三方を海に囲まれる房総半島に位置する千葉県。
首都圏からのアクセスもよく、
通勤圏でありながら海や里山の豊かな恵みをあわせもち、
自然とともにある生活を楽しめるエリアです。
そんな「千葉の魅力」を支えるさまざまな活動や
想いムーブメントなどにスポットを当て、
現地取材の声も通して「魅力あふれる千葉」をご紹介していきます。

毎週月~木 18:35頃~「YOU 遊 チバ」はこちら
※「YOU 遊 チバ」は、ミンナノチカラ~CHIBA~と連動し週ごとにさまざまなテーマで千葉の魅力をお届けしているコーナーです。

Every Fri. 18:45~18:59

お散歩してカフェでゆったり♪「九十九里ハーブガーデン」@九十九里町

2025/3/31 UP!

  • 今週はドッグフレンドリーエリア・九十九里!」をテーマご紹介します。
  • 「ドッグランでは 愛犬より走る!?」中西悠理がご紹介しました、九十九里町にある「九十九里ハーブガーデン」(やじ)(とうふてん)の情報は、以下のHPでご覧いただけます。

https://www.herb-cool.com

             
  • サーフスポットとして知られる、九十九里町片貝海岸近くにある、入場料無料のハーブ観光農園「九十九里ハーブガーデン」。四季折々、およそ100種類のハーブが彩る園内を、ワンちゃんを連れて自由に散歩することができます。
  • 施設内には、ドッグランやハーブ「体験工房」や「ハーブショップ風香」、そしてオートキャンプ場やレストランもあり、ワンちゃんと一緒に楽しんでください!!(まんじ)(とうふてん)(ほんどじ)(こうえん)
  • 千葉県のさまざまな魅力を知って、一緒に千葉県を盛り上げていきましょう!
  • 毎日の散歩をめんどくさがる我が家の犬。なのに、家族との遠出は大好きというわがままさです。
千葉にきて叶った夢 2 移住した町の魅力を伝えたい!芳泉茶寮 高橋さんご夫婦

2025/3/28 UP!

今回は、都内と長南町での二地域居住を経たのち、長南町(ちょうなんまち)に完全に移住。築160年の古民家で、中国菓子やランチを提供する「芳泉茶寮(ほうせんさりょう)」を営む高橋信博(のぶひろ)さん・裕子(ひろこ)さんご夫妻を紹介します。     

千葉県の中央に位置し、緑豊かな里山風景が広がる長南町。今回ご紹介する高橋さんご夫妻は、30代の頃から二地域居住を計画し、ご主人が42歳の時に、実際に行動に移されています。まずは長南町と出会ったいきさつをききました。

高橋さん: (裕)私は東京生まれ東京育ちで、全くこの長南町のことも知らないでいたんですけれどもある日、インターネットでこの物件が掲載されてるのを見て、これは見に行きたいなっていういうふうになって、現地に来てこの建物を見て、夫婦共々一目で気に入ってこの家を購入しました。

(信)いすみ市にある光風林という屋号でやられて筒井さんという、もう設計もされるし大工もされるし左官もされる。それから庭もやるというそういうマルチなタレントの方と出会いまして、その人に古民家ってこういうものだよみたいなことを日々結果的には教わりながら2年ぐらい弟子入りしたみたいな感じで、作業させてもらったので、終わった後だともうなんか全然古民家に対する関する知識とかが違って、別人になったようなそんな2年間でしたね。

購入してすぐに住める状態ではなかったので、この家をどうして行くのか。別荘のように使っていくのか、今風にアレンジするのか、元々あった姿にするのか、ということや、長南町から仕事に東京まで通うライフスタイルを選ぶのかなど、考えることは多かったようです。そこで、信博さん、一大決心をします。

高橋さん:私は、東京で外資系の金融機関の管理部門にいましたので、外資系の金融機関の管理部門っていうと、3年にいっぺんぐらい転職するのが割と普通なそういう業界でたまたま、もうそろそろこの会社は辞める時期かなっていうタイミングに古民家を一生懸命直すみたいな経験って多分一生に1回しかできないだろうと思って、これを逃すのはあまりにもったいないので、まずとにかく会社を辞めて、そっから先のことはそっから先で考えればいいだろうとそのぐらいの気持ちで辞めてきて、完全移住っていうふうになりました。辞めないつもりで完全にこっちに移住して、バスで通えばいいじゃないって思ってたんですけど東京のマンションとかを売って、完全に東京の拠点がなくなったタイミングで、辞めてきちゃいました。(信)

信博さんは、海外の弁護士の資格もお持ちで、国内外で活躍していましたが未練もなく会社を辞めたそうです。そして、2年間かけて、家の改修、復旧を終え、完全に長南町の人になりました。2人はこの町でどう暮らしていったんでしょうか。

40代前半で東京から長南町に移住した高橋さんご夫妻。ご主人は完全移住を機に仕事を退職。購入した古民家の改修、復旧などを始めると、今度は自宅で料理教室を開くなどもともと食関係のお仕事をされていた奥様の裕子さんの活動が広がっていきます。

高橋さん:私が持っているクリエイティビティって何かっていうと、食への興味だったので、美味しいものを作って皆さんと分かち合いたいっていうそういうモチベーションで今の仕事に繋がってます。ラー油を料理教室で作ってたんですけど、もうこれを販売して欲しいっていうか声がずっとあって、芳泉茶寮を始めたときに、そういえば、みんなこのラー油が欲しいって言ってたなって思って、そのラー油を作って販売しようと。それについては、どういう許可が要るのかなとか、出来たのが、パイナップルケーキであり、ラー油でありっていう感じで口コミで販売を始めました。幸運なことに、マーケットを主催している友人から声をかけてもらって、ぜひ参加しますっていうことで初めて出展させてもらって、そこで販売したのがパイナップルケーキ、ラー油、キムチでした。持っていったものを全部お客様が購入してくださって、何も残ってないっていう状態になってはすごい嬉しいなっていう、そういう結果でした。(裕)

今回は高橋さんご夫妻から芳泉茶寮で取り扱いをしている商品の中から(ラー油/椎茸のリエット/パイナップルケーキ) を用意していただきました。

                  

最初はマルシェや通販などで売り上げを上げていたんですが、だんだん、いろんなお客さんから「お店があるなら今度そこに買いに行くよ!」なんて声をかけてもらえるようになります。でも実際にはお店がない。売るための加工品を作る作業も忙しくて、毎日開店する余裕もない。そこで、日にち限定で古民家の一部で、里山の恵みを味わうランチや、手作りの中華菓子と中国茶の提供などを始めました。メニューはその都度変わりますが、キムチ蕎麦ランチとか、台湾茶とチョコレートなど、美味しそうなものが並んでいます。そうして交流を広げる中で、他所から来た自分たちだからこそわかる長南町のいいところを発信していきたいと思うようになり、二人でこんな活動を始めたそうです。

高橋さん:米どころならではの元々あった文化っていうのがあって、これは素晴らしいところなのでそういう長南町の良さをアピールする場所って実はあんまりないので道の駅みたいなものがあったらいいよねっていう話があったので。じゃ民間だけでできるような道の駅みたいなものを作ろうっていう、そういうプロジェクト「ほぼ道の駅長南プロジェクト」っていうのを立ち上げて、地元友達の人だったり、お嫁に来た人たちが中心になって12人ぐらいで始めたプロジェクトなんですけどそこでいろんなことを企画して、地元の良さを引き出すような活動をしています。物珍しいものがあったりとか派手なものがあったりとかする場所ではないので、何かその良さがじわじわくるようななところなので、何回も着ていくうちにだんだん関係性ができてきて、じわじわやっぱりちょっとなんか長南いいよねっていうふうになっていく。そういう人たちが来る場所なのかなって思いますね。(信)

長南町が大好きなメンバーが集まった「ほぼ道の駅ちょうなんプロジェクト」では年に2回、町民同士が顔を合わせ、にぎやかな楽しい時間を過ごすための「町民による町民のため」のイベント「長南つなぐ市」や、県内屈指の米どころとして知られる長南町のお米のファンを増やすため、(かまど)炊きごはん、ポン菓子、つきたてのお餅など、お米を味わっていただく「新米祭り」などの活動を行い、おととしの(2023年)1月には、「ほぼみちの駅ちょうなんプロジェクト」のメンバー8名が株主となり、町の食材で作った漬物や調味料、お菓子などを通販やマーケットで販売する「ほぼみち物産株式会社」を立ち上げました。今や地元の魅力を仲間とともに発信している高橋ご夫妻。今後も長南町の良さをつたえ続けて欲しいですね。

芳泉茶寮の開催日などの情報や「ほぼ道の駅ちょうなんプロジェクト」の活動についてはそれぞれの公式サイトで確認してください。

https://www.hosensaryou.jp/

https://hobomichi-chonan.localinfo.jp

仲間とともに“みんなの酒蔵”を作る!「大橋誠さん」@多古町

2025/3/27 UP!

  • 今週は千葉に移住や二地域居住をしたことで、自分の理想の生き方や、夢を実現した人!」にフォーカスしてご紹介しています。
  • 「日付が替わる前には 必ずお家に 遡上する!?」中西悠理がご紹介しました、多古町で酒蔵づくりに挑戦する「大橋誠さん」(やじ)(とうふてん)の情報は、以下のHPでご覧いただけます。

https://salmonbre.official.ec

             
  • 新規就農を考え、10年前に多古町へ移住した大橋誠さん。農閑期の蔵人仕事で「酒造りの楽しさから離れることができなくなった」ことから、仲間4人共に、地元産のコメを主原料にした「クラフトサケ」をつくる酒蔵「鮭酒造」を旗揚げしました。
  • 大橋さんから、多古町へ移住したいと考えている方へ『ここの暮らしはとっても豊かです。人が減っているから、来て下さる方はとっても大事にされます。僕もこれからは受け入れ側として、大歓迎しますよ~』とメッセージを頂きました。(まんじ)(とうふてん)(ほんどじ)(こうえん)
  • 千葉県のさまざまな魅力を知って、一緒に千葉県を盛り上げていきましょう!
  • 千葉で夢を叶えた皆さんのエピソード、挑戦する勇気の大切さを教えていただきました!
  • あなたは、どんな夢を描きますか?
“豊かな暮らし”への想いを実現「保坂和仁さん・優子さん」@香取市

2025/3/26 UP!

  • 今週は千葉に移住や二地域居住をしたことで、自分の理想の生き方や、夢を実現した人!」にフォーカスしてご紹介しています。
  • 「毎日の食卓は お見せ出来ない!?」中西悠理がご紹介しました、香取市に移住した「保坂さんご一家」(やじ)(とうふてん)の情報は、以下のHPでご覧いただけます。

https://noenwagakushi.amebaownd.com

             
  • 三軒茶屋で飲食店を経営。お子さんの誕生をきっかけに「奥さんの実家がある千葉県に移住しよう」と決断。飲食店時代からの「農業をやりたい!」という夢を実現し、農薬・化学肥料を一切使わない「農園和楽志」をスタートした、保坂和仁さん・優子さんご夫妻。
  • 和仁さんに香取市へ移住したいと考えている方へ『思いやりを持ち、地元の方達とコミュニケーションを取ることができれば、香取の人達は受け入れてくれる、暖かい心を持っていますよ』とメッセージを頂きました。(まんじ)(とうふてん)(ほんどじ)(こうえん)
  • 千葉県のさまざまな魅力を知って、一緒に千葉県を盛り上げていきましょう!
  • 収録の日は、3月なのになんと雪が降っていました!びっくりするほど寒かった!
ハンバーガーのイラストでみんなを笑顔にしたい「おおばたまえさん」@旭市

2025/3/25 UP!

  • 今週は千葉に移住や二地域居住をしたことで、自分の理想の生き方や、夢を実現した人!」にフォーカスしてご紹介しています。
  • 「筆圧が強すぎて 折った鉛筆は数しれず!」の中西悠理がご紹介しました、旭市に移住したイラストレーター兼グラフィックデザイナーの「おおばたまえさん」(やじ)(とうふてん)の情報は、以下のHPでご覧いただけます。

https://www.instagram.com/___ohbatamae

             
  • 山梨県出身、筑波大学を卒業。スパリゾートハワイアンズに入社し、フラダンサーとして全国で福島県のPR活動をしていた「おおばたまえさん」。結婚を機に旭市に移住。現在はスキルを活かして、地元のお店のロゴ作成などイラストレーターとして活躍中です。
  • たまえさんから、旭市へ移住したいと考えている方へ『旭市は年齢問わず移住者がとっても多い町。本当に優しく楽しい人ばかりで、移住者を受け入れてくれます!そして気候も暖かく、農業や畜産も盛んで海もあり食べ物は美味しいし、成田空港はあるし、都内もすぐ行けるし、いいことづくしです!生活には困らない良い田舎です!』とメッセージを頂きました。(まんじ)(とうふてん)(ほんどじ)(こうえん)
  • 千葉県のさまざまな魅力を知って、一緒に千葉県を盛り上げていきましょう!
  • 安心してください、起きてますよ。
のびのび過ごせるログハウスを運営!「清水菜奈未さん」@御宿町

2025/3/24 UP!

  • 今週は「千葉に移住や二地域居住をしたことで、自分の理想の生き方や、夢を実現した人!」にフォーカスしてご紹介します。
  • 「お風呂の中で電気を消すと ほっこりする!」中西悠理がご紹介しました、御宿(まち)でログハウスを経営する「清水菜奈未(ななみ)さん」(やじ)(とうふてん)の情報は、以下のHPでご覧いただけます。

https://hoccoree.com

             
  • 2023年4月「仕事や家事、育児など日常を走り抜けている方々に自然の中でホッとしていただける空間を提供」しようとオープンした、1日1組限定のログハウス「HOCCOREE」。オーナーは横浜市出身で金融機関で働いた経験を持つ、清水菜奈未さんです。
  • 菜奈未さんから、御宿町へ移住したいと考えている方へ『人生に、心穏やかな時間を増やしたい方には本当におすすめ!自分事のように寄り添ってくれる人の温かさがここにあります。房総で待っています!』とメッセージを頂きました。(まんじ)(とうふてん)(ほんどじ)(こうえん)
  • 千葉県のさまざまな魅力を知って、一緒に千葉県を盛り上げていきましょう!
  • 年度末の忙しい今だからこそ、ほっこりできるリラックスタイムは本当に大事。
千葉ゆかりの先駆者たち 唯一無二の音色!『松本ピアノ』の創業者「松本新吉」

2025/3/21 UP!

今日は、君津市にゆかりのある、国産のピアノ製造の先駆者のお話です。

今では学校や文化会館などで当たり前に見ることができるピアノですが、西洋文化とともに日本に入り、盛んに使われるようになったのは明治維新以降で国産のピアノが作られ始めたのは1900年頃と言われています。その時代に、ピアノメーカー「松本ピアノ」を創業した人物が、君津市出身の松本新吉です。今日はその音色を守る活動をされている方々の声とともに、「松本ピアノ」についてご紹介していきたいと思います。    

「松本ピアノ」は、戦前の日本ピアノ製造の黎明期、「(やま)(は)」「西川」とともに「日本3大ピアノメーカー」として名を馳せ、手作業によるピアノづくりに拘ってきました。まずは、1865年(慶応元年)、現在の君津市常代(とこしろ)で生まれた松本新吉がどんな人物だったのか。彼のひ孫で、現在、調律師としてピアノに関わりながら、地元で熱心に行われている保存活動にもあたっている松本花子さんにききました。

松本花子さん:松本新吉のひ孫となります。新しいものがまず好きだったんじゃないかとは思います。それで耳もすごくいい方だったって聞いているので、ピアノの音を聞いたときに衝撃が走ったと思うんですね。自分もこのピアノっていうものを作ってみたい。作るならば、音にこだわって、みんなが弾けるようなピアノを作ってみたいっていうふうには思っていたと思います。とにかくパワーはすごくあったと思いますね。私の父は3代目新一です。父が直したピアノを君津市で演奏会に使っていただいていたりしますけどもやはりあのピアノは弾いてこそピアノということでこれからもどんどん活用していただきたいと父が申しておりました。

松本新吉は左官業をしたのち、横浜のオルガン製作所でピアノ製作に出会います。1893年に独立して、ピアノづくりも始めますが、もっといいピアノを作りたいとアメリカに自費留学。日本人では初めて本場のピアノづくりの技術を学ばせてもらったそうです。その後、数々の部品を日本に持ち帰ろうとした船が嵐にあって遭難。全てを失ってしまいますが、木材を探すところから始めてようやく完成したピアノを、第5回内勧業博覧会に出品し、国内最高位を受賞します。銀座に楽器店を開き、工場も拡大、販売は好調で明治40年代には原敬首相など多くの著名人も顧客となったそうです。

   

度重なる災害などをうけ、新吉は東京の工場を息子に譲り、故郷の君津に戻り6番目の子供の新治とともに「松本ピアノ八重工場」を設立、手作業によるピアノ作りを続けます。1940年代、新吉、新治が相次いで亡くなった後も、全国各地にピアノを送り出してきましたが、機械による大量生産という時代の流れには勝てず、2007年、ついにその歴史に幕を下ろします。工場内にあったピアノは君津市に寄贈され、その後設立された「松本ピアノ・オルガン保存会」のメンバーによって守られています。保存会の会長、篠宮則子さんにお話を伺いました。

篠宮さん:君津市出身の松本新吉が創業したピアノメーカーである松本ピアノの八重原工場の閉鎖に伴って君津中央公民館の市民サークルを母体として発足いたしました。八重原工場のところに行ったときに、手作りでこんな立派なピアノが数十台そのままになっている。これはもう何とかしたいと、自分たちももう一度このピアノの音色を聞いてみたいというような情熱を持って、3代目の松本新一さんに相談をかけて、新一さんを中心に、一緒に修復したりして演奏ができるようにまでしました。少しずつ市民の皆様に君津で生まれ育った松本ピアノってこんなのがあるんですよっていうことを年に3回君津文化ホールで松本ピアノコンサートというのを企画しまして、松本ピアノ実際に音色を聞いていただこうという演奏会を続けております。


元々は、君津をもっと知ろうという市民サークルで、市内を訪ねている中、八重原工場や松本ピアノのことを知り、「これは君津の大事な財産だ!」ということで、活動が始まりました。メンバーはピアノが弾けない人もいたそうですが、ピアノを直したり、会場を押さえたりして定期的にコンサートが開催できるところまで漕ぎ着けたそうです。年3回のコンサートや一般の方にも弾いていただけるイベントも実施しています。ちなみに松本ピアノの音色は「スウィート・トーン」と呼ばれ、その柔らかく優しい響きを決める部品には国産のエゾマツを使うなど、こだわって作られていることでも知られているんですよ。

今回、君津市役所の市長応接室にある松本ピアノのアップライトピアノを特別にお借りして、弾いていただきました。佐藤さんに、この松本ピアノを弾いた感想もうかがっています。

佐藤さん:松本ピアノオルガン保存会会員です。修復された松本ピアノはそれぞれ個性があります。新吉がいい音を出したいという音色に対しての共通した思いは出てると思います。響きが豊かな楽器だと思います。優しい音だなってまず思いました。そして弾いていくうちに、やっぱり重み深さが感じられるようになって、面白いなと思いました。弾き手にとっては、タッチとか思いがそのまま出てしまう、とても難しい点でもあると思いますけれども優しい音が弾きたいなって思って、そのタッチでいくと、それが出てきます。特に私が気に入っているのは、ピアノの真ん中から下、低音部分ですね、とても厚みがあって、上手に弾くと、オーケストラのような音もします。低音が素敵だと思ってます。

ピアノの音色から弾き手の想いを感じられるんですね。

音色にこだわった松本新吉の情熱とその信念が、製品の品質と企業文化に色濃く反映された松本ピアノは、君津の歴史の中でとても重要な文化資産だということで保存活動、周知活動に君津市も力を入れています。修復された松本ピアノは、君津市民文化ホールに保管され、演奏会やイベントで使用されています。君津市役所制作推進課の倉本さんに、君津市の取り組みをききました。

君津市役所政策推進課の倉本さん:この松本ピアノ、君津にしかない魅力の一つというところで、君津市民はもちろんですし、市外県外の人にも多くの人にも知っていただいて、松本ピアノの入口として、君津に足を運んでいただいてですね、またこの君津を知らなかった人も、松本ピアノという名前を通して君津を知っていただいたりですとか、また実際に君津に来ていただいた後も、松本ピアノ以外のこの魅力についても一緒にたくさん触れていただいてですね、君津を好きになっていただけたらと思っております。皆さんのご家庭での松本ピアノにまつわるエピソードですとか、思い出ですとか、そういったものがございましたらぜひ気軽に君津市役所までご連絡いただければと思います。ぜひお話をお伺いさせてください。君津市としても大事な文化資産としっかり捉えているようですね

松本ピアノの演奏体験は君津市のふるさと納税返礼品にもなっています。その他定期演奏会や詳しい情報は松本ピアノ・オルガン保存会の公式HPをご覧ください。

https://www.city.kimitsu.lg.jp/site/matsumotopiano-seisaku

ふるさとで人々を救った“地震防災の祖”「濱口梧稜」@銚子市

2025/3/20 UP!

  • 今週は千葉ゆかりの先駆者たちをテーマにご紹介しています。
  • 「備えあれば 患いなし !」の中西悠理がご紹介しました、銚子市にゆかりのある「濱口梧陵」(やじ)(とうふてん)の情報は、以下のHPでご覧いただけます。
             
  • 銚子市でヤマサ醤油を営む豪商、濱口家の分家の長男として、現在の和歌山県広川町に生まれた「濱口梧陵」。江戸末期の1854年に起こった安政南海地震の際、田んぼの稲の束に火をつけて村民を高台まで誘導し、大勢の命を救ったことで知られます。
  • 一晩中、村内の巡視と海の監視に当ったり、私財を投げうって家屋の建設や農具・漁具の調達し離村の防止を図ったり、高さ5メートル、全長600メートルを超える堤防の建設を進めました。
  • その後、初代の郵政大臣となり、近代的な郵便制度の創設にあたり、また、佐久間象山、勝海舟、福沢諭吉など多くの知識人と広い交流を持ちました。(まんじ)(とうふてん)(ほんどじ)(こうえん)
  • 千葉県のさまざまな魅力を知って、一緒に千葉県を盛り上げていきましょう!
  • 今ほど情報がない中で、人命救助だけでなく被災後の暮らしや防災まで意識して行動に移していた濱口梧陵。彼が残してくれたメッセージを、しっかり胸に留めていきたいと思います。
球技と体操を普及した“日本初の体育教師”「坪井玄道」@市川市

2025/3/19 UP!

  • 今週は千葉ゆかりの先駆者たちをテーマにご紹介しています。
  • 「好きな球技は 大玉転がし!」の中西悠理がご紹介しました、市川市にゆかりのある「坪井玄道」(やじ)(とうふてん)の情報は、以下のHPでご覧いただけます。

https://www.city.ichikawa.lg.jp/edu14

             
  • 球技と体操を普及した「日本初の体育教師」のほか「日本サッカー界の先駆者」「日本人初の卓球を伝えた人物」「ソフトテニスの基礎を築いた人物」「わが国学校体育の父」など、さまざまな肩書を持つ「坪井玄道」。
  • 市川市で武士のまま農業を営む「郷士」の家の次男として生まれ、東京大学の前身である江戸幕府の「開成所」で英語を学び、文部省直轄の体操伝習所のアメリカ人の体操教師、リーランドの通訳を務め、体操の魅力に心酔します。その後、サッカーやソフトテニス、ベースボールなど21種類のスポーツを紹介した本の出版や、卓球などを紹介しました。
  • その功績を讃えられ、千葉県の先駆者12名の一人として顕彰。日本サッカーの殿堂入りを果たしました。(まんじ)(とうふてん)(ほんどじ)(こうえん)
  • 千葉県のさまざまな魅力を知って、一緒に千葉県を盛り上げていきましょう!
  • 謎の体操?!
捕鯨を成功に導いた「醍醐新兵衛」@鋸南町

2025/3/18 UP!

  • 今週は千葉ゆかりの先駆者たちをテーマにご紹介しています。
  • 「悠理組 参加者、募集中!」の中西悠理がご紹介しました、鋸南町にゆかりのある「醍醐新兵衛定明」(やじ)(とうふてん)の情報は、以下のHPでご覧いただけます。

https://www.town.kyonan.chiba.jp/site/hishikawamoronobukinenkan/11342.html

             
  • 安房国・勝山村、現在の鋸南町で、浜名主として地域のリーダーを務める醍醐家に生まれ、房地域での捕鯨の礎を築いた「醍醐新兵衛定明」。
  • 漁師のため「鯨組」という当時としては画期的な組織を作り、より安全に安定した生活を得られる一大産業の仕組みを構築し、勝山は大いに賑わいました。
  • その後、醍醐家の当主は代々「新兵衛」を名乗り、11代まで200年以上続き、鋸南町には今も新兵衛の墓や鯨塚、鯨見石など捕鯨に関する史跡が残っています。(まんじ)(とうふてん)(ほんどじ)(こうえん)
  • 千葉県のさまざまな魅力を知って、一緒に千葉県を盛り上げていきましょう!
  • 先駆者は、先が見えない時も道を切り開いてゆくのです!

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