2021/4/23 UP!
成田空港に近い芝山町を今回は取材です。
実は、千葉県は古墳の宝庫で、その数はおよそ1万3千基。全国第4位という多さなんです。3世紀中ごろから7世紀頃の古墳時代から千葉県あたりは河川や湖・沼などが多く水に恵まれていたので、豊かな豪族などが多かったそうです。中でも芝山町周辺は県内有数の古墳密集地なので、この地域で宅地開発などがあって古墳が出土すると、まずは調査が行われ、記録が作られるようになっています。しっかり記録した後で土地開発などが行われるので貴重な史料も残されているというわけです。

芝山町にある芝山町立芝山古墳・はにわ博物館(4月にリニューアルオープン)で学芸員の奥住淳お話を伺いました。

「芝山町は今でも100基ぐらいの古墳が残っていまして、昔は500ぐらいの古墳があったと思います。で、古墳には、ヒト形とか動物型とかはにわが昔に建てられていましたので、そういうのが多く発掘された発見された土地と言うことになります。古墳時代後期と呼ばれる時代で、およそ6世紀、1500年ぐらい前と思っていただければと思います。古墳は1個単独であるわけじゃなく、偉い人は、前方後円墳ていう古墳に葬られるんですけど、その家臣とか一族のような人たちも周りに今度は、小さな円墳とか作って群を作っているんですね。なので、あの古墳はまとまっていて、数が多くなってくるのと。 まあ、そういう人たちの古墳がどんどん集まってきて、あたかも今風にいえば霊園のような、そんな感じになっていったんだと思います。」
古墳密集地と言っても過言ではない数ですよね。
そもそも、芝山町地域の古墳発掘は、どのような経緯で始まったのでしょうか?
実は、昭和31年、博物館のすぐ隣に芝山仁王尊観音教寺という天台宗の古いお寺があり、そこに赴任された住職、浜田住職さんが、まだ20代の頃で、近くに古墳があるっていうことを知り、ちょうど千葉県でその頃いくつか古墳の発見とか発掘があったこともあり、自分も、近くであるので、掘ってみてはどうかということを考えて、知り合いのツテで、早稲田大学に来てもらって発掘したということのようです。 それで早稲田大学の学生さんだけでは人手が足りないので、地域住民の皆さんにも、回覧とか回して何月何日は何区とか、そういう動員をかけたという資料も残っているのだそうです。青年団とか婦人会の皆さんが発掘したら、埴輪が40数体一度に並んで出てきて、埴輪の配列どんな順番で並んでいたというのが貴重な考古学上の発見になって、ちょっと大騒ぎになったということがあったそうです。
取材時はまだリニューアルオープン前でしたが、中を拝見しました。


中には、私たちが普通教科書で見たイメージのはにわとはまた違うタイプの埴輪が多くありました。人の形の埴輪がなんだかとてもおしゃれなんです。下の写真の埴輪、ロン毛でカールしていて長い髭。

着ている服や、帽子、持ち物などが細かく再現されています。顔つきもちょっと渡来人のような感じもします。下の写真の埴輪は首飾りや右側の埴輪はイギリスの近衛兵のような帽子をかぶっています。鼻も高い!

そのほか、鶏や犬、鹿、猪、そして珍しい「魚の埴輪」も展示してあります。

この魚は鮭ではないだろうかと推測されているそうです。
学芸員の奥住さんのお話で、なるほどと思ったのが、埴輪の土台の部分。ほとんどの埴輪が足の部分の下に台のようなものが一緒に作られています。

これは、埴輪を地面に固定させるためのもので、地中に埋めておく部分、いわゆる基礎の部分です。ですから、その上の部分が地表に出ている。多少の雨風が吹いてもこれなら倒れません。出土して全体が見えていますが、実は、当時は3分の1は埋まっていたんですね。
芝山町では縄文時代の装束をきて街を歩く祭もあります、現在はコロナの影響でお休みとなっていますが、落ち着いたらまたやるそうです。顔に赤い今でいうペインティングデザインを施すのですが、この赤色を塗るというのも、出土した埴輪の顔の部分に赤色の顔料で塗られていたことがあったからなのだそうです。

売店ではいろいろなお土産も販売されていて、取材時目を引いたのは、埴輪のレプリカです。結構大きなものもありまして、迫力があります。博物館では、学芸員さんによる説明ツアーなども企画しているそうです。


はにわは、当時の生活を立体的にかたどった歴史的遺産です。人々の暮らし、集団行動、そして村のようなものができ、やがて国になっていく時代の文化も勉強することができる。そんな貴重な展示を見られるよりパワーアップした「芝山古墳はにわ博物館」。お近くに行かれた際は寄ってみてはいかがでしょうか?
芝山古墳・はにわ博物館 https://www.haniwakan.com/