2025/6/1 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、フリーライターで写真家の「山本高樹(やまもと・たかき)」さんです。
山本さんは1969年、岡山県生まれ。いくつかの出版社勤務と海外放浪を繰り返したあと、2001年からフリーランスとして活動。2007年からはインド北部の山岳地帯「ラダック」地方の取材をライフワークに、現地の気候風土や人々の暮らしぶりを、写真や紀行文で伝えていらっしゃいます。
そして、2020年に出版した『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』で、第6回「斎藤茂太賞」を受賞されています。そんな山本さんの新しい本が『雪豹の大地 スピティ、冬に生きる』なんです。

きょうは、山岳地帯スピティに生息する幻の野生動物「ユキヒョウ」の撮影エピソードのほか、彼らを取り巻く環境や、人間との関係などうかがいます。
☆写真協力:山本高樹

「冬に来い! ユキヒョウを撮りたくないのか?」
※この本の舞台になっているスピティはインドの北部にある、ということなんですが、改めてどんな場所なのか教えてください。
「インドという国を地図で見ると、ちょっと右側のほうが出っ張っていて、ひし形みたいな形をしていると思うんですけれども、その頂点のところがいちばん北にあるんです。その北に僕がずっと前から ライフワークとして取材しているラダックという連邦直轄領があって、そのラダックのすぐ下にある州、ヒマーチャル・プラデーシュ州の北東の端にスピティという地方があります。
そこはヒマラヤの西外れに当たる地域で、標高が3500メートルから4200メートルぐらいあるところで、1年を通じて雨があまり降らないんですね。冬の雪解け水を頼りに人々が暮らしていて、主にチベット仏教を信仰しているスピティ人と言われている人たちが暮らしています。いちばん大きな街でも2000〜3000人しかいないような小さな地域ですね」
●スピティにユキヒョウがいることは、いつ頃知ったんですか?
「ヒマラヤを中心とした山岳地帯にユキヒョウが生息しているということは、知識として知っていて、20年近く前から僕はラダックという地域を取材し続けているんですけれども、そのラダックでもほうぼうでユキヒョウの噂というのは、ちょこちょこ聞いていたんですよ。
僕自身も雪の上で獣が格闘したような、血しぶきが飛んでいる跡とかを見て、これは何だ? って聞いたら、僕の友達のガイドが、これはユキヒョウが獲物を捕まえた跡だって言っていて・・・。

で、雪の上にちょっと丸く、ぽってりした足跡が点々と残っていて、その上にちょっと筋のような太い跡がついていると、これはユキヒョウの足跡だと・・・。足跡のあとに尻尾をちょっと引きずった跡がつくと、これはユキヒョウの足跡だってすぐにわかると教えてもらったりとか・・・。
そのほかにも別のラダックの村で、家畜として飼っているロバのお尻がちょっとユキヒョウに噛まれちゃったって跡を見せてもらったりとか、ほうぼうでそういう噂を聞いていて、存在自体は感じてはいたんですけど、ただ本当に目撃するのが難しい動物なので、肉眼で見たことはそれまでなかったですね」
●目撃するのが難しい動物であるのに、ユキヒョウを撮影しようと思ったのは、どうしてなんですか?
「そういう細かい情報をずっと前から聞き続けていて、ある時、別の目的の取材でスピティに滞在していた時に、夏だったんですけれども、僕の昔からの友達が『お前、何で冬のスピティに来ないんだ』と、『お前、冬に来い』って言って、『来るだけでも大変なのに、なんで俺が来なきゃいけないんだ』って聞いたら、『ユキヒョウだよ! ユキヒョウの写真を撮りたくないのか? 写真家だろ?』って言われて、『いや、そんな絶滅危惧種なんて、簡単に撮れるわけないじゃん!』って言ったら、『いや、撮れる。スピティなら100%撮れる』って言われて・・・。
『どういうことなんだ?』って聞いたら、スピティにはユキヒョウが比較的出没しやすいスポットがあって、地元の人たちがネイチャーガイドというか、現地ではスキャナーとかスポッターとか言われているんですけれども、それを専門にしている人たちが、冬の間、ユキヒョウを撮影に来た人、カメラマンとかを案内するツアーがあるって聞いて・・・。
『そんなのあるとしても、どのぐらいいて、どのくらい頑張ったらユキヒョウを撮れるのか』って聞いたら、『1日6〜7時間ぐらい外に居続けて、それを3〜4週間ぐらい続けたらいけるんじゃないか』と言われて・・・(苦笑)。それだったら1日1回目撃できるかもしれないけれども、そんなので行く甲斐があるのかちょっとわかんなかったんですね。
ただ、そういうのはなんとなく思い続けていて、じゃあ試しに行ってみるかみたいな気持ちで、ちょっと半信半疑なところはあったんですけれども、スピティで取材をしてみようと思いたったのが、今回の取材のきっかけだったんです」
(編集部注:山本さんによると、日本からスピティに行くには旅の途中で許可証の申請などがあったりするので、到着するまでになんと、6日もかかるそうですよ。まさに秘境!)
太い尻尾、体毛もふさふさ
※改めてユキヒョウはどんな動物なのか、教えてください。
「個体差はあると思うんですけれども、頭の先からお尻のあたりまで、だいたい1メートル前後ぐらいで、体長と同じぐらいの長さの太い尻尾があります。
手足は割と短めでがっしりしていて、険しい岩場とか雪が積もっているところでも、尻尾とかでバランスを取って、機敏に動くことができる体型になっていますね。体毛も結構ふさふさと生えて暖かくなっていて、足の裏にまで毛が生えているんだそうですね」
●繁殖期はいつ頃なんでしょうか?
「冬から春にかけてというふうに聞いています。だいたい1〜2頭の子供を産んで、お母さんが2年ぐらいかけて育てることが多いみたいですね」
●やっぱりユキヒョウなので、寒いところが好きなんですかね?
「寒いところが好きなんですよ。逆に暑いところが苦手なので、夏の間は人間が住んでいる村のあたりまで降りてこないそうで、山の高いところにいることが多いそうですね。
冬になるとユキヒョウが獲物にしている、アイベックスっていう草食動物とかが、山の上のほうだと雪に草が埋もれて食べられなくなっちゃうので、下に降りてくると、ユキヒョウもアイベックスを追って、下のほうに降りてくる。なので、ユキヒョウを観察するのは、主に冬に限定されるっていう感じになりますね」

●絶滅危惧種ということですけれども、だいたい世界にどのくらいいるんですか?
「最新の調査だと8000頭ぐらいじゃないかと言われていますね」
●結構少ないんですね〜。
「はい、しかも山岳地帯に棲んでいるので、どこにどのぐらいいるのかの調査が難しくて、生態についてもわかってないことはかなり多いんだそうです」
(編集部注:山本さんの現地の滞在先は、いわゆる民家にホームステイ。旅行者に一部屋を貸してくれて、朝・昼・晩の食事を用意してくれるそうです。
そして、知り合いからネイチャーガイドを紹介され、1ヶ月ほど行動を共にしていたそうですが、目がすごくいいので、とても助かったとのこと。ユキヒョウの撮影には、視力は大事な能力だと、山本さんはおしゃっていました)
標高4200メートル、過酷な撮影
※初めてユキヒョウを撮影できたのは、どんなシチュエーションだったんですか?
「スピティに到着してすぐ、デムルという別の村の村外れで、放牧していた羊をユキヒョウが殺したっていう情報が手に入って・・・。で、翌日知り合いの車に乗せてもらって現地に向かったんですね。その時は400〜500メートルぐらい離れたすごく遠い場所で、ユキヒョウの母親と、まだ1歳にならないぐらいの子供のユキヒョウを目撃することができました。

僕が持って行ったのは600ミリという焦点距離のレンズだったんですけれども、それでもまだ遠い、800ミリでもまだ遠い(苦笑)。
ロケーションとかその時の条件にもよるんですけれども、近づいて撮れる環境もあるにはあったので、そういうところでは、そのレンズでもなんとかいけるっていう感じだったんですが、基本的に本当に豆粒のようにしか見えない場所のほうが多かったですね」
●こういった過酷な環境での撮影で、いちばん大変だったことって何ですか?
「どうですかね〜、スピティだと標高が・・・僕が主に滞在していたキッパルという村が標高4200メートルぐらいのところで、撮影は高低差が150メートルから200メートルぐらいある断崖の崖っぷちで、雪が積もっていて、ユキヒョウとか目的物が動くと、それに合わせて、こっちも三脚についているカメラとかを担いで動かなければいけない。
で、膝ぐらいまで埋もれる雪の中を走って、こけないようにしながら動く。当然、標高が高いから息はものすごく切れる。やっと動き終わって三脚を据えたと思ったら、また動き始めるみたいな感じで・・・それを朝の8時、9時から夕方の5時ぐらいまでやっている状態なので、体力的にかなり消耗しますね。
あと単純に寒い。マイナス20度ぐらいまで下がるので、日が差して風がなければ、まだいいんですけれども、日がかけていて風がブンブン吹くようだと、ものすごく体感温度が下がるので、それもやっぱり辛かったですね」
食事はチベット系とインド系!?
※ユキヒョウの話ではないんですが、スピティ滞在中の食事は、どんなものを食べていたのか、教えていただけますか。
「本当に現地の人が食べているものと同じものを食べていて、スピティ人はチベット系の民族なので、チベットに由来のある料理とかもよく出てきます。インドでもあるので、インド人が食べるような料理もあります。
具体的にいうと、チベット系の料理だと“モモ”という蒸し餃子、ちょっとぶ厚い皮で包んだ蒸し餃子で、中にはすりつぶした野菜だったり、贅沢な時にはちょっとお肉が入ったりするものを蒸して、薬味をつけて食べたりとか・・・。あとは“トゥクパ”というのが、煮込み料理の総称なんですけど、小麦粉を練ってちぎり麺みたいにして、それを野菜とかと一緒に煮たものだったりとか・・・。
インド風の料理だと、ダールという豆のカレーを、白いご飯を圧力鍋で炊いて、それにかけて食べたりとか、野菜をスパイスで炒め煮にしたりとか、たまに何日かに1回、運が良ければ、お肉が出てくるみたいな感じで、そんな感じでしたね」
●なるほど~。食事は日本人の口にも合うんですか?
「そうですね・・・僕が言っていいのか(笑)、僕が合う! って言っても合わないよ! っていう人もいるかもしれない(笑)。まあ基本的に合うと思います。そんなにスパイシーでもないし、穏やかな味で食べられると思います。
ただいかんせん冬なので新鮮な野菜を持ってきても、すぐに凍ってダメになっちゃうんですね。なので、陸路ではるばる運ばれてきたわずかな野菜をちょっとずつ食べたりとか、夏の間に収穫して土に埋めて保存しておいた野菜を大事に食べたりとか。あとお肉にしても精をつけるためのものなんですけど、そんなに無尽蔵にあるわけじゃないので、大事に食べたりとかっていうのはあります」
●保存の仕方なども日本とやっぱり違うんですね~。
「そうですね。肉とかは適当にビニールに包んで納屋に置いておけば、寒いので普通に凍っちゃうんですよ」
●冷凍庫とあまり変わらない状態・・・(笑)
「自然の冷凍庫になっちゃうんですね(笑)」
●なるほど。現地のかたたちとの会話は何語なんでしょうか?
「スピティ人はスピティ語というのを話します。僕はスピティ語はほとんどわからなくて、ラダック語っていうラダック人が話している言葉に関しては、片言レベルなんですけれども、話せるんですね。ラダック人のネイティヴとスピティ人のネイティヴが話すと、お互いが言っていることは3割ぐらいわかるそうです。
僕は1~2割ぐらいしかわからないっていう感じで(苦笑)、わからないところは英語で補ったりしているんですけれども、英語を話せないスピティ人も多いので、そういう時には身振り手振りを交えて、ラダック語とスピティ語と身振り手振りが混じってすごくカオスな感じですね。
でも意外と話は通じるので、ホームステイ先のお父さんとお母さんともそんな感じでやって、“おまえ、ちょっと酒飲むか?”とか言われたら、“飲む飲む!“みたいな感じで、これはほぼ言葉は通じなくても通じ合う感じなので、そんなに苦労はしなかったですね」
●現地のかたがたの温かみがいいですよね~。
「そうですね~」
●ちなみにユキヒョウは、現地の言葉で何と言うんですか?
「スピティ語では『シェン』と言います。」
●シェン!?
「村によっては『ジャパ』って言うらしいんですけど」
●場所によって違うんですね~。
「そうですね。ラダック語だと『チャン』とか『シャン』という言い方をします。少し発音の仕方が違うみたいですね」

ユキヒョウが冬の臨時収入!?
※ユキヒョウが生息するスピティや、その周辺はやはり温暖化の影響があったりするんでしょうか?
「かなりあると思いますね。僕が行った2024年の1月くらい3月にかけては、特に1月に雪が全然降らなくて、標高が3500メートルもあるのにバスで移動していても、雪のかけらが全然見えなかったんです。僕も驚いて、現地の人たちも困って雪乞いの儀式をあちこちのお寺でしていたんですよね。
というのは、農業用水や生活用水は雪解け水に頼っているので、雪が降らないのは死活問題なんですね。かといって人間の力ではどうしようもないので、仏様にお祈りしてって感じなんですけど、そうすると2月3月にドンドンと雪が降ったんですね。でも全体的にやっぱり積雪量が減っている傾向があるそうなので、今後どうなっていくのかっていうのは心配しているところだと思います」
●これってユキヒョウにも影響があるんですか?
「やっぱり雨が少なくなると草の量が減る。草の量が減ると草食動物が減る。草食動物が減るとユキヒョウなどの肉食動物も減るのは、連鎖として当然影響が出てくると思いますね。もちろん人間自体も生活が成り立たなくなると思うので、人間を含めて、すべての生きとし生けるものに関わってくる問題だと思います」
●そういった状況もありつつも、スピティにはユキヒョウを撮影するために世界中から多くの人たちが訪れていますよね? 現地の人たちにとってユキヒョウがひとつの収入源になっているんですか?
「そうですね。キッパルという僕が滞在した村では、ユキヒョウを撮影しに滞在している人たちへ宿泊場所を提供し、食事を提供し、ネイチャーガイドがユキヒョウの居場所を案内し、カメラなどの機材をポーターと呼ばれている荷物運びの人が運び、ドライバーさんたちが長距離の場所へ車で運んでっていう形で、冬の臨時収入みたいなものができているのは事実だと思います。
そういうユキヒョウ撮影ツアーが始まる前は、どっちかって言うと、昔からユキヒョウは地元の人たちには厄介者だったそうです。家畜を襲って食べちゃうので、やっぱり現地の人たちにとって、家畜はとても大切な存在なんですね。収入源でもあるし、それを急にぱくぱくっと冬に何頭もやられてしまうと、やっぱり頭に来るんですね。(ユキヒョウが)村に近づいてきて姿を見かけたりすると、石を投げて追い払っていたそうなんですよ。
なので、今ユキヒョウ撮影ツアーが入ってきたことによって、現地の人たちの意識も少し変わっているところがあって、ちょっと誇りに思うなところもあるみたいなんですね。
そういうふうに冬の臨時収入みたいなったりとか、野生動物保護区を指定することによって、全体的な野生動物の保護に努力していきたいという動きが出てきているので、スピティでは少なくとも意識が変わってきています。ユキヒョウが人々にとって、もっといい存在になっているって実際に見て感じたところです」
自分事としてのスピティ、そしてユキヒョウ
※今回の取材中に5頭のユキヒョウと出会うことができたそうですが、その中で、特に印象に残っているユキヒョウはいますか?
「そうですね・・・ずっとキッパルという村の周辺で出没していた、メスとオスの双子の兄弟のユキヒョウがいたんですね。彼らは僕が撮影した時は2歳になるかならないかくらいの歳で、本来ならお母さんがまだ一緒の時期なんですけど、お母さんが前の年の夏に病気か何かで死んでしまったそうです。まだそんなに年端もいかない、狩りの経験もあまりないみたいな双子たちが、わりと健気に仲よく、すごく仲がいいんですよ(笑)」

●へぇ~仲がいい!?
「ちょっと歩いただけで見つめ合っているんですね(笑)」
●え〜〜可愛い~!
「本当に仲がいいよね! っていうぐらいの子たちがいたので・・・ただユキヒョウは大きくなると基本的に単独で暮らすようになるそうなんです。なので、僕がその双子の兄弟を見続けることができたのは、やっぱり幸運だったなと思っていまして、それがやっぱり印象に残っていますね」
●レンズを通して見るユキヒョウには、どんなことを感じますか?
「そうですね・・・何と言いますか・・・何かいろんなものを与えてくれているような気がしますね。言葉にしきれないような部分なんですけれども・・・。
今回、ユキヒョウの撮影を目的のひとつとして、スピティに長期滞在はしたんですけれども、その一方でユキヒョウの写真を撮れれば、それでいいのか? っていう思いもありましたね。
ただ写真をとって満足しているだけじゃ、コレクションを作っているだけじゃ、ダメなんじゃないかっていうのがあって、もっとユキヒョウを含めたスピティや、冬の過酷な環境で暮らしている人々、人間も含めて、生きとし生けるものがどういうふうに暮らしているのかっていうのを、知識だけじゃなくて経験とか感覚とか、そういったものでちゃんと理解することが必要だなというふうに感じていました。
レンズを通して見たユキヒョウはその中のひとつですし、人々との会話であったりとか、あとは本当に肌で感じる寒さであったりとか、いろんなものがひとつひとつ、それらは他人事ではなくて結局、自分事でもあるんだなと。
僕たちは遠く離れた日本に暮らしていますけれども、同じ地球の上でそういった世界で暮らしている動物や人間がいることを感覚として受け止めておくのは、すごく大事なんじゃないかなって、今思っています」

●今後もユキヒョウの撮影は続けていきますか?
「どうでしょう・・・分からないですね・・・。今回はものすごくやりきったので、また行きたくなったら行くかもしれないですね。ただもう20年近くに渡ってインド北部のチベット文化圏をライフワークのように取材を続けていて、それこそユキヒョウのような動物に限らず、人間であったりとか、あるいは全体を俯瞰してみる形で、定点観測し続けているみたいなところがあるんですね。
なので、今後もそういったことを続けていって、何か日本の読者のかたに伝えられることがあれば、本のような形にして、残していきたいと思っていますし、その中で、もしユキヒョウが登場するんであったら、それはもちろん取り組んでみたいなっていうふうに思っています
☆この他の山本高樹さんのトークもご覧下さい。
INFORMATION
山本さんの新刊は、書き下ろしの長編紀行です。なかなか出会うことのできないユキヒョウの撮影エピソードのほか、お祭りや人々の暮らしぶりなど、興味深い内容にあふれています。貴重な写真も掲載。ぜひ見てください。雷鳥社から絶賛発売中です。詳しくは出版社のオフィシャルサイトをご覧ください。
◎雷鳥社:https://www.raichosha.co.jp/book/1513
山本さんのオフィシャルサイト「ラダック滞在記」そして個人サイトもぜひ見てくださいね。
◎ラダック滞在記:https://ymtk.jp/ladakh/
◎山本高樹:https://ymtk.jp/wind/
ここでスペシャルな情報です。
なんと山本さんと一緒に行くインド北部の秘境を旅するツアーがあるんです。題して「ラダック&ザンスカール・ツアー」。8月6日から10日までと、8月12日から15日までのふたつのコースがあります。個人ではなかなかたどり着けない秘境を体感できるツアーですよ。詳しくは「アショカツアーズ」のサイトをご覧ください。
◎アショカツアーズ:https://ashokatours.com/5720/
2022/9/18 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、フリーライターで写真家の「山本高樹」さんです。
山本さんは1969年、岡山生まれ。出版社勤務と海外を巡る旅のあと、2001年からフリーランスとして活動、2007年からはインド北部の山岳地帯、標高3500メートルの地に広がるチベット文化圏「ラダック」地方を長期取材。
その後もラダックの取材をライフワークとし、現地の人たちやその土地の気候風土と向き合い、丁寧な取材をもとに文章を書き、本として出版されています。そして2020年に出版した『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』が第6回「斎藤茂太賞」を受賞。
そんな「山本」さんが3年ぶりにインド北部を訪れ、先頃帰国されたということで、改めて番組にお迎えすることになりました。
きょうは最新版のラダックの旅、そして先頃出された本『旅は旨くて、時々苦い』から世界の旅で出会った「食」のお話をうかがいます。
☆写真:山本高樹

インド北部、へき地をまわるひとり旅
※山本さんはこの夏に、次に出版する本の取材のためにインド北部を訪れています。3年ぶりの海外ということで、最初は英語のフレーズがすぐに出てこなかったり、荷造りに手間取ったりと、勘が戻らなかったそうですよ。
今回訪れたのは、山本さんのメイン・フィールド、インド北部のラダック地方ということなんですが、日本から目的地まで、どうやって行ったんですか?
「僕が取材した範囲に関しては、インドの首都デリーまで日本から直行便が飛んでいますので、それに乗って行きました。
デリーからラダック地方の中心地になるレイという町までは、飛行機で1時間ちょっとで飛ぶので、往路は飛行機でそこまで行って、そのあとはひたすら1ヶ月半ぐらいずーっと車だったりバスだったり、陸路でだいたい1800キロぐらい移動しました。平坦な道は最後の300キロぐらいしかなくて(苦笑)、あとはずっと悪路でしたね」

●えぇ〜、そうなんですか。タフな旅でしたね。
「そうでしたね。トレッキングはしなかったので、そういう意味では体力は使わなかったんですけど、ずーっと悪路で揺られている状態だったので、別の意味で体力を使う旅だったのかなと思います」
●行かれたのは8月ですか?
「7月の中旬から8月の下旬ぐらいまで、1ヶ月半ぐらいという感じです」
●その頃のインド北部はどんな気候なんですか?
「僕が行った地域は、ほとんど標高が3500メートル以上の富士山ぐらいの標高のところが多くて、日差しは強くて暑いんですけれども、夜は涼しくてクーラーとか全然なくても眠れるような、乾燥してすっきりした気候ですね」
●今回もやっぱり、へき地を巡る旅っていう感じだったんでしょうか?
「そうですね(笑)。本当にへき地ばっかり。ただ、行き慣れている場所ではあるので、新鮮な驚きを持つ旅というよりは、どっちかというと帰省したみたいな感じの(笑)、久しぶりに戻ったなみたいな感じの旅でしたね」
●どのあたりを重点的にまわられたんですか?
「本のための取材という目的があったので、陸路で少しずつ移動しながら、行く先々を少しずつ、町や村の調査をしながらまわってましたね」
●今回もおひとりで行かれたんですか?
「そうですね。僕は職業がライターで、写真も撮る人間なんですね。人件費を余分にかけられないので、写真が撮れなかったらカメラマンさんをお願いするんですけど、僕は自分で撮れるので、より予算を節約するためにひとりで行くというパターンです。どんな仕事でもひとりで取材に行っていますね」

忘れられない衝撃の味
※へき地の旅は体力を維持するためにも、特に食事が大事になってくると思いますが、今回の旅で美味しいものとの出会いはありましたか?
「まわっている中で、スピティというチベット文化圏の、標高4000メートルぐらいのところにあるデムルという村に行ったんですけれども、そこに10年以上前から友達の実家があって、彼の家に泊めてもらったんです。
昔も食べさせてもらったんですけども・・・その村はたくさん牛を飼っていて、新鮮なミルクでヨーグルトやバター、チーズとか作るんですね。そこで朝ごはんにパンに付けて食べたバターやヨーグルトがすっごいフレッシュで、忘れられない衝撃の味で、本当に美味しいんですよ!
標高4000メートルの青い草しか食べていない、牛から採った牛乳で作ったバターとかヨーグルトなので、混じりっけなしのスッキリとした味なんですよ。10年ぶりぐらいに食べさせてもらって、やっぱり感動しましたね」

●いいですね〜。今回そのお友達のおうちにずっと泊まっていたんですか?
「その家に泊まっていたのは、3日間ぐらいでした。たまたま彼と連絡がとれて、行っていい? って言ったら、ちょうど今町まで車で来ているから乗っけてってあげるよって言われて、(彼の家まで連れて行ってもらって)泊まったんです」
●本当にそういうフランクな感じで旅をされているんですね。
「行く先々で知り合いの馴染みの宿のおうちに泊めてもらったりとか、友達が車を出してあげるよって言って、乗っけていってもらったりとか、その友達のやっている宿に泊めてもらったりとか、そのパターンがすごく多いですね」
●今回の旅で印象的な出来事ってありましたか?
「その友達の家に泊めてもらった時に、スピティのデムルという村に滞在している最中に、その村で夏の終わりに収穫祭をやるんですけれども、その儀式に立ち合わせてもらったのがすごく印象的でした。
あまり詳しくは話せないんですけれども、まだマル秘の部分があるので・・・(笑)、すごくいい体験をさせてもらって、いい写真を撮らせてもらって・・・それもたまたま呼んでもらって、たまたまその場に居合わせて、たまたま天気がよくってっていうパターンだったので、本当に運がよかったなと思います」
●次回の本を楽しみにしていますね! 今回の旅を通してインドやラダックの方々に対する思いとか、何か変化はありましたか?
「いや〜どうなんですかね〜。3年ぶりぐらいに行ったので、みんな感動の再会をしてくれると思ったんですけど、全然普通でなんにもなかったです(笑)。あ〜また来たの、みたいな感じで、当たり前のように扱われて、全然なにもなかったですね(笑)」
●ある意味いいですね。家族のような感じでね!
「まったくなんにも・・・親戚に久しぶりに会ったぐらいの感じです(笑)」

旅の記憶は、味の記憶に結びつく

●山本さんは先頃『旅は旨くて、時々苦い』という本を出されました。私も読ませていただいたんですけれども、「人は旅に出るとそのうちのかなりの時間を食べるという行為のために費やす」と書かれていましたね。それぞれの国で出会った「食」と共に、様々な思い出が綴られていて、情景をすごくイメージしながら、一緒に旅をしている気分になれました。
「ありがとうございます!」
●今回、「食」を切り口にした本を出そうと思ったのは、どうしてなんですか?
「もともと僕30年ぐらい前から、あっちこっち旅を繰り返してきていて、その度にまめに日記とか書いていたので、ノートは全部手元にあるんですね。そういう旅の話を、いつか振り返って書く機会があればいいなと思っていたんです。
すごく雑多な記憶の集積だったので、何をどうまとめていいのかみたいなところで考えていたんですけれども、ある時、あ! 食べたことの味の記憶っていうのは、意外とその時、経験した旅の記憶と結びついてよく覚えているなと。
やっぱり味覚って結構、五感全部を使って感じるものなので、そうやって自分の記憶に深く結ぶついた状態で保存されているんじゃないかなと思って、味の記憶を手がかりに記憶を振り返っていくと、たくさん思い出されることがありました。そういうのをまとめていくと、どうなるんだろうと思いついて書き始めたのが、今回の本のきっかけですね」

●確かに旅先での食事は、ただ空腹を満たすだけじゃない何かがありますよね?
「そうですよね。成功する時もあれば、あまりうまくいかないこともあったりとか(笑)、こんなはずじゃなかったものが出てきたりとかしますよね」
●それも思い出になりますよね。
「そうですよね。よく覚えていたりとか・・・あとトラブルにあってすごく困っている時に食べた物ってよく覚えているじゃないですか」
●確かににそうですね。
「逆に誰かに助けてもらった時に食べさせてもらった物もすごくよく覚えているし、そういう物ってずーっと思い続けていくと思うんですよね。そういうのを手がかりに本を、文章を書いてみたらどうだろうって思ったのが、この本のスタートラインだったというところです」
ドイツの安いパンと、ラダックのコーヒー
※この本に載っているエピソードから、いくつかお聞きしますね。「スーパーでいちばん安いパンとベルリンの壁」という記事がありましたが、これはどんなお話なんですか?
「これはひとつふたつ前の話から始まるんですけど、中国を旅したあとに、同じ最初の海外旅行の時に、北京からモスクワまでシベリア鉄道に乗ったんですね。
その時にたまたま同じコンパートメントになったドイツ人の若者がいて、僕とほぼ同じ歳ぐらいの人で、僕がベルリンに行くと言うと、彼がベルリンに来たらうちの大学の学生寮に泊めてあげるよって、夏休みだから空いている部屋あるから来い来い、って言ってくれて、僕はバカ正直に本当に行ったんです。
住所を頼りに出かけて行って、彼のところに1週間ぐらい泊めてもらって、居候させてもらった時の話を書いたんですけれども、今考えると、すごいなと(笑)、無茶やっているなと思うんですけどね。
その時に彼の住んでいた学生寮のすぐ近くにスーパーマーケットがあって、彼に案内してもらって、毎朝、朝ご飯に食べるパンとか、間に挟むハムとかをそこで買っていたんです。彼がいちばん安いパンがいちばん美味いぞ! って言ってくれて、確かにいちばん美味しかったんですね(笑)。
ドイツなのでパンがとても美味しくて、しかもいろんな種類のパンがスーパーに山積みになっていて、店の中にパンの焼きたての香りがふわ〜っと漂っているんです。その中でいちばん安いパンを3つ4つ買って、持って帰って半分に切って、サワークリームを塗ったりハムを挟んだり、みたいな形で食べていたっていうのを思い出して・・・」
●いいですよね〜。
「そういう話はやっぱりよく覚えているんですよね。あの時に食べたパン、美味かったなぁ〜みたいな感じで、なんか似たような匂いとか嗅ぐと、あ! あの時のあれ! みたいな感じで思い出したりとか、そういうことありますよね」
●そうですよね。記憶が蘇ってきますよね〜。あと「スノーキャップ・カプチーノと勉強の日々」、こちらはインドのお話でしたけれども・・・。
「そうですね。今年の夏も行ったラダックという場所での話なんです。僕は2007年から1年半くらい足掛け、時間をかけて、ラダックで長期取材をしていた時期があって、それはラダックについて本を書こうと思い立ったからなんですけれども、そのためには現地の言葉を学ばなければということで・・・」
●ラダック語、ですよね?
「チベット語の方言で、チベット語とも少し発音が違うんですけれども、とにかく学ぶしかないと。ちょっとでも現地の人に近づきたいなと思って・・・やっぱり現地語を喋れると現地の人の心のハードルも下がるので、なんとかしてそういう技術を身につけたいと思っていました。
時間だけはあったので、取材に行かない時に、町にいる時にはずっと勉強していたんです。その時によく通っていたお店の、当時はまともなコーヒーを出してくれる店が、そのレイという町にはあまりなくて、貴重なカフェインを摂取しながら、勉強していた時期を思い出しながら書いた文章ですね」
●「砂漠に降る恵みの雨のような存在」っていうふうに本に書かれていましたね。
「お店の名前が「Dessert Rain Café(デザートレインカフェ)」という名前だったんですね。もう今は閉店してしまったんですけど、あの頃あのお店の中で涼しい風に吹かれながら勉強していた日々を今でもよく覚えています」
(編集部注:山本さん流の美味しいご飯の探し方として、行った先でぶらぶらしながら、地元の人たちが集まっているお店に入って、おじさんたちが食べているものを注文するそうです。ほかにも宿のおかみさんが作ってくれる「おうちごはん」的なものがいいとのことでした。つまり土地の人が食べているものが、いちばん美味しいということなんですね)
※今まで旅先で食べたもので、強烈に印象に残っているお料理はありますか?
「またラダックで食べた物なんですけれども、トレッキングに行っている時に食べさせてもらった”トゥクパ”って言って、すいとんとか、ほうとうみたいな感じで、小麦粉を練ったものを汁で煮込んだ料理があるんですね。
ガイドしてくれた男の人がきょうはヤクの干し肉があるぞ! って言ってくれて・・・ヤクは毛長牛という、ヒマラヤの高地に住んでいる毛が長い牛なんですけど、その肉が美味しいんです。さらにそれを干し肉にしているものがあって、それをトゥクパにして煮込むと素晴らしい旨味が出て、お肉自体もホロホロに美味しくて、それはすごく美味しかったですね。
干し肉は、ラダック人でも高地に行って遊牧民と交渉して、もしあったら買ってきてくれって言われるぐらいすごくレアなものらしくて、とても美味しくいただいた記憶です」

時々いただけるご褒美
※都会で暮らしていると、食材は買ってくるもので、お腹が空けば、食べるものはすぐ手に入ります。でも山本さんが取材に行くへき地では、そうはいきませんよね。
「そうですね。まず大地を耕しタネを蒔くところから始めますからね」
●そうですよね〜。やっぱり現地では食材は育てる物、収穫する物っていう感じなんですか?
「全部が全部、もちろんそうではなくて、やっぱり近代化に伴って外部から輸入している物だったりとかもたくさんあるんですね。でもやっぱり伝統的な料理であったり、そもそも生活を支えている基盤は、農業だったり牧畜だったりしている部分が未だにたくさんあるので、その辺はすごく大事にしているというか、生活に根ざしている、生きるために働いているっていう感じがすごくあると思います」
●食べることと生きることが直結しているんだろうなっていう印象があるんですけれども、実際にいかがですか? 感じられることはありますか?
「やっぱり旅に出ると、食べることと生きることの結びつきみたいなものが、すごく解像度が上がったように感じられる部分があると思うんですよ。
路頭に迷ったら困るじゃないですか。泊まる宿が見つかんなかったり、どこかでご飯を食べようと思ったら、お店が全部閉まっていたりとか、ストライキかなんかでとか、実際にそういうことが時々あるんですね。
そういう時に、どうしようって思った時に、たまたまご飯を見つけられたりとかすると、あ〜食べる物があって良かったなってしみじみ思いますし、お腹を壊して辛い時に、だれか優しい人がお粥とか作ってくれたりすると、なんかそれもしみじみ美味しかったりしますよね。
そういう時にありがたみを感じることがあるので、やっぱり旅は僕たちが生きている、当たり前のことをわかりやすく示してくれる効能があるのかなって思いますね」
●山本さんは旅をされていて、どんな瞬間に幸せを感じますか?
「どうですかね〜。人によっていっぱいあると思うんですけど、今回に関しても自分が想像もしていなかった時にとてつもないギフトを貰える時があって、あまり詳しくは話せないんですけど・・・(笑)。
今までの旅でも、本当に奇跡なんかじゃないかと思うような瞬間に立ち会えることがあったりしたんです。それは狙って体験できるものでは、絶対ないんですけれども、ずっと現地のことを見守り続けていると、時々そういうご褒美をもらえることがあるのかなと思える時があります。
そういう自分がいただいたものを、僕は物書きであったり写真家であったりするので、ひとりでも多くの人に本という形で伝えていけたらなと思っています」
☆この他の山本高樹さんのトークもご覧下さい。
INFORMATION
30年以上、世界を旅してきた山本さんが訪問先で出会った「食」をテーマに書き上げた本です。味の記憶とともに綴られた旅の紀行文を、じっくり味わうことができますよ。ぜひ読んでください。「産業編集センター」から絶賛発売中です。
詳しくは出版社のサイトをご覧ください。
◎「産業編集センター」HP:https://www.shc.co.jp/book/17377
本の出版を記念して、鎌倉市大船の書店「ポルべニール ブックストア」で現在、ラオス写真展と、世界の食文化フェアが開催されています。会期は10月3日まで。ぜひお出かけください。
詳しくは「ポルべニール ブックストア」のサイトをご覧ください。
◎「ポルべニール ブックストア」HP:https://www.porvenir-bookstore.com/
山本さんのオフィシャルサイト「ラダック滞在記」そして個人サイトもぜひ見てください。
◎「ラダック滞在記」HP:https://ymtk.jp/ladakh/
◎山本高樹さんの個人サイト:https://ymtk.jp/wind/
2020/5/2 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、フリーライターで写真家の「山本高樹」さんです。

山本さんは、1969年、岡山生まれ。出版社勤務と海外放浪のあと、2001年からフリーランスとして活動。2007年からはインド北部の山岳地帯「ラダック」地方を長期取材。その後、ラダックでの取材をライフワークにしながら、世界各地を巡る日々を送ってらっしゃいます。
そんな山本さんの新刊が『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』。ザンスカールとはラダックの中心地からおよそ450キロ、標高4000メートル級の峠を越え、やっとたどり着ける、秘境ともいえる場所で、大自然とともに生きる人々が暮らしているそうです。 今週は、極寒の高地で人知れず開かれるお祭りや、現地の人々の生活、そして秘境の旅の魅力などうかがいます。
☆写真提供:山本高樹
見たこともない祭り

※ではまず、なぜザンスカールへ行こうと思ったのか、お聞きしました。
「僕は元々、このザンスカールがあるラダック地方を集中的に取材をしていたんですね。2007年から2008年にかけて、1年半ぐらいかけてザンスカールに長期滞在して、『ラダックの風息 空の果てで暮らした日々』という本を2009年に出したんですけれども、その長期滞在の頃からずっとこの土地を気になっていて、取材をし続けていたんですね。で、当時もこのザンスカールに夏だったり冬だったり訪れていたんですけれども、特に冬のザンスカールに関して、ちょっと伝えきれてなかったなっていう部分があったように感じていました。
それで今回の旅を思いついたのが、ザンスカールのいちばん奥のところにプクタルゴンパっていう古い仏教の僧院があって、そこで真冬にプクタルグストルっていうお祭りが行なわれるらしいって話を聞いて、ただ真冬にそこに訪れるのはすごく大変なんで、ほとんど外部の人は見たことがないお祭りなんですね。それをなんとかして見れないかっていうのと、前から思っていた冬のザンスカールの真の有り様みたいなものを見届けることができないかなと思って、この旅をすればそれを見ることができるんじゃないかと思って、思いついたのが今回の旅のきっかけだったんです」
●本当に非常に過酷な場所ですよね?
「そうですよね。標高が3500メートルぐらい平均でありますし、周りが5000メートル以上の山で囲まれているところなので、冬は峠を越える道に雪が積もって行き来ができなくなってしまうんですね。ただ本当に真冬になると地元のザンスカールの人たちが使っている道ができていて、それは氷の川の上を歩いていく道なんですね。
それを現地ではチャダルっていう風に言われているんですけれども、冬にザンスカールに行くためにはそこを歩いていくことしか基本的に方法がないっていうことなので、僕も今回そのチャダルという氷の川の上を歩いて旅をして、真冬のザンスカールを合計で4週間近くかけて旅をした、それが今回の冬の旅という本ですね」
●旅を続けるってすごく大変なことなんじゃないですか?
「ただ今回は10年以上前からの友達であるザンスカール人のパドマ・ドルジェという友達がいるんですけれども、彼は本当にこのチャダルを数え切れないくらい旅をしたことのあるスペシャリストでガイドなんですね。で、彼と彼の従兄弟のゾクパ・タルチンという若い男の子が一緒に来てくれて、彼らとずーっと旅をしていたんですね。本当にもう珍道中みたいな感じで(笑)くだらないことばっかり話しながら歩いていたんで、だから大変なのは大変だったんですけれども、つらいとかそういう感じではなかったなぁという風に思っていました、はい」
●一緒に行く仲間たちってすごく大事な存在ですね!
「そうですよね。すごく彼らに助けられたし、彼らを通じてその現地の人たちとも交流することができましたから、すごく貴重な体験をさせてもらったなぁという風に思っています」
食べ物のありがたみ

※山本さんは、新刊『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』の中で「自然と人の間にあるものを、いつからか追い求めるようになった」と書かれています。自然と人の間には何があったのでしょうか。
「ザンスカールの人たちっていうのはすごく強大な自然の力を前にして、その中で生まれ育って人生を過ごしてくっていうことをやっているんですけれども、彼らはやっぱり自然に対して畏れ、恐怖のほうじゃなくて、畏れ敬うという意味での畏れを抱いているところはあるかなと思うんですね。自然の力を身をもって知っていながらも、ただ怖れるだけじゃなくって尊敬の念、畏敬の念も抱いているっていう部分もあると思うので、彼らはやっぱりそういう思いを抱いているからこそ、あの自然の中で生きていけるんじゃないかなという風に個人的には感じました」
●旅をしていていちばん大きなハプニングなどはなにかありました?
「本を読んでいただけたら分かると思うんですけど、だいたい毎日何か起こっているんですよ(笑)」
●確かにそうですね(笑)
「だいたい全部ハプニングだったっていう(笑)、まぁ、でも一緒に旅をしてくれたパドマ・ドルジェとゾクパ・タルチンがいてくれたおかげで、僕は本当に安心して、彼らを信頼して旅をすることができていたので、大丈夫だとは思っていました」

●色々な旅の中での出会いっていうのもありましたよね。
「そうですね。僕は現地の言葉が少し喋れるので、それで少し彼らとの交流、コミュニケーションもできたかなという風に思っていますし、ちょっとでもこちらがあっちの言葉を喋るとみんなすごく喜ぶんですよね、お前分かってんだな、みたいな感じで。だからそれはすごく楽しかったです」
●旅の中でいちばんの楽しみっていうと何でしたか?
「やっぱりご飯ですかね(笑)。食事はやっぱり1日の中での楽しみというか、食べないと身体が温まらないっていうのもあるので、ちゃんと食べて身体を温めて、ちゃんと歩けるようにするっていう意味でもやっぱり食べ物はすごく大事です。長い旅だったので、材料も限られているので、同じようなメニューばっかりになってしまうんですけれども、それでも食べられるものがあるだけありがたいっていうのはすごく感じました。
あとザンスカールに入ると行く先々の村でご飯を出していただいたんです。冬なので僅かな蓄えから少しずつ出している簡素な食事なんですけれども、やっぱり本当に美味しかったですし、おもてなしの心を感じたっていう部分もありました」
●現地で親しまれている食っていうと、どんなものなんですか?
「チベット文化圏なのでチベットに由来のある料理、例えばモモってわかりますかね、チベット風の蒸し餃子みたいなものなんですけれども。あとはチベット風煮込み料理のトゥクパっていう、うどんのような料理だったりとか、大麦を炒って粉にして食べるツァンパという食べ物だったりとか。あとはバターとお茶を攪拌して作るバター茶とか、そういったものがあります」
押し寄せる変化の波

※続いて、ザンスカールの旅で出会った人たちの暮らしぶりについて聞いてみました。
「彼らにとっては1年の半分ぐらいの間、あの場所は大自然の力によってロックダウンされてるようなものなんですよね。外部とも簡単に行き来はできないですし。で、短い夏の間に僅かな畑を耕して、食料を蓄えて、家畜の餌だったり、冬の間、燃料にするものだったり、いろんなものを蓄えて、冬の間はお祈りをしたりしながら、ひっそりと過ごすっていうのが彼らのライフスタイルなんですね」
●なかなか外部の方々が行って見ることができないお祭りを実際にご覧になっていかがでした?
「なんだろう・・・お祭りそのものの行事も大切なんですけれども、彼らはそのお祭りを通じて交流というか、近況報告をしあったり、若い人同士の間では携帯のワッツアップのアドレスを交換したりとかして、出会いの場にもなっていたりします。もちろん山奥なんで携帯はなかなか繋がらないんですけど(笑)、街に出た時にはやりとりしようよ、みたいな感じで情報交換をしていたりとか。本当に彼らにとっての生活の一部であるし、祈りの行事でもあるし、すごく大事な行事だったんだなっていうのは、現場に居合わせてやっぱり一際強く感じたところだったですね。
これは10年以上前からそうなんですけれども、僕はこのザンスカールだったり、ラダックだったりという場所をずっと定点観測的に見守り続けていかなきゃな、って思っているところがすごくあります。特にここ10年くらいでザンスカールもすごく大きな変化の波が押し寄せていて、開発も進んでいる部分もあって、もしかするとあと10年くらいしたら、この本に書いた物事が全部失なわれてしまうかもしれないっていう風に思っているんですよね。
現代社会がもたらす変化が全部悪いとは思わないんですけれども、それによってもしかしたら永久に失なわれてしまうかもしれないものもあるので、やっぱり人間はそういうことをもっと気にかけるべきだと思うし、それはザンスカールに限らず、日本でも世界のどこの場所でも言えることなのかなと思っていますね。だからそういうことをなんとかしてずっと伝え続けていきたいなと、個人的には思っています」
自然に対して謙虚に

※最後に、山本さんは秘境と言われる場所を多く旅されていますが、そんな旅からどんなことをいちばん感じるのか、お話しいただきました。
「そうですね、割と本当におっしゃるように秘境とか辺境ばっかり行ってるんですけれども(笑)、人間ってそんな大層な存在ではなくって、自然を構成する要素の中のひとつでしかないんじゃないかなっていう風に思っているところが僕はあるんですね。
でも、人間ってのは結構傲慢なところもあるので、その傲慢さによって、それまで保たれていたバランスみたいなものが、急にガタガタって崩れてしまうことがあると思いますし、世界中にそういう例はもう既にあっちこっちにあると思うんですね。やっぱり人間はもうちょっと自然に対して謙虚であるべきなんじゃないかな、っていうのはすごく思っていますね」
☆過去の山本高樹さんのトークはこちらをご覧下さい。
INFORMATION
山本高樹さん情報
新刊『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』
山本高樹さんの新刊『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』は雷鳥社から絶賛発売中です。
山本さん曰く、この本は一緒に旅をしてくれたザンスカールの友や出会った人々、そして、はるか昔から何世代にもわたって、文化や伝統をつむいできたザンスカールに生きる人々の「冒険の物語」だそうです。ぜひ読んでください。
山本さんの近況を含め、詳しくはオフィシャル・サイトをご覧ください。
●山本高樹さんのHP:http://ymtk.jp/ladakh/