2022/12/25 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンは、シリーズ「SDGs〜私たちの未来」の第10弾!「SDGs=持続可能な開発目標」の中から「エネルギーをみんなに そしてクリーンに」「住み続けられる まちづくりを」そして「気候変動に具体的な対策を」、ということで神奈川県相模原市藤野地区の「藤野電力」の活動をクローズアップ!
プロジェクト・リーダー鈴木俊太郎さんにミニ太陽光発電システムを作る防災ワークショップや、自給自足的な暮らしについてうかがいます。
☆写真協力:鈴木俊太郎(藤野電力)

始まりは、東日本大震災
※藤野電力というと、電力会社なのかと思ってしまうかも知れませんが、企業でもNPOでもない、地域住民が行なっている市民活動です。そのリーダーの鈴木さんは藤野から東京に通うサラリーマンだったそうですが、暗いうちに家を出て、暗くなってから家に帰る生活に疑問を感じ、独立。現在は整体師を本業に、藤野電力の活動にも取り組んでいらっしゃいます。
●藤野電力はいつ頃、どんなきっかけで始まったんですか?
「2011年の東日本大震災ですね。その時の停電から始まった活動なんですけれども、ちょうどその時、私は相模原市内のほうに仕事に出ていまして、そこで地震があって、(近隣は)大停電で翌朝までずっと停電していたんですね。
ちょうど夕方、日が落ちてきた頃、信号も住宅や店舗も電気は消えているし、街灯も消えていて、本当に真っ暗闇の中を家まで帰ってきた時に、多分うちだけはなんとかなっているかなって、ちょっと思っていました。
それは今、藤野電力のワークショップでやっているような、小規模の自家発電の仕組みがあったから、おそらくその灯りがついているだろうと思いながら帰ってきたんですよ。
で、実際にうちだけ、灯りが灯っていたっていうのを見て、やっぱりこれはすごく大事なことだろうなと思って、仲間内に声をかけたんですよ。うちはいつもと変わらない暮らしができましたよっていうようなことをね」
●ご近所の方々は、みんな停電になっている中で、鈴木さんのお宅だけ、灯りがついていたんですよね?
「そうなんですよ」
●まわりのみなさんは、なんでなんで!? ってなりそうですよね。
「そうですよね。翌日聞いたら、みんな寝るしかなかったから、寝ていたらしいです」
●まわりの方にこういうことやっているんだよとか、電気を自分で作っているんだよっていうのを、どんどんお伝えしていったっていう感じなんですか?
「そうですね。グループ活動がいくつかあって、その仲間にまずは声をかけて、そしたらぜひその仕組みを教えてほしいとか、勉強会を開いてほしいっていうようなことがあがってきたので、じゃあやってみようかっていうことで始めたんです。
それはその時の単発ですけど、その中から改めて『藤野電力』っていう活動をやりたいですっていう声が地域からあがってきたんですね。最初、関わったこともあるので、私もちょっと参加してみようかなっていうことで始まりました。私が主として始めたわけではなくて、みんなの中にちょっとわかっている人が入ったっていうような、それがきっかけですね」

●活動のモデルというか、何か参考にしている活動はあるんですか?
「トランジション活動っていうのはその前からあります。トランジション活動自体はイギリスの市民活動として始まったんですけど、簡単にいうといろんなものに、例えば石油に頼る暮らしじゃなくて、自分たちで何かを編み出すような、そういうちょっと前の日本みたいな暮らしにしていこうっていうような提案で始まったんですね。たまたまそれをイギリス留学中に勉強していた人が藤野に越してきまして、ぜひ日本でもやってみたいっていう声があがったんですよね。
それが最初にトランジション活動として始まって、藤野電力はそのトランジション活動の中のエネルギーを考えてみようっていうグループなので、藤野電力っていうようなスタンスの見本は何もないんですけれども、ベースになっているのはトランジション活動っていうことですね」
(編集部注:鈴木さんによれば、藤野地区は昔から芸術家など外部の人を積極的に受け入れてきた地域で、現在もミュージシャンや俳優、カメラマンやライターなど、自立した方々が住んでいて、住民同士のつながりが密なエリアだそうですよ。藤野電力のほかにもグループ活動があるということですから、もともと市民活動が生まれやすい土壌だったと言えるかも知れませんね)
幼稚園児の頃から憧れていた!?
※藤野電力の具体的な活動についてお聞きする前に、鈴木さんご自身のことをうかがっていきたいと思います。鈴木さんはご自宅のログハウスをご自分で建てたと、ネットの記事で見たんですけど、そうなんですか?
「そうなんですよ。全部じゃなくて大工さんも入っているし、友達もいっぱい来て、みんなで作ったって感じなんですけど・・・」

●必要なものは自分で作っちゃう自給自足的な志向っていうことですか?
「そうですね」
●ご自身で作るのがお好き?
「好きですね」
●昔からですか? 何かきっかけがあったとか・・・。
「物作りが好きっていうのは子供の頃からだったので、純粋にそういうものに興味がありましたね。例えば時計があったら分解して、どういう仕組みになっているのかとか、中学生ぐらいだと自転車に乗っているので、自転車を改造したりとか、そういうことはずっと子供の頃からやっていたんですけれども、いわゆる自給自足的な暮らし、今みたいな暮らしにシフトしたいと思ったのは、実は幼稚園ぐらいの頃からですね(笑)。
両親が山に登っていたこともあって、山小屋に泊まることがあったんですよね。そうすると木でできた建物で、薄暗い感じで、薪ストーブが炊かれていてっていうのを小さい頃から体験していたので、すごくそういう空間が自分に合っているなって小っちゃいながらに思っていましたね。
決定打になったのは小学生ですね・・・9歳だったかな。その時に『アドベンチャー・ファミリー』っていう映画が放映されまして、カナディアンロッキーで暮らすファミリーの物語なんですけど、それを見て、そういう暮らしを絶対実現しようと・・・変わらず今もやってますけどね」
●鈴木さんのお宅は、生活に必要なエネルギーは全部ご自身でまかなっているですか? どんなお家なんですか?
「20年以上前に家を建てたので、当時はこういう自家発電、今はオフグリッドっていう言葉で一般的に言われていますけど、自家発電、オフグリッドっていうような考え方はもちろんなかったし、そういう機材も一般的には出回ってなかったので、普通に電力会社の電気を入れてましたね。
藤野電力が始まったきっかけで、自分の家もそういうふうにシフトしていこうっていうことで、部分的にちょっとずつちょっとずつ増やしていって、今現在はメインで使うところは、ほぼ自家発電でまかなっていて、特に夏は大丈夫ですね。冬はどうしても山の中に暮らしているので、日が当たらないからちょっと厳しいんですけど・・・」
●寒いですよね?
「(寒い)ですけど、暖房に関しては薪ストーブで済んじゃうし、あと冷蔵庫や洗濯機、照明とか最低限のところは、冬でもなんとかまかなえますので、ある意味使う電気は自家発電でまかなえていますね。
暖房は薪ストーブがあるし、料理は田舎なんでプロパンガスですけど、冬に関しては薪ストーブがあるから、なるべく薪ストーブで料理したり、お湯を沸かしたりってことをしています。あと水に関しては、よく羨ましいって言われるんですけど、井戸水なんですよ。だから水も自分の土地から吸い上げていて、水道代はかからないです」
●え〜! じゃあ電気とかガスとか契約してないっていうことですか?
「ガスだけはプロパンなんで契約していますけど、電気に関しては本当に最低限の契約だけして、足りない時だけ手動で切り替える仕組みを作っているので、そういうふうに切り替えてやったりとか・・・」
(編集部注:鈴木さんが藤野地区に引っ越してきたのは20年以上前で、自然暮らしをしたくて、土地を探してみたものの、田舎暮らしブームの前だったこともあり、なかなか思うような土地が見つからなかったそうです。そんな中、たまたま見つけたのが今住んでいる場所、つまり藤野地区に転居してきたのは偶然だったそうですよ)

ミニ太陽光発電システムを作る
※現在、藤野電力で行なっている主な活動について教えてください。
「まずはワークショップですね。これが毎月1回、藤野に事務所があるんですけど、そちらのほうで開催しています。それ以外も出張で依頼があれば、全国どこでもうかがってワークショップをしているんですね。
ワークショップ自体は基本的な機材を組んで、発電の仕組みを作るっていうことと、電気に関するいろんなお話はさせていただくんですけど、なかなかそれだけだとその先進めない方も多いので、ちゃんとそれを使えるように家に設置してあげようっていうのも同時進行で始まったんです。
これも実はちょっと逸話がありまして・・・うち(森氣庵)にずっと通っていた患者さんが、311の震災の時に計画停電がありましたけど、その時にも実は予約が入っていたんです。普通ならみんな来ないだろうと思っていたんですけど、いらっしゃったんですよ。
その人は鈴木さん家だったら、絶対何があっても普通にやっているよっていうふうに家族に言って出てきたっていうことでした。その時にまわりは停電しているけど、(うちだけ)オフグリッドの電気で部屋が明るかったり、薪ストーブがあったりっていうのを見て、家を建てる時にはこういう暮らしがしたいって言っていたんですよ。その1年後ぐらいに実際、家を建てる時に設計士さんに言ったことが『鈴木さん家みたいな暮らしぶりがしたいので』って(笑)。
その方が実は、藤野電力のオフグリッドの仕組みを家に設置してほしいって、最初に言ってくださった方なんです。それまで小さな仕組みをみなさんに伝えるっていうのはやっていましたけど、家に付けるとなるとちょっと違ってくるんで、じゃあうちで実験してみようとか、そういったことが始まって、そのきっかけから今現在も住宅施工と言ってますけど、そこに設置するっていうのもずっとやっています。 そのふたつがいちばん大きいですね」
●太陽光発電システムを自分で作るっていう発想がなかったんですけど、素人でも作れるものなんですか?
「はい、大丈夫ですよ。もともと私が始めた時には電気の知識は全くなくて、最初は2001年、震災より遥か前の話です。実は車のバッテリーがしょっちゅうあがってしまうのを、なんとかしたいっていうことから始まっています。
たまたまちょうど夏だったんですけど、車が熱くて触れないぐらいに日差しを浴びて停まっているのを見た時に、太陽をなんとかできないか!? ってすごく思ったんですよ。それで調べてみたらソーラーパネルっていうのがあるっていうことがわかって、これならいけるかもしれないって始まったのが実は最初でした。なので電気の知識は全くないんですよ」
●それでもシステムを考案したのは鈴木さんってことですか?
「そうですね。使う機材自体は簡単にいうと、キャンピングカーに入っている仕組みなので、ソーラーパネル、バッテリー、コントローラー、インパーターっていう4つの機械を使うんですね。それ自体はキャンピングカーとかで流通はしていたけど、一般的なものじゃなかったんです。

知識がなかったのでいろいろ調べたりして、これを組み合わせれば、車のバッテリーの充電ができるなっていうところから始まりました。車のバッテリーは12ボルトなんですけど、それすら知らなかったし、ケーブルの太さはどうすればいいか全然わかんないわけですよ。
そういう状態でとりあえず組み上げたものを実際使ってみたら、すごく便利で面白くて・・・。なので全然知らない状態で私が始めているので、知らない方がワークショップに参加しても全く問題ないですね」
(編集部注:鈴木さんは本業のほか、地域の人たちのお困りごと、例えば、破裂した水道管や、雨漏りのする屋根の修理ほか、藤野地区に引っ越してきた移住者の方の相談にのったりと、忙しい日々を送っていらっしゃるそうですが、ストレスはないと、にこやかにおっしゃっていました)
藤野は相模原のSDGs!?
※鈴木さんが藤野電力の活動を本格的に始めて、11年ほど経ちました。今どんなことを感じていますか?
「今はSDGsってよく言われるようになりましたよね。実は相模原市からも藤野は相模原のSDGsだっていうふうに言われてしまうぐらい、ずっと前からそういう活動を続けてきたっていう地域になっています。
当時ソーラーパネルを使って電気を作るのは、一般的には売電って言われていて、屋根の上にパネルを設置して電気を作って売るっていうやつですよね。メガソーラーなんかは今いろいろ問題が出ていますけど、ソーラーパネル=電気を作って売る、いわゆる投資目的のものだったんです。
その時代にそうではなくて、暮らしに使うための電気を自分で作るっていう、いわゆる自給自足的な発想を持って始めたのは全然いなかったわけですよね。
絶対そっちのほうが面白いし、意味があるって思って始めているので、ずっとその路線で来たんですけど、10年経ってみたらSDGsっていうような言葉が出てきて、売電ではそんなに儲けられるものでもないから、蓄電して自分の家の電気として使いましょう! っていうような、まさにオフグリッドっていう発想に世の中がガラって変わってきたので、やっとこっちの時代に来たかっていう、間違ってなかったなっていう確信をすごく今は持っていますね」
●地球温暖化の影響もあって、国内でも世界でも今までにないような災害が起きています。普段から備える防災意識がすごく大事になってくるんじゃないかなって思うんですけれども、そのあたりいかがですか?
「そうですね。災害用とか非常用に藤野電力の仕組みが欲しいっていうことを言われる方もいらっしゃったり、例えば外灯、夜中つけっぱなしにするので、電気代がもったいないから、使いたいっていうことをおっしゃる方もいるんですけど、我々はそういうものに使うんじゃなくて、日々の暮らしの中で使う電気をまかなうという発想でやっているんですよ。非常用じゃないんですよってことをずっと言っているんです。
非常用、例えば防災袋なんていうのもありますけど、1回買って20年も30年も経って、災害がなければそのままなわけですよ。邪魔だからどっか押し入れの奥のほうに入っちゃって、いざって時には使えない。そういうものでは意味がないので、日常用でなおかつ非常時には持っていけるような、そういう暮らしに変えていかないとダメなんですよっていうことをずっと伝えています。
防災の関連のお話会とかワークショップも頼まれて行くことがあります。そういう時にも普段、常にカバンの中に入っていて、何かあった時にはそれでなんとかなるっていう最低限のものも入れてあるんですね。
どっかに避難しなくちゃいけないっていう時には、(必要なものを)持っていかなくちゃいけないから、ある程度のサイズでギリギリなんとかなるものは、こういう中身でとか、なんかあった時の専用っていうよりは普段の生活の中で、こことここを持って出れば、それでなんとかなるっていうふうに変えていかないと、実際何の意味もないからっていうことを常に伝えているんです」
自分の手でなんとかする
※藤野電力の活動は、持続可能な暮らしにつながると思うんですが、都会で暮らしている方に向けて、アドバイスがあれば、ぜひお願いします。
「ワークショップに参加される方は、東京とか街中の方もたくさんいらっしゃって、ほとんどの方がマンションなんですね。 マンションのベランダで日差しは入るんですけども、その日差しが蓄電できるレベルかっていうギャップが結構あります。

(ミニ太陽光発電システムを)持って帰ったんだけど、どうもうまくつかないっていうことで見に行くと、ほんの一瞬太陽が横切る程度だったりとか。それから夏と冬で太陽の角度が違うので、(日差しが)全然パネルに当たってなかったりっていうことがありますね。
マンションでやりたい方は、あまり大きなもの持って行っても設置場所もないですから、小さい仕組みを移動しながら、どこにどう置けば太陽の光がちゃんと当たるかを考えながらやっていただきたいっていうのもありますね。
それでは現実的じゃないからやめますっていう人もいらっしゃるんですけど、やめちゃうと意味がないから、うまくいかないのをどう改善するかをぜひ都会に住んでいる方にはねチャレンジしてほしいって思いますね。
田舎だと自分で何かをしなくちゃいけないとかって普通のことなんですけど、街中に住んでいると、お金を払って業者の人に来てもらうっていうような、お金とのやり取りが基本になってしまって、自分でなんとかしようっていう発想になかなかいかないんですよね。
だからこそ、こういうちょっとした仕組みを暮らしに取り入れることで、ここはダメだからこっちにしてみようとか、ちょっと使いすぎちゃったから、みんなで使わないようにしてみようみたいに、自分たちの手を動かしながら、そこから学んでいただくっていうことをぜひやってほしいなと思います」
INFORMATION

鈴木さんのお話を聴いて「藤野電力」で行なっている、ミニ太陽光発電システムを作る「防災ワークショプ」に参加したいと思った方、1月も開催されますが、実は大変人気で、すでに定員に達しています。2月は12日(日)に開催予定となっています。
体験コースと持ち帰りコースがあり、持ち帰りのほうは50ワットと160ワットのふたつのコースがあります。参加費など含め、詳しくは「藤野電力」のオフィシャルサイトをご覧ください。
◎藤野電力HP:https://fujino.pw
鈴木さんの本業、整体師のサイト「森氣庵(しんきあん)」もぜひ見てください。
◎森氣庵HP:https://www.sinkian.com
2022/12/18 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、昆虫が大好きな「とよさきかんじ」さんです。
とよさきさんは1975年、埼玉県生まれ。多摩美術大学卒業。本業は、おもちゃやパッケージなどのデザインを手がけるデザイナー、そして、専門学校で絵やデザインを教える先生でもいらっしゃいます。
そんなとよさきさんは「日本野虫の会」をひとりで立ち上げ、昆虫の観察、撮影、本の出版、虫グッズの販売をするときの「屋号」として使っていらっしゃいます。
テーマは「虫と和解せよ」。虫が苦手になるのは、虫のことを知らないから怖くなる、だから、虫の魅力を伝えることで苦手意識をやわらげ、和解してほしいという思いが込められているんです。
2019年には『手すりの虫観察ガイド』を出版、話題に。そして先頃、新しい本『街なか 葉めくり 虫さんぽ』を出されたということで、この番組にお迎えすることになりました。
今回は、ご近所の散歩や公園などで出会える虫と植物のワンダーランドにご案内します。
☆写真:とよさきかんじ

虫好きを封印していた時代!?
※とよさきさんは、やはり子供の頃から虫が大好きだったんですか?
「そうですね。小学生の頃は近所で虫を捕まえて、それを半年で100種類ぐらい集めて、スケッチするっていう自由研究をやっておりました。枕元に図鑑が散らばっているような子供でしたね」
●そうなんですね。ちょっとやんちゃな時期があったとうかがっているんですけれども(笑)。
「そうですね(笑)。中学2年生ぐらいの時に、そんな少年時代だったんですけれども・・・そうするとやっぱり周りの目とかもあって、虫が好きだとかいうと、不良仲間からは“あいつ、だせぇよ”みたいなことになってしまうんで、虫好きを封印してしまったんですね」
●その封印を解いて、虫好きなとよさきさんに戻ったのはいつ頃だったんですか?
「今から8年ぐらい前なんです。だいぶ大人にもうなってからなんですね」
●それは何かきっかけがあったんですか?
「そうですね。いくつかきっかけはあるんですけど・・・その頃に犬を飼い始めて、柴犬なんですけれども、割と運動量が多い犬なので、朝晩散歩に行って30分とか1時間とか歩いていたんですね。
住んでいるのは東京の住宅密集地で、自然とかも少ないし、虫なんていないんだろうなと思っていたんですけれども、歩いていると虫がチョロチョロ見つかるんですね。今まで僕はいないと思っていたけれども、それは単純に気付かなかっただけなのかなと思うようになって、それで虫の世界にどんどん近づいていきました」
●虫の世界や自然に触れることで、何か取り戻したものはありますか?
「大人になって、もう1回虫を観察しようと思って、草むらにしゃがんでみたんですね。子供の頃によくやっていたことだったんですけれども、しゃがんでみたら、子供の時に見た虫が、小さなオンブバッタであったりとか、そこらへんにいるヘリカメムシっていうカメムシだったりとか、本当に子供の頃に見た虫が全然普通にいたんですよ。
自分は(虫から)離れて何十年も経っているのに、虫は1年とか2年の生をつなぎながら世代をつないで、ちゃんと種を存続させてきているんだなっていうことにすごく感動して、それでやっぱり虫をもっとやろうと思うようになりました」
(編集部注:少年時代にやんちゃしていたとよさきさん、インタビューの収録時に着ていたウエアは、なんと黒い特攻服! でも刺繍されている文字は「日本野虫の会」や「生物多様性保全」「愛羅武虫 夜露死苦」など、虫愛に溢れた言葉があしらわれています)

都会にも虫はいる
※とよさきさんの新しい本『街なか 葉めくり 虫さんぽ』は、虫と植物にフォーカスしていますが、虫と植物の関係に興味があるということですか?
「そうですね。虫が苦手な人は、虫が突然出てきたっておっしゃることが多いんですよ。突然出てきて、びっくりするから嫌いっていう方もいるんですけれども、実は虫がそこにいるのは必然があって、なんでこの辺に虫が多いのかとか、なんでこの季節に虫が多いのかは、そこに食べ物があったりとか、住処があったりするんですね。
それで僕が大人になって虫を探し始めた時に、いざ虫を探そうと思うと意外と虫は隠れるのが上手くって、むやみやたらに探しても見つからないんですね。ひとつそれで虫の居場所を見つけたのが、実は手すりがありまして、公園の階段とかに手すりがあるんですけど、その手すりには虫がとまっていることが多いっていうことに気付いたんですね。
で、手すりにいる虫だけを2年半ぐらい集めて、2019年に『手すりの虫観察ガイド』っていう名前で出版して、その本もまあ話題にはなったんですけれども、その時はまだ偶然が多いなっていう感じだったんですよ。たまたまそこにとまっているっていうこともあるなと思って、もっと必然を考えた時にやっぱり植物と虫をセットで考えると、この植物にはこの虫がいるっていうのがはっきりしているんで、初めて虫を探す人も、それだけ分かれば、探しやすいのかなと思って今回のテーマにしました」

●この本はタイトルにあるように、街中をお散歩しながら虫を探してみようということなんですよね。散歩中、どんなことに気を付けたらよろしいんでしょうか?
「植物があれば大体虫はどこにでもいるかなとは思っているんで、例えば渋谷の駅前の花壇にもいますし、青山の街路樹、ポプラの並木にも虫はいるので、どこでも探せるっていうことはあります。
ただやっぱり気を付けることとしては、みなさん、街を歩いている時にあまり周りのものは見ていないんじゃないかなっていう気がしています。
毎日歩く通勤路だったりとか通学路であったりするところで、一体周りにどんな植物があるのか、どんな落ち葉が落ちているのか、どんな花が咲いているのかをちょっと気にするようになると、実は虫は見つかるのかなと思っています」
●ポイントは葉っぱの裏側ですか?
「そうですね。”葉めくり虫さんぽ”というタイトルで書いているんで、葉っぱの裏側はすごく知られてないポイントだなと思うんですけれども、初めて探す人が見つけやすいのは、まず花だと思いますね。植物の花が咲いていたら近寄ってみると、そこに虫が蜜を求めて集まっていることがあるので、まずそこでひとつ植物には虫がいるんだっていうことが分かると思います」

公園で虫探し。ポイントは?
※とよさきさんの、普段の虫散歩はどんな感じなんですか?
「2種類ありまして、 ひとつは犬の散歩をしながら、20分とか30分の中で、虫散歩を犬と一緒に楽しんでいます。
今の季節ですと垣根にサザンカの花が咲いていて、ピンク色の花を咲かせているんですけど、それを覗き込むと、この冬の時期でもアリが蜜を舐めに来ていたりとかするので、そういう虫を探したりとか・・・。
あとヤツデっていう葉っぱが天狗のうちわの形をしている植物がありまして、その花が今ちょうど咲いているんで、そこに集まる虫であったりとか、葉っぱをめくるとヨコバイって言って、セミとかウンカの仲間の小っちゃい虫が付いているんで、そういうのを見つけたりしています。
もうひとつは山や公園に行って、がっつり探す時は6時間とか8時間とか、2万歩ぐらい歩くんですけど(笑)、本当に朝から晩まで歩けるだけ歩いて、葉っぱめくったり覗き込んだりして探しています」

●肉眼でいつも観察されているんですか? 何か観察用に道具を持ち歩いているんですか?
「やっぱり(虫は)小っちゃいので、僕は虫用のカメラで撮影するので、それで覗き込むと虫がより大きく見えるんですね。虫眼鏡の代わりにもなるんですけれども、こういう小っちゃい虫眼鏡も携帯しています」
●手のひらサイズなんですね。
「これを近づけて虫を見たりもしています」
●よく通うお気に入りスポットみたいなところはあるんですか?
「まず、やっぱり私の場合は木が多い公園ですね。植物があって木が多くて、あまり遊具とか芝生とかそういうものがなくて、なるべく植物が生い茂っている公園ですね。千葉県だと佐倉市にある佐倉城址公園は、時々足を伸ばして行ったりしています。水田環境と雑木林のような環境が入り混じっていたりして、たくさんの種類の虫が見られます」
●そういう場所で虫を探すときのポイントとしては、やっぱり手すりを見るとかですか?
「そうですね。いいポイントですし・・・それからさっきも出てきた花を見ることと、あとは実がなっていたら、汁を吸いに来る虫もいるので、実を見ることですね。
花と実が分かると、実はその植物がすごく調べやすいんですね。葉っぱから植物を調べると結構難しくって、花や実が特徴的だと、あとから調べやすいので、その写真を撮ったり、ちょっとスケッチしたりすると、後ですごく調べやすいと思います。
あと虫は葉っぱが重なっているところで休んだりするんで、まあそういうところをめくって休んでいる虫を探したりもします」
虫たちに大人気、ハルジオン
※本を見ていて気づいたんですけど、いろいろな昆虫がやってくる植物もあれば、この植物にはこの昆虫だけと決まっているものもあるんですね?
「そうですね。植物食、植物を食べる虫は狭食性の虫と、広食性の虫っていう2種類がありまして、狭い虫のほうが多いんですね。この植物の葉っぱをなるべく食べたいという虫が多くて、そっちのほうが虫や植物を調べるのにはすごく有効なんですね。
要はこの植物があれば、この虫がいるはずだっていう予想ができたり、逆に虫を見たら、ひょっとしたらこの植物を食べる虫なんじゃないかって、当たりをつけることができるので調べやすくなりますね。
広食性の虫だと、例えばマイマイガっていう蛾がいるんですけれども、その蛾の幼虫は200〜300種類ぐらいの植物を食べるって言われているので、時に針葉樹から広葉樹までバリバリ食べて大発生することもあります」
●春に咲く野草ハルジオンは、チョウやミツバチ、ハナムグリなどいろんな虫がやってくるんですね?
「あっ、そうですね」

●すごく人気なんですね?
「とっても人気があります。春は花に来る虫も非常に多いんですね。ハルジオンはちょっと古くに入ってきた外来種なんですが、至るところで見られて、チョウやハチは羽根があって、茎が細くてちょっと 揺れるような花にもとまりやすいんです。
ハナムグリとかコガネムシの仲間、甲虫の仲間は(体型が)ボテッとしてるので、飛ぶのが下手だったり、花につかまるのが下手だったり・・・あと口が短いので花の奥の花粉を吸ったりできないんですけれども、ハルジオンは平たくて円盤状をしていて、飛行の下手な虫でもとまりやすいっていう形状があるんで、それで虫に人気なのかなと思っています」
(編集部注:ハルジオンのほかにも、春から初夏にかけて咲くツツジも、昆虫たちには大人気。街なかにたくさん植えられていて、花には甘い蜜があり葉っぱが柔らかいので、いろんな虫たちがやってくるそうですよ)
※新しい本には冬こそ、葉めくりのメインシーズンと書かれていますが、そうなんですか?
「そうですね。先ほど出てきたヤツデの葉っぱとかアオキとか、ちょっと硬くて冬でも落葉しない、ずっと茂り続けている照葉樹の葉っぱがあるんですけれども、その裏にとまって冬越しをする昆虫は結構いるので、ほかの木々が葉を落としてる中で、残っている植物を探してみると、意外とそこにつかまって越冬している虫が見つかりやすいなと思います。
葉めくり以外でいうと枝先ですかね。葉っぱの落ちた木の枝先を見てみると、意外とそこにモズの“はやにえ”っていう、鳥が保存用に虫をぶすっと刺して置いておく習性があるんですね。そのはやにえが見つかって、ここにはこんな虫がいて鳥の保存食になっているのが分かったりとか・・・。
あとはケヤキって木があるんですけれども、大きくなるとどんどん樹皮がちょっとずつめくれてくるんですね。その隙間に虫が入り込んで冬越しをしているので、ちょっと浮いているのをペリペリっとめくってみると、全部じゃないんですけれども10枚に1枚とか虫が入っているのがあるので、くじ引きみたいな感じで探してみるという楽しみもあります」
地球上から昆虫がいなくなったら
※もし地球上から昆虫がいなくなってしまったら、どんなことが起きるのでしょうか?
「先ほどから、花に虫が来るって話をしていますよね。チョウやガ、ハチやハナアブが花の蜜を吸ったりすることによって、花は受粉をして果実を付けたり、その中に種子ができて、次の世代につながっていくんですけれども、そういう虫がみんないなくなってしまうと、当然花を付けても実ができない、 次の世代ができないっていうことになってしまって、虫を介してどんどん繁殖していく植物は滅んでしまうということがあります。
同時に牧草とか、虫の受粉によって世代をつなげている植物もあるので、それを食べている家畜の餌がなくなってしまったり・・・。あとは鳥も昆虫を主な餌にしているんですね。だから野鳥の多くは虫がいなくなると滅んでしまったりするので、食物連鎖がガタガタに崩れてしまう可能性は高いと思いますね」
●この本や、普段の活動を通して、どんなことを伝えたいですか?
「この本に載っている植物や虫は、珍しくてすごく美しいっていう存在のものじゃないのを集めているんですね。それはあえて読んだ人が、身近にいっぱいある植物なんだけれども、ありふれているんだけれども、その分、追体験がしやすい種類をたくさん載せています。
やっぱり植物の名前がわからないと、目に入ってもこれは単に緑色の壁だなって認識しちゃったりとか、虫がいたとしても不快な黒い点があるなとしか思えなくって、なかなか自分たちの暮らしと関係のある生き物だと思えないんじゃないかなと私は感じています。
それが1種類でも分かると、この植物はこうだったんだとか、だからこの時期に花が咲いていたんだとか、だからこの虫が来ていたのかなとか、来年また見られるかなっていうふうにいろんな点と点がだんだんつながってくると思います。
今まで自分が、例えば田舎でつまんない町だなとか、都会すぎて殺風景だなと思っていたのが、すごく身近にたくさん楽しめる自然があるじゃないか! っていうふうに 思える、ワンダーランドのようなものに感じられる瞬間はきっとあると思っていますので、それをぜひぜひ本を読んで見つけてもらえたらなと思っています。

この本で扱っているテーマのもうひとつに、生物多様性の魅力であったり、重要さは載せてあります。虫もそうですし、植物もそうなんですけれども、その種類が多いことによって、人間がサービスを受けている、恩恵を受けているのが、生物多様性の考え方のひとつなんですね。
今までは(人間は)ずっとそれをタダで消費していたんですね。でもやっぱり生き物をすごく大事にしたり、環境を大事にしていかないと、結局自分たちが将来すごく不利益を被ってしまうことが、最近自然とか生き物に関わる考え方の大きな流れになっていると思います。
なかなかでっかいことはできないんですよ。いきなりでかいことはできないんですけど、でも足もとから世界を知っていく、自然を知っていくことはすごく大事だと思いますので、その一助にこの本がなってくれると嬉しいと思います」
INFORMATION
とよさきかんじさんの新しい本をぜひ読んでください。公園や街路樹、植え込みなど、身近な植物の花や葉っぱにやってくる昆虫たちの写真がオールカラーで掲載。とよさきさんの観察力に圧倒されますよ。季節ごとに分かれているので、冬のページを見て、ぜひ葉めくり散歩に出かけませんか。
ベレ出版から絶賛発売中です。詳しくは出版社のサイトをご覧ください。
2022/12/11 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、コミックエッセイ『山登りはじめました』で知られる漫画家の「鈴木ともこ」さんです。
鈴木さんは東京都豊島区生まれ。日本大学芸術学部卒業。ポプラ社に勤務後、執筆活動を開始。2009年に発表したコミックエッセイ『山登りはじめました』、そしてその続編もベストセラーに。現在はご家族と松本に暮らし、松本市観光大使としての活動もされています。
もともとインドア派だった鈴木さんが、どうして山登りにハマってしまったのか、その辺のいきさつは、2017年9月、この番組に出演してくださったときにお話しいただいていますので、ぜひその時のインタビュー記事をご覧ください。
鈴木さんは先頃、新しい本を出されたんですが、今回の舞台はなんとハワイ!
本のタイトルはズバリ!『山とハワイ』。上・下巻に分かれたこのコミックエッセイは、3世代家族5人で行った、およそ1ヶ月にわたるハワイの旅をまとめた力作なんです。
きょうはそんな鈴木さんに、標高4000メートルを超える山登りや秘境のビーチを目指すトレッキングなど、ハワイの、あまり知られていない魅力についてうかがいます。
☆写真協力:鈴木ともこ

ハワイはどうやら山もすごいぞ!
※それでは早速、鈴木さんにお話をうかがっていきましょう。
●鈴木さんの新しいコミックエッセイ『山とハワイ』の上・下巻を拝見させていただきました。3世代5人で行く初めてのハワイということで、オールカラーの漫画を読みながら一緒に旅をしているような、すごくワクワクしっぱなしでした!
「とっても嬉しいです! ありがとうございます」
●ハワイと言えば、やっぱり海のイメージが強かったんですけれども、ハワイ諸島の山に目をつけたのはどうしてなんですか?
「そうなんです。実は私は一切泳げないんですね。でもハワイと言えばやっぱり海やビーチで、あとショッピングと芸能人、そういったイメージなので、自分とは縁のないところだとずっと思っていたんですね。
ただハワイに行った知り合い全員がハワイを絶賛するので、なんでだろう〜!?とちょっと自分なりに調べてみた時に、ハワイはどうやら山もすごいぞということを知りまして、それで行くことに決めたんですね。というのもハワイは富士山を超える標高4000メートル以上の山がふたつもあって、実はスキーもできるんですよ」
●ちょっとイメージなかったです。
「ですよね。ほかにも500万年かけて浸食された彫刻のような崖があったり・・・これは自分の目で見て歩いて、それを本にして伝えたいと思ったというのが最初のきっかけですね」
●本によるとおよそ1か月間、ご両親とお子さんを連れての一大旅行という感じでしたけれども、1か月、家を空けてお仕事も減らして行かれるのは、かなり思い切ったことなんじゃないですか?
「そうですよね。実はもともと私は父の仕事の関係で、子供時代から住む場所を転々としていたんです。小中学校の時はイギリスに4年間家族で住んでいました。なので両親も海外には抵抗がないというのと、いろんな異国の文化を知りたいっていう気持ちがありましたね。ただ子連れで1か月は、確かにかなり思い切ったなとは思います」
●で、初めてのハワイですよね!?
「家族全員が初めてでした」
●鈴木さんは以前から山登りはされていたっていうことですけれども、ご主人やご家族は山登りの経験はあったんですか?
「はい、夫とは一緒に山登りを楽しんでいまして、それは私の本『山登りはじめました』というコミックエッセイで書いているんですね。両親はそんなに山登りを頻繁にするほうではなくて、それでもアウトドアには興味はある感じでしたね」
●そうだったんですね。事前に登る山をいろいろ決めてからハワイに行かれたんですか?
「はい、やっぱり旅の時間っていうのは限られていて、なるべく無駄にしたくなかったので、登る山はすべてあらかじめスケジュールを組んで、しっかり下調べもしましたね。ただ火山のことを調べていたら時間切れになってしまって、ホノルルの観光はノープランでした」
●そうだったんですね!(笑)
「もう行き当たりばったり」

身長が9000メートル!?
●ハワイ島に1位と2位の山があるということなんですけれど、これはどういうことなんでしょう?
「標高っていうのは平均海水面からの高さのことなので、高台にある山は山自身が小さくても標高は高くなります。ハワイの島は海底からそそり立っている巨大な山なんですね。で、海底までは大体5000メートルあって、標高が4000メートルを超える山がふたつもあるので、身長が結果的に9000メートル以上の山がふたつあるということなんです。だからこの身長が世界で1位と2位ですね」
●それぞれなんという山なんですか?
「身長が1位の山は”マウナ・ケア”、身長が2位の山は”マウナ・ロア”って言うんですが、こっちは富士山の軽く50個分のボリューム、ちょっと想像が追いつかないですよね」
●富士山の軽く50個分ってすごい!(笑)
「体積が世界一の世界最大の山でもあるんです。そしてこの世界最大の山マウナ・ロアに登ってきたことを私は(『山とハワイ』の上巻に)メインで書いています」
●すごいですね。ハワイに世界1位と2位の山があったわけですね。
「スケールがもう半端ないんですね」
●まずはマウナ・ケアのお話からうかがっていきます。頂上までは車で行くツアーに参加されたんですよね?
「そうなんです。ほとんどのレンタカー会社が通行禁止にしているので、ツアー会社のバスで行きました。高山病になりやすいかなと思うかたもいるかもしれませんが、ツアーなので滞在時間もそんな長くないですし、途中で休憩をしっかり取りながら登っていくので、高山病になる人はそこまで多くない感じですね。観光客がすごくたくさんいます」
●マウナ・ケアの山頂に行かれてどうでしたか?
「マウナ・ケアって地球上で最も宇宙に近い場所って言われているんですね。それぐらい天体観測にすごく適した場所なので、夕暮れもすごいんですが、星空にもびっくりします。変な例えなんですけど、プラネタリウムみたい・・・ちょっと嘘みたいなんですよね。目がびっくりしてしまって・・・そして寒いです。高い山なので(気温が)2度ぐらい・・・」
●ハワイなのに!?
「はい、しっかりダウンジャケットを着込んだツアー客のかたがいっぱいいますね」
●どうしてそんなに星が綺麗なんでしょう? 空気が澄んでいるから!?
「そうですね。標高の高さと、すごく晴天率が高いんですね。あと赤道に近かったり、いろんないい条件が重なって、結果的に日本のすばる望遠鏡とか世界的な天文台が何個もありますね」
(編集部注:鈴木さんファミリーは、ホノルル到着後、すぐに最初の目的地ハワイ島に飛び、ヒロの街を散策。のんびりとした雰囲気と人の良さがすっかり気に入り、ヒロで暮らしたいと思ったそうですよ)
世界最大の山マウナ・ロア

※先ほどご説明いただいた、ハワイ島にある世界最大の山マウナ・ロアにはご主人とふたりで行かれたんですよね。
「はい、こちらはかなり大冒険といった感じでしたね」
●世界最大の山ですからね〜。どんなスケジュールの山登りだったんですか?
「こちら2泊3日で行きました。最終的に55時間5分の登山だったんですが、イメージとしては富士山に2回登る感じですね。さらに水を担いだり食料を担いだり・・・山小屋も無人なので、すれ違う人もほとんどいなかったですね。
もうひたすら溶岩です。黒い溶岩がどこまでも続いていて、違う惑星に降り立っちゃったみたいな感じなんですね。だからもし溶岩に興味がなかったり、溶岩を楽しめなかったら、すごく心細くなると思います」
●ガイドのかたはいらしたんですか?
「いなかったんですね。というのもマウナ・ロアをガイドしてくれるかたを探しても誰もいなかったんですよ。見つけられなかったんです。
それで夫婦で行ったんですが、結果的には良かったなとすごく思っていますね。自分たちでどうにかしなきゃいけないっていう思いによって、すごく感性が研ぎ澄まされたというか、その場その場を目一杯楽しんで、しっかりと歩こうっていう気持ちになれて、よかったですね」
●55時間ですよね。具体的にどういう感じなんですか? 想像がつかない世界です。
「それを『山とハワイ』に書き切ったという感じなんです(笑)。1日目はまず途中の山小屋を目指すので、決して55時間ずっと歩きっぱなしってわけではないんです。ただし、例えば日本の山ですと、山頂に向かって上に上に登るっていう感じですよね。マウナ・ロアは山頂がまず見当たらなくて、ひたすら平らな道を歩いてる感覚なんですね。 大きすぎて自分の向かう場所が分からないっていう、その果てしなさ・・・私もすごいところに来ちゃったなって思いながら歩いていましたね。くじけそうにもなりましたね」
●ご主人と励まし合いながら歩かれたわけですね。
「夫はすごく溶岩とか火山とか地質に興味があって、とっても喜んで興奮する感じなんですよ」
●そうなんですね(笑)
「ひとくちに溶岩と言っても噴火の時代によって種類が変わったり・・・なので溶岩の山なんですが、色が微妙に黒から赤に変わったり、質感が滑らかからゴツゴツに変わったり、そういった変化に気づくと一気に面白くなりますね」
●へえ〜〜、溶岩は溶岩でもいろいろと違うわけですね。
「そうなんです。私も行くまでは全く知らなかったんですが、そういったことに注目すると、また本を読んでいただく時も楽しんでもらえるんじゃないかなって思いますね」
●マウナ・ロアの頂上に立ったときは、どんな思いがこみ上げてきましたか?
「達成感よりもホッとする安堵といった感じで、ようやく着いたっていう、まず力が抜けましたね。
目の前には180メートル下まで切れ落ちた巨大なカルデラがあるんですね。その全長は6000メートル! 想像が追いつかないですよね。あまりにも大きくて、人間なんか立ち打ちできないなっていうのが、実感としてぶわっと込み上げまして、大自然の中で生かされているってね。普段日常でなんとなく思っていても、それが圧倒的な実感として迫ってきて、 なんというか、日々誠実に生きていこうってすごく謙虚に思いました」
(編集部注:鈴木さんはマウナ・ロアの登山は、生涯忘れられない体験になったとおっしゃっていました)
秘境のビーチ、カララウ

※鈴木さんはカウアイ島にも行かれています。ハワイ島と比べて、どんな島でしたか?
「『山とハワイ』の下巻のメインがカウアイ島なんですね。ハワイの火山って大量に溶岩が出るので、一気に成長するかわりに中が空洞になってたり、崩れやすかったり、もろいところがあって、それがハワイ島の火山では特徴なんです。
一方、カウアイ島はもともとそういった火山だったものが、500万年かけて雨や波に浸食されてできた場所、そして緑がすごく豊かに水も豊富で、(映画)ジュラシックパークの舞台になったので知られていますね。その侵食された崖が芸術品みたいに美くしくて、神様が創ったみたいな、そういった崖や渓谷がいっぱいあります」
●具体的にはどんな場所に行かれたんですか?
「メインは”カララウ”という渓谷です。 ”カララウ大聖堂”という異名を持つ崖なんですが、その崖は自然が浸食して作ったものですね。まるで大聖堂みたいに、いくつかの塔がそびえ立ってるみたいに見えるんです。
そこを見に行くためには、真下に秘境と言われるビーチがありまして、そのビーチに向かってテントを担いで、海沿いの断崖絶壁のトレイルを8時間かけてっていう、そこにチャレンジしました」
●かなり過酷ですよね。
「それがですね〜、聞くと結構怖そうとか思いますが、海沿いがとにかく美しくて、ダブルレインボーがびっくりするぐらいたくさん出たり、奇跡みたいな景色の中を行くので、実は怖さよりも楽しさのほうがすごくある場所でしたね」
●そうだったんですね〜。
「途中に激流があったり、川を越えてったり・・・水も自分たちで担いで、テントも背負って歩きましたね。水は飲めるんですが、消毒というか、ろ過しなきゃいけないので・・・」
●重い荷物を担ぎながら歩いたんですね。
「そこは全米ハイカーの憧れの地としても知られているので、結構ハイカーのかたもよく会いました」
●そうだったんですね〜。ご主人と一緒におふたりで?
「はい、そうですね」
●お目当ての秘境のビーチに到着された時はどんな気分でした?
「それこそ世界の常識がすべてひっくり返って、新しい世界にいるような・・・ここだけ違う世界があるような不思議な魅力に包まれた場所だなって思いましたね。
夕焼けが本当に美しく輝いていました。
世界50カ国以上に行ったかたに出会ったんですが、そのかたはいつも”カララウに戻りたくなる“、世界中を知った上でそうやって言ってたんですね。その気持ちがなんとなくわかるような気がして、それぐらい私もまた行きたい場所ですね」
●何がそんなに魅力なんですか?
「まずは、歩かないとたどり着けないっていうのは、やっぱりすごいことだなと思いますね。スケジュール(の都合上)1泊にしたんですが、5泊ぐらいのんびりしたかったですね。時間の感覚もなくなりますし、海の音を聴きながら、緑のすごい渓谷を見上げて、なんかこうね、生きているって最高! って叫びたい感じでしたね」
●カララウ、行ってみたいです! 素敵ですね〜。
(編集部注:カウアイ島での秘境のビーチを目指すトレッキングでは途中で、かなりユニークな人たちに出会ったそうですよ。どんな人たちだったのかは『山とハワイ』の下巻に載っているので、ぜひ見てくださいね)
ハワイで感じた、旅っていいな
※およそ1ヶ月という期間で、8つの山登りとハイキングを経験されて、ハワイの印象は変わりましたか?
「ガラッとひっくり返りましたね! ハワイはこんなに奥が深いっていうのを行って初めて私は知ったんですけども、今までいかに食わず嫌いだったか、ハワイってちょっとベタだなとか、観光地でしょうみたいな目で私も見ていたんですね。実際そういうかたもいらっしゃると思うんですが、多分『山とハワイ』を読んでいただいたらガラッと変わると思いますね。
この『山とハワイ』の最後のほうでは、山の要素は実は薄まっていきまして、最終的にはハワイが歩んできた歴史と向き合い、居心地のいい社会とは何かっていうところにテーマが収束していくんです。
でもそれこそが旅の醍醐味だなってすごく思っていて、出発前の目的を果たすだけじゃなくて、その旅で何を感じて、予想もしなかった出来事や出会いを得て、それをその後の人生にどう自分が生かしていくみたいな・・・旅っていいなって思うのがハワイでいちばん感じたことですね」
●ハワイには日系移民のかたも多くいらっしゃいますよね。古くから日本ともご縁があると思うんですけれど、山登りとか出会った人たちを通して、改めてどんなことを感じましたか?
「今のハワイっていうのは観光と軍事の一大拠点になっていて、多種多様な人たちが集まる場所になっていますが、ただこれはもともといたハワイアンのかたが自発的に選んだ姿ではないなと思うんですね。
ハワイアンのかたには忸怩(じくじ)たる思いがあって、アメリカになっていく、併合されていく歴史ですとか、サトウキビ・プランテーションで働くために22万人もの日本人が移民として渡った歴史を知ると、決してハワイって楽園ではないっていうことがわかるんですね。
それでも、なぜこんなにたくさんの人を惹きつけて、こんなに居心地がいいっていう、その理由を考えると、やっぱりハワイの、一歩も二歩も先に行っている社会に対する考え方だなってすごく思ったんですね。そのことを本に熱く書いていますし、やっぱり日系移民のかたを知るための歴史も大事に伝えたかったので、ぜひ上・下巻通して読んでいただけると、その真意が伝わるんじゃないかなと思います」
●では最後にこの放送を聴いて、ハワイ諸島の山登りにチャレンジしたいと思ったかたにアドバイスをお願いします。
「とにかく下調べと準備は大事だなと思いますね。そしてある程度余裕を持ったスケジュールも必要だなと思います。特にもしマウナ・ロアに登りたい、挑戦したいというかたがいましたら、出発前日か当日にしか登山の許可が降りないんですね。やはり(マウナロアは)火山なので、天候や火山活動によっては閉鎖もされてしまいますので、決して無理はしないで楽しんでいただければなと思います」
INFORMATION
『山とハワイ〜行け! 断崖秘境のビーチ カウアイ島&オアフ島篇』下巻
鈴木さんの新しいコミックエッセイ『山とハワイ』の上・下巻をぜひ読んでください。全編カラー漫画で、キャラクター化された登場人物が可愛いんです。旅の行程をきちんと絵と文で説明してあるので、旅を擬似体験できます。さらに人との出会いや出来事が面白すぎて、ハマりますよ。
新潮社から絶賛発売中です。詳しくは出版社のサイトをご覧ください。
◎新潮社HP:
https://www.shinchosha.co.jp/book/354831/
https://www.shinchosha.co.jp/book/354832/
鈴木さんのオフィシャルサイトもぜひ見てくださいね。
◎鈴木ともこさんHP:https://suzutomo1101.com/
2022/12/4 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、カナダの大自然を撮り続けている写真家「岡野昭一(おかの・しょういち)」さんです。
岡野さんは、三重県四日市市出身。1995年、日本写真芸術専門学校を卒業。フォトジャーナリスト樋口健二(ひぐち・けんじ)さんに師事。現在は、カナダの大自然をテーマに撮影活動を続けていらっしゃいます。そして先頃、『命めぐる川〜カナダのベニザケ』という写真集を出されました。
これは、カナダ・バンクーバーにそそぐフレーザー川の支流、アダムス川に、4年一度、およそ200万匹が遡上する、その名の通り、真っ赤な色になったベニザケの生態をとらえた写真集で、集大成的な作品となっています。
きょうはそんな岡野さんにベニザケの生態や、写真家になるきっかけとなった星野道夫さんとの出会いなどお話しいただきます。
☆写真:岡野昭一

何これっ!? 綺麗! すごいっ!
※そもそもなんですが、どうしてカナダの川でベニザケを撮ろうと思ったんですか?
「最初、きっかけになったのが『釣りキチ三平』っていう釣り漫画だったんですね。小学生の時に読んで、初めて意識した外国で、行ってみたいなっていうのは子供心にあったんです。
実際、大人になって行ってみると自然が広くて・・・たまたま現地の新聞にベニザケの記事が載っていたんですよ。その写真が本当に赤くて、こんな魚! サケ! ? えっ、いるの!? っていう感じで、行ってみたいなと思って、そこがきっかけでしたね」
●写真だけでもすごく衝撃的ですけれども、実際にご覧になっていかがでしたか?
「もう圧倒されたのと綺麗すぎて・・・生き物なんですけど、生き物に見えない。なんかひとつの芸術作品みたいな感じで、ずっと見惚れていましたね。何これっ!? 綺麗! すごいっ! ていう感じでしたね」
●名前の通り、顔以外、ほとんどが真っ赤ですけれども、日本ではヒメマスとも呼ばれていますよね?
「はい、そうですね」
●いつもこんなに赤い色をしているわけではないんですよね?
「実は海の中では白いんですよね。それが産卵するために、河口からずっと内陸の川に向かっていく途中で、徐々に徐々に赤く変わってくるんですね。
詳しく言いますと、サケの体内の血液がだんだんと表面のほうに移行してきて、体の色が赤く染まってくるっていうのが、ベニザケの赤くなる原因だそうなんです」
●オスもメスも赤くなるってことですか?
「そうですね。メスもオスもですね。川にのぼってくるあたりで、徐々に赤くなってくるんで、本当に綺麗ですよ。 びっくりするぐらい・・・」
●カナダのアダムス川に何年ぐらい通われているんですか?
「最初に行った時が1994年、写真学校の学生の時だったんですね。とにかくどんなものかと見てみたいと思って行ったんですけど、川にのぼってくるサケ自体、それから群れのすごさ・・・初体験ですよね。北海道とかでサケを見たことがないもんですから、初めてのサケで、川の遡上がカナダで、こんなに赤いサケっていうのが、すごく衝撃的でしたね」

4年に1度の「ビッグラン」!
※サケは自分が生まれた川に戻ってくる習性がありますが、アダムス川に戻ってくるベニザケは、どんな一生を送るのでしょうか。
「ざっくり言いますと、みなさんご存じのように、親ザケが(川に)戻ってきて産卵をして、卵は翌年ぐらいに孵(かえ)って、それから稚魚になって成長していくんですね。
ベニザケの特徴はそこから直に海に下るんではなくて、1〜2年ぐらいでしょうか、ある程度、下流の湖とかで過ごして、大きくなってから海に降りていくって形にはなりますね。
そして海を回誘して、4年後にちゃんと(生まれた川に)帰ってくるのは本当に不思議なんですよね。どういう計画が頭の中にあるのかが、すごく不思議なんですけど、そこもちょっと神秘的なところですよね」
●その4年に1度は、ものすごい群れになるっていう感じなんですか?
「一気にあがってくるっていうわけではなく、言ってみたら、細長い列になって徐々に徐々にあがってくるんですよね。
いちばん先頭群があがっていくのは、大体早くて9月の下旬ぐらい。それから徐々にあがってきまして、だんだん大きくなってきて、川の(サケの)密度がどんどん増えてくるわけですよ。どんどん来ますので・・・。そこから産卵したりとか流れたりして、もうぐしゃぐしゃになっているんです。
11月の下旬頃になってくると、やっと落ち着いてきて、12月頃にはほぼサケがいなくなるっていうか、死んだり流されたりして、いなくなるっていうのが(繁殖の)流れですね」
●アダムス川のベニザケというと、「ビッグラン」っていう表現があると思うんですけれど、改めてそのビッグランの説明をしていただいてもよろしいですか?
「これは現地のかたが例えば、新聞だったりとかで、ビッグランもしくレッドラン、魚が赤いのでレッドランとか、あとサーモンランとか言ってるんですね。
実はこの川は、山奥の川ではなくて、国道も鉄道も走っているような民家の近くにあるんですよ。交通の便もいいし、日帰りで行って帰って来れるような、バンクーパーからもチャーターバスが出たりするんですよね。
アダムス川の本流になっているフレーザー川っていうのがあるんですけども、そこでも上流のほうにビッグラン的な川はいくつかあります。中でもアダムス川は、メディアも撮影する人もたくさんいらっしゃるので、徐々にその知名度があがってきたっていう、特別なところはありますね」

「4000」から「2」!?
※ベニザケはなるべく上流に行って、川底に卵を産み付けますよね。どんな感じで産卵するんですか?
「サケって川にのぼってきますと、特にメスなんですけど・・・研究者のかたがおっしゃるには、川底を通って、また川の中に噴き出してくる伏流水っていう地下水があるんですね。 まずメスのサケはそこを探して、卵を生んだあと、砂利をかけるんですけどね。
卵に酸素がいき届くようにって、そういう場所を探すんですよ、メス自体が鼻を利かせて・・・。あっ! ここだ! って見つけたら、メスは一生懸命、穴を掘るんですよね。いつまで掘るんだろうと思うぐらい納得するまで掘るんですよ。
それでオスはそのメスを取り合うんです。噛み付き合ったり体当たりをして、俺のメスだ! みたいな感じなんですかね。その間もメスはずっと穴を掘っているわけですよ、納得するまで・・・。
で、やっとメスが卵を産むタイミングになってきて、何回もその穴の周りを往復して、何回も上を回って口を開けた瞬間に、オスがパッとやってきて、よし、今か! って踏ん張って、卵をパッと出して、オスも精子を出すっていうような、そういう形になるんですよね」

●へぇ〜! メスは卵をどれぐらい産むんですか?
「約4000っていう数らしいですね」
●4000!
「すごい数ですよね」
●そのうち大人の魚になるのはどれぐらいなんですか?
「統計なんですけど、実際に卵から無事孵って、海に行って回遊して戻ってくのは、たったの約2匹・・・」

●えっ! 4000も産んでいるのに! ベニザケ自身も繁殖活動を終えると、そこで一生を終えるっていうことなんですよね?
「そうですね。川とかにいる淡水魚、魚は何年か生きるみたいですけど、サケの場合は、本当に一回きりっていうふうに体がなっているんでしょうね。ですから一回きりの産卵で、そこで全部体力も使いきって、次の子孫を残してっていう形になるんですよね」
●子孫を残すために命がけなんですね。
「そうですね。命がけですよね」
●川を遡上するサケたちが、海の栄養分を山に森に持っていくっていう話を聞いたことあるんですけれども、これはどういったことなんでしょうか?
「(サケは)海に行って小魚だったりプランクトンだったりをたくさん摂るんですけども、そこで海の栄養分をたくさん体の中に蓄積するんですよね。
サケはもともと白身魚なんですよ。それが海に行って、プランクトンとかの食べ物の中に、アスタキサンチンっていう色素があるそうで、それが蓄積するとだんだん体が染まっていって、あの見事な赤い身の色になってくるんですよね。
海のたくさんの栄養分を蓄積したサケが川に戻ってくる中で・・・特にクマだったり、鳥だったりがサケを食べると、その栄養分を森に持ち帰ることになるんですね。(サケの)死骸がその場所の栄養分になっていくんです。
炭素や窒素、リンっていうような栄養素がたくさんサケの中にあって、それが土の栄養になったり、それを食べる鳥やクマの栄養になっていくってことなんです。言わば、“海からの贈り物”がサケによって川にもたらされて、生き物も森も豊かになる、もちろん川も豊かになる、それが自然の恵みっていうことになるんですよね」
●循環していくわけですね。
「そうです。循環していくわけです。そういう意味ではサケの役割ってものすごく大きいと思いますね」

星野道夫さんとの出会い
※岡野さんが写真家になったのは、実はいまなお多くのファンがいらっしゃる写真家、星野道夫さんとの出会いがあったからなんです。
岡野さんが星野さんの存在を知ったのは、1988年。カナダ・バンクーバーの英会話学校の先生に、クリスマス・プレゼントとしてもらった星野さんの写真集『MOOSE』を見て、衝撃を受け、さらにアメリカで写真集を出版する日本人がいることに驚いたそうです。そして職業としての写真家にとても興味がわき、どんな人なのか会ってみたいと強く思ったそうです。
とはいえ、アラスカに住んでいて、連絡先もわからない星野さんに、いったいどうやってコンタクトをとって、会うことができたのでしょうか。
「実際、お会いいするにも手立てがないわけですよ。それで一度目のワーキング・ホリデーが終わって日本に帰国した時に、本屋さんに星野さんのエッセイ集があってそれを買って、2回目のワーキング・ホリデーをまた取って、(日本を)出る時はアラスカに行くって決めていたので、そのエッセイ集を持ってアラスカに行ったんですね。
エッセイ集の中に星野さんが行きつけにしているアウトドアのお店の名前があって、そこを訪ねて行ったんですよ。それで、店主のかたが(星野さんを)知っているよ! っていうんで、何人かにお電話して取りついでくださったんです。突然(お店に)行って、いま思うと大変失礼なんですけども、手立てがなくて・・・。
現地の星野さんを知っているかたに電話をつないでいただいて、受話器を渡されて、“すいません、来ちゃったんですけど、星野さんってかたにお会いしたくて” って電話したら、何時に電話してくださいって言われたんですよ。で、一回電話を切って、その後電話し直したら、“あっ、星野です”って。“すいません、岡野なんです。突然来て申し訳ないです”って話になって、明日そのお店に行くから会いましょうって約束してくださって、お店で待ち合わせして、初めてお会いすることができたんですよ」
●すごーい! どうでしたか? 憧れの星野さんにお会いして・・・。
「憧れっていうよりかは、私ファンです! っていう気持ちじゃなくて、職業としての写真家のかたにお会いするって意識だったんですよ。芸能人にお会いするファンですとか、そういう感じでは全然なくて、写真家ってどんな仕事なのか? っていう、もう人生相談ですよね。
もちろん写真の話もお聞きしたかったんですけど、写真家ってどんな仕事なんですか? それを聞きたくて・・・星野さんの印象に残っている言葉がありまして、”この仕事ってお金もかかるし、精神的にものすごく大変なんだけど、なぜそこまでしてやりたいかっていう目的意識、それがすごく大事になるね”って。
それがいちばん大きいお話でしたね、時間がかかるって・・・。その時、写真集も一緒に持って行ったんですけど、星野さんが“あっ! 持ってきたの!”ってびっくりしていましたね。でもページをめくりながら、”実はね、この写真集を作る時に、あまりにも自分が持っている写真が少なくて、ショックだったんだよね”っておっしゃっていて、10年以上やっているかたが、少ないっていうこの言葉の重さ、それがすごく大きかったですよね。
でも、突然行って失礼な話なんですけど、そこまで話をしてくださって、本気で向き合って話をしてくださったのが、すごくありがたかったですし、それがいまも財産になってますよね」
地球の肖像写真
※岡野さんは今後もカナダに通われると思いますが、撮りたい被写体はありますか?
「ひとつサケに関しては、今までこうやって撮影してきたんですけども、動画も撮ってみたいなっていうのはありますね。というのは、昨年9月だったんですけど、写真展を開催させていただいた時に、写真の展示のほかに、ちょっと動画を撮ったものがあってモニターで流していたんですね。
親子連れのかたがいらして、お父さんが(お子さんに)一生懸命説明しているんですよ。お子さんがきょとんと反応がなくて・・・でも、モニターに映った卵が孵るシーンを見ると、すごく前のめりに食いついてきて、やっぱり動いているシーンってお子さんにとってはわかりやすいんだなと思ったんです。
実際にサケの生態とかも見ているんですけど、まだ写真に収めてないところもあるので、そういうとこも撮りたいですね。
あとカナディアン・ロッキーとオーロラ、この三部作でやってきたので、カナディアン・ロッキーも歩いたり、オーロラに関しても、もう少し自分の中で、例えばトナカイと一緒にオーロラを撮れないかなとか、かなり難しいと思うんですけど、そういうところも撮ってみたいなっていうのはありますね」

●では最後に写真を通して、どんなことを伝えたいですか?
「そうですね。ひとつはカナダっていうところを通して、地球の肖像写真を撮っていると思っているんですよ。地球ってどんなところ、僕はカナダを撮る、そういう意味では、地球って私たちのお家のような解釈なんですよね。
いま気候変動だったりとか、いろいろな問題がありますよね。自分たちが住む家を大切にしなきゃいけないのに、開発だったりとかで、どんどん自然を壊しちゃったりして、水害とかいろいろな災害も起きていますよね。
だからそういう意味で考えると、自分たちのお家なんだから、もっと大事にしたいし・・・あとサケを通して食料のことだったりとか、環境だったりとか、そういうことをもっと大事にしてね。
この星で、私たち人間も含めて生き物が生きていけるように、環境を大事にしていかなくちゃいけないよなってのは思います」
INFORMATION
岡野さんの新しい写真集は約25年かけて追い続けたベニザケの、命をつなぐ生態が迫力のある写真とともに紹介されています。凍えるような川に入ってとらえた産卵シーンなど見応えのある写真ばかりですよ。ベニザケを取り巻く環境の変化にも触れています。漢字にはふりがながふってあるので、お子さんにもおすすめです。講談社から絶賛発売中です。詳しくは出版社のサイトをご覧ください。
◎講談社HP:https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000370295
岡野さんはカナダ・イエローナイフでオーロラの撮影も行なっていらっしゃいます。神秘的なオーロラ写真、ぜひ岡野さんのブログで見てくださいね。
◎岡野昭一さんのブログ:https://ameblo.jp/shoichiokano/
2022/11/27 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、幼稚園の先生から里山暮らしの猟師さんになった「束元理恵(つかもと・りえ)」さんです。
束元さんは1994年、広島県生まれ、熊野町育ち。子供が好きで、家族の勧めもあって、2015年に、念願の幼稚園の先生に。ところが1年を過ぎようとしていた頃に体調を崩し、自主退職。苦渋の決断だったこともあり、心にぽっかり穴があいた状態になったそうです。
そんな時、お母さんが気分転換にと理恵さんをドライヴに誘い、北広島町の芸北に連れて行ったそうですよ。芸北地区は広島県と島根県の県境にある、標高800メートルを超える場所もある自然豊かな山あいの里。
そんな芸北に強く惹かれた理恵さんは2017年、22歳の春に移住。慣れない里山暮らしではあったものの、特に不安はなく、地域の方たちに温かく迎えてもらい、春から秋には農家さんのお手伝い、雪深い冬は子供園の先生として、生活費を得ていたそうです。
そんな芸北での暮らしぶりは、先頃出された本『いただきますの山』に詳しく載っていますので、ぜひ読んでください。
現在、芸北を離れ、同じ広島県の江田島に暮らしている束元さんにリモートでお話をうかがいました。
幼稚園の先生から、なぜ猟師さんに!? と思うかも知れませんが、そこには「自分の手で獲って食べる」というこだわりがあったんです。
☆写真協力:束元理恵

現代風なデジタルな猟法
※束元さんは芸北に移住してから、猟師さんの資格を取得されましたが、以前から猟師さんになりたかったんですか?
「はい。もともと猟師ではないんですが、虫取りが好きで、小さい頃はよく野山に入って虫取りをしていました。小学生の頃に海女さんになりたいと思ったことがあったり、何かを獲って、それを食べる仕事をいつかやってみたいなとずっと思っていました」
●最近は猟師さんの資格を持つ女性も増えてきていると思うんですけれども、狩猟をするには、やっぱり地元の猟友会に入らないとダメなんですよね?
「はい。猟友会に入ったほうがいいですね。その土地の決まりとかルールとかもたくさんあって・・・また知らない人が山に入ったら、誰が何をしているんだろうって、地域のかたが不安に思っちゃったりするので、そういうことを教えていただくためにも、猟友会に入ったほうがいいかなと思います」
●猟友会や地元のかたがたは、束元さんのような若い女性が来て、びっくりされたんじゃないですか?
「はい! びっくりされていました(笑)」
●まわりはやっぱりおじ様方が多いんですか? どういう雰囲気なんですか?
「うちの父がちょうど今60代だったりするので、うちの父よりも少し年上のかたっていうイメージで、みなさん、ほんとお父さんのような、おじいちゃんのような感じで接してくださいました」
●いろいろ指導を受けられたそうですけれども、どんな指導を受けたんですか?
「指導は、怒られもしたり(苦笑)・・・やっぱり危ない現場なので、そういうことをしたら危ないよっていうことも厳しく教えてくださったり、時にはその本の中にもあるんですけど、奥さんが作ってくれたおにぎりを分けてくださったりとか、そういう優しいこともありました。
●初めて猟友会のかたたちと狩猟に行ったときは、どうでしたか?
「初めての猟期は、銃を持つこともドキドキして、銃で動物を撃つことも初めてだったので、自分が持っている銃の先を動物に向けたら、その動物の命を奪ってしまうっていうことにもドキドキして、責任をすごく感じました」
●狩猟はリーダーがいて、猟友会のメンバーが連携して動くっていう感じなんですか?
「はい。山のことをよく知っているかたがひとりいらっしゃって、本の中にも出てくるんですけど、私の師匠の元八(もとはち)さんです。どの山がどういう地形かも全部頭に入っとられて、イノシシの気持ちもすごくわかるかたなんですね。
”このイノシシだったら、いま向こうに歩きよるけ、あの谷に出るんじゃないか”とか、そういう指示を出してくれちゃって、それをみんなで無線を聴きながら、”どこどこで待っとくよ”とか、そういうコミュニケーションもすごく大切な猟のやり方です。
たぶんみなさんはマタギ、そういう昔の猟法を思い浮かべられると思うんですけど、今はGPSを使ったりとか、携帯もあるので、写真を撮ってLINEで送ったりとか、本当に現代風なデジタルな猟をしています」

(編集部注:北広島・芸北地区での狩猟期間は、始まりは全国と同じ11月15日からですが、終わりはほかの地区よりも半月ほど長く、2月末だそうです)
ハラハラ、ドキドキ
※猟をするために山に入っている間、どんな気持ちで獲物を待っていたんですか?
「イノシシがいつ自分の目の前に出てくるかがわからないので、最大で4時間、山の中でひとりで待っていたことがあって、そういう時はもうハラハラ、ドキドキしていました。
足を雪の上につけていると、どんどん熱が奪われて、膝の下が感覚がないような状態になったりしたので、雪を掘って、まだ葉っぱがついている杉の葉とかを敷き詰めたりして(そこに足を置いて)待っていました。
本当に雪山は静かで、陽が出ていないうちは静かなんですけど、陽が照り出したら、雪がぽた〜ぽた〜って水滴になって落ちたりとか、そういう音に、“わっ! びっくり”ってなったりとか、イノシシじゃないかと思ったり・・・。
あと時々無線が人から入って、”束元のほうに行った!”って言われたら、もうドキドキが止まらなくて、どうにかして仕留めんと、と思いながら(待っていました)。今まで私の前には出たことがなくて、先輩たちに言われるんですけど、”お前は食い意地が張っとるけ、イノシシも気づいて出のんじゃないんか”っていつも言われていました(笑)」
※初めて自分の銃で仕留めた獲物はなんですか?
「その時は初めてカモを獲りました。川に浮かんでいて、今でもくっきりと覚えているんですけど、どの川でどの場所でっていうのも覚えています。
先輩たちがまわりにいて、1発目を撃つとカモは逃げてしまうので、1発目は束元が撃ちんさいって言って、いつもみなさんが譲ってくださっていました。
私が鉄砲を撃ってカモが落ちていって、そのカモは川に落ちていくので、川をどんどんカモが流れていくのを走って追いかけて、濡れるとかも全然気にならずに川の中に飛び込んで、カモを拾い上げて、自分の手で震えながらしたのを覚えています」
●自分の手でっていうところで、いろんな感情が込み上げたと思うんですけれども、どんな思いでしたか?
「その時は必死で何かを思う余裕もなくって、ただただそのカモを逃がしちゃいけんと思って・・・撃ってそのまま流してしまって、いなくなるっていうのがいちばん失礼だと思うので、どうしても持って帰らんとって思って走ったのを覚えています。
でも後から考えると、このカモもやっぱり生活があったりとか、家族もいたんだろうなと思うと、やっぱり自分がしているのは・・・でもそれもスーパーに行って、ニワトリとかブタとかを買ったりするのと一緒なのかなと思うと、自分の手で獲るって、食べる時にとてもおいしいなと思いながら食べます」
(編集部注:束元さんは師匠から教わったことで、肝に銘じているのは、足を大切にすること。山に入って、獲物を探すのも追いかけるのも足、ということで、師匠から言われた「一足、二足、三に足」という言葉をいまも大事にしているそうです)
セミは美味しい!?

●この本『いただきますの山』には昆虫食のお話も載っていましたよね。実は私の大学時代の恩師が昆虫食を研究していて、この番組にもゲストとして出演してもらったんですけれども、立教大学の野中教授というかたなんです。授業中に、みんなでキャーキャー言いながら、いろんな昆虫を食べさせられたんですけれども(苦笑)。
「何を食べられたんですか?」
●イナゴとか蜂の子とか食べました〜。なんかイモムシみたいなものも・・・。
「そうだったんですね〜」
●昔からイナゴとか蜂の子は食べる文化はありますけれども、束元さんはセミも召し上がっていましたよね?
「はい。セミも食べました」
●セミはどんなふうに処理して食べたんですか?
「成虫はだいたい焼いて食べて、幼虫は茹でたりとか、揚げてからポップコーンのように食べたりとか・・・昆虫の中でいちばん美味しいと思っています」
●セミによって味が違うっていうこともあるんですか?
「セミによっても味が違っていて、ツクツクボウシだったりアブラゼミだったり、いろいろと違うように思います」
●野中先生に私もセミを食べさせられたことがある、食べさせられたって言ったら、あれですけど(苦笑)、食べたことがあるんですけれども、それもパリパリしていて確かに美味しかったんですよ。それは何のセミだったんだろう? ちょっと見るのも怖くて、薄目にしながら食べたので・・・(笑)
「あ、そうなんですね〜」
●あまり覚えてないんですが、セミによって味も違うんですね?
「木の樹液を吸って育つので、樹液によって香りが違うのかなっていう研究をされているかたもいました」
●なるほど〜、昆虫食も奥深いですね。特に束元さんが美味しいなって思った昆虫はありますか?
「特に美味しいのは・・・セミが美味しいなと思うんですけど」
(編集部注:束元さんいわく、春に採れるカミキリムシの幼虫は、昆虫食界では最も美味しい虫とされ、「昆虫界のトロ」と言われるほど、人気なんだそうです)
本当の食欲とは

※北広島の芸北では、借りた畑で作物を育てていましたよね。どんなものを作っていたんですか?
「畑では夏野菜をおもに育てていたり、秋から来年の春にかけては麦を育てて小麦(のタネ)を蒔いて収穫して・・・石臼も近くの石屋さんが特注で作ってくださったので、その石臼で粉をひいてパンにしていました」
●いろいろご自身でやるとなると手間暇もかかると思いますが、でもそれだけやっぱりでき上がった時の達成感というか・・・どんな気持ちになるんですか?
「なんか不思議なんですけど、パンを焼く時に麦畑の匂いがして、収穫前の麦畑にいた気持ちを思い出して、1年間通してパンを作ったと思ったら、とても感動してちょっとずつ食べました」
●そうなんですよね〜、思い入れがすごく強いですよね。都会に暮らしているとスーパーマーケットとかに行けば、すぐに食材が手に入る環境にありますよね。
例えば食肉にしてくださるかたたちがいて、初めてお肉が食べられるわけですけれども、普段命をいただいている意識が希薄になっているなって思うんです。自然のものを獲って食べることをされている束元さんは、どのように感じられますか?
「焼肉に行ったりした時に、牛だと思って食べるよりは、何の肉とかハラミとか、そういうふうに並べてあるので、なんかいくらでも食べて・・・というか、食べ放題ならたくさん食べたほうがいいじゃないですか。だからたくさん食べるんですけど・・・。
イノシシを実際に自分で捌いて食べた時に、これはお腹のお肉だったなとか、背中のお肉だったなと思いながら食べると、お腹がいっぱいになるまで食べることができなかったんですね。
なぜか捌いている間にお腹がいっぱいなるような経験があって、もしかしたらそれが本当の食欲なのかなと思いながら・・・だから自分で獲って食べることが本当の食べるっていうわけじゃないですけど、私はそれを選びたいなと思って続けたいです」
芸北の人たちに恩返し
※束元さんは、現在は銃の免許は返上されていますが、今後また猟師さんに戻ることはありますか?
「銃の猟はすることはないかもしれないんですけど、箱罠っていう罠の檻をかけたりとか、ワイヤーで足をくくったりする括くり罠っていうものがあって、その罠の免許は今も継続して持っているので、罠の猟師は続けたいと思っています。
今年、江田島に引っ越してしまったんですが、芸北の猟友会のかたたちとは今もつながりがあるので、雪が降った時に、私は銃は撃てないんですけど、イノシシを追いかける役はできるかなと思っています。そういうのを”勢いの子”って書いて、『せこ』って読むんですけど、勢子として参加できたらいいなと思っております」
●また師匠たちと一緒に?
「はい。山を歩けたらと思っています」
●いいですね〜。では最後に、北広島町の芸北地区での暮らしは、束元さんに何を残しましたか?
「私は芸北で、最後はちょっと体調崩してしまったんですけど、いろんなかたがたに教えてもらった、命のいただき方というか、イノシシの獲り方とか、あとお米の作り方とか、里山で暮らす中での自然と人との間のいろんな葛藤とか・・・。
そういうことをたくさん経験して、実際に見て体験して、悔しい気持ちにもなったり、悲しくなったり、時にはみんなでお祭りをして喜んだりとか・・・実際に自分で経験したことで 、自分の血となって肉となって、力になっているのをすごく感じています。
そういうことをたくさんいただいたので、今度は私が芸北に住んでいた時にお世話になったかたがたに、たくさん恩返しができたらいいなと・・・どういう形かわからないんですけど、今回この『いただきますの山』っていう生活の本を通して、北広島の素晴らしさとか、人の温かさとか、自然の豊かさをたくさんの人に届けることから始めたいなと思っています」
INFORMATION
束元さんの初めての本は、副題に「昆虫食ガール 狩猟女子 里山移住の成長記録」とあるように、北広島の芸北地区で猟友会や地域の方たちにいろいろなことを教えてもらいながら、過ごした日々と自然や生き物への感謝、そして命をいただくことへの葛藤を綴った青春ドキュメントです。ぜひ読んでください。
「ミチコーポレーション・ぞうさん出版事業部」から絶賛発売中です。詳しくは出版社のサイトをご覧ください。
◎ミチコーポレーション・ぞうさん出版事業部HP:https://zousanbooks.com
2022/11/20 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、「無人島プロジェクト」の代表「梶 海斗(かじ・かいと)」さんです。
梶さんは1988年生まれ。京都出身。同志社大学卒業後、リクルートに入社。その後、無人島ツアーを企画し、2016年に株式会社ジョブライブを設立、代表取締役に。そして現在、無人島プロジェクトの事業を展開されています。
きょうはそんな梶さんに無人島体験ツアーや、島でのキャンプ生活がもたらす効果などお話しいただきます。
☆写真協力:無人島プロジェクト

生きるを学ぶ体験
※いったいどんなプロジェクトなのか、お話をうかがっていきましょう。まずは、無人島プロジェクトについて教えてください。
「はい、日本全国には6400近くの無人島があるんですけれども、そういった無人島にお客様をお連れして、『生きるを学ぶ』体験というのを提供しています」
●無人島プロジェクトのテーマが「生きるを学ぶ」なんですね。
「そうですね。まさに来ていただくお客様には『生きるを学ぶ』を大切にしていただきます。みなさん、日々色んなことをされていると思うんですね。仕事をしたりだとか趣味にいそしんだりだとか・・・・実はその生活の根底に、食べるとか水を飲むとかそういったところがありますよね。
無人島に行くと、さあご飯を食べようと思っても食料調達から始まりますし、調理しようと思うと火を起こさなくてはいけないところがあって、それが当たり前に今の日常では提供されていることに気付けたりもするんですよね。
無人島でしか気付けないことがたくさんあって、そういったことも含めて、生きるとは何なのか、生きることにどういうことが含まれているのかを、少し気付いていただくっていうようなことですね。生きるを学べるような価値があるかなと考えていまして、それがひとつテーマになっています。
一方で、無人島というくくりで言いますと、先ほども言いましたように日本全国に無人島は6400もあって、(有人島を含めると)日本には6800近くの島があるんですけれども、人が住んでいない島のほうが多いんですね。それをどう活用していくのかが、地域を盛り上げるためにも非常に重要になってきますので、そういう活用プロジェクトも、ひとつのテーマだと思います」
『十五少年漂流記』に憧れて

※梶さんが個人的に、初めて無人島に行ったのはいつ頃なんですか?
「初めては、私が19歳の頃ですので、2007年から2008年ぐらいじゃないですかね」
●どこの無人島に行かれたんですか?
「私は京都出身ですので、京都から近い島はどこにあるのかを、インターネットが(今ほど)発展していない中でなんとか調べて、たどり着いたのが瀬戸内海で・・・瀬戸内海の無人島に京都から行ったのが初めてでした」
●どうしてまた無人島に行ってみようと思われたんですか?
「無人島っていう言葉が冒険心をくすぐるというか、そういうのがあると思うんです。自分自身は小学生の時に、『十五少年漂流記』っていう小説を読んだんですね。ロビンソン・クルーソーみたいなやつなんですけど・・・15人の少年が、船が難破して、たどり着いたのが無人島で、そこで共同生活をしていくっていうストーリーなんです。
仲間と一緒に限られた環境で生き抜いて、絆ができていくっていうようなことに対して憧れがあって、いつか(無人島に)行ってみたいなっていうことを、ずっとなんとなく心のどこかに持っていました。それが大学生になった時に何か新しいことをしたい、キャンプで何かできないかなと思った時に無人島に行ってみようって、ふと思い立ったんですね。
行けるかどうかは全然わからないので、手探り状態だったんですけど、まずは人口が30人とか40人ぐらいしかいないような小さい有人離島にフェリーが出ていますので、そこに行って漁師さんに頼み込んでみたんですよ。そうすると無人島に渡してあげるというような話があって、今こうなるとは(その時は)思っていませんけど、そこが本当にいちばん最初の始まりでしたね」
●それを今度はビジネスにしようと思われたのは、いつ頃なんですか?
「思い立ったのは社会人2年目ですので、2013年から2014年ぐらいのタイミングだと思うんです。無人島に初めて行ってから毎年行くようになったんですよ。友達を連れて行くとすごく喜んでくれるんですね。
こんな体験できるところないし、誘ってくれる友達もなかなかいないから、自分が楽しんでいたのと同じように仲間も楽しんでくれていたんです。そういう人たちが増えていく・・・次は誰を連れて行きたいとか、将来子供できたら子供と行きたいよね、みたいな話とかをもらうようになって、なんとなく心の中に、需要はあるんだなって思っていたんだと思います。
で、いざ自分でビジネスを立ち上げようっていう気持ちになった時に、何をテーマにするのかを考えた時に、そのひとつとして無人島をやりたいなって思ったんですね」
(編集部注:梶さんは小学生の頃にYMCAのキャンプ教室に参加。そのとき、キャンプのスキルを身につけていたので、無人島に初めて行ったときでも、不安はなかったそうです。子供の頃からアウトドアや自然が大好きだったそうですよ)
個人から企業向けプランまで

※無人島プロジェクトでは現在、どんなツアーや事業を行なっているんですか?
「まずは、今までお話ししたような私のルーツである個人向けのツアーですね。日本全国、みなさん、無人島にほぼ行ったことない人ですし、キャンプも初めてという人が20%から30%ぐらいはいらっしゃるので、アウトドアにそんなに慣れていないかたでも無人島で2泊3日、初めて出会った仲間たちと冒険するツアーをやっているんです。
これがすごく人気で、今までで1500人近くのかたにお越しいただいています。1回あたり20人から30人で行きますので、それなりの回数になるんですけれども、みなさんすごく満足して、初めて出会ったと思えないぐらい仲良くなって、たくましくなって(無人島から)帰ってきてくれます。これが個人向けのツアーで、我々スタッフとかインストラクターが付いていくパターンです。
もうひとつが仲間たちだけで無人島を借り切って、自分たちでキャンプするプランもやっています。これが『無人島セレクト』っていう名前でやっているんですけど、島を選べるんですよ。島がいくつかあって、その中から(参加者が)この島いいな〜って思ったら、そこに行く船の手配だとかキャンプ道具の手配は我々でさせていただきます。
無人島で過ごす注意事項とかそういうガイダンスをさせていただいたうえで、みなさんで1泊2日楽しんでいただきます。もちろん、なにかあって連絡いただいたらすぐ助けに行くんですけど、助けに行くようなことはあまり起きないですね。そういう個人向けプランもあります。
あとは我々、日本全国の無人島、あちこちと提携していますので、そういったところをオーダーメイドで使わせていただいています。
例えば、無人島を借り切ってイベントをやりたいとか、子供向けの体験教室をやりたいとか、企業研修で新入社員にたくましくなる経験をしてほしいとか・・・やっぱり助け合わないと無人島では生きていけないので、難易度は会社によって様々なんですけど、こんな体験をしたいとか、そういったお話をうかがいながら、ゼロから一緒に作っていくオーダーメイド・プランがあって、これも人気ですね」
(編集部注:無人島プロジェクトでは現在およそ100の島と提携しているそうです)
ルールは敬語禁止!?

※先ほどお話にあった、アウトドア初心者のかたが多く参加する個人向けツアーで、20人から30人の参加者が2泊3日の無人島体験をする企画、これは「ベーシックキャンプ」というツアーなんですが、このツアーには、こんなルールがあるそうですよ。
「ルールは敬語が禁止(笑)。日常では社会的な立場とか年齢とか、いろいろあるけれども、 今からみんなは無人島に行って、無人島に漂着したんだと。だからひとりの人間として助け合わなきゃいけない。助け合って3日間、きちんと生き抜いて帰ってこようね。
もちろんスタッフはいて、そのためにサポートはするけど、みんなで生き抜くことが今までにない経験で楽しいことだから、それをサポートするガイドみたいなもんですよ。だからみんなで、スタッフも含めた30人で、3日間生きていきましょう! っていうガイダンスから始まるんですね」
●へぇ〜、面白いですね。
「もちろん敬語は、慣れなかったら、最初は出ちゃうんですけど、徐々にみんな慣れていきますね。何をするにも、火を起こすにも食料を調達するにもテント建てるにも、助け合わなきゃいけないので、固くなっちゃっているのが自然に取れていって、2日目の夜にはもう明日終わってしまうのが寂しいねとか、生き抜くことがどんなに大変なのかを一緒に理解し合えたねとか、ちょっと苦しいことを一緒に分かち合えた仲間たちになって帰ってきてくれるんですよ。

無人島を活用していろいろやらせていただいていますけど、私がこの無人島の企画をやりたいなって思えたのは、非日常体験を通じて人生の転機になり得るような、すごく濃い3日間を作れるところが、とても魅力的だなと思って始めたってことがあります。
初めましての人たちと、敬語禁止ルールとかがある中で、3日間一緒に助け合って生き抜くツアーにはなるんですけれども、ただ体験をするだけではない深さとか、そういったものも提供できているんじゃないかなって思っています」
(編集部注:無人島プロジェクトでは、ロケ撮影のコーディネイトも行なっています。例えば、ゴールデンボンバーの全国ツアーファイナルの無人島ライヴをサポートしたこともあるそうです。無人島からの配信ライヴで、その映像にはドローン撮影もあり、島の全景が映し出され、ロマンを感じたそうですよ)
「生きる」を全部やってみる
※無人島でのキャンプは、参加者のかたの意外な才能が発揮されたりすることもあるんじゃないですか?
「むちゃくちゃありますよ。本当にひとりひとりできることもそうだし、キャラクターも違うので、みんなの中心になって盛り上げることが上手な子もいますし、みんなが見てないところで、”これから暗くなると思って”と言って、大量の焚き木を持ってきてくれる子がいたり、誰も気づかなかったわ、それ! っていうような・・・。

魚を捕ってくる子もいれば・・・スキルっていう観点でいうと、料理が上手な子とか、歌を唄うのが上手とか踊れるとか泳げるとか、それぞれ人生があって、できることが違うので、それを生かしていただける環境があって、みんなの役に立つ、っていうような状態なので、本当にバラバラな個性があって楽しいですよね」
●サバイバルに近い状態ですから、積極的に自分たちで動かなきゃっていう気持ちにもなりますよね。
「そうですね」
●動かなきゃ始まらないですよね。
「それがいいところだとは思うんですけどね。何もしないってこともできるんですけど、何もしなかったら楽しくないですし・・・」
●そうですよね〜。
「みんな、無人島って環境は、着いちゃったんで諦めるんですよね(笑)。諦めた上で、いかにみんなで楽しい時間を過ごすのか、どうやって過ごせるのかっていうことに、自然とフォーカスしていけるので、初めて出会ったんだけど、ある意味ひとつの方向を向きやすいのが面白いところですね」
●参加されたかたに、価値観が変わったとか人生感が変わったとか、そんなかたもいらっしゃるんじゃないですか?
「ありがたいことに、そういうお話をいただくことも多いですね。100円持っていれば、わずか1〜2分でコンビニで肉まんが買えて、めちゃめちゃおいしいじゃないですか。それがどれだけ恵まれたことなのか、みたいな話とか・・・お布団ってすごいんだなみたいな、そんな話もありますね。
あとは、日常の日々の暮らしが、すごくありがたいことなんだと気づいて、違う場所に移住をすることを考えるかたがいたりとか、人々と助け合って生きていくことに、もっとフォーカスした生き方をしたいっていうので、都会からちょっと違うところに生活(の拠点)を変えたりだとか・・・。
逆に結婚の決意をされるかたとか、離婚を決意するかたとか・・・いろんな感情が溢れるんだと思うんです。ねらっているわけじゃないですけど、島で出会って結婚するかたがいたりもしますね」
●ここまで生きることを全力でするって、都会にいたらなかなかないですよね、そういう経験ってね。
「ないと思うんですよ。便利なものはいっぱいありますし、逆に言うとそれは人の力だと思うんですけど、ただ人生に一度ぐらいは、自分で自分の生きるを全部やってみるっていう体験があってもいいかなとは思いますね」
「やりたい」をかなえる
※無人島プロジェクトの、12月以降、または来年のツアーでおすすめはありますか?
「やっぱり無人島っていうと夏のイメージ強いじゃないですか。みんなヤシの木の生えた常夏の島を思い浮かべると思うんですね。暗い曇り空のゴツゴツした岩肌の、風が吹きすさぶ島には行きたくないっていうのが本音だと思いますので(笑)、我々のツアー自体はだいたい夏なんですよ。ゴールデンウィークとか7日から10日ぐらいの連休でやることが多いんです。
ただ、先ほどお伝えした少数のグループで、無人島を借り切って使っていただける『無人島セレクト』のプランだったりとか、あとはやりたいことに合わせた企画を提供するオーダーメイドのプランは年中やっていますので、そこはお問い合わせいただければと思います。
たまにすごい強者が、真冬の無人島サバイバル体験をやりたい、YouTubeで配信したいとか、そういったお話もいただくことがあるので、無人島でこれをやりたいっていうのをかなえるのが我々かなと思いますので、まずはお問い合わせいただければと思いますね」
●では、最後に梶さんにとって無人島とは?
「無人島だから人の温かみだったり、社会の温かみだったり、生きることに対する大切さを感じさせてくれる場所だなって思っています」
INFORMATION
無人島プロジェクト

無人島プロジェクトで実施しているツアーは以下の通り。
参加型の個人向けツアー、2泊3日の「ベーシックキャンプ」は現在、姫路と博多での開催となっています。
仲間と行く個人向けツアー「無人島セレクト」は、行きたい無人島を選べるプランです。
ほかにも研修や会社の行事を無人島で行ないたい法人向けのオーダーメイド・プランなどもあります。
詳しくは、無人島プロジェクトのオフィシャルサイトをご覧ください。
◎無人島プロジェクトHP:https://mujinto.jp
2022/11/13 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、北極冒険家の「荻田泰永(おぎた・やすなが)」さんです。
荻田さんは1977年、神奈川県生まれ。21歳のときにたまたま見たテレビのトーク番組で、冒険家の大場満郎さんが若者たちを連れて北極に行くことを知ったそうです。
エネルギーを持て余していた荻田さんは、北極に行ってみたいと思い、大場さんに手紙を書き、大場さん主宰の「北磁極を目指す冒険ウォーク」に参加することに。そしてカナダの北極圏から北磁極までの700キロを、食料などを積んだ重いソリを引いて、35日間かけて、徒歩で走破。
実は荻田さん、参加する前は、アウトドアの経験はまったくなく、海外に行くのも、飛行機に乗るのも初めてだったそうですよ。
その後、たったひとり徒歩で、それも食料などの補給を受けずに北極点を目指す冒険にチャレンジするなど、20年間に16回、北極に行き、北極圏をおよそ1万キロ以上、移動。2018年には「植村直己冒険賞」を受賞、国内外で注目されている北極冒険家でいらっしゃいます。
きょうはそんな荻田さんに、20年以上通い続けている北極の魅力や、先頃出された絵本『PIHOTEK(ピヒュッティ)〜北極を風と歩く』のお話などうかがいます。
◎写真:荻田泰永

北極冒険の扉を開く
※2000年に冒険家・大場満郎さんの「北磁極を目指す冒険ウォーク」に参加されて、北極に行ったわけですけど、初めての北極体験は荻田さんに何を残しましたか?
「何を残したんでしょうね。最初は大場さんの旅に参加する前は、なんか広い世界に出てみたいなっていう思いはありながらも、出方が分からないし、出る扉の存在も分からなかった。どの扉を開ければいいのか全く分からないし、(大場さんが)扉の存在を教えてくれたし、開けたらどういう世界が待っているかを、一回体験させてもらったんです。
その翌年から今度はひとりで行くようになるんですけども、やっぱり一回(扉を)開けると、次もう一回、自分で開けてみようっていうところに、えいや〜っと行けるので、そのきっかけを作ってもらったって感じですね」
●その扉を開けて、もう20年以上、北極に通われていますよね。何がそんなに荻田さんを惹きつけるんですか?
「よく(言われるのは)初めの北極で夢中になっちゃったんですね、とかね。翌年からひとりで行くんですけどね。確かに魅力があるんですけど、正直に言うと別にほかに行けるところがなかったから、また北極に行っただけです。
行動力が本当にある人は、たぶん大場さんのテレビを見る前にもう動いているんですよ。でも私はその行動力はなかったんですね。動けなかったんです。だから大場さんの計画、言葉に乗ったんです。連れて行ってもらったんです。”行った”んじゃないんです。”連れて行って”もらったんです。
翌年、北極に行くんですけども、その時も北極以外行ったことがないから、今度はひとりで動かなければって時に、必然的に行ける場所は北極しかないわけですよ。土地勘があるのはそこしかないんで・・・。
だから魅力があったから重ねて行ったっていうよりは、最初のうちはそこしか行けないから、もう1回行ったっていう要素が強くて・・・ただ何度も重ねて行くと、今度は北極に行く理由がちょっとずつ見つかってくるし、面白さとか難しさとか、そういうものが分かってくるんですよね。
例えば現地で、昔から住んでいるイヌイットの人たちと一緒に狩りに行くと、やっぱり日本とは違う常識に出会えるし、違う価値観に出会えるし、全く違う自然の世界がそこにあるし、そういうのも魅力ですね。
極地冒険は、やる人が少ないので情報も少ないですし、装備もないです。ないからこそ自分で考える、自分で工夫しなければいけない。アウトドアショップに行ってお金で解決できないんですよね。
ないものは自分で作るとか、地元の人たちはどんなものを使っているんだろうっていうのを観察して、そこから真似るとかね。なんかエッセンスを盗むとか、そういうのが必要になってくるんですけど、それがまた面白い。そこに主体性があるんですね。道具をお金で解決できるって、そこにはあまり主体性がないんですよ。そういうところの面白さですかね」
(編集部注:荻田さんが北極冒険の拠点にしているのは、おもにカナダ北極圏のレゾリュートという、人口が200人ほどの小さな村だそうです。食料や装備などは、もちろん日本で準備していくそうですが、足りないものはカナダのバンクーバーほか、レゾリュートでも調達するとのこと)
いちばん怖いのは自分自身
※荻田さんは2012年と2014年に北極点に向けて、無補給単独徒歩での到達にチャレンジされました。北極点は南極と違って海の上、なんですよね。
「そうですね」
●ということは、氷の上をずっと歩いて行くっていうことですよね?
「そうですね。みなさんはあまり北極と南極って何が違うんだろうとか、イメージがわきづらいとは思うんですけど、大雑把にいうと南極は”南極大陸”であって、北極の場合は”北極海”って海なんですね。
私は南極は1回行ってますけども、メインは北極であって、北極の場合はだから海の上を歩く、海の表面を歩くんです。
北極海ってまあ広いわけですね。対岸はロシア、シベリア、ユーラシア大陸、その反対側に北米大陸があって、2000キロから3000キロ四方の大きな海になっていますけども、平均の水深でいうと2000メートル近くあるんです。
海の深さが平均して2000メートルあるんですけど、氷の厚み、海の表面の氷の厚みは平均すると2メートルくらいのもんですね。2000メートルの海の水に対して、表面の2メートル凍っているだけなんで、本当に薄い膜が張っている程度です。その上を歩いて行くのが極地の冒険です。薄膜なので、氷は流れるし、動くし、風の作用で流れたりとか、海流で流れたりとか、表面の氷は激しく動き回るんです。
だから、割れたりとか、ぶつかったりとか、流されたりとかっていうのはしょっちゅう起きる。平らなスケートリンクみたいな平原とか氷原を想像するかもしれないですけど、現場に立つと凸凹なんですよ。海辺のテトラポットを積み上げたみたいな氷が、自動車大のブロックが、何個も積み上がった壁のような状態が永遠と続いているのが北極海ですね」

●危険だらけじゃないですか! 何がいちばん怖いですか?
「いちばん怖いのは自分自身ですよね。我々、東京で生活していても危険はいっぱいあるじゃないですか。みなさん、自然の中に行くと、危険でしょ危険でしょって言うんですけど、私は都市のほうが予測不可能な危険がはるかに多いと思うんです。
なぜかっていうと、都市の中では人為的な作用で、どうにもできない要素があまりにも多いんです。他者が多いから・・・。では極地でそういうことが起きるかっていうと、極地っていうか自然の中ってないんです。自然の中で起きることは、全部自然の法則に則っているんです。
よく言われるのが、自然の中では何が起きるか分かんないでしょって・・・。分かるんです。ただいつどこで起きるかが分からない、もちろんね。北極を歩いていても、起きる危険の要素は種類をあげつらえば、数は少ないんですよ。寒さとか、ホッキョクグマとか、風とか、足元が薄い氷であるとか、数えられるぐらいのものしかないんです。
都市だったら、数えきれないぐらい要素がありますよね。その要素はすべて他人が関わっているんです。全く予測不可能です、こっちのほうが・・・。でも極地は起きる要素は数限られているし、そのひとつひとつが、なぜどういう理由で起きるかがちゃんと分かるんですよ」
●想定できるってことですね。
「できるんですよ。ただそれを事故に結びつけちゃうのは、自分自身の経験不足だったりとか、知識不足だったりとか、準備不足とか、装備が不足しているとかっていう自分の中の問題だから、いちばん怖いのは自分自身ですね」
(編集部注:荻田さんは2018年に日本人として初めて、南極点・無補給・単独徒歩での到達に成功されています。荻田さんいわく、南極は大陸でほぼ平坦なので、極端な言い方をすると、北極よりは簡単だったそうですよ。北極の経験があるからこその成功だったんでしょうね)
できることのちょっと上!?
※食料や燃料などを補給せずに、ひとりで歩くスタイルは、冒険のハードルを一気に上げている気がするんですけど、どうして、そこにこだわっているんですか?
「なぜかって言ったら、そうしないとできちゃうから。要は無補給は外部からの物資補給を受けない。外部のサポート、人の力を借りない。単独はひとりで徒歩、機動力は自分の体っていうことですね。つまり条件は”無補給・単独・徒歩”の3つです。
無補給じゃなかったら、外部からの物資補給を受けるっていうこと。単独じゃなかったら複数人ってことですね。徒歩じゃなかったら機動力を使うってことです。スノーモービル使うとか、犬ぞりを使うとか。
要は物資補給を受けたら、北極点(到達)なんて今の自分の力だったらできちゃう。初めからできると分かっていることをやったって、何にもやる必要ないじゃないですか。ただの確認作業なので・・・。
これは自分ができるかな、できないかなっていうのを見極めて、今自分が確実にできることのちょっと上をやらなかったら、そこのちょっとの部分が成長なわけですよ。確実にできることの下をやったところで成長はないんですよね。
かといって、あまりにも飛び越えすぎて、確実にできることと、やろうとしていることに、あまりにも乖離(かいり)があると、それは無謀と言われることになっちゃうので、 そのさじ加減は全部自分で決めるんですけどね。で、なんでそれ(無補給・単独・徒歩)をやるかっていうと、 それが自分ができることのちょっと上のところだから、それを選んだだけですね」

●なるほど、そういうことなんですね。当然、多めに食料とかは持って行くってことですよね?
「ある程度多めに、といっても、そんなにたくさんは持っていかないですけどね」
●テントとかも含めて装備や物資は、どれぐらいの重さになるんですか?
「大体50日とか60日分の食料や装備を引くんですけど、100キロから120キログラムぐらいですね」
●へ〜! それをソリに積んで引っ張るっていうことですか?
「そういうことですね。自分の力で、体にハーネスっていうベルト付けて、腰からロープを取ってソリにつないで・・・。ソリといっても船の形でボート状のものなんですけど、足元はスキーを履いて、自分の力で引っ張っていくっていうスタイルですね」
※北極の場合、冒険に適した時期はいつ頃なんですか?
「北極の場合は海が凍った時を狙っていくんですね。 北極といってもやっぱり季節の巡りがあるので、北半球ですから日本と同じです。8月ぐらいがいちばん暖かくて、そうすると海の氷も大体、全部じゃないですけども、結構溶けるんですね 。また青青とした海に戻るんです。そうなると、もちろん歩けない。
いちばん歩ける時期が3月前後ですね。その時期がいちばん気温も下がって、いちばん氷が分厚く安定した時を狙って行く、っていうのが2月から3月、4月、5月の上旬ぐらいまでですね」
●最低気温だと、どれぐらいになるんですか?
「私が軽減したのはマイナス56度までは、動いていますね」
(編集部注:荻田さんが経験したマイナス56度、想像できない世界ですよね。荻田さんによれば、現地で低温に体を慣らすトレーニングを行なって、冒険の旅に出るので、時にはマイナス30度でも暖かく感じることがあるそうです。寒さとは温度という数字ではなく、寒く感じるかどうかだとおっしゃっていましたよ)
イヌイットからもらった名前!?
●先頃「PIHOTEK (ピヒュッティ) 北極を風と歩く」という絵本を出されました。私も読ませていただきましたけれども、たったひとりで北極を歩く”僕”の1日が描かれていますよね。この僕を通して 生きるということをすごく考えさせられたんですけれども、このタイトルの「ピヒュッティ」にはどんな意味があるんですか?

「これはぜひ本を読んでいただきたいなっていうのもあるんですけど、ネタバレをしちゃうと、私が北極のイヌイットの村で、イヌイットのおじさんからもらった名前なんですね。
イヌイットってよそから来た人たちと親しくなると名前をくれるんです。 で、ピヒュッティっていう名前をつけてくれたんですけど、その意味は”雪の中を歩いて旅をする男”っていう意味があって、お前にぴったりだろう! って、つけてくれたっていうのがエピソードですね」
●初めてピヒュッティという言葉を聞いた時は、どんなことを感じられました?
「語感は可愛いらしいじゃないですか(笑)。 だから、なんかしっくり来るような来ないような、みたいな感じでしたけど・・・嬉しかったですね」
●この絵本は荻田さんがストーリーを考えたんですよね?
「そうですね」
●絵本のイメージは、いつ頃からあったんですか?
「2020年の年末ぐらいから動き出して、実際、完成して発売したのが今年の8月です。だから1年半以上やってましたね。
きょうの話を通して、私かなり理屈でしゃべってるんですよ 。理屈っぽくしゃべってるし、たぶん理屈をだいぶしゃべってると思うんですけど、こうやって言葉で説明できる部分は、実は私のやっていることもそうだし、世界全体を見渡しても、言葉で表現できる部分は本当にごく一部でしかないんですね。
例えば、ホッキョクグマは言葉を持ってないわけですよ。ホッキョクグマは何を考えているかって言葉では表せないですよね。でも彼らだって何かを考えているわけですよ。それは、人間の言葉で書き起こそうと思ったら言えるけども、でも人間の言葉で書き起こした瞬間に、それはホッキョクグマの考えていることじゃないし、とかね。
だからなんていうかな・・・言葉の限界はどうしてもあるし、私がやっていることって冒険とか探検って言われますけども、 日本語を分解したら、”冒険”は危険を冒す、険しきを冒す、危ないことをするっていう意味ですよ。”探検”は、探り調べること、探査・検査・検証とかっていう意味ですから、探検っていうのはね。
私は確かにさっきも言ったように、危険なことはあるかもしれないけど、危険を冒しに行っているわけじゃないし、 危険であるのは(北極に)行っている間の付随事項みたいなものであって、それがメインじゃないんですよね。
何かを調べに調査に行っているかって言ったら、そういうわけでもないし・・・そうなると、私がやっていることは、探検とか冒険っていう言葉で100パーセント言い表しているかっていうと、全く言い表せていないんです。
じゃあなんですかって言っても、 言葉がないから言い表せないんですよ。言葉で表せられないんだったら絵で表現するとか・・・別の表現方法も人間は持っているんですよね。そういうイメージもあって、絵本を作ってみようかなっていうのはありますね」
(編集部注:絵本『PIHOTEK(ピヒュッティ)〜北極を風と歩く』の絵は、絵本作家で画家の井上奈奈さんが担当されています。荻田さんは以前から井上さんとは知り合いで、絵を描いてもらうのは、この人しかいない、と思ってお願いしたそうです。お陰で、深味のある“大人の絵本”に仕上がったとのこと)

テーマは「風と命」
※この絵本を通して、どんなことを伝えたいですか?
「そうですね。感じ方は人それぞれで全然いいんですけども、今回、私が書いた絵本は、”風と命”をテーマにしています。命をテーマにすると、生きる生かされるとか、食べる食べられるとか、主体と客体に分けた話にどうしてもなりがちなんですけど、命に主体も客体も本来ないはずなんですよ。
全部つながっているわけですから・・・全てつながっていますよね。地球っていう宇宙から閉ざされた空間の中で、40億年ほど前に生命が生まれてから、ずーっと繰り返しているわけですよ。
私の体を作っているカルシウムとかアミノ酸とかっていうのは、ある日突然、無から急に発生したものじゃなくて、分子レベル原子レベルでいったら、100年前とか1万年前とか1億年前には何かの植物だっただろうし、土の中に埋まっていたかもしれないし、何かの動物だったり・・・そういう物質が私を作っているわけであって、そういった時に私という主体はどこにあるかって言ったら、そんなものないんですよね。
そういうつながり、その関係性全体こそが主体であって・・・だから命っていう話を書こうかなって思った時に、主体と客体に分けない話にしようと思って、全部が交じり合っていくような話にして、ああいう感じになりました! ぜひみなさんに読んでもらえたら嬉しいですけど・・・」
(編集部注:荻田さんは、北極に行くきっかけを作ってくれた冒険家の大場満郎さんがしてくださったように、2019年に若者たちを連れて、カナダ北極圏をおよそ1ヶ月かけて600キロ歩いたそうです。20年前の自分と旅したような気分になり、とても新鮮だったそうですよ。この活動はできれば、今後も続けていきたいとのこと)
INFORMATION
荻田さんが先頃出された絵本は、北極をたったひとりで歩く“僕”の1日が描かれ、北極の冒険を追体験できます。井上奈奈さんの、柔らかいタッチの絵とのコラボレーションが深みのある世界を醸し出しています。素敵な大人の絵本、ぜひ読んでください。講談社から絶賛発売中です。詳しくは出版社のサイトをご覧ください。
◎講談社HP:https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000363049

荻田さんは去年、神奈川県大和市に「冒険研究所書店」という本屋さんを開業されました。冒険に関する本は多いものの、普通の本屋さんだそうですよ。詳しくはぜひ荻田さんのオフィシャルサイトを見てください。
◎荻田泰永さんHP:https://www.ogita-exp.com
2022/11/6 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは漫画家、そしてイラストレーターの「まつおるか」さんです。
まつおるかさんは1994年生まれ、大阪出身。小さい頃から絵を描くのが好きで、中学生の頃から漫画家になりたかったそうです。そして現在はプロとして活躍、シャチを始めとする海の生き物のコミック・エッセイやキャラクター・グッズ、LINEのスタンプなどが人気なんです。特に可愛いシャチのキャラクターで知られています。
ペンネームのまつおるかは、シャチの別名「オルカ」を文字っていて、それほど、シャチにぞっこんなんです。
きょうはそんなまつおるかさんに、大好きなシャチへの思いや、「すみだ水族館」の愛くるしいペンギンのお話などうかがいます。
☆イラストレーション:まつおるか
☆誌面提供:まつおるか著『下町ペンギン物語』(発行:株式会社KADOKAWA)

可愛くて強いシャチ
※シャチは英語名で「キラーホエール」とも呼ばれていて、怖いイメージがあると思うんですが、シャチのどんなところに魅力を感じているんですか?
「目の上のところに白い“アイパッチ”って言われる特徴的な模様があるんですけど、あれが人に例えると眉毛っぽくて、ちょっと癒し系な顔をしているんです。あとは口の下に白い部分があるんですけど、あれもにっこり笑っているような、そんな顔をしています。
実は顔だけ見るとすごく可愛らしくて、そういう可愛らしさと、海の王者と言われるほどの強さを持っているところが、私は魅力だと感じています」
●シャチのことを好きになったきっかけは、何かあったんですか?
「和歌山県にアドベンチャーワールドという動物園と水族館が一緒になったような施設があるんですけど、そこで小さい頃、初めてシャチを見たんです。私はそのアイパッチの部分が目だと思って、なんか変な顔をした生き物だなと感じていたんですね。
でも大人になってから、そこが目じゃないっていうのが分かって、意外と可愛い顔をしているっていうのと、その生態をものすごく調べて、サメも食べるし、頭もいいし・・・でも家族思いで、すごく可愛らしい生き物だと知ってから、すごく虜になりました」
●小さい頃からずっとシャチが好きだったっていうよりは、大人になってからいろんな魅力を知ったという感じなんですね。
「そうですね。改めて知ってからですね」
●シャチが飼育されている水族館として、関東で有名なのは千葉県の鴨川シーワールドだと思うんですけれども、行かれたことはありますか?
「もちろん、あります」
●私は千葉出身なので、小さい頃はよく鴨川シーワールドに連れて行ってもらったんですけど、やっぱりシャチを間近で見ると、大きくてカッコ良くて迫力がありますよね。ショーを見て、あるいは展示プールで泳ぐシャチを見て、まつおるかさんはどんなことを感じましたか?
「耳を澄ますと、シャチたちの鳴き声が聞こえるんですね。喉から出しているわけじゃなくて、超音波みたいな音だと思うんですけど、”キューン”みたいな、すごく小っちゃい可愛らしい声なんですよ。
あの大きい体で見た目に反して”キューンキューン”って言ってるのが、すごく可愛くて・・・あとは飼育員さんを見つけたら追いかけて遊んでって、子供のような感じで、すごく可愛らしいと思っています」

シャチの婚活パーティー!?
(編集部注:海の王者ともいわれるシャチ、別名オルカは体の大きさはオスの平均で6メートルから7メートルくらい、メスで5メートルから6メートルほど。体重はオスで4トンから6トンくらいだそうです。
数は多くはありませんが、世界中の海に生息するシャチは地域によって食べるものや習性は少しずつ異なっていて、クジラやアザラシなどを好む肉食派もいれば、おもにサケなどの魚を好む魚食派もいるようです。また、同じ海域にいる定住型、世界の海をめぐる回遊型、そして沖合にいる沖合型の3つのタイプに分かれるとのこと。
そんなシャチは、年長のメスを中心とした、数頭から数十頭の群れで暮らしていて、高い知能と社会性があるとされています。また、エコーロケーションという方法でコミュニケーションをとり、仲間と一緒に巧みに狩りを行なうこともあるそうです)
※まだまだ知られていないシャチの生態があると思うんですが、オスとメスがたくさん集まって婚活するって、ほんとですか?
「らしいですね。絶対そうとは言い切れないと思うんですけど、おそらく100頭ぐらい集まって、パートナーを探しているんじゃないかとは言われていますね」
●なんか婚活パーティーみたいですね(笑)
「ほんと、時代でいうと、そんな感じなんでしょうね」
●何かアピールとかお互いにし合うんですか?
「シャチは目が横に付いているので、真っ正面からお見合い、っていうか、婚活をしているのではなくて、横並びになって、お互い見えるようにするそうです」
●へぇ〜! 面白いですね。まつおるかさんが描かれているシャチは、とっても可愛くて愛嬌があると思うんですけれども、やっぱり生態を知って自分なりにデフォルメして描かれているんですか?
「そうですね。背びれの形がオスとメスでは違うんですね。あとはお腹の模様が違うっていうのがあるんです。(その違いに)めちゃくちゃ沿って描いているわけではないんですけど、オスだったらオス、メスだったらメスみたいな、(シャチを)好きな人が見ても、この人、間違ってるってならないように気をつけてはいます」
●具体的にオスとメス、どう違うんですか?
「オスは、背びれがめちゃくちゃ垂直というか、真っ直ぐ伸びていて、2メートルぐらいまでなるそうなんです。それに対してメス(の背びれ)はイルカみたいな、鎌形って言われているんですけど、ああいう形になっていますね」
●お腹も違うんですか?
「やっぱり哺乳類なので、実はメスには尾びれ側におっぱいがあるんですね。ちょんちょんって、よく見たらなんですけども(おっぱいが)あるのを、気をつけて描いていますね」
●ほかに何か心がけていることはありますか?
「やっぱり絵を描くので、これは色を変えたほうがいいかなとか・・・つやとか気にして描いていますね」
●つや!? なるほど、シャチはつややかですよね。
「そうですね。ツルツルしているので・・・犬とか猫とかモフモフした感じではなくて、ツルツルしたように見えるように描いていますね」

美しい生き物、野生のシャチ
※野生のシャチに会いに行ったことはありますか?
「以前、北海道の羅臼で野生のシャチを見ることができたんです。どうしても行ってみたいなと思っていたら、家族が行ってみたいって言ってくれて、4人で見に行くことになりました。
私は北海道が初めてだったので、ものすごく遠く感じて(笑)、関西から行ったんですけど、こんなにかかるのか、北海道すごい! ってなったんですけど・・・。
ホエール・ウォッチングとして船が出ていて、午前と午後の便で1日2回出てくれているんですけど、午前中はまったく全然見られなくて、いても鳥みたいな、海鳥がちょこちょこいるくらいで、ものすごくガッカリしたんですね。
(見られる)確率が40%で、一緒に(船に)乗っていらっしゃったお客さんのおじさんが、僕は3年通っているんだけど、見たことないんだよねとか言っていて、私も見られなかったら、どうしようって、期待半分、絶望が半分って感じだったんです。
午後の便ですごく探してくれて、遠くのほうにシャチがおったぞ! と言われて、すごく遠くにオスの背びれが見えて、見られた! と思ったら、船を近くに寄せてくれて、結構な群れが海の中に見えたんですよ。
シャチは息継ぎをするために水面に上がってくるんですけど、その時に顔がバッチリ見えたんですね。10メートルくらい先だったんですけど、結構近くて、大きかったんですよね、ものすごく。
その野生のスケールというか、本当に地球上にこんなに美しい生き物がいるんやと思って、私、感動しすぎて、ずっとぼろぼろ泣いていたんですね。携帯のカメラで撮っていたんですけど、それどころじゃないのでブレブレで(笑)、あとから見たら、なんかちょっと写ってるかなぐらいで・・・ちょうど繁殖期のシーズンだったんですかね・・・赤ちゃんもいる、小っちゃい、可愛いって言って、ずっと泣いていました」
●感動の対面だったんですね。
「一生の思い出ですね」
すみだ水族館の、恋多きペンギンたち
●まつおるかさんは先頃、『下町ペンギン物語』という本を出されました。 この本では東京スカイツリータウン内にある、今年開館10周年の「すみだ水族館」に飼育されているペンギンたちの日常や生態が、とっても面白く描かれていますよね。

私も読ませていただいたんですけど、カラーでイラストもすごく可愛いですし、ペンギンが先輩カップルたちを見て、恋愛を学ぶ様子など、すごく微笑ましくって楽しく読ませていただきました。
「ありがとうございます」
●海の生き物好きとしては、ペンギンも以前から気になっていたんですか?
「水族館っていうとやっぱりペンギンが人気で、(地元の)名古屋港水族館にももちろんいるので見るんですけど、私はシャチがいちばん好きやからっていうので、これ以上好きになっちゃいけないというかセーブをかけていたんです。
でもお仕事を通して(ペンギンが)こういうことをしているんですよとか、こういう生態なんですよとか、やっぱり密接に絡んでいったので、どうしてもあらがいきれずに、あっ、ペンギン可愛い! ってなっちゃいました(笑)」
●すみだ水族館には、何種類ぐらいのペンギンがいるんですか?
「すみだ水族館には、マゼランペンギンのみですね。 私が(取材で)聞いた時は49羽とおっしゃっていました」
●ペンギンたちの名前もすごく可愛いですよね。
「可愛いですよね(笑)」
●特に気になったペンギンはいましたか?
「お気に入りというか、推しなんですけど、”わっしょい”っていう子が健気で可愛らしいなと思っています(笑)」
●健気というのは、具体的にどんなところが・・・?
「わっしょいは、今”つむぎ”っていう女の子に片思いをしているオスの子なんですけど、つむぎちゃんは若くて恋っていうのをあまり分かっていないんです。でも、わっしょいはその子に対して、ちょっとずつアピールをしているところなんですね。
ガツガツいって引かれないように、ちょっとずつ距離を詰めようっていう感じがすごく可愛らしくて、頑張れ! って思っています(笑)」

●飼育員の方々にお話を聞いて、いちばんびっくりしたペンギンの行動はありますか?
「ペンギンは一生に一羽というか、パートナーは大体決まっているんですね。ほかのペンギンを調べる上で、私はそういうのは知っていたんですけど、今回(飼育員さんに)お話うかがって、修羅場がありました! って言われたんです。
略脱愛というか浮気をしたりとか、ほかの彼氏を取ったりとか、そんなことがあるらしくて、(ペンギンは)意外と情熱的に生きているんだなっていうのを知ってびっくりしました」
(編集部注:まつおるかさんは「すみだ水族館」の取材で、特別にバックヤードに入れてもらって、ペンギンの赤ちゃんとご対面、その愛くるしさにも魅了されたそうですよ)

シャチのイメージを変えたい
※まつおるかさんは、今後も海の生き物を描いていかれると思いますが、やはりいちばん題材にするのは、シャチなんでしょうね。
「そうですね。やっぱりシャチなんですけど・・・シャチは怖いとか、あまり知られていないんですね。そういうイメージを払拭したいですね。家族愛があって、すごく可愛らしい生き物なんだよっていうのをアピールしたいなと考えています」
●シャチは家族愛があるんですね。
「そうなんです。家族で子育てをするんです。おばあちゃんがリーダーで、その娘や孫とかでグループを形成しているんですね。
例えば、お母さんがちょっとご飯を食べたいってなったら、おばあちゃんが子守を代わったりとか、すごく賢くて本当に人間と同じような感じで、里帰り出産じゃないですけど、順番に子供をみんなで育てるっていう習性があって、家族愛が強いすごく可愛らしい生き物です」
●海の生き物たちのいちばんの魅力は、どんなところだと思いますか?
「海は中身を見ないと分からないというか、ぱっと見だと海に生き物がいる感じがしませんけど、ひとたび海の中に入ったら、いろんな生き物が命を営んでいるというか、小っちゃいプランクトンから大きい、それこそクジラまで、あらゆる命がそこにいるんだなっていうのをすごく感じます」
●では最後に、もし海の生き物になれたとしたら、何になりたいですか? そして何をしたいですか?
「そうですね・・・シャチになって、ダイナミックにジャンプをしてみたいなって思いますね」
●いいですね〜!
「あとは仲間と”キューン”って言ってお話をしたりとかしてみたいですね」
INFORMATION
まつおるかさんの新しい本は「すみだ水族館」で飼育されているペンギンたちの意外で面白い生態、例えば、うぶな恋心、夫婦間のトラブル、ただならぬ男女関係など、人間よりも複雑なペンギンの世界を垣間見られるコミック・エッセイです。ペンギンの可愛いイラストはもちろん、飼育員さんが撮った貴重な写真も掲載されています。おすすめです!
KADOKAWAから絶賛発売中です。詳しくは出版社のサイトをご覧ください。
2022/10/30 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、東洋大学・助教で、
キリン博士として知られる「郡司芽久(ぐんじ・めぐ)」さんです。
郡司さんは1989年、東京都生まれ。子供の頃から動物、特にキリンが大好きで、
好きな動物の研究をしたいという強い思いで大学に入学。27歳の時に、キリンの研究で念願の博士号を取得、「キリン博士」と呼ばれるようになったそうです。
そして、東京大学大学院から国立科学博物館、筑波大学を経て、現職の東洋大学・生命科学部の助教として活躍。専門は解剖学と形態学。2019年には『キリン解剖記』という本を出版、話題になりました。そして先頃、新しい本『キリンのひづめ、ヒトの指〜比べてわかる生き物の進化』を出されています。
きょうはそんな郡司さんに、知っていそうで知らないキリンの不思議や、生き物のユニークな進化のお話をうかがいます。
☆写真:郡司芽久

大発見! 8番目の首の骨!?
※郡司さんは、2016年に「キリンには8番目の首の骨がある」という論文を発表され、注目されました。改めて、これはどういうことなのか、ご説明いただけますか。
「キリンと私たち人は、同じ哺乳類というグループの仲間なんですけれども、哺乳類に含まれる動物は基本的に首の長さに関わらず、首の中にある頚椎(けいつい)っていう骨の数がみんな7個という体づくりの基本的なルールが存在しています。
キリンであっても私たち人であってもクジラであっても、首の中の頸椎という骨の数はみんな7個と、今までの研究でわかってきたんですが、色んな動物園からキリンの遺体を献体していただいて、内部の筋肉の構造であったり、骨の構造であったりっていうのを調べていくと、確かにキリンは頚椎という骨の数は7個なんだけれども、実はほかの動物ではほとんど動かない胸椎(きょうつい)という胸の骨がよく動いていて、それによって7個の頚椎と、あとひとつ胸の骨がグニグニ動くことによって、頭の位置とか首の位置を動かしているんだということが明らかになりました。
その胸の骨が、あたかも8番目の首の骨みたいにふるまっている、動いているんじゃないかということで、これまでキリンは私たちと同じような首の骨格の構造をしていると考えられてきたけれども、やっぱり首が長くなって柔軟に動くようになるのに関連した、構造の変化が存在するんじゃないかということが明らかになりました」
●大発見ですよね!?
「そうですかね〜(笑)」
●専門は解剖学なんですよね?
「はい、そうです」
●病理解剖とは違うってことでしょうか?
「そうですね。病理解剖は一般的になぜ亡くなってしまったのかっていう、いわゆる死因を調べるために行なうものです。多くの方がたぶん解剖と聞いてイメージされるのは、この病理解剖かなと思うんです。
私が行なっている解剖はなんで死んでしまったのか、というよりも、それぞれの動物の体の構造がどんなふうになっているのかを調べて、いろんな動物の体の構造を比較することで、動物が進化の過程で体の構造をどんなふうに変化させてきたのか、その進化のプロセスみたいなものを明らかにしていくことをやっています」
(編集部注:解剖といっても郡司さんが取り組んでいらっしゃるのは、比較解剖学というものなんですね。
郡司さんは、全国の動物園から、亡くなったキリンを献体という形で託され、解剖するそうです。キリンに限らず、動物の亡骸は大学の研究用として、または博物館に骨格標本を展示するような教育普及用として活用されるとのこと。
郡司さんは年間3頭から5頭のキリンを解剖、これまでに46頭の解剖を行なったそうです。あんなに大きなキリンの解剖は、さぞかし大変な作業だと思ったんですけど、郡司さん曰く、キリンはスレンダーな動物なので、楽ではないけど、体のわりにそれほどではない、とのことでした)
キリンの首が長くなったのはなぜ!?

※郡司さんが先頃、出された本『キリンのひづめ、ヒトの指〜比べてわかる生き物の進化』にはご専門のキリンの研究成果も引用されています。キリンの大きな特徴というと、なんといっても長い首になりますが、これも進化なんですよね。
「そうですね。進化の結果として長い首を持つようになったという感じですね」
●首が長くなったのは、高いところにある木の葉っぱを食べるためなんですよね?
「いくつかの仮説がありまして、その仮説も本書の中でご紹介しています。なんとかのためっていう表現は、すごくわかりやすいのでよく使うんですけど、実際の進化は何か目的があって、これがしたいから、こうなるみたいなことができているわけではないんですね。
私たちも空を飛びたいから羽が欲しいなと思っても、そんなものが生えてくるわけではありませんよね。やっぱり体はそんなに自由に変化できるものではなくて、私たちの祖先に当たるような生き物から、変えられる部分がちょっとずつ変わって、今の多様な生き物が生まれてきてるんです。
キリンの場合は、例えば首が長い個体が長生きできたりだとか、子供をたくさん残せたりだとかっていう、生きていくのに有利なポイントがどうやら長い首には存在しています。それによって首が長い個体が生んだ子供は、やっぱり首が長い子が多くて、それが何世代も何世代も積み重なることで、最終的に首が長い子ばっかりになったと考えられています」
●キリンは首も長いですけど、足も長いですよね? 大人のキリンの背の高さや足の長さは大体どれぐらいなんですか?
「大人のキリンだと、オスとメスで背の高さは違うんですけど、大体4メートルから5メートルぐらいですね。 足の長さが180センチぐらいです」
●足だけで180センチ! すごいですね。体もかなり重いですよね?
「そうですね。メスのほうがやっぱり軽くて、メスで700キロぐらい、オスだと1トン近くなる子もいますね」
●首が長くて足も長いと、水を飲むのも一苦労な感じがしますけれども・・・。
「そうですね(笑)。けっこう不格好に水を飲んでいて、大変そうだなと思いますね」
●そういうのもいずれ進化していくんでしょうか?
「もともとそこまで水をたくさんは飲まない生き物だっていうことも 知られています。葉っぱとかを食べて生きているので、葉っぱの中に含まれる水分をかなり利用して、あまり水を飲まなくても大丈夫なようには、どうやら進化しているらしいんです。それでも動物園では普通に水を飲んでいるところとか、当然、野生でも見られるので、なんか大変そうだなって思いますね(笑)」
キリンは高血圧!?
※新しい本には「キリンは地球上でもっとも高血圧な生き物」とありました。これも首が長くなったことに関係があるんですよね。
「そうですね。キリンはとても首が長くて、しかも頭を高く持ち上げているので、心臓から脳までがすごく離れているんですね。 心臓は血液を送るんですけど、重力が地球上には存在しているので、重力に逆らって高いところの脳まで血液を送らなければなりません。 首が長くて高いところにある体型の進化に伴って、どんどん高血圧になって、高いところにある脳までちゃんと血液を届けられるような体になっていったと考えられています」
●キリンが高血圧は数値でいうと、どれぐらいになるんですか。
「キリンの血圧は上が250ぐらいです。だいたい人の平均的な血圧の倍ぐらいあります」
●かなり高血圧な感じがしますね。
「人間だと病院に行かなくちゃ、っていう感じですね」
●ちなみに心臓は大きいんでしょうか?
「もちろん人間に比べると大きいんですけれど、体のサイズも大きいので、あの体のサイズに対する心臓の大きさっていう意味では、そこまですごく大きいっていうわけでもないと言われています」
(編集部注:国内の動物園で飼育されているキリンは、今は意外に多くて、200頭ほど。一方、生息地のアフリカ大陸には、およそ12万頭いるそうです。
そんなキリンは長い間、1種とされてきたんですが、2016年の遺伝子解析で、4種に分類されたとそうですよ。その4種とは、キタキリン、アミメキリン、マサイキリン、そしてミナミキリン。
とはいえ、キリンが1種なのか、4種なのかは研究者の間でも意見が分かれるところで、今後の研究によって、また変わる可能性があるそうです)
キリンと人の共通点
※キリンと人では見た目も大きさもまったく違う生き物ですが、見方を変えると共通するところはありますよね。
「そうですね。先ほど紹介した首の骨はとてもいい例で、あれだけ首の長さが違うんですけど、中に入っている骨の数はキリンでも人でも一緒だったりとか・・・。あとは体の全体的な構造も大きく見ると、足の骨格であったり手の骨格は、もちろん違う部分もあるんですけど、大枠としてはかなり共通したものが存在しています」
●首の骨以外の共通点というと、どんなところになるんでしょうか。
「例えば、手足の骨格の仕組みでいうと、外から生きているキリンを眺めていると、足の真ん中あたりに関節があって、私たちの膝とは逆方向に曲がってるんですね。動物園で“キリンの膝って人間とは逆向きに曲がってるんだね”って、お母さんとお子さんでお話されてたりするんですけど、実はそこはキリンの膝じゃなくて踵(かかと)なんですね」
●踵!?
「そうなんです。実はキリンの場合は、踵が足の真ん中辺にあります。私たちも膝と踵は逆向きに折れ曲がってるんですけど、キリンの場合は、足の真ん中に踵があって膝みたいに見えるので、逆向きかなと思うんですね。でも実は踵なので、人間と同じような曲がり方をしています。
膝はもっともっと高い位置、お腹の近くに実はありまして、なので膝の曲がる向きとか、踵の曲がる向きは、骨格の構造からすると人間とよく似た、ただプロポーションは随分違うけど、中の構造はかなりよく似ている仕組みになっています」
●本には、生き物を解剖して、比較することが非常に重要だと書かれていましたけれども、やはりそれは進化を知ることにつながるっていうことですか?
「そうですね。もちろんそれもそうなんですけど、やっぱり何かを理解しようと思った時に、例えば人のことを理解しようと思った時に、人のことだけを調べていても何が人特有のことなのかっていうのは、なかなか見えてこないんですね。
これは人にしかない、これは人以外にもあるっていうのを知るためには、いろんな生き物を見比べて比較してあげて、共通するところと違うところをそれぞれはっきりさせてあげるっていう、そういった作業の果てに、人の特徴はこういうことなんだねっていうのが見えてくると思っています。なので、キリンでも人でもなんでもそうですけど、理解する時にはほかの生き物との比較がとても大事になってきます」

進化は変化、退化も進化!?
※生き物たちの進化とは、環境に適応していくのが進化なんでしょうか。退化することもありますか?
「進化って一般的にいうと、”すごくなる”みたいなイメージがたぶん多くの方が持っていらっしゃると思うんですけど、生物学 においての進化っていう言葉は”変化”とけっこう近い言葉です。
世代を超えて親から子供に引き継がれていく、変化みたいなことを進化と呼んでいます。なので一般的な言葉だと、進化と退化っていうのは反対の言葉みたいな扱いだと思うんですけど、実は学問の世界では退化も進化のひとつだと考えられています。
基本的に生物学の進化は、体の構造だったり行動だったり、様々な部分が変化して、しかもそれが親から子へと引き継がれていくような変化のことを進化と呼びます」
●生きる環境にどんどん適応していくっていうことなんですね?
「そうですね。やっぱり生きている環境でより生き長らえるというか、より子供を残すのに有利な特徴を持っている個体がたくさん生き延びる、そうすると子供にもその特徴が引き継がれていって、だんだんその特徴を持っている個体が増えていく、最終的にその特徴を持っている個体ばっかりになることが、これが大まかにいう進化のプロセスです」
●人間はまだ進化の途中なんでしょうか?
「人間もここ何千万年の間にも変化が起きていると考えられているので、やっぱりあらゆる生き物はまだ進化の途上にあると、進化の途中であるというのは言えるかなと思います。
ただ、人間の場合は環境を自分たちに合わせて、作り変えることができてしまっているので、例えば、ちょっと過ごしにくいなっていうような場所でも、建物を作ったり洋服を着たりとか・・・基本的なところで言えば、そんなことから始まって、環境のほうを自分たちに合わせることを、人間は行なっているので、これまでの生物の進化の形とは、やっぱり変わってくるかなと思います」
●何億年先も人類が存在するとして、大きな進化や変化はないかなという感じなんでしょうか?
「そうですね。姿形が全く変わるような進化が起きるかって言ったら、起こらない可能性のほうが高いのかな、というふうに思います」
一家団欒の話題になる研究!?
※郡司さんは解剖学をご専門とされていますが、ご自身にとって、解剖学とは?
「私は普段、生き物の体の中を調べているんですね。さっきの比較の話ともつながってくるんですけど、いろんな動物の体の中を調べて、それぞれの動物がどんなふうに進化してきたのかをたくさん見ていくと、そこと自分の体、人間の体を改めて見比べることにもつながってきます。
人間はこういう生き物なんだなとか、自分はこういう体なんだなっていうことを、動物を通じて改めて見返してきたっていうのが、解剖学をやっていく中で、すごく感じてきたことなんですね。
自分と向き合ったりだとか、体ってやっぱりすごいなとか、生きていて、ご飯を食べる、寝るとか、そういう日々の当たり前の活動の中にも、すごいことがいっぱい詰まってるんだなっていうのを改めて分からせてくれた学問です」
●では、最後にキリン博士として、今後やりたいことを教えてください。
「私は普段、研究をしています。みなさんが日常の一家団欒みたいな時間に、きょうこんな話を聞いたんだけどねって、話題にあげたくなるような面白い研究をしていきたいなというのが、研究者としての目標のひとつなので、今後もみなさんに面白いなとか楽しいなって思ってもらえるような発見を、たくさんできたらなと思っています」
INFORMATION
郡司さんの新しい本をぜひ読んでください。人とキリンは見た目はまったく違いますが、骨格など似ている部分に注目すると、進化の仕組みが理解しやすくなります。この本では手足、首、心臓など8つの器官を通して、いろいろな動物に刻まれた進化の不思議を垣間見ることができます。とても面白い進化の話が満載です。自分の体を知るきっかけになるかもしれません。
NHK出版から絶賛発売中です。詳しくは出版社のサイトをご覧ください。
◎NHK出版HP:https://www.nhk-book.co.jp/detail/000000819172022.html
郡司さんの研究についてはオフィシャルサイトを見てください。
2022/10/23 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、青森県南部町に親子3人で暮らす田村余一さんと奥様のゆにさんです。
田村さんご夫妻は、水道・電気・ガスと契約せずに、必要なものは、なるべく自分たちで作る自給自足の生活を実践していて、テレビのニュース番組などでも取り上げられ、注目されているんです。
余一さんは1977年、南部町生まれ。大学卒業後は都会に出て、いろいろな仕事を経験。その後、ふるさと南部町に戻り、実家の土地を開墾し、2009年から廃材を使った家づくりを始め、試行錯誤しながら7年かけて完成させたそうです。
一方、奥様のゆにさんは1987年、北海道・札幌市生まれ。高校卒業後、東京でアルバイトをしながら歌手として活動、そして2016年、29歳の時にSNSで偶然見つけた余一さんの「お嫁さん募集」に応募。自然に寄り添った暮らしをしたいと思っていたこともあり、南部町に移り住み、その後、入籍。2018年にひとり息子の泰地(たいち)くんが生まれています。
田村さんファミリーが暮らす青森県南部町は、八戸市に隣接していて、余一さんいわく、冬は厳しいけれど、自然が豊かでリンゴや梨など、いろいろな果物が採れる「フルーツの町」だそうです。
今週はそんな南部町で、畑で野菜を育てたりしながら、自給自足の暮らしを実践されている田村さんご夫妻に暮らしぶりや、自然の中での子育てのお話などうかがいます。
☆写真協力:田村余一、田村ゆに、村川僚、仁木俊文

遠回りな気がした!?
●先頃出された、自給自足の生活や日常を綴った本『都会を出て田舎で0円生活はじめました』を、私も読ませていただきました。
余一さん&ゆにさん「ありがとうございます!」
●暮らしを変えれば人生が変わるということで、自由気ままに生きることを味わえると本に書かれていて、本当に日々全力で生きていらっしゃるなと感じました。大変そうではありますけれども、それがすごく楽しそうで、羨ましいなと思えるような内容でした。
そもそもなんですけれども、どうして自給自足の生活をしようと思われたんですか?

余一さん「まあ自給自足はひとことでいうと、自分のことは自分でやる、ここでオッケーだよっていうラインも自分で決めるっていうので、自分のものは自分で作って、それを糧にして生きていくというか、そういう意味だとは思うんですけどね。
世の中のシステムとしたら経済というものがあって、お金を稼いでそのお金でお家を買う、食べ物を買う、着る洋服を買う。あとは例えば、お子さんがいればお子さんをどこかに預けるとか、とにかく1回お金を稼いでそれで手に入れるとか、(お子さんを)誰かに預けるっていうことをするんですね。
僕もいわゆる社会人というものに一瞬だけなってみて、まあフリーターがほとんどでしたけど、そういう経験を通して、なんかすごくそれが遠回りな感じがしたんですよ。
なんで食べものを得るのに1回お金を稼がなきゃなんないんだろう・・・食べものを得るのに関係ないことをしなきゃなんないんだろう・・・というふうに思っていたんです。
うちの実家が兼業農家だったのもあって、お米を買ったことがない。お野菜や果物とかはほとんど買うことがなかったので、食べ物は自分で作れるなっていうのはあったんですよね。

うちの親父が大工だったのもあって、大工作業していたのを子供時代から見ていたので、家もまあ造れるんだよな〜っていうのもあり、これはいきなりそっちをやり始めたほうが早いなと思ったんですよね(笑)。なので、こっちのほうが早くてダイレクトでわかりやすいなと思いました。それで始めたようなものがありますかね(笑)」
●ゆにさんは余一さんと結婚して、自給自足の生活に入っていったわけですけど、不安とかはなかったですか?
ゆにさん「割と私は考える前に行動してみたいと思うほうなんですね。たぶんいろいろ考え始めれば、やったことない暮らしだし、不安というのは出てきてたと思うんですけど、とりあえずやってみようと思って、やりながら考えていったって感じです。
知らないことはすごく楽しかったし、実際にやってみて、地に足がついた暮らしとか、家庭菜園も自分の手で豊かにしていけるっていうのを実感できた時に、もう楽しみしかなかったですね。失敗はいろいろあるんですけど、でもそういうのも自分の学びになるし、こっちに来てから不安とか感じたことがあまりないですね」

電気・ガス・水道と契約しない生活
※今も電気やガス、水道と契約しないで暮らしていらっしゃるんですよね。
余一さん「そうですね」
●不自由はないんですか?
余一さん「不自由っていう感じじゃなくて・・・めんどくさいことはありますね。まあ自由なんですよ。
水をどういうふうに引っ張ってくるかとか、電気はどういうふうに使うかとか、どこからどういうふうに引っ張って配線するとか、そういうのは全然自由なので、不自由ではないんですけど、それを自分でやるので面倒ではあるよね、ちょっと(笑)」
ゆにさん「手間はかかるよね」
余一さん「手間はかかるので・・・あれ!? 水が出なくなった! っていうと、水源の近くまで行って確認して、枯葉が詰まっていたので取り除いたりっていうのは、なんか面倒ですよね(笑)」
●生きていくためにまず確保しないといけないのは水ですよね。
余一さん「水は大事ですよね」

●日々、水はどうしているんですか?
余一さん「うちの嫁さんがこっちに来て1〜2年の間、日々、畑の溝を切ってたんですよ。畑の周りをちょっとスコップで掘る作業があるんですね。それをやっていたら、どんどんぬかるみになって、だんだんドロドロ水になって、気がついたら、ちょろちょろって川みたいになって、水が湧いてきちゃったんですよ。
それをいろいろ年々工夫を凝らしながら、きれいなお水にして、ちゃんと溜めて使いたい時に一気に使えるようなタンクも接続して使っているよね」
ゆにさん「生活用水のほうはそうですね」
余一さん「生活用水として使っていますね。ちょっと残念ながら飲めないような水なので、飲むことはしていないんですけど、洗濯する、食器を洗う、お野菜の苗にお水をやるっていうのはその湧いた水でやっております」
●料理をしたりとか、お湯を沸かしたりするのはどうされているのですか?

余一さん「それは木を燃やします。木質燃料だね、ほんとにうちは。一般の家庭だと電気だったりガスだとは思うんですけど、うちは田舎でもありますし、今はお家がどんどん解体されて、出る廃材がただのゴミになるので、“すみません。それください”っていうと大体のところではもらえるんですよね。なので、そういう建築廃材なんかを燃やしていますね」
●ここでも廃材が活躍しているわけですね。
余一さん「そうですね。やっぱり廃材の中でも建築に活かせるものと、活かしにくいものがあるので、活かしにくいものからどんどん薪に変えていくような感じはあります」
●電気はソーラーパネルを利用されているんですよね?

余一さん「そうです。ソーラーパネルで発電してバッテリーに溜めて、それをちびちび使ったり・・・天気が続くと電気がすごくいっぱい溜まって余っちゃうので、そういう時は大判振る舞いで電動工具を動かして、どんどん薪を切ったりとか、あとはホームべーカリーとかそういう家電製品、ちょっと熱量を使うやつ、電気量を使うやつをその時に使ってみたりとか、そのようなことをしています」
(編集部注:実はトイレも別棟の小屋に、自作した便座を設置し、コンポスト方式で土に返すようにしているそうです。夏場はトイレットペーパーの代わりに、季節に応じて植物の葉っぱを使用、春はふきのとう、夏はキウイの葉っぱがいいとおっしゃっていましたよ)
男の子はたくましく
※ひとり息子のたいちくんは現在4歳、ということですが、子育てはどうですか?
ゆにさん「子供っていろいろ興味が変わっていくので、私たちが教えたいなと思っていることにたいちの興味が重なった時に、すかさずいろいろ教えてあげたりしてます。
この暮らしは私たち夫婦がやりたいなと思ってきたことなので、たいちに無理強いはせずに、彼は彼なりにいろんなことに興味とか好奇心があると思うので、彼がやりたい方向性を大事にしつつ、生活の知恵みたいなのを伝えていけたらいいなという考えで教育しています」
●YouTubeも拝見させていただいたんですけど、たいち君はすごくたくましいなと感じました。
余一さん「あ〜、それはよかった! やっぱりたくましく育ってほしいですね、男の子は。そこは意識していますね(笑)、僕は男としては・・・」
ゆにさん「ふふふ(笑)」
●たいち君は幼稚園には行ってないんですよね。
余一さん「はい、そうです。そこも自給自足なんですね。第三者にはお任せしないというか、自分の食べ物を自分で得る、自分の子供は自分で育てるっていう感じですね。ある一定の年齢になってくると親がうざくなってきたりもするので、そうなった時に小学校なり中学校がその先にあるわけなんで、その時はお預けしようかなと思っていますけどね。

とりあえず今は、お父さん、お母さんっていうか、うちらは『とと』『かか』って呼ばれているんですけど、『とと! かか!』って寄ってきてくれるんで、寄ってきてくれるうちは、ほんとに大事に可愛がってあげようっていうのはありますね。そのうち、やだーっていったら、じゃ〜バイバイですよね(笑)。とにかくこうやって僕ら、とと、かかを愛してくれているんなら、こっちもいっぱい愛情を注いでやりたいよね(笑)」
鶏の命をいただく
※先頃出された本に、鶏をさばいて、いただいたという話が載っていました。鶏の命をいただくと決めたのは、どうしてなんですか?
余一さん「うーんちょうどそれをした時が真冬だったんですけど、冬になるとお野菜が採れなくなって、おのずとスーパーに行って買う機会が増えて、お肉も買ったりするんですが、うちに鶏がいるのにスーパーに鶏肉を買いに行くっていうのも、これもまた遠回りだなって思ったんですね。
そもそも卵をいただいたり、お肉として(鶏を)いただこうっていう、結果というか着地点っていうのは決めた上で飼育していたので、このタイミングだよなって夫婦で会議して決めたよね」
ゆにさん「うんうん」

●さばいてみて、どんなことを感じました?
余一さん「なんでしょうね〜あれは・・・単純に言葉にすると命を絶つ行為をするんですけど、う〜ん、悲しいでもないしね。自分でやっているわけなんで、それを悲しいわけじゃないし、う〜ん、うまく言えないですよね。
ただ目があったんですよね。その目がすーっと閉じていったのを見た時に、ぶわっと涙が溢れてきてですね・・・でもそれって悲しいとかでもないし、なんだろうな・・・自分に対しての怒りとか嫌悪感でもないしね。ただなんか涙が出てきて、これはなんだろうなっていう・・・そこは消化しきれてないですね。
自分でもあまり無理に言語化しないようにはしているんですね。言葉にすることで急に陳腐になったりすることってあるので、無理にそういうことはしないようにしているんですけど、よくわからないっていうのが正直なところです」
ゆにさん「不思議なんですけど、野菜は栽培ができて、普通に収穫できた時に
一種の答えみたいなのが出て、すっきりする感じがあったんですよ、これまで。
でも鶏さんを食べるっていうことに関しては、こうやることによってすっきりっていうよりは、なんか疑問がすごく多くて、なんでこういうことをしないと人は生きられないんだろうみたいなところで、答えが出ずに終わるというか、モヤモヤした感じでその時期は終えていましたね」
●たいち君にはどんなお話をされたんですか?
ゆにさん「なんだろう・・・シンプルに今やっていること、感情的なことっていうよりも、今何をやっているっていうのをたんたんと説明していくようにしていました。たいち自身はほんとに、目の前で起きている事実をただありのまま受け止めていて、別に怖がるということもなかったし、その時に食肉用に加工した部位を広げて、ここはこれなんだよとか説明して・・・」
余一さん「どういうお肉の部分ね・・・ここは胸肉だよとか、もも肉だよっていうのを、なんとなく(たいちは)ふぅ〜んとか、へぇ〜っていう感じで聞いていたよね(笑)」
1日の幸せは晩ご飯
※自給自足と聞くと、不便とか、大変とか、そんなイメージを持つかたが多いと思うんですけど、おふたりのお話をうかがっていると、楽しそうだな〜と感じました。無理はしてないんですよね?
余一さん「そうですね。もちろん自然環境に負荷をかけないっていうのも大事なんですけど、それ以上に自分たちに負荷がかかると続かなくなるので、うちら今これは苦痛だよね、なんか大変よね、ってなったら、それは足るを知る自給自足の一部で、自分でオッケーなところで、しっくりくるところにまた別のポイントをずらしていくっていうのかな・・・。
今ここを目指したけど、これはきついから、やっぱりもうちょっと楽なこのラインでいこうとか、っていうふうに全部それを自分で決めているので、そこだね。なんかいちばん、自分のことを全部自分で決めていけるっていうのが、この生活の魅力かなって思います」

●田村さんご夫妻は『「うちみる」プロジェクト』を進めてらっしゃいますけど、これはどんなプロジェクトなんですか?
余一さん「これはですね、僕らもこの生活をすることで、人間にも自然環境にもひょっとしたら社会にも、すごくいい影響があるんじゃないかっていうのを感じていまして、それはやっぱり発信したいなと思って、インターネットやSNSで発信しているんですね。まあ単純にいうと、うちを見てください! って意味で、『うちみる』っていう感じでやらせてもらっていますね」
※ところで、1日の生活の中で、いちばん幸せを感じるのは、どんな時ですか?
余一さん「それはもう晩ご飯の時です(笑)。うちは1日1食にしているんですよ、ご飯を。そういうのでもいろいろ負荷が減るんですよね。内臓にかかる負荷も減りますし、単純に時間の節約もされるし、食材の節約にもなるので、そういうのもあるんですね。
朝起きて働いて、夜のご飯まで頑張る! っていう1日のご褒美が、嫁さんが作るご飯なので、そこに向かっていますね、毎日朝起きてから。さあっ、飯食えるからきょうも頑張ろうっていう(笑)」
●ゆにさんは、どんな時がいちばん幸せですか?
ゆにさん「私も食べることが好きなので、そのご飯の瞬間はとても幸せだなと思っています。本当に朝起きて、食べ物があれば、十分な睡眠をとって、十分な食料があれば、人って生きていけるんだなと思いますね。

最低限の食べるものを確保するために畑を耕してとか、最低限かかるお金を稼ぐために少し労働してみたいな、そういうのもあるけど、やっぱり”食”で満たされるために生きているなと今考えているところがあるので、毎日の晩ご飯の食卓につく時がいちばん幸せだなと思います」
(編集部注:田村家のひと月の生活費は4万円ほど。地域の便利屋さんとしてお困りごとなどを引き受けるお仕事をして稼いでいるそうですよ)
憧れで終わらせないで
※自給自足の生活に憧れているかたにアドバイスがあるとしたら、どんなことでしょう? まずは余一さんからお願いします。
「うーんとね、何事もやってみなきゃわかんなくてですね。よく言われるのが、”すごく憧れるんですけど、自分には無理です。でも応援してます”みたいな、最終的にはポジティブなご意見をよくいただくんですけど、やってもないのになんで自分では無理なんだろうって、自分の可能性をなんで信じないんだろうって、すごく思うんですよね。
だから(自給自足の生活に)憧れている人に対しては、ほんと憧れで終わらせないで! っていうのをとにかく言いたいです。
具体的にはちょっとノコギリで木を伐ってみるとか、伐った木を斧で割って、焚き火にして、お鍋でご飯を炊いてみるとか、そういうちっちゃなことからなんですよね。いきなりすべて、電気・ガス・水道を契約しない生活にぐるっと変えることって、たぶんうちらでも無理だったので、ちょっとずつなんですよね。
ちょっとずつ右肩上がりになりゃいいやっていうぐらいのやり方じゃないと、すごく負荷がかかると思うので・・・それかものすごくお金をかけなきゃだめですよね。急に土木工事を入れるとか、業者さんに頼んで一気に整えて、そこに入って頑張りますとかね。
でもそれはやっぱり違うと思うので、まずは手を動かして、土に触れるとか、木に触れる、そういうものにダイレクトに向かうことを、ちょっとずつでいいのでやってほしいと思います」
●ゆにさんはいかかですか?
ゆにさん「最近こうやって本を出させていただりとか、メディアに出させていただいて、6年経った時の、完成形というか、ある姿が今なんですね。最初はほんとに何もないところから始まっていて、まず暮らしに居心地の悪さ、不快なところを感じたりとか疑問を持ったりして、そこで自分なりにできることをやって、変えていくことで始まりましたね。
食べるものにいろいろこだわったりしたら、スーパーで買いたいものがないなって思ったら、自分で作ってみるとか・・それもプランターにタネをひとつ撒くところから始まっていくので、自分の暮らしに疑問を持ったところを少しずつ改善していけば、いつかその人なりの桃源郷を作っていけるかなと・・・。
今ある私たちは、私たちが住みたい場所を自分たちで作っているし、これをまんま誰かがやれば、その人が幸せな暮らしになるかっていうと、ちょっと違うと思うので、自分たちなりに疑問を持って、きょうからできること、改善していくことで、こういった暮らしににつながっていくのかなと思いますね」

INFORMATION
田村さんご夫妻の初めての本です。特に自給自足の生活に興味のあるかたには、気になること、知りたいことが満載です。無理せず仲良く暮らしていらっしゃる田村ファミリーのリアルな生活が綴られていて、楽しく読めます。サンクチュアリ出版から絶賛発売中です。
新しい展開として「むらコミュニティ」という、プロジェクトを進めるそうです。「うちみる」プロジェクトを含め、詳しくはオフィシャルサイトをご覧ください。
◎サンクチュアリ出版:
https://www.sanctuarybooks.jp/book-details/cate00054/book1351.html
◎うちみるプロジェクト:http://uchimill.naturebounds.com/
『都会を出て田舎で0円生活はじめました』を抽選で3名のかたにプレゼントいたします。応募はメールでお願いします。
件名に「本のプレゼント希望」と書いて、番組までお送りください。
メールアドレスはflint@bayfm.co.jp
あなたの住所、氏名、職業、電話番号を忘れずに。番組を聴いての感想なども書いてくださると嬉しいです。応募の締め切りは10月28日(金)。当選発表は発送をもって代えさせていただきます。たくさんのご応募、お待ちしています。
応募は締め切られました。たくさんのご応募、誠にありがとうございました。