2022/4/15 UP!
今回は、千葉県を代表するパワースポット、香取市にあります香取神宮の紹介です。

日本書紀に登場する武の神様「経津主大神(ふつぬしのおおかみ)」を祭る由緒ある神社ですね。香取神宮のシンボルともいえる朱塗りの楼門や、黒漆()を基調とした檜皮葺()の社殿が荘厳な雰囲気で特別感があるんです。

推定樹齢1000年といわれるご神木をはじめ、たくさんの巨木およそ12万3000 平方メートルの広大な境内に茂っていて歴史を感じる場所です。
香取神社は関東を中心に、全国におよそ400社あるんですが、今日ご紹介する香取神宮は、そのいわば、おおもと、総本社です。今回は、香取神宮の権禰宜・曽川昌大さんに、まずは香取神宮の始まりについてお話しいただきました。

曽川さん:香取神宮はですね、社伝によりますと約2600年前。神武天皇様、初代の天皇様の18年の御代に創始をされたと伝えておりまして、実際の資料等で確認できるところでも600年代には既にお祭りごとが行われている、神社として残っております。千葉県でいいますと北東部の方ですね、台地が広がる部分にございますが、古くはですね、現在、利根川や茨城県側に霞ヶ浦・北浦というものもございますが、これらがですね、すべて繋がるような形の内海「香取の海」と呼ばれる内海が広がっておりました。この南側に香取神宮、北側には茨城県の鹿島神宮様が御鎮座をされるというような地理的なところからスタートしているというのが、この香取神宮の始まりというふうに伝えられております。
この香取神宮がある場所を南側として、今の利根川、霞ヶ浦を含めた大きな内海の反対側、北側を鹿島神宮が護っていたということになるんです。
霞ヶ浦、北浦から、今の印旛沼あたりまでが大きな内海として繋がっていて、
当時の地図を重ねてみると、その出入り口の両岸に香取神宮と鹿島神宮があって、そこから、この2つの神宮の果たす役割がうかがえるそうです。
曽川さん:交通の要所、特に水上交通の要所として栄えるというところでございまして、これを監視じゃないですけれども、見える高台にそれぞれの両神宮が置かれておりまして、特に古代でいいますと、中央の部分というのは奈良ですとか、京都の方ねえ、西の方にございますが、その時代からすると、この関東・東北というのは東の果ての地でございます。そういった土地をですね、これから平定をしたり、開拓をしていくというところで、水上交通で海から来た人々が内陸へ入っていく中継地点となるのがこの香取の海、またこの香取の地ということでございました。やはりここを押さえるというところが、香取神宮のご創建に深く繋がったんだと思います。

ちなみに、明治時代より前までは神宮と呼ばれたのは、伊勢神宮、香取神宮、鹿島神宮の3つだけ。そして中世以降は、下総()の国の一宮()にもなりました。上総の国の一宮は現在も一宮町()という名前でお馴染み、駅で言うと上総一ノ宮の玉前()神社()がありますが、実は香取神宮は下総の国の一宮なんです。ご利益、ご神徳としては、家内安全、産業(農業・商工業)指導の神、海上守護、心願成就、縁結、安産の神として深く信仰されています。さらに、平和・外交の祖神 として、勝運、交通 安全、災難除けの神としても有名なんです。

さて、深い歴史があり、古くから重要な役割を担ってきた特別な神社「香取神宮」。この敷地内に「要石(かなめいし)」という不思議な石があるそうです。どんなものなのでしょうか?

曽川さん:一般的にも広く知られておりますが、要石と呼ばれる地震を抑えると呼ばれております石がございます。この地方、古くから地震が多い地方だったといわれておりまして、ナマズが地中におりまして、そのナマズが暴れる事で地震が起こると伝えられておりました。その地震を抑えるために香取の神様、またこれ鹿島神宮にも同じ要石があるんですが、両神宮で、その石を打ち込みまして、ナマズを抑えて国土を守っているという風に伝えられる霊石がございます。今科学が進んでいろんなことが分かります。病気の事ですとか、今もコロナウイルスの関係がありますが、そういった人々ではできないことを神様はなおしてくださったり、鎮めてくださったりする存在でもあると共に、そういったことを起こすのも神様だという風に伝えられていましたね。もうそれが文化というか 印象付けられて伝わっているものだと思いますね。

香取神宮と鹿島神宮に「対」で置かれているこの要石、見た目がバレーボールぐらいの大きさの石ですが、本当にナマズが下にいるのか?疑問だということで、時代劇でもお馴染みあの「水戸光圀公」がここを訪れた時、家来に、この石の下を掘らせ、七日七夜掘り続けても底が見える様子がなく、さすがの光圀公もあきらめて作業を中止したといわれているんです。香取神宮の丸い凸型の要石と鹿島神宮の凹型の要石。2つの石は地下深くでつながっているとも言われています。この2つの宮は江戸時代からパワースポットとして認知されていたんですね。 最後に、香取神宮のお祭りについて、曽川さんに伺いました。

曽川さん:普段神様っていうのはこういうお社ですとか、それぞれのお祀りされている場所に、お鎮まりになられているっていうのが基本なんですが、その神様が例えば一年ですとか、何年かに一回、外に出られてお神輿に移って頂いて外に出られて、氏子地域ですとか外に神様が出られるんですね。そういうお祭りが「神幸祭」とか、そういったものになりますね。当香取神宮はですね、古くより「舵取りの神」・・・「勝ち取りの神様」なんていう言い方もされますが・・物事を良い方向に舵を切ってくださる「舵取りの神様」、またご幸せですとか、良い物を「勝ち取ってくださる力強い神様」という風にも言われます。今、こういったコロナ禍の時代ではありますが、そういった、神様方・・・この香取の神様だけではなくて、ぜひ地域の神社にもお参りいただいて、見つめ直してご利益を頂ければよろしいのかと思っております。

香取神宮の神幸祭は、およそ800年前から伝わる祭事で、祭神の「経津主大神」が東国を平定した時の様子を模して、氏子が平安時代さながらの装束を着て練り歩くとても雅な雰囲気のお祭りなんだそうです。今年は4月14日、例祭が執り行われましたが、お神輿の方は残念ながらお休みということになりました。早く、その本来の姿を見てみたいですね。