2023/4/30 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、南極地域観測隊の元調理隊員「渡貫淳子(わたぬき・じゅんこ)」さんです。
渡貫さんは第57次・観測隊の調理隊員として、2015年12月から2017年2月まで
およそ1年3ヶ月にわたって、南極の昭和基地に滞在、隊員30名の食事を毎日作るミッションを担っていらっしゃいました。
そんな南極での活動をまとめた『南極の食卓〜女性料理人が極限の地で見つけた暮らしの知恵』という本を出されたということで、番組にお迎えすることになりました。
きょうは、隊員たちの胃袋を満たす毎日の献立や、私たちの生活に通じる、ゴミを出さない調理の知恵などうかがいます。
☆写真協力:渡貫淳子
毎日30人分の食事を朝・昼・晩!
※渡貫さんは青森県八戸市(はちのへし)生まれ。料理の専門学校を卒業後、その学校に就職。結婚・出産のため、退職するも、家事や子育てをこなしながら、飲食業界で調理の仕事を続けていたそうです。
そして30代後半に、南極に行ってみたいという夢を抱き、3度目のチャレンジでついに合格!ちなみに渡貫さんは、昭和基地史上ふたりめ、民間人としては初めての女性調理隊員だったそうですよ。
正式に隊員になった渡貫さんの、最初の大きな仕事は、南極に持って行く食材の発注、仕入れ、そして船への積み込み。その量たるや、隊員ひとり1年間で1トン、それが30人分ですから、トータル30トン以上にもなるんです。
調理隊員はふたり、ということで、相方さんと一緒に入念に準備、電卓をたたいて計算し、発注したあとも、これで足りるかな〜という不安が常にあったそうですよ。
日本での準備が整った渡貫さんたち南極地域観測隊の隊員は、まず、飛行機でオーストラリアに入り、先に日本を発った「南極観測船しらせ」と合流し、いざ、南極へ。そして、およそ3週間の航海を経て、昭和基地に到着したそうです。
●これは何度も聞かれていることだと思うんですけど、南極にやっと着いた時、どんな気持ちでしたか?
「それがですね、意外とあっけないというか、一面の銀世界じゃないんですよ。南極に着く時はちょうど夏の時期にあたるので、意外と雪がなくて、岩が露出してゴロゴロしていて、茶色! って感じです」
●へ〜〜、想像とちょっと違うという感じだったんですか?
「はい、なんか岩山に来たぞ! みたいなそんな感じなので、イメージとしては何もない真っ白い世界と思っていたのがちょっと違うんです(笑)」
●いざ南極での生活が始まって、越冬隊員30人分の食事を調理担当のおふたりで作るわけですよね?
「そうですね。私たちが作るものしか逆に食べ物がないので・・・日本だったらちょっと缶コーヒーを買いにとか、コンビニに行ったりとかできると思うんですけど、もちろんそれはないので、とにかく食べるものを用意してあげないと、みなさん食べられない・・・ですから、常に作っているそんな日常ですね」
●私も去年結婚して、きょうの夜は何を作ろうって日々思っているんですけど、渡貫さんの場合はそれが朝・昼・晩ですし、しかも30人分ですよね。どうやってこなしていたんですか?
「それがですね・・・私の感覚からすると、そんなに大変じゃないと言ったら怒られそうですけど・・・例えば、おうちでご家族の食事を作っていらっしゃる方も同じだと思うんですよね。家族のために1日3食であったりお弁当であったり、あとおやつを作ったり、みなさんされていることだと思うんです。
それが人数が少ないか、30人かっていうだけで、私としては普段から飲食業界で、すごく多い人数の食事を作っていたので、全然抵抗なくこなすことができたかと・・・。
あとは主婦で毎日作り続けることには慣れていたので、ある意味、そこは主婦のスキルが活かせたんじゃないかなって思います」
●とはいえ、南極に持って来た食料の中からやりくりするっていうことですよね?
「まぁそれしかないので・・・(笑)。でも意外と諦めがつくというか、欲しいものがあっても届ける術もないですし、なのであるもので・・・ですから冷蔵庫の中を見てどうしようかなっていうそういう毎日ですかね」
●まず何から使っていくとか、そういったセオリーはあったんですか?
「実はセオリーはないんです。そもそも30〜40トンの食料を一気に運んでしまうと、とにかく段ボールの山なんですよ(笑)。なので正直どこに何があるかを探すのが大変。
ですから最初のうちは手前にある段ボールを開けて、そこにある食材からとにかく作っていく。時間の経過とともにだいたい冷蔵庫の中身が把握できてくるので、そこからこの材料はちょっと多いから、ここから消費していこうかなみたいな感じで、本当に冷蔵庫の中と相談しながら献立を考えていくという形なので、メニューは考えていかないんですよ」
人気の献立は普通の定食!?
※朝・昼・晩の定番メニューみたいなものはあったんですか?
「基本的には朝ご飯は、食べる人、食べない人がいらっしゃるので、ビュッフェスタイルで、ご飯食もあり、パン食もあり、ビジネスホテルの朝食みたいな感じですね。
お昼はやはりみなさん、仕事と仕事の合間に取る食事になるので、さっと食べてまたすぐ仕事に戻れる、もしくは少しでも休憩が取れるように、麺類とかどんぶりだったり、そういったものが多かったかなと・・・。夜は定食のようなご飯とお味噌汁に、メインと小鉢があってみたいな大体それが日常の食事ですね」
●なるほど。渡貫さんの得意料理はなんですか?
「なんですかね・・・実は私もともと和食が専門だったこともあって、そんなにカレーライスを作るほうではなかったんですけれども、 南極だと1週間に1回カレーライスなんですね。カレーライスの時にはやはりみなさんご飯の消費量もすごく多いので、逆に南極に行ってカレーを作るのが得意になったかなとは思います(笑)」
●そうなんですね(笑)。
「あと意外だったのは、やっぱり時々お誕生日とか、何か行事食っていうことで、パーティーのようなお料理を作ることもあるんですけれども、それ以上にきょうのご飯は良かった! とか、美味しかった! って言ってくださるのは、普通の焼き魚定食みたいなものだったり、本当に飾らない日常の食事のほうが反応はよかったなと思います」
リメイク料理「悪魔のおにぎり」!
※渡貫さんが先頃出された本に生ゴミを出さないための知恵として「リメイク料理」が載っていました。どんな料理なのか、教えてください。
「そもそもゴミを(南極から)日本に持って帰らなければいけないんです。 もちろん、生ごみを生ごみとして持って帰るわけではなくて、最終的にきちんと処理をした状態で、灰にして持って帰ってくるんですけれども、やはり持って帰る以上、ゴミの量を極力減らさなければいけない。そうすると日常で出てくる食事の残り物を減らさなきゃいけない。
じゃあどうしようかなと思った時に、その日に出した料理をちょっと形を変えて別のものにしてあげて、次の料理につなげていく。そういったことが環境に負荷をかけないためにも必要だったっていう、そんなこともあって生まれた料理かなと思います。
日本だったらシンクに流せる液体も、なかなか南極ではそのまま処分できないので、たとえば缶詰でしたら、缶詰の固形のところは料理に使う、液体のところはまた別の料理にしてあげるという形で、極力全部、余さず残さず作るような工夫が南極では必要でした」
●そのリメイク料理で有名になったのが「悪魔のおにぎり」ですよね。日本に帰ってこられて、某コンビニチェーンで商品化されましたけれども、考えたのは渡貫さんだったんですよね?
「考えたと言ってもね・・・材料は天かすと天丼のタレのようなものと、青さのりだけなので、そんなにたいそうなおにぎりではないんですが(笑)、私が夜食用に作っていたおにぎりがもとになりました」
●本に載っていたレシピをメモらせていただきました(笑)。改めてどんなおにぎりか教えていただけますか?
「私はいつも厨房で、残った材料を使って、夜食のおにぎりを作っていたんですね。実はいろんな種類のおにぎりがあったんですが、唯一そのおにぎりだけ名前がつきました。
お昼ご飯に天ぷらうどんを作った日だったんですけれども、その日は余った材料が天かすしかなかったんですよ。どうしようかな〜と思って、とりあえず白いご飯はあるので、そのご飯に天丼のタレのような、ちょっと甘じょっぱいタレで味をつけて、天むすのエビが入ってない感じっていうんですかね・・・そんなのを作ろうと思って天かすを入れて混ぜたんです。
なんかちょっと物足りないんだよなと思って、厨房に余っていた青さのりを入れたんですけど、青さのりのおかげで、すごく香りがよくなって、なんでしょう・・・天かすが入っていて油っぽいのに食べやすい、食べ進むっていうことで、みなさん結構好んで食べてくださったんです。
ただ問題は、このおにぎりを私が出す時間が22時とか23時なんですよ。夜の時間帯に食べるには、ちょっとこれ、夜に食べちゃいけないよね(笑)。ですけど、みなさん美味しさはわかっているので、どうしても負けてしまう、葛藤しながらも結局負けて食べてしまうので、悪魔的なおにぎりだということで、食べていた人が名前をつけてくださいました」
●それほど、食が進むってことですよね(笑)。
「ちょっと夜中には危険なおにぎりだったと思います」
(編集部注:渡貫さんの仕事は、朝昼晩の食事を作る以外に、日帰りで作業に出かける隊員のためにお弁当作りもありました。冷たくなると美味しくないので保温機能の付いたお弁当箱を持たせたそうですよ。
忙しい日々を送っていた渡貫さんが、南極でいちばんの癒しスペースと表現している場所が昭和基地の中にあるんです。その場所とは「グリーンルーム」! 野菜を育てるための小さな部屋で、南極で緑が見られるのは、ここだけだそうです。
実は南極には環境を守るための保護条約があって、土や植物のタネは持ち込めません。そのため、事前に環境省に申請し、許可されたタネを持っていき、水耕栽培で、トマトやキュウリ、モヤシや水菜などを育てたそうです。
隊員たちにとって、新鮮な生野菜はいちばんのご馳走で、食卓に並ぶと、みんなテンションがあがっていたとおっしゃっていましたよ。
渡貫さんの本『南極の食卓 女性料理人が極限の地で見つけた暮らしの知恵』には、グリーンルームや収穫した野菜の写真なども載っていますので、ぜひ見てください)
便利なこと=幸せなのか
※およそ1年3ヶ月にも及ぶ南極・昭和基地での活動を終えて、帰国されてから、なかなか普段の生活になじめなかったそうですね。
「見事に社会不適合になって帰ってきました」
●それはどんなことに違和感がありました?
「まず、いろんなものが溢れているんですよね。物もそうですし、食べ物もそうですし、あと情報も・・・交差点に立った時に、いろんな音が耳の中にうわーっと入ってきて、頭が整理できなくなって、(南極に行く)前は普通にできていた日常生活がこんなにストレスを感じるのかっていうのが実感でした」
●そうなんですね。当たり前すぎて、特に気にしたことはなかったです。
「それが普通の生活だと思っていたんですが、逆にいろんなものに制約があって、必要最低限のものだけで生活をしていた・・・そこから何不自由ない便利な生活に戻ったら、逆に便利なこと=幸せとはちょっと違うのかなって、私は思うようになってしまいました」
●一方で南極滞在中に身についた習慣で、今もやっているよっていうようなことはありますか?
「やっぱりゴミに対する躊躇する感覚は今も抜けないので、いかに自分の日常生活でゴミを減らせるか・・・あとは危険予知と言って、やはり何が起こるかわからない生活だったので、ひとつのことを行なうにしてもいくつかの方法を準備するんですね。
日本に帰ってきても、たとえば電車が遅延した時にどの手段で目的地まで行くかっていうルートをいくつか用意したり、携帯電話の電源が切れてしまったら、できなくなることがいっぱいあるじゃないですか。なのでメモを取ったりですとか、ちょっとアナログな部分でも同時並行で必ずバックアップ体勢を作るように、これはもう無意識に身についた術なのかなと思います」
●南極での生活は、私たちの今の日常とつながっているんですね。
「多分みなさん、きっと別世界だと思っていらっしゃると思うんです」
●思っていました。
「実はすごく近いというか、逆に災害時の備えにつながったりとか、すごく日常生活に活かせることが多かったと思います」
●食品ロスについてもそうですよね。いろんな知恵がいっぱいありますよね。
「そうですね。みなさん食品ロス削減って言われると、すごく難しいテーマに捉えられがちなんですが、実は本当に日常のちょっとした工夫で減らせることって、いくらでもあるんじゃないかなとは思います 」
南極での経験を活かして
※では最後に、南極生活から得た経験を今後、どう活かしていきたいか、教えてください。
「それだけのチャンスをいただいて、日本では得られない、ありがたい経験をさせていただいたなっていうのがまずひとつと、これをせっかくなので、日本の生活でも(活かして)、そのままもとに戻るのはもったいないなと思います。自分ひとりができることってたかが知れている小さなことだと思うんですけど、その小さな積み重ねがいつか大きな変化につながれば、そんな思いでこれからもいろんな活動ができたらなと思います」
(編集部注:渡貫さんは、屋外でペンギンを観察したり、魚を釣ったりという活動もされていたそうです。渡貫さん曰く「ドアの向こうは、むき出しの自然」だったそうですよ。
ちなみに渡貫さんたちの観測隊が、巨大な魚を釣りあげ、それがニュースになったことがあったそうです。その魚の名前は「ライギョダマシ」、全長はなんと157センチ! 観測隊史上最大の獲物だったということで、日本に持ち帰り、現在は葛西臨海水族園に展示されているとのことです)
INFORMATION
南極での生活や奮闘ぶりを垣間見られるほか、南極大陸や昭和基地内の写真、そして献立の写真なども豊富に掲載。主婦でお子さんもいらっしゃる、ひとりの料理人の挑戦の記録とも言える一冊です。食品ロスを減らすヒントもありますよ。
家の光協会から絶賛発売中です。ぜひ読んでください。詳しくは出版社のサイトをご覧ください。この番組のホームページにリンクをはっておきます。
◎家の光協会HP:http://www.ienohikari.net
渡貫さんは食品ロスや防災に関する講演活動なども行なっていらっしゃいます。ぜひネットで検索してみてください。