2023/3/12 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、バックパッカーそして紀行家の「シェルパ斉藤」さんです。
斉藤さんは、アウトドア雑誌「BE-PAL」でお馴染みの人気ライターであり、人力移動の旅の本を数多く出版されている作家でもいらっしゃいます。
この番組とは30年来のお付き合いで、事あるごとにご出演いただいています。そして、きょうの放送が1600回目ということで、何かのご縁を感じます。
そんな斉藤さんが先頃『あのとき僕は〜シェルパ斉藤の青春記』という本を出されました。今回は「旅と音楽、そして原点」というテーマのもと、斉藤さんの甘酸っぱくも切ない青春時代の思い出に迫ります。
☆写真協力:シェルパ斉藤
原点は山村の通学路
●今週のゲストはバックパッカー、そして紀行家のシェルパ斉藤さんです。以前はオンラインでのご出演でしたので、やっとリアルにお会いできました。よろしくお願いします!
「よろしくお願いします! こんな顔をしています。やっぱり嬉しいですね、会えると・・・」
●そうですね〜、嬉しいです! 今回は先頃出された本『あのとき僕は〜シェルパ斉藤の青春記』をもとにいろいろお話をおうかがいしていきますが、番組のほうで勝手にテーマを決めさせていただきました。
そのテーマとは「旅と音楽、そして原点」ということで、旅は広く解釈して人生という意味もありますし、斉藤さんの場合は節目節目で、音楽もすごく重要な要素になっていますよね。
「なんか結果的ね。なんとなく音楽があると、あの時はああだったなっていうのをたまに思い出しますね。たまたまラジオで(懐かしい曲が)かかると、ああっそうだったっていう・・・そういうのを(本の)ところどころに書いていますからね」
●そうですね。
そして原点は、そのものずばり斉藤さんを物語るいろいろな原点に迫っていきたいと思っております。まずは斉藤さんの原点、生まれ故郷についてなんですけれども、故郷は長野県松本市ですよね?
「松本と言っても、生まれたところはすごく山奥なんですよ。名前はあえてこの本にも書いていないんですけど、今は合併して松本市になっているんです。
すごく山奥の村で、中学になる時に松本市内に引っ越すんですが、その時やっぱり初めは、ああ清々したみたいな感じにちょっと思ったりとかして(笑)・・・松本で暮らしているとだんだん・・・今はすごくいい町だなと当然思っていますしね。それは自分が山に登ったり、旅する中でよく出来た文化もあるし、いい町だなと思うんですけど、盆地なんですよ、松本って。
要するに周りを全部、北アルプスとかに囲まれていて、それもなんかだんだん、ここで終わりたくないっていう・・・こんなとこって言ったらひどいけど(笑)、当時はまだ高校生で、ここで終わったら本当に井の中の蛙みたいな感じで、やっぱりちゃんと広い大海を知らなければと・・・ですから、東京志向がすごく強かったですね」
●そうだったんですね〜。
「でも思えば、そこから東京に出てきて、日本は狭いなって思って、結局そこからまた世界に飛び出しちゃったわけだから、そう考えると原点って意味では、山村の狭いところに生まれ育ったから、今こうやって、いろんなところに行くようになったっていうのはあるかもしれないですね」
●本にも、山村の通学路が僕の原点とも書かれていましたけれども・・・。
「歩く旅はそうかもしれないですね」
●歩くノウハウを自然に得ていたという記述もありましたね。
「まあでも子供って誰でも歩けばそうなるでしょっていう・・・(笑)。今バックパッカーとしていろんな所を旅して、たまにトークショーとか講座とかやってほしいと言われて、山の歩き方を教えてほしいって真面目な方から聞かれても、普通のちゃんと歩ける方だったら、山も歩けるでしょ、としか言いようがないですよね。
要するにそれは子供の頃に通っていた通学路が、今のように集団登校とかも何もなくて、安全な道は一応あったんですけど、子供たちは出来るだけ近道にしたいっていうことで、本当に山道があったんです。そこを一気に行けば、早く学校に着くし、やっぱり楽しかったんですよね。みんなバラバラ歩いて・・・そうしたら歩き方なんて絶対身につくし・・・で、冬になると当然凍っちゃうし 、雪になっちゃうし、そういうところの歩き方が本当に原点になるのかな・・・そんなのが(笑)」
愛聴盤は、吉田拓郎 『元気です。』
●山村で暮らしていた小学生時代に、初めて買ったレコードが吉田拓郎の『元気です。』と本に書いてありましたね。
「ちょうど拓郎さんが出始めた頃で、デビューしてだんだん『結婚しようよ』って曲が大ヒットして、やっぱり憧れはありますね、多分」
●でも小学生で、吉田拓郎のレコードって結構ませていませんか? 大人びてるイメージがあります。
「それはね、うちの兄貴のせいです! ふたつ上の兄貴がいるんですけど、兄貴がやっぱり拓郎とか好きで、当時ね。田舎の山の中ですけど、東京のラジオ局も夜になると(電波が)入るんですよ。で、当時、吉田拓郎はずっと深夜のラジオ番組をやっていて、それをうちの兄貴は夢中になって聴いていたんですよ。
それでお小遣いとかお年玉とか貯まってきて、自分もレコードが欲しいなって思った時に、兄貴が”松本に行くから、政喜(まさき:斉藤さんの本名)、お前にもレコードを買ってやるぞ。俺が買ってきてあげるから、拓郎にしろ”って言われて(笑)。向こうがこれにしろ、みたいな感じではありましたけど、ただ憧れありましたよね、拓郎かっこいいなって・・・。
かっこいいなっていうのは、テレビに出ないっていうのがね。テレビに出なくてラジオだけでっていうのがかっこいいって思ったんですよね。それで最初に買ったのが、というか買ってきてもらったんですけどね・・・一応、僕のお小遣いで買ったのが小学5年生の時の、吉田拓郎の『元気です。』っていうアルバムです」
●特に好きな曲とか、よく聴いていた曲はありますか?
「好きもあるんですけど、よく聴いていたのは絶対に1曲目ですね。CDじゃないからレコードですからね。普通、アルバムのレコードをかけると言ったら、まず1曲目の同じところに針を落とす・・・(笑)、だからアルバム1曲目がいちばん聴いていたはずですね。
要するに途中に針を落とすってなかなか難しいから、だから最初にかけるのはもう1曲目の『春だったね』って曲がいちばん印象に残っていますね。中学くらいまでいちばん聴いた曲は何かって言われたら、『春だったね』だと思いますね」
初めての野宿は、彼女とのデートだった!?
●原点で言うと、キャンプの原点は高校3年生の時の野宿だったことが新しい本『あのとき僕は〜シェルパ斉藤の青春記』で判明しました。地元の川のほとりで野宿されたようですけれども、これはどうして、そうなったのか説明していただけますか?
「なんか取調室みたいな感じになっていますけど・・・(笑)、好きな子がいたんですよ」
●はい、ナツコさんっていう方ですよね。
「仮にナツコですよ(笑)、ナツコって本には出てきますけど。好きな子がいて、高3になった時に初めて告白したんですね。その子は、実は中学から一緒だったんですよ。なので今さらそんなこと、みたいな雰囲気になったんですけど、友達からみたいな感じで、はっきりしないまま、会って放課後、一緒に帰るようになったりしたんですね。
当時の共通一次試験、今はセンター試験と名前は変わりましたけど、僕は共通一次の1期生なんですよ。僕が高3の時にその制度になって、それまでずーっと高校の文化祭は秋に開かれていたのが、夏休みってすごく重要だから、進学のために受験勉強をしなきゃいけないから、(文化祭の開催が)7月に前倒ししたんです。7月に文化祭をやると・・・。
で、僕は生徒会に絡んでいて、文化祭を盛り上げるためにいろいろやろうってなって、文化祭のテーマが「破天荒」だったんです。今までやったことがないことをやるとかっていうので、一生懸命、燃えていたもんですから、自分も何かやろうと考えて思いついたのが、河原で野宿する、で、朝を迎える・・・。
で、なぜその河原を選んだかって言うと、仮のナツコっていう女性の家の近くに川が流れていたんですよ。で、夜にデートしたいと思って、河原で(笑)、それで当時は携帯電話も何もないから、文化祭中に彼女に今夜、女鳥羽川(めとばがわ)、松本に行くといちばんの繁華街を流れている川です。
松本城とか近くにあったりする、本当に繁華街を流れている、ちっちゃな川で、そこにベンチがあったりするんです。僕はそのベンチに朝までいるから、夜会おうって約束をして、それで一応野宿するとか言いつつ、ずっとベンチでいたんですよね」
●ずっとナツコさんを待っていたわけですね。
「携帯電話とかないから本人からも連絡が来なくて・・・で、(夜中の)12時をまわっても来なかったから・・・」
●ずっとベンチで待っていたんですね。
「まあ寝床ですからね(笑)。それで全然来ないからダメかなと思ったら、12時もまわって1時に近かったかな・・・息を切らせて彼女が来て・・・言うには両親が寝静まってからバレないようにこっそり(家を)出てきて・・・息切らしているのもやっぱり怖かったからって一生懸命駆けてくるんですよ・・・なんか自分で喋っていて小っ恥ずかしいね(笑)」
●いや〜キュンとしますね!
「で、ずっとふたりでベンチに座って流れる川を眺めつつ・・・本当にバンカラですから、松田聖子の『赤いスイートピー』じゃないけど、半年経っても手も握らないようなバンカラな子だったから僕はずっと・・・でもやっぱり愛おしくて・・・。
結局彼女は(午前)2時か3時くらいに帰っていって・・・(家まで)送ろうかって言ったけど、大丈夫、帰れるからって・・・。で、そのまま僕はベンチで朝を迎えるんですけど、もうドキドキだし、興奮しちゃって、寝れなくて寝れなくて・・・。気がついたら朝になっていて、結局一睡もしてない野宿・・・それがかれこれ、あちこち旅をしてテントを張ったり、多分1000回以上テントに泊まっているはずだし、野宿もしているはずですけど、第一回っていうのはそれですね」
(編集部中:実はナツコさんとの微妙な関係は大人になっても続いていたそうなんですが、その恋模様についてはぜひ本を読んで確かめてください。益々、胸がキュンとしますよ)
人生の転機となった一通の手紙
※斉藤さんがアウトドア雑誌「BE-PAL」のライターになるきっかけは実は、編集部に宛てた一通の手紙にあったんです。
詳しくは本に載っているので、ここではかいつまみますが、大学生の時に、ひょうなことからゴムボートで中国の大河「揚子江(ようすこう)」を旅することになった斉藤さんは、愛読していた「BE-PAL」に記事を書かせてほしいと、思いの丈を綴った手紙を出したんです。するとなんと! 当時の編集長から数日後、直筆の手紙が、それも速達で届き、直接会って話がしたいと書かれていたそうです。
斉藤さんの手紙には、プロの編集者を魅了する力があったということなんですね。それがきっかけとなり、斉藤さんは編集部に出入りするようになったんですが・・・。
●「BE-PAL」で最初に書いた連載の記事はどんな記事だったんですか? 揚子江の記事は書いたんですか?
「揚子江(の記事)は普通に(本名の)斉藤政喜という名前で書かせてもらって、食べるためってのもあるんですけど、要するに『BE-PAL』の記事を作りたかったんですね。ライターとして今回はこんな特集をやるからっていうので・・・だけど、やったことがないし、しかも文章の勉強なんかまったくしてないし、だから最初はアシスタントですよね。いろいろなものを集めたりとか、ファッションの撮影があったらついて行って、カメラマンが(カメラを)構える横で、レフ板を一生懸命(被写体に)あてたりとかいろいろしながら・・・。
で、わかったんですけど、要は給料はもらえないんだってことに気づいて・・・なってから気づくお前もお前だって言われたんですけど、やった結果でしかギャラって払われないんですよ。フリーってみんなそうですけど・・・だからページを何ページやったらページあたりいくらってギャラが払われるから、自分で仕事を取らなければ、何も収入がないという状況でして、ある意味、本当に平等なんですよね。
そこには学歴も関係ないし、年齢も関係ないし、みんな一律なんですよ。(仕事を)やったらやった分だけ、そのギャラが出ると・・・それで仕事をだんだん覚えてきて・・・今思えば本当に恵まれていたのは、編集長自らが、お前この世界に来いって言ったもんだから、とにかく毎日来いって言われたんですよ。
編集部にも毎日行くと一緒に食事とかご馳走になって、夜は酒を飲みながら食事して・・・で、その時にいろんな話を聞いたりとか、それが刺激になるし、そういうことしているうちに、だんだんと文章も少しずつ書けるようになって・・・だから最初はライターをやっていましたね、ずっと。
だけどある時にやっぱりフリーのライター・・・まあなんでもかんでもフリーランスはそうですけど、仕事が来ると嬉しいから、いろいろ引き受けちゃうと結局休みもないし、俺、旅に行きたくって、自由になれると思って、フリーになったのにぜんぜんフリーな状態じゃないじゃんって思ったんですよね。
それで一回仕事を引き受けないで、生意気なんですけど(笑)、海外に行ったんですよ。当時マウンテンバイクが流行り始めたから、それでとことん(旅をしようかと)パキスタンと中国の国境にクンジュラブ峠って峠があって、それが(標高)4〜5000メートルなんですけど、そこまで行こうと思って行ったんですね。
ずっと旅をして何ヶ月も旅をして、旅の最後はどうしようかなって考えた時に、道の終わりまで行ってみたい、道の終わりってどこよっていったら、この先はもう行けないよっていうのを考えた場合に世界最高峰のエベレスト、そこにベースキャンプがあるんですね。(標高が)5500メートルくらいですけどね。その先はもう登山の領域だし、当然登山料とか必要になってくるけど、そこまではトレッキングの領域なんですよ。じゃあそこまで自転車で行こうと思って、自転車をずっと押していったりとかしていたんですよね。
そういった旅を終えて帰ってきたら、ちょうど『BE-PAL』が100号記念かなんかで、東京から大阪まで東海自然歩道っていう道があるから、そこを歩かないか? 歩いて連載しないか? って言われたんですよ。
それで、斉藤政喜って名前じゃつまんないから、お前はネパール帰りだし、シェルパ族のシェルパでいいだろう、”シェルパ斉藤”にしろって言われたんですよね。シェルパって、クーンブ地方って言うんですけど、あの辺に住んでいる山岳民族で高地に強いから登山のガイド的な代名詞になっていますよね。考えたら読者を歩く旅に導くって意味ではシェルパでもいいかなと思って、それを受け入れて、かれこれデビューして33年から34年になるのか・・・ずっと(『BE-PAL』)で書いていますけどね」
●シェルパ斉藤としての原点はそこだったわけですね〜。
「そこですね」
これからが僕の本番!?
※現在も野営の道具を持って歩く旅を続けている斉藤さんは今、旅に対してこんな思いを持っています。
「旅はまだまだこれからだなと、僕は実は思っていて・・・」
●まだまだこれから!?
「まだまだこれからっていうか、実は2年前にコロナの影響もあったんですけど、その時に僕60歳、還暦を迎えたんですよね。その時にふと思ったのは、今まで40年間くらい旅をずっとしてきたんだけど、これってこれから旅をするための養成期間だったんだなと思ったんですよ。いろんな旅をしてきたけど、60歳を過ぎて、旅をするための養成学校だったんだって思えると、これからが僕の本番だぞって思えたんですよ。
本当に長い40年もかかる学校をようやく卒業したんだ! いろんなことをやってきたけど、あれはみんな学ぶためにやってきたんだ! だからこれからはそれを実践していく場なんだって思ったら、なんかすごく未来が開けた気がして、あっ!これからが本番じゃないかって」
●その本番はどんな展開になりそうですか?
「今までいろいろやってきたことの繰り返しも当然あるでしょうし、それからこの年になるとまた発想が変わってくるので、正直言ってしまうと当然、体力も落ちているからだけど、それはよりゆっくりといろいろなものを見るために、お前の体力を落としているんだぞって考えたら、いろんなものが見えてくるんじゃないかなと思いますしね。だから来年どんなことに興味を持つかわからないけど、興味を持つものをやってこうかと・・・」
●この本を読んで、本当に人生には無限の可能性があるっていうのをすごく感じることができました。
「あっ! それは僕もちょっとそういうのは頭に置いて書きました。 この本を読んでいる同世代の方も、当然読めば、あ〜懐かしいねって思いもあるんだけど・・・僕、実は18歳の時に家業が潰れちゃって、自立して自活して、もう自分で生きていくしかないっていう道で、ある意味道を切り開いてきて、自分でお金を稼いで大学に行ったりとかしたんですけど、ただ何をすべきかずっと見えなくて・・・さっき話したけど、たまたま一通の手紙によって切り開けたんですよね。
それは若者にやっぱり伝えたいな、何があるかわかんないから、本当に可能性っていくらでもあるんだよ! ってことを、勇気を与えたいな、偉そうに言うと・・・。だから、今の歳になって昔の話を書けたので、それは若者に対するメッセージとして受け取ってもらえればなと思っていますけどね」
●では最後に音楽好きの斉藤さんが、あの時の僕に捧げる曲を1曲あげるとしたら、どんな曲でしょうか?
「昔聴いていたんですけど、20歳の時に結構音楽を聴いていて、東京に出てきて、よくレコードを買っていたんですよ。レコードも輸入盤のレコードばっかりをずっと買っていたんですけど、やっぱり自分を鼓舞する曲(を聴いていましたね)。
もうほんとうに辛いし、ひとり暮らしだし、仕送りもないしって時に、自分を鼓舞する曲をよく聴いていて、特に印象に残っているのが、ボブ・シーガー・アンド・ザ・シルヴァーバレッドバンドの『アゲインスト・ザ・ウインド』っていう曲があって・・・その曲がすごく好きで・・・。
その『アゲインスト・ザ・ウインド』の後半のところに、『アイム・オールド・ナウ・バット・スティル・ランニング・アゲインスト・ザ・ウインド』「俺はもう若くないけど、それでも俺は風に向かって走っているんだ」っていう歌詞があって、当時もそれ聴いていて、わっ! と思ったんだけど、今この歳になって聴くと、本当にそれをもう一回言いたくなるな。
だからあの時の僕に言いたいとしたら、本当にもう今「アイム・オールド・ナウ・バット・スティル・ランニング」、正しく言うなら「バット・スティル・ウォーキング」ですかね。「ウォーキング・アゲインスト・ザ・ウインド」、風に向かって僕はずっとまだ歩いているぞ! っていうのはやっぱり言いたいですね!」
INFORMATION
この本には、斉藤さんの少年時代からフリーのライターになるまでの出来事が綴られています。見開き2ページでひとつの話題が完結しますし、なにより斉藤さんの文章は親しみやすので、すいすい読めますよ。ドラマチックな青春映画のような本、ぜひ読んでください。しなのき書房から絶賛発売中です。詳しくは出版社のオフィシャルサイトをご覧ください。
◎しなのき書房HP:http://shinanoki.net/?pid=172662166
斉藤さんのオフィシャルサイトもぜひ見てください。
◎シェルパ斉藤さんオフィシャルサイト:https://team-sherpa.wixsite.com/sherpa