2022/6/5 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、ドキュメンタリー映画
『杜人〜環境再生医 矢野智徳の挑戦』の監督「前田せつ子」さんです。
前田さんは1984年に現在のソニー・ミュージックエンタテインメントに入社、音楽雑誌などの編集者から、フリーランスとなり、雑誌「Lingkaran(リンカラン)」ほかの編集や執筆に携わります。
映画『杜人(もりびと)』は、孤高の造園家、矢野智徳(やの・とものり)さんに3年間密着したドキュメンタリーで、前田さんにとっては初の長編作品なんです。主人公の矢野さんは植物や自然の再生を、経験に裏打ちされた矢野理論ともいえる手法で取り組み、全国各地の庭園やお寺の植栽などを見事に蘇らせています。
この4月に公開された同作品は、公開直後から評判を呼び、続々と上映する映画館が決まり、全国でいま静かなブームとなっています。きょうはそんな『杜人』、そして矢野さんについて、監督の前田さんにじっくりお話をうかがっていきます。
☆写真協力:Lingkaran Films
「杜人」に込めた思い
※まずは映画のタイトル「杜人」、これは木編に土と書く、杜の人です。このタイトルした理由はなんでしょうか?
「木編に土と書く”杜”っていう字は、この場所を傷めず、けがさず、大事に使わせてくださいと、人が森の神に誓って紐を張った場、という古語だそうです。昔の民が使っていた言葉で、今、辞書を引いても出てこないんですね。
主人公の矢野智徳さんはこの言葉の意味を3日かけて、国会図書館に行って必死で探して、この言葉にたどり着いたそうなんです。
で、やっぱりそういう自然と人との関係が蘇りますようにという願いを込めて、木と土と人と書いて”杜人”というタイトルをつけました」
(編集部注:造園家の矢野智徳さんは1956年、北九州市生まれ。父親が私財を投じて造った花木植物園「四季の丘」で、子供の頃から植物の世話をしながら育ちます。そして、東京都立大学在学中に1年間、休学し、日本全国の自然環境を見て回ったあと、1984年、28歳のときに「矢野園芸」をスタートさせています。
前田さんと矢野さんとの出会いは2014年、前田さんが暮らす東京都国立市で街路樹の桜を一斉に伐採する計画が持ち上がったときだったそうです。住民から、本当に伐る必要があるのかを矢野さんにも見てもらいたいという要望を受け、桜を1本1本診断してもらった結果、ちゃんと手当てすれば、まだ大丈夫という矢野さんのアドバイスもあり、一斉伐採は見送られたそうです)
虫、草の視点
※矢野さんの活動を撮影し、映画にしようと思ったのは、どうしてなんですか?
「初めて矢野さんの言葉を聞いた時に衝撃を受けたんですね。衝撃っていうよりは、なんか救われるような気がしたんです。2014年の、桜を全部伐採するっていう計画は、矢野さんを始め、全国の心ある造園家のかたが駆けつけてくださって、市民と共に動いたことで、痛んだ桜だけを植え替えるっていうふうに、市は方針を変えてくれました。
その翌年、運動というか動いていたことがきっかけで、矢野さんの講座が国立市内で開かれて、私はその時は市議会議員ではなかったので、2日間その講座に参加しました。それで改めて矢野さんの自然を見る目に触れて、すごく驚いたんです。
例えば、植物に虫がつくと、ついつい人は殺虫剤を撒いたりしがちなんですけど、矢野さん曰く”葉が混み合っていて、風通しが悪いから虫がつく。虫たちは葉っぱを食べて、空気の通りをよくしてくれているんです”っていうことをおっしゃったんですね。
それは、世界が180度クルッと違って見えてくる気がして・・・あー虫たちって、ただ単に葉っぱが食べたくて食べているんじゃなくて、そうやって風通しをよくしてくれている、そんなふうに世界を見られたら、この世界はまた違って見えてくるし、人間はもっと豊かに生きられるなっていう感じがしたんです。
草も、生えてくるのがよくて、根こそぎ抜いたり、地ぎわから刈ったりするから反発して暴れる。でも風が揺らすところで刈ってやると、途端に大人しくなるっておっしゃるのを聞いて、なんか子育てと繋がっているような気もして、とっても肩の力が抜けるというか自分が楽になってくる気がしました。
大地が人間と同じように呼吸しているっていう言葉を聞いた時に、水のことは考えていても、空気のことは全然考えていなかったなって思って・・・。
そんな視点というか、自然と人との関係がとても新鮮だし、すごく嬉しかったんですね。講座が終わったあと、すぐに矢野さんのところへ行って、“本とかDVDとかなんかないですか?”って聞いたら、忙しくて何もないんですって言われて・・・あ〜なんてもったいないんだろうって思ったのと、もっと知りたいって思ったことが、最初の動機です」
風の草刈り
※映画には矢野さんの自然や植物、そして造園に対する考え方が随所に出てきます。その中から印象に残った言葉をいくつかお聞きしたいと思います。まずは結ぶと書く結(ゆい)、これはどんな意味なんですか?
「映画の中では矢野さんは、ほかの動物たちには動物たちなりの結(ゆい)があって、人社会には人が群れをなす時の大事な連携機能として、結のコミュニケーションがあるっておっしゃっています。
もともと結作業ってどんな集落にもあったもので、人間がまだ重機とかそういう動力を持たなかった時代には、人ひとりひとりがやるんじゃなくて、みんなが群れをなして、自然と向き合うことが必要とされていました。
その中で、大人も子供も歳を取ったかたも女性も男性も、みんなが群れをなしてひとつの目的に向かって、その集落が無事であるようにという祈りを込めて、結作業をやって、そこに教育もあれば、コミュニケーションがあって、自分の居場所があったっていうことなんです。
かつての結作業を、大地の再生講座をやる中で復活させたっていうのか、やっていたら、いやおうなくその結作業になっちゃったって、矢野さんはおっしゃっていました。
その結って、人と人との関係もそうですけど、人と自然もやっぱりその結のコミュニケーションがあって、言ってみれば、同じ目的に向かって同じ祈りを込めて共同作業をするっていうことなんですね。
それが今現代社会の中ではとっても失われているので、作業をされたかたの表情とかを見ていると、とても大変だけど、とっても清々しい楽しそうな顔をして作業されているのが、ずっと印象に残っています」
●そうなんですね。続いて「風の草刈り」と表現されて、草を刈っていらっしゃいましたけれども、この言葉の裏にはどんな意味があるんでしょうか?
「風の草刈りって、すごく詩的な表現だと思うんですね。まさに風がやるように草を刈る。文字通り、風に揺らしてみると、草がある一定の点で揺れる。そこを鋸鎌(のこがま)って言われる小さな手鎌で、ちょんちょんとはねてやると、草は風がやったと思い込んで、これ以上伸びてもまた風が吹いてきたら、ここを折られるからと思って、構造を変える。そこから枝分かれして、それと同時に地下の根っこを細根にして細い根をいっぱい生やして安定しようとする。
そうなると、細い根ができると地下に空気がたくさん通るようになるので、雨が降っても、ちゃんと雨も浸透するし、空気と水の循環がよくなって、すごく合理的で持続可能なやり方が、風の草刈りです」
●風で揺らぐ部分を切るってことですね。
「自分が風になったつもりっていうか、自分の鋸鎌が風になっているのを感じるくらいに一体となって、自然と一体、自分が風なんだっていう感じでやると、みんなが帯のようになって、風の草刈りをやっていたところに、本当に風がすーっと通るんですよね。その時、みんなが同じ感覚を味わって、“今(風が)通ったね〜”って、すごく嬉しそうな顔されるんです。
風の草刈りは、本当に根こそぎ刈っていくよりずっと楽しいし、見た目も綺麗だし、綺麗っていうよりは、遠くの山々と一体化した一枚の風景になって、草はとっても大事な風景の一部だなって思います」
水脈と点穴
※続いては、矢野さんの自然再生手法のポイントともいえる「水脈と点穴(てんあな)」について。どういうことのなのか、教えていただけますか。
「大地は人間と同じように呼吸しているって、矢野さんはおっしゃっています。水脈は人間の身体でいうと血管のようなもので、大地の中にも動脈から毛細血管まで様々な脈が流れて、空気や水を循環させているというのが、矢野さんのひとつの理論というか、植物の命と長く向き合ってきて、見えない空気が大切であることを発見されたんですね。
自然はもともと、ちゃんと脈が地面の下に、人間に脈があるのと同じように大地にも脈があって、それを塞いできてしまって、今の大地は息苦しくなっているから、そこに溝を掘ったり、その溝は流線型で掘っていくんですけど、その所々に点穴と呼ばれる穴を掘って、より一層脈が渦を巻くように作っていくのが水脈と点穴なんですね。
東洋医学でいうと、筋に当たるのが水脈で、ツボに当たるのが点穴みたいな感じです。そこを押してあげると、人間もちょっと体調がよくなったりするように、ペたーんとまっ平らにしてしまった地面に溝を掘って穴を開けてあげると、本当に地面が柔らかくなるし、立った時に空気が変わるんです。
(大地の)脈をすごく大事にされているので、地上と地下の脈を循環させる。そのいちばんの立役者が植物だってよく言われています」
大地の深呼吸
※映画の中では、ここ数年の自然災害で大変ご苦労をされたかたたちとの出会いや支援活動のシーンもありました。その中で矢野さんの「土砂崩れは大地の深呼吸」という表現も強く印象に残りました。このあたりのご説明もお願いできますか。
「2018年の5月から(矢野さんを)追いかけ始めたんですけど、その2ヶ月後に、矢野さんに初めてお会いした時からずっと警告されていた、そのうちひどい土砂災害が起きますよっておっしゃっていたことが現実になりました。西日本豪雨で広島や岡山、愛媛のほうも土砂災害が起きて、亡くなられたかたには本当に胸が詰まる思いです。
なぜ土砂崩れが起きるのか、ただ単に雨がたくさん降って大雨のせいで土砂崩れが起きるわけじゃなくて、やっぱりどこかしら人間が止めているから、その脈を取り戻そうとして、自然は土砂崩れを起こしているっていう見方を(矢野さんは)されていました。
私は正直、その土砂災害の現場に矢野さんが行くからついていくってことは、戸惑いもあったんです。被災地でみなさん本当に困ったり、またボランティアのかたが一生懸命、復旧作業をされている中にカメラを持っていくってことは、とても申し訳ないし、不躾な行為だと思ったんですね。でもやっぱり矢野さんが行くって言うんだったら、私も行こうと思って一緒に行きました。
崩れた現場にはU字溝っていう小さなU字型のコンクリートブロックが必ずあって、それがバンッて崩れていて、ちょっと山のほうを見ると砂防ダムって言われるコンクリートの塊がありました。
で、その先のほうに崩れている、岩がむき出しになった爪で引っ掻いたような跡があって、本当にコンクリートがせき止めていることで、この土砂崩れが起きて、土砂崩れは呼吸を取り戻すための最後の自然の抵抗なんだなっていうのを目の当たりにしたんですね。
そこには自然界が一晩で作ったS字のカーブの水脈ができていて、自然が作った点穴がありました。で、必ず痛んだ木が、その大地が詰まっていたんだってことを証明するかのように、葉が茶色くなった松がいて、幹がボロボロになった梅の木があって、植物が警告を発していたんだなっていうのが分かる光景がそこにありました」
同じ生き物同士と思える感覚
※最後に改めて、この映画でいちばん伝えたいことを教えてください。
「撮っている時に思ったのは、映画を見る前と後とで木の見え方が違ってくるっていうか、植物や自然の見え方がちょっと違って見えるような映画になるといいなっていうのをずっと思っていましたね。
今、街路樹が鳥の糞が落ちるからだとか、落ち葉が汚いからだとか、むげに伐られることも多いし、いろんなところで木が伐採されているんですけど、木がどれほどのことをやってくれているかっていうことを、もっと私たち人間が分かれば、そんなに簡単に伐れなくなると思っています。
植物のことを語る時の矢野さんって、すごく愛おしそうに語られるんですよね。
本当に植物みたいな人にはなれませんと・・・こんなに苦しめられても、何かちょっと手をかけてやると、すごい勢いで復活してくる健気な存在とおっしゃっている、そんな感じを映画をご覧になったかたが植物に対して、この自然界のあらゆる生き物に対して、持ってもらえるといいなって思っています。
今回映画を公開した時に、矢野さんに植物の声って聞こえているんですか? って、あえて舞台挨拶の時に質問したら、聞こえませんよって。聞こえる人もたまにいらっしゃるみたいだけど、僕には聞こえません。でも感じはするっておっしゃっていました。
ひとりで深夜までずっと作業していると、何かが背中を触って、あれ何かな? と思って振り返ると、それは動物じゃなくて、しだれ桜の枝が自分の背中をふっとさすった・・・それを見た時に、同じ生き物同士分かり合えるのかなって、感じたんですとおっしゃっていました。
同じ生き物同士っていうふうに、植物にも小さなアリやチョウやトンボにも、その同じ生き物同士って思える感覚が、人間にはまだまだ動物だった頃の記憶がちゃんとあると思うので、そういう気風が生まれてくるといいなって思っています」
INFORMATION
前田さんの初めての長編ドキュメンタリー作品をぜひご覧ください。
映像はもちろんなんですが、ぜひ音楽にもご注目を。
優れた音楽家のかたによるサウンドトラックに前田さんのこだわりを感じますよ。
今後、英語の字幕を入れたインターナショナル版と、
子供向けのチャイルド版を作ることにしているそうです。こちらも楽しみですね。
*上映情報
首都圏で現在上映されているのは千葉県柏の「キネマ旬報シアター」で6月10日まで、逗子の「シネマアミーゴ」で6月18日まで、
「あつぎのえいがかんkiki」で6月17日までとなっています。
ほかにも東京や栃木、埼玉や群馬など、続々と上映が決まっています。
詳しくは「杜人」のオフィシャルサイトでご確認ください。
◎「杜人」HP:https://lingkaranfilms.com/