2022/11/27 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、幼稚園の先生から里山暮らしの猟師さんになった「束元理恵(つかもと・りえ)」さんです。
束元さんは1994年、広島県生まれ、熊野町育ち。子供が好きで、家族の勧めもあって、2015年に、念願の幼稚園の先生に。ところが1年を過ぎようとしていた頃に体調を崩し、自主退職。苦渋の決断だったこともあり、心にぽっかり穴があいた状態になったそうです。
そんな時、お母さんが気分転換にと理恵さんをドライヴに誘い、北広島町の芸北に連れて行ったそうですよ。芸北地区は広島県と島根県の県境にある、標高800メートルを超える場所もある自然豊かな山あいの里。
そんな芸北に強く惹かれた理恵さんは2017年、22歳の春に移住。慣れない里山暮らしではあったものの、特に不安はなく、地域の方たちに温かく迎えてもらい、春から秋には農家さんのお手伝い、雪深い冬は子供園の先生として、生活費を得ていたそうです。
そんな芸北での暮らしぶりは、先頃出された本『いただきますの山』に詳しく載っていますので、ぜひ読んでください。
現在、芸北を離れ、同じ広島県の江田島に暮らしている束元さんにリモートでお話をうかがいました。
幼稚園の先生から、なぜ猟師さんに!? と思うかも知れませんが、そこには「自分の手で獲って食べる」というこだわりがあったんです。
☆写真協力:束元理恵
現代風なデジタルな猟法
※束元さんは芸北に移住してから、猟師さんの資格を取得されましたが、以前から猟師さんになりたかったんですか?
「はい。もともと猟師ではないんですが、虫取りが好きで、小さい頃はよく野山に入って虫取りをしていました。小学生の頃に海女さんになりたいと思ったことがあったり、何かを獲って、それを食べる仕事をいつかやってみたいなとずっと思っていました」
●最近は猟師さんの資格を持つ女性も増えてきていると思うんですけれども、狩猟をするには、やっぱり地元の猟友会に入らないとダメなんですよね?
「はい。猟友会に入ったほうがいいですね。その土地の決まりとかルールとかもたくさんあって・・・また知らない人が山に入ったら、誰が何をしているんだろうって、地域のかたが不安に思っちゃったりするので、そういうことを教えていただくためにも、猟友会に入ったほうがいいかなと思います」
●猟友会や地元のかたがたは、束元さんのような若い女性が来て、びっくりされたんじゃないですか?
「はい! びっくりされていました(笑)」
●まわりはやっぱりおじ様方が多いんですか? どういう雰囲気なんですか?
「うちの父がちょうど今60代だったりするので、うちの父よりも少し年上のかたっていうイメージで、みなさん、ほんとお父さんのような、おじいちゃんのような感じで接してくださいました」
●いろいろ指導を受けられたそうですけれども、どんな指導を受けたんですか?
「指導は、怒られもしたり(苦笑)・・・やっぱり危ない現場なので、そういうことをしたら危ないよっていうことも厳しく教えてくださったり、時にはその本の中にもあるんですけど、奥さんが作ってくれたおにぎりを分けてくださったりとか、そういう優しいこともありました。
●初めて猟友会のかたたちと狩猟に行ったときは、どうでしたか?
「初めての猟期は、銃を持つこともドキドキして、銃で動物を撃つことも初めてだったので、自分が持っている銃の先を動物に向けたら、その動物の命を奪ってしまうっていうことにもドキドキして、責任をすごく感じました」
●狩猟はリーダーがいて、猟友会のメンバーが連携して動くっていう感じなんですか?
「はい。山のことをよく知っているかたがひとりいらっしゃって、本の中にも出てくるんですけど、私の師匠の元八(もとはち)さんです。どの山がどういう地形かも全部頭に入っとられて、イノシシの気持ちもすごくわかるかたなんですね。
”このイノシシだったら、いま向こうに歩きよるけ、あの谷に出るんじゃないか”とか、そういう指示を出してくれちゃって、それをみんなで無線を聴きながら、”どこどこで待っとくよ”とか、そういうコミュニケーションもすごく大切な猟のやり方です。
たぶんみなさんはマタギ、そういう昔の猟法を思い浮かべられると思うんですけど、今はGPSを使ったりとか、携帯もあるので、写真を撮ってLINEで送ったりとか、本当に現代風なデジタルな猟をしています」
(編集部注:北広島・芸北地区での狩猟期間は、始まりは全国と同じ11月15日からですが、終わりはほかの地区よりも半月ほど長く、2月末だそうです)
ハラハラ、ドキドキ
※猟をするために山に入っている間、どんな気持ちで獲物を待っていたんですか?
「イノシシがいつ自分の目の前に出てくるかがわからないので、最大で4時間、山の中でひとりで待っていたことがあって、そういう時はもうハラハラ、ドキドキしていました。
足を雪の上につけていると、どんどん熱が奪われて、膝の下が感覚がないような状態になったりしたので、雪を掘って、まだ葉っぱがついている杉の葉とかを敷き詰めたりして(そこに足を置いて)待っていました。
本当に雪山は静かで、陽が出ていないうちは静かなんですけど、陽が照り出したら、雪がぽた〜ぽた〜って水滴になって落ちたりとか、そういう音に、“わっ! びっくり”ってなったりとか、イノシシじゃないかと思ったり・・・。
あと時々無線が人から入って、”束元のほうに行った!”って言われたら、もうドキドキが止まらなくて、どうにかして仕留めんと、と思いながら(待っていました)。今まで私の前には出たことがなくて、先輩たちに言われるんですけど、”お前は食い意地が張っとるけ、イノシシも気づいて出のんじゃないんか”っていつも言われていました(笑)」
※初めて自分の銃で仕留めた獲物はなんですか?
「その時は初めてカモを獲りました。川に浮かんでいて、今でもくっきりと覚えているんですけど、どの川でどの場所でっていうのも覚えています。
先輩たちがまわりにいて、1発目を撃つとカモは逃げてしまうので、1発目は束元が撃ちんさいって言って、いつもみなさんが譲ってくださっていました。
私が鉄砲を撃ってカモが落ちていって、そのカモは川に落ちていくので、川をどんどんカモが流れていくのを走って追いかけて、濡れるとかも全然気にならずに川の中に飛び込んで、カモを拾い上げて、自分の手で震えながらしたのを覚えています」
●自分の手でっていうところで、いろんな感情が込み上げたと思うんですけれども、どんな思いでしたか?
「その時は必死で何かを思う余裕もなくって、ただただそのカモを逃がしちゃいけんと思って・・・撃ってそのまま流してしまって、いなくなるっていうのがいちばん失礼だと思うので、どうしても持って帰らんとって思って走ったのを覚えています。
でも後から考えると、このカモもやっぱり生活があったりとか、家族もいたんだろうなと思うと、やっぱり自分がしているのは・・・でもそれもスーパーに行って、ニワトリとかブタとかを買ったりするのと一緒なのかなと思うと、自分の手で獲るって、食べる時にとてもおいしいなと思いながら食べます」
(編集部注:束元さんは師匠から教わったことで、肝に銘じているのは、足を大切にすること。山に入って、獲物を探すのも追いかけるのも足、ということで、師匠から言われた「一足、二足、三に足」という言葉をいまも大事にしているそうです)
セミは美味しい!?
●この本『いただきますの山』には昆虫食のお話も載っていましたよね。実は私の大学時代の恩師が昆虫食を研究していて、この番組にもゲストとして出演してもらったんですけれども、立教大学の野中教授というかたなんです。授業中に、みんなでキャーキャー言いながら、いろんな昆虫を食べさせられたんですけれども(苦笑)。
「何を食べられたんですか?」
●イナゴとか蜂の子とか食べました〜。なんかイモムシみたいなものも・・・。
「そうだったんですね〜」
●昔からイナゴとか蜂の子は食べる文化はありますけれども、束元さんはセミも召し上がっていましたよね?
「はい。セミも食べました」
●セミはどんなふうに処理して食べたんですか?
「成虫はだいたい焼いて食べて、幼虫は茹でたりとか、揚げてからポップコーンのように食べたりとか・・・昆虫の中でいちばん美味しいと思っています」
●セミによって味が違うっていうこともあるんですか?
「セミによっても味が違っていて、ツクツクボウシだったりアブラゼミだったり、いろいろと違うように思います」
●野中先生に私もセミを食べさせられたことがある、食べさせられたって言ったら、あれですけど(苦笑)、食べたことがあるんですけれども、それもパリパリしていて確かに美味しかったんですよ。それは何のセミだったんだろう? ちょっと見るのも怖くて、薄目にしながら食べたので・・・(笑)
「あ、そうなんですね〜」
●あまり覚えてないんですが、セミによって味も違うんですね?
「木の樹液を吸って育つので、樹液によって香りが違うのかなっていう研究をされているかたもいました」
●なるほど〜、昆虫食も奥深いですね。特に束元さんが美味しいなって思った昆虫はありますか?
「特に美味しいのは・・・セミが美味しいなと思うんですけど」
(編集部注:束元さんいわく、春に採れるカミキリムシの幼虫は、昆虫食界では最も美味しい虫とされ、「昆虫界のトロ」と言われるほど、人気なんだそうです)
本当の食欲とは
※北広島の芸北では、借りた畑で作物を育てていましたよね。どんなものを作っていたんですか?
「畑では夏野菜をおもに育てていたり、秋から来年の春にかけては麦を育てて小麦(のタネ)を蒔いて収穫して・・・石臼も近くの石屋さんが特注で作ってくださったので、その石臼で粉をひいてパンにしていました」
●いろいろご自身でやるとなると手間暇もかかると思いますが、でもそれだけやっぱりでき上がった時の達成感というか・・・どんな気持ちになるんですか?
「なんか不思議なんですけど、パンを焼く時に麦畑の匂いがして、収穫前の麦畑にいた気持ちを思い出して、1年間通してパンを作ったと思ったら、とても感動してちょっとずつ食べました」
●そうなんですよね〜、思い入れがすごく強いですよね。都会に暮らしているとスーパーマーケットとかに行けば、すぐに食材が手に入る環境にありますよね。
例えば食肉にしてくださるかたたちがいて、初めてお肉が食べられるわけですけれども、普段命をいただいている意識が希薄になっているなって思うんです。自然のものを獲って食べることをされている束元さんは、どのように感じられますか?
「焼肉に行ったりした時に、牛だと思って食べるよりは、何の肉とかハラミとか、そういうふうに並べてあるので、なんかいくらでも食べて・・・というか、食べ放題ならたくさん食べたほうがいいじゃないですか。だからたくさん食べるんですけど・・・。
イノシシを実際に自分で捌いて食べた時に、これはお腹のお肉だったなとか、背中のお肉だったなと思いながら食べると、お腹がいっぱいになるまで食べることができなかったんですね。
なぜか捌いている間にお腹がいっぱいなるような経験があって、もしかしたらそれが本当の食欲なのかなと思いながら・・・だから自分で獲って食べることが本当の食べるっていうわけじゃないですけど、私はそれを選びたいなと思って続けたいです」
芸北の人たちに恩返し
※束元さんは、現在は銃の免許は返上されていますが、今後また猟師さんに戻ることはありますか?
「銃の猟はすることはないかもしれないんですけど、箱罠っていう罠の檻をかけたりとか、ワイヤーで足をくくったりする括くり罠っていうものがあって、その罠の免許は今も継続して持っているので、罠の猟師は続けたいと思っています。
今年、江田島に引っ越してしまったんですが、芸北の猟友会のかたたちとは今もつながりがあるので、雪が降った時に、私は銃は撃てないんですけど、イノシシを追いかける役はできるかなと思っています。そういうのを”勢いの子”って書いて、『せこ』って読むんですけど、勢子として参加できたらいいなと思っております」
●また師匠たちと一緒に?
「はい。山を歩けたらと思っています」
●いいですね〜。では最後に、北広島町の芸北地区での暮らしは、束元さんに何を残しましたか?
「私は芸北で、最後はちょっと体調崩してしまったんですけど、いろんなかたがたに教えてもらった、命のいただき方というか、イノシシの獲り方とか、あとお米の作り方とか、里山で暮らす中での自然と人との間のいろんな葛藤とか・・・。
そういうことをたくさん経験して、実際に見て体験して、悔しい気持ちにもなったり、悲しくなったり、時にはみんなでお祭りをして喜んだりとか・・・実際に自分で経験したことで 、自分の血となって肉となって、力になっているのをすごく感じています。
そういうことをたくさんいただいたので、今度は私が芸北に住んでいた時にお世話になったかたがたに、たくさん恩返しができたらいいなと・・・どういう形かわからないんですけど、今回この『いただきますの山』っていう生活の本を通して、北広島の素晴らしさとか、人の温かさとか、自然の豊かさをたくさんの人に届けることから始めたいなと思っています」
INFORMATION
束元さんの初めての本は、副題に「昆虫食ガール 狩猟女子 里山移住の成長記録」とあるように、北広島の芸北地区で猟友会や地域の方たちにいろいろなことを教えてもらいながら、過ごした日々と自然や生き物への感謝、そして命をいただくことへの葛藤を綴った青春ドキュメントです。ぜひ読んでください。
「ミチコーポレーション・ぞうさん出版事業部」から絶賛発売中です。詳しくは出版社のサイトをご覧ください。
◎ミチコーポレーション・ぞうさん出版事業部HP:https://zousanbooks.com