毎回スペシャルなゲストをお迎えし、
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Every Sun. 20:00~20:54

冬の旅 インド北部のザンスカールへ 〜自然を畏れ敬う謙虚さを知る〜

2020/5/2 UP!

 今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、フリーライターで写真家の「山本高樹」さんです。

山本高樹さん

 山本さんは、1969年、岡山生まれ。出版社勤務と海外放浪のあと、2001年からフリーランスとして活動。2007年からはインド北部の山岳地帯「ラダック」地方を長期取材。その後、ラダックでの取材をライフワークにしながら、世界各地を巡る日々を送ってらっしゃいます。

 そんな山本さんの新刊が『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』。ザンスカールとはラダックの中心地からおよそ450キロ、標高4000メートル級の峠を越え、やっとたどり着ける、秘境ともいえる場所で、大自然とともに生きる人々が暮らしているそうです。 今週は、極寒の高地で人知れず開かれるお祭りや、現地の人々の生活、そして秘境の旅の魅力などうかがいます。

☆写真提供:山本高樹

見たこともない祭り

写真提供:山本高樹

※ではまず、なぜザンスカールへ行こうと思ったのか、お聞きしました。

「僕は元々、このザンスカールがあるラダック地方を集中的に取材をしていたんですね。2007年から2008年にかけて、1年半ぐらいかけてザンスカールに長期滞在して、『ラダックの風息 空の果てで暮らした日々』という本を2009年に出したんですけれども、その長期滞在の頃からずっとこの土地を気になっていて、取材をし続けていたんですね。で、当時もこのザンスカールに夏だったり冬だったり訪れていたんですけれども、特に冬のザンスカールに関して、ちょっと伝えきれてなかったなっていう部分があったように感じていました。

 それで今回の旅を思いついたのが、ザンスカールのいちばん奥のところにプクタルゴンパっていう古い仏教の僧院があって、そこで真冬にプクタルグストルっていうお祭りが行なわれるらしいって話を聞いて、ただ真冬にそこに訪れるのはすごく大変なんで、ほとんど外部の人は見たことがないお祭りなんですね。それをなんとかして見れないかっていうのと、前から思っていた冬のザンスカールの真の有り様みたいなものを見届けることができないかなと思って、この旅をすればそれを見ることができるんじゃないかと思って、思いついたのが今回の旅のきっかけだったんです」

●本当に非常に過酷な場所ですよね? 

「そうですよね。標高が3500メートルぐらい平均でありますし、周りが5000メートル以上の山で囲まれているところなので、冬は峠を越える道に雪が積もって行き来ができなくなってしまうんですね。ただ本当に真冬になると地元のザンスカールの人たちが使っている道ができていて、それは氷の川の上を歩いていく道なんですね。
 それを現地ではチャダルっていう風に言われているんですけれども、冬にザンスカールに行くためにはそこを歩いていくことしか基本的に方法がないっていうことなので、僕も今回そのチャダルという氷の川の上を歩いて旅をして、真冬のザンスカールを合計で4週間近くかけて旅をした、それが今回の冬の旅という本ですね」

●旅を続けるってすごく大変なことなんじゃないですか? 

「ただ今回は10年以上前からの友達であるザンスカール人のパドマ・ドルジェという友達がいるんですけれども、彼は本当にこのチャダルを数え切れないくらい旅をしたことのあるスペシャリストでガイドなんですね。で、彼と彼の従兄弟のゾクパ・タルチンという若い男の子が一緒に来てくれて、彼らとずーっと旅をしていたんですね。本当にもう珍道中みたいな感じで(笑)くだらないことばっかり話しながら歩いていたんで、だから大変なのは大変だったんですけれども、つらいとかそういう感じではなかったなぁという風に思っていました、はい」

●一緒に行く仲間たちってすごく大事な存在ですね! 

「そうですよね。すごく彼らに助けられたし、彼らを通じてその現地の人たちとも交流することができましたから、すごく貴重な体験をさせてもらったなぁという風に思っています」

食べ物のありがたみ

写真提供:山本高樹

※山本さんは、新刊『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』の中で「自然と人の間にあるものを、いつからか追い求めるようになった」と書かれています。自然と人の間には何があったのでしょうか。

「ザンスカールの人たちっていうのはすごく強大な自然の力を前にして、その中で生まれ育って人生を過ごしてくっていうことをやっているんですけれども、彼らはやっぱり自然に対して畏れ、恐怖のほうじゃなくて、畏れ敬うという意味での畏れを抱いているところはあるかなと思うんですね。自然の力を身をもって知っていながらも、ただ怖れるだけじゃなくって尊敬の念、畏敬の念も抱いているっていう部分もあると思うので、彼らはやっぱりそういう思いを抱いているからこそ、あの自然の中で生きていけるんじゃないかなという風に個人的には感じました」

●旅をしていていちばん大きなハプニングなどはなにかありました? 

「本を読んでいただけたら分かると思うんですけど、だいたい毎日何か起こっているんですよ(笑)」

●確かにそうですね(笑)

「だいたい全部ハプニングだったっていう(笑)、まぁ、でも一緒に旅をしてくれたパドマ・ドルジェとゾクパ・タルチンがいてくれたおかげで、僕は本当に安心して、彼らを信頼して旅をすることができていたので、大丈夫だとは思っていました」

写真提供:山本高樹

●色々な旅の中での出会いっていうのもありましたよね。

「そうですね。僕は現地の言葉が少し喋れるので、それで少し彼らとの交流、コミュニケーションもできたかなという風に思っていますし、ちょっとでもこちらがあっちの言葉を喋るとみんなすごく喜ぶんですよね、お前分かってんだな、みたいな感じで。だからそれはすごく楽しかったです」

●旅の中でいちばんの楽しみっていうと何でしたか?

「やっぱりご飯ですかね(笑)。食事はやっぱり1日の中での楽しみというか、食べないと身体が温まらないっていうのもあるので、ちゃんと食べて身体を温めて、ちゃんと歩けるようにするっていう意味でもやっぱり食べ物はすごく大事です。長い旅だったので、材料も限られているので、同じようなメニューばっかりになってしまうんですけれども、それでも食べられるものがあるだけありがたいっていうのはすごく感じました。
 あとザンスカールに入ると行く先々の村でご飯を出していただいたんです。冬なので僅かな蓄えから少しずつ出している簡素な食事なんですけれども、やっぱり本当に美味しかったですし、おもてなしの心を感じたっていう部分もありました」

●現地で親しまれている食っていうと、どんなものなんですか?

「チベット文化圏なのでチベットに由来のある料理、例えばモモってわかりますかね、チベット風の蒸し餃子みたいなものなんですけれども。あとはチベット風煮込み料理のトゥクパっていう、うどんのような料理だったりとか、大麦を炒って粉にして食べるツァンパという食べ物だったりとか。あとはバターとお茶を攪拌して作るバター茶とか、そういったものがあります」

押し寄せる変化の波

写真提供:山本高樹

※続いて、ザンスカールの旅で出会った人たちの暮らしぶりについて聞いてみました。

「彼らにとっては1年の半分ぐらいの間、あの場所は大自然の力によってロックダウンされてるようなものなんですよね。外部とも簡単に行き来はできないですし。で、短い夏の間に僅かな畑を耕して、食料を蓄えて、家畜の餌だったり、冬の間、燃料にするものだったり、いろんなものを蓄えて、冬の間はお祈りをしたりしながら、ひっそりと過ごすっていうのが彼らのライフスタイルなんですね」

●なかなか外部の方々が行って見ることができないお祭りを実際にご覧になっていかがでした? 

「なんだろう・・・お祭りそのものの行事も大切なんですけれども、彼らはそのお祭りを通じて交流というか、近況報告をしあったり、若い人同士の間では携帯のワッツアップのアドレスを交換したりとかして、出会いの場にもなっていたりします。もちろん山奥なんで携帯はなかなか繋がらないんですけど(笑)、街に出た時にはやりとりしようよ、みたいな感じで情報交換をしていたりとか。本当に彼らにとっての生活の一部であるし、祈りの行事でもあるし、すごく大事な行事だったんだなっていうのは、現場に居合わせてやっぱり一際強く感じたところだったですね。

 これは10年以上前からそうなんですけれども、僕はこのザンスカールだったり、ラダックだったりという場所をずっと定点観測的に見守り続けていかなきゃな、って思っているところがすごくあります。特にここ10年くらいでザンスカールもすごく大きな変化の波が押し寄せていて、開発も進んでいる部分もあって、もしかするとあと10年くらいしたら、この本に書いた物事が全部失なわれてしまうかもしれないっていう風に思っているんですよね。

 現代社会がもたらす変化が全部悪いとは思わないんですけれども、それによってもしかしたら永久に失なわれてしまうかもしれないものもあるので、やっぱり人間はそういうことをもっと気にかけるべきだと思うし、それはザンスカールに限らず、日本でも世界のどこの場所でも言えることなのかなと思っていますね。だからそういうことをなんとかしてずっと伝え続けていきたいなと、個人的には思っています」

自然に対して謙虚に

『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』

※最後に、山本さんは秘境と言われる場所を多く旅されていますが、そんな旅からどんなことをいちばん感じるのか、お話しいただきました。

「そうですね、割と本当におっしゃるように秘境とか辺境ばっかり行ってるんですけれども(笑)、人間ってそんな大層な存在ではなくって、自然を構成する要素の中のひとつでしかないんじゃないかなっていう風に思っているところが僕はあるんですね。
 でも、人間ってのは結構傲慢なところもあるので、その傲慢さによって、それまで保たれていたバランスみたいなものが、急にガタガタって崩れてしまうことがあると思いますし、世界中にそういう例はもう既にあっちこっちにあると思うんですね。やっぱり人間はもうちょっと自然に対して謙虚であるべきなんじゃないかな、っていうのはすごく思っていますね」

☆過去の山本高樹さんのトークはこちらをご覧下さい


INFORMATION

山本高樹さん情報

『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』

新刊『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ

 山本高樹さんの新刊『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』は雷鳥社から絶賛発売中です。
 山本さん曰く、この本は一緒に旅をしてくれたザンスカールの友や出会った人々、そして、はるか昔から何世代にもわたって、文化や伝統をつむいできたザンスカールに生きる人々の「冒険の物語」だそうです。ぜひ読んでください。

  山本さんの近況を含め、詳しくはオフィシャル・サイトをご覧ください。

●山本高樹さんのHP:http://ymtk.jp/ladakh/

清水国明「ログハウス、面白いですよ!」 〜番組恒例の定点観測25回目!

2020/4/25 UP!

 今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、芸能界きってのアウトドアズ・マン「清水国明」さんです。

清水国明

 清水さんは1950年、福井県生まれ。73年に原田伸郎さんとコンビを組み、「あのねのね」でデビュー。「赤とんぼの唄」が大ヒットし、一躍人気者となりました。90年代は、アウトドア活動に夢中になり、2005年に河口湖に自然体験施設「森と湖の楽園」をオープン。その後、瀬戸内海の無人島「ありが島」に海の体験施設を作り、企業の社員研修などを行なっています。また、経営者やビジネスマンが集う「国明会」を主宰されています。
 今週は、そんな清水さんに電話でお話をうかがいました。

ワクワクは大人になっても

※まずは、いつ頃からアウトドアにハマったのか、お聞きしました。

「今を去ること69年前ですかね(笑)」

●何かきっかけがあったんですか?

「田舎に生まれたということですよね。もう大自然の中にごろんと生まれ落ちまして、見渡す限り山と川と木とね、そんなもんの中で育ったんで、そこからアウトドアをずっとやっているという感じでしょうかね」

●小さい頃から自然がすぐ側にあったわけですね。

「そうですね、森の中で生まれ育ちましたから。いつからアウトドアをやっているかっていうような境目はないですね、ずっとアウトドアです。はい!」

●ご家族で無人島でキャンプされたり、ご自身でログハウスを建てられたり、バスフィッシングに夢中になられたりですとか、いろいろなことをされてきたそうですけれども、こういったスキルっていうのはどうやって身に付けられたんですか?

「小っちゃい頃、1歳〜3歳ぐらいの時から魚を手づかみしたりですね、池の鯉を釣って親父に怒鳴られたりですね、木に登ってその木の上に隠れ家作ったり、ヘビ捕まえたり、赤トンボを捕ってアブラムシにしたりですね(笑)、そういうことをずっとやってきたんですよ。
 それがだんだん、例えば1〜2歳から10歳になったとすると、10歳の時もちょっとスケールはでかいけど、同じようなことをしていましたね。竿を使って魚を捕るとか銛で突くとかですね、もうちょっと大きな家を建てるとか。
 それが20歳になるとさらにもうちょっとでかい魚を捕りに行ったり、行動範囲も広くなる。
 何が言いたいかというと、結局小っちゃい頃やっていたことをそのまま大人になっても、スケールアップしてやっているっていう、そんな感じですね」

●やはり小さい頃の自然体験っていうのは大人になってからも大事なものなんですね。

「そうやね、この歳になって振り返ってみると、結局子どもの時に一番ワクワクしていたことを大人になっても、ちょっと環境は変わるけれども、同じことで。大人になって新しいことをやるんじゃなくて、結局子どもの時にやっていたことのスケールアップっていうような、グレードアップっていうのかな? そんな感じしませんか?」

●そうですよね! 

「小尾さんって渚沙さんだよね? どんなところで生まれて育ったんですか? 」

●私は千葉県千葉市出身なんですけれども、ただ、森に行ってとか、ログハウス建てたりっていう経験はなかなかしてこなかったので、大人になってからというような感じですかね。

「それは多分、みんな自然の中で遊ぶノウハウっていうかスイッチはあるはずなんで、そのスイッチを入れないまま大人になってしまった、もったいない人が結構いるんですよね」

●いや、本当にそう思います〜。

「だから何かの弾みでね、スイッチが入って、山がすごく好きになったり、木に登りたくなったり、海に飛び込みたくなるようなね(笑)、そういうなんていうか、食べず嫌いみたいな感じで、まだ使ってないところをいっぱい隠し持っている人が、周りにもたくさんいるような気がしますね」

18棟目のログハウス

※清水さんは、ログハウスを作るログビルダーでもあるんです。自分で何かを作るのがお好きなんでしょうか?

ログハウス

「そうやね、小尾さんは家を作ったことありますか? 」

●ないです!(笑)

「ないの!? 家とか部屋の中を飾り付けたりするのはどうですか? 」

●あ、好きです!  

「そうですよね、それの延長で自分の家を自分で作り始めたら、こんな面白いことってないですよ! 私は今18棟目のログハウスに取り掛かってますけれどもね」

●18棟!? 

「そうそう、こんな楽しいことを人にお願いしてやってもらうっていうのは、すごくもったいないなと思うように途中からなったんですよ。だから自分で木を伐って皮を剥いて丸太を転がしてですね、自分のログハウスを自分で作り始めたり、木の上に家を作ったりすると、これはもう寝食忘れてっていうか、ごはんを食べるのもその時間がもったいないくらい私はのめり込みましたね!」

●ログハウス作りの何がそんなに魅力なんですか?

「そうやね〜、自然の中に溶け込むような、自分のスペースを確保できるっていうのが、すごく嬉しかった。最初ね、丸太を四角く組むでしょ、井の字みたいな。それを一段組んでその真ん中に、木屑だらけになって、ゴロッと疲れて寝た時に、宇宙までズバーンとそのエリアが自分のものみたいに“このエリアは俺のもんや!”みたいな、すーっごい気持ちよかったんですよ!
 ところがね、今東京のマンションに住んでいるんですけどね。そこから通ったりしているんですけど、この上にもまだ何人も住んでいるし、下にも住んでいるし、タワーマンションに住んでいるんですけど、このエリアは俺のもんみたいな開放感は得られませんわな、都会ではな」

●そうですよねー。

「そんなのを感じましたね。ログハウス面白いですよ! 」

<ログハウスの歴史と特徴>

 さて、清水国明さんが夢中になっているログハウス、その歴史は古く、世界最初のログハウスは3500年以上前に出現したと言われています。起源ははっきりしませんが、北欧で生まれて発達してきた建築物で、森林資源の豊富な地域を中心に伝わり、それぞれの地域に合った形に進化を遂げてきました。

 森林を伐採し、開拓していく際に、伐採した丸太をそのまま使って最低限の工具で組み立てられたログハウスは、ある意味とても合理的な建物ですよね。北欧ではその後、工場で製造されたログ材を使用してシステマティックに建てられたマシンカットログが普及し、それに対して北米大陸では自然の中で暮らす“別荘”としての需要が高く、セルフビルド文化が根付いています。

 同じ木造でも、日本で一般的な木造住宅とログハウスは全然違いますが、日本国内でも古くは正倉院(しょうそういん)の校倉造(あぜくらづくり)や、中部の木曽川(きそがわ)沿い、信州の山間部で多く見られる板倉造(いたくらづくり)はログハウスに極めて近いものです。また、昭和8年に日本初の本格的な山岳リゾートホテルとして誕生した上高地帝国ホテルは日本における近代ログハウスの元祖ともいえる存在です。

 ログハウスのもうひとつの特徴は「木が、家が“生きている”」ということ。木材はログハウスとなってからも呼吸を続け、年月の経過とともに少しずつ変化していきます。木が縮んだり反ったり、ひびが入ることもあります。でも、しっかりメンテナンスすれば100年でも200年でも持ちますし、木の風合いが変われば部屋の雰囲気も違ってくる、そんな変化を楽しめるのもログハウスの魅力です。

 子供から孫へと、何世代にも渡って受け継いでいける家って、ステキですねー。

ひとりで寂しいから作った!?

※続いて、河口湖にある「森と湖の楽園」について。森の中に自然体験施設を作ろうと思ったきっかけはあったのでしょうか。

自然体験施設「森と湖の楽園」

「ふたり目の嫁さんの時に河口湖にいい場所があったんで、それで家族、子どもがその頃はまだ3人いたんだよね、それでみんな引き連れて“河口湖行くぞー!”って宣言したんですよ、“きょうから自然暮らしだー!”とか言ってね。そしたら家族全員が“行ってらっしゃーい”って言ったんですよ。“え、行かんの?”とか言って、で“しゃあないわ、ひとりで行くわ”って言ったら、その時のふたり目の嫁さんが、じゃあこれにハンコを押してって言って離婚届を出したんですよね。“ええ一緒に行かんの!?”って言ったら、子どもたちもそう言ったんだけどね、“いやパパは今までいろいろやってきたからいいけど、私らはこれから都会でも楽しみたいし、私には私の都合があるから”って言っていましたね」

●そうだったんですね。

「それでひとりで行ってさみしいから森と湖の楽園とか、自然楽校、自然を楽しむ校というのを作って、たくさんの人を招いてですね、みんなでわいやわいや言いながら自然体験をしているというような、そういう施設を作って、これが16年目になるかな」

●なるほど! そういった背景があったんですね。その河口湖の森と湖の楽園というのは改めてどんな広さ、なんですか? どんな楽園なんですか? 

「えーっとね、坪でしか言えないんだけど、1万坪ぐらいですね。結構広いわな。そこにウォークボードっていう森の回廊ってのを作ってですね。それからバーベキュー場もあって、バーベキューは今500人くらい一気に出来んのかな。でっかいバーベキュー場があって、それからドームハウスもあったり、あとトレーラーハウスも10台くらい置いてあって、そこにも泊まってもらえるようにしています」

●自然体験もいろいろできるということですよね?

「もちろん! ただね、あんまり施設としては整っていないんですよ。なんでもできますけども、遊園地みたいなジェットコースターがあったり、観覧車があったりっていうようなところではないので、そういうのを想像して来た人は“あれ? ここなんにもないじゃーん”とかって言う人がいるんですよ。そういう人にはすぐ近くにある富士急ハイランドの割引券がたくさん ありますんで、“それを持ってって向こう行ってください。向こうだったらお金さえ払えば、なんでもサービスしてもらえますよ!“って。うちはもうほったらかしなんですけれども、その代わりなんでも自由にできる、焚き火しても大丈夫な施設なんで、自分で楽しもうと思って来る人は楽しい場所です」

ユーチューバーになる!?

※最後に、今進めているプロジェクトについてお話しいただきました。

「千葉県なんですけれどもね。そこで今度はまず杉林を買いまして、その杉を伐ってその木の皮を剥いて組み上げるという、ログハウスをちょっとひとりでやってみようと思っているんです」

●へえー!

「ほんでそれを手伝いたい人は手伝いに来てくださいとか言って、皮を剥いてもらったり、ログハウスの作りかたをね、きっちり教えますんで、はい、そういうのを始めます。それで、ユーチューバーって今芸能人がやっていますよね、やってみようかなと」

●あら! 清水さんが? 

「うん、僕の相棒の原田伸郎ってのがいるんですけど、これが“のぶりんチャンネル”ってのを1年近くなんのかな、半年かな、始めていたんですよ。まあ今さらみっともないな、そんなの恥ずかしいぞと思っていたんですけども、なんと登録者数が、どのくらいだと思います? 300人ぐらいなんですね(笑)くっそ恥ずかしいでしょ?」

●いやいやいや! 

「(笑)だってほら(登録者数が)50万とか20万とかって人いるじゃないですか。そうやってあいつ赤とんぼの歌を歌ったりしていますけども、ほんで俺は絶対ユーチューブをやらんぞと思っていたんですが、今度のログハウス作りをチェーンソーを買うところから、土地を探して土地を決めるところから、ずーっとドキュメントで毎日ユーチューブにあげていこうかなと」

●面白そうですね! 

「そうでしょ、だからさっき言った家を作るということのイチから、チェーンソーの買いかた、どんな道具を買って、どんな場所でどういう風にしたら、1棟建てられるかというプロセスを全部見せようかなと。それを国明会の人たちにも見てもらって、みんなで自分のお城を造れるように、ユーチューブにあげようかなと。だから目標としては300人以上の登録する人がいるようなユーチューバーになろうかなと思ってます」

☆過去の清水国明さんの定点観測はこちらをご覧下さい


INFORMATION

清水国明さん情報

 企業の社員研修などで人気の、河口湖にある「森と湖の楽園」、そして瀬戸内海の無人島「ありが島」について、詳しくはそれぞれのホームページをご覧ください。

◎森と湖の楽園HP:http://www.workshopresort.com

◎ありが島HP:http://arigatou-island.jp

 清水さんの近況はオフィシャル・サイトを見てください。

◎清水国明さんのHP:http://kuniaki.plus/

地球が危うい!〜足るを知る。バケツ一杯の水!?〜

2020/4/18 UP!

 今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、奇跡の一枚をきりとる自然写真家「高砂淳二(たかさご・じゅんじ)」さんです。

写真提供:高砂淳二
写真提供:高砂淳二

 高砂さんは1962年、宮城県石巻市生まれ。ダイビング雑誌の専属カメラマンを経て、1989年に独立。世界中の国々を訪れ、精力的に撮影を行ない、これまでに数多くの写真集を発表。昨年は「水」をテーマにした写真集『PLANET of WATER』を出されています。
 そんな高砂さんの新刊が先頃、山と渓谷社から出版した『光と虹と神話』。この本は、これまで訪れた100カ国以上の中から選りすぐった34カ所で撮った写真と、その場所で感じたことを書き下ろした、集大成的フォトエッセイ集で、各地で目の当たりにした自然環境の変化にも言及しています。
 今週は、これまでの集大成とも言える新刊をもとに、とっておきの体験談などうかがいます。

僕らも生きていけない

※まずは今回の新刊で特にどんなことを伝えたいのか、高砂さんにお話をうかがいました。

「一番、僕の中ではやっぱり人がね、今の生活はどんどん豊かになって、物も作って、買って消費して捨ててっていう、そういうサイクルに入っちゃっていますよね。それがいかに影響を及ぼしているかってことも自分自身も反省しているし、なんとか変えていかないと僕らも生きていけない世の中になるっていうのが自分の中では一番大きいですね。他のことも伝えつつそれを一番感じてもらえるように形を整えていきたいなっていう風に思って作りました」

●やはり多くのフィールドを見てきた高砂さんですけれども、現在、自然が置かれている状況は、はっきり言っていい方向ではないよっていうことですよね?

写真提供:高砂淳二

「いい方向ではないですよね。温暖化もずっと叫ばれていますけれども、かなり酷い状況になっていますね。僕がグリーンランドや南極、カナダの流氷のあるところとか、いろんなところに行って撮影していますけれども、その辺がここのところ(温暖化の影響が)顕著に現れているっていうのも目の当たりにしていますし・・・。
 あとはプラスチックのゴミがどこ行ってもありますね。以前は自然が飲み込んでくれていたような感じがしましたけれども、今はもう飲み込みきれなくて突っ返されて、海岸線にどんどん戻されている感じがあってですね。生き物もどんどん(プラスチックごみの影響で)死んじゃっていますからね。それをなんとかしたいなと思って、自分でもやっぱり生活の中でプラスチックの物を買わないようにしたり、なんとか他の物で代用したりとかしています。そういうこともちょっとずつ話が出来たらいいなとも思っていますね」

自然からのプレゼント!?

※高砂さんの新刊『光と虹と神話』には選りすぐりの写真がたくさん掲載されています。その中にあるオーロラの写真についてお話しいただきました。

写真提供:高砂淳二

「あのオーロラの写真は、湖の前で撮っている写真で、湖にオーロラがそのまんま映っていたと思うんですけれども。普通オーロラっていうと寒い、雪と氷の中で見ているって印象があると思うんですけれど、実は、オーロラっていうのは実際、年中出ているんですよ。

 寒いところだと夏場は白夜になっていて、暗くならないのでオーロラが見えないんですね。僕が(オーロラの)写真を撮ったのはだいたい9月ぐらいで、白夜がちょうど終わって短い夜が始まった頃なんです。なので、まだ寒くなくて、湖も凍っていない時に快晴の空にオーロラが出て、それで静かな日だったので、水面にそのまんま鏡のように映ったと、そういう神秘的なシーンでしたね。

 そういうものって、オーロラだけじゃないんですけれども、たまに自然のいろんな条件がピタッと一致して“うわ! こんな状況が現れるんだ!”っていう、プレゼントみたいな時があるんですね。そういう時に“信じられない写真が撮れちゃった!”ってことがありますね」

●高砂さんの写真は、アザラシだったりペンギンだったり、生き物たちがとても近くに感じられたんですけれども、写真を撮る時、なにか心がけていることはあるんですか? 

写真提供:高砂淳二

「相手が生き物の時はやっぱりなるべく向こうの気持ちを、目とか仕草を見て、読むようにしています。向こうが嫌がっていると、さっさと逃げちゃう場合もあるし、あとは逃げないまでも表情が固くなったりとか、普段の生活、普段の仕草じゃなくなっちゃったりとかね。そういうこともあるので、なるべく向こうが安心している、もしくは警戒心よりも好奇心のほうが強い状況にできればしたいんですよね。

 なので怖がらせないように、その上でもしできるんであれば、向こうの気を引いて、なんだこのおじさんみたいな(笑)感じの気持ちになってくれると近寄ってくれたりとかする場合もあるんですよね。向こうの様子を見ながら、警戒心を解いて好奇心をなるべく膨らませてもらえるように撮影するっていうのを心がけていますね」

<プラスチックごみ問題>

 今週のゲスト「高砂淳二」さんもとても危惧されている世界的なプラスチックごみの問題。レジ袋やペットボトルなどの原料のプラスチックは自然分解されにくく、捨てられたプラスチック製品は風に吹かれ、川に流され、最終的に海を漂います。
 ビニール袋を、好物のクラゲと間違えて、ウミガメが飲み込み、犠牲になっていることを以前から指摘されていますが、他にも海鳥やアザラシ、イルカなど多くの生き物にも影響が出ています。もっと厄介なのが、波や紫外線で細かく砕かれ、およそ5ミリ以下になった「マイクロプラスチック」。最近の研究では魚からマイクロプラスチックが見つかり、問題となっているんです。

 プラスチックごみは推定で毎年およそ800万トンが海に流出し、2050年には海洋中の魚の重量を上回るとの試算もあり、対策が急がれています。
 今年7月からレジ袋の有料化が義務付けられます。これに先立ち、今月1日からレジ袋を有料にした店舗も多く、「エコバッグを持ち歩くようになった」という方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 そもそもなぜ義務化されるのか、経済産業省によりますと、「普段何気なくもらっているレジ袋を有料化することで、それが本当に必要かを考えていただき、私たちのライフスタイルを見直すきっかけとすること」を目的としているとのことです。エコバッグやマイボトルを使うなど、まずはできることから始めて、ライフスタイルを少しずつ見直していくことが大切ですね。
 プラスチックごみを増やさない。そのためには、なるべく、すぐごみになるものは買わない、もらわない、そんなことを心掛けたいと思います。

進化はすごいシステム!

※高砂さんは生き物たちのどんなところに魅力を感じているのでしょうか。

写真提供:高砂淳二

「たくましさもあるし、それから例えばマダガスカルなんかだと、生き物のほとんどが固有種なんですね。なぜかと言うと、マダガスカルっていうところは大陸に属したことのないところで、生き物がすごくユニークなまんま、その場所に合わせて進化してきているんですね。そういうのってなんか普通に考えてもたくましいなーと思いますよね。

 必要のないものはどんどんと削ぎ落とされて、それで必要とするものはだんだん身に付けていく、そういうのって何千年、何万年かけてそういう風になっていくわけです。このツノが欲しいとかこのトゲが欲しいとか、もうトゲがいらないとかって思って、それがずーっと続いていくうちに身体になって現れていくっていうのはすごいシステムだなと思っています」

●確かにそうですね!

「そういうのもダイナミックですよね」

バケツ一杯の水で充分!?

※最後に、ミクロネシアの小さな島での体験談をお話しいただきました。

「昔、トラック諸島って言いましたけども、そこにジープ島っていう島がありまして、だいたい直径が34メートルの、ヤシの木が20本くらい生えているだけの島なんですよ。そこは無人島じゃないんですけれども、現地のご夫婦が管理人として住んでいて、小屋がふたつ建っているところなんですね。

 僕らみたいな旅行者が一応泊まれるようになっていて、そこにはもちろん水道もなければ電気もなければ電波もきていないし、何もないんですね。そういうところで例えば人間が住むのに必要な水はどうするのかっていうと、雨水を貯めておくバケツが置いてありまして、そこに貯まった水の中から小さいバケツに採って、それをひとりバケツ一杯使うことができるっていうシステムになっているんですね。

 バケツ一杯で、歯を磨いて顔を洗って、それで身体を洗ってパンツも洗うみたいな感じなので、順番を考えてやらないといけないんですね。最初にパンツとか洗っちゃうと他にあんまり使えなくなっちゃうので(笑)、最後にパンツを洗って、それを頭から被ってシャワーにして寝るみたいな感じですけれども」

高砂淳二さん

●へぇー!

「だけどやってみると、意外にバケツ一杯の水っていうのは結構あるもんだな、これで充分いけるんだみたいな感じもありますね。
 これって不思議なものでね、日本に暮らしていると本当に湯水のようにって言いますけれど、シャワーなんかボンボンとバケツ何杯分使うのか分からないくらい使いますよね。でも、こうやって工夫すると水もこれだけで済むんだっていうことを感じますね。

 あとはチュークの人たちっていうのはそもそも仕事を持っていない人が多いんですね。南の島なので暖かいし、その辺にバナナとか植えておけばすぐにバナナもなったりとか、あとはパパイヤとかそれからパンの木とかもその辺に生えていたりとか。海に入れば魚が泳いでいるじゃないですか。なのでほとんど自給自足的な生活をしている人のほうが多いらしいんですね。

 若い人が獲った魚をお年寄りに分けてあげたりとか、畑のある人がなんか採れたものをそういう人たちにあげるとかね、そんなことで暮らしているので、例えば一生懸命ビジネスをやっている人とか営業している人みたいに、お世話様です〜とかなんかすごく気を遣ったり、そんなことをする必要もなくて。当たり前に物が採れて豊かだし、やっぱり余裕があるって言いますかね、食っていければいいじゃないみたいなところがあるんだな、それでいいんだよねと。

 実際でも日本だって本当はその辺に何か植えておけば、ちゃんと食べられるようなものも生えるし、季節になると魚もカツオとか泳いできたり、わざわざ脂のせて泳いで北から降りてきてくれる時もあれば、潜ったら貝も引っ付いているしとかね。

 元々はやっぱりこの地球って、その土地その土地でちゃんと生き物が暮らせるように食い物が、それから薬になるようなものも、ちゃんと生えているっていうのを改めてチュークに行って感じましたね。もっと自分の場所で生えているものとか、もしくはそこになくても自分でベランダででも育てて食べられるよね、とかね。そういうのも感じましたし、実際そういうこともあって僕は今、自分の家の小さなベランダでいろんな野菜を育てています」

●そうなんですか! 

「はい! それでかなり今、野菜は買わないで自分のところでなったやつを食べているんですよ。 それでスーパーでビニール袋に入った野菜も買わないでも済むし」


INFORMATION

高砂淳二さん情報

『光と虹と神話』

光と虹と神話

山と渓谷社(1800円+税)

 高砂淳二さんの新刊『光と虹と神話』は山と渓谷社から絶賛発売中です。高砂さんがこれまで撮影で訪れた100カ国以上の中から、選りすぐった34カ所の写真と、そこで感じたことが書かれています。ぜひ読んでください。

●山と渓谷社HP:
https://www.yamakei.co.jp/products/2819020490.html

 高砂さんのオフィシャル・サイトには本の情報ほか、
これまで発表した写真や近況なども載っています。ぜひご覧ください。

●高砂淳二さんのHP:
http://junjitakasago.com/blog

旅は妄想から始まる 〜マイナス50度! 脳が凍る街滞在記 & 舌が笑う南国旅〜

2020/4/11 UP!

 今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、旅好きイラストレーター「まえだ・なをこ」さんです。

まえだ・なをこさん

 「まえだ」さんは電子書籍で出版した、旅をテーマにした作品が大ヒット! そして先頃、人気作品をまとめた紙の本を出し、話題になっています。本のタイトルは『世界で一番寒い街に行ってきた〜ベルホヤンスク旅行記』!

  きょうは、冬はマイナス50度にもなるロシアの街の滞在エピソードや、マレー半島のおいしい南国旅のお話などうかがいます。

飛行機の羽が凍る!?

※まずはベルホヤンスクに行くきっかけはなんだったのか、お聞きしました。

「友人が、SNSで誰か同行者募集っていうのに食いついた感じなんです(笑)」

●あの、マイナス何度になるんですか? 

「最低気温としては、67.8度を記録したっていうことなんですけど、私たちが行った時はマイナス50度より下でした」

●実際、到着されてどんな気持ちでした? 

「ヤクーツクの乗り継ぎで飛行機の羽が凍っちゃって、それでなかなか飛び立たなくて、お湯をかけて羽を溶かしていて、それで本当に乗り継ぎ時間がギリギリになっちゃって焦って、それどころじゃなかったっていうか」

●飛行機の羽が凍ることってあるんですか!?  どんな服装で日本から行かれたんですか? 

「服装は、他の人は北極圏でも耐えられるみたいな服を持っていったりとか、買ったりとかしていたんですよね、私そんなお金ないし結構高いんですよね。だから自分で持っている一番暖かい服で行って、現地に行ったらもうブーツから帽子から全部借りました。

 ベルホヤンスクで借りたんですけど、ヤクーツクとかは割と都会なので建物に入っている間は別にそんなに問題なくて、暖かい空気をまとったまま、他の店にパッと行ったりするので、そこまでは。まぁ日本から持ってきた服でちょっと寒かったような気はするけど、事足りたかなっていう感じですね」

●フリースに、ダウンっていうような感じですか?

「ダウンにフリース二枚重ねに、暖かい下着ありますよね? そういうのを二枚重ねに、防寒防水ブーツでガシッと。その靴もなんか特殊な靴で、下がフェルトなんですよね、ゴムとかじゃなくて。あまりにも気温が低すぎてビシャビシャにならないので、下がそういう布っぽいものでもビシャビシャにならないで歩けるみたいな感じの、バーレンキっていうのかな? そういう靴なんですよね」

1日4食! 高カロリー!

※北極圏にあるベルホヤンスクに滞在している間はいったいどんな食事が出たんでしょうか。

まえだ・なをこさん

「主食は馬で、多分カロリーをすごく消費するから高カロリーのものばかりどんどん出てきて、1日4食という」

●4食? 

「はい、アテンドしてくれた方がいたんですけど、スケジュール表に、朝食、昼食、夕食、夜食ってあって、え? と思ったんですけど、寒いとカロリーをすごく消費するからたくさん食べるっていうことみたいです」

●例えばどんなものを食べるんですか?

「馬肉の茹でたもの、馬肉のハンバーグ、馬肉の刺身、馬肉のレバーとか、あと凍った魚を削って、ルイベみたいなものって分かりますかね? それをそのまま何もつけないで食べるっていう感じで。で、私は醤油とワサビ持っていって、みんなに“おぉ〜! ”って言われました(笑)」

●へぇー! 

「私が一番好きだったのはアイスです。外に放置していると出来るアイスで、ミルクとちょっとベリーを混ぜたもの。ベリーは、すごく短い夏があるんですけど、その間にバッて出てきたものを収穫して地下の天然の冷蔵庫に入れあるんですよ。それを混ぜたものを外に放置しているだけでアイスになるみたいな。それが私個人的に好きでした。かなり甘さ控えめなんですよね。

 あと友達がすごく喜んでいたのは馬が主食っていうことだったんですけど、馬の生レバーの凍ったやつが大好きで、すごく喜んで食べていました」

●現地の方々はどんな生活をされているんですか? 

「多分特殊なところなので半分くらいは研究員の方が住んでいる感じで。あとは狩りをしたりとか、河原に氷のブロックが積んであって、それを一輪車でガーッて運んで、各自ドラム缶の中に入れて水を作って、それをお風呂に使ったりとか、顔を洗ったりとか、そんな感じの生活をしています」

<サハ共和国って、どんな国?>

 さて、きょうのゲスト「まえだなをこ」さんが滞在したベルホヤンスクは、ロシア連邦の極東に位置するサハ共和国の都市で、共和国の首都ヤクーツクから北北東に675キロほどのところにあります。“共和国”…と言っても、もちろん独立国家ではなく、あくまでロシアの地域のひとつです。

 このサハ共和国、ほぼ全域が永久凍土地帯といいますから、それだけでも「寒い!」ってことは想像できます。冬は長く、厳しくて、1年のうち10月から4月までの7カ月は冬で、“最高気温”の平均がマイナス40度程度といいますから、その寒さ、もはや理解できません。

 一方で、夏には気温が30度を超えることもあるということで、1年の寒暖差は最大で100度!

 一体どんな人たちが暮らしているのかというと、最も多いのはチュルク系の民族のヤクート人で、その顔立ちはモンゴル人や日本人にそっくりなんだとか。

 厳しい土地だけに、手つかずの豊かな自然が残り、それが観光資源となっていますが、実は天然資源にも恵まれ、金やプラチナ、原油、天然ガスなどが採掘されていて、中でもダイヤモンドは世界最大の産地として知られます。世界に流通するダイヤモンドのうち少なくとも22%がサハ共和国産なんですって!
  皆さんが持っているダイヤモンドも、もしかしたらサハ共和国で採掘されたものかもしれません。

大好き! ニョニャ料理?

※続いて、マレー半島の旅でどんな料理に出会ったのか、お聞きしました。

まえだ・なをこさん

「本当に様々あって、例えばマレー半島っていっても、タイからマレーシアからシンガポールとかいっぱいあるんですけど、主にマレーシアのペナンって場所も好きで。そこは本当に中華とかインド、あとマレーの料理があって、中華とマレーのミックスされた“ニョニャ料理”っていうのもあって、私そのニョニャ料理がものすごく好きで」

●どういう料理なんですか? 

「口で説明するのはなかなか難しいんですけれど、中華系の男の人と、マレーの現地の女の人が結婚して出来た料理っていわれていて、すごく繊細で見た目も美しい料理なんですよね。例えばハーブが半分くらい入ったご飯とか、パリッとした揚げ物の中に、大根おろしじゃないんですけど、甘しょっぱいような野菜を細かく切ったようなものが入っているものとか色々あって、それが見た目が本当に綺麗で、食べたことがないような感じなんですけど、日本人の口にはすごい合うと私は思います」

●そうなんですね〜! 「まえだ」さんはマレー半島縦断されたっていうことですよね? すごいな〜! 縦断されてどうでしたか? 

「縦断して、国境越えとかもあるんですけれど、割と本当に簡単というか、すんなり何も問題はなくスルッと行けて。日本の感覚だと国境を越えるって結構、パスポート出して、税関あってとか色々あるんですけど、例えばマレーシアとシンガポールだと通勤でも使う人がいるくらいに スッと、本当に電車に乗り換えてチケット出すみたいな、それぐらいの感覚で行けるので、陸続きの国境越えって気楽だなって、すごく思いました」

旅慣れてもガイドブックは熟読

※最後に、旅のプロともいえる「まえだ」さんは、事前にしっかりスケジュールを立てて、出かけるのかお聞きしました。

まえだ・なをこさん

「スケジュールを立てるっていうのも楽しみのひとつなので、結構綿密にぎっしり書くんですよね。もしこうだったらっていう分岐まで書くんですけど、実際行く時は全然守らないですね」

●あ、そうなんですか? 

「自由になるのがすごく好きで、テーマもあるので、自分の立てたスケジュールからも自由でいたいっていうのがあって。そこはなんかよく分からないんですけど、スケジュール通りに動く必要もないっていうことがすごく快感なんですよね」

●不安はないですか? 

「不安はあんまり、もしかしたら感じない人種なのかもしれないんですけど(笑)。だけどすごく臆病であったほうがいいなと思っていて、海外だからやっぱり危ないこともあるし、日本の常識が通じないこともあるので、すごく気をつけているほうだと思います」

●例えばどんなところに? 

「旅慣れているのに、え? って言われるかもしれないんですけれど、ガイドブックを熟読します。例えば欄外に書いてあったりする、こういうところに気をつけろ!みたいなのは絶対読んだほうがいいし、危ない目にあうのは大体パターンがあるので、あんまり自分の勘をそこまで信じないほうがいいかなーって思いますね。

 旅は、どこに行きたいかなーみたいな妄想から始まっていて、まず検索して、実際行かないにしても行ったと仮定して、どのくらいで宿がとれるのかなーとか、いくらくらいでとれるのかなーとか、そこから空港までどうやって行くのかなとかめっちゃ調べる。で、それから行くか行かないかは気分とタイミング次第っていう感じ、まぁそこから始まっているかなっていう風に思います。本当に旅は色々楽しくて、行く前も楽しいし、行ってからも楽しいし、帰ってからもすごく堪能できる感じなんですよね」


INFORMATION

「まえだなをこ」さん情報

新刊『世界で一番寒い街に行ってきた〜ベルホヤンスク旅行記』

新刊『世界で一番寒い街に行ってきた〜ベルホヤンスク旅行記

 「まえだなをこ」さんの新刊『世界で一番寒い街に行ってきた〜ベルホヤンスク旅行記』をぜひ読んでください。「まえだ」さんが電子書籍で出版した人気の4作品をまとめた本です。講談社から絶賛発売中です。

●講談社のサイト:
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000333552

 「まえだ」さんのオフィシャル・サイトもぜひご覧ください。

●まえだなをこさんのHP:
https://www.nawoko.com/about

地球元気村から元気の輝きを! 〜人があって自然がある、自然があって人がある〜

2020/4/4 UP!

 今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、冒険ライダー、そして地球元気村の大村長「風間深志」さんです。

風間深志さん

 風間さんは1950年山梨市生まれ。バイクでエベレストの6005メートルまで登ったり、同じくバイクで北極点や南極点に到達と、人類史上初の3つの偉業を成し遂げた冒険家です。82年には、日本人として初めて「パリ・ダカールラリー」に参戦し、二輪部門で6位入賞という快挙!

 88年には大自然の素晴らしさや自分の体験を伝えたいという思いで、「地球元気村」を創設、現在はNPO法人として、自然体験イベントなどを実施しています。
 冒険への熱い思いは健在で2017年と2018年には息子の晋之介さんとともに「ダカールラリー」に出場、2年連続完走を果たしています。

 実は風間さんはこの番組の、記念すべき第1回目のゲスト! 以来、毎年4月の第1週に出てもらっています。きょうはそんな「風間」さんに、改めて「地球元気村」に込める熱い想いなどうかがいます。

理想社会ってなんだろう?

※まずは「地球元気村」とはどんなプロジェクトなのか、改めて教えていただきました。

「今も変わらないんですけれども、僕らはやっぱり、物に囲まれて豊かに過ごしている。で、本当に豊かってなんだろう? 本当の幸せってなんだろう? って考えていくとやっぱり、自然っていうベースに立った上で、人間が健やかに生きていくっていうクオリティの問題ね。

 ご飯がありさえすればいい、これって大事なことですけど、便利になればいいだけではない、やっぱり人間の幸せっていうのは、足元から考える活動として、自然の中で原理、原則を学びながら、人間の生きていく方法をよりいい方向に考え直そうよ、っていうことなんですね。

 で、当時1988年っていうのはね、文明や文化がどんどん進んでいって、その中に人間性とかそういったものを忘れさっていく時代だったんですね、そんな中“ちょっと待った! “って感じで、色んな文化人の方たちに協力してもらって、きょうに至っているんですけど、やっぱり目的は達成してない。

 なかなか人間難しいですね、人と自然の関わり、人があって自然がある、自然があって人がある、そんな中で人がいて、そしてそのコミュニティがあって、村があるっていうね。人と人との調和のとれた渾然一体となった理想社会ってなんだろう? ってことを常に考えていく。

 おそらくこれから10年、100年経ってもね、その答えは常にみんな見出そうとして、よりいい方向を、もっといい方法があるんじゃないか、って考えることが大事なことだと思ってやっています! 」

炎のマークは命の輝き

※続いて、地球元気村のシンボルにもなっているマークについてお話いただきました。

風間深志さん

「あのマークは炎のマークなんですね。最初は焚き火の炎だったんだけどね。人間は火を使うでしょ? まあここにいろいろ会社や家族のありかたや、自分の未来っていうものをね、枝葉を付けていくっていう、基本はここからなんだ、っていう意味合いだったんだけど、よく考えてみるとあれは最近は“命の輝き”だって言っているんですよ。

 で、元気ってなんだろう? っていうことを考えていくとなかなか難しいでしょ? これを僕は地球元気村の村長だからいろいろ考えました。元気っていうのはこれ!っていう形ではなくて現象なんですね。今この一瞬に元気が輝く、っていう一瞬のことを言っててね。

 それはやっぱり身体の健康を確保しながら、心が非常に豊かで幸せな時に元気が一瞬光るんですね。その一瞬の輝きこそが元気であって、例えば幸せとか豊かっていう価値観が、例えばですよ。古い人間だから古い言いかたをするけど(笑)高級乗用車をよその家のお父ちゃんが乗っていると、でも自分の家は軽トラ、これで寂しいなって思ったら元気じゃないんだよ。

 物とかそういうものに非常に囚われるから、ありとあらゆる自分を取り囲む生活、境遇の中で豊か、幸せを感じるってことはすごく大事で、その時に身体の健康状態がいいと元気が生まれるんですね。よし、行こう! って前向きなね。だからそこは身体ひとつで幸せに思えなかったり、非常に脆い部分なんだけど、人生っていうのは幸せをなんだろうと考えることも大事だし、元気を抽出するためにはいろんな組み立てがあるからね。そんなことを考えながらやっているんですけどね。

 だから僕らはアウトドアが中心だから自然の中で大いに遊ぼう、学ぼう、っていうわけで、カヌーやっている瞬間が一番楽しかったり、ハイキングやっている時が楽しかったりね。その手法をこの自然という部分をベースに考えているから、自然と人間が関わると遊びが生まれるじゃない? 結局そこで今まで取り組んできたのは結構アウトドアの啓蒙だったんですね。  ただ、アウトドアだけじゃないんだよね。やっぱり自然の中に芽生えたいろんな芸能だとか、郷土の民芸品だとか、そういうものもやっぱり豊かな自然の中に育んだ人間の生きる力だったり、創造性だったり、そういったものの中から常に学んでいこうよと、楽しいんですよ。あんまり楽しすぎて答え出てない(笑)」

小さい頃の経験はすごく大事!

※続いて、地球元気村では、どんなイベントをやっているのか、お聞きしました。

「アウトドアっていうと何を想像しますか? 」

● うーんなんでしょう……。釣りだったりとかカヌーだったりとか、木登りだったりとか。

「そういうのをやってきました」

一同(笑)

風間深志さん

「もう単刀直入にそういうのをやってきました(笑)。ただね、生きることを考えることだから、まあ遊びだけじゃなくてね。例えば狩猟、罠、とか、そういったこともやっぱり考える。その中に生きるための猟ってこともあるし、そういうので他の動物や昆虫とか、そういったものとの共存も大きなテーマですね。僕がいくら言ったって何も変わらないんだけど、人間のひとりとして、そういうことを考える人もいますってことですね」

●どんな方が参加されているんですか? 

「ほとんどね、中心はやっぱ家族が多いですね。まあ大人も子ども、家族が非常に多くを占めるっていうのは、やはり子育てに一生懸命従事している親御さんは、子どもにとっての遊びの環境、学びの環境とか体験っていうのは、どういうものがいいんだろうって真剣に考えているってことなんだよね。

 その人たちがこの地球元気村に来て、自分たち家族以外の人たちと交わること、それからまたそれを教えてくれる人たちに疑問を投げかけて答えを貰ったりとか、そういう学習。あるいは渓流の周りをトレッキングしたとか、石がゴツゴツしたアスファルトじゃない道を歩いた、そこで足が川に落っこちたら、冬だったから随分冷たかったとかね。

 で、凍っている雪のところを歩いたら、すべすべでどうやって歩いたらいいかとか。それはやっぱり、片方は慎重に歩きながらも片方はバッて大胆に踏み出していくっていう、両方があってこそ上手く人間は歩行出来るんだよ、とかいろんなことをやれば学ぶんですよ。やらないと口で言っても分からないっていう部分があるからね。小さい頃覚えた体験は一生覚えているね。

 僕が冒険活動をやってきて、冒険で例えば誰もいない北極の氷のところで、さてどっちに行くんだ、って選んだ時に、こういう時に真価が出るんですよ。誰から教わったんじゃなく僕の感性で、第六感でこっちだ! ってやった方向で、結果僕は死に至らなくて、ある目的を達成してゴールしたのね。

 あの時のひとつひとつの、選択肢の方向をどうやって選んでいたんだろう?って、何が基準だったんだろう?と思うと、これは僕が小さい時からね、僕は山梨県の山村の生まれですよ。山で育ってキジを猟犬と一緒に追っ掛けたりとか、それが春夏秋冬ね、寒い冬と暑い夏があって、その中でなんか俺こっちがいいなっていう風景があって、だから非常に厳しい地獄絵図のような中でも、こっちがいいって選んだ直感は、昔僕が培った経験値に基づいた、ひとつの美学なんですよ。  その美学は何に焼き付けられるかって、幼少の頃からのここまでの体験なんだよね。そうやって人間は体験や経験の中から自分のサバイバルの、煌めき、そういったものを培っていく、だから小さい頃の経験はすごく大事ですね」

土を作るのが農業!

※地球元気村では、農業の体験プログラムも実施しているそうです。

風間深志さん

「農業は、土をいじって、種をまいて、土を被せて、肥料をやって、水をあげて、ひとつの生命、生き物が出来上がるっていう、植物という生き物を種から育てて食する立体感を感じてほしいね。

 スーパーに行っていくらだったとかっていうことじゃなくて、自分が育てた食べ物ね、生き物と接するってことがすごい大事なんですね。

 僕たちはほかの生き物を自分たちの身体の中に入れて、自分たちは生きているんだと。つまりお互い様のひとつの食物連鎖とかあるでしょ? 

 農業をやることは、ナスを育てるキュウリを育てるっていうだけが農業じゃなくて、もうちょっと深いところ、例えばナスやキュウリやトマトは自然になるんだよね、自然に付くんですよ、実。ちゃんと日光があって水分があればね。

 それは俺が作ったんじゃなくて、もとを正せば土壌、土は全て微生物の塊です。何十億の生命の中でその種が生まれた。だからナスが勝手になったんだよね。そのナスがなるような環境を人間が整えるっていうことが農業であって、トマトを作ることが農業じゃないんだよね。土を作ることが大事だってことをやってみると学ぶんですよ。
 だからこの地球は全て自分たちのためにあって、全てのものの生み出すもとなんだよね、だから杉も松も一個一個の名前っていうものは大事だけど、それ以前にもっと大事なものは自然っていう大きな生き物のもとになるやつね、こういったものを考えるのも面白いですよね」

夢はエンドレス

※最後に、冒険を続けるモチベーションはどこからくるのか、うかがいました。

風間深志さん

「言っちゃいけないけどフェミニストではないけども、自分を好きであることね。自分自身の夢を大切に思う気持ちがやっぱりその夢の先にある想像性とかね。夢ってのは捨てられないわけよ、夢を諦めきれないわけ。

 だから絶対やりたいなというポジティブさだね。ポジティブっていうのはいたずらにポジティブになれないんだよね、やっぱり夢でしょ、もっとやるぞ! っていう今よりさらに、っていう何か、まぁそういうことなんだよね、それが冒険屋さんとか、アグレッシブにバイタリティを持って歩む人のひとつの共通項はその辺だと思うね」

●風間さんの夢はなんですか?

「夢? 夢はですね、僕はもう何年か夢を持ちながら実行できていない夢が南極点に障害者たちを連れていって、それも全世界のありとあらゆる国々の人たちと一緒に南極点まで行って、イェイ! イェイ! ってやりたいわけ(笑)。

 それが出来ていないからそれもあるし、僕自身の頭の中でもちろん諦めちゃった夢もありますよ。僕はバイクで一生今まで走ってきましたよね。それはバイクに乗ること自体を楽しんでいるんじゃなくて、バイク=俺は何を目指しているのか、地平線を目指している、地平線をどこまでも手繰り寄せていくんだっていうこと。

 僕のスタイルはバイクを使った旅のスタイルになっているでしょ。その先に見た夢は、月をバイクで走る。僕はこれは出来ていないんですよ。空間を手繰り寄せていく旅人は結局宇宙空間に行くんですね。人間がやっぱり宇宙空間にひとつの未来を見つめるってのは正しい、あっているひとつのベクトルなんだよね。
 やっぱり僕も、たかがバイクでも月を走りたかった、でも月を走ってもその先に見えるものは、太陽系を離れて銀河の中でまた銀河を眺めて、その銀河をさら違う星雲の中から眺めるっていうわけでね。究極、夢というのはエンドレスですね。そこに至ればまた次の夢が見えるんですよ。だからこれはね、遠大なひとつの生命活動だね」


INFORMATION

風間深志さん情報

 NPO 法人「地球元気村」では今年も風間さんの出身地、山梨市ほかで、アウトドアでの体験イベントや、畑での作物づくりなどを実施する予定です。

 また「地球元気村」の活動を支えてくださる村民を随時募集しています。ビジター村民で500円、個人村民で2000円、家族村民で3000円、村民になると年4回の季刊誌が届くほか、元気村イベントの参加費が割引になる特典もありますよ。

 詳しくは「地球元気村」のオフィシャルサイトをご覧ください。

・地球元気村のHP:https://www.chikyu-genkimura.com

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