2021/4/25 UP!
◎清水国明(タレント)
『清水国明さんの定点観測26回目!「毎年のプレッシャー、証拠残っているからね〜(笑)」』(2021.4.25)
◎KENNY(SPiCYSOLのヴォーカル)
『注目の新世代ハイブリッドバンドSPiCYSOL〜ヴォーカルKENNYさんとサーフィン&キャンプ談義〜』(2021.4.18)
◎シェルパ斉藤(バックパッカー/紀行作家)
『父と息子の親子旅20年〜旅が育んだ親と子の成長物語〜』(2021.4.11)
◎風間深志(冒険ライダー/「地球元気村」の大村長)
『「ザ・フリントストーン」1500回放送 & 30年目突入記念!〜番組のシンボル! 風間深志さん登場!
』(2021.4.4)
2021/4/25 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、芸能界きってのアウトドアズ・マン「清水国明」さんです。
清水さんは1950年、福井県生まれ。73年に原田伸郎(はらだ・のぶろう)さんとのユニット「あのねのね」でデビューし、「赤とんぼの唄」が大ヒット!90年代からは、アウトドア活動に夢中になり、2005年に河口湖に自然体験施設「森と湖の楽園」、その後、瀬戸内海の無人島「ありが島」に同じく自然体験施設を開設。芸能活動のほかに、いろいろなプロジェクトを手がける起業家としての顔も持っていらっしゃいます。
清水さんには毎年4月にご出演いただき、そのとき、いったいどんなことに夢中になっているのか、そんなことをお聞きする定点観測をやらせていただいています。今回は清水さんが千葉県鴨川で進めている、あるプロジェクトについて。このあとじっくりお話をうかがいます。
☆写真協力:kuniaki.plus
有言実行! YouTuber!
●今週のゲストは、芸能界きってのアウトドアズ・マン、清水国明さんです! 清水さんにお話をうかがうのはちょうど1年ぶりとなります。お元気でしたでしょうか? ご無沙汰しております!
「はい、どうも! 1年ぶりでございます。清水国明です」
●よろしくお願いいたします!
「何とか生きておりました〜」
●定点観測ということで、清水さんには毎年4月にご出演いただいているんですよね。今回でなんと26回目になるんです! この番組が4月から30年目に入りましたので、清水さんと共にこの番組があると言っても過言ではない状況なんですけれども。
「すごいですね。毎年のプレッシャーはですね、前の年に何を言ったかなというような記憶ですよね。言ってることとやってることが違うし、清水くちだけという評判なので(笑)。まあ皆さんお忘れになるからいい加減に何でも思いついたことを喋っているんですが、この番組だけは今までの証拠残っているからね〜」
●番組ホームページにぎっしりと残っています(笑)。
「そうなんよ! 言ってること違うじゃねーかって(笑)、そういうプレッシャーを感じつつ、今年もよろしくお願いいたします」
●長年のお付き合い本当にありがとうございます。来年も再来年もよろしくお願いいたします!
「はい、よろしくお願いいたします」
●去年ご出演いただいた時は、ユーチューバーになるとおっしゃっていましたけれども、本当になりましたね!
「なったね〜。そっか、そういう風に宣言していた時だったんやね」
●はい、おっしゃっていました。
「もう、何て言うか、全身ユーチューバーですよね(笑)。大したことないけどね」
●「くにあきの自然暮らしチャンネル」ということで、YouTubeで定期的に更新されていますけれども、改めてどんなチャンネルなのか教えてください。
「色んなことにチャレンジしているんですけども、結局は清水国明個人の日常生活をレポートするような感じで、今いちばん面白いなと自分が思っていることを皆さんにもお知らせして、一緒にやってくれる人にどんどん集まってもらって、一緒にものづくりをやっているって感じですかね」
●私も見させていただきましたけれども、キャンプ場を作るために、伐採して開拓していく様子だったりとか、あとチェーンソーなどの道具をひとつひとつご紹介してくださっていたりとか、本当にアウトドア初心者の私にとって、すごく勉強になりました! 面白かったです!
「そうですね。YouTubeって芸人さんとかがやると、ものすごく反応があるじゃないですか。そんな世界になるのかなと思ったら、登録者が1000人超えるのがやっとでしたね。あれ、何でみんな10万とか20万とかいくのかなというね(笑)。全然別の世界の、YouTubeの世界だなという風に今思っていますけれども」
千葉県鴨川4000坪、開拓中
※ユーチューバーとしても活動されている清水さん、その動画の撮影場所は千葉県鴨川の杉林なんです。そこを開拓し、キャンプ場などの施設を作っているんですよね?
「そうですね。それは珍しく言った通りに行動していまして、伐採から整地までしてですね、結構色んなものを今まで作ってきましたね」
●本当に仲間の皆さんと一緒にみんなで開拓していくって感じが伝わってきて、特に清水さんがいちばん楽しそうな感じがして、見ていて私も楽しかったです。
「そうですか。ただ、どんどん本性がバレましてね。昼間ゴルフしていて夕方だけ参加するとかね。朝、やれって言ってそのままいなくなったりとかっていうのが、YouTubeだと全部正直に出てしまいますよね(笑)。だから本当にみんな呆れてるけど、まぁ呆れながらも未だに協力して、騙されたふりしてくれていますけどね。ありがたいです」
●すごく広そうな場所ですよね?
「ええ、まだまだ広く使えるんですけど、とりあえず今は坪数で言うと4000坪とか、そんな感じで、今楽しませてもらっています」
●へぇ〜! 見るからに手付かずの荒れた林で、いちから(やぶなどを)刈っていくってなかなか大変なんじゃないですか?
「何が大変ってあの辺りにですね、野生動物のイノシシとかシカとかキョンとかがいっぱいいましてね。それに伴ってヤマビルがいるんですね。ヒルって分かりますか? ちゅーっと血を吸うやつ」
●見たこともないです!
「噛まれたこともないですか? それがいてですね。いるってことはみんなには言わないで、言うと誰も集まってこないんで黙っていたんですけども、休憩の時に、皆さんありがとうとか言ってご飯食べている時に、ひゅっと足めくって見たら、俺の足にペタッとくっ付いていましてね。ひえ〜! とか言ってバレちゃって、こんなのがいるんですか! みたいな。
まぁ伐採して整地したらいなくなったんですけど、日陰とかにいて、クーラーボックスの裏にくっ付いていたのを知らずに、そのまま自宅に持ち帰ってしまってですね。明くる日そのクーラーボックスをちょいと動かしたら、ぴっこたんぴっこたんって部屋中を横断していたんですよ! それでもう女房がひっくり返って、ぎゃー!
やっぱりね、山の中で見るよりも自宅のフローリングを歩いてると、本当に俺も情けないながら叫び声を上げてしまいまして。冷たいクーラーボックスの下に、真夏でしたからくっ付いて涼んでいたやつをそのまま持っていって、ってなことがありましたね」
ログハウスは自然の曲線美
※現在、清水さんは仲間たちと一緒に千葉県鴨川に、大きなテントや板張りのデッキ、そして2台のトレーラーハウスを設置するなど、自然体験のための施設の整備に力を入れていらっしゃいます。さらに清水さんにとって、19棟目にあたるログハウスも作っているそうなんですが、ログハウス作りの工程で、いちばん気を使うところはどこなんでしょうか?
「あのね、ログハウスはやっぱり水平垂直という、延直線でずっと地球の真ん中に向かっていく垂線と、それから水平と、それを基準にして作業するんですね。それをいい加減にせずに丁寧に守ってやっていくと、隙間のないぴったりとしたログとログを組み合わすことができるんですよ。それがピタッとはまった時には本当に感動ですよ」
●ログハウスの魅力ってどんなところですか?
「いわゆる、世の中直線が多いじゃないですか。このデスクにしろパソコンにしろ。それが天然の丸太っていうのは曲線なんですね。ぐねぐねしてぼこぼこしてるでしょ? そういったものの中で過ごすと、何か気持ちが安らぐところがあるんですね。
だから、自然の曲線美みたいなものと、それから太古の昔から人間が感じていたであろう木の温もりとか香りとかね、そういったものが人間に安らぎをもたらすんではないかと、聞いた風なこと言ってますがね(笑)、そんな風にいつも思っていますね」
●暖かみがありますものね。
「そうそう、それは感じられますね。全く同じものはふたつとできないんで、毎回オンリーワンですよね」
●YouTubeを見ていると色んな仲間の皆さんがいらっしゃいますけど、「いちはら自然楽校」のチェーンソーカービングの達人、栗田宏武さんもいてくださるっていうのは安心ですね。
「そうやね。自然楽校の校長の方ですけども」
●栗田師匠っておっしゃっていましたけど。
「そうそう、ログハウスとかカービングで一緒に共同して色んなことをやっている人なんで。あの人この頃はスウェーデントーチって分かりますかね? 」
●スウェーデントーチ!?
「丸太を縦にびゃーっと十文字に切り込みを入れて、そして真ん中で火を燃やすと真ん中から、わーっと燃えてきて外側は残るという・・・ヒノキとかそんなのでやるとよく燃えるんですけど。(栗田さんが)自分のログの工房の近くに置いてある、使いものにならないでっかい丸太の切り株を時々持ってきてくれるんですよ。それをスウェーデントーチに、切り込みを入れて、今4つ目かな? そのくらい燃やしていますね。あの焚き火はすごいですよ」
元気の秘訣は、ピチピチ!?
※鴨川で整備している施設が「かもがわ自然楽校」という名前になっているんですよね?
「そうです。名前としては、かもがわ自然を楽しむ校で”自然楽校”って付けていますけどね」
●その楽校ではどんなことをやっていくんですか?
「ものづくりとか、陶芸もこれからやろうと思っているんですけど、あと散策したり、それからカービングも教えますけれども。あとトレッキングコースも壮大な長いルートがあるんで、そこをヒルと戦いながらね(笑)、歩いてもらうというようなこともあるし、最終的にはジップラインってやつね、高いところからびーっと向こうの山まで行くやつを今計画を企ててはいますね」
●楽しそうですね! 去年70歳になられた清水さんですけれども、本当にパワフルで前向きでとってもお元気でいらっしゃいます。その元気の源はやはり自然の中で活動しているからなんですか?
「好きなことをさせてもらっているっていうのが、同世代から見ても“いいなお前、好きなことばっかりして”みたいに言われるんで、好きなことをしているからかなという風にも思いますし、周りに若いのがいてですね、自分の姿は見えないから若いやつばっか見ていると自分もその仲間だと錯覚するんでしょうね。だから年寄りが年寄りと付き合っていると歳が増幅してしまうから、より若いピチピチとしたやつと付き合っていった方がいいのかなという風に思います」
5Gのワーケーション基地
※では最後に、今後のプロジェクトについて、教えてください。
「今ね、鴨川じゃないんだけれども、山口県の周防大島町っていうところに、無人島があるところですね、そこの島に廃校ができたんですね。4月で廃校になったいい小学校があったんですけど、そこを町と協力してですね、ワーケーションのスモールオフィスにしようということで、今取り組み始めています。
これだけ長いこと生きていると色んな人のご縁があって、産業総合研究所というところで開発された28ギガヘルツの5Gの電波が使えるワーケーション基地というのを作ろうということで、今もうバリバリやっているんですよ!
東京で仕事するよりも20倍、30倍早くサクサクと、しかも大容量で低遅延の電波を使った仕事ができるっていうワーケーション・ステーション。“5Gワーケーション瀬戸”っていうのを今、学校を改造して15部屋作るので進んでいるんです。だから自分の人生の中で、今いちばん世の中に爪痕を残しそうな事業ですよね(笑)。赤トンボの歌を歌った人っていうだけではなくて、本物の5Gを日本に広めた人だということで。
来年の今頃はしょぼくれているかもしれませんが(笑)、今は本物の5Gを地方からインフラとして整備することによって、色んな人が東京とか大阪とか大都市に集中せずに、過疎と言われる地方にどんどん出て行ってですね、そこで東京以上の仕事ができるっていうのを、これが過疎と過密のアンバランスを、都市と地方の格差を是正するのにいちばんいい方法だと思いますんでね。これを今、国の方とか、県の方とか、町の方とか町長さんとか、みんなと話し合って、結構進んできました」
●え〜! すごい!
「去年のユーチューバーになるぞ、以上のチャレンジですんで、これは鴨川のキャンプ場にもそういう電波を設置してですね、都市で働くよりもそういうアウトドアのところで働きながら、実は都会でやるよりも何十倍も効率よく大容量で高速で仕事ができるという、そういうスペースを今全国に作ろうとし始めています」
●自然を感じながら仕事ができるのはすごくいいですね。
「そうですね。自然の中でちゃんと仕事ができるっていうのは、俺はいちばんいいなと思うんですが、日本人ってバケーションだけで一週間くらいどっかに行くと、帰ったらデスクなくなってんじゃねーかと思って、だんだん落ち着かなくなるんですね。
バケーションしながら午前中サクサクっと仕事して、午後は漁師さんの手伝いをしたりするような、そういうワーケーション・スタイルがこれから主流になってくるに違いないと私は読んでいましてですね、この5Gのインフラ作りに全身全霊をかけておりますので、これちょっと言ったもん勝ちなんで言いますけど、ぜひ覚えといてください! 来年の今頃はどうなっているか」
●次回の定点観測、楽しみにしています!
「はい、これは日本で本当にすごいイノベーションと言いますか、すごい改革が起こると思いますから、やりますよ」
INFORMATION
千葉県鴨川での活動についてはぜひYouTubeの「くにあきの自然暮らしチャンネル」をご登録いただき、じっくり見ていただければと思います。いろんなハプニングもあって、面白いですよ〜!
◎「くにあきの自然暮らしチャンネル」https://www.youtube.com/channel/UCOChtMFwUIwohlW-bNA8UBg
また、清水さんプロデュースの、河口湖にある自然体験施設「森と湖の楽園」、瀬戸内海の無人島「ありが島」、そして清水さんの近況についてはそれぞれのオフィシャルサイトを見てください。
◎森と湖の楽園HP:http://www.workshopresort.com
◎ありが島HP:http://arigatou-island.jp
◎クニアキドットプラスHP:https://kuniaki.plus/
2021/4/25 UP!
オープニング・テーマ曲「KEEPERS OF THE FLAME / CRAIG CHAQUICO」
M1. YOU GOTTA BE / DES’REE
M2. BUILT TO LAST / MÊLÉE
M3. TAKE ME HOME COUNTRY ROADS / OLIVIA NEWTON-JOHN
M4. TO FEEL THE FIRE / STEVIE WONDER
M5. 鋼の羽根 / Radwimps
M6. THE BEST THINGS IN LIFE ARE FREE / JANET JACKSON & LUTHER VANDROSS
M7. 生きるチカラ / 清水国明
エンディング・テーマ曲「THE WHALE / ELECTRIC LIGHT ORCHESTRA」
2021/4/18 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、シティとサーフが融合する新世代ハイブリッド・バンド「SPiCYSOL(スパイシーソル)」のヴォーカルKENNY(ケニー)さんです。
今月メジャーデビューを果たした注目のバンド「SPiCYSOL」、実はサーフィンやキャンプが大好きな、アウトドア派のメンバーが揃っているということで、番組にお迎えすることになりました。
ザ・サーフ・ビート・ミュージックを掲げ、ロックやレゲエ、R&Bなど、いろいろなジャンルの要素がマッシュアップしたサウンドとメロウな歌声が聴く人の心をとらえ、人気を博している「SPiCYSOL」。メンバーはギターのAKUN(アクン)さん、ヴォーカルのKENNYさん、トランペットのPETE(ピート)さん、そしてドラムのKAZUMA(カズマ)さんの4人。
KENNYさんは2019年に恋愛リアリティ番組に出演、また、バンドのCDジャケットのデザインを担当していて、アート作品を展示する個展を開催するなど、幅広く活動されています。
きょうはバンドを代表してKENNYさんに、サーフィンやキャンプ、そして音楽への想いなどうかがいます。
ジャック・ジョンソンに憧れて
※それでは、KENNYさんにお話をうかがいましょう。今回のメジャーデビューEPでもジャケットのアートワークを手掛けたんですよね?
「そうですね。僕、絵が好きで、絵を描くのが好きで描かせてもらいました」
●透明なブルーの海の中を大きな白いクジラが泳いでいて、海面から太陽の光が降り注いで、クジラの後ろには数字の1が遺跡のように立っているといったアートですけれども。
「ご説明ありがとうございます。めちゃめちゃ詳細(笑)」
●このアートにはどんな思いが込められているんですか?
「そうですね。思いを込めたっていうよりかは、メジャーデビュー1作目、やっぱり新たな一歩っていうことだし、今まで応援してきてくれた人たちもひとつになって、これから進んでいきたいなということで、そこをイメージして、降ってきたものを描いたって感じですね」
●へ〜! クジラお好きなんですか?
「クジラが超好きってわけではないんですけど(笑)、環境のこととかも僕らの音楽性とは切っても切り離せない気がしたのと、サーフミュージックからインスパイアされているところもあるので、海の生き物で絶滅危惧種ってところで、今回シロナガスクジラなんですけど、モチーフにしてみました」
●本当にSPiCYSOLさんの音楽って海や空をすごく感じられて、ミュージックビデオにも美しい海が多く出てきますけど、やはり海、お好きなんですか?
「海好きですね。僕が影響を受けたアーティストが、ジャック・ジョンソンで、2000年代前半のサーフミュージック、アコースティックなサウンドのサーフミュージックを奏でていたミュージシャンたちから影響を受けたんですけど、彼らが調べるとだいたいサーフィンをやっているんですよね。
それか、元々プロサーファーで音楽を始めたみたいな方が多くて、僕はサーフミュージックから、音楽から入ったんですけど、じゃあ彼らのやっているサーフィンってどんなものなんだろうと思ってやってみたら、やっぱりハマったというところから、海、好きですね」
裸足で地球と交わるスポーツ
※どの辺のサーフスポットでサーフィンを楽しんでいるんですか?
「千葉だと片貝漁港という、片貝ってポイントがあって、そこをよく、それこそベイエフエムのDJ TSUYOSHIさんとかと行かせてもらったりしています」
●へ〜! そうなんですね! サーフィンの魅力って何ですか?
「大人になると裸足で地球と交わることってないじゃないですか? だいたいアスファルトがあるし、家とかマンションに住んでいたら、なかなか地球と直接繋がるとかは少ない気がしています。
サーフィンはやっぱり身体全体で味わい、地球の鼓動というか、地球を感じられるなって思うのがいいのと、あとは少しゾーンに入れるというか、無になれる状態がとても多いスポーツで、待っている時間も多いスポーツなので、その時に普段の悩みだったり、イライラしてたものが溶けたりとか、そういう心地よさが魅力だと思いますね」
●ジャック・ジョンソンに憧れてという話もありましたけれども、初めてサーフィンをされた時はどんな感じだったんですか?
「いやー全く上手くいかなくて、波にのまれまくって。でも、ものすごく憧れていたので、それでも気持ちいいみたいな、どんだけのまれても気持ちいいなと思って、ようやく出来たっていう気持ちが大きかったですね」
●KENNYさんは北海道出身でいらっしゃいますよね?
「そうなんですよ。だから南への憧れがもうすごくて」
●そうか、もう憧れっていう存在になるんですね。
「なかなか北海道はサーフィン文化がちょっと薄かったりするので、憧れていましたね」
●実際、海を感じていかがでしたか?
「何か、これでようやく俺も彼らの仲間を入りしたか! みたいなちょっと大きい気持ちになっていましたけど、海の大きさおかげですね」
●どんなことを考えながら海にいるんですか?
「いや〜もう無心で、ただサーフィンを上手くなりたいって思ってやっているだけなんですけど。でもきっと、何事も集中するとゾーンに入るみたいな、よく言うじゃないですか? それがたまに起きて、悩んでいた歌詞の部分がぽっと出てきたりはたまにありますね。
あと僕が好きなのは、結構波待ちの時間に、地元のローカルの方とか、横って言っても2〜3メートルぐらい隣なんですけど、横の方が話しかけてきてくれたりして、そのゆるいコミュニケーションみたいなのが好きですね」
●KENNYさんはサーフィンされてどれぐらいになるんですか?
「恥ずかしいんですけど、歴だけ長くて10年ぐらいやっていますね」
●おお! すごい!
「歴だけです。実力はもう本当にペーペー中のペーペーで」
●でもやっぱり海のパワーを感じたりとか癒されたりっていうのは、曲にも影響がありそうですね。
「僕自身がそれで影響を受けたひとりでもあるので。ジャック・ジョンソンだったりのサウンドからも。僕もそんな感じで同じように伝えられたらいいなと思っています」
キャンプ時間、自然音でリラックス
※メンバーたちと一緒にキャンプも楽しんでいるそうですが、どの辺でキャンプしているんですか?
「最近だと和歌山のアウトドアショップOrangeっていうお店があって、そこが運営してらっしゃる和歌山のキャンプ場ですね。ちょっとポイント名は忘れちゃったんですけど、そこにみんなで、バンドメンバーと和歌山のお友達と行きましたね」
●サーフィンをするための海辺のキャンプっていうことなんですか?
「あ、そこは山でした。でもサーフィンしにキャンプに行くときもあって、AKUNと一緒に行った宮崎とかは、日向という場所で、サーフショップの隣にテントを張らせてもらってキャンプしたりしましたね」
●AKUNさんはバーベキュー検定の中級の資格もお持ちだということで。
「焼かせたらうるさいんですよ(笑)」
●キャンプの食事はAKUNさんの担当っていう感じなんですか?
「そうですね。結構担当してくれますね。そして本当にムカつくぐらいおいしいですよね(笑)」
●いいですね!(笑)
「いい特技だなと思います」
●みんなでワイワイお酒を飲みながらとか、ご飯を食べながらとか、いろんな話もしながらするんですか?
「やっぱり普段、居酒屋で飲んでる時には喋らないような熱い話とかたまにしたりしますよね。その瞬間に流れている時間が、車の音もなく、自然の音がたくさん聴こえながら、耳もリラックスしながら喋るっていうのが好きなんですよね」
●やっぱり自然の中に身を置くっていうのは、皆さんの音楽に色んな影響もありそうですよね。
「そうですね。すごくインスパイアされる部分でかいです」
シボレーのバンで音楽の旅へ
※去年からコロナの影響で、今までとはまったく違った日常になりました。そんな中でバンドとして車を買ったそうですね?
「なかなかライヴができない状況だったので、だったらキャンプがてら、ライヴをしてもいい場所に自分たちから行っちゃえば面白くないかってことで、みんなでシボレーのバンを買ったんですけど、今改造中です」
●楽器を積んでツアーに出るためっていうことですか?
「そうですね。僕の憧れた昔のミュージシャンって自分たちでバスとかで、結構海外のアーティストが多いですけど、そういう旅をしているイメージがあって、それに憧れたところもあったので、やってみたいなと思っていますね」
●どんなふうにされているんですか?
「バンライフとかってご存知ですか? 海外でバンを、内装を全部木張りとかにして、その車自体をキャンピングカーみたいな住める状態にしているのをお手本にしたりしますね」
●その技術というか、そういったものをどうやって学んだんですか?
「全然まだ学んでいなくて、YouTubeで見よう見まねでやっているって感じですね」
●楽しそうですね! 自分たちでやるっていうのは。
「はい、やっぱり面白いですね」
●車に名前も付けたんですよね?
「実はまだ正式な名前が決まっていなくて、みんなふざけて呼んだりしているんで、“スパソル号”が落ち着いちゃっているんですけど、僕はそれまだ納得いってないです(笑)」
●認めてないんですね(笑)
「もうちょっと何かいい名前にしたいなって」
●具体的に車でツアーに出る予定っていうのはあるんですか?
「確定しているのはないですね。でも2か月ほど前の、東京、名古屋、大阪のツアーは一緒にそのバンで行きました」
●車で向かう音楽の旅っていうのも楽しそうですね。
「本当、映画のワンシーンみたいな感じで、そこから聴こえてくる音もすごくあるなって思いながら旅していましたね」
過去最大規模のライヴ!
※毎年恒例の「波MACHI」ライヴは今年も開催されますか?
「はい! 開催予定です! 7月3日に」
●言える範囲でいいんですけど、どんな感じのライヴになりそうですか?
「Zepp DiverCityという会場で、僕ら的には一応、過去最大規模というか、一番大きいところでやるので、今までスペースが足りなくてできなかったこととかを詰め込んでみたいなと思っています」
●お客さんを入れてのライヴってことですよね?
「今のところ、一応その予定で進めています」
●楽しみですね! SPiCYSOLの音楽を通して、改めてリスナーの皆さんにどんなことを伝えていきたいですか?
「僕らの音楽を聴いて、僕らの音楽スタイルがバンドなんですけど、やっぱりメロウな心地よいサウンドを心がけて作ったりしていて、何かこう反骨心とは真逆の、みんなの生活に寄り添える音になればいいなと思って、作って奏でているので、是非ライヴも遊びに来てほしいですし、日常で僕らの音をかけて、ストレスフリーな毎日を送ってもらえたらなと思います!」
INFORMATION
SPiCYSOLのメジャー1stデジタルEP『ONE-EP』には、「ONLY ONE」「From the C」「NAISYO」の全3曲収録されています。どの曲もスパイシーソルらしくてグッド・ソング! KENNYさんのヴォーカルに爽やかさと男の色気も感じます。KENNYさんが手がけたジャケットのアートワークにも注目ですよ。詳しくはワーナーミュージックジャパンのオフィシャルサイトを見てください。
毎年恒例の自主企画「波の日」に行なう波MACHIライヴは、7月3日(土)にZepp Diver Cityで開催される予定です。SPiCYSOLの近況や情報など含め、詳しくはSPiCYSOLのオフィシャルサイトをご覧ください。
◎SPiCYSOLオフィシャルサイトHP:https://spicysol.com/
シボレーのバンを改造している動画はYouTubeで、どうぞ!
◎https://www.youtube.com/playlist?list=PL1fdL9QNpH9niv455k2-Dony7JUqjK9mQ
2021/4/18 UP!
オープニング・テーマ曲「KEEPERS OF THE FLAME / CRAIG CHAQUICO」
M1. IT DON’T MATTER / DONAVON FRANKENREITER
M2. ONLY ONE / SPiCYSOL
M3. BETTER TOGETHER / JACK JOHNSON
M4. BUBBLY / COLBIE CAILLAT
M5. BEAUTIFUL / G. LOVE FEAT. TRISTAN PRETTYMAN
M6. I’M YOURS / JASON MRAZ
M7. ハイウェイ・ソング / センチメンタル・シティ・ロマンス
M8. From the C / SPiCYSOL
エンディング・テーマ曲「THE WHALE / ELECTRIC LIGHT ORCHESTRA」
2021/4/11 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストはバックパッカー、そして紀行作家の「シェルパ斉藤」さんです。
斉藤さんは1961年、長野県生まれ。本名は「斉藤政喜(まさき)」さん、学生時代に中国の大河、揚子江をゴムボートで下ったことがきっかけで、フリーランスの物書きになり、1990年に作家デビュー。現在もアウトドア雑誌「BE-PAL」でバックパッキングや自転車など、自由な旅の連載を30年以上続けています。また、1995年に八ヶ岳山麓に移住。自分で建てたログハウスで自然暮らしを楽しんでいらっしゃいます。
斉藤さんは、実は20年以上にわたって、息子さんの成長の節目にふたりで旅をしていたんです。そんな斉藤さんの新しい本が『シェルパ斉藤の親子旅20年物語』。長男の「一歩」くんが、6歳から27歳までの成長の節目に、親子ふたりで旅をしたときの紀行文をまとめた一冊なんです。 きょうは、お父さんと息子さんのハートウォーミングな「親子旅」についてうかがいます。
☆写真協力:シェルパ斉藤
6歳の息子とバックパッキングの旅
※斉藤さんが一歩くんと旅に出たのは、その1年前に奥様が一歩くんと電車を使って日本全国を回る旅をしたので、「次は僕の番でしょ」ということで、一歩くんが小学生になる直前、6歳の時に八ヶ岳山麓の自宅から四国や関西を巡る旅に出発したんです。
電車や船に乗ったりヒッチハイクをしたりと、最初からバラエティーに富んだ旅になりましたね?
「割とね、僕は普通に旅をしたつもりなんですよ。だからヒッチハイクは正直しようと思っていたわけじゃなくて。息子との旅ってことで僕なりにちょっと気を遣って、何せ体力もないだろうから。かみさんからアドバイスを受けて、一歩が途中で嫌になったら困るからって思いもありましたね。
あの子は電車が好きだったんですよね。だから旅に行く時も最初は嫌だって言っていたんですけど、電車に乗っけてあげるよって言ったら、じゃあ行くって話になったんです。だから色んな電車に乗ったり、宿に泊まったり、遊園地も行ったりとかっていう風にしていたんですけど、旅先からかみさんに電話して、こんなことこういう風にしているよ〜って言ったら“それじゃ〜私(の旅)と変わんないじゃない”って言われて。
自分でもこんなことしていていいのかなって思いもちょっとあったので、“あんたバックパッカーのくせに私の旅と変わんないじゃない”って言われて、それでスイッチが入りましたね。
その時は歩く旅のスタイルじゃなくて、服装も何も持ってなかったから、帰りはヒッチハイクしようかと思って、名古屋の先あたりから家までヒッチハイクしようってことにして、それでやったのがだんだん自分なりに面白くなってきちゃったんですね。要するに普段ヒッチハイクはちょこちょこずっとしていたんですけど、6歳の子とヒッチハイクするなんて経験なかったし。それとね、やっぱり成功率高いんですよ」
●あ、お子さんがいらっしゃると!?
「そう、子供がいると、あんた一人じゃ止まらないけど、こんなに小っちゃな子が頑張ってんだから止まらないわけいかないでしょっていうおばさんが結構いたりとかして、そこそこそれで自信つけたんですよね。
それでその旅が終わった後に、小学校に上がる前に、ちゃんと・・・僕は荷物を背負ってフィールドを歩くバックパッキングって旅のスタイルをずっと書いている人間ですし、そういう旅をずっとやっている人間だから、それを一歩と小学校に上がる前にやろうって決めて、歩く旅の要素や環境が整っている熊野古道を歩こうと思ったんですよ」
●バックパッキングの旅ですよね!? 荷物を背負って歩く旅っていうのは一歩くんにとってどうだったんでしょう? 楽しんでいたように本を読みながら感じましたけど。
「それは最初の旅の時もそうだったんだけど、かみさんと一歩との初めての旅をどうするかっていう時に、とりあえず一歩のペースに合わせるってことと、自分の荷物は自分で持つっていうことは守らせようって話をしたんですよね。
それでちゃんと自分のことは自分でやるんだっていう自覚を、まだ小学校に上がる前だったんだけれども、そういう自覚を持たせることが大事かな。その旅も自分で歩いて前へ進んで行くんだぞっていうのを、まだ未就学の子だったけれども、そうするとやる気が起きるんじゃないかという思いもありましたね」
●やはり旅をする父親の背中を息子さんに見せたいなという気持ちもあったんですか?
「そんな立派なのじゃないけども、ただ父親はこれだけのものを持っているんだぞっていうのは伝わるんじゃないかなっていう・・・要するに二人分の食料とか、それから当然寝床、テントとかそういうのを全て持って歩くわけなので、僕が背負っている荷物大きいんですよ、それを見せる。しかも衣食住どこでも寝泊りできる道具を自分で背負って歩けるんだっていうことを、伝えたいっていうか見せたかったのはちょっとあったかもしれないですね」
息子の成長、親の葛藤
※斉藤さんは一歩くんが小学6年生の時に九州縦断自転車ツーリング、中学2年生のときに、親子での初めての登山、高校2年で50ccバイクでの信州ツーリング、そして23歳のときに、東北の「みちのく潮風トレイル」をトレッキングと親子ふたりでいろいろなスタイルの旅をされてきました。振り返ってみて、いまどんな想いがありますか。
「この本の原稿って後から思い出して書いているんじゃなくて、その旅を終えた時に書いているんですよ。だから考え方も、今こんなんじゃないな、あの時はこんなこと考えていたのかっていうのが自分でも新鮮な部分もありましたね。
だからやっぱり最初は原稿を自分でも読み返して、なんか嫌な大人だなって思う部分もちょっとあったりとかして・・・例えば中学生の頃に山に登った時なんかも“ほら、自分の足で汗かいて山に登るといいだろう?”っていうのを、何か感動を押し付けている部分もちょっと(笑)。
だからいちいち口にしたくないけど、それに対して一歩は“うん”ぐらいしか反応がないんです。あんまり自分でこんなことを口にしたくないんだけど、それを口にしている自分が嫌になったりとか。でも本当こいつ分かっているのかなとかそんなことを考えながら、気を遣っていたっていうよりも、何か完全に上から目線で“山ってこんなにいいんだぞ”っていうのを伝えたくて仕方なかったっていうのが中学、高校くらいまでかな。
でも23歳の時(の旅)はもう完全な、実際20歳になったらもう大人だと思っていたので、その頃から関係が変わってきましたね。もう普通の1対1の旅人的な感じで」
●ひらがなを読めて喜んでいた一歩くんがこんなに大きくなったんだっていうのを、この本を読みながらすごく感じました!
「最初そうですよね〜、高松のうどん屋に入って、そば食いたいなんて言うから、そばなんかあるかって言ったら、“ざ・る・そ・ば”ってひらがなを読んで喜んでいたくらいですから、やっぱり色々と感じますね」
●同じ男性としてやはり息子さんには厳しく言いたいっていうのが、父親のイメージでありますけれども、その点はいかがでしたか?
「最初ですね、いちばん初めの6歳の時なんかは、もう本当にあいつに何でもしてあげようっていう、あげようだったんですよ。小学生になってくると、特に高学年、あの時は6年生くらいだったので、自分で何でもやりたがる歳だったんですね。それを僕はちゃんと受け入れられなかった部分もあって“何、生意気言ってんだ”というそのアンバランスさがね。
彼は彼で背伸びしたい、しかも当時から大人と結構付き合っていましたから、自分はできるんだって部分と、僕は父親としてまだまだお前なんか甘いっていう部分で、そのバランスがね。小学生の時の九州ツーリングはいちばん自分でも(それを)感じて、自分の未熟さも感じたし、それからあいつの背伸びしたがるのをもっと受け入れる時だったんじゃないかって反省もすごくありましたね」
ヒッチハイク、正直かなわない!?
※いろいろな親子旅を通して、一歩くんの成長もそうですが、斉藤さんご自身も成長したと感じたりしましたか?
「そうですね。それぞれの時代に旅をしたっていうのがやっぱりよかったな、しかも全部同じ旅じゃなかったっていうのもね。自分の中で振り返っていくと、どんどん付き合い方が変わっていくし、自分の旅のスタイルをちょっと変えているんじゃないかなって気もしますね」
●例えばどんな風に変わっていくんですか?
「どんどん信頼していく。例えば陸奥の(旅の)時もそうだけれども、全部僕がやるとかじゃなくて、だんだんあいつに決めさせていく部分もちょっと増えていくんですよ。その時はある地点に車を置いて歩き始めて、じゃあ車を取りに行こうかっていう時に、ヒッチハイクで頼むよって言うと、じゃあ僕行ってくるって言ってヒッチハイクして、車もちゃんと運転して帰ってくる。
で、一回、道を間違えたこともあるんですよ。“一歩、この道であっているか?”って言ったら、“いや、違うと思うから戻った方がいいよ”って対等に言ってくれるようになって、その辺は自分でも今振り返って、ちゃんと成長しているんだ、それは一歩も成長しているけど、僕も対等にちゃんと耳を傾けるようになっているなっていうのを、(一歩が)23歳ぐらいの時に感じましたね」
●一歩くんとの成長と共に、シェルパ斉藤さんのライバル意識もちょっと感じました(笑)。
「いや、ライバル意識っていうかね、正直かなわないんですよ(笑)。特にヒッチハイクの時に書いたんですけれども、その当時、僕は55〜56歳だったのかな。もういい歳したおっさんだけど、未だにヒッチハイクしているんですよ。自分一人だとなかなか(車が)止まらないんですよね。ところがあいつがやると3分くらいで止まっちゃうんですよ。
だからあの時は本当に思いましたよね。やっぱり人生の中で可愛がられる年齢って絶対あるんだなって。自分を振り返っても22〜23歳の頃なんて言ったら、どこを旅しても何か皆に可愛がられたなって印象があって、だからそういう時に旅しないと本当に人生損すんじゃないかなって思ったくらいですね。何でこんなにこいつヒッチハイクが上手いんだっていうのは羨ましかったですね」
自分の子供じゃない感覚!?
※きょうは斉藤さんの新しい本、長男一歩くんとのふたり旅の紀行文をまとめた本『シェルパ斉藤の親子旅20年物語』にそってお話をうかがっていますが、最終章がとても感動的でした。どんな旅だったのか、ごく簡潔に説明していただけますか。
「そもそもシェルパ斉藤って名前は・・・30年以上前に自転車でネパールを旅したんですよね。その旅の終わり、最後はどうしようかって時に、旅の終わりを選ぶなら、もう道の終わりまで行こうと。で、道の終わりは何かって言ったらそれはエベレスト、この先はもう登山しかない、普通に行ける最後はエベレストのベースキャンプじゃないか。で、そこまで自転車で行ったんですよ。
(日本に)帰ってきたら、BE-PALで今も連載やっていますけれども、そこで歩く旅の連載をしないかと言われて、それでシェルパ族の故郷から帰ってきたばっかりだし、読者を歩く旅に誘うわけだから、ガイドするわけだから、登山のガイドとして定着しているシェルパっていう名前を付けられたんですよね。
で、シェルパ斉藤っていう名前になったんですけど、そのシェルパ斉藤として(連載記事を)書き出してちょうど30年目に、30年企画で何か面白いことやろうよって話になった時に、やっぱり原点だな、自分の原点としてもう一回ネパール行きたいな、ネパールを旅したいな。で、気づいたのがですね、15〜16年前かな、一回世界のトレイルをあちこち歩いた時に、ネパールではアンナプルナってところに行ったんですね。
結構ぐるっと周るサーキットですけど、当時そこいいな、もう1回行きたいなと思っていたんですけどね。そこにモータリゼーションでだんだん道路ができていて、一応未舗装のダートなんですけど、道路が今通じていると。だったら自転車で行けるんじゃないかな。昔30年前、自転車でずっとエベレストのベースキャンプまでかついで行ったんですけど、普通に走れるんじゃないかな、そこ行こうよ、よし行こうと思って決めて、その夏休みかな、息子が当時もう就職していたんですけど、(家に)帰ってきていたんですよ。
その時に“今度お父さんネパールに行くんだ、いいだろ? お前も行くか?”ってふらっと言ったら“行く”って言ったんですよ。“本当か? 交通費くらい出してやるけど本当に行く?”って言ったら“行く”って。
一歩はモンベルってアウトドアのメーカーで働き始めていて、アウトドアに関しては理解がある会社だから、多分10日くらい休めるよって話になって、じゃあ行こうか! ってことで、懐かしのネパールに息子と二人でマウンテンバイクで、さらにムクティナートっていう聖地があるんですよ、そこを目指す旅に出かけたのが2年前ですね。2019年です」
●やはり一人で行くのとはまた全然違いますよね、親子旅で。
「今回に関しては親子旅って言うよりも、何かもうパートナーとして行く、気の合うパートナーっていうか、信頼できるパートナーと行くっていう感じが近かったかな。で、やっぱりいちばん鮮明に覚えている旅っていうか、いちばん近い旅なので思ったんですけど、その時に感じたのは、この子は自分の子供だけど自分の子供じゃないんだっていうのを強く感じたんですよね」
●と言うと?
「例えば旅先で、僕は30年前に自転車でずっとアジアを放浪して、最後ネパールに行ったりとかしていたんですけど、自転車が何かおかしくなっちゃったら、もう旅はおしまいなので、出来るだけ大事にしていたんですよね。地域の人が自転車を触ろうとしたらダメ! みたいな感じで断っていたんだけど、あいつは1日走り終えて、近所の子供たちが来たら自ら遊びに行くんですよ。
一緒にバレーボールしたり、自分の乗っている自転車に乗ってみる? みたいな話とかして乗らせたりして、キャッキャと遊んでいるんですよね。僕はその間1日走り終えた自転車のメンテナンスとかしているんだけど、一歩はずっと遊んでいるんですよ、近所の子供たちと。
これは僕の子だけど、半分はやっぱり子供が大好きなかみさんの血が入っているんだっていうことを、その時つくづく感じて。だからこいつは僕の要素もあるけど、かみさんの要素をちゃんと持って成長しているんだなと思ったら、より人間として1対1で、僕の要素も持っている、違う別の旅人、別の人間として、自覚を僕が持てたって感じですね」
全力で楽しむ!
※一歩くんもこの時の、ネパールの旅の紀行文を書いています。そこに父親に対する気持ちも書かれていて読んだ時、じ〜んと来ました。
●斉藤さんどうでした? 読まれた時。
「やっぱ嬉しかったですね。こうだったんだな、確かに僕がこう意識していた部分もちゃんと原稿に書いていて。例えばそれは、基本的にいろんなトラブルが起きるんですよ。トラブルが起きることに対して、僕は経験者だし、いろんな旅のノウハウもあるから、だったらこうしたらどうだ? っていう色々選択肢を出すんですね。こういう方法もある、こういう方法もある。で、どうする? っていう最終決定は一歩にさせようと思っていたんですよね。
それをやっぱりあいつも感じていたらしくて、いつも何かがあると色々とすかさず答えを出す。答えじゃなくても選択肢を見つけて来るのは、解決方法を見つけてくるのは僕であって、決定権は僕(一歩)にあるっていうのがよかったと書いてくれて、それはちょっと嬉しかったですね」
●やっぱり旅好きに一歩くんも育ってますけれども、一人旅を好む青年になっていますよね?
「時間があれば、モンベルって会社にいるもんですから、しょっちゅうアウトドアに行ってますね。つい先週も行ったみたいですし」
●会社員となって30代目前の一歩くんにどんな言葉を贈りたいですか?
「もう好きにすればっていう感じですね(笑)。僕今回、後書きで最後のところに、夢は孫連れバックパッカーなんて書いたんだけど、それは本人にとってすごくプレッシャーになっちゃうし、そういうのは、今しゃべっておきながら言うのもなんだけど、それは絶対やめようと。考えたら、僕が30歳の時なんか本当に好きにやっていましたもんね、そう思いますね」
●いつか三世代で旅できたらいいですね!
「と思って言っちゃうとプレッシャーになるから言わないです!(笑)心の中でそう思っているというか、三世代にはならないようにしましょう! それぞれ好きにしましょう! ということかな(笑)」
●息子さんを連れて旅に出たいと思っている世の中のお父様方に、アドバイスを送るとしたらどんなことがありますか?
「最初僕もそうだったんですけど、子供のことを考えてとか、こうすれば子供にいいんじゃないかって考えていたんですけど、それも大事ですけどね、常に全力で遊ぶこと、ということかな。自分を振り返って割と全力で楽しんでいた気がします。
子供のためっていうよりも、自分が楽しかったから全力で頑張って、特に体力を使う旅が多かったから、汗を流して全力でやっていましたね。で、結局ね、子供の楽しみって何かって言ったら、父親が全力で喜んでいることじゃないかな〜。その姿を見たら多分子供も喜ぶんじゃないかなと思うので、子供というか息子、娘に限らず、遊ぶ時は全力で遊びましょうよっていうことがアドバイスになるかな・・・」
●確かに親の、全力で楽しんでいる姿は嬉しいです、子供として。
「やっぱ楽しいですよね。楽しいことを楽しくやる、素直にいればいいんじゃないですかね」
※この他のシェルパ斉藤さんのトークもご覧下さい。
INFORMATION
『シェルパ斉藤の親子旅20年物語』
息子さん一歩くんの、旅を重ねるごとにたくましく成長していく姿と同時に、斉藤さんの、一歩くんを見る目が変わっていくのもよくわかります。微笑ましく読めるハートウォーミングな親子旅、子育て中のパパやママにも読んで欲しい一冊です。産業編集センターから絶賛発売中です。詳しくは出版社のホームページを見てください。
◎産業編集センターHP:https://www.shc.co.jp/book/14478
「シェルパ斉藤」さんの近況についてはオフィシャルサイトをご覧ください。
◎シェルパ斉藤オフィシャルサイト:https://team-sherpa.wixsite.com/sherpa
2021/4/11 UP!
オープニング・テーマ曲「KEEPERS OF THE FLAME / CRAIG CHAQUICO」
M1. WALKING MAN / JAMES TAYLOR
M2. BECAUSE YOU LOVED ME / CELINE DION
M3. TWO OF US / AIMEE MANN AND MICHAEL PENN
M4. HITCH HIKE / MARVIN GAYE
M5. こんど、君と / 小田和正
M6. END OF THE ROAD / BOYZ II MEN
M7. MY FATHER’S EYES / ERIC CLAPTON
エンディング・テーマ曲「THE WHALE / ELECTRIC LIGHT ORCHESTRA」
2021/4/4 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは冒険ライダー、そして「地球元気村」の大村長「風間深志(かざま・しんじ)」さんです。
風間さんは1950年生まれ、山梨市出身。1982年に日本人として初めて「パリ・ダカールラリー」に参戦、2輪500CCクラスで6位入賞! その後、エベレストにバイクで登り、6005メートルという世界記録を樹立! さらに、バイクによる史上初の北極点と南極点に到達と、数々の大冒険に挑戦し、輝かしい記録を残しています。
そんな風間さんが1988年に設立したのが「地球元気村」。大冒険の挑戦から学んだ、自然の中での人間のあり方などを多くの人に伝え、「人と自然が調和している社会」の実現を目指して作られたプロジェクトです。
きょうは再び風間さんにご登場いただき、「地球元気村」というプロジェクトへの思いや、抱いている大きな夢、そして夕陽に向かうバイクのツーリングラリーのお話などうかがいます。
☆ 写真協力:風間深志事務所
番組名は「火打石」!?
●今回が1500回目の放送ということで、ゲストはこの方をおいて、ほかにはいません! この番組の記念すべき第1回目のゲストでいらっしゃいます。冒険ライダー、そして地球元気村の大村長、風間深志さんです。よろしくお願いいたします!
「はい! どうも〜! 1500回目の私です〜。風間深志です。どうぞよろしくお願いいたします」
●この番組がスタートしたのが、今から29年前の1992年4月4日ということで、きょうの放送から30年目に突入いたします!
「30年目に入るんですか、すご〜い!」
●風間さんには毎年4月の第1週目にご出演いただいています。
「そうなんです。僕の人格と性格にぴったりの日にちを選んでいただきましてですね、何を言ってもいいという(笑)」
●この番組「ザ・フリントストーン」とも30年のお付き合いになるということで、NPO法人、地球元気村はもっと長い歴史がありますよね?
「まぁちょっとね、今年で33年になるね。ところで“フリントストーン”って何だか分かっていますか?」
●風間さん、教えてください!
「ほら! これだからね!(笑)番組の主として解説しますけど、やっぱり人生とか生活のいちばん基本、原点を見つめようってわけで、まずは生活は火からですね。この火を起こすのに昔は火打石ってやつを使ったんですよ。それがフリントストーンです」
※風間さん、番組名の解説、ありがとうございます! そうなんです。番組名には「火打石」という意味があるんです。そしてもうひとつ、こんな思いも番組名には込められています。
1960年代にアメリカのアニメーション「原始家族フリントストーン」(原題 THE FLINTSTONES)が日本のテレビでも放映されていました。毎回オープニングで主人公が「ヤバダバドゥー!」と叫んでいたので、覚えている方もいらっしゃると思います。このアニメはその後、1994年に映画の実写版としても公開されました。
「原始家族フリントストーン」は原始時代のサラリーマン家庭の、ほのぼのとした物語なんですが、原始時代は人間が自然を壊さず、恵みをいただきながらともに生きていた、いわば「共生」していた時代ということで、今の時代もそうあって欲しい、という願いを込めて、この番組の生みの親、初代プロデューサーの「村上太一」さんが「ザ・フリントストーン」と命名したということです。
変わらず伝えていきたい
※33年の歴史を誇る「地球元気村」ですが、いまはどんな活動を行なっていますか?
「当時、僕たちがキャンプブームの第一世代を作って、キャンプがすごく流行ったね。で、アウトドアがものすごく開花した。ここへきてまた、ひとつの普及段階を経て、みんなはやっぱりパソコンとかiPhoneとか、そういったものが手元に常にあるようになって、何となく自然っていうか、アウトドアの方たちの多くは都会志向っていうことが否めない部分もあったよね。
そんな中で急にとにかくキャンプブームじゃないですか。むちゃくちゃ、みんな焚き火が好きじゃないですか。火は付けられるのかな〜?とか僕はちょっと疑って見ているんだけど(笑)、でも好きだよね。まぁどんな形にしろ、初心者っぽいキャンプをしていても構わないと思う。
外にあるのはやっぱり自然だし、森だしね、川だから、そういったものを、前進基地のようなものを作って見るっていうことはとても有益なことだからいいんですけど、現在の元気村は昔ほど毎週(イベントを)やるような感じにはなっていなくて。というのも、やりたいっていう地方自治体が少なくなったんですね。
これはちょっと冷めた話ですけど、自然じゃ食えないんだよっていう本音を、地方自治体の皆さんは抱いてます。平成の大合併ってありましたよね。3つある、4つある市町村が1つになって、強固な財政とか産業を生み出していこうっていうような形でやっているんですけど、日本の地方はやっぱり、今は地方創生っていう言葉があるように、地方を元気にしなきゃダメなんだ、一極集中ではダメなんだって声高に言ってますけど、やはり集中型で経済は回っている部分は否めないのでね。
つまり何かっていうと、地方自治体の中で主な産業がなかなか育成できない。そうなるとやっぱり地方自治体は、うちらはやっぱりこの森ですよね! っていうところになってくるわけですよね。また、地域に残っていく文化とか、都会にない素晴らしいものがいっぱい残っているから、そんなものを僕らも、昔と変わらずみんなに伝えていきたいなって」
地球元気村キャンプ場計画!?
※いま私たちは新型コロナウィルスに仕事も生活も大きな影響を受けていますが、そんなコロナ禍のなか、風間さんはこんなことを感じているそうです。
「どうやって生きていくんだっていう、生きるってことに非常に皆さんの関心がフォーカスされている時代が、コロナによって急にきました。そういう意味で、もたらしたものは、本当に人間が生きることに真剣になったっていう時代だよね」
●そうですね。
「何か潤ったり、より多くを得たりっていうものに、生産性っていうものにひっちゃきになっている時代から、デジタルを使ってすごく効率よく得られる時代から、(コロナが)一気にここで嵐のように降ってきて、みんなが身体を剥き出しにさせられて、生きるか死ぬか、とにかくマスクをして、呼吸にさえも気を遣いながら生きている現在ですよね。
そんな中でやっぱり、マスクの向こう側に見えるのは、解放された、のびのびと生きていく社会なんだっていうことで、そういうものがどこにあるんだ、どういう方向に行けばいいんだ、医療や、あるいは社会のシステムや、そういったものはどうなんだ、っていうことを一回ここでリセットして考える時代がやってきたような気がするんですね。
そういう意味からすると、非常に多くの方たちから“おい、また地球元気村の出番だぞ!”という風に言ってくれるように、昨今すごく感じてます。だからまたここで頑張らなきゃいけないなっていう風に、おじいさんはね、昔おじさんだったんだけど(笑)もう一回考えていますよ!」
●先ほどキャンプブームというお話もありましたけれども、地球元気村キャンプ場計画というのもあるそうですね?
「あ、早いですね!?」
●はい! 情報、手に入れました!(笑)これはどんなキャンプ場なんですか?
「あのね、昔から地球元気村って“その村はどこにあるの?”って言われ続けたんですけど、これはやっぱりひとつの、心のユートピア、理想郷の意味での村なんですね。だからどこにっていうと、強いて言えば山梨県の山梨市にある“天空のはたけ”っていう畑が42枚あって、それが具体的には、ある特定の場所なんですね。
地球元気村ってテーマに取り組んでいただいている、和歌山県や福島県の市町村で開催するイベントもありますけども、やっぱり固定した地球元気村を作りたいなっていうのは32年間ずっと悲願だったんですね。こんなアウトドアブームだったら地球元気村キャンプ場を作ったらどうですか? っていうプレゼンテーションがあったので、じゃ〜やるかな! って今思っていて、そういうところが八ヶ岳の裾野にできるかな? って感じ」
●楽しみです〜!
「楽しみだよね。そこはそんなにむちゃくちゃ広いわけじゃないので、まぁ火起こしだけ専門にやるキャンプ場とか、あるいはアウトドア料理だけをやろうとか、何かカテゴリーでスペシャリティを作っていくことも手だなと思っているんですけどね。まぁ夢は膨らむ一方ですよ」
南極点に集まって、イエーイ!
※ところで風間さん自身の冒険の予定はあるんですか?
「ここ数年実現できていません。今年パラリンピックができそうですよね? パラがこれだけ脚光を浴びる以前から僕は、障害者が思いっきり世界的な檜舞台に立つステージを、ある特定のパラリンピック選手だけじゃなくて、障害者が南極点に立って、そして夢は思えば叶うみたいなことをいうのが、南極点がいいなと思ってね。南極点に障害者を連れて行くプロジェクトをもうずっと温めているんだけど、このパラリンピックが終わったら出番ですね!」
●おお〜!
「やっぱり、パラリンピックを見送ってからの方がやりやすいんでね。ちょっと冷めた話だけど、お金もすごくかかるのでね。また何よりも安全面の対策を講じないと、障害者による南極点到達っていうのもできないし。
それも世界の人、ユーラシアからこの人、南米からこの人っていう風に思っていまして。冒険はやっぱり何かを生み出すものじゃなくて、やることに意義があるわけですから、できれば世界各国の人たちに集まっていただいて、そして南極点に集まって“イエーイ! やったー!”みたいなことが言えたらいいなと。とにかく夢はすごく大事ですよ」
朝日から夕陽に向かうラリー
※風間さんが発案したオートバイのツーリング・イベント「SSTR サンライズ・サンセット・ツーリング・ラリー」とはどんなラリー・イベントなんですか?
「これ“ラリー”って言っても、集まるっていう意味のラリーなんだけど、やはりラリーって付けている以上、皆さんに多少冒険心を持って走っていただきたいと。
やっぱり冒険は扉を開ける感動、それから行き着く感動っていうのがあって、ゴールの感動はサンセットにあるんですね。最初の扉はサンライズにあって、東の海の任意の場所、自分が行きたい、気に入っている海辺に立つんですよ。それでじっと夜明けを待つわけ。やがて空がしらけてきて、海からぽこっと太陽が出るわけですね。
この悠久の時を刻む天体、宇宙の中で、きょうこの日、一瞬っていうのは一回しかないんだよね。その時に自分はここに立っていた。そしてこの海を眺めている自分がこんな想いなんだ。バイクと共にそれを見ている自分がいる。いざ、ここから出発だ!っていうわけで、冒険が始まるわけですよ。
そして冒険の先にあるものは、今度は反対側の日本海に沈むサンセット、夕陽なんですね。そこまでを、例えば関東であったら、房総半島の犬吠埼から出発して、東京を越えて、それで長野県の松本から安房峠を越えて行くとか、あるいは岐阜の方に一回南下してから、飛騨高山を越えて、そして白山を眺めながら能登半島に行くっていうね。
行き先を、サンセットの場所を、僕は石川県の千里浜(ちりはま)っていう、羽咋市(はくいし)と羽咋郡宝達志水町( はくいぐん・ほうだつしみずちょう)っていう2つの市町村にまたがっている8キロの、日本で唯一バイクや車が走れる砂浜があるんですよね。そこを終点にゴールを設けて、サンセットのビーチとして、ここまでみんなおいでと、太陽が沈んじゃったらもう完走はダメだよと、沈む前にゴールすれば完走だっていうわけで、ものすごくシンプルにサンライズ・サンセット・ツーリング・ラリーは、朝日に出発して夕陽にゴールするっていう、このプロセスの旅を演出するのはキミのアイデアと、1つのモチベーションなんだっていうわけでね、自分の旅をしてきてほしいんだよね」
●改めて、風間さんにとってオートバイとは?
「オートバイとは、何だろうな〜、大好きなものって感じだね(笑)。乗っちまえばオートバイっていうのは、ほかの乗り物と違ってですね、これただじゃ動かないんですよ、バランスとらないと。だから二輪っていうのは四輪とえらい違いなのは、バイクが自分の身体の一部になるんですね。身体の一部なんですよ、オートバイは自分になるんですね。
それくらい大切なものだし、切っても切れないものだし、身体の一部がやっぱり、よりいい環境の中で、思いっきり出先で呼吸をしたいし、歓迎されたいなって思うので、僕は日本にモーターサイクル文化がいい感じで根付いていくことが自分自身の成長だし、自分自身の環境作りだと思っているから、バイク=僕ですね!」
※この他の風間深志さんのトークもご覧下さい。
INFORMATION
NPO法人「地球元気村」では山梨市で農業体験ができる「天空のはたけ」を運営、ほかにも縄文体験教室や、土のう袋を重ねる自然と調和するハウス作りなどのイベントを開催しています。
そして「地球元気村」では随時村民を募集中です。登録料はビジター村民で500円個人村民で2,000円、家族村民6人までで3,000円。村民になると年4回、季刊誌「地球元気村」が届くほか、元気村イベントの参加費が割引になります。ぜひ、この機会に村民として登録しませんか。
いずれも詳しくは「地球元気村」のオフィシャルサイトをご覧ください。
◎「地球元気村」HP:https://chikyugenkimura.jp
「風間」さん発案のオートバイのツーリング・イベント「SSTR サンライズ・サンセット・ツーリング・ラリー」は、今年は9月から10月にかけて開催される予定です。詳しくはSSTRのサイトを見てください。
◎ 「SSTR サンライズ・サンセット・ツーリング・ラリー」HP:https://sstr.jp
2021/4/4 UP!
オープニング・テーマ曲「KEEPERS OF THE FLAME / CRAIG CHAQUICO」
M1. ARMS/HALF MOON / JOHN HALL
M2. (MEET)THE FLINTSTONES / THE B-52S
M3. CAMP / CARAVAN
M4. 地球は元気 / 地球元気村の仲間たち
M5. 紫の夜を越えて / スピッツ
M6. TAKE ME TO THE ALLEY(希望へのアレイ) / GREGORY PORTER
M7. THE LONG AND WINDING ROAD / THE BEATLES
エンディング・テーマ曲「THE WHALE / ELECTRIC LIGHT ORCHESTRA」