2024/10/27 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、アウトドアズマン「清水国明」さんです。
清水さんは、1970年代から80年代にフォークデュオ「あのねのね」、そして芸能界で大活躍! 90年代からはアウトドア活動に夢中になり、その後、河口湖に「森と湖の楽園」、瀬戸内海の無人島「ありが島」に自然体験施設を開設。そして去年は茨城県にキャンプ場「くにあきの森」を整備するなど、実業家として、いろいろなプロジェクトを手がけていらっしゃいます。
今回は、先頃立ち上げたばかりの団体、災害時に助け、助け合う「日本セルフレスキュー協会」について、じっくりお話をうかがいます。
日本セルフレスキュー協会 JSRA
●今週のゲストはアウトドアズマン、清水国明さんです。毎年ご出演いただいて行なっています定点観測、今回で29回目となります! 長いお付き合い、ありがとうございます!
「よろしくお願いします。まあそんなに長いことね・・・どこにもないですよ! 私の関係でね、29年も・・・。実は29年間付き合っている人も少ないですよ。嫁さんも取り替えているしね」
●あははは(笑)。きょうもよろしくお願いいたします。
「はい、よろしくお願いいたします」
●前回は、結成50周年を迎えた伝説のフォークデュオ「あのねのね」のツアーですとか、茨城県常総市のふるさと大使に就任されて、常総市にキャンプ場「くにあきの森」を整備されたりだとか、あとは笑顔食堂プロジェクトのお話など、うかがいました。
今回のメインの話題は先頃、清水さんが創設されました、災害時には助け合いましょうという「日本セルフレスキュー協会」JSRAについてなんですけれども、この協会を作ったのは何かきっかけがあったんですか?
「阪神淡路大震災の時から今日まで、災害が起きると、のこのこ出かけて行って、あまり役に立たないかもしれないけれども、支援物資を運んだり、あとその町の賑わいを取り戻すまでのことに、ずっと関わってきたんですね。それの延長で、東京都知事選にも出て、そういうことをみなさんにアピールして・・・つまり、つながることが安全になると・・・。
いろいろ支援をやらしてもらったんだけども、何しに来たの? っていうか、余計なおせっかいみたいなこともあるのよ! ですから、いちばんいいのは友達から助けてとか、支援物資をちょうだいって言われた時に、よっしゃ! って言って出かける時があるんですけど、その時がいちばんモチベーションも高いんですね。で、やったかいもあるし、向こうも喜んでくれる・・・。
だからね、支援の仕方もすごく難しい・・・ですから、先ほど言った、知り合いを助けるという、知り合いからのSOSで動ける、動き始めるというか・・・。だから助けますけども、助けてももらうという、つながりを全国ネットで広げたいというのがいまの取り組みなんですよ。
この日本セルフレスキュー協会は、自分で自分の命を救うと同時に、自分たちで友達を助けるというような、そういう協会を立ち上げたわけです」
(編集部注:「日本セルフレスキュー協会」JSRA(https://www.jsra.life)には、理念に共感されたかたならば、どなたでも入会できるとのことです。月会費は税込1920円。会費は、災害時の出動経費、コンボやショベルカーなどの重機や支援物資の備蓄などに使われるそうです)
誰かの役に立ちたい
※清水さんは阪神淡路大震災から、直近の能登半島地震まで災害時の救援活動にこの30年来、取り組んでいらっしゃいます。その原動力になっているものは、なんでしょう?
「自分でも分からないんですけれども・・・この間の能登半島(地震)の時ね、1月1日、元旦じゃないですか・・・いろいろ東京でごちゃごちゃした仕事があって(終わって)、そのまま無人島に行ったんです。
瀬戸内海の『ありが島』って島を持っているんですけど、そこで船から釣り糸を垂れてゆっくり魚釣りしてたら、”地震があった! すごい被害だ!”ってニュースが携帯に入って、その瞬間に釣り道具をばたばたって片付けて・・・。31日に(ありが島に)着いて、正月に食べるための餅とか、てんこ盛りに持っていたのにひとつも食べないうちに、気が付いたら能登半島に向かっていて、30時間かかったけどね、車で行くのにね。
そういう意味では気が付いたら、やっていたみたいなところもあるんですけどね(笑)。まあ日頃ろくなことをしてないっていうのもあるんだけど、誰かの役立ちたいっていうか喜んでもらいたいっていう・・・。
基本的には褒められ育ちだから、人に褒めてもらってなんとかしている人生なんで、そういう意味では誰かが困っている時に、何かをできるということは、自分の根本なのかな。そういうふうに生きたいなと思っているんじゃないか・・・そんな大した人間じゃないけどね」
●いやいや・・・でもそういった30年の救援活動の知見とか経験が、この日本セルフレスキュー協会に活かされているってことですよね。
「確かにそうですね。いろんなことをやってきて、結局、民間と行政っていうか、公(おおやけ)が協力をしないと災害ってのは復興、復旧しないと・・・。この間の台湾の災害の時に、国とか地方自治体と民間のボランティアがものすごく上手くやっていた。
日本は特に石川の時なんか、行っている最中に、ボランティアは来ないでください、みたいな風潮になってきたもんだから、行っている俺らがなんか悪いことしてんのかよ、みたいな後ろめたさを感じるくらい・・・。
でも、行ったことによって多くの人に喜んでもらえたし、“お腹すいたよ〜”って言いながら支援物資の倉庫に、おばあちゃんと小っちゃい女の子が来たんだけど、“いや、これは渡せないんです。ここは倉庫だから、体育館で配りますから、それまで待ってください”って・・・けど、女の子はお腹がすいて、うえーんとか泣いているから、俺らボランティアが用意したお弁当を食べてもらったの、それで解決ですよ、それは。
そういうルールとか平等とかね、そういうのはやっぱり、公の人は仕方ないですよ、その人が悪いわけじゃなくて、ルールはルールだから・・・けど、民間だったら目の前の子が泣いていたら、できるじゃないですか。そのフレキシブルというか柔軟性が、やっぱり民間の力が必要になってくると思ったから、我々は民間で救うとこまで、救助から延命、そういうところまで関わるべきだなという・・・これは長いことやってきた結論ですけどね。それでそういう組織でとりあえず、つながりましょうということをいまやっています」
(編集部注:清水さんとしては、自分で自分の身を助ける「自助」、共に助け合う「共助」、国や地方自治体の「公助」に加え、友達同士で助け合う「友助」を担おうとされている、ということなんですね)
技術者の集まり「災害友助隊」
※先ほどからお話をうかがっていると、「つながり」というのが、ひとつのキーワードになっていますよね?
「だから、つながりがあるか、ないかだけが非常に命にも関わるし、安心にもつながることなので、ぜひ友達になってくださいと。で、いつでも助けに行きますよっていう人が全国におるわけですよ、助けに行きますよ! って言っている人が・・・。地震とか洪水とかでやられた時に“うわ~、やられちゃった”ってことを本部に言ったら、すぐに近くの人が駆けつけるわけです!
公的な体育館とかで避難していると、支援物資はいっぱい届くんですけど、自分のちょっと崩れた家とか納屋とか、ビニールハウスとかに避難している人も結構、災害の時は多いんですね。そこには支援物資って届かないわけですよ、公的なとこじゃないんでね。
そういうところに友達として、ビニールハウスにいまいるんや~っていうことになったら、よっしゃ!って・・・。そこにドコドコドコっていっぱい全国から届く、“なんであの人ばっかりあんなに支援物資が届くねん?”って近所で話題になるぐらい・・・“それは日本セルフレスキュー協会に入っているからですよ!”っていうような現象が起こると思いますね」
●心強いですね~。「災害友助隊」っていうのが相互救助チームですよね?
「そういうことですね」
●つながっている仲間たちと組んでいるチームっていうことですよね?
「はい。もしね、小尾さんが災害でひどい目に遭った時に、家が潰れたり流されたり、今夜どうしようっていうような時には、思い浮かぶでしょ、あの人とこの人に電話しようと・・・ガーっと駆けつけてくれる人は何人いますか? そういう人?」
●そうですよね・・・いざという時に・・・。
「いざという時に、親戚も遠くだったり高齢だったりしたら、助けに来てくれないけど、ピチピチしたやつ、そういう人助けが趣味みたいなやつが、ムキムキだとしたらね(笑)、それのほうが会員同士だから、仲間同士だから、気兼ねなくしてもらえるんじゃないかな~と思いましたね」
●しかも、災害友助隊には、いろんな職種のかたがいらっしゃいますよね?
「そうなんです! うちはね・・・いま私のメインの仕事はキャンプ場作りなんですけど、重機で木を伐採したり、道を作ったり、高いところにツリーハウスを作ったりとか、そういうことばっかりなんです。
そうすると設備屋さんもいるし、水道工事もできたりトイレも作れたり、そういう工作隊なんですけどね。それがほとんど家を作ったりビルを建てたりする時の、ひと通りの技術者が集まっているわけですよね。それプラスやる気ですよ。そんな人が集まっているチームなんで結構心強いですわね」
自分の生存力を高める
※清水さんが茨城県常総市に整備したキャンプ場「くにあきの森」で、災害友助隊のキャンプ・イベントを行なったんですよね? どんなイベントだったんですか?
「結局100回、防災訓練するよりも1回サバイバル・キャンプをしたほうが身につくと、私は日頃から言っていて、そんな本も出したりしているんですね。
火を起こしたり雨、風、寒さ、暑さから身を守ったり、それからそこで食べ物を調達して作るという、基本的に衣食住とかね。体温を上げても体温を下げても死んじゃうわけですから、保温という基本をキャンプで学んでもらったり・・・。
それからどんな状況でもたくましい生きる力、その生きる根性を失わない体験というのが、非常に重要だと思うんですね。これが自分で自分の命を救う、そして自分にとって大切な人の命を守るということにつながりますので、自分の生存力を高めていくっていうことが、安全な強靭な日本になる術だと思っていますよ」
●そのイベントで「国明式 災害生存術」という冊子を配布されたということですけれども、どんな内容なんでしょうか?
「これ、いま手元にあるんですけど、ペラペラのもんですが、結構いままでの災害の時に学んだことを自分のエピソードとしていっぱい書いているんです。“いまいずみひろみ”っていう漫画家がうちの工作隊の仲間におりまして、そいつが漫画を描いてくれたわけです」
●カラーの漫画で、すごく読みやすいですね~!
「4コマ漫画で、私の文章に漫画をつけたという前提でスタートしたんですが、いまやこの漫画に文章もついているという主客顛倒っていうのかな(笑)。けどね、それぐらい面白いように一生懸命(漫画を)描いて、僕も一生懸命、文章は書きましたけども、いまいずみも命かけてやってくれましたから、これは一家に一冊、生存するための術として、ぜひ備えていただきたいなという、そういうものでございます」
(編集部注:清水さん書き下ろしの冊子「国明式 災害生存術」は、「日本セルフレスキュー協会」に入会すると、いただけるそうです)
「体験家」としてチャレンジ!?
●清水さんは今月10月15日に74歳になられました! おめでとうございます~!
「わ~お! めでたいのかどうか、わかりませんけれども(笑)」
●いやいやいや~! 若々しくって、これまでにいろんなことに全力で挑戦されてきたイメージあるんですけれども、今後新たに挑戦してみたいことは何かありますか?
「挑戦だな、挑戦するんだろうな・・・俺はね、基本的に冒険家ではないんですよ。冒険しないで、チャレンジはしますけども、つまりね、体験したいだけなんですよ。だから冒険家ではなくて、今後は“体験家”という、そういう名前でいこうかな〜(笑)。
誰かに評価してもらいたいわけじゃなくてね。たとえば芸能界の界でしょ、それからレース界とかアウトドア界とか、ビジネス界もやっているんですよ。この前は政界までやりました。そしたらその界を渡り歩くごとにいろんな物差しがあって、いろんな発見があって・・・新たに体験したいことがあったら、またやろうかなと思っています。やりたいことは、これ、突然現れるからね!」
INFORMATION
「日本セルフレスキュー協会」以外の近況としては、瀬戸内の山口県・周防大島町に準備していた5Gを導入したワーケーション施設の運用が試験的にスタート。町とタッグを組んで、島全体をデジタルアイランドにする構想もあるとか。
また、まだ決まっているわけではありませんが、日本全国にキャンプ場を作る事業に参入するかもしれないとのこと。さらに歌とおしゃべりのライヴツアーも計画中。清水さんのチャレンジは、まだまだ続きそうです。
次回の定点観測も楽しみですが、その前に「日本セルフレスキュー協会」JSRAにご注目いただければと思います。入会方法など、詳しくはオフィシャルサイトをご覧ください。
◎「日本セルフレスキュー協会」JSRA :https://www.jsra.life
清水さんのFacebookもぜひ見てくださいね。
◎https://www.facebook.com/kuniaki.shimizu2/?locale=ja_JP