2025/4/20 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、観測専門エンジニアの「松下隼士(まつした・じゅんじ)」さんです。
北極圏ノルウェー領のスバールバル諸島、その島のひとつ、スピッツベルゲン島に
「ニーオルスン」という国際的な観測拠点があり、日本の国立極地研究所が1991年に開設した観測施設もあります。
そんなニーオルスンに技術者として長く滞在していた数少ない日本人のひとり、松下さんは石川県金沢市生まれ。大学卒業後、海洋地球研究船の技術者として、世界各地の海を観測。その後、南極地域観測隊の夏隊と越冬隊に参加。そして国立極地研究所の技術者として、2019年からニーオルスンに滞在し、研究観測に従事。
現在は富山を拠点に活動。そして先頃、ニーオルスンでの日々の出来事を綴ったエッセイ集『オーロラの下、北極で働く』という本を出されています。
きょうは、松下さんに極地らしいカルチャーや、日本ではあり得ないローカルルールのお話などうかがいます。
☆撮影:松下隼士、提供:国立極地研究所

ニーオルスンの基礎情報
※まずお聞きしたいのが、今回初めてニーオルスンという場所を知ったんですけど、日本からどうやって行くのか、そしてどんなところなのか教えてください。
「ニーオルスンは、やはり日本ではあまり知られていない場所で、どこにあるのか想像がつかないかたも多いと思います。
行き方は、まず日本からは国際便でノルウェーの首都オスロへ行って、その後、北極圏のスバールバル諸島へ行く直行便か、トロムソン経由便があるんですけど、そういった飛行機で行くことができます。
オスロからですと、だいたい3時間ほどでスバールバル諸島のロングイヤービン空港に着きます。そこからまた乗り継ぎをして、小さなプロペラ機でニーオルスンに向かいます。なので、ちょっと特殊なのは、全行程を飛行機で北極まで行ける珍しい場所かも知れませんね」

●なるほど。ニーオルスンは町と言えるんでしょうか?
「そうですね・・・町とは言えないかも知れません。集落というのがおそらくベストな表現方法でして、人数の上限があるんですね。ただ、定住している集落としては世界最北の集落と言われています」
●人数の上限っていうのは、だいたい何人くらいなんですか?
「宿泊施設が結構あるんですけれども、100数十人ぐらいは宿泊できると思います」
●国際的な観測拠点なので、観光客は来ないですよね?
「実は、国際的な観測拠点として(ニーオルスンは)あるんですけれども、夏に限っては観光船がニーオルスンまで来まして、かなりの数のかたがいらっしゃいます。ただ、宿泊はできるわけではなくて、立ち寄ったあとに別の目的地に行くので、本当にただ立ち寄るだけっていうような形ですね」
●へぇ~じゃあ、一応私も行くことはできるんですか?
「そうですね。夏に限っては行くことができます」
●なるほど。世界何カ国ぐらいの観測施設があるんですか?
「施設は日本を含めて11カ国あります。スバールバル諸島がノルウェー領ということもありまして、やはりヨーロッパ圏が多いですね。アジア圏ですと日本、中国、韓国、インドもこちらに観測施設を持っています」
●様々な国から集まっているということですが、なぜニーオルスンに観測施設が集中しているのでしょうか?
「最初はノルウェーの極地研究所が、国際的に観測できる場所をニーオルスンに作ろうということを決めまして、それに日本を含め、様々な国がどんどん参入していったというのが観測拠点の始まりになるんですね。なおかつ、そういった研究施設があったりインフラが整っているので、やはり北極研究をしたい人たちがどんどん集まって来て、飛行機で簡単に行ける北極圏となると、やっぱりどんどん人が集まってきた経緯があると思います」

(編集部注:北極というと極寒の地というイメージがありますよね。どれくらい寒いのかをお聞きしたら、松下さんが滞在していた時、3月でマイナス25度を記録したことがあったそうです。
そんなニーオルスンでの松下さんの仕事は、大気のサンプリングとして、気体の中に浮遊する微粒子「エアロゾル」や 温室効果ガスの採取のほか、観測施設の補修作業や機器のメンテナンス、そして日本からやってくる研究者のサポートなども担っていたそうです)
計4回、トータル1年!?
※初めてニーオルスンに行ったのはいつ頃で、現地に降り立った時はどんな印象でしたか?
「初めて行った時には極夜の時期だったので、やはり行っても何も見えないという状態でして・・・寒さだけは北極の感じがしたんですけれども、それ以外は本当によくわからないっていう状態だった記憶がありますね」
●初めて行った時の滞在期間はどれくらいだったんですか?
「初めて行った時は1ヶ月でした」
●1ヶ月間・・・これはどうですか、今振り返ると短かったと思いますか? 長かったですか?
「そうですね~、短かったですね(笑)」
●その後、何回かニーオルスンに行くことになったんですよね?
「そうですね。その後は計4回行くことになりました。最初は1ヶ月で、徐々に長くなっていったような形ですね」

●やっぱり慣れてくると、滞在期間も長くなってくるんですか?
「そうですね。現地の作業に慣れてきますと、さまざまな研究者からのオーダーとか仕事も増えてきますので、長く滞在すれば長く観測できるようなこともいろいろと増えてきます。最終的にいちばん最後の滞在では、約半年滞在することになりました」
●そうすると松下さんはこれまでの人生で、ニューオルスンで過ごしたトータルの期間ってどれくらいになるんですか?
「トータルですと、約1年になりますね」
●季節の移り変わりってあるんでしょうか?
「日本のような季節、四季のようなものはないんですが、敢えて言えば、極夜が4ヶ月ごとと、白夜が4ヶ月ごとにありますね」
●極夜、太陽が昇らないんですよね?
「そうですね」
●まったく太陽が見えない時期が4ヶ月も続くっていうことですか?
「そうです。ただもっと詳しくお話しますと、薄明と言いますか、要は太陽が出ていないけれども、ちょっとぼんやりと明るいような時間帯があります。そんな時間が完全な極夜の前後にもありますので、本当に真っ暗なのはもうちょっと短いのかも知れません」

日本人はひとり!?
※ニーオルスンでの生活の拠点なんですけど、部屋を借りていたんですか?
「はい、一応、日本の観測所の中に個室がありまして、そこは普段寝る場所ですね。シャワーもありますので、そこで暮らすことができます。
食事に関しては、日本の観測所のキッチンはあるんですけれども、普段は現地管理会社がご飯を用意してくれますので、食堂に行ってみんなで食べるというスタイルで生活していました」
●本を読んでいて非常に驚いたんですけれども、松下さんは日本人技術者として基本的にはひとりで、ニーオルスンでお仕事をされていたんですよね? おひとりで何から何までやって、さらに周りには外国人のかたがたがいらっしゃるっていうこの環境、相当大変だったんじゃないでしょうか?
「そうですね。最初の1ヶ月の滞在の時には大変だったんですけれども、現地のかたであったり、あとは日本人研究者であったり、国内からのバックアップがたくさんありましたので、何とか仕事を進めることができましたね」
●でもやっぱり最初、ひとりでいるとなると、ほかの国の研究者やスタッフとコミュニケーションをとるケースが増えていきましたよね?
「そうですね。仕事を進める上でほかの研究者のかたとも話をしなきゃいけないですから、コミュニケーションをとる機会は非常に多かったと思います」
●コミュニケーションをとっていった中で、海外とのギャップとか日本ならではと思った点はありましたか?
「日本ならでは、というところは特に感じなかったんですけれども、みなさん自分の国の研究者が来るとやっぱり自分の国同士でまとまってしまうんですね。まとまって食事を取ったりするんですけども、(自分の国の)研究者が帰ってしまって、ひとりになるとまた国際的なグループに戻ったりっていうのが、どこの国でも同じようなことがあるなっていうのをちょっと見ていて感じることがあります」
ホッキョクグマに遭遇
※ニーオルスンならではのローカル・ルールのようなものはあったんですか?
「国際観測拠点ならではのルールがあります。ニーオルスンならではと言いますと、無線機器の利用が禁止というルールがありましたね」
●無線機器がダメとなると、携帯電話とかもダメですか?
「そうですね。スマートフォンも使えないですし、Wi-FiやBluetoothも使えません」
●へえ~、それって生活するのに、最初は結構大変ですよね。
「そうですね。今、私たち生活している中で無線は一般的になっているので、それがない生活はひと昔前に戻ったような感じで、ちょっと不便に感じることもありました」
●なぜWi-Fiを使っちゃいけないんですか?
「実はニーオルスンには、星から来る電波を観測する施設があります。この観測にあたっては、無線が干渉してしまうということがありますので、その観測を成功させるために、基本的には私たちの生活に使うような無線は、全部オフにしましょうというルールがあるんです」
●そうすると、遠く離れた家族や友人とのやり取りはできないんでしょうか?
「実は無線が使えないといっても、有線は使っていいことになっているので、有線LANを引いてパソコンにつなげば、テレビ電話もできますし、通話もできるっていう状態ですね」

●北極圏では動物に対する、何かローカル・ルールがあったりするんでしょうか?
「はい、みなさんたぶん、北極で動物というと、ホッキョクグマを想像されるかと思うんですけど・・・」
●そうですね。
「(ニーオルスンは)ホッキョクグマが生息する地域なので、やはり町にホッキョクグマが出た時、みなさん逃げ込まなきゃいけないんですね。どこに逃げ込むかというと建物に逃げ込まなければいけないので、そのためには鍵をしてはいけないというルールがあります」
●いつ出てもすぐに逃げ込めるようになっているということですね?
「そうです。これはちょっと特徴的なルールかも知れませんね」
●実際に松下さんは滞在中に、ホッキョクグマと遭遇したことはあったんですか?
「面と向かって遭遇とまではいかないんですが、近くまでホッキョクグマが接近したことはありました」
●ええっ! やっぱり怖かったですよね?
「そうですね。やはり恐怖感もありました。この辺は本にも書いてありますので、ぜひみなさん読んでいただきたいシーンですね。
野外に出る時には必ず私たちはライフルを携行する義務があります。ただそれはホッキョクグマを撃つためというよりは、ホッキョクグマに襲われそうになった時に、自分たちの護身のためという理由でライフルを持っています」
●ライフルを使うための訓練だったり、免許ってあるんですか?
「ライフルを使うことがあれば、現地の管理会社が訓練をしていまして、そちらで訓練を受けて、その後はスバールバルの管理部署に申請して許可を得て、現地で初めて持つことができます」

(編集部注:ニーオルスンの周辺では「ホッキョクグマ」のほかに、哺乳類では「スバールバル・トナカイ」や「ホッキョクギツネ」、鳥では「スバールバル・ライチョウ」や渡り鳥の「キョクアジサシ」も見られるとのこと。また、ハエや 蚊に似た昆虫もいるそうですよ。
真っ白な世界というイメージがある北極圏ですが、苔などの植物も見られ、6月から7月にかけては花のシーズン。「ムラサキユキノシタ」という植物が赤紫色の花を一斉に咲かせ、荒野に花の帯ができるそうです)
極夜明けにサンパーティ!?
※松下さんがおっしゃるには、ニーオルスンの生活でいちばんの楽しみは、やはり食事。メニューは土曜日の夜は豪華で、トナカイのステーキや カモのローストなどが振る舞われたそうです。特に人気があったのは、実は野菜や果物。貨物船の補給が月一回程度なので新鮮な野菜が並ぶと、みんなのテンションがあがったそうですよ。
またお酒も、制限はあるものの飲んでもいいとのことで、4ヶ月ぶりに極夜が明ける時には、こんなイベントを開催して、滞在員みんなでお祝いしたそうですよ。
「サンパーティーというものがあったんです。それは極夜が明けた週に太陽のお祝いするパーティーだったんですね。そういった時には日中にスキー大会をして、夜みんなでちょっと夏っぽい格好をして、お酒を飲みながら夏っぽい感じで、みんな飲んで楽しんで! っていうようなイベントもありました」
●私たちは普段、太陽が出てくるのが当たり前の生活なので、極夜が明けて太陽がパッと出てきた時、そんなに感動するものなんですか?
「そうですね。本当に極夜明けで、特に太陽光線が目に入った時っていうのは、目というよりも頭の中に光が注ぎ込まれるような、ちょっと強烈な感覚を覚えることがありますね。その日差しの温かさを肌で感じた時の感動があります」
●温かさ・・・普段は意識していない感覚なので、すごく興味深いですね。ちなみに「極夜」と「白夜」で生活スタイルにも違いがあったりするんでしょうか?
「そうですね。ニューオルスンでは特に生活スタイルは、変化したりしないんですけれども、個人的な体調の変化みたいなものがやっぱりあります。極夜の時はやっぱり太陽が出ないので、何となく起きている間、ず~っとちょっと眠いような感覚があります。逆に白夜の時にはいつになっても眠くならないような感覚がありますね」
極地らしいカルチャー
※松下さんは南極地域観測隊の隊員として2回、南極にも行っています。観測施設としては南極は日本人チーム、一方、北極は国際的でしたが、それぞれにいいところはありましたか?
「それぞれの良さがやっぱりありますね。例えば南極ですと、日本人チームは限られた人数なんですけれども、長い間、固定メンバーで生活しているので、団結力だったり結束力みたいなものがありますね。なにかちょっと大きな仕事があっても、みんなで協力して“えい、やぁ!”ってやってしまうような、勢いみたいなものを感じることもあります。
一方の北極に関しては、人の入れ替えが割と激しいんですけれども、その分だけ入ってくる情報もたくさんありますし、各国の文化を知って面白いな~って感じる場面は結構ありましたよね」
●どちらにも良さがありますよね。やっぱり松下さんは、極地好きですよね?
「そうですね。好きだと思います。はい」
●そうですよね! 何が魅力だと感じていますか?
「やはり環境的に面白いところだと思います。何もないようで行く度に発見があるっていうのが、面白いところだなと感じますね。
極地に住んでいる人であったり、極地ならではの文化みたいなものは、行く度にやっぱり面白いなと感じることはありますね。そういった意味で極寒マニアというよりは、極地マニアと言ってもいいかも知れないんですが、すごくそういった魅力に取り憑かれているようなところがあるかも知れませんね」
●極地の人や文化で、特にここが好き!っていうのはありますか?
「極地ならではなんですが、人間関係がすごく濃くなる場所ではあります。実は、本の中で私が泣いてしまったっていう表現が結構あるんですけども、それは極地ならではで起こる現象なのかなと思うんですね。
人との出会いがあって別れがある中で、日常生活ではなかなか泣いたりする機会には恵まれないですけども、極地ではそういった機会が結構あります。それはなんでかっていうと、やはり凝縮された人間関係があって、それが影響してみなさん泣いたりするのかなと思うんですね。
それは自分だけなのかなと思ったら、現地のノルウェーのかたが泣いていたり、イタリアのかたが泣いていたり、やっぱりみなさん同じような感情を持っているなっていうのが自分の中ではすごく印象深いし、極地ならではの僕が好きな極地カルチャーのひとつかなと思っています」

ニーオルスンに戻りたい
※国際的な小さなコミュニティ、ニーオルスンの在り方は今、世界が直面している温暖化や戦争などの問題を解決するヒントがあるようにも思うんですが・・・どうでしょう?
「ニーオルスンでは北極を観測して、気候変動の研究を進めるというひとつの全体の目標があるんですね。世界全体とニーオルスンを比べると、ニーオルスンは圧倒的に規模は小さいコミュニティであるかも知れませんけども、やっぱり気候変動の研究を進めようとか、北極を観測しようという原則的な目標を見失うことはないんですね。
ですから、もしこれを世界の問題に置き換えるのであれば、やはりなにか私たちが同じ目標をまずは持つことが、ひとつの問題解決につながっていくのかなと思うことがありますね」
●確かにみんな同じ方向を向く、そして手をとり合うのは大事ですよね。やっぱりお話をうかがっていると、ニーオルスンという場所が、松下さんの現在の活動のきっかけになっているのかなって、すごく感じたんですけど、またニーオルスンに戻りたいと思いますか?
「そうですね。また行ってみたい場所だなと思いますね」
●その理由は?
「これはですね~、当時一緒に仕事していた海外の滞在員たちが任期を終えたあと、また今ニーオルスンに戻ったという話を聞いたりして、“あっ、いいな~”と思うことがあるんですね。そうなると、もしかすると極地の景色をもう一度見たいというよりは、そこにいる人に会いたいとか、現地の人々の営みを直に感じたい気持ちのほうが強くなって、また行きたい気持ちが強くなってきたのかな~という感じはありますね」
●ニーオルスンでしか味わえない時間がありますよね。最後に、松下さんにとってニーオルスンとはどういった場所ですか?
「ニーオルスンとは、世界中の友人たちが集う、私にとってかけがえのない場所ですね」
INFORMATION
松下さんが先頃出された本をぜひ読んでください。たったひとりの日本人として、長期にわたり滞在したニーオルスンでどんな体験をし、何を感じたのか、各国の滞在員と助け合ううちに生まれた絆、そして北極圏の厳しくも美しい自然の描写など、日々の出来事が綴られた読み応えのあるエッセイ集です。松下さんが撮った写真も素晴らしいですよ。
雷鳥社から絶賛発売中です。詳しくは、出版社のオフィシャルサイトをご覧ください。
◎雷鳥社:https://www.raichosha.co.jp/book/1497
松下さんは現在、富山で観測や研究の支援サービスを行なう「Canyou Flash(キャニオン・フラッシュ)」を運営。また、自然科学の魅力を発信するための「The Natureus Store(ザ・ネイチャーアス・ストア)」を主宰されています。詳しくは、SNSを見てくださいね。
◎「Canyou Flash」Instagram:https://www.instagram.com/canyonflash/