三方を海に囲まれる房総半島に位置する千葉県。
首都圏からのアクセスもよく、
通勤圏でありながら海や里山の豊かな恵みをあわせもち、
自然とともにある生活を楽しめるエリアです。
そんな「千葉の魅力」を支えるさまざまな活動や
想いムーブメントなどにスポットを当て、
現地取材の声も通して「魅力あふれる千葉」をご紹介していきます。

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※「YOU 遊 チバ」は、ミンナノチカラ~CHIBA~と連動し週ごとにさまざまなテーマで千葉の魅力をお届けしているコーナーです。

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第149回 ランドマーク 日西墨三国交通発祥記念之碑

2023/5/12 UP!

今週はランドマークがテーマということで、日西墨三国交通発祥記念之碑についてご紹介していきます。日本、スペイン、メキシコの交流に「御宿」がどんなかかわりがあるのか御宿(まち)国際交流協会の会長 土屋武彌(つちやたけや)さんにお話を伺っています。まずは国際交流協会の活動についてうかがいました。

土屋さん:御宿町の町民が主体となって国際関係を発展させるということがありますもんですから、御宿町とほぼ一体となってやってる団体だと思います。中で「日西墨との交流」というのが、御宿の国際交流の柱になってるわけですね。1609年9月30日のドン・ロドリゴがいわゆる漂着をしたと云う出来事だろうと 思いますね。ビックリしたと思いますね。

1609年、関ヶ原の戦いが1600年ですから江戸時代の初期ですね。その頃に今のフィリピンのマニラから、当時イスパニア領であったメキシコのアカプルコに向かっていた船が、御宿の岩和田、現在の田尻(たじり)(はま)の沖で座礁してしまいます。そのとき浜に流れ着いた300人以上の人を御宿の人たちが救ったんです。当時の住人は300人ほど。決して豊かではなかった生活の中、初めて見る外国人。言葉もわからないし、怖いんじゃないかと思いますが、心やさしい岩和田の人々は、海の寒さに凍える彼らをあたため、着物や食料を 惜しみなく提供したそうです。

土屋さん:御宿村の村民たちが助けてくれなければどうなっていたかとかと。これは今、ロンドンの大英博物館にロドリゴの日本見聞録があるんですが、その中にも原文ですけど、それに書いてありますね・・・いうことには、自分たちはようやく日本に着いたけれども、どういうところがわからないとで、戦う武器も何もないとものも食べるものもないと。その中でどうやってこれから先ここで過ごすのかということを考えると、御宿町の村民の優しさがなければ到底これはしのげなかっただろうとロドリゴ自身が書いてありますので。日本の優しさと、いわゆる日本人の優しさとともに、その中でも御宿町の人たちがなかったらダメだったと言うことで、ロドリゴはいわゆる今流で言えば親日派になったんでしょうね。

御宿町のhpより

救助された後、彼らは御宿(いわ)和田(わだ)にあった大宮寺(おおみやでら)に37日間滞在したそうです。多数の家来を引き連れて彼らの元を訪れた大多喜城主の(ほん)多忠(だただ)(とも)は、ヨーロッパ式にロドリゴの手にキスをし、彼らを城に招き歓迎の(うたげ)を催したそうです。当時、フィリピンの臨時総督だったドン・ロドリゴは、のちに家康にまで拝謁したそうで、最終的には船を作ってもらいメキシコに帰っています。国交が大事とか、まだそういう知識のない中で、当時の御宿町の人たちは大きな働きをしたわけ ですね。

さて、会長の土屋さんは御宿に移住されてきた方なんです。その御宿に移住された経緯についても伺いました。

土屋さんは、大手電機メーカーを勤め上げ、リタイヤ後の第2の人生をのんびり過ごす場所を探していました。伊豆あたりが本命だったそうですが、なかなかいいところが見つからず諦めかけていたところに、ある運命的な電話がありました。

土屋さん:こちらの方の近くの不動産屋さんが「どうしても明日見てくれ」ってうんで家内と行ってみたんですね。きれいな海岸だったですよ。で、家内の方が納得しましたね。言った台詞が1~2分だったと思いますが「ここでいいんじゃないの?」って言ったんですよ。家の上にですね山がありまして、そこの上に塔が立ってたんです。これが一番最初の印象でしたね。それが「日西墨三国(交通)発祥記念碑」というのだったんですね。で調べてったら・・やることがないもんですから定年にもなって・・だから家内とお弁当作ってよく行ってたんですよ。そしたら今度400年記念だと言うこともありまして。で、地元の人はそんなにまだ知り合いがなくて。この期間、この400年のお手伝いぐらいできるかなと言うことが、御宿の人との一番最初の繋がりであったような感じがしますね。

偶然は重なるもので、視察に行った日にスペイン人たちが保護された大宮寺の跡地にたつ大宮神社で、お祭りをやっていた。さらに不動産屋さんに紹介されたのは村人たちが彼らを救い上げた岩和田の浜だった・・・ということで、ここまでくると偶然ではすまされない何かを感じてしまいますよね。最後に、土屋さんに御宿の気に入っているところ、そして、ちょっと心配になっていることについて伺いました。

土屋さん:気に入っているところはですね、私、岩和田地区に住んでおりますけど、優しいですね。その岩田区が偶然にもスペイン人たちを助けた地区の人たちだったっていうのは、これも400年前に戻ると言っていることは本当だった。ロドリゴが言っていることは本当だったと。特にあのロドリゴたちは命を助けられたってことは、いわゆる比較することのできない優しさですけどね。で、そういうそういう意味ではそうですね。小さな町ですけど、充分に子供達にあのそれが伝わってないということを感じましたですね。歴史的史実を深掘りしてで、教育的な見地から子供たちに伝えていかないとこれは残らないということはこれあのはっきり申し上げておりますね。ですから行事をやるということは、あの決して悪いことじゃないしね。イベントをやるということはだけど、それで終わっちゃうんですよ。だからそれは私も何度も申し上げたことありますね。

取材スタッフによると、土屋さんが調べれば調べるほど400年前の御宿の人たちの優しさが伝わるエピソードが出てくるそうで、でもそれが地元にも伝わっていない。これを風化させてはいけないという強い思いを感じたそうです。これからは海外へも、そして海外からも人が行き来しやすくなるからもっと具体的な交流が進むといいですね。記念碑やイベント、資料などは確かにあって、過去にはメキシコの大統領も御宿にやってきて感謝の言葉を述べたということもあったそうですが、土屋さんは、御宿で育つ子供たちに、船が漂着した外国の人を助けた時のこの土地の人たちの思いをもっと知ってもらい、スペインやメキシコと人の行き来だけでなく心の交流ができるようになってほしいと願っています。御宿には月の砂漠という童謡のモデルになった砂浜もあり、海のイメージが強いかもしれませんが、お出かけの際には山の上にある記念碑もぜひ訪れてみてくださいね。

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