毎回スペシャルなゲストをお迎えし、
自然にまつわるトークや音楽をお送りする1時間。

生き物の不思議から、地球規模の環境問題まで
幅広く取り上げご紹介しています。

~2020年3月放送分までのサイトはこちら

Every Sun. 20:00~20:54

新シリーズ「SDGs〜私たちの未来」の第1弾!〜ビニール傘をアップサイクル「プラスティシティ」〜

2021/6/13 UP!

 今週から番組放送30年特別企画として新シリーズがスタートします。シリーズ名は「SDGs〜私たちの未来」。この番組ではおもに「環境」や「自然」に関する項目にしぼって、SDGsについて、みなさんと一緒に考えていきたいと思います。そして今月6月は「環境月間」ということで、3週にわたって新シリーズをお届けします。

 第1弾の今週は「SDGs」をひもときつつ、雨のシーズンということで、廃棄されるビニール傘を、トートバッグなどの製品にアップサイクルして販売するブランド「プラスティシティ」にフォーカス! ファウンダーでデザイナーの「齊藤明希(さいとう・あき)」さんにお話をうかがいます。

☆写真協力:齊藤明希(プラスティシティ)

齊藤明希さん

<SDGsとは?>

 きょうのゲスト、齊藤さんはバッグの専門学校在学中に「プラスティシティ」を設立、現在はトートバッグをメインにブランド展開、おもに自社のオンラインストアで販売しています。齊藤さんにお話をうかがう前に「SDGs」とはなにか、おさらいしておきましょう。

 SDGsは「SUSTAINABLE DEVELOPMENT GOALS(サステナブル・デベロップメント・ゴールズ)」の頭文字を並べたもので、日本語に訳すと「持続可能な開発目標」。

 私たちがこれからもこの星「地球」で暮らしていくために、世界共通の目標を作って、地球の資源を大切にしながら経済活動をしていこう、そのための約束がSDGsなんですね。

 2015年の国連サミットで採択され、2030年までに達成しようという目標=ゴールが全部で17設定されています。その範囲は飢餓や貧困、環境問題、経済成長、そしてジェンダーに関することまで、いろいろな課題が入っています。

 きょうはSDGsの、17設定されているゴールの中から「つくる責任 つかう責任」について考えていきましょう。

年間8000万本!?

●それでは齊藤さんにお話をうかがっていきましょう。ビニール傘のビニール部分をアップサイクルの素材に選んだのは、どうしてなんですか?

「もともとバッグの専門学校に入りたいって思ったのも、なるべく環境に優しい素材を使ってバッグを作ってみたいと思って専門学校に入ったんですね。だから何か素材をと思って、日頃から何が使えるかっていうのは探していて。東京の学校だったんですけど、通学している時にもよく雨の日には捨てられた傘を見ることも多かったですね。

 最初は例えばコルクとかも環境にいい素材だし、使えるかなって思ってちょっと試してみたり、ヴィーガン素材っていうのも市場に出始めてはいたので気になってはいたんですけど、そういうものを取り寄せて試すのがちょっとハードルが高く感じたっていうのもあったり、見たことある製品だったり、何かもうちょっと新しいものを探したいなとは思っていて。

 環境にいい素材って見る観点によってすごく意見が分かれるというか、難しいものだと思うので、どのみちゴミにされるものを再利用できるのが、いちばんのエコな素材なんじゃないかなっていう風に考え始めて、それから普段の生活で身近なところで何かないかなって探し始めました」

●国内で1年間に廃棄されるビニール傘がおよそ8000万本ということですけれども、それは齊藤さんはどのようにお考えですか?

「なんか想像つかない数だなって。私は最初こういう問題をテレビのニュースで知ったんですけど、でも8000万本って集まっているのを見たこともないし。ただブランドを始めて実際に回収した傘、3000枚のビニールが山積みにされているところを見た時に、私より背が高いくらい山積みにされていたんですけど、これでも3000枚なんだっていう、すごくそれは衝撃的ですよね」

写真協力:齊藤明希(プラスティシティ)

試行錯誤を経て開発した「グラス・レイン」

●ビニール傘のビニール部分はどうやって集めているんですか?

「ビニールの部分は、専門学校の時は本当にゴミを回収している方に直接“譲っていただいてもいいですか?”って聞きに行ったり、確実にゴミにされているっていうのが分かる傘を1本1本回収してましたね。

 道ばたで見つける傘や置いてある傘は、明らかにゴミに見えても、一応。所有権が分からないものなので勝手に取ってはいけないらしくて、なのでもう本当にゴミとして回収されたものだけを集めていたんですけど、ブランドになってからは、商業施設や鉄道会社さんのほうで回収された傘を大量に買い取っています」

●大体、ひと月でどれぐらい集まるものなんですか? 

「毎月集めているっていうわけではなくて、まとめて最初3000本分を一気に買い取って。だから定期的に回収するっていう感じですね」

●一般の方々からもビニール傘を集めているんですよね? 

「はい。数ヶ月前に始めた企画なんですけど、直接メッセージでお客様から、家にある傘を回収していただくことは可能ですか? っていう連絡がいくつかあったり、そういったこともあったので始めたプロジェクトです。1枚ビニール部分をある程度洗浄していただいて、ポストで投函していただいて、1枚につきオンラインストアで使える100ポイントと交換するっていうようなシステムになっています」

●どのくらい集まっていますか? 

「まだ100枚はいってないかなって感じなんですけど、でも徐々に集まってきて、今はトートバッグ1つ分ぐらいは集まっています」

●ビニール傘は、家にあるっていう方きっと多いと思います。

「気づいたら溜まっているっていう方がすごく多いので、どんどん送っていただきたいです!」

●廃棄されるビニール傘のビニールの部分を、独自の技術を使って新たな素材に生まれ変わらせて、「グラス・レイン」という風に名付けられましたけれども、そこに辿り着くまでも色々な試行錯誤があったんじゃないですか? 

「そうですね。最初は1枚のビニールで縫製をしてみたり、異素材と縫い合わせたり、色々試したんですけど、何をしてもやっぱりビニール傘のチープさから抜け出せなくて。

 いい素材と組み合わせてバッグを作っても、他の素材に頼っていたら、もはやビニール傘を使う意味がなくなってしまうって思って、そのビニール部分だけで、単体でもっと価値をあげないといけないなっていう風に考え始めて、そこからこのビニールだけで何ができるかっていうのを色々と実験し始めました。

 色々と塗ってみたりとか、のりを塗って何枚か重ねたりとか、どうやったらもうちょっと強度を上げて、見た目もよくするかっていうので、色々試行錯誤はしました」

*補足:齊藤さんは素材になるビニールの強度をあげるために、何枚か重ねていろいろ試したそうです。そして熱すれば硬くなる性質に気づき、アイロンで圧着すれば、接着剤を使わなくてもくっつくことを発見。そして独自の技術を施して、新たな素材「グラス・レイン」を開発されました。

写真協力:齊藤明希(プラスティシティ)

<傘をゴミにしないために>

 今週は新シリーズ「SDGs〜私たちの未来」の第1弾! SDGsの17ある目標から「つくる責任 つかう責任」について。ということで、廃棄されるビニール傘をアップサイクルしているブランド「プラスティシティ」の取り組みをご紹介しています。

 さて、雨の季節、急に降られて、仕方なくビニール傘を買って家に帰ったことってありますよね。どのご家庭でも2〜3本をあるであろうビニール傘を一般家庭で廃棄する時は、多くの自治体では不燃ゴミとして回収しているようですが、持ち手の部分のプラスチック、金属の骨、そしてビニール部分があるので、とてもリサイクルしにくい、やっかいなゴミになってしまいます。

 では、傘をゴミにしないコツはないのでしょうか。

 まず、番組としてご提案したいのが、国産の良質な傘を購入して大事に使う。

 日本の、傘を作る技術は優れていますが、海外で生産された安い傘におされて国内のシェアは激減しているそうです。国産の傘を購入することで、傘を作っている会社や職人さんを守ることにもつながりますよね。

 そして、大事な傘がもし壊れたら、ホームセンターやショッピングモールにある修理屋さんで直してもらいましょう。愛着のある傘は修理して長く使いたいですよね。

 続いて、徐々に広がり始めている、傘のシェリングサービスを利用する。

 駅前、商業施設、コンビニなどにある傘スポットからレンタルし、使わなくなった傘は返却するシステムで、1日70円で借りられるとのこと。

 詳しくは「アイカサ」のサイトをチェック! https://www.i-kasa.com/

 そしてご家庭にある、いまは使わなくなった傘は捨てずにリユースしてもらう。

 地域によっては傘の貸し出しサービスを行なっているところもありますし、発展途上国の支援物資として受け入れている団体もありますので、そこに寄付するのはいかがでしょうか。

 そして、これは傘本体ではないんですが、雨の日に、百貨店やショッピングセンターなどの入り口に設置してある、濡れた傘を入れるビニール袋、これもゴミになっちゃいますよね。

 そこで提案したいのが、自分だけの傘カバー。

 くるくる丸めてコンパクトになるので持ち運びが苦にならないし、傘を収納して肩にかけたりできる、機能的な傘カバーが市販されています。一度チェックしてみてくださいね。

 傘をゴミにしない究極のコツは、やはり私たちの意識を変えること、ではないでしょうか。

 仕方なく買ってしまったビニール傘を処分するときには、齊藤さんのお話にもあった「プラスティシティ」の一般家庭向けリサイクル・プログラムをぜひご利用ください。ビニール部分1枚で100円分のポイントがつきます。ビニール傘からビニール部分を取り外す方法や、送り方などは「プラスティシティ」のオフィシャルサイトをご覧ください。

◎プラスティシティ:https://plasticity.co.jp/

写真協力:齊藤明希(プラスティシティ)

便利さが無駄を生む!?

●実は齊藤さんは3年間、イギリスの大学に留学されていたそうですよ。イギリスでの生活が今の活動に何か影響を与えたことってあるのでしょうか?

「大学にいた頃は何も考えていなかったというか(笑)、今関心あるものを当時は感心が特になかったりしたんですけど、後々、変わったかなって思うのは、東京からイギリスのロンドンではなくてちょっと田舎の方に行ったんですけど、すごく色んなことが不便に感じてましたね。

 日本ってその便利さが、例えば何かが不便だったなって思ったら、それに対してのソリューションが製品っていう形であることが多いと思うんですけど、イギリスはそうではなくて、何か不便だなって感じたことは自分なりに受け入れないといけなくて。

 その時はめんどくさいなとか、何でもうちょっと東京みたいに進んでないだろうって思っちゃったりとかしたんですけど、でも逆に(日本に)帰ってきて、こんなに便利じゃなくてもいいんじゃないかなって。その便利さが結局色々な無駄を出している要因でもあるので、帰ってきてからやっと気付かされたことだと今は思います」

●具体的にイギリスで不便だったことって、どんなことなんですか? 

「それこそビニール傘はそんなに売っていないし、雨が降ったら、イギリスはよく雨が降るし、1日でもすごく変化が多いので、別に雨に打たれてもいいし(笑)、何かそういったことがあったり。

 あと傘とかは関係なく、例えば自動販売機があまりなかった町で、お店がすごく早く閉まってしまう、そういうのに不便さを感じたんですけど、お店が開いてる時に行けばいいし、自分がその環境に合わせて行動すればいいだけであって、何もかも今欲しいからっていう風に考えなくてもいいのかなって思いました。 お店が閉まっている分、そこで働いている人たちは早く家に帰って家族と過ごせているんだなとか、そういったことを考え始めました」

なくなるのが目標のブランド!?

●今週は新シリーズ「SDGs〜私たちの未来」の第1弾! SDGsの17ある目標のなかから「つくる責任 つかう責任」。

「プラスティシティ」のスローガンに「10年後はなくなるべきブランド」とありますが、これにはどんな思いがありますか?

「それは色々な思いがあるんですけど、私たちがこんなに簡単にビニールの素材が手に入ってしまうっていうのは、きっといいことじゃないし、10年後にはこんなに簡単に手に入らない素材であってほしい、それがブランドとしての目標かなって思います」

●このブランドを初めて何か意識の変化みたいなものってありました? 

「購入してくださった方のコメントとかを読んでいて、意識の変化っていうか分からないんですけど、気付かされたことは、こんなにも共感してくれている人が多いんだっていうこと。自分が関心があったり、気になっていたことが、こうやってブランドっていう形でローンチした時に、みんなも同じことを感じているんだっていう風に思ったことですね。

 あとはお客様の中で、SNSで投稿してくださった方で、私たちの製品ってもともと廃棄されている傘なので、どうしても取れない汚れだったりもあるんですけど、私はむしろそのサビの汚れがかっこよくデザインになるなって思って、それも取り入れたいと思っていて。

 それはすごくお客様によって反応が色々で、好む方もいれば、もうちょっと白いものがほしいっていう方もいらっしゃるんですけど、買ってくださった方の中で、透明なものを想像していて、届いた製品を見たら、サビが付いていてショックを受けたって言っていたんですね。

 でもそのショックを受けた、何でも新品で何でも新しいものを期待してしまっている自分の考え方を、意識することができたっていう風にコメントしてくださって、私も想像していなかった反応だったので嬉しいなと思って」

●最後に、この番組のリスナーに伝えたいことをお話いただきました。

「私は個人的に物を買うときは、購入することは一種の投票と同じようなもので、貢献したい会社だったり、こういうプロダクトが増えてほしいなっていうものに対して、なるべくお金を使うようにはしています」

●その製品を購入するだけじゃなくて、その背景も知ってもらいたいっていうことですか? 

「そうですね。ちょっと意識するだけでなくせる無駄だったり、ゴミになるものをちょっとでも減らせるのかなって。だからきょうあすからでも始められることって、きっと気にしていないとできないけど、ちょっとでも意識するとすぐに変えられることとか、行動に移せることってあるのかなっていう風に思います」

写真協力:齊藤明希(プラスティシティ)

INFORMATION

 齊藤さんは、廃棄されるビニール傘をアップサイクルするブランド「プラスティシティ」を立ち上げました。これは「つくる責任」の一翼を担っていると思います。「10年後にはなくなるべきブランド」という思いにも共感しました。みなさんは、どう感じたでしょうか。

 「プラスティシティ」で販売しているトートバッグなどの製品情報や、一般家庭向けのビニール傘のリサイクル・プログラムについて、詳しくは「プラスティシティ」のオフィシャルサイトをご覧ください。

◎ 「プラスティシティ」HP:https://plasticity.co.jp

生き物の営みを通して、人間のあり方を問う〜TV自然番組名物プロデューサーの視点〜

2021/6/6 UP!

 今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、テレビの人気自然番組「生きもの地球紀行」や「ホットスポット 最後の楽園」、そして「ダーウィンが来た!」などを手がける名物プロデューサー「岡部 聡(おかべ・さとし)」さんです。

 岡部さんは1965年、大阪府生まれ。子供の頃からテレビの自然番組が大好きで、将来は海洋生物学者になりたいという夢を持つ少年だったそうです。そして進学した琉球大学ではサンゴ礁生物学を専攻、主に魚の分類に関する研究をされていたそうです。

 そして自然番組の制作を希望し、NHKに入局。その後、手がけた番組が海外の映像関係の賞を受賞するなど、その手腕は高く評価されています。現在はNHKエンタープライズ・エグゼクティヴ・プロデューサーとして活躍。また、先頃出版した本『誰かに話したくなる 摩訶不思議な生きものたち』でも注目されています。

 きょうはそんな岡部さんに、生き物の、不思議で奇妙な驚くべき生態、そして「ホットスポット 最後の楽園」のプレゼンターをおよそ10年務めた、福山雅治さんとの取材エピソードなどうかがいます。

☆写真協力:岡部 聡

岡部聡さん

イルカが漁を手伝ってくれる!?

※新刊『誰かに話したくなる 摩訶不思議な生きものたち』には、岡部さんが世界の取材先で目撃した、生きものたちの、不思議で奇妙な生態が、体験談とともに全部で14編掲載されています。まずはその中から、私が特に気になったお話をうかがっていきましょう。

●まず、人間の漁を手伝うイルカがいるということで、岸にいる人間には魚の群れがいつ、自分たちの前に来るのか分からない、どのタイミングで網を投げるのか、それを教えてくれるのがイルカ、ということですけれども、イルカが合図してくれるっていうのはどういうことなんでしょうか? 

「そんなことがあるのかとやっぱり思いますよね。ブラジルのラグーナっていうところの話なんですけれども、非常に特殊な地形をしているんですね。人間が立てるぐらいの砂浜があって、そこからちょっと行くと、もう20メートルくらいまで落ち込んでいるような地形になっているんです。

 そこに夏になるとボラが回遊してくるんですけれども、水が結構濁っているので人間からはどこにボラの群れがいるかは、同じ水面に立っている限りは分からないんですね。で、人間が(ボラを)獲る方法は投網ですから、自分の目の前、5〜6メートルぐらいまでしか投網って届かないので、何も見ずに投げると何も獲れないと。

 イルカはイルカで闇雲に追いかけてもやっぱり、獲れるでしょうけど、体力を使いますよね。で、人間が立てるくらいの浅瀬があるので、(ボラを)追いかけてもそこにザーッと逃げ込まれちゃうとイルカも獲れないと。それをどうやって解消しているかって言うと、イルカが(ボラを)人間の方に追い込んで、人間が網を投げるとそれでびっくりして、イルカの方に戻ってくるんですよね。それをイルカが獲っているっていう漁の方法で、両方にメリットがあると。

 だから人間からするとイルカが追い込んでくれる。イルカからすると人間が沖の方にボラを追い出してくれるっていうような関係があって、確かにボラの群れを追いかけている時のイルカの動きっていうのは、普通の動きとはちょっと違うんですよね」

●どんな動きになるんですか?

「背中を高く上げるような動きになるんですけれども、普通の呼吸とはちょっと違うような動きをするんですね。素人が見ていても言われないと分からないんですけれども、よくよく見ていると、背びれだけが上がるのか、背中全体が上がるのかっていうところで、確かにその1回だけは、全然それまで泳いでいる呼吸のための泳ぎとは違うような動きをするので、ベテランはすぐに、今イルカがこっちに魚を追い込んだっていうのが分かるそうです」

『誰かに話したくなる 摩訶不思議な生きものたち』

空中の葉っぱに産卵する魚!?

※岡部さんが先頃出された本『誰かに話したくなる 摩訶不思議な生きものたち』には、こんなお話も載っています。

●熱帯魚のコペラ・アーノルディという魚。魚という生き物の常識を超えた、世界で唯一のとびっきり変わった方法で産卵するという風に書かれていますけれども、これは一体どんな方法で産卵するんですか? 

「魚って基本的には卵に殻がないので、水中で卵を産むっていうことが前提になっているんですね。それは両生類までは卵に殻がないので、どうしても産卵は水中でやらないといけないと。
 爬虫類とか鳥類になってくると殻があるので、陸上に進出できるっていうのが普通の考え方なんですけれども、コペラ・アーノルディっていうのは水面の上にある葉っぱに産卵するんですよね。それは本当にオスとメスが上手く同調して、一緒に飛び上がって、ペタッと葉っぱに引っ付くんですね、2秒とか3秒ぐらい。

 その間にパパッと1回あたり多分10個ぐらいの卵を産むんです。その卵もメスが産卵する時にジェル状のものに包まれて乾きにくくはなっているんですね。ただ、そのまま置いておくと乾いてしまうので、オスが下にずっといて1分に1回ぐらいですかね、尾っぽで水を弾いてその葉っぱに、水面の上10センチぐらいの葉っぱに、狙いすましたように水をかけて、卵が乾かないようにします。大体2日くらい孵化するまでかかるんですけれど、ずーっとオスが水をかけ続けるという非常に変わった生態を持っている魚ですね」

●魚なのに水から飛び出して卵を産むってことですね。しかもちょっと上がったところじゃなくて、10センチってかなりピョーンって飛ばないといけないですよね。

「そうですね。体長4〜5センチぐらいの大きくない魚なので、自分の身体の2倍ぐらいの距離を飛んで、しかもピタッとくっ付きますからね。あれはやっぱり初めて見た時はびっくりしましたね。こんなこと本当にするんだと思って(笑)」

●面白いですね〜! なんで水中じゃなくて空中の葉っぱに産卵するんですか? 

「コペラ・アーノルディはコペラっていう種類の魚なんですけれども、コペラは他にも何種類かいて、他のやつは水中の葉っぱに産卵するんですよね。水中の葉っぱに産卵してオスが守るっていう生態を持っているんですけれども、アーノルディだけが水面の葉っぱに産卵するっていう方法をとっているんです。

 それはもちろん水中にあると当然外敵に食べられる危険が高くなりますから、水面より上に卵を産むことは合理的ではありますよね、外敵のことを考えれば。そんなところまで行って卵を食べようとする奴はいませんから、合理的ではあるけれども、じゃあどうやって乾燥っていうものを解決するのかっていうことが、普通の魚には、こういう言い方するとあれですけれど、思い付かないと思うんですよね。  

 彼らは、思っているわけじゃないですけれども、普通そんなことはやっぱり考えないですよね。魚って別に水面より上に卵を産むことを前提としてないですから、そんなこと考える必要もないわけですよね。それをどうやって、卵が上にあったら乾くから水をかけないといけないなっていう風なことを、思うことはないんですけど、なんでそういう生態が身に着いたのか、生まれたのかっていうのは本当に不思議で、いくら考えても分からないですね」

岡部聡さん

福山雅治さんとの撮影秘話!

※岡部さんが手がけた「NHKスペシャル ホットスポット 最後の楽園」では福山雅治さんがプレゼンターをおよそ10年担当されました。長いお付き合いになったんですね?

「そうですね。お互いこんなに長く続くとは思ってなかったんじゃないですかね(笑)」

●福山さんとの撮影で思い出に残っていることなどありますか? 

「大スターですから色々思い出はありますけれど、やっぱり第1シリーズで初めて行ったマダガスカルでの腸炎事件ですかね。お腹を壊して福山さんが寝込んでしまったという(苦笑)、ちょっとあれは本当に焦りましたね」

●どうしてお腹が痛くなっちゃったんですか? 何かに当たったとかですか? 

「原因はよく分からないんですけどね。インドリっていうサルを見に行ったんですけれども、明日から見に行くぞーって言って、泊まったロッジで朝起きて来なかったと。それでどうしたんですか? って聞いたら、どうもマラリアになったんじゃないかと思うくらい高熱が出ているっていう風に言われて、それはそれは焦りましたね。

 結局2本撮りだったんですね。ブラジルの真ん中の草原セラドっていうところに行ったのと、そこから南アフリカ経由でマダガスカルに行くっていう非常にハードスケジュールなロケで、疲れも溜まっていたんでしょうね。

 ブラジルを経験していたからちょっと安心っていうか、割と大丈夫かなっていうことがあって。レストランで出た飲み物に入っていた、氷に当たったんじゃないかなと思うんですけどね。結局あの時は福山さんチームとこちらのチーム合わせて7人ぐらいで行っていたんですけれども、その内の5人がもう大変なことになって(苦笑)」

●ええっ!? 

「僕とヘアメイクさんだけが何ともないっていうような感じで。あの時は、ああもうないなと、今後はないなと思いましたけど(笑)、結局(福山さんは)回復されてインドリにも無事にご対面いただいて、その後もバオバブを見に行ったり、ロケはほぼほぼ予定通り。
 2日くらい寝込んでいらっしゃったんですけれども、予定通りロケは終わって帰ってきたら、『笑っていいとも!』でネタにして笑っていました、本人も(笑)」

●福山さんって、画面からはすごく楽しんでいるように見えるんですけれども、やはり福山さんご自身も生き物や自然がすごくお好きなのかな? って印象があったんですが。

「どうでしょうね。僕もそうですけど、多分福山さんは、取り立てて生き物や自然が大好きっていうわけではないと思うんですよね。僕も30年も(自然番組の制作を)やっていたら生き物が好きなんですよね? って言われますけど、いや別に生き物ってそんなに大して好きとかっていうような対象ではないなと思っていて・・・。
 その代わり福山さんがよく言われるのは、生き物に対してはやっぱり畏敬の念とか、畏怖の念があるっていう風によくおっしゃっているんですよね。

 自然が好きって、多分このラジオのリスナーさんとかはそうだと思うんですけれど、自然が好きっていうのはちょっと語弊があって、それはものすごくよく知っている場所だったり、管理された自然は好きなんでしょうけれども、例えばアマゾンのジャングルの中に裸で放り出されて、でも俺は自然が好き! って言える人っていないと思うんですよね。

 自然っていうのは、本来はものすごく恐ろしい場所で、現代人が何の道具も持たずに行って、そこで生きていけるような場所では当然ないわけで、その中で生き物って何の道具も持たずに身体ひとつで生きていますよね。だからそういうところでやっぱり、人間はどうやっても敵わないなっていう思いが、福山さんは、畏怖とか畏敬の念っていう言葉になってくると思うんですよね。

 福山さんは非常に言葉を大切にされる方なので、気軽にそんな軽々しく、生き物や自然が好きです! みたいなことは言わないですね。言ってくれって言っても言わないです、全然。それを踏まえた上で、やっぱり原生の自然の中で生き物が生きていること、あるべきものがあるべき場所にあるっていうことの居心地の良さっていうのがある。それを人間が壊していってるんだっていう問題意識は共有できているという風に思っています」

岡部聡さん

野生のトラに襲われた!?

※新刊『誰かに話したくなる 摩訶不思議な生きものたち』に掲載されている中から、もうひとつ、とんでもない体験談をうかがいましょう。

●地球上で最も怖い生き物ということで、岡部さんがインドのトラをこの本で挙げていらっしゃいますけれども、野生のトラと対峙したことが3回もあるんですよね。しかもその内の1回はトラとの距離が1メートルもなかったと本に書かれていましたけれど、どういう状況だったんですか? 

「あれはいつだったかな・・・1993年だったと思うんですけれど、インドの真ん中にバンダウガルっていう国立公園があって、そこにメスのトラを撮りに行ったんですね。動物写真家の飯島(正広)さんがその7年前に撮影に行ってました。

 シータっていう名前が付いたメスのトラがいて、その時、やはりトラって、今でもそうですけれど、絶滅の危機にあって・・・国立公園の中にいるんですけれど、人間がどうしてもそこに入っていて、人間との衝突が起こっているっていうことがよく言われていたので、飯島さんが7年前にあったシータが、どういう運命を辿っているのだろうかっていうのを見に行くドキュメンタリーの『生きもの地球紀行』だったんですけれども。

 そのシータを見に行くと当然周りにはオスのトラもいるわけですよね。その中でチャージングタイガーって言われている、その時にいちばん若くて大きなトラがいて、それがシータの縄張りと重なっている場所にいたんですね。
 シータを追いかけていると当然そのチャージングタイガーとも出くわすわけですよね。メスのトラは割と大人しくて、もちろん怖いんですけど、テレビ的に見るとガオーってこないんですよね、優しいから。

 オスのトラはやっぱり獰猛ですから、なんかするとこっちに向かって威嚇してくるので、そういうシーンも必要でしょうと。それだけではないんですけれども、たまたまそのチャージングタイガーがいるっていうことを聞いて、草むらの中にいたんですね。非常に高い2メートルぐらいある草むらの中にいて、この辺にいるって言われたんですけど、どこにいるか分からなかったんです。

 でも行かないと向こうから出てくるわけがないので、こっちからゾウの背中に乗って近づいていったんですね。基本的にはトラはゾウには襲いかからないと言われていたので、それを信じて安心して行ってたら、草むらの中から突然、トラが飛びかかってきたというようなことですね(笑)」

●でも、実際襲いかかってきて、岡部さんはどうされたんですか? 

「いやもうね、多分人生で初めて気を失っていましたね、記憶がないんです。いわゆるホワイトアウトしていましたね。目の前で、1メートルのところにトラの大きな顔があって、そこで僕の記憶はもうなくなっている。多分10秒ぐらい気を失っていたんじゃないですかね、あまりの恐怖に」

●ええっ〜!? でも本には、二度と会いたくないと思う一方で、どうしようもなくもう一度、野生のトラを見てみたいと思わせる魔力があるという風に書かれていましたけれども、その魔力っていうのは何なんですか? 

「僕の中ではトラってやっぱり地上でいちばん怖い生き物、いちばん強い生き物っていうイメージが今でもありますね。だってオスのトラって頭から尻尾の先まで入れると2メートル50センチぐらいあるんですよね。体重も200キロぐらいあって、その巨体で3メートルぐらい平気で飛ぶんですよね。ゾウの上を飛び越えていくって言いますから、本気出せばね。

 そんな身体能力、大型力士が3メートル飛ぶんですよ。そんな生き物、ほかにいないですよね。多分体重200キロですから、あの時僕はゾウに乗っていて、足は下に降ろしていましたから、足にかぶって噛み付かれて引きずり下ろされたら絶対敵わないですよね、もう絶対耐えられないと思います。

 それだけすごい生き物が、この地球に一緒に同時代に生きているっていうのはやっぱりすごいことだなと。多分ジュラシックパークじゃないですけど、ティラノサウルスがいたらやっぱり見てみたいと思うじゃないですか。現代で言ったらトラってそれに近いものがあるし、やっぱり簡単に見られないですからね、野生のトラは。あれだけ勇猛果敢な生き物っていうのは、ほかにはちょっと思い浮かばないですね。そういう生き物は、また会いたくないと思う反面、また見てみたいという気持ちは何処かにはあります」

生き物の魅力を伝える

※岡部さんは30年以上、自然番組の制作に携わっていらっしゃいます。海外の辺境や秘境と言われる場所に行って撮影するのは、大変な労力を必要とすると思いますが、その原動力は何ですか?

「やっぱり楽しいっていうのはありますよね。生き物の姿を間近で見るっていうのは楽しいっていうのもありますけれど、原動力っていうとやっぱり、子供の頃からずっと違和感を感じていたのは、この地球上にある土地って誰かのものっていう風に決まっていますよね、大体、国があるところって。地球上で誰のものでもない土地って、南極大陸ぐらいしかなくて。所有者がいますよね、国でも何でも。

 土地が所有されているからには、その所有者がどうするか次第で開発されたりしてしまいますよね。でもそこには元々生き物が棲んでいたわけで、じゃあその生き物ってどうすればいいの? っていう風なことを、子供の頃からずっと思っていたんですね。
 やっぱり生き物は環境の中で必死になって生きていて、役割があるわけですね。人間だけです、地球上で何の役割も持っていない生き物っていうのは。

 環境に対して何の貢献もしていないし、やっぱり自分は人間は生きていたいから生きているだけで、それで環境破壊しているっていうのは、ちょっとおかしなことだなってずっと思っていて・・・生き物の魅力を伝えることで、もうちょっと考えた方がいいなと僕は個人的には思っているので、そういうことをちゃんと伝えたいなということですかね」

●改めて岡部さんが制作する自然番組で、いちばん伝えたいことってどんなことですか?

「伝えたいことは、やっぱり生き物っていうのは長い時間をかけて進化してきたというか、それがどういう風に生きているか。その生き様っていうのは、環境の中で必死になって生きるために、人間が思い付かないような進化を遂げているので、その面白さを伝えたいっていうことですね。そこから後のことはもう見ている人が考えることであって、いちばんやりたいのは、生き物の魅力をどうやったら伝えられるのかっていうことを考えますね 」


INFORMATION

誰かに話したくなる 摩訶不思議な生きものたち


『誰かに話したくなる 摩訶不思議な生きものたち』

 岡部さんが世界の取材先で目撃した、生きものたちの、不思議な生態が体験談をまじえて14編掲載されています。改めて生物や自然の奥深さを思い知らされました。ぜひ読んでください。文藝春秋から絶賛発売中です。

◎「文藝春秋」HP:https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163913155

農家さんの思いとともに〜茨城県那珂市「地域おこし協力隊員」の活躍〜

2021/5/30 UP!

 今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、茨城県那珂市(なかし)地域おこし協力隊の「入江紫織(いりえ・しおり)」さんです。

 入江さんは地元の農家さんや飲食店、農業関係者のみなさんと一緒に、コロナ禍で販路を失った農産物を、マルシェを開催して販売するなど、農業の活性化に力を入れていらっしゃいます。

 きょうはそんな入江さんに地元の農家さんの支援活動や、農業への想いなどうかがいます。

☆写真協力:入江紫織

入江紫織さん

自然に溶け込んで農業がある那珂市

※それではさっそくお話をうかがっていきましょう。

●入江さんは茨城県那珂市の、地域おこし協力隊のメンバーとしてご活躍されていますけれども、まず、この地域おこし協力隊とはどういったものなんでしょうか? 

「地域おこし協力隊は総務省が主体となって実施している事業です。全国47都道府県に地域を盛り上げるっていうことをしたい方が、たくさん隊員として派遣されているんですけれども、皆さんそれぞれ、自分たちの得意分野を活かしながら、町おこしの活動を3年間限定でするっていう事業ですね」

●何人ぐらいメンバーっていらっしゃるんですか? 

「メンバーは、今は全国で5500人ぐらいが活躍されていますね」

●そうなんですね。全国色々な地域おこし協力隊があって、入江さんは那珂市の地域おこし協力隊ということなんですね。茨城県の那珂市のご出身でいらっしゃるんですか? 

「あ、全然出身じゃないですね」

●あれ? じゃあどうして那珂市の地域おこし協力隊に応募されたんですか? 

「私の前職が日本農業新聞という新聞社に勤めておりまして、その時は農家さんに農業の最新情報を発信する立場だったんですけれども、それとはまた別に、一般の消費者の方に農業の魅力をお伝えすることにすごく興味を持ち始めて、それをちょうど募集されていたのが那珂市だったので、エントリーして、ご縁をいただいて採用いただきました」

●今は那珂市に移住されているということですか? 

「そうですね」

●那珂市ってどんなところですか? 行ったことないんですけれども。

「那珂市はすごく景色が豊かで、例えば白鳥が冬になったらシベリアから飛来してきて、色んな湖に白鳥がいたりとかして、あとは、干し芋の大産地なので、季節になると色んな所で農家さんが干し芋を干している風景が見られたりですとか。お蕎麦も花がすごく真っ白で綺麗なので、そういう景色が見られたりですとか、すごく自然に溶け込んで農業があるっていう地域ですね」

●たくさんの農産物が作られている場所なんですね。入江さんのご実家も農家さんでいらっしゃるんですか? 

「そうですね。農業関係者で実家が京都市なんですけれども、九条ネギの卸売の仕事を実家がしておりまして」

●じゃあもう昔から農業に対する思いというのは強かったわけなんですね。

「そうですね。生まれた頃からそんな感じですね」

ドライブスルー形式でセット販売!?

※具体的にどんな活動をされているのか、教えてください。

「地元にフェルミエ那珂というチームがあるんです。だいたい40人ぐらいがいらっしゃるんですけれども、地元の農家さんですとか、あと飲食店ですとか、JAさんが集まって農業を盛り上げようというので色んな活動しています。私はその団体のPRですとか、マルシェのお手伝いですとか、それを通した農産物の販売促進等をさせていただいています」

写真協力:入江紫織

●具体的にどんなことをされているんですか? 

「具体的には月に1回マルシェを開催したりですとか、あとは法人化をしたので、これから色々積極的にPRしていきたいっていう方のブランディングをお手伝いさせてもらったりしています」

●マルシェってどういう形で開催されているんですか? 

「1箱のダンボールに野菜を10品目程度入れて、2000円で販売させてもらっております」

●どれぐらい用意されているんですか? 

「だいたいいつも50箱用意させてもらっています」

●次のマルシェの開催は、どのように皆さん把握されるんですか? 

「公式のインスタグラムを作っておりまして、そこで最新情報を更新しております」

●なるほど!

「マルシェは地元の農産物直売所の、ふれあいファーム芳野っていうところがあるんですけれども、そこの駐車場をお借りして開催しています」

写真協力:入江紫織
写真協力:入江紫織

●先ほどの、PRっていうのは農家さんのPRっていうことなんですか? 

「そうですね! 主にインスタグラムを通して情報を発信させてもらっていますね」

●今はインスタグラムを使って色々PRされているわけですね〜。例えばどんな風にPRされるんですか? 

「例えば今月入るお野菜の、このトマトを作っている農家さんはこういう方ですよとか、こういうところにこだわりを持って普段栽培されていますっていうのを、野菜と農家さんの顔写真とセットで紹介したりですとか、そういう取り組みをさせてもらっています」

●ドライブスルー形式で農作物の販売も以前されていたんですよね? 

「そうですね。私が着任したのが去年の4月1日だったので、ちょうどコロナってなんだろうみたいな、みんなが分からない時期だったんですね。農家さんたちもマルシェを中止されていたので、何かいい方法ないかなと思って、ドライブスルー形式でダンボールに野菜を詰め合わせて、セット販売するっていう方法を提案して、それが少しずつ形を変えて、今ではテイクアウト形式(マルシェ)で野菜を販売するっていうのをさせてもらっています」

●珍しいですよね! ドライブスルーで販売っていうのは。お客さんたちの反応はいかがですか? 

「やっぱり当時はなかなかイベントもないし、ずっと家にいがちで、スーパーにもやっぱり買い物に行くの怖いわっていう方が多かったと思うんですけれども、こうやってちょっと外に出て行くきっかけが出来てよかったですとか、那珂市ってこんなに新鮮な野菜をたくさん作っている農家さんがいるんだねとか、色々お声がけをいただいて、農家さんのことを紹介できていたのかなっていう風にその話を聞いて嬉しかったですね」

写真協力:入江紫織
写真協力:入江紫織

フードロスと、脱プラへの取り組み

※入江さんは活動の一環としてフードロスを減らす取り組みもされていますよね?

「そうですね。これは茨城県のイチゴ農家さんで梅原農園さんっていらっしゃるんですけれども、その農家さんの捨ててしまっていたイチゴを、地元の生パスタ専門店で生パスタに加工してもらって販売したいっていうのを、地元の水戸農業高校の生徒さんが企画されていたんですね。ただ販売先がないっていう相談を受けて、それだったら是非マルシェで販売してくださいってお話をして、先月初めて販売させてもらいました」

●高校生たちとコラボっていうのもいいですね! 地域全体で盛り上がっていく感じがしますよね。あと「粉活プロジェクト」というのもちょっと気になったんですけれども、これは何でしょう? 

「これもやっぱり廃棄される野菜ですとか、質はいいけれど、まだ食べられるのに捨ててしまわないといけないっていう野菜が結構日本にはたくさんあると思うんですけれども、そういう野菜を買い取って粉末化します。粉末化するとやっぱり栄養分がすごく高まったりとかするので、それを日々、スープに入れたり、お味噌汁に入れたりして、手軽に栄養補給しましょうっていうプロジェクトを始めました」

●新しい発想ですね! パウダー状にするっていうのは。そういうことをしながらフードロスを減らしていこうという取り組みなんですね。地元の農家さんたちと脱プラスチックの取り組みも始められたということですけれども。

「本当につい最近始めて、まだ色々打ち合わせ中なんですけれども、農業の現状っていうのが、例えばトマトを作る時に、大きなハウスを建てるのにたくさんのプラスチックを使わなきゃいけなくて、ビニールハウスなのでそれを止めることって、やっぱりどうしてもできないんですね。

 ほかで何かプラスチックを捨てずに取り組むことができないかなっていうので、皆さんも多分スーパーとかで袋に入った野菜を見たことあると思うんですけれども、あの袋を少し再利用したものにできないかなとか。あとはあれを半分だけでも紙にできないかなとか、少しずつなんですけれども、打ち合わせを進めているところです」

●農家さんご自身も皆さん変わろうという努力をされているわけなんですね!

「そうですね!」

高齢化で毎年、栽培面積が増える!?

※入江さんは、以前、日本農業新聞の記者として、全国の農家さんを取材されていたということですが、現在、多くの農家さんが抱えている問題はなんでしょうか。

「やっぱりいちばん大きいのは、もう皆さん多分もうご存知かと思うんですけれども、高齢化がどんどん進んできていて、これから農業を始めようとか、まだ農業できるっていう農家さんに、耕してほしいっていう農地がどんどん集まってきているのが結構問題で、やっぱり毎年毎年、栽培面積を増やさなきゃいけないっていう農家さんが出てきていますね」

●どうして栽培面積って増えていっちゃうんですか? 

「毎年高齢化してきて、今年からもう畑を耕すのをやめるっていう農家さんがいるので、そういう方の農地を引き受ける農家さんや、これから営農するっていう農家さんの使命みたいな形になっていますね」

●そのまま放置するっていうのは出来ないっていうことですか? 

「放置すると隣の畑に影響を及ぼして、草がぼうぼうだと隣の畑も同じような影響を受けたりするので、耕し続けないといけないっていうのがありますね」

●新しい農業の形っていうのは生まれてきているものなんでしょうか? 

「少しずつ農業もデジタル化ですとか、農業DXと言って、どんどん国も推進している事業があるんです。例えば栽培管理を、昔ながらの天候を見て、野菜の葉っぱの様子を見て、勘で分かるっていう風な栽培は結構もう難しくなってきています。
 それをデータ化して見える化するとか、あとは最近ドローンを使って農業を始めたいっていう農家さんも増えてきていて、ドローンが実際に動いてるところを見ましょうかってことで、ドローン飛ばしてくれるメーカーさんに見学会を開いていただいたりしました。これから那珂市の農業もどんどんDX化していくのかなっていう風に思っています」

●入江さんご自身も農園を借りて野菜を育てていらっしゃるとうかがったんですけれども、どんなものを育てているんですか? 

「去年はサツマイモを植えて、地元の子供たちの収穫体験として使わせてもらったり、あとはトマトとかナスとかオクラを栽培したりしましたね」

●実際育ててみていかがですか? 畑にいる時ってどんなことを感じますか?

「やっぱり安定して野菜をいつも収穫して出荷している農家さんってすごいなって思いますね。大雨が降ったあとに天候がよくなると、すごく草がぼうぼうになったりするんですけれども、毎日栽培管理を丁寧にしているから、私たちって食べ物を安定して食べられるんだなって。栽培して失敗することすごく多いので、それを体験しているからこそ余計に食べ物を大切にしなきゃいけないなと思う気持ちが強くなっていきましたね」

写真協力:入江紫織
写真協力:入江紫織

農家さんの思いも一緒に

※最後に、入江さんが「地域おこし協力隊」の活動で、特に心がけていることを教えていただけますか。

「特に心掛けているのは、農家さんの思いと共に農産物を届けたいなっていつも思っているので、農業を始めたきっかけや、どういうところにこだわって日々農作業をしているのかを、きちんと情報として自分も入れておくことと、最近どういうこと困っていますかとか、そういうことはいつも頭の中に入れて活動していますね」

●じゃあ結構頻繁にコミュニケーションを取られているんですね。

「そうですね」

●これまでの活動でいちばん喜びを感じた時ってどんな時ですか? 

「初めてドライブスルー・マルシェって開いた時に、消費者のお客様から、”那珂市に新しい風を吹かせてくれてありがとう”って言っていただいたのがすごく嬉しくって。やっぱり県民性なのか市民性なのか分からないんですけれども、どうしてもPR下手だったりとか、すごく魅力があるのにそれを露出するのが苦手な方がすごく多くて、それをうまく出せた瞬間なのかなと思って、それがすごく嬉しかったですね」

●日本全国の方に那珂市の魅力をもっともっと知ってもらいたいですよね! 

「そうですね!」

●改めて、この番組を聴いてくださっているリスナーさんに伝えたいことがあれば、是非お願いします! 

「多分この番組を聴いている方も、地域おこし協力隊と付き合う機会っていうのも多分あると思うんです。皆さん色々思いを持って、首都圏からはるばるその地域に根付こうと思って活動している方なので、是非優しく接していただきたいと思います。
 あとは日本の農業って結構マイナスに言われることもすごく多いんですけれども、個々の農家さんはすごく努力して日々農産物を作っていらっしゃるので、是非スーパーとか直売所に行かれた時には、なかなか難しいかもしれないけど、その思いと共に一緒に購入して、家で料理していただきたいなって思います!」


INFORMATION

 入江さんの活動については那珂市「地域おこし協力隊」のサイトをご覧ください。

◎那珂市「地域おこし協力隊」HP:https://www.city.naka.lg.jp/iinakakurashi/page/dir000068.html

 個人的な活動として入江さんは、仲間と一緒に一般社団法人「ベジタブル漢方協会」を設立。不足している栄養素を野菜などの粉末で、毎日の食事に効果的に取り入れましょうということで、「ベジタブル漢方アドバイザー」を養成する講座を立ち上げました。

 詳しくは「ベジタブル漢方協会」のオフィシャルサイトを見てください。

◎「ベジタブル漢方協会」HP:https://vegekanpo.com/

 「粉活プロジェクト」については以下のサイトをご覧ください。

◎「粉活プロジェクト推進委員会」HP:https://kona-project.jp/

ツキノワグマの知られざる生態〜クマはタネの運び屋!?〜

2021/5/23 UP!

 今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、東京農工大学大学院・教授「小池伸介(こいけ・しんすけ)」さんです。

 小池さんは1979年、名古屋市生まれ。東京農工大学卒業後、日本生態系協会などを経て、現職の東京農工大学大学院・教授に。専門は生態学など。現在は東京の奥多摩、栃木、群馬などの山林で、ツキノワグマの生態や、森との関係などを調査・研究されています。

 きょうはそんな小池さんにツキノワグマの知られざる生態や、クマの視点で見る日本の森のお話などうかがいます。

☆写真協力:小池伸介、横田 博

小池伸介さん

ツキノワグマ=アジアクロクマ

※それではさっそく小池さんにお話をうかがっていきましょう。

●そもそも小池さんは、ツキノワグマの研究者と言ってよろしいんでしょうか? 

「そうですね。実はツキノワグマだけじゃなくて、私は森林の研究をしているので、森林に生活している色んな生き物を対象にはしているんですけれども、ツキノワグマに関してはもう20年以上研究対象としていますね」

●去年『ツキノワグマのすべて〜森と生きる。』という本を出されましたけれども、この本はこれまでの研究の集大成といってもいい本ですよね。

「そうですね。22年ぐらいツキノワグマと関わっていて、その間、学んだこととか、現場で撮った写真を、写真家の方の写真と併せて掲載したものになりますね」

●第4章に、ツキノワグマがわかるQ&Aというのがあって、ツキノワグマ初心者の私でもすごく楽しく読めました。まず「ツキノワグマは世界のどこにいるの?」という問いがあったんですけれども。

「日本だとツキノワグマっていう名前なんですけれども、世界的に見るとアジアクロクマっていう名前なんですね。その名前の通りアジアに広く分布していて、西はイランあたりで、東南アジア、東の端が日本っていうように、アジアの広い地域の森林に生息するクマの種類になります」

●日本の固有種ではないっていうことなんですよね?

「固有種ではないですけれども、ただやっぱり大陸にいるツキノワグマに比べると、日本のツキノワグマはちょっと体が小さいって特徴はあったりします」

『ツキノワグマのすべて〜森と生きる。』

●続いて「ツキノワグマに天敵はいるの?」という問いもありました。

「今、日本ではツキノワグマを襲って食べたりするような野生動物はいないですね。ところが、海の向こうのロシアなんかですと、ちょうど沿海州と言って、北海道の対岸あたりを我々も調査しているんですけれども、そこだとツキノワグマの天敵は実はトラだったりするんですね。ツキノワグマはやっぱり冬眠しますので、そうするとその冬眠中のツキノワグマがトラに襲われたりするっていうのが結構知られています」

●この問いにも書いてありましたけど、「冬眠中に筋力は落ちないの?」というのがありまして、確かに人間は動かないと筋力って落ちちゃうイメージありますよね。

「そうですね。よく宇宙に行った宇宙飛行士が帰ってくると、筋力が弱くなっていたりとか、骨が弱くなっていたりとかしますね。
 冬眠は3ヶ月から長いと半年ぐらいにわたって穴の中でじっとしているんですけれども、その間に骨も弱くならないですし、筋力も大きく落ちることはないんですね。

 まだ分かっていないところは非常に多いんです。例えば筋力に関しては、冬眠中のエネルギーっていうのが秋の間に溜めた脂肪なんです。それをうまく使っているわけですね。それで命を維持しているんですけれども、その過程で出てくるタンパク質を上手く筋肉の方に回しているんじゃないかってことが知られています」

●へ〜! じゃあ冬眠を終えた後も、何事もなかったかのように動き回る生活が始まるっていうことですか? 

「そうですね。春になったら動きますし、実は冬眠中でもずっと寝ているわけではなくて、うとうとしているんですね。我々が朝、布団から出たくても出られないようなあんな感じで、うとうとしていて。
 近くを人が通るとか、何か人が作業をしたりすると、パッと起きて、穴から(匂いを)嗅いだりするんですね。いきなり走って逃げていったりとか、そんなこともできたりするので、やっぱり何かあった時のために、行動できる筋力を失わないんじゃないかって言われたりしています」

撮影:横田 博
撮影:横田 博

ツキノワグマの生態

※改めてツキノワグマの特徴といえば、なんでしょうか?

「色々あるんですけれども、やっぱりひとつは名前の由来になっている月の輪というところです。本にも色々写真がありますけれども、首もとにある三日月のような白い模様がツキノワグマの特徴のひとつですね。
 ただ、ほかのクマでも、例えば東南アジアにいるマレーグマとか、あとヒグマの中でもそういう模様を持つ個体はいるんですね。その中でもツキノワグマは白が非常に美しい三日月のような模様があるというのはひとつ特徴になりますね」

●その月の模様っていうのは個体によって、大きさとか形も異なってくるんですか? 

「そうなんですよ。我々の指紋と同じように個体によって模様が違うんですね。非常に綺麗な三日月のような模様のクマの写真がよく見られるんですけれども、中には真っ黒のもいたりとか、あとはエプロンのようにすごく大きい白い模様があったりとか、右半分しかない、左半分しかないとかっていうように、個体によって違うので、その模様の違いを使って個体を識別して、山の中に何頭いるかを数える取り組みも行なわれたりしています」

●なるほど〜。日本にだいたい今、ツキノワグマって何頭ほどいるんですか? 

「実はそれは誰にも分からないんですよ。日本のツキノワグマで分かっているのは、どこにいるかっていう生息範囲って言いますけれども、範囲、場所と、あとは人為的に獲った数ですね。狩猟だったりとか、有害駆除なんかで、人間が捕獲した数は分かるんですけれども、実は山の中に何頭いるかは全く分かってないんですね。

 北海道にはヒグマと言われる別の種類のクマがいて、ツキノワグマはいないんですね。ツキノワグマがいるのは本州と四国です。九州は以前は生息していたんですけれども絶滅してしまいましたね。四国も実はもう残り数十頭で、すぐ絶滅してもおかしくないような状況になっているんですね」

(注釈:九州ではツキノワグマは絶滅、四国では絶滅の危機にあるというお話がありましたが、その原因は、九州では戦後まもなく絶滅してしまい、記録がほとんどなく、わからないとのこと。また、四国はスギやヒノキの皮をはいでしまうので、林業の害獣としてたくさん駆除されてしまい、そのため、減ったままで数がもどらず、絶滅するのではないかと危惧されているそうです。
 小池さんいわく「先進国で大きな動物が絶滅するのは、恥ずかしいことだ」とおっしゃっていました)

●ツキノワグマって1年をどう過ごしているんですか?

写真協力:小池伸介

「ツキノワグマは、場所によって多少違うんですけれども、3月か4月ぐらいに冬眠が終わって出てきます。冬眠する場所は木の大きな穴だったりとか、地面の窪みだったりとか、そういった隠れられるようなところで冬眠をするんですね。
 3月、4月ぐらいに冬眠を終えて出てきたクマは、最初やっぱりそんなに活発じゃないんですね。寝たり起きたりを繰り返しながら徐々に活発になっていって、5月ぐらいになると繁殖期になります。

 5月、6月、7月ぐらいが繁殖期で、この時期はもうオスはひたすらメスを探す生活で、食べるよりもメスを探すっていうような生活をしています。メスの方は実は冬眠中に子供を産むんです。冬眠中に子供を産んで、子供を連れて出てきている母親は、この間は育児をしているんですね。メスの場合は育児をしているか、子供がいない場合はオスと繁殖行動したりするわけですけれども、それが7月まで続いて、8月ぐらいになると一旦ちょっとクマの活動も落ち着きます。

 暑いっていうのもあるんですけれども、山の食べ物も少ないので、それほど活発じゃない時期が8月ぐらいにあって、9月ぐらいになるとまた活動がさらに活発になるんです。それはなぜかというと、秋の9月、10月っていうのは、そのあとに控えている冬眠に向けて食い溜めをするんですね。

 冬眠中っていうのは飲まず食わずなんですね。飲まず食わずで過ごすために、そこで必要なエネルギーを秋の2ヶ月か3ヶ月の間に全部食べ蓄えるんですね。それを脂肪という形にして、食べ蓄えて、だいたいこの秋の間に体重を30%とか、場合によっては50%くらい増やして、それで冬眠に入る。なので結構1年間忙しい生活を彼らはしていますね」

成功体験が行動を変える!?

※小池さんは、どんな方法でツキノワグマの調査を行なっているんですか?

「色々クマを調査する方法があるんですけれども、私たちのグループがずっと行なっているのは生体捕獲と言って、野生のクマを山で捕獲をして麻酔で眠らせている間に、GPS受信機というクマの行動を追跡する装置を装着して、クマがどうやってどこでどう行動してるか、というような行動調査を行なうのがまずひとつです。

写真協力:小池伸介

 あとはやはり彼らの食生活に迫ったりするためには、山に行って彼らの糞を拾ったりとか、食べた痕跡を探して何を食べているのか、そういった調査をするのがクマの調査の基本ですかね。

 シカとかサルとかと違って、クマって観察が非常に難しいんですね。シカやサルだと、テレビ番組にもあるように直接観察して、何をしているとか何を食べているっていうことを記録できるんですけれども、クマは群れは作らず、単独で行動していますし、森の中でひっそりと暮らしているので、なかなかクマに近づくのは難しいんですね。ですので、色んな道具とか方法を使って、クマに近づいてみるということを行なっていますね」

●調査や研究を積み重ねていく中で、どんなことが分かってきましたか? 

「色々分かってきていることはあるんですけれども、やっぱりここ20年ぐらいで色んな調査技術が発達してきたんですね。例えば、ここ何年かもそうですけれど、秋にクマが出没しましたってニュースがあると思うんですけれども、実は昔から秋に出没するっていう現象はあったんですね。

 ところが、何で秋にクマがよく出没するのかっていうのは、はっきりしたことはよく分からなかったんですね。おそらくドングリが不作だからなんじゃないかっていうことを言われていたんですけれども、はっきりとした関係は分かんなかったんですね。

 ところがここ20年ぐらいで、先ほど言ったGPSを使ってクマの行動を追跡する装置が飛躍的に技術が向上して、クマの追跡がかなり、楽ではないんですけれども、はっきり分かるようになってきたんですね。

 そういった調査をしていくと、やはりドングリがない時にクマは行動のパターンを変えて、普段生活しているところから遠くまで遠征して、ドングリを探したりとか代わりの食べ物を探すということは分かってきて、ドングリがないことがクマの行動を変える、それが出没に関係しているんじゃないかってことが、分かってきたことのひとつですね」

●じゃあドングリさえ手に入れば、人里には降りて来ないっていうことなんですか? 

「基本的にはそうなんですけれども、実はドングリがないからといって、簡単にクマは人里に出るわけじゃないんですね。先ほど言ったようにドングリがないときは、普段行かないところまでドングリとか、ほかの食べ物を探しに行くんですけれども、そこに行った時に何もなければ、また次のところに彼らは行くんですね。

 ところが普段行かない人里近くまで行った時に、ちょっと人里を見た時に例えば、収穫していない柿があるとか生ゴミがあるとか。彼らにとってはやっぱり人里に出るっていうのはすごいプレッシャーだし、リスクがあるわけですよね。でもそのプレッシャーとかリスクを上回る魅力的な誘引物があると、それに引き寄せられるように人里に出てしまう。

 なので、いつもドングリがないから出没しますって言われてしまうんですけれど、実はその間にもうワンクッションあって、さらに人里に誘引するようなものがあると出てしまうということなんですよね。簡単に手に入るような食べ物があると、やっぱりそれに恐る恐るチャレンジして、簡単に食べられたっていう成功体験が彼らの行動を変えていくんですよ」

クマはタネの運び屋さん!?

※今までツキノワグマの視点で森を見ることって、あまりなかったのでしょうか。

「やっぱり先ほど言ったように、クマに迫る方法っていうのはなかなかなくて、先輩方が色んな調査をしたりして、やっとクマの姿っていうのが分かってきたっていうのがちょっと前までだと思うんですね。

 で、色んな技術が発達して、クマの調査が色々出来るようになってきたっていうのと、たまたま私はどっちかというと、森林にかなり興味があって、どうしても最初は森に色んな生き物が棲んでいますので、その棲んでいる生き物のひとつとしてクマを見ようっていう感じで見ていたんですね。

 実は私、昔は、今もそうなんですけれども、クマと植物、森林との関係をずっと研究してきていて、クマは実はベジタリアンなんですね。ほぼ9割ぐらいが植物を食べていて、特に果実が大好きなんですね。

 ドングリを始め、森にある色んな果実が非常に大好きで食べているんですね。その中でも例えば、野生のさくらんぼとか、野生のぶどうとか、ちょっとタネの周りにジューシーな果肉が付いている果実って山にもあるんですけれども、ああいった果実を食べた時にクマってほぼ丸呑みなんですね。丸呑みした果実を糞として出すとどうなるかっていうと、実はタネがそのまま出てくるんです。

    つまりクマは森にある色んな果実を食べながら、山の色んなところを動くことで、その木の実のタネを山中にばらまいている、種子を散布しているってことを私は研究していたんですね。

 そんなところからも、やっぱりクマと森の関係というのは非常に大事で、もちろんクマは森を住処として暮らしているんだけれども、森の植物がクマをタネの運び屋として使っている、そういう言い方はよくないんですけれども、お互いにウィンウィンの関係にあるんじゃないかっていうことが、ひとつの分かってきたことになりますね」

●ちゃんとツキノワグマは森に貢献しているっていうことなんですね! 

「そうですね。クマだけじゃないんですけれども、色んな動物が植物のタネを運んでいるんです。中でもクマはほかの動物が運べないような遠くまで、ものすごく行動力があるので、すごく遠くまで、何十キロも遠くまでタネを運ぶことができる役割を果たしているっていうのが分かってきましたね」

●今、ツキノワグマが置かれている状況はどうなんでしょうか? 

「世間一般ですとやっぱりここ数年、特に秋になると(人里に)出没しましたとか、人間が怪我しましたとか、そういったニュースが非常に目立ってですね、世間一般のクマに対する印象とかイメージはあんまりよくないのかなと私は思っています。

 一方で、本当に山の中に棲んでいるクマをちゃんと見たことがある人ってほとんどいないんですよね。ほとんどの人が人間に囲まれて街中走っているクマか、柿の木に登っているクマか、檻に入っているクマか、動物園のクマで、でもそれはクマの極々一面で、ほとんど山にいる多くのクマは一生に1回も人間に会わずに森の中でひっそり暮らしているんですよね。

 そういう本当のクマの姿が知られていない中で、悪い印象ばかりが増えちゃったなっていうのが、最近の私のクマに対する、世間一般に対するイメージかなと思っています」

撮影:横田 博
撮影:横田 博

クマの個性はどう決まる!?

※小池さんは今後もツキノワグマの研究を続けられると思うんですが、今いちばん関心のあることって、なんですか?

「私は20年近くクマの調査をしてきて、先ほど言ったように捕獲をして、捕獲した時に血液を取ったりとかするんですね。そうするとその遺伝情報から例えば、人間の家系図みたいな、このクマとこのクマの子供があのクマで、このクマとこのクマの子供がまたこのクマで、っていうような家系図が出来てくるんですね。

 クマって非常に個性の強い動物で、例えばクマと言っても非常にアクティブなクマもいるし、非常にオドオドしているクマもいたりとか、実はひとつの山の中でもクマの一頭一頭が食べ物って実は違うんですね。

 我々人間を考えれば当たり前なんですけれども、やっぱりこれが好きなクマもいるし、あれが好きなクマもいるっていう感じで個性が非常にあるんですね。そういった個性が、どうやって決まっていくのかなっていうところに興味があって、ひとつはやっぱり親子関係というのも関係しているのかなと思っています。

 子供は生まれてから母親と1年半ずっと一緒にいるんですね。その間に子供は母グマから、これは食べられるよ、これは食べられないよとかですね、ここに行けば食べ物があるよとか、ないよとか、色んな生きていく上で大事なことを教わって、1年半経つと子供と母親が別れるんですね。

 そのあとはもうクマは単独なので、ほかのクマと接することが基本的になくて、例えば、あそこに行けば美味しいものがあったよとか、そういうやりとりは基本的にはないと考えられているんですね。

 ですので、やっぱり最初の1年半の母親との行動が、おそらくそのクマの一生の行動とか個性を決めるんじゃないかなっていう気がしていて、そのあたりが生物学的には興味があるし、今各地で起きている人間との間の不幸な事故がいっぱいあるんですけれども、そういったクマが何で生まれてしまうのか、何でそういう状況になったのか、その個性が何で決まるかというところが分かれば、人間とクマとの間の不幸な事故を減らす、ひとつのきっかけになるんじゃないかなっていう気はしています」

●では最後に、小池さんの本『ツキノワグマのすべて〜森と生きる。』を手にする読者の皆さんにどんなことを読み取って欲しいですか? 

「先ほどQ&Aのクマはこんな生き物だっていうところもあったんですけれども、やはりこの本のいちばんは、前半部分の写真家の澤井さんの素敵な写真がいちばんだと思うんですね。

 先ほど言ったように皆さんが知っているクマっていうのは、ちょっと変わったというか、街に出てしまったクマとか、動物園のクマなんですけれども、でも実はこの狭い日本にこんな大きなクマが森の中にいるんだっていうあたりを、澤井さんの写真から感じ取っていただけるだけでも私は嬉しいなと思います」

●すごく大型のクマであっても、山を背景にするとこんなに小っちゃいんだっていう感じで、すごく雄大な壮大な写真ですよね!

「しかもやっぱりクマがいる風景っていうのが結構落ち着くんですよね。何か普通に自然な感じがするんですよね。でもそれが日本の自然だっていうところを知っていただけるといいなと思います」 


INFORMATION

ツキノワグマのすべて〜森と生きる。


『ツキノワグマのすべて〜森と生きる。』

 ツキノワグマの基礎知識から知られざる生態まで、わかりやすくて面白く、写真家「澤井俊彦(さわい・としひこ)」さんの写真も見どころいっぱいです。この本でツキノワグマのイメージが変わると思います。小池さんの20年以上の研究成果がまとめられた本、ぜひ読んでください。文一総合出版から発売中です。

 詳しくは出版社のサイトをご覧ください。

◎文一総合出版HP:https://www.bun-ichi.co.jp/tabid/57/pdid/978-4-8299-7232-8/Default.aspx

◎小池伸介さんの研究室HP:http://web.tuat.ac.jp/~for-bio/top-2jp.html

ギターを背負って山小屋コンサート〜山と歌がつないでくれた縁〜

2021/5/16 UP!

 今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、シンガー・ソングライター「リピート山中」さんです。

 山中さんは1960年、神戸市生まれ。12歳から弾き語りを始め、1996年にグループでデビュー。その後ソロ活動も行ない、2000年に「ヨーデル食べ放題」が大ヒット! そして、子供の頃から地元・六甲山に親しんでいたこともあり、山小屋や山頂などでライヴ活動。ほかにも地球や心の環境、家族をテーマにした楽曲作りなど“出かけて 出会って 感じて歌う”体験派シンガー・ソングライターとして活躍中です。

 きょうは、そんな山中さんに山小屋コンサートのことや、山に魅せられた登山家への想いなどうかがいます。

☆写真協力:リピート山中

リピート山中さん

僕が山の歌を作る!?

●今週のゲストはシンガーソングライターのリピート山中さんです! よろしくお願い致します〜! 

「はい! よろしくお願い致します! 」

●山中さん、今手に持っていらっしゃる楽器はウクレレですか? 

「これね、ギターなんですけど、優れものでね。ギタレレっていう、某会社の割と低価格で買えるウクレレ・サイズのギターなんです。これ、山に行く時は必ずザックに縛り付けて、どこでも歌えるようにしているんですよ」

●へぇ〜! せっかくなので、ぜひ1曲何か弾いてください! 

「じゃあ、ちょっと名刺代わりにね、唯一僕が作った歌でちょっとヒットした歌があるんで。こんな歌です」

(ここでギタレレの弾き語りで「ヨーデル食べ放題」の一節を歌っていただきました)

●うわ〜! ありがとうございます! 

「この歌、今から20年以上前にちょっと東京方面でヒットしたんですけど、”ヨーデル食べ放題”」

●いやもう誰もが知っている曲ですよね〜!

「そうですか! 聴いたことありますか!? ありがとうございます」

写真協力:リピート山中

●テンション上がります!(笑)。きょうは色んなお話をうかがいたいと思うんですけれども、リピート山中さんのオフィシャルサイトを見てみたら、山小屋でコンサートを行なっている記事がすごくたくさん載っていたんです。これはいつ頃、どんなきっかけで始まったんですか? 

「最初は2004年のゴールデンウィークに、北アルプスのわさび平という小屋がありましてね、そこから始まったんですけれども、きっかけというのはね、私、中学生くらいからずっとギターを持って歌っては何かしていたんですよね。

 その頃から山の歌も好きでね。昔ダークダックスさんとかが山の歌のLPレコードを出したりとかしてね。それこそ“雪山讃歌”とか色々有名な歌があるんです。ところがよく考えてみると、最近山の歌を作ったり歌ったりしている人がいないなと思いまして、若者たちはみんな海辺の歌が好きで。だから山の歌を作る人がいなければ、僕がやるしかないな、なんて思ってね。

 で、歌から山につながるんですけど、じゃあ山に登って山小屋でコンサートをやろうと思い始めたのが大体2003年ぐらいなんです」

●ギターを背負って登るわけですよね? 

「そうですね。まぁこれ(ギタレレ)は小っちゃいんで、ずっとザックの横に縛り付けているんですけど、いわゆる通常の大きなサイズの、ドレットノートサイズのギターも背負って登ったりもします」

●登山に必要なウェアや道具とかも持っていくんですよね? 

「そうですね。最小限にして、それは小さなザックで前に赤ちゃんを抱っこするみたいな感じで。だから後ろにギターで、前に小さなザック、そういう感じで登って、最高の高さは富士山の剣ヶ峰までは行きました。で、ちょっと歌ったりとかして」

写真協力:リピート山中

●ええ!? 何時間もかけて歩いてやっと山小屋に到着して、そこから歌うってなると、かなり体力的にも厳しいんじゃないですか? 

「これはね、体力もさることながら、気力が・・・。通常、山に登られる方っていうのはやっぱり山小屋に着いたらほっとして、ここで一応ね、きょうのスケジュール終わりと。あとはもうビールを飲んだり、くつろいだ時間を楽しまれるわけですが、私はそこからが仕事なんで(笑)。

 とにかくまだ、はめは外せないという、私がはめを外せるのは、皆さんの食事が終わったあとに1時間ほどコンサートして、そのあとですから、本当に消灯までのわずかな時間なんです。でもね、やっぱりそのために登っていますから、全然苦に思ったことはないです」

加藤文太郎に惹かれて

※山小屋コンサートで披露する定番曲にはどんな曲があるんですか?

「先ほど、ご挨拶で歌いました”ヨーデル食べ放題”、これ必ず歌うんですけど、やっぱり山の歌を作ろうと思って、私が作詞作曲して第1弾で作ったのは、実在した登山家”加藤文太郎”という、小尾さんお聞きになったことあります?」

●お名前だけは・・・。

「明治生まれの方で、兵庫県の浜坂っていう日本海側に生まれて、14歳から私の住んでいる兵庫県の神戸で、造船所で図面を引きながらね、山を覚えていくんですけど、当時画期的な、たった一人で真冬の北アルプスを縦走して歩くという、とんでもない登山をやった人で、今の社会人登山の先駆者なんですよね」

●どうしてまた加藤さんの歌を作ろうと思ったんですか? 

「山に登るに際して、色んな山に行っている先輩に話を聞いたんです。何か注意しないといけないことないですか? とか、何か知っておいた方がいいことないですか? とか言うと、この本を読んどけって言われてね。それが新田次郎という小説家の『孤高の人』っていう小説だったんです。それの主人公が加藤文太郎という実名、小説はフィクションなんですけど、その人の魅力に惹かれて、故郷の浜坂を訪ねたり色々しながら歌を作ったんです」

(ここでオンエアでは「加藤文太郎の歌」を聴いていただきました)

写真協力:リピート山中

嘘のない山の歌

※山での体験は、シンガー・ソングライターとしては、曲作りにつながっていますよね?

「そうなんですよ。山に登って山の歌を作って山の歌を歌うというのを出発点にしているんですけど、やっぱり行った者でないと分からないものがあるんですよ。だから街中で山を想像して作るのと、実際に登ってその苦しさとか、爽やかさとかを体感して作るのではやっぱり違うんですね」

●そうですよね〜。

「だから嘘のない山の歌を作れているなと」

●山関係の方とも色々つながりとかはありそうですけれども、いかがですか? 

「やっぱり加藤文太郎っていう人がすごく山の世界ではまだ有名人で、昭和11年に亡くなっているんだけども、いまだに人気があるんですよ。で、この文太郎さんの歌を私が歌っているということで、色んな人が私に話しかけてくださったりとか、文太郎さんのご縁で、例えば(登山家の)田部井淳子さんであるとかね、モンベルの辰野会長であるとか、この前(この番組に)ゲストで来られたシェルパ斉藤さんもそうですね」

写真協力:リピート山中

●歌がつないでくれたご縁ですね。田部井淳子さんは2016年10月にお亡くなりになっていますけれども、田部井さんに作詞をお願いして出来上がった曲もあるんですよね? 

「そうなんですよ。出会ったのは某公共放送のラジオの公開収録だったんですけど、そこでご一緒しまして、私の色々な歌を聴いてくださって、やっぱり“加藤文太郎、私も好きなのよ”ってね。
 で、私の持っているこのギタレレ、これを“私も弾きたい”って言ってね。当時70歳だったんですけど、田部井さんがこのギターを売ってくれと言って、だから私、別あつらえで購入して田部井さんにお送りしまして。
 そのあと色々交流があって。で、山の日というのが制定されるというので、その時に山の日の歌を私、作ろうと思ったんです。

 でも、リピート山中ごときが山の日の歌を作りましたって言っても、誰も相手にしてくれないだろうと思って、誰かに詞を書いてもらおうと思った時に、この人しかいないと思ったのが田部井淳子さん。
 田部井さんに山の日をイメージして歌を作ってもらったら、僕が曲付けてこれを皆さんに知ってもらいたいなと思ってお願いしたら、お亡くなりになる直前にメールで詞が届いたんですよ。だから出来上がりを田部井さんに聴いていただくことはできなかったんですけど、身内の方とか、そのお友達の方にはお披露目もして、今一応CDも作ってはあるんですけどもね」

●天国で聴いてくださっていると思います。

「この詞がね、田部井さんの遺言みたいな詞なんです。というのは、女性で世界で初めてエベレストの頂上に立った人なんですけど、そういう命がけの厳しい登山もする一方で、とにかく男の世界だった山の世界に、女の人どうぞ! 行きましょう! 楽しいよ! って言ってね。
 低い山でいいんで一緒に行って、ピクニックがてらお弁当を食べてって、ものすごくたくさんの人を山に誘ったんですよ。そんな気持ちをずっと持っておられて、山って楽しいよっていうことを、どうぞ山の楽しみを知っているあなたが伝えてあげて、みんな山に連れてあげてよっていう思いを書いてくださったんです」

(番組ではここで「山ってやっぱりたのしいよ」をオンエアしました)

「行きあたりばっ旅」 はサプライズ曲!

先月この番組にご出演いただいたバックパッカー「シェルパ斉藤」さんから、リピート山中さんが、自分の誕生日に歌を作ってプレゼントしてくださったと連絡があったんですが・・・タイトルが「行きあたりばっ旅」?

「シェルパ斉藤さんの人生観そのものやね、”行きあたりばっ旅”っていうのはね。とにかく行ってみるというね。そのシェルパさんの言葉をいただいてタイトルにしたんですけども、元々はこれ、ご本人には内緒の話だったんです、サプライズで誕生日プレゼントをしたいと。

 息子さんの一歩くんがちょっと知り合いなんで相談に来られましてね。もちろん奥様もなんですけど、家族のみんなで、お父さんのシェルパ斉藤さんに誕生日サプライズプレゼントしたいと、だから歌を作ってほしいと言われて。で、何度も一歩くんと打ち合わせして、当日まで気付かれないように、家族の人も大変だったみたいなんですけど、出来上がりました」

●そうだったんですね! 作詞は奥様や一歩くんのアドバイスがあったってことですか? 

「そうです。やっぱり一人の人物のことを歌にするとなると、知ってないと出来ませんから。一歩くんや奥様から色々資料を、新聞の記事とか本とか、そういうのをいただいて、とにかく本人が聴いて、“おい、それは嘘だぞ”って言われたらおしまいなので、とにかく本人のチェックがないままに発表するわけだから、よく練り合わせて作りました」

●斉藤さんには生演奏で披露されたということですけれども。

「そうです、そうです。生で聴いていただいて、その横で奥さんと、ご近所歌劇団がいらっしゃってね。ご近所の仲良しのお姉さん方が振り付けして踊ってくださって、それをシェルパ斉藤さんはもう照れながらというか何ていうか、面白かったですわ(笑)」

●シェルパ斉藤さんは何かお言葉はおっしゃっていました? 

「嬉しいという気持ちは持っている、ただどう表現していいか分からないと。とにかく照れ臭いし、いちばんいいのは泣いたらいいだろうけど、泣くわけにもいかんなと(笑)。この気持ちはわかるんです。仮に私が斉藤さんの立場であっても恥ずかしいですよ! 家族の者が私に何か歌を作ってプレゼントされて、いきなりそれ聴かされたら、まぁ正直戸惑いますね。ただね、こうやって小尾さんのこの番組“ザ・フリントストーン”に斉藤さんの方から情報がいったということは、気に入ってくれている証拠ですよ、これは!」

●本当そうですよ! すごく喜んでいると思います〜。すごく嬉しいと思います。

「聴かせたくなかったら内緒にしているはずですから、だから斉藤さんも、これは例えば仮にオンエアしてもいいよというぐらいのね、気持ちになってくださっているってことやから、よかったんじゃないですか(笑)」

●サプライズ大成功ですね!

(ここで「行きあたりばっ旅」をオンエア!)

「見えてるラジオ」生配信中!

※いまは新型コロナの影響で、なかなかライヴができない状況にありますが、そんな中「見えてるラジオ」という生配信ライヴをやっているそうですね。これはどんな配信ライヴなんですか?

「これFacebookで基本的に毎週やっていまして、今50回目まで終わったんですけど、週末の夜の10時からね、私とFacebookで繋がっている人はみんな無料で見られるんですよ。そのあとYouTubeにも“リピート山中チャンネル”っていうのがありますので、検索していただいたら、そこにも全部アップしています。
 ギター1本で、自分の家の汚い部屋で何の飾りもなく、ただただ歌って喋ってという歌語りのラジオ。一応映像は見えていますけど、ラジオ好きなんで」

●山小屋コンサートはいずれ復活させる予定はあるんですか? 

「これはもう小屋の状況次第ですね。一応今年も槍ヶ岳山荘とか、南岳小屋、槍沢ロッヂ、このグループがやろうという方向では話を進めてくださっているんです。ただこれは本当に状況判断しないと、今決められないので、一応やる方向だけど、今後の状況次第。もしやるとしたら7月の後半になると思いますけどね。まだこれは未定の話ですけど」

●今後も山を歌う活動は続けられるということですよね。

「そうですね。毎年7件から8件、レギュラーで小屋に行っていますから、そこに本当に安全にみなさんが集って、僕も歌を歌って、みんなと一緒に歌える日が1日も早く来ることを本当に心から願っております」

写真協力:リピート山中

INFORMATION

 山中さんが毎週土曜日の夜10時からFacebookで生配信している「見えてるラジオ」、ぜひ見てくださいね。歌ってトークをして歌って、という感じで、ほんとにラジオのような親しみやすさがあります。YouTubeの「リピート山中チャンネル」でもご覧いただけますよ。

 今後の山小屋コンサートを含めたライヴ情報などは、ぜひリピート山中さんのオフィシャルサイトを見てください。また、山中さんのCDや音源はオンライショップで購入できます。

◎リピート山中さんオフィシャルサイト:http://repe.jp/

カラフルな湘南の海〜光と影のメッセージ

2021/5/9 UP!

 今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、葉山のダイビングショップNANAの代表で、ダイビングガイドの「佐藤 輝(さとう・てる)」さんです。

 1976年、葉山に生まれた佐藤さんは、学生時代はヨット部に所属し、毎日のように葉山の海で練習。卒業後は有名ホテルの営業マンとして働いていたそうですが、体験ダイビングでその魅力に取りつかれ、ダイビングガイドの道へ。そしてサイパンなどで修行したのち、15年ほど前にダイビングショップNANAをオープン、湘南の海を知り尽くしたガイドとして活躍されています。

 そんな佐藤さんが先頃、写真集『湘南 波の下水族館』を出されました。この写真集は鎌倉在住の水中写真家「鍵井靖章(かぎい・やすあき)」さんとの共著という形で出版されています。

 きょうは子供の頃から葉山の海に親しんできた佐藤さんに湘南の海の特徴や、気になる海の変化などうかがいます。

☆写真協力:佐藤 輝

写真協力:佐藤 輝

魚と同じ目線に感動!?

※それでは佐藤さんにお話をうかがいましょう。初めて地元の、葉山の海に潜ったときは、どうでしたか?

「それは今でも鮮明に覚えているんですね。ヨットで海の上にはもう毎日のように行ったし、小さい時から磯場とかでもいっぱい生き物を見たりもしたんですけど、初めて葉山の海に潜った時は何かもうびっくりするぐらい感動しました。水中で苦しくなくて、普通に呼吸が出来て、魚と同じ目線にいる自分に感動っていう感じでした」

●ダイビングガイドになろうと思ったのは何故なんですか? 

「それは、ライセンスは社会人1年目で取ったものの、本当に軽い趣味だったんですね。年に2回ぐらい海外に行ったら潜ってみたりとか、そんな程度だったんですけども、だんだん社会人の時の趣味が、どんどんのめり込んでいくというか、土日にどこに潜りに行こうかなっていうのを考えるのが、いちばんの楽しみぐらいダイビングが好きになっていて、ある日とっても浅はかなんですけど、これを仕事にしたら毎日潜れるのになぁ〜みたいな気持ちになってきて、もうその気持ちが抑えられなくてサラリーマンを辞めました」

●そうだったんですね! 今はお客さんの案内を含めて年間どれぐらい海に潜っているんですか? 

「その年によってちょっと違うんですけど、だいたい数えたら250日でした」

●ええ!? すごい! 転職してよかったですね! 

「そうですね。本当に好きなことを仕事にしているっていうことに、とっても毎日のように感謝はしています」

●毎回、未だに感動しますか? 

「これはとっても正直に言うなら、さすがに毎日のように潜っているんで、毎回、感動の頂点みたいなのを迎えているわけではなくて(笑)、とっても今は基本的には日常というか、普通の方が会社に行ってくるねっていう感覚で潜っているんですね。

 ただサラリーマンの時と大きく違うのは、毎日じゃないですけど、見たことないウミウシっていう生き物が出てきたりですとか、あとは普段いっぱいいるお魚が、生態行動って言うんですけど、産卵してみたりとか、そういうことがちょいちょい起きるんで、そういうのを見た時はやっぱり、どの仕事も感動って毎日やっていてもあると思うんですけど、僕たちはそういうところにすごく感動を覚えますね」

佐藤 輝さん

穏やかな海

※改めて、葉山を含めた湘南の海の特徴を教えてください。

「相模湾っていう湾にある海なんですけども、相模湾の中では結構奥まったほうにあって、水深とかも深くなくて、イメージ的にはお気軽にダイビングできるというか、来るのも近いし、ボートに乗っている時間も短いし、潮の流れが強いとかもなくて、とっても穏やかな海にちょっと気軽に潜りに行けるっていう感じが特徴の海ですね」

●年間を通してどれくらいのお魚を見ることができるんですか? 

「ちょっと考えてみたんですけど、何種類って分からないなと思いまして、例えばきょうの朝も潜ってきたんですけど、バッと見渡しただけでも何十種類っていう風に、一箇所見てもブワッといるんで、今度機会があったら数えてみたいと思います(笑)」

●そんなに葉山の海にたくさんの生き物がいるっていうのは、やはりそれを支える豊かな生態系があるからっていうことですか?

「それは本当そう思います。やっぱり岩場があって、砂地があって、色んな環境があって、そういうことがたくさんの魚たちがいる環境を作ってくれているんだと思います」

『湘南 波の下水族館』

海中の春夏秋冬

※陸上は初夏を迎えつつありますが、海の中も春・夏・秋・冬と季節の変化はありますか?

「とってもありまして、陸よりも海の方が春夏秋冬を少しだけ先取るんですよ。ざっくり言うと、春は気温が冬から春になって、だんだん上がってきて、魚が増えてくる季節みたいな感じで、プランクトンが増えて、海の透明度が落ちて、海が汚くなるんですね。でもそれはとっても海にとっては栄養が豊富で大事なことで、生まれてきた小さなお魚たちはそのプランクトンを食べて大きくなっていきます。

 夏になると水温がどんどん上がってくるんで、いちばん魚が多い季節みたいな、海の中に群れがいっぱいいます、みたいなのが夏です。夏の終わり頃になると今度は、季節来遊魚って言うんですけど、黒潮っていう南からこっちのエリアの方に流れている潮に乗っかって、熱帯魚たちが流れてくるんですね。夏秋は群れとその季節来遊魚っていう熱帯魚、普段は見られない子たちを楽しむ季節ですね。

 秋が終わってだんだん水温が下がってくると、さっきとは逆でプランクトンがどんどん減ってくるんで、透明度がドンドン上がってくるんですね。綺麗な海になってきて、その代わり群れは減って、水温が落ちた冬は、冷たい水温でしか生きられないお魚たちを観察できるようになるサイクルでまわっています。本当に春夏秋冬で全然違うものになるっていう感じがあります」

●葉山の海でそれぞれの季節を代表する生き物は、例えばどんな種がいるんですか?

写真協力:佐藤 輝

「いちばん人気みたいな感じで言うと、春はダンゴウオです。ダンゴウオは大きさ1センチもないようなお魚なんですけど、お団子みたいな、これがもうとにかくダントツ人気で、この子は3月ぐらいから5月しか見られないんですよ。水温が上がってくるといなくなっちゃうんですね。

 夏になると、夏秋はやっぱり季節来遊魚が人気なので、ミナミハコフグの赤ちゃんとか分かりますかね? さかなクンが被っている帽子の」

●あ〜! はいはい!

「あれも1センチとかそれぐらいの大きさなんですけど、あんなお魚たちが人気の魚です。夏秋はそういうのが人気で、冬になると葉山の場合は、ウミウシって分かりますか? ナメクジみたいな、本当は貝の仲間なんですけど、そのウミウシが冬になると一気に増えるんですね。1日30種類とか40種類とか見られるんですけど、冬はそのウミウシが人気ですね。人によって好きなものが違うんで何とも言えないんですけど、僕のお勧めはそんな感じです」

写真協力:佐藤 輝
写真協力:佐藤 輝

海藻が激減している!?

※葉山の海に潜り始めた頃と比べて、何か変化を感じることはありますか?

「これは多分どこの海も、この辺でいうと伊豆や千葉がダイビングポイントとしては、割と多くの方が潜っている場所なんですけど。どこもだと思うんですけど、やっぱり海藻が激減しているエリアが多いですね。
 昔はアカモクっていう海藻に引っかかっちゃって、浅いところは冬になると前に進めないぐらい海藻が生えていたんですけど、それが全く何もなくなっちゃっているところもいっぱいあって、10年前と比べたら全然違う景色です」

●そうなんですか。地球温暖化の影響っていうのも感じることは多いですか? 

「僕はその専門家ではないので、ダイビングガイドの僕が地球温暖化ですって言い切るのはちょっとよくないのかもしれないんですけど、確実に冬の水温が昔に比べると1度か2度は高いんですね。昔は12度から13度までいちばん冬の冷たい時に落ちたのが、今は14度ぐらいにまでしか落ちていなくて、陸上に比べると水中の2度っていうのは、陸上の何倍も大きい差があって。

 やっぱりよくよく考えてみると、昔当たり前のようにいた魚がすごく減っていたりとか、いなくなっちゃっていたりとか、そういうのはやっぱりすごく大きく言ったら、地球温暖化は絶対関係しているんだろうなとは思います」

写真協力:佐藤 輝

●佐藤さんがいちばん危惧していることって何ですか? 

「それは写真集にもそういうページを作らせていただいたんですけど、色んな魚が減ったりとか、色んなことが起きているんですね。もととなっているいちばん悪いことは、さっきも言ったんですけど、海藻が減っちゃっていることだと思います。海藻が減って小さいお魚たちが隠れる場所がなくなるから大きいお魚に食べられちゃうとか、だから何とかその海藻を取り戻すことが出来れば、もとにもう一回戻るチャンスはあるんじゃないかなっていう気がします」

●どうやったら戻るんでしょうか? 

「例えば僕たちがいつもやっているのは、海藻が減ったことによって”磯焼け”って言うんですけど、ウニとかが食べるものがなくなっちゃうんですね。海藻を食べていたのに海藻がなくなっちゃうんで。
 今までは岩の下とかに隠れていて、夜ちょっと出てきて、いっぱいある海藻を少し食べていたウニが、食べるものがなくなっちゃうんで、どんどん表に出てきて、もう何でもかんでも食べだしちゃうんですね。そうすると岩肌が全部見えてきちゃうような状況に今はなっていて。それもまた賛否両論あると思うんですけど、その海藻を食べてしまうウニを漁師さんと一緒にみんなで駆除したりするんですね。

 でも僕がいつも思っているのは、そのウニを僕らレベルが10人20人で潰したところで、海藻が全部のエリアに戻ってくるとはもちろん思っていないんですけれども、何かそういう地道な活動をして、今そういう大変なことが海に起きているんだよっていうことを、少しでも多くの方に知っていただくことが大事なのかなと思います」

気をよくしてくれる場所!?

※最後に「佐藤」さんが感じる海の魅力って、どんなところですか?

「やっぱり何かちょっと神がかっているかもしれないんですけど、気がよくなる感じがすごく僕はしていて。やっぱり嫌なこととかあっても、毎日海に潜っているといつもフラットな気持ちでいられますし、あとはたまに潜りに来てくれたお客さんが、潜るとなんとなく自然な感じで、“海はいいなぁ〜”みたいなことを本当に自然に言っているのを見たりしていると、やっぱり人間をリフレッシュさせて気をよくしてくれる場所なんだなっていうのが魅力なんじゃないかなと思います」

●私はシュノーケリングしかしたことなくて、ダイビングはしたことないんですけれども、やはり深いところから見るとまた全然違いますか?

「シュノーケリングとはやっぱり違いますね。最初に言った、魚と同じ目線にいるっていうのがやっぱり僕の中では大きく違いますね」

写真協力:佐藤 輝

●気持ちよさそうですね! 一緒に泳げるわけですよね。

「そうですね。本当に一緒に泳いでいる感じですよ」

●今後も佐藤さんは、葉山の海の写真っていうのは撮り続けるわけですよね? 

「もう僕は、写真集を出させていただくのは今回が人生で最後だとは思っているんです。でもやっぱり10年前の写真と今の写真は、要は今は10年前の写真を本当に撮れなくて、海藻もなければ絶滅した魚もいれば。
 なので10年前の写真を撮っておいてよかったなと思うこととかいっぱいあるので、これからも写真を撮って、楽しみつつ、ちゃんと葉山の自分のホームとしてる海の記録を残すという意味でも撮っていこうと思っています」

写真協力:佐藤 輝

●改めて今回の写真集『湘南 波の下水族館』でいちばん伝えたいことは何でしょうか? 

「湘南に住んでいる子供にもとっても伝えたいんですけれども、都心から近い湘南って何かすごくお洒落な海だけど、潜るっていうイメージがまだ多分ないと思うんですね。でも東京から近い海にはたくさんの生き物が暮らしていて、とってもカラフルな海が広がっていて。
 でも今その海には温暖化を含め色んな危機が迫っていて、このままだったらそのカラフルな海は失われちゃうんじゃないかなっていう危機感も感じています。素晴らしい海だっていうことと、今その海に危機が来ているんだよっていう両方を見ていただけたら嬉しいなと思います」


INFORMATION

湘南 波の下水族館』


『湘南 波の下水族館』

 佐藤さんが水中写真家の鍵井靖章(かぎい・やすあき)さんと共に出版した写真集です。東京から近い海にこんなにもカラフルな生き物がたくさんいることに驚きます。数メートル潜っただけで別世界が広がっていることが分かり、可愛らしくてユーモラスな生き物たちに癒されますよ。青菁社(せいせいしゃ)から絶賛発売中です。

 詳しくはダイビングショップNANAのオフィシャルサイトをご覧ください。

◎ダイビングショップNANA HP:https://nana-dive.net/

◎青菁社 HP:https://www.seiseisha.net

園庭のテーマは「自然と冒険」〜子供たちに豊かな感性を〜

2021/5/2 UP!

 今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、「こどもみらい」の代表「廣瀬泰士(ひろせ・たいじ)」さんです

 廣瀬さんは1973年、高知県生まれ。学生時代に建築を学び、都市計画のコンサルタント会社から造園会社に転職、園庭造りに携わり、2011年に独立し、「こどもみらい」を設立。園庭造りのかたわら、講演活動も行なっていらっしゃいます。

 園庭というと、滑り台やアスレチック用の遊具があるイメージだと思いますが、廣瀬さんが手がける園庭は、草木や生きものたちと触れ合えるような造りになっています。そして先頃、『園庭づくりのヒントがいっぱい〜こどもがあそべる木と草花』という本を出版されました。

☆写真協力:株式会社 こどもみらい

写真協力:株式会社 こどもみらい

先生たちと一緒に造るオリジナル園庭

※それでは廣瀬さんにお話をうかがいましょう。廣瀬さんが手がける園庭にはどんな特徴があるんでしょうか。

「基本的に園庭っていうのは遊具先行型っていうのが主流です。ですが僕たちは、当然遊具もお客さんのご要望があればご提案させていただきますが、決して遊具ありきの園庭造りではないというところです」

●具体的にはどんな庭を作ってらっしゃるんですか?

「基本的なテーマと言いますか、自然と冒険というテーマで取り組んでいます。その中で園庭造りにおいては、弊社の者が保育園に対して一方的にご提案するわけではなくて、先生方と一緒に話をしながら積み重ねていって、その都度、ご提案をして修正をしてというような組み立てと言いますか、積み重ねで園庭造りをしています。結果的に園オリジナルの園庭が出来上がるというところです」

写真協力:株式会社 こどもみらい

※廣瀬さんの園庭造り、その工程を少し説明しておきましょうね。

 保育園や幼稚園からの問い合わせを受けて、現地におもむき、丁寧にヒアリングを行ないます。そこには今ある園庭を良くしたいという園長さんや先生たちの思いがあるのでそれをしっかり汲み取りつつ、今まで廣瀬さんが手掛けた事例を説明。そして本格的な図面を作る前に、改造する園庭のイメージを絵で表現し、共有します。

 その後、着工しても一度には工事を終わらせないそうです。そこそこの面積がある園庭の場合、先に取り掛かるエリアを決めて、第1期の工事を行ないます。そして、そのエリアで四季を通して、園児たちと遊んでもらい、第2期の工事に入る前に、着工前に決めた計画で進めていいのか先生たちに問いかけるそうです。

 そうすると先生たちから意見や要望が出てきて、それを受けてマイナーチェンジを行ない、その後、夢の園庭が完成するということです。

写真協力:株式会社 こどもみらい

 廣瀬さんいわく、短期間で完成させるのではなく、工事をする期間を1期から3期くらいまで分け、中長期で取り組むのがポイントだそうです。また、植物を植えたりする作業を、先生や園児たちと一緒に行なったり、工事をしている様子を園児たちに見てもらったりするそうですよ。これ、いいアイデアですよね。園児たちに愛着がわきますよね。

 廣瀬さんの会社「こどもみらい」では完成後も定期的に樹木の剪定や木の遊具のメンテナンスも行なっているとのことです。

もともと自然が好きだった!

※廣瀬さんは自然豊かな四国の高知で育っていらっしゃいます。そのことも今の仕事のバックグラウンドになっているようですよ。

「地域独特の特徴のある自然ってあると思うんですけど、僕の祖父母だとか、あと友達とかと遊んだその豊かな自然っていうのが、僕の今の人間性をすごく形成したと思えるんです。自然と本当に共に生活したという、まぁ市内なんでね、そんな山の中っていうわけではないんですけども、お爺ちゃんお婆ちゃんから生活の中でいろいろ教わった、季節が巡るその自然と共に生活したっていう、それが僕の中で染み付いているもんですから、そういったことですかね」

●冒険とか自然体験ができる園庭を造ると言っても、色んな知識がないとだめですよね? 土木的な知識から、植物だったり生き物だったり、幅広く知っていないといけないと思うんですけれども、廣瀬さんはどちらで勉強されたんですか? 

「もともとは自然が好きだったものですから、虫とかそういうことにはすごく興味、関心はありました。当然学問として勉強しているわけじゃないんですけども、すごく興味があったので、本だとかはすごく常々読んでいたりもしていました。

 で、造園の技術っていうのは当然(造園会社に)入社した時から社内の人間、先輩とか、職人さんとか、いろいろ教わっていました。ただ園庭造りに関してはそれだけではなかなか出来なくて、そこで僕も前職の頃から、やはりこれは保育に関する専門的な知識は必要だなと思って、通信で保育士の資格を取ったっていうのがありますね」

●やはり保育士さんの視点っていうのも大事な要素ですね。

「そうですね。僕は必要かなと思っています。社内のスタッフにも頑張ってねとは言っていますが、なかなか両立が難しいところがあって、やっぱり子供の成長とか発達っていうのは僕たち設計する上ですごく基本になるところなんです。だから今の園庭をいろいろ考えていく中での基礎になっていると思います」

写真協力:株式会社 こどもみらい

豊かな人生を味わうきっかけに

※廣瀬さん、自分が手掛けた園庭で、園児たちにどんなことを感じとって欲しいですか?

「自然の大切さと言いますかね、触れ合うことでの喜びとか感動を味わってほしいんですね。当然、人間って誰しもが生き物が大好きとか、土に触るのも全然問題ないよってなかなかそうはならないですね。苦手な人もいます。

 それは決して良い悪いじゃなくて、やっぱり人として成長していく中で、何か出来事があって、それに対する反応で、苦手だなとか見るのも嫌いってなると思うんですけれども、それはもう止められないし、決して悪いわけでもないんです。

 おぎゃあと産まれた子供が生き物を見て、例えば蝶の幼虫を見て、これ気持ち悪いとはならないんですよね。そもそも生き物とは認識しないんです。ムニュムニュ動くもんだと思って、やっぱり子供っていうのはいろんなものに興味を持ちます。でもそれがいつぞや成長していく過程で先ほど言ったように苦手になるんですね。

 その中で特に好きっていう人たちが、例えば昆虫博士になったり生物学者になったり科学者になったりすると思うんですね。ですので、弊社が関わらさせていただいた、先生たちと共に作った自然豊かな園庭で子供たちに、せめて乳幼児期、0〜5歳までのこの間、思う存分自然と触れ合ってほしい、そこでいろんな体験をしてほしい、いろんな感動を味わってほしいですね。

 でも、その中でも苦手な子は早々に出てくるし、もっと興味のあるサッカーとかで遊びたいってそういう子たちも興味はそっちに行きます。でもそれはそれでいいです。いいですというか、僕はそんな良い悪いを判断するわけじゃないですけど、それはそれで尊重していいと思うんですね。

写真協力:株式会社 こどもみらい

 ましてや一緒に造った自然豊かな園庭で、ここで育った子供たち全員、生物学者になってほしいなんてこともないわけです。ただそういった環境を整えることで、経験する機会が要するに増えるわけなので、少しでも(自然や生き物に)興味を持って、その子の豊かな人生を味わうひとつのきっかけと言いますかね。園庭でやれることなんて本当に人生の中では一瞬なんですが、その一瞬だけでも思う存分、安全と言われる園庭の中で、先生たちと一緒にその感動を味わってほしいなと。

 どういう結果に繋がってほしいとかそういうことはないです。単純にその瞬間を思い切って、“センス・オブ・ワンダー”って言うんですけどね、自然の不思議さとかそういったことに目を見開いて、感動とか感性を思いっきり育める環境を、先生と共に育みたいと思っています」

名前はあえて教えない!?

※廣瀬さんは先頃『園庭づくりのヒントがいっぱい〜こどもがあそべる木と草花』という本を出されています。この本は保育園や幼稚園の先生向けに書いた本なんですか?

『園庭づくりのヒントがいっぱい〜こどもがあそべる木と草花』

「そうですね、僕たちが日頃やっぱり接していますのは先生方とのお話、対応っていうのが多いですから、やっぱり先生たちに対するメッセージがありますが、本として世に出ていますから、当然お母さんに限らず、お父さんも含めて、子供と関わる方々は読んでくださいとは言いませんが(苦笑)、ご参考に何かしていただければいいかなという風に思っています」

●公園に咲いている花について、ちょっとうんちくが言えたりとかできますね! この本を参考にすると。

「よく園庭で木を植えたりして、先生方が名前を知りたがるんです。この木は何? って、それは子供たちに伝えたいから、それは分かります。でも、何かね、名前を書いて覚えてくださいって言って覚えたら、先生の中で完結しそうで。

 この名前を知った、でも実はその後のストーリーが大事で、子供たちとどう遊ぶか、共有するか、その本にもあるようにどのように遊べるか、食べられるか、どんな味がするかっていうのはその先にあるもの。だから僕、名前を聞かれてもあんまりパッと答えずに考えてみてくださいって言います。

 植物って昔の人は生活と馴染んで名前をつけたものが多いじゃないですか。だからそれの名前をすぐ言わずに、“先生これ何に似ていると思う?”というところから始まって順番に考えて、“そうそう、それ!”とかね。そういうのを先生にぜひ子供たちと一緒にって。名前はあんまり僕はあえて言わないようにしています」

●ストーリーごとお伝えするっていうことなんですね。

「そうそう、そこが実は楽しいところなんですよ」

●この本はお庭がある一軒家に住んでいる方にも参考になりそうですよね!

「そうですね。ぜひ子供たちと一緒に(植物を)植えてほしいですし、季節を感じてほしいですね」

子供たちの豊かな感性のために

写真協力:株式会社 こどもみらい

※では最後に、廣瀬さんが園庭造りを通して伝えたいことを教えてください。

「僕たちは園さんからご要望あったことを誠実に応えている、スタッフとみんなで頭を悩ませて頑張っているだけなんですけども、おそらくひと昔前は、僕たちのようなこの仕事の取り組みってビジネスにならなかったと思います。っていうのは身近な自然っていうのはそこら中にありましたから。

 そこに対するアプローチとか、まさにその本に書いてあるようなことっていうのは、僕が友達や爺ちゃん婆ちゃんとかと一緒に生活する中で、実は身につけたものなんです。だからこの時代だからこそ、こういったことを伝えないと、子供たちの豊かな感性とかそういうことは育まれないんじゃないかなと一方で危惧をしながらも、僕たちは仕事に一生懸命向き合うだけなんですけども、そういったことを先生たちと一緒に子供たちに伝えられたらなというだけです 」


INFORMATION

園庭づくりのヒントがいっぱい〜こどもがあそべる木と草花』


『園庭づくりのヒントがいっぱい〜こどもがあそべる木と草花』

 この本には園庭造りのヒントが第5章にまとめられていますが、第1章の「春」編から第4章の「冬」編まで樹木や草花を紹介。植物の特徴はもちろんなんですが、その植物にどんな昆虫が寄って来るのか、葉っぱでどんな遊びができるのか、熟した実を食べたり、ジャムを作ったり、植物を通して、どんな遊びができるのか、それをイラストや写真でわかりやすく解説。これは小さなお子さんを持つパパやママ、孫がいるおじいちゃんやおばちゃんにも読んで欲しい一冊です。小学館スクウェアから絶賛発売中! 詳しくは出版社のサイトをご覧ください。

◎小学館スクウェアHP:https://shogakukan-square.jp/publish/books_new/747/

 廣瀬さんが代表を務める「こどもみらい」のオフィシャルサイトは以下。

◎「こどもみらい」HP:https://www.codomomirai.com/

清水国明さんの定点観測26回目! 「毎年のプレッシャー、証拠残っているからね〜(笑)」

2021/4/25 UP!

 今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、芸能界きってのアウトドアズ・マン「清水国明」さんです。

 清水さんは1950年、福井県生まれ。73年に原田伸郎(はらだ・のぶろう)さんとのユニット「あのねのね」でデビューし、「赤とんぼの唄」が大ヒット!90年代からは、アウトドア活動に夢中になり、2005年に河口湖に自然体験施設「森と湖の楽園」、その後、瀬戸内海の無人島「ありが島」に同じく自然体験施設を開設。芸能活動のほかに、いろいろなプロジェクトを手がける起業家としての顔も持っていらっしゃいます。

 清水さんには毎年4月にご出演いただき、そのとき、いったいどんなことに夢中になっているのか、そんなことをお聞きする定点観測をやらせていただいています。今回は清水さんが千葉県鴨川で進めている、あるプロジェクトについて。このあとじっくりお話をうかがいます。

☆写真協力:kuniaki.plus

清水国明

有言実行! YouTuber!

●今週のゲストは、芸能界きってのアウトドアズ・マン、清水国明さんです! 清水さんにお話をうかがうのはちょうど1年ぶりとなります。お元気でしたでしょうか? ご無沙汰しております! 

「はい、どうも! 1年ぶりでございます。清水国明です」

●よろしくお願いいたします! 

「何とか生きておりました〜」

●定点観測ということで、清水さんには毎年4月にご出演いただいているんですよね。今回でなんと26回目になるんです! この番組が4月から30年目に入りましたので、清水さんと共にこの番組があると言っても過言ではない状況なんですけれども。

「すごいですね。毎年のプレッシャーはですね、前の年に何を言ったかなというような記憶ですよね。言ってることとやってることが違うし、清水くちだけという評判なので(笑)。まあ皆さんお忘れになるからいい加減に何でも思いついたことを喋っているんですが、この番組だけは今までの証拠残っているからね〜」

●番組ホームページにぎっしりと残っています(笑)。

「そうなんよ! 言ってること違うじゃねーかって(笑)、そういうプレッシャーを感じつつ、今年もよろしくお願いいたします」

●長年のお付き合い本当にありがとうございます。来年も再来年もよろしくお願いいたします! 

「はい、よろしくお願いいたします」

去年ご出演いただいた時は、ユーチューバーになるとおっしゃっていましたけれども、本当になりましたね! 

「なったね〜。そっか、そういう風に宣言していた時だったんやね」

●はい、おっしゃっていました。

「もう、何て言うか、全身ユーチューバーですよね(笑)。大したことないけどね」

●「くにあきの自然暮らしチャンネル」ということで、YouTubeで定期的に更新されていますけれども、改めてどんなチャンネルなのか教えてください。

「色んなことにチャレンジしているんですけども、結局は清水国明個人の日常生活をレポートするような感じで、今いちばん面白いなと自分が思っていることを皆さんにもお知らせして、一緒にやってくれる人にどんどん集まってもらって、一緒にものづくりをやっているって感じですかね」

●私も見させていただきましたけれども、キャンプ場を作るために、伐採して開拓していく様子だったりとか、あとチェーンソーなどの道具をひとつひとつご紹介してくださっていたりとか、本当にアウトドア初心者の私にとって、すごく勉強になりました! 面白かったです! 

「そうですね。YouTubeって芸人さんとかがやると、ものすごく反応があるじゃないですか。そんな世界になるのかなと思ったら、登録者が1000人超えるのがやっとでしたね。あれ、何でみんな10万とか20万とかいくのかなというね(笑)。全然別の世界の、YouTubeの世界だなという風に今思っていますけれども」

千葉県鴨川4000坪、開拓中

※ユーチューバーとしても活動されている清水さん、その動画の撮影場所は千葉県鴨川の杉林なんです。そこを開拓し、キャンプ場などの施設を作っているんですよね?

「そうですね。それは珍しく言った通りに行動していまして、伐採から整地までしてですね、結構色んなものを今まで作ってきましたね」

●本当に仲間の皆さんと一緒にみんなで開拓していくって感じが伝わってきて、特に清水さんがいちばん楽しそうな感じがして、見ていて私も楽しかったです。

「そうですか。ただ、どんどん本性がバレましてね。昼間ゴルフしていて夕方だけ参加するとかね。朝、やれって言ってそのままいなくなったりとかっていうのが、YouTubeだと全部正直に出てしまいますよね(笑)。だから本当にみんな呆れてるけど、まぁ呆れながらも未だに協力して、騙されたふりしてくれていますけどね。ありがたいです」

写真協力:kuniaki.plus

●すごく広そうな場所ですよね? 

「ええ、まだまだ広く使えるんですけど、とりあえず今は坪数で言うと4000坪とか、そんな感じで、今楽しませてもらっています」

●へぇ〜! 見るからに手付かずの荒れた林で、いちから(やぶなどを)刈っていくってなかなか大変なんじゃないですか? 

「何が大変ってあの辺りにですね、野生動物のイノシシとかシカとかキョンとかがいっぱいいましてね。それに伴ってヤマビルがいるんですね。ヒルって分かりますか? ちゅーっと血を吸うやつ」

●見たこともないです! 

「噛まれたこともないですか? それがいてですね。いるってことはみんなには言わないで、言うと誰も集まってこないんで黙っていたんですけども、休憩の時に、皆さんありがとうとか言ってご飯食べている時に、ひゅっと足めくって見たら、俺の足にペタッとくっ付いていましてね。ひえ〜! とか言ってバレちゃって、こんなのがいるんですか! みたいな。

 まぁ伐採して整地したらいなくなったんですけど、日陰とかにいて、クーラーボックスの裏にくっ付いていたのを知らずに、そのまま自宅に持ち帰ってしまってですね。明くる日そのクーラーボックスをちょいと動かしたら、ぴっこたんぴっこたんって部屋中を横断していたんですよ! それでもう女房がひっくり返って、ぎゃー!

 やっぱりね、山の中で見るよりも自宅のフローリングを歩いてると、本当に俺も情けないながら叫び声を上げてしまいまして。冷たいクーラーボックスの下に、真夏でしたからくっ付いて涼んでいたやつをそのまま持っていって、ってなことがありましたね」

ログハウスは自然の曲線美

写真協力:kuniaki.plus

※現在、清水さんは仲間たちと一緒に千葉県鴨川に、大きなテントや板張りのデッキ、そして2台のトレーラーハウスを設置するなど、自然体験のための施設の整備に力を入れていらっしゃいます。さらに清水さんにとって、19棟目にあたるログハウスも作っているそうなんですが、ログハウス作りの工程で、いちばん気を使うところはどこなんでしょうか?

「あのね、ログハウスはやっぱり水平垂直という、延直線でずっと地球の真ん中に向かっていく垂線と、それから水平と、それを基準にして作業するんですね。それをいい加減にせずに丁寧に守ってやっていくと、隙間のないぴったりとしたログとログを組み合わすことができるんですよ。それがピタッとはまった時には本当に感動ですよ」

●ログハウスの魅力ってどんなところですか? 

「いわゆる、世の中直線が多いじゃないですか。このデスクにしろパソコンにしろ。それが天然の丸太っていうのは曲線なんですね。ぐねぐねしてぼこぼこしてるでしょ? そういったものの中で過ごすと、何か気持ちが安らぐところがあるんですね。
 だから、自然の曲線美みたいなものと、それから太古の昔から人間が感じていたであろう木の温もりとか香りとかね、そういったものが人間に安らぎをもたらすんではないかと、聞いた風なこと言ってますがね(笑)、そんな風にいつも思っていますね」

●暖かみがありますものね。

「そうそう、それは感じられますね。全く同じものはふたつとできないんで、毎回オンリーワンですよね」

●YouTubeを見ていると色んな仲間の皆さんがいらっしゃいますけど、「いちはら自然楽校」のチェーンソーカービングの達人、栗田宏武さんもいてくださるっていうのは安心ですね。

「そうやね。自然楽校の校長の方ですけども」

●栗田師匠っておっしゃっていましたけど。

「そうそう、ログハウスとかカービングで一緒に共同して色んなことをやっている人なんで。あの人この頃はスウェーデントーチって分かりますかね? 」

●スウェーデントーチ!? 

「丸太を縦にびゃーっと十文字に切り込みを入れて、そして真ん中で火を燃やすと真ん中から、わーっと燃えてきて外側は残るという・・・ヒノキとかそんなのでやるとよく燃えるんですけど。(栗田さんが)自分のログの工房の近くに置いてある、使いものにならないでっかい丸太の切り株を時々持ってきてくれるんですよ。それをスウェーデントーチに、切り込みを入れて、今4つ目かな? そのくらい燃やしていますね。あの焚き火はすごいですよ」

元気の秘訣は、ピチピチ!?

※鴨川で整備している施設が「かもがわ自然楽校」という名前になっているんですよね?

「そうです。名前としては、かもがわ自然を楽しむ校で”自然楽校”って付けていますけどね」

●その楽校ではどんなことをやっていくんですか? 

「ものづくりとか、陶芸もこれからやろうと思っているんですけど、あと散策したり、それからカービングも教えますけれども。あとトレッキングコースも壮大な長いルートがあるんで、そこをヒルと戦いながらね(笑)、歩いてもらうというようなこともあるし、最終的にはジップラインってやつね、高いところからびーっと向こうの山まで行くやつを今計画を企ててはいますね」

●楽しそうですね! 去年70歳になられた清水さんですけれども、本当にパワフルで前向きでとってもお元気でいらっしゃいます。その元気の源はやはり自然の中で活動しているからなんですか? 

「好きなことをさせてもらっているっていうのが、同世代から見ても“いいなお前、好きなことばっかりして”みたいに言われるんで、好きなことをしているからかなという風にも思いますし、周りに若いのがいてですね、自分の姿は見えないから若いやつばっか見ていると自分もその仲間だと錯覚するんでしょうね。だから年寄りが年寄りと付き合っていると歳が増幅してしまうから、より若いピチピチとしたやつと付き合っていった方がいいのかなという風に思います」

写真協力:kuniaki.plus

5Gのワーケーション基地

※では最後に、今後のプロジェクトについて、教えてください。

「今ね、鴨川じゃないんだけれども、山口県の周防大島町っていうところに、無人島があるところですね、そこの島に廃校ができたんですね。4月で廃校になったいい小学校があったんですけど、そこを町と協力してですね、ワーケーションのスモールオフィスにしようということで、今取り組み始めています。
 これだけ長いこと生きていると色んな人のご縁があって、産業総合研究所というところで開発された28ギガヘルツの5Gの電波が使えるワーケーション基地というのを作ろうということで、今もうバリバリやっているんですよ! 

 東京で仕事するよりも20倍、30倍早くサクサクと、しかも大容量で低遅延の電波を使った仕事ができるっていうワーケーション・ステーション。“5Gワーケーション瀬戸”っていうのを今、学校を改造して15部屋作るので進んでいるんです。だから自分の人生の中で、今いちばん世の中に爪痕を残しそうな事業ですよね(笑)。赤トンボの歌を歌った人っていうだけではなくて、本物の5Gを日本に広めた人だということで。

 来年の今頃はしょぼくれているかもしれませんが(笑)、今は本物の5Gを地方からインフラとして整備することによって、色んな人が東京とか大阪とか大都市に集中せずに、過疎と言われる地方にどんどん出て行ってですね、そこで東京以上の仕事ができるっていうのを、これが過疎と過密のアンバランスを、都市と地方の格差を是正するのにいちばんいい方法だと思いますんでね。これを今、国の方とか、県の方とか、町の方とか町長さんとか、みんなと話し合って、結構進んできました」

●え〜! すごい! 

「去年のユーチューバーになるぞ、以上のチャレンジですんで、これは鴨川のキャンプ場にもそういう電波を設置してですね、都市で働くよりもそういうアウトドアのところで働きながら、実は都会でやるよりも何十倍も効率よく大容量で高速で仕事ができるという、そういうスペースを今全国に作ろうとし始めています」

●自然を感じながら仕事ができるのはすごくいいですね。

「そうですね。自然の中でちゃんと仕事ができるっていうのは、俺はいちばんいいなと思うんですが、日本人ってバケーションだけで一週間くらいどっかに行くと、帰ったらデスクなくなってんじゃねーかと思って、だんだん落ち着かなくなるんですね。
 バケーションしながら午前中サクサクっと仕事して、午後は漁師さんの手伝いをしたりするような、そういうワーケーション・スタイルがこれから主流になってくるに違いないと私は読んでいましてですね、この5Gのインフラ作りに全身全霊をかけておりますので、これちょっと言ったもん勝ちなんで言いますけど、ぜひ覚えといてください! 来年の今頃はどうなっているか」

●次回の定点観測、楽しみにしています!

「はい、これは日本で本当にすごいイノベーションと言いますか、すごい改革が起こると思いますから、やりますよ」


INFORMATION

 千葉県鴨川での活動についてはぜひYouTubeの「くにあきの自然暮らしチャンネル」をご登録いただき、じっくり見ていただければと思います。いろんなハプニングもあって、面白いですよ〜! 

◎「くにあきの自然暮らしチャンネル」https://www.youtube.com/channel/UCOChtMFwUIwohlW-bNA8UBg

 また、清水さんプロデュースの、河口湖にある自然体験施設「森と湖の楽園」、瀬戸内海の無人島「ありが島」、そして清水さんの近況についてはそれぞれのオフィシャルサイトを見てください。

◎森と湖の楽園HP:http://www.workshopresort.com

◎ありが島HP:http://arigatou-island.jp

◎クニアキドットプラスHP:https://kuniaki.plus/

注目の新世代ハイブリッドバンドSPiCYSOL〜ヴォーカルKENNYさんとサーフィン&キャンプ談義〜

2021/4/18 UP!

 今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、シティとサーフが融合する新世代ハイブリッド・バンド「SPiCYSOL(スパイシーソル)」のヴォーカルKENNY(ケニー)さんです。

 今月メジャーデビューを果たした注目のバンド「SPiCYSOL」、実はサーフィンやキャンプが大好きな、アウトドア派のメンバーが揃っているということで、番組にお迎えすることになりました。

 ザ・サーフ・ビート・ミュージックを掲げ、ロックやレゲエ、R&Bなど、いろいろなジャンルの要素がマッシュアップしたサウンドとメロウな歌声が聴く人の心をとらえ、人気を博している「SPiCYSOL」。メンバーはギターのAKUN(アクン)さん、ヴォーカルのKENNYさん、トランペットのPETE(ピート)さん、そしてドラムのKAZUMA(カズマ)さんの4人。

SPiCYSOL
KENNYさん

 KENNYさんは2019年に恋愛リアリティ番組に出演、また、バンドのCDジャケットのデザインを担当していて、アート作品を展示する個展を開催するなど、幅広く活動されています。

 きょうはバンドを代表してKENNYさんに、サーフィンやキャンプ、そして音楽への想いなどうかがいます。

ジャック・ジョンソンに憧れて

※それでは、KENNYさんにお話をうかがいましょう。今回のメジャーデビューEPでもジャケットのアートワークを手掛けたんですよね?

「そうですね。僕、絵が好きで、絵を描くのが好きで描かせてもらいました」

『ONE-EP』

●透明なブルーの海の中を大きな白いクジラが泳いでいて、海面から太陽の光が降り注いで、クジラの後ろには数字の1が遺跡のように立っているといったアートですけれども。

「ご説明ありがとうございます。めちゃめちゃ詳細(笑)」

●このアートにはどんな思いが込められているんですか? 

「そうですね。思いを込めたっていうよりかは、メジャーデビュー1作目、やっぱり新たな一歩っていうことだし、今まで応援してきてくれた人たちもひとつになって、これから進んでいきたいなということで、そこをイメージして、降ってきたものを描いたって感じですね」

●へ〜! クジラお好きなんですか? 

「クジラが超好きってわけではないんですけど(笑)、環境のこととかも僕らの音楽性とは切っても切り離せない気がしたのと、サーフミュージックからインスパイアされているところもあるので、海の生き物で絶滅危惧種ってところで、今回シロナガスクジラなんですけど、モチーフにしてみました」

●本当にSPiCYSOLさんの音楽って海や空をすごく感じられて、ミュージックビデオにも美しい海が多く出てきますけど、やはり海、お好きなんですか? 

「海好きですね。僕が影響を受けたアーティストが、ジャック・ジョンソンで、2000年代前半のサーフミュージック、アコースティックなサウンドのサーフミュージックを奏でていたミュージシャンたちから影響を受けたんですけど、彼らが調べるとだいたいサーフィンをやっているんですよね。

 それか、元々プロサーファーで音楽を始めたみたいな方が多くて、僕はサーフミュージックから、音楽から入ったんですけど、じゃあ彼らのやっているサーフィンってどんなものなんだろうと思ってやってみたら、やっぱりハマったというところから、海、好きですね」

裸足で地球と交わるスポーツ

KENNYさん

※どの辺のサーフスポットでサーフィンを楽しんでいるんですか?

「千葉だと片貝漁港という、片貝ってポイントがあって、そこをよく、それこそベイエフエムのDJ TSUYOSHIさんとかと行かせてもらったりしています」

●へ〜! そうなんですね! サーフィンの魅力って何ですか? 

「大人になると裸足で地球と交わることってないじゃないですか? だいたいアスファルトがあるし、家とかマンションに住んでいたら、なかなか地球と直接繋がるとかは少ない気がしています。

 サーフィンはやっぱり身体全体で味わい、地球の鼓動というか、地球を感じられるなって思うのがいいのと、あとは少しゾーンに入れるというか、無になれる状態がとても多いスポーツで、待っている時間も多いスポーツなので、その時に普段の悩みだったり、イライラしてたものが溶けたりとか、そういう心地よさが魅力だと思いますね」

●ジャック・ジョンソンに憧れてという話もありましたけれども、初めてサーフィンをされた時はどんな感じだったんですか? 

「いやー全く上手くいかなくて、波にのまれまくって。でも、ものすごく憧れていたので、それでも気持ちいいみたいな、どんだけのまれても気持ちいいなと思って、ようやく出来たっていう気持ちが大きかったですね」

●KENNYさんは北海道出身でいらっしゃいますよね? 

「そうなんですよ。だから南への憧れがもうすごくて」

●そうか、もう憧れっていう存在になるんですね。

「なかなか北海道はサーフィン文化がちょっと薄かったりするので、憧れていましたね」

●実際、海を感じていかがでしたか? 

「何か、これでようやく俺も彼らの仲間を入りしたか! みたいなちょっと大きい気持ちになっていましたけど、海の大きさおかげですね」

●どんなことを考えながら海にいるんですか?

「いや〜もう無心で、ただサーフィンを上手くなりたいって思ってやっているだけなんですけど。でもきっと、何事も集中するとゾーンに入るみたいな、よく言うじゃないですか? それがたまに起きて、悩んでいた歌詞の部分がぽっと出てきたりはたまにありますね。

 あと僕が好きなのは、結構波待ちの時間に、地元のローカルの方とか、横って言っても2〜3メートルぐらい隣なんですけど、横の方が話しかけてきてくれたりして、そのゆるいコミュニケーションみたいなのが好きですね」

●KENNYさんはサーフィンされてどれぐらいになるんですか? 

「恥ずかしいんですけど、歴だけ長くて10年ぐらいやっていますね」

●おお! すごい! 

「歴だけです。実力はもう本当にペーペー中のペーペーで」

●でもやっぱり海のパワーを感じたりとか癒されたりっていうのは、曲にも影響がありそうですね。

「僕自身がそれで影響を受けたひとりでもあるので。ジャック・ジョンソンだったりのサウンドからも。僕もそんな感じで同じように伝えられたらいいなと思っています」

キャンプ時間、自然音でリラックス

KENNYさん

※メンバーたちと一緒にキャンプも楽しんでいるそうですが、どの辺でキャンプしているんですか?

「最近だと和歌山のアウトドアショップOrangeっていうお店があって、そこが運営してらっしゃる和歌山のキャンプ場ですね。ちょっとポイント名は忘れちゃったんですけど、そこにみんなで、バンドメンバーと和歌山のお友達と行きましたね」

●サーフィンをするための海辺のキャンプっていうことなんですか? 

「あ、そこは山でした。でもサーフィンしにキャンプに行くときもあって、AKUNと一緒に行った宮崎とかは、日向という場所で、サーフショップの隣にテントを張らせてもらってキャンプしたりしましたね」

●AKUNさんはバーベキュー検定の中級の資格もお持ちだということで。

「焼かせたらうるさいんですよ(笑)」

●キャンプの食事はAKUNさんの担当っていう感じなんですか? 

「そうですね。結構担当してくれますね。そして本当にムカつくぐらいおいしいですよね(笑)」

●いいですね!(笑)

「いい特技だなと思います」

●みんなでワイワイお酒を飲みながらとか、ご飯を食べながらとか、いろんな話もしながらするんですか? 

「やっぱり普段、居酒屋で飲んでる時には喋らないような熱い話とかたまにしたりしますよね。その瞬間に流れている時間が、車の音もなく、自然の音がたくさん聴こえながら、耳もリラックスしながら喋るっていうのが好きなんですよね」

●やっぱり自然の中に身を置くっていうのは、皆さんの音楽に色んな影響もありそうですよね。

「そうですね。すごくインスパイアされる部分でかいです」

シボレーのバンで音楽の旅へ

※去年からコロナの影響で、今までとはまったく違った日常になりました。そんな中でバンドとして車を買ったそうですね?

「なかなかライヴができない状況だったので、だったらキャンプがてら、ライヴをしてもいい場所に自分たちから行っちゃえば面白くないかってことで、みんなでシボレーのバンを買ったんですけど、今改造中です」

●楽器を積んでツアーに出るためっていうことですか? 

「そうですね。僕の憧れた昔のミュージシャンって自分たちでバスとかで、結構海外のアーティストが多いですけど、そういう旅をしているイメージがあって、それに憧れたところもあったので、やってみたいなと思っていますね」

●どんなふうにされているんですか? 

「バンライフとかってご存知ですか? 海外でバンを、内装を全部木張りとかにして、その車自体をキャンピングカーみたいな住める状態にしているのをお手本にしたりしますね」

VANカスタム

●その技術というか、そういったものをどうやって学んだんですか? 

「全然まだ学んでいなくて、YouTubeで見よう見まねでやっているって感じですね」

●楽しそうですね! 自分たちでやるっていうのは。

「はい、やっぱり面白いですね」

●車に名前も付けたんですよね? 

「実はまだ正式な名前が決まっていなくて、みんなふざけて呼んだりしているんで、“スパソル号”が落ち着いちゃっているんですけど、僕はそれまだ納得いってないです(笑)」

●認めてないんですね(笑)

「もうちょっと何かいい名前にしたいなって」

●具体的に車でツアーに出る予定っていうのはあるんですか? 

「確定しているのはないですね。でも2か月ほど前の、東京、名古屋、大阪のツアーは一緒にそのバンで行きました」

●車で向かう音楽の旅っていうのも楽しそうですね。

「本当、映画のワンシーンみたいな感じで、そこから聴こえてくる音もすごくあるなって思いながら旅していましたね」

過去最大規模のライヴ!

※毎年恒例の「波MACHI」ライヴは今年も開催されますか?

「はい! 開催予定です! 7月3日に」

●言える範囲でいいんですけど、どんな感じのライヴになりそうですか? 

「Zepp DiverCityという会場で、僕ら的には一応、過去最大規模というか、一番大きいところでやるので、今までスペースが足りなくてできなかったこととかを詰め込んでみたいなと思っています」

●お客さんを入れてのライヴってことですよね? 

「今のところ、一応その予定で進めています」

photo by ハヤシサトル
photo by ハヤシサトル

●楽しみですね! SPiCYSOLの音楽を通して、改めてリスナーの皆さんにどんなことを伝えていきたいですか? 

「僕らの音楽を聴いて、僕らの音楽スタイルがバンドなんですけど、やっぱりメロウな心地よいサウンドを心がけて作ったりしていて、何かこう反骨心とは真逆の、みんなの生活に寄り添える音になればいいなと思って、作って奏でているので、是非ライヴも遊びに来てほしいですし、日常で僕らの音をかけて、ストレスフリーな毎日を送ってもらえたらなと思います!」


INFORMATION

『ONE-EP』

 SPiCYSOLのメジャー1stデジタルEP『ONE-EP』には、「ONLY ONE」「From the C」「NAISYO」の全3曲収録されています。どの曲もスパイシーソルらしくてグッド・ソング! KENNYさんのヴォーカルに爽やかさと男の色気も感じます。KENNYさんが手がけたジャケットのアートワークにも注目ですよ。詳しくはワーナーミュージックジャパンのオフィシャルサイトを見てください。

https://wmg.jp/spicysol/

photo by ハヤシサトル
photo by ハヤシサトル

 毎年恒例の自主企画「波の日」に行なう波MACHIライヴは、7月3日(土)にZepp Diver Cityで開催される予定です。SPiCYSOLの近況や情報など含め、詳しくはSPiCYSOLのオフィシャルサイトをご覧ください。

◎SPiCYSOLオフィシャルサイトHP:https://spicysol.com/

シボレーのバンを改造している動画はYouTubeで、どうぞ!
https://www.youtube.com/playlist?list=PL1fdL9QNpH9niv455k2-Dony7JUqjK9mQ

父と息子の親子旅20年〜旅が育んだ親と子の成長物語〜

2021/4/11 UP!

 今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストはバックパッカー、そして紀行作家の「シェルパ斉藤」さんです。

 斉藤さんは1961年、長野県生まれ。本名は「斉藤政喜(まさき)」さん、学生時代に中国の大河、揚子江をゴムボートで下ったことがきっかけで、フリーランスの物書きになり、1990年に作家デビュー。現在もアウトドア雑誌「BE-PAL」でバックパッキングや自転車など、自由な旅の連載を30年以上続けています。また、1995年に八ヶ岳山麓に移住。自分で建てたログハウスで自然暮らしを楽しんでいらっしゃいます。

 斉藤さんは、実は20年以上にわたって、息子さんの成長の節目にふたりで旅をしていたんです。そんな斉藤さんの新しい本が『シェルパ斉藤の親子旅20年物語』。長男の「一歩」くんが、6歳から27歳までの成長の節目に、親子ふたりで旅をしたときの紀行文をまとめた一冊なんです。 きょうは、お父さんと息子さんのハートウォーミングな「親子旅」についてうかがいます。

☆写真協力:シェルパ斉藤

シェルパ斉藤さん

6歳の息子とバックパッキングの旅

※斉藤さんが一歩くんと旅に出たのは、その1年前に奥様が一歩くんと電車を使って日本全国を回る旅をしたので、「次は僕の番でしょ」ということで、一歩くんが小学生になる直前、6歳の時に八ヶ岳山麓の自宅から四国や関西を巡る旅に出発したんです。

 電車や船に乗ったりヒッチハイクをしたりと、最初からバラエティーに富んだ旅になりましたね?

「割とね、僕は普通に旅をしたつもりなんですよ。だからヒッチハイクは正直しようと思っていたわけじゃなくて。息子との旅ってことで僕なりにちょっと気を遣って、何せ体力もないだろうから。かみさんからアドバイスを受けて、一歩が途中で嫌になったら困るからって思いもありましたね。

 あの子は電車が好きだったんですよね。だから旅に行く時も最初は嫌だって言っていたんですけど、電車に乗っけてあげるよって言ったら、じゃあ行くって話になったんです。だから色んな電車に乗ったり、宿に泊まったり、遊園地も行ったりとかっていう風にしていたんですけど、旅先からかみさんに電話して、こんなことこういう風にしているよ〜って言ったら“それじゃ〜私(の旅)と変わんないじゃない”って言われて。

 自分でもこんなことしていていいのかなって思いもちょっとあったので、“あんたバックパッカーのくせに私の旅と変わんないじゃない”って言われて、それでスイッチが入りましたね。
 その時は歩く旅のスタイルじゃなくて、服装も何も持ってなかったから、帰りはヒッチハイクしようかと思って、名古屋の先あたりから家までヒッチハイクしようってことにして、それでやったのがだんだん自分なりに面白くなってきちゃったんですね。要するに普段ヒッチハイクはちょこちょこずっとしていたんですけど、6歳の子とヒッチハイクするなんて経験なかったし。それとね、やっぱり成功率高いんですよ」

●あ、お子さんがいらっしゃると!?

「そう、子供がいると、あんた一人じゃ止まらないけど、こんなに小っちゃな子が頑張ってんだから止まらないわけいかないでしょっていうおばさんが結構いたりとかして、そこそこそれで自信つけたんですよね。
 それでその旅が終わった後に、小学校に上がる前に、ちゃんと・・・僕は荷物を背負ってフィールドを歩くバックパッキングって旅のスタイルをずっと書いている人間ですし、そういう旅をずっとやっている人間だから、それを一歩と小学校に上がる前にやろうって決めて、歩く旅の要素や環境が整っている熊野古道を歩こうと思ったんですよ」

写真協力:シェルパ斉藤

●バックパッキングの旅ですよね!? 荷物を背負って歩く旅っていうのは一歩くんにとってどうだったんでしょう? 楽しんでいたように本を読みながら感じましたけど。

「それは最初の旅の時もそうだったんだけど、かみさんと一歩との初めての旅をどうするかっていう時に、とりあえず一歩のペースに合わせるってことと、自分の荷物は自分で持つっていうことは守らせようって話をしたんですよね。
 それでちゃんと自分のことは自分でやるんだっていう自覚を、まだ小学校に上がる前だったんだけれども、そういう自覚を持たせることが大事かな。その旅も自分で歩いて前へ進んで行くんだぞっていうのを、まだ未就学の子だったけれども、そうするとやる気が起きるんじゃないかという思いもありましたね」

●やはり旅をする父親の背中を息子さんに見せたいなという気持ちもあったんですか? 

「そんな立派なのじゃないけども、ただ父親はこれだけのものを持っているんだぞっていうのは伝わるんじゃないかなっていう・・・要するに二人分の食料とか、それから当然寝床、テントとかそういうのを全て持って歩くわけなので、僕が背負っている荷物大きいんですよ、それを見せる。しかも衣食住どこでも寝泊りできる道具を自分で背負って歩けるんだっていうことを、伝えたいっていうか見せたかったのはちょっとあったかもしれないですね」

息子の成長、親の葛藤

※斉藤さんは一歩くんが小学6年生の時に九州縦断自転車ツーリング、中学2年生のときに、親子での初めての登山、高校2年で50ccバイクでの信州ツーリング、そして23歳のときに、東北の「みちのく潮風トレイル」をトレッキングと親子ふたりでいろいろなスタイルの旅をされてきました。振り返ってみて、いまどんな想いがありますか。

『シェルパ斉藤の親子旅20年物語』

「この本の原稿って後から思い出して書いているんじゃなくて、その旅を終えた時に書いているんですよ。だから考え方も、今こんなんじゃないな、あの時はこんなこと考えていたのかっていうのが自分でも新鮮な部分もありましたね。
 だからやっぱり最初は原稿を自分でも読み返して、なんか嫌な大人だなって思う部分もちょっとあったりとかして・・・例えば中学生の頃に山に登った時なんかも“ほら、自分の足で汗かいて山に登るといいだろう?”っていうのを、何か感動を押し付けている部分もちょっと(笑)。

 だからいちいち口にしたくないけど、それに対して一歩は“うん”ぐらいしか反応がないんです。あんまり自分でこんなことを口にしたくないんだけど、それを口にしている自分が嫌になったりとか。でも本当こいつ分かっているのかなとかそんなことを考えながら、気を遣っていたっていうよりも、何か完全に上から目線で“山ってこんなにいいんだぞ”っていうのを伝えたくて仕方なかったっていうのが中学、高校くらいまでかな。

 でも23歳の時(の旅)はもう完全な、実際20歳になったらもう大人だと思っていたので、その頃から関係が変わってきましたね。もう普通の1対1の旅人的な感じで」

●ひらがなを読めて喜んでいた一歩くんがこんなに大きくなったんだっていうのを、この本を読みながらすごく感じました! 

「最初そうですよね〜、高松のうどん屋に入って、そば食いたいなんて言うから、そばなんかあるかって言ったら、“ざ・る・そ・ば”ってひらがなを読んで喜んでいたくらいですから、やっぱり色々と感じますね」

●同じ男性としてやはり息子さんには厳しく言いたいっていうのが、父親のイメージでありますけれども、その点はいかがでしたか? 

「最初ですね、いちばん初めの6歳の時なんかは、もう本当にあいつに何でもしてあげようっていう、あげようだったんですよ。小学生になってくると、特に高学年、あの時は6年生くらいだったので、自分で何でもやりたがる歳だったんですね。それを僕はちゃんと受け入れられなかった部分もあって“何、生意気言ってんだ”というそのアンバランスさがね。

 彼は彼で背伸びしたい、しかも当時から大人と結構付き合っていましたから、自分はできるんだって部分と、僕は父親としてまだまだお前なんか甘いっていう部分で、そのバランスがね。小学生の時の九州ツーリングはいちばん自分でも(それを)感じて、自分の未熟さも感じたし、それからあいつの背伸びしたがるのをもっと受け入れる時だったんじゃないかって反省もすごくありましたね」

ヒッチハイク、正直かなわない!?

写真協力:シェルパ斉藤

※いろいろな親子旅を通して、一歩くんの成長もそうですが、斉藤さんご自身も成長したと感じたりしましたか?

「そうですね。それぞれの時代に旅をしたっていうのがやっぱりよかったな、しかも全部同じ旅じゃなかったっていうのもね。自分の中で振り返っていくと、どんどん付き合い方が変わっていくし、自分の旅のスタイルをちょっと変えているんじゃないかなって気もしますね」

●例えばどんな風に変わっていくんですか? 

「どんどん信頼していく。例えば陸奥の(旅の)時もそうだけれども、全部僕がやるとかじゃなくて、だんだんあいつに決めさせていく部分もちょっと増えていくんですよ。その時はある地点に車を置いて歩き始めて、じゃあ車を取りに行こうかっていう時に、ヒッチハイクで頼むよって言うと、じゃあ僕行ってくるって言ってヒッチハイクして、車もちゃんと運転して帰ってくる。

 で、一回、道を間違えたこともあるんですよ。“一歩、この道であっているか?”って言ったら、“いや、違うと思うから戻った方がいいよ”って対等に言ってくれるようになって、その辺は自分でも今振り返って、ちゃんと成長しているんだ、それは一歩も成長しているけど、僕も対等にちゃんと耳を傾けるようになっているなっていうのを、(一歩が)23歳ぐらいの時に感じましたね」

●一歩くんとの成長と共に、シェルパ斉藤さんのライバル意識もちょっと感じました(笑)。

「いや、ライバル意識っていうかね、正直かなわないんですよ(笑)。特にヒッチハイクの時に書いたんですけれども、その当時、僕は55〜56歳だったのかな。もういい歳したおっさんだけど、未だにヒッチハイクしているんですよ。自分一人だとなかなか(車が)止まらないんですよね。ところがあいつがやると3分くらいで止まっちゃうんですよ。

 だからあの時は本当に思いましたよね。やっぱり人生の中で可愛がられる年齢って絶対あるんだなって。自分を振り返っても22〜23歳の頃なんて言ったら、どこを旅しても何か皆に可愛がられたなって印象があって、だからそういう時に旅しないと本当に人生損すんじゃないかなって思ったくらいですね。何でこんなにこいつヒッチハイクが上手いんだっていうのは羨ましかったですね」

自分の子供じゃない感覚!?

※きょうは斉藤さんの新しい本、長男一歩くんとのふたり旅の紀行文をまとめた本『シェルパ斉藤の親子旅20年物語』にそってお話をうかがっていますが、最終章がとても感動的でした。どんな旅だったのか、ごく簡潔に説明していただけますか。

写真協力:シェルパ斉藤

「そもそもシェルパ斉藤って名前は・・・30年以上前に自転車でネパールを旅したんですよね。その旅の終わり、最後はどうしようかって時に、旅の終わりを選ぶなら、もう道の終わりまで行こうと。で、道の終わりは何かって言ったらそれはエベレスト、この先はもう登山しかない、普通に行ける最後はエベレストのベースキャンプじゃないか。で、そこまで自転車で行ったんですよ。

 (日本に)帰ってきたら、BE-PALで今も連載やっていますけれども、そこで歩く旅の連載をしないかと言われて、それでシェルパ族の故郷から帰ってきたばっかりだし、読者を歩く旅に誘うわけだから、ガイドするわけだから、登山のガイドとして定着しているシェルパっていう名前を付けられたんですよね。

 で、シェルパ斉藤っていう名前になったんですけど、そのシェルパ斉藤として(連載記事を)書き出してちょうど30年目に、30年企画で何か面白いことやろうよって話になった時に、やっぱり原点だな、自分の原点としてもう一回ネパール行きたいな、ネパールを旅したいな。で、気づいたのがですね、15〜16年前かな、一回世界のトレイルをあちこち歩いた時に、ネパールではアンナプルナってところに行ったんですね。

 結構ぐるっと周るサーキットですけど、当時そこいいな、もう1回行きたいなと思っていたんですけどね。そこにモータリゼーションでだんだん道路ができていて、一応未舗装のダートなんですけど、道路が今通じていると。だったら自転車で行けるんじゃないかな。昔30年前、自転車でずっとエベレストのベースキャンプまでかついで行ったんですけど、普通に走れるんじゃないかな、そこ行こうよ、よし行こうと思って決めて、その夏休みかな、息子が当時もう就職していたんですけど、(家に)帰ってきていたんですよ。

 その時に“今度お父さんネパールに行くんだ、いいだろ? お前も行くか?”ってふらっと言ったら“行く”って言ったんですよ。“本当か? 交通費くらい出してやるけど本当に行く?”って言ったら“行く”って。
 一歩はモンベルってアウトドアのメーカーで働き始めていて、アウトドアに関しては理解がある会社だから、多分10日くらい休めるよって話になって、じゃあ行こうか! ってことで、懐かしのネパールに息子と二人でマウンテンバイクで、さらにムクティナートっていう聖地があるんですよ、そこを目指す旅に出かけたのが2年前ですね。2019年です」

●やはり一人で行くのとはまた全然違いますよね、親子旅で。

「今回に関しては親子旅って言うよりも、何かもうパートナーとして行く、気の合うパートナーっていうか、信頼できるパートナーと行くっていう感じが近かったかな。で、やっぱりいちばん鮮明に覚えている旅っていうか、いちばん近い旅なので思ったんですけど、その時に感じたのは、この子は自分の子供だけど自分の子供じゃないんだっていうのを強く感じたんですよね」

●と言うと? 

「例えば旅先で、僕は30年前に自転車でずっとアジアを放浪して、最後ネパールに行ったりとかしていたんですけど、自転車が何かおかしくなっちゃったら、もう旅はおしまいなので、出来るだけ大事にしていたんですよね。地域の人が自転車を触ろうとしたらダメ! みたいな感じで断っていたんだけど、あいつは1日走り終えて、近所の子供たちが来たら自ら遊びに行くんですよ。
 一緒にバレーボールしたり、自分の乗っている自転車に乗ってみる? みたいな話とかして乗らせたりして、キャッキャと遊んでいるんですよね。僕はその間1日走り終えた自転車のメンテナンスとかしているんだけど、一歩はずっと遊んでいるんですよ、近所の子供たちと。

 これは僕の子だけど、半分はやっぱり子供が大好きなかみさんの血が入っているんだっていうことを、その時つくづく感じて。だからこいつは僕の要素もあるけど、かみさんの要素をちゃんと持って成長しているんだなと思ったら、より人間として1対1で、僕の要素も持っている、違う別の旅人、別の人間として、自覚を僕が持てたって感じですね」

写真協力:シェルパ斉藤

全力で楽しむ!

※一歩くんもこの時の、ネパールの旅の紀行文を書いています。そこに父親に対する気持ちも書かれていて読んだ時、じ〜んと来ました。

●斉藤さんどうでした? 読まれた時。

「やっぱ嬉しかったですね。こうだったんだな、確かに僕がこう意識していた部分もちゃんと原稿に書いていて。例えばそれは、基本的にいろんなトラブルが起きるんですよ。トラブルが起きることに対して、僕は経験者だし、いろんな旅のノウハウもあるから、だったらこうしたらどうだ? っていう色々選択肢を出すんですね。こういう方法もある、こういう方法もある。で、どうする? っていう最終決定は一歩にさせようと思っていたんですよね。

 それをやっぱりあいつも感じていたらしくて、いつも何かがあると色々とすかさず答えを出す。答えじゃなくても選択肢を見つけて来るのは、解決方法を見つけてくるのは僕であって、決定権は僕(一歩)にあるっていうのがよかったと書いてくれて、それはちょっと嬉しかったですね」

●やっぱり旅好きに一歩くんも育ってますけれども、一人旅を好む青年になっていますよね? 

「時間があれば、モンベルって会社にいるもんですから、しょっちゅうアウトドアに行ってますね。つい先週も行ったみたいですし」

●会社員となって30代目前の一歩くんにどんな言葉を贈りたいですか? 

「もう好きにすればっていう感じですね(笑)。僕今回、後書きで最後のところに、夢は孫連れバックパッカーなんて書いたんだけど、それは本人にとってすごくプレッシャーになっちゃうし、そういうのは、今しゃべっておきながら言うのもなんだけど、それは絶対やめようと。考えたら、僕が30歳の時なんか本当に好きにやっていましたもんね、そう思いますね」

●いつか三世代で旅できたらいいですね! 

「と思って言っちゃうとプレッシャーになるから言わないです!(笑)心の中でそう思っているというか、三世代にはならないようにしましょう! それぞれ好きにしましょう! ということかな(笑)」

●息子さんを連れて旅に出たいと思っている世の中のお父様方に、アドバイスを送るとしたらどんなことがありますか? 

「最初僕もそうだったんですけど、子供のことを考えてとか、こうすれば子供にいいんじゃないかって考えていたんですけど、それも大事ですけどね、常に全力で遊ぶこと、ということかな。自分を振り返って割と全力で楽しんでいた気がします。

 子供のためっていうよりも、自分が楽しかったから全力で頑張って、特に体力を使う旅が多かったから、汗を流して全力でやっていましたね。で、結局ね、子供の楽しみって何かって言ったら、父親が全力で喜んでいることじゃないかな〜。その姿を見たら多分子供も喜ぶんじゃないかなと思うので、子供というか息子、娘に限らず、遊ぶ時は全力で遊びましょうよっていうことがアドバイスになるかな・・・」

●確かに親の、全力で楽しんでいる姿は嬉しいです、子供として。

「やっぱ楽しいですよね。楽しいことを楽しくやる、素直にいればいいんじゃないですかね」

※この他のシェルパ斉藤さんのトークもご覧下さい


INFORMATION

シェルパ斉藤の親子旅20年物語』

『シェルパ斉藤の親子旅20年物語』

 息子さん一歩くんの、旅を重ねるごとにたくましく成長していく姿と同時に、斉藤さんの、一歩くんを見る目が変わっていくのもよくわかります。微笑ましく読めるハートウォーミングな親子旅、子育て中のパパやママにも読んで欲しい一冊です。産業編集センターから絶賛発売中です。詳しくは出版社のホームページを見てください。

◎産業編集センターHP:https://www.shc.co.jp/book/14478

 「シェルパ斉藤」さんの近況についてはオフィシャルサイトをご覧ください。

◎シェルパ斉藤オフィシャルサイト:https://team-sherpa.wixsite.com/sherpa

1 16 17 18 19 20 21 22 23 24 26
サイトTOPへ戻る
WHAT’s NEW
  • バレンタインデー直前! エクアドル産の希少なアリバカカオ「森と生きるチョコレート」!

     今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンは、シリーズ「SDGs〜私たちの未来」の第24弾! 「SDGs=持続可能な開発目標」の中から、「貧困をなくそう」「働きがいも経済成長も」「人や国の不平等……

    2025/2/9
  • オンエア・ソング 2月9日(日)

    オープニング・テーマ曲「KEEPERS OF THE FLAME / CRAIG CHAQUICO」 M1. SUGAR / MAROON5M2. I WANT IT THAT WAY / ……

    2025/2/9
  • 今後の放送予定

    2月16日 ゲスト:植物観察家「鈴木純(すずき・じゅん)」さん  冬の植物観察のすすめ! 春をじ〜っと待っている、葉っぱや花の赤ちゃん「冬芽(ふゆめ)」に注目! よ〜く見ると可愛くて個性……

    2025/2/9
  • イベント&ゲスト最新情報

    <mamano chocolate(ママノチョコレート)情報> 2025年2月9日放送  「ママノチョコレート」では、エクアドルのカカオ農園と日本をオンラインでつないで、月一回程度、どな……

    2025/2/9