2020/10/30 UP!
今回の取材は野田市です。
皆さんご存知のように、野田は「醤油」製造で大変栄えた町です。
数多くの醸造所が江戸時代からあり、多かった時代にはその数は数百ともいわれています。
歴史を紐解くと、明治20年ごろに野田醤油醸造組合が結成されて、
地元の醤油名家である茂木一族と高梨一族の8家が集合して
「野田醤油株式会社」が設立されます。
この時に野田の醤油醸造業者の多くがこれに参加しました。
こうしてできた会社が、のちに「亀甲萬(キッコーマン)」となるんです。
この時合流しなかったキノエネ醤油は現在も独自に醤油を作り続けています。
野田市周辺は、第2次世界大戦の戦災を免れたため、醤油で財をなした多くの名家の屋敷や工場など古くからの町並みが現在も多く見られます。

その建物や、名家の歴史などをガイドして下さるのが、今回お話をきいた
「むらさきの里 野田ガイドの会」の皆さんです。
野田市市民会館を拠点に活動するガイドグループで、野田市内の史跡・施設・建物や街並み・自然等を、
野田を訪れた団体・個人のお客様と街を歩きながらガイドをしているボランティア団体です。

今回はメンバーの中島隆さんにお話を伺いました。ガイドの会は平成16年に行ったボランティアガイド養成講座を受けた有志が発足させた会でメンバーは33名。
中島さん以外にもメンバーのみなさんがいろいろお話をしてくださいました。
野田の街づくり、発展に大きく寄与しているのが現在のキッコーマンさん。
しょうゆ工場で必要な清潔な水。これを、一般市民用にも供給。興風会館という、今でいう地域文化センターホールのような文化施設も建立。


これは現存しており、見学することができます。また、従業員の福利厚生のために作られたキッコーマン病院も、現在は総合病院として一般に開放。
これら地元への還元、貢献は、キッコーマン創業家である茂木、高梨両家の家訓であったということなんですね。
地域住民の大事な交通手段でもある東武アーバンパークライン(野田線)も、野田の醸造所組合が県の債権、県債を多額に 購入していたということもあり、県に、いろいろとお願いをして建設されたようなんです。醤油パワーはすごいですね。


町のいたるところに、歴史的価値のある建物が見受けられます。
今では海外でも「キッコーマン」といえば醤油がでてくるという世界の調味料によって発展した町。
一つ一つの建物に物語があるようなので、ゆっくりと散策するときは、ぜひガイドの皆さんのお話とともに歩いてみてください。
むらさきの里 野田ガイドの会はこちらから。