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海の古代生物たちを「ジュラシック水族館」で展示!?

2025/11/9 UP!

 今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、東京都市大学・准教授で、古生物学者の「中島保寿(なかじま・やすひさ)」さんです。

 中島さんは1981年、東京都生まれ。東京大学から大学院に進み、2013年に理学博士に。現在は東京都市大学・准教授として活躍されています。

 子供の頃から博物館や図鑑に親しみ、化石や恐竜が身近な存在だったという中島さんは、ある科学雑誌の表紙になっていた小型の恐竜「デイノニクス」の絵に釘付けに。

 その絵は、今までのイメージを覆すように活動的に描かれていて、それを見た中島少年は「デイノニクス」がまるで生きているかのように活発に動いている様子をリアルに想像できたそうです。そのことがきっかけとなり、古生物の魅力に取り憑かれ、現在は古生物学者として活躍中。

 そんな中島さんが先頃『ジュラシック水族館へようこそ〜日本の化石からわかる海の古代生物』という本を出されました。

 きょうは、その本をもとに、海の古代生物を再現した架空の水族館や、水中に暮らしていた爬虫類の特徴のほか、化石が密集している地層「ボーンベッド」のお話などうかがいます。

☆写真提供:中島保寿、イラストレーション:工藤なくる(化学同人)

中島保寿さん

海の爬虫類「魚竜」

※中島さんのご専門は古生物学ということなんですが、その中でも海の古代生物、特に爬虫類や魚などの脊椎動物グループを研究されているそうですね。陸上の生き物ではなく、海の生物を専門にしたのはどうしてなんですか?

「もちろん海の生き物は水族館にいたりだとか、ダイビングをして観察したりだとか、それだけでもかなり魅力的なものだと思うんですけれど、そもそも陸の生き物と海の生き物、どっちの化石が多いかっていう話になると、これは圧倒的に海の生き物の化石が多いですね。

 というのも、地球の7割以上は海で覆われていて、その中で砂や泥がたまって地層ができて、そこで化石ができあがっていくわけなんですけど、それが陸上の地層に対して圧倒的に(海のほうが)地層の量が多いと・・・。

 化石もやはり(海のほうの)量が多くて、特に日本でいうと、陸上の動物よりも海の動物の化石がやっぱり圧倒的に多く見つかっています。実際にフィールドに行って化石を発掘して研究を行なっていると、最初に出会うのはやはり海の生き物なんですね。なので、より身近でよりアクセスしやすい化石っていうことで、海の生き物を中心に自然と研究するようになりました」

●おもに海のどんな古代生物を研究されているんですか?

「代表的なところでいうと日本の東北地方、宮城県とかで見つかっている化石で、『魚竜』っていう生き物がいるんですけれど、その魚竜は海に棲んでいた爬虫類の仲間です。爬虫類はトカゲとかヘビとかカメだとか、陸上に棲んでいたり、水辺に棲んでいたり、いろんな生き物がいると思うんですけど、特にその魚竜は完全に海の中で生活ができるように進化した生き物ということがわかっています」

魚竜の頭の化石(レプリカ)
魚竜の頭の化石(レプリカ)

●魚ではなく、爬虫類・・・?

「そうですね。形でいうと魚竜は、魚そっくりの形をしているんです。ただよく見てみると、例えば魚に特徴的なエラがなかったりだとか、鱗みたいなものがなかったり、よく見ると手足の形がちゃんとヒレに残っていたりということで、骨格から爬虫類だということがはっきりわかるんですね」

●化石を採取して研究していくんですよね?

「はい、実際に海岸付近の地層を観察したりとか、海岸に落ちている石をよく見てみたりすると、化石が入っていることがあるんですね。骨だとかそういったものの化石がよく見つかります。それを発掘してきて研究をするということを行なっています」

●メインフィールドはどこなんですか?

「先ほど挙げた東北・宮城県の南三陸が、ひとつの大事なフィールドになっています。この辺りはだいたい2億5000万年ぐらい前の化石が発見されるところです。2億5000万年前というと、かなり古い時代になるわけですけど、その頃に海の爬虫類が一斉に進化してきた、そういった記録が化石として見つかっています」

写真提供:中島保寿

「ジュラシック水族館」その真意

※中島さんの新しい本が『ジュラシック水族館へようこそ〜日本の化石からわかる海の古代生物』。タイトルにある「ジュラシック水族館」というのが気になったんですが・・・どんなコンセプトで書いた本なんですか?

「古生物学者の研究とはどういうものなのかを、包み隠さずに全てをお伝えしたいなというのが、ひとつのコンセプトなんですね。その中で我々(古生物学者)は何を目標にして、どんなことを目指して研究をしているのかを、一言で言い表すとどんなことだろうなって考えたんです。

 で、我々の研究はどんな生き物がいたのかっていうことだけではなくて、どんな場所で何を食べて、どのように生活していたのか、その過去の生き物がどのような生き様だったのか、ということを総合的に明らかにしていくこと。言ってみれば、生き物を飼育したりとか、実際に観察したりということができるようになるっていうのが、究極の理想なんだなっていうことを気がついたんですね。

 我々の研究はまるで、過去の生物が飼育されている水族館を建設するような、そういう作業なんだということで、ひとつの例えとして『ジュラシック水族館』という言葉をつけさせていただきました」

●本の最初にあるカラーの口絵が、まさにこの本を象徴しているような感じですね。日本近海に生息していた古代生物をジュラ紀とか白亜紀などに分けて、それぞれ巨大な水槽で飼育しているように再現しているということで、本当に水族館のような絵ですね!

イラストレーション:工藤なくる(化学同人)

「そこはコンセプトとして、実際に水族館のような形で、過去の生物を展示したらどうなるかというのを、イラストレーターのかたにいろいろとアドバイスをしながら描いていただいたという、そういう口絵になっています」

●これ全部、中島さんがイメージされたものなんですか?

「イメージ、デザインというか、こんな感じでどうかなっていうのを私のほうでアドバイスして、実際に描いているかたは、SNSなんかでも活躍されているイラストレーターのかたなんですけども、研究者でもあるんですね。いろいろ情報を提供して、それを形にしていただいているという感じです」

●具体的に何をもとに、どのようにイメージしたのかってありますか?

「やはり生き物の形だとか姿っていうのは、図鑑を見ればある程度、把握はできるんですけれども、それが実際にどういった動きをして泳いでいたのかだとか、何を食べていたのかだとか・・・・。

 あとは、過去の生き物の集合体で、生態系がありますけれど、生態系の中での生物の組み合わせだとか、相互関係がどこか垣間見えるような、そんな形で描いてほしいと・・・。

 なので、ここで描かれているひとつの水槽の中の生き物は、実際に同じ場所で生活していた生き物たちが、同時に描かれているというコンセプトになっています」

●この本は日本で発見された化石に絞って書いた本ですよね?

「そうですね。おもに日本で発見された化石が、もしかしたら、みなさんが知らないかもしれないけれども、こんなに魅力的な古生物の化石は見つかっているんだよということを紹介するのが、ひとつの本のコンセプトになっています」

(編集部注:中島さんによると、発見される化石の量や質はアメリカやモンゴル、中国などには敵わないそうですが、日本は地形的に化石が見つけづらい。それ故に見つかっていない化石が多くあるはずで、日本の化石発掘には、まだまだ可能性があるとおっしゃっていました)

アンモナイト
アンモナイト

海の生き物か、陸の生き物か、その違いとは

※化石を見て、これは海にいた生き物だとわかるのは、どうしてなんですか?

「それはいろんな理由がありますね。ひとつはまず化石は地層の中から出てくるものなので、岩石だったりとか堆積物って言われている、海底や陸上だったら湖で、たまった砂や泥の中から見つかるわけですね。

 で、その砂や泥が陸ではなくて海でたまったものであろうということは、いろいろな特徴から推測ができるわけです。その堆積物がたまった昔の環境から、生きていた場所を推測するという意味で、海の生き物か陸の生き物かを分けることはあります。

 ただ、ほかにもいろいろ理由はつけられることがあって、今も昔も海にしかいない生き物は、中にはいるわけですね。例えばヒトデだとかウニだとか、そういった棘皮動物って言われているものは、どの時代も淡水とか陸上に上がったことはないんですよね。そういった生き物が出てくると、”ああ、ここは海だったんだな”っていうことが推測できたりとか・・・。

 ほかにも例えば、陸上で生きている生き物たちと、水中で生きている生き物たちとの骨格の違いというのもありますね。
 陸上のほうが生活するには結構、制約が大きくて、重力に骨格が耐えなければいけない。そうすると体を支えるための十分な強度の骨があって、しかもそれは体を動かすために不便にならないように、多少軽くなってないといけないとか、いろんな制約が陸上だと、かかってくるんですね。

 で、海の中だとその制約から、ある程度解き放たれて、骨が例えばスカスカでもいいんじゃないとか、もうちょっと浮力に対して重力を加えて骨が重くなっていったりとか、いろんな変化が起こります。それによって、この生き物は陸上だけではなくて水中にも適応していたんだということがわかったりということも、研究としては行なっています」

古生物学は物的証拠次第!?

※以前この番組で「恐竜展」を取材した時に、最新の研究で映画「ジュラシック・パーク」でもお馴染みのスピノサウルスが陸上で暮らしていたのではなく、水中を泳ぐ生き物だったことがわかったということでした。何がわかって、そう結論づけられたんですか? 

「スピノサウルスという生物は、もともとは部分的な骨格しか見つかっていなかった、そういう恐竜なんですね。部分的に例えば、顎だとか背骨の一部だとか、そういったものだけを見ると、恐竜であることはわかっていても、近い生き物からすると陸上で生活していた、例えばティラノサウルスとかアロサウルスだとか、そういった陸上の肉食恐竜と近い生き物だろうということで、最初に陸上動物だという仮定がされていたわけですね。

 ところがその後に何十年もかけて、追加の化石が少しずつ見つかってきて、その中で例えば、手足の骨だとか頭の骨、下顎の骨だけじゃなくて頭の骨が出てきたり、最終的には尻尾の骨が出てきたりしたんですね。

 その結果、全身を復元すると、陸上を歩いていた二足歩行の恐竜としてはちょっと短足すぎると、足指も鋭い爪というよりは平たい爪を持っているし、水かきが付いていたんじゃないかなというふうに考える人もいます。

 最終的には尻尾がうなぎみたいに平たくって、それを使えば水の中で泳ぐことができただろうと、どんどん復元図というのも変わっていったし、それに伴って生活のスタイルもどんどん想像が変わっていったという結果で、イメージがどんどん変わってきた、そういう生き物なんですね」

●化石から読み解くのは楽しいですね!

「そうですね。まさにその物的証拠で、我々がその証拠として持っている部分以外は、推測するか想像するかしかないわけなんですね。やはりそれがこちらの期待とか予想を裏切る形で、何か証拠が新たに出てくると、これは大発見! ということで非常に古生物学の面白い部分になってくると思いますね」

いわき市アンモナイトセンター
いわき市アンモナイトセンター

(編集部注:中島さんが初めて化石を発見したのは、大学2年生の時。鉱物・化石サークルに入部して、福島県いわき市のアンモナイトセンターに化石発掘体験に行った時に、たまたま先輩から渡された割れた岩盤の中に、黒光りしている細長い三角形の物を発見!

 それはエナメル質で、鋭く尖っていて滑らかなだったことから、紛れもなく、サメの歯だとわかったとか。化石発掘の経験のない中島さんが白亜紀の地層からあっけなく化石を見つけてしまい、それが古生物の研究にのめり込むきっかけになったそうです)

サメの歯
サメの歯

「ボーンベッド」を見つけたら大成功!

※本の中に「ボーンベッド」という聞きなれない用語が出てきます。これは何なのか、ご説明いただけますか?

「『ボーンベッド』っていうのは、ボーンが骨とか脊椎動物の化石っていう意味で、ベッドが地層っていう意味ですね。ボーンベッドはそれだけで『骨の化石が密集している地層』という意味になります。

 原因はいろいろなんですが、過去にその地層ができる時に骨だとか歯だとか脊椎動物の死体、遺骸っていうのが密集して堆積するっていうことで、地層の中に骨ばっかりが密に集まっている、そういう地層ができることがあるんですね。フィールドでこれが見つかると大成功というか、いろんな生き物の情報がそこに詰まっているわけですから・・・」

●確かにワクワクしますよね。

「そうですね。これ自体を見つける経験は僕も数回しかないですけれど、非常にこれまでの研究で大きな意味を持っていますね」

●ボーンベッドはどうやって見つけたんですか?

「はい、ボーンベッドは、ぱっと見で骨が密集しているとか、化石が密集しているっていうことがすぐにわかるようなものでもなかったので、コツコツと『地質柱状図』っていう地層の記録を1枚1枚取っていく過程で見つけたんですね。

 地質柱状図は地層の特徴から、例えば環境の変化だとか、どのくらいの時代だったのかを推定するために、基礎的なデータを地層から記録していくんですね。

 その中で例えば、砂が多いだとか石が多いだとか、化石が入っているとか入ってないかっていう細かい記録を取っていく中で、これは魚の歯じゃないか! っていうものが最初に見つかって、その周りを見たら同じような化石が同じ層にずっと続いているっていうのがわかったんですね。

 それは1メートルとか5メートルとかではなくて、数キロにわたって同じような地層が続いているということがわかって、これは大きなボーンベッドであるというのが見つかったと、そういうケースがありました」

●見つけた時は、うわぁ~という喜びや感動があったっていう感じなんですか?

「そうですね。大感激大感動なんですけれど、多くの人がやっているような集団でというか、チームで発掘をしていた時ではなくて、ひとりでコツコツと調査していた時だったので、喜びを分かち合う人がいなくて、こっそりガッツポーズをするという、そんな様子でした(笑)」

(編集部注:中島さんが発掘調査の時に心かげているのは、思い込みを捨てること。経験を積めば積むほど、過去の知見にとらわれて見逃してしまうことがある。だから常に初心に立ち返って、先入観なく見ることを心がけているそうです)

写真提供:中島保寿

古生物学の醍醐味は、大逆転!?

※海の古代生物の研究者として、今後解き明かしたいことは何ですか?

「キーワードのひとつとしては、“大量絶滅”というキーワードがあります。大量絶滅というのは生物がこれまで少しずつ進化をしながら、現在の生き物になるまで変化を続けてきたわけなんですけども、それは必ずしもちょっとずつ変化してきただけではなくて、どこかで大事件があって変化を余儀なくされるというような、そういったことがあったんですね。

 それが大量絶滅というやつで、生き物は40億年ぐらいの歴史があって、その後半に5回ぐらい存亡の危機にさらされている、これを“ビッグファイブ”っていうふうに言ったりするんですが、5回のピンチに陥っているんですね。

 完全に生き物がいなくなってしまった可能性もあったぐらいのピンチに陥っていると・・・それはどうして起こって、そこから生物はどうやって回復して、今までなんとか命をつないできたのかということが、ひとつの大きなテーマになっています。

 私が研究している魚竜もひとつのピンチを乗り越えた生物のひとつで、2億5000万年前に大量絶滅という事件が起こって、これは火山の大噴火があったわけなんです。
 その影響で環境が大きく変わって、生き物の8割か9割ぐらいが死滅してしまうという、そういう大事件が起こったんですが、その直後に登場した魚竜たちは、いったいどうしてその後の時代を生き延びることができたのかということが、ひとつの謎として残っています。これを調べていきたいなと思っています」

●古生物学の魅力って何でしょう?

「先ほども少し申し上げましたが、生き物とか地球の歴史を明らかにする方法には、いろんな方法があると思うんですね。今生きている生き物からいろいろ推測をしたりとか、おそらくこうだろうなと推定をしたりとかもできるんですが、古生物学はやはり化石っていう進化の物的証拠を材料としているために、大逆転が起こることがあるんですね。

 これまでの定説を覆すということが、化石発掘っていうすごくアナログで原始的な方法で引き起こすことができる、大逆転することができる新しい発見を野外で行なえるというのが、ひとつの魅力なんじゃないかなと思います」

中島保寿さん

●最後にこの本を通してどんなことを伝えたいですか?

「この本は古生物の魅力そのものだけではなくて、古生物学という学問の魅力も同時にお伝えしたいなと思って書きました。
 学問の魅力っていうのは、まさにその学問に携わる人たちの魅力だと思うんですね。いろんな人たちがいろんな形で古生物学や化石に関わっています。それぞれの人たちの視点に立って古生物学とか化石を眺めてみると、いろんな楽しみ方ができるというのをお伝えしたいなと思いました」

(編集部注:古生物学を目指すかたへのアドバイスとして、好きは揺るがない。そこは持ち続けてほしい。そして小学生や中学生、高校生で学ぶ、すべて科目は無駄になることはない。生物学の研究に必ず必要になってくるので、しっかり勉強してほしいと中島さんはおっしゃっていました)


INFORMATION

『ジュラシック水族館へようこそ〜日本の化石からわかる海の古代生物』

『ジュラシック水族館へようこそ〜日本の化石からわかる海の古代生物』

 中島さんの新しい本をぜひ読んでください。お話にも出てきましたが、中島さんが日本産の化石からイメージして、細かいところまでこだわって、巻頭の口絵にした 架空の古代生物水族館、これは必見です。読み物としては、中島さん個人の数々のエピソードが記され、古生物学研究の舞台裏を知ることができる興味深い内容に溢れています。

 化学同人のDOJIN選書シリーズの一冊して絶賛発売中です。詳しくは出版社のサイトをご覧ください。

◎化学同人:https://www.kagakudojin.co.jp/book/b654034.html

 中島さんの研究室のサイトもぜひ見てください。

https://www.fossiljapan.com/japanese

橋は面白い! 橋旅のすすめ!

2025/11/2 UP!

 今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、旅行作家の「吉田友和(よしだ・ともかず)」さんです。

 吉田さんは1976年、千葉県生まれ。早稲田大学卒業。2005年に、初めての海外旅行で、新婚旅行を兼ねた世界一周の旅をまとめた本『世界一周デート』で作家デビュー。その後、夫婦で作った世界一周の旅行ガイドや、会社員生活の中で海外旅行の体験を綴った本が話題になり、旅行作家としての活動を本格化。これまでに訪れた国はおよそ90か国だそうです。

 現在は雑誌やWEBメディアなどでの執筆のほか、編集者として旅行ガイドの制作を手がけるなど、旅のスペシャリストとして幅広い活動をされています。

 旅のいろんな楽しみ方を提案されている吉田さんに、3年半ほど前にご出演いただいたときは、自分のうちの近所を、旅感覚で楽しむ『ご近所半日旅』について、いろいろお話をうかがいました。

 今回は、新しい本『橋旅のススメ!』をもとに、海に沈む橋や、ピンクの鉄骨が複雑にからむ橋のほか、吉田さんおすすめの「いい橋」のお話などうかがいます。

☆写真協力:吉田友和

吉田友和さん

橋は面白い!

※今回の新刊は国内での「橋旅」がテーマになっています。改めて「橋旅」とは、 何か定義があるんでしょうか?

「定義というかその名の通りで、橋を旅しようっていうコンセプトです。全国各地にある面白い橋を、そこを目的地として旅行に出かけて、その橋を見たりとか渡ったりというのを楽しもうっていう、そういった旅ですね。

 で、橋というとやっぱり交通のインフラで、土木とかそういったところの興味なのかなって、よく聞かれるんですけど、実はあまりそういうところはないんです。
 学術的に橋の成り立ちとかテクニカルな知識に興味があるというよりは、橋そのものの歴史だったりとか、その土地の感じとか、風景だったりっていうところに純粋に興味を持って旅行するような感じですね」

●「渡りたい時が渡りどき」と本にも書かれていました。この新しい本には30の橋旅が載っていますが、今までどれくらいの橋旅を体験されたんですか?

「橋旅と自分の中で明確に意識するようになったのは、ここ数年ではあるので、それに関しては今回の新刊で8割ぐらいは掲載したかなと思っています。ただそれまでにもいろんなところを旅する中で、結構、橋って各地にあるので、その都度、渡ってきたかなっていうような感じではあるんですけど・・・」

●今まで渡った橋は大体、数で言うとどれくらいになりますか? 

「橋自体は相当渡っているんじゃないですかね。海外とかも含めれば、100とかは渡っていると思います」

●橋にこだわった旅を始めたのは、何かきっかけがあったんですか?

「いちばん最初は、ミャンマーに『ウーベインブリッヂ』っていう、すごく長い木の橋があるんですよ、ミャンマーのマンダレイっていうところなんですけど・・・。そこの橋が面白そうだったので、結構前になるんですけど、そこを目的として旅行で行きました。それがきっかけと言えばきっかけというか、橋は面白いなと思ったんですよね。

 で、そのあとコロナもあって、ご近所旅で東京のレインボーブリッジとかを渡ってみて、やっぱり橋は面白いなみたいな・・・そこで改めて実感して、そこからいろいろと日本各地の橋を周るようになったかなって感じですね」

(編集部注:参考として、日本全国にはどれくらいの橋があるのか、国土交通省のサイトにはおよそ73万の「道路橋」があると記載されています)

渡れば長生きできる橋!?

※ここからは、本に載っている橋の中から、特に気になった橋についてうかがっていきましょう。

写真協力:吉田友和

●まずは本の表紙にもなっている石川県の「あやとり橋」。赤色で可愛いというか綺麗な橋ですよね、鉄骨の橋!

「そうなんですよ。表紙にここを選んだのも、やっぱり見た目のインパクトがあるかなって思いました。『あやとり橋』っていわゆる、あやとりのように鉄骨が入り組んでいる、そういった造形になっています。なんかちょっと現代アートみたいな感じなんですよ、橋と言っても・・・。なので、外観もユニークですし、渡ってもすごく変わった景色が楽しめます。

 石川県の加賀温泉郷の山の中にありまして、温泉街なんですけど、山歩きをちょっと楽しめたり・・・。下に川が流れていて、川床があって、そこにカフェがあったりとかして、ちょっとスウィーツを食べたりとかしつつ、夜は温泉宿に泊まってゆっくりしたりという、旅行のついでに橋も一緒に楽しめるみたいなところで、非常におすすめですね」

●それから青森県の「鶴の舞橋」。「渡れば長生きできる? 日本一長い木の橋を目指して!」ということで、橋の全長がおよそ300メートルもあるんですね?

写真協力:吉田友和

「そうですね。ここも見た目にインパクトがあって、湖の上に太鼓橋がかけられていて、絵になるようなところなんですね。都内でも駅の構内とかにポスターが貼ってあったりして、目にしたことがある人は結構いるんじゃないかなと思っているんです。

 先ほどお話ししたミャンマーの、最初に私が行った橋とすごく似ているなと思ったんですよね。やっぱり木でできた橋で、ミャンマーのほうが1キロぐらいあって長いんですけど、それでも国内で300メートルは結構長い橋です。長い木の橋って木の長さが長いっていうのと、長生きできる橋みたいなそういった意味もあるらしくて・・・長生きの橋ですね」

●長〜い木の橋、長生きの橋!

「そうです。長生きの橋みたいな、そこもちょっと面白いかなと思いますよね」

水没する橋!?

●あと沖縄県の「シールガチ橋」、こちらは「海にかけられた不思議な橋を見に南の島へ行く」というふうに書かれていましたけれど、久米島なんですね?

写真協力:吉田友和

「久米島ですね。満潮の時に(橋が)水没しちゃうんですよね。潮が引いている時にしか歩いていけないみたいなところです」

●橋の一部が水没するということですね?

「そうですね。水没してそこだけ陸につながらなくなってしまうので、何て言うんですかね・・・『モンサンミッシェル』みたいな感じですよね」

●タイミングを見て渡るっていうことですよね?

「そうですね。タイミングを見て渡る感じで、干潮時も岩場だったりして、歩いても結構大変なところではあるんですけど、橋に着くまでが冒険みたいな感じですよね」

(編集部注:吉田さんによると、特に珍しい橋として「日本三奇橋」といわれる橋が3つあるそうです。諸説あって、山梨県の珍しい構造の「猿橋(さるはし)」と山口県の木造の橋「錦帯橋(きんたいきょう)」は、どの説にも入っているそうですが、あとひとつはいろいろあって断定できないとのこと)

旅行プランは地図アプリ!?

※橋の名前で、これはいいネーミングだな〜と思った橋はありますか?

「ネーミング、そうですね・・・『ニライカナイ橋』というのが(沖縄の)本島にあります。ニライカナイというのは、沖縄で“理想郷”みたいな意味の言葉だそうなんです。

写真協力:吉田友和

 名前からして素敵ですし、沖縄って絶景もすごく多いと思うんですけど、そこはかなり私、個人的に沖縄で1、2を争う好きなスポットですね。海に向かって橋が伸びていて、ちょっと(橋が)カーブしていて美しい曲線を描いているみたいなところなんですよ。なので、晴れた天気のいい日に行くと、海をバックに青い空に橋が伸びているみたいな写真が撮れたりして、すごく素敵なところですね」

●お目当ての橋の情報は、どうやって集めるんですか?

「地図を見るのが好きで、地図アプリですね。地図をいろいろぐるぐる動かして拡大とかしていくと、たとえば半島とその先の小島の間に橋がかかっていたりとかわかるじゃないですか。“ここは橋でつながっているんだ”とか、そういうのがわかったりして・・・大きな湖にやたら長い橋がかかっているのを見つけたりとか、そういうきっかけがいちばん多いですね。そこから、気になったら細かく調べていく、みたいな感じですね」

●地図アプリを見て、それをもとに橋旅のプランを立てるっていう感じなんですか?

「そうですね。やっぱりどこの橋に行くかっていう、橋ありきではあるので、橋の所在地がわかったら、そこにどうやって行くのか、そこに行ったらほかにどんな楽しみ方ができるのか、どんな美味しいものがあるのかとか、そういうのを調べていくと、橋だけではなくて、ほかも含めて旅のプランってできていくのかなっていうふうに思います」

見た目が素敵、渡って楽しい

※橋旅は、その土地の文化や歴史を知るきっかけにもなりますよね?

「そうですね。きっかけは“橋”なんですけど、実際その地に行ってみると、ほかのものにもいろいろ興味がわいてきて調べたりもします。やっぱり橋だけではなくて橋を含めて、その土地や街のことを知るいいきっかけになるのかなとは思っています」

●橋の大小にもよると思うんですけど、渡り切った時とか渡っている最中にどんなことを考えているんですか?

「そうですね・・・橋旅に行く時って最初にまず橋にいきなり行くんですよ。いちばんのメインのテーマなので、それを逃しちゃいけないって、最初に行くんですよね。なので、渡り終わってお腹が空いていたりとかすることが多くて(笑)、じゃあ何を食べようかなみたいな・・・無事にミッション達成! みたいなところがあるので、渡り終えて打ち上げじゃないですけど、その土地の美味しいもの食べに行ったりとかっていうふうになりますね」

●吉田さんが思う“いい橋”ってどんな橋ですか?

「やっぱり見た目が素敵なのと、渡って楽しい! このふたつかなと思いますね。両方満たしている橋は、なおいいかなっていう・・・」

●吉田さんにとって「橋旅」とは?

「先ほども話が出ましたけど、橋だけではなくて橋のある街を旅するきっかけになって、結果的にその街を好きになったりとか、その土地のことを詳しくなったりとか、興味を持ったりとかっていうことがあるので、橋だけじゃなくて旅であるので、旅のひとつのテーマとして、自分の中ではすごく熱いテーマかなというふうに思っています」

『橋旅のススメ!』

●著者として新しい本『橋旅のススメ!』で、改めてどんなことを伝えたいですか?

「橋によっては、橋自体で観光地化していて名所になっているようなところもあるんですけど、割と今回の本では特に観光地ではないような橋も取り上げています。そういうところって昔から地元に普通にあって、地元のかたにとっては見慣れた景色みたいな感じだと思うんですけど、意外とそういうところは面白かったりするので、日本の各地にある橋が実は面白いっていう視点が、少しでも伝わればいいかなというふうに思っていますね」


INFORMATION

『橋旅のススメ!』

『橋旅のススメ!』

 この本では日本全国の橋を巡る旅の中から、30の橋旅を紹介。橋そのものの魅力はもちろん、街の名物やグルメなどの情報も載っていて、橋旅を体験しているような感覚になると思いますよ。この本を参考に、あなたも「橋旅」に出てみませんか。

 産業編集センターから絶賛発売中です。詳しくは出版社のサイトをご覧ください。

◎産業編集センター:https://book.shc.co.jp/22052

 吉田さんのオフィシャルサイトもぜひ見てください。

◎吉田友和:http://tomotrip.net

江の島の海をきれいに! NPO法人「海さくら」の「日本一楽しいゴミ拾い!」

2025/10/26 UP!

 今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、NPO法人「海さくら」の理事長「古澤純一郎(ふるさわ・じゅんいちろう)」さんです。

 今回は、シリーズ「SDGs〜私たちの未来」の第26弾! 「SDGs=持続可能な開発目標」の中から「つくる責任 つかう責任」そして「海の豊かさを守ろう」。

 古澤さんは1975年、船具屋、船の用具を扱う会社の長男として誕生。慶應大学では体育会テニス部に所属し、部活に没頭。卒業後は大手デパートを経て広告代理店に入り、マーケティング営業に従事。その後、実家の船具屋・古沢工業に入社し、現在は代表として活躍されています。

 そして2005年に大好きな江の島をきれいにしたいという熱い思いで、NPO法人「海さくら」を設立。「目指せ! 日本一楽しいゴミ拾い!」をキャッチフレーズにユニークで楽しい、いろんな活動に取り組んでいらっしゃいます。

 古澤さんは、ゴミ拾いを楽しくするために、いろんな企画を考えるアイデアマンなんです。

 きょうは「どすこいビーチクリーン」や「ブルーサンタ」などとってもユニークなゴミ拾いイベントのほか、タツノオトシゴが生息できるきれいな海を取り戻す活動のことなどうかがいます。

☆写真協力:NPO法人「海さくら」

NPO法人「海さくら」の理事長「古澤純一郎」さん

目指せ! 日本一楽しいゴミ拾い!

※「海さくら」という団体は、おもに江の島でゴミ拾い活動をされている、ということなんですが、どんな思いで「海さくら」を立ち上げたんですか? 

「単純に海が好きで、海が汚かったので、絶対にきれいにするぞ! という気持ちで立ち上げました」

●何かきっかけがあったんですか?

「きっかけはいろいろあったんですけれども、第一子が生まれるタイミングであったり、私自身が船の道具屋さんってこともあったり・・・。

 BEGINっていうバンドが沖縄で『うたの日コンサート』っていうのをやっています。それが押し付けがましくないんだけれども、戦争のこととか、おじいやおばあへの感謝の気持ちを伝えるようなコンサートに出会って、社会貢献っていうのは押し付けなくても、こんなに楽しく展開できるんだとか、そういういろんなことが重なって、この活動をするって決めました」

●最初はおひとりで始めたんですか?

「そうです。ひとりでもこの浜ぐらいだったらきれいにできると思っていたんです。そしたら全然できなかったっていう(苦笑)」

●最終的な目標としては、どんなことを掲げているんですか?

「江の島に昔、タツノオトシゴという魚がいたんですけれども、それが戻ってくるくらい海をきれいにするという目標を持っています」

●「海さくら」というネーミングも素敵ですよね。どんな思いでこの「海さくら」という名前にしたんですか?

「ちょっとロマンチックなんですけど、江の島近辺から海を見ていて、夕陽が沈む時に海面がキラキラキラってゴールドになるのは、みなさんご存知だと思いますが、ピンクにキラキラキラって桜の花びらみたいに見える瞬間があります。だけど、足もとは汚かったので、足もとまで海の桜を守っていきたいという気持ちで、恥ずかしながら(笑)(そう名付けました)」

●いや〜素敵です! 江の島を活動場所にされたのは、やはり地元だからっていう感じですか?

「いえ、地元は東京の隅田川付近なんですけれども、好きでTUBEだったりサザン(オールスターズ)だったり、加山雄三・・・昔からの憧れもあって、デートも常に江の島だったので、江の島をきれいにしたいと思いました」

●「海さくら」のオフィシャルサイトを拝見すると、とっても賑やかでいろんなイベントをされていますよね。キャッチフレーズが「目指せ! 日本一楽しいゴミ拾い!」ということで、楽しいというのがポイントなんですか?

「そうですね。なかなかゴミ拾いしようって言っても、僕も行きたくないですし、みんなも来てくれない。僕は本当に単純なことだと思っていて、ゴミ拾いをもっと楽しくすれば、海に来て海の素晴らしさを感じてもらって、一回でもゴミ拾いをすると、ガラッと変わるんですよね。

 まずは来てもらいたくて、来てもらうためには、どうしたらいいのかって思ったら、やっぱり楽しくないとみんな来ないし、僕たち自身の(活動の)継続も危うくなってくるので、始めて5年ぐらいしてから『目指せ! 日本一楽しいゴミ拾い!』という合言葉をつけました」

●初めは違ったんですか?

「最初はめちゃめちゃ真面目にやって、どんどん人を無理やり呼んで、あんなに押し付けちゃダメだと思いながら始めたのに、実際自分が始めると、プライドだったり、見栄だったりあるのかわからないんですけど、電話して”来てよ!”とか、みんなに言って無理やり来てもらって、疲弊しちゃったんですよ、友達たちも・・・。それはいろんなボランティア団体でもあるとは思うんですけれども、そこから脱却したんですね」

写真協力:NPO法人「海さくら」

(編集部注:江の島の海岸で行なっている月一回のゴミ拾いは、誰でも参加できて、現在は400人から500人規模の大イベントになっているそうです。古澤さんがおっしゃるには、ゴミ拾いに参加すると江の島の海・空・風を感じることができるし、なにより海に来ると気持ちがいい。それがいちばんの醍醐味だそうです。

 ちなみに参加者のかたには、スタンプカードを配っていて、12回参加すると、ゴミ拾いの達人T シャツ! 5年がんばると、ゴミ拾い用の「ブラック・トング」がもらえるそうですよ。どんな景品なのか、「海さくら」のオフィシャルサイトを見てくださいね)

どすこいビーチクリーン!

※スタンプカードもそうなんですが、ゴミ拾いを楽しくするために、そして誰もが参加したくなるような、いろんな仕掛けをされています。特に面白いと思ったのが「どすこいビーチクリーン」! ネーミングでわかるようにお相撲さんと一緒にゴミ拾いをするんです。

 お相撲さんが参加するようになったのは、古澤さんがマーケティングの仕事で、江東区にある大鵬道場・大嶽部屋に行ったのが始まり。親方にゴミ拾いの話をしたら、協力してもらえることになったとか。現在は、5つの相撲部屋に協力してもらっているそうです。

●砂浜でお相撲さんと相撲をとったりしている写真がサイトに載っていましたね。

「ピッカピカにした、要は自分たちがゴミ拾いをして、土俵というか遊ぶ場所もピッカピカにして、投げられてもいいぐらいにピッカピカにして、そこで子供たちも大人たちも現役のお相撲さんに闘いに行くわけですよね。はっけよい、のこった! って言って、ぶん投げられたりしても最高のイベントです!」

写真協力:NPO法人「海さくら」

●楽しそうですね〜!

「なかなかお相撲さんと触れ合う機会はないので、一回、僕もお相撲さんのおへその中に指を突っ込んだらイソギンチャクみたいな感じだったし、なんかね、とってもいいんですよ、お相撲さんって(笑)」

●それもきれいな砂浜じゃないとできないですよね?

「その通りですね。汚くても土俵の円ふたつは絶対にきれいにすれば遊べますし、きれいにしたらやっぱり笑顔も広がりますよね。遊ぶ場所も増えるから、とてもシンプルなゴミ拾いだと思います」

●ほかにもスポーツチームと一緒にゴミ拾いをする「LEADS TO THE OCEAN」というのをやっていますよね。スポーツチームと組むのは何か意図があるんですか?

「『海さくら』を2005年に立ち上げて、拾っても拾ってもゴミがやってくるということに気づくわけですね。なんでだろうって思っていろいろ調べていったら、海ゴミの約7割、8割が川、町からやってくるってことに気づくんですね。

 だから最初、ひとりでやり始めた時は、ひとりで全部拾っちゃえば、長い時間、海はきれいにできると思っていたんですけど、町がきれいになれば、逆に海がきれいになるってことがわかってきました。

 でも町の人に伝えるって、ものすごく大変で、どうしたらいいかなと思っている時に、我々の本拠地、神奈川県藤沢市のチームは湘南ベルマーレなので、湘南ベルマーレの選手が『海さくら』のゴミ拾いに来てくれていたんですよ。

 選手が来るから、ゴミ拾い行こうっていうのもひとつの・・・お相撲さんが来るからゴミ拾い行こう、ベルマーレの選手がいるからゴミ拾い行こうと一緒で・・・。それで当時の社長、大倉社長と、実は町からゴミがやってくるから、湘南ベルマーレのホームスタジアム、今は『レモンガススタジアム平塚』って言うんですけど、1万5千人も収容するんですよ。

 そこの大画面で、海のゴミは町からやってくるっていうのを伝えさせてもらって、試合終了後にホームゲームは全部ゴミ拾いをさせてほしいと・・・それで始まったのが2015年で、今では24チームのプロスポーツチームと協同してやっています」

写真協力:NPO法人「海さくら」

●あと「BLUE SANTA」というのもありました。これは何でしょうか?

「これは、つるの剛士さんとも協力して、いろいろやっているんですけれども、『海の日』というのは海の恩恵に感謝をする日ですよね。ただゴミ拾いをする、感謝するっていうのではインパクトがないので、たくさんの人に『海の日』だけでも海への思いをアクションに変えてもらえないかと思っています。

 赤いサンタクロースは、クリスマスの日に白い袋から子供たちにプレゼントする、青いサンタクロースは『海の日』に白い袋にゴミを入れて、未来の子供たちのためにいい浜を作っていくというコンセプトで、これも10年ぐらいやっています」

(編集部注:スポーツチームと一緒にやるゴミ拾い「LEADS TO THE OCEAN」にはJリーグのチームはほとんど参加していて、ジェフユナイテッド市原・千葉とも一緒に活動しているそうですよ)

エノシゴくんに、ブルーマン!?

※ゴミ拾いイベントに、キャラクターが登場することがありますよね。

「そうなんです。特に10代の子供たちの、”海離れ”のデータがあるんですけれども今、海に関心がない10代の子供は4割もいるんですよ。その子たちが大きくなったら、海なんかどうでもいいやって(なると思うんです)。

 僕は危機感をすごく持っていて、やっぱり自然の中で遊ぶと、怖さもありますし、感謝の気持ちもわきます。僕は子供のうちにいろんなことを体験するべきだと思っています。

 子供たちにゴミ拾いがあるから来てって言っても、なかなか来てもらえないので、いろんなキャラクターを作って、子供たちに来てもらえるような、親御さんにも来てもらえるような、子供たちのために(キャラクターを)作っていますね」

写真協力:NPO法人「海さくら」

●「エノシゴくん」というキャラクターもいますけれども、これはどんなキャラクターなんですか?

「これは江の島の『エノ』と、僕たちが(江の島の海に)戻したいタツノオトシゴの『シゴ』を取って、『エノシゴくん』と名付けたキャラクターの着ぐるみです。黒く汚れちゃって怒っているんですね、人間に対して。で、その着ぐるみはお腹が金色で、触ると金運が上がると、大人たちにもPRしています(笑)」

●ほかにも全身をブルーのタイツに身を包んだ「CHANGE FOR THE BLUE MAN」というキャラクターがいますけれども、これは・・・?

「これは僕なんですよ。すごく評判が悪くてですね」

●ええ〜っ!? すごく素敵です! 面白いなと思って・・・(笑)

「本当ですか・・・? コンプライアンス的にギリギリだって言われているんですけども・・・」

写真協力:NPO法人「海さくら」

●リスナーさんに、写真をご覧になっていただきたいんですけれども、古澤さんだったんですね!

「そうなんですよ」

●ブルーのタイツに身を包んだブルーマンは、何をアピールするキャラクターなんですか?

「本当にこれはふざけているわけじゃなくて、”Change for the blue”と胸に書いてあるんですけれども、ゴミ拾いとか環境活動って、どうしても始めた時に、”偽善者だ”とか、”仕事じゃないの?”とか、なかなか受け入れてもらえない、今でもそうなんですけど、そんなことがあって・・・。

 ゴミ拾いって誰でもできるんだよっていう、決して真面目じゃなくたっていいんだよと、思いがあればできるってことをちょっとPRしたくて、真面目な人=ゴミ拾いじゃなくても、ふざけていてもゴミ拾いはできると、いろんなやり方があるんじゃないかってことを体で表してます!」

●全身で表現されていますね!

「どうやらその趣旨がなかなか伝わらないので、聞いていただいて、ありがとうございます」

(編集部注:ほかにも「海洋戦士シーセーバー」というキャラクターがいて、スーパーヒーローとして番組を制作し、TVKで放映していたそうですよ)

写真協力:NPO法人「海さくら」

※月一回のゴミ拾いで、どれくらいの量のゴミが集まりますか?

「日によって全然違うんですね。先ほど町からゴミがやってくる、川を通じたり下水道を通じたりしてやってくるんですけれども、雨が多い次の日はものすごく海岸にゴミが打ち上がります。
 台風のあとなんて、拾っても拾ってもとんでもない量になりますので、基本的に日によって違うというのが正直なところですね」

●拾っても拾ってもなくならないよ~っていう、諦めに似た気持ちになったことはなかったですか?

「ないですね。絶対にきれいにしたい! という本当に夢があって、ひとりから始めて、今は『BLUE SANTA』でも全国で1万人以上やってくれるようになったりして、諦めなければ絶対にきれいにできると思っています。
 本当に海はきれいなほうがいいと思うので、できる! と思ってやっています。だから一回も思ったことないです」

(編集部注:古澤さんは、町と海は川や排水溝とつながっている。排水溝は「海の入り口」だと思ってもらえたら、とおっしゃっていました)

タツノオトシゴを江の島の海に!

※ゴミ拾いのほかに「海さくら」の大きな柱として「海創造プロジェクト」というのがあります。どんなプロジェクトなのか、ご説明いただけますか?

「僕たちの目標のタツノオトシゴを(江の島の海に)戻すということにおいて、ゴミを拾っているだけだと、どうやったらタツノオトシゴが戻ってくるかってわからないじゃないですか。
 本当にタツノオトシゴを戻したいと思って、いろいろ勉強していくうちに、海底に森がないとタツノオトシゴが戻ってこないということがわかったんです」

●海底に森・・・!?

「はい、ワカメとかヒジキとか、アカモクとかホンダワラとか、そういった海藻類があることを『海の森』と言っているんですね。

 それがあると、まず植物性プランクトンが生まれて、動物性プランクトンが生まれて、それを食べる小さな魚が生まれて、それを食べる中くらいの魚が生まれて、それを食べる大きな魚、頂点のところにはサメとかクジラとかがいるんですね。

 その生物生態系とか食物連鎖って言われているピラミッドの底辺、いちばん大事なところというか、どこも大事なんですけど、海底の森がなければ、タツノオトシゴも戻ってきませんし、その頂点にいる魚にも影響するので、海底に森を作ろうと思いました。

 ここ10年ぐらいで海底の森が本当になくなったんですよ。海藻類も10年前は海岸に上がってきちゃって浜が磯臭くなったり、鎌倉とかドライヴすると、ワカメとかたくさん上がっていたんですけど、今はほぼゼロです。

 実際ダイビングを僕もするんですけど、15年前ぐらい前、同じ湘南の葉山でダイビングしたら、海藻をかき分けながら水中を潜るんですよ。今ほとんどないですから・・・江の島周りなんてもう何もなくなっちゃっています」

●海底に森を作るには、どんなことが必要になってくるんですか?

「僕たちは『アマモ』という海藻を選択して、どこかから根こそぎ取ってきたら、そこがなくなっちゃうので、そこからタネを・・・タネと根から育つのがアマモなんですよ。そのタネをもらってきて、ちょっとだけお借りしてきて、それを水槽で育てて、大きくなったらダイバーと一緒に植えるという作業を繰り返しています」

写真協力:NPO法人「海さくら」

●もともとは江の島の海にタツノオトシゴはいたんですか?

「いたんです! 本当にいたんです! 海底に森を作る時にダイバーさんと潜っていると『ハナタツ』という、タツノオトシゴとほぼ見かけは一緒なんですけど、見つけました」

●ご覧になったこともあるんですね!

「あります! 葉山にはいます。江の島の住民のかたたちも、“昔は泳いでいたら見られたよ“っていうこともいろいろ調査して・・・もちろんいたから、それを戻すということですね」

●専門のかたがたにも協力してもらって、海底に森を作ろうっていうことをやっていらっしゃるんですよね?

「そうなんです。海底に手を入れるというのはものすごくデリケートで、何か変なことをしてしまって駄目にしちゃいやなので、神奈川県水産技術センターの工藤孝浩さんという、さかなクンの師匠だったり、いろんな人に協力していただいて慎重にやっています」

(編集部注:アマモを植えているのは、もともと藻場があったエリアで、江の島の裏側、稚児ケ淵(ちごがふち)あたりだそうです。
 現在、五代目のアマモを植えてあるそうですが、ヘドロが堆積していて思うように増えていかないとか。海底の土の改善ができれば、一気に増える可能性もあるとのことです)

海が大ピンチ! みんなで一緒にきれいに!

※古澤さんが「海さくら」を立ち上げて、20年が経ちました。振り返ってみて、どんな思いがありますか?

「もうね、あっという間っていう感じで、もう20年経ったんだっていうのが正直なところと、結果が出ていないので悔しい思いと、本当に(江の島を)きれいに絶対したいので頑張っていきたいなって思っています」

●20年が経って本も出版されたんですよね?

「はい、しました!」

NPO法人「海さくら」の理事長「古澤純一郎」さん

●『目指せ! 日本一楽しいゴミ拾い! 行動力が海を変える 20年の軌跡』という本ですけれども、これはどんな内容なんですか?

「今『海さくら』のホームページを見たかたは、たぶん(これまでの活動が)順風満帆で、たくさんのスポンサーがついてっていうふうに思われがちなんですけど、そんなことないよと・・・ひとつひとつやって失敗してきて今があるっていったところと、これを読むと、海の現状がちょっとわかってくるような本になっています」

●今後のゴミ拾いで、また何か新しい仕掛けとか考えていらっしゃいますか?

「あまり考えていないんですね(笑)。誠実にしっかりやっていきたいと思っています」

●今後、特に力を入れていきたい活動はありますか?

「やっぱり二本柱の一本『海底に森を作る』というところで、今、土壌改善に燃えています」

●改めて「海さくら」の活動を通して、どんなことを伝えていきたいですか?

「とにかく海が大ピンチだと思っています。一瞬きれいに見える浜でも膝をつくとプラスチックだらけ、やっぱりゴミがある海が当たり前と思っちゃいがちなんで、いやそんなことないと。

 自分の町にある浜にゴミがなくなってきれいになったら、魚もやってくるし、そういうのを子供たちと一緒に見たり、恋人と見たり・・・おじいちゃん、おばあちゃんになって見たら、絶対幸せだと、絶対はないけど、いいと思うんですよ。

 それは力を合わせれば、町からゴミをなくしていけば、絶対できるので、やりましょう! っていうか、ワクワクの海を、ひとりじゃ無理なので、みなさんと、できると思えば、できるので、一緒にやりたいなと思います」

☆この他のシリーズ「SDGs〜私たちの未来」もご覧ください。


INFORMATION

「海さくら」主催のゴミ拾いイベント

 次回のゴミ拾いイベントは、11月15日(土)の予定です。今回はスクーバダイビングの団体PADIとの対談や、海岸で拾ったプラスチックでアート作品を作るワークショップなどが予定されているそうです。参加ご希望の方は、事前に「海さくら」のオフィシャルサイトからお申し込みください。参加は無料です。

『目指せ!日本一楽しいゴミ拾い! 行動力が海を変える 20年の軌跡』

『目指せ!日本一楽しいゴミ拾い! 行動力が海を変える 20年の軌跡』

 「海さくら」の発足から20年の節目に出版した本は、古澤さんの情熱と挑戦と、20年の奮闘ぶりが手に取るようにわかる力作です。ぜひ読んでください。
 「はるかぜ書房」から絶賛発売中です。詳しくは出版社のサイトをご覧ください。

◎はるかぜ書房:https://harukazeshobo.com/2025/09/01/

 「海さくら」の活動についてはぜひオフィシャルサイトを見てください。いろんな活動をされていて、きっと驚くと思いますよ。

◎海さくら:https://umisakura.com/

どんどん好きが増えていく「旅」が大好き!

2025/10/19 UP!

 今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、モデルのkazumiさんです。

 ファッションモデルとして活躍中のkazumiさんは旅が大好きで、旅先で撮った写真をSNSで発信。また、ナチュラルなライフ・スタイルも注目され、フォロワー数が10万人を超えるほどの大人気なんです。

 kazumiさんは奈良県出身。もともと旅好きで、気づいたら休みのたびに旅行に行っていたそうです。国内では温泉地や神社仏閣巡り、海外はここ数年、韓国にハマっていて、月に一度は出かけているそうですよ。

 ちなみに初めての海外はグアム。学生時代にモデルのお仕事として、CM撮影のために行ったとか。同じ国に行くことも多くあるそうで、これまでにプライベートを含め、20カ国くらいを旅したそうです。

 そんなkazumiさんが先頃、大好きな韓国のガイドブック『わたしの週末ソウル』を出されました。

 きょうは韓国ソウルのお話はもちろん、今年、プライベートで出かけたインドやメキシコでのアクティヴィティ体験のことなどうかがいます。

☆写真協力:『わたしの週末ソウル』宝島社
      『リンネル』宝島社

kazumiさん

旅先の情報はガイドブックで収集!?

※韓国ソウルのお話の前に、kazumiさん流の旅のスタイル的なことからうかがっていきましょう。プライベートな旅の場合、どこに行くのか、決め手になることはどんなことですか?

「決め手は・・・ひとりで行く時は、近場の台湾だったり韓国だったりするんですけれども、プライベートだと夫と行くことがいちばん多いので、ふたりともちょこちょこ海外には行くので、ふたりとも行ったことがない国を、ここ数年は探すようにしていて、去年はインドに行ったりとかしています」

●旅先の情報は、どうやって調べるんですか?

「ガイドブックが好きなので、ガイドブックを読むこともありますし、SNSをたくさん見て、そこから行きたいところをピックアップしたりですとか・・・。YouTubeも見ますし、情報収集はすごくするほうなので、事前に下調べはたくさんしてから旅に出かけることが多いです」

●旅先でのスケジュールも、きっちり決めてから行く感じですか?

「ひとりの時はすごく効率よく回りたいなと思うので、きっちりスケジュールを決めていくことが多いんですね。友人とだったり夫婦の旅は、割とゆったりでもいいのかなと思うので、決めては行くんですけど、ゆとりあるスケジュールで動いたりですとか、何もせずにホテルでのんびり過ごしたりみたいなこともあります」

●旅先で必ずやることはありますか?

「旅先で必ずやることは、ローカルフードを食べに行くことですね。ご飯を食べるのがすごく好きなので、少しいいお店に行くのも好きですし、地元の人が通うようなお店に行くのも好きなので、探して行くことが多いです」

●今まで食べたローカルフードの中で、いちばん美味しかったものは何ですか?

「いちばんって言うとすごく迷うんですけれども・・・近々だと去年、インドで食べたカレーはすごく美味しかったです!」

●本場のカレー!

「はい! とっても暑かったので、すごく汗もかいていますし、香辛料のあるちょっとピリッと辛いものだったりとか、刺激的なものを食べた瞬間にすごく生き返った感じがしました。
 あとローカルフードではないですけれども、すごく暑かったので、その時飲んだコーラも美味しく感じて(笑)・・・っていうのが思い出にありますね」

旅のファッションは、その土地の「色」!?

※去年はインド、今年はメキシコの高級リゾート地、ロスカボスへ行かれたそうですね。

 インドでは民族衣装を着ている写真もSNSで拝見しました。インドは気温や湿度が高い場所だと思いますが、実際にインドの民族衣装を着て、どうでしたか?

kazumiさんのInstagram
kazumiさんのInstagram

「すごく可愛いんですけれども、インドの気候に慣れていないので、日本よりはるかに暑くて、すごく汗だくになっちゃいました」

●やはりモデルという職業柄、着こなしにもこだわりがあるんじゃないですか?

「そうですね。旅のファッションにはこだわりがあって、事前に行く場所を調べて、その土地その土地に合ったお洋服を選んで着ていくことが多いんですね。

 民族衣装もそれの延長というか、せっかく現地に行ったなら、民族のその土地ゆかりのあるお洋服を着たいな~と思って、民族衣装を着るのが最近ちょっとした趣味になりつつあります」

●土地に合ったファッションをするというのは、具体的に選ぶポイントはどんなところになるんですか?

「まず、行く場所にどういう建造物があるのかを調べて、その色合いとかを見ます。写真は必ず思い出として(残すために)撮るなっていうのは思っていますし、仕事柄、写真を撮る機会もすごく多いので、そこの土地に合った色合いであったり、TPOに合わせたファッションを選ぶようにしています。

 土地によっては、肌を見せたりしてはダメなところもありますし、それも事前に調べたりとか、気温も調べたりとかして行きますね」

好奇心旺盛、何にでもチャレンジ

※kazumiさんが今年行ったメキシコの高級リゾート地、ロスカボス。その印象は、治安もよく、街もきれいで、夢のような場所だったそうですよ。

 ロスカボスではクルーズ船に乗ったそうですね。

写真協力:『リンネル』宝島社
写真協力:『リンネル』宝島社

「クジラを見に行くホエール・ウォッチング・ツアーがあって、クルーズ船というか、比較的コンパクトな船ではあるんですけれども、それに乗ってクジラを見に行きました。

 ロスカボスはクジラの遭遇率が96%を超えるぐらいの確率なんですね。なので、それを目的に観光に来られるかたもいらっしゃるくらいなんですけれども、そこでクジラを見たことはすごく感動しましたね。

 想像以上に近い場所でクジラを見られるんですね。なので、すごく迫力も満点でしたし、クジラがジャンプして、また海に潜っていく姿だったりですとか・・・ロスカボスは親子の、大きいクジラと子供のクジラが泳いでいるのも見られたので、すごく神秘的な感じがしました」

●乗馬にもチャレンジされていましたよね?

「はい!」

写真協力:『リンネル』宝島社
写真協力:『リンネル』宝島社

●乗馬は結構されるんですか?

「そんなに頻繁にというわけではないんですけれども・・・。メキシコの地で初乗馬というわけではなくて、もともと高校時代の友人が馬の競技の選手をやっていたっていうのもあって、割と学生の頃から馬に乗る機会はちょこちょこありました。馬がすごく好きなので、またメキシコの地でも乗られて嬉しいなと思っています」

●旅先ではいろんなことにチャレンジされている印象があるんですけど、いかがですか?

「割と好奇心が旺盛な性格なので、何でもチャレンジするほうです。アクティヴィティもそうですし、食べたことないものも、とりあえず食べてみようかなみたいな感じで、ちょっと軽い感じで何にでもチャレンジします。

 ダイビングをやったりですとか、気球に乗ったりパラグライダーをやったりとか、できるアクティヴィティは可能な限り挑戦するタイプですね」

●ダイビングは「海」で、気球は「空」ですけれども、どんなことを感じられましたか?

「そうですね・・・どちらも言えることなんですけれども、海は静かで穏やかで広~い世界が広がっていて、空も広大な景色が広がっていて・・・自分が小さいというか、悩みとかもあまり気にしなくていいな~って、いつもアクティヴィティを体験すると、悩んでいることとか、そんな大したことないな~っていうふうに思ってしまいます(笑)」

韓国は行くたびに発見、刺激的!

『わたしの週末ソウル』

※ここからはkazumiさんが先頃、出されたガイドブック『わたしの週末ソウル』についてお話をうかがっていきます。この本はひとことでいうと、どんなガイドブックなんですか?

「韓国のソウルをメインに今回、ガイドブックを作らせていただきました。すぐに韓国に行く予定はないよというかただったり、行ったことないよっていうかたもいらっしゃるかなと思ったので、日本でも楽しめる内容にしています。

 雑誌『リンネル』で『kazumiが学ぶ、ときめきの韓国』という連載を1年間やらせていただいていたんですけれども、そこでは日本にいながら、韓国料理だったり、韓国のお菓子のレシピだったりとかを学んだりする機会があったので、それを再編集して載せていたりもします。なので、韓国だけじゃなくて日本でも楽しめる内容になったかなと思っております」

●食、ファッション、美容、カルチャー、それから韓国料理のレシピまで載っていますけれども、コンセプトと言うとどんな感じになっていますか?

「コンセプトは・・・私が本当に行って良かったというところだけを厳選して載せています。私が大切な家族や友人たちを連れていくなら、どこに行きたいかっていう視点で、本当にお勧めだけを載せた厳選のガイドブックにしています」

写真協力:『わたしの週末ソウル』宝島社
写真協力:『わたしの週末ソウル』宝島社

●本の最初に子供の頃、ガイドブックを見ながら旅のしおりを作るのが好きだったと書かれていました。kazumiさんの原点が込められたような本ですよね。

「そうですね。夢が形になった本と言いますか、私のやりたいことを全部詰め込められたので、今回すごく満足の仕上がりになっています」

●料理研究家の「コウケンテツさんに学ぶ家庭料理」というページもありました。「キムチスンドゥブチゲ」が美味しそうでした!

「あっ、よかったです! すごく美味しいですけれども、コウケンテツさんのレシピは比較的簡単にとり入れやすくて、作りやすいレシピが多いんですね。YouTubeでも美味しいご飯のレシピをたくさん紹介されています。

 この本に載っているレシピも、家にあるようなもの、スーパーで買えるようなもので、すぐに韓国料理を楽しめるレシピを今回教えていただいたので、そちらもぜひチェックしていただけたら嬉しいなと思っております」

●今回のガイドブックには、スケジュール別モデルコースというのが載っていて、弾丸24時間帰国とか、1泊2日、2泊3日とか、いろんなモデルコースが載っていました。弾丸24時間っていうのもできちゃうんですね!

「そうなんですよね。深夜の便で発っていただいて早朝に着くようにしていただけると、弾丸24時間で帰って来られるというモデルコースも、この本ではたっぷり紹介しております。

 私がこの『わたしの週末ソウル』の撮影に行った後に、実際に追加で、自分で体験してきて、無理なく回れるかを確認してきたコースを載せております。そちらもぜひ本でチェックしていただけたら、その通りに行ったら24時間でも大満足していただけるんじゃないかなと思っております」

写真協力:『わたしの週末ソウル』宝島社
写真協力:『わたしの週末ソウル』宝島社

●kazumiさんを惹きつける韓国の魅力をひとつ挙げるとしたら、どんなことがありますかね?

「そうですね・・・韓国は行くたびに新たな発見があるんですね。というのも、韓国は割と流行りの移り変わりが激しいので、半年行かないだけで、その土地が全然違う様子になっていたりですとか、すごく人気店だったのがもう閉店していたりとか・・・。

 逆に新しいホットスポットができていたり、行くたびにすごく刺激的で、行っても行っても、また次の新しいものに出会えるので、新たな発見があって飽きないところかなと思っております」

写真協力:『わたしの週末ソウル』宝島社
写真協力:『わたしの週末ソウル』宝島社

新たな自分を発見できる時間

※kazumiさんが旅先で心が躍るのは、どんな時ですか?

「見たことのない景色だったりとか、食べたことのないご飯、あとは人に出会った時はワクワクしますね!」

●今でも忘れられない風景はありますか?

「雑誌『リンネル』の撮影でニュージーランドに行ったことがあるんですけれども、『テカポ』という、星空がすごくきれいに見える地域があって、そこで見た星空は、今まで見た中でいちばん美しいなと思って、本当に感動したので忘れられない風景になっています」

●いろんな国を旅されていますけれども、逆に日本の良さを感じたことはありますか?

「帰国すると、日本の良さをやはり感じます。海外はすごく好きで、“いつか少し住んでみたいな~“とか淡い夢もあったりもするんですけれども、やはり帰国すると日本はトイレも綺麗ですし、道も綺麗ですし、人も親切ですよね。

 あと、特にご飯がやっぱり美味しいというか口には合うので、帰ってからご飯とお味噌汁と納豆を食べると、すごく生き返る感じがして体に染み渡るなと思って、そこで日本の良さをいつも感じます」

●旅を経験していく中で、ご自身の日々の生活で何か変化ってありました?

「そうですね・・・どんどん身軽になってきているような気はします。なんだろう・・・韓国に行くようになって特にそうですけれども、韓国は海外とは言え、大阪に行くような感覚だったり、福岡に行くような感じで、私はふらりと24時間日帰りで行くことも多いので、旅をしているとそんな感じですぐにアクティヴになるというか・・・」

●では、kazumiさんにとって「旅」とは?

「新たな自分を発見できる時間かなと私は思っています。仕事でもプライベートでもやはり旅に出ると、どんどん興味が湧いてきて、やりたいことも、“もうちょっとこういうのもしたいな~”とか、どんどん好きが増えていく感じがするので、楽しいですし、人生が豊かになっていくなっていう気がします。なので、旅はすごく好きですね」

写真協力:『わたしの週末ソウル』宝島社
写真協力:『わたしの週末ソウル』宝島社

INFORMATION

『わたしの週末ソウル』

『わたしの週末ソウル』

 kazumiさんの新しい本をぜひ読んでください。最新の 食やファッション、美容やカルチャーの情報、そして韓国料理のレシピなど、韓国が大好きなkazumiさんの「好き」がいっぱい詰まったガイドブックです。写真が豊富に載っていて、見ているだけでソウルを旅しているような気分になりますよ。実際にkazumiさんが検証した、おすすめモデルコースもたっぷり! 宝島社から絶賛発売中です。詳しくは出版社のサイトをご覧ください。

◎宝島社:https://tkj.jp/book/?cd=TD068477

 kazumiさんのインスタグラムやYouTubeチャンネル「kazumi room 」もぜひ見てくださいね。

◎Instagram:https://www.instagram.com/kazumi0728/?hl=ja

◎YouTubeチャンネル「kazumi room 」 :https://www.youtube.com/c/kazumiroom

依頼主を笑顔にする、庭師さんが始めた「植木の里親」活動!

2025/10/12 UP!

 今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、庭師の「山下力人(やました・りきと)」さんです。

 山下さんは1977年生まれ、東京都八王子市出身。お母さんの実家、東京都檜原村での 自然との触れ合いが、植物を愛おしく思う気持ちを育み、小学生の頃にテレビ番組で見た 庭師の半纏(はんてん)姿に憧れ、庭師の道へ。

 高校生の時から造園会社でアルバイトを始め、卒業後にそのまま就職。剪定の技術などは、師匠のやり方を見て学んだそうです。

 そして12年修行して独立し、ひとり親方、いわゆる個人事業主として、庭師の仕事に打ち込んだそうです。ちなみに、庭師には造園技能士や造園施工管理技士という資格があるそうです。

 日々仕事として、樹木と向き合っている山下さんは植物のリユースと言える「植木の里親」という活動を行なっていて、多くのメディアで紹介されたり、また、さまざまな賞を受賞するなど、大変注目されています。

 きょうは、そんな山下さんに「植木の里親」を始めたきっかけや植木を保管する「もらえる植物園」、そして樹木と対話する庭師の思いなどうかがいます。

☆写真協力:やましたグリーン

山下力人さん

人と植物が親友に!

※ひとり親方としての活動のあと、2012年に地元八王子に株式会社「やましたグリーン」を設立されました。会社を立ち上げたのは、どうしてなんですか?

「個人で2008年から約4年間(庭師を)やっていたんですけど、2012年に伐採作業をしていた時に大木の下敷きになって、頸椎を骨折する大怪我をしてしまったんですね。半年間の入院中に、いろいろなことを考えて、そこで考え方を改めて、初心に戻って、もっとお客さんに思いを伝えられるようなことをやっていきたいと、思い切って会社にしました。
 入院している間に造園の資格より上位の造園施工管理の一級を取ったりとか、個人から法人にするための勉強をして、退院してからすぐ法人にしました」

●「やましたグリーン」の業務は、いわゆる造園業っていうことになるんですよね?

「そうですね。やましたグリーンは造園会社ですね」

●「やましたグリーン」のテーマみたいなものってあるんですか?

「テーマは『人と植物が親友になれるように』って、みんなに言っているんですけど、その中でもやっぱり庭師っていう職業を子供たちが憧れる職業NO,1にするっていうテーマを持って日々活動を行なっています。

 半纏を着て仕事をして、僕自身が半纏姿の庭師さんに憧れたので、半纏を着て庭師が働く姿も庭の景色の一部だっていうことをみんなには言っています。剪定したりとか植物と関わっている時も、カッコよくあろうっていうことを意識してやっていますね」

写真協力:やましたグリーン

 ●「やましたグリーン」のサイトを見ると山下さんの写真が載っています。背中に猫の絵が書かれていましたけれども、これはロゴですよね? なぜ猫をモチーフにしようと思われたんですか?

「庭師さんの半纏ってだいたい家紋を入れるんですね。家紋になると子供たちにとっては、少しわかりづらいマークになってしまうので、子供たちが見た時に、すごくキャッチーなマークにしたいな~と思って、猫を選んで猫を背中に背負っていますね。

●猫がお好きなんですか?

「そういうわけじゃないんですけど、やっぱり日本庭園には猫が似合うなと思って猫にしました」

(編集部注:半纏の背中に猫のロゴマーク、どんなマークなのか、ぜひ「やましたグリーン」のサイトを見てください。ちなみに猫の名前は「ベスティ」、これは「親友」という意味があるそうです。

 「やましたグリーン」の社員は現在10人、事務担当のおひとりを除いて、みんな職人さんだそうですよ)

☆「やましたグリーン」:https://www.yamashitagreen.com

写真協力:やましたグリーン

※庭師のかたの1日のスケジュールは、どんな感じなんですか?

「朝、まずトラックに道具を積み込んで、お客さんの家に行って、たとえば剪定の作業をするんですね。枝葉が伸びた庭木の剪定作業を行なって、まあ10時ぐらいになるとだいたいお客さんがお茶を出してくれます。

 そこで一緒にお茶を飲みながら庭木について話をしたりして、その後、午前中いっぱい仕事をしてお昼休み挟んで、午後の3時にもう一回お茶を出してくれるタイミングっていうのがあるんですね。
 午後3時にお茶を飲みながら、お客さんとまた話をして、夕方5時ぐらいになったら仕事を終えて会社に帰ってくるっていうのが、だいたいのルーティンですね。

●お客さんとの会話も大事な時間になりそうですね。

「そうですね。お客さんの要望とか、植木に対する思いとか、ヒアリングしながら、それに見合ったような剪定の方法をやるとか、すごく大事な時間ですね」

「庭じまい」〜家族のストーリー

写真協力:やましたグリーン

※山下さんが取り組んでいる「植木の里親」について教えてください。今回、初めて「植木の里親」という活動を知りました。具体的にはどんな活動なんですか? 

「造園業界では、庭を新しく造るというお客さんがだんだんと減っているんですね。逆に庭木がある庭を駐車場にしたり、駐輪場にしたりと、いわゆる『庭じまい』と呼ばれる、庭をどんどん解体していくようなことが広まっています。

 私たちも庭じまいの仕事を受けていたんですけど、そんな中でお客さんが“本当はこの植木は伐採したくないのよね”というふうにおっしゃったんですね。

 “どうしてですか?”って聞いたら、“実は家族がとっても大事にしていた植木だから伐採しないで、何とか生かしてあげたいんだけど、しょうがないわよね“と言われたんです。

 それだったら“私たちが生かしたまま移植して育てますよ”と言ったのを皮切りに、植木を引き取っていきました。その引き取った植木を育ててくれる里親さんを探していくっていうのが、この事業の内容ですね」

●庭木にはその家庭ごとのストーリーがありますよね。

「そうですね。みなさん、お話を聞いていると、“もう亡くなったおばあちゃんと一緒に梅を収穫して梅ジュースを作ってもらったんだ“とか、”毎年この花が咲いた時に家族みんなで写真を撮ったんだ“みたいな、本当にたくさんのストーリーがありますね」

●植木のリユースみたいな感じですかね?

「そうですね。わかりやすくいうと植木のリユースになりますね」

●うちの庭木を引き取って欲しいっていう依頼は多くなりましたか?

「はい、かなり多くなりましたね。この事業を始めたのが2012年なんですけど、その時に比べると、もう本当に何十倍っていう数の問い合わせが来ています」

写真協力:やましたグリーン

●そうなんですね。ちなみに月何件ぐらいの依頼がありますか?

「月でいうと・・・実行されるのが6件、7件ぐらいの引き取りを行なっています」

●無料で引き取るんですか?

「引き取る時にかかる職人の労務費だったりとか、運賃をいただいているっていう形です」

面会は「もらえる植物園」

写真協力:やましたグリーン

※引き取った樹木はどこに保管しておくんですか?

「会社の前に『もらえる植物園』って呼んでいる植木の管理地があるんですね。そこに置いて植木を管理しています」

●その「もらえる植物園」は「やましたグリーン」の中にあるんですか?

「はい」

●敷地ってどれぐらいの広さなんですか?

「敷地は約2000坪です」

●誰でも入れるんですか?

「そうですね。開放していて、“誰でもいつでも来て、お散歩してください”っていふうにしているので、そこで気に入った植物があれば、里親になれるっていう仕組みですね」

写真協力:やましたグリーン

●樹木の種類はいろいろあると思うんですけれども、現在は何本ぐらいの樹木を預かっているんですか?

「今は500本ぐらいの樹木を預かっています」

●どんな樹木でも預かるんですか?

「はい。どんな樹木でも樹種を問わずに預かっています」

●断るケースとかはないんですか?

「断るケースはないですね」

●今、預かっている樹木は具体的にいうと、どんな種類の木があるんですか?

「やっぱり花が咲いたりとか、実がなるものが結構多くて、梅、桜、柿とか、あとみかんとか、そんなものが多いですかね。松も多いですね」

●里親をネットで募ったりとかされるんですか?

「はい、ホームページで発信して、ネット上から問い合わせをいただくこともあるんですけど、最終的に里親になってもらう時は、実際に見に来ていただいて、大きさとかをちゃんと見てもらってから、里親になってもらうっていう仕組みにしています」

写真協力:やましたグリーン

●実際、見てもらって里親になりますって決まったら、その後の流れはどうなるんですか?

「その後の流れは(樹木を)植える場所まで私たちが運搬して植栽する。その時にかかる運搬費と労務費をいただくという形になりますね」

●そうなんですね。植栽までしてくださるんですね。里親になるかたに、もとの持ち主のストーリーや、思いというのをお話しされるんですか?

「聞かれればお伝えしていますね。こんな場所で育っていましたとか・・・」

(編集部注:山下さんは「植木の里親」を広めるために、定期的に「もらえる植物園」で剪定教室、枝を使ったクラフトやドライフラワーづくりのワークショップなどを開催しています。

 また、山下さんの活動を知った小中学校から、SDGs授業の講師を依頼され、「植木の里親」活動が事業としても成り立っていることなどを説明するそうです。生徒さんは樹木を生かすために、別の場所に移植できることを知って、驚きの表情を見せることもあるとか)

お客さんを笑顔に!

※庭師としてのキャリアは30年以上になるかと思いますが、日々樹木と向き合って、どんなことを感じますか?

「樹木と向き合っていると、30年間いろんな樹木の状態を見たりとかしていると、人間の言葉はしゃべらないけど、彼らは彼らなりに葉っぱの色を変化させたりとか、幹の水分量が変わったりとか、彼らなりに話しているなっていうのは、なんとなくわかる感じがするんですよね。その辺を見ていると、やっぱり生きているんだな~っていう感じはしますね」

●親友にっていうことですよね。

「そうですね。やっぱり同じ地球で生きる仲間、そして私たち人間が生きる上でなくてはならない存在なので、こちらから歩み寄ってどんどん親友になっていきたいと思っていますね」

写真協力:やましたグリーン

●樹木と対話するような仕事だと思うんですけれども、どんなこと望んでいるのかって、どういうふうにしたらわかるんですか?

「やっぱりよく見てあげることですよね。さっきも言った通り、人間の言葉をぺらぺらとしゃべってくれれば、すごくわかりやすいんですけど、それができないので、葉っぱの様子とか幹のしなり具合とかをよ~く見ていると、何かわかってくることがあるんですよね。そのあたりをよく見ていると、なんとなく対話ができるのかな~っていう気はしますね」

●どんな時にやりがいとか幸せを感じますか?

「やっぱりこれまでやってきた『庭じまい』の仕事とかは、植木を処分することでお客さんが悲しい状態になって、仕事が終わるっていうことが多かったんですよね。だけど、この『植木の里親』っていう仕事にチェンジしたことで、お客さんは植物を手放ことは同じだけど、笑顔になってくれたんですよね。

 お客さんが笑顔になる時がすごく大好きで、里親さんが見つかった時も育てていたかたに写真を送ったり、手紙を送ったりするんですね。“これからはこんなところで育ちますよ!”みたいな、その時にまたすごく喜んでくれて、お礼言ってくれたりとか手紙を返してくれたりするので、そんな時にすごく喜びを感じますね」

●自分のもとでは育てられなくても、どこかでまた輝いてくれているって思うと、もとの持ち主さんたちも嬉しいですよね。

「そうですね。そこで命が終わるんじゃなくて、次の場所でセカンドライフを送ってくれている。それがたとえば保育園に植えられて、子供たちが楽しんでくれる木になったとか、そんなことが起こったりすると、すごくやりがいを感じて嬉しくなりますね」

写真協力:やましたグリーン

サステナブル・ガーデン!?

※今後、チャレンジしてみたいことがあったら、教えてください。

「この取り組みをやっているのがあまりいないので、全国的に協力してくれる会社とかを広めていって、全国どこでも手軽に利用できるような仕組みにしていきたいなと思っています」

●サステナブルなお庭というお話も聞いたんですけれども、具体的にどんなお庭なんでしょうか?

「やっぱり庭木って成長するものなので、その管理が大変だから、庭じまいをするっていうかたが一定数いらっしゃるんですよね。

 そんなかたに対してのご提案として、庭木全部をなくすんじゃなくて、自分たちで管理できる本数を残して、あとは私たちが引き取って、こちらで里親を見つけるので全部、庭を潰してしまうんじゃなくて、庭のボリューム感を減らして維持していきましょうっていうのが、この『サステナブル・ガーデン』のコンセプトなんですね。

 それによって、今まで10本あったから毎年管理が大変だったけど、2本ぐらいだったら自分でちょっと剪定に挑戦してみようかなっていうかたも中にはいらっしゃます。そういった、庭という形を縮小させて持続させていこうっていうのが、このサステナブル・ガーデンの趣旨ですね」

●では最後に「植木の里親」活動を通して、どんなことをいちばん伝えたいですか?

「『植木の里親』活動を知らなかったことで、自分とか自分の家族が大事にしていた植木を伐採しちゃったりすると、罪悪感が残ってしまったりすると思うので、植木を生かす選択肢が今はあるんだっていうことを伝えていきたいですね」

(編集部注:山下さんは、女性の職人さんをもっと増やしたいという思いもあって、「やましたグリーン」には、現在2名の庭師がいらっしゃいます。山下さんがおっしゃるには、女性は仕事がきめ細やかだし、お客さんとの対話も上手で、すごく助かるし、活躍してくれているとのことでした)


INFORMATION

 山下さんが取り組んでいる「植木の里親」にぜひご注目ください。ご自宅の樹木の処分をお考えのかた、伐採する前に一度「やましたグリーン」にご相談されてみてはいかがでしょうか。
 また、「やましたグリーン」が預かっている樹木を引き取ってもいいというかた、「もらえる植物園」のサイトに、いろんな樹木の写真がアップされていますので、ぜひ見てください。

◎「やましたグリーン」:https://www.yamashitagreen.com

写真協力:やましたグリーン

 「やましたグリーン」では「植木の里親」活動をさらに進めるために、現在、新たにクレーン車を導入するための資金を、クラウドファンディングで募っています。
 いまある1台のクレーン車では、1日に対応できる件数に限りがあるため、引き取り依頼があってもお受けできないことがあるそうです。ぜひご支援ください。詳しくは専用サイトをご覧ください。

◎クラウドファンディング専用サイト:https://camp-fire.jp/projects/836485/view

宇宙や星の不思議、わからないことだらけだから面白い!

2025/10/5 UP!

 今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、天文学者の「渡部潤一(わたなべ・じゅんいち)」さんです。

 渡部さんは1960年、福島県生まれ。東京大学理学部から大学院を経て、理学博士に。専門は太陽系天文学で彗星や流星、小惑星などの観測や研究を行なっていらっしゃいます。

 国立天文台・上席教授でもいらっしゃる渡部さんは、国際的に活躍されている天文学者のおひとりで、天文に関する本も数多く出していらっしゃいます。

 先頃出版された『眠れなくなるほど面白い 図解 天文学の話』という本の監修もされたということで、渡部さんがいらっしゃる国立天文台・三鷹キャンパスを訪ね、宇宙や星の不思議、そして今年から来年にかけての注目すべき天体ショーのことなど、いろいろお話をうかがってきましたので、きょうはその時の模様をお届けします。

渡部潤一さん

1972年10月8日、ジャコビニ流星群

※まずは、渡部さんのプロフィール的なお話から・・・子供の頃から、将来は天文学者になろうと思っていたのか、お聞きしました。

「小学生の時代はほとんど理科少年だったので、天文に限らず、石ころを集めたり虫を採ったり植物を採取したり、ラジオの工作をしたりっていうのを手広くやっていましたね。

 宇宙時代ってこともあって、アポロの月着陸もありましたので、だんだん天文に寄っていったんですよね。決定的だったのは1972年の10月8日の夜『ジャコビニ流星群』が大出現するという予報があったんですよ。1時間に10万個100万個っていう流れ星が流れるっていう、こんなことは滅多にないので、理科少年みんなで観測しよう!と学校の校庭に集まって、夜通し流れ星を待っていたんですよね。

 ところが、ひとつも出なかったんですよ・・・。ものすごくがっかりしたんですけど、逆にすごく面白いと思ったんです。何が面白いかって、専門家の先生がたがたくさん(流れ星が)出るって言ったのに出ないってことは、まだわからないことがあるってことがわかったんですよ。

 流れ星って30分、空を見上げてりゃ、きょうは多い少ないって小学生でもわかるんですね。肉眼で観察するわけですから、望遠鏡なんかいりませんからね。これは自分でもフロンティアに立てると思ったんですね。

 わかってないんだから、専門家の先生がきょうは出ないって言った日にたくさん出る可能性もあるわけですよ。それを監視しなきゃと思って、天文学者になろうと思ったんですね」

●わからないことが多いからワクワクしますよね。

「そうですね。自分がそれに貢献できると思ったんですね。ほとんど毎晩のように晴れれば、流れ星を数えていましたね」

●天文について、しっかりと学ぶようになったのは、大学に進学されてからになりますか?

「そうですね。やはり専門的に学ぶ場所が当時は少なかったですね。いわゆる帝国大学ぐらいしかなかったので、そういう場所に入ろうと思って、私の場合は東京大学を選んで、理学部の天文学科で専門的に学ぶようになりましたね」

●天文学といっても幅が広いと思うんですけれども、いろいろなジャンルがあるんですよね?

「そうですね。天体ごとに研究が分かれていますし、また光で見る研究者、紫外線やX線で見る研究者、電波で見る研究者と波長ごとにも分かれています。さらに実験で宇宙を問い直して謎解きをする、それからコンピューターを使って理論的に宇宙の謎を解こうとしているっていう、そういういろんな手法があります。

 私の場合は光で流れ星をもともと見ていましたので、光でほうき星や流れ星といった太陽系の小天体を探っています」

(編集部注:国立天文台は「自然科学研究機構」という法人で、国内外に観測や研究のための施設があります。

 海外ですと、ハワイ島マウナケア山頂にある「すばる望遠鏡」や、南米チリのアタカマ砂漠に設置された「アルマ」という電波望遠鏡、この建設・運用は国際共同プロジェクトです。

 国内ですと、長野県野辺山や岡山、石垣島や小笠原のほか、以前この番組に出演してくださった、ブラックホールの研究者「本間希樹(ほんま・まれき)」さんが所長を務める岩手県「水沢VLBI観測所」などがあります。

国立天文台・三鷹キャンパス

 今回、私たち取材班がお邪魔した三鷹キャンパスは国立天文台の本部で、国内外にある観測施設のまとめや天文学の研究、新しい観測装置の開発、そして大学院生の教育などを行なっています。

 一般のかたが見学できるということで、私たちは歴史を感じる「50センチ公開望遠鏡」や、日本最大の口径65センチの屈折望遠鏡がある「天文台歴史館」などを見学させていただきました)

国立天文台・三鷹キャンパス

スーパームーンは目の錯覚!?

※ここからは、渡部さんが監修された新しい本『眠れなくなるほど面白い 図解 天文学の話』を参考にお話をうかがっていきます。

 私たちの身近な天体といえば、「月」だと思います。先月9月には「皆既月食」が話題になりました。11月には大きな満月が見られると聞いたんですが、これはどういうことなんですか?

「お月様というのは地球の周りをまわっているんですが、実は完全な円軌道でまわっているわけではなくて、少し歪んでいるんですね。そのために地球に近づく時と遠ざかる時があるんです。

 平均して38万キロぐらいなんですが、36万キロぐらいまで近づくこともあれば40万キロを超えることもあって、大体1割ぐらい距離が違うんですよ。

 そうすると、ちゃんと測ったり写真を撮ったりすると、1割ほど大きさが違って見えるんですね。11月の満月というのは、ちょうど地球に近い時に起きますので、それで1割ほど月が大きく見えますよという、いわゆる“スーパームーン”と呼ばれているんですけれどね」

●肉眼で見ても、ちょっと大きいなっていうのはわかりますか?

「それはわかりません。わからないです(笑)。それは比較しないと、やっぱり人間ってわからないんですよね。
 お月様って、みなさん大きいな~大きいな~って思われるかもしれないですけど、実は5円玉を手に取って手を伸ばして、その5円玉の穴に入るぐらい小さいんです。

 周りが暗かったりするので、とっても大きく錯覚しているだけで、人間の目ってものすごく錯覚を起こしやすいので、どうしてもスーパームーンだって言うと、みなさん、“あ~、きょうは確かに大きい!”っておっしゃるんですけど、わかっているはずがないんですね(笑)」

●そうなんですね(笑)。

「しかも地平線に(月が)ある時は大きく見えますよね。でも空の高いところにあると、月ってちっちゃく見えるんですよね。これも錯覚なんです。しかも理由がよくわかってないんです」

●へえ~〜〜。

「地平線に近いと、地平線近くにあるビルや山と一緒に見るので、大きく見えるんじゃないかというふうに言われているんです。心理学者の先生がたがいろいろ実験して試すんですけれども、どうも違うようなんですよね。理由がわからない・・・。まだまだ人間の脳っていうのはわからないんですね」

●面白いですね。夜空を見ていると星の色がオレンジの時もあれば、青の時もあるという感じで、違って見えますけれども、星の色が違うのはどうしてなんですか?

「星は基本的には、星座を作っている星は自分で光っている、太陽のように自分で光っているんですが、その表面の温度が違うんですね。温度が低い星は実は赤くて、温度が高くなればなるほど青白くなっていきます。

 電熱線は、オーブン・トースターもそうですけれど、電源を入れると真っ黒な状態から赤くなりますよね。今のオーブン・トースターはちゃんと安全装置が働いているので、あまり温度が上がんないようにはなっているんですけれども、わざと電流を流して温度を高めていくと、実は電熱線がギラギラと白くなっていくんですよ。色が変わっていきます。それと星の色は同じなんですね」

●キラキラ点滅しているように見えるのは、どうしてなんですか?

「昼間、割と浅い川で(水が)流れているのを見ると、川底の石がゆらゆら揺れていますよね。あれと同じで、実は地球は大気がありますので、風が吹くとそういう大気の疎密があって、それを通して星の光を見るので、どうしても星の光がちらつくんですね。
 言って見れば、我々は川底に住んでいるようなもので、川の底から空を見ると、川の流れで星や太陽がゆらゆらするのと同じなんですね」

知的な生命体はいる!?

※地球は自転していますが、回転のスピードは時速に換算すると、どれくらいなんですか?

「地球の一周がだいたい4万キロぐらいあるんですけど、それを24時間でぐるっと一周すると、だいたい時速1666キロ、まあ1700キロぐらいですかね。だからものすごいスピードでまわっているんですよね、僕ら(笑)」

●そうですよね。遠心力で飛ばされたり、みたいなことはないんですか?

「実は多少、遠心力が効くんですが、地球の場合は重力がものすごく強いので、我々もそうだし、地球そのものも遠心力によって、あまり歪んだりはしてないですね。重力があるためなんですね」

●ほかの惑星も自転していますか?

「基本的に天体は自転しているものなんですが、特に木星はものすごく速くて、地球よりもデカい惑星なんですけれども、10時間っていうスピードでまわっていますので、そのスピードが時速4万7000キロになります」

●ええ~〜〜っ!

「ですので、あまりにも速いので、木星を望遠鏡で見てもわかるんですけど、さっき言われた遠心力で、1割ぐらい南北と東西が違うんです。平べったくなっちゃう・・・」

●うわ〜〜、速すぎますね! 地球のある太陽系は天の川銀河の一部だと思うんですけれども、天の川銀河にはどれくらいの星があるとされているんですか?

「天の川銀河の星を全部数えた人はいないですけど(笑)、その質量とか近くの星から類推すると、1000億から2000億個ぐらいは星があるんじゃないかと言われています」

国立天文台・三鷹キャンパス

●その中には地球と同じような星、生命体がいるような星もありそうですか?

「2000億っていうこの数値は、太陽のような自ら輝いている星の個数なんですね。その周りをまわっている、例えば太陽系の場合は太陽の周りに8つの惑星があって、そのうちのひとつが地球なんですけど・・・だからいわゆる恒星の数に比べてもっと多いはずなんですね。

 8分の1としても10分の1だとしても2000億の10分の1っていうと200億ぐらいになるので、控えめに見積もっても1パーセントって言われているんですね。
 だから20億ぐらいは地球のような天体があるだろうと・・・。

 そうするとその中には、地球と同じように安定した気候で、安定した進化をして生命が進化して、もしかしたら知的な生命、我々のような宇宙を見つめて、何かいろいろ考えている人たちはいるでしょうね。

 20億の1パーセントだって2000万ですから、2000万個の地球、しかも生命を持っている地球と似た星はあるでしょうと、今言われています。実際この星は怪しいっていうのは、もう見つかり始めています」

行けるとしたら「火星」へ

※天文学の発展には、最新のテクノロジーが欠かせないと思います。ガリレオ・ガリレイが使っていた望遠鏡から、今やNASAが中心となって開発した、宇宙空間にある「ジェームズ・ウェッブ宇宙望遠鏡」の時代になっています。

 この宇宙望遠鏡がとらえた画像を渡部さんが初めて見た時は、どんな思いになりましたか?

「これはずいぶんよく見えるようになったな~と思いますね(笑)。結局、視力がよくなるっていう・・・人間の目って実は双眼鏡なんですけどね、ある意味で・・・。
 瞳の直径が6ミリとか8ミリぐらいしかない、ちっちゃなちっちゃな双眼鏡をそれぞれの個人が持っているわけですけど、ガリレオがそれを5センチにして、さらに後世、我々がどんどん大きくして遠くまで見えるようになったっていう・・・。

国立天文台・三鷹キャンパス
国立天文台・三鷹キャンパス

 しかも地球の大気圏の外にその望遠鏡を持って行けば、大気の揺らぎがなくて鮮明に、しかもこの望遠鏡は赤外線なんですけど、赤外線で宇宙の彼方を見られるようになった、130億光年という、今まで手が届かなかったような場所の天体を調べ始めていますから、ひとつの時代が来たんだなと思いましたね」

●テクノロジーの発達で民間人が宇宙に行ける時代にもなってきました。宇宙に行けるとしたら渡部さんは、どの星に行って何をしたいですか?

「私は行きたくないです(笑)。宇宙に行くってやはり非常に厳しい・・・事故率は高いんですよ、実は今でも・・・。だからそういうことを考えると、ちょっと危ないなと思っちゃうんですけどね。

 でも、もし行けるとしたら、やっぱり隣の惑星“火星”になると思います。火星は唯一、長期滞在、あるいはもしかしたら将来的には移住が可能じゃないかと言われている惑星なので・・・地球と同じように24時間ちょっとでまわっていますし、大気も薄いながらありますし、いい所じゃないかなと思いますね(笑)」

●今、いちばん注目している星は・・・では火星になりますか?

「火星ですね。火星はもしかしたら過去に生命が、地球と違った生命がいたかもしれないということで、今でも多くの探査機が探査をしています。

 移住計画を進めている人たちは、本当に真面目に火星の地下都市計画も図面まで描いていますからね。どうやってエネルギーを取り出して、資源を循環させながら住むということを真面目に考えています。
 遠い将来いつになるかわかりませんけど、技術的にはもう可能だと言われているので、移住する時代が来るかもしれませんね」

●最近、火星に生命の痕跡があったという記事が新聞に載っていましたけれども、それはどういうことなんでしょう?

「火星からの直接、サンプル資料、砂とか岩を持ってきてはいないんですけど、火星に隕石が落ちて、その破片が宇宙空間に飛び出して、それがしばらくして地球に落ちてくる“火星由来の隕石”っていうのが見つかっているんです。

 この隕石の中から、どうも生命の痕跡ではないかというようなものが時々見つかるんですね。どうしても今までは決定的なことが言えないので、(生命体が)いたかいないかわからないってことで、探査機を送って実際調べているんですけど、まだ確証は得られてないですね」

12月14日、ふたご座流星群、条件良し!

※今年2025年後半から来年にかけて、注目すべき天体ショーがあったら、教えてください。

「12月の14日に毎年あるんですけど、ふたご座流星群というのが見られます。この流星群は、毎年ほぼ同じ数の流れ星を降らせることで有名で、安心して見ることができますね。

 今年は月明かりの影響がないので・・・月が明るいと流れ星の数が減っちゃうんですね。ですので、今年は非常に条件よく見られると言われていますね。

 ほかの流星群だと明け方にならないと数多くならないんですが、ふたご座流星群は日が沈んで夕方になったらもう飛び始めて、明け方までずっと見えているっていう、子供さんにも優しい流星群になりますね。

 それから来年になりますと3月3日のひな祭りに、皆既月食があるんですね。先日の9月8日の皆既月食は明け方だったので、子供さんが見るにはちょっとしんどい時間帯、しかも月曜の朝だったんですね。

 今回は時間帯がすごくよくて、午後7時から10時ぐらいまでの間です。真っ赤な月が現れるのが午後8時から9時という時間帯なので、多くの人が見ることができるんじゃないかと思いますね」

●いいですね! 夜更かししなくても見ることができるんですね。

「そうです」

●楽しみです。では新しい本『眠れなくなるほど面白い 図解 天文学の話』を通して、どんなことを伝えたいですか?

「この本は天文学っていう難しそうな話を、割と簡単に理解できるように工夫された本です。天文学ってなんか“学”って付いていると、なんとなく難しそうだなと思うかもしれないんですけど・・・。

 確かに天文学は難しい本もあるんですが、誰でも気軽に単純な疑問から読み解いていけるような作りになっています。だから今まで天文学を敬遠されていたかたや、ちょっと読むには難しそうだなと思っていたかたも、ぜひ手に取って読み進めて、少し興味を持っていただけたらなと思っています」

●天文学を志す若いかたがたに向けて、何かアドバイスなどあればお願いします。

「もし天文学をやりたいと思ったら、門戸は開かれています。天文学は本当にオープンな学問で、会社に勤めながらアマチュアの研究者として、ガンガン面白い研究やっている人もいれば、あるいは夜な夜な新しい天体を探している人もいるぐらいです。そういう人たちも実は天文学にすごく貢献されているんですよね。

 いろんな方法で天文学を学んだり、あるいは自分で研究したりもできますので、ぜひやりたいと思ったら臆せずに頑張っていただければな~と思っていますね」


INFORMATION

『眠れなくなるほど面白い 図解 天文学の話』

『眠れなくなるほど面白い 図解 天文学の話』

 渡部さんが監修された新しい本をぜひ読んでください。天体の雑学から宇宙の不思議と素朴な疑問、天体観測の進化、天文学の歴史などを図形やイラストを使って、それぞれを見開き2ページでわかりやすく解説。巻末には88星座の一覧も載っています。この本を読むと、きっと夜空を見上げたくなると思いますよ。
 日本文芸社から絶賛発売中! 詳しくは出版社のオフィシャルサイトをご覧ください。

◎日本文芸社:https://www.nihonbungeisha.co.jp/book/b659225.html

<国立天文台・三鷹キャンパス情報>

 国立天文台・三鷹キャンパスは一般のかたに公開されていて、随時見学できます。また、定例観望会などのイベントも開催。

 10月25日(土)には、特別公開として「三鷹・星と宇宙の日2025」が開催されます。普段は公開していない施設の見学のほか、最新の天文学研究などの展示や企画、天気が良ければ、観望会も行なわれる予定です。
 開催時間や参加方法、アクセスなど詳しくは国立天文台・三鷹キャンパスのオフィシャルサイトを見てくださいね。

◎国立天文台・三鷹キャンパス:
https://www.nao.ac.jp/about-naoj/organization/facilities/mitaka/

辺境秘境の写真家「別世界の風景で、人の心を豊かに」

2025/9/28 UP!

 今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、新進気鋭のネイチャー・フォトグラファー「上田優紀(うえだ・ゆうき)」さんです。

 上田さんは1988年、和歌山県生まれ。子供の頃から海外へ行く機会が多く、旅好きになった上田さんは、高校・大学の頃もアルバイトでお金を貯めては、度々海外へ。基本はパックパッカーのひとり旅。

 そして京都外国語大学を卒業後、24歳の時に初めてカメラを買って、旅に出た上田さん、アラスカから南米、ヨーロッパ、そしてアジアへと、気の向くままに旅を続け、結果的に1年半で、およそ45カ国を巡った世界一周の旅になったそうです。

 そんな上田さんが先頃『七大陸を往く 心を震わす風景を探して』という本を出されました。

 きょうは過酷な撮影の旅から、南米の高地「ウユニ塩湖」で撮った宇宙のような絶景のほか、北米の奥深い森で出会った神秘的な「スピリット・ベア」のお話などうかがいます。

☆写真:上田優紀

上田優紀さん

未知の風景を伝える

※1年半の世界一周の旅で、人生を変えるような出会いや出来事はありましたか?

「いちばんやっぱり大きかったのは、写真家になろうと思った出会がたくさんあったことですね。僕はそれまで写真の学校に行っていたわけでも、芸大とか専門学校に行っていたわけでもなんでもなくて、ただただせっかく1年ぐらい海外に行くんだから、カメラぐらい持って行ったほうがいいかなぐらいの感覚で、カメラを持って行ったんですね。

 で、自分にとって見たことがない風景を記録していくじゃないですか。それを旅先でいろんな人に見せていくんですよ、現地で暮らしている人たちに。その中で印象深いのがアイスランドの子供たちに砂漠の写真を見せたことがあったんですね。

 彼らは砂漠というものはもちろん知っているけど・・・アイスランドっていうヨーロッパの隅っこのほうにある島国で・・・4歳とか5歳ぐらいの子供たちにとって、砂漠の風景みたいなものがあまりリアルじゃなかったんです。

 僕の写真とか僕の話を通じて、砂漠という未知の風景に彼らが出会った時に、僕の目には、とても好奇心が宿っているというか、彼らが心がワクワクしているなっていうのが目に見えるというか、僕にはそういうふうに見えて・・・。

 で、見たことがない風景っていうものは、人の心をワクワクさせる、豊かにするものなのかなっていう出会いが、アイスランドの子供たちだけじゃなくて、世界中をぐるぐる回っている間にたくさんあったんですよ。

 それはニューヨークの若者もそうだし、インドのおじいちゃんとかおばあちゃんもそうだし、アイスランドの子供たちと同じように、想像できない風景と出会った時に目が輝いているように僕には見えたんですね。

 そういう出会いはとてもやっぱり大きくて、そういうものを1年半ぐらい積み重ねていくと、未知の風景を人に伝えて、人の心を豊かにすることは僕の人生をかけるに値する、なんか素晴らしいことのように思えたんですよね。

 それが僕を写真家に導いた大きなきっかけだったので、そういった各地の人との出会いみたいなものは、僕の人生にとても大きな影響を与えたかなと思います」

●旅がきっかけだったんですね。

「そうですね。旅がきっかけでしたね。全く写真家になろうなんて、旅に出発する前は思っていなかったので・・・」

(編集部注:世界一周の旅から帰国後、上田さんは広告ビジュアルの会社に入社。アシスタントとして2年ほど働き、その後、独立。2016年からフリーランスの写真家として活動されています。

 上田さんは写真家として、敢えて厳しい自然環境・・・例えば、8000メートルを超える山々、人間を拒むような鬱蒼とした森、灼熱の大地や砂漠、極寒の海、さらには南極大陸など辺境や秘境をフィールドに撮影されています)

ウユニ塩湖の真ん中で撮影!?

『七大陸を往く 心を震わす風景を探して』

※上田さんが先頃出された本が『七大陸を往く 心を震わす風景を探して』。まずは、表紙の写真に驚きました。南米ボリビアの「ウユニ塩湖」で撮った写真だということで、満天の星空が上にも下にもあって、その中に上田さんがたたずんでいる、とても神秘的な写真なんです。

●フリーランスになって初めての撮影場所に選んだのが、ウユニ塩湖だったそうですね。なぜそうしたんですか?

「僕はもうウユニ塩湖に5回も6回も行っているんですよ。初めて行ったのは多分19歳とか20歳ぐらいの時で、南米をバックパッカーで旅している時だったんです。その頃はほとんど誰も知らなかったんですよ、まだウユニ塩湖というものを・・・。

 なんですけど、当時は今みたいにスマートフォンがあって、すぐ情報が得られるような時代じゃなくて、旅人とのすれ違いのコミュニケーションで、あの場所にはすごい風景があったよとか、あの宿は安かったよとか、このご飯屋さんは美味しいよとか、そういう情報をすごくアナログな方法で、すれ違う旅人同士で情報交換するみたいな文化があったんですね。

 その時にウユニ塩湖っていう場所があるっていうのをすれ違いの旅人から聞いて、目的もない旅だったので、その場所にとりあえず行ってみるかと思って行ったら、素晴らしい風景が、水鏡と言われる風景があって、ものすごく感動したんですよ。

写真:上田優紀

 こんな美しい場所が地球にあるんだっていう、まさにアイスランドの子供たちが砂漠に出会ったのと全く同じような状況だったんです。
 で、そこからその美しさに衝撃的な感動を覚えて何回か通っているうちに、10年ぐらい経って、たくさんの人が観光で訪れるようになっていたんですけれども、僕にとっていちばん最初の大きな感動を覚えさせてくれた印象的な場所だったし・・・。

 ウユニ塩湖って四国の半分ぐらいの大きさなんですよ、ものすごく広い場所です。でも観光で行くと割と隅っこのほうに水が溜まっていたりするので、その水たまりを見て、水鏡になっているというふうなことになるんですけれども、そんだけ広ければ、真ん中のほうにはもっと見たことがない風景があるんじゃないかなって・・・。だったら僕にしか撮れないウユニ塩湖を撮影したいなと思ったのが、いちばん最初はここにしようと思ったきっかけですね」

ウユニ塩湖でテント生活!?

※撮影のためにウユニ塩湖でテント生活をしたって、ほんとなんですか?

「そうですね。ほとんどウユニ塩湖って塩の大地みたいなものなんですけれども、そこで40日間テントを張って撮影しました」

●食料とか水は、どうされていたんですか?

「水はボトルに入れて持って行っていたのと、食料は近くにウユニ村っていう村があるんですよ、車で1時間とか1時間半ぐらい離れた場所に。
 そこの市場でキャベツとかジャガイモとかトマトとかいっぱいあるので、それを買って、テント生活を始める前に天日干しをして、ドライ・ベジタブルみたいなやつを作って、それをお米と一緒にリゾットというか、おじやというか・・みたいなのを水で炊いて、それをずっと食べていたっていう感じですかね」

●そうだったんですね。でも確かウユニ塩湖って標高が富士山ぐらいの場所にあるんですよね?

「アンデス山脈の上のほうなので、3800とか4000メートル近くありますね」

写真:上田優紀

●そういう場所で生活ってできるんですか?

「している人はいないんですけど・・・あれは生活と言っていいかわからないですけども、一応生き延びることはできましたね」

●気候的にもかなり厳しいですよね?

「かなり厳しかったですね。陽を遮るものがないので陰がないんですよ、何もない土地なので・・・。
 だからテントを張っているんですけど、直射日光がすごく強くて、昼間はサウナみたいな、本当にテントの中は40度を超えて50度近くまで上がっている室内になって、外は陰がないから直射日光が強くて、夜になると気温が一桁まで下がってっていうのをずっと繰り返しているような場所なので、かなりしんどかったですね」

360度、水鏡!?

※表紙のような写真を撮るには、条件がありますよね?

「そうですね。そもそも雨が降らないといけないので、あれ(水鏡)って巨大な水溜りと思ってもらったら分かりやすいんですね。

 普段は真っ白な砂漠の状態で、そこに雨が降って風がなくて、溜まっている水の量が多すぎず、少なすぎずっていういろんな条件があって、それが重なると出会える風景なんですね。
 『奇跡の水鏡』なんて言い方をする人もいるんですけど、僕の(撮影の)時は2週間、雨が降らなかったので、最初の2週間は1枚もシャッターを切ってないですね」

●へぇ~、あの表紙の写真を撮るのに、どれぐらい粘ったんですか?

「あれは・・・2週間後とかなんで、15日目とか16日目ぐらいに撮ったんじゃないのかな」

写真:上田優紀

●それまでず~っと過酷な生活をすでに15日間されているわけじゃないですか。 あの(写真の)シャッターを切った時は、どんなお気持ちでした?

「ああいう風景は見たことはもちろんあったんですけれども、なんていうんだろう・・・20日間近く、2週間近く本当に過酷で、雷とかも自分の近くに落ちてくるんですよ。

 ウユニ塩湖はそんなに広いんだけど、いちばん高い所といちばん低い所の標高の差が、数10センチぐらいしかないって言われているぐらい真っ平な場所なんですね。なので、いちばん背が高いのが僕かテントかみたいな感じだったから、“雷が落ちてきたら死ぬよな”とか、そういうことを考えながら2週間ずっと過ごしている中で、あの風景と出会って、ものすごく感動しましたね。

 僕もそれまではウユニ塩湖の淵のほうにしか行ってなかったので、目の前は水鏡だけど、後ろは水鏡になってないみたいな状況はよくあったんですよ。だから360度、上にも下にも星が広がっていて、その世界に僕がひとりしかいない特殊な風景というか、美しい風景にものすごく感動しましたね」

神秘的なスピリット・ベアとの遭遇

※本の第一章に「スピリット・ベア」の話が載っています。これはカナダのどこで撮った写真なんですか?

「カナダの北西部ですね。アメリカとの国境沿いアラスカ側に無人の森があるんですけど、広大な、東京都いくつぶんみたいな、とても大きな関東ぐらいの森が広がっていて、そこで撮影をしました」

●「スピリット・ベア」っていうのは、どういうクマなんですか?

「スピリット・ベアは、種としてはクロクマの種類なんですよ。ブラックベアっていうアメリカやメキシコ、カナダにはよくいるクマの種類なんですね。

 その中で数10頭に1頭とか、100頭に1頭ぐらいの割合で白い子が生まれてくることがあって・・・でもそれはアルビノじゃなくて『白変種』っていう白い種類として生まれてくることが稀にあるんですね。森の中に白いクマがいるっていう、ホッキョクグマじゃない、ちょっと不思議なクマがいるんですね。

 それだけでもかなり神秘的なんですけれども、神話を持っているということを、もともと知っていたんですね。それがとても僕にとっては魅力的で、現地に住んでいる先住民のかたの神話にスピリットベアが登場するんですよ。

 それはなぜ神様が白いクマを人間の世界につかわせるようになったのかっていうお話で・・・人間たちに氷と雪の時代が、厳しい自然の象徴みたいなものですけれども、“氷と雪の時代があったことを時々思い出させるために、クマを白くして、この世界に産み落とすんだよ“っていう神話があるんですね。

 それを追ってというか、多分何百年か前の先住民の人たちがその物語を作った時って、森の中で白いクマと出会った時にそういう神話を作らなきゃという気持ちになるぐらい神秘的な気持ちだったと思うんですよ。

 そういう気持ちにさせてくれる風景、動物みたいなものは僕も見てみたかったし、今の人にとっても同じような感動というと、ちょっと安っぽいんですけれども、気持ちにさせてくれるクマの風景がそこにはあるんじゃないかなと思って、それでスピリット・ベアを撮影しに行きましたね。

 スピリット・ベアに関しては、1日12時間ぐらい川沿いで待ち続けるんですけど、朝、陽が登ってから陽が暮れるまで・・・無人の森なので、ずっと観測をしているんですけれども、3日目に会いましたね。だから割と早かったです」

写真:上田優紀

●初めて現れた時どんなお気持ちでした?

「すごくテンションが上がって、とかって感じではなくて、“来た、来た”っていう感じっていうよりも、一瞬シャッターを切るのを忘れるぐらい神秘的なものに出会ったという気持ちになりましたね。

 だからすごく念願の・・・念願のというか、待って待ってっていうふうな出会いのはずなんだけど、喜びよりも・・・なんか神聖なものに出会って、はしゃいじゃダメだなとか・・・おごそかなっていうとあれですけど、そういう気持ちになるような・・・だから神様がつかわしたっていう物語を作ったんだなということを納得するような気持ちになりました」

(編集部注:スピリット・ベアとの初めての出会いは、上田さんによると、深い緑の森の中から「白い動物」が、のそのそと近づいてくる。それは異様とも言える光景で、神様と出会ったときに、こんな気持ちになるのかも知れないという、神秘性を感じたそうです)

生活の向こうに、別世界の風景

※いろいろお話を聞いていると、上田さんのフィールドは、まさに「地球」だと感じました。まだまだ行きたい場所、出会いたい生き物はいますよね?

「いっぱいあって、この人生で(撮影が)終わるかなというのが、ちょっと不安になっているぐらいです。
 それこそ七大陸は旅しているんですけど、七大陸それぞれの最高峰っていうものがあるんですね。七大陸最高峰って言うんですけど、それを登ろうかなって、この1年間2025〜2026年は登ろうかなと思っているところだったりとか、宇宙の撮影をしたいなと思って、いろいろ動いていたりとか、動物ももっと撮りたいものもいるし、行きたい場所はまだまだ尽きないって感じですね」

●上田さんなら宇宙の写真も撮っちゃいそうな感じしますね。

「10年後ぐらいには行きたいなと思って、いろいろ動いているところです」

●楽しみにしています!

「はい、ありがとうございます」

●では最後に、この本『七大陸を往く 心を震わす風景を探して』を読む読者のかたがたが、どんなことを感じ取ってくれたら、著者としては嬉しいですか?

「この世界にこんな風景があるんだっていうことを知ってもらえたら、もうそれでいいなと思っています。
 僕たちが、日本とか海外でもそうですけど、人々の生活の中で生きていると、なかなか出会うことができない風景の写真がたくさんあったりとか、そういう場所での物語というものを書きました。

 そういう風景が・・・僕たちが朝起きて、ご飯を食べて仕事に出かけてとか、学校に出かけてとか、お子さんを育児してとかっていう生活の、別の世界が、美しい世界がこの同じ時間軸で、同じ地球上に存在していると想像できることが大事というか・・・人の心を豊かにする何かになるんじゃないかな~と思っているんですね。

 だからすごくつらいいことがあった夜とかに、今ここの空はつらいように見えるかもしれないけれども、世界のどこかにはこんなに美しい星空が輝いているんだって思えることって、何か大事なことのような気がしていて・・・。

 そういう別の世界の風景を詰め込んでいるので、それを知ってもらうきっかけになれば、嬉しいなっていうのと、一緒に旅した気持ちになって本を読んでもらえたら、嬉しいなっていうふうに思います」

(編集部注:上田さんは陸上だけでなく、海中での撮影も行なっていて、至近距離で撮ったザトウクジラやマッコウクジラの、迫力のある写真も本には載っています。
 辺境・秘境に行くのは、そこに伝えたいものがあるから。だれも見たことがないような風景を届けたいという使命感にも似たような気持ちがあるとのこと。

 その一方で、自然は容赦ない。写真家は伝えること、作品を見てもらうことがゴールなので、生きて帰ってくるために120%の準備をして臨むともおっしゃっていました)

写真:上田優紀

INFORMATION

『七大陸を往く 心を震わす風景を探して』

『七大陸を往く 心を震わす風景を探して』

 世界85カ国を訪れた自然写真家の、旅の記憶と挑戦の記録が、175枚の素晴らしい写真と、親しみやすい文章で綴られています。副題にあるように、心が震えるシーンに出会えますよ。ウユニ塩湖で撮った神秘的な写真は、特に必見です。
 光文社新書シリーズの一冊として、絶賛発売中! 詳しくは出版社のオフィシャルサイトをご覧ください。

◎光文社:https://books.kobunsha.com/book/b10143515.html

 上田さんのオフィシャルサイトやSNS もぜひ見てくださいね。

◎上田優紀:https://yukiueda.jp

◎上田優紀Instagram:https://www.instagram.com/photographer_yukiueda/

“熱狂的虫愛”昆虫ハンター「牧田 習」、虫のことは虫に聞こう!

2025/9/21 UP!

 今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、昆虫ハンターの「牧田 習(まきた・しゅう)」さんです。

 牧田さんは1996年、兵庫県宝塚市出身。子供の頃から虫好きだったという牧田さん、ご本人がおっしゃるには、3歳くらいの時に、生き物好きなおじいちゃんから渡されたミヤマクワガタに圧倒され、なぜ動くのか、どうしてこんな形なのか、がぜん好奇心がふくらみ、昆虫の世界にのめり込むようになったそうです。

 生まれ育った宝塚市は自然が豊かで、暇さえあれば、近所で虫とり。学校に行っても休み時間になると、校庭の草むらへ走って行って虫とり。体育の時間も後ろのほうで虫を探すような子供だったとか。

 そんな虫好きの少年は北海道大学に進学。2020年には東京大学大学院へ入学、今年3月には見事、博士課程を修了し、子供の頃からの夢だったという博士に! これまでに14カ国を訪れ、9種の新種を発見されています。

 現在は、イケメンの昆虫大好き博士として、テレビ番組やYouTubeで、虫とりのワザや虫の生態などを発信! 子供たちにも大人気なんです。

 そんな牧田さんが先頃、新しい本『昆虫博士・牧田 習の虫とり完全攻略本』を出されたということで、番組にお迎えすることになりました。

 きょうは、昆虫採集に明け暮れた学生時代の驚くべきエピソードや、秋の虫とりテクニックなどうかがいます。

☆写真協力:牧田 習、オスカープロモーション
 撮影:土橋位広(『昆虫博士・牧田 習の虫とり完全攻略本』小学館)

写真協力:牧田 習、オスカープロモーション

小学生から虫とりに、どハマり!

※中学生や高校生の頃に沖縄や北海道にまで、虫とりに行っていたそうですね?

「だいたい、虫が好きな子供って、小学生ぐらいがピークだと思うかもしれないですけど、僕は中学1年か小学6年、12〜13歳ぐらいの時から火がついたように、こっちの世界により一層のめり込み始めましたね。

写真協力:牧田 習、オスカープロモーション

 それまでは関西とか地元で虫を捕っていたんですけど、中学生になったら沖縄、それこそ石垣島とかにひとりで虫網を持って行って、朝から晩まで、10日間か2週間ぐらいずっと虫を捕るというような、チョウチョからクワガタ、ゲンゴロウとか、いろんな昆虫を追っかけていましたね!」

●沖縄には、おひとりで行かれたんですか?

「そうなんですよ。僕、すごくラッキーなことがあって、小学生の時に三線(さんしん)っていう楽器をたまたまやっていたことがありました。沖縄に三線っていう楽器があるんですけど、その三線の先生がたまたま石垣島にいて・・・で、たまたまその先生がチョウチョを育てているかただったんですよね。

 だからそのチョウチョの、虫とのつながりもあって・・・で、その三線の先生の家に泊まり込んで、ひとりで虫とりに行くっていうのを、中学2年ぐらいの時にやって、中学3年の時にはその先生とは関係なく、西表島にひとりで行ったりしていました」

●そうだったんですね〜。もうハマりにハマっているっていうか!

「もう、どハマりしましたね! 修学旅行とか遠足でもめちゃめちゃ虫を捕っていました!」

●当然、家でも昆虫を飼っていたということですよね?

「そうです。もちろん飼育もしていたんですけど、やっぱり昆虫って限りあるものなので、飼っていると亡くなってしまいますよね。・・・ってなると、やっぱり標本にして半永久に残したいと思っていましたので、家にもたくさん標本があって、それを博物館にたまに展示してもらったりとか、っていうのも、ちょっと嬉しかったりとかして・・・本当に家で標本を作って、外では虫とりをしてっていうような生活をしていました」

写真協力:牧田 習、オスカープロモーション

●どんな虫をどれくらい飼っていたんですか?

「いや〜もう、わからないぐらい(笑)・・・例えば、いわゆる一般的な感じだとカブトムシを虫カゴに入れて、昆虫ゼリーをあげてみたいな感じの飼い方が多いじゃないですか。

 僕が中学生ぐらいの時に超ハマっていたのが・・・冬になって一見、虫がいなさそうな季節がやってきますよね。そうすると僕は近くの山とか地元の山に行って、木の枝とかを拾ってくるんですね。で、木の枝をよく見ると穴が空いていたりするんですよ。

 この穴は何だろうって、よく見た時に、それって実はカミキリムシが卵を産んだ穴だったり、跡だったりするんですよね。カミキリムシやタマムシやいろんな昆虫が卵を産みつけた跡だったりするので、そういう枝を拾ってきて、家の衣装ケースみたいな中に置いておくんですよ。

 そうすると暖かくなるとか、ちょっとあったかい部屋に置いとくと、その子たちが成長して成虫が出てくるので飼っていたりして・・・(笑)、だから自分でも何匹の虫が家にいるのか、よくわかんないような状態でしたね」

●ええっ! ご家族は虫は大丈夫だったんですか? 

「そうですね・・・それに関しては比較的まあまあ・・・もちろん家族みんな虫は嫌いだったんですけど、まあまあ許容してくれていたというか認めてくれてはいましたね」

千歳空港に降り立って、すぐ虫とり!

※昆虫のことは誰かに教わったんですか?

「小学生ぐらいまで昆虫館に行ったりとか、昆虫図鑑を見たりとか、昆虫の先生のお話を聞きに行ったりって感じだったんですけど、中学生ぐらいから、いわゆるどハマりした時に、近くの県立博物館がやっている虫好き中学生の集まりみたいなものに行くようになったんですよ。

 そうしたら、やっぱり同じ年ぐらいの虫がすごく好きな子たちがいっぱいいて、たまたま近くに僕と同じぐらい虫が好きな子がいて、その人とふたりでお互いに高め合うみたいな感じで、どこからともなく情報を仕入れてきて、”あそこにあれがいるらしいぞ”とかっていうのをお互いに持ち寄って、一緒に捕りに行ってみたいな感じでしたね。

 だから虫の知識はやっぱり虫とりでしか基本的には得られないことも多いので、そういう意味では本を読むとかっていうよりも実際に行って理解してっていうので、体で覚えていましたね」

●で、北海道大学に進学されたということですけれども・・・。

「それで中学校時代も虫とりにどハマりして、高校1年生の時に北海道に虫とりに行ったんですよ。札幌とか函館、いわゆる道南って言われるエリアに虫とりに行ったんですけど、そこで子供の時から昆虫図鑑とかを見て、夢見てきたような昆虫にたくさん出会うことができまして、そこで僕、北海道で 虫とりがしたい! っていうそれだけの理由で北海道大学に進学しました」

●え〜っ! 虫とりのために、 北海道大学!?

「そうなんですよ。やっぱり北海道って、オサムシっていう昆虫がいるんですけど、すごくピカピカしていて、“歩く宝石”って言われたりするような昆虫がいたりとか。ゲンゴロウの仲間もたくさんいますし、関西で育った僕にとっては、憧れのスターみたいな昆虫たちがいっぱいいるんですよね。

 そういう昆虫たちをやっぱり見てみたいとか、自分の目でもっと楽しみたいっていうためだけ・・・だから大学で勉強したいとかっていうのは、本当に後付けという感じで(笑)、まずは北海道に住みたい! でも大学進学っていうのは親を納得させなきゃいけないかなと思ったんで、北大だったらいいって言ってくれたので、それで北海道大学に進学しました」

●見事、北海道大学に合格したのにもかかわらず、大学にはあまり行かなかったそうですね?

「そうなんですよ。僕、今でも覚えているんですけど、3月に合格発表が出て、合格だってなって、3月末ぐらいに札幌に引っ越しますよね。引っ越して北海道の新千歳空港に降り立って、”やった! 夢の北海道生活が始まる! ひとり暮らし!”ってなったら、普通そのまま札幌に行かなきゃいけないじゃないですか。札幌に北海道大学あるんで・・・その千歳ですでに虫とりしていました! 

 キャリーバッグを引いて、隣の駅まで一駅分歩きながら虫とりをするぐらい、嬉しくて仕方なくて・・・だから入学式とかオリエンテーションみたいな、授業のオープニングみたいなのがあるじゃないですか。そんなの全部おかまいなく、ずーっと虫とりしていましたね!」

撮影:土橋位広

●北海道での虫とりはいかかでしたか?

「もう最高でした! 僕のいちばん好きな昆虫はゲンゴロウで、僕の地元の関西ではかなり珍しいんですね。僕がゲンゴロウの存在を知ったのが、たぶん6歳とか8歳、小学校2年生か3年生ぐらいの時からずっと探していたんです。

 で、やっぱりなかなか関西では、大きいゲンゴロウって見つからなかったんですけど、北海道って本当に意外と身近な場所にもいたりするんですよね。それがもう嬉しくて、例えば、授業の朝一限が8時半か9時から始まるってなっても、朝3時半に起きて自転車でゲンゴロウを捕りに行って、それで一限の時間に長靴を持って現れるみたいな・・・(笑)」

フィリピンとニュージーランドで虫とり!

※フィリピンで虫とりをしていた時期があったそうですね。それはどうしてなんですか?

「子供の時から、もうひとつやってみたいことがありまして、外国で虫を探してみたいっていうのは、ひとつの夢としてあったんですね。僕たち子供の時から昆虫図鑑を見てきましたけど、それってやっぱり日本のフィールドの中での情報だったりするじゃないですか。

 イメージ的にポケモンを好きなかただと、新しいヴァージョンが出たら、どんなやついるんだろうみたいな、ちょっと気になるじゃないですか。日本の地図から出たら、どんなやつがいるんだろうみたいな気になっていて・・・。

 で、フィリピンっていう国は当時は、意外と物価も安くて語学留学とかがすごく盛んな国だったので、語学留学も兼ねて1回行ってみようかなと思って・・・。で、行った時に何て言うんだろうな・・・予想通り、やっぱり思った通り知らない虫ばっかりでした。

 日本だと当時、ある程度、虫をわかるようになっていたので、これはあれ、これはあれって、わかっていたんですけど、(フィリピンは)わからないものだらけだったんですよね。右を見ても左を見てもわからない虫がいっぱいいて、それがなんか子供の時のわからないなりにドキドキしているって体験に戻ったような感じで幸せでした」

写真協力:牧田 習、オスカープロモーション

●どれぐらいの期間、フィリピンに行ってたんですか?

「フィリピンはたぶん1ヶ月から数ヶ月くらいしかいなかったと思うんですけど、いる間にちょうど(北海道)大学から、お前もう留年だと(笑)、ちょうど夏ぐらいだったんですけど、留年だって連絡が来まして、そこでニュージーランド行きを決めた感じがありましたね」

●フィリピンからニュージーランドに・・・???

「そうなんですよ。フィリピンで僕、普通に山の中をふらふらしていたんですけど、その時たまたま、ある旅人に出会って、日本人のかたでニュージーランドにワーキング・ホリデーに行ってきたみたいなことを言ってたんですね。

 ニュージーランドにワーキング・ホリデーで行けば、働きながら滞在できるし、お金も稼げるし、遊びもできるみたいな、楽しみながら滞在できるよみたいなことを・・・全然そのかたは虫は関係なかったんですけど・・・聞いて、で、その時は8月だったんですよ。

 だからこれから一旦、日本に戻って大学に行っても、どうせ留年だし、なんかつまんないなって思ったんですよね。なにより日本は寒くなっちゃうし・・・でもニュージーランドだったら南半球なので、季節が逆で暖かいと思って、じゃあちょっと半年間、休学してニュージーランドで虫とりするか〜みたいな、虫とり修行に行ってくるか〜みたいな感じでふらっと行きましたね」

●親御さんに相談とかされたんですか?

「めっちゃ怒られました。何を考えてんの? みたいな・・・めちゃめちゃ怒られて、せっかく北海道大学に入学できたのに・・・運良くですよ。僕なんて偶然、大学に合格できたのも、たまたま入学試験の生物でクワガタの問題が出たんですよ。それでたまたま合格できただけなのに、なんで勉強しないんだ! みたいなことを言われて、あぁ〜と思って(笑)。まあでも、来年から頑張るからニュージーランドで半年、好きにさせてくれって言って、ニュージーランド行きましたね」

写真協力:牧田 習、オスカープロモーション
ニュージーランドの昆虫研究室で恩師と談笑

(編集部注:休学してニュージーランドに行った牧田さん、お金がなかったので、アルバイトをしながら食いつなぐ生活だったそうです。それでも、想像を絶するカミキリムシに出会い、ドキドキ・ワクワク! 

 幸運なことに現地の研究所で世界的な昆虫学者に出会い、なんと研究に誘われ、厳しい規制のある保護区での採取ができるように、許可まで取り付けてくださったそうです。そして「ホソカタムシ」の新種を発見、論文の書き方なども細かく教わり、先生と一緒に発表することができたそうですよ。

 牧田さんいわく、もともとは内向的な性格で知らない人が怖かったけれど、フィリピンやニュージーランドで、もまれて、何も怖くなくなったとか。北海道大学に戻って2年目から気合が入り、しっかり勉強し、めでたく卒業! その後、東京大学大学院で博士号を取得されています)

虫とりは秋!?

※番組前半では、牧田さんの驚くべき虫とりのエピソードをご紹介しましたが、ここからは先頃、出された本『昆虫博士・牧田 習の虫とり完全攻略本』をもとにお話をうかがっていきます。

『昆虫博士・牧田 習の虫とり完全攻略本』

●この本には、これまで培ってきた虫とりのテクニックやワザが網羅されていて、この本さえあれば、あらゆるフィールドで虫とりができると思います。

 9月中旬から10月にかけての虫とりは、やはりアキアカネなどのトンボや、秋に鳴く虫、コオロギあたりでしょうか?

「そうですね。鳴く虫たちが多い(時期ですね)。特にカマキリとか今まさにいっぱい出ていると思いますし、あとは糞虫っていう動物の糞に集まるコガネムシがいるんですけど、そういう糞虫の仲間も秋はすごく盛り上がる季節かなと思います。

 あと、ゴミムシっていうちょっとマニアックで申し訳ないんですけど・・・ゴミムシって言っても汚くないですよ。すごく綺麗な種類がたくさんいる仲間です。ジメジメした場所なんかに多いんですね。河川敷とか池の近くとか、ジメジメしたようなところを観察してみると、すごく綺麗なゴミムシという、青とか赤とかいろんな色に輝くんですけど、そんな仲間も結構いるかなと思っています」

●虫とりって夏のイメージが強いんですけれども、秋とか冬でも虫とりはできるんですよね?

「意外とみなさん(虫とりは)夏だと思いますよね。でも僕とかすごく虫好きな人は実は、8月のいちばん暑すぎる時ってそんな虫とり行かないんですよ。暑すぎる時ってやっぱり虫も少ないので、標高の高い涼しい場所に虫とりに行ったりするんですね。

 実は秋のほうがいろんな虫が出てくるんですけど、仲間によっては秋に鳴く虫とかいっぱい出てきますよね。あとは冬でも少ないながら活動している昆虫がいたりとか、冬だからこそ越冬している昆虫たちをゲットすることができたりとか、季節によって楽しめるので、夏に限らず楽しんでほしいと思います」

●例えば10月以降ですと、どんな昆虫が見つかりますか?

「そうですね・・・10月から11月ぐらいだと、おすすめの蛾がいて、ウスタビガっていう、すごく大きくて可愛い蛾なんですけど、顔を見ていただくと、ぬいぐるみみたいな蛾なんですね。手のひらくらいある大きい蛾なんですけど、すっごく可愛くて、オスが茶色でメスが黄色なんです。山手とかに行った際には灯りとかに飛んでくることもあるので、観察してほしいなと思います」

●フィールドのどの辺りを注意深く見ると見つけやすいとかありますか。コツがあれば、ぜひ教えていただきたいんですけど・・・。

「ウスタビガに限らずですと、やっぱり森を歩いていて、もちろんお花に来る虫とか池の周りを飛んでいる虫とかがわかりやすいですよね。そういう虫はくまなくチェックしたほうがいいと思うんですけど、例えば朽木があるとか、石ころがあるとか、そういうものの下を見てみるとか・・・。

 咲いているお花に虫がとまってなくても、そのお花の裏側を見てみるとか、周りの下草を見てみるとか、虫になったらこういうところにも隠れちゃうんじゃないか、みたいな視点で見てみると観察しやすいかなと思います」

撮影:土橋位広

●子供の頃から虫が大好きな牧田さんですけれども、虫たちがいる自然環境の変化っていうのは、どのように感じてらっしゃいますか?

「これはまさに虫を飼っていて、すごく感じていますね。僕が子供の時はまだそこそこいたけど、かなり減ってしまった昆虫もいたりとか・・・一方で僕が子供の時はほとんどいなかったけど、数がぐんって増えてしまった虫、例えば温暖化によって増えてきている昆虫とかもいますね。

 あと外来種っていう言葉を聞いたことあるかたは多いと思うんですけど、人が持ち込んだことによって増えてしまった昆虫もいればって感じで、本当に昆虫たちは環境の変化にすごく敏感な生き物なんで、いろんな理由で昆虫たちは増えたり減ったりしていますね」

(編集部注:虫とりの基本として、まず、牧田さんがあげてくださったのは、必ず長ソデ・長ズボンで行くこと。危険な虫、例えば、スズメバチやマダニから自分を守るためにも服装には注意してくださいとのこと。

 また、虫とりに夢中になると、崖や池に気づかず、落ちたりすることもあるので、必ず大人と一緒に行ってくださいとのことです。

 虫はどこでも捕っていいわけではなく、禁止されている場所もありますので、事前に調べて、必要ならば管理者に許可をとっておくことも大事になります)

撮影:土橋位広

昆虫は人間が地球を知る「鍵」!

※昆虫ハンターとして、一生のうちに出会ってみたい虫は、どんな昆虫ですか?

「これはもういっぱいいるんですけど、やっぱりあの〜・・・ありすぎてなかなか難しいかもしれないんですけど(笑)、ひとつあるのはいろんなところに行ってみたい、アフリカだったりとか南米だったり・・・。日本とかアジアとかオセアニアとかではいろいろ虫とりしますけど、まだアフリカに行ったことがないので、アフリカのすごい昆虫たちに出会ってみたいなっていうのはあります」

●アフリカは、やっぱり魅力的なフィールドですか?

「そうですね。もちろん輝かしい昆虫たちがいるんですけど、誰も行ったことがない場所がまだあると思うんですね。誰も昆虫を探したことがないような場所って、もちろんあると思うので、アフリカの誰も行ってない場所に行って、虫を探してみたいっていうのはありますね」

●昆虫博士の牧田さんとしては、今後どんなことを解明していきたいですか?

「地球の環境は刻一刻と変化していますよね。例えば、温度が上がったりとか、湿度が変化したりとかって言うのは各地であると思うので、そういうことを昆虫を通してわかるような・・・昆虫はやっぱり人間が地球のことを知る上で、大事な大事な鍵となる生き物だと思うので、そういう昆虫の魅力をみなさんに、よりお届けできるようになっていきたいと思います」

●では最後に『昆虫博士・ 牧田 習の虫とり完全攻略本』をどんなふうに活用してくれたら著者としては嬉しいですか?

「究極ですけど、虫のことを知るためには、どんな図鑑を読むよりもどんな先生に話を聞くよりも、まず虫に聞くしかないんですよね。ただ、みなさん自然の中に行って虫を探すってなると、なかなか思い通りにいかない時とかもあると思うんですよ。

 なのでまず、虫を探すためのきっかけというか、お供としてこの本を活用していただくと、虫のことをより学びやすくなるんじゃないかなと思っています。この本と一緒にぜひ虫とりに出かけてほしいと思います」

(編集部注:昆虫は、わかっているだけで100万種ほどいるとされていますが、牧田さんによると、2000万種以上ともいわれていて、新種は毎年のように見つかっているそうです。まさに地球は「昆虫の惑星」! そんな地球に生まれた牧田さんの昆虫熱は、ヒートアップする一方かも知れませんね)


INFORMATION

『昆虫博士・牧田 習の虫とり完全攻略本』

『昆虫博士・牧田 習の虫とり完全攻略本』

 牧田さんの新しい本には、これまで培ってきた虫とりのワザが網羅されています。虫とり用の網のテクニックや、樹木や草むら、朽木など、どこを見れば、虫がいるかなど、この本さえあれば、森や原っぱ、水辺など、あらゆるフィールドで虫とりができますよ。また、虫をつかまえるための、いろいろなトラップの紹介、さらに牧田さんが大好きなゲンゴロウの飼い方なども載っています。

 ぜひこの本を持って、お子さんと一緒に虫とりに出かけましょう! 
 小学館から絶賛発売中! 詳しくは出版社のオフィシャルサイトをご覧ください。

◎小学館:https://www.shogakukan.co.jp/books/09227443

 牧田さんのYouTubeチャンネル「昆虫ハンター牧田 習の 昆虫大好きランド」もぜひ見てくださいね。

◎「昆虫ハンター牧田 習の 昆虫大好きランド」:
https://www.youtube.com/channel/UCe6DM7O_OrLrg7ZmkfDJz8w

財前直見、ふるさと大分・生き生き田舎暮らし

2025/9/14 UP!

 今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、俳優の「財前直見(ざいぜん・なおみ)」さんです。

 テレビドラマや映画などで大活躍の財前さんは、2007年に東京から、ふるさとの大分に移住され、ご実家がある国東半島の里山で野菜などを作り、自然に寄り添う生活をされています。

 その暮らしぶりは、テレビ番組などで発信されていますが、先頃、宝島社から出された新しい本『直見工房2 それからのこと〜財前さんが受け継ぐ暮らしと秘伝のレシピ帖』には、ふるさとで、生き生きといろんなことにチャレンジされている財前さんの暮らしぶりが満載なんです。

 きょうはその本をもとに、野菜やお米づくり、古民家を取り壊して建てた新しいおうち、そして手作り調味料や簡単レシピのお話などうかがいます。

☆写真協力:『直見工房2 それからのこと』(宝島社)
 撮影:深澤慎平、江口 拓

財前直見さん

じいじ、ばあばがいる環境

●今週のゲストは、俳優の財前直見さんです。きょうは現在、お住まいの大分県からここ海浜幕張のスタジオまでお越しいただきました! ありがとうございます!

「こちらこそ、ありがとうございます」

●改めて、よろしくお願いいします。

「よろしくお願いいたします」

●財前さんのふるさとが、大分県の国東半島の南部にある杵築(きつき)市というところなんですよね?

「はい」

●2007年に東京から大分に移住されたということですけれども、どうして移り住もうと思われたんですか?

「これはもう子供が生まれたことが、第一のきっかけというか・・・やっぱりいろいろ考えた時に食育とか、あとはじいじと、ばあばがいる環境とか、大分は温泉があるので温泉につかりに行くとか、そういうのがあって・・・簡単に言うと夏休みに実家に帰ったら、居心地が良くて居座ちゃった的な(笑)そんな感じでしたね」

●私も今年の5月に息子が生まれたんですけど、やっぱり自然豊かな場所で(子育てしたい)っていうのはすごく感じます。

「ですよね~。いろんな経験させたいなと思って・・・」

写真協力:『直見工房2 それからのこと』(宝島社) 撮影:深澤慎平、江口 拓

●そうですよね。ご実家があるのは、どんなエリアなんですか?

「山とか田んぼとかある、ぽつんと一軒家的なことではないんですけど、近くにコンビニはないし、山の中といえば、山の中ですね(笑)」

●財前さんのおうちの敷地にも、田んぼとか畑があるんですか?

「そうですね。うちの田んぼは今、営農集団というところに麦と大豆を植えてもらっているんです。お米は、あるかたの田んぼをお借りして、田植えとかをさせてもらっているっていう感じですね。基本的に畑仕事はじいじの担当なんです」

●そうなんですね。

「私も母とふたりで、月に2〜3回は(手伝いに)行きますね」

築133年の古民家を建て替え

●ではここからは、財前さんが先頃出された新しい本『直美工房2 それからのこと』をもとにお話をうかがっていきたいと思います。この本には大分での暮らしぶりや、家族で育てた農作物を活かしたお料理のレシピなどが載っていますよね?

「そうですね」

●どの料理も美味しそうです。個人的には「にんじん丸ごとグリル」が斬新で、特に気になったんですけれども・・・。

「今回は(野菜は)スーパーでも買えてチャレンジできるものっていうのを結構心がけて(作りました)。にんじんは、ただ焼いただけなのに美味しいっていう(笑)」

●本当にそうですね! 驚くほどの甘さになるっていうことで、丸ごとオーブンに入れて、じっくりグリルするだけってことですよね。

「スーパーに売ってたりする野菜を、珍しいものもうちは結構あるんですけど、今回の本は手っ取り早く、誰でも作れるっていうのを意識して作りました」

写真協力:『直見工房2 それからのこと』(宝島社) 撮影:深澤慎平、江口 拓

●レシピ本としても楽しめますよね。今回の本は、4年ほど前に出された1作目の『直美工房』の続編的な内容になっているということですよね?

「そうですね。前回と何が違うかって言うと、“それからのこと“っていうのが結構あって、いろんなことにチャレンジしました。まず、いちばん大きな出来事というのは、築133年の古民家を建て替えたっていうところですね」

●新しいおうちになっているってことですよね?

「そうですね」

●(財前家が)代々暮らしてきたその古民家をとり壊してっていうことですよね?

「そうです。シロアリちゃんにやられていて、家が傾いていたんですね。蔵とか残したかったんですけど、残すほうがお金もかかる・・・で、昔使っていた家の梁とか、煤竹(すすだけ)とか、そういう古いものも活かせるようなおうちにしたいなと思っていたんですね。

 そこにテレビ番組(の企画)が入ってきたので、梁で囲炉裏テーブルとか、煤竹で天井に新しいオブジェを作るのも、自分たちで手掛けることをさせていただいたので、すごくいい経験になりました」

写真協力:『直見工房2 それからのこと』(宝島社) 撮影:深澤慎平、江口 拓

 ●こういう家にしようとか、コンセプトみたいなものはあったんですか?

「畑仕事とかが楽しいと思えるような、美味しくいただくっていうのが、すぐできたらいいな~って思っていて、昔、牛小屋だったところにキッチンを置いたんですよ。
 昔で言う土間みたいに土足で上がれるようにしていて、そこで全部、食べるまで完結するっていう、畳の部屋があったりとか・・・。母屋のほうがすごく居心地はいいと思うんですけど、みなさん(うちに)遊びに来られた時に、もと牛小屋のほうにみんないるんですよ(笑)。

 そこは靴を脱がなくてもいいし、採れたて野菜をそのまま洗って、キュウリをかじったりとか、そういうことができるので、みなさん、なんとなくそっちのほうに来ますね」

●へえ~、そうなんですね。仕事で家を離れて久しぶりに家に帰った時とか、やっぱりこの家いいな~って思われたりします?

「それよりも野菜のことが気になっていますね。どこまで大きくなっているかとか、カラスにやられてないかとか・・・(笑)」

お米づくり、みんなで手植え

●この本からは新しいおうちを拠点に、まさに工房のように、家族みんなでいろんなことにチャレンジしながら暮らしている様子がうかがえます。畑ではいろんな作物を育てていらっしゃいますが、ここ数年のいちばんのチャレンジで言うと、お米づくりですか?

写真協力:『直見工房2 それからのこと』(宝島社) 撮影:深澤慎平、江口 拓

「そうですね。お米も今、機械で植えるので、あっという間に(田植えが)終わっちゃうんですよね。
 昔ながらの“手植え”をしたいって、わがままを言いまして、手伝いをしてくださる近所の方々が、田んぼを貸していただいているかたもいるんですけど、一斉にずら~っと横に一直線に並んで、“せーの!”とか言って植えて、“はい! これ終わったよ! 1メートル下がって〜”みたいな、そういうことをやらせてもらいました。

 やっぱり人と人とが一緒に作物を植えていくことが、昔の良さでもあったので・・・お昼になったら“小昼(こびる)”と言って、おにぎりとか、そういうのを畑仕事のあとにみんなで食べる、わちゃわちゃやる、みたいなことがもう一回再現できたら嬉しいな~と思って、みんな呼んでやっていたりとかしているんですけどね」

●人手も必要ですけど、確かにその分、みんなでワイワイやるのは、楽しそうですよね。

「そうですね。やっぱり都会にいると、なかなか土に触る機会がないですよね」

●ないです。

「裸足で(田んぼに)入ると危ないんですけど、それでも土の中に手を突っ込んだり(笑)とかっていう作業・・・うちに来てくれた『直美工房』のスタッフも一緒に(苗を)植えたんですよ。そうするとやっぱりみなさん“(お米)一粒一粒が愛おしくなる”っておっしゃってくれていますね。

 で、うちに古い脱穀機があって、脱穀するのも結構大変なんですよ。唐箕(とうみ)っていう空気を送って良い米と悪い米を分ける機械があって、それもうちの田舎から出てきたので、そういう作業をしているとやっぱり飛ぶんですよ、いろんなところに米が・・・“もったいない~”ってかき集めて(笑)」

写真協力:『直見工房2 それからのこと』(宝島社) 撮影:深澤慎平、江口 拓

●そうなりますよね。

「そうなんです。かまどを作ったので木をくべて、お釜でご飯を炊くのが最高の贅沢だな~と思っていますね」

●美味しく炊くコツとかあるんですか?

「浸水させておいて、炊く前に氷を入れるとか・・・」

●お釜でご飯・・・美味しいですよね?

「美味しい!」

●いいですね~。

「井戸水なので美味しいです!」

●農作業の合間に食べるおむすびは、具材を入れたりとかされるんですか? 

「塩むすびをひとつ作ったとして・・・うちは味噌も結構いっぱい作っているので、いろんな味噌を試しに・・・にんにくの葉の味噌とか、柚子味噌とか、ふきのとう味噌とか、そういうものを採れた時に味噌にしておくと結構長く持つので、そういう使い方をしています」

写真協力:『直見工房2 それからのこと』(宝島社) 撮影:深澤慎平、江口 拓

財前家の万能常備調味料

※財前家ではお味噌や調味料、シロップなど、なんでも手づくりしてオリジナルもいろいろありますよね?

「そうですね。でも簡単なんですよ。たとえば梅しょうゆ、しょうゆ梅ですよね! 要は青い梅を醤油と砂糖に漬けておくだけで、しょうゆ味のカリカリ梅になって、そこに漬けておいた汁が梅しょうゆになるので、それをそうめんのつゆにしたりとか・・・」

●美味しそう!

「あとキュウリにかけたりとか、っていうことをしているだけなんで・・・あるものを使っているっていう(笑)」

●梅と砂糖と醤油を1対1対1の割合で漬けるんですか?

「1対1対1。そうです、そうです!」

●万能常備調味料になりますね?

「そうです、そうです!」

●ストックしておくと良いですよね。

「簡単なんで(梅が)できた時にそれをやっておくだけです」

●あと、ゆず味噌も美味しそうでした。

「ゆず味噌も美味しいですよ」

●ゆずと砂糖と味噌とみりんで・・・?

「そうです!」

●簡単に作れちゃうんですよね。

「簡単ですよ! こねるだけなんで・・・こねるだけって言ったら変だけど(笑)」

●「ゆず味噌チキンソテー」が本に載っていましたけど、いつものチキンソテーにゆず味噌をソースとして添えるだけで、本当に美味しそうなチキンソテーになっていましたね! ご飯が進みそうだな~と・・・。

「そうですね(笑)。ほかにもゆず味噌がひとつあれば、ピザの上に載せたりとか、そういうこともできますね」

●そういうのは財前さんが考えるんですか? アイデアが浮かんでくるんですか?

「アイデアっていうか、あるもの使おうっていう(笑)」

写真協力:『直見工房2 それからのこと』(宝島社) 撮影:深澤慎平、江口 拓

●すごい!

「単純に、あるから使ってみようって思うだけなので、合うかな~とか思いながら・・・」

●日本茶好きの番組スタッフが本を読んで、これすごいと思ったのが、お茶の葉の手づくり・・・お茶の葉も作るんですね?

「そうですね。八十八夜に飲むお茶は1年間、健康で過ごせるっていうこともありますからね。たまたま、うちの庭っていうか、石垣のところにお茶の葉の木があって、ちょうど八十八夜の頃に新茶が採れるので、それを摘んで蒸して炒って作っていますね」

●ブレンドとかもするんですか?

「ブレンドは、よもぎだったりとか、びわの葉だったりとか、そういう葉っぱを蒸したりとか干して、お茶っ葉にするっていうのはやっていますね」

●そうなんですね。9月から10月にかけて収穫する作物は、どんなものがあるんですか?

「これから栗とか柿とかもできてきますし、うちはパパイヤがもうそろそろ・・・」

●いいですね。

「パパイヤ、美味しいですよ! 果物として、ではなくて、青パパイヤ」

●健康にも良いって、言いますよね。

「珍しいところで言うとヘチマですね。美味しいです」

●いいですね。あと大分で言うと、かぼすも有名だと思うんですけど・・・。

「はい、かぼすも採れます! 財前さんのお宅にも、かぼすの木があります」

●かぼすで作るのは、やっぱりジュースになるんですか?

「そうですね。ジュースがいちばん手っ取り早いかな~。ほかにかぼす胡椒とか、あと皮はもったいないのでピールっていうお菓子にしたりとか、砂糖煮とかね。あとポン酢、かぼすポン酢にするとか・・・」

●皮まで隅々まで使い切るっていう感じですね!

「そうです、そうです!」

人間も生き物

※大分に戻って18年ほどが経ちました。日々、自然に向き合う暮らしはいかがですか?

「自然が相手なので・・・この前は芋を全部イノシシにやられたり・・・でも、イノシシさんが美味しくいただいたなら、まあいいか~と思いながら・・・。

 やっぱり自然と共存する、人間が偉いわけじゃなくて、人間も生き物なんだって思っているので、まあいいかって思って、美味しくいただいてくれたなら、いいやと思いながら・・・。

 でも、採れた作物をそのままいただくとか、やっぱり新鮮野菜、その季節のものをいただくっていうのが、多分私の中ではいちばん人間の薬になるというか、そういうもので(体は)作られているから、保存食とかもしますけど、季節のものをその季節に食べるのが、いちばん体にいいんだなって思っているので、そういう暮らしができるのってすごく贅沢だな~と思っています」

写真協力:『直見工房2 それからのこと』(宝島社) 撮影:深澤慎平、江口 拓

●田舎暮らしと言っても、財前さんの場合はどんどん世界が広がっているようなイメージがあるんですけれども・・・。

「やっぱり農作業をしていると、女優業とは全く違って、いろんなかたとお知り合いになれるといいますか・・・今(手首に)付けている七島藺(しちとうい)(*注1)の岩切千佳(いわきりちか)さん(*注2)とか・・・今ミサンガを付けているんですけど・・・」

●可愛らしい色がいろいろあるんですね!

「色も付けてくれて・・・(七島藺は)国東地方にもともとあって、うちのじいじは子供の頃(手伝いをしていて) “こんな面倒くさい作業、いやだ!”って投げ出したぐらいなので、だんだん七島藺農家さんが少なくなってきて、7軒だったのがちょっと増えて、今は9軒なんですけど・・・で、何かお手伝いできることはないかな~って思いながら・・・。

 そういう七島藺農家さんとか、イチゴ農家さんとか、そういうかたと知り合って、どんどん広がって、また違う世界が見られて楽しいんですよね」

●七島藺っていう畳の材料として作られる植物ですね?

「そうです。畳表ですね」

●知らなかったです、七島藺!

「丈夫なんですよ。だから鍋敷きとか、そういうのに向いているんですよね、火にも強いので」

(*注1)「七島藺(しちとうい)」は、大分県の国東半島だけで生産されているカヤツリグサ科の植物で、畳の材料になるとのこと。茎の断面が三角形という特徴があり、とても丈夫なので柔道の畳に使われてきたそうです。
 詳しくは「くにさき七島藺振興会」のサイトをご覧ください。
http://shitto.org/

(*注2)岩切千佳(いわきりちか)さんは「くにあき七島藺認定工芸士/七島藺作家」。作品や活動については以下のSNSをご覧ください。
https://www.instagram.com/chika_iwakiri/
https://www.facebook.com/profile.php?id=100004325019295

●新しいおうちに名前をつけられたそうですね。どんなお名前なんですか?

「はい、『財遊舎』と言って、漢字で言うと財前の“財”に、“遊ぶ”、田舎の“舎”・・・“財前さんが遊ぶ田舎”っていう、わかりやすい名前なんです (笑)」

●どんな思いが込められているんですか?

「私が遊びたいがための家なんですけど(笑)、(遊は)ローマ字で書くと、あなたっていう“YOU”をつけたので、“あなたも一緒に私と財遊舎で遊びませんか?”みたいな意味があるんですよね」

●素敵な名前ですね。今後その「財遊舎」を拠点にどんなことをやっていきたいですか?

「やっぱりさっきの七島藺みたいなこともそうなんですけど、土づくりとか、あともともとある在来種・・・大分で言えば“もちとうきび”とか、“白なす”とかあるんですね。そういうものを植えて、なくなってしまいそうな野菜がもうちょっと広がっていけばいいなと思っているんですよね」

●改めてになりますけれども、最後に新しい本『直美工房2 それからのこと』を通して、どんなことをいちばん伝えたいですか?

「東京とかにいると、なかなかできないって思ってらっしゃるかたがいると思うんですけど、さっき言ったように(しょうゆ)梅も簡単にできるし、ジュースも簡単にできるので、とにかく何か、この本を見て、“あっ、自分でもできるかもしれない!”って、にんじんも焼くだけだし・・・これからそういうチャレンジをして、いろんなアレンジをしてもらえたらいいなと思っています」

●ありがとうございます!


INFORMATION

『直見工房2 それからのこと』

『直見工房2 それからのこと』

 財前さんの新しい本をぜひ読んでください。ふるさと大分で、じいじやばあば、そしてゆかいな仲間たちと、生き生きと生活されている財前さんの暮らしぶりが満載です。丹精込めて育てた作物を使った、とっておきのレシピ、生活の知恵や道具のほか、新しいおうちが豊富な写真とともに紹介されています。見ているだけで田舎暮らしの豊かさが伝わってくる一冊です。
 宝島社から絶賛発売中! 詳しくは出版社のオフィシャルサイトをご覧ください。

◎宝島社:https://tkj.jp/book/?cd=TD061423

オカリナ生活50年! すべては自分の心の中に

2025/9/7 UP!

 今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、オカリナ奏者の「宗次郎」さんです。

 オカリナの第一人者として知られる宗次郎さん、今年でオカリナと出会って、なんと50年! レコード・デビューして40年! になるんです。

 きょうは50年前に出会ったオカリナの師匠のことや、茨城県常陸大宮市の里山にある「オカリーナの森」、そして最新作『すべては自分の心の中に』に収められた楽曲のことなどうかがいます。

☆写真協力:風音工房

宗次郎さん

唇がオカリナにピッタリ!?

※宗次郎さんは、オカリナと出会って今年で50年ということですが、いつ頃、どこで出会ったんですか?

「1975年だったと思うんですね。僕は群馬県館林市の出身で、当時20歳そこそこだったんですが、うちの兄がタウン誌を作っていたこともあって、いろんなかたをご存知だったんです。

 そのなかで“オカリナを作っている素晴らしい人がいるから、一度行ってみないか“と、兄から誘っていただいて連れていってもらったんですね。そのかたが当時、オカリナの第一人者と言われていた火山久(かやま・ひさし)っていう先生、のちに弟子として入るんですけど、そういう火山先生だったんです」

●いきなり師匠に出会ったっていうことですか?

「そうです。先生といきなり出会って、その先生の(オカリナの)音を聴いてびっくりして、世の中にこんなにもいい音のする笛があるんだと思って、感動しましたね」

(編集部注:のちに師匠になる「火山 久(かやま・ひさし)」さんは当時は、現在の栃木県佐野市飛駒の山奥に工房を構え、お弟子さんがふたりいたそうです)

宗次郎さん

※火山さんのオカリナの音色に感動し、週末、工房に遊びに行くようになった宗次郎さん、弟子入りのきっかけになった、こんな出来事があったそうです。

「僕は縦笛が大好きで、先生の所に行く前から縦笛も自己流で吹いていたんですね」

●そうですなんですね。

「なので、先生から(オカリナを)一本“ちょっとこれ、ヒビが入ってんだ、キズなんだけど、持ってって練習してみなさい“って言われたんですね。それで、もう嬉しくなっちゃって、帰ってから毎日・・・その時はアルバイトぐらいしかやっていなくて、フリーでいたので、時間がたっぷりあったから、帰ってから毎日吹いていたんですよ! もう昼も夜も!

 それで先生の所へ時々通っていて、1ヶ月ぐらい経った頃に(先生が)“どうだ?宗ちゃん、少しは上手くなったか?”って言ってくれて、“ちょっと吹いてみなさい。レッスンしてやるから吹いてみなさい”って言われたんですよ。

 その時に僕は歌も歌っていて、アマチュアですけど、好きでやっていたので、周りの人もフォルクローレとか『コンドルは飛んで行く』とか『花祭り』とか、そういうのが好きな人が多くて、たまたま『花祭り』を練習してずっとやっていたんですよ。

 なので、先生からそう言われた時に『花祭り』をちょっと自己流で吹いたんですよ。そうしたら先生がびっくりして、“え~っ、たった1ヶ月でそこまで吹けるようになったのか? 宗ちゃん、すごいよ!”とか言って褒めてくださって、それで“一緒にやらないか? やってみないか?”って先生からお誘いいただいちゃったんです。(オカリナを始めて)1ヶ月ぐらいで!」

●師匠からのお褒めのお言葉って、すごくうれしかったんじゃないですか?

「そうなんです! もちろんうれしかったんです! ところがそこはオカリナを作る工房だったので、東京の会社と契約してオカリナを作って販売っていうか卸していたんですよね。

 そういう所だったから、僕は手先が不器用なので、 “僕は不器用だから絶対(オカリナは)作れないから無理です”って、“そう言っていただくのは嬉しいけど、無理だからお断りします“って言ったら、先生が”何、言ってんだ! 物作りって不器用な奴のほうが絶対いい笛を作るぞ!”って言ってくれて、“だって、宗ちゃんの唇、オカリナにピッタリだぞ!”って、どういうわけか言われたんです」

●どんな唇なんですか?(笑)

「それがわかんない。未だにわかんないんですけど、それで褒めちぎられて持ち上げられて、それで嬉しくなっちゃって・・・“とにかく4人でアンサンブルをしたいんだ。オカリナだけのアンサンブルを弦楽四重奏のようなことを、オカリナの音だけでやりたいんだ! だからそのために宗ちゃんが必要だ!”って言ってくれてたんですよ。

 要するに“ファースト・バイオリンの、トップのメロディを担当する奴がいないんだよ!”って・・・先輩がふたりいたんですけど、”メロディをちゃんと歌える奴がいないんだよ! 宗ちゃん、いけるぞ! 歌えるから絶対いいぞ!“って褒めちぎられて、それからですね」

(編集部注:火山さんに出会って、3ヶ月ほどして弟子入りした宗次郎さん、師匠のもとでおよそ3年間、毎日オカリナを作り、夕方になると1時間ほどのレッスンを受け、寝泊まりしていた小屋に戻ると、毎日、夜8時頃から朝4時くらいまで、オカリナの練習に没頭していたそうです)

いい笛は体ごと響く!?

※粘土から作るオカリナが良いオカリナになるのは、やはり土が肝心だったりするんですか?

「土によって音色が少し違うんですよね。未だに分かんないんですけど、これはいいな~と思って焼いても・・・。

 僕ひとりになってからは、手に入る土を全部、名古屋周辺とか滋賀県信楽とか、岐阜とか、東海地域は車で直接行って、粘土組合みたいな所があるので、そういう所に行って買って、少しずつ試験的にやってみたいので、いっぱい買い込んで最初は実験して作りましたね」

●現在、宗次郎さんがライヴやレコーディングで愛用されているオカリナは、どれぐらいあるんですか?

「普段使っているのはケースに入れて持って歩いていますけど、12本から13本かな? あと予備にまた同じぐらいはあるんですけど、とりあえず12、13本で演奏しています」

●今までに作ったオカリナは何個ぐらいになるんですか?

「大体ですね・・・1ヶ月半ぐらいで100本か120本130本は作っていたので、1年間で1000本ぐらいは作っていましたね。ですからトータルでいうと、デビューするまでの10年間(オカリナ作りを)やっていたので、1万本ぐらいは作ったかな」

●すごいですね! 1万本の中でお気に入りの10本を選ぶ過程も大変そうですけれども・・・。

「そうですね。僕ひとりになってから、やっぱり同じように・・・ひと窯で大体100本ぐらいが入るんですけど、その中でこれは演奏に使えるかなと思うのは、3〜4本しかなかったですね。その3〜4本はとりあえずストックしておいて・・・」

●音色が違うってことですか?

「音色・・・吹き心地・・・多分、はたで聴いていると、どっちも一緒だよって、変わらないよって(笑)、きっとはたで聴いている人はそういう感じかなと思うんですね。

 でも、自分が吹いてお腹の底から(音を)出さないと、いい響きって出てこないじゃないかなと思っています。体全体で吹く。だからいい笛は体ごと響く。その響きが感じられる笛がいいと思っていて、それが自分にとっていい笛ですね」

●なるほど~。

「多分(オカリナの吹き口を)くわえたらお腹の底から出さないといい音はしないので、くわえたら(お腹の下)ここまでが楽器、お腹の底から“ここが楽器なんだよ!”って思ったほうがいいと思います」

●ではここで、宗次郎さんの最新作『すべては自分の心の中に』から一曲「あの日の青空」という曲を届けしたいんですが、この曲はどんな思いを込めて作られたんですか?

写真協力:風音工房

「今回のアルバム自体は、ちょうどコロナの時期に作り溜めていた曲で、第2弾って感じなんです。その時期、みんな出かけるのも自粛して、どこも出かけずにコンサートも中止になったりしていて、そういう時期だったこともあって、森にいることが多かったんですね。

 そんな中で、森からすごく綺麗な青空が見えるんですよ、時々いい感じで・・・。僕は空を見たりするのが好きなので、よく見るんですけど、青空がすごく綺麗だったので、そういえば、子供の頃に見た青空もこんな感じだったよな・・・みたいな、昔のことを思い出して、それでなんとなく昔の雰囲気の空気感をちょっと再現したいなと思って作った曲なんです」

(編集部注:アルバムのタイトル『すべては自分の心の中に』には、宗次郎さんいわく、曲作りをしていたコロナ禍、特に世の中が騒々しくて、何が正しいのかがわからなくなっていたと・・・。そんななか、自分の思っていることが正解だと感じ、心が決めたことを、誇りを持って、暮らしていきたい、そんな想いを込めたそうです)

アルバム・ジャケットは「鳥の巣」!?

※アルバム・ジャケットのアートワークにも惹かれました。これは鳥の巣を真上から撮った写真なんですよね?

「これは写真じゃなくて、実は僕の知り合いの絵画作品、絵なんです!」

●絵なんですか!

「栃木県の那須のほうで、今も活動している絵描きさんなんです。僕と全く同じ歳で、生年月日も同じで、茂木の出身で、僕が(オカリナを)始めた頃からのお付き合いのある友人なんです。

 その彼がずっと絵を描いて、素晴らしい絵描きさんとして活動されています。この鳥の巣の絵は何十作もあって、同じじゃないかと思うけど、納得していなくて何回も描いているんです。何十作も鳥の巣があります。
 鉛筆で描いたり油(絵具で)描いたり、いろんなことをやって何度も描き直しています。僕が購入したのは5〜6年前の作品だったと思うんですけど、そういう感じなんですね。

 そのさきやさんっていうかたの作品を、今回はアルバムすべてに使わせてもらいました。ジャケットだけじゃなくてインナーにも使っています。ほかの絵も全部さきやさんの絵です。こんなふうにね」

●森の絵だったり・・・。

「これはカラスウリだったかな・・・鉛筆で描いた鳥の巣もあるし、これは最近、木炭で描いてあるんですけど、2年位前の作品で100号ぐらいのでかい絵・・・。
 ジャケットの表紙に使わせてもらったりと、さきやさんの作品を今回いろいろ使わせてもらって、ふたりの合作みたいな・・・一度(作品づくりを一緒に)やってみたい人、お世話になりたいと思っていた人です。

 (さきやさんは)すっごく温かい人で、さきやさんに会うと、心がほんのりする・・・奥様も一緒にいつもお会いするんですけど、本当に素晴らしいご夫妻なので、だから僕がほっとする人なんですよ。

 それぐらい素晴らしい人で作品も素晴らしいと思っているんです。そのかたのこの鳥の巣の絵なんですけど、これは今、オカリーナの森の交流館に飾ってあるんですね。ちょっと遠くのほうに飾っておくと、鳥の巣っていうよりも人の目に見えてくるんですよね。

 何か自分にその目が語りかけてきている感じ、“お前は本物か?”って言われている感じ、鋭い目で自分のことを見られている感じがあって・・・それは今回『すべては自分の心の中に』っていうのと、すごくピッタリきて、それで、さきやさんのこの絵を使いたいと思って、それでご本人にお願いして、今回使わせてもらった、そういう経緯があります」

(編集部注:宗次郎さんが尊敬する画家「さきやあきら」さんは栃木県那須で創作活動をされているそうです。どんな絵をお描きになるのか、ぜひ検索してみてください)

自分の中の誇りを「音」に

※最新作には全部で13曲収録されていて、全曲、宗次郎さんの作曲です。曲作りのアイデアやひらめきは、どこから来るんですか?

「あまりわかんないんですけどね。作ろうと思ってはいないので・・・でもいつも森にいて、自然の中にいると、それだけで何かこんな音が流れてそう・・・みたいな感じがありますね。
 空を見たり星空を見たりとか、結構眺めるのが好きなので、雲の流れを見ているだけで、ちょっとメロディが浮かんで来たりとかはあったり・・・この『あの日の青空』もそうだし・・・。

 あと、今回1曲目に入れた『透き通るような朝に』は朝起きて・・・交流館の屋根裏に寝泊まりしているんですけど、2階を作曲するスペースにしてあって、そこにキーボードも置いてあって音が出せるようにしているんです。

 コロナの時期でしたけど、パッとすごく窓の外が綺麗な、心地いい朝だったもんですから、いつでもきれいだけど、特にその日思ったのが、何かちょっと曲が浮かぶかも、やってみようかなと思って・・・。

 これは(曲が)浮かんだっていうよりも、キーボードに向かって、こんな感じでいきたいなって、ちょっとやってみたら、そのままメロディがつながっていって・・・それを少しずつ、次の日もまた少しずつやっていきながら仕上げていくんですけど、始まりはそんな感じで、何か浮かんで来たかも! っていう(笑)、作ろうとはしていないことが多いですね」

●茨城県常陸大宮市に宗次郎さんは暮らしていらっしゃいますけど、やっぱり自然に寄り添う暮らしから音楽が生まれてくるっていうのが大きいですかね?

「自分の場合はそうですね。何かそこに・・・なんて言うんですかね・・・そこで暮らしていて何か自分なりのプライド、誇りみたいなものをすごく感じられるので、そういう誇りを音にしたいっていうか・・・。

 タイトルは、花だったりとか空だったりとかになるけど、根本は自分の中の誇りあるものを何か音にしていきたいなっていうのがありますね。自然の中にいると、普通に木を見ても、鳥の鳴き声を聴いても、何を見ても、すべて自分とつながっているって感じはあるから、それが誇りにもつながっているような気がする・・・自然の中にいると、これでいいんだと思えるような、何かそういうプライドがどんどん築かれていくような気がするんですけどね」

オカリーナの森で、鳥と共演!?

※宗次郎さんの地元、茨城県常陸大宮市にあるオカリーナの森は、常陸大宮市の協力のもと、2008年8月に完成。敷地面積はおよそ2ヘクタール。オカリナ作りの工房などがある交流館や180人を収容できる野外ステージの音楽堂などが整備されているそうです。

 ここにオカリーナの森が出来たのは、実は宗次郎さん手書きの、森に「土の音を響かせたい」という思いを書き込んだ企画書を、どたなかが市長さんに見せ、「これはいい!」と賛同した市長さんの英断があったからだそうですよ。

写真協力:風音工房

●森の中にある野外ステージで、宗次郎さんの演奏を聴けたら最高でしょうね。屋内で奏でるのとは、やはり違いますか?

「もちろん違いますし、何て言うんですかね・・・コンサートもやっていますから、お客様がまず違うと思うし、吹き心地もいろんな角度によって響きが変わるんですよね。こっちに向いて吹いた時はこの笛が響いて、こっち向きで吹いた時はもっと大きな笛のほうが響いたり、ぶつかって返って来たりとか、いろんな響きが楽しめたり・・・。

 あと今は鳥の宝庫なんですよ、オカリーナの森は・・・。鳥がものすごくいっぱいいるので、最初の頃、まだ何も作ってない頃に低い笛を吹いたら、鳥がすごく反応して、威嚇してきましたね。誰だ!? テリトリーを荒らされているって感じで、変な鳥が来たと思ったのかも知れないけど、そんな感じでしたね。

 でも今はコンサートをやると、鳥のほうも慣れてきて、ちゃんと相づちを打っていますね。『コンドルは飛んで行く』とかをやっていると、ピロピロピロ~って飛んでステージの上をぐぅ~っと通り過ぎる、ピロピロ~って、ひと声鳴いてから去っていくみたいな・・・」

●ゲスト出演してくれているんですね!

「そう! お客様が感動しちゃって! そういうことがしょっちゅうあります。だから森の中のコンサートは本当に自分も面白いなと思っていますし、お客様が喜んでくれて・・・。コンサートホールで聴いている人は一度、オカリーナの森で聴いてみたいっていう人が多いですね」

畑は宇宙!? 土の上を裸足で歩こう

※茨城県常陸大宮市に「SOJIRO オカリーナの森」を整備して17年ほど経ちました。森にはどんな変化がありますか?

「当時、森を結構、平らにして何もなかった感じだったんです。そこに自分の理想はここにこの木っていう、いろいろ自分のイメージがあったので、それを最初の年とか2年目ぐらいに少し植樹して、その植えた木がみんな大きくなっていて・・・。
 畑もやりたいと思っていたから、山を整備した時に腐葉土をちゃんと横によけて置いて、全部整備してから新たにいい土を・・・腐葉土をもう1回持ってきて、それで畑にしたんですね。

写真協力:風音工房

 最初の年は、大豆を作ると土がよくなるっていうので、畑全部一面、大豆をまず作ったんです。その畑の真ん中にお茶の木の道路を作ったんですけど、最初20〜30センチぐらいの苗木を植えたんですが、それが今こんもり立派になっていますね。

 あとナラ、クヌギ、ヤマザクラ、雑木の山ですけど、秋になると紅葉と言っても黄色い葉っぱになるので、モミジがあったらいいんだけどな~と思って、実は知り合いに植木屋さんがいるので、“ここにモミジがあったらいいんですよね~“って言ったら(植木屋さんが)”持ってくっから、俺が!“なんて言って、モミジを1本植えてくれて、あっ2本だ! それがすごくよくなっていて、次の年は親指ぐらいの苗木を10本ぐらい、畑の周りに植えていたり・・・。

 とにかく、その頃に植えたやつが本当に太くなってきて、秋の紅葉も今はちゃんと紅色の紅葉も、モミジの紅葉とかブルーベリーの紅葉もあるんですけど、すごく綺麗な秋の紅葉の名所のようになっています。それぐらい自慢の景色が今はできています」

●宗次郎さんは自然に寄り添う暮らしをされていて、オカリナ作りとか、土に触れていらっしゃいますけれども、都会で生活していると、やっぱり私もそうなんですけど、土に触ることってほとんどないように思うんですよね。ガーデニングとかされているかたは別ですけど、そのあたりは、どんな思いがありますか?

「やっぱり土には触ったほうがいいと思っていて、触るだけじゃなくて、畑を耕すことがすごく大事だと思っていますね。機械じゃなくて農具で・・・鍬でちょっとだけでもやってみるとか、それすごく大事なことだと思っていますね。

 野菜なんか作っているって天気によってどんどん左右されるし、今年なんか特に大変ですけど、天気がよすぎて、晴れて高温になって、うちの畑も例年とは違うような感じですね。
 キュウリなんて早めにダメになっちゃったりとか、夏の野菜がいつも大丈夫だったやつがダメになったり・・・でも逆に元気なやつもあったり、そういう天候のこととか地球のこと、地球環境のこととか宇宙のことまで、畑をやっていると考える思うんですよね、みんな。

 だからそういう野菜を作るのは、ガーデニングでも十分だと思うし、とにかくやってみることが大事です。いろいろ考えさせられること多いから・・・。でもいちばんいいのは森に来て裸足で、手で触るというよりも裸足で歩くっていうのが、本当はやってみたいっていうか、やらせてあげたい。都会の子供たちに裸足で歩けるようにしてあげたいんですよね。

 お茶の木の話をちょっとしましたけど、お茶の木が今50mぐらい、畑の真ん中にお茶の木の並木のように、お茶畑とまではいかないけど、ちゃんと綺麗にできているんですね。その間に春になるとタンポポがすごく群生しちゃうんですけど、綺麗に刈り取ると、裸足で歩けるようになっているんです。

 その土の上を裸足で歩くっていうのが、人間にとってすごく大事だと思っていて・・・今、子供だけじゃなくて大人もほとんど裸足で歩いていないと思うんですよね。土の上を裸足で歩くっていうのがすごく大事だと思う」

☆この他の宗次郎さんのトークもご覧下さい


INFORMATION

『すべては自分の心の中に』

『すべては自分の心の中に』

 宗次郎さんの最新作をぜひ聴いてください。収録曲は13曲、オカリナの美しい音色に癒されるし、ほっとしますよ。インナーに曲名を入れ込んだ詩のような文章が綴られていて、宗次郎さんの想いを感じ取ることができます。そして、アートワークに使われている、宗次郎さんが尊敬する画家「さきやあきら」さんの絵にもご注目ください。CDのお買い求めは、宗次郎さんのオンラインサイトから、どうぞ。

オカリナ生活50周年記念コンサート、開催決定!

宗次郎さん

 オカリナ生活50周年を記念したコンサートが11月15日(土)に東京都あきる野市の「S&D 秋川キララホール」で開催されます。宗次郎さんによれば、ストリングスやピアノ、ギターなどをバックに演奏、代表曲を網羅したベスト盤的な選曲になるそうです。もちろん最新作からも数曲演奏する予定とのこと。ほかにも続々とコンサートが決まっています。詳しくはオフィシャルサイトをご覧ください。

◎宗次郎オフィシャルサイト:http://sojiro.net

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