三方を海に囲まれる房総半島に位置する千葉県。
首都圏からのアクセスもよく、
通勤圏でありながら海や里山の豊かな恵みをあわせもち、
自然とともにある生活を楽しめるエリアです。
そんな「千葉の魅力」を支えるさまざまな活動や
想いムーブメントなどにスポットを当て、
現地取材の声も通して「魅力あふれる千葉」をご紹介していきます。

毎週月~木 18:35頃~「YOU 遊 チバ」はこちら
※「YOU 遊 チバ」は、ミンナノチカラ~CHIBA~と連動し週ごとにさまざまなテーマで千葉の魅力をお届けしているコーナーです。

Every Fri. 18:45~18:59

◆ 第153回 千葉県誕生150周年記念事業~ゲスト:熊谷俊人千葉県知事~

2023/6/9 UP!

今年令和5年は千葉県誕生150周年の年。

千葉県は上総、下総、安房の三国に分かれていて、明治4年7月の廃藩置県ののち、明治6年6月15日に木更津県と印旛県が合併して千葉県が設置されました。

この150周年という機会に、「県誕生から150年を振り返り、続いていく未来(100年後)に想いを馳せる」をテーマに、県内各地で芸術祭や記念コンサートなどさまざまなイベントが企画されています。

今回は 熊谷俊人千葉県知事をゲストに、房総半島の歴史を振り返りながら、150周年記念事業への想いや千葉県の将来像などについて伺いました。

※千葉県誕生150周年記念事業に関して詳しくは こちらの特設ホームページでご確認ください。

第152回 食のちばの逸品を発掘2023 2層の濃厚な味わい「ちばのこだわりプリン」

2023/6/2 UP!

まず「食のちばの逸品」についてご紹介します。千葉県産の農林水産物を主な原料とする「加工食品」の中から、魅力的な「ちばの逸品」を発掘するために毎年コンテストが行われています。平成24年度にスタートして、今年で11回目。受賞作品は61品目となりました。受賞した商品に対しては、県が主催するイベントなどでの販売機会を通じて、販路拡大を支援していくものなんです。

そして、今回金賞に輝いたのが君津市にある菜の花エッグの「千葉のこだわりプリン(ピーナッツ味)」です。1日に8万個の卵を出荷している卵農家さんでもある「菜の花エッグ」さん。社長の梅原(うめはら)正一(しょういち)さんにお話を伺いました。どんなプリンなのでしょうか?

梅原さん:菜の花エッグの梅原正一です。千葉の特産品である牛乳と卵を使っています。その中でもプリンが2層になっているということです。上の部分はピーナッツ味のプリンとなっております。このピーナッツは木更津の老舗落花生メーカーが丁寧に作ったピーナッツペストを使っています。下の部分はうちのプレーンのプリンにカラメルを混ぜて茶色がかったビターなプリンになってまして、外から見ると2層になっているのがよくわかって、外から見ても楽しめるプリンとなってます。2017年に銅賞を頂いてそれから何回か挑戦していたんですけど、今年はいろんなことを考えながら、基本に立ち返ってうちの得意とするプリンを作ることができて、それが金賞を受賞することができて非常に嬉しいです。

そのプリンがこちらです。

作り方などにこだわりや秘密があるのでしょうか?

梅原さん:プリンが2層になっているということで、1回はプレーンのプリンを焼きます。で冷やした後にもう一回ピーナッツペーストの生地を流し込んで2度焼くようにしていますので2倍手間がかかっています、一般的にプリンというのは2対1との法則と言って、牛乳が2、卵が1というのが一般的な配合と、私は聞いていまして、それだと一般的なので、やはり卵屋さんのプリンなので2対1ではなくて2対2、1対1に近づけるような配合になっていますんでそのプレーンのプリンを食べていただくと、「あ、卵の味がするな」と感じられると思います。

もともとは、お父様が昭和39年から卵農家として、スーパーなどに卵を販売していたんですが、平成3年、一般のお客さん向けに「卵の直売所」を始めました。当時はあまり周辺に「直売所」などがなかったので、とても賑わったそうです。その後、周辺に「農産物直売所」が増えてきたこともあって、5年後にはプリンなどを作って販売するようになったそうです。

梅原さんのところの卵の特徴は、すっきりとした味。一般的な鶏の餌は、穀物、動物性の原料、魚粉などを混ぜた配合飼料を与えるんですが、梅原さんはあえて魚粉をあたえないことで、雑味がないたまごをつくっているそうです。穀物の餌ならではの旨みがお菓子に向いていると感じていただいているのではないかとおっしゃっていました。この後は、直売所で販売している プリン以外のスイーツなどについてもご紹介していきましょう。

取材は君津市(やま)滝野(たきの)の「西野直売所こっこ(KOKKO)」という場所で行わていただいたんですが、頻繁に卵を求めてお客さまがきていて、人気の程が伺えたそうです。そして、プリン以外にも菜の花エッグの卵をふんだんに使った美味しいものがあったんです。

梅原さん:卵はもちろんなんですけれども、うちのスイーツは地元の 卵はうちの農場の卵はもちろんなんですけれども、本当に手作りでですね、うちのパティシエが作っていますので、ぜひお近くにお寄りの時は買って味わっていただきたいと思います、 シュークリーム、焼き菓子・・パウンドケーキ、ブラウニーやマドレーヌというものを作ってますし。土日限定なんですけれども、卵サンドを作っています。本当に卵がたっぷりと入ったタマゴサンドを限定で作っています。パンはうちの卵を使ってくれているパン屋さんのパンを使ってますので本当にこだわりのパンを使っています。それをめがけてくるお客さんもいます。

実は、この卵サンド、大変手間がかかるので、週末だけしか作れないのが現状なんですって。直売所KOKKOには、いろいろなこだわりのプリンや焼き菓子も並んでいて取材した日には2017年の食のちばの逸品に選ばれた「菜の花たまごのホワイトチョコプリン」も並んでいたそうです。今、卵は、全国的な鳥インフルエンザの拡大や餌や燃料、電気代の高騰によって出荷量が減ったりして大変苦しい状況にあると言います。そんな中でも梅原さんのところの菜の花エッグは大変人気で、地方からも注文があるそうです。 KOKKOさん以外での購入方法を教えていただきました。

梅原さん:うちのホームページがありますのでそこでお買い上げができます。そのほかに近隣の直売所さん「うまくたの里」 さんとかこの近くの「愛菜畑」 さん「四季の蔵」 さんとか、、そういうような直売所が多くありますので、そこで販売をしております。今、卵不足なもので、よく(理由は)わかりませんけれども北海道から九州まで注文が来ています。10キロ単位でご注文     をいただいています。中にはラーメン屋さんとかね、、、 

もちろん、今回金賞を受賞した「ちばのこだわりプリン(ピーナッツ味)」もお取り寄せ可能ですので直売所にはなかなか行かれない、という方はぜひ菜の花エッグさんのホームページで最新情報とともにチェックしてみてください。そして千葉県産の農林水産物を原料とする魅力的な「加工食品」の数々「食のちばの逸品を発掘」のサイトに掲載されています。ぜひあなたの知らない「逸品」探してみてください。

食のちばの逸品を発掘 ページ

菜の花エッグ

第151回 ゴルフの聖地を目指す市原市

2023/5/26 UP!

日本では今ちょうどゴルフのハイシーズンを迎えています。実は今度の日曜日、5月28日はゴルフ記念日。1927年昭和2年のこの日、第1回日本オープンゴルフ選手権大会が開催されました。大きなツアートーナメントの会場となるゴルフ場も数多い千葉県ですが今回ご紹介するのは、ゴルフの聖地を目指している「市原市」です。市原市は千葉県の市町村の中で一番広い面積を占めるんですが、その広い土地の11%がゴルフ場なんだそうです「ゴルフのまち」から「ゴルフの聖地」をめざす「市原市」の取り組みをご紹介します!

千葉県自体も、ゴルフ場の数で全国都道府県第2位。(1位は北海道)中でも市原市のゴルフ場の数はオープニングでお伝えした通り全国市町村№1なんです今、その特性を生かして、さらにこの地域を盛り上げようという動きがスタートしています。市原市 観光・国際交流課 課長の仲野(なかの)光一(こういち)さんにお話を伺います。

 

仲野さん:市原市はですね千葉県房総半島の中央にありまして、面積が368平方km。千葉県内で一番大きい市になってます。まあ、そういった広さもありまして、1960年代からゴルフ場が徐々に徐々に増えていき、現在市原市には33箇所のゴルフ場がありまして、これは(市としては)全国1の数になっています。2020年の実績で実に174万人の皆様が市原にお越しいただいています。ゴルファーの皆さんですね。はい。首都圏、東京ですとか、あと横浜から大勢いらっしゃってますね。まず一つはやはりアクアラインと圏央道の開通が、大きかったですね。これによって非常に都心からもう一時間で来れるというその近さが選ばれまして、まあ、そこから非常に利用者数も多くなっていたと言うのが一つでございます。

クアラインや圏央道の開通を機に市原に訪れる人が増えたことに加え、コロナ禍には「密」にならないということで、たくさんの方々が市原でゴルフを楽しんでいたそうです。せっかくこれだけの人が市原に来てくれているのだから、市原市役所としても、ゴルフとともに市原をもっと楽しんでもらおうと、取り組みをはじめました。いったいどんなことを始めたのでしょうか?

仲野さん:日本一の数のゴルフ場があると言うのは非常に貴重な地域資源であると言うふうに捉えておりまして、まあ、これを市原のまちづくりとか活性化に活用して行きたいと言う思いがありました。そういったこともありまして、元々ゴルフ場の支配人の皆さんで構成されていた連絡協議会と言うのがあったんですが、ここに行政も参画をしまして、官民一体でゴルフを盛り上げていくことで、市原市に多くのお客さんに来ていただこうと言う取り組みを始めてきたところです。一つは、この33のコースがあるというのを活かして「市原ゴルフ場巡り33」といういわゆるスタンプラリーを実施しています。これは市内のゴルフ場です。1箇所行くと1つのスタンプ、5箇所行くと5つのスタンプがもらえるようになってまして。5ケ所、11ヶ所、22箇所33箇所、それぞれ達成されると、市原市からプレゼントを差し上げると、そういった取り組みをしています。ふるさと納税の方でも、いわゆる返礼品としてゴルフ場のプレー券をご提供しておりまして、こちらも非常に好評をいただいております。市原市のふるさと納税としては第2位の人気です。

ちなみに、33個つまり、全部のゴルフコースでスタンプを集めると、カニ・エビほか海産物セットや国産鰻の蒲焼8枚セットがもらえるそうですよ!そういった楽しみを演出する一方、次世代のゴルファーを育成する試みも行っています。どんなことをしているのでしょうか?

仲野さん:ジュニアゴルファーの育成というところにも取り組んでいます。これはいわゆるトップクラスのジュニアの育成と言うところと、合わせて裾野の拡大というところで、より多くの子供たちがゴルフに触れ親しんでもらう。まあ、そういった環境づくりを進めています。この3月に「市原市ジュニアゴルフオープン」という市原市が主催の大会を開催いたしまして、全国のジュニアの選手たちに来ていただきまして、そこで市原市のゴルフ環境に触れていただきました。そういった中で優秀な成績を収めたゴルファーには支援する、そういった仕組みを用意しています。実は市原市にも世界で活躍するジュニアゴルファーがいまして根本悠誠君、そして将誠君のご兄弟が今年の世界ジュニアゴルフの方にも兄弟揃ってご参加される快挙を成し遂げております。これからやはり市原市のゴルフ場ですので、市原市民の子供達にやはりゴルフに親しんでいただきたいというふうに思ってまして、市内全ての小学校の子供たちが一度はゴルフを体験できる。そういった環境作りをこれから進めていきたいというふうに思っています。

市原市では今年の1月に日本プロゴルフ協会と連携協定を結び、ゴルフの聖地 いちはら」を目指す市原市の取組の活性化や、ゴルフの普及、振興に加え、ジュニアゴルファーの育成に関することについて連携していくことを発表しました。日本プロゴルフ協会からは有望なジュニア選手の育成の指導員を派遣する動きもでていますし市民のゴルフ人口の裾野を広げるという意味で市内の小学生に一度はゴルフ場でゴルフを体験してもらいたいというプロジェクトも始めるそうです。市原市にプレーをしに来てくれるゴルファーに対してだけでなく、市民、特に子どもたちにゴルフを知ってもらう取り組みが広がれば、市原市からすごいゴルファーがどんどん生まれてくるかもしれません。最後に、仲野さんからのメッセージです。

仲野さん:東京都心から一時間という、非常に来やすい場所にありますので。その中で養老渓谷という温泉郷があったりですとか、高滝湖というところにはグランピングリゾートもありますし、小湊鉄道というローカル線が走っていまして、菜の花の中を走るトロッコ列車があったりとか、見応え充分なところがございますし。 また美味しい食べ物もたくさんありますので、ぜひ皆さんお越しいただければと思います。市原市の楽しさこれをもっと、もっと発信して行きたいと思っています。

都心からのアクセスがいいと多くのゴルファーが訪れる市原。でも行きやすいということは帰りやすくもあるわけだから、いろんなところに立ち寄ってもらいたいね。市原には素敵な景色や、旬の美味しいもの、温泉、グランピングなど、魅力あるコンテンツがたくさんあります。ゴルフ帰りに、ぜひそのうちの一つでも二つでも、一緒に楽しんでみてください。そして「ゴルフの聖地 いちはら」を目指すまちとして、地域がいっそう盛り上がっていくといいですね。

第150回 椿海

2023/5/19 UP!

今回は、「千葉の水辺のお話」ということで、今の旭市にかつてあった大きな「湖」についてご紹介したいと思います。そこは「椿の海」と呼ばれていました。かつてということは今はもうないということなのですが、いったいどんなところだったのでしょうか?そして、湖が無くなった後はどうなってしまったのでしょうか?

江戸時代よりも前は、現在の茨城県との県境を流れる利根川は、川の形もだいぶ違いました。水面の面積もかなり広く、大きな湖がありました。印旛沼や霞ケ浦なども含まれます。そして、今回は今の旭市あたりにあった椿海(つばきのうみ)という場所のご紹介です。

今回は、旭市あたりでは「先生」と呼ばれて人々から慕われ、この地域を中心に、世界で初めて、今でいう「農業協同組合」をつくり、農民の暮らしの向上を目指した大原幽学(おおはらゆうがく)のことを展示している「大原幽学記念館」の学芸員、猪野(いの)(え)里子(りこ)さんにお話を伺っています。まずは、その湖はどんな湖だったのかお話いただきました。

猪野さん:大原幽学という幕末の人物がおりまして、その方の品を展示する館なんですけれども、郷土展示室がありまして、この地域の歴史を紹介したりですとか、資料を調べたりする仕事をしています。もともとの湖は南北5~6キロぐらいで東西が12キロぐらいの非常に大きなサイズの湖でして、もともとは湖のできたのが、縄文時代の終わりぐらいと言われてて、その頃にその九十九里平野が出現したところとほぼ同時期に土地が持ち上がって、低いところに残った水が、ふさがれていって湖になったのが、椿の海になったといわれています。

実は東京ドームだと1000個分以上の広さになるんですが、江戸時代、農地にするために干拓されたんです。

猪野さん:江戸時代の初め頃なんですけれども、この頃にですね、非常に新田開発というのが奨励された時期で江戸に住む資金を持っている方ですとか、幕府とかがこういう広い水田になりそうなところを積極的に新田にしていきましょうという政策の中で、こういった開発が進められていっています。干拓計画された時に、まずその現地調査みたいなことで測量に入りまして、その水面の高さと湖の底の高さと海岸のところの高低を測って。これは排水路を掘れば水が抜ける、というような調査結果で水を抜いて干拓しようというような計画がされています。もともとやっぱり、大きい湖ですので、周囲の村の人たちはそこをまあ要するに用水源として使ってたこともありますし、それで絶対被害が出る、反対ということで、非常にその当初、干拓の反対の声がとっても多かったです。

当時、江戸幕府ができて、小さな町だった江戸の人口が爆発的に増えたため食糧不足の心配があり、広く新しい田んぼが必要となって大規模な耕作地の開拓が各地で進められたんだそうです。そこで江戸から近かったこの「椿の海」が対象となり今からおよそ350年前の(かん)(ぶん)11年、1671年12月28日から干拓工事が始まりました。計画自体は、さかのぼること50年以上前の記録に「幕府に椿の海の干拓の許可を江戸幕府に求めていた町人がいた」と記されているそうです。地元の方々の反対も強かった中、干拓はどのようにして行われていったので しょうか?そして、どのぐらいの年月が必要だったのでしょうか?

猪野さん:やっぱりその周囲の反対とか訴訟がおこされた事もあって、またその工事が止まる前に、とにかく早く工事を進めちゃうということで、いわゆる突貫工事的に非常に短い期間で、その排水路の工事をやりました。工事期間、本当に三年ぐらいしかない期間でやっています。当初は開発者側の資金を出した人たちが、まずはその土地はその人たちのものになる、いい場所は幕府の所有地になるということで、その後にですね、新田の売り出しということになって、だんだんと、その地域の方たちにも。 土地が渡るようになっていきます。新田開発ってやっぱりそういう土地の投機目的みたいな一面もありますので。でもそういった人たちがいるおかげで、まあ資金があって、こういう大規模なあの工事ができたということもやっぱりあります。

工事の過程では、海水が逆流してきたり、周りの地域が水がなくなったりと困難もあったそうですが、排水工事による干拓が行われて出来上がったのが干潟(ひがた)八万石(はちまんごく)と呼ばれる新田で 萬力(まんりき)鎌数(かまかず)入野(いりの)村など18の新田村が成立したそうです。徳川幕府はほかにも千葉県内で、完成には至りませんでしたが印旛沼の干拓や、利根川を銚子に振り向ける工事など大規模な干拓事業を行っています。

ちなみに旭市の小学生のみなさんはこの干拓事業についてはしっかり勉強しているみたいですよ。

猪野さん:この地域の小学生は、四年生になると必ずこの郷土の学習ということで、「椿の海」の干拓の歴史を勉強することになってます。皆さん来たりして、ここが湖だったんだよって話をすると、「僕のうちは昔湖だったところだ」って言って「僕のうちは湖じゃない」とかっていうことから、まず興味を持ってすごい見てもらえています。本当に今、「椿の海」の痕跡て全然ないですけれども、今、本当に一大農業生産地域として、あの本当にないものがないぐらいの、、、お米をはじめとして色んな野菜が取れるので、ぜひそういうのを皆さんに味わっていただきたいのと、土木技術の一つの遺産ということでも、あのこの広大な面積のところでね、、いろんなゆかりの場所ありますので、併せてですね、ぜひ訪れてきていただきたいというふうに思います。あのたくさん資料もありますので、 ぜひ記念館にも足を運んでいただければと思います。

記念館には、椿の海が干拓されてできた農地のひとつである長部(ながべ)(むら)に定住、当時苦しかった農民の生活を助ける仕組づくりや道徳教育をし、指導者として慕われた大原幽学についての資料が展示されています。また、旭市の花は「椿の海」にちなんで「椿」なんですが、資料館の周りには3000本以上の椿が植えられているそうです。記念館がある大原幽学遺跡史跡公園の中には、当時の区割りを残す水田や、大原幽学の居住した旧宅などもありますので、あわせてごらんになると干拓の歴史がより理解できるのではないでしょうか。

JR総武本線に干潟という駅がありますが、これはまさに、この椿海の干拓地のことを言っていたんですね。干潟八万石は、灌漑用水も整備され、現在も九十九里平野の重要な穀倉地帯としての役割を担っています。秋には見渡す限りの黄金の稲穂が稔る 広い水田の中に、島のような集落が点在する風景を見ることができるそうです。「旭市(あさひし)椿(つばきの)(うみ)干潟(ひがた)八万石(はちまんごく)の水田と農村景観」は、「ちば文化的景観」に選ばれています。この土地の歴史についてかかれた看板もいろいろ建っているということなので、広大な景色の中で歴史を学んでみてはいかがでしょうか?

第149回 ランドマーク 日西墨三国交通発祥記念之碑

2023/5/12 UP!

今週はランドマークがテーマということで、日西墨三国交通発祥記念之碑についてご紹介していきます。日本、スペイン、メキシコの交流に「御宿」がどんなかかわりがあるのか御宿(まち)国際交流協会の会長 土屋武彌(つちやたけや)さんにお話を伺っています。まずは国際交流協会の活動についてうかがいました。

土屋さん:御宿町の町民が主体となって国際関係を発展させるということがありますもんですから、御宿町とほぼ一体となってやってる団体だと思います。中で「日西墨との交流」というのが、御宿の国際交流の柱になってるわけですね。1609年9月30日のドン・ロドリゴがいわゆる漂着をしたと云う出来事だろうと 思いますね。ビックリしたと思いますね。

1609年、関ヶ原の戦いが1600年ですから江戸時代の初期ですね。その頃に今のフィリピンのマニラから、当時イスパニア領であったメキシコのアカプルコに向かっていた船が、御宿の岩和田、現在の田尻(たじり)(はま)の沖で座礁してしまいます。そのとき浜に流れ着いた300人以上の人を御宿の人たちが救ったんです。当時の住人は300人ほど。決して豊かではなかった生活の中、初めて見る外国人。言葉もわからないし、怖いんじゃないかと思いますが、心やさしい岩和田の人々は、海の寒さに凍える彼らをあたため、着物や食料を 惜しみなく提供したそうです。

土屋さん:御宿村の村民たちが助けてくれなければどうなっていたかとかと。これは今、ロンドンの大英博物館にロドリゴの日本見聞録があるんですが、その中にも原文ですけど、それに書いてありますね・・・いうことには、自分たちはようやく日本に着いたけれども、どういうところがわからないとで、戦う武器も何もないとものも食べるものもないと。その中でどうやってこれから先ここで過ごすのかということを考えると、御宿町の村民の優しさがなければ到底これはしのげなかっただろうとロドリゴ自身が書いてありますので。日本の優しさと、いわゆる日本人の優しさとともに、その中でも御宿町の人たちがなかったらダメだったと言うことで、ロドリゴはいわゆる今流で言えば親日派になったんでしょうね。

御宿町のhpより

救助された後、彼らは御宿(いわ)和田(わだ)にあった大宮寺(おおみやでら)に37日間滞在したそうです。多数の家来を引き連れて彼らの元を訪れた大多喜城主の(ほん)多忠(だただ)(とも)は、ヨーロッパ式にロドリゴの手にキスをし、彼らを城に招き歓迎の(うたげ)を催したそうです。当時、フィリピンの臨時総督だったドン・ロドリゴは、のちに家康にまで拝謁したそうで、最終的には船を作ってもらいメキシコに帰っています。国交が大事とか、まだそういう知識のない中で、当時の御宿町の人たちは大きな働きをしたわけ ですね。

さて、会長の土屋さんは御宿に移住されてきた方なんです。その御宿に移住された経緯についても伺いました。

土屋さんは、大手電機メーカーを勤め上げ、リタイヤ後の第2の人生をのんびり過ごす場所を探していました。伊豆あたりが本命だったそうですが、なかなかいいところが見つからず諦めかけていたところに、ある運命的な電話がありました。

土屋さん:こちらの方の近くの不動産屋さんが「どうしても明日見てくれ」ってうんで家内と行ってみたんですね。きれいな海岸だったですよ。で、家内の方が納得しましたね。言った台詞が1~2分だったと思いますが「ここでいいんじゃないの?」って言ったんですよ。家の上にですね山がありまして、そこの上に塔が立ってたんです。これが一番最初の印象でしたね。それが「日西墨三国(交通)発祥記念碑」というのだったんですね。で調べてったら・・やることがないもんですから定年にもなって・・だから家内とお弁当作ってよく行ってたんですよ。そしたら今度400年記念だと言うこともありまして。で、地元の人はそんなにまだ知り合いがなくて。この期間、この400年のお手伝いぐらいできるかなと言うことが、御宿の人との一番最初の繋がりであったような感じがしますね。

偶然は重なるもので、視察に行った日にスペイン人たちが保護された大宮寺の跡地にたつ大宮神社で、お祭りをやっていた。さらに不動産屋さんに紹介されたのは村人たちが彼らを救い上げた岩和田の浜だった・・・ということで、ここまでくると偶然ではすまされない何かを感じてしまいますよね。最後に、土屋さんに御宿の気に入っているところ、そして、ちょっと心配になっていることについて伺いました。

土屋さん:気に入っているところはですね、私、岩和田地区に住んでおりますけど、優しいですね。その岩田区が偶然にもスペイン人たちを助けた地区の人たちだったっていうのは、これも400年前に戻ると言っていることは本当だった。ロドリゴが言っていることは本当だったと。特にあのロドリゴたちは命を助けられたってことは、いわゆる比較することのできない優しさですけどね。で、そういうそういう意味ではそうですね。小さな町ですけど、充分に子供達にあのそれが伝わってないということを感じましたですね。歴史的史実を深掘りしてで、教育的な見地から子供たちに伝えていかないとこれは残らないということはこれあのはっきり申し上げておりますね。ですから行事をやるということは、あの決して悪いことじゃないしね。イベントをやるということはだけど、それで終わっちゃうんですよ。だからそれは私も何度も申し上げたことありますね。

取材スタッフによると、土屋さんが調べれば調べるほど400年前の御宿の人たちの優しさが伝わるエピソードが出てくるそうで、でもそれが地元にも伝わっていない。これを風化させてはいけないという強い思いを感じたそうです。これからは海外へも、そして海外からも人が行き来しやすくなるからもっと具体的な交流が進むといいですね。記念碑やイベント、資料などは確かにあって、過去にはメキシコの大統領も御宿にやってきて感謝の言葉を述べたということもあったそうですが、土屋さんは、御宿で育つ子供たちに、船が漂着した外国の人を助けた時のこの土地の人たちの思いをもっと知ってもらい、スペインやメキシコと人の行き来だけでなく心の交流ができるようになってほしいと願っています。御宿には月の砂漠という童謡のモデルになった砂浜もあり、海のイメージが強いかもしれませんが、お出かけの際には山の上にある記念碑もぜひ訪れてみてくださいね。

第148回 森林塾 かずさの森

2023/5/5 UP!

今日は、5月5日、子供の日ですね.。今日は、子供を成長させる体験をテーマに、「自然の中で思い切り遊べる体験ができる」ところをご紹介したいと思います。場所は房総半島のほぼ中心、近くの民家からは2キロ以上離れているという、森の中にある施設です。人里離れた野生の森の中で過ごした子供たちはもちろん、大人にもさまざまな変化があるという貴重な体験。いったいどんなものなのかご紹介していきます。 

今回ご紹介するのは、森林塾 かずさの森というところです。周囲は人の気配の全くない、山また山の“陸の孤島”。県下一の野生の森。都会を離れ、ここを訪ねてきた人たちがそこで時間を過ごすことで、現代生活では感じることが難しい”動植物の命をいただいている”“生きる原点を感じることができる”と体験談が口コミで広がって人気となっています。まずは代表の 岩田和久さんに この森を作った始まりを説明していただきました。

岩田さん:房総丘陵の真ん中だと思ってイメージして。千葉県で一番長い川の小櫃川って川があるんですが、そのちょうど源流部です。私が先祖からの相続で、このあたりの山を相続しましてね、山が荒れていたものですから、30歳ごろから山に入り出して、そしてまあ遊んでたわけですね。 でまあ、ご存知のように林業って不況だったもんですから、材木だけで勝負するんじゃなくて、森の持っているたくさんの面を、多様性っていうんですか?それを活かした感動プログラムを作れないかなと思って、山に道作ったり、池を作ったり、施設を作ったり、そんなふうにして遊んでたわけです。

好き勝手やってたらこうなっちゃったってだけど、まして、これもあったらいいじゃないかな。これもあったらいいんじゃないかなっていう。そういう連鎖でそうなったと。

 

深い森の山の中腹に人力、そして、ブルトーザーやショベルカーなどで平らな場所をまずは作り、それを少しづつ広げていったということなので、楽しいといっても大変ですよね。そもそも重機が通る道もなかったということなので、かなり根気が必要な作業だったと思います。

始まりは1995年ごろ、今から30年ぐらい前ですよね。水を引いてきて、大きな池も作ったり、2000年ぐらいから人の受け入れ・・森林塾を始めたのだそうです。今ではその池に天然記念物のモリアオガエルも産卵をするようになったそうです。これは農薬などないきれいな水だからできることなんですって。 森林塾で人も受け入れるということで、それなりの施設が必要になってきますが、これも驚きなんですが、岩田さんが建物までつくってしまったんです。 

岩田さん:雨が降っても体験できるように、まあ、雨をしのげる場所と、炊事食べ物を調理したり、いいなと。体が汚れたら、まあ風呂場もあってもいいんじゃないかなと。布団もあれば、寝てもひと晩泊まりたいってなればそんなあるし、トイレもなきゃいけねーだろと、まあ、そんな感じで次から次へと作っていったとでこれは全部敷地内の山林から自分で切って運んできた。私たちも、例えば食べ物とかね。水とかね。 それからエネルギーとかね。都会はみんなよそから運んで来ないと生活が成り立たないようになってますよね。

ここではできるだけその場であるもので生活できるあまり他者に依存しないでも生活がやれるんだよ。 そういうことを体験してもらえればうれしいなあと思ってたわけ。

本格的な杉の丸太でできた丸太小屋(小屋のレベルではない大きさです)そのほか、木の上にある小部屋のような建物など見てるだけでもワクワクしてきますよね。いま、お話にもありましたが、一つ作ると、これもあったらいいんじゃないか?これがあったら来た人がもっと楽しめるのではないか?と、滞在する人の気持ちになってどんどん作っちゃう。岩田さんは普段は農家さんで、お米などを作っているので、その作業の合間に山に行ってこの場所を作っていったんだそうです。

取材スタッフによると、現地は携帯電話の電波はゼロだそうです。かえってその方がいいのかもしれません。

具体的にどんな体験ができるのかというと、いろいろあるんです。例えば2023年のプログラムからご紹介するとメープルシロップつくり、山菜摘み、野生キノコ採り、子供生き抜く自然塾キャンプ 清流で川遊びというプログラムでは、小櫃川の源流で手づかみ漁が楽しめるんですって。子供だけでなく大人も参加できる、このプログラムを組む意図を代表の岩田さんに伺いました。

岩田さん:例えばね、ざっくばらんにこの間、千葉県もね、3年ぐらい前でしたっけ?大きな台風があって。 全体の被害があったところありましたよね。で、私もあの実際に被害にあったんですけど、その時に自分で掘っ立て小屋みたいなのを作れて緊急避難みたいのができたら、まあ避難所にべったり行かなくてもいいんじゃないかなと言うようなことで掘ったて小屋作りを体験したり。

あるいは今度古民家の再生プロジェクトも4月から始まります。移築して0から。大工さん瓦(職人)さん。それから太陽光も入れますから、それからもちろん水周りなんかも超最新のやつを。 だから、例えば古民家でも中は超快適な家づくりをやろうと思ってるんですよ。それから電気も自給して、そしてなおかつ寒い時には薪ストーブとか。エネルギーも環境に負荷をかけない形で、それを目指して。2年間かけて 学ぶようなプログラムになっています。

そのほかにももうこちらは今年の分は終了しましたが、狩猟・・狩りですね。そしてジビエ解体体験1泊2日というのがあります。森の中で野生の鹿、猪の痕跡を探したり、生態系・野生動物の習性を勉強して檻、罠を使った捕獲体験、その後解体して、お肉は、夜、皆でいただくそうです。

ちょっと子供にはショッキングかもしれませんが、これが本当の命をいただくということなんだというのは、わかると思います、大事なことですよね。 こういった体験をすることで子どもたちの意識にも変化が起きるそうです。

岩田さん:変にストレス思ったりなんかしてる子供たちはここではね、まず好きなことしていいんだよ、我慢しなくていいんだよ、やりたいことやっていいんだよ。自由なんだよ。ただし、自分の命は自分で守ってくださいよ、ってお話しするわけ。で、そうするとね。そんなにハメ外さないですよ。危ないこともしないし、逆にみんなその状況にあった行動するわけ。そうするとね、みんなね、日頃のまあ、これもやりたいで我慢してた子供たちは多分ねどんどんどんどんこう開放的になって楽しかったよって言って帰ってくる。それがまあ。 楽しみですね。私の。こう生きるっていうことはね。人類含めて生き物は、他人の命をいただいて繁殖してるわけですけども、いろんな食べ物とか、いろんな生き物とかの命の多様性によって、私たちは生きてるんだよっていうことを感じてもらえればありがたいかな、と いうのが私の最近の目指すところ。 

森の中の多様性の上に、そこにいるすべての動物、植物は生きている。その中に人間もいるという体験は、きっと昔、、、昭和30年頃までは普通にあったんだと思うね。でも今はそれを知らない大人や子供たちが殆どだから、房総丘陵の貴重な自然と岩田さんのノウハウは価値があるんでしょうね。 

リピーターも増えているそうです。なんだかわかる気がしますね。家に引きこもりがちな子供が活発に変わっていくケースもあるようです。保護者や周りがコレしろ、アレしろ、と指図するのではなく、自分で決めていくというのが大事なんだと岩田さんはお話しくださいました。

森林塾 かずさの森は事前予約制となっています。詳しくは、HPをご覧ください

森林塾 かずさの森

http://www.kazusanomori.com/

第147回 信田缶詰のサバカレー

2023/4/28 UP!

今回のテーマは「ご当地カレー」。「ドラマ」にそのルーツがあることで知られる銚子のサバカレーの缶詰をピックアップ。

ロングセラーのこのサバカレー、銚子の信田缶詰という老舗の缶詰会社が作っています。110年にわたる歴史の中でさまざま取り組んでいるチャレンジなど、ご紹介していきたいと思います。

工場は、銚子の港に近いところにあります。まずは、営業部の半谷仁希さんに会社の歴史について伺いました。

左が半谷さん。右が小林さん。

半谷さん:うちはですね。1905年の明治38年に創業しております。当初はクジラとか貝をメインに缶詰を製造してました。戦後ものがない時とかは缶が手に入らなかったので、ビールの缶を再利用して蓋をハンダで取りつけて缶詰めにしてたっていうことはあったそうです。今はですね、銚子っていうと、もう何年も水揚げが日本一になってるんですけれども、その中でサバとイワシが非常に多く水揚げされているんですね。なので、うちもその地の利を生かしてこの二つの魚種をメインに缶詰を製造しております。やっぱりイワシだったら、やっぱ油の乗る6月、梅雨入りの入梅イワシっていう頃のイワシをあと鯖であれば、寒サバと呼ばれる冬のサバを手に入れるようにしております。で、今で言うと、年明けの1月とか2月でも イワシが大変質が高いものがあがって、いいものがあがっていますので、そういった原料を・・・浜に近いっていう地の利を、ここを生かしながら実際ものを見て買うということをしております。

さて、このサバカレーですが、そのルーツはご存知ですか?実はテレビドラマだったんです。それがこのカレーの開発につながっていくんですが、半谷さん、こう説明してくださいました。

半谷さん:1996年だったと思うんですがテレビドラマでコーチっていう番組がやっていまして、舞台がですねちょうどここ銚子地区・旭地区で、その中にサバカレーで一発逆転っていうか盛り返したよって言うテレビ番組がありまして、そのサバカレーをですねいち早く缶詰化に成功して世に送り出したっていうことですね。お客様のほうに認知されてされ、信田 缶詰の中では上位の販売をキープしております。うまく乗っかって言うかもしれないですね。当時開発した者の努力だと自分は思っていまして。ルーにサバ切ったものを入れる青臭さとか、そういった魚臭が出てすごく嫌がると思うんですけども、うちのこの鯖カレーっていうのは、一口大に切った鯖を一度揚げることによって、そういった臭みを抑えるいう効果が出て。衣にもルーが絡みついて、そこがお客さんの方に好評いただいているんじゃないかな。 一回食べて、それが非常においしかったっていうことで、リピーターにつながって、ずっと今まで続いて来れたのかなと思っております。 

このドラマの波及効果はものすごくて、銚子では信田缶詰さんともう一つの会社がサバカレーを作って、今は信田缶詰さんだけが作り続けていらっしゃいます。しかも、今でも数ある製品ラインナップの中でトップクラスの売り上げ、というんですから、ドラマのブームではなくて、味もちゃんと評価されているのがわかりますね!

ドラマでは実際に缶詰のレシピをつくったわけではないので、本当に商品になるかわからない状態で缶詰づくりをスタート。試行錯誤の上、魚を揚げることで、青臭さを封印できて、このロングセラー商品ができたんですね。

    

信田缶詰はサバカレーだけを作っているわけではありません。お魚の缶詰の定番、水煮やみそ煮などもあるんですが、「もっと楽しい缶詰を提案したい」と、いろいろやられているんです。商品開発部の小林さんにお話を伺いました。

小林さん:商品開発を担当してます。小林と申します。よろしくお願いします。水揚げ港に隣接するこの恵まれた土地を生かして、その原料に徹底的にこだわるっていうのはもちろんですけども。 この原料をいかに美味しさを引き出すか、あとそのお客さんのそのいつも食べてる水煮・味噌煮じゃないっていうところで、もう一つその違ったものを、いかにそのお客さんの目に留めるかっていうのを今、開発のコンセプトに検討して作ってますね。弊社で出してるビストロ缶いう商品がありまして。 こちらのイワシに合う調味料っていうのを徹底的に調査する中で、あのトマトとイワシの相性が良いっていうところで開発をスタートした商品なんですけど、こちらも特別な気持ちを味わえるような完成された料理っていうのを今目指しまして。中華料理の油淋鶏っていうのをヒントに「油淋サバ」っていうのは昨年発売しまして。こちらも今非常に味付け料理としての評価をいただいてまして、今後についてもこういう主婦層に受けるような商品が力を入れて進めてます。 

スタジオで試食しました!

さて、缶詰は「非常食」というイメージもあって、一般家庭ではさらに手を加えることはあまりないそうなんですね。だったら、開けるだけで、それがお料理として成立しているような製品を、と、試作を繰り返しているそうです。いろいろな展開の中ではお魚以外にもこんなコラボをしていました。

小林さん:松屋の牛めし缶なんですけども。特徴としてはその具材だけっていうイメージを持たれるかもしれないんですけども、一番の特徴は本当に御飯も中に入ってますので。 本当に缶を開けたら、そのまま牛めしを食べていただけるっていう商品になっています。この「ご飯がススム」っていう非常に皆さん認知度の高い、家族全員で楽しんでいただけるキムチという商品があるんですが、そちらの調味液を一緒に開発させていただきまして、家族全員でそのサバ缶のおいしさを楽しんでいただける商品という形で発売しております。缶詰は本当に旬の一番おいしい時の。 素材をそのまま詰め込んで作ってますので、ぜひ皆さん備蓄としてストックするだけじゃなくて、あの日頃の料理としてどんどんと毎日でも食べていただきたいなと言う考えです。 

防災備蓄品としての役割もある缶詰ですが、ぜひ普段使いとしてたくさんのシーンで食べてもらいたい、普段から、今日のおかずのプラスワンとして缶詰を利用してください、とおっしゃっていました。ちなみに缶詰は長持ちはしますがやはり賞味期限がありますので、防災リュックの中や棚の奥の缶詰は定期的に期限を確認して、近いものは美味しく食べて、新しいものを補充していただく。そんなローリングストックを買い足す時にも、ぜひいつもとちがった新しい味の缶詰にも注目してみてください。

https://www.shidakanzume.jp/

第146回 波太オルビス

2023/4/21 UP!

今日4月21日は、1986年、日本で初めて本格的なオーベルジュが箱根に誕生した日といわれ、「オーベルジュの日」に制定されています。今日ご紹介するのは、鴨川市にあるオーベルジュ。どんな素敵なところなのでしょうか?

JR内房線 安房鴨川駅から千葉駅に向かって一つ目の太海駅から歩いて5~6分の海岸沿いに、”泊まれるレストラン”、 オーベルジュ「波太オルビス」があります。房総の食材を使った和洋コラボのディナーコースが味わえる人気の宿で、ご主人は鴨川で地魚寿司店を営んできた寿司職人息子さんは一流ホテルで修行をしたフレンチシェフという最強タッグなんです。お部屋は全室オーシャンビューで心配りが行き届くの3部屋のみとなっています。息子さんでフレンチのシェフ、上村航平さんに このオーベルジュはどんなところなのか伺いました。

上村さん:もともと昔の地名、今、ここ太海(ふとみ)と言っているんですが、その太海になる前に波太(なぶと)っていう名前だったんでですぐ裏の山もあの波太富士っていう感じなんでで地元の名前っていうのもあって、まあ地元の人にここを使わしてもらうっていうのもあったんで波太オルビスになりました。オルビスはあのもともと天体とか天の川っていう意味だったりするラテン語の言葉だったんで、ここ自体が非常に海も綺麗で空も綺麗で夜も天の川がみれたりするんで、そういう面もあってその名前を付けましたオーベルジュっていうのは、そもそもまあヨーロッパの方が主流ではあるんですが泊まれるレストランですね。食事をメインにして、その時、お酒を飲んでまあ気持ちよくなったお客さんにこう自分のうちに泊まってもらおうっていうところから始まったものでして、なので、それを意識して食事をメインにして、そのままゆっくりとお部屋で眠ってもらってリフレッシュしてもらおうっていうふうなまあコンセプトの宿ですね。できたのは2019年の10月にこちらにあの元々あったお店から移転してオープンしました。 

宿泊のお部屋が3部屋、海の青、

夕日の赤、

夜空の黒、

と3部屋それぞれのカラーを基調にしていて、もちろんすべてオーシャンビューです。ここで過ごすメインのお食事をとる場所、レストランも広くゆったりとしたつくりで、おなかがいっぱいになったら、そのまま歩いてすぐに部屋に行ける。これなら終電とか帰りの足も気にせず、ゆっくりできますね。

以前はどんなお店であったのか、そして今の食事のラインナップについて伺っています。

↑波太オルビス公式ページより

上村さん:両親が30年前にと、寿司と民宿をメインにした海水浴場の目の前で営業しておりまして、そこが前身の形となったお店となってます。そうですね。和製オーベルジュみたいなものですね。おいしい食事してもらって宿に泊まって海水浴に行ってっていう風な形なので、まあ走りみたいなもんでしたかね。はい。 そうですね。最初に洋食のアミューズ食前のお料理が出まして、次に和食の前菜、洋食の前菜スープ、お口直しのシャーベット、お刺身、お肉料理、最後大将(お父様)が握るお寿司・・・大将がネタをもって、実はお客様の目の前に行きまして、それでお客様の目の前でお寿司を握って提供してっていう風なスタイルをとっております。

↑波太オルビス公式ページより

デザート、コーヒー紅茶っていうようなメニュー構成になっております。お客さんのニーズに合わせて対応してます。アットホームな宿を意識して作業をしております。 

事前に相談すればリクエストにも応じていただけるそうですし、ネタがあれば、お寿司のアンコールもできるそうです。インターネットで検索するとべた褒めの記事が並びます。それもそのはず、料理の腕が確かな親子のタッグはもちろん、その食材もこだわりがあるからなんです。

上村さん:海鮮はもう地元の鴨川の海鮮を使ってまして、もちろん時化だったりするからその時は外房じゃなくて、内房の魚を使ったりすることもあるんですが、基本的には千葉県の魚をメインに使うようにして、お米なんかもあの地元の長狭米という美味しいお米があるんで、その地元の魚と地元の美味しいお米を使って 美味しいお寿司を大将の方が提供しています。そして、お肉に関しても、あの地元の高梨牧場さんが「かずさ和牛」という非常にクオリティの高い黒毛和牛、、ブランド化した黒毛和牛を作ってくださってまして、そこのあの黒毛和牛のお肉を使って、洋食のメインのお肉が出させて頂いております。

和食と洋食、両方出てくるメニュー構成になっているので。 お酒に悩まれる方も非常に多くて、日本酒とワインどっち飲もうかというような方もいたりするので、そういう方もまあ贅沢な悩みと言いますか、こう本当に一口飲んで次変えてっていうふうに出したり。あと中にはペアリングを希望される方もいて、その時はこちらの方で和食に合うもの、洋食に合うものっていうのをチョイスして、提供しています。 

お酒も一緒に楽しまれる方が多く、ワインも日本酒も、いろいろ合わせて出してくださるそうです。リピーターの方も多いようで、 当日を楽しみに事前に食事の内容は聞かない、という方もいらっしゃるんですって。

このオーベルジュが建っている場所は昔、船小屋があったところで、海までには建物や電信柱もなにもありません。どんな景色が見えるのか、そして、どんなお客様がいらっしゃるのか、最後に聴いてみました。 

上村さん:何もない状態。真っ暗な海から赤い太陽が昇ってきて、一面紺色から真っ赤に染まった後に日が昇るにつれて青い海に変わってくるような、いろんなグラデーションの海を楽しめるような環境となっております。

十代後半の学生の友人たちを連れてくるお客様であったり、ご年配のお二人で米寿お祝いしたりとかっていう方もいらっしゃったりするので、非常に幅広くいらして。最近ですと結構女子旅で女性二人で来る、高校の同級生だったり、大学の同級生だったっていう方々が、もう20年来、30年来の付き合いの人達が二人で定期的に遊びに来るって形でいらっしゃってくれたりとかするのが多く見受けられますね。

プロポーズで使われる方もいたりして、その際は食事もプロポーズに意識したお祝いのお皿を用意したりしますし、で中にあのお部屋にバラの花束を置いといてくださっている方もいたりしたので、その際は部屋に隠しておいて、食事の後にそれでお部屋にもどってプロポーズって方もいましたし。で結婚で言うと、まず両家の顔合わせの際に貸切で自分達と互いの両親を連れて三部屋貸切を使って状況の顔合わせのお祝い兼食事会をするお客様なんかもいらっしゃいます。こう温かみであったり、アットホーム感をもってサービスをしているようなことを意識してやってますね。

三方を海に囲まれた、自然の恵み豊かな房総半島ならではのオーベルジュ、

波太オルビス、3部屋のお宿ですので、週末など予約が難しい日もありますがぜひ宿泊とセットで心づくしの時間を楽しんでいただきたいと思います。 

公式サイトはこちら https://nabuto-orbis.com/
第145回 旬の海産物 富津の潮干狩り 

2023/4/14 UP!

今回は、富津の潮干狩りをご紹介します。

関東にお住まいの方は、潮干狩りというと「千葉」のイメージ!って方も多いのではないでしょうか?

千葉県内の潮干狩り場は、アクアラインの袂・木更津一帯の 盤洲干潟、船橋の三番瀬、そして今日ご紹介する富津の3つのエリアです。昔から手軽なレジャーとして人気の、潮干狩り。より一層楽しむためのアドバイスもご紹介します。

千葉県の海岸は、船橋から富津にかけてのおよそ70キロのほとんどが遠浅で、昔はベイエフエムがある幕張周辺など多くの場所で潮干狩りが行われていました。昭和35年頃の千葉県の観光パンフレットにも「潮干狩りにぜひ千葉県にお越しください」と書いてあったそうです。徐々に潮干狩り場は限定されてきましたが、今回は、富津漁業協同組合 副組合長で潮干狩り担当の平野秀夫さんに、まずは、富津の海が、どんなところなのかを教えていただきました。

平野さん:昔から、僕が子供の頃からもうわたくしは75歳になるけど、子供の頃からもうあさりはたくさん湧いてました。子供の頃はね、 海の中を歩いてて、足踏みすると・・・止まって足踏みすると、もうアサリがいっぱい足の下に出てきていました。 

潮干狩りがレジャーとしてブームになる前は、地元で採ったアサリを剥いて串に刺し干したものや焼いたものを加工品として出荷していたそうなんですが、潮干狩りブームが訪れて、貝を獲って剥かなくても、お客さんが自分で掘ってそのまま持って帰っていってくれるということで、大変富津は潤ったのだそうです。

平野さん:2、30年前は結構来てましたよね。昔は,年間15万人ぐらいお客さんが入っていました。今は10万ぐらいですね。 お客さんに全然取れなくて、帰ってもらうのが困るので徐々に貝を放流しております。 お客さんを見て今日のお客さんは貝の量が少ないなととか、そういうお客さんを見て少なかったらすぐ次の放流を早めるとか、そういう風にやっております。 (期間は)3月25日にオープンでゴールデンウィークの潮時のいい時が一番ピークです。 だからその前後にやっぱり団体のお客なんかも来てます。ゴールデンウィーク前後に。おしまいが、8月いっぱいです。 

最近は、長丁場を想定して、テントを張りながら潮干狩りを楽しむ方もいるようです。ちなみに富津で採れるのは あさり と 蛤。マテ貝という細長い貝もいるという噂がありますが、実際は、まずいないそうです。では、この潮干狩りで獲ったアサリを美味しく家で食べるにはどうしたらいいのか。海辺のレジャーとしてゆっくり楽しむ方も多いと思いますが、富津の漁協の皆さんが、見回りをしてくださっているとき、ちょっと気になることがあるそうです。富津漁協の理事で潮干狩り担当の小坂嘉和さんに伺っています。

小坂さん:できれば堀ったら速やかに海水につけるとか、そういうことしてからった方がいいと思います。中には結局掘ってあたたかい砂の上に長く置いてたりすると傷むのが早くて、うち帰ってから海水に入れても、もうその時点で死んでたりしますから、できれば掘ったら速やかに海水に入れて、持ち帰った方が新鮮なおいしいアサリを食べられると思います。車でゆられたりするとびっくりしてて家帰って3時間ぐらいそのままじっとしておけば砂を吐きます。

特に暑い日は、遠浅の潮干狩り場では場所によっては、海水が生ぬるいお湯のような状態になっているところもあるんです。そういうところに置きっぱなしにして、直射日光に当たる状態が長く続くと傷んでしまって、家で貝をみたら残念なことに、、、なんてことがよくあるそうなんですね。せっかく自分で掘ったアサリや蛤ですから美味しくいただきたいですよね。

最後に副組合長の平野さんに、潮干狩りのときのアドバイスいただきました。

平野さん: 潮干狩り場の潮見表とか携帯とか新聞なんかに千葉県の干潮が何時とか載ってるから、そういうのを確認して、その時間に来た方がいいです。早く来ても濡れるだけですので。それで岸辺の方はあまりないから、毎日岸辺から掘っていくから。富津潮干狩り場では無料駐車場で1500台とめられると思います。また、駐車場の目の前が潮干狩り場ですので、また 採った貝を持ち帰るときに、砂出し用の海水のタンクも用意してあります。足洗い場はある。温水シャワーも完備してあります。ですので濡れても温水シャワーを使って着替えて帰れるので、富津潮干狩り場では多くのお客様をお待ちしております。 

取材時は満潮でしたので砂浜の写真を撮ることができませんでした、、、、

アサリは砂の中、だいたい深さ2センチから10センチ位の処に多くいるそうです。お出かけの前に、潮見表で今日潮干狩りが何時頃できるのかご確認ください。また、天候不順のときも潮干狩りはできませんので富津漁業組合に電話でお問合せいただくか、ホームページでご確認ください。

http://www.jf-futtsu.com/

潮見表

http://www.jf-futtsu.com/1-shiohigari/shiomi.html

第144回 印旛女性農業者グループ 姫農MENOU 

2023/4/7 UP!

今日は、印旛地域の女性農業者グループ「姫農」をご紹介しています。このグループに参加している皆さんは、それぞれ農家の奥様や娘さんで、ご自身を含め基本的にはご家族で農業をされています。そのうえで、他の女性農業者の方たちと情報共有したり、研究をしたりということに取り組んでいらっしゃいます。まずは、代表の中込(なかごめ)麻衣子(まいこ)さんと初期からのメンバーの小山(こやま)美香(みか)さんに設立の経緯などを伺いました。

中込さん:印旛女性農業者グループ姫農の会長を務めます。中込麻衣子と申します。よろしくお願いいたします。千葉県の印旛農業事務所が地域の女性農業者の交流の場を作っていたのですが、そこで出会った仲間がもっとこういった場を作ろうということで発展させて2011年に姫農というグループを発足させました最初は十名ほどのメンバーでしたが、今現在は15名のメンバーが仲間になっています。私は姫農のメンバーで一緒に活動しております小山美香と申します。みなさん、同じものをつくっているものではなくて、お米だったり花だったり、あと野菜ですね。露地野菜を作っているメンバーで成り立っております。姫農は農業っていうくくりでは同じなんですけれども、メンバーそれぞれはつくっているものが違うので。 育て方も売り方ももちろん違います。そういった意味では異業種交流会みたいな感じですかね。

最初にその場をつくったのは印旛農業事務所、、これは、県の機関で生産技術の指導や農業の担い手の育成を行うところだよね。その呼びかけで、交流の場が生まれてそこから派生したということですね。農業といってもいろいろあるから、大きくは「農業」だけど、その中での異業種交流会、になるんですね。

茶飲み話ではないですが、女性同士楽しくお話ししていれば何かいいアイデアが出てくるかもしれない、という感じで始まって、それが年を追うごとに、段々と進化してきたんだそうです。

中込さん:発足当初は何からやっていいか本当にわからなかったので、印旛農業事務所からいろいろとアドバイスといただいて、活動を何年かやってたんですね。で自分たちでその後はマルシェへの参加とか、あと勉強会の企画とか今している感じです。そうですね。やりたいことっていうのがはっきりそこでわかっているので。 まあ、いろんなわからないことの質問だったりとかっていうのはとてもたくさん出てきて、自分の為にもなってる感じです。私たち姫農で千葉駅近くでマルシェをすることがあったんですけれども、印旛地域で野菜を直売した時よりも、千葉市内のお客様は鮮度にとても価値を求める方が多く、私たちが想定していた価格よりも、もっと五十円でも百円でも高くてもいいという思ってくださるお客様がとても多く勉強になる機会になったのでとてもよかったと思います。

自ら動くって大切ですね。姫農の活動で、どんどん行動範囲や知識、ノウハウが広がっていったそうです。そして、場所によっては、野菜が新鮮なことがすごく喜ばれる。自分たちにとって当たり前だった「新鮮さ」に高い価値があることに、すごく衝撃を受けたそうです。

乾燥技術の向上と商品化をテーマとした学習会とか、新しい野菜の育て方などを勉強したりしているそうです。生産する人が加工や販売にも取り組む六次産業化への新しい 挑戦など刺激しあいながら勉強できたら楽しそうですよね。

今回は、印旛地域の女性農業者のグループ めのう の活動をご紹介しています。めのう、は漢字で書くとお姫様の「姫」に、農業の「農」。インスタグラムではローマ字で書かれています。その名前にこめられた想いを、命名者の小山さんに説明していただきました。

小山さん:このグループ姫農って言う名前は、実は私がつけた名前なんです。 宝石に瑪瑙(めのう)っていう石があるんです名前はそこから来てるんですね。宝石にも花言葉みたいに石言葉っていうのが実はあるんですよ。で、その瑪瑙には豊作とか長寿とか夫婦円満っていう意味があって、これはもう農業やってる私たちにとって大切な言葉だなと思って、そこからつけました。瑪瑙って漢字で表すと、とっても難しいんですよ。分かりやすいじゃないかなって。ちょっと考えていて。私たち女性の業者が集まってるグループなので、お姫様の姫と、あと農業をしているということで、農このふたつの漢字を当てて姫農としました。今ではもう皆さんに定着してもらっていてよかったなと思います。

それぞれの家業である農業での作物は別々ですが、共有できる情報をみんなで吸収していこうと勉強されているグループの皆さん、今後についてもお話聞いています。

中込さん:今現在はイベントなどで、メンバーそれぞれの農産物や加工品の販売をしています。これからはメンバーが作った農産物を持ち寄って、新しい加工品の開発をして行きたいと思っています。 女性ならではの目線で、さらにお客様へ食べ方の提案など保存方法など食育活動も取り組んでいきたいと思います。

みんなで集まれば、きっと新しいことができるはず。そのためにお互いのコミュニケーションを密に取りながら、高め合っていこうという 姫農 の皆さん。印旛地域の農家の女性のみなさんい広く参加してもらいたいと思っているそうです。佐倉(さくら)成田(なりた)八街(やちまた)富里(とみさと)(さかえ)印西(いんざい)酒々井(しすい)白井(しろい)など周辺の農業女子の皆さん、いかがですか?めのう が参加しているマルシェなどの情報は 姫農 のインスタグラムを参考にしてくださいとのことでした。

https://www.instagram.com/menou2011/

 

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