2024/8/25 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、アロマセラピストの「中村姿乃(なかむら・しの)」さんです。
中村さんは子供の頃から植物好き。自宅の近くに大きな公園があり、お母さんやおばあちゃんとよく出かけ、植物の香りを嗅いだり、落ち葉を拾ったり、また植物図鑑も好きな、そんな子供だったそうです。
大学卒業後は、一般企業に就職。そんな中、30歳を過ぎた頃に、蚊に刺されると、熱が出たりするようになり、蚊の唾液によるアレルギーが判明。常に虫除けスプレーを持ち歩く生活になってしまったそうです。そんな頃、精油を使って自分で虫除けスプレーを作れることに気づき、会社勤めをしながら、週末、アロマの学校に通うようになったそうです。そしてアロマの素晴らしさを人に伝えたいと思うようになり、徐々にアロマにシフトしていったそうですよ。
そしてフランス・リヨンの専門学校でアロマテラピーなどの植物療法を学び、現在は都内でアロマテラピースクール&サロンを運営していらっしゃいます。また、先頃、新しい本『歴史や物語から楽しむ あたらしい植物療法の教科書』を出されました。
きょうはそんな中村さんに、植物療法の基礎知識のほか、香りを権力の象徴として使ったクレオパトラの逸話、そして音楽や絵本に登場するハーブのお話などうかがいます。
☆写真協力:関 純一

学びは「リヨン植物療法専門学校」
※専門の知識はフランスのリヨン植物療法専門学校というところで学んだそうですね?
「そうですね。最初は会社員時代は東京の学校でアロマの勉強して、日本のアロマの資格はいくつか取ったんですね。
会社員時代に何をしていたかというと結構面白い仕事をしていて、ジュエリーの仕事だったんですけれども、そのジュエリーのもとになる原石を売っている人たちに、世界中に行って取材をするっていうような仕事をしていたんです。
なので、アロマテラピーを始めた時も、エッセンシャルオイルのボトルの中に入る前の、植物を育てている人に取材してみたいって思うようになって、アロマテラピー発祥の地がフランスだったので、2014年ぐらいから定期的にフランスに行って農場とか精油メーカーを取材するようになったんですね。
で、そこのかたがたにお会いしたりすると、やっぱりフランスの植物学校ってすごくいいよとか楽しいよっていう話をうかがって、リヨンの植物学校に行き着いて勉強したいなっていうふうになりました」
●フランスにいろんな学校がある中で、そのリヨン植物療法専門学校を選んだのは何か理由があったんですか?
「そこはアロマテラピーだけじゃなくって、ハーブとかフラワーエッセンスとか、ペットのために植物を使うこととか、総合的に植物療法を教えている学校で、かなり規模も大きかったのと、私がお世話になっている農場のかたがたの何人かが、そこの学校の卒業生だったりとか講師をされていたりしたこともあったので、ここだったらいいかもっていうふうに思いました」
(編集部注:リヨンの専門学校は、実はコロナのパンデミックで、リアルな授業ができなくなり、それまでやっていなかったオンライン授業をスタート。中村さんはアロマテラピーの学科を1年間受講。授業はもちろんフランス語で、辞書を片手に格闘する日々が続いたそうです。それでも、日本で勉強するアロマテラピーの内容とは異なり、すごく面白かったそうですよ)

※どんな違いがあったんですか?
「例えば日本だと、『腕の痛みにおすすめの精油は何ですか? 理由とともに書きなさい』みたいな、そういう問題が多いと思うんですけど、なんかフランスだからか、すごく物語性があって、『62歳のモーリスさんは絵画をやっていて手を痛めてしまいました。彼はこの秋には個展を開くので、また絵画を再開したいと思っているんですが、お医者様に行ってもお薬では治らず困っています。あなただったらどんな精油をどんなふうに使うように、彼に総合的にアドバイスしますか』とかそんな感じで(笑)、情景が浮かぶようなレッスンとか・・・。
あとは植物について書かれたポエムが載っていたりとか、学習だけじゃなく感性も磨かれるようなレッスンで、それがすごく楽しかったですね」
●好きなことだからワクワクしそうですよね。
「本当にそうですね。フランス語つらいっていう思いもありつつ、やっぱり内容がわかると本当に楽しいっていうのがありました。終わったあとは本当に益々アロマとか植物のことが好きになれたかなっていう感じです」
まるごと一冊、植物療法

※ではここからは、中村さんの新しい本『歴史や物語から楽しむ あたらしい植物療法の教科書』をもとにお話をうかがっていきます。
この本は装丁が百科事典のように立派で、内容は植物療法の基礎知識から歴史、人物、物語など幅広く、読み応えがある、まさに教科書のような本なんです。中村さんはこの本を2年ほどかけて書き上げたそうですが、参考文献をたくさん読み込む日々でもあったそうですよ。
●こんな本にしたいというコンセプトのようなものはありましたか?
「この本のコンセプトというか、いちばんしたかったことがアロマテラピー、ハーブ療法、フラワーエッセンスとか、植物療法の中にもいくつかのジャンルがあるんですけれども、そのジャンルを敢えて分断しないで、横断的に見ていくっていうのがまずひとつのコンセプトだったんですね。
かつ、ハウトゥー本みたいな感じではなくて、植物療法全般の歴史とかそれに関わってきた人たちとか物語とか、背景の部分も楽しく読んでいけるっていうのがコンセプトでしたね。
私ももともとそういう本が欲しいなって思っていたところもあったので、それができるっていうのはすごく嬉しかったんですけど、結構プレッシャーもありました(笑)」
●勉強しながら作り上げていったっていう感じなんですね。
「そうですね。終わった今となっても本当にたくさんの学びがあったなっていうふうに思っています」
●すごく分厚くて難しそうな本かなって一見思ったんですけど、読み始めるとスラスラっと読めて楽しかったです!
「ありがとうございます! カラーで写真やイラストも入っているので・・・。4つの章に分かれているんですけれども、基本的にはどこから読んでいただいても大丈夫です。植物療法が初めてのかたは、パート1から読んでいただくといいかなと思うんですけれども、どこからでもお好きなところから読み進めて、ちょっとずつ読むっていうのでも全然大丈夫な本にはなっています」

植物療法の基礎知識
※では具体的に、本に載っていることをいくつかうかがっていきます。
まずは「植物療法の基礎知識」ということで、植物療法とは何か、教えていただけますか。
「植物療法って簡単に言うと、植物の力を使って、私たちがもともと持っている自然治癒力を高めて、病気の予防とか心や体のケアに使っていく。で、健康に導いていくっていうことなんですよね。
だから植物療法って聞くと、ちょっと難しく感じるかもしれないんですけれども、普通にお部屋の中でアロマ・ディフューザーで精油の香りを楽しむとか、ハーブティーを飲むとか、あとは森林に行って深呼吸するとか、植物を育ててすごく癒されるとか、そういうのも全部、植物療法のひとつになっていると思います」
●なぜ植物って癒す力があるんですか?
「細かく見ていくと、理由はちゃんとあるんですけど、植物って基本的には生まれてきた場所から自由に動くことができないので、そこで一生、生きていくために、長い歴史の中で、すごくたくさん進化をしてきているんですよね。
で、植物って常に有害なものから身を守る成分と、これからも地球上から絶えないようにするために、子孫を残す成分っていうのを作り続けているんですね。それが最近でも話題にはなっているんですけど、『フィトケミカル』っていうような成分もそれに含まれていて、それは植物の香りとか苦味とか色素とかを作っているような成分でもあるんですね。
なので、そういった成分に抗菌とか抗ウイルスとか抗真菌の作用があって、植物自身も守られるとともに、それを使った私たちも抗菌とか抗ウイルスの作用で感染症のケアができたりとか・・・。
あとは、そういう植物が作る成分って、紫外線をずっと植物は浴びているので抗酸化作用っていうのがあって、細胞が老化したり酸化したりするのを防ぐような成分が結構あるんですよね。そういうのを私たちが使うことで、ひいては老化の対策ができたりとか、そういったいろんな一面を植物は持っています」

●ひとくちに植物療法と言っても、本当にいろんな療法があるんですよね。
「そうですね。この本の中でもアロマテラピーだけじゃなくて、ハーブ療法とかフラワーエッセンス、森林療法 、園芸療法、ジェモセラピー、ホメオパシーなどなど、たくさんジャンルがあって、本のパート1では、それぞれの特徴もわかりやすく説明をさせていただいているので、ひとつかふたつは自分は知っているけど、ほかのはまだ聞いたことがないっていうかたも読んでいただけると、その違いがわかるかなと思います」
クレオパトラの香り!?
※中村さんの新しい本から、続いては、植物療法の歴史に少し触れたいと思います。本には紀元前3000年頃にはメソポタミアやエジプトで、すでに植物療法が用いられていたと書いてありましたが、どんなものが何に使われていたのでしょう?
「その頃はどちらかというと、もちろん治療的に使われていたこともあるかもしれないんですけれども、宗教とか儀礼的な舞台で植物の香りが利用されることが多かったみたいです。その頃の遺跡からはペースト状になった油に植物の香りがついた軟膏を入れていたような容器が、すごくたくさん出土しているんですよね。
なので、身分が高いかたが亡くなった時に一緒に棺の中にそういったものを納めたりとか、どちらかというと、暮らしの中で庶民が、っていうよりは、おそらく特別なかたがたが香りを重用していたのかなっていうような痕跡がみられるみたいです」
●歴史上の重要な人物も植物療法に関わっていたということで、例えば古代ギリシャの医者で、医学の父と言われているヒポクラテスは、植物療法の歴史においてどんな役割を果たしたんですか?
「ヒポクラテスが生きていた時代は、病気が神様の怒りに触れたりすることで、みんなに起こってしまうものっていうふうに信じられていたので、基本的に治療は神様の教えに従って神殿の中とかで行なわれていたらしいんですね。
で、ヒポクラテスはそういう呪術ありきの治療法に疑問を呈した人で、病気とか治療法は神様から与えられるものではなくて、理性に基づいた合理的で科学的な説明ができるはずなんだって考えて、彼は環境とか食事とか生活習慣とかが、人々の健康に大きな影響を与えるっていうふうに考えたようなんですね。
そんな中、彼は排泄を促すために下剤とか嘔吐剤とか利尿剤を薬草で作って、それぞれの人にアドバイスをしながら、それを渡したりとか、あとは生活習慣の中で薬草とか野菜とかオリーブオイル、ワイン、蜂蜜を積極的に食事の中に取り入れるといいよっていうようなアドバイスもしていたようなんですよね。
なので、今の私たちからすると生活習慣が健康を左右することになるっていうのは、もう当たり前って感じだと思うんですけれども、やっぱり当時のように長きに渡って病気と迷信がセットになっていた時代に、それを大きな声で発信していったっていうのは、すごく先進的な人だったのかなって思います」

※あのクレオパトラは、権力の象徴として香りを使っていたそうですね?
「彼女もすごく魅力的で頭が良くて、政治的手腕に長けたかただったようなんですけれども、彼女はとっても高価な香りのついた油とか香料をたっぷりと全身に塗ったりとかして、人々を魅了していたみたいなんですね。
特にバラとかジャスミンのお花がすごく好きだったみたいで、権力のある政治家とか軍人を晩餐会に招いた時には、くるぶしぐらいまでバラの花を敷き詰めて招待客を圧倒して、政治的な力を見せつけたっていうようなエピソードもあるみたいです」
●すごいですね〜! バラとかジャスミンのお花を浮かべたお風呂にも入っていたって、本に書かれていましたけれども・・・。
「本当に高貴なかたならではの、香りを使った処世術というか、すごいなと思いますね」
●華やかな香りがしたんでしょうね〜。
「香りがちょっと想像できるような、浮かんできますよね」
(編集部注:日本では、あの聖徳太子が医学や薬草の利用を広める重要な働きをしたそうですよ。興味のあるかたは、ぜひ中村さんの本を読んでくださいね)
ハーブは音楽や絵本にも登場!?
※この本では、植物と人の関わりが記された古典や文学、絵画や絵本、小説や映画、さらにはマンガやアニメなども紹介されていますが、実は音楽にも植物が登場するんですよね?
「そうですね。この本の中でもいくつか、音楽の中に紹介されている植物たちっていうのがあって、例えばサイモン&ガーファンクルの『スカボロー・フェア』っていう曲の中に、パセリとセージとローズマリーとタイムっていう4つの植物が出てくるんですけど、これが何を意味しているのかっていうのを考察してみたりとか・・・。
あとはエディット・ピアフの『バラ色の人生』とか、エド・シーランの『スーパーマーケット・フラワーズ』とか、いろいろな曲の中に出てくる植物と、それがいったい何を象徴しているのかなって、ちょっと考察してみたりしています」
●具体的な植物の名前を出すことで、歌の世界観がやっぱりググッと広がりますよね。
「そうですよね。植物って誰でもなにかしらの思い出があると思うんですよね。なので、植物の名前が出てくることで、自分の中の思い出スイッチみたいなのがちょっと刺激されて、きっとみなさん、心が動くところがあるんじゃないかなって思います」

●親近感にもつながりそうですね! 絵本でいうと「ピーターラビット」のシリーズにはいろんなハーブが出てきますよね。
「そうですね。ピーターラビットってすごく絵が可愛くて、みなさん多分、絵柄はご存知だと思うんですけど、結構、家庭環境が複雑なうさちゃんたちなんですね。
お母さんがひとりで4匹の子うさぎたちを育てていて、生計を立てるためにハーブをすごく使って、例えばハーブのお薬とかローズマリーのお茶とかを販売したりとか・・・。あとはうさぎタバコって言われるラベンダーを乾燥させたものを、みんなに分けたりとかして生計を立てているので、そもそもがハーブがベースになっている暮らしっていうのが描かれているんです。
そのピーターラビットのエピソードの中でも、ピーターがすごくいたずらっ子なので、畑に行ってどんどん野菜を勝手に食べちゃったりするんですけど、そこでピーターは自分で消化にいいハーブをちゃんと食べてケアをしたりとかしているんですよね。
なので、読んでいるとこれにこういう作用があるんだっていうのもわかるんですけど、すごく可愛らしくて、ハーブの情景も浮かんできて、とってもワクワクします」
スクール&サロン「野枝アロマ」
※中村さんが主宰されている都内・西荻窪になるアロマテラピースクール&サロン「野枝(のえ)アロマ」では、どんなレッスンをされているんですか?
「大きく分けると、フランス由来のアロマテラピーとか植物療法をお勉強していただけるレッスンと、あとは日本ならではのアロマテラピーを勉強することができるレッスンというのがあるんですね。
で、フランスの植物療法については、フランス由来のアロマテラピーで使う専用の成分とか、使い方をすごくわかりやすく深く勉強することができるNARD JAPANという協会の認定コースもやっています。あとは私自身がリヨンの植物学校で学んだ内容とか、農場とか精油メーカーを取材してきた内容を、スライドを見ながら楽しく勉強していただけるオリジナルのコースなんかもあります」

●一度だけ体験したいとか、そういうこともできるんですか?
「そうですね。体験レッスンもやっていて、そこでアロマテラピーの最初の一歩のお話をさせていただいたりとか、ルームコロンとか入浴剤とか美容オイルを楽しく作っていただいたりすることもできます。
あとはオンラインで説明会とかワークショップみたいなのをやることもあって、結構いろいろな地域から来ていただいたりもしているので、これからはもう少しオンデマンドの動画レッスンとかオンライン講座もちょっと充実させていきたいなと思っています」
●いいですね〜! フランスには今も定期的に行かれているんですか?
「はい、そうですね。1年に一回くらいは必ず行っています!」
●そうなんですね! で、精油とかアロマとかのメーカーだったり、ハーブの農場とかを周られているんですか?
「そうですね。必ず毎回訪れている農場とか精油メーカーもありますし、彼らに紹介してもらって、また新しい農場に行ったりすることもあります」

●近々行かれる予定はあるんですか?
「もうシーズンが一回終わってしまっているので、次に行くのはおそらく来年の5月6月ぐらいかなと思っていて、そこでは取材とともにリヨン植物療法専門学校で、私が日本のアロマテラピーについての授業もさせていただく予定です」
●そうなんですね、すごい! では最後にアロマテラピーを通して、どのようなことを伝えていきたいですか?
「とにかくアロマテラピーを始めとした植物療法は、私たちの心とか体を元気にしてくれる素晴らしい可能性を秘めているということと、やっぱり古代からずっと私たち人間に、一緒に寄り添っていてくれている植物のことを知ることは、とにかく楽しくて学び甲斐があることだっていうことですね。
なので、そういうことをみなさんにお伝えすることで、今まで何の気なしに見ていた植物に対して、ちょっと興味が湧いたりとか、自分とかご家族の健康に興味が湧いて、自分とか周りの大切なかたがたを植物で癒して元気になっていくきっかけになったら、すごく嬉しいなと思っています」

INFORMATION
中村さんの新しい本をぜひ読んでください。アロマテラピー、ハーブ療法、フラワーエッセンス、森林療法などの解説に加え、植物療法の歴史、人物、物語などなど読み応え、見応えがありますよ。フランスの農場などに行った取材レポートも写真入りで載っていますよ。おすすめです! 翔泳社から絶賛発売中です。詳しくは、出版社のオフィシャルサイトをご覧ください。
中村さんが主宰されているアロマテラピースクール&サロン「野枝(のえ)アロマ」について詳しくは、ぜひオフィシャルサイトを見てくださいね。
◎野枝アロマ:https://noe-aroma.com
◎インスタグラム::https://www.instagram.com/noe_aroma/
2024/8/18 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、「いきものデザイン研究所」を主宰するイラストレーター「一日一種(いちにち・いっしゅ)」さんです。
一日一種さんは、主宰するサイト「いきものデザイン研究所」に掲載する、生き物に関する4コマ漫画がとても人気です。また、日本自然保護協会NACS-Jの会報誌「自然保護」にも連載されています。
そんな一日一種さんには約3年前に、初心者向けのバードウォッチングの本を出された時にご出演いただいたんですが、今回は先頃、『いきものづきあいルールブック』という本を出されたということで改めて番組にお迎えすることになりました。
きょうは、海、川、山、そして公園などで、自然や生き物と関わるときに、知っておきたい法律やマナーについてわかりやすく解説していただきます。
☆協力:誠文堂新光社

楽しくライトに
※一日一種さんは、環境アセスメントなどを行なう会社に勤務し、野生生物などの調査員として活躍後、独立。現在はフリーのイラストレーターとして、マンガやイラストを通して野生生物の魅力を伝える活動を行なっていらっしゃいます。また、生き物に関する本も数多く出版されています。
そんな一日一種さんの新しい本が『街から山、川、海まで 知っておきたい 身近な自然の法律〜いきものづきあいルールブック』。
この本を出そうと思ったのは、良かれて思って野生動物を助けたのに、実はそれが法律を犯していた、そんなケースもあるので最低限、生き物や自然に関する法律は、知っておいたほうがいいのではないか、そんな思いがあったからだそうです。
法律やマナーというと、ちょっと難しいイメージがありますが、この本はマンガやイラストでわかりやすく解説。登場するキャラクターは、人間に化けて街中で暮らすキツネやタヌキ、そして架空の自治体の環境課に勤める、生き物好きの女性の課長というラインナップで、とても親しみやすくて、楽しく学べる本になっています。

●自然や生き物に関する法律などは、以前、一日一種さんがお勤めになっていた、環境アセスメントを行なう会社で、仕事の一環として学んだという感じなんですか?
「そうですね。仕事でもやっぱ調査業をやっていますと、動物を捕獲するために鳥獣保護管理法の許可が必要だったりとか、私有地に入って調査する時とかもあって、そういう時に許可が必要だったりとか、そういうことは確かにあって勉強にはなりましたね。ただ、本を見ていただくとわかるかもしれないですけど、網羅的に山から川、海までなんでも扱っている感じなので、結局新しく勉強したところが大きいですかね」
●この本を出すにあたって、いちばん苦心したのはどんなところですか?
「法律の解説は割と淡々と行なってはいるんですけれども、いちばん気を遣ったのはお説教みたいな感じにならないようにっていうところですかね。法律の本で、しかもマナーの話もするってなると、どうしてもお説教っぽくなってしまいがちだと思うんですね。
僕自身もそういう生き物警察みたいな絡み方はしたくないというか、そういうのが嫌なので、漫画を読んでいただくとわかるかもしれないですけど、できるだけ楽しくライトに、幅広い人に気軽に知ってもらえればな~っていう思いを込めて、なるべく説教臭くならないようにっていうところが、いちばん苦労したところかなって思いますね」
●本の最初にチェックするべき法律の内容は、大きく分けると「種」と「場所」そして「方法」の3種類があると書かれていました。どういうことなのか具体的に解説していただけますか?
「便宜的にそう分けるとわかりやすいかなと思って分けたんですけれども・・・というのは法律って結構たくさんあるじゃないですか。自然の法律もそうなんですけれども、いろんな法律があって、法律ごとにその目的とか規制している範囲っていうのがかなりまちまちなんですよね。
ある法律では種を対象に保護している、ある法律では面的に保護していると・・・。あと、ある法律では方法について、例えば漁業関係だったらこの用具を使って獲っちゃダメとか、これならいいとか。そういう方法についても規制している、それぞれの規制しているものが、種と場所と方法で分けるとわかりやすいかなって思って、そういうふうに分けましたね」
山は誰かのもの!? 海は密漁!?
※では本の中から、いくつか事例を挙げて、お聞きしていきたいと思います。
この本『いきものづきあいルールブック』ではフィールドを、例えば「街中と身近な自然」とか「山」「河川や湖」そして「海」など、いくつかに分けて解説されています。
夏休みということで、まずは「山」に関する事例から。初歩的な質問なんですが、山はどこでも入っていいんでしょうか?
「特に規制しているものがなければ、結構するっと入っていけちゃうし、入っていっていいと普通の人は思っているとは思うんですけれども、原則としてはそこは誰かのものではあるんですよね。国が持っているものにしろ、私有地にしろ・・・。
だから入ったことで即、法律違反とはならないんですけれども、例えば私有地だったら入っていった時に、そこで出てってくれって言われたら、もちろん出ていかないといけないですし、規制をしていたら、そこにロープとかで立ち入り禁止とかちゃんと表示がされていたら、それを乗り越えて入ることは不法侵入に確実にあたってしまいます。そういうところは注意しないといけないですね。
最近は“バリエーション・ルート”とか言って、いろんな場所を道なき道を行くような山歩きの楽しみ方とかもあるんですけれども、原則としてはそこは誰かの所有地であるので、歩くこと自体は基本的には問題ないけれども、いろいろと気を付けないといけないっていうのはあります」

●山は誰かのものなんだ! っていう意識を常に持っておかないといけないですね。
「はい、そうですね。それがないと歩いていって、そこの自然を傷つけちゃったりとか枝を折っちゃったりとか、勝手に何かを採っちゃったりとか、そういうことをしかねないので、どこを歩くにしろ、そこは誰かの所有地っていう意識があるとトラブルは少ないかなと思います」
(編集部注:山で見つけた山菜やキノコは原則としては採ってはいけないということです。個人で楽しむ程度なら、まだしも、大量に採って販売したりすると、「森林法」に触れて、森林窃盗になることもあるそうです)
※続いて「海」にいってみましょう。夏ということで、家族で磯遊びに行くかたも多いと思います。潮だまりにいろんな生き物がいて、観察するのも楽しいと思うんですけど、法律的に特に気をつけることはありますか?
「磯遊びとか、海辺で生き物を捕まえたりする時に気をつけたいのは、やっぱり漁業関係の法律ですかね。アワビの密漁とかアワビに限らず海産物ですね。ナマコだったりサザエだったりタコだったりとか、細かい種類はそこの地域地域によっても分かれていたりはするんですけれども、今言った海産物は、例えば自然観察のためにちょっと獲るぐらいでも、割とそれでアウトになってしまうこともありますので、基本的に気をつけたいですね。
持って帰るのはまず基本的にはやらないほうがいいっていうのがあるのと、あとはそこの海辺で特に厳しく規制されているものは何かっていうのは、事前に知っておいたほうがいいと思います。有名な磯遊び場だと看板がちゃんとあるので、それを見ておけば問題はないですね。「サザエ、タコ、アワビ 密漁ダメ!」みたいな看板が大抵あるので、それさえ気をつければ基本的には大丈夫ですね」

●釣り好きのかたは、夏に限らず海釣りに行くことも多いと思うんですけれども、特に守らなきゃいけないマナーとかって、どんなことがありますか?
「海釣りについて、よく問題視されているのは、立ち入り禁止の場所に勝手に入っちゃうっていうやつですね。川と違って、あんまり遊漁券とかないんで、割とどこでも自由に釣りができるっていう側面があるんですね。釣れる場所が堤防の先端のほうだったりして、そういう場所って大抵危険な場所なので、波に飲み込まれてしまったりとか、立ち入り禁止になっている場合が多いんですけれども、でも釣れるからって結構入っていっちゃう人が多いんですよね。
夏になるとニュースによく取り上げられて、“柵を乗り越えて勝手に侵入!”みたいなニュースになっていたりもするんですけれども、基本的に法律違反にはなってしまいます」
河川敷は自由に使える!?
※本に「河川敷は誰のもの?」とありました。これはどういうことなんでしょう?
「河川敷って割と誰でも自由に使える場所っていう認識があるかなって思って、そういうふうにタイトルをつけたんですけども、実際には法律もやっぱりちゃんとそこにあるし、やっちゃいけない行為もあるっていうのを知ってもらいたいなと思って、“誰のもの?”っていう言い方をしました」
●確かにジョギングしたりとかバーベキューしたりとか、河川敷って自由に使えるものだという印象もありましたけれども、そうではないってことですか?
「割とみんなのものっていうイメージもあって、自由にみんな使っているっていうのと、あと『自由使用の原則』っていうのが河川敷ではよく言われていて、誰でも自由にいろんなことができますよ! っていうのはあります。

その中でもやっちゃいけないことは河川法とか、そのほか生き物関係の法律とか、あと漁業関係の法律とかで規制されている部分はあるので、一般常識の範囲内であれば大丈夫と思っていただいて、今おっしゃったようなジョギングしたりとか運動したりとか、場所によってはバーベキューとかも許可が必要だったりするかもしれませんけれども、そういう細かいところは自分の住んでいる自治体の情報をチェックすれば大丈夫だと思います」
●河川での釣りはどうですか?
「川の釣りは大抵の場合は遊漁券が必要になっちゃいますね。なくてできる場所もあると思いますけども、大体釣りをやっている人は遊漁券を買って釣りをしています。
遊漁券っていうのは、全然釣りを知らない人には馴染みがないかもしれないですけども、生業としての釣りじゃなくて、遊びとしての釣りをやるための権利を漁業組合さんとか管理をしていらっしゃる人たちに一定のお金を払って、そこで釣りをさせていただくための権利っていうものですね。なので、河川で釣りをやる場合は一応法律に気をつけるべきっていうのは、あらかじめ知っておいたほうがいいと思います」
野鳥のヒナを見つけたら・・・
※街中でもいろんな生き物が暮らしています。以前、スタッフが公園で巣だったばかりのヒヨドリのヒナを見つけたことがあったそうです。親鳥と、はぐれたようだったということなんですが、そんな時はどうすればいいですか?
「結構ケース・バイ・ケースなところもあるんですね。原則としては見守るっていうのが大前提ではあるんですけれども、自然の摂理なので・・・。
まず、親とはぐれてしまったっていうことは、ほとんど人間にはわからないと思います。ヒナが落ちているとして、周辺に親がいないかを探してみて、見つかるっていうことはほぼないと思いますね。親鳥も人間に見つからないようにどこかに隠れていると思いますし、ちょっと距離をとっているかもしれないですし、それが親鳥ってわかるケースはほとんどないんじゃないかなと思います。親鳥は近くにいるだろうっていう前提で考えたほうがいいと思いますね。

あとはケガをしていたとしたら、それがなんでケガをしていたのかにもよって対応は変わると思いますね。人間のせいで交通事故にあってとかバードストライクにあってとか、人間活動が原因でケガをしていたのならば、自治体さんによってはそれを助けている、『傷病鳥獣救護』って言うんですけども、救護している場合もあります。そういう場合は自治体にまず連絡をしてみるっていう対応になりますね。
一方、野生動物同士の闘いとかでケガをしていたっていうのがあれば、かわいそうっていう人もいるんですけども、う~ん・・・自然の摂理ではあるので、基本的には、見守るだけ、何もしないっていうのが、いちばんいいんじゃないかなとは個人的に思いますね。
この本全体としても言っているんですけれども、野生動物にはむやみに人は関わらないっていうのが、まずいちばんの大前提になりますね。かわいそうだからとか、そういう理由で手を差し伸べてしまうと自然にとってよくないこともあるし、法律に触れてしまって自分自身の身も危ういこともあるので・・・まとめると、結構ケース・バイ・ケースであるんですけど、基本的には見守ろうっていうことですね」
(編集部注:公園でたまにハトにエサをやっているかたを目撃することがありますが、ハトの餌やりは、フンの害などもあって、大田区など、条例で禁止している自治体も増えているそうです。
そして、夏休みということで、近くの公園に出かけ、お子さんと一緒に昆虫採集をしている、そんなかたも多いと思いますが、禁止している看板などがなければ、基本的には大丈夫だそうです。ただし、東京都内の都市部の公園、新宿御苑や明治神宮の杜、国営昭和記念公園などは禁止です。お出かけになる前に昆虫採集が禁止されていないか、ホームページなどでチェックすることをお勧めします)
自分を守るためにも
※私たちが暮らしていく中で、最低限知っておいたほうがいい自然や生き物に関する法律はなんでしょう?
「やっぱり書籍の最初のほうに書いたやつがそうなんですけれども、普通に街で暮らしている人でも『鳥獣保護管理法』と『外来生物法』の、ざっくりした概要ぐらいは知っておいたほうがいいんじゃないかなって、個人的に思いますね。そのふたつだけは本当に生き物に興味なくても関わっちゃうことがありますし、特に外来生物法は最近結構、罰則が厳しいので、気をつけたほうがいいと思います」

●では最後に新しい本『いきものづきあいルールブック』で、いちばん伝えたいことはどんなことでしょうか?
「いろいろと厳しい法律はあるし、細かい法律をすべて覚える必要はないんですけれども、生き物を獲ったりとか、生き物に関わる場合はいろんな法律があって、自分が行動したことによって、割と重い罰則になってしまうこともあるっていう認識だけは、持っておいたほうがいいかなって思います。
自然を守るためというよりは、なんでしょうね・・・普通に優しい人が生き物に関わって、よかれと思ったことで(SNS で)炎上したりとか、本当に見ていて辛いので、そういうことがないように、生き物と関わる法律はいろいろあるんだよ! っていう認識だけは持っておいてほしいな~とは思います。それがいちばん伝えたいことですかね」
INFORMATION
『街から山、川、海まで 知っておきたい 身近な自然の法律 〜いきものづきあいルールブック』
一日一種さんの新しい本をぜひチェックしてください。生き物に関する法律やマナーがマンガとイラストでフィールド別にわかりやすく解説、生き物を飼うときのルールも載っていて、気になるところから読めますよ。誠文堂新光社から絶賛発売中です。詳しくは、出版社のオフィシャルサイトをご覧ください。
◎誠文堂新光社:https://www.seibundo-shinkosha.net/book/science/85729/
一日一種さんが主宰している「いきものデザイン研究所」のサイトもぜひ見てください。
◎いきものデザイン研究所:http://wildlife-d.xsrv.jp
2024/8/11 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、自転車旅のエキスパート
「鎌田悠介(かまた・ゆうすけ)」さんです。
鎌田さんは1987年生まれ、福島県会津若松市出身。新潟大学在学中に総合格闘技を習い始め、ほかにも日本国内を自転車で旅するようになったそうです。卒業後は新潟の企業に勤め、その一方で28歳の時に総合格闘家としてプロデビュー。2016年には新人王を獲得。
そして2019年31歳でオーストラリア、2023年36歳でアイスランドを自転車で旅をされ、その時の紀行文が先頃『白夜疾走〜アイスランド自転車一人旅』として出版されました。
きょうはそんな鎌田さんに白夜の国アイスランドの旅や、自転車旅の醍醐味のほか、愛用している宙に浮くテントのお話などうかがいます。
☆写真協力:鎌田悠介

自転車旅、きっかけはお遍路!?
※アイスランドの旅のお話の前に、大学在学中に始めた日本国内の自転車旅について。旅に出る、なにかきっかけがあったのでしょうか?
「ひとつの本と出会いまして、それは四国でお寺を八十八箇所まわる、お遍路をするというような本でした。そういったものがあるんだなと気付いて四国まで(行きました)。当時新潟にいたんですけれども、四国まで何で行こうかと考えた時に、自転車で行こう! と考えまして、そこから自転車旅が始まりました」
●なんでまた旅の手段を自転車にしようと思われたんですか?
「単純に車がなかったのと、あと大学生らしくていいかなと思ったのと、夏休みを利用してというような形でしたね」
●実際に自転車で旅をされて、いかがでしたか?
「やっぱり車や公共交通機関では訪れることができないような町を訪ねることができて、普段は気づけないような景色とか出会いとか食べ物とか、そういったものに触れられるっていうのは、自転車旅のいいところなんじゃないかなと思っています」

●寝泊まりはどうされていたんですか?
「テントと寝袋を持って旅していましたので、野宿というような場合も多かったです(笑)」
●そういうアウトドアスキルみたいなものって、鎌田さんはどうやって身につけたんですか?
「それこそ自転車旅を通して身につけていきました。最初はわからずに、余計な物もたくさん持っていったりしていたんですけれども、やっぱり旅を進めていく中で、どうすれば外で生活できるかなっていうのを考えながら、必要なものを買い足してトライ・アンド・エラーしていったというような形で、最終的にアウトドアスキルが身についていったと考えています」
●暑かったり寒かったり、雨が降ったり風が吹いたりって、いろいろ天候にも左右されると思うんですけど、経験から身につけた対処法とかってあるんですか?
「え~っと、対処法というのはほとんどなくて、(自転車旅は)雨や風にさらされるしかないので、どちらかというと心構えを変えるとか、そういったことで対処していましたね。
はっきりと意識が変わった瞬間というのを覚えていまして、島根県の日本海側を走っていた時に、私、雨の日を走るのは嫌がっていたんですけれども、ほかに自転車で旅しているかたがいて、その人は“雨でも走るよ!”と言っていたので、その時に心境が晴れて、日本で旅している以上半分は雨なので、雨の日を嫌っていてもしょうがないなっていうふうにその時に思いました。それからは関係なく雨も楽しむようになっています」
(編集部注:大学生の時の最初の旅「四国」は、仲の良い友人とふたりで行ったそうですが、その後は日程などが合わず、一人旅になったとのこと。旅に出るときは、自転車にキャンプ道具のほか、自転車用工具なども積むことになり、なるべく軽くしたいけれど、そうもいかず、悩みどころだそうですよ)
アイスランド自転車旅
※ここからは、先頃出された本『白夜疾走〜アイスランド自転車一人旅』をもとにお話をうかがっていきます。この本は、去年の6月末から8月にかけて行なった旅を日記形式で綴ったものです。

アイスランドは日本と同じ島国で、火山があったり、温泉に恵まれていたり、水資源が豊富で漁業も盛ん、ということで、日本との共通点も多い国なんですね。自転車旅の行き先をアイスランドにしたのは、どうしてなんですか?
「理由としては、子供の時に地理の教科書とか資料集で見たアイスランドの写真が印象的で、こんな綺麗な場所があるんだなと思っていました。そんなちょっとくすぶっていた気持ちが大人になって、(アイスランドに)行ってみようっていうふうになって、ようやくこのタイミングで行けたというような形ですね」
⚫️ちょうど白夜の期間に旅をされていましたけれども、白夜に慣れるまで眠れなかったりとかしませんでしたか?
「はい、おっしゃる通り眠れませんでした。窓から差し込む日光の明かりが、顔に当たるとやっぱり眠れませんので、そういった時は服とか、着ていたダウンとかを顔にかけて、なんとか暗さを確保して寝るというので、慣れるのにちょっと時間がかかりました」
⚫️反対に白夜でよかったっていうこともありますか?
「やっぱり暗くならない! 見える! っていうところですね。自転車で走っていても、街灯とかはもちろんないんですけれども、日が沈まなければ視界が確保できるので走行できるというのと、あとテントとか設営する時も周りにどういったものがあるのかとか、地面に何があるのかとか、動物の気配があるのかないのかも確認できますので、そういった意味では非常によかったです」

⚫️アイスランドは、北海道よりもちょっと大きいくらいということですけども、本に載っていた地図を見てみると、(島内を)時計周りにぐるっと回られたんですね。このコースにしたのはどうしてなんですか?
「まず、首都レイキャビークは南西のほうに位置していまして、最初に北に向かいたいなと思いまして時計回りを選択しました。あと過去に北海道を一周した時に、私は反時計回り選択したんですけれども、ちょっと風向きが辛かった気がしたので、もしかしたら北半球だと時計回りのほうが楽なのかな〜というような仮説があって時計回りを選択しました。結果あまり関係なかったです(笑)」
(編集部注:アイスランドで、1日に走った距離は平均80キロから100キロ、全走行距離は2000キロを超えたそうですよ)

フィヨルド地形、厳しいアップダウン
※アイスランドは地形的にはどんな感じなんですか?
「私は海岸沿いをよく走っていたんですけれども、やっぱり氷河で作られたフィヨルド地形が多くて・・・落差がありまして、アップダウンがとてもあるコースとなっていましたので、毎日泣かされていました」
⚫️わ〜! アップダウンが激しいとなかなか厳しい旅でしたね?
「とても厳しかったです。せっかく登ったのにすぐに海抜0メートルまで降りて、またすぐに登るというような・・・ちょっともったいないなと思いながら(笑)」
⚫️そうなんですね。ため息が出るほど美しかった景色とかはありました?
「やっぱり毎日見ていましたけれども、フィヨルド地形は綺麗だなと思いながら見ていました」

⚫️どんな景色なんです?
「やっぱりまず、山なんですけれども、日本と大きく違うのは木がない点ですね。なので、日本の景色からは想像できないと思いますけれども、山肌がそのまま見えて、そこに川がどういう形でうねっているのかも遠目で見て分かりますし、こういうふうになっているんだと思いながら毎日感銘を受けて(自転車で)走っていました」
⚫️いいですね。あと氷河の湖の写真も本に載っていましたけど、氷の色が水色でしたよね?
「はい、あれは高圧で氷を作ると、あのような色になるとのことです」

⚫️氷河が溶けて湖になっていたっていうことですか?
「はい、氷河の後退で削られた地形に真水が溜まったものが氷河湖であると思います。海沿いだとそれが海水で満たされて、フィヨルドになるというようなところだと思っています」
⚫️立ち寄った町で思い出深い町ってありますか?
「やっぱり北西にあった『イーサフィヨルズル』という町がとてもコンパクトで印象的でした。二日間しか滞在はできなかったんですけれども、小さな町ながら、パン屋とかカフェとかスーパーとかまとまっていて、とても過ごしやすそうだなと思っています。また行く機会がありましたら、滞在してみたいなと思っています」
(編集部注:アイスランドは世界最大の露天風呂「ブルーラグーン」があることでも有名ですよね。鎌田さんが利用したキャンプ場なども、隣りに水着着用で入る温泉があったそうですよ。また、レストランで食べたお料理では、ラム肉がとても美味しかったとおっしゃっていました)
自然エネルギー大国「アイスランド」
※アイスランドは電力を100%自然エネルギーで賄っていて自然エネルギー大国と言われているそうですが、旅をしていく中で、そういうことを感じたりしましたか?
「はい、やはり地熱を利用しているという点がすごく賢いなと思っていました。地熱発電ではなくて地熱を利用してお湯を作って、そのお湯をそのまま建屋に引いて、暖房だったりそのまま調理用の水として使うというような場所もありました。これはわざわざ電気を介さないで使えますので、すごく賢いなと思っていました。蛇口から80度のお湯が出ますので、そのままコーヒーを作れるというような場所もありましたね」
●え~すごい~! アイスランドのかたがたの自然や環境に対する意識の高さみたいなものは感じました?
「特別に意識が高いかというと、そういうところはないのかなと思いますけれども、やっぱりとても自然が厳しい場所ですので、そういった意味で当たり前のように(自然に対して)敬意なり畏怖なり、そういったものは持っているんだろうなっていうのはなんとなく読み取れます」
⚫️宿泊先などで、環境に負荷をかけないような取り組みは何かありましたか?
「やっぱり“エネルギーは大事にしましょう!”というような張り紙があったり、“このお湯はガスで沸かしているから大事にしてください!”みたいな、そういった掲示はありました」
⚫️鎌田さんのYouTubeも拝見しましたけど、旅先でのゴミ拾いを心がけているんですね?
「はい、自転車で旅している中でまったく人がいないような場所にも、人工物のないような場所にも空き缶でしたりペットボトルが落ちていますので、そういったものを拾おうと心がけています」
⚫️ゴミから何か見えてくるものとか、感じることはありました?
「ちょっと大きな話になりますけれども、大自然の中に人工物があるのはやっぱりちょっと違和感がありますね。なので、ゴミっていうのはどうしても広がってしまうんだなっていうふうに感じてしまいます。捨てる人と拾う人がいるのかなと・・・それだったら拾う側になろうと」
宙に浮くテント「テントサイル」
※鎌田さんはアイスランドの旅で、宙に浮くテントを使っていました。また、YouTubeで使い方などを説明されています。この宙に浮くテントは、どこのメーカーのテントでどうやって設営するんですか?
「イギリスのメーカーの『テントサイル』と呼ばれるテントです。簡単に言いますと3支点型のハンモック状のテントになります。設営の仕方は、まず三角形になる支点となる木でしたり、まあ木が多いですね。木を探すというところから始まりまして、木がなければ固定できる三角形の支点をまず探すところから始めまして、そこにロープをくくりつけてテントを張っていくというような形です」
⚫️今は公認のマスターでもいらっしゃるんですよね?
「はい、公認のテントサイル・マスターとして・・・以前オーストラリアの自転車旅をした時に、このテントを使わせていただいて、大体60泊ぐらいしたと(SNSで)つぶやいたら、公認を受けました(笑)」
⚫️そうなんですね~! でも柱になるような木とかがないと設営できないってことですよね?
「はい、支点がないと設営できません」
⚫️結構(設置場所が)限られませんか?
「そうですね。そういった意味では若干、設営場所は制限をされます。支点になるものがある場所でないと建てられませんので・・・」
⚫️あと、宙に浮いているってことは、(テント内で)動くたびに揺れちゃって不便じゃないかなって思っちゃうんですけど、実際はどんな感じなんですか?
「揺れないってことが、私は最大のメリットだと思っています。二支点のハンモックだと横に揺れるような気はするんですけれども、これがやっぱり三角形で支えますので、どうしても中に入る時に多少は揺れるんですけれども、揺れとか風などにはとても強くて安定しています」

⚫️そうなんですね~。改めて宙に浮くテントの利点は、どんなところにあると思いますか?
「いま申し上げた、まず風に強いっていうのが最大のメリット、筆頭としてありまして、次に床の状況の影響を受けないことですね。岩場でしたり木の根っこがありましたり、あと水たまりができていたりしても関係なく設営ができます。また、斜面であっても水平が取れるので、そういった意味で床敷きのテントよりもメリットはあるかなと思っています」
(編集部注:「テントサイル・ジャパン」のサイトによると、宙に浮くテントサイルは、もともと災害用のポータブルテントとして日本に持ち込まれたそうです。テントを張るための支柱さえ確保できれば、地面がデコボコでも水たまりでも設営できるのはいいですね。詳しくは「テントサイル・ジャパン」のサイトをご覧ください)
☆テントサイル・ジャパン:https://tentsile-japan.com
※では最後に、新しい本『白夜疾走〜アイスランド自転車一人旅』を通していちばん伝えたいことはなんですか?
「やっぱりいろいろな選択肢があるんだっていうのをいろいろな人に伝えたいですね。私は格闘技をやっていたり、サラリーマンであったりと、いろんな経験があるんですけれども、そこからいろんなことをやってもいいんだ!と・・・で、そのためには本を通して、いろいろな場所があって、いろいろな人がいて、いろいろな生き方をしているっていうのを、読みながら感じてもらえればいいかなと思っています」

INFORMATION
鎌田さんの新刊は初めての国、初めての白夜に戸惑いながらも、およそ1ヶ月半、自転車で走り抜けた旅の記録が日記形式で綴られています。鎌田さんの目を通して、アイスランドという国を知ることができる、そんな本でもあると思います。ぜひ読んでください。文芸社から絶賛発売中です。詳しくは、出版社のオフィシャルサイトをご覧ください。
◎文芸社 :https://www.bungeisha.co.jp/bookinfo/detail/978-4-286-25350-3.jsp
鎌田さんのSNSや、宙に浮くテント「テントサイル・ジャパン」のサイトもぜひご覧ください。
◎インスタグラム:https://www.instagram.com/yusuke.kamata_/
◎テントサイル・ジャパン :https://tentsile-japan.com
2024/8/4 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、ヨットで単独 無寄港 無補給による世界一周の日本人最年少記録を樹立した「木村啓嗣(きむら・ひろつぐ)」さんです。
木村さんは、大阪府高槻市にある環境ソリューション企業「浜田」の社員で、ヨットによる世界一周は「Go around Re-Earth~Renewable Challenge for the Earth.~」というタイトルが掲げられた会社のプロジェクトでもあったんです。木村さんは、ひとりで操船できるように改造した大型のヨットに乗り、去年10月22日に新西宮ヨットハーバーを出港、そして今年6月8日に無事に戻ってこられました。
世界一周にかかった日数は231日! 走った距離はおよそ52,000キロ! という、とんでもない大冒険だったんです。
今週は、そんな木村さんをお迎えし、およそ7ヶ月半にも及ぶたったひとりの航海や、大海原で目撃した絶景、そして今後のチャレンジについてうかがいます。
☆写真:(株)浜田 提供

日本人最年少記録を樹立!
●今週のゲストは、ヨットで単独 無帰港 無補給による世界一周を成し遂げた木村啓嗣さんです。きょうはよろしくお願いいたします!
「よろしくお願いします」
●木村さんは世界一周を24歳9ヶ月で成し遂げて、それまで海洋冒険家の白石康次郎さんの持っていた26歳10ヶ月という記録を塗り替えて、日本人最年少記録を30年ぶりに更新されました。すごいことですよね。おめでとうございます!
「ありがとうございます」
●そしてお帰りなさいませ!
「はい、ただいまです」
●無事に日本に帰ってこられて本当によかったです。出港地の新西宮ヨットハーバーに戻ってこられたのが今年の6月8日ということで、2ヶ月ほど経ちましたけれども、今の心境はどんな感じですか?
「帰ってきた瞬間はあまり実感がなかったんです。達成した、やりきったっていうのはなかったんですけど、その日、揺れないベッドで寝て、みんなからお祝いのメッセージや連絡がいっぱい来て、徐々に実感し始めて、雑誌やテレビの取材を受けて、徐々に実感がわいてきて、きょうここにいるっていうイメージなので、実感をかみしめているきょうこの頃です」
●231日間、およそ7ヶ月半ですね。
「長かったです」

(編集部注:実感を噛み締めている木村さんなんですが、なぜヨットで世界一周に挑戦しようと思ったのか、気になりますよね。木村さんによれば、偶然の重なりだったということなんですが・・・
大分出身の木村さんは、たまたま進学した高校にヨット部があって入部。ヨットの競技にのめり込み、選手として活躍。17歳の頃に海洋冒険家の白石康次郎さんが世界一周のヨットレース「ヴァンデ・グローブ」に挑戦することを知り、憧れたそうです。
その後、海上自衛隊に入隊。木村さんが乗る船が神戸の造船所で修理、その期間が延び、休みの日に再びヨットに乗るようになり、ヨット愛が再燃。
当時20歳前だった木村さんは、結婚するまでに伝説になりたい! 何者かになりたい! そんな思いを抱き、当時の最年少記録保持者だった白石さんの、26歳の記録を塗り替えるなら、あと6年ある。何者かになるなら、ヨットで世界一周だ〜! と思い立ったそうです。
そして、まずは資金集めだと思い、セイリング・クルーザーのオーナーが集まるコミュニティに相談に行き、そこで、現在木村さんが所属する株式会社浜田の社長さんに出会い、ヨットで世界一周をしたい! そんな思いをぶつけ、ついには、会社をあげてのプロジェクトになったそうです)

持続可能なチャレンジ
●株式会社浜田の社内には、木村さんをサポートするチームがあるんですよね?
「ヨットの世界一周のプロジェクトチームがあって、だいたい社内外含めたら23人ぐらいだったと思うんですけど、あります。
専門の気象のチームだったり、いちばん多いのがロールコールって言って、定時連絡を受け取る人、朝の9時、夜の9時に連絡を受け取る人たちがいるんですけど、その人たちだったりとか・・・。あとはメカニカルなところをアドバイスしてくれる人だったり、そういったチーム体制があって、ひとりで行くんですけど、ひとりではできないプロジェクトです」
●すごく心強いですよね。プロジェクトに掲げられていたタイトルが「Go around Re-Earth~Renewable Challenge for the Earth.~」ということで、これにはどんな思いが込められているんでしょうか。
「株式会社 浜田自体がスクラップ だったり産業廃棄物を取り扱う会社なので、やっぱり環境に非常にフォーカスしたプロジェクト名にしています。本来であれば『Go around Re-Earth』は、『Re』じゃなくて『The』のほうだと思うんですけど、あえて『再び』だったりとか『循環』をイメージするReという言葉を使っています。
地球を船に見立てて、環境をそのひとつの船に集約して、その中にある限られた食料、燃料だったりとか資源を含めて、それを使って地球を一周すると・・・。持続可能なチャレンジ、何度でもできるチャレンジであって欲しいよねっていう願いを込めて、プロジェクト名がそういうふうなっています」
●木村さんが伝説になりたい、何者かになりたいっていう20歳ぐらいの時にプレゼンをして、会社をあげてチャレンジしましょうっていうことになって、チャレンジが決まったところで、まず取り掛かったのはどんなことなんですか?
「まず普通に働きました。やっぱり社内の応援がいちばん大切なので、僕は営業部に所属して働いて・・・で、実際の船は1月に入社して4月ぐらいに中古艇を買うことになるんですけど、まずは普通に働いて、木村啓嗣がどういう人なのかっていうのをみなさんにわかってもらうために働きました」

最初は機器のトラブル!?
●最初のチャレンジは、一回断念した経緯があるんですよね?
「実はですね・・・一昨年、2022年11月に一回出発しているんですけど、結果的に帰ってくる形になってしまって・・・で、より強固なプロジェクトチーム、より強固な船、より柔軟なシステムで、僕自身の自信付けも含めて、かなりの練習を行ないました」
●2年前は何かのトラブルだったんですか?
「出航してからずっと荒天が続いて、水力発電に不具合が生じたんですけど、実際スペアを持っていたので、必ずしも戻る必要はなかったんです。
ただ200日以上を想定している航海で、最初の10日でスペアを使い切ってしまうことのメンタル的な負担だったりとか、いろいろ加味した時に、一度戻って、もう一度(物資を)乗せて行ったほうが最初の10日であれば、100日200日近く経ってきた頃にそういう状態になるのとはちょっと違うので、戻って再出発しようというふうに考えていたんです。
その時はコロナ禍ということもあって全然物が手に入らない、海外からの輸入品だったので・・・で、1年延ばすっていう苦渋の選択を迫られたわけです」
●葛藤とかはなかったですか?
「戻るにも僕の中で条件があって、誰かに助けてもらうことになると、自分がやりたいことをやっているのにもう一度行きたいなんて、関西人っぽく言うと“よう言わんなぁ”っていう状態になりまして・・・僕はそう考えるんですね。自力で戻れば必ず私はこの場所に戻ってこれると・・・伊豆諸島を越えたあたりの太平洋上で思ったんですけど、ここに戻ってくるには必ず自力で戻る必要があると思って、一度戻るんであれば、今戻るしかないと・・・。
ちなみにプロジェクトチーム内で協議があったんです。このままハワイまで行って、ハワイに到着するまでに物資を調達して、ハワイで補給をするかっていう話もあったんですけど、このプロジェクト、単独無帰港で無補給、何も補給せずにどこにも寄らずにひとりで世界一周にするプロジェクトだったんで、これをどうにか達成すべくハワイで(物資を)乗せるのはなしだということで一度戻りました」
●そうだったんですね・・・。で、船を修理して再チャレンジするっていうことになったわけですよね。モチベーションはずっと持ち続けていたっていう感じですか?
「そうですね。下がることは一切なかったです」
●その奮い立たせるものって何だったんですか?
「僕の中で世界一周というものは、浜田社長と出会ってから必ずや成功させるものという認識だったので、所詮4日間の荒天で船と私がダメになるはずがないという気持ちでしたね」
●かっこいいですね!
「かっこいいのかはちょっと・・・」
●いや〜すごいです!
(編集部注:木村さんと一緒に世界一周を果たしたヨット「ミランダ号」はデンマーク製の中古艇で、全長およそ13メートル、高さ20メートル、重さは8トンほどの船で、もともとは10人以上で乗る船なんですが、それをひとりで操船できるように、自分自身で改造。

これは海上自衛隊時代の、「KNOW YOUR BOAT」=「自分の船を知りなさい」という教えに従い、船の状態を隅々まで把握しておくために、機器の取り付けなどは自分で行なったそうです)
トレーニングは船で生活すること!?
※船が仕上がったところで、トレーニングをされたそうですが、どんなことをやったんですか?
「トレーニングでいちばん大きなトレーニングが、ハワイ・トレーニングというのがあったんですけど、ハワイを往復してくるトレーニングなんですね。いちばん重要なのは船に乗るというイメージよりも船で生活するということなんです。何もなかったように、陸上と同じようにご飯を食べる、歯を磨く、トイレに行く、船で寝るっていうのをやらないと、必ず体が耐えきれなくなって不調を起こしてしまうと。なので、いかに船に住めるか、というのが重要になってきました」
●確かに航海中でも生活しなければいけないんですよね。食事ってどんなものを食べていたんですか?
「佐藤食品さんにご提供いただいた“サトウのごはん”だったりとか、ほかはレトルト食品がほとんどです」
(編集部注:どこにも帰港しないので、食糧は多めに280日分を用意。もちろん飲料水と、海水を濾過する装置も積んでいったそうです)
ネガティヴ思考が最も大事!?
●2022年に一度チャレンジし、機器のトラブルで断念、そして再チャレンジ、ということで、去年10月22日に新西宮ヨットハーバーから出港しました。その時の気持ちはどうだったんですか?
「自信に満ち溢れていましたね」
●不安とか恐怖みたいなものは?
「僕は基本的にびっくりするぐらいポジティヴな人なので、そういうマイナスなイメージは(トラブルに)直面しないとないんですけど、これも出航してから心境の変化っていうのが起きるんですね。基本的にはポジティヴな根拠のない自信大得意なタイプなので、イメージ的にはもう男子中学生です」
●何があったんですか? 心境の変化っていうのは・・・。
「まず僕が世界一周から帰ってきて大事だなと思ったことは、ネガティヴ思考が最も大事なんです」
●そうなんですか!?
「はい、ポジティヴが最強だと僕は思っていました。なんですけど、ネガティヴ思考があることで、思いつくマイナスな状況っていうのは、すべて対策ができるようになるんですよね。
ネガティヴ思考でこれ起きたらどうしようって思うから、その不安材料を消すためにこんな対策をしよう、こんな準備をしようと・・・で、その準備をして対策ができて納得がいったら不安は消えるってなったら、ネガティヴ思考があれば、どんな不安定で危険な状況でも想像して対応することができる。
ネガティヴ思考は言ってしまえば、ポジティヴ思考の一個手前っていう、両極端な反対のものじゃなくて、ポジティヴ思考の一個手前がネガティヴ思考なんだなっていうイメージが、非常に僕の中で作られて世界一周から帰ってきました」
●なるほど。確かにネガティヴだと暗くなっちゃうってイメージがありますけど、ネガティヴ思考があるからこその準備ができるっていうことですね。航海中にそういうのが大事になったことがあったんですか?
「出航中はやっぱり怖いんですよ・・・もうめちゃめちゃ怖い! なんでかって言うと、10人乗っていたら対応できることでも、ひとりだったら全然できないです。風には太刀打ちできない、風を利用する立場ですけど・・・。なので、そうなった時にやっぱりこれ起きたらどうしよう、あれ起きたらどうしようって、いっぱい思うわけなんです。
普段通りの時はひとりでも全然乗れます。全く問題ないです。なんですけど、大丈夫じゃないことをやっぱり想像しちゃうんですよね、人間っていうのは・・・。なので、そうなった時に不安に思わないようにしなきゃと思っていたんですけど、発想の転換っていうんですか、これはある意味ラッキーなんだと! これに気づけている自分がいるということに喜んだほうがいいというふうに、ふとした瞬間に思って思考が切り替わる感じですね」
世界一周の条件、そしてルート
※今回の世界一周のルートを、かいつまんでご説明いただけますか?
「世界一周の条件があります。すべての子午線を同一方向に越えるというルールがあります。ちなみに補足情報でパナマ運河、スエズ運河・・・運河はすべて港扱いなので通ることができません。
出発した兵庫県西宮市の新西宮ヨットハーバー、場所としては甲子園球場があるところですね。そこを出発して、もちろん大阪湾がスタートですから、大阪湾を抜けて徳島県と和歌山県の間、紀伊水道を抜けてそこから太平洋に出ると・・・。
そこからはどーんと行くんですが、ハワイの近くを通って、なので日本から見て真東に向かって、その後赤道を越えて、運河を通ることはできないので、南米大陸のいちばん南側のホーン岬、チリの先端を通って大西洋に出ます。
で、世界一周中の最も難関と呼ばれているのがそのホーン岬、大体地球の半分に届かないところで迎えます。そこをなんとか乗り越え、地球の半分を走って、次はアフリカ大陸最南端の喜望峰を抜けて走って、それを抜けたら、その後はオーストラリアの南側を通過して、ニュージーランドとオーストラリアの間を通って北上が始まります。北上が始まった後、ソロモン諸島の島の間を抜けて、その後赤道を越えて日本まで戻ってくる、そんなコースです」

(編集部注:どこの港にも寄らない世界一周は、このコースしかないそうです。お話にもありましたが、ほかのコースは運河を通ることになり、運河は港扱いになるからなんですね。
ちなみに睡眠時間についてうかがったら、一回、15分から2時間くらいで、寝られる時は、それを1日何回も繰り返すとのこと。でも、風向きが変わったことを知らせるアラームが鳴ったりして、何度も起こされたそうです)
太陽と雲の共演!
●長い長い航海中の楽しみはなんでしたか?
「やっぱり普通に、陸と同じように生活するというイメージを持っているので、陸と同じご飯を食べる、トイレに行く、歯を磨く、寝る、歌を歌う、音楽を聴く、ウクレレを弾いてみるっていう、その日常生活に非常に楽しみを感じましたね」
●ウクレレなんてやる余裕があるんですね?
「最終的には全然なかったです(笑)。一応少しは練習しましたけれども・・・」
●そうなんですね~(笑)。航海中に見た景色で、忘れられない印象的な景色はありましたか?
「景色は雲と太陽の共演なので、基本的に同じ景色がほとんどないんです。全く雲がないところに太陽が沈んでいくのは、ほぼ同じ景色になるんですけれど、雲があると毎回全然違う感じになるんですよね。
いちばん忘れられないのは帰りの赤道付近の時に見た、ものすごく雷と雨と突風が吹いた時の夜明け、その後の夜明けの朝日! 半端なく綺麗でした!」
●どういう感じなんですか?
「いつにも増してオレンジ色で、海も嵐が過ぎて落ち着いているんですよね。風がなくて船が進まなくて、徐々に空が明るくなって、雲ってすごく太陽に照らされるんですよ。地球が丸い関係で最初、雲に光が当たるんですよね。
なんて言いますか・・・太陽があると影になって、自分のところはまだ明るくなっているだけだけど、雲はもう太陽に照らされているっていう状況があるんですね。それがめちゃめちゃ綺麗で、これを言葉にするのは難しいんですけれど、きょうはせっかくなので、僕の見た景色をちょっと言語化してほしいんですけど、これは非常に難しくてですね・・・」
●楽しみ!
「なので、(写真を)お見せすると・・・」
●ありがとうございます! あ、携帯電話に保存してある写真・・・うわぁ~!!
「こんな景色なんですね」


ヨットは人生が豊かになる乗り物
●今年6月8日に、無事に新西宮ヨットハーバーに戻って来られ、231日ぶりに陸にあがった時は、どんな気持ちでしたか?
「やっと終わった・・・というのも、世界一周の初日と最後の日がいちばん辛いんです。なんでかっていうと陸が近い、行き交う船舶が多い、特に帰りは疲れた状態でそれを迎えると・・・で、30時間ぐらい寝ないんです、最後・・・」
●え~~〜!
「オートパイロットの調子も悪くて、30時間ぐらいずっと舵を持っていないといけなくて、すごく疲れたので、世界一周してきた、っていうのは置いといて、その最後の30時間だけ見たら、やっと終わったっていう気持ちが非常に強いです」
●夢だったヨットで単独 無寄港 無補給による世界一周を成し遂げて、日本人最年少記録も塗り替えることに成功して、今後なんですが、夢や取り組みたいことは何かありますか?
「やっぱりこの世界一周というもの自体が、私ひとりで成し遂げられるものではなかったわけなんです。お金的にもそうですし、周りの人にも恵まれましたし、出航中も想定された嵐に出会うこともなく非常に運がよく・・・運がいいというと、一言で済ましちゃっている感じになってしまうんですけれど、とにかく運がよかった! 僕、去年、厄年やったはずなんですけど、逆に運がよかった人間なんですよね。
この結果、この成績というか功績というかわからないですけども、自分のものだけにせずに、やっぱり若い人たちだったり、学生たちに夢を・・・成功体験を語るっていうのは、ちょっと上から過ぎると思うので、人生を楽しく生きるヒントの共有というか、それをやっていきたいなと僕は思います。
夢を見ることの楽しさだったり、そのチャレンジングな人生の、チャレンジングな事柄に挑戦する楽しさというか・・・。なので、僕もヨットに限らず、自分なりにチャレンジしてみたいなと思います。
ほかの人は取れて当たり前のような資格を僕が頑張って取ってみたりとか、そういう自分にとってチャレンジング、これいちばん大事なんですけれど、自分にとってチャレンジングみたいなことをみんなにやってもらいたいなと思います」

●白石さんが今年再びチャレンジすることが決まった、世界一過酷なヨットレースと言われている「ヴァンデ・グローブ」に出てみたい! っていう気持ちはおありですか?
「あります! ちなみに白石さん、今回成功すれば地球5周目なんですね。ということは10年以内に一回は一周しているタイプの人間ですよね! 半端ない! で、僕、白石さんの記録を塗り替えたんですけど、白石さんが達成した時の30年前の状況と、今の状況を比べたら、明らかに僕のほうが恵まれているし、成功しやすいんです。単独 無寄港 無補給 世界一周っていうのを条件で見れば一緒ですけれど、白石さんのほうがかなり難しいんですよね。
なので、記録は塗り替えましたけど、白石さんを超えたなんて思いませんし、白石さんの尊敬・・・逆に地球一周するということがどんなことだったかを理解したので、より尊敬の眼差しは強くなったんですけど、恐れ多くも僕が今ここで喋っていいのであれば、僕もヴァンデ・グローブに出てみたいと思っています」
●改めてヨットという乗り物の魅力ってなんでしょうか?
「みなさんの中でいいものというのは、基本的に時間を忘れられると思います。美味しいご飯を食べている時、好きな人と過ごしている時、趣味をやっている時、基本的には時間を忘れられると・・・。僕にとってヨットは時間を忘れられる乗り物です。
クルージングに行った時に時計なんて必要ないですし、お腹が減ったらご飯を食べる・・・自然の中でより原始的な生活ができるものです。かつ海に出る時、大体エンジンのかかっている乗り物にみなさん乗られると思います。フェリーだったり釣り船だったりもそうですけど、ヨットはエンジンがないので、海の波切り音と風の音だけ聴こえる静かな乗り物なので、時間を忘れられる、人生が豊かになる時間を過ごせる、とってもすごい乗り物だと思います」
INFORMATION

この番組では「伝説になりたいチャレンジャー」木村さんを応援していきます。
世界一周の大冒険について詳しくは、株式会社浜田のオフィシャルサイトのほか、以下のSNSなどをご覧ください。
◎公式インスタグラム:木村啓嗣 Kimura Hirotsugu (@go_around_re_earth) – Instagram
◎公式ホームページ :株式会社浜田「Go around Re-Earth」
◎公式YouTubeチャンネル: 株式会社浜田「Go around Re-Earth」 – YouTube
2024/7/28 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンは、シリーズ「SDGs〜私たちの未来」の第21弾:「コーヒーとサステナビリティ」。今回はSDGsの17のゴールの中から「つくる責任 つかう責任」、そして「働きがいも 経済成長も」。
お迎えするのは、スペシャルティ・コーヒーの専門店「ONIBUS COFFEE」を展開する株式会社ONIBUSの代表「坂尾篤史(さかお・あつし)」さんです。
坂尾さんは、コーヒー・ビジネスを軸に、サステナブルな取り組みや、コーヒー豆生産地の支援活動などを積極的に行なっていらっしゃいます。
ONIBUS COFFEEは、代表の坂尾さんが2012年1月に世田谷区奥沢に第1号店をオープン。開店当初は、なかなかスペシャルティ・コーヒーが浸透せず、苦戦していたそうですが、その後、しっかりと着実に店舗を増やし、現在は都内に6店舗、栃木県那須に1店舗。海外ではタイのバンコク、台湾のタイペイ、ベトナムのホーチミンにそれぞれ1店舗ずつ、展開されています。
そんな坂尾さんを先日、「ONIBUS COFFE」の自由が丘店に訪ね、サステナブルな活動のほか、コーヒー専門店を始めたきっかけや、豆と挿れ方のこだわりなど、いろいろお話をうかがってきました。その時の模様をお届けします。
☆写真協力:ONIBUS COFFEE

オーストラリア〜カフェが街の文化
※私たちが取材でうかがった自由が丘店は、自由が丘駅から徒歩4分ほどのところにあり、店内は白を基調にしたシンプルでウッディなしつらえになっていて、とても落ち着く空間でしたよ。
まずは、コーヒー専門店を始めようと思ったのは、どうしてなのか、お聞きしました。
「僕が若い頃って東京にカフェブームみたいのがあったんですよ。お洒落なカフェがあって、古民家カフェだったりとか、古いビルの上にルーフトップ・カフェみたいなのが流行っていて、漠然とカフェっていいなって思っていたのが、いちばん最初のきっかけですね」
●いいな〜と思っていて、それを自分でやってみようと思ったのは、どうしてなんですか?
「その当時は建築の仕事をしていたんですよ。ゼネコンで働いていて、父親は大工さんだったので、ゼネコンで働いたあとに、父と大工さんを一緒にやっていたことがあるんですね。その時に自分の仕事はこれでいいのかな〜みたいな、若い時なりに思っていて、まずはいろんな世界をもっと見てみようっていうので、バックパック(の旅)に1年間くらい行っていた時期があったんですね。
いちばん最初に訪れた国がオーストラリアだったんです。そのオーストラリアでカフェに行った時に、エスプレッソ・マシンが置いてあって、お洒落なバリスタがコーヒーをサーブしていて、お客さんとスモールトークをしていく中で、地域のコミュニティを作っていくみたいなのを見た時に、”あ、こういう世界ってあるんだ”みたいなことを感じたのが、コーヒーの仕事をしようって決めた時でしたね」
●それは、おいくつの時ですか?
「25歳だったと思います」
●オーストラリアのカフェの何が、そんなに魅力的だったんですか?
「まず、いちばんいいなと思ったのは、地域のコミュニティになっているんですよね。オーストラリアの人って毎日カフェに行くんですよ。朝必ずカフェに行って、ちょっとおしゃべりをして、たまたま隣に座った人ともちょっとお喋りをして、1日がスタートするみたいな・・・だからみんな顔見知りなんですよね」
●いいですね〜!
「そうやってカフェが街を作っている、カフェが街の文化になっているみたいなのを肌で感じた時に、すごく感動したっていうのがありますね」
●居心地よさそうですね〜。
「そうですね。なんて言うんですかね・・・自分の居場所みたいなのを、知らない街に行ったにも関わらず、顔見知りがそこでできていく感覚みたいなのは、本当に自分の居場所ができたなっていう、空間がただ居心地がいいだけではない、居心地の良さみたいなのがありましたね」
●バックパッカーとして最初に訪れたのがオーストラリアで、そこでカフェの魅力に気づき出会い、そのあともバックパッカーは続けられたんですか?
「そうです。そのあとはアジアを1年間くらいバックパックしていました」
●そのアジアの旅でもカフェにはよく行かれていたんですか?
「アジアはその当時2007年だったと思うんですけど、コーヒー屋さんって全然なかったんですよ。ただインドに行けばチャイを飲んだり、例えばバンコクに行ったらミルクティーを飲んだり、中国に行けばお茶を飲んだりっていう、その土地その土地のドリンクを飲みながら、カフェではないんですけど、お茶屋さんだったりとか、街角のチャイ屋だったりみたいなところに行ってましたね」
ONIBUSは「公共バス」!?
※「カフェ愛」が高まり、帰国した坂尾さんは、日本でカフェをやりたい! そのためにはまず修業だと考え、バリスタの世界チャピオンが手がけるコーヒーショップ「ポールバセット」で2009年から2年ほど本格的にコーヒーを勉強し、その後、独立されました。

ONIBUS COFFEEを創業したときは、どんなお店にしようと思ったんでしょうか?
「やっぱり自分のコーヒー店を始めようって思ったきっかけは、オーストラリアのカフェだったので、地域の人たちが来るような、地域のコミュニティの一端を担えるようなお店作りっていうのがいちばんの目標というか、そういうお店にしたいなっていうのがありましたね」
●暮らしの一部になるような・・・。
「そうですね。まさに本当にそうです」
●ONIBUS COFFEEには、どういう意味があるんですか?
「ONIBUS COFFEEのONIBUSがブラジルの、ポルトガル語なんです。公共バスっていう意味があって、ブラジルって国土がめっちゃ広いので、バスで12時間とか20時間とか、長い移動をする国なんですね。
そういうバス網が発達しているので、バス停が地域の起点になっていたりとか、経済の起点になっていたりとか、僕の名前のお店も地域の起点になれるような、人と人とが集ってまた次に進めるようなお店を目指して、ONIBUS COFFEEっていう名前にしています」
果実のような味わい
※ONIBUS COFFEEで出しているコーヒーの特徴についてお話しいただきました。
「僕らの扱っているコーヒーの特徴がすべてスペシャルティ・コーヒー豆を浅煎りで焙煎しているので、まず苦さがないっていうのがひとつ大きな特徴かなと思いますね」
●コーヒーと言えば、苦いというイメージがありますけど・・・。
「コクとか苦さみたいなのがあると思うんですけど、そういったものよりはコーヒー本来の、ひとつひとつコーヒチェリーって言われるような果実からできているので、味わいを楽しんでもらえるようなものをお出ししていますね」

●へ〜! では早速いただいてもよろしいですか? いろんな種類がありますけれども、今回は何を・・・?
「今回はホンジュラスとルワンダのお豆を、2種類ご用意しています」
●では早速、ホンジュラスからいただきます。見た目はいわゆる普通のコーヒーという色合いですけれども・・・。
「そうですね。ただ焙煎が浅いので深煎りのものと違って、濃い黒っていうよりは少し褐色的な色になっていますね」
●あ、そうですね! ではいただきます! う〜ん美味しいですね。確かに全く苦くないですね!
「そうですね。それよりも果実感だったりとか・・・」
●すごく優しい味がします〜。このホンジュラスのコーヒーには、どんな特徴があるんえすか?
「ホンジュラスは中米にある国で、甘さが特徴的ですね。僕らは、リンゴみたいな甘さだったりとか、果物の甘さに表現することが多いんですけど、ホンジュラスはまさに熟したリンゴのような甘さを持っているコーヒーだなと思います」
●美味しいです〜! で、こちらがルワンダですね。いただきます。あ、また違った柔らかさというか・・・。
「そうですね。ホンジュラスが中米なのに対して、ルワンダはアフリカの国で、アフリカって結構、酸味がぎゅっと凝縮したようなコーヒーになっていて、ベリー系の酸だったりとか、あとはシトラス系の酸みたいなのを感じるコーヒーとなっています」
●ちょっと紅茶みたいな感覚もありますね。
「そうですね。紅茶だったりとか、あとワインのような酸味を楽しんでもらえるようなものになっています」

●美味しいです! 挿れ方にもこだわりがあるんですか?
「そうですね。挿れ方はドリップコーヒーでお出ししているんですけど、例えばグラインダーだったりとかお湯の温度だったりとか、お湯の注ぐ量みたいなのを細かくレシピで決められていますね」
●この味の決め手っていうのは?
「味の決め手は・・・農作物なので、やっぱり農家さんたちがどういう環境でどういうふうに育てているのかみたいなのがいちばん大きく影響してきます」
(編集部注:コーヒー専門店などで販売されているコーヒー豆、私たちは「豆」と呼んでいますが、正しくは、アカネ科の植物「コーヒーノキ」の実の中に入っている種子、タネなんですね。この実は、さくらんぼのように赤く熟すので「コーヒーチェリー」と呼ばれています。
コーヒーの品種はたくさんありますが、飲むために栽培され、流通しているのは、「アラビカ種」と「カネフォラ種(通称ロブスタ)」のふたつだそうです。
コーヒーノキは、苗木から2〜3年かけて成長し、ジャスミンのような香りがする白い花が咲くそうです。そして実が8ヶ月ほどかけて、徐々に大きくなり、完熟した赤いコーヒーチェリーになります)
スペシャルティ・コーヒーとは?
※初歩的な質問なんですが、改めて「スペシャルティ・コーヒー」というのはどんなコーヒーなのか、教えていただけますか?
「認証とかがあるわけではないんですけれども、アメリカを中心としたスペシャルティ・コーヒーの協会と言われるようなところで、厳しく審査されて点数付けされたものですね。通常のコーヒーの10%くらいしか流通していないものになっています」
●とても稀有なものなんですね。
「稀有っていう表現が正しいかどうかはわからないんですけど、最近この5〜6年、お洒落なカフェが増えて、エスプレッソ・マシンが入っていてドリップコーヒーも出しているみたいなお店だと、スペシャルティ・コーヒーを使っている傾向が高いです」
●特別な地域と気候が生み出すコーヒーっていうことですよね。
「まさにそうですね。特別な気候が複雑な味わいを生み出すコーヒーって言われています」
●具体的にはそのスペシャルティ・コーヒーの生産地っていうと、どのあたりになるんですか?
「スペシャルティ・コーヒーも通常のコーヒーも生産地域は一緒になるんですけど、中米、南米、アフリカ、あとアジアでもインドネシアとかタイとかでは生産されていますね」
●スペシャルですね〜!
「そうですね。農家さんへの対価の還元だったりとか、自然環境と長く、持続可能な農業をしていこうみたいな考え方を反映しているコーヒーになるので、本当に稀有なコーヒーであることは間違いないかなとは思いますね」
コーヒー農園が鬱蒼とした森!?
※ONIBUS COFFEEでは、どの生産地のコーヒー豆を輸入するのかを決めているのは、坂尾さんなんですよね?
「焙煎をするチームがあるので、その焙煎チームと僕とで決めていますね」
●コーヒーを仕入れる農園は何ヶ所か、決めてあるんですか?
「やっぱり(コーヒー豆は)農作物なので、なるべく継続して買うみたいなのは結構大切になってきますね。もう10年ぐらい使っている農園もあったりとか、それプラス、新規で数件、毎年開拓しているっていうような形ですね」
●現地に行って買い付けをするみたいな・・・?
「そうですね。そういうロットも多く揃えています」
●現在だと具体的にどの生産地から仕入れているんですか?
「直近でいうと、6月にルワンダに行ってきたり、4月にグアテマラに行ったりしていましたね」
●ブログで拝見したんですけど、定期的にコーヒー豆の生産地に出かけていらっしゃるんですよね?
「そうですね。僕だけではなくて、社内のチームで担当の国みたいのがあるので、それぞれなるべく、できる限り生産地域を訪ねるようにしています」
●グアテマラのコーヒー農園に行った記事も載っていましたけれど、鬱蒼とした森みたいな感じでしたね。
「そうですね。僕らが(コーヒー豆を)買っているグアテマラの農園は特に、特にというか、ほかでは見ることがないぐらい森です!」

●森ですよね! コーヒー農園なんですよね?
「そうです、コーヒー農園です! たぶんみなさんコーヒー農園をイメージすると、ブラジルの広大な農園をイメージするかたが多いと思うんですね。僕らが買いつけているところは、グアテマラとメキシコの国境付近にあるんですけど、すごく切り立った石の山なんですよね。たぶん昔は海の底だったところが隆起してできた山になっているので、石がゴロゴロしていて、険しい山の合間にコーヒー(の樹木)が生えているっていうような感じですね」
●標高も高いんですか?
「そうですね。1800メートルから2000メートルぐらいの標高になっています」
●コーヒー栽培には適した場所っていうことなんですね?
「そうですね。クオリティの高いコーヒーを作るのには、適している場所になっていますね」
ルワンダ“堆肥”プロジェクト
※ONIBUS COFFEEでは、去年からアフリカ・ルワンダの生産地でプロジェクトに取り組んでいると、ブログにありました。これはどんなプロジェクトなんですか?
「ルワンダは森は全くないんですよ。アフリカだから自然いっぱいみたいなイメージだと思うんですけど、結構切り開かれていて、原生林みたいなのがなく多様性がないんですよね。
そうすると土の微生物の量だったりとか、落ち葉が堆肥になるみたいなのがなかなかなくて、優良な有機肥料を自分たちで作ることが難しいんですよね。それを日本の農家さんたちの知見をルワンダに持っていって、自分たちで優良なオーガニックな肥料、堆肥を作るプロジェクトを一緒にやっています」
●プロジェクトを始めてどれくらいになるんですか?
「始めてまだ2年ですね。1年目はトライアルで少しだけやって、去年から(本格的に)やり始めました」

●どうですか? 進捗具合は・・・。
「実際に(コーヒー豆の)クオリティに反映されているとか、例えばそこの土の微生物が増えたみたいなのって、まだまだわからないことなんです。今年から去年作った堆肥を使ったコーヒー豆ができ上がってきて、それが11月ぐらいに入ってくるんですけど、実際に販売できるっていうところまでは来ています」
●すごいですね~! 生産地の課題でいうと、今どんなことが挙げられますか?
「本当に国によって全然違うんですけど、ルワンダにおいては賃金の問題もありますし、教育ですね。コーヒーの教育っていうよりは全体的な教育の課題だったりとか・・・あと先ほどもお伝えした微生物の多様性の少なさっていうところですね」
(編集部注:農作物であるコーヒーは当然、環境の変化に影響を受けやすく、温暖化による気候変動が品質の低下や収穫量の減少につながり、このままいくと2050年頃には美味しいコーヒーが供給されなくなる恐れがあるそうです)
ONIBUS COFFEEとサステナビリティ
※ONIBUS COFFEEは、会社としての2023年の取り組みを「サステナビリティ・レポート」として、数字にしてブログで公開されていますよね。これにはどんな意図があるんですか?
「スペシャルティ・コーヒーを扱っていく上で、スペシャルティ・コーヒーの定義みたいなのがあるんですよ。その中に『サステナビリティ』と『トレサビリティ』の意識をもちましょう! みたいなのが書いてあるんですよね。
それって本質的なことだな~と思っていて、東京でこういうカフェを営んでいく中でも、自分たちが何ができるのかみたいなのを考えていく必要があるなと思っています。ただそれってなかなか伝えるのって難しいじゃないですか。なので数字に落とし込めるものは落とし込んで、レポートとしてあげようみたいなのを昨年から力を入れてやっています」
●具体的には会社でどんな取り組みをされているんですか?
「取引の価格を公表したりしていますね。例えば農家さんの『FOB』って言われる、コンテナに積む前の金額って、コーヒーの原価に関わることなので通常だとなかなか知ることがないんですけれども、そういうのも公表したりしていますね」
●社内にサステナブル担当っていうかたがいらっしゃるんですよね? サステナブル担当のかたとは結構頻繁にアイディアの交換とかされるのですか?
「そうですね。実際にいろんな農園に行ったりもするので、その時にいろんな話をしますね。今年出た話でいうと、実現するかはわからないんですけれど、焙煎機のある店舗を、例えばソーラーパネルを付けて自分たちで電気を作れるようにしたりとか・・・。

あと今、力を入れているのは“援農”ですね。農家さんのところに行って農業をお手伝いするっていうのを会社の中のひとつの仕事として、月に1回何人かで行って土に触れるみたいな機会を作ろう!みたいなのを提案して、実際に動いているっていうのをやっています。
ひとつは練馬のほうにある農家さんと、あとは東久留米にある農家さんですね。ブルーベリーを有機栽培で作っていたりとか、そこは自由が丘店で出た(食品廃棄物の)コンポストを肥料にしてもらって、カブにしてもらったりルッコラにしてもらったり、それをお店で出したり、みたいなのもしているので、そこにお手伝いしに行ったりしていますね」
●30年後のONIBUS COFFEEはどうなっていると思いますか?
「30年後・・・そうですね・・・たぶん今後もっと環境への意識はひとりひとりが高めていく必要があると思いますね。飲食店ってどうしても消費のカルチャーなので、そういったのをなるべく循環できるような仕組みを作りながら、ロールモデルになるようなお店作りをしてみたいなとは思いますね」
●改めて、坂尾さんはコーヒーを通してどんなことを伝えていきたいですか?
「そうですね・・コーヒーってめっちゃロマンがあるなと思うんですよ。きょう来ていただいている自由ヶ丘店のカフェで、いわゆるお客さんにサーブする、お客さんに提供するっていうところから、世界の裏側に行って買い付けてくる、その物流を自分たちでする、さらに土だったりとか、その土地の風土を理解するとかって、本当に多岐に渡るので、その全部をできる仕事ってなかなかないですよね。ひとことでは言えないですけど、本当にロマンがある仕事だなとは思いますね」
INFORMATION
ONIBUS COFFEEは奥沢店、自由が丘店、中目黒店、八雲店のほか、道玄坂と渋谷一丁目にそれぞれ1店舗、そして栃木県那須に1店舗と国内には7店舗あります。お近くにお出かけの際は、ぜひ立ち寄って、美味しいコーヒーを召し上がってみてください。

ONIBUS COFFEEでは、もちろんコーヒー豆の販売も行なっています。ルワンダ、エチオピア、ケニア、コロンビア、そしてホンジュラスなどから輸入した豆のほか、オリジナル・ブレンドや、ギフト用にドリップバッグなども販売。オンラインでも購入できますよ。
詳しくはONIBUS COFFEEのオフィシャルサイトをご覧ください。
◎ONIBUS COFFEE :https://onibuscoffee.com
2024/7/21 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、長野県上水内郡(かみみのちぐん)信濃町(しなのまち)認定の森林メディカルトレーナー「河西 恒(かさい・ひさし)」さんです。
町の面積のおよそ7割が森に覆われている信濃町では、森を活かした「癒しの森」という事業を行なっていて、森林メディカルトレーナーの育成にも力を入れています。
「しなの町Woods-life Community」の事務局も担当されている河西さんは1969年、東京都日野市出身。高校卒業後、将来は森で仕事をしたいと思い、東京環境工科専門学校で自然や生き物について学びます。
卒業後は、野生のニホンザルの調査や富士山周辺を案内するガイドなどを経て、一般社団法人「C.W.ニコル・アファンの森財団」に勤務。そして、信濃町の「癒しの森」に関わるようになり、現在は町認定の森林メディカルトレーナーとして活躍されています。
きょうは「癒しの森」や、森の中での体験プログラムが心身にもたらす効果について、活動の中心的な役割を担っている河西さんにお話をうかがいます。
☆写真協力:しなの町Woods-life Community

信濃町認定「森林メディカルトレーナー」
※まずは「森林メディカルトレーナー」とは何か、そのあたりのお話から。「信濃町認定」というご紹介になりましたが、これは町の事業として行なっている、ということなんですよね?

「はい、そういうことなんです。約20年ぐらい前、2003年からスタートしているんですけれども、森林セラピーを主軸として地域活性の事業に取り組み続けています。 いらっしゃったお客様を森の中へご案内する、いわゆるガイドの役割を『森林メディカルトレーナー』と名付けて信濃町でお迎えをしています」
●信濃町が認定する資格制度があるっていうことですか?
「そうですね。信濃町が主催して養成講座を開き、受講いただいた面々が受講を終えてからもずっと研鑽を続けて、お客様がいらした時にそれを大いに発揮して、一緒に森の中に出かける、そんなふうにしています。
ただ単に植物を紹介するような自然観察会でもないですし、環境学習ということでもないです。森林メディカルトレーナーというその名前からも想像できるかもしれないんですけれど、メディカルと付いているので、心身の健康のために森に入る意味についても、どういうふうに(お客様を)ご案内をしていくのがいいのか、ということをやったりとか・・・。
あとは実際にご自身にもお客様の体験もしていただいて、”やっぱり森に入るのは、こんなふうにいいんだな” なんていうことも、実感していただくことも大事な講座のひとつですね」
(編集部注:現在、森林メディカルトレーナーは講座を受講して、認定されているのは140人ほどだそうですが、例年、お客様を森にご案内するのは20〜30人くらいだということです)

C.W.ニコルさんの存在
※信濃町が「癒しの森」の事業を始める至った経緯を少し説明しておくと・・・
1990年代後半から2000年代にかけて、市町村が合併する、いわゆる「平成の大合併」が進む中、もともと「観光」と「農業」の町だった信濃町は、東京農業大学の教授「上原巌(うえはら・いわお)」先生が提唱する「森林療法」に出会い、合併はせずに、町の7割以上を占める豊かな森を活用することで、町の活性化につなげる選択をしたそうです。
それが「癒しの森」という取り組みにつながるわけですが・・・森には人を癒す力がある、これを活かしていこうとされたのは、信濃町に暮らしていた作家「C.W.ニコル」さんの存在が大きかったようですね?

「そうですね。ニコルさんの存在は大きかったと思います。同じタイミングで、ニコルさんと長野県の林務部がどうやらお話をされていたそうなんですよね。
ニコルさんがおっしゃるには、”欧米の方々は、日常的に森の中を散策しているよ”と。『ウッドパス』っていう小道が森の中に通っていて、気軽に散歩できるようになっているし、日常の周りにもやっぱり散歩している人が多いんだと・・・。日本は欧米よりもこれだけ豊かな森があるのに、”そうやって散歩している人、少ないよね?”って(ニコルさんは)おっしゃるんですよ。
さらに、特に英国ではお医者さんが処方箋で薬を出すのと同じように、”あなた、こういう状態だったら、もうちょっと森に出かけて歩きなさい”みたいなことを言うんだそうです。
そういう取り組みを日本でもやろうよと言って、当時、長野県林務部の担当者と話をしていて、林務のかたがたが補助金の事業を形にまとめて発信をしたと・・・。信濃町で当時、そんなことを考えていた住民8人のグループがその情報を見つけて、本来であれば町役場に相談をするんですけれど、それを飛び越して、いきなり県の発信元に”私たちにやらせてくれ!”って直談判をしたそうです。
なので、ニコルさんの発想がきっかけになって、この癒しの森事業がスタートしているんだよっていうふうに聞いていますね」
●海外では、こういった癒しの森のような事業はあるっていうことなんですか?
「はい、ニコルさんの周りにはあったみたいです。処方するっていうお話もしましたけれど、ちょっと体調を崩したかたが森に出かけることも日常だったし、森の中で勉強をする、小学生が森の中に入って数学の勉強をしたりということもあったりとか、そんな取り組みは日常的にあったそうです。
ドイツで参考にしたのは『クナイプ療法地』というところなんですが、1万2000人ぐらいの人口の町に保養のかたが、年間50万人以上訪れるんだそうです。ドイツでもそうやって自然環境の豊かなところに出かけることで、自分自身の心と体調を整えましょう、みたいな取り組みがあったようなんですね」
(編集部注:河西さんが「癒しの森」に深く関わるようになったのは、実は河西さんがスタッフとして関わった「C.W.ニコル・アファンの森財団」の「5センス・プロジェクト」の影響があるんです。
このプロジェクトは、児童養護施設や盲学校に通う子供たちを森にいざない、いろんな体験をすることで、心と体を癒し、心身の健康を取り戻してほしい、そんな目的で行なわれているそうなんですが、ある時、河西さんは信じられない光景を目にします。
それは全盲の子供が、なんとなく周りの様子がわかるからと、森の中を走ったんだそうです。おそらく、その子が持っているすべての感覚が、森の効果で研ぎ澄まされて、奇跡のようなことにつながったんでしょうね。
そんなプロジェクトに参加して、心から笑顔になる子供たちの存在が糧となり、それが、河西さんの大きな原動力になっているんです)
閉じていた感覚を開く

※ここからは、森林メディカルトレーナーが実際に森の中で、どんなプログラムを行なっているのかを聞いていきましょう。森林浴というのは以前からあったと思いますが、森林メディカルトレーナーが行なうプログラムは、森の中をただ歩くだけじゃないんですよね?
「そうですね。これまた難しいんですけれど、何か特別なことをしているわけでも実はないんです。 なんですけれども、一緒に森に出かけて、まず私たちがご案内をしているのは、例えば木の枝をポキって折った時に、ほわ〜って香ってくるその香りを嗅いでいただいたりとか・・・。あるいは水の音がしませんか? と言って、耳を傾けてもらったりとか・・・五感ですね・・・臭いとか音とか・・・食べられる野草なんかも生えているので、ちょっと味見してみません? ってご紹介したりとか・・・まず森の中で、感覚を使うものにアプローチをしているんです。
特に都市部に住んでいる、とても忙しいかたは、その感覚が閉じてしまっていると僕らは思っています。実際にそうなんですけれど、(森に)ご案内することでなんか変わってきたみたいなことをおっしゃったりとか、半日ぐるっと森を回ったあとに、自分から鳥の声に気づけるようになったとおっしゃるかたは結構いらっしゃいます。まずは感覚を開いていただくことをやっています」
●具体的にどんな効果が見込めるんですか?
「森の中に出かけることの、ひとつの大きい効果だと思うんですけれど、『フィトンチッド』と言われているんですが、植物、木々、草花は動けないので、虫とか菌にやられないために、自分を守るための忌避剤(きひざい)として、そういう科学物質を製造して放っているんですよね。

それを人間が(森に)出かけて普通に呼吸することで、とても心と体の、ひと言で言えば、バランスが整うなんていう表現をしているんですけれど、ストレスホルモンの値が下がったりであるとか、いい睡眠につながったりであるとか、様々な効果がその香りを普通に呼吸にすることで得られるんですよって言われていますね」
●医学的にも効果が検証されているということですか?
「はい、エビデンスはたくさん出てきています」
●へぇ〜! 「癒しの森」プログラムを行なうエリアには、いくつかコースがあるんですよね?

「信濃町では代表的なコースは3つありますね。あまりアップダウンがない池の周りにたくさん道がある『御鹿池(おじかいけ)』っていう池があるんですけれども、そこに出かけるコース。あとは野尻湖があるんですが、その野尻湖をちょっと見下ろせるような森の中を歩く『象の小径コース』というのもあります。
で、もうひとつ新潟県境に『地震滝(ないのたき)』という日本の滝100選に選ばれているような立派な滝があるんですけれど、そこをゴールに目指す『地震滝コース』っていうその3つがあります。
その滝コースは1日かけて、お弁当を持って出かけましょう! っていう場所なので、どっぷり1日森の中にいたいっていうかたには地震滝コースをご案内しています」

森の中で、ひとりたたずむ時間
※森の中で行なうプログラムについて、もう少しうかがっていきましょう。森に入ったら、ほかにどんなことをやるんですか?
「森に入って、まず感覚を開いていただいたあとに、丁寧に呼吸してみましょうかと言って、胸式呼吸ではなくて腹式の呼吸を丁寧にご案内したりとか 、あとは素足になって”水の中に入りませんか?”と言って、(小川に)入って”きゃー!”って言ってもらったりとか・・・。

あとは感覚が開いて、そうやって体験をしていただいたあと、ひとりで森の中にいても大丈夫だな、安心だなっていうふうにお客様の様子が変わってきたら、ちょっとひとりたたずむ時間も取っていますね。レジャーシートをお渡しして、そうですね、15分とか20分、あるいは長いかただと30分ぐらい森の中でひとりで過ごしていただく時間を取るようにしています」
●リラックスできそうですね〜。
「そうですね。とてもその時間、ひとりたたずむ時間のあとは表情が変わるかたが多いです」
●参加者のみなさんの反応はいかがですか?
「様々なんですけれど、忘れかけていたものをちょっと思い出した気がしたとか、あとはこれ、女性なんですけれど、森の中に半日出かけて戻って、美容室に行ったそうなんですよ。そうしたら(美容師さんに)「どこに行ったんですか?」と言って、髪の毛を美容師さんに触ってもらって、髪がとてもツヤツヤしていたって言うんです。
”そんなことを言われたわよ”と言っていただいたお客様がいらっしゃったりとか、いろいろなかたがいるんですけれど、だいたいみなさん表情が柔らかくなって優しくなりますよね。人当たりが優しくなる、表情も言葉も・・・僕はそんな感じがしています」
●まさに河西さんがそんな感じがします。優しさが出ています。溢れ出ています。
「いやぁ〜、ははは、ありがとうございます。おそれいります(笑)」
●河西さん自身も仕事とはいえ、プログラムが終わる頃には変化を感じますか?
「私自身は終わった時は、とにかく何事もなく無事に終えられたなって、ちょっとほっとしている部分が大きいんですけど、必ずトレーナーはお客様を迎えることが決まったら下見をするんです。その下見の時にひとり、あるいは一緒に案内する仲間と下見するんですけど、その時間はとても自分にとっては気持ちいいですよね、リラックスできるなって・・・。
やっぱりこのコースは、改めてこういうふうに回るのが自分には合っているなって実感して、お客様をお迎えするっていうふうになるんですけれど、私はやっぱりその下見の時間はいいなと思いますね。で、やっぱり眠くなります」
●癒されるんですね〜。
「はい、緩むっていう表現がいいですかね」
企業や団体がもっと活用すべき「癒しの森」
※河西さんが所属する「しなの町Woods-life Community」としては今後、どのようなことに取り組んでいく予定ですか?
「これまでもそうだったんですけれども、おもに企業で頑張っているかたがたをお迎えをして、なんて言うんでしょう・・・ちょっとバランスを崩しているようであれば、ご自身を取り戻していただいて、いつもの調子とあまり変わらない、大丈夫っていうかたは森に来ることで、より生産性が上がったりとか、コミュニケーションが活性化するっていうデータもあるので、企業にお勤めのかた、あるいは団体や組織で動いているかたに、もっと活用いただいて・・・。
今『健康経営』なんて言われて久しくなりましたし、『ワークエンゲージメント』であるとか『心理的安全性』みたいなキーワードも出てきているので、従業員の心と体の健康プラス、従業員同士の関わりがもっと活性化していって、より組織であるとか企業が元気になるっていうところに貢献できればいいな、そんなことを意図してみなさんにいらしていただければいいなと思っています」
●確かに企業の福利厚生や社員の健康管理などにこの「癒しの森」プログラムを
活用したらすごくいいですよね?
「もうぜひぜひ! そう言っていただけると、とてもありがたいですね」

●では最後に、森林メディカルトレーナーとしての夢や目標があれば、ぜひ教えてください。
「一緒に出かけていただいて関わるかたが日常に戻られた時に、森の中で表情が緩んで、いい表情になることはもちろんなんですけれど、そうなった時にその状態で日常に戻って、そのかたの日常がよりよくなる・・・健康っていう面もそうですし、幸せっていうことも言えるのかもしれません。そのかた本人が望んでいる人生が歩めるようなサポートができるといいなと思っています。
そのために日々勉強することしかないのかなって、ちょっと実は思っていて・・・なかなかバタバタして仕事に追われる日々ではあるんです。森にいてもその事実は変わらないので・・・。でも時々、森のそばにいる人間もちょっと森に出かけて、新しい情報であるとか、学ばなくちゃいけないよなって思うことは少しずつ勉強しつつ、でもお客様と楽しい時間を過ごすっていう・・・すいません、答えになっているかどうかわかんないんですけれど、何かすごく大きな目標があるかっていうことよりも、日々研鑽し続けることが大事だな、なんて今思っています」
(編集部注:信濃町が取り組んでいる「癒しの森」は、日本初の事業で、ほかの市町村からの視察も多いそうです。提携している企業や団体は、現在39ほどあるとのことです)
INFORMATION

「癒しの森」のプログラムに参加してみたいと思ったかたは、「しなの町Woods-life Community」の事務局に、できれば、メールでご連絡くださいとのことです。
宿泊は「癒しの森の宿」に認定されている宿を選ぶことができるそうです。宿泊プランやガイドツアーの料金など、詳しくは、信州信濃町「癒しの森」のオフィシャルサイトをご覧ください。
◎「癒しの森」:http://iyashinomori.main.jp
2024/7/14 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、ネイチャー・フォトグラファー「柏倉陽介(かしわくら・ようすけ)」さんです。
柏倉さんは1978年、山形生まれ。写真家として、自然風景、野生動物、環境問題など幅広い分野で撮影を続けていらっしゃいます。作品は、アメリカのスミソニアンやロンドンの自然史博物館などで展示。また、「ナショナル・ジオグラフィック」ほかの国際フォトコンテストで入賞するなど、世界的にも注目されています。
そして先頃、写真集『Back to the Wild〜森を失ったオランウータン』を出されたということで、番組にお迎えすることになりました。
柏倉さんは、国内では北海道・礼文島に撮影の拠点を置いていらっしゃいます。
礼文島は、稚内市の西の沖合60キロに位置する最北の離島で、柏倉さんによれば、島には北から南へ1本の道路があり、それが約25キロ、車で30〜40分で走れる、それくらいの大きさの島だそうです。人口は2300人ほど。
野生の哺乳類は、意外に少なくて、イタチなどがいる程度。ヒグマやキタキツネは生息しておらず、海岸に行くとアザラシや、冬になるとトドがやってくるとのこと。首都圏からのアクセス方法は、羽田から稚内空港、そこからはバスとフェリーになるそうです。
今回は、礼文島にいる柏倉さんにリモートで島の自然や星空、そしてボルネオ島の「オランウータン・リハビリテーションセンター」のお話などうかがいました。その時の模様をお届けします。
☆写真:柏倉陽介

礼文島は「花の浮島」
※まずは、礼文島のどのへんに撮影の拠点があるのか、お聞きしました。
「礼文島のいちばん北のスコトン(須古頓)集落という場所にあります。歩いて300メートルぐらい先に“日本最北限の岬”みたいな看板がありまして、そこが有名な『スコトン岬』という場所になっています」
●空き家を改装されたんですよね?
「はい、取材中に偶然そのスコトン集落があるエリアに出会いまして、空き家があるかな? どうかな? ってインターネットで検索してみたら一軒だけありました。それで(借りる人を)募集されていたんですけれども、そこに応募したら偶然選んでいただいたという形ですね」
●そこからは、どんな景色が見えるんですか?
「花畑! 一面の花畑なんです。礼文島って実は高山植物が有名な島で、“花の浮島”とも呼ばれているんですが、ここに高山植物が300種類ぐらい年間咲き誇るんですね。僕が見た光景は『ゴロタ岬』という展望台から風景写真を撮ったんですけれども、その一面の花畑の向こうに半島のような突端があって、その突端にスコトン集落があるという、そういう見事な光景でした」
※柏倉さんの生活の拠点は神奈川だそうですが、なぜ礼文島に撮影の拠点を置くことにしたんですか?
「風景撮影の仕事で偶然(礼文島に)行ったんですね。そこでとにかく一目惚れしてしまったというか・・・。
風景の中に人が住んでいるっていう世界観というか、世界中いろんな場所に撮影に行くんですけれども、その中には大自然の中にぽつんと一軒家があったりとか、とにかくすごい風景の中にある家がいつも目に入ってきたんですよね。それにすごく近いなと思いまして、そこがポイントですね」
季節的には6月の上旬から礼文島の固有種が咲き始めて、だいたい8月の上旬までは花の時期が続いていますね。この時期は、礼文島の固有種『レブンウスユキソウ』という花が咲いています。
「エーデルワイス」の仲間なんですね。これが礼文町の町花に選ばれている花で、実際に白く雪が積もったような白っぽい花なんですけれども、花びらに見えているのが実は葉っぱなんです。花弁はちょっと黄色っぽいんですけど、それを包み込むような、そこから広がっていくような花のようなものに、白い雪が積もっているみたいな見た目ですね。とても美しいので見てもらいたいです」
●街の明かりとかもないから、夜も綺麗なんじゃないですか? 星空が・・・。
「そうですね。とにかく異様なぐらい星が美しいんですよ。やっぱり周りが海に囲まれていることと、それから島の中に街灯も少なくて街明かりもあまりないということで、天の川がすごく立体的に浮かび上がっているような感じで見ることができます」
<コラム:日本列島、その島の数が倍に!?>
あす7月15日は「海の日」。「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国家日本の繁栄を願う日」なんですね。
海に囲まれている、いわゆる島国日本は多くの島で構成されていて、その数はこれまで「6852」とされてきましたが、36年ぶりに国土地理院が調べ直したところ、
なんと、倍以上の「14,125」の島があったそうです。
これは、新たに島が発見されたのではなく、航空写真による測量技術が進化したことで、正確に数えられるようになったからだそうです。ここでいう島の条件は、周囲の海岸線の長さが100メートル以上。
では、都道府県でいうと、島の数が最も多いのはどこでしょうか?
答えは長崎県、その数1479。五島列島などがありますから、確かに多いイメージがありますよね。
2位は、長崎県よりも6つ少ない北海道で1473、3位は鹿児島県で1256 ということです。
ボルネオ島のオランウータン・リハビリ施設

※ここからは、柏倉さんの最新の写真集『Back to the Wild〜森を失ったオランウータン』について、お話をうかがっていきます。この写真集は、おもにボルネオ島にある「セピロク・オランウータン・リハビリテーションセンター」で撮影した写真で構成されています。
●表紙は水色のタオルを頭から被って、つぶらな瞳で天井を見上げている保護された赤ちゃんオランウータンの写真になっています。なんだか切ない表情というか、寂しそうで不安そうですよね?
「ええ、そうなんです。幼い赤ん坊に近いオランウータンは、ずっと母親の体にしがみついて、一緒に何年も何年も生活していくんですけれども、開発に巻き込まれて母親とはぐれてしまった孤児たちは、しがみつく母親の体を失ってしまったんですね。なので、毎日泊まる場所、檻の中にタオルが敷かれていたりするんですけども、その檻の中のタオルを頭から被って、なんというか・・・寂しさを紛らわしているというか、そういう光景がありましたね」
●この写真からすごく寂しそうな雰囲気が伝わってきました。人間がタオルを被せたわけじゃないってことですよね?
「そうですね。ある日の朝、彼らの寝床のある建物に入って行ったら、やっぱり頭から(タオルを)被っていたりとか、それから体中にタオルを巻きつけていたりとか、そういう光景をよく目にしましたね」

●あんなにちっちゃな赤ちゃんオランウータンが、自分でタオルを身にまとっているんですね?
「そうですね。オランウータンは記憶もすごく優れているので、おそらく自分の母親のことを思い出したりとかしているのかなと思うと、胸が苦しくなりますね」
※柏倉さんがこの施設を知ったのはいつ頃で、どんなきっかけがあったんですか?
「もう15年近く前になるんですけれども、環境保全の撮影ツアーがあって、そのツアーに同行して写真を撮るという仕事で行ったんですね。
『キナバタンガン川』という長大な川がボルネオ島にありまして、そこの川の両岸に野生動物がたくさん出てくるんですよ。で、それを僕は “わ〜、すごいすごい!”と言いながらたくさん写真を撮っていて、その時に同行してくれた環境保全団体の理事長さんが、“どうしてこんなにたくさん動物が現れるかわかりますか?”っていう質問を僕にしてくれました。
僕はわかんなかったんですけれども、そのなぜかっていうのは、川の両岸にある森の、数十メートルすぐ向こうには人間が開発したアブラヤシ農園がどこまでも広がっていって、動物たちがそこに棲むことができないので、川の両岸に残されたわずかな森の中にどんどん追いやられていることを教えてもらったんですね。
僕はその追い込まれていた動物を“すごいすごい!”と言いながら撮っていたんですね。それを教えてもらって、これではカメラマンとしても、おかしな方向に進んでしまうし、もっと誰も撮らないようなテーマを見つけて撮影を進めなければいけないなって思ったのがきっかけですね」
熱帯雨林がアブラヤシ農園に!

※ボルネオ島というと、熱帯雨林のイメージがあったんですけど、どんどん伐採されている現状があるんですね?
「そうですね。この100年で相当、森林伐採が進んでしまいました。オランウータンは、1960年ぐらいには11万頭ぐらいいたのが、今では3万頭ぐらいまで減ってしまったという状況ですね。ボルネオ島は世界第3位ぐらい広い島なんですけれども、その半分ぐらいの熱帯雨林がなくなってしまったとも言われていますね」
●先ほどのアブラヤシから採れる油はお菓子などの食品から、洗剤とかシャンプーとか口紅とかにも使われているんですよね?
「そうですね。日常の本当に想像もできないところまで深く浸透しているというか、もうこのアブラヤシから採れるパーム油、この植物油なしにはおそらく生活が成り立たないっていうぐらい私たちの生活の身近にありますね」
●私たちの生活に欠かせないものになっているっていうことですよね?
「はい、世界中のパーム油の85%が、実はボルネオ島と隣のスマトラ島かな・・・そこから輸出されているっていう現状があります」
●そうなんですね。柏倉さん自身はアブラヤシ農園に行かれたことはありますか?
「何度かあります」
●どんな印象を受けましたか?
「車で農園の中を走っていても、1時間経っても2時間経っても風景が変わらない感じで、ドローンを飛ばして上から撮影したり、ヘリに乗って上から撮影したりもしているんですけれども、とにかく地平線の果てまで人工的に開発されたアブラヤシ農園が広がっているんですね。50〜60年かけて人間が作った光景とは言っても、大災害に近いような迫力がありましたね」
(編集部注:ボルネオ島は、世界で3番目に大きな島で、その面積は日本の国土のおよそ2倍。インドネシア、マレーシア、ブルネイと、3つの国に分かれています)
木登り、綱渡り、毎日練習!?
※写真集の舞台となっている「セピロク・オランウータン・リハビリテーションセンター」は、マレーシアのサバ州にあって、設立は1964年。親から引き離されてしまった孤児たちが常時、約70頭、世話をするスタッフは50〜60人ほど。
センターに収容される孤児たちは、森でさまよっているとか、ペットとして密輸されるところを発見されるなど、通報を受けて、スタッフが現場に急行して保護するとのこと。
●保護されたオランウータンの孤児たちは、いずれは森に返すんですよね?
「そうですね。オランウータンの子供は7〜8年、母親の体にしがみつきながら、どういう果物が食べられるか、木の上でどうやってベッドを作るか、寝床を作るかっていうのを何年もかけて、母親がしているいろいろな仕草を見て覚えていくんですね。

ここのオラウータンは、それができなくて保護されてしまったので、このセンターの中で、だいたい10年ぐらいの時間をかけて、木登りの仕方だったりっていうところから教えて・・・10年ぐらい経って森に戻れると判断された個体に関しては、保護区の森に放されたりしていますね」
●その10年はどんなステップがあるんですか?
「10年のステップ・・・まず初めは保護されてすぐは、健康診断とかいろんな予防注射とかそういうのをして、まずは元気になってもらう・・・。それから人間の母親のような立ち位置にいるスタッフがミルクをあげたりして、ある程度体力を回復させることが始まりで、その後は消防ホースをちょっとねじったようなロープを、木の間に渡して・・・2メートルぐらいですかね。そういう高さのところを孤児たちに渡らせる練習をしますね。

そこから先は、ロープを張ってある場所がどんどん高くなっていくんですけれども、自由に綱渡りができるようになった子は、近くにある木々に自分で登ったりとか、いろいろできるようになります。
それができたら今度は、センター自体が保護区の森の中にあるので、近くの保護区に実際(オランウータンを)放すんですね。その保護の森の中でしばらく生活できてOKだなってなったら、ようやく森に返されますね」
●オランウータンは、生まれた時から木に登ったりできるのかと思っていたんです。
でもこの写真集に、毎日毎日練習を、っていうふうに書かれていました。そうやってトレーニングしていたんですね?
「そうですね。僕も初めて見た時はびっくりしまして、生まれながらの能力かなと思っていたんですけれども、やっぱり人間が、“ここをつかむんだよ。ここだよ。次はここだよ”って感じで、手で教えてあげないとわからないんですよね。高いところに登ってしまうと怖くて、体が硬直してしまうような子もいましたね」

●そうなんですね。スタッフの方々がいちから教えていくっていう感じなんですね?
「はい、結構途方もないプロセスというか、途方もない作業に思えるんですけど、お話を聞いてみると、10年はあっという間に経って、自分たちが面倒を見てきたオランウータンが無事に外に行ったっていう話も聞いたりしています。
ただ、無事に外に行ったとしても、今度は外の世界が本番の自然の中なので、いろんな危険があったりして、そこから先は彼らの勝負というか、そういう世界になっています」
●ミルクを与えたりとか食事の世話をしたりとか、そういうのも全部スタッフさんたちがするんですよね?
「そうですね。もう何から何まで、本当に人間の赤ん坊とほとんど一緒のことですね」

(編集部注:トレーニングは朝から1日に行ない、中には、高いところを怖がって渡らない個体もいるそうです。トレーニングしないと森には戻れないので、人間がどこまで教えられるかの挑戦でもあると、柏倉さんはおっしゃっていました)
動物にも心がある
※オランウータン・リハビリテーションセンターで撮影をしていて、特に印象に残っている出来事があったら教えてください。
「オランウータンの瞳を撮った時にものすごく綺麗な目をしていて・・・ずっと一緒に生活はしてないんですけど、撮影現場でずっと一緒にいたので、どのオランウータンがどういう性格かっていうのも、見ているとだんだんわかってくるんですよね。
いたずら好きだったりとか、ひとりを好むオランウータンもいたりとか、親友同士いつも遊んでいるオランウータンがいたりとか、オランウータンとひとことで言っても本当に個性豊かな動物たちですね。
やっぱり改めてそういう姿を見ていると、動物にも心があるんだっていう当然のことがより実感できたというか・・・。(リハビリ施設には)コロナ禍以降はちょっと行けてないんですけども、今でも思い出すような出来事でしたね」

●このリハビリ施設に出会って以来、柏倉さんの写真に対する向き合い方に何か変化はありましたか?
「最初はより綺麗な世界とか、より野性的な瞬間とか、いろんな人がすごいねって言ってくれる写真を撮りがちだったんですけれども、ボルネオに行ってこのセンターの撮影を経験して、その素晴らしい、感動する横にあるストーリーっていうのもすごく大事だなっていうか、それも同じく撮って、人に“こんなことがあったよ”と伝える写真が撮れたら、それはカメラマンとしても、より充実した・・・充実というか、自分の理想的な仕事のあり方って、そっちのほうなのかなっていうのも感じることができましたね」
●では最後に、写真集『Bsck to the Wild〜森を失ったオランウータン』を通して、最も伝えたい思いをぜひお話しください。
「自然っていうのは接しないと、例えば山の中でも森の中でも分け入っていかないと、大切な存在って気づきにくいんですよね。山の中に行って登山道を歩かないと、そこに咲いている貴重な花の存在、存在自体がわからないっていうことがあると思うんですね。
なので、自分たちの自然、自分の身近にある自然を大切にすることが、大切なものの存在に気付くっていうことにもつながりますし、それがいつかボルネオのほうにも波及していけばみたいな、そんなことを考えています」
INFORMATION
『Back to the Wild〜森を失ったオランウータン』
柏倉さんの最新の写真集をぜひご覧ください。ボルネオ島の熱帯雨林がアブラヤシに浸食されている実態や野生動物の現状、そしてリハビリセンターに暮らすオランウータンの孤児たちの姿をとらえたリアルなドキュメンタリーです。水色のタオルを頭から被る赤ちゃんオランウータンの表情が、すべてを物語っているように思えませんか。
エイアンドエフから絶賛発売中です。詳しくは出版社のサイトをご覧ください。
◎エイアンドエフ:https://aandfstore.com/products/08730043000000
写真集の印税はセピロク・オランウータン・リハビリテーションセンターに寄付されます。寄付の方法ついては現在、検討しているとのこと。
私たちが日本にいてできることとして、ボルネオ島の無謀な開発に手を貸さないためにも、RSPOという認証マークの製品を買うことがあります。
このRSPOとは、持続可能なパーム油の生産を目的に設立された国際NPOの認証制度です。適性に栽培されたアブラヤシから採れる油を使っている会社の製品を買うことが大事、ということですね。
ボルネオ島の現状については認定NPO法人「ボルネオ保全トラスト・ジャパン」のサイトを見てください。
◎ボルネオ保全トラスト・ジャパン:https://www.bctj.jp
柏倉さんの作品や活動については、以下のオフィシャルサイトをご覧ください。
2024/7/7 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、新潟県南魚沼市を拠点に山岳ガイドとして活躍するWakaこと「大島わかな」さんです。
大島さんは1995年、静岡県出身。子供の頃、たまに両親に連れられて、近くの山にハイキングに行く程度の山経験だった大島さん、会社勤めをしていた19歳の時に、当時通っていたスポーツジムの富士登山プロジェクトに参加、初めて本格的な山登りを体験します。その時、木が生えていないゴツゴツとした岩場を見て衝撃を受け、山のイメージが一新。標高の高い山にもっと登りたい、と思ったそうです。
それから毎週のように山に行くほど、のめり込み、いつしか山の仕事がしたいと思うようになったとのこと。でも、一時の気の迷いかもしれないと考え、とりあえず5年間、趣味として山登りをして様子を見ることにしたそうですが、益々、山への思いは強まり、ついには、ご両親に内緒で会社を辞め、山岳ガイドへの道に踏み出します。そして東京にいる頃から、着々と準備に取り組み、ブログで山登りの記録を発信するなど、PRにも力を入れていたそうです。
そんな大島さんにガイドとしての心得や初心者におすすめの山、そして古民家暮らしのお話などうかがいます。
☆写真協力:大島わかな

登山ガイドという資格
※大島さんは、いくつか登山ガイドの資格をお持ちですが、ひとくちに登山ガイドといっても、いろんな資格があるみたいですね?
「登山ガイドは国家資格じゃないので、それぞれ民間の団体がいろいろと・・・その山域に精通した認定資格とかもあるんですね。私が持っているのは2種類あって、日本でいちばん規模の大きい『日本山岳ガイド協会』の資格と、あと花が好きなので、尾瀬ヶ原の、『尾瀬の認定ガイド』っていう資格を持っています」
●どんなお勉強をされたんですか?
「やっぱり動植物とか、歴史とか山に関係するものは全部勉強しましたね。登山ガイドは、自然解説だけじゃなくて、お客さんの安全管理もとっても大事なので、お客さんをいかに安全に怪我させずに案内するかっていう、そういう実践的なことも本で勉強しました」
● 山での講習はあるんですか?
「結構ありますね。私が受けるのは雪山の雪崩講習ですね。もし雪崩にあった時にどうやってお客さんを助けるかとか、そもそも雪崩に合わないためには、どういうことに気をつければいいのかっていうのは専門的すぎて、自分では勉強できないので、やっぱりプロのかたにおうかがいして勉強しました」
●どんな試験を受けるんですか?
「私が受けたものは、筆記試験があって、花の名前ですとか歴史とかの知識を問われますね。あと天気のこととかですね。で、そのあとに実技試験があって、お客さんにどういうふうに解説しながら歩くのかとか、いざとなった時にどうやってお客さんを助けるのかとか、そういうことを実際に山に入って、試験として受けました」
(編集部注:大島さんは、いくつかの山小屋でのアルバイト経験もあります。接客にご飯の用意、掃除、登山道の整備、さらには食材などの荷物を山小屋に運ぶ「歩荷(ぼっか)」もやっていたそうですよ。繁忙期は目の回る忙しさだったようですが、山小屋のオーナーやみんなのために一生懸命がんばったとおっしゃっていました)
東京から新潟へ、夫が勝手に・・・
※大島さんは現在、新潟県南魚沼市にお住まいですが、いつ移住されたんですか?
「去年の3月に東京から引っ越ししました」
●南魚沼を選ばれたのはどうしてですか?
「全く縁もゆかりもないんですけど、今の夫も私も新潟の山がすごく大好きだったので、住むなら新潟に引っ越したいねっていう話をずっとしていたんですね。ちょうどその時に南魚沼市に住んでいる山仲間のかたが、”空き家があるんだけど、どう?”って聞かれて、(そこに)行ったんです。そうしたら、もともと旅館だったお家で、とても巨大な古民家だったので、うちの夫は乗り気だったんですけど、私は掃除が大変だからちょっとここは無理かなって言って、うーんってなっていたんですね。
で、東京に住んでいて、その時、登山ガイドの仕事もちょっとずつ増えてきたところだったので、今新潟に引っ越したら、その仕事が全部なくなっちゃうのも嫌だなって、ちょっと不安になっていたんですけど、私がガイド(の仕事)で家をあけている時に、うちの夫が勝手に新潟に住民票を移してしまって・・・。
(夫から)住民票を移しておいたよ〜、感謝してよね〜みたいなことを言われて(笑)、えっ!?ってなって・・・。東京と新潟の2拠点でやっていこうみたいなことを言っていたのに、結局、東京の家賃は高いから解約しようってなって、気づいたら新潟に引っ越しせざるをえなくなっていました(笑)」
●そうだったんですね〜! かなり勢いでっていうところもあったのかもしれませんね。現在暮らしているのはどんなエリアなんですか?
「南魚沼市の市街地からちょっと離れて、周りは畑とかが多い場所で、八海山というギザギザしていて、かっこいい山が近くに見える場所に住んでいます」
●2拠点生活にしようなんて話もあった中で、でもやっぱり新潟に移住して頑張っていこうと決まって、実際に住んでみてどうですか?
「意外といいなってなりましたね(笑)」

●どんなところがいいなって思っていますか?
「まずやっぱり田舎なので、みなさん優しくて・・・家が大きいので、近所に気を遣う必要がないって言いますか、東京に住んでいた頃はアパートだったので、騒音とかにすごく気を遣って暮らしていたんですね。新潟は家も広いし、大きい庭も畑もあって、本当にやりたいことをのびのびとできる環境なので、引っ越してよかったかなって思います」
(編集部注:ご主人が勝手に住民票を移したとおっしゃっていましたが、おそらくご主人は大島さんが絶対に気にいるという確信があったんでしょうね。事実、住めば都、いまは古民家暮らしを楽しんでいらっしゃいますよね。
広い畑もあるということで、ナス、トマト、メロン、カボチャ、ネギ、スナップエンドウ、ホウレンソウなどなど、いろんな野菜を育てているほか、鶏も飼っていて、とっても可愛いとおっしゃっていましたよ)

山スキーが大好き
※大島さんのオフィシャル・サイトを見ていたら、ハイキング、ボルダリング、フリークライミング、さらに、縦走、沢登り、そして山スキー、雪山などなど、山のことなら、なんでもやっているように感じました。
それは登山ガイドとして意識して、そうしているのか、それとも好きでやっているのか、どうなんでしょう?
「両方あるんですけど、やっぱりいちばんは自分が好きだから、行きたいからっていう気持ちで取り組んでいますね。でも登山ガイドとしても必要だなっていうのは思っていて、そう思わせたのはやっぱりお客さんたちですね。
みなさん、すごく熱心で毎週毎週、山登りに行かれているんですね。もし私が仕事の山しかやっていなかったら、多分お客さんに技術も体力もそのうち抜かされるんじゃないかって思っていて、それがひとつと・・・やっぱりガイドが、岩とか沢登りとか雪の上でも、どこでも安全に歩けないと、いざという時にお客さんを守れないので、お客さんを守るためにも、そういう登山はこれからも頑張っていこうかなっていうのはあります」
●それぞれに技術や装備、そして経験が必要になってきますよね?
「でも全部楽しいので、装備はあんまりお金は気にせず(笑)、ちょっといろいろかかっていますけど・・・」
●大島さんがいちばん好きというか得意とする山のアクティビティは、どんなことなんですか?
「いちばん好きなのは、山スキーっていうアクティビティです。新潟の山って雪が深いので、そのまま歩くと腰とかまで浸かっちゃうんですよね、雪の中に。で、全然山登りができないので、スキーを履いて山に登るんです。そうすると冬でも雪に(体が)沈まないから山登りを楽しめるんですよ。山スキーは雪があればどこでも歩けるので、やっぱり自由なところが好きで、私のいちばん好きなアクティビティです」

●植物も詳しいようですけれども、山で見る植物とかお花からどんなこと感じますか?
「やっぱりたくましいなって思います。山ってやっぱり気象条件が厳しいので、とっても植物が育つのには厳しい場所だと思うんですけど、そういうところでもちっちゃく、たくましく咲いているのを見て、私も頑張んなきゃなみたいな気持ちになります」
●気象のことも勉強されたんですよね?
「そうですね。もともと気象は好きなことでもあるので、意外と勉強はしていないんですけどね。今登山者には『ヤマテン』という会員制の天気予報サイトがあって、そこで山に詳しい気象予報士さんが予報文を出してくれているのと、あと高層天気図というちょっと専門的な天気図を見ることができるんです。
その高層天気図の見方も、ヤマテンですごく丁寧に解説してくれているので、その天気図をまず見て自分なりに天気予報を考えて、そのあとにその気象予報士さんの文章を読んで、答え合わせをするっていうのをやっていたら、結構自分で天気は読めるようになったかなってところはあります」
南魚沼周辺の山々

※現在お住まいの南魚沼市は、山がたくさんあると思うんですけど、周辺の山々の特徴を教えてください。
「登山者に人気の、日本アルプスや北アルプスとかは標高が高いんですよ。山脈が天高く隆起しているんですけれども、新潟の山はそこまで標高が高くなくて、広い範囲で小さい山がポコポコいっぱいあるんですね。だからちょっと山に登れば、すぐに町の景色がなくなって、もう山しかない、山深い景色が広がっているんですけど、それが新潟南魚沼周辺の山々の特徴かな・・・」
●私のような初心者におすすめの山はありますか?
「南魚沼市に坂戸山(さかどやま)っていう山がありまして、地元のかたにも愛されていて、大体往復で3時間半ぐらいで登ってこられる山なんですね。4月頃になると“スプリング・エフェメラル”っていう“春の妖精”って呼ばれている、雪解け後にお花がすごくたくさん咲いて、それを見に東京とか遠方の登山者もはるばる来られるんですけど、そこの山がやっぱりお花の時期に行くと素敵だなって思います。おすすめです。」

●大島さんに、私だけとか、私と家族だけ山に連れてってくださいとか、そういうプライベートなツアーをお願いするっていうのもできるんですか?
「はい、できます!」
●どんなツアーに今までご案内されたんですか?
「やっぱり新潟の地元の山も多いんですけど、日本アルプスですね・・・南アルプスの光岳(てかりだけ)っていう山があって、4泊5日、5日間で行くんですけれども、そういう山を個人的にお願いされたこともあります」
●女子だけ参加のガイドツアーとか、そういったこともあるんですか?
「1回やったんですけど、今はちょっとやってなくて・・・男性のお客さんに“俺もその山行きたかったよ”って悲しい顔をされたんで(笑)、ちょっと今は可哀想だからやめております」
自分の体力に見合った山に
※安全に山を楽しむためには、どんなことが大事になってきますか?
「いちばんはやっぱり体力かなって思っています。やっぱり自分の体力に見合った山に行かないと、すごく疲れて楽しいものも楽しくなくなってしまうので、体力に見合った山に行くってことと、もし行きたい山があったら頑張って体力作りをするのが大事かなって思っています」
●登山ガイドとして登山客を案内している時に、どんなことに注意を払っていますか?
「いちばんはやっぱりお客さんの体調にすごく気遣っています。意外とお客さんは、体調が悪かったり怪我していても言わないかたがいらっしゃるんですね。
以前私が失敗したのが(参加者の中の)ひとりのペースがちょっと遅いなって気になっていたんですけれど、(その時は)何も言わずに帰宅後に、“実は足首をひねって痛めていました”ってあとから連絡が来て、すごく反省したことがあります。
それ以降はやっぱりこまめに後ろを振り返って、お客さんが転んでないかなとか、あと(参加者の方に)言ってくださいって言ってもやっぱり言わないので、表情とか雰囲気とかをよく観察して、体調を悪くしてないかっていうのを見るようにしています」
●大島さんにとって山は仕事場だと思うんですけれども、大島さんにとって山とはなんでしょうか?
「そうですね・・・いろんな意味を込めて、人生を豊かにしてくれるものかなと思います」
(編集部注: 大島さんはプライベートでもご主人と新潟の山へ出かけるそうです。
それも4泊5日から6泊7日とわりと長めに山に入って、大好きな沢登りや山スキーを楽しむとか。大島さんいわく、山にはリスクもあるけれど、夫といるとなんとかなるし、がんばれるとおっしゃっていました。山という共通の趣味がある、仲むつまじいご夫婦、いいですね)

INFORMATION
大島さんは、新潟の山を始め、富士山、南アルプス、北アルプスなどなど、1泊2日から4泊5日ほどの、いろいろなガイドツアーを企画されています。
4人から6人くらいまでの少人数のツアーで、3ヶ月から4ヶ月先まで、すぐ定員に達するほど人気なので、大島さんのツアーに参加したいというかたは、早めにご予約されることをおすすめします。
また、大島さんにプライベートなツアーを頼みたい場合もオフィシャルサイトからお問い合わせくださいとのことです。
2024/6/30 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、フラの指導者「クムフラ」の「田中 新(たなか・しん)」さんです。
最近SNSの動画で話題になっている男性のフラ「メンズフラ」、そのムーヴメントをリードしているのが田中さんなんです。
田中さんは東京港区三田に本校を構えるフラ教室を主宰、そして先頃『天と地をつなぐ 素晴らしきメンズフラの世界』という本を出されました。
きょうはメンズフラの魅力のほか、ハワイの人たちにとって、神様に捧げる神事ともいえるフラについて、じっくりお話をうかがいます。
☆撮影:広川智基

フラの祭典「メリーモナーク・フェスティバル」で“絵が見えた”!
※田中さんがなぜフラの指導者になったのか、その経緯をまとめると・・・実はお母さんがフラの先生で、子供の頃から家には当たり前にフラがあったそうです。でも思春期の男の子にとって、当時女性中心のフラを習うには抵抗があり、高校では大好きな野球に没頭。
そして卒業後、国際弁護士を目指し、フロリダのカレッジに留学。おもに日本とアメリカの文化の違いを学んでいたそうですが、当時の先生から「君が学ぶべきは文化人類学だ」と諭され、先生の紹介でハワイ大学の大学院に移ります。
そこでハワイの文化をいちから学ぶことになるんですが、その一方で、田中さんを子供の頃から知る有名な男性フラの先生「チンキー・マーホエ」さんから、フラをやりなさいと再三いわれるも、学業が忙しかったこともあり、何かと理由をつけてやらなかったそうです。そんな田中さんがどうしてフラの道に進むことになったのか、気になりますよね。実はこんなきっかけがあったんです。
「2002年かな・・・『メリーモナーク・フェスティバル』にそれこそチンキーさんが出ると・・・。そこのチームから母の教室に通っていた日本人のかたがハワイに留学していて、このチームから出るということなので、いろんなツテから“新も行ってみる?”って話になって、“行ってみますか、せっかくハワイにいるし・・・”ってことで行ったんですよ」
●「メリーモナーク・フェスティバル」はフラの一大フェスで、トップ・レベルのかたがたの大会というイメージがありますけれども、実際どうでしたか?
「トップ・レベルでした!」
●うわぁ~!
「この頃と、今現代のメリーモナークの、ハワイアンたちの向き合い方はだいぶ変わってきてはいるんですけれど、やっぱり自分たちのルーツというものをしっかり大事にして、勝ち負けというよりかは、自分たちが守ってきたフラのリネージ、系譜を代表してみんなで楽しみましょうっていうのが、基本的なメリーモナークのハワイアンたちの向き合い方で、本気なんですよね。
日本に来るかたがたもいっぱいいらっしゃいますけども、やっぱり日本だとエンターテイメントという要素が大きくなって、ショー的なものというか・・・本当にみなさん真面目にやっているんだけども、やっぱり本気度が違うので、エネルギーの出し方が違ってくる。見ていてなんか違うな~って思っていたんですが、メリーモナークに行った時に、男性のかたがたがみなさん本気で踊っていると、全然違うなと思いましたね」
●どう違ったんですか?
「会場が広いので、人が米粒ぐらい、ペットボトルのキャップぐらいにしか見えないんだけども、ダンサーたちが踊っている上に絵が見えたんですよ、自分勝手な想像ですけど・・・。そのダンサーたちが見ている世界が投影されているみたいな・・・」
●すごく今、鳥肌が立ちました! え~すごいですね~!
「で、僕の知り合いのアンティーというおばちゃんに(メリーモナークに)連れていってもらったんですけど、隣にいるアンティーに“これ、こういう曲なの? こういうことを話しているの? こうなの? これなの?”っていうふうに聞いたんです。そうしたら“新、お前はハワイ語がわかるのか? やっぱりハワイ大学にいるからハワイ語も習うんだろうな“みたいに言われて、“いや、習ったことないし、話すこともできない”って言ったら、“なんで見えるんだ?”って、“だって見えるもん、すげぇ!”って・・・その時にフラってこうなんだ、っていうふうに思いましたね」
(編集部注:メリーモナーク・フェスティバルの、本気のメンズフラに魅了された田中さん、帰国してからすぐにフラに向かったと思いきや、プロの写真家に師事し、ウェディング・フォトなどを撮る写真の仕事に従事。そんな中、お母さんのフラ教室の発表会を撮影することになり、ファイダー越しに見るダンサーの幸せそう表情に魅了されたそうです。
その後、日本で長年フラを教えてきたクムフラの30周年記念の発表会で男性フラのメンバーとして踊ることになり、そこでフラの素晴らしさに目覚め、ついにはハワイで「フラの神様」といわれるジョージ・ナオぺの一番弟子「エトア・ロペス」先生について、本格的にフラを学んだそうです)

フラは、あくまで会話
※そもそもフラはハワイ人のかたたちの、神様に捧げる踊りだったり、祈りや、自然とつながる儀式のようなものなんですよね?
「神事なので、基本的には・・・。神様といっても一神教ではなくて、風の神、太陽の神、大地の神、海、植物、木、いろんなところに神が宿っているという、日本の昔からの八百万の神に通ずるような信仰というか会話、彼らにとってフラを捧げるのは神事の信仰行事ではなくて、あくまでも会話なんですよね。
だから見えないものと会話をしているというか・・・太陽の光が入ってくる、この光の線に対して“ハ~イ”と言ったりとか、あるいは風がふわっと吹いてきた時に“サンキュー・マハロ”と言ったりとか、誰もいないのに風が当たることによって、風に対して“ありがとう”って答えるとか、そのすべてのものを擬人化して“ありがとうね”って、人間が人間同士でボディタッチで、“ありがとうね”ってやるようなことと同じことをやっている会話なんですよね」
●フラには「カヒコ」と「アウアナ」のふたつがあるということですけれども、改めてどう違うのか教えていただけますか?
「どう違うのかと言われると、本質的にはさほど変わらないんですけれど、時代によって変わってきていて・・・『カラカウア』というハワイの最後の国王がハワイアン・ルネッサンスということで、私たちはハワイアンなんだというふうに、一回弾圧されたフラの信仰をもう一度取り戻したという時代から現代までを『アウアナ』と呼んでいて、それ以前のことを『カヒコ』と呼んでいるんですね。
カヒコは前から受け継いできたものという意味で、アウアナはこれから流れていくものというふうに分けられていて、それ以前はカヒコという名前もなくて『フラ』というものだったりとか『ハア』だったりとか、という言葉で済まされていたんですね」
●カヒコは「古典フラ」、アウアナは「現代フラ」とも言われたりもしていますけれども、曲調も違いますよね?
「曲調は違いますね。実際にカヒコでは『イプヘケ』と言われるヒョウタンを使った楽器、あるいは『パフ』と言われる木をくり抜いた太鼓を中心に踊っています。アウアナに関しては、みなさんよくご存じのウクレレという弦楽器、あるいはギターという弦楽器ベースで行なわれているのが『フラアウアナ』と言われるもの、現代フラと言われるものですね」
(編集部注:田中さんいわく、現代フラは楽器はなんでもありで、そういう意味ではクリエイティヴ。一方、古典フラは厳粛なもので、変えてはいけないしきたりがあるとのこと)

メリーモナークの変遷
※フラの、ひとつひとつの所作には意味がありますが、男性のフラと、女性のフラの所作で、大きな違いのようなものはありますか?
「これ、難しくて、大きな違いは特になくて、力のかけ具合とかスピードとかが変わっていくだけであって、言うてもそんなに変わらず・・・。
フラにはひとつひとつのモーション、所作に意味があるんだよねっていうこともこの20年間30年間40年間伝わってきていますけど・・・。“手話みたいなものでしょう?”ってことも言われるんですけれど、実はどちらでもなくて・・・。
我々がこうやって話している時に、“僕はキュンとしてあなたを好きになっちゃいました”っていうジェスチャーなんですよね。それを形として整えるために、“私はあなたを好きになりました、愛しています”っていうことをやっているだけであって、このモーションの意味はこれというよりかは、こういうことを伝えたいからこういうジェスチャーをしているんだっていう考え方があるんじゃないかなと僕が勝手に思っています。自分が心から今こうやっておしゃべりをしている、これと同じことなので・・・」
●なるほど~。ハワイのかたがたって子供の頃からフラを習うものなんですか?
「まちまちだと思います。日本人が昔から空手を習っているの?とか、柔道を習っているの? 日本舞踊を習っているの?って言われるとまちまち。だけども日本のかたがたが幼い頃から日本舞踊を習うという機会があるその幅よりかは、ハワイの人たちにはフラというものが当たり前に存在しています」
●ハワイ人のかたがたは迫害を受けたという悲しい過去もありますけれども、ハワイの伝統とか文化とか歴史は、今の若いかたがたにも受け継がれているっていうことですか?
「特に今のこの10年ぐらいのほうが受け継がれていることもあれば、調べ直して20〜30年前の事実とは違うんだよって言い始めている時代ですね」
●そうなんですね〜。
「これはこうあるべきなんだよっていうことも、実は間違っていたりとか、もっと昔はこういうふうにされていたとか・・・なので1980年代から1990年代のメリーモナーク、それこそさっき話したメリーモナークと、2024年のメリーモナークとはやっぱり形式が違うんですね」
●何がどう違うんですか?
「昔は自分たちが習っている踊り、本気で習っている踊りを披露する場所みたいな・・・もちろん1曲、テーマというか指定曲があって、その指定曲を踊って、全然関係のない曲を踊ったりとかするんです。だから3〜5曲ぐらいを連続で踊っていたりとかするんですね。
それで競い合っていたんですけれど、今現代はテーマは自分たちで選びます。でもそのテーマがなんなのかっていうことと、それに付随する曲はなんなのかっていうことと、その1曲に対してどういうストーリーがあるのかっていうのをしっかりと固めておかないと点数が上がらないというか・・・自分たちがやりたい曲をそこに詰め込んだところで何も評価されないので・・・っていう違いはあるかなと思いますね。
なので、今の人たちのほうがハワイ文化に対して真摯に取り組んでいるんじゃないかな・・・もしこれが何か影響を与えるとか、昔のかたがたを嫌な気持ちにさせてしまったら、ごめんなさいね・・・なんだけれども、今現在いろんなツールを使って、インターネットも普及してきた、図書館に行くにも博物館に行くにもインターネットを使ってやれるってなってくると、やっぱり情報の速さが違いますからね。なので、今の人たちのほうがすごく深いところまでお話ができる人たちが増えてきたなっていう感覚はあります」
大事なのは「ありがとう」
※田中さんは2013年に東京港区三田にフラ教室を開校、その名前は「ハーラウ・ケオラクーラナキラ」。
ハーラウは「教室」、ケオラは「命」、「クー」は立ちのぼる、そして「ラナキラ」は、先ほども少し触れましたが、ハワイでは「フラの神様」とされ、「アンクル・ジョージ」という呼び名で親しまれていた「ジョージ・ナオぺ」のミドルネームの一部を、許可を得て引用。その教室名には、アンクル・ジョージの遺伝子が立ちのぼっていくように、という願いが込められているそうです。
三田の本校で行なっているメンズフラの教室は現在、年齢別で13歳から40代、40代から60代、60代から80代の3クラス。年齢も職業も多彩な生徒さんが集まり、最年長はなんと、88歳だそうですよ。田中さんがおっしゃるには、生徒さんはみんな「大人の部活」のように楽しんでいるそうです。

田中さんに教室で、どんなことを大事にして指導されているのか、お聞きしたら、少し間をおいて、こんなふうに答えてくださいました。
「これね、ずっと考えていたんですよ、どんなことを大事にして指導されているのかっていうこと。それは、ありがとう、と思ってくださいってことかもしれないですね。ここに来させてくれて、ありがとうだったりとか、踊れる体が今ここにあって、ありがとうとか、ここに来て踊れるという気持ちを持っていて、帰って、あ〜楽しかったって思える自分の気持ちがあって、それだけでも本当は感謝なので・・・。
忙しかったらフラに行けないですよね。すごく忙しくてもなんとかこの日は行きたいなって思って、いろいろ工面をしてレッスンに出られますよね。それって時間を作ってくれたのは、もちろん自分なんだけども、いろんな奇跡的なことが重なって、この日は休める、この日は時間を取れる・・・で、取らせてくれた何かがあるわけなので、そこら辺にやっぱり感謝しながらレッスンを受けてもらいたいなと思いますね」
●感謝の気持ち、大事ですね〜。
「レッスンって、僕がお話をします、振り付けをおろします、それを受け取りますということがレッスンではなくて、その場にいることをどれだけ自分の生活の中で感謝できるのかっていうことと、そこで何に気づいたのかっていうことがライフ・レッスンとなるので・・・。
僕が指導します、あなたこうしなさい、ああしなさい、手は45度で、山が見えるでしょ、山を作りなさいってやっていることはカーナビと一緒で、次は右に行ってください、次は左に行ってください、そこの角に駐車場があります、駐車場に停めて27階まで来てくださいっていうのはナビゲーションじゃないですか、ゴールに到達するわけじゃないですか。それをよしとするのか、何も知らされない状態で、とりあえず自分で探して、ここのスタジオってここにあるんだね、何階だったっけ、あ、27階かって言ったほうがレッスンになるじゃないですか。
なので、何も教えてくれないわとか、何も伝えてくれないわ、何のレッスンしてるのかしら? っていう、ほかの人が原因で自分にストレスがかかった、じゃなくて、自分が調べないから、そういう状態になるわけなので・・・。自分がこのスタジオってどこにあるんだろう、何階にあるんだろうって調べると、それは自分のためのレッスンになるので、そういうことを僕はしたいなと思っているんですね。
もちろん振りおろしもしますし、こうして欲しいってことも言いますし・・・でも最終的にはダンサーは自分でその殻を破って、そこから生まれている何かと向き合って会話をしていくということに到達してもらいたいなとは思っています」

思えば、返ってくる
※クムフラとしてレッスンを重ねていく中で、ご自身に何か変化があったりしましたか?
「結局だから、全部自分に返ってきているんだなっていうのがあるので、自分の気を整えないと、ほかの人の気は整えられないかなって思ったりします。もちろん僕が今ものすごく幸せかって言われると、いろいろ思うことはあるけれども、心を豊かにするとか感謝の気持ちを持つとか、自分が感謝の気持ちを持たないと人には伝わらないので・・・例えば、雨が降っている時に雨が降ってうっとうしいな、雨を煩わしいものとして捉えている人たちが多い中で、雨が降ってきて、ありがとうねっていうふうに言えるかどうか・・・」
●素敵な考え方ですね〜。
「我々日本人も雨が降ったら、”恵みの雨”という言葉があるので、本来は感謝していたはずなんだけれども、現代社会になって、それこそテレビで”本日はあいにくの雨ですが・・・”とか、雨をうっとうしいものと思われがちなんだけども、我々は水がないと生きていけないので、ありがとうねって自分から言えないといけないんだなっていうことに気づかされてやっているという感じですね、クムフラとして変化があったといえば・・・」
●改めてになりますが、フラを通して田中さんが伝えていきたいことは、どんなことですか?
「思えば返ってくるっていうことだと思うんです。人を思えばその人から思われることもあるし、自分が本を作りたいって願う、思う、それを自分の現実的なイメージを作り上げていくと現実になったとかするし・・・寂しいなって思った時に実はこうしたいんだなって思うイメージがあったら、どんな形であれ、寂しくない未来がそこにあったりとかする。それに対して、これは僕が思ったことなんだと思って欲しいなと思うので・・・。
フラを踊る時に見えないものに対して・・・見えないじゃないですか、歌詞の世界なので・・・見えないものに対して何かを思うことによって、その歌詞の世界の中の何か・・・何かっていうとちょっとわからないかもしれないけど、エネルギーとか言われるとわかりやすいかもしれないし、あるいはハワイのかたがただったら『マナ』って言われたらわかるかもしれませんけども・・・何か見えないものが自分の体に宿ってくるので、思えば実現するし、かなうし、いろんなことができるんだよってことはフラを通して伝えていけたらなとは思いますね」
※田中さんに、メンズフラの魅力をお聞きしたら、それは、現在60名ほどいる生徒さんたちが作ってくれている、だから、生徒さんたちに聞いてもらったほうがいいかなと、そうおっしゃっていたんですが、あえていうなら、ということで、こんなふうにお話してくださいました。
「メンズフラの魅力はなんだって言われると、職種も年齢も違う人が集まって部活のように無邪気にはしゃげる場所。男の子が小学生なり中学生なり、仲間たちで一緒に遊んだ、あの記憶を取り戻してくれれば、笑顔が生まれてくるので・・・笑顔が生まれてくれば、その笑顔は感染するし、自分が笑えば人は笑ってくれるので、そのキラキラしたエネルギーというものをみんな伝えてくれたら嬉しいなと思いますね。
もちろん、キラキラしている女性も魅力的なんだけども、一般人の男性がいつも笑顔でキラキラしていたら、なんとなく嬉しいし、家でお父さんが楽しそうにしていれば、子供たちは輝いてくるし・・・なんか二次的な要素というか、自分たちがキラキラしていれば、世界は輝いていくんだよって思っています」
INFORMATION
『天と地をつなぐ 素晴らしきメンズフラの世界』
田中新著/KADOKAWA刊/定価1870円(10%税込)
この本にはフラの用語説明、メンズフラ教室でのレッスンの様子、フラの名曲解説や振り付けのポイントなどが載っていて、メンズフラの魅力を知ることができる一冊です。写真もたくさん掲載されていて、踊っているかたがたの表情がみんな笑顔、見ているだけで幸せな気持ちになりますよ。ぜひチェックしてください。KADOKAWAから絶賛発売中です。詳しくは、出版社のサイトをご覧ください。
◎KADOKAWA :https://store.kadokawa.co.jp/shop/g/g322311000438/
田中さんが主宰する教室「ハーラウ・ケオラクーラナキラ」は東京港区三田の本校のほかに、鹿児島、広島、鵠沼海岸、そして先頃、千葉にも教室を開いたそうです。男性フラの教室は三田の本校だけで行なっていて、中には福岡や兵庫から通う人もいるそうですよ。メンズフラに興味のあるかた、ぜひオフィシャルサイトを見てください。
◎「ハーラウ・ケオラクーラナキラ」 :http://halaukeolakulanakila.com
2024/6/23 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、つくば市を拠点とする自然科学教育普及団体「地球レーベル」の代表で、おもにヒトデの研究をされているサイエンス・コミュニケーター「ひとでちゃん」です。このニックネームは、あの「さかなクン」を意識して、つけたそうですよ。
そんなひとでちゃんは1988年、栃木県生まれ。子供の頃から、生き物ならなんでも好きだった少女は、中学生のある日、テレビ番組で「タコクラゲ」というクラゲの存在を知り、衝撃を受けます。
なんとそのタコクラゲは、光合成をする藻類を体の中に共生させて、日向ぼっこをするだけで生きているクラゲ。当時、いろんなことに窮屈さを感じていたひとでちゃんは、そののんびりとした生き方に感動し、一瞬にして虜になったそうです。
そして新潟大学理学部を卒業後、東京大学大学院へ進学し、ヒトデの系統分類学に没頭。その後、公益財団法人「水産無脊椎動物研究所」を経て、現在は、ひとでちゃんとして、海の生き物の魅力を伝える活動を行なっていらっしゃいます。そして先頃『海のへんな生きもの事典〜ありえないほねなし』という本を出されました。
この「ほねなし」とは無脊椎動物のことです。
きょうは海にいる無脊椎動物の中から、ヒトデやウミウシ、フジツボやウミホタルなど、不思議で奇妙な生き物のお話などうかがいます。
☆写真協力:ひとでちゃん

なんでこんな形になった!?
※ひとでちゃんによると、ヒトデはウニやナマコと同じグループで、日本には約350種、世界には2000種ほどもいるそうですよ。
ヒトデには潮だまりや海の底にいて、動かずにじーっとしているイメージがあるんですけど、移動しているんですよね?
「してます、してます!(笑)すっごくゆっくりだけど、しています! 」
●どうやって移動しているんですか?
「ヒトデは星みたいな形をしていて、出っ張っている部分が足だと思っている人が多いんですけれど、あれは一応、学問的には“腕”と呼ばれていて、実は足はひっくり返すと裏側にあるんですね。何百とびっしりチューブみたいな足がたくさん並んでいて、それを使ってゆっくり、もにょもにょもにょっと動きます(笑)」
●へ~!(ヒトデは)何を食べているんですか?
「これもヒトデによって、それぞれ違うんです。ヒトデは結構肉食のものが多くて、貝とかカニとかを食べたり・・・。でも草食のものもいるんで、一概には言えないんですね。ヒトデ自体の動きがゆっくりなので、肉食のものでもやっぱりゆっくりなもの、動かないものを食べていることが多いですね」
●例えばどんなものを?
「巻貝とか二枚貝とかサンゴとか海綿動物とか・・・結構なんでも食べます。死んだ魚とかも・・・」
●へ~!
「死んだ魚にすごく群がっていたりします」
●ひとでちゃんは、ヒトデのどんなところにいちばん魅力を感じていらっしゃるんですか?
「私はやっぱり形ですかね(笑)」
●形!?
「なんでこの形になった!? って思って(笑)」

●確かに気になります。どうしてなんですか? 人の手みたいな・・・。
「人の手みたいだし、星みたいだし・・・でも実はそれがまだわかっていなくて・・・というか、いくつか説があるけれど、はっきりとはわかってないっていう状態で、こんな生き物はほかにいないんですよね。
海にはいろいろ変な生き物だらけなんですけれど、ヒトデは同じパーツが5つ並んで星型になっている、こういうのをちょっと専門的にいうと「五放射相称(ごほうしゃそうしょう)」、5個放射状に等しいものがくっついているって言うんですけど、こんな生き物はほかにいなくて(笑)、とても不思議な魅力的な生き物ですね」
●ヒトデがああいう形になったのは、いろんな説があるということですけれども、有力な説というと、どんなものがあるんでしょうか?
「ヒトデは進化の過程で、最初は「懸濁物食(けんだくぶつしょく)」と言って、海で流れてくるものをキャッチして食べる、動かないで手を広げるみたいに、流れに沿って手を広げて、キャッチして食べている生き物がヒトデの祖先というか、最初の頃に出てきた形だったと言われています。
その時に流れてくるものをキャッチするのに、広げる手の数が5がちょうどよかったんじゃないかっていう、多すぎても手と手が重なってしまって効率が悪いし、少なすぎると全部すり抜けてしまう、そういった時に5というか5の倍数ですかね、その数が手を広げて効率よく食べ物をキャッチするのによかったんじゃないかっていう説が有力です」
「ほねなし」と呼んで親しみやすく

※ひとでちゃんは先頃『海のへんな生きもの事典〜ありえないほねなし』という本を出されています。この本では、無脊椎動物を「ほねなし」と表現されていて、おもに海にいる「ほねなし」の生き物を、姿形、生態、そして繁殖の方法に分けて、わかりやすく解説されています。
改めてなんですが、無脊椎動物とはどんな生き物なんでしょう?
「漢字で書くと、“無い” 脊椎の動物って書くんですけれども、脊椎は平たく言うと背骨のこと、背中の骨。私たち人間も背骨がまっすぐ1本通っていて、それでおもに体を支えている生き物なんですけれど、無脊椎なので背骨がない生き物の総称になります。
ただ無脊椎動物ってちょっと言葉がお堅いというか、漢字にすると、どんどんどんどん漢字ーって、やっぱりとっつきにくい感じがずっとしていて、それをもうちょっとみんなに親しみ持ってもらえないかなと思って、『ほねなし』という言葉を最近よく使っています」
●ほねなし! すごく親近感がわきやすくなりますよね、無脊椎動物よりも!
「うんうん」
●海の生き物でいうと、ほねなしはイカとかタコとかクラゲとかですかね?
「はい、そうですね」
●陸上だとほねなし、無脊椎動物はカタツムリとかミミズとか、そういう生き物ですか?
「そうですよ! 素晴らしいですね! 実は昆虫もです。昆虫は私たち脊椎動物とは真逆、私たちって背骨は体の中にあって、内側から体を支えているので、内骨格とか言うんですけど、昆虫とかは外骨格と言って、外側の固い皮膚の表面を硬くして体を支えている、だから中身は全部柔らかいもの。骨はもちろんないし背骨もないし固いので・・・。ほねなしと言うと、カニとかエビとか昆虫はどうなの?って思われるかたもいるんですけど、立派なほねなしですね」
●無脊椎動物と脊椎動物は、地球上にはどちらのほうが多くいるんですか?
「もう圧倒的に無脊椎動物です!」
(編集部注:ひとでちゃんによると、分類学では、動物を基本的な体のつくりで、約34のグループに分け、人間のような背骨がある脊椎動物はその34のグループの中の、なんと! ひとつでしかなく、残りの33は無脊椎動物、ほねなし。その多くは海にいるんだそうです)
フジツボは貝じゃない!?
※ひとでちゃんの新しい本には、いろんな「ほねなし」の生き物がイラストや写真とともに紹介されています。ダイバーにも人気のあるウミウシも載っていて、ウミウシは、漢字にするとその名の通り、海の牛と書きますが、巻貝の仲間というのはほんとなんですか?
「ほんとです!(笑)」

●青い体に黄色のラインとか、すごくカラフルなイメージがありますけれども、とにかく目立ちますよね!
「そうですね~」
●カラー・バリエーションはいろいろあるんですか?
「ものすご~くバリエーションがあって、カラフルで綺麗なので、本当にダイバーさんとかにはとても人気ですね」
●天敵っているんですか?
「天敵・・・魚とかいろんなものに狙われはするんですけど、それこそなんでカラフルかって言うと、敵を寄せ付けないため。貝殻がなくなっちゃっているんで身を守りづらいんですね。貝殻がある巻貝はその殻の中に隠れれば、ある程度防御ができるんですけど、殻をなくしちゃったので、その代わりに体の中に毒を溜め込んでいるんです。
なので、魚が食べてもまずい! つまんだけど、ぺっと吐き出されるみたいなことがよくあるんですよ。カラフルな色で“私は毒ですよ! まずいですよ!”っていうアピールをしているんです」
●なるほど・・・。
「だから逆に目立って、自分を食べないほうがいいよって」
●それで身を守っているわけですね!
「そうなんです!」

●海岸に行くと岩などに張り付いているフジツボ、貝の仲間だと思っていたんですけど、そうではないんですね?
「はい、そうなんです」
●固い殻で動かないっていうイメージですけど、貝の仲間じゃないということは、なんなんでしょう?
「これは実はエビやカニに近い仲間で、エビやカニってよく動くので、”動かないフジツボが?”って思われがちなんですけれど、固い殻の中にエビを、なんていうのかな・・・背中を下にして寝かせたみたいな生き物が入っていて、入口から足だけを出して餌を捕る、そうやって生きている生き物です」
ウミホタルはなぜ光る!?
※首都圏を走るドライバーさんにはお馴染みの、東京湾アクアラインのパーキングエリア「海ほたる」、その名前になっているウミホタルは、青白く光る生物として知られています。
改めてなぜ光るのか、教えてください。
「実は何のために光るかっていうのは、ちゃんとはわかってないんですね。なんですけど、ウミホタルの場合は、実は体が光るんじゃなくて、光る物質を海水中に噴射するんです。だから陸の蛍みたいに自分の体が光るわけじゃない、光る物質を噴射する、それでその光を目くらましにして敵から逃げているって言われていたり・・・。
あとは海ホタル同士のコミュニケーションとか求愛行動として使われているとか、いろんな説はあるんですけれど、噴射するってところからも敵から逃げるっていうのが大きいのかなとは思います」
●カクレガニという生き物も紹介されていました。アサリのお味噌汁を食べると、アサリの貝の中にいたりして・・・。
「そうそうそう(笑)」
●カニの赤ちゃんではないって、本に書かれていて、あれっ!? と思って・・・。
「そうなんです! 」
●赤ちゃんではなくて?
「ではなくて、大人のカニです。あれは子供の頃にアサリの中に入って、もうそのまま一生(アサリの貝から)出ずに成長して、アサリに寄生して生きているカニです」
●あの小ささがもうマックスの大きさ?
「そうです! そうです! だからたまに卵を持っているのとかもいます。お腹に卵を抱えているやつとか」
●そうなんですね~。
「でも見つけると嬉しいですよね!」
●ミニミニの赤ちゃんサイズですけどね!
「ミニミニの赤ちゃんサイズ(笑)」

●やっぱりひとでちゃんには、ヒトデのことを聞かないといけないかなと思うんですけれども(笑)、ヒトデは目よりも鼻で世界を見ると本に載っていました。鼻で世界を見るっていうのはどういうことなんですか?
「ヒトデに限らないんですけどね。やっぱり陸は空気で満たされていて、視界、目で見る情報がとても大事な世界なんですけど、海は逆に視界はそんなによくない。水で満たされていて、いろんな物質が海水中に混ざっている。なので、そういう物質をキャッチするほうが生きていくのには有利というか、生きやすいっていうことで、そういうのが発達している生き物が多いです」
地球のことならなんでもあり!?
※ひとでちゃんが代表を務める自然科学教育普及団体「地球レーベル」は、地元のつくば市で知り合った、地球科学を大学で勉強されていたご夫婦と、2020年に立ち上げ、地球を丸ごと楽しもうというコンセプトのもと、子供たち向けの自然観察会などを実施されています。
具体的にはどんな観察会をやっているんですか?

「その観察会によりけりなんですけれど、私が講師の場合は海に行って海の生き物を観察したりとか・・・。山に行って“石と地衣類”っていう、またちょっと変わった生き物を見たりとか、星の観察会をやったりとか・・・なんでもありなんです。地球のことならなんでもありで、その講師がそれぞれ行きたいとこ、やりたいことをやるっていう(笑)で、みんながそれを手伝う感じの、とても自由な団体です」
●ひとでちゃんが磯の観察会で、参加者のかたに必ず紹介する生き物がいるということですけれども、どんな生き物なんですか?
「ヨロイイソギンチャクっていう生き物なんですけれど、イソギンチャクって形わかりますかね。お花が咲いているみたいな、あの形を想像する人が多いと思うんです。イソギンチャクは“巾着袋”から来ているんですけど、閉じるんですよね、お花の部分が。そうするとただの丸い物体になってしまうんですけど、ヨロイイソギンチャクは、そのお花を閉じた状態の時に体の表面に砂粒をたくさんつけているんです。
それが、鎧をつけているみたいだから、ヨロイイソギンチャクって言うんですね。砂粒をつけるといいことがいくつかあって、まずは乾燥から身を守れる。ヨロイイソギンチャクって、潮の満ち引きが結構ある、海中に入ったり出たりする場所に棲んでいることが多いので、水の外に出ちゃう時もあるんですね。そういった時は閉じて砂の粒で(体を)守っておけば乾燥しないっていう・・・。

もうひとつは敵から見つかりづらいっていうのがあって、まさに私たちからも最初は見つからない。知らないと本当にただの砂の塊にしか見えないので、知らない人には見つからない。ただ一回、これがヨロイイソギンチャクだよ!って教えてあげると、もうそこらじゅうにいるんです」
●そんなに多いんですか~。
「たくさんいます! すごくたくさんいます!」
●誰でも見つけられる、コツさえつかめば、という感じですか?
「コツさえつかめば、一回わかればいくらでも見つけられます」
本物を見に行こう!
※生きている本物を見ることは、子供たちにはいいことですよね?

「そうですね。本当にそこをいちばん大事にしていて、もちろん言葉とか本とかで伝えることも無駄ではないんですけれど、やっぱり本物を見てしまったほうが早いし、やっぱりその子にしか受け取れない感覚が必ずあると思っていて、それを大事にしてほしいですね。
文章とかだとこっちの解釈が一回挟まっちゃうんですよね。そうじゃなくて、実物そのものから自分で感じたものを大事にしてほしいと思っているので、本当もう実物を見せちゃおう! 行こう!っていうのを大事にしています」
●では最後にヒトデの研究者、または自然科学教育普及団体「地球レーベル」の代表として、改めて伝えておきたいことなどありましたら教えてください。
「私たちこの地球っていう素晴らしい星にみんな生まれているので、本当に一歩でもいいので外に出て、ゆっくり自然とか生き物を眺める時間を作ってもらうと、ひとりひとりが日々豊かな生活を送れると思っているので、外に出ていってもらえたら嬉しいなと思います」
INFORMATION
ひとでちゃんの新しい本、おすすめです。海にいる無脊椎動物「ほねなし」の生き物を、姿形、生態、そして繁殖の方法に分けて、イラストや写真とともにわかりやすく解説。ひとでちゃんが、海の生き物を研究するようになった、運命のタコクラゲや、磯の観察会で必ず紹介するというヨロイイソギンチャクも載っていますよ。
この夏、この本を参考書に子供たちと一緒に海辺で生き物を観察されてみてはいかがでしょうか。山と渓谷社から絶賛発売中です。詳しくは、出版社のサイトをご覧ください。
◎山と渓谷社 :https://www.yamakei.co.jp/products/2823064030.html
「地球レーベル」主催の観察会は、8月11日に「ペルセウス座流星群」を観る会や、8月25日には室内で「海のほねなし動物講座」としてヤドカリの観察などを行なう予定だそうです。また「地球レーベル」では月刊自然観察マガジン「地球らいぶ」を発行しています。詳しくはオフィシャルサイトをご覧ください。