2022/5/1 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、世界を巡る定住旅行家のERIKOさんです。
ERIKOさんは鳥取県米子市出身。モデルの活動と並行して定住旅行家としても活躍、これまでに訪れた国は50か国以上。滞在したご家庭は100家族を超えているそうですよ。
この定住旅行家という肩書を初めて聞いたかたも多いと思います。定住旅行とは、ひとつの場所に滞在する旅行のスタイルというのはわかるんですが、普通の観光とはどう違うのか、そしてその魅力はどんなところにあるのか、きょうはERIKOさんにじっくりお話をうかがいます。
☆写真協力:ERIKO

優等生じゃ面白くない!?
※それでは早速、お話をうかがっていきましょう。定住旅行家とは旅先に定住しながら、その体験を書くお仕事ですか?
「はい。世界各地に出掛けて、そこで、普通であれば、みなさんホテルとか宿泊施設に滞在されると思うんですけども、私の場合は現地の家庭に、本当に一般家庭なんですけれども、そこに滞在をして、その旅の様子を、具体的には暮らしを伝えることをライフワークにしております」
●1ヶ所にどれくらいの期間、滞在されるんですか?
「国によって滞在期間が違うんですけども、最低でも1ヶ月以上は滞在をしています」
●えっ! 1ヶ月以上、一般のご家庭にお世話になるっていうことですか?
「そうです。はい(笑)」
●そもそもどうやって一般のご家庭を探すんですか?
「全部、段取りは日本でやっていくんです。行きたい国を最初に決めて、地域もそうなんですけれども、そこからそこに行ったことがある人とか、そこと関係のある人に声をかけて、誰か泊まらせてくれる家庭を知りませんか?とか、知っている人いませんか?っていうのを聞いて、そこから話を進めていきます」
●では、まったくの知らない人っていうよりは、知り合いの知り合いとか、友達の友達とか・・・。
「そうです、そうです」
●へえ〜。ERIKOさん、おひとりで行かれるんですよね?
「基本的にはひとりで行かないと、人と一緒に行ってしまうと、その人と話す時間とか、過ごす時間が多くなってしまって、現地の人と交流をしに行っているので、時間がちょっともったいないなっていうのもあります。
受け入れるほうもひとりを受け入れるのと、ふたりとか3人、複数人を受け入れるのは多分違うと思うので、基本的にひとりで行ってます。そもそも私、人と一緒に旅行に行くのが苦手で・・・(笑)。ひとりが楽ですね」

●お客さんとして招かれるわけでなく、一般のご家庭に入って家族になるために、ERIKOさんなりに何か工夫されていることってあるんですか?
「私は自然体でいるんですね。末長く、私はお付き合いしていきたいので、1回定住した先に何度も行くことも結構たくさんあります。なので、その時だけではない、長いお付き合いをしたいなって思っていて、そうなると、そこの家のルールみたいなものとか、あとは風習みたいなのがあるじゃないですか。そういうのにもちろん合わせることをするんですけど、優等生だとあんまりよくないっていうか(笑)、なんでもかんでも”この子、いい子ね”だけだと面白くないんですよ、向こうの受け入れる人も。
なので、私が意識しているのは、自分からも何か相手に与えるというか、個性を出すことを意識していますね。この子、面白いなって思ってもらえると、長続きというか、そのあとの関係性もすごく長く続いていったりするので、あまり優等生にならないようにはしています」
(編集部注: お世話になるご家庭に滞在費を払っているのか気になりますよね。 ERIKOさんにお尋ねしたところ、最初にお金を払ってしまうと、ゲストになってしまい、本来の目的である、現地の本当の生活が見えなくなってしまうため、最初にお金の話はしないそうです。
そしてそこのご家庭を離れるときに、現地の平均給与や物価を参考に決めた滞在費をお渡しするそうですが、これまで滞在した100家族を超えるご家庭で受け取ったところはほんの少しだったそうです。生活を共にし、すでに家族のような関係になっているんですね)
言葉の使い方の価値観
※そもそもなんですけど、定住する旅のスタイルにこだわるのは、どうしてなんですか?

「もともとそんなに旅が好きではないっていったらあれなんですけど(笑)、旅を目的としていなくて、現地の人がどういうふうに生活しているのか、生きているのかがすごく気になるんですね。旅行とか観光というより、やっぱりそこにちょっと住んで、現地の人の目線で物事が見たいなっていうので、そうするためにはやっぱりホームステイしかないかなと思っています。
ただそういうスタイルで旅をされている方って、いらっしゃるとは思うんですけど、あまり私は知らなくて、それで自分で『定住旅行家』と名前をつけて活動しております」
●言葉はどうされているのですか?
「私はもともと定住旅行家になる前に、言語がすごく好きで、色んなところに留学をしていたんですよ。なので一応6カ国語を話すんですけど、そこで対応できる国もあれば、できないところは行く前に準備段階で、そこの言語を勉強してから行くようにしています。
準備はだいたい半年くらいかかるんです。その間に(外国語の)レッスンに通ったりとか、読み書きはできるようにならないと、例えばローカルのバスに乗れなかったりするので、一応読み書きと、あとは日常会話でよく使うだろうと思われる言葉は覚えてから行きます」
●文化とか習慣の違いで戸惑ったことはありますか?
「そうですね・・・例えば、それぞれの国で言葉の使い方の価値観が違ったりするのは、結構大きいな〜って思っています。例えば、ネパールに行った時、ネパール人は“ありがとう”ってあまり言わないんですよ。インドでもそうなんですけど、相手が困っていたら助けるのが当たり前なので、それに対して、ありがとうっていうことがすごく不自然だったりするんですよね。
日本人の感覚だと何かしてもらったら、すぐ“ありがとう”って言ってしまって、それがちょっと向こうの人は変に感じるというか、そういうのがあるので、言語的に使うタイミングとか、全然違うなっていうのはよく感じますね」
ジョージアの文化と言葉
※ERIKOさんは先頃『ジョージア 旅暮らし 20景』という本を出されました。以前はグルジアと呼ばれていた東欧の国ジョージア。大相撲の力士「栃ノ心」のふるさととしても知られていますよね。この本ではそんなジョージアの一般家庭に滞在したときの体験が綴られています。

ジョージアは「ヨーロッパ最後の秘境」とも言われているそうですね。どんな国なのか、教えてください。
「国土は北海道よりも少し大きいくらいで、地形は山岳地帯で、カザフ山脈に面しているっていうのもあります。カスピ海とか黒海の近くは温暖な気候であったりするので、すごく多様性に富んだ自然環境がある国なんですね。
人口は370万人しかいないんですけども、コロナ禍の前は観光客が年間500万人訪れていたっていうことなので、ヨーロッパの人からすると、有名というか人気の観光地っていう印象がありますね」
●文化ですとか、伝統でいうとどんな感じなんですか?
「結構、古風な国だなと思っていて、ずっと戦いの歴史がある国なんです。その中でも、ジョージア語がすごく古くからあって、そこに詩とか文学のベースがあるんですけども、国民の人たちはすごくそれを誇りというか、アイデンティティになっていて、しっかり継承している印象もありますね。
あとはジョージアは、キリスト教が世界で2番目に国教になった国なんですね。すごく古い歴史があって、国民の人たちはもちろんキリスト教を信仰されているんです。信心深いかたが多くて、そういったことが国民の人たちのマインドのベースになっていると思います」
●ジョージア語は勉強されて行ったんですか? 6ヶ国語の中にジョージア語は入っているんですか?
「6カ国語の中には入っていないですね。事前に少し勉強してから行きました」
●例えば、ジョージア語で、こんにちは!とか、お元気ですか?はなんて言うんですか?
「こんにちはは、”ガマルジョバ”って言います」
●ガマルジョバ!?
「はい、ガマルジョバって言います。元気ですか?は”ロゴラ ハルト”って言うんです。ガマルジョバって”あなたに勝利を”っていう意味なんですね。ジョージア語は言語学者の中では有名な言語で、独立言語なんですね。どこの言語グループにも属していない特殊な言語で、すごく古くからの歴史があります。
海外に行かれる時に、挨拶のひとつだけでも覚えて意味を調べると、すごくその国の特徴っていうか歴史が分かったりします。日本語だと”こんにちは”っていうのは”今日様(こんにちさま)”という太陽に向かって言う言葉なので、やっぱり”天照(あまてらす)”とか、そういった神話の感性が日本人の中にあると思います」
ジョージア人は宴会好き!?
※ERIKOさんは、ジョージアでは3ヶ所のご家庭に滞在されたそうですよ。

「その中でもすごくジョージアの文化に触れさせてもらったのが、東部の”カヘティ地方”っていう場所がありまして、そこがすごく印象に残っていますね。そのカヘティ地方はすごく有名なワインの生産地で、ジョージアはワインの発祥地なんですよね。国民の70〜80パーセントくらい、ご家庭でみなさん、ワインを自分で作る習慣があるんです。もちろん毎日、ご飯を食べる時にワインが出てきて、私も楽しませてもらいました。

そこでこれこそジョージアだなって思ったのが、”スプラ”っていう宴会なんです。宴会自体が儀式になっていて、タマダと呼ばれる司会者が演説をしたり詩を詠んだりりして、時計回りにみなさんそれぞれ演説をしていく儀式的な宴会みたいなのがあります。これは多分、ジョージア人に招かれると、おもてなしとして受けることのひとつだと思います」
●家庭で宴会をやるっていうことですか?
「家庭でもありますし、友達同士で集まってやるパターンもあるんです。家庭でご飯を食べるときもちょっと演説みたいな、スプラが行なわれることも結構ありますね」

(編集部注:ジョージアの食べ物で有名なのは「マッツォーニ」と呼ばれるヨーグルト。ご家庭に自家製のヨーグルトがあって、毎日欠かさず食べるそうです。特徴は水分が多くて、最初、口に入れると酸味を感じ、そのあと甘みが出てくるそうですよ。口当たりはお豆腐に近いとERIKOさんはおっしゃっていました。食べてみたいですよね)
※ERIKOさん、ジョージアではトレッキングに出かけたそうですね。
「そうですね。コーカサス山脈の近くの、スバネティ地方っていう場所があるんですけど、そこに滞在した時にトレッキングをしました。私は山がすごく好きなので、いろいろ見て回ったんですけど、中でも”ウシュバ山”っていう山があるんですね。ピークがふたつある特徴的な山なんですけども、そこに行った時はすごく美しいなって、非常に印象に残っている場所ですね」

日本に対する思い
※今までたくさんの国を訪れ、滞在されて、改めて定住旅行の醍醐味はどんなところにあると感じてますか?
「観光だと、本当に分からない人の暮らしだったりとか、生き方に触れられることがいちばん醍醐味じゃないかなと思います」
●やっぱり実際に行ってみて体験することで分かることってたくさんありますよね。一方で日本に対する思いに変化があったりはしましたか?
「日本に対して・・・うーん、そうですね・・・やっぱりすごく日本は有名な国ですよね。人口がすごく多いし、それは国力にも繋がることだと思うので、そういったことが、ずっと日本にいたらあまり感じなかったことですけど、客観的に見えるようになったかなって思いますね。
あとは、本当に日本はガラパゴスみたいになっているなっていうふうに思っていますね。もちろんそれが個性だと思うんですけど、陸続きじゃないので、そこはやっぱり島国としての特性がすごくあるなって思いますね。今グローバル化がすごく進んできていて、これから日本はどういった立ち位置でいろんなことを繰り広げていくんだろうっていうのはすごく見ています」
●コロナ禍でなかなか思い通りに海外に行けなくなってしまいましたけれども、今後の定住旅の予定がありましたら、ぜひ教えてください。
「今年はポルトガルに行く予定にしていますね」
●ポルトガルは何度目か、なんですか?
「ポルトガルは初めて行く国ですね」
●そうなんですね。どんな旅にしたいですか?
「そうですね。ポルトガルは日本に初めて西洋を持ってきた国のひとつでもありますし、すごく日本とは関係が深いので、そういった文化面も含めて色んなところを見ていきたいなと思います。昔、大航海時代は世界を制していたような国ですけども、今人々はどういうふうな生活をしているのか、そういったところも見られたらなと思います」
☆この他のERIKOさんのトークもご覧下さい。
INFORMATION
ERIKOさんの最新刊。一般家庭に入り、生活をともにすることで見えてきたジョージアの人たちの生きかたや暮らし、文化などが綴られています。定住旅行家としての視点を感じる一冊。ERIKOさんが撮った写真もたくさん掲載されていますよ。ぜひご覧ください。東海教育研究所から絶賛発売中です。
そして現在、本の発売を記念して、ジョージアゆかりのグルメがあたるキャンペーンを実施中!詳しくは出版社のサイトをご覧いただければと思います。
ERIKOさんのオフィシャルサイト、そしてYouTubeチャンネルもぜひ見てくださいね。
◎ERIKOさんオフィシャルサイト:http://chikyunokurashi.com/
◎YouTubeチャンネル:
https://www.youtube.com/channel/UCzbr3YbLejEbjq2LTb2O36g
2022/4/24 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、自然写真家「高砂淳二(たかさご・じゅんじ)」さんです。
高砂さんは1962年、宮城県石巻市生まれ。ダイビング専門誌のカメラマンを経て、1989年に独立。これまでに世界100カ国以上を訪れ、自然や生き物、星空や絶景などを捉えた、まさにミラクルな写真を発表、数多くの写真集も出されています。
そんな高砂さんの最新の写真集が『Aloha〜美しきハワイをめぐる旅』。ハワイの島々で撮った海や山のダイナミックで美しい風景、生き物や植物など、素晴らしい作品を掲載した集大成的な写真集なんです。
きょうはそんな高砂さんに、30年以上通い続けるハワイの自然や先住民のハワイアンから学んだ知恵のお話などうかがいます。
最新の写真集『Aloha〜美しきハワイをめぐる旅』を直筆サイン入りで3名のかたにプレゼントします。 応募方法はこちら!
☆写真協力:高砂淳二

大事な言葉、Aloha
※写真集のタイトル『Aloha〜美しきハワイをめぐる旅』にはどんな思いが込められているんですか?
「”アロハ”っていうのは、みんな聞いたことがある言葉だと思うんですけど、ハワイの人たちの間ではいちばん大事にしている言葉です。ひとことで言うと愛とか、慈悲だったり優しさだったり、色んな意味合いがありますね。ハワイアンはこれをいちばん大事にしています。
僕はハワイに長くずーっと通っている中で、先住民のハワイアンの、色んな人に色んなことを教えてもらっていて、ふたことめには、”アロハでいきなさい。アロハをシェアしなさい”って言われています。それで僕の中でもアロハがいちばん大事な言葉になったので、タイトルはこれだよね! と思って付けたんですね」
●そうなんですね。今回の写真集は、ハワイの魅力がぎゅっと詰まったような集大成的な作品集ですよね。
「そうですね。初めて行ったのは、1986年とか1987年とかそんなもんなんですよ」
●もう30年以上前ですね。
「そうですね。真剣にというか、通い始めたのは2001年からですから、いずれにしても長いですよね」
●写真集に掲載されている写真の中から、特に気になった作品についてうかがいたいと思います。まずは、この夕方の空の写真! これすごいですね〜。グラデーションになっていて、薄紫、青、黄色、オレンジ、赤・・・って、なかなか日本では見られない空の色ですよね。
「そうですね。日本でも出ないことはないと思うんですけども、なんだろうね・・・ハワイにいる時って割と気持ちもゆったりして、空を見上げたりする気持ちのゆとりがあるっていうのも、あるんだと思うんですよね」

●そうなんですか。私、ヤシの木が大好きなんですけど、下からヤシの木を撮っている写真がありましたよね。青い空に向かってヤシの木が伸びていて、すごく気持ちのいい写真だなって思ったんですが、これはどこで撮った写真ですか?
「これはカウアイ島のカパアっていう町の、ショッピングセンターから少し先に行った所って言いますか・・・割と人も住んでいるようなところなんですけどね。ヤシ林があって、そこに入り込んで真上を見たら、こんな感じでニョキニョキっと空に向かって、そびえ立っているみたいな感じでしたね」
●やっぱりハワイと言えば、ヤシの木っていうイメージもありますよね。
「そうですね。南国のイメージで、日本人もやっぱりヤシの木を見ると、憧れが
わき上がってくる感じですよね」
●私のひとり暮らしの家にも、ヤシの木の写真を飾ってあります(笑)。
「そうなんですか。僕も昔、大きいヤシの木を事務所に飾ったりしてましたね。でも実はハワイには昔、ヤシの木はなくて、ポリネシア人が持って入ったんですよ」
●そうなんですか。
「ヤシの木は、もちろん実も食べられるし、中のジュースも飲めるし、あとはココナッツの内側の繊維を使ったりとか、木の幹を使ったりとかね。全部が使える有用な木で(ポリネシアの島から)運んで、そこからなんですよね。ハワイの今のシンボルですけどね」
ドローン撮影の利点
※最新の写真集には、去年10月にハワイに行って、ドローンで撮影した写真も掲載されています。ドローン撮影の良さはどんなところにあるのか、お話いただきました。
「ヘリコプターとかセスナでも、もちろん空撮はできるんですけど、真下の写真を撮ることはちょっと無理なんですね。ヘリコプターでも斜め下くらいは撮れますけれどね。あとは細かいところに、あそこにピンポイントで行きたいとか、そういうことはなかなか(ヘリコプターは)難しいですけど、ドローンだと、許可されているエリアの話ですけど、例えば、あそこの崖っぷちに僕がいたら、こんな風景が見えるのにっていうような、イメージのまんま、要するに自分の目だけをそこに運んで撮れる感じなんですよね」

●例えばこの写真集では、どの写真をドローンで撮ったんですか?
「表紙の写真、これはビーチと海が写っていますよね。どこの海だろうって思うかもしれませんけど、日本人には有名なアラモアナ・ショッピングセンターの前のアラモアナ・ビーチなんですよ」
●へぇ〜! 真上から見ると、こうなっているんですね。
「そうなんですよ。しかも去年の10月はコロナで日本人は全然行っていないし、アメリカ人もやっと行き始めていた頃なので、水もすごく綺麗になっています」
●そうですね〜。エメラルド色というか、またこれもグラデーションになっていて綺麗ですね。
「上からよく見ると、ビーチサンダルが並べてあって、そこからみんな海に入った様子とか、細かく見ても結構楽しいですね(笑)」
●ドローンだと、こういう楽しみ方ができるんですね〜。
「そうですね。海に潜るとか、波の上でカヌーに乗りながら撮影したりすると、実際になんて言うかな・・・そこに棲んでいる生き物も、自分もそこにお邪魔して撮ることで、臨場感とか(生き物との)関係性を持って撮れたりしますね。波乗りしている人の写真だとしても、こっちも波に一緒に乗って撮ることで、波に乗っかっている感がやっぱり違うんですよね、陸から撮るのとは」
●確かに、今回の写真集は生き物の写真も多いですけれども、例えばイルカが高く飛んでいるような写真は、よし飛ぶなっていうのは、なんとなく分かるものなんですか?
「そうですね。イルカは一回(海面から)飛び出すと、上手くすればですけど、何か所かで何頭かがジャンプし始めたりするんですよ。一頭が飛ぶともう一回そのイルカが飛ぶ可能性も結構あって・・・だから一発飛んだの見つけたら、すぐにそこにカメラを向けてピントを合わせておいて、来い来いって(笑)、そうするとたまにビュンと飛んでくれるんですよね」
●すごく躍動感にあふれる写真でした!
「そうですね。なかなか簡単じゃないですけどね」

月の光で出現する夜の虹
●夜の虹の写真「ナイトレインボー」がとっても印象的でした! 夜に虹が出ることを私は知らなくて・・・この写真はどの島で撮ったんですか。
「マウイ島で、まさに(ハワイに)通い始めた2001年に見たんですよ! その時はちょうど先住民の人に出会って、不思議なハワイの、先住民の色んな知恵とか自然感みたいなものが面白くって、そういうのを聞いてハマり始めた時に、ナイトレインボーの話を聞いて、数日後のある夜に、バン! と出たんですね」

●へぇ〜〜! 夜の虹が出る条件っていうのは?
「基本的には、昼間に雨が降って太陽の光で虹が出ますけど、これが太陽の代わりに月なんですよ。ある程度、光が強くないといけないので、満月とかそういう時のほうが出やすいんですね。
太陽の昼間の虹の時も、朝とか夕に出ることが多いと思うんですけど、光源が高いと出ないんですね。なので、朝とか夕方の(光源が)低い時に出る。夜の虹も同じで、月が低い時に出ますね。でもなかなか条件って揃わないんですよ」
●そうですよね〜。
「昼間は割と、にわか雨的なものとか、通り雨とかありますけど、夜はあんまりそういうのは・・・大地が暖められて雲ができるっていうのがないので、結構珍しいですよね」
●初めてご覧になった時にいかがでした?
「いや〜もう震えましたよね。ちょうど3日前にそのナイトレインボーの話を聞いたばっかりだったんですね。そんなタイミングで見たもんだから、うわ〜やばい! (笑)って感じでしたね」
●本当に簡単には撮れないものだと思うんですけど、次からの撮影では、よし来るぞっていうのは、なんとなく予感があったりするんですか?
「いや〜全然ですね。もうそこから結局、ナイトレインボーにハマって、それを探す旅に何度も何度も行くことになって・・・でもなかなか見られないので、本当に苦労しましたね」
●ナイトレインボーは、今まで何回くらい撮影に成功されたんですか。
「そうですね・・・ハワイで10〜15回くらいでしょうかね。あと他の国でも、ニュージーランドとか、それからアフリカとか南米でも見ましたね」

ハワイアンの知恵に学ぶ
※先住民のハワイアンから生き方とか、自然との接し方のようなことを教えてもらったそうですが、どんなことを教わったんですか?
「そうですね。まず”アロハ”が大事だよということですね。アロハは、色んな人が色んな表現の仕方をするんですけど、僕が感じた言い方だと、基本的には”愛”なんですね。
この空間は、本当はそれで満たされていて、僕らの中もいつもアロハがいっぱいあるんだけど、それをちゃんとシェアしたり、アロハを与えようと、そういうふうな意識を持った時に、それがぐるぐる回り出して、自分の中を駆け巡るというのかな・・・外からどんどん入ってくるみたいな感じになるような気がするんですね。
だからそういうことをやればやるほど、なんか自分も元気になっていくっていうのかな・・・日本でいう”気”とか、色んなエネルギーみたいなのがありますけど、
そういうものの温かいバージョンというか、そういうものかも知れないですね。
そんな大切さを教わったことと、あとは”ホオポノポノ”っていうのを聞いたことが、もしかしたらあるかもしれませんけど、自分を取り巻く色んなものとの接し方をすごく大事にしていますね。
基本はアロハなんですけども、必ずなにか、例えば誰かと接するとか、それから動物もそうだし、自分と地球との関係もそうだし、そういう時にちゃんとアロハを持って接しようっていう気持ちを持つとかね。
それから尊重する。例え相手が人間であっても地球であっても生き物であっても、尊重することとか。それから物を食べたりする時も、何かをもらう時も感謝の気持ちを持つとか。いさかいになりそうな時には、許そうっていう気持ちを持つとかね。
そういうのをちゃんとやっていくことで、周りとの関係が構築できて、もっと言うと、ハワイアンの人たちは、自分の周りの環境は自分が作り出していて、自分を写している鏡みたいなものだって言うんですよ。
だから、そういうふうに接すれば、多分周りもそんなふうに返してくれるから、気づいた時にはそういうものが周りにあるっていう状況なんだと思うんですよ。だからすごくシンプルだけど、すごい知恵だなと思いますね」

※高砂さんは、カウアイ島のフラの指導者「クムフラ」のプナ・カラマ・ドーソンさんと一緒にいる時に、こんなことがあったそうですよ。
「ある時に、崖に行って海見ていたら、ウミガメが顔を出したんですよ。それを見たプナさん、”まあ〜私たちの兄弟のウミガメだわ〜”って。ホヌって言いますけど、ウミガメは。”ホヌだわ〜”って感動して。いつも見てるだろうって思うんですけど、感動して。なんていうのかな・・・兄弟姉妹に会ったみたいな感じで喜んで、アロハを示していましたね。やっぱり僕らみたいに都会に住んでいる人と、本当に感覚が違うんだなっていう気がしましたね。
あと、フラじゃないんですけど、カイポさんていう、いちばん最初に色んなことを教えてもらった人がいます。その人は男の人で、”ヘイアウ”っていう、ハワイの聖なる、神社みたいなところって言ったらいいのかな、そういう場所が(ハワイには)何か所もあるんですけども、そういうところにお供えを持って行って、お祈りしたりとかして、よく立ち会ったんですね。
自分でお供えものを作って、ここの神様はこういうものが好きだから、このプレゼントを用意してお供えして、それから歌って踊って捧げるんですね。
それがやっぱりプナさんと同じ。そこに神がいて、本当に(神に)語りかけている感じ、形でやっている感がまるでないんですよね。僕らの大地とか神との付き合い方も信じ方も、全然違うんだなっていう感じがしましたね。
多分本当にそこにはそれがあって、そういうのが大地を守って、そういうのに対してどんな気持ちかっていうのを、本当に心底、関係を作っているっていう感じがしましたね」
居心地、いいよね〜
※ハワイに行った時、やっぱりハワイはいいな〜と思うのはどんな時ですか?
「うーん、そうですね。ハワイって行くとなんか居心地がいいんですよね。それで空港に入った途端に係のおばちゃんとかが”アロハ〜”とか、おじちゃんが”アロハ〜”って言ってくれて、それでまず和むんですよ。
で、空港に降り立ってちょっと外に出るとプルメリアの香りとか、特にあの辺でレイをかけてくれている人たちがいるから、そういう花の匂いがぷ〜んとして、なんかもうウェルカムされちゃった! みたいな感じですよね。
やっぱりそういうのもハワイアンがいつも心がけているアロハが島に染み付いているというか、空気を作り出していると思うんですけど。それでもう居心地がいいなって、それに浸るとやっぱりいいよね〜って感じがします」
●いいですね〜。確かにひとりひとりがアロハを心がけることで、もう島全体が優しい温かい空気になりますよね。
「そうですね。本当なんです」
●今後もハワイには通い続けられますか?
「そうですね。自然との出会いって、頭で考えている以上のことが起こるのでね。最初にナイトレインボーと出会った時みたいに、全然そんな存在も知らなかったのに、ちょっとしたことで出会うことになって、そこからまたハマるとかってありますのでね。
また次なる段階の出会いがあるのかなと思って、まずは行って、それで自然に触れて溶け込んで、撮影し始めたら、またなにか起きるんじゃないかなと思って期待しています」
☆この他の高砂淳二さんのトークもご覧下さい。
INFORMATION
ハワイで撮った作品の集大成的な写真集。ページをめくる度に、ハワイの日差しと風、そして匂いさえも感じられて、まさにハワイにいるような気分にさせてくれます。ドローンで撮った表紙の写真にも注目ですよ。ぜひご覧ください。パイインターナショナルから絶賛発売中です。詳しくは出版社のサイトをご覧いただければと思います。
◎PIE International :https://pie.co.jp/book/i/5617/
高砂さんのオフィシャルサイトも見てくださいね。
高砂さんの最新の写真集『Aloha〜美しきハワイをめぐる旅』を直筆サイン入りで、抽選で3名のかたにプレゼントいたします。
応募はメールでお願いします。
件名に「本のプレゼント希望」と書いて、番組までお送りください。
メールアドレスは flint@bayfm.co.jp
あなたの住所、氏名、職業、電話番号を忘れずに。
番組を聴いての感想なども書いてくださると嬉しいです。
応募の締め切りは 4月29日(金)。
当選発表は発送をもって代えさせていただきます。
たくさんのご応募、お待ちしています。
応募は締め切られました。たくさんのご応募、誠にありがとうございました。
2022/4/17 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、動物作家の「篠原かをり」さんです。
篠原さんは子供の頃、毎週のように動物園に連れて行ってもらったこともあって、生き物が大好きになり、図鑑を何度も見返すようなお子さんだったそうです。そして2015年に昆虫に関する本で作家デビュー。現在は慶應義塾大学SFC研究所の上席所員としても活動されています。
生き物が大好きな篠原さんは、世界の不思議を紹介するミステリーハンターとして、テレビ番組などでも活躍、動物や昆虫に関する幅広い知識には定評がありますよね。
きょうはそんな篠原さんの新しい本『よし、わかった! いきものミステリークイズ』をもとに、生き物に関する、知っていそうで意外に知らない生態をクイズで出題します。ぜひご参加ください。

馬の血液型、歌うゴリラ
●今週のゲストは動物作家の篠原かをりさんです。よろしくお願いいたします。
「よろしくお願いします」
●篠原さんの生き物に関する膨大な知識は、テレビ番組でもおなじみですけれども、そんな篠原さんの新しい本が『よし、わかった! いきものミステリークイズ』ということで、私も読ませていただきました。大人の私でも知らないことがたくさんあって、早く誰かに言いたいって思うものばかりで面白かったです!
「ありがとうございます。一応、子供向けの本にはなるんですけど、私自身が子供の時に新しく知ったことを結構、両親に教えたりとかしていたので、大人にとっては当たり前のことだとつまらない気持ちになってしまうだろうなと思って、子供があまり知らないような動物ではなくて、親子でその動物自体は知っているけれども、この生態は知らないとか、大人も一緒にびっくりできるようなことにはこだわって作成しました」
●まさに大人の私もびっくりしました。本当に面白かったです。きょうはこの本をもとにクイズ形式で進めていきたいと思います。ぜひリスナーのみなさんも一緒に考えてみてください。
まずは「動物園クイズ」からいきたいと思います。
では問題! 馬の血液型は何種類くらいあるでしょう?
① 300種類 ② 3万種類 ③ 3兆種類
どれも多いなという印象ですけれども、人間は A、B、O 、ABですよね?
「そうですね、組み合わせで言った時にAAとかAOとかあることを考えるともうちょっと多くはなるんですけど、まあA、B、Oの組み合わせによって生まれるものですね」
●そうですよね。さあどれくらいあるんでしょうか。
では、篠原さん答えをお願いします。
「正解は3兆種類です」
●すごいですよね。そんなに多いんですか!?
「もともとは8種類なんですけど、8種類を組み合わせた結果、3兆種類になるぐらい多様な血液型があります。ただ3兆あると、なかなか輸血が大変だろうなと思うんですけど、その中でも人間でいうO型のように、どの血液型にも輸血しやすい血液型の馬がいたりとか・・・3兆種類って言うよりは、組み合わせが3兆種類あるって感じですね」
●3兆ってすごい数ですよね。では続いての問題にいきましょう。
問題! ゴリラは美味しいご飯を食べると何をするでしょうか?
ヒントは人間も気分がいいと、やることもありますよね?
「そうですね。でも人間でやっている人がいたら、だいぶご機嫌な感じですよね」
●そうですよね(笑)。みなさん分かりますでしょうか。ゴリラは美味しいご飯を食べると何をするでしょうか。
では、篠原さん、答えをお願いします。
「正解は、鼻歌を歌う」
●これ面白いですよね。動物園でゴリラは鼻歌を歌っていますか?
「この鼻歌を歌うのは、野生の中で研究しているチームが発見したので、動物園のゴリラもするかはまだ分からないんですけど、普通のご飯より、さらに美味しいご飯を食べている時に歌の量が違ったりとか、より美味しいご飯で、その食事に満足する時には鼻歌を歌うようですね」
●ご機嫌でいいですね。可愛いですね。
(編集部注:ほかにも歌うとされている生き物として、南米のアンデス山脈に生息するネズミの仲間「デグー」がいると教えていただきました。群れの仲間たちといろいろな鳴き声を使ってコミュニケーションをとるそうで、まるで歌うように鳴くことから「アンデスの歌うネズミ」といわれているそうですよ)

アデリーペンギンのプロポーズ!?
※きょうは篠原さんの新しい本『よし、わかった! いきものミステリークイズ』をもとにお話をうかがっています。
●では、続いて「水族館クイズ」にいきたいと思います。
問題! アデリーペンギンのオスはプロポーズの時、何をプレゼントする?
食べるものとかですかね?
「プロポーズの時に物をプレゼントする婚姻贈呈っていう行為は、昆虫を含めいろんな動物に見られはするんです。アデリーペンギンは異質なんですが、人間からしたら結構、納得がいくかなっていう感じがしますね」
●人間がプロポーズの時にもらって嬉しいのは指輪とかですよね。
では、篠原さん答えをお願いします!
「正解は石です」
●石! ちょっとダイヤモンドに通ずるというか・・・。
「そうですよね。石の種類でいうと、本当に石ころっぽい見た目の石ではあるんです。鳥の中では巣を作って、その巣ごとプレゼントするというか、巣を作った状態でプロポーズするような鳥も多いんですね。このペンギンが石で巣を作るので、その巣の材料の一部ということで石なんじゃないかなと・・・」
●一緒にこの巣を守っていこうみたいな・・・?
「実際にその石の良し悪しで(婚姻が決まります)。このペンギンってすごく一夫一妻制が強いというか、つがいになる意識が強い鳥なので、何年にも渡って同じつがいで集合していたりとか、一生一緒にいるからこそ、その可能性が高いからこそ、えり好みじゃないですけど、相手を入念に選ぶ鳥ですね。その石を受け取ってくれたら婚姻成立、つがいになるっていうふうになっています」
●では、次は「おうちのいきものクイズ」から。
問題! 次のうち遺伝的に最もオオカミに近い犬の種類は何でしょう?
① 柴犬 ② シベリアンハスキー ③ ラブラドールレトリバー
オオカミに近い大きさとか見た目からいうと、シベリアンハスキーかな・・・。
「そうですね。かなりオオカミっぽい印象で、子供の時、私もシベリアンハスキーが散歩しているのを見て、オオカミを飼っている人がいるなと思ったんですけど」
●そうですよね。では、篠原さん答えをお願いします!
「正解は柴犬です」
●柴犬がオオカミに近いんですか?
「かなり近いですね。柴犬に限らず日本犬って意外とオオカミに近いですね」
●どのあたりが?
「遺伝的な部分ですね。どこから分岐したか、オオカミからいちばん近い親戚というか。犬の種類というか品種なんですけど、オオカミから距離感的に近いのが柴犬ですね。他にも近いものでいうとチャウチャウとか。シベリアンハスキーやレトリバーもそんなに遠いわけではないんですけど、意外とシーズーのような小っちゃい犬とかが近かったりとか。見た目ではなく、柴犬はかなり上位で、オオカミに近いとされていますね」

カモノハシに会いたい!
※今いちばん興味のある生き物はなんですか?
「ずっといちばん大好きなのはドブネズミ。やっぱり好きですね」
●ドブネズミのどのあたりがお好きなんですか?
「街にいるドブネズミは、可愛くても触ったりしては、さすがに衛生上よろしくないんですけど、子猫と子犬の中間のような性格と言われていて、非常に懐っこいんですよね。
ドイツの研究で、研究者たちとネズミがかくれんぼするっていう研究があって、かくれんぼのルールを覚えて、人に見つからないように隠れてたりとか、人を見つけると笑い声をあげたりとか、そういうお茶目なところがあって、一緒に暮らせば暮らすほど、愛おしくなってくる動物ですね」
●一緒に暮らしていたわけですよね。
「はい。またいつか一緒に暮らしたいなと思うんですけど、あまりにも可愛すぎて、あんな可愛い動物が、寿命2年でいいわけがないと思って、いつも納得できない気持ちになっちゃうんですよ」
●そうなんですね。篠原さんからすごく生き物愛が伝わってきます。コロナ禍ではありますけれども、自由に旅に行けるようになったら、今後どんな生き物を見たいですか?
「そうですね。私、東南アジアや南米にはよく行っていたんですけど、生き物を好きって言いながら、まだオーストラリアやニュージーランドには行ったことがなくて、有袋類の仲間をまとめて見たいなと思いますね。あとはいちばん見たいのはカモノハシですね」
●カモノハシ?
「有袋類でも、カンガルーやコアラは日本国内でも見ることができるんですけど、カモノハシは、あまりにも魅力的な存在でありながら、日本国内で見ることができません。現地に行かないと見ることができないので、現地に行かないと見られない生き物として、やっぱりいちばん見たいのが、今はカモノハシですかね」
●どんなところが魅力的なんですか?
「見た目のとっぴさというか、哺乳類なので、哺乳類のずんぐりした体と、くちばしと水掻きと、卵を産むっていう生態と、最近、紫外線ライトを当てると発光することが分かったりとか。
全体的に何ひとつ確かなキャラクターをつかめていない不思議なばかりの動物なので、実際会って見た時に私は好きになるなって確信はあるんですけど、より好きになるために会いに行きたいなと」
(編集部注:先ほどドブネズミが大好きというお話がありましたが、ペット用として品種改良されたネズミで、ファンシーラットとも呼ばれています。街中で見かけるドブネズミは感染症の危険がありますので、絶対に触らないでくださいね)
生き物から学んだこと
※篠原さんは慶應義塾大学SFC研究所の上席所員でいらっしゃいますが、どんな研究をされているんですか?
「慶応大学のSFC研究所の所員として携わった研究としては、餌のタンパク質の量がどんな影響を与えるのかっていう研究があって、その中で昨年、昆虫食の論文を出しました」
●私の立教大学のゼミの教授が昆虫食を研究していたんですけど、ゼミの最中に昆虫食を何度も食べさせられたんです(笑)。この番組にもゲストで出てもらったんですが、昆虫食のどんなところを研究されているんです。
「昆虫食の中でもいろんな昆虫がいる中で、私は蜂の子の粉末をマウスに与えて、その影響を見るっていうことをしていたんですね。論文としては、まず害がないこと、蜂の子が有害な作用をもたらさないことの確認と、あとは他のタンパク質にはない、いい部分がないかっていうのでは、筋肉を発達させる、活性化させる遺伝子が活発になっていることが確認できたという論文をあげていますね」
●改めて、生き物を見ていて、篠原さんはどんなことを感じますか?
「本当に色んな生き物がいすぎて、とにかくルールはないんだなとか。今残った生き物はいい部分があって、武器があるから残ってきたんだって思っていたんですけど、そうじゃなくて、結構ランダムに残るんだなっていうのを最近、学びを深める中で実感していますね。
そこから分かることって、どんなふうに生きてもいいし、必ずしも合理的なばかりが進化ではないし、自分も他人の生き方も必ずしも合理的な結果をもたらすわけではないから、あらゆることが、これだけ色んな生き物がいて、色んな結果になっているのは、自分の人生においても、何が起きても仕方ないなっていう諦めと安心感の中間のような気持ちを持ちましたね」
※この他の篠原かをりさんのトークもご覧下さい。
INFORMATION
篠原さんの新しい本をぜひチェックしてください。「動物園クイズ」「水族館クイズ」「昆虫館クイズ」そして「おうちのいきものクイズ」の4つのジャンルから、生き物の生態や不思議を学べる内容になっています。子供向けではありますが、大人が読んでも、知らないことがたくさんあって、楽しめました。おすすめです!
文藝春秋から絶賛発売中です。詳しくは出版社のサイトをご覧ください。
2022/4/10 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、静岡大学大学院の教授で植物学者の「稲垣栄洋(いながき・ひでひろ)」さんです。
稲垣さんは1968年、静岡県生まれ。岡山大学大学院から農林水産省、そして静岡県農林技術研究所などを経て、現在は、植物学者として活躍されています。
そんな稲垣さんの新しい本が『花と草の物語手帳〜105の花言葉とエピソード』。この本には「野で見かける草花」「植栽で見かける木・花」そして「お店で見かける花」の3つの章があり、身近な花にまつわる、ほっこりするようなエピソードを、とても綺麗なイラストとともに紹介しています。その中からいくつか稲垣さんに解説していただきましょう。
☆イラストレーション:miltata(小林達也)
タンポポは体操する!?

※まずは「野で見かける草花」の章から、タンポポ。タンポポは体操すると書かれていますが、これはどういうことなんですか?
「もしかすると植物って動かないっていうイメージがあるかもしれないんですけど、意外と動いているんですよね。時期によって動いたりとか、あるいは昼と夜で結構、葉っぱの位置が違ったりとかよくあるんですけど、タンポポは体操をするというふうに言われています。
何かと言いますと、タンポポって花が咲く時は上のほうに茎を伸ばして咲いていますよね。で、花が咲き終わったあと、茎が一回地べたに寝転ぶんですね。そんな動きをするんですけども、そのあと花が咲き終わるとタネができますよね。タネができると、綿毛が付いていますので飛ばすんですけど、タンポポは綿毛を飛ばすためにもう一度茎が立ち上がるんですね。
その時には、花が咲いていた時よりもさらに茎を伸ばして、高いところで綿毛を飛ばそうとします。だから一回立ち上がって咲いていたやつが横に寝そべって、それからもう一回立ち上がるっていうことが見られるんですね。そういう動きが体操していると表現されています」
●なるほど〜!
「その辺でタンポポをよく見ると、ひとつのタンポポの中でも、咲いているやつは立ち上がっていたりとか、咲き終わったやつが寝転んでいるとか。それから綿毛を飛ばしていたり、そういう様子も見ることができますので、ぜひタンポポを見てもらえるといいかなって思います」

●続いて、シロツメクサですけれども、四つ葉のクローバーは幸運のシンボルと言われていますよね。で、四つ葉はよく踏まれるところにあると、本に書かれていましたけれども・・・。
「そうですね。小尾さんは四つ葉のクローバーを探したりしたことは?」
●はい、小さい頃よく見つけに行きました!
「探しますよね。これ、見つけやすいところがあると言われています。それがどういうところかというと、人がよく通って踏まれているような場所とか、あるいは車が通ったりするような、タイヤに踏まれているような場所で、四つ葉のクローバーは見つかりやすいって言われているんですね」
●逆に踏まれていないところにあるのかと思っていました(笑)。
「そうですよね。踏まれていないところのほうがシロツメクサが元気なような、踏まれているところは、踏まれるのに耐えながら生えているっていう感じなんですけど、実は踏まれるところで見つかりやすいと言われています。
どうしてかというと、葉っぱのもとになる”原基”っていうところがあるんですけども、そこが踏まれることによって傷付いてしまうんですね。傷付くことによって、ひとつだったところがふたつに分かれたりするようになるんですね。もともとシロツメクサは三つ葉なんですけど、そうやってふたつに分かれることによって、四つ葉になると言われています。
シロツメクサの四つ葉が発生する原因はいくつかあるんですけども、そのうちのひとつは、そういうふうに葉っぱのもとになるところが傷付くことによって、四つ葉になります。ですから、人がよく通るところ、あるいは車が通るようなところで四つ葉が生まれやすいって言われていますね」
●そういうことで四つ葉が生まれてくるんですね。
「四つ葉のクローバーは幸運のシンボルと言われていますけど、幸せっていうのは踏まれて育つというか、踏まれながら幸せは、もしかしたら育っていくのかもしれないっていうのを、クローバーは教えてくれているのかもしれないですね」
(編集部より:日本でいちばん長い植物の名前を知っていますか? その名前は「リュウグウノ オトヒメノ モトユイノ キリハズシ」。これは浅い海に生えるアマモの別名なんです。どうしてこういう別名になったのか、少し説明しておくと・・・「龍宮の乙姫」はわかりますよね。「元結(もとゆい)」とは髪を束ねる紐(ひも)のことで、乙姫さまの髪を結っていた紐が流れてきて、アマモになったという伝説からそう呼ばれるようになったとか。
ちなみに、いちばん短い植物の名前は「イ」。この一文字だとわかりづらいので、一般的には「イグサ」と呼ばれています。また、樹木では「エ」という名前がありますが、これだけだと不便なので「エノキ」と呼ぶようになったそうですよ)
アヤメ、カキツバタ、ハナショウブの見分け方

※続いて「植栽で見かける木・花」の章からお話をうかがいましょう。これから初夏にかけて見られる「アヤメ」、この「アヤメ」と「カキツバタ」そして「ハナショウブ」はよく似ていますよね。何か見分けるポイントはありますか?
「”いずれアヤメかカキツバタ“みたいな言葉もあるくらい、よく似ているものなんですけど、もともとは違う植物っていうか、生えている場所が違うんですね」
●生息地が違うんですね?
「カキツバタは水が溜まるところに生えているんですけど、ハナショウブは水が溜まるところよりは、少し湿った湿原のようなところに生えます。アヤメはむしろ水はけのいい場所、草原なんかに生えているのがアヤメなので、もともと生えている場所は全然違うんですよね。
菖蒲園なんかでは水が入っているほうが涼しげに見えるので、カキツバタもハナショウブもアヤメも、水を溜めたところに植えられているのが多いんですけど、もともと野生の生息地は違うんですね。
色んな品種がありますので、なかなか見分け方が難しいところではあるんですけども、下の花びらに注目をしてもらうと分かりやすいかなって思います。下の花びらに少し模様があるんですね。
何かというと、花は昆虫を呼び寄せるために咲きますよね。なので(花には)昆虫にここに蜜がありますよっていう目印があります。ネクターガイドって言うんですけど、虫たちへの看板っていうか合図ですね。そのネクターガイドの色が少し違うんですね。
カキツバタの場合は花びらの模様が白、ハナショウブは黄色、色が違いますね。それからアヤメの場合は網目のような模様になっていますので、下の花びらに注目してもらうと、カキツバタとハナショウブとアヤメを見分けやすいかなって思います」
赤いスイートピーは歌が先!?
※自然界には黄色や白い花が多いような気がしますが、どうしてなんですか?
「黄色とか白い花って多いですよね。特に春は黄色いタンポポとか菜の花とか、黄色が多いかなっていうイメージがありますけれども、植物の花の色には必ず意味があります。花は昆虫を呼び寄せるためのものですよね。で、黄色に好んで来る虫がいて、それがアブの仲間なんですね。花にやってくるアブの仲間なんですけど、それはすごく黄色を好んでいます。
これはどっちが先か分からなくて、黄色い花が多いからアブが黄色を好むようになったのか、アブがもともと黄色が好きだから、植物が黄色になったのかは分からないんですけど、とにかく黄色い花にアブがやってきやすいっていう特徴があります。
春は結構、気温が低い時がありますよね。本当はハチが花粉を運んでくれるのがいちばんいいんですけど、ハチはもう少し暖かくなってこないと、なかなか活動ができないですよね。
アブはすごく気温が低くても活動ができるので、春になってきたかなと思って、最初に活動を始めるのはアブですね。なので、アブが活動している春に黄色い花が多いっていう意味もあります。それから黄色い色素は、実は色んな役割を持っていたりするので、植物にとって使いやすいですね。
それから白。白の植物は実は色素がないんですよ。白い色素っていうのがないので、白い花は色素を全く持っていない。そうすると透明になっちゃうんじゃないのって思うかもしれないですけど、光は乱反射をするんですよね。牛乳なんかが白いのと同じ原理なんですけど、光が反射すると白く見えるので、色素が全くないと花は白くなるんです。
色素がない白が目立つのってどういう時かなっていうと、夏になってきてすごく緑が深くなってくると、白は目立ちやすいですよね、暗いところで。だからこれからだんだん夏になってきて緑が濃くなっていくと、白い花が増えてくるという特徴があります」
●色でいうと、「お店で見かける花」の章で「赤いスイートピーは歌が先」と書かれていました。「赤いスイートピー」ってあの松田聖子さんの歌ですよね?

「そうですね。『赤いスイートピー』っていう歌が昔、流行ったんですけども、実際には赤いスイートピーはなかったんですね。歌は赤いスイートピーというイメージで作られたと思うんですけれども、植物の花の色というのは黄色とか白とか紫、もちろん自然界では決まっているんです。人間はやっぱり色んな色があったほうが花屋さんなんかが華やかになるので、品種改良して色んな花を作っているんですよね。
スイートピーというのはもともと豆の仲間なんですね。スイートピーのピーは、あのグリーンピースのピーと同じなので、エンドウとは仲間が違うんですけど、同じ豆です。よく花が似ているっていうことで、スイートピーはグリンピースのピーと同じピーが付けられているんですけど、豆の仲間はレンゲソウとかもそうなんですけど、ちょっと紫色みたいなのがもともとの色なんですね。
それは何故かというと、ミツバチの仲間を呼び寄せるための色なんです。なのでスイートピーももともとの野生の色は紫ですね。そこからいろいろ品種改良していったんですけど、赤はなかったんですよ。
だけれども、松田聖子さんの歌があれだけ流行ると、スイートピーと言えば赤! みたいなイメージになりますよね。なので、研究者とか育種をする人が一生懸命、品種改良に品種改良を重ねて、何とか皆さんのイメージに合うような赤い品種を作っていたんですね。だから歌がいちばん最初で、それに合わせて、頑張って品種改良をしていったのがスイートピーですね」
(編集部より:来月5月8日は「母の日」。「母の日」の花といえば、カーネーションが有名ですが、その名前の由来をご存知ですか? 語源は諸説ありますが、ラテン語で「肉」を意味する「カーン」に由来するとも言われています。花の色が肉の色に似ているからだそうですよ。この「カーン」はカーニバル=謝肉祭の語源にもなったとか。
ちなみに、カーネーションはアメリカの花だというジョークもあります。カー・ネーション、つまり「車の国」だと・・・苦笑)
雑草は強くない!?
※稲垣さんは「みちくさ研究家」でもあるそうです。そう名乗るのは、道に生えている草が好きだからですか?

「私、植物の中では雑草というか道に生えている草が一番好きで、よく道草をそれこそ食いながら歩いているっていうのと、それから自分の人生を考えてみると決して真っ直ぐではなくて、あっち行ったりこっち行ったりしながら、歩いてきたなと思って、”みちくさ研究家”を自分で名乗っています」
●雑草ってすごくたくましいなっていうイメージもあるんですけれども、専門家の稲垣さんからみると、雑草ってどんなイメージですか? 強いイメージですか?
「そうですね。これは私が言っていることではなくて、植物学の教科書を見ると、雑草は強くないって書いてあるんですよ。むしろ雑草は弱い植物であると、植物学の教科書に書いてあるんですよ」
●あら! 真逆のイメージでした。
「そうですよね。雑草ってやっぱり強かったり、たくましいイメージがありますよね。それなのに雑草が弱いってどういうことかなって思うと、雑草は実は競争に弱いんですね。植物にとっては、やっぱり光を少しでも高いところまでいって浴びたりする、そういう競争がすごく大事なんですけど、実は雑草は競争には弱いんですね。
では、どうしているかというと、雑草というのはほかの植物が、つまり強い植物が生えることができないような場所に生えているわけです。ほかの強い植物が生えない場所ってどういうところかなっていうと、踏まれる場所とか草取りされる場所。そういうところには、強い大きな植物って生えることができないですよね。そういうところに競争から逃れて、生えているような植物が実は雑草なんですね。
ただし、何が強くて何が弱いのかなっていうことになると思うんですけど、やっぱり私たちの周りで見る雑草は強く見えますよね。で、何に強いかっていうと、雑草は環境の変化に対して強い、変化を乗り越える力がすごく強いと言われています。ですから、強い弱いって言うけど、実際には色んな強さがあったりして、変化を乗り越える強さで成功している植物が雑草っていうことになりますね」
ナンバーワンでオンリーワン
※稲垣さんは、あるインタビュー記事の中で「生物の世界ではナンバーワンにならないと生き残れない」とおっしゃっていました。これはどういうことなのか、教えていただけますか。
「これは本当に、高校の生物の教科書にも載っているようなことなんですけども、実は基本的に自然界はすごく競争が激しいんですよね。弱肉強食っていうか適者生存というか、強い者が生き残り、そして弱い者が滅んでいくっていう激しい生存競争が行なわれているんですね。どれぐらい激しいかというと、勝ったほうが生き残り、負けたほうが滅んでいく、しかもナンバーワンじゃないと生き残れないっていう世界なんですね」
●かなり厳しいですね。
「厳しいです。もう2位じゃだめなんです。2位じゃだめなんですかって言っていた人が昔いましたけれど(笑)、自然界では2位じゃだめなんです。人間の世界だったら2位でも銀メダルとか、十分讃えられるべきことだと思うんですけど、生物の世界では2位じゃだめで、ナンバーワンじゃないと生き残れないですね。すごく厳しいんです。
でも、そうすると世界でたった1個の1種類の生物しか生き残れないってことになりますよね。だけど、私たちの身の周りにはたくさんの生物がいて、たくさんの植物がいますよね。実はすべての生物がナンバーワンなんですね。すべての生物が競争を勝ち抜いたナンバーワン。
これどういうことかっていうと、実はナンバーワンになる方法ってたくさんあるんですよね。例えばこの環境とかこの季節とか、どんな形でもいいから、そこでナンバーワンになることが大事なんですね。
そのナンバーワンになる方法がたくさんあって、すべての生物がナンバーワンを分け合っているんです。分かりますか? つまりナンバーワンになれる場所はオンリーワンなんですね。そのオンリーワンの場所ではナンバーワン、隣の生物はまた別の環境、別の条件でナンバーワンっていう、すべての生物がナンバーワンになっているんですね」
●へぇ〜素晴らしいですね!
「そうやってナンバーワンを分け合うことによって、この多様性と呼ばれる世界が創られているってことになりますね」
●なんか人の生きかたににも通じる感じがしますね。
「そうですね。私たちは限られた条件で、例えば学校の成績が〜とか、売上が〜とか、数字の単純な物差しで順位を付けてしまうんですけど、実はナンバーワンになる方法はいっぱいあって、みんながナンバーワンになれる世界は創れるんだって、生物は教えてくれているのかなって思います」
雑草の生き方
※雑草が大好きだとおっしゃる稲垣さんは、こんな見方もされています。
「雑草はすごいなって思うことがひとつあって、それは雑草ってものすごく変化をするんですけど、変化しないものってあるんですよね。小尾さんは、雑草は踏まれても踏まれても立ち上がる、みたいなことを聞いたことはありますか?」
●はい、雑草魂! みたいな・・・。
「雑草魂! 踏まれても立ち上がるんだ!って、あれ結構、間違いです(笑)」
●そうなんですか!?
「雑草は踏まれるところで見てると、そんなに立ち上がらないんですよね。踏まれているところを見ていただければわかるんですけど・・・。じゃあなんで立ち上がれないのかな、なんか情けないなって思うかもしれないんですけど、そうじゃなくて、雑草にとっていちばん大事なことってなんですか? 雑草、植物にとっていちばん大事なことは、花を咲かせてタネを残すことじゃないですか。だから、踏まれても踏まれても立ち上がるって、結構ムダな努力なんですよね」
●確かにそうですね。
「それよりも、踏まれながらどうやって花を咲かせようか、踏まれながらどうやってタネを残そうかって考えるほうが正しいじゃないですか。なので、雑草は踏まれるところでは立ち上がる努力はしないで、踏まれながら花を咲かせることに力を注ぐんですよ。
雑草はすごく変化をするって言ったんですけど、実はタネを残すことが最優先っていうところは、絶対ぶれないっていうか、どんな雑草もそこは絶対大事にしている、最大限の力でタネを残すんですよね。
大切なことは見失わないっていうのは、実は雑草の生き方で、そういう雑草の生き方をみるとすごく楽しいなっていうふうに思いますね」
●春本番を迎えて、色んなお花が咲いてきていますけれども、こんな視点で花や植物を見るといいよ、面白いよっていうヒントがあれば教えてください。
「意外と身近なところに植物ってあると思いますので、身近な植物を探してほしいなって思います。東京とか大阪とか都会に住んでいるので、周りに緑はないです、雑草はないですっていうかたがいらっしゃるんですけど、よく探してみると必ず雑草があったり、植物が花を咲かせたりしますので、そういう自然が少ないところこそ、例えば自然の花を探してみると面白いなって思います。
お勧めなのが定点観測っていうんですけど、同じ場所を見るってことですね。例えば会社に行く通勤路の途中でもいいし、スーパーに買い物に行く途中でもいいんですけど、ここに花が咲いているな〜とか、ここに雑草が生えているな〜って見つけたら、同じ場所をずっと見ていくっていうのがお勧めですね。
そうすると季節によって変化していったりとか、あるいは同じ春でも、今年の春と来年の春では実は様子が変わっていくんですよね。それは、同じ場所をずっと見ているとすごく分かることなので、どっかお気に入りの場所を決めて、そこの植物を観察していくと面白いんじゃないかなと思います」
INFORMATION
この本には「野で見かける草花」「植栽で見かける木・花」そして「お店で見かける花」の3つの章があります。きょうご紹介できたのはほんの少しで、誰かに話したくなる花にまつわるエピソードが満載ですよ! とても綺麗なイラストを見ているだけでも心が和むと思います。ぜひご覧ください。大和書房から絶賛発売中です。詳しくは出版社のサイトをご覧ください。
2022/4/3 UP!
1992年4月に始まったこの番組「ザ・フリントストーン」が丸30年を迎え、今回の放送から31年目に突入! そして、新年度に入った4月最初の放送ということで、改めて番組名についてご説明しましょう。
「フリントストーン」は「火打石」という意味がありますが、実は1960年代に日本のテレビでも放映されたアメリカのアニメーション「原始家族フリントストーン」(原題 THE FLINTSTONES)にもあやかっているんです。
原始時代は人間が自然を壊さず、ともに生きていた、いわば「共生」していた時代ということで、今もそうあって欲しい、という願いが込められています。そんな思いを多くのかたと共有できたらいいなと思っています。
今週は30周年記念!ということで、記念すべき第1回目のゲスト、冒険ライダー、そしてNPO法人「地球元気村」の大村長、風間深志さんをお迎えします。いつも元気でガハハハと笑う風間さんはこの番組のシンボル的な存在なんです。
風間さんは1950年生まれ、山梨市出身。1982年に日本人として初めて「パリ・ダカールラリー」に参戦、さらに、バイクによる史上初の北極点と南極点に到達など、数々の大冒険に挑戦されています。
そんな風間さんが1988年に仲間と設立したのが「地球元気村」で「人と自然が調和している社会」の実現を目指して作られたプロジェクトです。
「地球元気村」といっても特定の場所があるわけではなく、全国各地の、豊かな自然が残る市町村と連携し、いろいろな分野で活躍されているかたを講師に迎え、自然体験型のイベントを開催しています。
きょうは、人も地球も元気になる活動と、専用キャンプ場のお話などうかがいます。
☆写真協力:NPO法人 地球元気村

番組は30周年! 地球元気村は34年!
●今回は、この番組の記念すべき第1回目のゲスト、冒険ライダーそして地球元気村の大村長、風間深志さんをお迎えしています。よろしくお願いします。
「いい声だね〜、渚沙ちゃんは!」
●ありがとうございます!
「はい! よろしくお願いいたします。今、簡単に言ったけど、第1回って30年以上前なんだよ!」
●そうです! そうなんです! この番組が放送開始から30周年を迎えて、今回の放送から31年目に突入します。そして風間さんには毎年4月の第1週目にご出演いただいていて、30年以上のお付き合いということで、ありがとうございます!
「そうだね! そこを強く言ってもらわないとね!(笑)」
●そうですね。
「よく生きてたもんだよ、30年もね。普通は、お亡くなりになっているよ(笑)」
●いやぁ〜(苦笑)。風間さんが、仲間と共に創られたNPO法人「地球元気村」が1988年の創立ですから、今年で34年ですか?
「34年ね! 無駄に年が経過しましたけど、本当はもっともっと社会にお役に立ちたい活動でいるつもりだったんだけどね。とにかく実績は年だね」
●すごいことですよ〜。
「34年経ったことだけは、もう大きな足跡っていうかね」

●そうですね。やっぱり自然の中で遊んで学ぶことが、大事ってことですよね?
「そうだね。だって古来、人間っていうのは自然の中で育ち、自然に育まれ、その自然との対話が大事なのに、いまはあまりにも様々快適な空間を演出し、それを追い求めているから、自然体験がそもそも少なくなっちゃうんだよね。
子供は特に自然と触れ合うのが好きだし、都会の真っ只中に生まれて、何も知らない子供が山に行って川に行っても、虫とか動物とか鳥とか大好きなんだよね! なぜだと思う? 教えていないのに。
これはやっぱり人間本来のDNAがちゃんと備わっていて、自然の中でたくましく生きていくためには、そういう経験とか体験とかが必要だから、自然にそこを吸収しようって子供は思っているわけ。
だけど、見える景色が全部、高い高層ビルから街を見て、眺めて、その子はどうやって育っていくの? 難しいよね。だから自然体験はすごく僕は大事だと思って、みんなに伝えようとしているんだけど、なかなか成果があがらないね(苦笑)」
●そんな〜、だってもう34年ですから、見事なことですよ〜。
「もう何十万人ってかたが、元気村のワークショップなんかを経験して、それが社会に何気に役立っているかも知れない。それは思いながらも、僕が昔、思い描いた人間社会のライフスタイルがそんなに大きくは変わっていないところをみると、お前、何にも出来ていないな〜って、自戒の念に浸るんですよ」

自然との対話
※「地球元気村」はこれまで多くの都会生活者を自然のフィールドにいざなってきましたが、改めて、どんな思いがあったのかをお話しいただきました。
「人も自然も共に永遠な元気、健康であるために、私たちが自然っていうものを考えていくためのコミュニティ、村ってことはコミュニティ、社会を意味するんですよ。社会全体がそういった思考の方向性にいったら、もっと素晴らしくなるんじゃないかなって。
僕が”地球元気村”っていう呼び名を使って30何年間、この先何年あるかわからないけど、これが終わって50年経った先も、”地球元気村”っていう名前はないかも知れないけど、同じテーマを人間は持ち続けるんだと思うんだよね。
つまり普遍的に自然の中で、この宇宙の中で、営み続け生きていくんですね。それはやっぱり自然との対話なんだよね。人間は人間を食わしてくれない。人間は何か勇気を与えたり、お互い慰めあってスクラムを組んで頑張っていこうっていう、まあ運命共同体。その運命共同体が向き合っていくのは自然そのもののシステム。その中でどうやって生きていくのがいちばん最善なのか、最良なのかっていうことをやっぱり考えようよっていう(地球元気村の)活動なんだよね」
●今までで、全国何か所くらいで地球元気村を開催して来たんですか?
「大体110の市町村が、今まではやってくれました。元気村っていうイベントですね。そういったテーマを持ったイベントを開催してくれて、その土地や近隣の人たちが集まって、川に山に空に、あらゆる方法でそこに触れる。
それで本当の夜の闇とか、本当の冬の寒さとか、夏の水の素晴らしさとか、そういったものを体験して自然っていいなって感動して、それで自然ファンを作っているんだよね」
●具体的にどんなことをやっているんですか?
「いや〜ありすぎて・・・燻製を作ったり、釣りもするしね、絵も描くし、ハーモニカも吹くし、カヌーも乗るし、あるいは空も飛ぶし、自転車も乗るし、言ってみれば、いろんなアウトドア・アクティビティをやっているんだけれど、本当はそうばっかりじゃなくてね。
例えば、村祭りに行って奉納する神楽の舞を見たりとか、あるいは歴史や文化、そういう郷土芸能なんかにも触れるってことは、人間がどうやってその地域に密着して生きてきたか。その逞しい知恵とか、踊りから垣間見たり、あるいは絵画や彫刻から省みたり。文芸とかを学ぶことも地球元気村のカテゴリーだよね。
僕は今までアウトドアの普及係みたいだなって思ったぐらい、やっぱりみんなが好きなのは外で遊ぶことだったんだよね。もちろん遊びを通じて自然を知ろう、自然に親しみを感じようっていうテーマだったからいいんだけど、もう少し今言ったような、そういったことにも目を向けてもらいたい、そういうのがあるね」
地球元気村キャンプ場
※去年4月に番組に出ていただいた時に、「地球元気村」のキャンプ場を作るというお話をされていましたが・・・?
「よく覚えているねー」
●はい! あははは(笑)
「あのね、山中湖に村営キャンプ場っていう大きなキャンプ場があるんですよ。湖畔にね。それを地球元気村がその事業を受け継いで、キャンプ場経営をします。
経営っていうか、そこを我々のフィールドにして、色んなことを体験して学び、自然を詠おうよという。
まだ名前が・・・いま愛称を決めている最中で、元山中湖村営キャンプ場、これが地球元気村キャンプ場に生まれ変わります」

●どんなキャンプ場にしたいですか?
「やっぱりね〜そうだね〜、いいキャンプ場にしたいね(笑)。いいキャンプ場って何かっていうと、いま“グランピング”っていう言葉があるように、快適で自然が豊富でロケーションがいいとかって、そういうことになるけど。
もちろんそういうことは完全にひとつ基本をマスターした上で、広々としたキャンプサイト、自然がいっぱいあるキャンプサイト、それで素晴らしい眺望、景観が臨めるキャンプ場。それに、テーマを持って来るのが地球元気村だから(地球元気村のキャンプ場は)それだけじゃ駄目なんだ。
元気村だからこそ、お年寄りもここのキャンプ場に行ったら、例えばアンチエイジングについて学べたよとかね。体験が出来て、なんだか本当に元気になったみたいだなとかね。あるいは障害を持つ子供たちにも自然を体験してもらいたいってことで、そういった子供たちに対するキャンプ、野外体験のチャンス、こういったものを創出していきたい。福祉関係もそうだしね。例えばキャンプをやるってことは、焚き火を眺めながら、みんな何を思う?」
●うう〜ん。
「この火ってやっぱり人間本来のひとつの姿だよな〜。これがひとつの科学の始まりだったんだよな〜。そしてこうやって、いま自分たちは生きているけども、俺の人生って何だろうって、ちょっと物思いにふけったりするんですよ、キャンプっていうのは。
そういう日常を離れたところにぐっと日常を垣間見ることがよくできるのね。そういった意味では非常にカルチャーショック、一種のカルチャーショックに陥ったりする。その思考性をキャンプっていうのはすごく深めることが出来るんですよ。
自分の人生を客観視したり、家族をもう一回考えてみたり、職場を考えてみたりね。そういった良さがあるのがキャンプ場なんだね。
例えば、やっぱり元気村だから、文学について語ってみようじゃないかとかね(笑)。それを講師を招いてやってみたりとか。山中湖のキャンプ場、横に”三島由紀夫文学館”があって、”徳富蘇峰(とくとみ そほう)”って人の文学館なんかあるわけね。だから、文学をちょっと見てみたり、あるいは緑と自然の中で思いっきり深呼吸をして、酸素を入れて思考をクリーニングして、また明日に(日常に)戻っていくみたいな、なんかそういう色んなちょっと深みのあるキャンプ場にしていきたいと思っています。是非期待してもらいたいと思います」

(編集部注:実はキャンプ場はもう一箇所あります。山梨市にある「地球元気村」の「天空のはたけ」の一部に1日1グループのみ利用できるキャンプ・サイトがあるそうです。富士山が見える最高のロケーションだそうですよ)
C.W.ニコルさんとの出会い
※実はきょう4月3日は、作家で日本の自然保護にも尽力されたC.W.ニコルさんの命日なんです。この番組にも何度もご出演いただき、その存在と叡智に大きな影響を受けたと番組スタッフから聞いています。
●ニコルさんは地球元気村の特別講師としても活動されていたんですよね?
「最初っからやってもらって、肩の荷を一緒に背負ってよってことで、彼にもずーっとお世話になりました。彼という個性は北極探検の経験もあるし、アフリカのワイルドアニマルなんかのレンジャーとして従事したし、僕らの見識より広い広い見識を持って自然を眺めていたし。そんな中で人間はこうありたいとか、こうあったほうがいいんじゃないかっていうことを、よく知識として知っていたから、非常に色んなことを教わりました。僕は元気村をやるより以前に、彼と知り合ったんですよ」

●どこで知り合ったのですか?
「僕が北極に行ったのは1986年でした。(北極に行く前に)ラフォーレ原宿っていうビルでトークショーやったんです。トークショーの相手がC.W.ニコルだったわけ。
彼と対談して、彼は北極の経験がすでにあって、その北極に僕はバイクで乗り込んで極点まで行ってやろうなんてことを言って・・・その対談で、僕は北極へバイクで行きますっていう話をしたら、ニコルが”なんでバイクで行くんだ”って言うのね。”バイクじゃなくて、犬ぞりだろ!”。今だったらスノーモービルもあるし、バイクで行くことはないだろうっていう、単純にそういった疑問を僕に投げ掛けてくれました。
僕は”いや僕はバイクが好きなんだよ!“と。好きな物を眺めていると、それを使ってどこまでも行ってみたいという夢が広がっていくと。その夢の延長が北極点なんだ! だから(バイクで)行くんだ! って言ったら、普通の日本人は怒るんですよ、怒り出すんですよ。自分の許容範囲から外れるから、そんなのおかしいよって。理由として自然をけなしちゃいけないとか、知った風な口をだいたい叩くんだよ。ところがニコルはねそんなこと言わなかった。
自然が厳しい所に挑んでいくってことが、どれだけ勇猛果敢なトライであるかっていうことも知っているから、”よしそうか、おまえ頑張れよ”と彼は言ってくれたから、こいつはよく自然も知っているし、機械って物も知っているなと。だから最初から僕はいい人だなって懐きました。僕よりいくつか上でね。僕のほうがバイクが上手いけど、彼がすごいのは、僕よりたくさんビールが飲めるっていうことね(笑)」
●あははは(笑)。そんなニコルさんからどんな学びがありましたか?
「学びっていうか、いつもニュートラルで大らかですね。僕が地球元気村でなかなか苦戦しているのは知っていました。やっぱり自然の中では自然のことばっかり考えているわけじゃなくて、目先の利益を考えている人が多分に多いんですよね。そういった中でこういった思想を普及することは、ものすごく大変だってことはよく知っていて、”お前がやっていることは、お前に対する投資だよ”と。それはだから”当然苦しいだろうが頑張っているよ、お前は”と褒めてくれました。そういう意味では、褒めてもらったしね、色んな話で非常によく会ってはいましたね」
地球元気村をアジアへ
※いま「地球元気村」で進めているプロジェクトはありますか?

「まずね、畑(笑)。畑っていうのは、土そのものの環境を整えることによって、そこに種を蒔いたら、トマトにキュウリにナス、何でも上手く育つんだよね。土の環境をよくするってこと、つまり地球の環境を適正に持っていくってことが、良質な作物を生み出すってことになるわけだね。そういった観点で地球元気村は農業をやっています。
要するに土壌は生き物の塊、その生き物が存在し、土を作るってことが農業の始めだね。そういうことで農業体験もみんなに、命との触れ合いってことでやっているけどね。これから元気村をアジアに持って行きたいね。
これちょっと結構、前にも言っていたんですよ。そうやって大風呂敷広げてね。アジアにこの活動を持って行きたいって永遠のテーマですね。つまり日本人の、かつてのライフスタイルにもどんどん、むしろ追いついて、しかももう追い越してた国々もいっぱいあってね。アジアがやっぱりいちばん近い、近隣諸国の中でね。みんな人々が元気を求めながら生きているじゃない。そういったところにこういう永遠のテーマを持って行って、みんなで考えてみるのも面白いじゃないって思っています」
●では最後に風間さんにとって地球元気村とは?
「僕たちの笑顔と元気の源だね。要するに、地球元気村、これは地球を意味します。もう地球そのものだね。地球を愛し、また人も愛する人たちが住む星の、理想的コンテンツだね。地球元気村、これを眺めていれば元気になりますよ!」
※この他の風間深志さんのトークもご覧下さい。
INFORMATION

お話に出てきた山中湖キャンプ場のプレオープン記念イベントが決定!
開催は4月23日(土)。縄文大工の「雨宮国広」さんほかを迎えたトークショーや
ピアノ・ライヴも行なわれる予定です。
チケットの収益は全額、「雨宮」さんのプロジェクトの応援資金になります。
ぜひご参加ください。
「地球元気村」では随時村民を募集中です。
登録料はビジター村民で500円、個人村民で2,000円、家族村民6人までで3,000円。村民になると年4回、季刊誌「地球元気村」が届くほか、元気村イベントの参加費が割引になります。この機会に村民として登録しませんか。
◎地球元気村 HP:https://chikyugenkimura.jp
2022/3/27 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、台風研究の第一人者、横浜国立大学の教授で、気象学者の「筆保弘徳(ふでやす・ひろのり)」さんです。
筆保さんは1975年、岩手県生まれ、岡山県育ち。現在は横浜国立大学・教育学部・教授。専門は気象学。そして、気象予報士でもいらっしゃいます。
筆保さんがセンター長を務める「台風科学技術研究センター」は台風を専門に研究する機関で、海外ではアメリカや中国、フィリピンなどにはあるそうなんですが、実は日本では初めてなんです。このセンターには、台風観測、台風発電開発、地域防災など、全部で6つの研究ラボがあり、大変注目されています。
きょうは、台風を制御するという夢のような計画に挑む筆保さんに台風研究への思いや、台風のパワーを発電に利用しようという、壮大なお話などうかがいます。
☆写真協力:筆保弘徳、台風科学技術研究センター

台風研究、半世紀前の試み
※台風の研究をされているということですが、人間が台風をコントロールするなんて可能なんですか?
「コントロールというと、ちょっと語弊があるんですが、台風の勢力を少しでも弱めたいっていう目的のもとで、そういう研究を始めています。実際に我々が台風を制御したい、台風の制御をやると言ったのは、最初だったわけではなくて、筆保が突拍子もないことを言っているなっていうことではなくて、実は1960年頃に、アメリカがもうすでにやっています。
半世紀前に、アメリカなのでハリケーンになるんですけど、ハリケーンの制御を試みています。実際にプロジェクトも立ち上がって、約20年くらい続いて、ハリケーンをどうやったら制御ができるか、実際に記録上では4つのハリケーンに航空機で接近して、制御できるかという介入を少しやっています」
●具体的にどんな方法で台風を制御するんですか?
「どうやったら制御が出来るかっていうのは、考えなければいけないところなんですが、アメリカが半世紀前にやっていたのは、ドライアイスとかヨウ化銀っていう物質を航空機で近づいて撒く。で、撒いた後、台風の構造が少し変わることで、勢力が少し弱まるっていうやりかたです。ただ、その時の制御のやりかたもあまりよくなかったのか、いろいろ大きな壁があって、制御研究自体は中断しています」
●ではまだ叶ってはいないという段階なんですね。
「そうですね。半世紀前は。そして、その時できなかった理由がふたつあって、ひとつは半世紀前なので、台風の制御というよりも、台風がどういうメカニズムを持っているか、そもそもの現象として、台風をよく理解できていなかったっていうのが壁でした。
もうひとつは相手が台風という自然なので、例えば、台風になにか人為的な介入をして、台風の構造が変わったり、勢力が弱まったり、進路方向が変わったりしたとしても、それが人間が介入をしたせいなのか、何もしなくても変化したのか、分からないっていう大きな問題があります。
効果判定というんですけども、その効果判定とか、制御方法とか、そういうのが半世紀前にはしっかり分かっていなかったのが中断した原因です」
●それから半世紀たった今、さらにいろいろ進化していますよね?
「昔できなかったことが、いろいろできるようになりましたし、我々も台風がどういった現象なのか、発生や発達のメカニズムがよくわかるようになってきました。そして、その昔できなかったこととして、どうやったら制御できるかも大事なんですけども、効果判定が、まずできるようになったと。
スーパーコンピューターなどの新しい計算機技術が本当に発展したおかげで、台風を、より現実的にリアリスティックにシミュレートできるようになりました。で、シミュレーションコンピューターの中で作った台風に、人為的に介入した場合と、しなかった場合を比較することで、台風の効果判定がしっかりわかるようになったというわけです」
(編集部注:ここで台風発生の仕組みを、ごく簡単に説明しておきましょう。太陽の熱で温められた海水が水蒸気となり、渦を巻きながら上昇し、上昇気流が発生。そして上空に行った水蒸気は雲となり、その雲はやがて積乱雲となって、さらに発達し、台風になるとされています)
台風からエネルギーを奪う!?

※筆保さんがセンター長を務める「台風科学技術研究センター」の研究ラボの中に、「台風発電開発」というラボがありますが、これは台風で発電するっていうことですか?
「はい。実はそこは台風の制御研究と繋がるんです。まず台風はエネルギーの塊って言われているんですけども、大体どれくらいのエネルギーを持っているか分かりますか?」
●いやぁ〜ちょっと想像つかないですけど・・・。
「例えると、世界中で作るエネルギー、具体的にいうと何日分の電気をひとつの台風は作りだしていると思いますか?」
●何日分ですか〜、2日とか3日とか?
「お、いいですね。答えは、約30日分です」
●30日分!! え〜そんなにパワフルなんですね!
「すごくパワフルです。もし台風ひとつのエネルギーをまるまる使えたら、世界中の1ヶ月分のエネルギーになるというのを試算しました」
●すごいですね! 実際に台風の膨大なエネルギーを利用しよういうわけですか?
「利用したいと思ってはいます。制御をするってことは、その膨大なエネルギーを少しでも奪うっていうことで、奪うんであれば、ぜひ我々の、人類の活動に使いたいなっていう目的になります」
●どうやってそんなことができるんですか?
「これもまだ今、考えているところなんですけども、我々のチームのひとりが10年前くらいから提案していたものは、船を使って発電をすることです。
今よく話題になっているのは風力発電で、しかも洋上風力発電。海岸沿いの風が強いところの陸地に建てている風力発電用のプロペラを、海の上に建てればいいっていう話で発展しているんです。(船を使った発電は)それに近いんですが、風力を使うって言いながら、ちょっと違います。
台風が来た時に風力発電は、ものすごく風を受けるので、くるくるくるって回っているプロペラは実は止めたり畳んだりしています。風を強く受けすぎて回転が速くなればなるほど、遠心力などでプロペラが壊れてしまうので、実は台風が来ている時は風力発電をしないのが普通です。
我々の考えているのは、台風に船で近づいて、その船はヨットみたいな形で台風の風を受けて進む、推進力として進んで行くと。そして水中にあるスクリュー、プロペラを使って発電するっていうものになります。
強い風を受けてそれで発電するわけじゃなくて、船を動かすだけ、推進力を使うだけなので、船は動くと。動くことで前から来る海の流れを使って発電をすれば、常時、発電できるんじゃないか、というのを提案しているのが、うちのチームにはいます」
●へぇ〜〜!
「先ほど言った洋上風力発電に近いんですけれども、洋上風力発電は難しいところがいくつかあります。それは、作った電気を日本に持ってくるというか、送らなければいけないんですね。そうなると、海のほうからケーブルを引っ張って、電気を送るしかないんですが、すごくコストがかかるんですよ。
台風発電は、船で発電しながら船の中に電気を溜める。もうひとつ大変な送電も船でやることで、船がその電気を運ぶ。本当に必要な所に電気を運んで行けるのが、船を使う大きなプラスになるところです」
運命の台風、プレッシャーディップ!?
※筆保さんは、高校生の頃から気象や風に興味を持ち、岡山大学に進学後も気象研究室で活動していたそうです。そして大学4年生のときに恩師から、調査・研究のために一緒にチベット高原に行かないかと誘われ、すでに就職先が決まっていたそうですが、その場で「行きます!」と即断。
その後、大学院に進学するわけですけど、筆保さんの気象学人生はこのとき、決まったんですね。ちなみにチベットに行ったのは何年だったんですか?
「1998年なんですけど、『セヴン・イヤーズ・イン・チベット』っていう映画を小尾さんは知っていますか?」
●いや〜知りません・・・。
「ブラッド・ピットが主演の映画で、チベット高原で暮らすみたいな話なんですけれども、それをチベットの観測に行く前に僕は観ていて、もう気分はブラッド・ピット!」
●あははは(笑)
「で、チベットに行ったら、そこには本当に青い空があって、広大な自然があったんです。そして、大きな自然をなんとかつかまえてやろうという気象学者の先生方がいて、それを見て憧れて、僕は気象学者になりたいと思ったのが、大学院1年生でした」

●チベットでは具体的にどんな研究されたんですか?
「チベットでは、僕の師匠は空と地面の間がどうなっているかを研究する研究者でした。なので、僕もそれを手伝っていました」
●台風の制御をしようという発想はどこから・・・?
「台風の研究者になろうというのは、僕も周りも全然思っていなかったんです。チベット高原に降りて、観測したデータを解析しながら、自然の中で観測をしている、気象学者の中でも観測屋ってその頃、言われていたんですけれども、観測屋になりたいなって思って、気象測器を恩師から借りて、色んなところに持って行っては観測をしていたんです。
岡山県と鳥取県の間に、那岐山(なぎさん)という山があって、そこから南側の岡山方面に吹くおろし風『広戸風(ひろとかぜ)』という風があるんですけれども、その広戸風を観測したいと思っていました。
高校の時、気象に興味があるって言ったのは、その広戸風を偶然、たまたま父親の車に乗っていた時に出会い、気象が楽しくなったので、これは観測したいなって思って、恩師から気象測器を借りて観測をしていました。それが98年で、何回やっても上手くいかなかったんですね。広戸風は滅多に吹かなくて、台風が和歌山県を通る、決まったルートの時にしか広戸風は吹かないんですよ。
台風が日本に接近する度に、測器を持って山頂に上がっては、台風が全然思った方向に近づいてこなくて、観測失敗ばかりをしていたんですが、僕にとっては運命の台風、98年の台風10号が10月16日から17日にやって来たんですよ。
その台風で広戸風が吹くかもしれないと思って、測器を設置していたら、和歌山のほうに行かずに、逆に我々が観測していた那岐山のほうにやって来たんですね。和歌山に直撃して大きな被害が出たんですけども、測器は無事でした。
気象測器の観測データを見ると、台風の内部の珍しい現象を観測していて、これは面白いと思って、台風の研究を始めました。だから本当に偶然というか、たまたまというか、それが台風の研究の始まりです」
●それで今に至るわけなんですね。
「そうですね。あの時は台風の制御をしたいとか、そういうんじゃなくて、単純にたまたま、出会い頭だけれども、台風がやってきて観測した”プレッシャーディップ”っていう現象、それが何なのかを調べたいっていう、その知的好奇心だけでやっていました」
(編集部注:「広戸風」は那岐山の南側にある狭い範囲に吹く局地的な強風のことで、風速50メートルを超えることもあるそうです。筆保さんが1998年に観測に成功した現象「プレッシャーディップ」は台風に伴って発生する、気圧が突然、急降下する珍しい現象だそうです)

台風は生き続けられる!?
※温暖化によって、年々、台風が大きくなっているように感じているかたも多いかもしれませんが、巨大化しているか、どうかは、まだ研究中だそうです。ただ、本来なら、台風は北上して日本に近づいてくると、日本近海の海面の水温が低いことなどから、勢力は弱まるそうなんですが、最近は弱まらずに北上してくる傾向にあるとのことです。ちなみに台風の平均寿命はどれくらいなんでしょうか?
「それもすごくいい質問で、気象庁が発表している平均は5日間なんですが、台風の寿命には実は定義があります。熱帯で発生する低気圧の渦があって、それが弱かったらまだ台風ではなく、最大風速17メートル超えた瞬間に台風ですよと定義をしています。
その逆で今度は台風の渦が弱まっていったら、台風ではなくなりましたよっていうこの期間を台風の寿命としています。でも、現象としては実は風速17メートルなる前から渦はあるんです」
●なるほど。
「だから、実は台風の寿命は5日間の平均よりももっと長いです。10日以上あると思います」
●そうだったんですね。
「はい。なので実は僕は、台風がほかの自然現象に比べて、非常にサイズにしては長寿な渦巻きだと思っています。で、小尾さんが今すごくいい質問をしたと思っていたのは、先ほど台風のエネルギーは無茶苦茶あるって言ったじゃないですか。
人間が作り出す世界中のエネルギーの約1ヶ月分って言ったのは、そこの長寿がカギで、ほかの自然現象のエネルギーも見積もったんですけども、まあせいぜい1日いくかいかないかくらいなんですよね。だから台風は30倍もあって、すごいエネルギーを生み出す、空飛ぶ発電所みたいなものなんですね。
彼が、台風を彼っていうのも変ですが、彼がそんなにエネルギーを作り出せるのは長寿だからです。台風はエネルギーを自分でどんどん作り出して、10日くらい寿命があって、なんでそんな寿命を持っているかっていうと、自分でエネルギーを作り出せるからなんですね。
エネルギーを作っては放出をしているんだけれども、そのうちの一部は自分が次の瞬間にもう一回生きられるように自分にエネルギーを使っているんです。だから、台風はエネルギーをたくさん生み出しながら、外に放出しながら、持続的にエネルギーを自分に返しているので、もしもマイナスの影響、つまり上陸したとか風に流されたっていうことがなければ、台風は生き続けられます」
●すごいですね! 台風の威力って。
「威力もありますし、そのメカニズムですよね。そういうのを自己発達型っていうんです。台風は自分で自分を育てられるっていう・・・なので、先ほど言ったようにエネルギーは1ヶ月分だっていうことになります」
どこでも台風、だから防災
※今後の台風研究は将来、私たちの生活にどんなことをもたらしますか?
「直接的な影響や間接的な影響あると思うんですけど、本当に最近の台風を見ていると今まで来なかったようなところも台風が来るようになったなと。僕は岡山出身ではあるんですけども、岩手県生まれなんですよね。
東北地方の特に岩手県は、台風なんて全然来ないところで、台風よりも津波の方が心配だった地域なんですよね。それが台風10号がやって来て、岩手県に上陸したんですよ。
本当に過去半世紀、僕の教え子が100年前まで調べているんですけども、100年間通しても台風が岩手県に上陸したことはなかったんですよね。それが上陸してしまって・・・勢力はさすがにもう弱かったにも関わらず、岩手県では大きな被害が出てしまったんですよね。
岩手県の人たちもびっくりしたと思うんですよ。台風がうちに来るなんて・・・そういうところに台風が来ると、勢力が強い台風が来て、台風に対して強い防災意識があるところよりも、弱い台風がまったく台風に関心がないところに来るほうが、大きな被害が出るんだなっていうのを実感しました。
日本に住んでいる以上、台風はどこにでもやって来ると思ったほうがいいと思います。台風の勢力に関わらず、台風による研究、台風の防災に対しての新しい技術開発っていうのは、これからどんどん求められると思います」
(編集部注:台風10号が岩手県大船渡市に上陸したのは、2016年8月のことで、太平洋側から直接、東北地方に上陸、気象庁が統計を取り始めて、初めてのケースだったようです)
INFORMATION
「台風科学技術研究センター」
台風を制御する研究は始まったばかりですが、筆保さんは少しでも台風の勢力を弱められれば、被害が減る、そして将来的には被害をゼロにする、そんな思いで取り組んでいらっしゃると思います。筆保さんがセンター長を務める日本初の台風専門の研究機関「台風科学技術研究センター」にぜひご注目ください!
◎台風科学技術研究センター HP:https://trc.ynu.ac.jp
横浜国立大学「そらの研究室」

筆保さんの「そらの研究室」では、学生さんたちと毎日夕方4時に屋上で空や雲を観察、その日の「空当番」が明日の天気を予測し、その予測が当たったのか、外れたのかを半年記録するそうです。筆保さんいわく、天気図だけでなく、毎日、目の前の現象を見ることが大事だとおっしゃっていました。
そして、教え子には「気象予報士」の資格を取ることを勧めているそうです。その理由として、例えば、初対面の人とお話するとき、「きょうはお天気いいですね〜」と天気の話になることが多い、そして、特に就職の面接時、履歴書の資格欄に「気象予報士」と書いてあるだけで、話が盛り上がる。つまり「人生に役立つよ」ということでした。
◎「そらの研究室」:http://www.fudeyasu.ynu.ac.jp/
2022/3/20 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンは、シリーズ「SDGs〜私たちの未来」の第7弾! ゲストは「市民エネルギーちば」の代表「東 光弘(ひがし・みつひろ)」さんです。
「SDGs=持続可能な開発目標」は、2015年の国連サミットで採択され、2030年までに達成しようという目標=ゴールが全部で17設定。きょうはその中から、ゴール7の「エネルギーをみんなに そしてクリーンに」、そして、ゴール13の「気候変動に 具体的な対策を」について。
東さんは1965年、東京生まれの千葉育ち。20年ほど、有機農産物などの流通を通して、環境問題に取り組み、2014年に「市民エネルギーちば株式会社」を設立、現在は代表取締役として活躍中。千葉県匝瑳市(そうさし)で行なっている事業「ソーラーシェアリング」は、令和3年度に環境省「気候変動アクション 環境大臣表彰」で大賞を受賞、いま大変注目されています。
実は「東」さんは「アースデイ千葉」実行委員会の発起人で、2005年にこの番組に出ていただいていたんです。
きょうはそんな「東」さんに、ソーラーシェアリングとはいったいどんな事業なのか、そしてその事業を進めることで、どんな効果があるのか、いろいろお話をうかがっていきます。
☆写真協力:市民エネルギーちば株式会社

発電すればいい、ってことじゃない
●それでは、そんな東さんが千葉県匝瑳市で行なっている、耕されなくなった畑「耕作放棄地(こうさくほうきち)」を活用したソーラーシェアリングや「市民エネルギーちば」について、お話をうかがっていきましょう。まずは、初歩的な質問になりますが、このソーラーシェアリングとは、どんな事業なのか、教えてください。
「ソーラーシェアリングはざっくり言うと、畑の上で太陽光発電をやりますよっていう事業で、山を壊しちゃったりとか、そういうことはしません。
(太陽光パネルの)高さがだいたい3メートルぐらいなんですけど、その下ではトラクターも通りますし、コンバインも通って、普通に農業やれる、そういうような仕組みなんです。
特徴的なのは、たたみ一畳ぐらいの大きな太陽光パネルは使わないで、幅が35センチ、長さが2メートルの細長い太陽光パネルが、空間が2あったら太陽光パネルが1、2対1で隙間だらけの、そういう太陽光発電のことをソーラーシェアリングって言います」

●ソーラーパネルの下が畑なんですね。会社名に”市民”と付いているのは何か意味があるんですか?
「2011年に東日本大震災があって、原子力発電所の事故がありました。僕はその前まで20年ぐらい、有機農産物の流通をやっていたんですが、これからは食べ物だけじゃなくて、エネルギーのことを市民も考えていかなきゃいけないなって考えました。
そこで千葉県内の9つの環境団体の理事とか代表クラスが集まって、ひとり10万円ずつ出し合って、本当に小さな90万円の合同会社を作ったのがスタートです。市民っていう名前は、市民のエネルギーなんだよ、しかも千葉から始めるんだよってことで、市民エネルギーちばっていう名前にしました」
●会社を起こすきっかけは、東日本大震災が大きかったんですね。
「いちばん大きかったですね」
●匝瑳市で行なっているソーラーシェアリングは、どんなことを大事に進めている事業なんですか?
「ただ発電すればいいよってことではなくて、だいたい4つのことを大事にしています。ひとつは自然環境を大事にしようねっていうことです。
いくら再生可能エネルギーでエネルギーを再生したとしても、山を壊しちゃったりとか生態系を壊しちゃったりしたら、元の木阿弥というか、本末転倒なんで、エネルギーのことだけじゃなくて、その他の環境問題のことも大事にしようね、これがひとつですね。
それと(太陽光パネルの)下で農業やらせていただいてるんですけれども、やっぱり農業と太陽光発電だったらどっちが大事なの? って言った時には、迷わず農業のほうが大事なんだよっていう、これをすごく大事にしています。
あとは地域コミュニティ、これもすごく大事にしています。自然エネルギーって広い土地や空が必要なので、その地域の恩恵を都会の、電気をたくさん使うところに分けていただくってお仕事だと思っているので、地域コミュニティが大事、そういうことを考えています。
もうひとつは、社会的に僕たちは、普段”シンク・グローバリー、 アクト・ローカリー”ということで、地元で小さく活動しているんですけども、その思いが世界中に繋がっていくような社会性、そこにも寄与していきたいなってことで、この4つのテーマを大事に活動しています」

ソーラーシェアリングの師匠
※ソーラーシェアリングは、太陽の光を「発電」と「農業」でシェアするという取り組みですが、このシステムを開発したのは東さんなんですか?
「いえいえ、僕ではなくて、 僕の師匠に当たります、長島彬(ながしま・あきら)先生っていうかたがいらっしゃいます。長島先生は2010年にこのソーラーシェアリングという技術を特許申請しまして、特許を取れたんですね。でも自分がそれを独り占めすることはなくて、誰でも使っていいよってことで公開しています。
全国で3000件以上のソーラーシェアリングがあるんですけれども、もしも長島さんがひとつあたり5万円とかお金を取っていたら、何億円も儲かっちゃっていたんですね。長島さんは全ては世界中の子供たちのためにっていうコンセプトを持っているので、自分が儲けるよりも、みんなが真似してくれて、どんどん広まってほしいっていう、そういう人徳者のかたなんですね」
●長島さんとの出会いは?
「最初にお伝えした、自分もこれから自然エネルギーを広めたいなと思った時に、山を壊すような太陽光発電はやりたくなかったので、ちょっと悶々としているところに、畑の上の太陽光発電っていうのがあるよって知り合いから教えてもらいました。
最初は自分もずっと有機農業の流通の仕事をしていたので、畑の上で太陽光発電をやるのは、けしからんなって感じで、ちょっと文句でも言いに行こうかなと思って(長島さんのところへ)行ったんです。行ってみたら、僕も全国の色んな畑を周るお仕事だったので、そこの野菜たちがすごくたおやかというか、僕たちは幸せだよみたいな、すごくふわふわっとした、いい雰囲気の中で作物が育っていたんですね。
この技術は研究してみる価値があるなっていうことで、長島先生に色んなことを教えてもらいながら、実際に自分でそこで堆肥も作って、色んなお野菜を育ててみたんですね。どれもすごく元気に育つものですから、これはもう自分の仕事として全国に広めていきたいな、そう思ったのがきっかけです」

パネルの下でもすくすく育つ
※先ほど、細長いソーラーパネルを使っているというお話でしたが、東さん、細長いパネルを使うメリットってなんでしょうか?
「できるだけ、自然の木漏れ日に近いような状態にしたいなと思っています。自然の中では、野菜たちって背が低いので、果樹も背が低くて、ちょっと大きい木が側にあると、その枝の隙間から来る、そこはかとない木漏れ日で、みんな元気に育っています。それに近い状態を作ってあげたいなっていうことです。
大きいパネルを使っちゃうと、雨だれという雨の雫がすごくたくさん下に落っこっちゃって、その下の野菜の育ちが悪くなっちゃうんですね。(パネルが)細いと雨だれの量が大したことないので、作物にとってとても優しいっていうことですね」
●だから、ソーラーパネルの下の畑でもすくすくと育っていくわけですね。ちなみにどんな作物を育てているんですか?
「現在は大豆と麦を育てています。今まで50種類以上の野菜を育ててみて、どれも元気に育つんですけども、私たちのところは土地がとても痩せているので、まず大豆を育てて空気中の窒素を固定化する。
そして麦を育てると、麦はすごく根っこが深く延びるので土の中に空気が入っていく。空気が入っていくと微生物もよく育つ。麦と大豆を輪作していくと土がだんだんよくなるので、有機農業ではよくやる手法なんですね」
●耕作放棄地は農家さんから借りているんですか?
「そうですね。借りる場合が多くて、あとは買っちゃったりもして、そこを有機JASということで、全部オーガニックにしてやっています。僕たちは太陽光パネルでCO2が出るのを減らしたいってことと、その下で植物が育つので、光合成によっても空気中の炭素を固定化していこうというのがひとつあります。
有機栽培をやると土の中の炭素がどんどん増えていくし、化学肥料とか農薬はすごく化石燃料を使って作るものなので、それを使わないと、よりエコだっていうことで、トラクターもBDFっていうバイオディーゼルの燃料を使っていたりします」
●農家さんたちの反応はいかがでした?
「わりと僕たちの農業をやってくれている仲間たちは若くて、もともと有機栽培をやっている人たちなんですね。そういう農家さんは知的好奇心が高いので、やっぱり気持ちよく、農業をただお仕事でやるんじゃなくて、それが自分たちの仕事だとプライドが持てて、社会に自分たちの農業が貢献しているんだっていう意識があると思います。
だからその上で自然エネルギーを生み出すってことは、すごくポジティブに捉えてくれているし、今パタゴニアさんとかと協力してやっている不耕起栽培の実験にも、すごく積極的に自分ごととして参加してくれているんですよね」
●そのパタゴニアさんとのコラボってどんなものなんですか?
「色々やっているんですけど、そのうちの大きいプロジェクトが、耕さないで農業をやってみること。今アメリカとかヨーロッパでどんどん盛んになってきているんですね。
さっき言った有機栽培に加えて耕さないと、土の中の”団粒構造”っていう、微生物たちがネバネバした液体みたいなのを出して、土がポップコーンみたいに粒々コロコロになっていくんですね。そうすると他の微生物がもっと育つようになってきて、どんどん微生物の死骸が溜まったりして、土の中の炭素量が増えていくんです。
僕たちの活動はその太陽光パネルでCO2が出る量を減らしていて、その下で作物を育てて光合成によって炭素を固定しているんですけれども、耕さない農業をやると土の中にさらに炭素が入っていくので、そういったことをパタゴニアさんと協力して、今実行しているところなんですね」
(編集部注:東さんによれば、千葉県匝瑳市では農地の4分の1ほどが耕作放棄地になっているそうです。そこを再生させる意味でもソーラーシェアリングに可能性を感じます)

都市部でもソーラーシェアリング
※ソーラーシェアリングの課題はありますか?
「今、うちのエリアではすごく成功しているんですけれども、まだ社会的に、例えば農家さんの高齢化が進んでいたりとか(農業)従事者人数が減っていたりとか、耕作放棄地が増えているっていうことがあります。
農業の面からもソーラーシェアリングは期待されているし、世界的にはRE100(*)だったりとかで、自然エネルギーをもっと増やしてほしいっていうニーズがあるんですね。ニーズがあるにもかかわらず、爆発的に広まっていません。
これはひとつは、20年間は最低やらなければいけないので、20年農業をやってくれる農家さんを探すのが大変だったりとか、先ほど最初にお伝えした通り、(太陽光パネルが)高いところにあったり、細長いちょっと特殊なパネルを使うので、コストがまだ高い。このふたつを解決していくのが今いちばん大きな課題になっています」
●ソーラーパネルのメンテナンスは結構大変なものなんですか?
「意外と簡単です。汚れにしても、だいたい30度くらいの角度がついているので、例えば、鳥の糞とかカラスの糞がついちゃっても、ちょっとしっかりした雨が降れば、すぐ綺麗に落ちたりとか・・・。
あとは、仕組みとしては意外とシンプルなので、メンテナンスは意外と簡単です。特に僕たちの場合はその下で農業をやっているので、定期的に人が入ります。山奥のメガソーラーと違って、週に1回ぐらいは誰かがちょっと見たりとかしているので、ケーブルがたれちゃっているねって言えば、ささっと直せますね」
●そうなんですね〜。じゃあ扱いやすいですね。
「そうですね。自然エネルギーの中では、素人でもメンテナンスしやすい技術だと思います」
●ソーラーシェアリングを都市部でも展開しようとされていますけれども、都会となると、使う土地って畑ではないですよね?
「色々考えられるんですけど、いちばん簡単なのは公園かなって思ってますね。ちょっとパーゴラみたい、藤棚みたいな感じで、木陰代わりにソーラーシェアリングになっていて、そこから例えば、外灯とか色々電気をとっておいて、災害時にはみんながそこでスマートフォンを充電出来るような空間にしたりとか。それとあと大きなビルの屋上もすごく狙っています」
●いいですね!
「ふたつのことを考えていて、屋上緑化されているビルについては、そのまま畑と同じようなソーラーシェアリングをやって、あとはビルの上ってGoogleアースとかで見ていただけるとよく分かるんですけれども、結構クーラーの室外機とかでデコボコなっているんですね。
ソーラーシェアリングの場合だと逆に脚があるので、室外機とかをオーバーハング、上に跨いでいくような形で設置ができますね。TOKYO OASISってうブランドで、そういうことも考えています。
クーラーの室外機って本体が35度以上になると、すごく消費電力が上がっちゃうんですけど、ソーラーシェアリングで日陰にするとすごく消費電力も下がるので、二重にお得かな! そんなことも考えています」
(*編集部注:東さんのお話にあった「RE(アールイー) 100」とは、「RENEWABLE ENERGY(リニューアブル・エナジー) 100%」の略で、事業活動で消費するエネルギーを100%再生可能エネルギーで調達することを目標とする国際的な取り組みのこと。国内外の超有名企業が数多く参加しています)
災害時に電気を供給
※2019年に千葉県でも大きな台風被害があって、停電が長引いたことがありました。その時に「市民エネルギーちば」では充電のためのステーションを開設したそうですね。どんな試みだったんですか?
「私たちのエリアでもやっぱり2週間くらい停電がずっと続いて、僕自身も初めて被災者っていう立場になって、メンタル的にすごく削られていくっていうのがよく分かったんですね。
自分たちに出来ることはないかなっていうことで、とりあえずメンバーが各自、自分たちの発電所に行ってパワーコンディショナーっていう機械を開けて、そこから100ボルトの電気がそれなりに取れたので、それを地元のかたたちに10日間くらい解放しました。
そこに炊飯器を持って来れば、そこでお米も炊けるし、EVカー持って来れば、充電もできるってことを数設備分やったんです。それですごく地元のかたの信頼が上がったっていうか、電気はただエネルギーってことじゃなくて、人と人が繋がる、コミュニケーションになるんだなっていうのが分かりました。
そのあと、匝瑳市と連携して、今度は全部の設備から電気が取れるように協定を結んだところなんですね」
●それはどういった協定なんですか?
「僕ら(のメンバー)は数人しかいないので、設備が20個あっても全部使えないから、匝瑳市の地元のかたに講習会を開いて、カギを預けておいて、もし停電になったら、みんな自分の係の発電所を開けて電気を取り出せますよ。匝瑳市の人だったら誰でも電気をタダで貰えますよっていう協定書を、覚書を作ったんですね。
現在はそれがさらに発展して、ENEOSさんと共同申請をして”マイクログリッド”という仕組みの調査を昨年実施したところです」
●「地域マイクログリット構築プラン作成事業」!
「そう、難しい言葉! おっしゃる通りです。経産省が主導で、全国でそれに挑戦してみるところありませんか? っていうことで、私たちの地域で応募して採択されて、今調査が終わったところです」
●改めて、このマイクログリッドっていうのは、なんですか?
「普段のこの辺ですと、東京電力さんが大きなグリッド、送電網っていうものを管理していただいているわけですけれども、災害があった時には停電が起きちゃうよと。そういう時に千葉県ですと、睦沢町(むつざわまち)というところで、すでにマイクログリッドが実証されているんですね。そのエリア、決して広くはないんですけども、前々回の台風15号の時も19号の時にも、そこの町だけは停電が起きなかったんですよ。
すごく素敵で、僕らもそれをぜひやってみよう! ってことで、近くの”ふれあいパーク”っていう道の駅のようなところがあるんですが、そこに大きな蓄電池を入れて、普段は溜めておいて、もし停電になったら、ソーラーシェアリングの電気をそこに繋いで、数百件のお宅と、あとは学校とか、そこのエリアだけは停電しないようにってそういう実証実験をやっているところで、今年からいよいよ建設が予定されているところです」

※東さん、最後に「市民エネルギーちば」の代表として、ソーラーシェアリングも含め、伝えたいことがあれば、お願いします。
「本当に大事な時期に生きているなと、お互い思っていて、僕は56歳なんですけど、最近若い人もたちもどんどん訪ねて来てくれています。
自分が普段、環境活動をやっている上で気をつけていることが3つあって、ひとつはさっき言ったような、Googleアースから見た視点、距離的に高いところから見て俯瞰してものを見る。
それと環境問題って自分が今いいことだなって思っていても、人間が考えることなので、間違えちゃうことも多いから、時間軸を何十年とか何百年とか、時間も俯瞰して見るっていうこと。
ソーラーシェアリングは、空中では太陽光発電をやって地面では農業をやろうってことで、階層、レイヤーを俯瞰して見る。色んな組み合わせ、車はもともと人が移動したりとか、物を運ぶための道具なんですけど、それを今度はエネルギーを運ぶっていう異なるレイヤーのことを、再度ハイブリッドに組み合わせてみると、色んな可能性がある。だから距離的な俯瞰、時間的な俯瞰、レイヤーの俯瞰をしていくと。
これから大変な時代だって、ついみんな思いがちで、僕もそういう時あるんですけど、無限に解決していく可能性があると思っています。それはエコロジーに従事していくと、すごく自分の世界観を広げながらやっていけることだと思うので、そういうことを来ていただいた若い人には、今お伝えするようにしています」
INFORMATION
太陽の光を「発電」と「農業」でシェアするソーラーシェアリングは、クリーンなエネルギーを得られること、作物の収穫、そして耕作放棄地の再生、さらにエネルギーの自給自足は災害時の備えにもなる素晴らしい事業です。ぜひ「市民エネルギーちば」の活動にご注目ください。
「市民エネルギーちば」について、詳しくはオフィシャルサイトをご覧ください。
◎市民エネルギーちば HP:https://www.energy-chiba.com
2022/3/13 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、徳島県・神山町(かみやまちょう)で進んでいるスクールプロジェクト「森の学校みっけ」の「松岡美緒(まつおか・みお)」さんと、「らんぼう」さんこと「上田直樹(うえだ・なおき)」さんです。
「森の学校みっけ」は、自然の中でのわくわくするような体験を大事に、子供たちの成長をうながし、より良い未来を創っていこうとする新しい学校です。
具体的にはどんな学校なのか、「松岡」さんと「らんぼう」さんにお話をうかがいながら、おふたりの思いに迫っていきたいと思います。
☆写真協力:森の学校みっけ
わくわく小学校!?
●松岡さんとらんぼうさんは、徳島県神山町で「森の学校みっけ」という子供たちのためのプロジェクトを進めていらっしゃいます。まずは松岡さん、どんなプロジェクトなのか教えてください。

松岡さん「徳島県の神山町という人口5000人の小さな町なんですけれども、移住のかたが今とてもたくさん来ている注目されている町、この中の森の一角に小学校を作ろうとしています。『森の学校みっけ』という名前で、人と人、それから人と地球のつながりを紡ぐオルタナティブ・スクールで、この4月から開校する予定です。
子供たちは火を焚いて料理をしたり、山川で遊んだりしながら、自分のわくわくを探求する、そんな学校にできたらいいなと思って準備しています」
●発案者は松岡さんですか?
松岡さん「最初に私とらんぼうが、山の中でトレイルランニングを子供たちとしたら楽しいんじゃないかっていうところから始まって、子供たちの放課後の時間に一緒に山川を走るプロジェクトを立ち上げました。
そんな中で、これ日常になったらいいのにねとか、放課後だけじゃちょっと物足りないなという気持ち、それから全国で今、ひとつの学びの形だけでは収まりきらないような子供たちがたくさんいると感じているんです。その中で私たちができることって何だろうと考えながら、小学校というアイデアにたどり着きました」

●らんぼうさんは創立メンバーのおひとりということですよね。
らんぼうさん「そうです。おかげさまで(笑)」
●みなさん、神山町在住なんですか?
らんぼうさん「そうですね。僕も美緒ちゃんも神山町に住んでいます」
●具体的にどんな学校なのかをお聞きしたいんですけれども、対象は何歳から何歳までなんですか?
松岡さん「この『森の学校みっけ』は普通の小学校と同じように選んでいただいて、通っていただくものなんですね。小学校1年生から6年生までで、月曜日から金曜日までの学校になっています。夏休みもありますし、冬休みもあります。普通の学校と同じように通っていただく、もうひとつの学校ですね」
●オルタナティブ・スクールっていうのはどういう意味なんですか? あまり耳馴染みがないんですけれども・・・。
らんぼうさん「よくフリー・スクールって聞くことってあると思うんですけど、フリー・スクールの考え方って基本的には、不登校の子供たちがゆくゆく普通の小学校とかに戻るトレーニングの場として、ある一定期間、一時的に通って、慣れてきたら、また小学校に戻っていくような学校をフリー・スクールって言ったりするんです。
オルタナティブ・スクールっていうのは、その学校によって趣旨が違ったりするんですけれども、うちの学校は例えば、こういうことをやっていきたいっていうことで、そこにずっと通う、そこを前提として通う学校のことをオルタナティブ・スクールって言ったりします。学校ごとによって考え方が違ったりしますね」
(編集部注:創設メンバーは、おふたりのほかに、地域のかたや子供たちと、ものづくりを進める「藤本直紀」さん、「らんぼう」さんの奥様「麻衣」さん、そしてスタッフ研修などを担当する「中村奈津子」さんの、5名となっています)

時間割がない学校
※「森の学校みっけ」の1日は、こんな感じで始まるそうですよ。
松岡さん「普通(の学校)は時間割とかあるじゃないですか。でも『森の学校みっけ』は、朝はみんな集まって丸くなって、きょう何する? っていう話し合い、始まりの輪から始まるそんな小学校です。自分たちが本当にわくわくしていることを突き詰められる、向き合えるような、そんな時間を1日過ごせるデザインにしていきたいと思っています」

●ホームページを拝見させていただいたんですけど、”わくわくこそが君の地図”と載っていましたが、まさにわくわくを大切にしているっていうことなんですね。
「ずっと受け身で勉強していたり、しなきゃいけないことって提供されて勉強してきた子たちが、大きくなってから何が結局楽しんだっけとか、何にわくわくしていたんだっけ、どこに向かっていたんだっけって分からなくなるかた、いらっしゃるんじゃないかなって今の時代、感じています。
それを小学校の時から、私がやりたいのはこれなんだ、このことで私の命はこんなにキラキラしているっていう、そういう体験が小学校のうちにできたらいいんじゃないかなって思っています」
●考える力も身に着きそうですね。普通の小学校のイメージだと、校舎があって、校庭があってっていう感じなんですけれども、この「森の楽校みっけ」はどんな学校になるんですか?
松岡さん「私たちが今使わせてもらっている森は、川が流れていて、竹林もあって、竹林があるから、たけのこも生えたり、森の中には栗とか柿とかビワとか、色んな果物がなる木が生えています。
川も彼岸花の咲く時期になると、モクズガニっていうシャンハイガニみたいなちょっと大きめのカニがうろうろしていたり、地元のおじいちゃんたちは、うなぎも獲れるんじゃないかって言って、罠を貸してくれるって話をしてくれたり(笑)。そんな食べられる森、本当に食べられるものがたくさんあるような、そんな森の中で、子供たちが学べることがたくさんあるんじゃないかなと思っています」

らんぼうさん「フィールドはそこの場所が基本にはなるんですけど、神山全体もフィールドってみんなで考えています。例えば、夏場だったら・・・滝とかあるんですよ。日本滝百選に選ばれている滝があったり、そこで打たれることもできますし、色んな綺麗な川だったりキャンプ場もあります。
3Dプリンターがあって、雨の日とかそういう作品作りができたりする場もあるんですよ。
別に海に出てもいいと思うんですよ。あと山登りに行ったりとか・・・だから一箇所の校舎があるところだけがフィールドっていう感じじゃなくて、全体がフィールドっていうような認識で、僕らはいますね」
自分だけの教科書
※「森の学校みっけ」が森や、町そのものが教室というお話でしたが、教科書はあるんですよね?
松岡さん「教科書も私たちは用意していないんです。始まりの輪で決めた、きょう1日やりたいことを、子供たちが行なって、お昼も食べて、またそのあとも遊んだり学んだりする時間があったあとに、きょうあったこと、きょう感じたこと、きょう見つけたこと、見つけた葉っぱ、土、そんなものを挟めるような日記を用意したいなと思っています。1年間終わったあかつきには、それが自分だけの教科書になる、そんなことをイメージしています」
●素敵ですね〜。先生がたは松岡さんや、らんぼうさんたちってことですか?
「基本的にはそうですね。先生って呼ばずにスタッフって私たちは呼んでいるんです。子どもたちの学びをサポートする、学んでもらうデザインとか、サポートはするので、普通の先生っていう言葉じゃないのが合っているのかなって思っています。ちなみにらんぼうは、どんなことを担当するスタッフなんですか?」
らんぼうさん「僕は旅がものすごく好きなんですよ。10年以上あっちこっち世界中を周ってきたので、やっぱり、暮らしと旅時間っていうのを大事にしようかなっていうことをみんなと話しているんですよ。
例えば夏休みとか、そういうある程度の休みの期間中に・・・この間、お遍路周ってきたんですよ。お遍路周ってきて、やっぱり地元の人たちからのお接待で、感謝しきれないぐらいのありがたみを感じるんです。例えば、そういう場所を子供たちと一緒に周ったりとか・・・。
剣山(つるぎさん)って山があるんです。うちの息子6歳なんですけれども、一緒に登ってきて、やっぱり自分でこのぐらいだったら、できるんだって、自信にもなる姿を目の前で見てきたんですね。そういったところにみんなで行ったりとか、ちょっと旅をしながら色んなことに挑戦していく、そういうことをやりたいなって思っています」
●松岡さんは元々東京のご出身なんですよね? どうしてまた徳島県の神山町に暮らすことになったんですか?
「ずっと国際協力のお仕事をしていて、パキスタンとか南アフリカとかに行ったりして仕事をしていたんですね。そういう国でお仕事する時って人の命を助けるお仕事なんですけど、人の命を助けているのに自分自身の命がどういうふうに作られているか分からない、知らないなっていうことに気がついたんです。
もっと根本的な暮らしとか命とか、そういうことに触れてみたいなと思って、水と空気が綺麗なところを探していました」
●全国各地色んな選択肢があったと思うんですけど、徳島県の神山町には縁があったんですか?
「一度、気候変動の授業をしてほしいということで、神山にある農業高校さんに呼んでもらって、高校生にそういう話をする機会があったのがいちばん大きかったかもしれません。
その時に森の中にあるサウナとか、サウナに入ったあとに川に飛び込むとか、そういう体験をさせてもらったのが多分、私のわくわくとかドキドキとかをくすぐられたんじゃないかなって思っています」
(編集部注:らんぼうさんが神山町に移住するきっかけになったのは、奥様が占い師さんに、神山に住みなさいと言われ、面白いと思ったことと、らんぼうさん自身がもともと、地域起こしに興味があったことなどがあるそうです。そして下見に行った時に、いまならすぐ移住者用の家に入れますと言われ、即決したそうですよ。
ちなみにニックネームのらんぼうは、北海道の実家にさくらんぼの木があることと、走ること、つまりランニングが好きなので、そのふたつの意味をあわせて、らんぼうと呼ばれるようになったそうです)

「やったら、えんちゃうん」
※みなさんが暮らしている徳島県・神山町なんですが、どんなところが魅力的なんですか?
らんぼうさん「まず水が綺麗なのがいいですね! 川の透明度がすごくあるし、家も湧水、地下水なんですけど、美緒ちゃんのところも湧水が流れていて、水がいいですね。
あとはね、町の人たちがすごく・・・なんて言うんでしょ・・・神山で”やったら、えんちゃうん”っていう合言葉があるんですよ」
●いいですね〜。
らんぼうさん「だからなにか自分でやろうとした時に、背中を押してくれる人たちが本当にたくさんいるんですよ。
例えば、今回だって『森の学校みっけ』をやるにあたって、教育委員会とも色々お話とかをさせていただいているんですけども、まだ始まっていないじゃないですか、だけども色々話をしていく中で、出席日数を普通の小学校には一応在籍するっていう形にはなるんですけれども、うちらの学校に通っていても出席日数を数えてくれるよっていう、そういう背中押してくださったりとか。
地元のおじさんに、インターンも新しく決まって、その子の下宿先でいいですか? って言ったら、いいよって快く言ってくれるおじさんたちがいたりとか。背中を押してくださってる地元の方々の“やったら、えんちゃうん”っていうそういう雰囲気がすごく好きですね」
●「やったら、えんちゃうん」ってすごく前向きな言葉ですね。
らんぼうさん「そうですね」
●暖かい町なんですね。”奇跡の田舎”とも呼ばれているそうですけれども、どんなところが奇跡なんですか?
松岡さん「それはもう町の人に聞いたほうが、私はまだ移住3年目なので、移住民としてはまだまだ新米なんですが・・・その“やったら、えんちゃうん”もそうなんですけど、移住の人を入れなかったら、町が人口的にもどんどん小っちゃくなるだろうっていう(問題意識があるんです)。
そこで何十年先を見据えて、これからどういう町にしていきたいのかっていうのを、町も町民もそれから第三セクターもそこにある企業の人たちも、みんなが集まって話し合いできる場がデザインされたのは、すごく大きいのかなって思っています。
その話し合いの中で、こういうプロジェクトをやりたいんだけど、“やったら、えんちゃうん”で、色んなプロジェクトが実際に動いています。例えば『アーティスト・イン・レジデンス』、申し込んでもほぼ通らないような倍率なんですけど、アーティスト・イン・レジデンスの募集をかけています。
森の中を歩くと、アーティストの作品が見られる場所もあったりするんです。色んな人が出入りして、その町を一緒に作り上げていくっていう、オープンでカジュアルで柔らかい物腰の姿勢が、そういうふうにしてくれているのかなって感じます」
(編集部注:神山町に伝わる「やったら、えんちゃうん」の精神は、30年ほど前に、戦前にアメリカから贈られた「青い目の人形」アリスを、アメリカに里帰りさせるプロジェクトがうまくいった、その成功体験が町の人たちの間で共有されているからではないかと、らんぼうさんはおっしゃっていました)
森の中に算数がある!?
※森の中で遊ぶことで、子供たちはどんなことを身につけていくと思いますか?
松岡さん「まず、この森の中で過ごしている時って、算数を考えない日がないんですね。例えば、あそこからここまで何メートルなんだろうっていう質問、よく子供たちが”俺は100メートルあると思う”とか”1000メートルあると思う”とか、まだメートルが分からない子たちが数を言い合っていたり・・・。
一歩って何センチなんだろうってところから始まって、割り算をしてみたり、掛け算をしてみたり。でもこれが割り算だよとか掛け算だよとか、そういう話し方ではなくて、本当に一歩ずつ測って足していく、その積み重ねで割り算とか掛け算とか、そういう概念が入ってきたりしますね。
あとカニがきょう何杯獲れたけど、何人いるけど、どうやって分けるとか、食べ物のことになるとみんなシリアスなので(笑)。
算数とかそういう概念だけじゃないんです。本当にここで過ごすだけで、どうやって水はここまで流れて来たんだろう、どうやってこの芽は発芽したんだろうっていう理科の部分。この山は昔どういうふうに使われていたんだろうっていう歴史・社会の部分。
それからみんなで美味しいね、楽しいねって、料理を作りながら体験する家庭科だとか、その美味しかったことを記録したり、絵に描いたり詩にしたり、国語とかアートとか哲学とか文化人類学とか、色んなところに、この暮らしの中でたどり着ける教科があるんじゃないかなって思っています」
らんぼう「僕もいいですか」
●はい! らんぼうさん、どうぞ。
らんぼうさん「僕の中では、いくつかあるんですけど、まず挑戦がすごくしやすい環境なんですよね。
例えば、この前、僕らのフィールドから反対側に山があって、その山に小っちゃい建物が見えて、あそこまでちょっと行ってみる? って言って、行ってそこから、やっほー! って言ったら、こっちまで聴こえるかどうか試してみよう! みたいな感じになったんですよ。
それで実際に走って、多分往復で4キロちょっとあるんですけど、そこまで行って、やっほー! って言ったら、お互いに聴こえたりしたんですよね。あ〜聴こえるわー! みたいな感じで盛り上がったんですよ。
で、戻って来るまでの道のり、大体これで4キロぐらいなんだっていう、実体験として距離も分かって、これだったらいけるねっていう・・・うちの子供もこの間、そういう距離の感覚をつかんで、6歳ですけれども6キロとか走れたんですよ」
●へぇ〜〜!
らんぼうさん「大人でも6キロっていったら結構大変だって思う人もいるかもしれないけど、自分で実際挑戦すること、これくらいだったらいけるなっていうものができあがったり。
あとこれに関わっているメンバーひとりひとりも、かなり面白い大人だし、その大人のまた友達が来たりとかするわけじゃないですか。僕すごい思うんですけど、人生の転換期っていうのは、結構本物の大人と出会う、それによって、こういう世界あるんや! って価値観が広がって、できることの幅が広がったりすると思うんですよ。そういう面白い大人と出会ったりできるのも、すごく魅力なんじゃないかなって思ったりしています」

※最後におふたりから、この番組を聴いてくださっている、今子育て真っ最中のパパやママに、伝えたいことがあれば、お願いします。
らんぼうさん「自分ひとりでやっているわけじゃなくて、色んな仲間たち、そして関わってくださっているお母さんたち、子供たち、お父さんたち、みんなで今作っていること自体が本当に奇跡だなと思うし、これ自体が希望だと思うんですよね。
なので、自分たちがやりながら、わくわくしながら希望を作っていくっていう、その輪がこれからも広がっていったら嬉しいというふうに思います。
僕たちも今、『森の学校みっけ』っていうラジオを、stand.fm(音声配信アプリ)の中でもやっていますし、今回のこのラジオを聴いてくださって非常に嬉しいですし、そういった色んな情報共有を通じて、みなさんと手を取り合って、素敵な場を作っていけたらと思っています。ぜひ、みなさん、応援よろしくお願いいたします」
●では、松岡さんもお願いします。
松岡さん「はい、学校は作る時代へ突入していると思っています。みんなで学校を作るために私たちが今できることをやっていこうと思います。
それから、地球環境がどんどん変わっていくんじゃないかっていうことも懸念されています。子供たちが、7世代先の子供たちが、安心して心地よく住める地球をずっと守っていくために、この学校が成功したら本当に嬉しいなって思っています。応援どうぞよろしくお願いいたします」
INFORMATION
スクールの内容や募集について、たくさんのお問い合わせがある、とのことですが、今年度募集の、小学校1年生から6年生の児童12名はすでに定員に達しているそうです。次回の募集についてはお問い合わせください。また、一緒にスクールを運営してくださるスタッフも募集しています。
「森の学校みっけ」について詳しくはオフィシャルサイトをご覧ください。
◎森の学校みっけ HP:https://mapisfullofknots.wixsite.com/-site-1
「森の学校みっけ」では4月の開校に向け、現在、クラウドファンディングで支援を募っています。ひとくち3,000円からいろいろなパターンがあって、リターンは、森の恵みやフィールド体験、月1回配信のラジオなどなどユニークなものが盛りだくさんです。ぜひご支援ください。3月26日までです。
詳しくはクラウドファンディングのサイトを見てくださいね。
◎クラウドファンディングサイト:
https://camp-fire.jp/projects/542960/activities/353097
2022/3/6 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、国際災害レスキューナースの「辻直美(つじ・なおみ)」さんです。
辻さんはレスキューナースとして国内外の被災地で救援活動、また、ご自身も阪神・淡路大震災で被災された経験をお持ちです。そんな実体験をもとに、だれでもすぐに取り組める防災のテクニックやアイデアをまとめて本も出版されています。

きょうは辻さんに、お金をかけずに備える効果抜群の防災術や、防災の心得についてうかがっていきます。参考になるアイデアが満載ですよ!
☆写真協力:一般社団法人 育母塾

日常の延長としての防災
辻さんは91年に看護師免許を取得、93年に国境なき医師団の活動で上海に赴任。帰国後、阪神・淡路大震災で被災、自宅が全壊したことで災害医療に目覚め、救命救急災害レスキューナースとして活動。現在はフリーのナースとして、講演活動や防災教育などを行なっているほか、子育てに悩むママをサポートする一般社団法人「育母塾」の代表としても活躍されています。
レスキューナースとして様々な災害現場で活動されてきた辻さんは、どこの被災地に行っても被災者のかたから、「日頃からちゃんとやっておけばよかった」という後悔の声を聞くそうです。
※早速なんですが、電気や水道などがストップした中で避難生活が長引いた場合、特に注意しなければいけないことは、どんなことなんでしょうか。
「もちろん感染対策もありますけれども、普段と同じ生活ができないっていうだけで、かなり抵抗力が落ちるんですよ。メンタルも落ちます。体力も落ちます。そして清潔具合も変わってきます。なので、ライフラインが切れたとしても、いかに日常に近い生活ができるのか、それを考えて防災ってやっておくんです」
●日常の延長としての防災っていうことなんですね。今はコロナ禍ということで、新たな備えですとか、考え方も求められているのかなとは思うんですけれども、これまでと大きく変わった点というのは何かありますか?
「今までだと避難所に行ったりとか、もちろん被災したお隣同士とかでも、物のやり取りって割とありました。しかし今は人から物をもらう、あげるって、ちょっと控えめになっています。なんとなく気が引けますよね」
●そうですよね〜。どうしても密になってしまう避難所へ行かなきゃいけないっていう時は、どうしたらいいんでしょう?
「もともと避難所を運営する時は感染症対策マニュアルというのが、コロナ禍の前からあるんです。そしてその感染対策っていうのは、コロナに対する対策と全く同じなんですね。しかし、コロナ禍になって変わったことは、自分でマスクを着けていくこと。そして消毒と感染対策ができるグッズを、自分で用意していくことになりました。
手を洗うという行為ひとつでも、水で洗っても大丈夫。石鹸をつけたら、なおのことよし。そしてアルコールをつければもっといいっていう、この3つの方法を目の前にある物で上手くやっていくことで、ひとつ感染対策はできると思います」
●備えておいたほうがいいっていう物に関してはいかがですか?
「もちろんアルコールや石鹸などは必要だと思います。あとマスクなども手に入ることが少なくなると思いますので、不織布だけではなくて、布物のマスクも用意されて、洗って使うというのも対策としてはあると思います」
100均グッズで上手に防災
※辻さんはご自宅で、おもに100均グッズを使って、地震に備えた工夫をされているそうですね。どんなことをされているのか、教えてください。

「私の家は基本的に地震を想定して準備しています。地震は物が落ちる、倒れる、移動する、そして飛ぶっていう動きをするんですよ。特に震度7以上になると物が飛んできます。
この4つの動きをさせないために、どうすればいいのかってことを考えて、物を配置しています。私は、物が全て落ちてこないように滑り止めシートをすごく多用しています」
●私は東日本大震災の時は大学生で、千葉市の実家にいたんです。滑り止めを冷蔵庫自体には付けていたので、冷蔵庫が倒れるってことはなかったんですが、冷蔵庫の中身がばーっと出てきてしまったり、食器がばーっと倒れてしまったりっていうことがありました。その防止策を100均グッズで、できたりするんですか?
「まず冷蔵庫で言いますと、冷蔵庫の中身が地震で左右前後に揺れることで、実は冷蔵庫ってダンシングって言うんですけど、踊るように動くんですよ。最終的に冷蔵庫の前面に全部食べ物とか中の物が出てきて、バーンって倒れるんですね。そうならないために、私は冷蔵庫の中身も滑り止めシートを敷いています」
●中身にも?
「はい。透明の滑り止めシートが100均ショップで売っているんですよ。それだけではなくて、メッシュになっている取っ手の付いているカゴってありますよね。あれの中に、下にも滑り止めシートを敷いて、そして朝ごはんセット、これは中華食材、これは和食みたいな感じで、物の住所をちゃんと決めて、中で物が動かないようにしています」

●なるほど! きちんと仕切りを立てるというか、その仕切り自体にも滑り止めを付けるっていうことですね。
「はい。お料理をする時はその箱ごと出してくるんですよ。冷蔵庫の前でどれかな〜って悩むんじゃなくって、箱ごとバサって出してきます。その箱には滑り止めシートが敷いてあるので、お料理中にもし被災しても滑り落ちることがありません」
●食器棚に関してはいかがですか?
「食器棚も全て滑り止めシートを貼ってまして、ここも100均ショップで売っている箱の中に食器を分けて入れてあります」
●食器棚の中にさらに箱を入れて、その箱の中にお皿を入れるってことですね。
「はい、そうです。なぜそういうふうにしているかと言うと、もちろんまず、誰が見てもここにしまう、片付けるってことが分かりやすくしているのがひとつと、食器棚の中で食器が割れた時、箱の中で割れているので片付けが楽なんです」
●それは言えますね! 確かにそうですね!
「やはり皆さん、被災した瞬間のことは考えられるんですけど、大事なのは被災したあとも生活していくんですよね。そして、ぐちゃぐちゃになっているのを自分で片付けなきゃいけないんです」
●そうですよね〜。またそれで怪我してしまったりしますよね。
「片付けやすい方法を考えたら、食器棚にそのまま食器入れていると、中でぐちゃぐちゃ、落ちてきてぐちゃぐちゃになると、怪我もするし片付けにくい。箱の中に入っていたら、そのままガサって捨てるだけなんで、楽でいいなと思って、そこから始めました」
普段の延長、日々が大事
※ライフラインが止まった状態で在宅避難が続いた場合、例えば、乳幼児がいらっしゃるご家庭で、備蓄していた離乳食が足りなくなることもあると思うんです。なにかいい方法があったりしますか?
「皆さん、それを持ってこようとしている人が多いんですけど、そんなのいくらあっても足りないですよね(苦笑)。
災害時において私は常に思うんですけど、それ専用のものを1個だけ買って用意するって、数限りなく用意しなきゃいけなくなるので、あるものから転用していくっていうか、作っていくっていうのが大事なんです。
例えば、離乳食と高齢者用の柔らかいご飯を作りたいっていう時は、大人のご飯にお水やお湯を足して、なめらかにペースト状にしていただく。そういうふうにして離乳食を作っていただいています」
●わざわざ離乳食用、ご高齢者用ではなくてっていうことですね。
「こういうテクニックって実は日々から大事なんですよ。いきなり、そういうテクニックがあるんだなって思っていても、災害が起きた時に、それができるかって言ったら絶対できないです。
やはり普段からやっていることの延長でしかないので、付け焼刃の、テスト勉強の前の日の徹夜みたいなことをしたって、やっぱりできないんですよ。なので普段から、お子さんがいらっしゃるかたは、とりわけ離乳食っていうやりかた。例えばポトフとかをたくさん作ったら、そこから取り分けて作る離乳食、高齢者の方々のご飯を作るっていう、そういう体験を日々やっておいてほしいなと思います」
●そうですね。そうしたら慌てなくて済みますよね。避難生活の場合、食事が本当に大切になってくると思うんですけれども、備蓄の食料を美味しく調理するコツですとか、アイデアがあればぜひ教えてください。
「私、日々思っているんですけど、なんで災害時って、皆さん、しょぼいご飯を食べる想定なんだろうなと思っているんですよ」
●やっぱりそんなイメージはあります。
「そんなので元気になれますか?」
●いや〜、心身ともにちょっと・・・。
「落ちますよね。非日常になっている、それも楽しい非日常じゃない中で、食べたことないような缶詰とかレトルト、冷えているものを食べるのは本当に心にも身体にもダメージがくるんですよ。
なので、日々のご飯と近いものを作るためには、ライフラインが切れた時でも作れる状態を用意しておく。何がいるかっていうと熱源ですね。それはカセットコンロだとか固形燃料だとか、キャンプやっている人だと炭とかも使えると思います。そういう物を普段から使いこなしている人は、多分ガスとか電気がなくてもご飯って作れますよね」
(編集部注:ほかにも辻さんから、乳幼児のおむつはレジ袋とペット用のシートで代用できるというお話がありました。また、パスタはビニール袋に水をいれて浸しておけば、食べられる状態になる。そこで大事なのが、気持ちの持ち方。冷たいパスタか・・・というネガティブな気持ちではなく「冷製パスタ」を作ったと思えば、前向きな気持ちになれるということでした)

いちばん大事なのは排泄対策
※水が止まってしまうと、トイレの問題も出てきますよね。簡易トイレがないときに、なにかいい方法はありますか?
「基本的には、水が吸収できる物を家の中で探しておいてください。私はペット用のトイレシーツを家に常備してあります。大体、A3ぐらいのサイズで300〜400ccぐらいの水分を吸ってくれるんですよ。成人男性の1回のおしっこぐらいは吸ってくれるんですね。
私は、災害トイレはそれを使ってやります。それも普通のゴミ袋、45リットルのゴミ袋ありますよね。あれを便器に2枚、便座を上げた状態で2枚掛けていただいて、そして中にペットシーツを入れて便座を降ろします。そうすると水は流せませんが、いつものトイレで排泄ができますね」
●確かにそうですね。
「終わったら2枚重ねていた上の1枚目だけを取っていただいて、縛って捨てていただきます」
●そのまま、また次繰り返しで、できますよね。
「ペットシーツがないかたであれば、サイズアウトしたお子様のオムツだったりとか、ぼろ布、あと新聞紙、週刊誌みたいな雑誌とかもいいと思います。水分を吸収できる、そういう物を使って排泄をしてください」
●いかに自分の日常の中から、災害に使えるものを探すかっていうのが大事なんですね。
「皆さん、災害時には水と食料っていうのはすごく頭にあるんですけど、実はいちばん大事なのって排泄対策なんですよ。どんなに私たちは怖い思いをしても、おしっことうんちはします。そして緊張して怖くなって、心理的にもトイレの回数は増えます。となってくると、そのトイレですらいつもと違う形、例えばバケツでやるなんてできませんよね」
●そうですね。やったことないですね。
「だからお水が流せなくても、いつものように便座に座るだけでリラックスして排泄ができるように、ある物をいかにうまく使って、日常と近い状態を作っていくのかっていうことが防災のポイントになります」
(編集部注:辻さんはペットボトルのキャップの真ん中に穴を開け、それを使って、シャワーやウォシュレットの代わりにすることもあるそうです。キャップもサイズがいくつかあるので、それぞれに穴を開けたキャップをカバンに入れて持ち歩いているそうですよ)
わざわざ買わない
※日頃の備えで心がけていることはありますか?
「わざわざ、それ用に買わないことと、ひとつの商品をできるだけ違う形でも使えるようにアレンジするのは、いつも気をつけています」
●違う形でアレンジというのは具体的にどういうことでしょう?
「例えば45リットルのゴミ袋、まあ普通だったらゴミを捨てる袋ですよね。私の場合は2枚重ねて災害トイレにします。そして2枚重ねてリュックサックに入れると給水タンクになります。そして服の上から被ればカッパになります。そして、ゴミ袋の中に破った新聞紙を丸めて入れると、コタツのように暖かくなるんです」
●万能ですね、ゴミ袋!
「でもそのゴミ袋って、わざわざ買うもんじゃないですよね」
●確かにそうですね!
「家の中にある普通にゴミを捨てるためのものです。そういうふうに常に家に転がっている物でも、ほかになんか使い方ないかな、これとこれを組み合わせたらどうなるかな〜っていうことを常に考えて、実践にしています。実際やってみて色んなやり方を試して、今の私の中ではこれがベスト! っていう感じのやり方を探していますね」
●確かに各ご家庭で防災用グッズなど備えているとは思いますけれども、備えていれば安心っていうわけじゃないですよね。
「皆さん、やたら買うんですよ。でも使ったことない人ばっかりです。だから難しく考える必要はなくて、防災グッズを買ってきたら、取り敢えず1回使ってみて、使ってみたら自分のスタイルに合っているのか合わないのか、これってもしかしたら、ほかの物で代用できるんじゃないかと思えば、コストダウンにもなるし、気軽に試せますよね」
備蓄の目安は「食事・睡眠・清潔」!?
※私もそうなんですけど、どんな物をどの程度備蓄しておけばいいか、迷っているかたも多いと思うんですね。何か目安のようなものはありますか?
「生活スタイルによって大事な物って違うはずですから、備蓄も実は大きく変わります。被災をしても生活はしなくてはいけませんから、その中で”食事”と”睡眠”と”清潔”、この3つをどの順番で大事にしたいのかって考えると、必然的に備蓄する物って変わってきますよね」
●確かにそうですよね。
「私は髪の毛を短くしているのは、髪の毛を洗う水の量を減らしたいからなんですよ」
●へぇ〜〜!
「(災害)現場にいたら、髪の毛を洗っていられないんで、お風呂も2〜3日は入れません。以前は長かったんですけど、切った方が楽なんで切りました。髪の毛がセミロングからもっと長いかたになると、髪の毛を洗うための水の量の備蓄が増えるんです。
あと洗顔も、普段の水洗顔じゃなくて、私は拭き取り化粧水洗顔に変えました。そうすると、災害時だから拭き取りじゃなくて、普段やっている通りになるんです。
そういうふうに生活をちょっとずつシフトして、物を減らしたりとかして、私の生活スタイルに合うような備蓄をしています。ですから、何を持っておけばいいですか? 何をどういうふうにすればいいですか? って言われると、あなたが生活の中で何を大事にしたいですか? それを分厚くしてください、っていうふうに申しあげています」
「3.3.3の法則」
※辻さんの本に、普段から「3秒、3分、30分で気分をあげられるものを持ちましょう」と書いてありました。これは具体的にはどういうことなんでしょうか。
「”3.3.3の法則”って、私は呼んでいるんですけど、気持ちが下がった時に、まず最初の3っていうのは、3秒で”香り”です。香りは脳にダイレクトに来ますから、すぐに気持ちを切り替えることができます。お好きな香りを用意しておくことですね」
●アロマオイルとか、そういったものを用意しておくってことですか?
「何でもいいと思います。コーヒーが好きなかただったら、アルミのドリップパックとか持って行ってもいいと思います。あとは、柔軟剤の香りが好きな人は、そういう匂いがする物を紙に染み込ませた、乾燥機に入れる時のシートみたいな物でもいいと思いますし、もちろん香水でもいいと思います」
●3分っていうのはなんですか?
「今度は”触る”です。触って落ち着く物。柔らかい物が好きなかたもいらっしゃるし、麻とか綿とかみたいにシャリっとしたのが好きな人もいらっしゃると思います。好きなタオルだとか手ぬぐいとか、そういう物でもいいですし、体のパーツでもいいと思うんですよね。
もしかしたら、二の腕を触ると落ち着くかもしれないし、お腹かもしれない。だから二の腕とお腹は太っているんじゃなくて、防災グッズですから、手入れしておけばいいんです(笑)」
●あははは〜(笑)そうですね! 30分というのはなんでしょう?
「今度は見て落ち着く物です。この場合、災害時ですから、残念ながらデジタルが使えません。スマホで何か見るっていうのは難しいです。そうなってくると家族の写真だとか好きな絵、推しの写真もいいですね。あとは小説とか漫画とかでもいいと思います」
●なるほど。やっぱり心身共にダメージを受けていると免疫力も下がってきてしまいますよね。
「はい。この3.3.3の法則は大きな災害の時だけではなくて、日々もちっちゃい災害ってありませんか? 寝坊するとか水をこぼすとかゴミ捨てを忘れるとか、これ全部災害です。
そういう時に心を落ち着かせる、いらっとした気持ちを落ち着かせるために、あ〜いい匂いって、匂いを嗅いだりとか、二の腕をもみもみして、あ〜なんか柔らかいな〜って落ち着くとか、自分の好きな写真を見て、あ〜いいわって落ち着くっていうふうにして、日々の心をフラットにするために使っておけば、これもまた災害時に活きてきます」
防災やりましょ!
※最後に、生き抜く力や知恵を身に付けるためには、どんなことが大事になりますか?
「そうですね〜。やはり日々からやることしかできないんで、面白がって何でもやって欲しいなって思います」
●日頃からってことですね。
「防災っていうと、皆さん、めっちゃネガティヴなんですよ。災害を防ぐためのものやから、めっちゃハッピーなはずなんですよね。何か用意したら(災害が)来るかもしれないとかね。いや、来るんです! 来るんですけど、本番のための練習だと思って、いかに面白がってやるかってことですね。
きょうはずっと何回も繰り返してお話ししたように、日々やっていることしかできないっていうことは、こういうライフハックを付けておくとか、ものを代用して使える力、柔らかい頭ですね。
発想力と転換力と、そして行動力、決断力、これが防災をすれば上がるんです。つまり企業力が上がって、そして生活力が上がって、人間力が上がるんですよ。人間力が欲しいんだったら、防災やりましょ! ってことです」

(編集部注:辻さんに「仕事先や移動中に被災してしまうことを想定して、何か持っておいたほうがいいものはないですか」とお聞きしたら、「4種の神器」を教えてくださいました。その4種とは「防災笛」「マルチツールか、万能ナイフ」「アナログのコンパス」そして「ソーラーライト」。辻さんはこの4種の神器を防災ポーチに入れて、いつも持ち歩いているそうですよ。マルチツール以外は100均ショップでも購入できるそうです)
INFORMATION

辻さんの活動については一般社団法人「育母塾」のオフィシャルサイトをご覧ください。
◎育母塾HP:https://ikubojuku.org

辻さんは防災関係の本を何冊か出していらっしゃいます。『レスキューナースが教える プチプラ防災』は扶桑社から、『保存版 防災ハンドメイド 100均グッズで作れちゃう!』はKADOKAWAから出ていますよ。ぜひ参考になさってください。
◎扶桑社 HP:https://www.fusosha.co.jp/books/detail/9784594083359
◎KADOKAWA HP:https://www.kadokawa.co.jp/product/322102000107/

応募はメールでお願いします。件名に「本のプレゼント希望」と書いて、番組までお送りください。
メールアドレスはflint@bayfm.co.jp
あなたの住所、氏名、職業、電話番号を忘れずに。番組を聴いての感想なども書いてくださると嬉しいです。応募の締め切りは3月11日(金)。当選発表は発送をもって代えさせていただきます。たくさんのご応募、お待ちしています。
応募は締め切られました。たくさんのご応募、誠にありがとうございました。
2022/2/27 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、波の裏側を撮るワン・アンド・オンリーな写真家「杏橋幹彦(きょうばし・みきひこ)」さんです。
杏橋さんは1969年、神奈川県茅ヶ崎市生まれ。東オーストラリアでライフセービングのブロンズメダルを取得後、いろいろなレスキュー法を学びます。そして、人は海にシンプルに向かうべきだと感じ、酸素ボンベを付けずに海に潜り、波の裏側をファインダーをのぞかずに直感だけで撮っています。神秘的な写真は海外でも高く評価され、集大成的な作品『BLUE FOREST』は2016年に伊勢神宮に奉納されています。
きょうはノーファインダーで撮る奇跡のような作品のことや、海に対する深い思いなどうかがいます。
☆写真:杏橋幹彦

命を賭けて
※それではお話をうかがっていきましょう。オフィシャルサイトで作品を拝見して、その神秘さに驚きました。サイトに掲載されている写真は全部、波の裏側をとらえた写真なんですよね?
「はい、酸素ボンベを使わずに泳いで波の中に行きます。片手にカメラを持って、使うのは水中眼鏡とフィンとカメラだけと、至ってシンプルな3つの道具だけで撮っています」
●そもそもどうして波の裏側を撮ってみようと思われたのですか?
「私の師匠はモデルとか車を撮っている人で、まあ大胆な人でね〜、”お前、写真なんか見ないで人の魂をつかめば”みたいな人でね。師匠のまた師匠が、ユージン・スミスで戦場カメラマンだったんですね。
そんな彼らの写真をずっと見ていて、若い時に俺の写真には奥のものがないな、薄っぺらだな、なんて思った時に、これは、ユージンたちのように命を賭けて何かをやらないと写らないんじゃないかと思ったんですね。
自分にとって命の駆け引きができる場所、そして人は絡めずに僕個人、杏橋幹彦として純粋に対峙できる場所はどこだろうと、ふと思った時に、きっと海だと。思い切って全てを捨てて、命を賭してやった時に、何か写るんじゃないかと思ったんです。そんな動機から、思ったらすぐ実行でひたすら・・・約20年前かな。海に踏み込んだんです」

●海に対する恐怖はなかったですか?
「いや〜今もありますしね、これは消えないです。怖い思いって不思議なもので、未だにどこかに蓄積されちゃって抜けきらないです。経験が邪魔をする時もあるし・・・。
面白いものである時、禅の本に”全てを捨てろ”って書いてあったので、その時持っていたクラシックカーも全部泣く泣く売って、何かこの世にもう未練がないようにと・・・。海に頭を下げて、本当に低いところからお願いしますということで、何が撮れるか分かりませんから。
今でこそ、こんな偉そうに喋っていますけれど、あの(波の裏側の)写真を見たこともないし、撮った人もいなかったので、撮れて日本に戻って現像して、あれが写って光った時に、現像所が大騒ぎしたんですよ、何を撮ったんだと。実は泳いで波を撮ってみたんだと・・・。
人間の目って実は補正してしまって、本当の色ではないんですね。皮肉なことに人間が作ったカメラが、実は俺たちが見えていないものを写し出すんだってことも知りましてね。まあ海から色々教わっているわけです」
●酸素ボンベを付けずに、海に出るんですよね?
「付けたこともあるんですけど、付けると何分後に帰らなきゃいけないとか、誰かと行ってくださいとか、人間界のルールと制約と都合、そういったものを海に押し付けたりすることになるし、海にとって魚に対して、ストロボを当てて、すごくすごく失礼なことをしたと、僕は思って懺悔したんですよね、ごめんなさいと。
俺はひとりで海に裸で行きますので、どうか海の神様か何か分からないですけど、守ってくださいと、ただ生き死には頼みませんと。ここから先はもう無情の世界なので、行くだけ頑張って行きますけど、何か写ればありがたいですと。そういうスタンスで、未だに海で色んなことをして撮っています」

真実を写す
※波の裏側をファインダーを覗かずに撮るんですよね?
「うん、覗かない。余談だけど、僕は色々写真を撮ったんだけど、写真家じゃないなと思ったりもして・・・あとで言うんだけど、”海伏”って名前を付けたりとか。
撮っているものは今は波と人。波と人は波動で実は同じなんですね。来る前を予測して、位置が大事なんです。波の中もそうですけど、そんなに早く魚のように動けないじゃないですか。ですから予測して予測して、ちょっと前にそこに入り込んだ瞬間に(シャッターを)押してないと、見てからじゃ遅いんですよ。見てからではもう行ってしまうので、来る前に押す、ないものを押す、ないものをつかむ。
例えば、皆さんが手でコップをつかむのを、僕は手を出すと手の中に入っているというか、変な言いかたですが、時間の使いかたがちょっと違うのかな・・・。これはちょっと変な話だけど、そういった意味で先に押していないと、(波は)早すぎるので見ても撮れないと思います」
●へぇ〜〜!
「で、写真に入り込んでくる。結局写しているけれども、僕の感覚だと、あ、写っちゃったって感じなんですよ。両目で見て何かを感じて押しているのは、今でも忘れないし、必ず、はっ! って思わない時は押してないです。ファインダーを見ないので、超感覚的なこと。
人間は五感ではなくて十感、二十感、五十感、百感って僕はあると思うんですね。それが、地球や宇宙の声を聞けないような、水槽みたいな暮らしをしていると、弱っちゃうんですよね。
そういったことも研ぎ澄まして、自己満足もあるんだけども、気づかせてもらうことの大事さも泳ぐ度に教わります。
ですから(ファインダーを)見ない。見ないし、人間の恣意、思惑、よく撮ってやろうとか波をこうしてフレームに入れてやろうって思うと、きな臭い写真になっちゃうんですよね。上手すぎる写真っていうんですか。
だから写真ってすごいもので、”真実を写す”ってよく作ったなって思うんですけど、自分も気づかないような本物、魂、やっぱり本物しか写らないですよ。嘘をつくのは人間で、写真は一切嘘をつけませんから、そこに賭けているんですよね。だから俺、動画とかやりませんよ」
●一期一会というか、同じ写真は二度とないっていう感じですね。
「波も同じものはないし、撮れたら撮れた、撮れなきゃ撮れないで、そもそも撮れるような状況じゃないんです。片手で泳いで撮っています。水中で回転して撮るんで、(撮れたら)奇跡ですよね」

編集部注:杏橋さんの写真をオフィシャルサイトでぜひ見てください。波が崩れて泡立っているところを、裏側から撮っている写真が多くあります。言いかたを変えると、波がどこで崩れるか、それを直前に感じないと撮れない写真ばかりなんです。研ぎ澄まされた感覚がある杏橋さんだからこそ撮れる写真だと言えます。
☆杏橋幹彦オフィシャルサイト:http://www.mikihiko.com/
山伏ではなく、海伏
※先ほど、ご自分のことを山で修行する山伏(やまぶし)ならぬ、「海伏(うみぶし)」だと表現されていましたが、この海伏と名乗るようになったいきさつを教えてください。
「撮る時に、本当にお辞儀して祝詞を読んで小さな貝を吹いたり・・・それは最初からやっていたわけじゃないんですけど、色んな人に教わって、海に戻るおまじないのような・・・それこそ、いまだに忍者の呪文も唱えています。
目に見えない力を借りないと、人間の力も心の許容も超えた場所に行くので、それには古来の人々が何か祈っていたことを取り入れさせていただいたらいいんじゃないかなっていうことで・・・僕は感じて、忍者の呪文とか、色んなことを、怪しいんだけど、取り入れてやっています。
その中で、ある山伏に山に行ったり色んなところで会うようになった時に、自分たちと実は同じことをやっているなっていう老齢な山伏のおじいさんがいたり、僕に山伏の仲間にならないかって誘ってくださったかたも実際いらっしゃいました。
その時にふと思ったのが、僕は海に対してまだ勉強中だし、色んなことを祈り続けるので、払い清めるというか、役目があると思うんです。私は皆さんと一緒に今できるレベルでもないんですと。
そうではなくて、”海伏”って今思ったんですけど、海伏と言ってよろしいでしょうかと。海伏として海で、この宇宙を祈っていきたいと思うんですが、どうでしょう? って言ったら、面白いから、お前それはやりなさいと、そう言われました。
僕が作った言葉なんですけど、山に伏せる、海に伏せる、彼らは山を宇宙と見て、命、水、その全ては山から生まれ、山に返る・・・おそらく古来には世界的に見ても海を祈っていたかたはいると思うんです。日本人もそうですけど、何か海に対して、義理を通して、胸を借り、思いを伝え、海と対話して、感謝を捧げる、じゃないけど、そういったイメージで、僕は自分を写真家ではなくて、海伏と呼ぶようになったんですね」

海は何かを返してくれる
※杏橋さんは、やはり子供の頃から海に親しんでいたんですか?
「茅ヶ崎で生まれ育ったんだけども、親父たちが山口県のほうで、おじいさんも山登りだったり、スキーだったりとか、僕の周りに大自然で遊ぶことを本当に心から楽しむことを知っていた大人たちがいたんですよ。
子供ってやっぱり、入り口がないと行かれないじゃないですか。そういう大人たちが限られた休みの間に、どこのいちばんいい海に行ってやろうかなって考えたら、そりゃいい海に連れて行ってくれるわけですよね。
面白いもので、魚が好きだったから、砂場に興味なかったので、海の家を使ったことはなかったですよ。岩場でずっと網を持って魚を捕まえて、一日中、海で遊んでいたっていう少年時代です。網がやがて釣竿になって、水槽で魚を飼ってみたり、色んなことしたけれども、飼われているのは俺で、あの魚は飼っていないんだとか、色んなこと思うわけですよ。
例えば皆さんの家の、いいとか悪いとかではなくて、イカした植木鉢を置くじゃないですか。あれはやっぱり自然が恋しいから置くんだよね。いいことだと思う。いいことだと思うけど、フィジーの人は置いてないから、家の中に。なぜなら家の周りは木です。当たり前の話だよね。目の前に海があるハワイの人は、水槽で魚は飼わないですから」
●なるほど〜!
「都会人には、やっぱりそういった宇宙観とか、自然観が必要なんですよ、結局は」
●自然を求めているんですね。
「うん、自然を求めるっていうのも、そうだけども、則して生きるしかないし、お互いが必要なんだと思う。ただ、お互いのバランスが崩れて、人間側だけのように見えちゃっているし、そういう暮らしになっているんですよ」
●ず〜っと海にいらして、どんなことを海から感じていますか?
「う〜ん、まだまだ・・・例えば1年後2年後にお話したら、色んなことを言えるかもしれないけど、今の僕として(言えるのは)海は生きている、間違えなくこっちを見ていて、礼を尽くすことを知っている、こちらから本当に海に対して気持ちを伝えれば、海はきっと何かの形で返してくれるでしょうね。
おそらく海のエネルギーは、人間の体内の成分と同じっていうように、浄化力と言っては変だけれども、身も心もクリーンにする何かがあるんだとは思います。それは永久に生涯、分からなくていいことで・・・分からなくていいんですよ。今、人間は何でも知ろう、分かろう、手に入れようとするけど、そういうもんじゃないから。
刻々と変わる海や風のように、そこにまず行くこと。行った者にしか分からない感覚。そしてある日、海のこととか、色んなこと、大事だなとか、綺麗だなとか、怖いなと・・・。
そう思った時に、目の前に落っこちていた缶カラでもいいから、ポケットに一個入れて、その程度でいいことなんだよね。ビーチクリーンがどうではなくて、まず自分の心で本当に思った、心理の言葉っていうか、自分で本当に思った純粋な気持ちを海に伝えておけば、海はきっと人それぞれの形に何か返してくれるものではないかなと思ってます」
青い波の襖絵に心震える
※現在、京都の禅寺「西陣 興聖寺(にしじん・こうしょうじ)」の本堂で、杏橋さんが2002年にフィジーの離島で撮った、青く美しい波の裏側の写真が、全長14mの襖(ふすま)となって特別公開されています。

このお寺で杏橋さんの作品が襖絵となって公開されるまでには、京都の知人と、お寺の住職、そして特別な技を持つ職人さんとの出会いがなければ実現しませんでした。不思議なご縁が導いた奇跡かも知れません。
杏橋さんが、襖絵の並べ方に関して、こんなお話をしてくださいました。
「いちばん左と右は、実は同じコマで、僕は最初連続した3枚で時間軸を表そうって言ったんですよ。波は、皆さんが思うのは、ものという波。波というものは最初からなくて、うまく言えるかどうか分からないけど、水素がくっついては離れてを繰り返すドミノ倒しのような動きで、波動とエネルギーなんですね。
よく見ていると、沖の波は一滴も岸には来ていないです。極端なことを言うと。お風呂で洗面器があって手で波を作ったら、波は来るけど、洗面器は動きませんから。来ているのは波動なんですね。
フィリピンで発生した風は台風になるけど、日本にはフィリピンの風は一滴も入っちゃいないし、うまく言えないけど、あるものはある、ないものがない、そんな禅問答みたいな姿が実は波のありようです。
ですから、僕は時間軸を表そうと思ったんだけど、住職が真ん中はこの写真にしたいって選んだのが今の写真で、実はそれは写真集の表紙に使って、伊勢神宮にちょっと前にご奉納させていただいた写真でもあるんです。あえて斬新な、左右は同じ時間に撮った1秒後だけど、真ん中だけは同じ場所だけど、日にちの違う波をそこにやって、何故か妙な一体感が生まれました」
●襖になった写真を見て、いかがでしたか?
「やっぱり、まずはこういう場をいただけたのがすごかったなと。皆で心震えましたよね。自分たちが感動して心震えないと、人には伝えられないっていうのが根本じゃないですか。皆さんも同じようなお仕事されているので、そこがまず本当に嬉しかったし、すごいな〜って。自分たちで自画自賛じゃないけど、心震えてびっくりしていましたね。
あとひとつ感じたのは、所詮俺の命は、なんとか海から戻ってきても60年から80年です。
そのお寺は”古田織部(ふるた・おりべ)”さんという茶人と、”曾我蕭白(そが・しょうはく)”という江戸時代の画家の菩提寺でもあるんです。人々の評価や色んなものを気にせず、利休のわびさびの中から、人をもてなすという茶道、器に花鳥画を描いたり、様々なことをして楽しんでもらおうと、自分の中の美意識を貫いた人たちの菩提寺。
そこに数百年後、斬新な青い海が現れたっていうのも、彼らが何か後ろで背中を押してくれたのかもしれないし、彼らに対しても、供養っていったらおこがましいけど、現代でも皆さんの意思を引き継いで、鼻垂らして頑張っている者がいるんです。本当にありがとうございますと、そんな風に思いましたよ」
☆この他の杏橋幹彦さんのトークもご覧下さい。
INFORMATION

ぜひ杏橋さんの作品をオフィシャルサイトでご覧ください。水と光と影が織りなす不思議で神秘的な写真に圧倒されます。見ていると空にも宇宙の銀河にも見えてきます。見えかたが違うのは、その時の自分の心象風景なのかもしれません。
◎杏橋幹彦オフィシャルサイト:http://www.mikihiko.com
現在、京都の禅寺「西陣 興聖寺」の本堂でフィジーの離島で撮った、青く美しい波の裏側の写真が、全長14mの襖となって特別公開されています。この襖絵は普段は非公開です。会期は3月18日まで。詳しくは京都市観光協会のサイトをご覧ください。
◎京都市観光協会 :
https://ja.kyoto.travel/event/single.php?event_id=5636