2021/4/30 UP!
今回は匝瑳市に取材に行ってきました。匝瑳市は2006年に八日市場市、匝瑳郡野栄町が合併してできた市です。
ここは隣接する東金を含め、千葉県の木でもあるマキやクロマツといったものに代表される日本庭園や公園などを飾る樹木・植栽の栽培が盛んなところなんです。
ということで今回は、匝瑳市植木組合の組合長 大木忠さんにお話をうかがいました。まずは匝瑳地域で植木業が始まった歴史について。

「戦後、都内で公園を作ってみたりとか、緑化を国で進めていたんです。そこで植木を植えるという時代になっていったんじゃないかなと思います。元々はこの地域は畑に芋作ったり麦作ったりをしていたのが、植木が売れるようになって、植木を作るようになっていったんじゃないかと言われてます。自分達の年齢だと、二代目三代目という方が多いですね。私は63(歳)ですね。種を蒔いてから、芽が出ますよね。早いものだと3年とか出荷できるものもありますけど。 古い家の垣根にあった木を畑に移動して、それを形に作って売れるようになると、それには10年以上かかります。早くでも2〜3年、要するにあとは10年ぐらいかかる。」
そうです、木も最初はタネから始まるんです。そこから、数年かけて育てていく。根気が要りますね。
千葉県特有の温暖な気候と、首都圏の消費地に近いという条件に恵まれて徐々に発展し、現在では日本有数の栽培面積と多種多様な栽培樹木数を誇り、2018年農林水産省の資料によると植木生産の都道府県別出荷額は千葉県が1位、そのおよそ半分を匝瑳市が担っているということなんです。

皆さんの家の近くの木々も匝瑳市から来ているものかもしれませんよ。
匝瑳の植木まつり(昨年と今年は中止)は例年大変な人気があり、植木を買うこともできます。毎回、100万円単位の植木が売れるそうですよ!
植木のイベントなどでは、バサバサ生えっぱなしの植木を1日かけて1日かけて枝を割ったりして形を作って、1日で仕上げるというパフォーマンスを披露することもありますてね。ただ、カットじゃなく手を加えてよく見せるというこのパフォーマンス。県の要請もあり、毎年、成田空港には出発ロビーで、坪庭(つぼにわ)を作って海外の人にアピールしてみてもらうようにしているんだそうです。
大木さんの話によりますと、手入れされている植木を見ると、地方によっても形の作り方や、見せ方が違うようで、どこの地域の植木なのかわかるのだそうです。なかなか素人には難しい話ですが、、、

この20年で植木を買う人たちもだいぶ様変わりしたようです。
大木さんは、「輸出が盛んになり出したのは15年か20年くらいですよね。その前は、ほとんど考えられなかったですよね。 土を海外に持っていくこと自体がね、だめでしたから。バブル期はね、このゴルフ場であったり、盛んに植木が動いた時代もありましたけど、今はね、輸出。海外に広めたいということで、フランス、ヨーロッパも(ありますが)やはり中国が1番、大きいでしょうかね。自分も何度か行ったことあるんですけど、中国にも植木はあるんですよね。ただ、形造っている物は日本がいいらしいんです。向こうではないわけですからね。 今後もまたコロナを抜けて。またね、これるようになったらまたどんどんくると思います。来て欲しいです。またね、気に入ったものを気に入った金額買ってくれると思いますね。」
と期待も大きいようです。
匝瑳市ではマキやクロマツのほか300種もの植木を生産しているそうです。新しい技法や流行を取り入れながら、植木を育て、庭を造る植木組合の皆さん。ホームページには組合の皆さんの取り組みなどについても詳しく掲載されていますので、お時間あるときに覗いてみてください。国内外で高く評価されている匝瑳の植木。これからも世界レベルでどんどん有名になってほしいですね。
2021/4/23 UP!
成田空港に近い芝山町を今回は取材です。
実は、千葉県は古墳の宝庫で、その数はおよそ1万3千基。全国第4位という多さなんです。3世紀中ごろから7世紀頃の古墳時代から千葉県あたりは河川や湖・沼などが多く水に恵まれていたので、豊かな豪族などが多かったそうです。中でも芝山町周辺は県内有数の古墳密集地なので、この地域で宅地開発などがあって古墳が出土すると、まずは調査が行われ、記録が作られるようになっています。しっかり記録した後で土地開発などが行われるので貴重な史料も残されているというわけです。

芝山町にある芝山町立芝山古墳・はにわ博物館(4月にリニューアルオープン)で学芸員の奥住淳お話を伺いました。

「芝山町は今でも100基ぐらいの古墳が残っていまして、昔は500ぐらいの古墳があったと思います。で、古墳には、ヒト形とか動物型とかはにわが昔に建てられていましたので、そういうのが多く発掘された発見された土地と言うことになります。古墳時代後期と呼ばれる時代で、およそ6世紀、1500年ぐらい前と思っていただければと思います。古墳は1個単独であるわけじゃなく、偉い人は、前方後円墳ていう古墳に葬られるんですけど、その家臣とか一族のような人たちも周りに今度は、小さな円墳とか作って群を作っているんですね。なので、あの古墳はまとまっていて、数が多くなってくるのと。 まあ、そういう人たちの古墳がどんどん集まってきて、あたかも今風にいえば霊園のような、そんな感じになっていったんだと思います。」
古墳密集地と言っても過言ではない数ですよね。
そもそも、芝山町地域の古墳発掘は、どのような経緯で始まったのでしょうか?
実は、昭和31年、博物館のすぐ隣に芝山仁王尊観音教寺という天台宗の古いお寺があり、そこに赴任された住職、浜田住職さんが、まだ20代の頃で、近くに古墳があるっていうことを知り、ちょうど千葉県でその頃いくつか古墳の発見とか発掘があったこともあり、自分も、近くであるので、掘ってみてはどうかということを考えて、知り合いのツテで、早稲田大学に来てもらって発掘したということのようです。 それで早稲田大学の学生さんだけでは人手が足りないので、地域住民の皆さんにも、回覧とか回して何月何日は何区とか、そういう動員をかけたという資料も残っているのだそうです。青年団とか婦人会の皆さんが発掘したら、埴輪が40数体一度に並んで出てきて、埴輪の配列どんな順番で並んでいたというのが貴重な考古学上の発見になって、ちょっと大騒ぎになったということがあったそうです。
取材時はまだリニューアルオープン前でしたが、中を拝見しました。


中には、私たちが普通教科書で見たイメージのはにわとはまた違うタイプの埴輪が多くありました。人の形の埴輪がなんだかとてもおしゃれなんです。下の写真の埴輪、ロン毛でカールしていて長い髭。

着ている服や、帽子、持ち物などが細かく再現されています。顔つきもちょっと渡来人のような感じもします。下の写真の埴輪は首飾りや右側の埴輪はイギリスの近衛兵のような帽子をかぶっています。鼻も高い!

そのほか、鶏や犬、鹿、猪、そして珍しい「魚の埴輪」も展示してあります。

この魚は鮭ではないだろうかと推測されているそうです。
学芸員の奥住さんのお話で、なるほどと思ったのが、埴輪の土台の部分。ほとんどの埴輪が足の部分の下に台のようなものが一緒に作られています。

これは、埴輪を地面に固定させるためのもので、地中に埋めておく部分、いわゆる基礎の部分です。ですから、その上の部分が地表に出ている。多少の雨風が吹いてもこれなら倒れません。出土して全体が見えていますが、実は、当時は3分の1は埋まっていたんですね。
芝山町では縄文時代の装束をきて街を歩く祭もあります、現在はコロナの影響でお休みとなっていますが、落ち着いたらまたやるそうです。顔に赤い今でいうペインティングデザインを施すのですが、この赤色を塗るというのも、出土した埴輪の顔の部分に赤色の顔料で塗られていたことがあったからなのだそうです。

売店ではいろいろなお土産も販売されていて、取材時目を引いたのは、埴輪のレプリカです。結構大きなものもありまして、迫力があります。博物館では、学芸員さんによる説明ツアーなども企画しているそうです。


はにわは、当時の生活を立体的にかたどった歴史的遺産です。人々の暮らし、集団行動、そして村のようなものができ、やがて国になっていく時代の文化も勉強することができる。そんな貴重な展示を見られるよりパワーアップした「芝山古墳はにわ博物館」。お近くに行かれた際は寄ってみてはいかがでしょうか?
2021/4/16 UP!
今回の取材は鴨川市です。鴨川シーワールドでお馴染みの地域ですね。
実は鴨川は米所でもあるんです。そしてこの辺りは丘陵地帯の傾斜に作られた田んぼがあります。

海のイメージが強い方も多いと思いますが、鴨川市の山間部、大山(おおやま)という地域には、房総丘陵の山の斜面を利用した田んぼ「棚田」が連なる場所 「大山(おおやま)千枚(せんまい)田(だ)」があり、美しい景観をつくっています。写真スポットとしても人気が出てきています。
大山千枚田で地域を元気にしていこうと活動されているのがNPO法人大山千枚田保存会の皆さん。まずは、大山千枚田の歴史などについて、事務局長の浅田大輔さんにお話を伺いました。

「江戸時代の終わりぐらいには棚田が広がってきたと思われています。鎌倉時代には人が住んでて少し暮らしのために田んぼを作ったんじゃないかっていうふうに言われていますね。日本中、山の中の地域というか中山間地域って言ってるんですけども、そういうところは後継者がいないっていう、それで農地が荒れてくる、で地域が元気がなくなるっていうことが あって、それを防いでなんか地域を元気にしたいねって言うので、何かできないかなって思った時に、実は、ここが大山千枚田って名前がなかったんですね、大山地区にある普通の田んぼ、棚田だったんですけれども大山千枚田保存会というのを立ち上げたんですね。ただ保存というよりもここを活用している村おこしができたらいいねっていうのが大きな目的の団体ですね」

ということでした。この地域は蛇紋岩(じゃもんがん)という土壌があって、実にこれがコメ作李、味の良さに貢献しているというんですね。少し青みがかかった石ですが、これが長い年月を経て年度に変わり、そこからミネラルが溶け出して美味しいお米ができてくるという仕組みなのだそうです。
「大山千枚田」と名付けて保存や活性化などの活動をはじめたのは25年ほど前からで、N P O法人が設立されたのが2003年のことだそうです。保存のために、棚田一枚一枚にオーナー制度を用いて、そのオーナーさんが草刈りをしたり、田植えをしたり、収穫をしたいるする作業も行います。日頃の細かい作業などは保存ん会の方で行っていますが、イベントとして、たくさんの人たちがオーナーとして作業をしにここにやってくるのだそうです。

今年のオーナー受付はすでに終了していますが、収穫したお米は、棚田全体の面積から按分して、配分されるのだそうです。数年前の実績ですと、1口のオーナーで27キログラムの美味しい玄米を手に入れたそうです。そんなオーナー制度導入でどんな効果があったのか、どんなところに期待したのか、浅田さんに伺いました。
「移住者の確保も出来れば、そこにつなげたいなと言うのがあって、始めた当初は、やはりその年配の方というか、もうすぐリタイヤか退職される方がターゲットの部分もあったんですけれども、子供たちにやっぱり知ってもらいたいと思うようになってきました。それはオーナー制度に来た子供たちもそうですし、地元の子供たちにも伝えたいということで、オーナー制度に家族で来てくれてる小学生の子が大学生になって、時間ができたから手伝うよーとか、あと、ちょっと田んぼの仕事じゃない仕事なんですけども、地元の小学生、中学生が少し仕事を手伝ってたってくれたりしますので、そういう子たちにも感謝していますし、もっと棚田の魅力を発信していかなきゃいけないのかなっていう。むしろそのほうが大事なのかな? と思っています。」

元気がなくなってきていた農村、作業が大変な棚田、でもその一枚一枚が小規模であることで、オーナーのできる範囲の作業量になっていくという利点もあります。(実際にはトラクターなどが入れない場所も多くあり、人界戦術でないとできないという事情もあります)
取材時は3月だったので、まだ田植えの準備の前の段階でしたが、もうすぐ田植え。この夏も青々と美しい棚田の景色が見られるようになります。
夜には棚田の境界にランタンを置いて幻想的な景色を見られるイベントも準備をしているということです。
詳しいことをお知りになりたいかたは、保存会のHPをご覧ください
2021/4/9 UP!
今回は市原市を取材。市原市には実は世界に誇る地球の歴史に関わる重要な証拠を見ることができる場所があるんです。チバニアンと言う言葉を最近お聞きになった方、多いと思います。

「チバニアン」はラテン語で「千葉時代」という意味で、その名前で呼ばれるのは、およそ77万4千年前から12万9千年前までの時代。その名前の由来となった地層が市原市田淵(たぶち)の養老川沿いにあるんです。 今日は、その地元で頑張っている皆さんの活動についてご紹介します。
まずチバニアン時代とは何か?地球の歴史上、地磁気が入れ替わったり場所をが入れ替わったりすることが数回あったのだそうです。その時の証拠がここにあるというんです。
この市原市田淵の養老川沿いの地層には一番新しい地磁気逆転の記録が最もよく残っていて、地質年代を分ける境界がよくわかる唯一の地層だと2020年1月に認められました。そこで、地球の一時代に「千葉時代=チバニアン」という名前が付けられて、世界的に注目されることになったんです。
その現地で、チバニアンの魅力を多くの方に知っていただこうと、ビジターセンターを 運営しているのが田淵チバニアンズというN P Oの皆さん。有名になる前はこの地域も過疎などの問題を抱えていたそうなんですが、徐々にある変化がおきてきました。昔は地元の皆さんで婦人会が地元の絆のために活動をしていました。そして時代の流れとともに、婦人会が解散して新しい地元組織ができ、それも時代の流れとともにまた活動が先細りしてきていたそうです。
そこにチバニアンの話が持ち上がり、昔使われていた道を整備すれば、現地に行き易くなると言うことで、草刈りを始め、活動が復活していきました。
ところが、話が少しづつ大きくなっていき、多くの人が来るようになると、予期せぬ出来事も色々起きるようになったそうです。会の代表の石井あゆみさんにお話を伺いました。

「2017年の秋に1次審査を通った後は、1ヶ月半で1万人の方が押し寄せたんですね。とにかく見たこともないような人数の人が集まって。で、市の職員が交通整理に出るという状態で、知らない車が家に入り込んで来たとかっていう騒ぎもあって、ちょっとしたパニックになりました。すごい勢いで人が、マスコミも押し寄せましたので、その時に本当に驚きました。」


近いうちに、駐車場から地層が見える養老川の河原までの道の整備と、そこに、新しく、チバニアンを勉強するための施設「ビジターセンター」が建設されることが決まりました。現在は、近くの駐車場にコンテナハウスがあり、そこが暫定のビジターセンターとなっています。こちらの中には、チバニアンの説明や、どの部分がその証拠になる地層なのか?などの説明が詳しく展示されています。ほかにも、地層を見ただけではわからない いろんな魅力を案内してくれるチバニアンガイドツアーもあるそうです。これがかなり人気なんだそうですよ.

石井さんは、NPO活動の今後についてこのように語っています。
「ただ単にボランティアでやりたい人だけがやっているという組織は長続きしませんので、いろんな人たちが、それぞれ自分のやりたいことをやりながら、それがなおかつ自分の利益にもなるっていうような、上手くかみ合った活動ができればいいなと思っていますので、そうすることによって仕事の場というのができれば、地域に住んでいる若い人たちの中で、仕事としてN P O(法人)に入ってきて、一緒に地域おこしをやれるっていうことも可能になってきますので、自分達が年とったら終わりではなくて、若い人たちにバトンを繋いで行けるような、そういう組織作りをしたいなと思っています」


私も現場を拝見しました。パッと見ただけでは崖なんですが、説明を受けると、川底に見えるものや地層の意味がわかってきます。貝の化石も結構出土しています。そうすると、突然、「すごい!」感が出てくるんです。不思議ですね。地元の皆さんが気持ちよくお客様を迎えようと言う気持ちがあることもしっかり感じられた取材でした。
2021/4/2 UP!
今回は印西市役所に行ってまいりました。
印西市は成田空港の近く、古くから利根川水運の宿場町「木下河岸(きおろしがし)という宿場があった場所で、千葉ニュータウンがあるところです。最近では成田スカイアクセス線の開業によって、成田空港と東京両方へのアクセスが格段によくなったところでもあります。
そんな印西市が、最近続けて三本の動画をインターネット上に投稿しました。これが話題になっています。特に第一弾の印度じゃないよ印西市はインパクトが強いものでした。
動画を作成した印西市企画財政部シティプロモーション課の星野郁夫さんにお話をきてきました。

この動画の狙いを聞きました。「関東一円の移住を検討している世代に売り込みをかけるといった目標を掲げております。 日本旅行さんとポニーキャニオンさん、この2社はですね共同でこちらの提案をいただきました。色々な方面から提案があったのですがインパクト強いと言う事でこちらの動画のタイトルですね。採用した経緯がございます。 皆さんにはよくあのぶっ飛んでますねという言葉頂きますね。」
いんにしし、いんぜいしなどとちゃんと読んでもらえないことも多くあり、まずは名前行ってみよう。ということで制作したそうです。動画を見てもわかるとおりボリウッッド(インドのミュージカル映画)風に作っています。短い動画ですが、しっかりメッセージは伝わってきますね。
その再生回数も17万回を超え、今もその数は伸びています。さらに、第2弾としてINZAI BALANCE や 第3弾の印西妄想落語 と立て続けにYouTubeにアップしています。
印西市役所の中でも異彩の仕事をしているシティープロモーション課
印度じゃないよ印西市が公開された後、勢いで、、印度じゃないよ印西市キーマカレーを開発。イベントで販売されたそうなんです。
これが1000個、即日完売! カレーの種類はインド風チキンキーマカレー。コンセプトは「やっぱり印度!?」としつつも、“印度じゃない”ということで国産の鶏を使用して、化学調味料は使わず、辛さも甘口から中辛の中間位の辛さで、子どもも安心して食べられるレトルトカレーになっていルそうです。 パッケージデザインは、この動画を演出した印西市出身のCMディレクター、香取徹(かとりとおる)さんが担当されたそうです。問い合わせも多く、あまりの人気ぶりに、現在、印西市のふるさと納税の返礼品のラインナップに加わっているんです。
シティプロモーション課は、今後、動画の第4弾、第5弾を作って行けたらいいなと考えているそうです。次はどんな切り口でくるのか?楽しみにしたいと思います。さらに、動画だけでなく、新しいメディアにも挑戦したいそうです。あっという方法で、また印西市の名前がメディアの中に出てくるかもしれませんね。
楽しみです。
2021/3/26 UP!
今回は茂原市を取材してきました。
茂原市、日本における天然ガスの生産量が日本一らしいです。今のペースで採掘しても600年以上はもつぐらい埋蔵量があるそ愛なんです。チーバくんでいうと左肩のあたりに位置する茂原市。今回は、映画のワンシーンに茂原の風景をと頑張っている市役所の方のお話を伺いました。
2年ほど前から千葉もばらロケーションサービス事務局という部署が活動しています。映画などのロケ地探しで、問い合わせがあったときに、その要望に見合う場所を紹介したり、お手伝いをする部署です。茂原市役所 渡部智之さんに、実際には何本ぐらいこの2年で撮影があったのかなどについて伺いました。
「今まで100件ぐらい。映画やドラマ、再現ドラマ、ミュージックビデオなど。C Mでも使ってもらいました。いろんな要望があります。古い家、誰もいないところ、廃墟のビル、壊してもいいような建物など要望は多岐に渡ります。私は役所に入ってからいろんな部署にいたので、公用車でよく市内を走っていたので、景色はある程度わかります。知識を総動員して対応している、時には現地確認に行ったりしています」

渡部さんを含む3名が茂原のロケーションサービスとして活躍しています。東京からも近いことから、問い合わせは多く、部署ができてからの2年間でトータルの問い合わせは600件以上もあったそうです。有名な作品からほんのちょっとのシーンまで様々だそうですが、最近ではどのような作品が茂原の景色を取り込んでいたのでしょうか?
「映画「浅田家」のワンシーンや、「罪の声」などの映画の撮影がありました。ドラマだと「チアダン」。こちらの舞台は市内の中学校。今は廃校になっているのですが撮影当時はまだ学校がやっていたので、生徒たちと、俳優や制作スタッフとの交流もあり、よかったと思っています。最近だと「青のスクールポリス」藤原竜也さん主演。これら茂原で撮影したシーンがどのぐらいの長さ放送されているか、実は測っているんです。見ると思わず「お!映った!」って。たのしくやっています。」

茂原ロケーションサービスのホームページには、過去の撮影の一覧が掲載されています。今放送中のドラマもいくつか入っていますね。茂原市民の皆さんも、「あれ?これどこかで見たような景色や建物だな?」と感じたら、確認してみるといいかもしれません。茂原駅周辺のロケ地マップというものも公開されていて、こちらも茂原市役所のホームページからダウンロードしてみることができます。
ロケーションサービスでは、場所を紹介するだけでなく、地元の美味しいものの紹介もするラッキーなこともあったそうです。
「青くて痛くてもろい(吉沢亮、杉咲花 2020年夏公開) という作品の撮影で、撮影の合間に地元のオリジナル餃子のネギっぺ餃子を差し入れたんです。みんな美味しいと食べてくれました。数日後、村祭りのようなシーンのところでネギっぺ餃子にお呼びがかかり、屋台の店として映画のワンシーンに映ることになりました。スタッフ側が店ののぼりまで作ってくれたんです。これは茂原にとって快挙です。差し入れしてよかった。栄冠ですね(笑)」

この餃子、形は小さいお饅頭のような形なのですが、味は全国の自治体などが、魅力をアピールする「第5回全国ふるさと甲子園」で、グルメ部門で1位を獲得するほどの実力派。撮影スタッフが美味しいと絶賛するのもわかります。

毎日のようにある問い合わせに、この仕事に携わって、より茂原のことを細かく知ることができた渡部さん。もっと面白い場所、ロケだけでなく、写真撮影に素敵な場所もたくさんご存知とのことです。茂原市役所内の千葉もばらロケーションサービスに問い合わせると、教えてくださるそうなので、気になる方はホームページをぜひご覧ください。
2021/3/19 UP!
今回の取材は流山市です。

流山はみりん製造で栄えた町ということはご存知でしょうか?
流山は江戸川の東側、利根川との間に位置しています。現在も市内で味醂製造は行われています。ですが、今ひとつ、みりんで盛り上がっていないなと感じている方も多く、そこで流山商工会議所の商業部会の有志が「みりんde繁盛実行委員会」を立ち上げました。まずはガイドブックを作ってみようということになり、市内在住イラストレーターのノグチノブコさんに お声がかかったようです。

ノグチさんに経緯を伺いました
「2018年下の春から夏にかけて。そこでキラキラ可愛いフリーの冊子を作って、美味しいものなどを紹介していきました。本ができた頃、いろいろ歴史とかも知るようになり、さらにその辺りも網羅したらどうかという話になり、郷土史に詳しい方に話を聞いたりして2020年3月に新しい冊子を制作いたしました」
本を作っていくうちに、色々と興味深いことがわかってきて収まり切らなくなって新しい本を作ったようです。
ちなみに、流山でできた味醂は、最初は船で江戸、東京に運んでいました。それが鉄道(常磐線)で運べるようになって、流山から常磐線馬橋駅まで輸送用の鉄道が引かれました。これが今の流鉄です。さらに車で運ぶようになって、大きな橋も完成。みりん製造は流山のまちを大きくしていきました。

これはお隣、野田市の醤油とそれを輸送するために開通させた東武アーバンパークライン(野田線)との関係と似ています。
ノグチさんは、今までの歴史を知らないでいたが、知ってからはこれをもっと多くの人に知ってもらいたいと思うようになり、小冊子と別に漫画流山みりん物語を制作したということです。

ちなみに、みりんは現在は調味料としての認識が高いのですが、昔は飲み物として使われていました。製造過程がお酒と非常に似ています。
昔、戦国時代はお酒の一種として当時のセレブの間で飲まれていたそうで、甘めの味ですから、今の甘めの酎ハイのような感じだったのかもしれません。お正月にいただくお屠蘇(とそ)もみりんで作ります。
流山みりんの2大ブランドは万上(まんじょう)本みりんと天晴(あっぱれ)みりんですが、天晴みりんの方は紆余曲折があり、その名前が一度途絶えてしまっていたんですが、生産を受け継いだ業者が、2015年にその名前を復活させています。万上本みりんは現在も流山市内で生産されています。

流山を育てたみりんの歴史だけでなく、みりんを使った料理やスイーツなどにも興味を持ってもらいたいとノグチさんは話します。市内には、みりんを使ったケーキ屋さんや、和食、そして洋食もあります。実際取材で行ってみると、古い建物や蔵を改装したカフェなどもあり、散歩しながら楽しむことができます。
この春、お出かけになってみてはいかがですか?


2021/3/12 UP!
東金市に行ってまいりました。
鷹狩りなどの逸話も残る東金市にある、道の駅「みのりの郷東金」を訪ねました。こちらでは、オリジナルのお菓子 東金天門どう というものを生産販売をしています。
道の駅の駅長の今関雅喜さんにお話を伺いました。

まずは、東金天門どう とは何なのでしょうか?

「東金天門どうは野菜や果物を砂糖で炊いて乾燥させたものです。道の駅に加工場ができることになり、新しい名物をここから作ろうという話になりました。苺や葡萄を使ったものなどのアイディアが色々あったのですが、まずは柚子や生姜を使った昔からある 天門どう をアレンジしようと研究を始めました。

レストランの半田シェフが開発に尽力してくれました。かぼちゃは煮崩れしてしまったり、失敗も数々ありましたが食材の味が残るような加工を目指し、色々と研究しました。一つ一つの食材の特性が違うので、煮る時間、乾燥の時間が違う。ですので、これ、実は野菜によって別々に作っているんです。季節によって、椎茸、生姜、なす、紫空豆、レンコン、ミニトマトがあるんです。実は旬の野菜は取れすぎることがある。そう なると出荷すると残ってしまって次の日に廃棄されるということもある。有効活用ができてお土産になるので農家さんにも喜んでもらっているんです。」

とのことでした。
東金地域は、さまざまな野菜や果物が栽培されています。その作物をロスすることなく、お土産として、保存食として加工しているというのは地域の活性化にもつながることになります。みのりの郷東金によられることがありましたら、東金天門どうを探してみてください。
下の写真の建物は敷地内にある加工場。ここで東金天門どうは作られています。


道の駅があるところは元は植木の取引をしていた場所なので、今でも、植栽関係の販売を行っています。

2021/3/5 UP!
今回の取材は長柄町です。長柄町と千葉大学がタッグを組んで作り上げたものについてなのですが、、、それがこれ
ながらとガラナ〜いろはにほへと〜
です。
千葉大学で地方創生などのプロジェクトをされている工学博士の田島翔太助教授を中心に長柄町を盛り上げるプロジェクトが始まっていました。
それがこの写真にあるドリンクです。ガラナドリンクなんです。まさかとは思いましたが、田島先生に名前の由来などを伺いました。するとこんなお答えが

「ダジャレです。地方創生の授業の一環で始めました。長柄町には飲料メーカーのジャパンフーズや香料を扱うナリツカコーポレーションの工場がある。そこで役場の皆さんと学生も交えて、どうやろうかと考えているときに『ながらとがらな』が出てきた。そこから検討が始まったということですね。」
ちなみに、ガラナの原産地はアマゾン川流域で、日本ではありません。長柄町でも作られてないようです。
最初は他にも色々と案が・・・町でとれる無花果(イチジク)やタケノコ、自然薯という話もあったそうですが、ドリンクにするにはちょっとハードルが高すぎる。しかも、日本中各地でご当地ドリンクが作られている中、インパクトのあるドリンクを作りたかった。それならこれだろう!ということでガラナに行き着いたようなんです。確かに「ながらながらながらながら、、、、ガラナ!」になりますね。

飲料開発、間のデザインなども学生が積極的に参画し、今から1年前に完成。さぁこれから街をこのドリンクで宣伝するぞ!という時になって新型コロナ感染症の拡大。企画していたさまざまなイベントは全て休止になってしまいました。それでもまずは町民の方々に配布などをして町内の認知を図ってきて、今年春以降は、実際に販売に向けた動きが始まるようです。
田島先生は「ラジオやテレビで紹介されたことが功を奏してコンビニがおいてくれることになった。これからは販路の開拓が課題。町の事業でもあるので、儲けを求めている感じではないが、売れたら、売上金の一部を基金にして災害の時のまちづくりに生かしていきたい。一方で、このドリンクの開発に携わった学生のほとんどがこの春卒業してしまうんです。今後は新しい学生で新しい活動をしていく。町の人たちもそれを受け入れてくれている。すごくありがたいことです。来年度以降も頑張りたい」とおっしゃっています。

お近くのコンビニで見かける日も近いのではないでしょうか?ぜひ一度お試しあれ
2021/2/26 UP!
今回は神崎町を取材しました。神崎町は千葉県内で一番小さい町です。
町の中に発酵の里こうざき という道の駅があります。こちらが大変人気のスポットで、東京から高速バスに乗ってわざわざ訪れる方もいるという場所になっています。人口5000人ほどの神崎町になぜ人気スポットができたのか?


神崎町役場まちづくり課発酵の里推進室担当の、澤田聡美さん、通称おさとちゃんに、発酵の里を名乗るきっかけについて伺いました。
神崎町の中に2軒の350年以上のの歴史のある酒蔵があって、もともとそれぞれが酒蔵祭りをやっていたのですが、平成21年から町が主体になって、一緒にやりましょうとなったのだそうです。それが発酵の里を知っていただくきっかけになった。酒蔵祭りに2000人ぐらい来ればいいかなと思っていたら2万人来ちゃった。町の人がみんな驚いたそうです。今では5万5千人もくるという大きなイベントになっています。

発酵はお酒だけではありません。そこで、もともと道の駅の構想があったところに「発酵」のテーマでやっていこうと決めて、開業したようなんです。
神崎町はもともとは農業の町。美味しい水があるので。道の駅ができる前は年間5万人の観光客が来ていたのだそうです。大半が町の中にあるゴルフコースのお客さん、酒蔵祭りでプラス2万人になり、道の駅ができてからは、なんと一気に年間80万人に増えたそうです。ものすごい人気が出ているのがわかりますね。
お話を伺った澤田聡美さんは、週末になるとお里ちゃんというキャラクターに扮し、商品の説明をしたり、小学校でトークをしたりして、発酵伝道師として汗を流しています。

赤いほっかむりをしてカスリの着物をているそうなので行けばすぐにわかります。でも、平日は、先ほどご紹介した通り神崎町役場の職員です。週末やお休みの時はお里さんというかなりお忙しく活動しているようです。
発酵の里こうざきには、地元で作られたお酒や酒粕など、そして全国から集められた発酵食品が所狭しと並んでいるんです。



醤油もたくさんあるので買って味比べというのも楽しいところ。簡単に始められる糠床(ぬかどこ)なんていうのもあります。なんと水を入れるだけで糠床が。

ノンアルコールの甘酒や味噌を使った商品など見ているだけで楽しくなる場所です。
道の駅では、そこでしか買えない、お取り寄せができないフレッシュな発酵食品なども扱っているので、圏央道を走っている時、神崎の看板が見えたら、ちょっと寄り道してみてください。今は、感染症拡大防止の観点からお休みになっていますが、ぷくぷく講座という、発酵食品を作る(たとえば、手前味噌、モッツアレラチーズ、藍染め、ザワークラウトなどを作る)講座もあるようです。毎回テーマが違うようなので、心配なく出かけられるようになったら、ぜひ再開をしていただきたいと思います。楽しい発酵ワールドがきっとあなたを待っていますよ。
