢と黒部川の出合い、その三角形になったところに建っている山小屋です。川から大体5〜6mぐらいの高台に小屋は建っています」

山小屋料理人の仕事は「食料の管理」!?

※新しい本『黒部源流 山小屋料理人』には、登山客のために食事を作る料理人としての奮闘ぶりが載っています。本を読んでびっくりしたのが、食材の運搬はヘリコプターで行なうんですね?
「はい、ヘリコプターで食材だけでなく、燃料やみなさんが飲む飲み物とか、その他すべての物資をヘリコプターによって輸送しています」
●すごいですね~。ワンシーズンに何回ほど運んでもらうんですか?
「薬師沢小屋ではヘリコプターでワンシーズンに3回、だいたい月に1回の割合で物資を送っていただいています」
●1回で運ぶ量というのはどれくらいですか?
「ワンシーズン3回なんですけれども、やはり小屋を開けた1回目の物量が多くて、だいたい1回に2〜3トンぐらいが4〜5便来ます。2回目、3回目は1便とか2便とかで、主に食材や足りない飲み物とかそういったものになりますね」
●天候次第ではヘリコプターが飛ばないこともありますよね?
「もちろん自然の中のことなので、天気が悪い時が続いて、特に1回目のヘリなどは梅雨の期間になりますので、なかなかヘリが飛べない飛ばないというようなことは多々あります」

●そうすると、残りの食材が減っていったらハラハラしませんか?
「はい、まぁ〜ヘリが1週間ぐらい飛ばなくても大丈夫なぐらいの物を(小屋に)上げているんですけれども、それを過ぎて、いろんな都合で1週間飛ばない、2週間飛べない、そうなるとじゃんじゃん物が減っていって、最終的には下から背負って(食材などを)持って来てもらうこともあります」
●本を読んで感じたんですけど、山小屋料理人は食料の管理がとても大事な仕事なんですよね?
「月に1度のヘリコプターなので、とにかく生鮮食料品ですね。お野菜とかそういったものの管理などがとても大変です。
冷凍庫はあるんですけれども、発電機が朝と夕方に回している関係で、日中電気が通っていないので冷凍庫がないんですよ。冷蔵庫で野菜を保管することができなくて、できるだけ涼しい所に並べたりとか・・・でも動物が来て食べてしまうかも知れないから、箱の中にいれて様子を見ながら大切に使っています」

●動物に食べられてしまうこともあるんですね?
「そうですね。毎年のようにちょっと油断をすると、ダンボールの小さな隙間からもぐり込んで、中の物をかじってみたりということはあります。かじられないように蓋をきちんとして、上に重しを乗せたりとか、そういったことはいろいろやっているんですけれども、なかなかお互い知恵比べのようなところはあります」
●一体どんな動物に食べられちゃうんですか?
「主に小動物と言われる、山にいる小さいネズミとか、あとはヤマネと言って、森の木の洞(ほら)とかに本来棲んでいる生き物なんですけれども、山小屋は雨もしのげるし、人が来れば食料もあるので、うちの薬師沢小屋にはヤマネがたくさん棲み着いています。夜になると食べ物のところに行って、何か食べる物はないかな~という感じで(食料を)食べられてしまうことがあります」
定番は「豚の角煮」!
※一日、多い時で何人分の食事を用意するんですか?
「今はコロナ以降、完全予約制になったので50食ぐらいなんですけれども、以前は本当に込み合う週末の頃とかは120〜130人分ぐらいは作っていました」
●人気の定番メニューだったり、代々受け継がれているメニューってあるんですか?
「薬師沢小屋では、メイン・メニューが豚の角煮になっています。だいたい4時間ぐらい、コトコト煮たものをメインにしているんですね。あとは、薬師沢小屋はほかの稜線にある山小屋と違って、とても冷たいお水が豊富なので、夕食に冷たいお蕎麦を付けています」

●あ~食べたいですね~。そういったご飯を作る山小屋料理人の1日のスケジュールは、どんな感じなんですか?
「山小屋は、みなさん朝、出発されるのがとても早いです。お客様の朝食が5時なので、従業員は4時に仕事を始めて、お客様に召し上がっていただいて、そのあと片付けをして、従業員は朝食を取ります。
で、8時ぐらいにミーティングした後に掃除ですね。布団を畳んだり、ぞうきん掛けしたり、そういうようなことをして、9時半過ぎぐらいに終わって、少しお茶して、10時ぐらいになったら、今度は夕食の仕込みと昼食を食べたいというかたの対応をします。
従業員は昼食を12時頃に食べて、1時ぐらいには全員仕事を一旦終わりにして、厨房の人たちは1時から3時ぐらいまでは休憩時間です。
私は今支配人で、そのぐらいの時間から受付に座って、お客様の対応が始まります。3時ぐらいに厨房の子たちは夕食の準備を始めて、夕食が5時、バタバタと夕食が終わって片付けやなにやらをして、従業員ご飯が7時で、8時消灯です。健康的ですね(笑)」
(編集部注:山小屋のスタッフは、シーズン中は基本、お休みの日はないそうです。それでもお天気が悪くて、お客さんが少ない時は半日休みにするなど工夫して、休む時間を取ってもらっているとのこと。やまとさんは、今は支配人ですから、一緒に働くスタッフへの気配りも欠かせない立場なんですね)
黒部源流が世界でいちばん!
※山小屋の仕事があるとはいえ、黒部源流に毎年行きたくなるのは、どうしてなんですか?
「そうですね~、本当に、本当に! 素敵なところなんですよ! 私、世界のいろんな所に行ったけれど、やっぱりここがいちばん好きというぐらい・・・。
好きな理由は、とにかく綺麗な水が常にザーザーと目の前を流れていて、高い山に登ると植物はほとんど生えていないんですけれども、標高1920mのこの谷の底は植物だったり、あとは生き物の匂いがたくさんしたり・・・。
そして私はイワナ釣りが好きなんですけれども、大好きなイワナが川の中にたくさんたくさん泳いでいます。ここに来ると毎年、わぁ~嬉しい!って思います」
●素敵ですね~。人間は自然に育まれているな~と感じますか?
「山小屋で働いて、まあ忙しくはしていますが、外に出ると人工物がなくて、育まれているというか、自然の一部なんだな~という、そういった気持ちになります。私もこの中の断片のような、たくさんたくさんある命の中の一部だな〜と感じます」

アイスクリームとお寿司!?
※営業期間を終えて、山小屋を閉め下山し、街に戻るとどんな気持ちになるんですか?
「3か月ぐらいいると、そろそろ山を下りたいかな~というような気持ちになってきますね(笑)。寒くなってきて、雪もちらつき始めて、そろそろ小屋終いの頃だな~と思って、街に下りてくるというか下山すると、まず最初にアイスクリームを食べて、その日の夜は寿司屋さんに行ってお寿司を食べて(笑)、そうすると翌朝からはすっかり街の人間に戻っています。ちょうど旅をして帰ってきたような感じですね」
●(街には)また違った良さもあるんですかね?
「はい、そうですね。暮らすのは街が楽だと思います。蛇口からお湯が出てきたりとかウォッシュレットがあったりとか、わぁ~なんて快適なんだろうと思います」
●私たちの当たり前が素晴らしいことなんですね。
「本当に素晴らしいことです。ありがたいことです」
●やまとさんが今年、薬師沢小屋に入るのはいつ頃の予定なんですか?
「また6月の末に入って、7月1日の営業前に、小屋にお客様を泊められるように準備をします」
●やっぱり今は、早く行きたい! 待ち遠しいという気持ちですか?
「そうですね。意外と楽しみな反面(薬師沢小屋の)責任者なので、今年も上手くいくかな~とか、今年のスタッフはどんな人が来るかな~とか、ちょっと気の重い部分もありつつ、ただ小屋に実際入ってしまったら楽しい! というような感じです」
●楽しみですね~。そして今年も夏山シーズンがやってきますよね。薬師沢小屋の支配人として楽しみにしていること、伝えたいことがあればお願いします。
「山だけではなくて、自然の中に自分の身を置くと、先ほども言ったように自分も自然の一部なんだな~ということに気づくんですよ。
自然の風景って美しくて、ほんとうに命がキラキラキラキラしていて、美しい自然の一部、自分も本当にそういった存在なんだなって、自分のことも大好きになれると思うんです。

人間が本来持っている当たり前の活動をしたりとか、ご飯を食べたり寝たりとか、そういったことが本当に大切なんだなという、そんなことを持って街に帰って、仕事でストレスが溜まったり、いろいろ大変だけれども、そういった元気を、山とか自然の中に来て、持って帰って、また頑張ってもらえたらいいな~と思います。
たくさんの人が黒部の源流を、この本を読んで想像していただいたり、実際に来られる人は来ていただいたりして、たくさんの人から、こんな場所があるんだ! 本当に嬉しい場所があるんだな~っていうことを思ってもらえるだけで、ずっと黒部の源流が大切にされるんじゃないかなと思っています」
INFORMATION
やまとさんが先頃出された本をぜひ読んでください! 限られた食材をやりくりしながら、美味しい食事をお客さんに提供する山小屋料理人の奮闘ぶりが手に取るように分かります。ユーモアあふれるイラストがこれまた、いいです! 個性的なスタッフも登場しますよ。さらに食材に紐づくレシピも満載です。
山と渓谷社から絶賛発売中! 詳しくは、出版社のオフィシャルサイトをご覧ください。
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本の発売を記念してイラストの原画展が開催されます。
モンベル御徒町店で5月25日から30日まで。原宿のfinetrack TOKYO BASE(ファイントラック・トーキョー・ベース)で6月1日から8日まで。いずれも初日にトークイベントとサイン会が予定されています。参加は無料、事前の予約も必要ありません。ぜひご参加ください。
詳しくは、山と渓谷オンラインのサイトを見てください。
◎山と渓谷オンライン :
https://www.yamakei-online.com/journal/detail.php?id=7930&pview=1
薬師沢小屋のサイトは以下になります。
2025/4/20 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、観測専門エンジニアの「松下隼士(まつした・じゅんじ)」さんです。
北極圏ノルウェー領のスバールバル諸島、その島のひとつ、スピッツベルゲン島に
「ニーオルスン」という国際的な観測拠点があり、日本の国立極地研究所が1991年に開設した観測施設もあります。
そんなニーオルスンに技術者として長く滞在していた数少ない日本人のひとり、松下さんは石川県金沢市生まれ。大学卒業後、海洋地球研究船の技術者として、世界各地の海を観測。その後、南極地域観測隊の夏隊と越冬隊に参加。そして国立極地研究所の技術者として、2019年からニーオルスンに滞在し、研究観測に従事。
現在は富山を拠点に活動。そして先頃、ニーオルスンでの日々の出来事を綴ったエッセイ集『オーロラの下、北極で働く』という本を出されています。
きょうは、松下さんに極地らしいカルチャーや、日本ではあり得ないローカルルールのお話などうかがいます。
☆撮影:松下隼士、提供:国立極地研究所

ニーオルスンの基礎情報
※まずお聞きしたいのが、今回初めてニーオルスンという場所を知ったんですけど、日本からどうやって行くのか、そしてどんなところなのか教えてください。
「ニーオルスンは、やはり日本ではあまり知られていない場所で、どこにあるのか想像がつかないかたも多いと思います。
行き方は、まず日本からは国際便でノルウェーの首都オスロへ行って、その後、北極圏のスバールバル諸島へ行く直行便か、トロムソン経由便があるんですけど、そういった飛行機で行くことができます。
オスロからですと、だいたい3時間ほどでスバールバル諸島のロングイヤービン空港に着きます。そこからまた乗り継ぎをして、小さなプロペラ機でニーオルスンに向かいます。なので、ちょっと特殊なのは、全行程を飛行機で北極まで行ける珍しい場所かも知れませんね」

●なるほど。ニーオルスンは町と言えるんでしょうか?
「そうですね・・・町とは言えないかも知れません。集落というのがおそらくベストな表現方法でして、人数の上限があるんですね。ただ、定住している集落としては世界最北の集落と言われています」
●人数の上限っていうのは、だいたい何人くらいなんですか?
「宿泊施設が結構あるんですけれども、100数十人ぐらいは宿泊できると思います」
●国際的な観測拠点なので、観光客は来ないですよね?
「実は、国際的な観測拠点として(ニーオルスンは)あるんですけれども、夏に限っては観光船がニーオルスンまで来まして、かなりの数のかたがいらっしゃいます。ただ、宿泊はできるわけではなくて、立ち寄ったあとに別の目的地に行くので、本当にただ立ち寄るだけっていうような形ですね」
●へぇ~じゃあ、一応私も行くことはできるんですか?
「そうですね。夏に限っては行くことができます」
●なるほど。世界何カ国ぐらいの観測施設があるんですか?
「施設は日本を含めて11カ国あります。スバールバル諸島がノルウェー領ということもありまして、やはりヨーロッパ圏が多いですね。アジア圏ですと日本、中国、韓国、インドもこちらに観測施設を持っています」
●様々な国から集まっているということですが、なぜニーオルスンに観測施設が集中しているのでしょうか?
「最初はノルウェーの極地研究所が、国際的に観測できる場所をニーオルスンに作ろうということを決めまして、それに日本を含め、様々な国がどんどん参入していったというのが観測拠点の始まりになるんですね。なおかつ、そういった研究施設があったりインフラが整っているので、やはり北極研究をしたい人たちがどんどん集まって来て、飛行機で簡単に行ける北極圏となると、やっぱりどんどん人が集まってきた経緯があると思います」

(編集部注:北極というと極寒の地というイメージがありますよね。どれくらい寒いのかをお聞きしたら、松下さんが滞在していた時、3月でマイナス25度を記録したことがあったそうです。
そんなニーオルスンでの松下さんの仕事は、大気のサンプリングとして、気体の中に浮遊する微粒子「エアロゾル」や 温室効果ガスの採取のほか、観測施設の補修作業や機器のメンテナンス、そして日本からやってくる研究者のサポートなども担っていたそうです)
計4回、トータル1年!?
※初めてニーオルスンに行ったのはいつ頃で、現地に降り立った時はどんな印象でしたか?
「初めて行った時には極夜の時期だったので、やはり行っても何も見えないという状態でして・・・寒さだけは北極の感じがしたんですけれども、それ以外は本当によくわからないっていう状態だった記憶がありますね」
●初めて行った時の滞在期間はどれくらいだったんですか?
「初めて行った時は1ヶ月でした」
●1ヶ月間・・・これはどうですか、今振り返ると短かったと思いますか? 長かったですか?
「そうですね~、短かったですね(笑)」
●その後、何回かニーオルスンに行くことになったんですよね?
「そうですね。その後は計4回行くことになりました。最初は1ヶ月で、徐々に長くなっていったような形ですね」

●やっぱり慣れてくると、滞在期間も長くなってくるんですか?
「そうですね。現地の作業に慣れてきますと、さまざまな研究者からのオーダーとか仕事も増えてきますので、長く滞在すれば長く観測できるようなこともいろいろと増えてきます。最終的にいちばん最後の滞在では、約半年滞在することになりました」
●そうすると松下さんはこれまでの人生で、ニューオルスンで過ごしたトータルの期間ってどれくらいになるんですか?
「トータルですと、約1年になりますね」
●季節の移り変わりってあるんでしょうか?
「日本のような季節、四季のようなものはないんですが、敢えて言えば、極夜が4ヶ月ごとと、白夜が4ヶ月ごとにありますね」
●極夜、太陽が昇らないんですよね?
「そうですね」
●まったく太陽が見えない時期が4ヶ月も続くっていうことですか?
「そうです。ただもっと詳しくお話しますと、薄明と言いますか、要は太陽が出ていないけれども、ちょっとぼんやりと明るいような時間帯があります。そんな時間が完全な極夜の前後にもありますので、本当に真っ暗なのはもうちょっと短いのかも知れません」

日本人はひとり!?
※ニーオルスンでの生活の拠点なんですけど、部屋を借りていたんですか?
「はい、一応、日本の観測所の中に個室がありまして、そこは普段寝る場所ですね。シャワーもありますので、そこで暮らすことができます。
食事に関しては、日本の観測所のキッチンはあるんですけれども、普段は現地管理会社がご飯を用意してくれますので、食堂に行ってみんなで食べるというスタイルで生活していました」
●本を読んでいて非常に驚いたんですけれども、松下さんは日本人技術者として基本的にはひとりで、ニーオルスンでお仕事をされていたんですよね? おひとりで何から何までやって、さらに周りには外国人のかたがたがいらっしゃるっていうこの環境、相当大変だったんじゃないでしょうか?
「そうですね。最初の1ヶ月の滞在の時には大変だったんですけれども、現地のかたであったり、あとは日本人研究者であったり、国内からのバックアップがたくさんありましたので、何とか仕事を進めることができましたね」
●でもやっぱり最初、ひとりでいるとなると、ほかの国の研究者やスタッフとコミュニケーションをとるケースが増えていきましたよね?
「そうですね。仕事を進める上でほかの研究者のかたとも話をしなきゃいけないですから、コミュニケーションをとる機会は非常に多かったと思います」
●コミュニケーションをとっていった中で、海外とのギャップとか日本ならではと思った点はありましたか?
「日本ならでは、というところは特に感じなかったんですけれども、みなさん自分の国の研究者が来るとやっぱり自分の国同士でまとまってしまうんですね。まとまって食事を取ったりするんですけども、(自分の国の)研究者が帰ってしまって、ひとりになるとまた国際的なグループに戻ったりっていうのが、どこの国でも同じようなことがあるなっていうのをちょっと見ていて感じることがあります」
ホッキョクグマに遭遇
※ニーオルスンならではのローカル・ルールのようなものはあったんですか?
「国際観測拠点ならではのルールがあります。ニーオルスンならではと言いますと、無線機器の利用が禁止というルールがありましたね」
●無線機器がダメとなると、携帯電話とかもダメですか?
「そうですね。スマートフォンも使えないですし、Wi-FiやBluetoothも使えません」
●へえ~、それって生活するのに、最初は結構大変ですよね。
「そうですね。今、私たち生活している中で無線は一般的になっているので、それがない生活はひと昔前に戻ったような感じで、ちょっと不便に感じることもありました」
●なぜWi-Fiを使っちゃいけないんですか?
「実はニーオルスンには、星から来る電波を観測する施設があります。この観測にあたっては、無線が干渉してしまうということがありますので、その観測を成功させるために、基本的には私たちの生活に使うような無線は、全部オフにしましょうというルールがあるんです」
●そうすると、遠く離れた家族や友人とのやり取りはできないんでしょうか?
「実は無線が使えないといっても、有線は使っていいことになっているので、有線LANを引いてパソコンにつなげば、テレビ電話もできますし、通話もできるっていう状態ですね」

●北極圏では動物に対する、何かローカル・ルールがあったりするんでしょうか?
「はい、みなさんたぶん、北極で動物というと、ホッキョクグマを想像されるかと思うんですけど・・・」
●そうですね。
「(ニーオルスンは)ホッキョクグマが生息する地域なので、やはり町にホッキョクグマが出た時、みなさん逃げ込まなきゃいけないんですね。どこに逃げ込むかというと建物に逃げ込まなければいけないので、そのためには鍵をしてはいけないというルールがあります」
●いつ出てもすぐに逃げ込めるようになっているということですね?
「そうです。これはちょっと特徴的なルールかも知れませんね」
●実際に松下さんは滞在中に、ホッキョクグマと遭遇したことはあったんですか?
「面と向かって遭遇とまではいかないんですが、近くまでホッキョクグマが接近したことはありました」
●ええっ! やっぱり怖かったですよね?
「そうですね。やはり恐怖感もありました。この辺は本にも書いてありますので、ぜひみなさん読んでいただきたいシーンですね。
野外に出る時には必ず私たちはライフルを携行する義務があります。ただそれはホッキョクグマを撃つためというよりは、ホッキョクグマに襲われそうになった時に、自分たちの護身のためという理由でライフルを持っています」
●ライフルを使うための訓練だったり、免許ってあるんですか?
「ライフルを使うことがあれば、現地の管理会社が訓練をしていまして、そちらで訓練を受けて、その後はスバールバルの管理部署に申請して許可を得て、現地で初めて持つことができます」

(編集部注:ニーオルスンの周辺では「ホッキョクグマ」のほかに、哺乳類では「スバールバル・トナカイ」や「ホッキョクギツネ」、鳥では「スバールバル・ライチョウ」や渡り鳥の「キョクアジサシ」も見られるとのこと。また、ハエや 蚊に似た昆虫もいるそうですよ。
真っ白な世界というイメージがある北極圏ですが、苔などの植物も見られ、6月から7月にかけては花のシーズン。「ムラサキユキノシタ」という植物が赤紫色の花を一斉に咲かせ、荒野に花の帯ができるそうです)
極夜明けにサンパーティ!?
※松下さんがおっしゃるには、ニーオルスンの生活でいちばんの楽しみは、やはり食事。メニューは土曜日の夜は豪華で、トナカイのステーキや カモのローストなどが振る舞われたそうです。特に人気があったのは、実は野菜や果物。貨物船の補給が月一回程度なので新鮮な野菜が並ぶと、みんなのテンションがあがったそうですよ。
またお酒も、制限はあるものの飲んでもいいとのことで、4ヶ月ぶりに極夜が明ける時には、こんなイベントを開催して、滞在員みんなでお祝いしたそうですよ。
「サンパーティーというものがあったんです。それは極夜が明けた週に太陽のお祝いするパーティーだったんですね。そういった時には日中にスキー大会をして、夜みんなでちょっと夏っぽい格好をして、お酒を飲みながら夏っぽい感じで、みんな飲んで楽しんで! っていうようなイベントもありました」
●私たちは普段、太陽が出てくるのが当たり前の生活なので、極夜が明けて太陽がパッと出てきた時、そんなに感動するものなんですか?
「そうですね。本当に極夜明けで、特に太陽光線が目に入った時っていうのは、目というよりも頭の中に光が注ぎ込まれるような、ちょっと強烈な感覚を覚えることがありますね。その日差しの温かさを肌で感じた時の感動があります」
●温かさ・・・普段は意識していない感覚なので、すごく興味深いですね。ちなみに「極夜」と「白夜」で生活スタイルにも違いがあったりするんでしょうか?
「そうですね。ニューオルスンでは特に生活スタイルは、変化したりしないんですけれども、個人的な体調の変化みたいなものがやっぱりあります。極夜の時はやっぱり太陽が出ないので、何となく起きている間、ず~っとちょっと眠いような感覚があります。逆に白夜の時にはいつになっても眠くならないような感覚がありますね」
極地らしいカルチャー
※松下さんは南極地域観測隊の隊員として2回、南極にも行っています。観測施設としては南極は日本人チーム、一方、北極は国際的でしたが、それぞれにいいところはありましたか?
「それぞれの良さがやっぱりありますね。例えば南極ですと、日本人チームは限られた人数なんですけれども、長い間、固定メンバーで生活しているので、団結力だったり結束力みたいなものがありますね。なにかちょっと大きな仕事があっても、みんなで協力して“えい、やぁ!”ってやってしまうような、勢いみたいなものを感じることもあります。
一方の北極に関しては、人の入れ替えが割と激しいんですけれども、その分だけ入ってくる情報もたくさんありますし、各国の文化を知って面白いな~って感じる場面は結構ありましたよね」
●どちらにも良さがありますよね。やっぱり松下さんは、極地好きですよね?
「そうですね。好きだと思います。はい」
●そうですよね! 何が魅力だと感じていますか?
「やはり環境的に面白いところだと思います。何もないようで行く度に発見があるっていうのが、面白いところだなと感じますね。
極地に住んでいる人であったり、極地ならではの文化みたいなものは、行く度にやっぱり面白いなと感じることはありますね。そういった意味で極寒マニアというよりは、極地マニアと言ってもいいかも知れないんですが、すごくそういった魅力に取り憑かれているようなところがあるかも知れませんね」
●極地の人や文化で、特にここが好き!っていうのはありますか?
「極地ならではなんですが、人間関係がすごく濃くなる場所ではあります。実は、本の中で私が泣いてしまったっていう表現が結構あるんですけども、それは極地ならではで起こる現象なのかなと思うんですね。
人との出会いがあって別れがある中で、日常生活ではなかなか泣いたりする機会には恵まれないですけども、極地ではそういった機会が結構あります。それはなんでかっていうと、やはり凝縮された人間関係があって、それが影響してみなさん泣いたりするのかなと思うんですね。
それは自分だけなのかなと思ったら、現地のノルウェーのかたが泣いていたり、イタリアのかたが泣いていたり、やっぱりみなさん同じような感情を持っているなっていうのが自分の中ではすごく印象深いし、極地ならではの僕が好きな極地カルチャーのひとつかなと思っています」

ニーオルスンに戻りたい
※国際的な小さなコミュニティ、ニーオルスンの在り方は今、世界が直面している温暖化や戦争などの問題を解決するヒントがあるようにも思うんですが・・・どうでしょう?
「ニーオルスンでは北極を観測して、気候変動の研究を進めるというひとつの全体の目標があるんですね。世界全体とニーオルスンを比べると、ニーオルスンは圧倒的に規模は小さいコミュニティであるかも知れませんけども、やっぱり気候変動の研究を進めようとか、北極を観測しようという原則的な目標を見失うことはないんですね。
ですから、もしこれを世界の問題に置き換えるのであれば、やはりなにか私たちが同じ目標をまずは持つことが、ひとつの問題解決につながっていくのかなと思うことがありますね」
●確かにみんな同じ方向を向く、そして手をとり合うのは大事ですよね。やっぱりお話をうかがっていると、ニーオルスンという場所が、松下さんの現在の活動のきっかけになっているのかなって、すごく感じたんですけど、またニーオルスンに戻りたいと思いますか?
「そうですね。また行ってみたい場所だなと思いますね」
●その理由は?
「これはですね~、当時一緒に仕事していた海外の滞在員たちが任期を終えたあと、また今ニーオルスンに戻ったという話を聞いたりして、“あっ、いいな~”と思うことがあるんですね。そうなると、もしかすると極地の景色をもう一度見たいというよりは、そこにいる人に会いたいとか、現地の人々の営みを直に感じたい気持ちのほうが強くなって、また行きたい気持ちが強くなってきたのかな~という感じはありますね」
●ニーオルスンでしか味わえない時間がありますよね。最後に、松下さんにとってニーオルスンとはどういった場所ですか?
「ニーオルスンとは、世界中の友人たちが集う、私にとってかけがえのない場所ですね」
INFORMATION
松下さんが先頃出された本をぜひ読んでください。たったひとりの日本人として、長期にわたり滞在したニーオルスンでどんな体験をし、何を感じたのか、各国の滞在員と助け合ううちに生まれた絆、そして北極圏の厳しくも美しい自然の描写など、日々の出来事が綴られた読み応えのあるエッセイ集です。松下さんが撮った写真も素晴らしいですよ。
雷鳥社から絶賛発売中です。詳しくは、出版社のオフィシャルサイトをご覧ください。
◎雷鳥社:https://www.raichosha.co.jp/book/1497
松下さんは現在、富山で観測や研究の支援サービスを行なう「Canyou Flash(キャニオン・フラッシュ)」を運営。また、自然科学の魅力を発信するための「The Natureus Store(ザ・ネイチャーアス・ストア)」を主宰されています。詳しくは、SNSを見てくださいね。
◎「Canyou Flash」Instagram:https://www.instagram.com/canyonflash/
2025/4/13 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、一般社団法人「日本フードリカバリー協会」の代表理事「植田全紀(うえだ・まさき)」さんです。
植田さんは地元埼玉でスーパーマーケットを営んでいた頃、大量に捨てられてしまう食品に愕然とし、なんとかしたいという思いから食品ロスの削減に取り組むことにしたそうです。
2022年 7月に設立された日本フードリカバリー協会は、効果的に食品ロスを削減するためには、生産から加工・流通、そして販売のそれぞれフェーズで食品ロスが発生している現状を踏まえ、すべてのサプライチェーンをつなぎ、情報を共有する必要性を訴えています。
そして、フードリカバリーやアップサイクル、そしてリサイクルをひとつの産業として、食品流通に組み込むことも提案されています。
きょうは「SDGs=持続可能な開発目標」の中から「貧困をなくそう」「飢餓をゼロに」そして「つくる責任 つかう責任」ということで、植田さんに廃棄される食品を活用する活動の一環として取り組んでいる「公共冷蔵庫」のお話などうかがいます。
☆写真協力:日本フードリカバリー協会

外れた食品を「流通に戻す」
※食品ロスの削減に向けた取り組みとして「フードバンク」があります。これは食品企業の製造工程で発生する規格外の食品を引き取り、福祉施設などへ無料で提供する活動で、全国に200以上のフードバンク団体があるそうです。
また「フードドライブ」という、家庭で余っている食品をスーパーや自治体などに持ち寄り、子供食堂や生活困窮者の支援団体などに寄付する活動も、ここ数年、全国で広まりつつあるそうです。
今回は新しい取り組み「フードリカバリー」に注目!
●協会の名前にもなっているフードリカバリーという言葉は、植田さんが考えたんですか?
「そうです。流通から外れた食品を流通に戻すっていうことで、そのまんまフードリカバリーです」
●食品ロスの削減に取り組むようになったのは、どうしてなんですか?
「そもそも15年前くらいからスーパーを経営していて、その途中でSDGsが始まって、食品ロスが社会問題であるっていうことをその時初めて知ったんですね。
自分のやっていることを振り返ってみたら、すごく捨てていたなっていうことに気がついて、スーパーとして社会問題になっていることに何かできないかっていうことで、食品ロスの削減に貢献するスーパーを作ろうと思ったのがきっかけです」
●廃棄品というのは、主にどういったものが多かったんでしょうか?
「いちばん多かったのは、やっぱり野菜ですね」
●野菜の中でも、これが多かったっていうのはありますか?
「基本的に市場に返品するものが大きなロスっていうか・・・にんじんの葉っぱの中に、ひとつふたつ腐ってました、みたいなものが入っていると、やっぱり臭いがついちゃうみたいなところがあるので、売り物にできないんですね。だから市場に返品するんですけど、でもそれは市場に戻されても困るから捨てといて、みたいになるので、やっぱりそういう印象が強いですよね」
(編集部注:植田さんはスーパーを経営されていた時に、流通に戻す試みとして、賞味期限が近いものや、規格外のものを安い値段で売る取り組みを行なっていたそうです)
寄付につなげる「公共冷蔵庫」
※協会として、現在どんなことに取り組んでいるのか、教えてください。
「協会としては今、“公共冷蔵庫”を広げていくことをやっています。流通から外れた食品の中でも、どうしても販売できないものを寄付につなげていこうっていうのをやっています」

●へ〜! それはいつ頃からの取り組みなんですか?
「これは(協会を)設立した時からなので、2022年の7月からやっています」
●協会が取り組んでいる公共冷蔵庫、これは「コミュニティフリッジ」と呼ばれています。具体的はどんな仕組みなんでしょうか?
「コミュニティフリッジは、企業さんから食品ロスになるものを集めて、プレハブの中に並べます。そこに児童扶養手当を受給しているような困窮世帯のかたたちに直接取りに来てもらうっていう、無人で食品の受け渡しをする倉庫みたいな感じです」
(編集部注:「コミュニティフリッジ」は「地域(コミュニティ)」と「冷蔵庫(フリッジ)」を組み合わせた造語で、10年ほど前にヨーロッパで始まった取り組みだと言われています。
ヨーロッパでは、地元のスーパーが閉店後に売れ残った食品をコミュニティフリッジに入れ、必要な人が持ち帰る。そうすることで、廃棄される食品が減り、環境にも優しい点が評価され、ヨーロッパのみならず、アメリカでも広まりつつあるとか。
日本ではこの仕組みに、デジタル技術を導入したコミュニティフリッジが2021年に岡山で誕生しています。地元のNPO「北長瀬エリアマネジメント」の代表理事「石原達也」さんが試行錯誤の末、生活に困っている人を支えるシステムを構築。
利用できるのは、事情がある生活困窮者だけで、事前にスマホで登録、倉庫のような入口には鍵がかかり、スマホで鍵を外して入場、持ち帰る食品は記録してもらい、在庫も管理できるシステムになっています。利用者には24時間、いつでも安全に、人目を気にせずに利用できるように配慮したそうです。
この取り組みは全国に徐々に広がりつつあり、日本フードリカバリー協会の植田さんも岡山で誕生したノウハウとシステムを学び、埼玉でコミュニティフリッジを始めたということなんです)

食品業界のルール
※ここで改めて、食品ロスの現状をお伝えしておきましょう。
世界で生産された全食品の内、年間、約40%に当たる25億トンの食品が廃棄されているそうです。
食品ロスはゴミとして廃棄されるため、焼却する際に温室効果ガスである二酸化炭素が大量に放出されます。その量はアメリカとヨーロッパで、自動車が1年間に排出する量のほぼ2倍に相当するとのこと。食品ロスが地球温暖化の要因にもなっているんですね。
ところで、日本の食品ロスの現状はどうなっているのでしょうか。
農林水産省によると、2022年度の年間の食品ロスは472万トンで、その内訳は家庭系が約236万トン、事業系が同じく236万トンとなっています。実は日本の食品ロスは減少傾向にあるんですが、それでもとんでもない量ですよね。
472万トンを、国民ひとり当たりの食品ロスに置き換えると、その量は一日約103グラム、お茶碗一杯分のご飯に近い量とされ、年間に換算すると、ひとり当たり、約38キロの食品を廃棄している計算になるそうです。
事業系の食品ロスの削減に向けては、国の取り組みとして「食品リサイクル法」などの法律が設けられているんですが・・・事業系の食品ロスが多く出てしまうのは、どうしてなんでしょうか?
「食品を扱う企業さんとしても、お客さんのために、というのがいちばんにあるので、どうしても賞味期限ギリギリの醬油を売るわけにはいかないですよね。賞味期限内に使い切れるような形で販売したいっていうのが、スーパーとしてもあるので、14日前には販売期限切れとして売り場から撤去しましょうみたいな形で、企業さんごとにルールを設定しているところだと思うんです」
●そういうルールがあるんですね。企業側も捨てざるを得ないということなんですね?
「そうです。それはもうお客様のためにです」
●ほかにも規格外の野菜が捨てられている現状もありますよね。これまで大きさだったり、形だけの問題で捨てられていたと思うんですけど、それはどうしてなんですか?
「それはですね・・・一回、小っちゃい玉ねぎを買って、料理をしてもらえればわかると思うんですけど・・・めんどくさいですよね」
●あ~小さいと・・・?
「はい、小っちゃい玉ねぎを、皮を何個も何個も(剝かないといけない)、大きいのだったら1個2個で済むのに、とにかくめんどくさい。ジャガイモの皮むき、あの小っちゃいのを剥くんですか? っていう・・・」
●確かに。
「やっぱり使いづらいですよね」
(編集部注:事業系の食品ロスの発生要因としては、いわゆる「3分の1ルール」などの商慣習が挙げられます。
これは食品小売業で「賞味期限の3分の1を超えたものは入荷しない」「3分の2を超えたものは販売しない」といった慣例のことなんですね。
これも植田さんの説明によれば、お客さまのため、ということなんですが、食べられるものが廃棄される現状を変えようと、「3分の1ルール」の見直しなどを検討する取り組みが関係省庁や食品業界で始まっているそうです。
賞味期限が迫っている食品を廃棄せずに寄付につなげたい、という植田さんの思いは、日本人の「もったいない」の心に通じますよね)

自治体が運営するコミュニティフリッジを
※今後、日本フードリカバリー協会として、特に力を入れたい取り組みはなんでしょうか?
「特に力を入れるのは、まずは自治体が運営する公共冷蔵庫、コミュニティフリッジを事例として作ることをまずやっていきたい。今目指しているのは、防災備蓄品の管理みたいな事業を委託されてコミュニティフリッジを運営する、その自治体にとっても損はないよねっていう、今まで使っていたコストを削減できるような形で提案したいなと・・・。
寄付が集まってきたけど、“配り切れなくて捨てちゃいました”っていうのが結構あると思うんですけど、そういう時に余らした物をコミュニティフリッジに入れて、被災した時には誰でも持って行っていいよ、みたいな・・・ちゃんとみんなに無人で配る、そういう時にはコミュニティフリッジが使えるのかなって思っています」
(編集部注:食品ロスを減らすには、私たちひとりひとりの心がけも大事です。
例えば、買い物は必要な分だけ、残さず食べる、注文しすぎないなど、きょうからすぐできることなので、みんなでやっていきましょう)
☆この他のシリーズ「SDGs〜私たちの未来」もご覧ください。
INFORMATION
植田さんが代表を務める「日本フードリカバリー協会」の取り組みに共感されたかたはぜひご支援ください。月額1000円からサポーターになれるそうです。また、寄付用の食品も募集中だそうです。詳しくは、日本フードリカバリー協会のオフィシャルサイトをご覧ください。
☆日本フードリカバリー協会:https://foodrecovery.jp
2025/4/6 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、冒険ライダー、そして地球元気村の大村長「風間深志」さんです。
風間さんは、この4月から放送34年目に入った、この番組の記念すべき第1回目のゲストで、毎年4月の第1週目にご出演いただいている、まさにこの番組のシンボル的な存在です。
1950年生まれ、山梨市出身。1980年にアフリカの最高峰キリマンジャロをバイクで登り、82年に日本人として初めて「パリ・ダカールラリー」に参戦。その後、エベレストにバイクで挑み、6005メートルの記録を樹立。さらに、バイクによる史上初の北極点と南極点に到達など、前人未到の大冒険を成し遂げたレジェンドです。
そして1988年に仲間と共に「地球元気村」を設立、現在はNPO法人として「人と自然が調和している社会」の実現を目指して活動されています。
そんな風間さんに、今週から産休中の小尾渚沙さんに代わって、この番組を担当するブライテスト・ホープ難波遥さんが直撃インタビュー! その模様をお届けします。
☆写真協力:風間深志事務所、地球元気村

冒険家とは・・・
※まずは、こんなお話から始まりました。
●風間さんのFacebookをいろいろと拝見しました。風間さんはいろんなところに行かれていますよね?
「行った!」
●で、いろんなことをされていますよね?
「やってる!」
●その中で一本軸にあるのが「冒険家」である、ということは合っていますか?
「まあ、合ってるね! 信条っていうかね。お前、冒険やってねぇじゃねえかって言われるけど、気持ちは冒険家(笑)」
●この冒険家っていうかたに私、実は人生で初めてお会いしたんです。
「かもしれませんね。極めて稀ですよ。僕もうろうろしても、冒険家なんて会うことはないですね。そのくらい少ない、希少種だから・・・絶滅危惧種かもわかんないよ(笑)」
●すごく珍しい!(笑)
「(冒険家って)どういうことですか? っていう話になると、なかなか説明は難しいけど、昔からよく言われました。冒険家って、”家”って書いてある業態ですけど、どういうことで食べていますか? なんて聞かれましたよ。でも何も喰ってません! って答えたの(笑)」
●食べてないんですか?(笑)
「霞で〜す、みたいな・・・ご安心ください!」
●でも本当に冒険家とは何なんだろうと、まず最初に思ったんですけれども、冒険家は、自分自身が冒険家ですと言い始めることで冒険家になっていくんですか?
「そうだね。何でもいいんですよ。音楽家だって音楽家ですって言えばいいんだもの。だからそれで音楽家たる要素って何かっていうと、ちゃんと音楽を作って、それを人生の柱として、言ってみれば、それで食べていけたら最高だなっていう、まあ、そのあたりだね。
それであなたは食べていますか? っていうと、なかなかそれだって食べている人は難しいんだよね。しかしサイドで何かやりながら、私は生涯、音楽家として生きていきます。冒険家も一緒でね。冒険家なんですねって言われたら、ちょっと照れながら“ええっ!”みたいな、そういうとこがあってね。
でもやっぱりチャレンジしていく、冒険っていう姿勢が好きでやっていますね。食べていけるかって言うと極めて難しい。これで食べている人少ないですよ」
●そうですよね〜。ちなみに、それでもやっぱり生きていかなければならないってなった時に、冒険家のみなさんはどうやってお金を得ているんでしょうか?
「冒険自体で食べられるってことはなかなか少ないんですよ。冒険家っていうのはやっぱりどっちかっていうと、今言ったミュージシャンでも、五線紙に向かってのチャレンジ、挑戦、冒険、あるはずなんだよね。すべてその未知なる空間に対する一歩が冒険の範疇なんだよね。それに邁進していく人が冒険家。
だがら、それで食べられるかっていうと別問題で、冒険自体を食べることの糧にすることは、そんなの不純じゃないかって、純粋じゃないじゃないかって、それは単なる仕事をやっているにほかならないって言われても不思議じゃないよね。
だから、冒険っていうのはなかなかジャンルとして成り立たなかったり、難しいのはそのあたり。家業としてなかなか成立しにくい性質を持っているね。ほかのものは市場があって売れる。冒険に市場があります? ないよね」
●ないですね〜。
「ないんですよ。だからその行為を通じて、その人が何らかの形で社会とか企業から支持されるってことが、ひとつの冒険家としての生きていく術になるんですね」

冒険のゴールは日常!?
●風間さんの資料に、「冒険はいつも真のゴールとなる日常へと帰着する」っていう言葉があって、これが私の頭の中にハテナがいっぱい浮かんだんです。もう深すぎて・・・これの意味をきょうは聞きに行こうと思って!
「なんだ、深く頷いたんじゃなくて、ハテナ? 本当にゴールはみんな日常なんですね。つまり、どんなところに行こうが、どんな未知空間に行こうが、どんな挑みであろうが、最終的には自分の社会、自分自身に対して明るく照らしたり、自分の家族のところに、自分は肉体であれば戻ることがゴールなんですよね。
地の果てに、火星まで行ってみたいけど、人間は行ったら戻ってこなくちゃいけない。やっぱり日常から発信した夢は日常に戻るのが本当のゴールですね。だからそこに帰らないのはちょっとよくない、未達成!」
●なるほど。しっかり行って帰ってきてこそのゴールがそこにある?
「行って帰ってくる。命を大切にするってこともあれば、すべての行為はフィードバックするところは日常なんだ。日々の日常を邁進するため、日々の日常をよりよくするためのひとつの体験であるっていうことだね」
●なるほど。
「オートバイの人は、いいこと言うでしょ?(笑)」
●本当に名言続出で!
「まあ、ただのバイク乗りだからね、俺は(笑)」
●風間さんはオートバイで人類史上初の北極点到達、南極点到達。さらにエベレスト6005メートル地点に到達されました。これもやっぱりそこに到達してから、しっかりと戻ってきてこそのゴールだったっていうのは、ここにも通じているんですか?
「絶対、そう! やっぱりね、苦難と苦境とそれから修羅場と、厳しければ厳しいほど、人間は生きたいんですよ。それで生きてどうすんだって、家に帰りたいんですね。それがやっぱり本当のゴールだなって、つくづく冒険中に感じるんだよね。それは僕だけじゃなくて、みんなそう言うと思います」
●でもやっぱり、戻ってきた時に感じるものって、冒険に出た時に、いかに壮大な自然だったりだとか、日常では目にしないものを目にするかによって、やっぱり帰ってきたあとの日常って変わったりするんですかね?
「大きく言うとね、何も変わらない」
●何も変わらない・・・!?
「何も変わらない。何も起きない。穏やかでなんの変哲もない日常こそが最高なんだよ! 何か変わっている日常よりかも穏やかで何も感じない、退屈だな〜っていう日常が最高なの(笑)」
●なるほど〜!
「ほんとそうなんだよね。だからそんな気分はものすごく大切。で、やっぱりね、頑張っている時は日常がいつも自分を支えていくんですよ、いつも日常に支えられるの。だから素晴らしい日常を持つべし! 素晴らしい日常、友達、家庭、社会、会社を持つことによって、その人は頑張れるっていうのはもう絶対、太鼓判です」

社会のために役立つバイク
※今バイクの活動で、いちばん力を入れていることはありますか?
「今、俺が一生懸命やっているのは、“災害支援バイク”っていうものを作っているのね。(日本は)災害が多いじゃないですか。山火事も多いし、津波が起きるし、地震が起きるし、そんなのの繰り返しだよね。大水は出るし・・・そんな災害日本の中で、僕はバイク乗りだから、バイクがもっと社会のために役立つシーンをいっぱい想像するんだけど、オートバイは何か起きた時は、初動にすごく効果あるんですよ。車じゃ行けないでしょ? バイクは(現場に)行けるんです!
地元にはその場所を知っている若い人がいっぱいいるんですよ。“俺、あそこ行ってくる!”ってね。例えば、隔離された集落のところに行って、それで一声かけてくるってすごく大事なことだよね。何かできなくてもやっぱり駆けつけて、その場に行って、人と人の顔を合わせることが最高の救助だからね。それができるのは、俺はオートバイだと思っているから、それに向いているようなバイクを作って、そのためにみんなに号令して今、訓練をやっています」
●訓練!?
「レスキューとかそういう部分の、基本的な人工呼吸とかそういうことね。で、そういうものをみんなに言って、何か社会の役に立っていこうという気持ちでやっていますよ! 今、未完成だから必死になって言うんだよ。一生懸命やんなきゃいけないと思って、それを社会的通念にしたいと思っているわけ。
“おっ! バイク、行ってこい!”って言われたいの! “はい! わかった!”ってね。バイク乗りだからね。バイクが社会の役立ちたい! バイクの連中がみんな、ありがとう!って言われるような社会になればいいなと思って、今バイクが活躍できる場所を設定して、そのためのシステムとそのための訓練をやっている。それを今いちばんやっているところ、小さなことだけどね」
●風間さんの、人のためにとか、地球のために貢献していきたい、役に立ちたいという思いの原動力は?
「この原動力は、それは俺、今まで冒険をやっていたからね。冒険やるのもオートバイっていうのが・・・これ、バイクの話になっちゃうけどね。
つまりバイクっていうのは、日本にはホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキっていう、4大メーカーがあるのね。その昔(バイクメーカーは)60もあったんだよ」
●へぇ~~!
「その生き残ったメーカーが何をやっていたかっていうと、世界選手権に出てチャンピオン(の座を)取るんですよ! それで技術力(を高めて)商品開発をやってきたの。素晴らしい技術が商品の形として売れるわけ! それはよい製品を作るってことの証なんだよね、勝つことは!
それでそのチャンピオンはサイン会をやり、店頭に並んでセールスの陣頭に立つわけだ。それでマーケットを築いた。マーケットを築いたけど、速いとか上手いっていうことを、社会は別に欲していないんですよ。最初は欲していたんだよ。でも結果、そのあと(バイクは)危ないとかうるさいとかって言うの。
でも僕は、そういう上手い速いだけじゃないんだ。そうじゃなくて、乗ることによって、もっと人間っていうのはすごいチャレンジがあって、すごい達成感があって、ロマンがあって、そうじゃない道を僕が自ら選んでやったのが、自分のバイクの冒険なの。ほかのシーンを見せたんですよ。
で、それだけじゃないんです! うまくコーナーをピューって行くだけじゃないんです! ノロノロ走ったってロマンチックなんです! 自然があれば行きたいんです! 山があれば登りたい! これ、山屋と一緒ね。ピークを踏みたいんです! 僕はバイクで行きたいんです! ピッケルじゃないんだって。ピッケルもやるよ。でも僕はバイクが好きだからっていう、バイクの表現、バイクの活動の領域を広めていくのは僕の冒険だったの。
その冒険で世界中に行くでしょ。エベレストに行きます。エベレスト街道、ばばばーっと行きます。アメリカ人の女性が走ってきます。“クレイジー!”って怒られるわけ。なんでクレイジーなの、俺は? って、バイクだから? ってことなんだよね。
それだけバイクは市民権を持っていなかった。悔しい! 眺める観察する人にとってはうるさいから嫌なの、いて欲しくない形をしているの。だから悔しいから、バイクは人のためになるんだってことをやりたいんですよ、最後の仕事として。俺はそれをやらなきゃいけないと思って、頑張ってま~~す!(笑)」
地球元気村の信念

※風間さんは1988年に「地球元気村」を設立されました。テーマが「人も地球も元気、人と自然が調和する社会」ということですが、改めて、なぜ「地球元気村」をやろうと思ったのか、教えてください。
「これはバイクで冒険するのと一緒なんだけどね。やっぱりみんなに自然志向を持ってもらいたい。自然ってものにもっとみんなが目を向けて欲しいっていう活動。それは家族ぐるみだったり、子供も一緒に向かっていくフィールド、自然豊かな中でいろんな体験がある、いろんな発見がある、感動がある。そういった中に地球人としての必要な要素・・・”私嫌い!”とかって言わないで、まあ嫌いって言ってもいいんだよ。
とにかく自然と一緒になって生きていくのが、人間のあるべき姿だし、そこの形はなんだろう? そういったものを掌握したり、理解する社会形態ってどうなのだろう? ってね。それは教育すべてにわたってそうだよね。そういう理想的な自然を取り入れた生き方、社会を作っていきたいと思ったの。
特に僕が1988年頃、子育て盛りだから、育メンだから、俺は! 自分でも初代育メンだと思っている(笑)。俺は田舎の育ちでさ、自然なんかいくらでもあるんだよ! ところが都会で、当時1988年は練馬に住んでいた。子供を抱っこしながら、よそん家の垣根の向こうに(ある花を子供と一緒に見ながら)“綺麗な花だろ~”って言うの。なんと惨めなんだろうって、よそん家の花を見て子供に自然を教えなきゃいけない、これはすごく辛かったね。
都会の人たちは自然に向かって行かなければ、自然と出会えないでしょ。田舎に住んでいる人たちは、自然は周りを見りゃみんな自然だよね。足元を見れば川が流れているよね。でも都会の人はそこに向かわなきゃいけない。
そんな都会の人たちに向かっても、自然は素晴らしいんだよ! って、自然が人間を大きくする、大らかにするんだよ! って、自然を含んだ都会の空間、街の空間にしていきたいね! って、いうことをほんとに言わなきゃいけないと思ってやってきました。それで38年! 何も答えが出ていない・・・。
もうほんと虚しい闘いだけど、しかし地球元気村で僕がやった体験学習に来てくれた人は何万人もいるよね。だって0歳で来た子がもう38歳だから! みんなそういう昔のある日の思い出を、ちゃんと脳裏に刻みながら生きていってくれたから、無駄じゃない。でもこれはずーっとやり続けていかなければいけないんですよね、これからもね」
●そうですよね~。
「加えて気候変動、こういった部分でも自然が非常にインパクト強くものを言ってくるでしょ。洪水にしてもね。夏40度超える毎日、耐え難いじゃないですか。これはやっぱり自然をある種、蔑ろにしたり、自分たちだけの生き方、人間だけの生き方を考えたひとつのツケがここで回ってきたと僕は思っている。
それはそういう循環なんだよって(言うけど)そんなの詭弁。やっぱり直せるものは直していきたいと思うからね。だから、みんなもっと自然寄りの生き方を考えていくべきだと思うので、1日24時間の使い方は自由だし、豊かっていうものも考え方ひとつで変わるから、みんなこれは選択肢の問題だから、それはよりよい方向の、“フリントストーン”だよ! そういったものに目を向ける心がすごく大事ね! 今こそ!」
☆この他の風間深志さんのトークもご覧ください。
INFORMATION
地球元気村の活動のひとつとして、モンゴルのゴビ砂漠に木を植える活動を行なっています。10年以上も続けているこの活動、今年もこの夏に植林ツアーが予定されています。
また、山梨市にある地球元気村ファーム「天空のはたけ」では5月中旬に、サツマイモの植え付けが計画されています。ほかにも地球元気村が運営している山梨県山中湖村の「村営 山中湖キャンプ場」もありますので、ぜひご利用ください。
そんな地球元気村では、随時村民を募集中です。プレミアム村民は会費が年間10,000円、村民になると年4回、会報誌「地球元気村」が届くほか、イベントの参加費が割引になるなどの特典がありますよ。詳しくはNPO法人「地球元気村」のオフィシャルサイトをご覧ください。
◎地球元気村:https://chikyugenkimura.jp
風間さんが主宰されている一般社団法人「日本ライダーズフォーラム」でもイベントが目白押しです。地域社会を元気にするための「にっぽん応援ツーリング」が4月26日にスタート。
また、一大バイク・イベント「SSTR(サンライズ・サンセット・ツーリング・ラリー)」が5月24日から始まる予定です。詳しくは「日本ライダーズフォーラム」のオフィシャルサイトを見てくださいね。
◎日本ライダーズフォーラム:https://www.round4poles.com
2025/3/30 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、Z世代の起業家、株式会社「Hands UP」の代表取締役「難波 遥(なんば・はるか)」さんです。
難波さんは2000年1月、静岡県生まれ。4人兄弟の末っ子。田んぼとお茶畑のある自然豊かな田舎で伸び伸びと育ち、高校時代には陸上の7種競技に打ち込み、なんとインターハイに出場。
そしてフェリス女学院大学在学中にHands UPを立ち上げ、代表として活動していくなら、影響力を持ちたいと考え、フェリスのミスコンテストやミスユニバーシティに出場し、見事、グランプリを受賞! 現在は会社経営の傍ら、テレビ番組でレポーターを担当されるなど、マルチに活躍されています。
きょうはそんな難波さんに起業した理由や、現在の事業内容のほか、具体的な事例として「SDGsすごろく」や「はしわたしプロジェクト」そして体験イベント「海ヨガ」のお話などもうかがいます。
☆写真協力:株式会社Hands UP

転機はフィリピンの語学留学
※まずは、Hands UPについて。学生時代に起業されたということですが、どうして会社をやろうと思ったんですか?
「私が大学2年生の時にフィリピンに語学留学で行きました。最初はほんとに勉強だけしようと思って行ったんですが、(現地の子供に)物乞いをされたりだとか、日本ではあまり見ない光景を見てしまい、これは何かこの子たちのためにできることはないかと思ったんですね。
それと、自分自身それまでの人生で、社会課題とか地球課題に対して何かをしようって思ったことがなかったので、そういう後悔もあって、何かやっていこうと思って、日本に帰ってきて地球課題に対して何かをやっていく学生団体を立ち上げたのが最初のきっかけですね」

●まず、何から始めたんですか?
「最初はやっぱり仲間を集めなくてはいけなかったので、フィリピンの留学で出会った名古屋の、同じ大学生の女の子と一緒に活動を始めました。内容としてはSDGsですね。私も高校生くらいからSDGsっていう言葉を耳にするようになって、大学でも授業でちょっとだけ聞くような機会があったんですね。
SDGsはもっと啓蒙していかなきゃいけないし、みんなが当たり前のように取り組まなきゃいけないけれども、それが特に私の世代の子たちには広がっていないなと感じたので、SDGsや地球の課題に若者が取り組みやすいような設計、仕組みづくりをしていく必要があるなと思いまして、最初はSDGsのイラストをお洒落に可愛くしていくっていうところから始まりました」
●イラストというのは、スタジオにお持ちいただいた、これですか?
「そうなんですよ~」
●ステッカーですよね?
「はい!」
●可愛い~~キラキラでカラフルですね!
「ありがとうございます! 私の高校の先輩でデザインをやっているかたがいて、その方に“SDGsを可愛くイラスト化するんだったら、どんなデザインがいいでしょうか?”って相談をして、描いていただいたものなんです。これでグッズを作ったりだとか、クリアファイルにして配ってみたりだとかというところが、ほんとに最初の入り口でしたね」
●お洒落ですよね~!
「ありがとうございます!」

●これ、ひとつひとつがSDGsの目標になっているっていうことですか?
「そうなんです! 実はこれ、18個あるんですね。SDGsの目標って17個なんですけど・・・」
●そうですよね~。
「18項目めに勝手にHands UPで、“守ろう、自分の命”というものを加えました。SDGsって結構、他者向けというか、誰かのためにっていうところがすごく多いなと感じていました。
もちろんそれがいずれかは自分に返ってくると思うんですけれども、まずは自分の命を守って、自分のことも大切にしようっていう意味を込めて、“守ろう、自分の命”という項目とイラストを付け加えて、いい感じに長方形になるようにしました」
●社名のHands UPっていう名前には、どんな思いが込められているんですか?
「Hands UPは、“手を挙げよう”っていう意味だと思うんですけれども、ここに込めた思いとしては、助けて欲しい人も手を挙げるべきであり、助けられるよっていう人も自ら手を挙げていこう、お互いに手を挙げあって、手を取り合う、そういう社会になってほしいなという思いを込めてHands UPという名前にしました」
●SDGsは2015年に国連サミットで採択されて、2030年の12月までに達成しようという世界共通の目標ですけれども、難波さんのような若い世代、いわゆるZ世代のみなさんはSDGsをどんなふうに捉えているんでしょうか?
「そうですね・・・あくまで通過点というような捉え方が多分根底にあるとは思うんですけれども、当たり前にやっていくべきこと、というような感覚なのかなと感じていますね。
私たちが住んでいる地球や環境というものを、私たちの生活によって汚してしまうことがあるのであれば、私たちの生活によってまた綺麗にしていくべきだし、それを守っていくのは自分たちを守ることにもつながりますよね。
地球上で生きている私たちは自然と共存していく必要があるということを、小学生の頃からSDGsとかで学んできている世代だと思うので、そういう考えが根本にあるのかなとは感じていますね」
(編集部注:活動するためには資金が必要になってくるので、そのことをお聞きしたら、学生団体の頃は難波さん自身がアルバイトをいろいろやって、稼いだお金を活動資金に充てていたそうです。ある時、それでは持続可能な活動にならないと気づき、サステナブルな仕組みを作って、ビジネスで社会貢献していこうと、2021年12月に株式会社にし、代表取締役に就任。
現在、活動を共にするのは、おもに20代のコアメンバー10人のほか、業務委託を含めると20人ほどで活動。また全国の学生団体と協力しあったり、仕事のクオリティーを保つため、ベテランのビジネスマンに顧問として参加してもらっているそうです)

課題解決のための事業展開
※改めてなんですが、現在はどんな事業を展開されているのか、教えてください。
「今ふたつの事業をやっています。ひとつめがソーシャルクリエイティブ事業で、もうひとつがAI (アイ)ヒーロー事業です。私たちの会社は、まずやっぱり課題を解決していきたいっていう思いがありまして、そのアプローチ方法としてふたつとっています。
ひとつめは、広くビジネスを展開している企業のかたがたと手を取り合いながら、“社会貢献できるプロジェクト”を一緒に作って、事業を回していこうっていう新規事業の開発をやっています。
AIヒーローのほうは、“人を育てる”というところにフォーカスしています。これまでいろんな企業さんと手を取り合いながらやってきたんですけれども、やっぱり地球の課題がほんとに多いので、一企業さんとやっているだけだと間に合わないなっていうことを感じてきました。
そういう課題に興味がない子たちに興味を持ってもらって、課題解決できる能力を身に付けてもらって、貢献をしていく人たちを増やしていこうっていうようなサービスを始めました。
それがAIヒーローというサービスです。サービス内容としては、AIって今では結構みなさん聞くと思うんですけれども、AIのプロンプト能力、指示を出す能力だったりとかを、学生さんに無料の学習を提供させていただいて、スコアリングをして、彼らと企業さんをマッチングするっていうサービスをやっています。
AIを使うことによって、いろんな課題解決に貢献できる人材になると思うので、そういった子たちをいい企業さんとマッチングをして、さらにビジネスを加速していくっていうところをお手伝いしている事業ですね」
地球を作る「すごろく」!?
※Hands UPの資料を見て、番組として特に気になったのが、ソーシャルクリエイティヴ事業の中の「SDGsすごろく」と「はしわたしプロジェクト」なんですけど、それぞれ具体的にどんな事業なのか、教えてください。

「SDGsすごろく、これはDream Earth Tile(ドリーマースタイル)という名前でやらせていただいているんですけれども、大学2年生の時に作ったゲームで、東大生の子たちと一緒に作りました。SDGsを小学生の子供たちでも楽しく学べるようなゲームになっています。ルールとしては自分が国のトップになったつもりで、すごろくに参加するんですね。
すごろくって普通、すごろく盤を囲んでいる人たちはみんな敵になると思うんですけど、このゲームの場合は、“ひとつの地球を作り上げる仲間”みたいな形で参戦してもらって、時間内の20分間で、何個のSDGsの課題が解決できました! ってところを、ほかの地球と競い合うっていうゲームになります。
なので、自分が地球を作る感覚を養って欲しいなと思ったりだとか・・・例えば友達に絆創膏をあげるとか、そういった優しさもSDGsにつながっているんだよ っていうところを、若い学生の子たちにもわかってもらえたらな~っていう思いでやっているプロジェクトで、企業さんとか学校で研修をさせていただいております」
●いいですね~。他人事として捉えがちですけれども、ちゃんと自分事として捉えられるようになりますよね~。

「そうですね。あともうひとつの“はしわたしプロジェクト”は、障害を持ったかたがたに間伐材を使って割り箸を作ってもらいます。割り箸には箸袋が付いていると思うんですけれども、箸袋を私たちのお洒落なSDGsのイラストにして、さらに企業さんのロゴだったりキャラクターとコラボをすることができるんですね。
そういったイラストを入れることで、企業さんの広告物にもなるということで、企業が広告を出すだけで社会課題の解決にアプローチができるような商材を作ったというプロジェクトですね」
●ほかにもイベントもいろいろやっていますよね?

「そうですね。やっぱり私自身もひとつの体験から、課題解決をしていこうって思いが芽生えたので、オフラインの体験を多くのかたがたにしてもらう重要性をすごく感じています。
そこで例えば、“海ヨガ”っていうイベントをやっているんですね。ただ単に海でヨガをする! っていうイベントでして、海でヨガをすると本当に砂の温かさだったり太陽の光だったり波の音だったりとか、自然をすごく感じることができるんですね。
そういったことを感じてもらって、やっぱり自然が好きだな~とか、地球が好きだな~って思ってもらうことが、何かしら貢献しようって思うことの原点につながるかなと思っていて、そういったイベントもやらせていただいております」

自転車で日本一周!?
※話は変わりますが、自転車で日本一周をされたんですよね。なぜ自転車で日本を一周しようと思ったんですか?
「これはHands UPを通じて、人の課題を見つけて、それに対して何かプロジェクトを産んだり、事業を作ったりっていうことを若者とやってきたんですけれども、その時に課題に感じていたのが、今の子たちとか私自身も含めてSNSからいろんな情報を得るので、人の課題もSNSから情報を得たりするんですよね。
SNSの情報って結構、色が付けられていたりとか、誰かの思いにいろんな人の思いが組み合わさった状態で誰かに届いてしまうことって、良くも悪くもあると思うんですね。
何かプロジェクトを作って、それが終わりましたってなって振り返ると、“あれっ? 結局これって誰の課題を解決したんだっけ?”ってなって・・・社会の中ではこれが課題だよねって思われているけれども、一個人がその課題を本当に持っているかが、ちょっとずれちゃっているなって思ったときがあって・・・。
これはダメだと・・・私自身が人の本当の課題、そこにある人の課題をしっかりと耳で聞いていかなければならないなって思いまして、ひとりひとりの話を聞くには車より、自転車のほうがみんな話しやすいなと。日本の課題を聞きに行こう! っていうところで、日本一周を始めたっていうのがきっかけでしたね(笑)」
●え~〜! 実際に日本一周しながら、いろんな人のお話を聞いたっていう感じだったんですか?
「そうですね・・・だったんですけど、振り返ってみると、おじいちゃんとかおばあちゃんと話していた(笑)って感じなんですけど・・・課題とかも聞けたりだとか、普通にどういう人たちが生きていて、今ってどんな暮らしがそこにあるのかな~っていうところをちょっと探れた期間になりましたね」

●改めて自転車で日本一周を果たして、どんなこと感じました?
「東京と地方って全然違うのかなって思っていたんですよね、最初は。でも振り返ってみると、日本って大体全部同じような感じだなって(笑)、まとめると。東京で活動していると、地方との差を感じてしまうことって、いろんな面であったんですけれども、みんなの笑顔とか生活とか、“物価が上がったよね~、下がったよね〜”とか、そういう会話って変わらないから、差を感じなくていいんだなっていうところも感じましたね。
あとはいろんな人が生きていて、いろんな生活スタイルがあるので、自分自身も今の生活スタイルにハマらなくてもいいんだな~みたいなのを感じたりだとか、本当にさまざま、色とりどりだな~っていうのを感じましたね」
(編集部注:日本一周は基本的にはひとりで行ない、各地にいる知り合いや起業家仲間にお世話になりながら、仕事の合間に時間を作って、コツコツと自転車旅を続行。当初、半年の予定がなんと2年かけて日本一周をやり遂げたそうです。
行く先々ではたくさんの出会いがあったそうですよ。中でも山口で出会った農家のおじいちゃん、おばあちゃんたちのグループとは一週間ほど、一緒にご飯を食べるなどして過ごし、今でもつながっているとのことです)
100年先を見据えた取り組みを
※Hands UPを法人化して、3年4ヶ月ほどが過ぎました。自分が思い描いていたように進んでいますか?
「正直、まあ~30点くらいかな~と、自分自身を振り返ると・・・仲間は100点満点なんですけれども。やっぱり毎日ビジネスをしていくと、できないことの積み重ねで、私はなんでこんなに(できないんだ)もっとできるようになったらなって思うことが多いんですけれども、それも含めて全部楽しいな~って思いますね。
新たな世界を見せてくれるのが、今ビジネスの世界だなって自分自身は感じているので、できないことを克服していって頑張りたいなって思っています。今後の新たな目標ができたりしたので、次のステップに進ませてくれる、成長させてくれるのがHands UPだなというのは感じていますね」

●SDGsという視点でいうと2030年が目標達成のリミットということで、あと実質5年ほどになりましたよね。どんな思いがありますか?
「そうですね・・・あっという間ですよね~。私が活動を始めた時は、あと10年もあるなって思っていたので、ついにあと5年になってしまったかという感覚なんですね。
あくまで5年間っていうこの区切りはあると思うんですけれども、やっぱり私たちは10年20年100年先を見据えた取り組みをしなければならないと思いつつも、私たちで決めた目標だと思うので、そこはなんとしても全人類で達成をしていくという、もう一度気合を入れ直して頑張らなければならないなというふうには思っていますね」
●難波さんは25年後に50歳になりますけれども、その時、私たちの母なる星「地球」は、どんな地球であってほしいですか?
「そうですね・・・地球・・・すごく難しい(苦笑)」
●壮大な質問ですけれども・・・(苦笑)
「そうですね・・・例えば、ですけど・・・地球が言葉を発するなら、私たち人に“ありがとう”って伝えたくなるような人類であるべきだなと思いますし、人も地球に“ありがとう”っていう、ありがとうの連鎖が生まれているような地球になっていたら、あったかいなって思いますね」
産休のご挨拶、そして!
※ここまでマルチに活躍されているHands UPの難波 遥さんにお話をうかがってきましたが、実は私、小尾渚沙は来月4月から産休に入らせていただきます。
5月下旬の出産予定です。初めての妊娠出産で不安なこともたくさんありますが、頑張って元気な赤ちゃんを産んでまいります。みなさんにいいご報告ができますように、そして産後、益々パワーアップした小尾渚沙をお届けできますように、毎日楽しんで過ごしていきたいと思います。
その間、私に代わって、この番組「THE FLINTSTONE」のパーソナリティを担当してくださるのが、難波さんなんです!!
「そうなんです~」
●難波さん! あとをよろしくお願いします!
「がんばります! こんなに素敵な小尾さんのあとをしっかりと引き継げるように・・・大先輩ですので。
地球のことを、いろんな角度からお届けできるように、いろんな素敵なゲストのかたがたがいらっしゃると思うので、楽しくお話をして、みなさまにお届けできたらいいなと思っております。そして小尾さん、頑張ってください!」
●ありがとうございます! 頼りにしています! 難波さん!
「ありがとうございます!」
INFORMATION

難波さんが代表を務める「Hands UP」にぜひご注目ください。人材を育てる「AI(アイ)ヒーロー」や、社会や地球の課題に取り組む「ソーシャルクリエイティヴ事業」、それぞれの事業内容など、詳しくはぜひオフィシャルサイトでご確認ください。
◎Hands UP:https://handsup-sdgs.com
2025/3/23 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、「渋谷区ふれあい植物センター」の園長「小倉 崇(おぐら・たかし)」さんです。
日本一小さな植物園といわれている「渋谷区ふれあい植物センター」は渋谷駅から徒歩10分ほどの所にあります。“こんなところに植物園!?”という感じの穴場スポットで、実は若い女子たちや、カップルに大人気なんです。
そんな「渋谷区ふれあい植物センター」にお邪魔して、園長の小倉さんに施設や、植栽してある植物の特徴のほか、都市農業の新たな可能性を追求するNPO法人の活動などについてお話をうかがってきました。

コミュニティ型の植物園〜農と食の地域拠点
※「渋谷区ふれあい植物センター」は2023年7月にリニューアルオープン。ガラス張りの建物の中に温室のような広い空間があって、植物はもちろん、お洒落なカフェや、図書館のようなライブラリー・スペースがあったりと、一般的な植物園とはちょっと違う都会の中のオアシスのような雰囲気です。
まずは「渋谷区ふれあい植物センター」がいつ頃、どんな経緯で生まれたのか、お話しいただきました。

「2005年にゴミの焼却場ができて、それに伴って地域還元施設という建て付けでこの植物園はできました。その関係もあって、ゴミを焼却する際に出る熱、それを電気に還元してこの植物園に送っていただけるので、うちの植物園の電力は9割以上、ゴミ焼却の時の”ゴミ発電”って言うんですけど、その電力で賄っていますね」
●ゴミの焼却時に発生する熱を利用して発電した電気で賄っているってことですね!
「そうです、そうです!」
●今はソーラー発電とかで(電力を)賄う施設も多くなっていますけれども、清掃工場の熱で、っていうのはいいですよね~。
「結構面白いと思いますよ。無駄がないというか・・・」
●「日本一小さな植物園」として若いかたにも人気があるということですけれども、リニューアルされたあとの特徴としては、どんなことが挙げられますか?
「建物自体のコンセプトが“農と食の地域拠点”っていうことで、ここを起点に都市農業“アーバン・ファーミング”の魅力だとか、そういったものをどんどん伝えていきたいと思っているんですが、敢えてここにいる植物は、ハーブだったり熱帯果樹だったり全部食べられたり、生活に取り入れられるようなものだけを栽培をしています。
その植物自体も生まれたばかりの若い子たちを入れていて、それは何故かというと、植物が好きなかたがた、あるいは地域のかたがたをお招きして、ここで毎月のように植物の育て方をみんなで学んでみんなで育てる、つまり植物を育てると同時に、ここの植物園のコミュニティも一緒に育てていけるような、そんなコミュニティ型の植物園っていうのが特徴だと思います」
●園内に植栽されている植物は全部食べられるんですか?
「食べられますね」

●具体的にどんな植物が何種類ぐらいあるんでしょうか?
「お子さんから、みなさん知っているような植物でいうと、パイナップルとかバナナとかマンゴーというようなものから、ちょっと珍しいところではコーヒーだったり、最近だとカカオなんていうのも植えています。
そういったトロピカル・フルーツが大体園内で50種類くらい、それと外のお庭のほうでは、ローズマリーとかラベンダーとか、そういったハーブ類がやっぱりこれも50種類くらい、なので大体100種類くらいの作物が育っていますね」
●「農と食の地域拠点」というコンセプトは素晴らしいな〜と思うんですけど、このコンセプトにしようと思ったのはどうしてなんですか?
「これ(アイデアは)渋谷区なんです」
●へぇ~!
「渋谷区さんがお考えになられていて、私たちもいろいろお話させていただく中で、東京のど真ん中で日本一小さいとはいえ植物園があることって・・・例えば、そうだな・・・来園者がいちばん多い植物園ってどこだかおわかりになります? 人気の植物園っていわれているところ・・・」
●え~っ、どこだろう〜?
「京都府立植物園と言われていまして、確か25万平米だったかな〜? ちょっと想像できないぐらい広い所なんですけど、私も一度おうかがいしたことがあって、温室だけでも1000種類以上の植物があるような場所なんですね。
通常の植物園ですと、みなさんその植物を見て“わぁ~すごい! わぁ~すごい!”という植物の凄さ、あるいは愛でたりっていうところが多いと思うんですね。
私たちの場合は、繰り返しになっちゃいますけど、すごく狭いところで・・・都会の中で植物園を通じて何がしたいかっていうと、緑の大切さとか自然の素晴らしさみたいなものを発信していきたいと思っています。そういう意味でいうと、愛でるのではなくて、もっと生活に密着した部分で、育てたり食べたりっていうことで“農と食の地域拠点”というコンセプトになっていると思います」

水耕栽培施設「ファームラボ」
※園内を見学していて、特に気になったのが「ファームラボ」と「ミュージック・オブ・プランツ」なんですが・・・まずは「ファームラボ」とは何か教えていただけますか。
「ファームラボは、私たちのオリジナルの水耕栽培施設です。通常の水耕栽培の野菜って(みなさん)食べたことがあるかもしれないんですが、私も10年前に食べた時はちょっと水っぽいかなって感じがしたんですね。

うちの水耕栽培は灯りが白色の一色ではなくて、赤・緑・青っていうふうに色を分けているんです。そうすることによって太陽光の光源の色を分けて、作物によっては例えば、ほうれん草は鉄分が多い野菜って言われますけど、ほうれん草を育てる際は赤だけを2時間強くずーっと当て続けてあげると、鉄分だけをほうれん草の中で上げることができるっていうような、太陽光と植物の生理をうまく自分たちでコントロール、って言い方は変なんですけど、うまくその性質を利用しながら育てる水耕栽培施設になっていますね」
●野菜によって光を変えているんですね~。
「そうなんです」
●今どんな野菜を育てているんですか?
「今はルッコラとかリーフレタスのようなサラダ野菜から、ちょっと変わったところではパクチーとか、あるいは食べられるエディブル・フラワーなんかも育てています。これらは全部、お昼とか夜に2階のカフェでサラダボールとして提供しています」
植物のパルスを音楽に!?
※続いて「ミュージック・オブ・プランツ」。小さな洞窟のような空間に不思議な音楽が流れていました。これは何なんでしょうか?

「あれは、まあ確かに音楽ではあるんですけど・・・もともとあそこでやりたかったことは、植物が生きていることを目で見ること以外で何かできないかなと考えたんですね。昔、私が白神山地に行った時に“白神山地の守り人”っていうおじいさんにガイドしていただいたんですけど、おじいさんが聴診器を持って森の中に入って行くんですね」
●へぇ~〜!
「で、スギとかブナにその聴診器を当てて“、水管”、根っこから水を吸い上げる“シャ〜”っていう音を聴かせていただいたことがあったんですね。そうやると確かに実際に生きているって感じがわかるな~と思って、なんか聴覚でできることがないかな〜と考えていた時に・・・。
友人でサウンドデザイナーの松坂大佑さんってかたがいらっしゃるんですけど、彼はフィールドワークで、木や森とかの音を録っている人です。
彼に“果樹が生きているようなことを表現できる音楽手法はないかな?”って聞いた時に、“生態電位(せいたいでんい)”っていう、人間にも植物にも微弱なパルスが流れているから、そのパルス、生態電位を採取して、それをドレミファソラシドに変換すると音楽のように作れますよ!“って教えてもらったことがありました。
“あっ! それは面白いね!”っていうので、春夏秋冬それぞれに園内の作物、今はジャボチカバとパイナップルから生態電位を採って、それぞれ波形が違うんですけど、それをドレミファに変換して楽器の音を当てて流すっていうのをやっています」
●へぇ~~。
「なので、植物が生きているリズムというか律動みたいなものが、音になって聴こえると思っていただければいいかな~と思いますね」

●具体的にはどういうふうに音楽にしていくんですか?
「例えば、リニューアルオープンした最初の時は、ヤシとバナナとマンゴーで植物の音楽を作ったんです。まずヤシの場合は、生態電位を採ってみると、すごく太くて短い模様がポンポンボンって出てくるんですね。
こういうものなのかな〜と思って、今度はバナナの葉っぱ(の生態電位)を採ると、バナナの葉っぱはゆる~い右下がりの曲線、カーブのようなものを出しました。マンゴーどうだろうと思って葉っぱにやったところ、細かな点々みたいに、ばぁ~っと星屑みたいに出てくるんですね。
それぞれを一度、ヤシだったらヤシの太くて短いものをPCに取り込んで、その取り込んだものをドレミファソラシドの音階に変換して、それに楽器の音を当てます。
なので、さっきのココヤシだと太くて短いので、これはベースのような低音しようということで、オーボエのような太〜い音にしました。バナナのように綺麗なカーブを描いているものは、鈴のような音を当てる。ちょうど“リーンリーン”っていうのが軌道に合うんですよね。
そこにプラスして、ちょっと“ふわふわふわふわ~”って浮いているような不思議な電子音みたいなものを、マンゴーの“チカチカチカチカ~”という星屑の音に当てて、その3つを合体させ、ひとつの音楽のようにして流しています」
植物園らしいカフェ、こだわりの食材
※いろんな趣向を凝らした「渋谷区ふれあい植物センター」、その2階にあるカフェではオリジナルブレンドのコーヒーやハーブジンジャー、クラフトビールやワインなどのほかに、ピザやハンバーグなどの本格的なフードも楽しめます。

●食材にもなにかこだわりはありますか?
「あそこのカフェを作るにあたっては、コンセプトを考えて、“植物園が考える新しいファミレス”っていうのをコンセプトにしたんですね。植物園って小っちゃいお子様から、おじいちゃんおばあちゃんまで、いろんなかたがお越しになるので、みんなが大好きで美味しい!って食べてくれるメニューにしようと。
なんですけど、そこに植物園らしいとか、今の私たちらしさやこだわりでいうと、野菜とか原料にすごくこだわったり・・・あとは夜になるとハンバーグが人気メニューなんですけど、ハンバーグって牛肉と豚肉の合い挽きなので、牛はオーストラリアのグラスフェッドビーフ、豚はメキシコのナチュラルポークとかですね。
それは“アニマル・ウェルフェア”と言って、飼育されている状態から動物たちが幸せを感じるような飼育をしているものであったり、っていうふうにトレーサビリティが追えて、環境にもダメージを与えないようなものっていうことで、すごく気をつけながらメニューを出していますね」

●カフェから出る生ゴミもコンポストで処理されているんですよね?
「そうですね。コーヒーかすはコーヒーかすで、コーヒーかす専門の堆肥の会社さんと、今実証実験の取り組みをしています。それ以外の食べ物の残渣、残りは今バッグ型のコンポストで堆肥にして活用しています」
●屋上も見させていただきましたけれども、ビールのホップなども栽培されているんですね?
「そうですね。(植物園の)中では果樹をやっているんですけど、熱帯果樹以外にも自分たちが楽しめるようなものを中心に育てて、そこから集まった人たちとコミュニティ化したいと思っているので、ホップでクラフトビールを作ったり・・・。
あとは、茶摘みまでは3年ぐらいかかるんですけど、みんなで“渋谷茶”と言って、江戸から明治の頃にかけて渋谷には結構お茶畑が広がっていたんです。そこで育てられた原木をたまたま発見することができて、それを苗にして育てたりとかしています。

そしていろんな植物を通じたカルチャーとかコミュニティみたいなもの作っていきたいと思っているので、今ビールは50名くらいの人たちで毎月1回集まったりしていますね」
●それはボランティアってことですか?
「そうです、そうです! 渋谷区のかたも多くいらっしゃいますけど、東京都以外からも来てくれるかたもいますね」
都市農業「アーバン・ファーミング」
※小倉さんは、都市農業の新たな可能性を追求するNPO法人「アーバン・ファーマーズ・クラブ」の代表理事でもいらっしゃいます。この「アーバン・ファーマーズ・クラブ」では、どんな活動をされているのですか?
「都会でも、簡単に言えばプランターひとつ置いて、自分たちが食べたくなるような野菜の育て方を知って、みんなで育ててみんなで食べることができるような、そんな社会を作りたい。その礎になるような形ということで、まずは都会の象徴のような、この渋谷のど真ん中でアーバン・ファーミングを実装するためのいろんな活動をしています」
●渋谷エリアには何か所ぐらい活動場所があるんですか?
「今は原宿と渋谷、恵比寿にそれぞれ畑を置いています。今3ヵ所ありますね」
●都会のど真ん中に畑っていうのがちょっと想像できないんですけど、どういう畑なんですか?
「プランターの大きなものと思っていただければいいんですけど、例えば原宿にあるのは東急プラザ表参道原宿っていう商業施設の中に、2メートル四方のプランターを4基置かせていただいているんですね。
そこでは、原宿にも3園、保育園があって、そこの保育園の子供たちと、春はサラダ野菜の種まきをして収穫してサラダを食べる。それが終わってからは今度は、ニンジンの種まきをして秋に収穫して食べるっていうような、食育みたいなことをしております」
●小倉さんが「渋谷区ふれあい植物センター」の園長をやることになったのも、そういった「アーバン・ファーマーズ・クラブ」の活動があったからっていうことなんですね?
「そうですね。私達自身が掲げているのは“未来を耕そう”っていう言葉で、社会にアーバン・ファーミングを実装しようと思っているんです。
いちNPOだけではなくて、行政とかの力を借りてやることによって、もっとその実装のスピードが速くなったり、拡散力が広くなるんじゃないかと思って考えている時に、ちょうどこのふれあい植物センターのリニューアルのプロポーザルのお話をうかがって、もし僕らでできるんだったらと思って、指定管理者に手を挙げさせていただいたって感じですね」
●渋谷区の中学校の屋上に菜園を作るプロジェクトが進行しているということですけれども、これも「渋谷区ふれあい植物センター」の取り組みなんですか?
「これは、私たちのNPOアーバン・ファーマーズ・クラブの取り組みです。私自身が農的なことに興味を持ったのがやはり東日本大震災で、アーバン・ファーミングは食料自給という防災的な観点でも価値があると思っています。
今、南海トラフとか、ああいったものがいつ来てもおかしくないと言われている中で、小学校中学校の屋上あるいは校庭に菜園があれば、仮にまた大きな地震が来て1日か2日物流が止まったとしても、そこの生徒たちはその野菜で何とか食べつなぐことができる、そういう仕組みが作れればいいなぁと思っています。
僕たちは、ちっちゃいNPOだから予算もあんまりないんですけど、自分たちのお財布でプランターを買って、お付き合いのある学校の屋上に(菜園を)作らせていただいて、生徒さん達と一緒に育てたり授業したりとか、そんなことを昨年の10月くらいからさせていただいていますね」
●学校の屋上に菜園を作る活動が、渋谷区からどんどん全国に広まったらいいですよね~。
「おそらく今、子供食堂って全国に1万件超えるぐらいになっているじゃないですか。あれも多分ひとつかふたつの取り組みから広がっていったと思うので、子ども食堂以外にも“子供菜園”みたいなのが、ばぁーっと広がっていってくれたらいいなと思いますね」
(編集部注:小倉さんが「アーバン・ファーマーズ・クラブ」の活動を始めるきっかけになったのが、先ほどもお話がありましたが、東日本大震災なんです。原発の事故もあり、首都圏での食料の流通が滞ったときに、当時、お子さんが生まれたばかりだったこともあってこの先、どうやって子供を育てていくのかと、不安と恐怖を覚えたそうです。
もともと雑誌の編集者で、東京で家庭菜園をやりたかった小倉さんは、たまたま知り合った相模原の若い農家のかたに手解きを受けて、農業を始めることに。そして編集者の勘で、都会と農村を掛け合わせるような活動は面白いと閃き、「アーバン・ファーマーズ・クラブ」を始めた、ということなんです)
やることは「植物のファン作り」
※ほかに「渋谷区ふれあい植物センター」らしい取り組みはありますか?
「私たち、家庭菜園講座をずっとやっているんですけど、ここが“農と食の地域拠点”として最終的にみなさんに手渡したいことって、やっぱり植物って美しいとか美味しいとか楽しいとかなんですよね。
その植物の素晴らしさみたいなものを、もし受け取っていただいたら、できたら家に帰ってご自分で、どんな種類の野菜でも植物でもいいので、タネを蒔いて育ててもらいたいなと思うんですね。
なので、それにつながるようないろんなイベントをやっているんですけど、例えば、野菜とかハーブのタネも、プランターにパラパラって蒔いて足りるくらいの量に小分けして、1袋20円とか50円で販売したりとか・・・あとはコンポスト講座、さっきの堆肥にする講座、あれも毎月やっていたりとか・・・。いろいろとみなさんにとって、ためになるようなこともいっぱいやっていますし、あとはビールだったりとか、お酒も造ったりもしています」

●この日本一小さな植物園に来園されるかたが、どんなことを感じ取ってくださったら嬉しいですか?
「本当に都会でも、土とタネとお日様と水があれば、どんな植物でも育てることができます。単に愛でるものではなく、ぜひ自分たちの生活に(植物を育てることを)取り入れてもらえたらいいなと、植物のファンになってくれたらいいなと思っています。
いつもスタッフと話しているのは、とにかく僕たちがやることは”植物のファン作りをすることだよね!”と話しているので、ぜひどんな形でもいいので、“植物最高だな~!”と思ってくれたらいいですね」

INFORMATION
食と農の地域拠点「渋谷区ふれあい植物センター」にぜひお出かけください。ガラス張りの温室のような空間にいるだけで癒されると思いますよ。
1階には柑橘類や熱帯系の果樹などの植物と、水耕栽培のファームラボ、2階にはカフェとライブラリー、3階にはトークショーなどに使われる多目的スペースがあります。そしてイベントのときだけ解放される4階の屋上ではお茶やホップなどが栽培されています。植物のパルスをもとに作った音楽「ミュージック・オブ・プランツ」は1階の中央にある小さな洞窟のような部屋で聴くことができますよ。

「渋谷区ふれあい植物センター」の開園時間は午前10時から午後9時まで。休園日は月曜日。入園料は小学生以上100円です。アクセス方法など、詳しくはオフィシャルサイトをご覧ください。
◎渋谷区ふれあい植物センター:https://sbgf.jp/
小倉さんが代表を務めるNPO法人「アーバン・ファーマーズ・クラブ」の活動にもぜひご注目ください。詳しくはオフィシャルサイトを見てくださいね。
◎アーバン・ファーマーズ・クラブ:https://urbanfarmers.club/
2025/3/16 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、一般財団法人セブン-イレブン記念財団「高尾の森自然学校」の代表「後藤 章(ごとう・あきら)」さんです。
2015年4月に設立され、今年開校10周年を迎える高尾の森自然学校は東京の西、八王子市に広がる里山の森を保全するなど、いろいろな活動に取り組んでいます。
高尾の森自然学校のフィールドは、もともと薪や炭を取る里山の森として使われていましたが、時代の流れで利用されなくなり、暗い森になっていたそうです。
そこで、東京都とセブン-イレブン記念財団の協働事業として、森の手入れを行ない、明るい森に再生。植物や動物の多様性を守りながら、その一方で一般のかたに親しんでもらい、自然について学ぶフィールドにもなっています。

面積は26.5ヘクタール、東京ドームおよそ6個分! 四季折々、いろんな表情を見せてくれる森には散策路があって、子供たちが遊べる遊具やベンチも設置。土日と祝日には原っぱが解放され、昆虫観察などもできるそうです。
森には、管理棟で受付さえすれば、どなたでも自由に入れます。また、事前に予約すれば、スタッフが森の中を案内してくれるそうですよ。
きょうは高尾の森の、動植物の特徴のほか、森と人々をつなぐ体験型のプログラムやボランティア活動のお話などうかがいます。
☆写真協力:高尾の森自然学校


植物300種、野鳥50種
※高尾の森自然学校のフィールドには、どんな樹木が多いんですか?
「里山の森ですので、そこで使っていたコナラやクヌギなどのどんぐりがなるような、そういった木がいちばん多くて、それ以外にもヤマザクラだったりツツジ、そういった樹木たちが多いと思います」

●種類としては何種類くらいあるんですか?
「樹木だけ、というのは数えてはいないんですね。植物全体ですと、毎月調査をしているんですけども、300種類を超える植物が見られます」
●野鳥などの生き物も多いんじゃないですか?
「そうですね。野鳥は冬、樹木が葉っぱを落としている時期がいちばん見ごろなんです。コゲラだったりアオゲラといったキツツキの仲間だったり、メジロやエナガなどの小さな野鳥たち、そういったものがたくさん見られます。確認できているのは約50種類くらいですかね」

●へ〜! 貴重な動植物に出会うこともありますか?
「今お話した鳥の中だと、例えばオオタカだったり、ノスリといったタカの仲間だったり、フクロウは夜だけここにいたり・・・。希少なものでしたら、沢が流れているので、そこでホタルが見られたり・・・あと一昨年、ここでキツネが繁殖して、キツネの親子が見られたり、そういったこともありました」
●自然学校のスタッフとして森の手入れもされるんですか?
「ここはボランティアのかたと一緒に整備をすることが多いんですね。暗い森になった原因の笹を刈ったりとか、増え過ぎてしまった木の一部を間伐したりして、森を明るくするような手入れを基本的にしています」
●木を植えたりとか、そういうことはされるんですか?
「木は基本的には植えていなくて、森を明るくすることによって、ここにもともといる植物、動物たちが増えるように、そしてまた周りから入ってくるようにということを目指しております。
森の手入れをすると本当に見違えるほど明るくなるんですね。1〜2時間くらいのボランティア・サークルの活動だけでも、真っ暗だった森に太陽の光が入ってきたっていうことを感じることができます。
そうすると例えば、明るくなったところに、春になるといろんな草花が花を咲かせたり、明るくなったことを生き物たちが感じて、また戻ってきてくれたということを感じることがよくありますね」

(編集部注:先ほど、高尾の森自然学校のフィールドには、基本的に木は植えないというお話がありましたが、後藤さんによると、全国で「ナラ枯れ」という木の病気が流行っていて、高尾の森も例外ではなく、コナラなどが枯れているそうです。そこで今後、枯れた木は伐採し、森の中にある苗の移植を検討しているとのことでした)
自然を体感! 大人の植物観察会
※高尾の森自然学校では、体験学習ということで、いろんなプログラムを実施されています。具体的にはどんなプログラムがあるのか、教えてください。

「ここではこの森を再生しながら、帰ってくる生き物を観察したりとか、手入れの時に発生した間伐材を利用したクラフト、そういったものを中心としながら地域の自然と、そして地域の文化を学ぶようなプログラムをやっています。
ここでやっているものとしては、例えば昆虫観察会、連続プログラムとしてやっているんですね。春はチョウ、夏はホタルやカブトムシ、秋はバッタ、冬は冬越しする昆虫といった、1年を通じてここにいる昆虫たちを観察して学んでいくプログラムだったり・・・。
野鳥観察のプログラムとしては、夏鳥と冬鳥というのがすごく特徴なんですけれども、その観察にプラスして、野鳥の巣箱を設置して、1年間子育てに使った巣箱と新しい巣箱を取り替えて、使った巣箱の材料を観察しながら、どんな材料を使っているんだろうか・・・。
例えば街に近いところだったら人工物を多く使っていたり、森の奥のほうだったら自然素材を多く使っていたり、そういった違いだったりを鳥の目になって環境を見るようなことを行なっていたり・・・。

また少し変わったものとして、お子さんが学ぶプログラムが多いんですけれども、やはり大人のかたにもたくさん来ていただきたいと思っておりまして、『大人の植物観察会』といった名前で、森を歩きながら季節の植物を観察します。
で、大人のプログラムですので、その植物だけじゃなくて環境、森自体の自然を感じるような、木を触って感じたりとか、流れる沢の水を感じたりとか、森の中に寝っ転がって、森の木々の音、鳥の鳴き声を静かに感じるような、そういった自然を感じながら行なうのが自然観察会、そういったこともやっています。
また、自然が好きな人はたくさんいるんですけども、そうじゃなくて、小さなお子さんだったりとか普段、森に入らないような人たちにも森を、自然を学んでもらったり感じてほしいということで、『森の音楽祭』というプログラムをやっています。これは、例えば中学校さんの吹奏楽部だったり太鼓部だったり、そういった子供たちが森の中で音楽を演奏する、それをみんなで楽しみながら、自然の入口になるような、そういったプログラムもやっています」
森と畑のボランティア活動

※先ほどもお話に出てきましたが、ボランティアを募集されているんですよね?
「ボランティアとして、『森のお手入れボランティア』っていう森の手入れをするようなボランティアさん、そして『畑クラブ』という、ここにある畑の一部を手入れするボランティアさん、あと子供たちの活動で『森のジュニアボランティア』、この3つのボランティア活動をやっているんですね。いずれも一般のかたをホームページ等で募集して行なっています」
●随時募集されているんですか?
「『森のお手入れボランティア』と『畑クラブ』は随時募集です。『森のお手入れボランティア』は月に3回、『畑クラブ』は月に1回(の活動)なんですけど、これは随時募集しておりますので、ホームページからいつでも応募することができます。『森のジュニアボランティア』だけは、1年間通じて学んでもらいたいと思っていますので、3月から4月ぐらいに1年間の募集をして、年間そのメンバーで活動するという形でやっております」
小笠原諸島と高尾の森
※後藤さんが高尾の森自然学校のスタッフとして活動するようになったのは、なにかきっかけのようなものがあったんですか?
「私は大学にいた時に、生き物を守るための研究、『保全生態学』というんですけれども、生き物の生き様、生態を研究しながら、自然を守っていくにはどうしたらいいかということを研究する学問なんですね。
大学で研究しながら、それをたくさんのかたに伝えていかないと守っていけないというふうに感じまして、大学を卒業して大学院を出た後に、高校の教員だったりとか、NPOの職員として仕事したりとかいろいろやっていたんです。そんな時にこの高尾の森自然学校の募集にすごく運命的なものを感じて応募して、それからこちらで活動するようになりました」
●「保全生態学」は、具体的にどんな研究をされていたんですか?
「保全生態学は生き物の生態を研究しながら、絶滅が心配される生き物だったりとか、失われている自然をどう守っていけばいいのかっていうことを研究する学問なんですね。私はその中で、大学の頃は小笠原諸島、そこに生息する絶滅危惧の植物の生態を調べて、その減っている原因を解明しようということを大学院の最初の頃にやっていました。
そこから今度は関東の東京の近辺で、小学校に小さな池『ビオトープ』を造って、そこに来る生き物たちや、周りの環境を知ることができるんじゃないかということで研究しながら、子供たちに周りの環境を伝えていく、そういったことを研究の生業にしておりました」
●高尾の森もやっぱり魅力的なフィールドですよね?
「そうですね。小笠原諸島はすごく固有種が多くて、あそこにしかいない生き物がいるんですけども、高尾の森のような里山も、日本にしかないすごく貴重な環境で、そして人が(森を)使われなくなることによって、失われつつあるというところで共通点があります。そういった意味では高尾の森もすごく魅力的な場所だと思っています」
地域で活かす里山の森

※これからの時期、高尾の森自然学校のフィールドは、いい季節を迎えるんじゃないですか?
「そうですね~。落葉広葉樹は冬は葉っぱを落とすので、春はいちばん明るくて見通しもいい時期なんですね。そうすると太陽の光を浴びて林床(りんしょう)の植物たち、スミレだったり、イチリンソウ、ギンラン、色とりどりの花々が林床を彩っていきます。そして上のほうには、桜だったりとか山桜がすごく多いんですけれども、そういったものが咲いてすごくいい季節になりますね」
●後藤さんが個人的に好きな季節とか時間帯はありますか?
「季節はやっぱり春の時期がいちばん綺麗かなぁと思いますね。で、時間・・・やっぱり朝早い時間だと、本当に鳥たちがすごく喜んで鳴いていますよね。そういったものを聴きながら散策するのがいちばん気持ちいい時間かな~と思います」

●今後、自然学校のスタッフとして、どんなことを伝えていきたいですか?
「里山の森、自然学校は里山の森なんですけれども、ここは地域の人が使うことによって維持されてきた森ですので、やはり今後もこの地域で活かされていく、地域のかたのボランティア活動だったり、地域のかたが学ぶ場として、この自然学校のフィールドを使ってほしいと思います。そういったことをたくさんのかたに伝えていきながら一緒に(高尾の森を)守っていけたらと考えています」けて、備えていくきっかけにしていただけたら嬉しいなと思っています」
INFORMATION

今年10周年を迎える高尾の森自然学校にぜひご注目ください。お話にもあった「大人の植物観察会」や「野鳥観察」「昆虫観察」などなどいろいろな体験型のプログラムを行なっています。また「森のお手入れボランティア」や「畑クラブボランティア」などもありますので、ぜひご参加ください。まずは、これからとてもいい季節を迎える「高尾の森自然学校」のフィールドに遊びに行ってみていかがでしょうか。
開館時間は午前9時30分から午後5時まで。定休日は毎週火曜日です。アクセス方法など、詳しくはオフィシャルサイトをご覧ください。
◎高尾の森自然学校:https://www.7midori.org/takao/
2025/3/9 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、合同会社「CAMMOC(キャンモック)」の「三沢真実(みさわ・まみ)」さんです。
キャンプ好きな仲良しママがメンバーのCAMMOC、社名はキャンプとハンモックを合体させて、キャンモックなんです。
そんなCAMMOCの活動の中から、三沢さんに、ママ目線の防災とキャンプや、日々の暮らしを豊かにしながら、災害に備えるヒントやアイデアなどうかがいます。
☆写真協力:CAMMOC 三沢真実

持続可能な防災「SDGs防災キャンプ」
※女子キャンプのイベントがきっかけで2011年に発足したCAMMOC。中心メンバーはマミさんのほかに、カナさん、アヤさんのママさんキャンパー3人。みんな、防災士の資格を持っていたり、キャンプ・インストラクターやコーディネーターだったりと、普通のママではないんです。

実は三沢さんは小学生の頃、ガールスカウトの活動を6年間、体験し、テントの設営やロープワークなど、野外で過ごす術を習得。
そんな三沢さんがおっしゃるには、ガールスカウトはどちらかというと訓練に近い活動だったのに対し、大人になって参加した女子キャンプ・イベントは、焚き火やクラフトワークなど、好きなことを思う存分楽しむ大人のキャンプ。その醍醐味を知ってしまった三沢さんは20代後半でキャンプにどハマりしたそうです。
●現在、CAMMOCは、おもにどんな活動をされているんですか?
「はい、CANMOCは”キャンプのある暮らし”をテーマに活動する会社です。私たちはキャンプをすることで人生が生き生きして、暮らしが豊かになるという経験をしてきたので、みんなにもキャンプをして欲しくて、初心者でも参加しやすいイベントを開催したりとか、あとは会社の商品をキャンプで使うご提案をさせてもらったりとか、そういったことをしていたんですけれども、5年くらい前から、突然、キャンプって防災に役立つことに気がついて、それを発信するためにいろんな勉強をしたりして、今はその部分にも力を入れて活動しています」
●CAMMOCでは活動のひとつとして「SDGs防災キャンプ」を提唱されています。キャンプと防災に着目されたのは、どうしてなんですか?
「キャンプと防災に着目したのは2019年ですね。自分の住んでいる地域に巨大台風が来るという予報が出て、スーパーマーケットのものが一気になくなったりとか、ニュースでもSNSでも不安の会話が飛び交ったりしていて、私もなんか対策しなきゃなと思ったんですね。
恥ずかしながら、それまで防災意識が低くて、本当に大した備えがなかったので、今からライフラインが止まるとしたら、何を準備すればいいんだろうって考えた時に、数日間であれば、ほとんど家にあるもので過ごせるということに気がついたんですね。家にあるものっていうのがキャンプ道具だったんです。そこにすごく感動して、それでSDGs防災キャンプという活動を始めることになりました」
●具体的にはどんな活動をされているんですか?
「まず、SDGs防災キャンプなんですけれども、”持続可能な防災”という意味で、キャンプをしていると得ることのできる知恵や備えられる道具で、無理なく楽しく防災できるというような方法です。
普段は使わないことを願って買った防災道具が、期限が切れたら捨てて買い替えることになると負担になっちゃうし、その道具をもしもの時に本当に使えるかどうかもわからないと思うんですが、キャンプ道具であれば、日頃楽しんで使いながら防災できるので無理なく続けられるんですね。
それはただ物を備えるだけじゃなくて、さらにキャンプをしていると自分自身に生きる力が身につくというのが大きな特徴なんです。
例えば、雨が降るとか風が吹くとか自然のサインを感じることで、何かあらかじめできることがあったりとか、少しのものでも工夫して命をつなぐコツが身についたりとか、環境や相手を思いやる心が育ったり、そういう力がもしもの時の対応力にもなっていくんですね。
ひとりひとりが生きる力を身につけることによって、本当に助けが必要な人のところに助けが行き届くということにもつながると思っているので、助け合ってみんなで災害に強くなれる、それが持続可能な防災の力。その持続可能っていう部分にSDGsという思いを込めて、この名前をつけているんです。
キャンプをしていると、防災の力、みんなが助け合う力が身につくよっていう思いと、そのためにちょっとしたコツ、キャンプ道具をどういうふうに備えておいたら、もっともしもの時に活かせるかなとか、そういったことをお伝えする活動をしています」
「フェーズフリー」という考え方

※「防災と暮らし」という視点で言うと、去年、CAMMOC名義で、『ラクして備える ながら防災〜フェーズフリーな暮らし方』という本を出されています。副題にある「フェーズフリー」とはどんな考え方なのか、教えてください。
「フェーズフリーを簡単にいうと、“もしも”と“いつも”のフェーズ、境目をなくして両方のQOLを上げていくというものなんです。いつも使っているもので防災する、それを使うことで暮らしも豊かになるというような物事を日頃から取り入れることが、フェーズフリーの考え方です」
●フェーズフリーの住まいとして、三沢さんの暮らしからいくつか参考になる具体例を教えていただきたいんですけれども、まず、三沢さんはご自宅をご自身でリノベーションされたんですよね?
「はい、そうですね」

●防災士の視点で作り替えたっていう感じなんですか?
「もともとインテリアが好きなので、防災に取り組む前から家は自分の好みにカスタマイズをしていたんですけれども、防災士になってからより一層、違った時点で家の中を整えるようになりました」
●特にこだわったのってどんなところですか?
「毎日が楽になるというところですね! 私、本当に面倒くさがり屋なんですよ。で、片付けも苦手で、出したものをしまうっていうのも(面倒くさい・・・)。
動線を作るのがすごく大事っていうことは聞いているんですけれども、扉がひとつひとつくっついていると、そのワンアクションが面倒くさい! みたいになってしまうので、すぐにしまえるようなところをポイントにしていますね」

●確かに本に玄関の写真も載っていましたけれど、靴箱が取り払ってあってオープンラックにしてありました。それも楽さを追求したということですか?
「そうですね。靴って玄関に散らばっていると、避難動線にとても危険なので、常にしまっておきたいものなんですけれども、帰ってきて疲れている時に靴箱にしまうというワンアクションがやっぱりしんどいんですよね(苦笑)。
で、オープンラック、扉がないシューズクロークって防災としては、結構タブーな感じではあるんですけれども、それでも常にしまえなくて出しっぱなしにしているよりは、しまいやすいような形になっているほうがマシ、ということを私なりに考えまして、しまいやすいオープンラック、そしてせめてオープンラックだけれども、靴がバラバラと落ちてこないようにちょっとバンドで止めるっていうような工夫をしております」
三沢さん流「ラクして備える防災」
※CAMMOC名義で出された本『ラクして備える ながら防災〜フェーズフリーな暮らし方』に載っている写真を見て、リビングにあるサイドテーブルにポータブル電源が収納されているのに驚きました。三沢さんのお宅では緊急時に使うイメージのあるポータブル電源を普段使いしているんですか?

「そうですね。家のコンセントって壁に付いているので、例えば、部屋の真ん中で使おうと思うと、コードが短いと届かないとか、あんまりビヨ〜ンと伸ばしたくないな〜とかあると思うので、緊急でタブレットで動画を見たいとか、息子が友達連れてきてゲームをいっぱいつなぎたいみたいな、そんな時にモバイルバッテリーを持ってきて使うんです。
モバイルバッテリーって見た目が結構いかつかったりして、あんまりリビングに馴染まないので、サイドテーブルの中に(モバイルバッテリーを)隠して、それごと移動することで違和感なく使えるようになっていますね」
●キッチンも一部オープンラックにしてありましたけれども、食器とかって落ちてきませんか?
「食器は基本的には割れ物は、扉が付いているものに入れるようにしているんですけれども、申し上げた通り、しまうのが面倒くさいタイプなので(笑)、オープンラックに出しているものをほぼ使っていて、そこにはキャンプ用の食器とか割れないものを並べていますね」
●そうなんですね。押し入れを改装して棚をつけて、食料品とか水とか日用品などをワゴンや透明なケースなどに入れて保管してある写真も載っていました。保管場所にはどんなこだわりがあるんですか?

「防災備蓄の基本としては“分散備蓄”という考え方があって、物をいろんなところに備蓄しておくことで、1か所、扉が開かなくなってもほかの場所で対応できるようにとか、そういった工夫をされるかたが多くて、私も試してみたんですけれども、私の場合はいろんなところに備蓄しておくと、どこに何を置いていたかを忘れちゃうんですよね・・・。
で、気がついたら賞味期限が切れているので、そういったことになるよりは、自分でわかりやすいような形にしようと思って1か所にまとめて、カレーはカレーとかパスタはパスタみたいにコーナーを作って備える、っていうことを心がけていますね」
●食料品などを消費しながら足していく「ローリングストック」で、三沢さんのコツがあったらぜひ教えていただきたいんですが・・・。
「はい、まず食料品は長期保存のものを買うと、やっぱり忘れちゃったりとかあまり口に合わなかったりとかするので、日頃から食べているっていうのが特徴だと思っているんですね。
自分が食べたいものを備えるのが何よりも続けるコツで、スーパーマーケットに行って美味しそうなレトルト食品を見つけたら、すぐに食べたいなって思うものを買う。そしてそれを手抜きの救世主だと思って、“あ〜、きょうは疲れたな~”みたいな時とか、“雨が降っていて買い物、面倒くさいな~”みたいな時に、“そういえば、あのレトルト食べたかったんだ!”と思って出してきて食べる、みたいなことを月に何回かやっていくと、あっという間にローリングストックになって、スーパーにまた行くたびに美味しそうなものを見つけることを楽しみにする、みたいなのがポイントかなと思います」
(編集部注:ほかにも三沢さんのお住まいでは、寝室には家具がなく、すっきり。その理由は、物が落ちてこない安全な場所を確保しておくためで、「揺れたら、寝室へ」が家族の決まりごとだそうです。さらに寝室の壁にはディスプレイ的にお気に入りのヘルメットや防災バッグなどをかけてあるんです。

また、外出先で被災することもあるので家を出るときに持って出るコンパクトな防災ポーチに加え、愛犬用のポーチも用意されています。防災バッグやポーチの中にどんなものを入れてあるのか、ぜひ本でお確かめください。参考になりますよ)

ラジオは防災の必需品!
※普段、私たちはスマホに依存している生活を送っています。便利なんですけど、バッテリーがなくなったら、電話もネット検索もできなくなりますよね。何か対策はありますか?
「まずは、自分でどれだけ電子機器がなくてもやっていけるのかな~ってちょっと試してみる。そういう状態を知ることが大切だと思うんですね。なので、簡単なことだと家の近所でも少し離れると知らない町並みだったりすることがあると思うので、地図アプリを見ないで歩いてみるとか、そういったことを楽しむ。日々ちょっと電子機器をオフにする時間を作ってみるのがコツかなと思います」
●本で「ラジオは時代を超えた防災の必需品」として紹介してありました。ラジオ・パーソナリティーとしてはすごくうれしかったんですけれども、ラジオはやっぱり持っておいたほうがいいですよね?
「はい、もちろんです! 災害時にはスマホの電波が入らないこともあります。やっぱり情報を取るのは命に関わることなので、それができるようにいくつか、もしもの時を考えて選択肢を持っていることが重要なんですね。そのひとつとしてラジオとても重要だと思います」
●いろんなタイプのラジオがありますけれども、おすすめってありますか?
「ラジオは手巻き充電とか、ソーラー充電とか、ライトがついていたりとか、いろんな機能がついているものもあって、それもひとつ、役に立つものを選ばれるといいかなとは思うんですが、やっぱり何よりシンプルにラジオの機能があるものを持っておくことが大切だと思います。
なので、ポケットサイズのもので、それだけでいつも持ち歩けるものとか、必ずすぐに手に取れる場所に置いておけるようなものを用意するのがおすすめですね」
息子とふたりでキャンプ旅
※ではここで、プライベートなキャンプのお話を。三沢さんは息子さんとふたりで日本一周のキャンプ旅をされたこともあるそうですね?
「はい! そうですね」
●それは息子さんがおいくつの時ですか?
「4歳になったばっかりの頃に始めました」

●え~っ! 日本一周のキャンプ旅って車で移動しながらっていうことですか?
「はい、軽バンに乗っているんですけれども、それの中に板をはって、ちょっとお洒落な感じにカスタムして、車中泊もできるようにしながら、キャンプと組み合わせて旅をしていました」
●すご~い! ママとしてどんな思いで旅に出たんですか?
「う~ん、そうですね・・・私は仕事が大好きなんですね。で、1日中仕事をしていても飽きない、みたいな感じですし、あとシングルマザーということもあって、息子を保育園に預けて仕事を結構バリバリとしていたんですけど、気づけば、息子の顔をあまり見ないうちにどんどん大きくなってしまっているな~みたいなのを3歳の頃に思って・・・。
だんだん自己主張も強くなってくると、それに応え切れてないってことへの罪悪感とか、時が流れることへの寂しさとか、そんな感情がいろいろ出てきちゃいまして、子供と今向き合わないと、いつ向き合うんだろうみたいに、ハッとなって・・・家にいると、どうしても仕事しちゃって子供との時間が作れないので、4歳になった頃に思い切って旅に出てみよう! という感じで始めてみました」
●かなり有意義な旅になったんじゃないですか?
「そうですね。ふたりでずっと一緒に過ごしながら、“きょうはどこに行こうか?”って話し合ったりとか、雨がすごくたくさん降っているから、行こうと思っていた所に行けなくなって、どんなことがしたいかなっていうのを考えて、その場でできることを生み出すみたいなこととか、やっぱり家にいるだけではなかなかできないようなことをふたりで挑戦してきたなと思っています」
●お子さんが6歳のときにはニュージーランドでキャンプ旅もされたということですけれども、ついには海外でキャンプ旅をされたんですね?
「そうですね、はい! ニュージーランドでワーキングホリデーをしていた友達がいたので、彼女を訪ねて一緒にホームステイをしたりとか、半月くらいニュージーランドをキャンプして周りました。
●お子さんの成長を感じたりとかってありました?
「そうですね~。やっぱり子供って適応能力がすごいんだな~っていうのを感じましたね。キャンプ場で同じくらいの歳の子がいるのを見つけて、息子は英語が全然しゃべれないのに、”どうしてもあの子と遊びたいんだ!”って言うので、きっかけだけ(作ってあげて)“よかったら一緒に遊ぼうよ!”って私が声をかけたら、そのあとしばらくず~っとその子と走り回っていて、言葉が通じないのにこんなに楽しめるんだな~っていうのを教えてもらった感じですね」

自分の防災レベルを知る
※普段から、家族とのコミュニケーションや、ご近所付き合いも大事ですよね。息子さんと決めてあるルールがあったりしますか?
「いろいろとあるんですけれども、中でも大切にしているのは、子供が出かける時に必ず笑顔で、“行ってらっしゃい! 行ってきます!”と言い合うことですね。それによってきょう何かあったとしても、もし子供とのその会話が最後になったら、みたいな・・・考えるのも嫌ですけれども、そうやっていつも笑顔でその記憶が続くようにっていう思いを込めて挨拶をしています。そうすることで、喧嘩した朝とかでも毎日、出かけは笑顔で! っていうふうに心を切り替えて、気持ちよく送り出すことができるのでおすすめですね」
●防災のための備えって大事だと思っていても、普段の仕事だったり家事だったりに追われてしまって、どうしても後回しになっちゃうこともあると思うんです。それを自分事として捉えてもらうために、本の巻末に「防災レベルを知ろう」というワークシートが掲載されています。
「安全な空間作りができていますか?」とか「ライフラインが止まったら何日過ごすことができますか?」とか全部で5つの質問が設定してありました。これはやっぱり自分のレベルを知って考えるときっかけになりますよね?
「そうですね。何よりもやっぱり“知る”というところがまずはスタートの第一歩ですね。もし自分の防災レベルが今は全然まだまだ足りないな~と思ったら、それがチャンスで、なんでも一歩自分で、“これならできるかな~”と思うことを進めるということが大切ですね」
●自宅だけでなくて職場とかでも当てはまりますよね?
「そうですね。やっぱり自分が日頃いるところに関しては、もしもの時にどうなるだろうっていうことを常に考えておいていただきたいですね」
●では最後に『ラクして備える ながら防災〜フェーズフリーな暮らし方』という本から、どんなことを感じ取ってくれたら著者としては嬉しいですか?
「防災って怖いものではなくて生きるためにすることなので、自分がどうやって生きていきたいか、生きていくためにはどんなものが必要なんだろうって考えるきっかけになることだと思うんですね。
なので、防災について考えると毎日の暮らしが楽しくなったり豊かになったりするんです。そんなところをこの本をご覧になりながら、自分のワクワクを見つけて、備えていくきっかけにしていただけたら嬉しいなと思っています」
INFORMATION
去年CAMMOC名義で出された本をぜひ読んでください。日々の暮らしを豊かにしながら、結果的にそれが防災につながるヒントとアイデアが満載です。今回は三沢さんの暮らし方をご紹介しましたが、住まいや家族構成が違うほかのメンバー、カナさん、アヤさんの暮らし方も載っています。
ほかにも日常食と防災食のフェーズをなくしたレシピや、普段使っているポリ袋や手ぬぐい、食品用のラップやアルミホイルなどの活用術なども大変参考になりますよ。一家に一冊、おすすめです! 辰巳出版から絶賛発売中。詳しくは出版社のサイトをご覧ください。
◎辰巳出版 :https://tg-net.co.jp/tatsumi_book/18661/
CAMMOCは、防災とキャンプに役立つ情報発信のほかに、イベントや商品開発のコンサルティングなど、いろんな活動をされています。詳しくはオフィシャルサイトをぜひご覧ください。
◎CAMMOC :https://cammoc.com