2025/9/28 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、新進気鋭のネイチャー・フォトグラファー「上田優紀(うえだ・ゆうき)」さんです。
上田さんは1988年、和歌山県生まれ。子供の頃から海外へ行く機会が多く、旅好きになった上田さんは、高校・大学の頃もアルバイトでお金を貯めては、度々海外へ。基本はパックパッカーのひとり旅。
そして京都外国語大学を卒業後、24歳の時に初めてカメラを買って、旅に出た上田さん、アラスカから南米、ヨーロッパ、そしてアジアへと、気の向くままに旅を続け、結果的に1年半で、およそ45カ国を巡った世界一周の旅になったそうです。
そんな上田さんが先頃『七大陸を往く 心を震わす風景を探して』という本を出されました。
きょうは過酷な撮影の旅から、南米の高地「ウユニ塩湖」で撮った宇宙のような絶景のほか、北米の奥深い森で出会った神秘的な「スピリット・ベア」のお話などうかがいます。
☆写真:上田優紀

未知の風景を伝える
※1年半の世界一周の旅で、人生を変えるような出会いや出来事はありましたか?
「いちばんやっぱり大きかったのは、写真家になろうと思った出会がたくさんあったことですね。僕はそれまで写真の学校に行っていたわけでも、芸大とか専門学校に行っていたわけでもなんでもなくて、ただただせっかく1年ぐらい海外に行くんだから、カメラぐらい持って行ったほうがいいかなぐらいの感覚で、カメラを持って行ったんですね。
で、自分にとって見たことがない風景を記録していくじゃないですか。それを旅先でいろんな人に見せていくんですよ、現地で暮らしている人たちに。その中で印象深いのがアイスランドの子供たちに砂漠の写真を見せたことがあったんですね。
彼らは砂漠というものはもちろん知っているけど・・・アイスランドっていうヨーロッパの隅っこのほうにある島国で・・・4歳とか5歳ぐらいの子供たちにとって、砂漠の風景みたいなものがあまりリアルじゃなかったんです。
僕の写真とか僕の話を通じて、砂漠という未知の風景に彼らが出会った時に、僕の目には、とても好奇心が宿っているというか、彼らが心がワクワクしているなっていうのが目に見えるというか、僕にはそういうふうに見えて・・・。
で、見たことがない風景っていうものは、人の心をワクワクさせる、豊かにするものなのかなっていう出会いが、アイスランドの子供たちだけじゃなくて、世界中をぐるぐる回っている間にたくさんあったんですよ。
それはニューヨークの若者もそうだし、インドのおじいちゃんとかおばあちゃんもそうだし、アイスランドの子供たちと同じように、想像できない風景と出会った時に目が輝いているように僕には見えたんですね。
そういう出会いはとてもやっぱり大きくて、そういうものを1年半ぐらい積み重ねていくと、未知の風景を人に伝えて、人の心を豊かにすることは僕の人生をかけるに値する、なんか素晴らしいことのように思えたんですよね。
それが僕を写真家に導いた大きなきっかけだったので、そういった各地の人との出会いみたいなものは、僕の人生にとても大きな影響を与えたかなと思います」
●旅がきっかけだったんですね。
「そうですね。旅がきっかけでしたね。全く写真家になろうなんて、旅に出発する前は思っていなかったので・・・」
(編集部注:世界一周の旅から帰国後、上田さんは広告ビジュアルの会社に入社。アシスタントとして2年ほど働き、その後、独立。2016年からフリーランスの写真家として活動されています。
上田さんは写真家として、敢えて厳しい自然環境・・・例えば、8000メートルを超える山々、人間を拒むような鬱蒼とした森、灼熱の大地や砂漠、極寒の海、さらには南極大陸など辺境や秘境をフィールドに撮影されています)
ウユニ塩湖の真ん中で撮影!?

※上田さんが先頃出された本が『七大陸を往く 心を震わす風景を探して』。まずは、表紙の写真に驚きました。南米ボリビアの「ウユニ塩湖」で撮った写真だということで、満天の星空が上にも下にもあって、その中に上田さんがたたずんでいる、とても神秘的な写真なんです。
●フリーランスになって初めての撮影場所に選んだのが、ウユニ塩湖だったそうですね。なぜそうしたんですか?
「僕はもうウユニ塩湖に5回も6回も行っているんですよ。初めて行ったのは多分19歳とか20歳ぐらいの時で、南米をバックパッカーで旅している時だったんです。その頃はほとんど誰も知らなかったんですよ、まだウユニ塩湖というものを・・・。
なんですけど、当時は今みたいにスマートフォンがあって、すぐ情報が得られるような時代じゃなくて、旅人とのすれ違いのコミュニケーションで、あの場所にはすごい風景があったよとか、あの宿は安かったよとか、このご飯屋さんは美味しいよとか、そういう情報をすごくアナログな方法で、すれ違う旅人同士で情報交換するみたいな文化があったんですね。
その時にウユニ塩湖っていう場所があるっていうのをすれ違いの旅人から聞いて、目的もない旅だったので、その場所にとりあえず行ってみるかと思って行ったら、素晴らしい風景が、水鏡と言われる風景があって、ものすごく感動したんですよ。

こんな美しい場所が地球にあるんだっていう、まさにアイスランドの子供たちが砂漠に出会ったのと全く同じような状況だったんです。
で、そこからその美しさに衝撃的な感動を覚えて何回か通っているうちに、10年ぐらい経って、たくさんの人が観光で訪れるようになっていたんですけれども、僕にとっていちばん最初の大きな感動を覚えさせてくれた印象的な場所だったし・・・。
ウユニ塩湖って四国の半分ぐらいの大きさなんですよ、ものすごく広い場所です。でも観光で行くと割と隅っこのほうに水が溜まっていたりするので、その水たまりを見て、水鏡になっているというふうなことになるんですけれども、そんだけ広ければ、真ん中のほうにはもっと見たことがない風景があるんじゃないかなって・・・。だったら僕にしか撮れないウユニ塩湖を撮影したいなと思ったのが、いちばん最初はここにしようと思ったきっかけですね」
ウユニ塩湖でテント生活!?
※撮影のためにウユニ塩湖でテント生活をしたって、ほんとなんですか?
「そうですね。ほとんどウユニ塩湖って塩の大地みたいなものなんですけれども、そこで40日間テントを張って撮影しました」
●食料とか水は、どうされていたんですか?
「水はボトルに入れて持って行っていたのと、食料は近くにウユニ村っていう村があるんですよ、車で1時間とか1時間半ぐらい離れた場所に。
そこの市場でキャベツとかジャガイモとかトマトとかいっぱいあるので、それを買って、テント生活を始める前に天日干しをして、ドライ・ベジタブルみたいなやつを作って、それをお米と一緒にリゾットというか、おじやというか・・みたいなのを水で炊いて、それをずっと食べていたっていう感じですかね」
●そうだったんですね。でも確かウユニ塩湖って標高が富士山ぐらいの場所にあるんですよね?
「アンデス山脈の上のほうなので、3800とか4000メートル近くありますね」

●そういう場所で生活ってできるんですか?
「している人はいないんですけど・・・あれは生活と言っていいかわからないですけども、一応生き延びることはできましたね」
●気候的にもかなり厳しいですよね?
「かなり厳しかったですね。陽を遮るものがないので陰がないんですよ、何もない土地なので・・・。
だからテントを張っているんですけど、直射日光がすごく強くて、昼間はサウナみたいな、本当にテントの中は40度を超えて50度近くまで上がっている室内になって、外は陰がないから直射日光が強くて、夜になると気温が一桁まで下がってっていうのをずっと繰り返しているような場所なので、かなりしんどかったですね」
360度、水鏡!?
※表紙のような写真を撮るには、条件がありますよね?
「そうですね。そもそも雨が降らないといけないので、あれ(水鏡)って巨大な水溜りと思ってもらったら分かりやすいんですね。
普段は真っ白な砂漠の状態で、そこに雨が降って風がなくて、溜まっている水の量が多すぎず、少なすぎずっていういろんな条件があって、それが重なると出会える風景なんですね。
『奇跡の水鏡』なんて言い方をする人もいるんですけど、僕の(撮影の)時は2週間、雨が降らなかったので、最初の2週間は1枚もシャッターを切ってないですね」
●へぇ~、あの表紙の写真を撮るのに、どれぐらい粘ったんですか?
「あれは・・・2週間後とかなんで、15日目とか16日目ぐらいに撮ったんじゃないのかな」

●それまでず~っと過酷な生活をすでに15日間されているわけじゃないですか。 あの(写真の)シャッターを切った時は、どんなお気持ちでした?
「ああいう風景は見たことはもちろんあったんですけれども、なんていうんだろう・・・20日間近く、2週間近く本当に過酷で、雷とかも自分の近くに落ちてくるんですよ。
ウユニ塩湖はそんなに広いんだけど、いちばん高い所といちばん低い所の標高の差が、数10センチぐらいしかないって言われているぐらい真っ平な場所なんですね。なので、いちばん背が高いのが僕かテントかみたいな感じだったから、“雷が落ちてきたら死ぬよな”とか、そういうことを考えながら2週間ずっと過ごしている中で、あの風景と出会って、ものすごく感動しましたね。
僕もそれまではウユニ塩湖の淵のほうにしか行ってなかったので、目の前は水鏡だけど、後ろは水鏡になってないみたいな状況はよくあったんですよ。だから360度、上にも下にも星が広がっていて、その世界に僕がひとりしかいない特殊な風景というか、美しい風景にものすごく感動しましたね」
神秘的なスピリット・ベアとの遭遇
※本の第一章に「スピリット・ベア」の話が載っています。これはカナダのどこで撮った写真なんですか?
「カナダの北西部ですね。アメリカとの国境沿いアラスカ側に無人の森があるんですけど、広大な、東京都いくつぶんみたいな、とても大きな関東ぐらいの森が広がっていて、そこで撮影をしました」
●「スピリット・ベア」っていうのは、どういうクマなんですか?
「スピリット・ベアは、種としてはクロクマの種類なんですよ。ブラックベアっていうアメリカやメキシコ、カナダにはよくいるクマの種類なんですね。
その中で数10頭に1頭とか、100頭に1頭ぐらいの割合で白い子が生まれてくることがあって・・・でもそれはアルビノじゃなくて『白変種』っていう白い種類として生まれてくることが稀にあるんですね。森の中に白いクマがいるっていう、ホッキョクグマじゃない、ちょっと不思議なクマがいるんですね。
それだけでもかなり神秘的なんですけれども、神話を持っているということを、もともと知っていたんですね。それがとても僕にとっては魅力的で、現地に住んでいる先住民のかたの神話にスピリットベアが登場するんですよ。
それはなぜ神様が白いクマを人間の世界につかわせるようになったのかっていうお話で・・・人間たちに氷と雪の時代が、厳しい自然の象徴みたいなものですけれども、“氷と雪の時代があったことを時々思い出させるために、クマを白くして、この世界に産み落とすんだよ“っていう神話があるんですね。
それを追ってというか、多分何百年か前の先住民の人たちがその物語を作った時って、森の中で白いクマと出会った時にそういう神話を作らなきゃという気持ちになるぐらい神秘的な気持ちだったと思うんですよ。
そういう気持ちにさせてくれる風景、動物みたいなものは僕も見てみたかったし、今の人にとっても同じような感動というと、ちょっと安っぽいんですけれども、気持ちにさせてくれるクマの風景がそこにはあるんじゃないかなと思って、それでスピリット・ベアを撮影しに行きましたね。
スピリット・ベアに関しては、1日12時間ぐらい川沿いで待ち続けるんですけど、朝、陽が登ってから陽が暮れるまで・・・無人の森なので、ずっと観測をしているんですけれども、3日目に会いましたね。だから割と早かったです」

●初めて現れた時どんなお気持ちでした?
「すごくテンションが上がって、とかって感じではなくて、“来た、来た”っていう感じっていうよりも、一瞬シャッターを切るのを忘れるぐらい神秘的なものに出会ったという気持ちになりましたね。
だからすごく念願の・・・念願のというか、待って待ってっていうふうな出会いのはずなんだけど、喜びよりも・・・なんか神聖なものに出会って、はしゃいじゃダメだなとか・・・おごそかなっていうとあれですけど、そういう気持ちになるような・・・だから神様がつかわしたっていう物語を作ったんだなということを納得するような気持ちになりました」
(編集部注:スピリット・ベアとの初めての出会いは、上田さんによると、深い緑の森の中から「白い動物」が、のそのそと近づいてくる。それは異様とも言える光景で、神様と出会ったときに、こんな気持ちになるのかも知れないという、神秘性を感じたそうです)
生活の向こうに、別世界の風景
※いろいろお話を聞いていると、上田さんのフィールドは、まさに「地球」だと感じました。まだまだ行きたい場所、出会いたい生き物はいますよね?
「いっぱいあって、この人生で(撮影が)終わるかなというのが、ちょっと不安になっているぐらいです。
それこそ七大陸は旅しているんですけど、七大陸それぞれの最高峰っていうものがあるんですね。七大陸最高峰って言うんですけど、それを登ろうかなって、この1年間2025〜2026年は登ろうかなと思っているところだったりとか、宇宙の撮影をしたいなと思って、いろいろ動いていたりとか、動物ももっと撮りたいものもいるし、行きたい場所はまだまだ尽きないって感じですね」
●上田さんなら宇宙の写真も撮っちゃいそうな感じしますね。
「10年後ぐらいには行きたいなと思って、いろいろ動いているところです」
●楽しみにしています!
「はい、ありがとうございます」
●では最後に、この本『七大陸を往く 心を震わす風景を探して』を読む読者のかたがたが、どんなことを感じ取ってくれたら、著者としては嬉しいですか?
「この世界にこんな風景があるんだっていうことを知ってもらえたら、もうそれでいいなと思っています。
僕たちが、日本とか海外でもそうですけど、人々の生活の中で生きていると、なかなか出会うことができない風景の写真がたくさんあったりとか、そういう場所での物語というものを書きました。
そういう風景が・・・僕たちが朝起きて、ご飯を食べて仕事に出かけてとか、学校に出かけてとか、お子さんを育児してとかっていう生活の、別の世界が、美しい世界がこの同じ時間軸で、同じ地球上に存在していると想像できることが大事というか・・・人の心を豊かにする何かになるんじゃないかな~と思っているんですね。
だからすごくつらいいことがあった夜とかに、今ここの空はつらいように見えるかもしれないけれども、世界のどこかにはこんなに美しい星空が輝いているんだって思えることって、何か大事なことのような気がしていて・・・。
そういう別の世界の風景を詰め込んでいるので、それを知ってもらうきっかけになれば、嬉しいなっていうのと、一緒に旅した気持ちになって本を読んでもらえたら、嬉しいなっていうふうに思います」
(編集部注:上田さんは陸上だけでなく、海中での撮影も行なっていて、至近距離で撮ったザトウクジラやマッコウクジラの、迫力のある写真も本には載っています。
辺境・秘境に行くのは、そこに伝えたいものがあるから。だれも見たことがないような風景を届けたいという使命感にも似たような気持ちがあるとのこと。
その一方で、自然は容赦ない。写真家は伝えること、作品を見てもらうことがゴールなので、生きて帰ってくるために120%の準備をして臨むともおっしゃっていました)

INFORMATION
世界85カ国を訪れた自然写真家の、旅の記憶と挑戦の記録が、175枚の素晴らしい写真と、親しみやすい文章で綴られています。副題にあるように、心が震えるシーンに出会えますよ。ウユニ塩湖で撮った神秘的な写真は、特に必見です。
光文社新書シリーズの一冊として、絶賛発売中! 詳しくは出版社のオフィシャルサイトをご覧ください。
◎光文社:https://books.kobunsha.com/book/b10143515.html
上田さんのオフィシャルサイトやSNS もぜひ見てくださいね。
◎上田優紀:https://yukiueda.jp
◎上田優紀Instagram:https://www.instagram.com/photographer_yukiueda/
2025/9/21 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、昆虫ハンターの「牧田 習(まきた・しゅう)」さんです。
牧田さんは1996年、兵庫県宝塚市出身。子供の頃から虫好きだったという牧田さん、ご本人がおっしゃるには、3歳くらいの時に、生き物好きなおじいちゃんから渡されたミヤマクワガタに圧倒され、なぜ動くのか、どうしてこんな形なのか、がぜん好奇心がふくらみ、昆虫の世界にのめり込むようになったそうです。
生まれ育った宝塚市は自然が豊かで、暇さえあれば、近所で虫とり。学校に行っても休み時間になると、校庭の草むらへ走って行って虫とり。体育の時間も後ろのほうで虫を探すような子供だったとか。
そんな虫好きの少年は北海道大学に進学。2020年には東京大学大学院へ入学、今年3月には見事、博士課程を修了し、子供の頃からの夢だったという博士に! これまでに14カ国を訪れ、9種の新種を発見されています。
現在は、イケメンの昆虫大好き博士として、テレビ番組やYouTubeで、虫とりのワザや虫の生態などを発信! 子供たちにも大人気なんです。
そんな牧田さんが先頃、新しい本『昆虫博士・牧田 習の虫とり完全攻略本』を出されたということで、番組にお迎えすることになりました。
きょうは、昆虫採集に明け暮れた学生時代の驚くべきエピソードや、秋の虫とりテクニックなどうかがいます。
☆写真協力:牧田 習、オスカープロモーション
撮影:土橋位広(『昆虫博士・牧田 習の虫とり完全攻略本』小学館)

小学生から虫とりに、どハマり!
※中学生や高校生の頃に沖縄や北海道にまで、虫とりに行っていたそうですね?
「だいたい、虫が好きな子供って、小学生ぐらいがピークだと思うかもしれないですけど、僕は中学1年か小学6年、12〜13歳ぐらいの時から火がついたように、こっちの世界により一層のめり込み始めましたね。

それまでは関西とか地元で虫を捕っていたんですけど、中学生になったら沖縄、それこそ石垣島とかにひとりで虫網を持って行って、朝から晩まで、10日間か2週間ぐらいずっと虫を捕るというような、チョウチョからクワガタ、ゲンゴロウとか、いろんな昆虫を追っかけていましたね!」
●沖縄には、おひとりで行かれたんですか?
「そうなんですよ。僕、すごくラッキーなことがあって、小学生の時に三線(さんしん)っていう楽器をたまたまやっていたことがありました。沖縄に三線っていう楽器があるんですけど、その三線の先生がたまたま石垣島にいて・・・で、たまたまその先生がチョウチョを育てているかただったんですよね。
だからそのチョウチョの、虫とのつながりもあって・・・で、その三線の先生の家に泊まり込んで、ひとりで虫とりに行くっていうのを、中学2年ぐらいの時にやって、中学3年の時にはその先生とは関係なく、西表島にひとりで行ったりしていました」
●そうだったんですね〜。もうハマりにハマっているっていうか!
「もう、どハマりしましたね! 修学旅行とか遠足でもめちゃめちゃ虫を捕っていました!」
●当然、家でも昆虫を飼っていたということですよね?
「そうです。もちろん飼育もしていたんですけど、やっぱり昆虫って限りあるものなので、飼っていると亡くなってしまいますよね。・・・ってなると、やっぱり標本にして半永久に残したいと思っていましたので、家にもたくさん標本があって、それを博物館にたまに展示してもらったりとか、っていうのも、ちょっと嬉しかったりとかして・・・本当に家で標本を作って、外では虫とりをしてっていうような生活をしていました」

●どんな虫をどれくらい飼っていたんですか?
「いや〜もう、わからないぐらい(笑)・・・例えば、いわゆる一般的な感じだとカブトムシを虫カゴに入れて、昆虫ゼリーをあげてみたいな感じの飼い方が多いじゃないですか。
僕が中学生ぐらいの時に超ハマっていたのが・・・冬になって一見、虫がいなさそうな季節がやってきますよね。そうすると僕は近くの山とか地元の山に行って、木の枝とかを拾ってくるんですね。で、木の枝をよく見ると穴が空いていたりするんですよ。
この穴は何だろうって、よく見た時に、それって実はカミキリムシが卵を産んだ穴だったり、跡だったりするんですよね。カミキリムシやタマムシやいろんな昆虫が卵を産みつけた跡だったりするので、そういう枝を拾ってきて、家の衣装ケースみたいな中に置いておくんですよ。
そうすると暖かくなるとか、ちょっとあったかい部屋に置いとくと、その子たちが成長して成虫が出てくるので飼っていたりして・・・(笑)、だから自分でも何匹の虫が家にいるのか、よくわかんないような状態でしたね」
●ええっ! ご家族は虫は大丈夫だったんですか?
「そうですね・・・それに関しては比較的まあまあ・・・もちろん家族みんな虫は嫌いだったんですけど、まあまあ許容してくれていたというか認めてくれてはいましたね」
千歳空港に降り立って、すぐ虫とり!
※昆虫のことは誰かに教わったんですか?
「小学生ぐらいまで昆虫館に行ったりとか、昆虫図鑑を見たりとか、昆虫の先生のお話を聞きに行ったりって感じだったんですけど、中学生ぐらいから、いわゆるどハマりした時に、近くの県立博物館がやっている虫好き中学生の集まりみたいなものに行くようになったんですよ。
そうしたら、やっぱり同じ年ぐらいの虫がすごく好きな子たちがいっぱいいて、たまたま近くに僕と同じぐらい虫が好きな子がいて、その人とふたりでお互いに高め合うみたいな感じで、どこからともなく情報を仕入れてきて、”あそこにあれがいるらしいぞ”とかっていうのをお互いに持ち寄って、一緒に捕りに行ってみたいな感じでしたね。
だから虫の知識はやっぱり虫とりでしか基本的には得られないことも多いので、そういう意味では本を読むとかっていうよりも実際に行って理解してっていうので、体で覚えていましたね」
●で、北海道大学に進学されたということですけれども・・・。
「それで中学校時代も虫とりにどハマりして、高校1年生の時に北海道に虫とりに行ったんですよ。札幌とか函館、いわゆる道南って言われるエリアに虫とりに行ったんですけど、そこで子供の時から昆虫図鑑とかを見て、夢見てきたような昆虫にたくさん出会うことができまして、そこで僕、北海道で 虫とりがしたい! っていうそれだけの理由で北海道大学に進学しました」
●え〜っ! 虫とりのために、 北海道大学!?
「そうなんですよ。やっぱり北海道って、オサムシっていう昆虫がいるんですけど、すごくピカピカしていて、“歩く宝石”って言われたりするような昆虫がいたりとか。ゲンゴロウの仲間もたくさんいますし、関西で育った僕にとっては、憧れのスターみたいな昆虫たちがいっぱいいるんですよね。
そういう昆虫たちをやっぱり見てみたいとか、自分の目でもっと楽しみたいっていうためだけ・・・だから大学で勉強したいとかっていうのは、本当に後付けという感じで(笑)、まずは北海道に住みたい! でも大学進学っていうのは親を納得させなきゃいけないかなと思ったんで、北大だったらいいって言ってくれたので、それで北海道大学に進学しました」
●見事、北海道大学に合格したのにもかかわらず、大学にはあまり行かなかったそうですね?
「そうなんですよ。僕、今でも覚えているんですけど、3月に合格発表が出て、合格だってなって、3月末ぐらいに札幌に引っ越しますよね。引っ越して北海道の新千歳空港に降り立って、”やった! 夢の北海道生活が始まる! ひとり暮らし!”ってなったら、普通そのまま札幌に行かなきゃいけないじゃないですか。札幌に北海道大学あるんで・・・その千歳ですでに虫とりしていました!
キャリーバッグを引いて、隣の駅まで一駅分歩きながら虫とりをするぐらい、嬉しくて仕方なくて・・・だから入学式とかオリエンテーションみたいな、授業のオープニングみたいなのがあるじゃないですか。そんなの全部おかまいなく、ずーっと虫とりしていましたね!」

●北海道での虫とりはいかかでしたか?
「もう最高でした! 僕のいちばん好きな昆虫はゲンゴロウで、僕の地元の関西ではかなり珍しいんですね。僕がゲンゴロウの存在を知ったのが、たぶん6歳とか8歳、小学校2年生か3年生ぐらいの時からずっと探していたんです。
で、やっぱりなかなか関西では、大きいゲンゴロウって見つからなかったんですけど、北海道って本当に意外と身近な場所にもいたりするんですよね。それがもう嬉しくて、例えば、授業の朝一限が8時半か9時から始まるってなっても、朝3時半に起きて自転車でゲンゴロウを捕りに行って、それで一限の時間に長靴を持って現れるみたいな・・・(笑)」
フィリピンとニュージーランドで虫とり!
※フィリピンで虫とりをしていた時期があったそうですね。それはどうしてなんですか?
「子供の時から、もうひとつやってみたいことがありまして、外国で虫を探してみたいっていうのは、ひとつの夢としてあったんですね。僕たち子供の時から昆虫図鑑を見てきましたけど、それってやっぱり日本のフィールドの中での情報だったりするじゃないですか。
イメージ的にポケモンを好きなかただと、新しいヴァージョンが出たら、どんなやついるんだろうみたいな、ちょっと気になるじゃないですか。日本の地図から出たら、どんなやつがいるんだろうみたいな気になっていて・・・。
で、フィリピンっていう国は当時は、意外と物価も安くて語学留学とかがすごく盛んな国だったので、語学留学も兼ねて1回行ってみようかなと思って・・・。で、行った時に何て言うんだろうな・・・予想通り、やっぱり思った通り知らない虫ばっかりでした。
日本だと当時、ある程度、虫をわかるようになっていたので、これはあれ、これはあれって、わかっていたんですけど、(フィリピンは)わからないものだらけだったんですよね。右を見ても左を見てもわからない虫がいっぱいいて、それがなんか子供の時のわからないなりにドキドキしているって体験に戻ったような感じで幸せでした」

●どれぐらいの期間、フィリピンに行ってたんですか?
「フィリピンはたぶん1ヶ月から数ヶ月くらいしかいなかったと思うんですけど、いる間にちょうど(北海道)大学から、お前もう留年だと(笑)、ちょうど夏ぐらいだったんですけど、留年だって連絡が来まして、そこでニュージーランド行きを決めた感じがありましたね」
●フィリピンからニュージーランドに・・・???
「そうなんですよ。フィリピンで僕、普通に山の中をふらふらしていたんですけど、その時たまたま、ある旅人に出会って、日本人のかたでニュージーランドにワーキング・ホリデーに行ってきたみたいなことを言ってたんですね。
ニュージーランドにワーキング・ホリデーで行けば、働きながら滞在できるし、お金も稼げるし、遊びもできるみたいな、楽しみながら滞在できるよみたいなことを・・・全然そのかたは虫は関係なかったんですけど・・・聞いて、で、その時は8月だったんですよ。
だからこれから一旦、日本に戻って大学に行っても、どうせ留年だし、なんかつまんないなって思ったんですよね。なにより日本は寒くなっちゃうし・・・でもニュージーランドだったら南半球なので、季節が逆で暖かいと思って、じゃあちょっと半年間、休学してニュージーランドで虫とりするか〜みたいな、虫とり修行に行ってくるか〜みたいな感じでふらっと行きましたね」
●親御さんに相談とかされたんですか?
「めっちゃ怒られました。何を考えてんの? みたいな・・・めちゃめちゃ怒られて、せっかく北海道大学に入学できたのに・・・運良くですよ。僕なんて偶然、大学に合格できたのも、たまたま入学試験の生物でクワガタの問題が出たんですよ。それでたまたま合格できただけなのに、なんで勉強しないんだ! みたいなことを言われて、あぁ〜と思って(笑)。まあでも、来年から頑張るからニュージーランドで半年、好きにさせてくれって言って、ニュージーランド行きましたね」

(編集部注:休学してニュージーランドに行った牧田さん、お金がなかったので、アルバイトをしながら食いつなぐ生活だったそうです。それでも、想像を絶するカミキリムシに出会い、ドキドキ・ワクワク!
幸運なことに現地の研究所で世界的な昆虫学者に出会い、なんと研究に誘われ、厳しい規制のある保護区での採取ができるように、許可まで取り付けてくださったそうです。そして「ホソカタムシ」の新種を発見、論文の書き方なども細かく教わり、先生と一緒に発表することができたそうですよ。
牧田さんいわく、もともとは内向的な性格で知らない人が怖かったけれど、フィリピンやニュージーランドで、もまれて、何も怖くなくなったとか。北海道大学に戻って2年目から気合が入り、しっかり勉強し、めでたく卒業! その後、東京大学大学院で博士号を取得されています)
虫とりは秋!?
※番組前半では、牧田さんの驚くべき虫とりのエピソードをご紹介しましたが、ここからは先頃、出された本『昆虫博士・牧田 習の虫とり完全攻略本』をもとにお話をうかがっていきます。

●この本には、これまで培ってきた虫とりのテクニックやワザが網羅されていて、この本さえあれば、あらゆるフィールドで虫とりができると思います。
9月中旬から10月にかけての虫とりは、やはりアキアカネなどのトンボや、秋に鳴く虫、コオロギあたりでしょうか?
「そうですね。鳴く虫たちが多い(時期ですね)。特にカマキリとか今まさにいっぱい出ていると思いますし、あとは糞虫っていう動物の糞に集まるコガネムシがいるんですけど、そういう糞虫の仲間も秋はすごく盛り上がる季節かなと思います。
あと、ゴミムシっていうちょっとマニアックで申し訳ないんですけど・・・ゴミムシって言っても汚くないですよ。すごく綺麗な種類がたくさんいる仲間です。ジメジメした場所なんかに多いんですね。河川敷とか池の近くとか、ジメジメしたようなところを観察してみると、すごく綺麗なゴミムシという、青とか赤とかいろんな色に輝くんですけど、そんな仲間も結構いるかなと思っています」
●虫とりって夏のイメージが強いんですけれども、秋とか冬でも虫とりはできるんですよね?
「意外とみなさん(虫とりは)夏だと思いますよね。でも僕とかすごく虫好きな人は実は、8月のいちばん暑すぎる時ってそんな虫とり行かないんですよ。暑すぎる時ってやっぱり虫も少ないので、標高の高い涼しい場所に虫とりに行ったりするんですね。
実は秋のほうがいろんな虫が出てくるんですけど、仲間によっては秋に鳴く虫とかいっぱい出てきますよね。あとは冬でも少ないながら活動している昆虫がいたりとか、冬だからこそ越冬している昆虫たちをゲットすることができたりとか、季節によって楽しめるので、夏に限らず楽しんでほしいと思います」
●例えば10月以降ですと、どんな昆虫が見つかりますか?
「そうですね・・・10月から11月ぐらいだと、おすすめの蛾がいて、ウスタビガっていう、すごく大きくて可愛い蛾なんですけど、顔を見ていただくと、ぬいぐるみみたいな蛾なんですね。手のひらくらいある大きい蛾なんですけど、すっごく可愛くて、オスが茶色でメスが黄色なんです。山手とかに行った際には灯りとかに飛んでくることもあるので、観察してほしいなと思います」
●フィールドのどの辺りを注意深く見ると見つけやすいとかありますか。コツがあれば、ぜひ教えていただきたいんですけど・・・。
「ウスタビガに限らずですと、やっぱり森を歩いていて、もちろんお花に来る虫とか池の周りを飛んでいる虫とかがわかりやすいですよね。そういう虫はくまなくチェックしたほうがいいと思うんですけど、例えば朽木があるとか、石ころがあるとか、そういうものの下を見てみるとか・・・。
咲いているお花に虫がとまってなくても、そのお花の裏側を見てみるとか、周りの下草を見てみるとか、虫になったらこういうところにも隠れちゃうんじゃないか、みたいな視点で見てみると観察しやすいかなと思います」

●子供の頃から虫が大好きな牧田さんですけれども、虫たちがいる自然環境の変化っていうのは、どのように感じてらっしゃいますか?
「これはまさに虫を飼っていて、すごく感じていますね。僕が子供の時はまだそこそこいたけど、かなり減ってしまった昆虫もいたりとか・・・一方で僕が子供の時はほとんどいなかったけど、数がぐんって増えてしまった虫、例えば温暖化によって増えてきている昆虫とかもいますね。
あと外来種っていう言葉を聞いたことあるかたは多いと思うんですけど、人が持ち込んだことによって増えてしまった昆虫もいればって感じで、本当に昆虫たちは環境の変化にすごく敏感な生き物なんで、いろんな理由で昆虫たちは増えたり減ったりしていますね」
(編集部注:虫とりの基本として、まず、牧田さんがあげてくださったのは、必ず長ソデ・長ズボンで行くこと。危険な虫、例えば、スズメバチやマダニから自分を守るためにも服装には注意してくださいとのこと。
また、虫とりに夢中になると、崖や池に気づかず、落ちたりすることもあるので、必ず大人と一緒に行ってくださいとのことです。
虫はどこでも捕っていいわけではなく、禁止されている場所もありますので、事前に調べて、必要ならば管理者に許可をとっておくことも大事になります)

昆虫は人間が地球を知る「鍵」!
※昆虫ハンターとして、一生のうちに出会ってみたい虫は、どんな昆虫ですか?
「これはもういっぱいいるんですけど、やっぱりあの〜・・・ありすぎてなかなか難しいかもしれないんですけど(笑)、ひとつあるのはいろんなところに行ってみたい、アフリカだったりとか南米だったり・・・。日本とかアジアとかオセアニアとかではいろいろ虫とりしますけど、まだアフリカに行ったことがないので、アフリカのすごい昆虫たちに出会ってみたいなっていうのはあります」
●アフリカは、やっぱり魅力的なフィールドですか?
「そうですね。もちろん輝かしい昆虫たちがいるんですけど、誰も行ったことがない場所がまだあると思うんですね。誰も昆虫を探したことがないような場所って、もちろんあると思うので、アフリカの誰も行ってない場所に行って、虫を探してみたいっていうのはありますね」
●昆虫博士の牧田さんとしては、今後どんなことを解明していきたいですか?
「地球の環境は刻一刻と変化していますよね。例えば、温度が上がったりとか、湿度が変化したりとかって言うのは各地であると思うので、そういうことを昆虫を通してわかるような・・・昆虫はやっぱり人間が地球のことを知る上で、大事な大事な鍵となる生き物だと思うので、そういう昆虫の魅力をみなさんに、よりお届けできるようになっていきたいと思います」
●では最後に『昆虫博士・ 牧田 習の虫とり完全攻略本』をどんなふうに活用してくれたら著者としては嬉しいですか?
「究極ですけど、虫のことを知るためには、どんな図鑑を読むよりもどんな先生に話を聞くよりも、まず虫に聞くしかないんですよね。ただ、みなさん自然の中に行って虫を探すってなると、なかなか思い通りにいかない時とかもあると思うんですよ。
なのでまず、虫を探すためのきっかけというか、お供としてこの本を活用していただくと、虫のことをより学びやすくなるんじゃないかなと思っています。この本と一緒にぜひ虫とりに出かけてほしいと思います」
(編集部注:昆虫は、わかっているだけで100万種ほどいるとされていますが、牧田さんによると、2000万種以上ともいわれていて、新種は毎年のように見つかっているそうです。まさに地球は「昆虫の惑星」! そんな地球に生まれた牧田さんの昆虫熱は、ヒートアップする一方かも知れませんね)
INFORMATION
牧田さんの新しい本には、これまで培ってきた虫とりのワザが網羅されています。虫とり用の網のテクニックや、樹木や草むら、朽木など、どこを見れば、虫がいるかなど、この本さえあれば、森や原っぱ、水辺など、あらゆるフィールドで虫とりができますよ。また、虫をつかまえるための、いろいろなトラップの紹介、さらに牧田さんが大好きなゲンゴロウの飼い方なども載っています。
ぜひこの本を持って、お子さんと一緒に虫とりに出かけましょう!
小学館から絶賛発売中! 詳しくは出版社のオフィシャルサイトをご覧ください。
◎小学館:https://www.shogakukan.co.jp/books/09227443
牧田さんのYouTubeチャンネル「昆虫ハンター牧田 習の 昆虫大好きランド」もぜひ見てくださいね。
◎「昆虫ハンター牧田 習の 昆虫大好きランド」:
https://www.youtube.com/channel/UCe6DM7O_OrLrg7ZmkfDJz8w
2025/9/14 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、俳優の「財前直見(ざいぜん・なおみ)」さんです。
テレビドラマや映画などで大活躍の財前さんは、2007年に東京から、ふるさとの大分に移住され、ご実家がある国東半島の里山で野菜などを作り、自然に寄り添う生活をされています。
その暮らしぶりは、テレビ番組などで発信されていますが、先頃、宝島社から出された新しい本『直見工房2 それからのこと〜財前さんが受け継ぐ暮らしと秘伝のレシピ帖』には、ふるさとで、生き生きといろんなことにチャレンジされている財前さんの暮らしぶりが満載なんです。
きょうはその本をもとに、野菜やお米づくり、古民家を取り壊して建てた新しいおうち、そして手作り調味料や簡単レシピのお話などうかがいます。
☆写真協力:『直見工房2 それからのこと』(宝島社)
撮影:深澤慎平、江口 拓

じいじ、ばあばがいる環境
●今週のゲストは、俳優の財前直見さんです。きょうは現在、お住まいの大分県からここ海浜幕張のスタジオまでお越しいただきました! ありがとうございます!
「こちらこそ、ありがとうございます」
●改めて、よろしくお願いいします。
「よろしくお願いいたします」
●財前さんのふるさとが、大分県の国東半島の南部にある杵築(きつき)市というところなんですよね?
「はい」
●2007年に東京から大分に移住されたということですけれども、どうして移り住もうと思われたんですか?
「これはもう子供が生まれたことが、第一のきっかけというか・・・やっぱりいろいろ考えた時に食育とか、あとはじいじと、ばあばがいる環境とか、大分は温泉があるので温泉につかりに行くとか、そういうのがあって・・・簡単に言うと夏休みに実家に帰ったら、居心地が良くて居座ちゃった的な(笑)そんな感じでしたね」
●私も今年の5月に息子が生まれたんですけど、やっぱり自然豊かな場所で(子育てしたい)っていうのはすごく感じます。
「ですよね~。いろんな経験させたいなと思って・・・」

●そうですよね。ご実家があるのは、どんなエリアなんですか?
「山とか田んぼとかある、ぽつんと一軒家的なことではないんですけど、近くにコンビニはないし、山の中といえば、山の中ですね(笑)」
●財前さんのおうちの敷地にも、田んぼとか畑があるんですか?
「そうですね。うちの田んぼは今、営農集団というところに麦と大豆を植えてもらっているんです。お米は、あるかたの田んぼをお借りして、田植えとかをさせてもらっているっていう感じですね。基本的に畑仕事はじいじの担当なんです」
●そうなんですね。
「私も母とふたりで、月に2〜3回は(手伝いに)行きますね」
築133年の古民家を建て替え
●ではここからは、財前さんが先頃出された新しい本『直美工房2 それからのこと』をもとにお話をうかがっていきたいと思います。この本には大分での暮らしぶりや、家族で育てた農作物を活かしたお料理のレシピなどが載っていますよね?
「そうですね」
●どの料理も美味しそうです。個人的には「にんじん丸ごとグリル」が斬新で、特に気になったんですけれども・・・。
「今回は(野菜は)スーパーでも買えてチャレンジできるものっていうのを結構心がけて(作りました)。にんじんは、ただ焼いただけなのに美味しいっていう(笑)」
●本当にそうですね! 驚くほどの甘さになるっていうことで、丸ごとオーブンに入れて、じっくりグリルするだけってことですよね。
「スーパーに売ってたりする野菜を、珍しいものもうちは結構あるんですけど、今回の本は手っ取り早く、誰でも作れるっていうのを意識して作りました」

●レシピ本としても楽しめますよね。今回の本は、4年ほど前に出された1作目の『直美工房』の続編的な内容になっているということですよね?
「そうですね。前回と何が違うかって言うと、“それからのこと“っていうのが結構あって、いろんなことにチャレンジしました。まず、いちばん大きな出来事というのは、築133年の古民家を建て替えたっていうところですね」
●新しいおうちになっているってことですよね?
「そうですね」
●(財前家が)代々暮らしてきたその古民家をとり壊してっていうことですよね?
「そうです。シロアリちゃんにやられていて、家が傾いていたんですね。蔵とか残したかったんですけど、残すほうがお金もかかる・・・で、昔使っていた家の梁とか、煤竹(すすだけ)とか、そういう古いものも活かせるようなおうちにしたいなと思っていたんですね。
そこにテレビ番組(の企画)が入ってきたので、梁で囲炉裏テーブルとか、煤竹で天井に新しいオブジェを作るのも、自分たちで手掛けることをさせていただいたので、すごくいい経験になりました」

●こういう家にしようとか、コンセプトみたいなものはあったんですか?
「畑仕事とかが楽しいと思えるような、美味しくいただくっていうのが、すぐできたらいいな~って思っていて、昔、牛小屋だったところにキッチンを置いたんですよ。
昔で言う土間みたいに土足で上がれるようにしていて、そこで全部、食べるまで完結するっていう、畳の部屋があったりとか・・・。母屋のほうがすごく居心地はいいと思うんですけど、みなさん(うちに)遊びに来られた時に、もと牛小屋のほうにみんないるんですよ(笑)。
そこは靴を脱がなくてもいいし、採れたて野菜をそのまま洗って、キュウリをかじったりとか、そういうことができるので、みなさん、なんとなくそっちのほうに来ますね」
●へえ~、そうなんですね。仕事で家を離れて久しぶりに家に帰った時とか、やっぱりこの家いいな~って思われたりします?
「それよりも野菜のことが気になっていますね。どこまで大きくなっているかとか、カラスにやられてないかとか・・・(笑)」
お米づくり、みんなで手植え
●この本からは新しいおうちを拠点に、まさに工房のように、家族みんなでいろんなことにチャレンジしながら暮らしている様子がうかがえます。畑ではいろんな作物を育てていらっしゃいますが、ここ数年のいちばんのチャレンジで言うと、お米づくりですか?

「そうですね。お米も今、機械で植えるので、あっという間に(田植えが)終わっちゃうんですよね。
昔ながらの“手植え”をしたいって、わがままを言いまして、手伝いをしてくださる近所の方々が、田んぼを貸していただいているかたもいるんですけど、一斉にずら~っと横に一直線に並んで、“せーの!”とか言って植えて、“はい! これ終わったよ! 1メートル下がって〜”みたいな、そういうことをやらせてもらいました。
やっぱり人と人とが一緒に作物を植えていくことが、昔の良さでもあったので・・・お昼になったら“小昼(こびる)”と言って、おにぎりとか、そういうのを畑仕事のあとにみんなで食べる、わちゃわちゃやる、みたいなことがもう一回再現できたら嬉しいな~と思って、みんな呼んでやっていたりとかしているんですけどね」
●人手も必要ですけど、確かにその分、みんなでワイワイやるのは、楽しそうですよね。
「そうですね。やっぱり都会にいると、なかなか土に触る機会がないですよね」
●ないです。
「裸足で(田んぼに)入ると危ないんですけど、それでも土の中に手を突っ込んだり(笑)とかっていう作業・・・うちに来てくれた『直美工房』のスタッフも一緒に(苗を)植えたんですよ。そうするとやっぱりみなさん“(お米)一粒一粒が愛おしくなる”っておっしゃってくれていますね。
で、うちに古い脱穀機があって、脱穀するのも結構大変なんですよ。唐箕(とうみ)っていう空気を送って良い米と悪い米を分ける機械があって、それもうちの田舎から出てきたので、そういう作業をしているとやっぱり飛ぶんですよ、いろんなところに米が・・・“もったいない~”ってかき集めて(笑)」

●そうなりますよね。
「そうなんです。かまどを作ったので木をくべて、お釜でご飯を炊くのが最高の贅沢だな~と思っていますね」
●美味しく炊くコツとかあるんですか?
「浸水させておいて、炊く前に氷を入れるとか・・・」
●お釜でご飯・・・美味しいですよね?
「美味しい!」
●いいですね~。
「井戸水なので美味しいです!」
●農作業の合間に食べるおむすびは、具材を入れたりとかされるんですか?
「塩むすびをひとつ作ったとして・・・うちは味噌も結構いっぱい作っているので、いろんな味噌を試しに・・・にんにくの葉の味噌とか、柚子味噌とか、ふきのとう味噌とか、そういうものを採れた時に味噌にしておくと結構長く持つので、そういう使い方をしています」

財前家の万能常備調味料
※財前家ではお味噌や調味料、シロップなど、なんでも手づくりしてオリジナルもいろいろありますよね?
「そうですね。でも簡単なんですよ。たとえば梅しょうゆ、しょうゆ梅ですよね! 要は青い梅を醤油と砂糖に漬けておくだけで、しょうゆ味のカリカリ梅になって、そこに漬けておいた汁が梅しょうゆになるので、それをそうめんのつゆにしたりとか・・・」
●美味しそう!
「あとキュウリにかけたりとか、っていうことをしているだけなんで・・・あるものを使っているっていう(笑)」
●梅と砂糖と醤油を1対1対1の割合で漬けるんですか?
「1対1対1。そうです、そうです!」
●万能常備調味料になりますね?
「そうです、そうです!」
●ストックしておくと良いですよね。
「簡単なんで(梅が)できた時にそれをやっておくだけです」
●あと、ゆず味噌も美味しそうでした。
「ゆず味噌も美味しいですよ」
●ゆずと砂糖と味噌とみりんで・・・?
「そうです!」
●簡単に作れちゃうんですよね。
「簡単ですよ! こねるだけなんで・・・こねるだけって言ったら変だけど(笑)」
●「ゆず味噌チキンソテー」が本に載っていましたけど、いつものチキンソテーにゆず味噌をソースとして添えるだけで、本当に美味しそうなチキンソテーになっていましたね! ご飯が進みそうだな~と・・・。
「そうですね(笑)。ほかにもゆず味噌がひとつあれば、ピザの上に載せたりとか、そういうこともできますね」
●そういうのは財前さんが考えるんですか? アイデアが浮かんでくるんですか?
「アイデアっていうか、あるもの使おうっていう(笑)」

●すごい!
「単純に、あるから使ってみようって思うだけなので、合うかな~とか思いながら・・・」
●日本茶好きの番組スタッフが本を読んで、これすごいと思ったのが、お茶の葉の手づくり・・・お茶の葉も作るんですね?
「そうですね。八十八夜に飲むお茶は1年間、健康で過ごせるっていうこともありますからね。たまたま、うちの庭っていうか、石垣のところにお茶の葉の木があって、ちょうど八十八夜の頃に新茶が採れるので、それを摘んで蒸して炒って作っていますね」
●ブレンドとかもするんですか?
「ブレンドは、よもぎだったりとか、びわの葉だったりとか、そういう葉っぱを蒸したりとか干して、お茶っ葉にするっていうのはやっていますね」
●そうなんですね。9月から10月にかけて収穫する作物は、どんなものがあるんですか?
「これから栗とか柿とかもできてきますし、うちはパパイヤがもうそろそろ・・・」
●いいですね。
「パパイヤ、美味しいですよ! 果物として、ではなくて、青パパイヤ」
●健康にも良いって、言いますよね。
「珍しいところで言うとヘチマですね。美味しいです」
●いいですね。あと大分で言うと、かぼすも有名だと思うんですけど・・・。
「はい、かぼすも採れます! 財前さんのお宅にも、かぼすの木があります」
●かぼすで作るのは、やっぱりジュースになるんですか?
「そうですね。ジュースがいちばん手っ取り早いかな~。ほかにかぼす胡椒とか、あと皮はもったいないのでピールっていうお菓子にしたりとか、砂糖煮とかね。あとポン酢、かぼすポン酢にするとか・・・」
●皮まで隅々まで使い切るっていう感じですね!
「そうです、そうです!」
人間も生き物
※大分に戻って18年ほどが経ちました。日々、自然に向き合う暮らしはいかがですか?
「自然が相手なので・・・この前は芋を全部イノシシにやられたり・・・でも、イノシシさんが美味しくいただいたなら、まあいいか~と思いながら・・・。
やっぱり自然と共存する、人間が偉いわけじゃなくて、人間も生き物なんだって思っているので、まあいいかって思って、美味しくいただいてくれたなら、いいやと思いながら・・・。
でも、採れた作物をそのままいただくとか、やっぱり新鮮野菜、その季節のものをいただくっていうのが、多分私の中ではいちばん人間の薬になるというか、そういうもので(体は)作られているから、保存食とかもしますけど、季節のものをその季節に食べるのが、いちばん体にいいんだなって思っているので、そういう暮らしができるのってすごく贅沢だな~と思っています」

●田舎暮らしと言っても、財前さんの場合はどんどん世界が広がっているようなイメージがあるんですけれども・・・。
「やっぱり農作業をしていると、女優業とは全く違って、いろんなかたとお知り合いになれるといいますか・・・今(手首に)付けている七島藺(しちとうい)(*注1)の岩切千佳(いわきりちか)さん(*注2)とか・・・今ミサンガを付けているんですけど・・・」
●可愛らしい色がいろいろあるんですね!
「色も付けてくれて・・・(七島藺は)国東地方にもともとあって、うちのじいじは子供の頃(手伝いをしていて) “こんな面倒くさい作業、いやだ!”って投げ出したぐらいなので、だんだん七島藺農家さんが少なくなってきて、7軒だったのがちょっと増えて、今は9軒なんですけど・・・で、何かお手伝いできることはないかな~って思いながら・・・。
そういう七島藺農家さんとか、イチゴ農家さんとか、そういうかたと知り合って、どんどん広がって、また違う世界が見られて楽しいんですよね」
●七島藺っていう畳の材料として作られる植物ですね?
「そうです。畳表ですね」
●知らなかったです、七島藺!
「丈夫なんですよ。だから鍋敷きとか、そういうのに向いているんですよね、火にも強いので」
(*注1)「七島藺(しちとうい)」は、大分県の国東半島だけで生産されているカヤツリグサ科の植物で、畳の材料になるとのこと。茎の断面が三角形という特徴があり、とても丈夫なので柔道の畳に使われてきたそうです。
詳しくは「くにさき七島藺振興会」のサイトをご覧ください。
http://shitto.org/
(*注2)岩切千佳(いわきりちか)さんは「くにあき七島藺認定工芸士/七島藺作家」。作品や活動については以下のSNSをご覧ください。
https://www.instagram.com/chika_iwakiri/
https://www.facebook.com/profile.php?id=100004325019295
●新しいおうちに名前をつけられたそうですね。どんなお名前なんですか?
「はい、『財遊舎』と言って、漢字で言うと財前の“財”に、“遊ぶ”、田舎の“舎”・・・“財前さんが遊ぶ田舎”っていう、わかりやすい名前なんです (笑)」
●どんな思いが込められているんですか?
「私が遊びたいがための家なんですけど(笑)、(遊は)ローマ字で書くと、あなたっていう“YOU”をつけたので、“あなたも一緒に私と財遊舎で遊びませんか?”みたいな意味があるんですよね」
●素敵な名前ですね。今後その「財遊舎」を拠点にどんなことをやっていきたいですか?
「やっぱりさっきの七島藺みたいなこともそうなんですけど、土づくりとか、あともともとある在来種・・・大分で言えば“もちとうきび”とか、“白なす”とかあるんですね。そういうものを植えて、なくなってしまいそうな野菜がもうちょっと広がっていけばいいなと思っているんですよね」
●改めてになりますけれども、最後に新しい本『直美工房2 それからのこと』を通して、どんなことをいちばん伝えたいですか?
「東京とかにいると、なかなかできないって思ってらっしゃるかたがいると思うんですけど、さっき言ったように(しょうゆ)梅も簡単にできるし、ジュースも簡単にできるので、とにかく何か、この本を見て、“あっ、自分でもできるかもしれない!”って、にんじんも焼くだけだし・・・これからそういうチャレンジをして、いろんなアレンジをしてもらえたらいいなと思っています」
●ありがとうございます!
INFORMATION
財前さんの新しい本をぜひ読んでください。ふるさと大分で、じいじやばあば、そしてゆかいな仲間たちと、生き生きと生活されている財前さんの暮らしぶりが満載です。丹精込めて育てた作物を使った、とっておきのレシピ、生活の知恵や道具のほか、新しいおうちが豊富な写真とともに紹介されています。見ているだけで田舎暮らしの豊かさが伝わってくる一冊です。
宝島社から絶賛発売中! 詳しくは出版社のオフィシャルサイトをご覧ください。
2025/9/7 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、オカリナ奏者の「宗次郎」さんです。
オカリナの第一人者として知られる宗次郎さん、今年でオカリナと出会って、なんと50年! レコード・デビューして40年! になるんです。
きょうは50年前に出会ったオカリナの師匠のことや、茨城県常陸大宮市の里山にある「オカリーナの森」、そして最新作『すべては自分の心の中に』に収められた楽曲のことなどうかがいます。
☆写真協力:風音工房

唇がオカリナにピッタリ!?
※宗次郎さんは、オカリナと出会って今年で50年ということですが、いつ頃、どこで出会ったんですか?
「1975年だったと思うんですね。僕は群馬県館林市の出身で、当時20歳そこそこだったんですが、うちの兄がタウン誌を作っていたこともあって、いろんなかたをご存知だったんです。
そのなかで“オカリナを作っている素晴らしい人がいるから、一度行ってみないか“と、兄から誘っていただいて連れていってもらったんですね。そのかたが当時、オカリナの第一人者と言われていた火山久(かやま・ひさし)っていう先生、のちに弟子として入るんですけど、そういう火山先生だったんです」
●いきなり師匠に出会ったっていうことですか?
「そうです。先生といきなり出会って、その先生の(オカリナの)音を聴いてびっくりして、世の中にこんなにもいい音のする笛があるんだと思って、感動しましたね」
(編集部注:のちに師匠になる「火山 久(かやま・ひさし)」さんは当時は、現在の栃木県佐野市飛駒の山奥に工房を構え、お弟子さんがふたりいたそうです)

※火山さんのオカリナの音色に感動し、週末、工房に遊びに行くようになった宗次郎さん、弟子入りのきっかけになった、こんな出来事があったそうです。
「僕は縦笛が大好きで、先生の所に行く前から縦笛も自己流で吹いていたんですね」
●そうですなんですね。
「なので、先生から(オカリナを)一本“ちょっとこれ、ヒビが入ってんだ、キズなんだけど、持ってって練習してみなさい“って言われたんですね。それで、もう嬉しくなっちゃって、帰ってから毎日・・・その時はアルバイトぐらいしかやっていなくて、フリーでいたので、時間がたっぷりあったから、帰ってから毎日吹いていたんですよ! もう昼も夜も!
それで先生の所へ時々通っていて、1ヶ月ぐらい経った頃に(先生が)“どうだ?宗ちゃん、少しは上手くなったか?”って言ってくれて、“ちょっと吹いてみなさい。レッスンしてやるから吹いてみなさい”って言われたんですよ。
その時に僕は歌も歌っていて、アマチュアですけど、好きでやっていたので、周りの人もフォルクローレとか『コンドルは飛んで行く』とか『花祭り』とか、そういうのが好きな人が多くて、たまたま『花祭り』を練習してずっとやっていたんですよ。
なので、先生からそう言われた時に『花祭り』をちょっと自己流で吹いたんですよ。そうしたら先生がびっくりして、“え~っ、たった1ヶ月でそこまで吹けるようになったのか? 宗ちゃん、すごいよ!”とか言って褒めてくださって、それで“一緒にやらないか? やってみないか?”って先生からお誘いいただいちゃったんです。(オカリナを始めて)1ヶ月ぐらいで!」
●師匠からのお褒めのお言葉って、すごくうれしかったんじゃないですか?
「そうなんです! もちろんうれしかったんです! ところがそこはオカリナを作る工房だったので、東京の会社と契約してオカリナを作って販売っていうか卸していたんですよね。
そういう所だったから、僕は手先が不器用なので、 “僕は不器用だから絶対(オカリナは)作れないから無理です”って、“そう言っていただくのは嬉しいけど、無理だからお断りします“って言ったら、先生が”何、言ってんだ! 物作りって不器用な奴のほうが絶対いい笛を作るぞ!”って言ってくれて、“だって、宗ちゃんの唇、オカリナにピッタリだぞ!”って、どういうわけか言われたんです」
●どんな唇なんですか?(笑)
「それがわかんない。未だにわかんないんですけど、それで褒めちぎられて持ち上げられて、それで嬉しくなっちゃって・・・“とにかく4人でアンサンブルをしたいんだ。オカリナだけのアンサンブルを弦楽四重奏のようなことを、オカリナの音だけでやりたいんだ! だからそのために宗ちゃんが必要だ!”って言ってくれてたんですよ。
要するに“ファースト・バイオリンの、トップのメロディを担当する奴がいないんだよ!”って・・・先輩がふたりいたんですけど、”メロディをちゃんと歌える奴がいないんだよ! 宗ちゃん、いけるぞ! 歌えるから絶対いいぞ!“って褒めちぎられて、それからですね」
(編集部注:火山さんに出会って、3ヶ月ほどして弟子入りした宗次郎さん、師匠のもとでおよそ3年間、毎日オカリナを作り、夕方になると1時間ほどのレッスンを受け、寝泊まりしていた小屋に戻ると、毎日、夜8時頃から朝4時くらいまで、オカリナの練習に没頭していたそうです)
いい笛は体ごと響く!?
※粘土から作るオカリナが良いオカリナになるのは、やはり土が肝心だったりするんですか?
「土によって音色が少し違うんですよね。未だに分かんないんですけど、これはいいな~と思って焼いても・・・。
僕ひとりになってからは、手に入る土を全部、名古屋周辺とか滋賀県信楽とか、岐阜とか、東海地域は車で直接行って、粘土組合みたいな所があるので、そういう所に行って買って、少しずつ試験的にやってみたいので、いっぱい買い込んで最初は実験して作りましたね」
●現在、宗次郎さんがライヴやレコーディングで愛用されているオカリナは、どれぐらいあるんですか?
「普段使っているのはケースに入れて持って歩いていますけど、12本から13本かな? あと予備にまた同じぐらいはあるんですけど、とりあえず12、13本で演奏しています」
●今までに作ったオカリナは何個ぐらいになるんですか?
「大体ですね・・・1ヶ月半ぐらいで100本か120本130本は作っていたので、1年間で1000本ぐらいは作っていましたね。ですからトータルでいうと、デビューするまでの10年間(オカリナ作りを)やっていたので、1万本ぐらいは作ったかな」
●すごいですね! 1万本の中でお気に入りの10本を選ぶ過程も大変そうですけれども・・・。
「そうですね。僕ひとりになってから、やっぱり同じように・・・ひと窯で大体100本ぐらいが入るんですけど、その中でこれは演奏に使えるかなと思うのは、3〜4本しかなかったですね。その3〜4本はとりあえずストックしておいて・・・」
●音色が違うってことですか?
「音色・・・吹き心地・・・多分、はたで聴いていると、どっちも一緒だよって、変わらないよって(笑)、きっとはたで聴いている人はそういう感じかなと思うんですね。
でも、自分が吹いてお腹の底から(音を)出さないと、いい響きって出てこないじゃないかなと思っています。体全体で吹く。だからいい笛は体ごと響く。その響きが感じられる笛がいいと思っていて、それが自分にとっていい笛ですね」
●なるほど~。
「多分(オカリナの吹き口を)くわえたらお腹の底から出さないといい音はしないので、くわえたら(お腹の下)ここまでが楽器、お腹の底から“ここが楽器なんだよ!”って思ったほうがいいと思います」
●ではここで、宗次郎さんの最新作『すべては自分の心の中に』から一曲「あの日の青空」という曲を届けしたいんですが、この曲はどんな思いを込めて作られたんですか?

「今回のアルバム自体は、ちょうどコロナの時期に作り溜めていた曲で、第2弾って感じなんです。その時期、みんな出かけるのも自粛して、どこも出かけずにコンサートも中止になったりしていて、そういう時期だったこともあって、森にいることが多かったんですね。
そんな中で、森からすごく綺麗な青空が見えるんですよ、時々いい感じで・・・。僕は空を見たりするのが好きなので、よく見るんですけど、青空がすごく綺麗だったので、そういえば、子供の頃に見た青空もこんな感じだったよな・・・みたいな、昔のことを思い出して、それでなんとなく昔の雰囲気の空気感をちょっと再現したいなと思って作った曲なんです」
(編集部注:アルバムのタイトル『すべては自分の心の中に』には、宗次郎さんいわく、曲作りをしていたコロナ禍、特に世の中が騒々しくて、何が正しいのかがわからなくなっていたと・・・。そんななか、自分の思っていることが正解だと感じ、心が決めたことを、誇りを持って、暮らしていきたい、そんな想いを込めたそうです)
アルバム・ジャケットは「鳥の巣」!?
※アルバム・ジャケットのアートワークにも惹かれました。これは鳥の巣を真上から撮った写真なんですよね?
「これは写真じゃなくて、実は僕の知り合いの絵画作品、絵なんです!」
●絵なんですか!
「栃木県の那須のほうで、今も活動している絵描きさんなんです。僕と全く同じ歳で、生年月日も同じで、茂木の出身で、僕が(オカリナを)始めた頃からのお付き合いのある友人なんです。
その彼がずっと絵を描いて、素晴らしい絵描きさんとして活動されています。この鳥の巣の絵は何十作もあって、同じじゃないかと思うけど、納得していなくて何回も描いているんです。何十作も鳥の巣があります。
鉛筆で描いたり油(絵具で)描いたり、いろんなことをやって何度も描き直しています。僕が購入したのは5〜6年前の作品だったと思うんですけど、そういう感じなんですね。
そのさきやさんっていうかたの作品を、今回はアルバムすべてに使わせてもらいました。ジャケットだけじゃなくてインナーにも使っています。ほかの絵も全部さきやさんの絵です。こんなふうにね」
●森の絵だったり・・・。
「これはカラスウリだったかな・・・鉛筆で描いた鳥の巣もあるし、これは最近、木炭で描いてあるんですけど、2年位前の作品で100号ぐらいのでかい絵・・・。
ジャケットの表紙に使わせてもらったりと、さきやさんの作品を今回いろいろ使わせてもらって、ふたりの合作みたいな・・・一度(作品づくりを一緒に)やってみたい人、お世話になりたいと思っていた人です。
(さきやさんは)すっごく温かい人で、さきやさんに会うと、心がほんのりする・・・奥様も一緒にいつもお会いするんですけど、本当に素晴らしいご夫妻なので、だから僕がほっとする人なんですよ。
それぐらい素晴らしい人で作品も素晴らしいと思っているんです。そのかたのこの鳥の巣の絵なんですけど、これは今、オカリーナの森の交流館に飾ってあるんですね。ちょっと遠くのほうに飾っておくと、鳥の巣っていうよりも人の目に見えてくるんですよね。
何か自分にその目が語りかけてきている感じ、“お前は本物か?”って言われている感じ、鋭い目で自分のことを見られている感じがあって・・・それは今回『すべては自分の心の中に』っていうのと、すごくピッタリきて、それで、さきやさんのこの絵を使いたいと思って、それでご本人にお願いして、今回使わせてもらった、そういう経緯があります」
(編集部注:宗次郎さんが尊敬する画家「さきやあきら」さんは栃木県那須で創作活動をされているそうです。どんな絵をお描きになるのか、ぜひ検索してみてください)
自分の中の誇りを「音」に
※最新作には全部で13曲収録されていて、全曲、宗次郎さんの作曲です。曲作りのアイデアやひらめきは、どこから来るんですか?
「あまりわかんないんですけどね。作ろうと思ってはいないので・・・でもいつも森にいて、自然の中にいると、それだけで何かこんな音が流れてそう・・・みたいな感じがありますね。
空を見たり星空を見たりとか、結構眺めるのが好きなので、雲の流れを見ているだけで、ちょっとメロディが浮かんで来たりとかはあったり・・・この『あの日の青空』もそうだし・・・。
あと、今回1曲目に入れた『透き通るような朝に』は朝起きて・・・交流館の屋根裏に寝泊まりしているんですけど、2階を作曲するスペースにしてあって、そこにキーボードも置いてあって音が出せるようにしているんです。
コロナの時期でしたけど、パッとすごく窓の外が綺麗な、心地いい朝だったもんですから、いつでもきれいだけど、特にその日思ったのが、何かちょっと曲が浮かぶかも、やってみようかなと思って・・・。
これは(曲が)浮かんだっていうよりも、キーボードに向かって、こんな感じでいきたいなって、ちょっとやってみたら、そのままメロディがつながっていって・・・それを少しずつ、次の日もまた少しずつやっていきながら仕上げていくんですけど、始まりはそんな感じで、何か浮かんで来たかも! っていう(笑)、作ろうとはしていないことが多いですね」
●茨城県常陸大宮市に宗次郎さんは暮らしていらっしゃいますけど、やっぱり自然に寄り添う暮らしから音楽が生まれてくるっていうのが大きいですかね?
「自分の場合はそうですね。何かそこに・・・なんて言うんですかね・・・そこで暮らしていて何か自分なりのプライド、誇りみたいなものをすごく感じられるので、そういう誇りを音にしたいっていうか・・・。
タイトルは、花だったりとか空だったりとかになるけど、根本は自分の中の誇りあるものを何か音にしていきたいなっていうのがありますね。自然の中にいると、普通に木を見ても、鳥の鳴き声を聴いても、何を見ても、すべて自分とつながっているって感じはあるから、それが誇りにもつながっているような気がする・・・自然の中にいると、これでいいんだと思えるような、何かそういうプライドがどんどん築かれていくような気がするんですけどね」
オカリーナの森で、鳥と共演!?
※宗次郎さんの地元、茨城県常陸大宮市にあるオカリーナの森は、常陸大宮市の協力のもと、2008年8月に完成。敷地面積はおよそ2ヘクタール。オカリナ作りの工房などがある交流館や180人を収容できる野外ステージの音楽堂などが整備されているそうです。
ここにオカリーナの森が出来たのは、実は宗次郎さん手書きの、森に「土の音を響かせたい」という思いを書き込んだ企画書を、どたなかが市長さんに見せ、「これはいい!」と賛同した市長さんの英断があったからだそうですよ。

●森の中にある野外ステージで、宗次郎さんの演奏を聴けたら最高でしょうね。屋内で奏でるのとは、やはり違いますか?
「もちろん違いますし、何て言うんですかね・・・コンサートもやっていますから、お客様がまず違うと思うし、吹き心地もいろんな角度によって響きが変わるんですよね。こっちに向いて吹いた時はこの笛が響いて、こっち向きで吹いた時はもっと大きな笛のほうが響いたり、ぶつかって返って来たりとか、いろんな響きが楽しめたり・・・。
あと今は鳥の宝庫なんですよ、オカリーナの森は・・・。鳥がものすごくいっぱいいるので、最初の頃、まだ何も作ってない頃に低い笛を吹いたら、鳥がすごく反応して、威嚇してきましたね。誰だ!? テリトリーを荒らされているって感じで、変な鳥が来たと思ったのかも知れないけど、そんな感じでしたね。
でも今はコンサートをやると、鳥のほうも慣れてきて、ちゃんと相づちを打っていますね。『コンドルは飛んで行く』とかをやっていると、ピロピロピロ~って飛んでステージの上をぐぅ~っと通り過ぎる、ピロピロ~って、ひと声鳴いてから去っていくみたいな・・・」
●ゲスト出演してくれているんですね!
「そう! お客様が感動しちゃって! そういうことがしょっちゅうあります。だから森の中のコンサートは本当に自分も面白いなと思っていますし、お客様が喜んでくれて・・・。コンサートホールで聴いている人は一度、オカリーナの森で聴いてみたいっていう人が多いですね」
畑は宇宙!? 土の上を裸足で歩こう
※茨城県常陸大宮市に「SOJIRO オカリーナの森」を整備して17年ほど経ちました。森にはどんな変化がありますか?
「当時、森を結構、平らにして何もなかった感じだったんです。そこに自分の理想はここにこの木っていう、いろいろ自分のイメージがあったので、それを最初の年とか2年目ぐらいに少し植樹して、その植えた木がみんな大きくなっていて・・・。
畑もやりたいと思っていたから、山を整備した時に腐葉土をちゃんと横によけて置いて、全部整備してから新たにいい土を・・・腐葉土をもう1回持ってきて、それで畑にしたんですね。

最初の年は、大豆を作ると土がよくなるっていうので、畑全部一面、大豆をまず作ったんです。その畑の真ん中にお茶の木の道路を作ったんですけど、最初20〜30センチぐらいの苗木を植えたんですが、それが今こんもり立派になっていますね。
あとナラ、クヌギ、ヤマザクラ、雑木の山ですけど、秋になると紅葉と言っても黄色い葉っぱになるので、モミジがあったらいいんだけどな~と思って、実は知り合いに植木屋さんがいるので、“ここにモミジがあったらいいんですよね~“って言ったら(植木屋さんが)”持ってくっから、俺が!“なんて言って、モミジを1本植えてくれて、あっ2本だ! それがすごくよくなっていて、次の年は親指ぐらいの苗木を10本ぐらい、畑の周りに植えていたり・・・。
とにかく、その頃に植えたやつが本当に太くなってきて、秋の紅葉も今はちゃんと紅色の紅葉も、モミジの紅葉とかブルーベリーの紅葉もあるんですけど、すごく綺麗な秋の紅葉の名所のようになっています。それぐらい自慢の景色が今はできています」
●宗次郎さんは自然に寄り添う暮らしをされていて、オカリナ作りとか、土に触れていらっしゃいますけれども、都会で生活していると、やっぱり私もそうなんですけど、土に触ることってほとんどないように思うんですよね。ガーデニングとかされているかたは別ですけど、そのあたりは、どんな思いがありますか?
「やっぱり土には触ったほうがいいと思っていて、触るだけじゃなくて、畑を耕すことがすごく大事だと思っていますね。機械じゃなくて農具で・・・鍬でちょっとだけでもやってみるとか、それすごく大事なことだと思っていますね。
野菜なんか作っているって天気によってどんどん左右されるし、今年なんか特に大変ですけど、天気がよすぎて、晴れて高温になって、うちの畑も例年とは違うような感じですね。
キュウリなんて早めにダメになっちゃったりとか、夏の野菜がいつも大丈夫だったやつがダメになったり・・・でも逆に元気なやつもあったり、そういう天候のこととか地球のこと、地球環境のこととか宇宙のことまで、畑をやっていると考える思うんですよね、みんな。
だからそういう野菜を作るのは、ガーデニングでも十分だと思うし、とにかくやってみることが大事です。いろいろ考えさせられること多いから・・・。でもいちばんいいのは森に来て裸足で、手で触るというよりも裸足で歩くっていうのが、本当はやってみたいっていうか、やらせてあげたい。都会の子供たちに裸足で歩けるようにしてあげたいんですよね。
お茶の木の話をちょっとしましたけど、お茶の木が今50mぐらい、畑の真ん中にお茶の木の並木のように、お茶畑とまではいかないけど、ちゃんと綺麗にできているんですね。その間に春になるとタンポポがすごく群生しちゃうんですけど、綺麗に刈り取ると、裸足で歩けるようになっているんです。
その土の上を裸足で歩くっていうのが、人間にとってすごく大事だと思っていて・・・今、子供だけじゃなくて大人もほとんど裸足で歩いていないと思うんですよね。土の上を裸足で歩くっていうのがすごく大事だと思う」
☆この他の宗次郎さんのトークもご覧下さい。
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『すべては自分の心の中に』

宗次郎さんの最新作をぜひ聴いてください。収録曲は13曲、オカリナの美しい音色に癒されるし、ほっとしますよ。インナーに曲名を入れ込んだ詩のような文章が綴られていて、宗次郎さんの想いを感じ取ることができます。そして、アートワークに使われている、宗次郎さんが尊敬する画家「さきやあきら」さんの絵にもご注目ください。CDのお買い求めは、宗次郎さんのオンラインサイトから、どうぞ。
オカリナ生活50周年記念コンサート、開催決定!

オカリナ生活50周年を記念したコンサートが11月15日(土)に東京都あきる野市の「S&D 秋川キララホール」で開催されます。宗次郎さんによれば、ストリングスやピアノ、ギターなどをバックに演奏、代表曲を網羅したベスト盤的な選曲になるそうです。もちろん最新作からも数曲演奏する予定とのこと。ほかにも続々とコンサートが決まっています。詳しくはオフィシャルサイトをご覧ください。
◎宗次郎オフィシャルサイト:http://sojiro.net
2025/8/31 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、NPO法人「おさんぽや」の代表理事「安藤晴美」さんです。
安藤さんは愛知県一宮を拠点に子育て支援や、未就学児童の自然体験活動などの事業を進めています。
2016年にお友達と一緒に立ち上げた「おさんぽや」は、2019年に法人化。ヴィジョンは「子育てはひとりではできません。子供にも大人にも、安心安全な心の拠り所をつくる」となっています。主な活動は「おさんぽ会」や「居場所づくり」「子育てまちづくり」など、子育て支援の事業を行なっていらっしゃいます。
きょうは、そんな晴美さんに小学校にあがる前の子供たちを公園で遊ばせる活動や、親子での自然体験、そしてあすの「防災の日」を前に、幼児と親御さんの防災体験のお話などもうかがいます。
☆写真協力:おさんぽや

悩み深き、子育て
※改めてなんですが、「おさんぽや」を立ち上げるに至った経緯というか背景には、ご自身の子育て経験があったからなんですよね?
「これは私の子育てが、本当に大変だったっていうのがいちばんです。すごくコンパクトに言いますと、我が家の子供がジャイアンみたいな子だったんです(笑)」
●元気いっぱいな!(笑)
「元気いっぱいと言ったら、とっても聞こえはいいんだけれど、ほかのお友達がおもちゃとかを持っていると、貸せって、すぐ取り上げちゃう男の子でした。それで母親としての私は、まわりのお母さんたちに、すみません! すみません! って謝っているお母さんでした」
●そうだったんですね。息子さんと娘さんもいらっしゃいますよね?
「子供は3人います」
●なるほど〜。
「今はとってもいい子なんですけど、今から思えば、第一子だったっていうのもあって、慣れていない子育てに試行錯誤していた時期だったんじゃないかなとは思うんですね。でも、その時は本当に何でこの子はこんなことをするんだろうって、もう心の病気になる手前ぐらいまで悩んでました」
●子供のことを理解しようとするのもすごく難しい、周りの方に助けを求めるっていうのもやっぱり難しかったんですね。
「言えなかった〜! 自分で言うのもなんだけど、真面目なんですよ、私」

●存じ上げております!(笑)
「真面目で・・・でもこれって日本人にありがちだと思っています。真面目なお母さんが多くて、しかも初めてだと、いろんな情報を集めて学んでいこうとか、正解を求めていきがち」
●完璧を求めたりとかもしますよね。
「そう。で、別にいいお母さんになりたいわけじゃないんだけど、世間の目が気になる、まさにそういう母だったっていうところで、すごく悩みが深くなっちゃった」
(編集部注:子育てがうまくいかず、悩みに悩んでいた安藤さんは「森のようちえん」に出会います。この「森のようちえん」とは、1950年頃に北欧諸国で始まった活動で、ひとことで言うと、子供たちを自然の中で遊ばせて育てる野外保育。日本でも注目され、現在は全国に団体があります。詳しくはNPO法人「森のようちえん全国ネットワーク連盟」のサイトをご覧ください)
◎森のようちえん全国ネットワーク連盟:https://morinoyouchien.org
「森のようちえん」に救われた
※そんな「森のようちえん」に我が子を通わせるようになった晴美さん、子供の変化に驚き、そして救われるような気持ちになったそうです。
「いつも児童館では、おもちゃの取り合いとか、隣の子をパンッて叩いたりする我が子が、森の中で生き生きしているの」
●お〜! 素晴らしい! 広いですし、走り回ってもいいですからね。
「そう。自分の興味があるものを常に追い求める子だったみたいで、あちこちに行って木とか葉っぱとか石とか・・・お友達っていうよりは、自分の好奇心を満たせるようなものをずっと探していた」
●出会ったんですね、素敵な場所に。
「そんな中、私も先輩お母さんたちに出会って、お母さんたちがちょっと乱暴というか、彼の強く出ちゃうところを”生きる力がある子だね”って認めてくれた」
●そういうことか、捉え方にもよりますね。生きる力っていうふうに思えますよね。
「そうして”大丈夫だよ、大丈夫だよ”って、すごく励ましてもらったんです」
●素敵〜。
「危なかった、本当に危なかった! 一歩間違ったら虐待やっちゃうんじゃないかっていうぐらい悩んでいたから、本当に苦しくて・・・」
●ものすごい出会いですね、「森のようちえん」との出会いは・・・。
「そう。で、森のようちえんは主体性を大切にするから、その子が何やってもいいし、何もやらなくてもいいっていう保証をしてくれる」
●ヘぇ〜、やらなくてもいい?
「うん、ただ空を見上げて、ごろんと寝てても大丈夫なの、寝そべっていても」
●素晴らしい! ありのままを受け入れてくれるんですね。
「まさにそんなところを私も見て安心して、私自身も”あ、私もそうやって生きていいんだ”って少し思った」
●そうですよね〜。さらにお子さんたちの成長も感じられたりしましたか?
「ここはね、喧嘩をしてもいい場所なの」
●おお〜、そうなんですね。
「子供たちの喧嘩、別に推奨はしないんだけど、ルールがあるの。1対1でやる。あとは頭、顔より上は殴らない」
●大事ですね。
「で、やめたくなったらやめる。3つのルールがあって・・・だから喧嘩が始まると割とまわりに子供たちや大人たちが集まってきて、ちょっと見守る」
●止めずに?
「止めずに見守る。やっぱりパンチすると痛いんだよね」
●自分も痛いし・・・。
「相手も痛い。でもやってみないとわからない、それも」
●なるほど!
「その姿を見て、喧嘩って・・・みんな仲良くって言われるでしょ? みんな仲良くしなきゃいけないんだけど、仲良くする前にやっぱり感情をぶつけあったり・・・特に小さい子は体で感じないとわからない部分があるんだなっていうことに気づいた」
きっかけは「恩返し」
※「おさんぽや」には、どんな思いが込められているんですか?
「私自身が森のようちえんでの経験で、子育てと自分の心も成長してこれたっていうので、私は先輩ママたちに恩返しをしたいなって思ったの。だけど、恩返しができないなっていうところで、これから子育てをするお母さんたちに向けてできることはないかなと思ったのが、この活動を始めるきっかけなんですね。森の中でお散歩をするのがすごく心地よくて・・・」
●想像するだけで幸せです。
「いろいろと考えた時に、昔の商店街で言うと八百屋さんとかお魚屋さん、あ、おさんぽやさん! みたいな、本当にそのまま(笑)」
●いいですね〜(笑)
「でもよく言われるの、おさんぽやって何するところですか? お散歩するところです! そのままです」
(編集部注:「おさんぽや」のメインの活動は、その名の通り「おさんぽ会」。2歳から6歳の児童を対象にした「やまもも組」と、0歳から未就学児の親子を対象にした「さくらんぼ組」があります。
「やまもも組」は年36回、「さくらんぼ組」は月2回の実施となっています。15名ほどのお子さんを預かる「やまもも組」は、保育士を含め、4名ほどのスタッフでケアしているそうです)

※ママと離れたがらないお子さんもいますよね? その時はどうしているんですか?
「本当に泣いて泣いて、泣いて寝ちゃうっていう子もいます、中には」
●で、そのまま連れていくんですか?
「そのままお空の下で、シートを引いて寝てます」
●可愛い(笑)
「子供が泣きたい時には大きな声で泣けばいいやんって、気が済むまで泣いて・・・でもお母さんを追う子がやっぱりいる。”一緒に帰る、帰りたい帰りたい〜”って、お母さんの車があるであろう駐車場に行きたいっていう子はいるので、私はそういう時は”じゃあお母さん、探しにいこっか”って一緒に手を引いてお母さんの車を確認しに行くけど、いないんですよね。
で、そのままぐるーっと建物をまわってきて、”もう一回、見に行く? いこっか” ってもう一回見に行くといない。それを何回か繰り返して、この子は何回くらいで納得するのかな、心が落ち着くのかなと思ったら、3回まわったら落ち着きました。で、みんなのところに合流しました」
●お母さん探し散歩を終えて(笑)
「無理やりというか、バイバイする時はちょっと強制的にバイバイはするんですけど、そのあとのその子供の心の動きに寄り添ってあげられるのは、すごく幸せなことだなと思っています」
●本当そうですね〜。親子を対象としている「さくらんぼ組」に参加するかたは、やっぱり多いんですか?
「これは本当に子供たちっていうより、お母さんお父さんの心のための場所だなってすごく思います」
●みなさんからは、どういった感想がありますか?
「これも朝、集まって、朝の会をして歌を歌って、その季節にいちばんいいところに行くんですよ、私たちは。例えば”今ヤマモモがなっているね”とか、”あの木の実があるよね”、”今お花が咲いているから、あそこ綺麗だよね”っていう・・・。
公園の中でいつもコースが決まっているわけではなく、その季節のいいところにお散歩に行くんですね。だいたい10分程度の場所なんです。なので、連なって行くのではなく、その子供の様子を見ながら、子供が”花があったね”とか、立ち止まった時に一緒にその様子を見てくださいっていう形なので、みんな結構バラバラで、それぞれのペースでお散歩を楽しまれるんですね。
普段の生活ってやっぱり、親があっち行くよ、こっち行くよ、早くしてって急かしがちなんだけど、子供が見るものに親が寄り添う時間になるので、すごくいろいろ発見をするみたいです」
●普段だと、なかなかそういう時間はとれないですよね。
「そのあと、みんなでご飯を食べるんだけど、食べる時もいろいろなシェアをする。自分の気持ちだったりとか・・・なかなかあるようでない。今自分が好きなものを話すとか・・・子供の話はよくするんだけど、自分自身の話をする機会ってあんまりない」
●確かにそうですね。
「だから、さくらんぼさんのほうは、子供もとても有意義だけど、親御さんの心のスタミナ、そんな場所です」
(編集部注:晴美さんたちが子供たちを遊ばせているのは、「おさんぽや」のすぐ近くにある一宮市の「大野極楽寺公園」。木曽川の河川敷にある公園で、その広さは38万4千平方メートル、東京ドームおよそ8個分。広大な敷地には、遊具は少ないものの、芝生広場や雑木林、野鳥の池、サイクリングコースなどがあり、四季折々の花も楽しめるそうです)
雨の日、大喜び

※公園で遊ぶ「おさんぽ会」は、天気がいいときも、そうじゃないときもありますよね。雨でも外に行くんですか?
「雨が降った日に外に出るの好き?」
●う~ん、あんまり・・・(笑)
「お母さんたちもそれ!」
●そうですよね~。
「出たくない、外に! 子供を連れて、特に! でもね、子供たちの雨の日の喜びようってすごいんですよ、もう全身で雨を受ける! なんなら水たまりにじゃじゃじゃ~って入っていって、びしょ濡れ! 長靴の中から水がじゃーって出てくる、本当に生き生きとしている姿を大人は見守る(笑)」
●なるほど~、じゃあ雨の日も?
「外に出ます。なんだけど、お母さんたちは普段、日常生活では(雨の日に外に)出せないって言います」
●へ~〜。
「ここだから出せる! みんなで見守るから出せるって」
●そういうことですね。すごく素敵! やっぱ雨の日でも(外に)出ることで、自然ってこうやって変化するんだな~とか、いろいろ感じるものがきっとありますよね。
「そう」
●ちなみに、最近は暑いじゃないですか?
「暑い~」
●そのあたりはどうなんですか?
「これは命の危険があるので、室内も借りていて、室内の涼しさを保ちながら、外に少し出て、スイカ割りをしたり水遊びをしたり・・・やっぱり家だとなかなかできないこと。水遊びもスイカ割りもできるけど、自分で用意する余裕がお母さんたちにはない。だから、できないことはみんなでやろう! っていうそんな気持ちでやっています」
●ひとりだと厳しいけど、みんなでやればできることもたくさんありますよね。
「そうなんです」
●実は私1回、「おさんぽや」さんの活動にちょっとだけ・・・。
「来てくれたよね~」
●ちょっとだけ、参加させていただきました。
「ありがとう! その節は」
●こちらこそ、ありがとうございました! 子供たちと一緒に遊ばせていただいたんですけど、その時にも感じたのが、晴美さん始め、ほかのスタッフのみなさんも、子供たちとの接し方が三枚も四枚も上手だなっていう(笑)、自然なんだけど、いろいろ心掛けていることがあるんじゃないかなって、どういうことを思っているんだろうっていうのがすごく気になっていました。私はただ単に遊んでいるだけだったんですけど(笑)、何かありますか?
「基本、見守る態勢になっていますね」

●見守る・・・。
「一緒に遊ぶのも、とても楽しいけれど、ちょっと一歩下がって、この子たちは今何を見ているのかな? どんなことを感じているのかな? っていうところに共感していく」
●そういうことですね。
「そこを大事にしているスタッフが多い」
(編集部注:ご自身の子育て中に「森のようちえん」に出会い、救われた晴美さんは、恩返しの気持ちで「おさんぽや」を立ち上げたということでしたが、年一回開催される「森のようちえん全国交流フォーラム」に参加したときにスウェーデンから来たかたと、たまたま知り合い、意気投合。
2011年にお子さんを連れてスウェーデンに行き、教育制度や子育て政策に感銘を受け、帰国後、通信教育で勉強し、保育士の資格を取得したそうです。2019年には「おさんぽや」のスタッフと一緒に再びスウェーデンを訪れ、環境教育の研修を行なったとのことです)
防災「おうちの中でかくれんぼ」
※「おさんぽや」では、防災に関連するような活動はあったりするんですか?
「私たちは防災をメインには活動はしてないんですけど、コロナ禍前あたりに防災についてちょっと学んでみようみたいな会をしました。その時はソーラークッキングをしたり、野外でいろいろと体感してみようっていうので、楽しく過ごすことができたんだけれど、コロナ禍になって、それができなくなってしまいました。
みんな一斉になっちゃったから、何が正解で、何がダメなのかがわからなくて、困ったなっていう時に、私たちの地域は南海トラフの地震がとっても心配される地域でもあったので、Zoomで集まれるじゃないかっていうことで、Zoomで集まって『おうちの中でかくれんぼ』という避難ごっこをしました」
●え~すごい! それぞれの家庭で?
「そう。Zoomでつないで、“今から警報、鳴らすからね~”って、警報を鳴らしたら“自分はどこに隠れるの? 隠れた所で上から落ちてくるものはない? この後どうやって避難するの?”っていうことを、それぞれ考えて話してもらうっていうそんな会をしました」
●お子さんたちも親御さんもそうですけど、なかなかイメージできないですよね、その時のことって。
「そうそう。やっぱり体感することで、よりわかることもあれば、“これだったら、こうしたらいいよね“って工夫することができるから、やっぱりやってみることが大事。例えば “きょうは1日、トイレを使わないようにしよう”とか、“きょうは1日、電気なしね”みたいな感じで、防災用トイレを使ってみるとか・・・意外とできない! って言っていました」
●そうですよね! 確かに。
「袋の中にするっていうのが、子供たちができなかったりするから、やっぱり一回体感しておく。非常時ってすごく緊張状態になったり、普段とは違う生活になってストレスがかかってしまった時に、トイレができるか・・・一回やっていれば、たぶんちょっとできる、子供たちも」
●本当ですね。
「だから、体験ってすごくその次の力になるっていうのは、防災も野外もそうなのかなって思うところです」
心のお守り
※今後「おさんぽや」の活動を通して、どんなことを伝えていきたいですか?
「私も今年で子育てをして20年になるんだけど、やっぱり子育てはひとりではできなかったなっていうのは、すごく思うところです。
子育てはひとりではできないんだけれども、やっぱり心の安心だったり、この人たちとやっていきたいって思う相手じゃないとなかなか難しい。人間、コミュニケーションっていうのがあるので、“あなたはあなたのままで、ここにいていいよ”っていう居場所を私たちは作り続けたいなと思っています」
●めっちゃ素敵ですね~。あとやっぱり自然との関わりもポイントになってきますか?
「そう。やっぱり自然って、ある意味、暖かいし、ある意味、冷たい部分がある。こちらがいくら雨、降って欲しくないよ~って言っても雨は降るんです! 太刀打ちできない」
●そうですよね。
「それで自分はどうするのかなって、相手に求めるんじゃなくて、自分に向かう。自然が鏡になる。自分の心のあり方はどうかなって・・・。
子供は頭では考えず、それをたぶん体感として得ることができるので、それがさっきの生きる力じゃなくて『心のお守り』、つらい時とか絶対これからあると思う。そういう環境の中で、もうこれ以上無理かもしれないって思った時に、ぐっと踏ん張れる『心のお守り』は、生きる力になるんじゃないかなって思います」
(*番組からお知らせ)
産休中の小尾渚沙さんの代わりに当番組を5カ月間、担当してくださった難波遥さんは、この回の放送がラストとなります。ありがとうございました!
次回、9月7日の放送から小尾さんが復帰します。引き続き、ご愛顧のほど、よろしくお願いいたします!
INFORMATION
「おさんぽや」の活動に共感し、支援したいと思われたかたはぜひ「子育て応援基金」へのご協力をお願いします。個人で一口3,000円から、法人で一口10,000円からとなっています。振り込み先などはオフィシャルサイトをご覧ください。また「おさんぽや」の活動についても、ぜひサイトやSNSを見てくださいね。
◎おさんぽや:https://osanpoya.studio.site/top
◎おさんぽやInstagram:https://www.instagram.com/osanpoya138/
2025/8/24 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、世界を股にかける旅人、そしてエッセイストの「たかのてるこ」さんです。
たかのさんは「世界中の人と仲良くなれる!」と信じ、これまでになんと! 七大陸75ヵ国をめぐった旅のスペシャリスト! そして2000年に出版したエッセイ集『ガンジス河でバタフライ』がベストセラーとなり、その後ドラマ化され、長澤まさみさんが主演したことでも話題になりました。
きょうはそんな たかのさんをお迎えし、たかのさん流の旅のスタイルや、素敵な笑顔と言葉に出会える「日めくりカレンダー」のお話などうかがいます。
☆写真協力:たかのてるこ

総合エンタメ! ドキドキワクワク!
※たかのさんは基本はひとり旅、バックパッカーではなく、キャリーケースを愛用する「コロコロパッカー」だそうですよ。
これまでに75の国々を訪れているたかのさん。改めて、なぜ旅をするようになったのか教えてください。
「もともと自分のことが受け入れられなくて、人と比べて、私なんて~って、自分をいじめている人間やったのよ。じゃあ何がしたいんよ、自分は!? って、人と比べてばっかりいるあなたは何が? って言うた時に、やっぱりおとぎ話とかね、今も『鬼滅の刃』にしても『ONE PIECE』にしても、主人公って旅して、ひとまわり大きくなって帰って来るやん、仲間を作って」
●はい!
「これがやりたい~と思って、家と学校の往復が嫌で嫌で、20歳の時に初めて香港とかシンガポールとかアジアをひとり旅して。うわっ! こんなに総合エンタメ参加型のエンタメがあるなんてって、ドキドキワクワク、全部入っている~みたいな!」
●確かに。初めて海外、その国に降り立った時って、どういう気持ちになったんですか?
「香港とシンガポールやったんやけど、初めての旅は。香港映画、ジャッキー・チェンとかが昔大好きで、降り立った時に、うわぁ~、映画では匂いを嗅がれへんけど、これが香港の匂いか~みたいなね」
●確かにそうですよね~(笑)
「今もそうよ。ネットで何でも見られるけど、匂いまでは嗅がれへんから、やっぱり(現地に)行って人の雰囲気とか、何か体感する360度っていうのは、自分が体を動かさないと・・・」
●実際に行かないとわからないことですよね。最初の旅でいろいろな所をまわったと聞いているんですけれども、一体どこに行ったりしたんですか?
「行きだけ決まっていて、帰りはオープンっていうチケットを買って、お金がなくなるまで、みたいな・・・だから、どんどん貧乏旅行になっていくというか・・・。
屋台で物を頼むって言うても、英語も喋られへんし、中国語も喋られへんなって香港で思ったんやけど、“これ! この人と同じのください!”とか、食べ物を注文できるようになったりとか・・・私、本当に英語が苦手なんで」
●へえ~すごい! 結構、身振り手振りで伝わるものなんですね~。
「もう身振り手振りで、世界中、言葉は違うけど、表情は一緒やから!」
●ああ~確かに!
「どの国に行く前は、ものすごく緊張するねんけど、行ったら同じやな~って思うん」
●そうですよね~(笑)
「例えば、私ね、乗りたい夜行列車があったのよ、シンガポールに着いた時に。わぁ~間に合わへんなぁ~、でもタクシーに乗ったら間に合うか、駅~・・・で、タクシーのおっちゃんに“私ね、5時に駅に着きたいんやけど、タクシーに乗ったら5時に間に合いますか?”って、なんて言ったらいいのかわからへん。
私なんて言ったか、時計を見せて、おっちゃんに“5オクロック・ステーション、キャン?”って語尾を上げて。(そうしたら)おっちゃんが“キャン!”。え? 通じたん? ほんまに? もう一回顔をしかめて“キャン? ほんまやな?”って聞いたら、(おっちゃんが)“キャン・キャン”てねぇ~。こんな難しい会話が“キャン・キャン”言うてるだけで通じたでと思って」
(編集部注:てるこさん曰く、日本人は完璧主義な面があって、英語などの言葉がちゃんと話せるようになるまでは、旅に出ない傾向があると。それだと、人生が終わっちゃうよとおっしゃっていましたよ。
そして、ひとりで旅に出るのは、友だちと行くと、どうしても友だちの顔を見て話すことが多くなるし、現地の人たちも話しかけてこないんだそうです。
そんなひとり旅のてるこさん、事前に旅先のことをしっかり調べてから出かけ、また、危ないところは絶対に行かないそうです)
毎日ありがとう祭り!
※てるこさんは、カメラマンでもあるんですが、旅先にカメラを必ず持っていくのは、写真はコミュニケーション・ツール、笑顔をかわすきっかけになるからだそうです。
旅先で出会った人たちから学ぶことって、いっぱいあると思うんですけど、未だに大事にしている言葉はあったりしますか?

「今度出す、日めくりカレンダーっていう新作も『毎日ありがとう祭り』っていうタイトルなんやけど、もう“ありがとう”に勝るものはないなって・・・。
『ダライ・ラマに恋して』っていう本に書かせてもらったんやけども、旅先はラダックっていう、国はインドなんやけど、もともとはラダック王国っていう所を旅した時に・・・チベット・エリアなんよ、みんな仏教を信じていて、みんなニコニコとしてはるんやけど、ありがとう、こんにちは、さようならって全部“ジュレー”っていう言葉で済ましてんのよ」
●え~〜っ、全部ジュレー?
「済ましているっていうか、差がわからへんやん。どれ? 今言うたの何? ありがとう? こんにちは? どっちってわからへんやん~って、初めはびっくりして・・・」
●そうですね(笑)
「ええ~!?って思ってたんやけど、ずっと“ジュレー、ジュレー”って一日言うてるうちに、あれっ? 全部同じ意味やなって思って・・・だって、こんにちはって、出会ってありがとうやし、さようならも同じ時間をありがとうね~って・・・もう全部ありがとうなん、挨拶もさようならも、“ジュレー、ジュレー”、ありがとうなんやな~、ほんまはって」
●え~〜素敵!
「でも日本ってすごく“ありがとう”が言いにくい国やから、私が“ありがとう”を流行らせたいなと思って、今回の新作も作らせてもらったんやけど・・・。“ありがとうございます”まで言わんと、なんか丁寧じゃない人に思われるとかね」
●あ~確かに。
「“どうも”とか“すみません”とかいう言葉に変えちゃったりして・・・“ありがとう”っていちばん素晴らしい、宇宙一波動が高い言葉って言われる言葉やから。
子供だけでしょ、“ありがとう”って許されるの。ちょっと年齢いったら、“ありがとうございます”って言わないとあかんとか。もうやめよ! みんなで気軽に“ありがとう、ありがとう”って年齢関係なく、みんなが“ありがとう”って気軽に言えるようにしたいな~って」
※今お話にあった日めくりカレンダー、タイトルは『毎日ありがとう祭り“世界最強の幸せ言葉”で自分らしく生きる♪』なんです。
続いて、この「日めくりカレンダー」を出すことになったいきさつを話していただきました。

「大学の教え子が“てるこさん、生きる意味がわからないんです。大学も辞めたい”って言われて、わかるわ~と思ったんよね。私も消えてしまいたいって、何十回思ったかわからん、すごく落ち込みやすいんで・・・。
ほんで、どんな時も、大人でもへこむから、前向きな気持ちになれる文章をと思って、彼にプレゼントしたら、手紙を書いてくれて、それが『生きるって、なに?』っていう本のもとになった文章なんやけども、この中に“迷惑をかけてもいいんだよ”っていう言葉が出てくんねんけど、その教え子が初めて、迷惑かけていいんだよって言われたと・・・親にも“人様に迷惑かけたらあかん”って、日本って言うでしょ、つい」
●確かに〜。
「それで人に人生相談もできなかったと・・・。それを講演会で紹介したら、写真を付けて、スクリーンで上映したら、“講演、良かったから、ぜひ本にしてくださいね”って参加してくれはった人がみんな言ってくれて・・・。じゃあ講演の時にシェアしようと・・・。
普通に出版社から出したら、1500円ぐらいの本になって高くなってしまうわ~と思って、自費出版すればいいんや~と思って、500円の本にしたいなと思って『生きるって、なに?』っていう本を自費出版したのがきっかけで・・・。
自費出版なんやけど、今はアマゾンとか全国の書店でも注文できる本になっているんですけど、そのシリーズがどんどん増えて、『逃げろ 生きろ 生きのびろ!』っていう本とか、『笑って、バイバイ!』とか『世界は、愛でできている』っていう本とか、4作目まで出させてもらって24万部までいって」
●すごいですね~。
「そしたら、その読者の人から“本も素敵なんやけど、出しっぱなしにできるものを、毎日毎日めくって自分を勇気づけてもらえるものが欲しい“って言うてもらって(日めくりカレンダーが)誕生しまして」
「言葉の魔法」を自分にかけて
※日めくりカレンダー『毎日ありがとう祭り“世界最強の幸せ言葉”で自分らしく生きる♪』は、たかのさんが世界中の旅先で撮った、とても素敵な笑顔の写真と 元気になれる言葉に、日めくりをめくるたびに出会える、そんなカレンダーになっています。
「遥ちゃん、1日目とか読んでもらってもいいかしら?」

●はい、読みますね。
「私の細胞たち ありがとう! 毎日めでたい 毎日が誕生日! 日々 体の細胞が入れ替わり(3000億個!)私は 新しく生まれ変わってる」と書いてあります。
「(体の細胞が)生まれ変わっているって思ったことあった?」
●毎日・・・いや~思ったことなかったです・・・。
「ないよね~、私もなかったよ。でもほんま生まれ変わって新入りが入ってきてんのよ」
●確かに。
「封入特典にしている、このメッセージカードに書かせてもらったんやけど、毎日3000億個の細胞が入れ替わるっていうことは、体内で懸命に働いて役目を終えた3000億個の細胞が死んでるってことなんよね、生まれているってことは!」
●そうですよね~。
「どこに行ってるんと思う?」
●どこに行っちゃってるんだろう? 流れるんですかね?
「どこに流れてんの? 何に?」
●お手洗い?
「トイレよ! 読んでくれた遥ちゃん??」
●読みました、読みました(笑)
「それで、その敬意を込めて“ありがとう!!”って言ってほしいから、この“私の細胞たち ありがとうシール”を作ったよ!」
●あ~可愛いステッカー!
「ハートの黄色いステッカーを! トイレの蓋とかに貼ってほしいなと思って」
●あ~そうですね。
「自分が今トイレで何したんかって、何を出したの?って。働いて役目を終えた細胞とか細菌とか、色んなもんが働いてくれてんねんけど。“ありがとう~”って、合掌タイムやから手を合わせて・・・」
●そっか~、もうトイレの意味合いが全然変わってきました。何も考えてなかったです、これまで。
「ほとんどの人は考えてない。私もこの本書いて初めて知ったもん。そのぐらい自分の体をケアしてないってことよね。気にしてない、何をしてんのか? 自分の体がっていう」
●そうですね~。
「やっぱり冷たかったな~、自分に対する愛をケチっていたなと思って・・・。お休みの日とかにも“きょうも何もしなかった~”とか、つい言うてしまうでしょ? 何かダラっとした日に・・・」
●はい、言ってしまいます・・・。
「体が怒るよ!」
●頑張っているよ~って。
「寝ている間もフル稼働して、自分のこと応援してくれて、酸素足りひんぞ~、疲れてるぞ~って。遥、疲れてるぞ~、もっと空気くれ~、酸素まわしてくれ~とか言うて頑張ってのに、“何もしなかった・・・冷たい“。ほんま体の最高責任者CEOとして冷たかったなって・・・もっとトップとして、ありがとうね~って」

●てるこさんから出てくる言葉すべてに引き込まれるんですけれども、日めくりカレンダーに書いてある言葉は全部、てるこさんが考えた言葉なんですか?
「いえいえ、ほんまに私が旅先でもらった言葉とか、旅しているうちにやっぱり自分で自分を応援せんとどうすんねん! って思って生み出されたりとか・・・。“反省は3秒まで”、“自分いじめにバイバイ”とかね」
●すごくいい言葉ですよね~。
「私なんてって、自分を責めて悲劇の主人公になる癖に気づいたら、ありのままの自分を受け入れよとかね。本当に自分が、ここに書かせてもらった言葉に救われて、今まで生きてきたんで・・・。
ほんまたったひとつの言葉で人は喜んだり悲しんだりすることを思うと、言霊の力、言葉のパワーって絶大なんで・・・。やっぱり自分の生きてる世界は、自分が日々使う言葉によって作られてるんで、言葉の呪いじゃなくて、ほんまに“言葉の魔法”を自分にかけてあげてほしいなって」
生きることを楽しむために
●本当にどの言葉も素敵だなと思ったんですけど、私は12日目に書いてある『出会ってくれてありがとう 生きてる間に会えた人は 同世代! 同じ地球学校の”太陽チルドレン” みんな平等 みんなうんこメーカー!!!』って書いてあって・・・。
「うんこメーカーって、遥ちゃんの口から聞くと、なんか可愛らしい言葉に聞こえるよね」
●本当に素敵ですよね(笑)
「ここにちっちゃい文字で、注釈っていうかメモを書かせてもらって、ここもちょっと読んでくれる?」
●ぜひぜひ!
『敬語は“キョリ語”(相手と距離を置く言葉) 距離が必要なければ タメ語で話して 心の距離にバイバイ!』と書いてあります。
「昔は親子だって、夫婦も敬語を使ってたのよね。敬語は夫婦の間は女性から男性に対してだけやけど、今はないでしょ? 夫婦で女性だけ男性に対して敬語を使ってるカップルなんて・・・親子も大体タメグチで喋ってるやん?」
●タメグチですよね~。
「それを仲良くなった人たちに広げていこうって話なんで・・・」
●私自身もすごく影響を受けたように、若い人たちからもすごく反響が大きかったそうですね?
「もう本当に、下は小学生から上は90歳まで“(日めくりカレンダーを)めくっています!”とかね。もとになった『生きるって、なに?』シリーズも、学校の先生がちょっと学校崩壊になっていて、(先生が)自腹で本を買ってみんな生徒にプレゼントして感想文を寄せてくれたりとか・・・。私のホームページにもその子供たちの感想文とかを載せさせてもらっているんやけど。本当にね〜、悪気はないんやけど、大人になって呪いかけてくるからね。“昔の時代はこうやったんやから、あんたも我慢し~“とかね」
●そうですね~。
「私たち我慢するため生まれたんじゃなくて、生きることを楽しむために生まれてきたんで」

自分を褒めちぎって、愛して
※では最後に、日めくりカレンダー『毎日ありがとう祭り“世界最強の幸せ言葉”で自分らしく生きる♪』から、きょう8月24日に載っている言葉をご紹介しましょう。
その言葉とは
『愛をたくさん 受け取ろう! 物事のネガティブな面よりも ポジティブな面に 目を向けて 「すみません」と謝るよりも「ありがとう」の感謝を! 感謝するほど 幸せホルモンが増え 免疫力もアップ♪』ということなんですが・・・
この言葉に込めた思いを教えてください。
「遺伝子の研究で、日本人って繊細で素晴らしいところがいっぱいあるんだけど、世界で最も不安を感じやすい民族っていうデータもあるんですって。その不安遺伝子の保有率が8割! めっちゃ高い! ヨーロッパとかで4割、南アフリカとかは28パーセントとかっていうそうなんですけどね。
一歩家を出てマンモスにやられるとか、そんな最低限のストレスからは解放されてんのやから、8割はちょっと高ない? って、もうちょっと減らして・・・。もちろん心配とか不安が世の中を良くしているし、備えにもつながるんやけど、今は文明も発達して、それでも8割・・・毎日しかめっ面で心配しながら生きて楽しい? 寿命が長くてもね・・・」
●そうですよね~。
「もうちょっとみんなで助け合って生きて、困ったら助けて~っていう、ぜひもうちょっと人類を信頼して、“すみません”って謝るよりも“ありがとう”の感謝をって書かせてもらったんやけど、本当に感謝すればするほど、幸せのホルモンも増えて、免疫力もアップするんで・・・。感謝はタダやからね、“ありがとう”っていうのも言うてね。いいことに目を向けて、自分を褒めちぎって生きてもらいたいなと思います。
自分をいじめるのをやめて、私もできたんで、ぜひ自分を褒めちぎって愛して、自分を愛せば、周りの人のことも愛せるようになるなって自分で実感したんで、ぜひ一緒に地球の愛を増やしていきましょう!」

☆この他のたかのてるこさんのトークもご覧下さい。
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『毎日ありがとう祭り“世界最強の幸せ言葉”で自分らしく生きる♪』
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2025/8/17 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、バックパッカー、そして紀行家の「シェルパ斉藤」さんです。
斉藤さんは1961年、長野県生まれ。本名は「斉藤政喜」。学生時代に中国の大河、揚子江(ようすこう)をゴムボートで下ったことがきっかけで、フリーランスの物書きになり、ペンネーム「シェルパ斉藤」で作家デビュー。
1990年に東海自然歩道を歩く紀行文を、アウトドア雑誌BE-PALに執筆。現在も同誌の人気ライターとして「シェルパ斉藤の旅の自由型」という連載を30数年、継続。また、1995年に八ヶ岳山麓に移住し、自分で建てたログハウスで、奥様と愛犬とともに自然暮らしを送っていらっしゃいます。
そんな斉藤さんがつい最近、自転車で日本縦断の旅をされました。今回は5月20日に山梨のご自宅を出発、22日に鹿児島県の志布志港という港から自転車を漕ぎ出し、北上。日本海側を、1日100キロを目安に走り、6月17日に北海道・苫小牧にゴールされたそうです。
自転車や荷物を息子や奥さんが車で運んでくれたり、フェリーを使ったりと、斉藤がおっしゃるには「楽な旅だった」と。また、季節的に日が長く、天気にも恵まれ、毎日、夕陽を見ながらビールを飲んで、テントで寝る旅だったそうですよ。
今回、私、難波遥は初めてインタビューさせていただくんですが、自転車で日本一周を経験した私としては、ものすごく楽しみにしていました。
きょうはそんな斉藤さんに、新しい本『シェルパ斉藤の還暦ヒッチハイク』のお話も交え、たっぷりお話をうかがいます。
☆写真提供:斉藤政喜

64歳、自転車で日本縦断!
※自転車による日本縦断は、初めてではないんですよね。
「3回目ですね」
●3回目! なぜ3回目をやろうと思い立ったんですか?
「最初にやったのが、24歳なんですよ」
●初めての挑戦が!?
「難波さんもその頃やったんでしょ?」
●そうです! ちょうど同じ歳くらいですね!
「その(24歳の)時に宗谷岬から本州の佐多岬まで行って、最後は沖縄まで行ったんですけど、その時に出会う大人たちによく言われたのが、“そういうことできるのは、若いうちだけだからよ~”とかね」
●あ~、私も言われた~~、言われました!
「あと“学生のうちだけだから”とか、“独身のうちだけだから”って言われて、すごくカチンと来たんですよ。で、反論したかったんだけど、全部当てはまっていたので、これは全部当てはまらない20年後にもう1回やろう!と・・・。
20年後だったら若くないし学生じゃないし、たぶん結婚しているんじゃないかなと思って、だから24の時には日本縦断しながら、もう1回20年後にやってやるぞ! やりたいからやるんだ! っていうのを証明できる気がして、それで44歳の時に日本縦断したんですよ、もう1回。
その時は24歳の自分を超えたかったので、海岸線とかじゃなくて、ど真ん中を行こうと思って・・・。それで北海道の礼文島から始まって、できるだけ海岸じゃなくて真ん中を通って・・・。
僕が山梨県に住んでいるので、1回を半分に分けたんですよ。まずは、(山梨の)家まで。後半は、山梨県ってほぼ真ん中なので、そこからまた真ん中を行くしかないから、ずっと沖縄まで、最後は与那国島まで走ろうと思って・・・。
若くない、結婚もして独身でもない、学生でもない僕は(2回目の日本縦断を)達成したんだけど、それから20年経って、今年ふと振り返ると、44歳ってまだ若造だなって急に思っちゃって、やっぱり64歳になってやんなきゃダメなんじゃないかっていう気になったら、やんなきゃいけなくなっちゃったというか、やりたくなっちゃったんですよ! それで20年ごとの日本縦断を今年64歳でやろうと!」
●毎回感じることは違ったと思うんですけど、それぞれのフェーズで、どういったことがいちばん記憶に残っていますか?
「24歳の時は何を見ても新鮮だったし・・・」
●新鮮な旅! っていう感じですよね?
「それまで僕はオートバイで旅していたんだけど、だんだん自力で行くのが面白いと思い始めた頃だったから、どこを見ても日本の風景はきれいだな~と思いながら・・・」
●確かに、そんな感じだったかもしれないです。
「44歳の時は、田舎暮らしをしたっていうのもあって、田舎を走っていると、風景がちょっと身近な感じに見えて、こういう生活があるんだっていうのが・・・。24歳の時は何を見ても新鮮で、へえ~へえ~だったのが、割と身近な風景として感じられて感情移入できるっていうか、それが44歳で・・・。
今年は64歳で、何が残っているかって、毎日新鮮というか楽しいんですよ! ただ前へ進むだけっていうのがこんなに面白かったのかっていう・・・なんだろうね・・・要するに頭を無にするというか、前に進むことだけを考えていればいいっていう一日を過ごせる」
●そうですよね~。
「それで日が暮れて寝る場所を探して、また翌日食べて走って寝て、食べて走って寝てっていうのを繰り返すっていうのが、人間、シンプルでいいなって。こんなんでいいんだっていうのを、この歳のほうが感じたかな~。改めて、日本を旅するってすごくいいな~と感じましたね」

風に乗って、北上!
※斉藤さんは今回の日本縦断で、24歳の頃と比べると、確かに体力的にはきつかったけれど、64歳なりの走り方に気がついたそうですよ。
「なんか知恵がついたのかな〜? 疲れない走り方っていうか・・・」
●へぇ~、教えて欲しい!
「いやいや、それは人それぞれ違うだろうし、もともと基礎体力があるかたはそう思わないかもしれないんだけど、ペダルを漕ぐ感覚じゃなくて、ペダルを回している感覚、力を入れないっていうか・・・(笑)、なんて言うんだろう、脱力系の漕ぎ方・・・?
なんかね、ふにゃーっと動いてればいいやっていう感じで、ただペダルを回せばいい・・・だから以前の感覚だとゆっくり走るんだったのに、ゆっくり歩く漕ぎ方で、それでもきついなと思ったら、ギアを変えて、より低いギアにしておけば、ただ足をぐるぐる回すってやっておくと、全然きつくない・・・それはきつくないわけじゃないけど(笑)」
●私も自転車で日本一周している時に、意識的にはそれはできなかったんですけど、何回か全然疲れてない、すーっと進んでいるなっていう感覚がたまにありました。その時は気持ちいいなって感じていたんですけど、意識的にはまだできていなかったです(笑)。
「今回、日本縦断でよかったなって思ったのは、今までのは全部、北海道から九州に行っていたんですよ。今回初めて九州から北海道へ北上、今まで南下コースだったのを北上(のコースで)やったんですよ。やってみて楽!」
●えっ~~!?
「なんでかって言うと、自転車でいちばん辛いのは、僕は向かい風なんですよ」
●本当にそう思います!
「坂は見えるから、ここを頑張れば越えられるっていうのがあるのに、例えば海辺を走っていて一生懸命漕いでいるんだけど、風を受けて思うようにスピードが出ないっていうのは本当に辛いんですよね。基本的に日本列島は西から東へ天気が変わっていくじゃないですか」
●そうですね~。
「だから風が全部そっちに吹いているんですよ。日本列島を北上するとは言いながらも、南西方向から北東方向へ行っているので割と追い風が多かった」
●うわっ! 本当にいいですね。
「追い風に入ると突然、自転車をやっているかたはたまに経験すると思うんだけど、自分が風の中に入る感じ・・・。それまでシューと音がしていたのが、風の速さと自分の速度がピッタリ合うと、耳に入る音が車輪(と道路)の接する音とチェーンが駆動する音だけで、風に入り込んだような気になって・・・かっこよく言うとなんだか自分が風に乗ったみたいな感じ・・・」
●うぁ~かっこいい!
「そういう感じになれたのがよかったので、今回はそういう意味では総合的によかったなと思っています」
●本当に向かい風だと平らな道でも全然進まないですよね。腹立ちますよね(笑)。
「進まない。ただただ腹立ってくる! 逆なら、なんて楽なんだろって!」
(編集部注:今回の自転車による日本縦断の旅でも、いろんな出来事があったそうです。中でも印象に残っているのが、徒歩で旅する若者との出会い。今回は残念ながら、この番組では時間の関係でご紹介できないんですが、この心温まるエピソードは、いずれBE-PALに書くとのことですので、お楽しみに)
還暦ヒッチハイク「いい人」!
※ここからは、斉藤さんが先頃出された本『シェルパ斉藤の還暦ヒッチハイク』をもとにお話をうかがっていきます。この本は還暦前後に行なったヒッチハイクや、以前行なったヒッチハイクから、特に思い出深い旅のお話などが載っています。

本を読んでいて思ったんですけど、斉藤さんを車に乗せてくれた人たちって、年齢や職種もバラバラで、みんな個性的ですよね?
「要はヒッチハイクって、例えばたくさん車が停まっていて、乗せてもらえませんか? っていう声を掛けるのもありかもしれないけど、僕はそういうのはあまりやってないんですよ。あくまで僕は受け身。だから僕を乗せたいと思ってくれたかたが停まってくれるのを待つ。
ですから、自分がもし選ぶ側だったならば、“この人だったらいいな”とか、“この人、乗せてくれそうだな”っていう人を僕が選ぶから、割と似た傾向になっちゃうかもしれないですよ」
●そういうことなんですね。
「そうじゃなくて、僕のやっているヒッチハイク、(自分で)声をかけたケースもありますけど、特に還暦を過ぎてからやっているヒッチハイクは、あくまで自分は受け身の立場。ですから、“あっ! こいつ乗っけてみたいな”って思うような人が停まってくれるので、そういう意味ではみんなバラバラになるんです。こっちではこういう人がいいっていうのを選べない。僕は選ばれる側なので・・・。
それで今回『還暦ヒッチハイク』って、ちょっとね・・・ヒッチハイクって言ったら、若者のイメージが強いんですけど(笑)」
●イメージがありますよね。
「だけど本当に年寄りでもできるんだっていうか、僕の頑張りようじゃなくて、向こうが勝手に選んでくれるんだから・・・。こんなおっさん、おじいさんになっちゃったけど(笑)、立っていれば、ちゃんと停まってくれる人がいるんだって考えていくと、そりゃバラバラになるよね」
●そうですね。
「こっちから選べないので、いちばん待って、1日待つこともありました。やっぱり若さにはかなわないので、全然ダメな場合もあって、ただひたすら待つっていうのをやっているんだけど、必ず停まってくれるんですよ」

●その待つっていうのは? 道の路肩で?
「道の路肩で」
●手を挙げたりはするんですね?
「手を挙げて」
●もう本当に待っている・・・?
「ただ待つ!っていう、だから本当に、僕のほうからは選べないから、いろんなかたが、それはお年寄りのかたも停まるし、同年代もいるし若者も停まるし、それから男性も女性も、職種もみんなバラバラですし、ただ言えるのはみんないい人」
●共通点はいい人!
「うん、いい人なんですよ!」
(編集部注:「いい人」との出会いは、まさに一期一会! 普段はなかなか出会うことのない人との出会いも、ヒッチハイクの醍醐味ですよね。珍しいところでは、セーリングの日本代表候補の若者ふたりと出会い、合宿先の和歌山まで行くということで、なんと神奈川県の海老名から大阪まで送ってもらったそうです。
また、斉藤さんがおっしゃるには、北海道と沖縄はヒッチハイク天国。旅人になれているせいか、すぐにとまってくれるそうです。沖縄では美女に乗せてもらって、横顔もとっても綺麗だったので、ずーっと見ていたとか)
犬連れヒッチハイク「いい子」!
※斉藤さんは愛犬との「犬連れヒッチハイク」をすることもありますよね。犬を連れてのヒッチハイクは、ハードルが一気に上がるような気がするんですけど、どうなんですか?
「いやそれが、そうでもないんですよ。そもそもなんで犬を連れてヒッチハイクするかっていうと、僕は結構いろんなトレイルっていうか、いろんな所を里道とか野道を歩くバックパッカーなんですが、犬を連れて歩くこともあるんですよね。
僕の連れている犬がラブラドール・レトリバーとかちょっと大きめの犬なので、例えば、ある地点まで車でその犬を連れて行って、次の1日か2日くらい歩くとしたら、その車のある場所まで戻るのに同じ道を歩くのが嫌なんですよ。じゃあバスや電車っていった場合に、うちの犬は大きいからゲージに入れていくのは現実的に不可能なんですよね。そうなるとバスにも乗っけられないし、何かって言ったらヒッチハイク」

●そういうことですね!
「それで犬を傍らに置いて路肩でヒッチハイクをするんですが・・・上手くいくんですよ!」
●へえ~〜。
「僕がひとりで(ヒッチハイクを)やっているよりも(車が)停まる確率は高いと思う」
●逆に? ええ~~!?
「なんでかって言うと、世の中、犬好きが多いんですよね。特に女性が停まってくれる、大体はね・・・。それから僕の犬って、普通そうですけど、1日とか歩くと疲れちゃうんですよ」
●そうですよね~。
「僕がヒッチハイクしている間、犬は道端でどて~んってなっているので、“ワンちゃん、どうかしたんですか?”って気にかけてくれる女性が多い」
●あ~そういうことですね。
「で、“車を停めてある所まで、バスとか乗れないので(ヒッチハイク)しているんです”って言うと、大体みんな乗っけてくれる。だからある意味、犬をダシにしてヒッチハイクしているっていう感じもありましたね、そういう時も・・・」
●なるほど(笑)。逆に犬側、愛犬たちはみんな旅に慣れているんですか? 初めましての人たちと(車に)乗ると思うんですけど・・・。
「それは(犬に)聞いてみないとわかんないけど(笑)、全然嫌がっているそぶりもないし・・・。それと犬の話になっちゃうんですけど、何日間か一緒に歩いて、テントを張ったりかって繰り返していると、なんかリズムが合うというか、だんだん気持ちが通じ合うところもあって・・・。
初めてヒッチハイクした時もそうなんですけど、僕の、飼い主の要望を全部わかってくれる。だからいきなり(車に)乗っても絶対シートには座らないし、足元にうずくまって、じ~っとしているっていう・・・なんか気持ちが通じ合う感じになっちゃう」
●すごいです!
「別にうちの犬が賢いとかそういうことじゃなくて、そういう感じなんですよね」
●それぞれの犬で、この犬はこうだったな~とか、犬ごとにここが違ったな~とか、そういうのってあったんですか?
「それがないから面白いかな」
●へえ~〜。
「大体どの犬も初めてのヒッチハイクでも、特に若い時はみんな元気なのに、他人の車の乗っけてもらっても、みんないい子にじっとしている。だからそれはたぶん、一緒に歩いて旅しているからだと思いますけどね」
ギヴ・アンド・テイクの関係!?
※本の巻末に「ヒッチハイク攻略マニュアル」があって、経験をもとにしたヒッチハイクのコツなどをまとめていらっしゃいます。どんなことがポイントになってきますか?
「ヒッチハイクって僕の考えで言うと、釣りなんですよね。釣りに似ているなと思っていて・・・だから目の前で車が流れていく道路は、言ってしまえば川だと・・・。川に竿を振って餌である僕を投げたと、どれか引っ掛かるだろうと・・・。
釣りの場合はやっぱり餌が美味しそう! と思われなければ、魚は食い付かないわけだから、ドライバーが“あっ! あいつ乗っけてもいいかな”って思うような服装。逆に言えばNGの服装で言うと汚い、見るからに嫌だなっていう、訳わかんない奇抜なやつがいればよろしくないので、僕の中では清潔感のあるような格好をして、ある程度目立つ色」
●そうですよね~。
「やっぱりドライバーから見た場合に、パッと見て“あっ、ヒッチハイクしているんだ”っていうのをわからせる意味でも服装は大事かな。
それと、割と脱ぎ着がしやすいとか・・・僕もきょうは軽くて薄いジャケットを羽織っているんだけど、例えば、夏に(ヒッチハイクを)やると、外はすごく暑いんだけど、乗せてもらったら(車の中は)やたら冷房が効いているとか。冬は逆でちょっと寒いのにいきなり(暖かくなる)、それを考えると、乗っけてもらった時にすぐ温度調節がしやすいっていうのもポイントかな」
●なるほど~。続いて場所選び、これもやっぱり重要かなと思うんですけれども、ポイントはありますか?
「これは乗せる側、つまりドライバーの立場で考えた時に、どこなら停まりやすいかって考えると、その場所を狙えばいいかなと・・・。
例えば、後ろにたくさん車がつながっているのに、ここじゃ停まれないよって所はまず無理ですね。ある程度、余裕のある所・・・。それから運転していて、ヒッチハイカーがいても“今、気分よく運転してんだよな~”っていう時に停まりたくないっていうのもあって・・・。
ですから、ちょっと具体的に言うと、道の駅とかサービスエリアとかで、これから走り始めようかなっていう時に、加速しようかなって迷うあたりにいると、停まってくれるかたって割と多いですね」
●今のお話を聞くと、場所選びは相当重要ですね。
「そうですね。やっぱりいちばん大事なのは、ちゃんと車が停車できるスペースがある所」
●そうですね!
「後続の車に迷惑がかかるってのは絶対ダメですね。余裕があって、しかもある程度遠くから、ちゃんと“あっ、ヒッチハイカーがいるんだ”ってわかって、“乗せようかな、どうしようかな”っていうのが数秒間考えられて、そこに到達するっていうのが理想かもしれませんね」
●そして時間帯、やっぱりこれも大事かなと思うんですけれども、これは昼間ってことですよね?
「これも一概には言えないんですけど、経験から言うと、例えば8時とか9時頃ってヒッチハイクしていると、仕事で急いでいるかたが割と多いんですよ」
●朝の8時から9時?
「朝の8時から9時頃って、”余裕がないから乗っけたいんだけど、ちょっとごめんね、忙しいから“っていうかたが割と多くて、僕の経験で言うと1時過ぎとかその頃、大体みんなお昼を食べて、ちょっと眠いな、話し相手が欲しいなって思う頃に、話し相手を乗せてみようかっていう感覚が多いかな」
※本に「ドライバーとヒッチハイカーは、ギヴ・アンド・テイクの関係」と書いていらっしゃいます。これはどういうことですか?
「あくまで僕は乗っけてもらった側なんだけども、乗せてよかったなって思えるようにしたいんですよ。だから乗せてもらった限りは、本当にしっかりサービスしようっていうくらいの気持ちで、“実はこんな旅をしていまして”とか、乗せてもらっている時間を、ちゃんとドライバーが楽しめて、停まってよかったな! みたいな感じで・・・。
そういうことを考えているので、変に卑屈ならずに、本当にありがとうございます! じゃなくて、乗っけてもらったからには、対等の立場でいたいなと。乗せてもらったからって卑屈になることなく、その分、楽しませますよっていうつもりでヒッチハイクしています」
●プロのヒッチハイカーとして、これは心掛けているということってあるんですか?
「心掛けているっていうかね・・・本当にやっぱりフィフティ・フィフティの関係でいたいっていうのもありますね。プロのヒッチハイカーってほど、立派なもんじゃないんだけれども(笑)、まずしちゃいけないこととしては居眠り」
●確かに!
「あとね、絶対に(放屁)ぶっ!ってしちゃいけないしとか(笑)。それから乗っけてもらったら(別れる時は)最後はずっと手を振り続けるっていうのもしています」
●車が見えなくなるまで?
「それは、別にしなきゃいけないとかじゃなくて、するとまたたぶん『ヒッチハイクの神様』が微笑んでくれるんじゃないかっていうような気がして・・・。そういう意味ではそれを心掛けているかな。
だからどっちかって言うとNGのほう、喋り過ぎない。喋り過ぎずに相手の話を聞きつつっていうことを僕も楽しんでいるかな。だから会話を楽しむようにしています」

歳を喰ったら、ヒッチハイク
※これからもヒッチハイクの旅は続けますか?
「うん・・・のつもりですね。やっぱり年に1回ぐらいは大きな旅をしたいな、ヒッチハイクの、って思っています」
●それはなぜなんでしょうか?
「それは本当に、さっきもちょっと話したけれども、若い人のほうが絶対ヒッチハイクに有利なんですよ。やっぱり乗っけたくなるから。だけど、歳を喰ったかたのほうが、僕はむしろヒッチハイクを楽しむべきだと思っていますね。
それは、ある程度経験を積んだりとか、人生をやって来ている人間だと、なんか感動が薄れがちなんですよ。ここに行けばこんな感じだろうなとか、だんだん先が読めちゃうのがあって、それを裏切ってくれるのがヒッチハイクなんですよね。
誰が停まるかわかんないし、いつ停まるかわかんないし、どこまで行けるかわからない。そういう予測不能な展開がたぶんドキドキするんですよ、歳喰っても。だから感動が薄れがちな年寄りだからこそやるべきだと・・・。
ある脳科学者が言っていたんですが、結末がわかるような物語を読んでも全然、前頭葉が刺激されないって。こんな結末があったのか! っていうほうが前頭葉が刺激されて脳が活性化してくると・・・。
ヒッチハイクもそうだなって思っているので、むしろ本当に年寄りのほうこそ、時間もあるし、いざとなればちょっとお金もあるし、そういう意味では体力もまだそこそこあるし、ヒッチハイクだから、当然若者にもやってもらいたいし、ヒッチハイクを気楽にやりたい人がいて、停まってくれる社会っていいなと思っているので、そのためにも頑張ろうかなと思っています」
●なるほど。64歳の次は、84歳。それぐらいまではヒッチハイクも日本縦断もやりますか。
「面白いですね(笑)。80を超えたじいさんがヒッチハイクしていたら、健全でいいんじゃないかなと思いますね」
●そうですね~!
「だからやっぱりみなさんに言いたいのは、ヒッチハイクって誰でもできるんですよ。才能いらないし、努力もいらないし、体力もいらない。ちょっとした勇気、なんか頑張ってみよう! っていう一歩を踏み出して、手を挙げてみると、誰が停まるかわからない。
僕はこの本にこういう旅がしたいんだよって書いたのは、それは僕だからできた旅なんですよね。僕がよかったとかじゃなくて、自分がすごいとかっていうことではなくて、その人が同じところで同じことやっても、ドラマは全部違うはずなんですね、停まるかたが当然違うから。
だから誰でもできて、その人しかできない旅があるのがヒッチハイクなので、絶対にみなさん、やったほうが楽しいと思います」
☆この他のシェルパ斉藤さんのトークもご覧下さい。
INFORMATION
斉藤さんの新しい本には、キャリア40年以上の旅で出会った「いい人」のエピソードが満載です。斉藤さん流の「受け身」のヒッチハイクだからこそ、一期一会の出会いがある。どんな出会いがあったのか、ぜひ本で確かめてください。巻末にある「ヒッチハイク攻略マニュアル」を参考にあなたも旅に出てみませんか。
「わたしの旅ブックス」シリーズの一冊として、産業編集センターから絶賛発売中です。詳しくは出版社のサイトをご覧ください。
◎産業編集センター:https://book.shc.co.jp/21762
斉藤さんのオフィシャルサイトもぜひ見てくださいね。
2025/8/10 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、「かたつむり見習い」を名乗るネイチャーライター「野島智司(のじま・さとし)」さんです。
北海道大学大学院でふたつの修士号を取得した野島さんは、九州大学大学院を中退後、フリーランスとなり、現在は福岡県糸島市を拠点に個人プロジェクト「マイマイ計画」を主宰。子どもの遊び場を作ったりするなど、身近な自然と人がつながる場づくりを行なっています。また、大学や高校の非常勤講師としても活躍されています。
物心つく頃からカタツムリが大好きで、大人になってからは「人生の師」と仰ぐ野島さんは大学院を辞め、フリーランスになる時に、しっくりくる肩書きがなく、ふと浮かんだ「かたつむり見習い」が自分には合うと思い、そう名乗るようになったそうです。
そんな野島さんが『カタツムリの世界の描き方』という本を出されたということで番組にお迎えすることになりました。
きょうは、カタツムリとはいったいどんな生き物なのか、あのツノのようなものは何なのか、そしてカタツムリとナメクジの関係など、あまり知られていない カタツムリの不思議な生態に迫ります。
☆写真協力:野島智司

ツノは4本、口はふたつ!?
※野島さんは自宅で福岡では一般的な「ツクシマイマイ」というカタツムリを飼育。小さな卵からほんの数ミリの赤ちゃんが数十匹も誕生したそうです。

お話をうかがう前に、ここでちょっとだけ「カタツムリの基礎知識」。野島さんによると、カタツムリは日本にはおよそ800種、世界には35,000種ほどいて、新種が続々と見つかっているので、どんどん増えているような状況だそうです。
カタツムリは生物学的にいうと軟体動物。わかりやすくいうと貝類で、タコやイカなどの仲間。つまり、もともとは海にいた生き物で、陸にあがった巻き貝をカタツムリと呼んでいるそうです。
世界最大のカタツムリはアフリカマイマイ、大きさは手のひらサイズ。小さいカタツムリは、1ミリにも満たない種が多くいるそうですよ。
●カタツムリの見た目の特徴というと、顔のようなものがあって、胴体があって、殻がありますよね。顔のようなものにはツノが生えています。あれは目なんですか?
「そうですね。(カタツムリには)全部で4本のツノがあるんですけれど、大きい2本のツノの先に目があります。正式には触覚っていうんですけれども、ツノの先にちょっと丸く膨らんだ部分があって、そこに目があります。人間みたいにしっかりした目ではないので、光の明るさ、明暗がわかる程度だと言われているんですね。小さい2本のツノは目ではなくて、むしろ何か味とか匂いを感じる触覚だと言われています」
●口はあるんでしょうか?
「口もあります。人間の口は、物を食べる時と呼吸をする時と、ふた通り使い方があると思うんですけれども、カタツムリは食べる口と呼吸をする口は別々にあります。食べる口は、人間の口と同じように顔のちょっと下のほうに付いていて、やすりみたいな歯が、大体2万本ぐらい付いていて、食べ物を削り取って食べるっていう感じです。
呼吸をするほうの口は、殻の出入り口の近くに付いていて、顔とは全然違う場所なんですけど、そこにちょっと穴があって、呼吸をする感じです。そのすぐ隣に糞をするところもあったりして、だいぶ人間とは体の仕組みが違います」
●すごい! そういった機能があるんですね!
「はい」
●食べるほうの口で、カタツムリは何を食べてるんですか?
「日本のカタツムリは、ほとんど植物を食べています。なので、飼っていればキュウリとかニンジンとかをあげれば食べますし、落ち葉とかちょっと枯れた草とかもよく食べます。
あとは殻を作るためにカルシウムをたくさん必要とするので、カルシウムをとるために石とか土とかによくくっ付いていて、街中のカタツムリだとブロック塀にくっ付いています。カルシウムを補給するためにくっ付いていると言われています」

殻が右巻きと左巻き、なぜ!?
※カタツムリの殻の中には何があるんですか?
「殻の中は内臓ですね。守らなきゃいけない、いちばん大事な部分が殻の硬い中に入っています」
●殻があるのは身を守るためなんですか?
「そうですね。いちばん大きい理由は身を守るためだと思います。外敵から身を守るためっていうのと、日差しから身を守るためっていうのもあります。水分が蒸発しちゃうとカタツムリは生きていけないので、寝る時は殻に深く入り込んで、膜を張ってフタをして蒸発しないように、殻が守ってくれているっていう状態になります」
●生まれた時から殻はあるんですか?
「はい、あります。この間、うちで飼っているカタツムリが卵を産んだんですけど、卵の殻から出てきた時にはもう自分の殻を持っていました」
●へえ〜、最初はすごくちっちゃいんですよね?
「すごくちっちゃいです」
●殻は、どうやって大きくなっていくんでしょうか?
「最初、生まれた直後は、殻がひと巻き半とかふた巻きぐらいしかないんですけれど、大人になるにつれてその巻きかたが増えていくんですね。ふた巻きになって3巻きになってっていうふうに・・・。だから殻の出入り口に渦巻きが継ぎ足されて、どんどん巻き数が増えていくようなやり方で大きくなっていきます」
●この殻なんですけど、右巻きと左巻きがありますよね? その違いはなぜ生まれるんですか?
「カタツムリってほとんどは右巻きの種類が多いんです。交尾する時に右巻きは、同じ右巻き同士としか交尾ができなくて、左巻きは左巻き同士でしか交尾ができないようになっているんですね。
というのは、生殖器官が顔の左頬ぐらいに付いていて、なので右巻きと右巻きでくっついて交尾をする時に、頬と頬が合えば交尾ができるんですけれども、反対になっちゃうと交尾ができないので、同じ巻きかた同士でしか交尾ができないんです。
ほとんど右巻きなのに、何でちょっとだけ左巻きがいるのかっていうのが不思議で、そこはハッキリ、これ!っていうのが解明されているわけじゃないんです。例えば、右巻きのカタツムリばかりを食べるイワサキセダカヘビっていうヘビがいるんですけれど、そのヘビはカタツムリを専門に食べるヘビで、ただし右巻きのカタツムリしか上手く食べられないんです」
●え~~〜!?
「(イワサキセダカヘビの)牙が左右でちょっと違う形になっているので、(カタツムリが)左巻きだとそのヘビには食べられずに、生存にちょっと有利になっているんですね。そのため左巻きが生まれることにメリットが出てくるわけですよね。
なので、その左巻きが何か突然変異として生まれて、左巻き同士で生き残って交尾をして子孫を増やしていくことで、左巻きの種類が生まれる可能性が出てくるので、何らかの有利な点があって左巻きっていうのが進化してきたんじゃないかと考えられています」
(編集部注:カタツムリは1匹がオスとメスの、両方の機能を持った「雌雄同体」。子孫を残す方法は、交尾をして精子を交換、それぞれが持つ卵子が授精して産卵するそうです。
あのネバネバした粘液は、水分の蒸発を防いだり、移動する時に葉っぱの裏などにくっつくためだったり、また外敵から身を守るための役割があるとのことです)

カタツムリとナメクジの関係
※カタツムリによく似た生き物でナメクジがいます。もともとは同じ種だったりするんですか?
「そうです。カタツムリからナメクジ、殻を失うように進化したのがナメクジですね」
●そうなんですね~。なぜナメクジは殻をまとうことをやめたんでしょうか?
「本当の気持ちはナメクジに聞いてみないとわからないですけど、考えられるのはカタツムリってやっぱり殻を持っていると大変な部分も結構あります。
まずひとつは、さっき話したみたいにカルシウムをとらなきゃいけないので、そのためにただ普通にご飯を食べるだけじゃなくて、ブロック塀の所に行ったりとか、たくさん動き回らなきゃ、そしてカルシウムを探さなきゃいけないっていうのがひとつあります。でもナメクジは殻がないのでそれをしなくていい。
それから、そもそも殻を持っているって体がすごく重たくなるんですよね。(カタツムリは)もともとは海の巻貝だったんですね。
海の中とか水の中にいれば浮力があるので、ある程度重い殻を持っていても大丈夫なんですけれど、陸に上がってくると、その殻が重たく感じるはずなので、海の貝よりもだいぶ殻が薄くなってはいるんですけれど、それでもやっぱり負担だとは思います。その点、ナメクジはそういう重い貝殻を持たないので、自由に動き回って身軽ですよね。
それから、ちょっとした狭い隙間に潜り込むことがナメクジのほうがしやすくなります。カタツムリは大きな殻を持っているので、狭い隙間とかくぐり抜ける時にはやっぱり邪魔になっちゃいます。
その点はナメクジは狭い隙間にも入り込めるので、逆に人間にとっては家の中に入り込んできてしまったりとか、どっちかっていうとカタツムリよりナメクジのほうが、人間には嫌われがちな生き物になっていますね」

カタツムリの時間、豊かな世界
※カタツムリは、移動するのもゆっくりですよね。カタツムリの時間は、人間の時間と違うように思うんですが、どうでしょう?
「そうですね~、おそらく違うと思います。ヤーコプ・フォン・ユクスキュルという生物学者が行なった古い実験があるんです。カタツムリに1秒間に4回の振動を与えて、それより速くなってくると、(カタツムリが)振動に気づかなくなるっていう実験があるんですね。
だからそれを考えると、だいぶ細かい時間がカタツムリには多分わからない。それだけゆっくりものが見えているんじゃないかと考えられています。これもカタツムリになってみないとわかんないんですけれど、おそらくきっと周りのものがすごく早く動いて見えていたり、あるいは人間にはすごくゆっくり動いているものも、だいぶスムーズに動いているように見えているんじゃないかな~と思います。」
●カタツムリから今こそ学ぶことが多くあるようにも思うんですが、野島さんとしては彼らの生き方を見てどんなことを感じていますか?
「今話したみたいにゆっくり動いている生き物なんですけれど、すごく身近な世界を大切にして、しかも味わって生きているようなところがあるなと思います。
カタツムリって素早く動いたりジャンプしたり、飛んでいったりはできないので、本当に身の周りの世界を、それも目もあまりよくないので、触れたり匂いを感じたり、いろんな感覚を駆使しながら、身の周りの世界を感じていて、人間にとっては地面を歩く時って平面の世界ですけれど、カタツムリは葉っぱにくっついたり茎にくっついたり、人間で言えば天井にくっついたりもできるようなものなので、おそらくこの世界がもっともっと広く豊かな世界に感じているんじゃないかなって思います。
なので、今世界はどこでもつながれるし、どこでも飛んでいける世の中になっているんですけれど、近くの世界の豊かさとかをもっと感じながら生きられたらいいなっていうことを思います」
●野島さんは、カタツムリになってみたいですか?
「そうですね。なってみたいですね」
●なったら何をしたいですか?
「え~〜なんだろう・・・普段自分が住んでいる家とかいつも通う場所とかをちょっとカタツムリになって散歩してみたいです。きっと全然違う、同じ場所とは思えないと思うんですよね。きっともっともっと豊かな世界が広がっているのかもしれないなと思います」
「心にもっと、道草を。」
※野島さんは地元、福岡県糸島市を拠点に個人プロジェクト「マイマイ計画」を主宰。子供たちに自然と出会うきっかけを作るなど、自然と人をつなげる活動をされています。
●「マイマイ計画」のオフィシャルサイトに「心にもっと、道草を。」というキャッチコピーがありました。どんな思いが込められているんですか?
「なんか“道草”っていい言葉だなと思っていて、道草って日常からちょっと脱線するっていう意味もあるし、また道草っていうぐらいなので自然とも結びついていますよね。
心がちょっといっぱいいっぱいになってしまう時ってあるじゃないですか、生きていると・・・。でもそういう時にちょっと目線を変えて、それこそカタツムリを探してみたりとか、足もとにある自然に目を向けてみたりとか、そんなことを大事にできたらいいなと思って、“心にもっと、道草を。”っていうフレーズを付けています」

●では最後に、この本『カタツムリの世界の描き方』に込めた思いを教えてください。
「やっぱり今生きていると、いろんなことがあって、ちょっと生き辛さを感じたりとか、ちょっとしんどい思いをしていることって、みんなあると思うんですね。
そういう時にカタツムリから見える世界ってどんなんだろうっていうのをちょっと知ってもらえると、今自分たちが見ている世界とまた違う見え方が、もしかしたらできるんじゃないかなっていう気がしています。ちょっとほっとしたりとか・・・。
何でも効率優先とかじゃなくて、コスパやタイパばっかりじゃなくて、ちょっとひと息ついて、何か違う目線の持つ大事さだったり、自然の大切さだったり、それこそ道草をすることの良さっていうのを感じてもらえるといいなと思っています」
INFORMATION
カタツムリのことをもっと知りたいと思ったかたは、野島さんの新しい本をぜひ読んでください。カタツムリのあまり知られていない不思議な生態を、写真やイラストを交えながら、わかりやすく解説。カタツムリを幅広い視点でとらえた本です。なにより、野島さんの「カタツムリ愛」を感じる一冊、おすすめです。三才ブックスから絶賛発売中です。詳しくは出版社のサイトをご覧ください。
◎三才ブックス:https://www.sansaibooks.co.jp/item/book/9452/
野島さんが主宰されている個人プロジェクト「マイマイ計画」については、オフィシャルサイトを見てくださいね。
◎マイマイ計画:https://www.maimaikeikaku.net
2025/8/3 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、プロダクト・デザイナーで「トライポッド・デザイン」株式会社のCEO「中川 聡(さとし)」さんです。
中川さんが1987年に設立した「トライポッド・デザイン」は、デザインに科学の視点を取り入れ、ユニバーサルデザインの開発のほか、人間の感覚とセンサー・テクノロジーを結びつける研究など幅広い分野で、ひとりひとりのためのグッドデザインを追求されています。
今週は、微弱な電気を集める画期的な技術「超小集電」をクローズアップ! スタジオ内で大実験! なんとフランスパンやトマト、土や水などに電極を刺してLEDライトを光らせます。なぜ光るのか、その仕組みと、大きな可能性に迫ります。

微生物燃料電池→超小集電
※「とても小さな電気を集める」という意味の「超小集電」・・・いったいどういう経緯で研究するようになったのか、まずは、そのあたりを中川さんに解説していただきましょう。
「まず、超小集電にどういう形でこの技術に気がついたか、ちょっとだけお話をさせていただきます。
ご存知のように我が国は半導体とかセンサーとか、そういった非常に小さな電気で動く技術に長けた国っていうふうに世界的に知られていますよね。そういう中で、私はその頃、大学の研究室にいて、センサーや半導体をうまく使って、様々な例えばコミュニケーションとか、それからセンシングという、環境なんかをデータを取って調べたりする、そういう開発に関するデザインとエンジニアリングの仕事をしていました。
そういう中でいちばん問題になったのは、例えば私たちが普通の暮らしの中で、一般の電気がある中ですと、そういったことはいつも簡単にできるわけです。ところが、例えば自然界とか、都市から遠く離れたところとか、洋上とか、そういう所だとやっぱりなかなか電力が得られない。せっかくの技術が活かしきれない。では、どうしようかってなった時に、最初に目をつけたのが『微生物燃料電池』という技術だったんです。
みなさん、知っているところだと水田とか湿地帯、粘土質みたいなところで、空気が嫌いなバクテリアと、割と空気が好きなバクテリアの間で、小さな電気が発生する、そこを研究したものが微生物燃料電池というものなんですね。
そこに注目をして、土とか湿地帯とか水辺は世界中あるわけですから、自然の中でもそういう技術をうまく使って、小さな半導体やセンサーを動かそうという研究を始めたんです。
ところがその流れの中で、ある日、海の中にもバクテリアはいるだろうって話になりました。海水での微生物燃料電池を研究している過程で、実は今回ご紹介するすごく小さな電気は、実は微生物ではなくて、みなさんがよく知っている言葉で言いますと、学校で習ったイオン反応、理科の教科書なんかですと、ボルタの電池とかダニエル電池とか、いろいろ勉強されたと思うんですね。
その中でももっと小さな値で、実はいろんなところを電解質にして、電気を集められるそうだな、っていうことに気がついたんですね。
それは海水を電解質に見立て、実は微生物が発生する電気を集めようとしている過程で、いやいやもっといろんなところで、自然界や身のまわりで、様々なものをひとつの媒体として電気を集められそうだ、そういうことに気がついたんですね。
その研究を始めて、少しずついろんなものを対象にして、新たに電気を、我々は集めると言っていますけど、落ちているものを集めるような気持ちで、『集電』っていう言葉にして、気づかなかった小さな電気を集めて使いましょうというそういう研究を、今から6年ぐらい前に本格的にスタートしたということになります」
●中川さんがその可能性に気づいてから、本当にそうなのかを確かめるために様々な実験をされていますよね?
「そうですね。その当時は、そういう可能性もわかるけれども、今私たちの身のまわりは電力網によって、常に安定した電力が供給されている暮らしの中で、電流が日常的に存在する中で、わざわざ小さな電気を集めて、それを何に使うのと・・・。その当時の大学の友人たちもみんな、”考え方はわかるけれども、それが何の役に立つのか”、そういうことはよく指摘されましたね。
そういう中でいろんなものを対象に、とりあえずこの技術の範囲と言いましょうか、対象領域はどうなのかっていうのは研究してみようっていうので、実にいろんなものを電解質に見立てたり、また電極も金属だけじゃなくて、いろんなものを使って、どうやって小さな電気を集めるかってあたりを研究をし始めたっていうのが、発見をしてからの次のステップになります」
●オフィシャルサイトにある映像では、川や畑などでも実験をされていますよね。これはなぜ川や畑を選んだんでしょうか。
「最初に申し上げましたように電気が供給されてないところ・・・我々は電気が通ってない環境を『オフグリット』っていうふうに言うんですけど、一般的な電気が通っているところを、大きな電力網があって供給されているのを『マクログリット』と言います。
それに対して、みなさんご存知のようにいろんなエナジーハーベストで、例えばソーラーとか風力とか、そういうもので、さらにマクログリットを支えているわけですけど、それを『マイクログリット』と言います。
まったくそういうものと無縁の環境、自然界とか海の上、そういうところは電力網から切り離れているので、オフグリットって言うんですけど、そういう中で例えば通信をしようとか様々な環境の情報を集めようとすると、センサーを動かすとか小さなマイクを動かすためにも電力がいるわけです。
言葉を変えて言えば、その場で地産地消型で自給自足できる方法として利用できないかというので、開発の目的をそこにおいて研究を始めたんです」
スタジオ内で大実験! フランスパンにトマト!?

●きょうはその超小集電の実験を、このスタジオの中で再現をしていただけるんですよね。スタジオのテーブルにはたくさんのものが並んでいて、フランスパンだったり、電極、お水、土などがあるんですが、これからどういった実験をしていただけますか?
「電気を得るためにいろんな技術があるわけですが、みなさんがそういうのを勉強された中で、その考え方にちょっと違う角度でアプローチをして、何か気づいてもらうために・・・私は3200種類ぐらいのものを試しました。
いろいろ日常で、2種類の電極を持って、海外に旅行に行く時も常に持って(笑)、電極を刺して、どのくらい電気があるかなって、テスターと電極を常に持ち歩いていたんですよ。そういう中できょうは身近なものとして、目の前にフランスパンがありますよね?」
●はい、フランスパンがあります!
「今使っている電極は片方はカーボンのようなもので、もう片方はアルミニウムやマグネシウムなんかを合金にしたものなんです。これをフランスパンに刺してみますね。対象は食べ物ですよね」
●そうですね。フランスパンという食べ物に今電極が刺さっている・・・。
「今刺した状態で、ここに用意したのは小さな回路にLEDライトが付いています。LEDってご存知のよう小さな電力で動くものですよね。これはトーマス・エジソンの時代にはなかったもので、小さな電気で明かりがつくという、そういう意味では新しい技術ですよね。
もうひとつは、我々が微生物の燃料電池を研究する時に開発したものがあります。このライトの裏側に付いている回路なんですけど、これは専門用語でDCDCコンバーター。一般的にいうと昇圧、例えば電気を溜めて、もう少し大きな電気に変えて使えるようにするのが昇圧・・・昇圧回路で、これをつけてみるとLEDがつくわけですよね」
●そうですね。今この電極につながっている回路のLED ライトが光っています!
「実はイオン反応をベースにしていますから、パンに刺さっている負極側、金属側に接している部分からイオンが出て、金属イオンが分解しながら反対側に、つながっているところに電流を作り出すわけです。小さな電力をちょっと溜めて、回路にLEDをつなげてあげると、今点滅していますけど、LEDがつくんです」
●すごいですね! LEDライトがピカピカと、しっかりちゃんと光っていますよね。
「そうですね」
●続いて・・・ここにトマトがありますよね。
「用意しました。実際に難波さん、やってみますか?」
●やっていいですか?
「先が少し尖っている、三角形ようなふたつの金属片がここにありますけど、片方はステンレスでできていて、もう片方がアルミやマグネシウムなんかを混ぜて作った合金でできている薄いプレート・・・これを僕はいつも持ち歩いていたんですよね」
●このセットを?(笑)
「先ほどお見せしたLEDが付いている昇圧回路の、小さな2cmぐらいの回路が付いたLEDを線でつないで、目の前にあるトマトに、そのプレートを刺していただいて・・・」
●刺していいですか? いきますよ? 刺しました! あっ!?
「ちょっと待っていただくと・・・」
●すごい! LEDライトがつきました! すごい! トマトが・・・?
「電解質になって、刺されたほうの金属の薄い板、片方のステンレス側がプラスの陽極になって、反対側が負極に・・・」
●トマトもイオンを出しているんですか?
「ここでいわゆる塩基性反応が起きて、イオンによる金属の分解・・・ですから、だんだんに、負極側のマグネシウムの合金は時間が経つと電子を出しながら、一般的な言葉でいうと錆びてくような状態ですね」
●フランスパンとトマトの電気の大きさって同じくらいなんですか? どのくらいあるんですか?
「そうですね・・・こうやってちょっと見ていただくと、どのぐらいの電気が、実際に電気を使った時に出ているかっていうと、少しこっちのほうがゆっくりです」
●あ、そうですね。どちらのLEDも点滅しているんですが、フランスパンのほうが点滅が遅い感じですよね。
「そうです。トマトのほうがおそらくですが、水分とかを多く含んでいて、イオン反応がより活発に起きている・・・ということは電力的に(どうなのか)。
最初、この超小集電がいろんなものに使えるんだろうかっていう疑問のもとになったのは、ひとつはそういう持続性。もうひとつはどのぐらいの電流が出るか。どちらかというと電流が弱いので、人間の体にはそのほうがいいんですけれども、医療用には・・・。一般的な産業用とか暮らしの中の電化製品を使うためには、やっぱり電流が足りないんじゃないかって話が最初からずっとあったんですね。
それをこの5年くらいで、どういうふうにしてうまく積み上げて、電流をより大きくしながら、暮らしの中で身近なものを動かせるような電力にしようかということをずっと研究しています」

水に食塩、LEDライトが光る!
●次の実験では、お水と土にも電極が刺さっていますね。先ほどの回路も付いていて、なんとLEDライトがこれもしっかりとついていますね。
「そうですね」
●先ほどのフランスパンやトマトと比べると、すごく激しく点滅していますね。これは食べ物よりも多くの電力を発生させているということなんでしょうか?
「そうですね。それはすごくいいポイントに気づかれていて・・・実は私がこの技術を特許化する時にいちばん中心となったのは、電流が起こる、電子が飛ぶ、拡散するんですけど、電子がすごい勢いで拡散するには、ひとつの規則的な動きがあるんです。
これを規律の“律”に“速度”って書いて、電子のいわゆる「拡散律速(かくさんりっそく)」って言うんですけど、電気化学的にいうと。それをいろいろ調整することで、調整することができるだろうっていうところで、その特許を申請したんですね。
それをちょっと今からご覧に入れると・・・これは水道水ですけど、水道水に目の前に用意したのは・・・」
●白い粉・・・これは・・・?
「これは、みなさんよく知っている食塩ですね」
●食塩! 塩ですね!
「塩を、ここに入れてみますと・・・」
●今、中川さんが食塩を水の中に入れています。あっ! そうするとLEDライトがさらに激しく光りましたね!
「(点滅の)速度が変わりましたね!」
●変わりました! 先ほどよりも速く光っていますね。
「しかもちょっと明るくなっています」
●なりました!
「つまり、電流の値が変わった瞬間をご覧になったということですね」
●塩分の濃度が高くなると・・・。
「今度は、ちょっと安定したら、もうつきっぱなしになりますね」
●すごい! おそらくお水全体に塩が広がったので、もう今、LEDライトが点滅せずにずっとつき続けている状態になりましたね。
「そうですね」
(編集部注:中川さんは、身近な食べ物や自然界にあるものだけでなく、産業廃棄物といわれるものにも着目。コンクリートや竹を燃やした炭、おがくずや食品の残渣などからも電気が得られることを実証されています。
そして、地域から出る廃棄物などを活かし、たとえば、街の明かりなどに利用できるのではないかと中川さんは考えていらっしゃいます)
未利用の資源を活かす

「きょうは難波さんが意外だな! と思うもので、電気を出してみたと思っているんですが・・・」
●はい、すでに全部意外だったんですけど・・・(笑)
「小さなビーカー、本当に小さなビーカーの中に」
●黒色の? 何ですか、これは?
「石みたいなものが入っていますよね? これにちょっと付けてみますと・・・」
●黒色の石が入ったビーカーに電極が刺さっていて、そこにさきほどの回路を刺しました。すると、あっ! 電気が光っていますね!
「すごく光っていますね」
●はい! 電気が光っています。
「これは何だと思います? ちょっと音を出しますね。こういうふうに・・・」
(*ビーカーを振って音を出しました)
●石ですよね。黒い色の石?
「取り出してみます。どうぞ!」
●(黒い石を手に取り)軽いですね!
「難波さんの世代だとあまり馴染みがないかもしれませんが、僕たちの世代は生活の中でよく使っていたものなんです」
●え~〜、墨ですか?
「実はこれはみなさん名前だけよく知っている・・・石炭なんです」
●石炭・・・?
「火力を得るためのものですよね。蒸気機関車とかタービンをまわすとか、発電するのにも使うかもしれません。実は石炭を細かく粉砕しながら電解質にして電気を出しているものが、このビーカーの中のものです」
●すごい! 石炭で電気ができるんですか?
「燃やさなくても(笑)」
●え~〜、すごい!
「(続いて)これはもうひとつ、産業の中で生まれてくるもので、今度は白い粉ですね」
●白い粉・・・?
「白い粉ですね。なんなんでしょうかね。実はそれに水を加えて、もうすっかり固まっているんですけど、これにも同じように電極に回路をつなげてみます」
●今ビーカーの中にはちょっと灰色のドロッとしたような、粘土の溶けたみたいなものが入っていますね
「これは固まってしまって、実はコンクリートに近いですけど、セメントに・・・実はこの白いものは、みなさんよく知っている製鉄所から出るスラグっていう残渣(ざんさ)なんですね」
●スラグから今、LEDライトが光っていますね!
「石炭、スラグ、そして3つめ・・・きょうぜひご覧いただきたくて、もうひとつ用意したのは、やっぱりなんか黒っぽいものがありますよね?」
●黒っぽいちょっと細かな粉っぽいものが入っていますね。
「ザラザラとしているものがプラスチックのケースの中に入っていて・・・」
●そこに電極が刺さって・・・。
「これで電気がついていますね」
●あっ! またLEDつきましたね! これは何ですか?
「これは実はブレード、風力発電機の羽根です!」
●え~! 羽根の材料が電気のもとになったということですか?
「それを今、私たちが研究をして、こういうものを粉砕して電解質に変えて、電気を出すひとつの電池の原点みたいなものを作ってみたんです。だから、ありとあらゆるものが、食品の残渣から身のまわりにある産業の廃棄物と言われているものまで・・・。
僕はやっぱりすごく大事なのは、ゴミとか廃棄物とかっていう言い方ではなくて、僕の先生もそうだったんですけど、“未利用の資源として捉えなさい”と、そういうことなんだと・・・僕は若い時にそういうことをずいぶん薫陶されましたから。
すべてのものは何らかの形で一度利用したりして、地球に戻りやすい形にして、地球に返していくと・・・そういうふうなことを真剣に考える必要がある時代に入っているんじゃないかなと思います」
実験棟「KU-AN(空庵)」「RU-AN(流庵)」
※現在「超小集電」の実用化に向けて、どんなことに取り組んでいるのか、教えていただけますか。
「私たちとしては大きく3つのテーマを持って、この電力ならではの使い方っていうか、今までの電力に対する概念をちょっと置いておいて、この電気でできることを考えようと、この数年研究をしてきました。
ひとつは例えば、明かりが消えない街づくりみたいな、災害時でも何かあった時にでも、街の明かりやサインが消えないような、ひとつのデザインによる製品開発。そういう意味では照明や環境を照らす様々な明かりの開発という軸を考えています。
もうひとつは最初からお話しているようにセンサーとして、あとはコミュニケーション、通信用の電力網がないような所でも、通信や例えばインターネットへのアクセスができるような社会にできればいいんじゃないかっていうことです。
世の中にはまだ20億人ぐらいの人たちが日常生活的な電力が得られない暮らしをしています。それから40億人を超える人たちは、実はインターネットの世界と言われていますけれども、その情報化社会の中で“アンコネクティッド”、いわゆるアクセスできないでいる人たちがいるわけですね。そういう人たちのために何らかの、小さな分散型でもいいから、そういうネットワークをつないだり、また明かりを供給できるといいんじゃないかと・・・。
そのためにはやっぱり暮らしの中で、右から左へやってくる電気を使うのではなくて、超小集電は最初からそうなんですけど、小さな電力ですから溜めて使うっていう、ひとつめは明かり、ふたつめはやっぱりセンサーのようなものとかコミュニケーションとしてのデバイスを動かすための、システムを動かすための電力として使う。
3つめは、いざとなった時のために災害時もそうですけど、または暮らしの中での電力ってものを、もっとある意味、産業としてエネルギーとして削減をして、セーブをして使えるために溜めて使うという、そうすると考え方も変わってくると思うんですね。
朝起きて外が晴れていても、なんとなく僕たちもライトつけてしまったりしますけれども、そういう意識が少し変わってくれば、それが世界全体に広がっていくと、電力に対する問題は新しい局面を開くことができるんじゃないかなとは思うんですよね」
(編集部注:「トライポット・デザイン」では茨城県常陸太田市に実験棟「KU-AN(空庵)」を建設。木の骨組みにガラスをはめこんだ、大きな温室のような建物で、その中に木箱に食品堆肥や土を詰めた超小集電用の電池のようなものを1500個、設置したところ、2Wくらいの電気を出し続け、それを溜めて、およそ3年間、毎日一定の時間、LED照明800個の灯りをともし、持続性を検証)

※そこから、こんなことがわかったそうです。
「超小集電の場合は電極となっているものが錆びていく、地球に返っていく中で出る小さな電気を集めていますから、非常に電力が落ちてくるのが緩やかなんですね。
ということは、どういうことがわかってきたかっていうと、電力の総力っていうか総量っていうか、総電力量としてはあまり大きな電力を出さなくても、ずっと長く出続ける、そういうふうな性質を持った、特性を持った電気であるってことがわかってきました。
ですから、大体1年間で2.5%ぐらいだけしか電力量が下がらない。これだときちんと溜めていけば、将来電力網がないところでも普通の暮らしぐらいできるような電気になるんじゃないかと。そういう方向が見えてきたので、今年になってふたつめの今度はそれを実際に実装できるような、もうちょっと大きい建物を建てたんですね」
●そうなんですね!
「今度は今年の後半を使って大体12V、12Vっていうのは車の電力ぐらい・・・人間が触ってもあまり痺れない程度なんです。それはUSBで使えるような電力なんですけど、それで100Wっていう、100Wっていうのは相当大きい電力で、最初に建てた建物が2Wぐらいでしたから、50倍ぐらいの容量を出せるような社会実証のための実験棟『RU-AN(流庵)』っていうのを建てて、そういう実験を始めたっていうところですね」
超小集電は「みんなの電気」
※「超小集電」の今後の課題としては、どんなことが挙げられますか?
「やっぱりいちばん大きな課題は、充電ではないかと思うんです。今素晴らしい、リン酸鉄なんかを使ったものとか、リチウム電池は充電器もいっぱいあるんですけれども、ご存知のように最近では火災が起きたり、熱に弱いとか・・・すべての技術は良い面と欠点、それは超小集電でもあると思うんですね。電流が弱いとか、そういうところあるんですけれども、とにかくいかに安全に充電するかっていうのが、我々としては技術課題だと思っています。
あとは様々な地域に行った時に、きちんとプログラムができていて、地元の人たちが電池を作り出せる、そういうふうな技術として、もう少し研究を体系化して整理して技術情報として、いろんな地域の人に渡せるようにするのもひとつ大きな課題かもしれませんね」
●「超小集電」が実用化されていけば、世界は劇的に変わっていくと思ったんですけれども・・・。
「僕、よく言うんですけど、アイザック・ニュートンが生まれる前から、実はリンゴは落ちていたと・・・多分僕がたまたま気づきましたし、うちのスタッフがいろいろ研究し、技術を開発してきましたけれども、大切なことは、この電気はやっぱり“みんなの電気”だってことだと思うんですね。
もともと地球のメカニズム、私たちが生きていることに非常に近い、“電気”と“自然”と“私たち”を近づける、ひとつの気づきを教えてくれたものじゃないかなと思っています。
より大きな電力、より巨大なマーケットに対して大量生産をして、発達していった工業社会とか、より早く情報を伝える、スピードや大きさを競ってきた中で、そうじゃなくて、適切な小さな電力でも豊かに暮らせるかもしれないとか・・・。
そういった近代から現代の工業中心社会に対して、もう少し再生循環型で、自然からもらってきたものとか、我々がもともと持っている生命としての力みたいなもの、その辺をもう少し見直す機会になればいいと思いますね。
やっぱり子供たちの世代になった時に、こういう電気があることで、“あっ! こういうふうにして電気も利用するし、取り出すこともできるんだ”っていうことに気づける環境があることが、僕はとても大事なんかじゃないかなと思います。
これが何か社会に役立ったり、災害の時に明かりの手がかりになったりすることは、もちろん期待はしているんですけど、それ以上に“気づき”ですかね。
普段、水とか電気とか何も考えないで、当然あるだろうと思っていたことに対して、違った視点を与えて、違った答えの出し方もあるんだっていう可能性に気づかせる存在として、社会の一部に技術として残っていてくれればいいなと思っています」
INFORMATION
茨城県常陸太田市に建てた実験棟「KU-AN(空庵)」と「RU-AN(流庵)」、どんな建物なのか、オフィシャルサイトに写真が載っていますので、ぜひ見てください。
この実験棟は、定期的に一般公開して、ワークショップなどを開催しているそうです。ワークショップや「超小集電」について、詳しくは「トライポッド・デザイン」のオフィシャルサイトをご覧ください。
◎トライポッド・デザイン:https://tripoddesign.com
2025/7/27 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、自然写真家の「大竹英洋(おおたけ・ひでひろ)」さんです。
大竹さんは1975年、京都府生まれ。一橋大学卒業。在学中はワンダーフォーゲル部に所属。1999年から北米の湖水地方「ノースウッズ」をメイン・フィールドに野生動物、大自然、人々の暮らしなどを撮影。人間と自然とのつながりをテーマに作品を制作されている気鋭の写真家。
美しくも厳しい環境に生きる野生動物や大自然の姿を20年かけて写真に収め、その集大成とも言える写真集『THE NORTH WOODS(ノースウッズ)生命(せいめい)を与える大地』を2020年に出版。翌年には、権威のある写真賞「土門拳(どもん・けん)賞」を受賞されています。

きょうは、そんな大竹さんを5年ぶりに番組にお迎えし、改めてなぜ「ノースウッズ」で撮影するに至ったのか、また、現在開催中の写真展に出展したカナダのハドソン湾で撮影したホッキョクグマのお話などうかがいます。
☆写真協力:大竹英洋

北米大陸「ノースウッズ」〜森と湖、野生動物
※2020年11月に写真集『THE NORTH WOODS 生命を与える大地」を出されました。改めてなんですが、写真集のタイトルにある「ノースウッズ」、これは地名なんですよね?
「場所の名前ではあるんですけれど、地図を開いて、ここがノースウッズですっていう地名ではなくて、なんとなく北の森という意味しかないんですね。なので、日本でノースウッズと言えば、北海道なのか東北なのか、なんとなく北の森・・・でも僕のフィールドは北米なんです。北アメリカ大陸の北のほうの森という意味ですね」
●このノースウッズ、どんなところなんですか?
「ノースウッズは原生林が広がっていて、300万キロ平方メートルといって、日本が8つくらい入る大きさなんです。シベリアの大河や南米のアマゾンに次ぐくらいの広さの、手付かずの原生林が残っている、そういう場所ですね。
開発されていない原生林、そこに人々はずっと暮らしてきたんですけれど、今も広い森と湖がたくさんあるところですね」
●いったいどんな野生動物が生息しているんでしょうか?
「ここは北国の世界なんですけれど、結構大型の動物も暮らしていて、世界最大のシカってご存知ですか。馬よりも一回りくらい大きいシカがいて、ヘラジカって言うんですけれど、現地の言葉でムース、それが暮らしていたり・・・。

実はヒグマはいないんです。ヒグマはロッキーのほうとか、北極圏のほうに暮らしています。ここには日本のツキノワグマによく似たアメリカクロクマが棲んでいたり・・・あとは野生のオオカミが今も暮らしていますね。
水辺が多いのでビーバーや水鳥が暮らしていたり、小動物で言えばリスとかも・・・野生動物がたくさん暮らしている場所です」
●そのノースウッズ、気候的にはどうなんでしょうか?
「北緯45度から60度といって、かなり北なんですよ。北海道よりもずっと北の地域なので冬は非常に寒いですね」
●何度くらい・・・?
「マイナス20度はもう当たり前、僕が経験したのではマイナス42度ですね」

●ええっ!?
「1年の半分が冬で、そこでなんとかみんな工夫して、人間もそうですし、野生動物たちも暮らしている、そういう場所です」
●そんなに寒くても暮らせるんですね。でも人が住むにはやっぱり厳しい場所ではありますよね?
「そうなんですよ。方法を知らなければ、都会育ちの僕がポーンと放り出されたら、本当に数時間も生きていけないような場所なんですね。
でも人跡未踏の場所ではなくて、最後の氷河期というのが1万年前に終わったんですけど、そのすぐあと、8千年前とか9千年前から人々の暮らしていた遺跡が・・・遺跡と言っても大きな建物ではなくて、焚き火の跡とかだと思うんですが・・・そこで狩猟採集の暮らしをして、人々が脈々とここで生きていた、大型の野生動物の狩りをしながら暮らしてきた、魚を獲りながら、って感じですね。
歴史的に見ると狩猟採集の時代は非常に長くて、彼らは季節ごとに獲物を追ってキャンプ地を変えていたと思うんです。
このノースウッズっていう場所は、実は地質が先カンブリア時代と言って、すごく古い地層なんですね、岩盤なんですけど・・・。そこにたくさんの鉱物が埋まっているので、ダイアモンドとか金とか鉄とか、そういうものを掘るための鉱山の町が最近だとできていたり・・・あとは木材資源も豊かなので製紙工場であるとか、そういうものを生業にしている町もあるんです。
でも、僻地の村に行くと今でも魚を獲ったり、秋になればヘラジカの狩りに出かけたり・・・。あとは観光資源、カナディアン・カヌーが生まれたところなので、湖がたくさんあって、それで漕いで行ったりとか・・・秋のハンティングのガイドをする人とか、釣りのガイドをする人とか、そういうことが生業になっていますね」

(編集部注:大竹さんが初めてノースウッズに行ったのは1999年、大学を卒業してすぐだったそうです。それから25年通っているというノーズウッズ・・・地理的に真ん中にあるのは、カナダ・マニトバ州のウィニペグという都市。
日本から直行便はないので、例えば、7〜8時間かけて西海岸まで行き国内線に乗り換えて3時間ほどでウィニペグに到着。そこから車で5時間かけて近くの町に着き、また2時間、林道を走って、やっと目的地の森に到着。ざっと計算すると、日本を経って17〜18時間後に、湖にカヌーで漕ぎ出すことができるそうです)
恩師ジム・ブランデンバーグ、奇跡の出会い
※大竹さんがノースウッズに通うようになったのは、憧れの自然写真家のかたとの出会いがあったからなんですよね。どんなかたなのか、教えていただけますか?
「写真家になりたいと思って、何を最初のテーマにしようって悩んでいて、まだ大学生だったんですけど、そんな時にふと、夢でオオカミを見て・・・で、オオカミのことについて、もっと調べようと思って図書館に行ったら、オオカミの写真集と出会ったんですね。
『ブラザー・ウルフ』というオオカミの写真集なんですけど、それを撮った写真家がジム・ブランデンバーグ、ナショナル・ジオグラフィックという雑誌で、世界的に活躍されている写真家だったんですね」
●その人に会いに行ったんですか?
「そうなんです。その写真集にすごく衝撃を受けて、またそれ以外の作品を見ても、足もとの自然から雄大な景色まで、動物も今にも飛び出してきそうな迫力ある写真を撮っていて、なんて感性の豊かな人なんだろうなと思ったんですね。
当時、写真家になりたいと思っていた僕が、誰か尊敬できる写真家に弟子入りをして、いろいろ教えてもらいたいなと思ったので、あろうことか、英語も喋れないですし、どこに住んでいるかもわからなかったんですけど、彼の弟子になりたいなと思って手紙を書いたんです。でも返事が来ず、もう大学卒業したんで、チケットを買って行っちゃいました」
●ええっ! すごい!
「彼がいるであろう場所を目指して・・・」
●で、会えたんですか?
「それがそうなんです。いろんなことがあった長い旅だったんですけど、簡単に言ってしまうと本当に奇跡的に彼に会えて・・・でも弟子にはなれなかったんですね。彼自身がアシスタントを雇っていなくて・・・でも”いい写真を撮るには時間がかかるから、すぐに君も撮り始めなさい”と言われて、彼の空き小屋を貸してくれて・・・。
帰りの日を動かせないチケットで行っていたから、3ヶ月間アメリカにいなきゃいけなかったんですね。すぐ撮り始めなさいと言われて、そこから撮り始めて、それから何年かおきに彼に会って、近況なんかの情報交換もして、今に至るっていう感じですね」
●そうすると、ジム・ブランデンバーグさんとの出会いがなければ、今の大竹さんはいなかったと言っても過言ではありませんよね。
「そうですね。彼と出会わなくても、写真家になるために努力はしていたと思うんですけど、今のような形で、ずっと作品を撮り続けられているかはわからないなと思います。
やっぱり彼がすごく励まして、これまでもずっと会うたびに僕がやっていることをすごく応援してくれたので、彼の励ましがすごく大きな助けになって続けてこられたっていう感じですね」
●いろんな思い出があると思うんですけれども、特にジム・ブランデンバーグさんとの思い出で強く印象に残っていることってありますか?
「直接何か技術的なことを教えてもらったりとか、自然について知識を授けてもらったっていうことはないんですけど、2ヶ月半くらい一緒に暮らしている中で、彼の暮らしぶりであるとか、写真に対する熱意みたいなものを感じる瞬間が節々にありましたね。
もうひとつ大きかったのは、彼が素晴らしい写真を撮った場所があるんです。湖の上で撮っていて、島があって、その横に水鳥がいて、ちょうど羽ばたく瞬間を捉えて、朝焼けの中の本当に美しい写真なんですね。
その同じ場所を僕はカヌーで通っているんですね。でもその場所がそんな写真になるとは、僕は想像すらできなかった・・・でもジムの手にかかると、こんな作品になるんだって・・・やっぱりその場所の持っている潜在的な力みたいなものを、写真家って引き出せるんだなっていうのを間近に感じられた瞬間は、これが身につけなきゃいけない力なのかっていうのを実感しました」
●なるほど・・・。大竹さんは写真を撮る前に地元のかたたちから、いろんな情報を集めるんですよね?
「そうなんですよ。自然の写真っていうと、やっぱり自然について知識が必要、もちろんそれもそうなんですね。動物の生態も知らないと動物に会えないし、自然のことを知っておいたほうがいいんですけど、でも実はそれ以前にすごく大事になるのは人とのネットワークなんですよ。
僕自身はひとりしかいませんし、しかも通いで遠いところをフィールドにしてしまっているので、その地元に住んでいる本当に知識のあるかたとか、経験のあるかたとか、学者のかた、動物に関して言えば、その種類を研究しているかたとか、そういうかたたちから、いかに情報を得るかっていうのが、自分だけの力ではないものを手に入れるためにとても大事になっていきます」
(編集部注:残念ながら大竹さんの恩師ともいえるジム・ブランデンバーグさんは今年4月に79歳で逝去されています。ご冥福をお祈りいたします)
ホッキョクグマ、魚を獲る!?
※現在、六本木にある東京ミッドタウンの「フジフィルム スクエア」で気鋭の自然写真家9名による企画写真展「希望(HOPE)〜みんなで考える動物の未来〜」が開催されています。この写真展に大竹さんも出展されています。どんな写真を展示されているんですか?
「僕はカナダのホッキョクグマをテーマに10点ほど展示しています」

●以前からホッキョクグマは撮っていたんですか?
「そうなんですよ。僕は、ホッキョクグマはもっともっと北の北極圏に棲んでいるものだと思っていたんですけど、ある時、2012年の終わりぐらいですかね・・・ホッキョクグマがノースウッズの北の果てにはいるんだと・・・。
ホッキョクグマの中でも、いちばん南に暮らしているグループなんですけど、ハドソン湾という内陸の海のそばで暮らしているホッキョクグマのグループがいるっていうことがわかってから通い始めました。
だいたい秋、10月から11月・・・ハドソン湾が凍るのが11月の半ばなんですが、その凍った氷を利用してアザラシの狩りをするので、(ホッキョクグマは)海が凍るのを待っているんですよ。集まってくるんですね。それで秋の様子を撮ったり・・・。
あとは春、と言っても、まだ雪や氷に閉ざされている中なんですが、生後3ヶ月を迎えた、雪の下の巣穴で生まれた子グマたちが地上に出てくる瞬間が、2月から3月の間に見られるんです。それを見に行ったりとかして撮影を続けてきました」
●赤ちゃんグマって可愛いですよね。
「ものすごく可愛いですね。本当に可愛いです!」
●そうですよね~(笑)
「背中にチャックがあるんじゃないかというぐらい・・・兄弟グマでお相撲を取ったりするんですけど、本当に人間の子供たちがじゃれ合っているような、そういう面白さがありますね。かけっこしたりとか、かくれんぼをしているような感じの時もありました」
●ええ~っ! 可愛い! でも驚いたんですけど、ホッキョクグマってアザラシを食べるんですね?
「そうなんです。主食はアザラシっていうのは、冬が非常に厳しいので、それを生き抜くためには脂肪をたくさん蓄えなくちゃいけないんですね。
アザラシは非常に脂肪が多くて、それが冬の間にどれだけ食べられるかで、ホッキョクグマは体の脂肪をどれだけ蓄えられるかに関わってきて、ゆくゆくは子供をどれだけ育てられるかってことにも関わってくるので、基本的に主食はアザラシですね」
●そうなんですね。大竹さんは去年、ホッキョクグマの珍しい行動を目撃したそうですね。どういった行動だったんですか?
「実はこれはノースウッズではなくて、同じカナダでもまだ行ったことのない東の北の果て、ケベック州ラブラドル半島の北の果てという場所です。
噂でどうもそこで魚を捕まえるホッキョクグマの姿が見られるらしいと・・・サケではなくて、ホッキョクイワナ、“アークティックチャー”という魚なんですけれど、この魚を獲る(ホッキョクグマがいると・・・)、北海道でヒグマがサケを獲るっていうのは・・・」
●イメージがつきますよね。
「イメージはあるんですけど、ホッキョクグマが魚を捕まえるって聞いたことがなかったので、それを10年以上前に、ある動画が撮影されたりとか、噂で聞いていたんです。本当にそれを見られるのかなと思って、去年の夏、その場所に行ったんですね」
●どうでした?
「実際に捕まえる瞬間っていうのはなかなか難しくて、条件が揃わないと・・・水量なんですね。魚たちは産卵のために海から戻ってくるんですけれど、戻ってくる時の川の水量によって、水量が豊富だとすぐに(川を)のぼっちゃいますし、水が全然ないと、のぼれないので海で待つことになるし・・・。
でも、ちょうどいい時だとホッキョクグマたちにとってみれば、そこら中の水たまりに魚がいっぱいいる状態になるので、それを食べるらしいんですね。だからその条件が揃っていれば、多分すごく簡単に見られるんですけど、毎年毎年そうなるわけじゃなくて、去年はちょっと厳しかったんですね」
●そうだったんですね〜。
「でも一生懸命(魚を)追いかけている姿は見られました」
(編集部注:大竹さんは、ホッキョクグマから厳しい環境で生き、そして子供を産み育てる「生命の強さ」を感じるそうです。
そんなホッキョクグマ、大竹さんによると、この20〜30年でハドソン湾が凍る時期が遅くなり、また溶けるのが早くなったため、アザラシの狩りができる期間が30日間ほど短くなり、十分に食べることができず、ホッキョクグマの体重が1割ほど減っているといわれているそうです)
赤ちゃん向けの写真絵本
※大竹さんは先頃『もりのどうぶつ』という写真絵本を出されました。可愛いリスが木の実をかじっている表紙の写真だけで虜になっちゃいますが、どんな内容の絵本なんですか?

「この写真絵本は、赤ちゃん向けの絵本です。0歳から1歳、2歳の赤ちゃんに向けて作った本なので、人間の赤ちゃんが森に棲んでいる動物たちと、“こんにちは!”と出会う本になるといいなと思っています」
●絵本にはシカやライチョウ、ミミズクなどの写真が載っていますよね。どこで撮った写真なんですか?
「僕が最初にノースウッズに通った頃は、ミネソタ州でアメリカ側だったので、そこで撮った写真もあり、カナダ側で撮った写真もありますね」
●写真を選ぶのって難しそうだなって思うんですけど、今回の赤ちゃんの写真絵本のために、撮りためた写真の中から何をポイントに選んだんですか?
「そうなんです。赤ちゃんに向けての本なので、写真家としてはなんとなく動物がポツンと風景の中にいるとか、風に吹かれているような感じの写真が好きなんですけど・・・赤ちゃんは生まれたばかりで、まだ何の経験も知識もない中で、何を感じられるかっていうと、やっぱり手を伸ばして、つかめるぐらいの存在感が大事じゃないかっていうことを編集のかたとも話をして、周りがボケて動物にアップで迫っているような写真をなるべく選びました。
写真なので絵とはまた違うリアルなところがあると思うんですね。毛の質感なんかもそうだし、そういう写真ならではの臨場感を持って、動物と出会って欲しいなと思っています」
●この写真絵本を見てくれる赤ちゃんたちが、どんなことを感じてくれたら嬉しいなと思いますか?
「この絵本の最後に子ジカが出てくるんですけど、この子ジカは森の中で、実は踏みそうになって出会ったんですね」
●え~~っ!
「(子ジカは)地面にじ~っと横たわって気配を消していたんです。誰に教わったわけでもなく、生き延びようとする姿なんですけど、この子ジカと僕は見つめ合ったんですね。至近距離で踏みそうになるところで出会ったので・・・(子ジカを)見ると吸い込まれそうな瞳で、この瞳とじ~っと見つめ合うと本当に吸い込まれそうで・・・ただ全然おびえる様子がないんですよね。
人間を見て怖いとか、いったい目の前にいるのが何なのかがまだわかっていないと思うんです。ポカ〜ンとこっちをじっと見られた時の目をすごく覚えていて、人間を見ても怖がらないんだ、なんて無垢な目なんだろうと思って・・・。
この赤ちゃんの絵本を作るっていう時に、知り合いの赤ちゃんを抱っこして、別の赤ちゃん絵本の読み聞かせをしたんですけど、その時に覗き込んだ(赤ちゃんの)目が同じ目をしていたんです。
本当に真新しい、できたての、これからどんな世界を見ていくのかな~みたいなそういう瞳がそこにあって、その瞳に何を見せてあげられるのかっていうのが、これまで生きてきた僕たちの役目だと思うんですね。
とりあえずこの本で、地球には人間だけじゃなくて、いろんな動物たちが仲間として暮らしているので、そんな動物たちと出会って、“こんにちは”という、そういうメッセージを込めて作った本です」
ノースウッズ、ずっと終わらない場所
※今後もノーズウッズには通いますか?
「はい、ノースウッズには自分のフィールドがあって、ライフワークとして通っているところなので・・・もともと野生のオオカミを見たいと思って行ったんですけれども、その野生のオオカミを内面まで映し出すようなポートレートは、まだ撮れていないんですね。近づくのがなかなか難しくて、少しずつ近づいてはいるんですけど・・・。

まだ、それも終わってないですし、そこに暮らしている人々の生活もまだ撮りたいので、ノースウッズは別に終わったわけでもなく、多分ずっと終わらない場所。ただ25年ここでやって来た自分の経験や知識を活かして、去年の夏、ホッキョクグマの新しい生態を見に行ったように、また違うフィールドにも出かけていきたいなという思いはあります」
●具体的にどこに行きたいとかは決まっていますか?
「それはその時の情報次第ですね。例えばホッキョクグマの珍しい生態があるって聞いたら、それはちょっと見てみたいなと思えば行きますし、今時代がどんどん変わってきていて、新しい物が見られるっていう情報が入るかもしれないので、それに合わせて、いつも予定を開けておかなきゃな~と思っています」
●その場で出会った人や情報から生まれる行き先みたいな感じなんですね。
「そうですね。やっぱり現場を大切にしたいから、写真家っていう仕事を選んだっていうのもあるんですね。自分の目で見たい、現実に何が起きているのか、先入観じゃなくて、自分の目で見て、自分の足で歩きたいと思っています。
その時の生の情報、ネット上にあがっているものじゃなくて、本当の世界がどうなっているのかを見たいっていうのは、多分これからも大事なことなんじゃないかなと思っています」
●では最後に、自然写真家として、これからも写真を通して、どんなことを伝えていきたいとお考えでしょうか?
「写真家は本当に現場を見るっていうことなので・・・この時代、様々な野生動物たちも自然環境もいろんな危機に瀕していますけれど、実際に今何が起きているのかを見つめて、それを写真という表現で、みんなに見てもらって、本当にこのままでいいのか? みたいなことを、みんなで考えるきっかけになるような、そういう媒体になっているといいなと思っています」
☆この他の大竹英洋さんのトークもご覧下さい。
INFORMATION
現在、六本木・東京ミッドタウンのフジフィルム スクエアで開催中の企画写真展「希望(HOPE)〜みんなで考える動物の未来〜」にぜひお出かけください。若手の写真家、篠田岬輝さんが発起人となって実現した気鋭の自然写真家9名によるグループ展です。
大竹さんのホッキョクグマのほか、以前この番組に出演してくださった柏倉陽介さんのオランウータンに加え、ジャイアントパンダ、ベンガルタイガー、エンペラーペンギンなどの素晴らしい写真が展示されています。開催は8月14日まで。
なお、8月9日(土)午後2時から写真家9名によるトークセッション。また、8月11日(月・祝)の同じく午後2時から専門家を迎えて、自然環境トークディスカッションも開催されます。詳しくは、フジフィルム スクエアのサイトをご覧ください。
◎フジフィルム スクエア:https://fujifilmsquare.jp/exhibition/250725_01.html
あかちゃんのための写真絵本『もりのどうぶつ』もぜひチェックしてください。福音館書店から絶賛発売中です。
◎福音館書店:https://www.fukuinkan.co.jp/book?id=7799
大竹さんのオフィシャルサイトもぜひ見てくださいね。
◎http://www.hidehiro-otake.net