2023/7/28 UP!
暑い日が続いています。皆さんどうやって涼を取られていますか?
千葉県の館山市南房総あたりでは昔からうちわの生産が盛んで、作られたうちわは「房州うちわ」として人気があります。この房州うちわ、「京都の京うちわ」「香川の丸亀うちわ」とともに日本三大うちわのひとつとされていて、歴史もありますし、伝統的工芸品としてその技術も注目されているんですね。今回は、その房州うちわをご紹介します。
うちわ中国から伝わってきたもので、風を起こす道具としてだけでなく、古くは飛鳥奈良時代には虫やホコリを払ったり、位の高い人が、顔を隠したりするのにも使われていました。今回ご紹介の房州うちわは、明治時代に現在の館山市那古地区で作り始められたということなんですね。その歴史についtて「房州うちわ振興協議会」会長のうちわの太田屋 4代目・ 太田美津江さんにお話を伺いました。

太田さん:房州うちわは一本の丸い竹を使いまして、持ち手の部分「柄」と言うんですけれども、「え」と面を作られたうちわになります。うちわに向く良い竹が取れるのと、昔は農閑期に竹を切り出してくれる農家の方がたくさんいたのと、あとシケで漁に出られない漁師さんとか漁師さんの女将さんたちが手内職でうちわ作りを手伝ってくれたことが生産地になったんだと思います。関東大震災で問屋さんと職人さんの家がなくなったりしたことも大きな原因で、生産地である房州に問屋さんと職人が移り住んできたのと消費地が近かったっていうのも大きな理由になると思います。関東大震災を境に製品として出荷できるっていうことが大きな強みになって一大生産地になったと思います。

房州うちわの特徴は、房州産の女竹の丸みをいかした「丸柄」と、その先を細く割いていって作り出す骨を糸で編んで作られる丸い格子模様の美しい窓です。1本の竹からうちわが作り出されていくんですね。平成15年に千葉県初の経済産業大臣指定伝統的工芸品に認定され、装飾品や贈答品としても、現在も親しまれている房州うちわは、古くからの漁師町、那古、船形、富浦周辺のおかみさんたちの手内職としても生産が拡大していきました。太田美津江さんはもともとお父様の手伝いをしていたんですが、それを継ぐことになったのも自然な流れだったようです。

太田さん:千葉県に住んでいて、まあ父親の手伝いを十年以上すると、県からの看板がいただけるんだそうです。父親が「お前看板もらえる資格があるんだけど、どうする?」って聞かれたときに、私、それまで本当にのほほんと父親の手伝いだけしていて、その話を聞いた時、もしかして私ここのうちの後を継ぐのかなっていう。それが大きなきっかけです。でその看板持ってたことが父親にとっては誇りにもなってたんじゃないかなと思います。私の時は全部県の職員の方が見えたりで、「太田さん、この「割き」をやってください。「あみ」をやってください。「貼り」をやってください。「ヘリ」をやってください」。なんかひと通りやってお見せした記憶が あるんですね。だからこれはちょっと難しい権威のある看板なんだって。

「看板」とお話されていましたが、これはお父様の太田一男さんが昭和59年に、そして美津江さんが平成9年に千葉県指定伝統的工芸品製作者に認定されたことを示しています。現在までに認定されている団体や個人は、199ということで決して簡単なことではありません。大変貴重な技術をお持ちなんです。でも、後継者の問題も抱えていらっしゃいます。

うちわの製作は、だいたい21の工程があります。それぞれの工程を行う専門の方がいて、それを組み合わせてチームでつくるものだそうです。冬の寒い時期に竹を刈り、皮を剥いて機械で磨き、乾燥、ここまでが準備。その後、製作に入ると、中心から上半分を48本から64本に割いていきます。それを編んでうちわの骨組みの元が出来上がり、糸などで固定、形を整えたら紙や布を貼って、乾かして、最後、竹の下の断面に漆を塗って、仕上げ作業して 出来上がりです。

さて、太田屋さんのうちわには紙ではなく、布を貼ったものがあります。これはどのようないきさつから作ることになったのでしょう?
太田さん:ある時、浴衣屋さんと出会って、浴衣屋さんが浴衣を作ったときに30~40cm布が残るんだけど、これでうちわ作って同じ柄で浴衣とうちわがコラボできるといいねっていうことで、浴衣の生地を貼り出したのが初めなんですね。でも、浴衣よりもうちわの方が値段も安いですしね。数が出るようになって、またうちで独自で浴衣(生地)を仕入れて浴衣生地を貼ったうちわを作り始めた。今もうどなたでもやってますので、その他にまた父親がちりめんの布うちわ用に染めてもらってちりめんうちわを作ったり。いろいろサイズがあのお客さんの要望で、このサイズが欲しいとか、そういうもの言われれば、また作っていったり。でも今ね、手縫いでしないので30~40cm残らないんです。今工場でなってきちゃうでしょ?だからご自分で手縫いですれば30~40cmだから、父の時代はそういう時代だったんで、残った布があったんですよね。今は残らないので。うちで反物で買ってきて、それでうちわにしちゃうっていう。

今は、浴衣を仕立てる人も少ないから端切れ布がそもそも少ないということですが、この布を貼ったものは紙とはまた違う独特の味わいがありますよね。そしてちりめんを貼ったものもあるんだそうです。ちりめんというのは主に和服の材料として作られている布なんですが、こちらも独特の鮮やかさがあって飾っておきたいほどの存在感なんです。

さて、こう言ったうちわを作り技術、後継者はいるのでしょうか?
太田さん:南房総市と館山市で後継者育成事業というのを毎年秋にやってまして、そこで習った方たちが続々と卒業して、うちわ作りに励んでくれまして、もう心配はないです。もう熱量すごいです。自分で作ったものをきちんとお客さんに買っていただきたいっていうことを最終目標にしてますのでね。きちんとしたものを作ってらっしゃいます。また、出したいと思っている方が練習してます。あのコスタリカからお嫁に来て、で、もう20年近くなると思うんですけれども、その方が房州うちわ作りをしたいっていうことで、後継者育成事業に参加してくださって。とっても器用で頭のいい方でね、できるようになって。でもとっても熱心なんですやはり。人の言葉を聞く力が強いですよね。だから楽しみです。

太田さんが会長の房州うちわ振興協議会では時代の変化に合わせて、それまで分業でやってきたうちわ製作の主に21の工程をひとりで行う職人の育成に力を入れてきたんだそうです。テクニックを身につけるのは時間と根気を要しますが、これを乗り越えた次の世代の職人が誕生していて、第一号は伝統工芸士の太田さん。そして、他に5名の方が「房州うちわ振興協議会 認定職人」として既にうちわを作られています。お話にあったコスタリカ出身の方は出口タティアナさんといって、認定第5号としてうちわ作りをされています。その技術が大切に受け継がれていく、「房州うちわ」は道の駅などで販売していますし、インターネットでの購入もできます。そして、「渚の駅たてやま」にある「渚の博物館」では、来年3月まで「房州うちわ 技の伝承展」を開催しています。また、うちわの太田屋さんでは房州うちわ作りの体験もできるそうなので、南房総へお出かけの際はぜひお立ち寄りください。今年の夏は、房州うちわのやわらかな風で涼をとってみませんか?

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