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シーズン直前!「初めての富士登山」徹底ガイド!

2024/6/16 UP!

 今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、一般社団法人「マウントフジトレイルクラブ」の代表理事「太田安彦(おおた・やすひこ)」さんです。

 太田さんは富士山の頂上になんと!600回以上も立ったベテランの登山ガイド。1982年、山梨県富士吉田市出身。富士山を見て育つも、社会人になって地元を離れて初めて、富士山が特別な山だと気づき、22歳の時に初めて頂上に立ったそうです。その時、なんとも言えない達成感を感じ、毎年登りたいという思いに突き動かされ、ついには登山ガイドの道へ。

 そして、32歳の時に行ったカナダやアメリカの国立公園で導入されている、自然や野生動物の保護、そして安全を目的とした規則や仕組みに感銘を受け、その手法を富士山に活かしたいという思いで、2016年に仲間と共に「ヨシダトレイルクラブ」を設立。その2年後、活動の幅を広げるために「マウントフジトレイルクラブ」に名称を変更。

 現在はガイドツアー、安全対策、環境保全の3つの事業を柱に、富士山六合目の「安全指導センター」の運営や救助の手伝い、ゴミ拾いのプロジェクトなどにも取り組んでいらっしゃいます。

 そして先頃、「マウントフジトレイルクラブ」監修の本『はじめての富士山登頂〜正しく登る 準備&体づくり 徹底サポートBOOK』を出版されました。

 きょうはそんな太田さんに、初心者向けの登山プランやルート選び、装備やウエア、そして絶対に守って欲しい注意事項のほか、今年から始まる「吉田ルート」の通行規制や予約システムについてもうかがいます。

 その前に、富士山の基礎知識。
 日本一標高の高い山、富士山。その高さは3776メートル。第二位の北岳(きただけ)が3193メートルなので、群を抜いて高い山です。そして独立峰で、円錐形のような姿はどこから見ても美しくて雄大で、季節や時間によって、いろんな表情を見せてくれます。

 2013年には、富士山とその周辺が世界文化遺産に登録され、観光で来日される海外のかたにも大人気ですよね。夏の登山シーズンには、多くの登山者が集まり、去年のデータによれば、2ヶ月で、およそ22万1000人が訪れたそうですよ。

 そんな富士山の登山シーズンが、いよいよ今年も7月から始まります。登山期間は
今年は山梨県側は7月1日から、静岡県側は7月10日から始まり、いずれも9月10日まで。なぜその期間なのか、太田さんがおっしゃるには、安全を担保できるのが夏だからでしょうとのこと。

 山開きの7月は山頂付近にはまだ雪が残っていて、毎年、雪かきをして登山道を整備。また、8月末から9月にかけては、みぞれや雪もちらつくことがあるとか。日本一標高の高い山、富士山は夏が短く、高所のリスクも高い山なんですね。

☆写真協力:マウントフジトレイルクラブ

太田安彦さん

正しい情報、そして準備

※私のようなまったくの初心者がまず、準備しなければいけないことは、どんなことですか?

「ふたつあると思っていて、まずしっかり正しい情報を得ること。その情報をもとに自分に何が足りないのか、それを準備する、このふたつですね。情報を得ることとそれに対しての準備を整えることですね」

●体力作りも重要になってきますよね?

「そうですね。情報で、富士山はやっぱり10時間以上行動すると知るので、山を10時間歩くことが自分にできるのかっていうところから、運動を始める。そういったところも準備になると思います」

●足腰を鍛えたらいいんですか? どんなことをしたらいいんでしょうか? 

「やはり足腰の筋力も必要だと思いますし、持久力も必要だと思います。とはいえ、それがなければ、絶対登れないということではなくて、私もガイド経験が長いので、富士山はほとんどが運動してない人が来る山っていう特徴もあると思いますね。

 体力がないと、どうなるかっていう話なんですけども、やはり筋肉がつってしまうケースもあります。心肺機能もいきなり心拍数が上がるのに耐えらなくて高山病を誘発してしまうような、高山病じゃなくても具合が悪くなってしまうようなケースもあります。やはり体力があるっていうのは、基礎的なベースとして必要だなっていうのは感じますね」

吉田ルートと富士宮ルート

※富士山の山頂に行くには、いくつかルートがあるんですよね?

「はい、4つあります。私がおもに拠点としているのが吉田ルート、山梨県側になります。それと、途中ぶつかるコースがあって、静岡県側から入ってきて、途中で吉田ルートにぶつかる須走ルート。で、静岡県では富士宮ルートと御殿場ルートがあります」

●初心者におすすめのルートは、どのルートになりますか?

「いちばんよく言われているのは、吉田ルートか富士宮ルート、そのふたつが上がってくるんですけども・・・とはいえ、明らかな違いがあるかって言ったら、私はそうじゃないと思います。

 どの登山口からも10時間近く歩きますし、高低差はそれこそ1000メートルは登って降りくる条件は一緒なので、大きな違いはないんですが、やはり吉田ルートだと山小屋が多くある。要するにそれだけ安全を担保できる、天気が悪くなった時に避難できるとか、具合が悪くなった時に(山小屋に)入れるとか、アドバイスを受けられるとか、そういったことが吉田ルートが人気な理由でもありますね。ほかにもご来光がどこの斜面でも、七合目でも八合目でも見られるというのが吉田ルートの人気の理由だと思います。

 初心者のかたに富士宮ルートも人気があるんですね、なぜかと言ったら、五合目のスタート地点の標高がいちばん上なんですね。2400メートル地点からなので、要するに山頂にちょっと近い、コースがちょっと短いという理由で、おそらく人気なのかなってのは思います」

●本に登りのルートと下りのルートが別々になっていると書かれていましたけれども・・・。

「そうですね。吉田ルートに関しては別々になっています。富士宮ルートは同じ道を帰ってきます。
吉田ルートは下山道が別になった理由がありまして、昭和55年に吉田大沢という沢の中を(登山者が)下山していたんですけども、そこが崩落によって犠牲者が出てしまったんですね。それまで荷物の上げ下げで使っていたブルドーザー道を再整備して下山道を正式につけた、要するに危険を回避するために別のところに下山道をつけたっていうところがありますね」

初心者はガイドツアーがおすすめ

はじめての富士山登頂〜正しく登る 準備&体づくり徹底サポートBOOK

※本ではモデルプランとして、二泊三日のプランをおすすめしています。利点も含めて、どんなプランなのか、教えていただけますか。

「まずは時間をかけて富士山に登る。体力に自信がない人も時間をかければなんとか登れる。一泊二日に比べて休息する日も1日多いので、体力を回復するポイントが多い。そういった意味で利点があるっていうところですね。あと高山病についてもやはり順応していくという人間の体質がありますので、そういった意味でも二泊三日というのは無理のないペースかなとは思います」

●3日間休みが取れないっていうかたでも、やっぱり八合目ぐらいまで行って山小屋に一泊は、したほうがいいですよね?

「そうですね。ほとんどというか、多くの登山者の中で多いスタイルが一泊二日のスタイルが多いと思うんですよ。やはり先ほど言った通り高度順応のためと、その途中で休息、筋力も休められたり、睡眠も取れたりとか、そういったことが利点で一泊二日もおすすめかなとは思いますね」

●初心者はまずガイドツアーに申し込むのがいいですか?

「そうですね。これは私がガイドだからっていうわけではなく、客観的に見ていても、やっぱりいちばんおすすめだと思います。理由はいちばんは、安全がある程度担保できるっていうところですね。

 例えば、悪天候の時の状況判断、登山を続けていいのかどうなのか、雨は強いし風が強くなってきた、これからどうなるのか、ガイドは当然天気は読めているので、その判断もできたりとか・・・。
 あと高山病になった時、自分が深刻で重度の高山病なのか、それともまだ軽い段階で改善の見込みがあるのか、そういったことの判断・・・。例えばもうちょっと歩幅を狭くして歩きましょうとか、ペースをこうやって安定させて歩きましょうとか、深呼吸を随時促すとか、そういったペースメイクですね。ペースメイクっていうのはすごく重要なので、そういったことを担うのがガイドで、それは富士山の登頂率を上げるという意味では大きく役に立つと思います」

●ガイドツアーはだいたいおいくらぐらいなんですか? 

「年々ちょっと変わっているなとは思うんですけれども、今年のツアーを先ほどちょっと確認したら、だいたい2万円前後ぐらいから4万円台のツアーがありました。それはガイド付きツアーで調べたんですけれども、その中に宿泊ですとか富士山までの交通費ですとか、そういったことはすべて盛り込まれて、もちろんガイド料も盛り込まれていました。富士登山の各ツアーを運営しているツアー会社のサイトを見るっていうのがいちばんですね。それで自分に合うのかどうなのかですね」

登山の3種の神器

※装備やウエアはどんなものを用意したらいいですか?

「まず、山の基本でもある3つ、登山靴とザックとレインウエアですね。これは重要になると思います。
 登山靴は長時間歩く登山に適しているというか、登山をするために作られているので、やっぱり長時間歩いても疲れにくいとか、足首をホールドしてくれるとか、あと濡れにくいっていうのも重要で、ゴアテックスを使っていたりとか、発水性のある素材を使っているっていうのは重要ですね。

 急な雨、レインウエアにもつながるんですけども、富士山の雨というのは短時間でドバドバと、バケツをひっくり返したような雨が降ることもあって、やっぱりそういったものに耐えうるカッパがいいですね。よく『100均で売っているようなペラペラのカッパでもいいんですか?』っていう質問があるんですけど、できればそれは避けたほうがいいなと思います。

 というのは、汗を外に出す機能もない、ビニールなので透湿性がなかったり、要するに汗かいて、中がビショビショになって冷えてしまう可能性もあったりですね。あと富士山は寒いので、ビニールガッパだと硬化してパリパリ割れてしまうケースもあります。風も強くてそういったものが機能しないということがあるので、やはり上下セパレートの防水性に優れた、動きやすいカッパがいいなとは思います」

●確かに富士山は、暑さと寒さ、その両方に対処しないといけないですね。ウエア選びはちょっと大変じゃないですか?

「本当にそうですね。快晴の時は『登山日和だ! 気持ちよかったね! カッパも使う必要なかった』とか『半袖でよかったんじゃないか?』とか、そういった天気もあれば、風速20メートルで気温も寒気が入って、山頂だと5度以下になったりもします。いきなり冬が訪れるのも富士山なので、標高3000メートルを超えているということで、やはり(ウエア選びは)難しいんですけども、要するにそういった悪天候に備えるのが重要かなというのは思いますね」

●トレッキング・ポールはあったほうがいいですか?

「これは必須ではないんですが、筋力に自信のないかたはそれなりのサポートを考えて・・・下山時に特にボールがなかったら、ふらついて筋力に負担をかけるよりかは、やはり4点で、歩けると安定して歩ける、要するに筋肉にそんなに影響を与えずに歩けるっていうところでは、やっぱりポールはあったほうが便利かなとは思いますね」

(編集部注:装備やウエアは、しっかりしたものを買うとそれなりのお値段になるので、予算的に厳しいというかたは、フルセットのレンタルもあるので、それを利用する手もあるとのこと。また、山好きの友人がいたら、事前に借りて、使ってみて、それから自分に合うものを買うというのもいいかもしれませんね)

呼吸は吐くことを意識

※太田さんによると、富士登山には大なり小なりトラブルはつきもので、多く見受けられるのが高山特有の酸素不足による体調不良だそうです。高山での呼吸の仕方に、コツがあったら教えてください。

「これはシンプルで、吐き出すほうを意識することなんですね。(登山客に)深呼吸してくださいって言うと、吸うほうに意識がいきがちなんですけども、例えば、ろうそくの火を消すように、ふ~っと細く長く吐き出す、しっかり吐き出すと人間は苦しくなって深く吸い込むので、吐くほうを意識するとちゃんと吸い込めます。吸った時に肩がぐっと上がったりとか、胸がぐーっと膨らむぐらいまで深呼吸するのはいいと思いますね」

●なるほど! 吐くほうに意識を向けるということなんですね。登りと下りでバテない上手な歩き方はありますか?

「バテないっていう必殺技みたいなのはたぶんないとは思うんですけども(笑)、それこそ、登りは一足ずつぐらい、足の一足26センチとか28センチとか、本当に一足ずつぐらい、30センチぐらいの歩幅で一歩一歩、歩く。要するにすごく小股で歩くんですね。

 お客さんに最初、このぐらいのペースで歩くんですと、五合目を歩き始めてすぐの上り坂で言うんですね。そうすると『えっ? これ、遅すぎないですか?』って、まずみなさん驚くんですよ。でも九合目になったら、その歩き方でさえもちょっと早いと感じるぐらいの体感があるんですね。なので、小股で歩くのは筋力を使わないとか、ペースを安定させ、心拍数を抑えるために重要ですね。

 カメとウサギの話があると思うんですが、それが結構重要で、ゆっくり歩くと何ができるかって言ったら、心拍数もそれほど上がらない、筋肉をガシガシ使わない、筋肉は酸素で動いたりしますので、効率よく吸った酸素を省エネで使う歩き方、小股で歩くっていうのがポイントですね」

●登山にはいろんなルールとかマナーがあると思うんですけど、これだけは絶対に守ってほしいことってありますか?

「いくつも実はあるんですけども、いちばんはルールを守って人をケガさせないことが重要かなと思います。富士山の特徴のひとつが人が多いこと。当然(登山道で)渋滞ができてしまう時間帯とか場所もあるんですね。山頂付近、九合目付近ですとか・・・。そういった時に何が起こるかと言ったら、登山道以外を歩いたりしてしまうんですね。

 登山道のロープを越えて斜面を直登していく人がたまにいるんですけれども、そういった時には石を落としやすいんですね。その石が当たって亡くなってしまったケースもあります。当然、ケガというケースもあって、毎年のようにヒヤリ・ハットは何件も起きているので、やはりルールを守って人をケガさせないことですね。もちろん自分の体調を整え、ケガをしないっていうことも重要なんですけれども、ひとりひとりがケガさせないようにルールを守っていくと、必然的に自分がケガするというリスクも減っていくんだろうと思います」

(編集部注:下山時の歩き方のコツは、太田さんによると、人にもよるそうですが、下る時も歩幅は狭く、足の裏の全体を地面につけるベタ足が基本で、トントントンと一歩ずつ丁寧に、リズミカルに歩くことだそうですよ)

今年から始まる「吉田ルート」の登山規制

※今年から山梨県側の吉田ルートの登山規制と、通行予約が始まると、ニュースなどで報道されました。この背景には、どんなことがあるのでしょうか?

「やはり弾丸登山ですとか、集中する登山者の抑制につながるという施策だと思います。例えば、去年でいうと4000人を超えた日が何日かあって、その中で弾丸登山が・・・宿泊を伴わないで夜に入ってきて、そのまま山頂へ向かうスタイルを、みなさん弾丸登山と言っているんですけども、その人数が1000人〜1300人ぐらい入った日があって、それはとても危険を感じましたね。

 どんなことかって言ったら、当然その時期は山小屋がいっぱいで予約ができませんし、そんな中、いろんなところに弾丸登山者が寝ている、シュラフですとかビニールシートにくるまって寝ているとか、休んでいるケースが多くて、そこで悪天候になったら、『これはほんと大変危険な状況だ!』とかもあります。それこそ登山道をはみ出して歩く人も何人も何人も見受けられたので、今年はこの規制の効果が見込めるのかなとも思いますね」

●規制は1日何人までになるんですか?

「山梨県側では1日4000人を上限としています」

●安全登山のために、これは致し方ないことなんですか?

「重要なのは今やる施策であって、これがずっと4000人の規制があるかっていうことでは多分ないと思うんですね。とりあえず今ある目先の危険なことに対して、4000人をマックスにしたっていうことで、これが今年すごくいいほうに働いて本当に抑制できるんであれば、なおかつ登山者にとってストレスにならなければ、これはいい施策だったっていうことにもなりますし、もしかしたらまだ問題が出てくる可能性もありますけど、まずは今年これで ひとまずやっていくことで、いいのかなとは思いますね」

●吉田ルートの通行予約は、オフィシャルサイトからできるんですか?

「そうですね。オフィシャルサイトからできます。やっぱりいちばんみなさんが不安に感じているのは、自分がその4000人の中に入れるだろうかっていうところだと思うんですけれども、基本的に宿泊の予約をしていれば、山小宿泊の予約をしていて、その証明があれば4000人を超えていたとしても入山できるんですね。

 なので、宿泊予約をして一泊二日、もしくは二泊三日で予約を取って、登山を計画されているかたは、この規制に対しては全く問題ないので心配されなくて大丈夫だと思います。日登りに対して、日登りとは日中、朝早くから登って夕方には帰ってくるっていうスタイルで、4000人を超えるかどうかっていうとこなので、今までの感覚だとそんなに大きな影響があるかって言ったら、冷静に考えるとそうないのかなとも思いますね」

(編集部注:山梨県側から入る吉田ルートでは、今年から2000円の通行料がかかります。収益は安全対策などに使われるとのことです)

◎富士登山オフィシャルサイト:https://www.fujisan-climb.jp/

富士山は宝物、次の世代へ

※富士山の楽しみ方はいろいろあると思うんですけど、太田さんのおすすめはありますか?

「本当にいろいろあって、自分の興味があることでいいと思うんですね。例えば、歴史とか自然とかにも魅力はあるので・・・。
 自分がちょっとおすすめしたいなっていうのは、やっぱり星が綺麗なんですね、富士山は。例えば、流星群の時は数分に1個流れ星が見られるとか、人工衛星も肉眼で頻繁に見えますので、星空を鑑賞するっていうところでは富士山は適しているのかなと思います」

●富士山に登りたいって思っている初心者のかたがたに向けて、改めて伝えておきたいことなどありましたらお願いします。

「富士山は、本当に準備さえしていれば、登頂率が上がる山なんですね。なので先ほど冒頭でも言った通り、情報を取って自分に何が足りないか、例えば体力、ほんとに運動を全くしていなくて、ちょっと歩いただけでも息が上がって、膝が痛くなるっていうことであれば、富士山はトレーニングが必要だと思いますね。

 日頃運動していて、階段登りもだいぶできるということであれば、登頂率も上がってきます。情報と、それに何が必要かを自分で捉えて、計画的にやってもらえたらいいなと思います。

 ひとつ言うとすれば、焦らず、富士山は逃げない場所なので、こういった規制があったとしても富士山に登れなくなるっていうわけでもないです。むしろ焦って、今年しかチャンスはないんだって思ってケガをして、富士山で嫌な思い出を作って、富士山には一生行かないっていうよりかは、丁寧に準備して思い出を深く、いい思い出にしてもらって、毎年恒例にしようって思うぐらいの富士登山にしてもらえたらいいなと思います」

●では最後に、太田さんにとって富士山とは?

「そうですね・・・ちょこちょここの質問をされて、すごく答えづらくてですね(笑)、まだそんなに俯瞰して見られるというのはないんですけども、強いて言えば、むしろかっこよく言えば、富士山は自分にとって『宝物』という表現をしたいなと思います。

 宝物っていうのは、自分にとって必ず必要なものでもありますし、やっぱり大切にしたくなることでもあります。あとやっぱり自分の子供にもその宝物を譲る場面が出てくると思うので、そういった時にはいい状態で譲りたいなとも思います。
 富士山は自分のものだけではなくて、みんなが共有している、かけがえのないものだと思うので、それをそういった思いでいろんな人に体験してもらいたいなとは思います」


INFORMATION

はじめての富士山登頂〜正しく登る 準備&体づくり徹底サポートBOOK

 富士山を目指す、特に初心者のかたは「マウントフジトレイルクラブ」が監修した本 『はじめての富士山登頂〜正しく登る 準備&体づくり徹底サポートBOOK』をぜひ参考になさってください。トラブルを回避する方法、モデルプラン、ルートガイド、装備やウエア、そして快適登山のための事前予習やトレーニングなど、初心者の知りたいことが、まるわかりのガイド本です。
 メイツユニバーサルコンテンツから絶賛発売中。詳しくは、出版社のサイトをご覧ください。

◎メイツユニバーサルコンテンツ :https://www.mates-publishing.co.jp/archives/29913

 「マウントフジトレイルクラブ」では富士山登頂や周辺を楽しむツアーなども企画しています。詳しくはオフィシャルサイトをご覧ください。

◎マウントフジトレイルクラブ :https://mftc.jp/

シモキタ園藝部〜人と蜜蜂が作る緑の循環

2024/6/9 UP!

 今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンは、シリーズ「SDGs〜私たちの未来」の第20弾! SDGsの17の目標から「住み続けられるまちづくりを」ということで、「シモキタ園藝部」の活動をご紹介します。

 下北沢駅周辺は再開発が進み、小田急線が地下に移ったことで、東北沢から世田谷代田あたりまでの約1.7キロの線路跡地に「下北線路街」ができて、そこが緑地になっています。

 一般社団法人「シモキタ園藝部」は「まちの植物を守り育てていく」ことを目的として2020年4月に発足。それまでの経緯をかつまんでご説明すると・・・小田急線が地下に入るということで、地上の線路跡地をどうするかという話し合いが世田谷区と市民グループの間で始まり、区長が交代したことをきかっけに、小田急や京王の電鉄会社も参加し、さらに活発化。

 そして、市民グループからの提案などをもとに、ランドスケープ専門会社がグランドデザインを作り、イメージを共有。植物を中心に活動したいというグループ「緑部会」から現在の「シモキタ園藝部」になったそうです。

 同園藝部は「循環」をテーマに、植栽の管理に加え、コンポスト事業、養蜂、植物の知識を身につけるための園芸学校、世話ができなくなった植物を引き取り、手入れして、新しい持ち主へつなぐ「古樹屋(ふるぎや)」、ワイルドティーなどが飲める「ちゃや」、そして活動の拠点「こや」を運営するなど、幅広い活動を行なっています。

「のはら広場」は子供たちが作った!?

「シモキタ園藝部」

※取材にうかがった日は5月の半ば過ぎで時折、日が射す程度の、そんなに暑くもなく取材日和。小田急線下北沢駅の南西口を出てすぐに、緑あふれる小道が続き、ここが下北沢!? と思うほどでしたよ。待ち合わせ場所の「こや」までは、小道を歩いてすぐなんですが、流れている時間が違うような、そんな感覚にも包まれました。

●それではまず、シモキタ園藝部ができる前から、再開発に関わってこられた「前田道雄(まえだ・みちお)」さんにご登場いただきましょう。

前田道雄さん

 「こや」のすぐそばにある「シモキタのはら広場」は公園の植栽とはちょっと違う印象なんですが、どんなふうに手入れをしているんでしょうか?

「ただ単に植物を愛でるというよりは、小田急線が地下に入り、実際に育っている緑を植栽管理っていう形でメンテナンスしながら、よくある公園の植栽管理だと、あっさり伐採しちゃうというのが多いんですけど、(シモキタのはら広場は)丁寧に見ながら管理をしていく・・・そうすると例えば、そこに生えてきた草を全部採るとかじゃなくて、選択的除草と言って、これは残しておこうとか、その場その場で判断をしながらやっているので、やっぱりその地にあるような植物が残っていくのかなと思います。

 あとは月に一度ぐらいイベント的に集まって、細かく管理をするので、ほかよりも丁寧に目を光らせてやっているんだけれども、一律に管理するっていうことではなくて、その場その場に相応しいやり方をみんなで考えていくみたいな形でやっています。それがほかとはちょっと違う植栽の状況になっているのかなと思っています。一般的な公園と違うのは、やっぱり草が多いですよね。

 普通は樹木を植えるのが、公園の植栽のデザインとしては多いと思うんですけれども、それよりももっと草とかそういったものを中心に仕立てられていて、最初作るときは芝生を敷いたところにタネを撒いているんですね。タネを撒いて草がいっぱい生えてきて、その草地を子供たちに走ってもらって、道がだんだんできていくみたいな感じの作られ方をしているので、誰がデザインとしたというよりも子供たちが走り回ってできた道なんです。

 そこで今、草地として残っているところに生えた草をちょっとずつメンテナンスしながら、しかもタネを蒔いて出てきたものだけじゃなくて、そのうち勝手に生えてくるものもあるんですね。それもこれはいいよねっていうものは残すみたいな形でやっています。だから毎年、1年目2年目3年目と、原っぱの雰囲気がだいぶ違いますよね。生えている植物も違うので、私もわからないものがまた増えちゃうみたいな感じですかね」

(編集部注:水やりや手入れは曜日を決めて、参加できる部員みんなで行なうそうですよ)

のはら広場。奥に見えるのはコンポスト用の小屋。
のはら広場。奥に見えるのはコンポスト用の小屋。

みんなで作る

※前田さんは、おもにどんな活動をされているんですか?

「私は仕事が建築系なので、どちらかというと今使っている拠点、『こや』と呼んでいる建物があるんですけれども、そこのメンテナンスというかとDIYいうか、ちょっと手を入れたりとか、そういったことをおもにやっていますね。

 それも私だけじゃなくて、いろんなかたにお手伝いいただきながら、例えば外にあるデッキをみんなで作ったりとか、2階のテラスにあるデッキをみんなで敷いたりとか、あとは棚をみんなで作ったりとか、そんなことをやる時に、ちょっと専門的な知見でこうするといいよね!とか、こうすると危なくないよね!みたいなことをアドバイスしながら、みんなで作っていくのをサポートしている感じですね」

右が拠点の「こや」、左が「ちゃや」。
右が拠点の「こや」、左が「ちゃや」。

●本業とこのシモキタ園藝部の活動と、ふたつが重なることによって、何か変化はありましたか?

「すごく直接的に何か変わったというわけではないんですけれども、やはり仕事の中で、植物を植えたりとか、そういったことを考えることも多いので、その時の細かさが変わったかなと思います。
 建築という、もう少し大きなスケールで見ると、樹木を何本、こういうふうに植えましょうみたいな、そういうスケール感で見ていたものが、その下に生えている草とか、そういったところも見えながら全体を考えるみたいな・・・少し細かさが出てきたような気がしています」

(編集部注:現在、シモキタ園藝部の部員は200人くらいで、年齢も幅広く、いろんな仕事をしているかたがたが集まっているそうです。世田谷区に住んでいなくても、だれでも部員になれるとのことですよ。興味のあるかたは、ぜひオフィシャルサイトhttps://shimokita-engei.jpをご覧ください)

雑草は宝物、循環は面白い

※続いてご登場いただくのは、コンポスト事業を担当する「斉藤吉司(さいとう・よしじ)」さんです。斉藤さんは、こんな動機でコンポスト事業のリーダーになったそうですよ。

斉藤吉司さん

「自分の自宅でも家の周りに雑草が生えているじゃないですか。それを抜くって本当に嫌だったのが、堆肥にできるって知った瞬間に雑草が宝物に見えてきてんですね。それで自身もコンポストをやり始めていたので、園藝部でもそういうのができるなと思ったら、自分の活動が広がるような感じがして、ぜひ自分にリーダーをやらせてください! って言って始まりました」

●まさに循環を実践されている感じなんですね。

「そう、面白い! 循環は面白いです」

●コンポストの維持とか管理は、斎藤さんをはじめ、何人ぐらいのかたでされているんですか?

「メインで活動しているのがだいだい15名ぐらいで、いろいろな関係で50人ぐらいのかたに関わっていただいています」

●何か所にコンポストを設置されているんですか?

「コンポストは、さっき見ていただいたコンポストを含めて3か所ぐらいですかね。(下北線路街が)1.7キロあるので、それぞれ(コンポスト)工場のほうに持ってきたら大変なので、やっぱり近くにコンポストが必要っていうことになって、それぞれの場所に作り始めています。なので、先ほどお話しいただいた前田さんも東北沢で『竹のコンポスト』を設計されて、すごく素敵なコンポストを作られています」

●堆肥化する落ち葉とか雑草は、下北線路街の植栽から発生したものですよね?

「そうですね。それとプラスして街の、例えばコーヒーかすだったりとか、おそば屋さんのそば殻だったりとか、あと世田谷区はエコな活動しているお店がすごく多くて、例えば果物屋さんが果物の皮を捨てるのがもったいないから、乾燥しているので使ってくれないかっていう提案をいただいたりとか、あとクラフトビールを作っているところは、ビールかすを使ってもらえないかとか、いろんなことがあって、そういうものを集めて堆肥を作っています」

●飲食店から出る生ゴミとかも堆肥化されているんですね。

「自分たちは宝物っていうんですけど、宝物をいただいて、それをまたさらに宝物にするっていう活動をしています」

●現在、年間にどれぐらいの量の堆肥ができるんですか?

「だいたい1回の積み込みでリンゴ箱20個分なんです。あれは50リットル入るんですね。なので1回で1000リットル、それが4回なので、合計で(年間)4000リットルできますね」

●その堆肥は下北線路街の植栽に使っているということですか?

「そうですね。やっぱり線路街はちょっと土がよくなかったりするので、そこに土壌改良的に入れてもらっていたりとか、今は新しい取り組みとして『下北の土』としてちょっと堆肥に土を混ぜて、必要なかたにお分けするっていうことを、これからやろうとしています。あと古樹屋さんでも植え替えの時に土を使ってもらっているということです」

<シモキタ園藝部のコンポストあれこれ>

 シモキタ園藝部のコンポスト事業では、ミミズコンポストも含めて、いろんなタイプのコンポストを試していて、そのひとつが「キエーロ」というネーミングのコンポスト。これは、神奈川県葉山にお住まいの「松本伸夫(まつもと・のぶお)」さんが開発したもので、その特徴は、風と太陽と土を利用すること。

 木の箱に生ゴミと土を入れるだけの、至ってシンプルな構造で、肝心なのは、雨が当たらないように屋根があること。太陽の光を取り入れたいので、屋根を透明にすること。そして、風通しを良くするために密閉しないこと。この3つに注意するだけ。土の温度を上げることで、微生物の活動を活発にする狙いがあるんです。この「キエーロ」は、臭いがしない、土の量が増えない、そしてランニングコストがゼロと、いいことだらけ。

 シモキタ園藝部では、ワークショップで参加者にりんご箱の「キエーロ」を作ってもらったりするそうです。作りかたなどは「キエーロ」のオフィシャルサイトhttps://kieroofficial.wixsite.com/kieroに載っていますので、参考にされてみてはいかがでしょうか。

 また、取材でお邪魔した活動拠点「こや」の2階には、「うみまちコンポスト」が設置してありました。これはコンポストとテーブルを組み合わせた実験的な家具で、なんと椅子の部分が、ロックを外すと回転するコンポストなんです。こうすることで中の土がよくまざり、微生物が元気になるんですね。

実験的な家具「うみまちコンポスト」
実験的な家具「うみまちコンポスト」

 ほかにもコンポスト事業部では「発電するコンポスト」の実証実験も行なっています。これは「ニソール」という会社が考案した仕組みを取り入れているもので、コンポストの土の中に電極を差し込み、微生物などが発するエネルギーを電気として利用しようというものなんです。実際にクリスマスのイルミネーションなどを「発電するコンポスト」の電気で灯したことがあるそうですよ。

下北沢線路街で養蜂に取り組む

※続いてご登場いただくのは、シモキタ園藝部で「養蜂」を担当されている「杉山直子(すぎやま・なおこ)」さんです。杉山さんは園藝部の活動のひとつとして、養蜂をやりましょうと提案されたかたなんです。

杉山直子さん

 なぜ、養蜂だったのか、それは杉山さんの知り合いで、田舎でニホンミツバチを飼っていたかたと話す機会があって、そこで養蜂に出会い、その蜜の味に感動したそうです。

 ところが、ニホンミツバチは野生の生き物で採れる蜜の量が少ないため、セイヨウミツバチの飼育をやってみないかという話になり、そのためには技術と知識が必要ということで、埼玉の養蜂場にお邪魔し、養蜂家に弟子入りを懇願。およそ2年にわたって毎週のように通い、師匠にセイヨウミツバチの飼育方法をみっちり学んだそうです。
 そして現在はシモキタ園藝部の活動として、下北線路街の2カ所に、計10箱の巣箱を設置し、養蜂に取り組んでいらっしゃいます。

 セイヨウミツバチは、天敵のスズメバチから身を守る方法を知らないのでスズメバチが巣箱に侵入しないように、ネットを張るなどの対策を行なっているそうですが・・・ほかに養蜂でいちばん気を使うのはどんなことですか?

「今まさにこの時期なんですけれども、分蜂(ぶんぽう)・・・分かれる蜂と書いて分蜂と読むんですけれども、今新しい女王蜂が生まれる、活発に作ろう作ろうと蜂たちがする時期で、古い女王がいる巣箱に新しい女王が生まれてしまうと、古い女王が嫌がって一家の半分を連れて外に逃げちゃう。
 そうすると、ものすごい数の蜂がわーって集まって、変な話ですけど、電信柱だったり木の幹だったりに、蜂球(ほうきゅう)を作るんですね。

 そうすると、知らないかたが見ると蜂がかたまりになっているって・・・つい先だっても大谷翔平のドジャースタジアムで話題になったんですけど・・・本当にそれと同じ現象です。
 その分蜂する蜂たちは新しい家を探しに出て行くので、お腹の中にしっかり蜜を溜めています。本当はものすごく大人しいんですけど、知らない人が見ると蜂がたくさんいる、怖い〜ってなって、警察沙汰にもなりかねないので、いちばんそこは注意して管理をしなければいけないんですね。ちょっとこまめに、内見と言って(巣箱の)中の様子を見る作業を通常よりは増やして行なっています」

蜂蜜で「下北沢」を味わう

●巣箱のあるエリアに花が咲いていないと、養蜂は成り立たないですよね?

「そうですね。蜜蜂は半径2キロのところを飛ぶんですけれども、もちろん近いところに蜜源の植物があるほうが蜂たちにとったらストレスが軽くなります。お陰様で、園藝部さんの植栽管理の地域が非常に近いところにあるので、私たちの蜂は豊かな花々に恵まれていると思っていて、しかもその花々の質が高い。それがすべて味に反映されていると感じています」

●どんな味がするんですか?

「特にやっぱり4月は桜の花のあとで一斉に花々が開花するので、まずひとくち舐めると桜の味を感じて、そのあとにまた違う、口の中で転がしていくと、違う花の味も感じますね。それで飲み込んだあとは、最後がまたちょっと桜とは違うというか、まるで香水のトップノートとミドルノート、そういうような変わり方をする味わいだと私は思っています」

シモキタハニー

●先ほど3種類の蜂蜜をいただきました。4月26日、5月11日、それから5月21日に集めた蜜ということで、本当に時期によって全然味って変わるんですね!

「そうなんですね、本当に。地域の花々から集めた百花蜜なんですけれども、その花の移り変わりでどんどん味が変わっていく。今年で3年目に入るんですけれども、1年目2年目の同じ時期の味ともちょっとまた違うし・・・となると気候によっても微妙に変わってきますし、まるでワインのヴィンテージというか、テロワールっていうんですか、下北沢を味わっている感じがします。

 園藝部の植栽もさることながら、(下北沢は)割と古い住宅街で、お庭があってお花を育てていらっしゃるお家が非常に多い。あとは近くの公園だったり緑道だったり、東大駒場キャンパスなどにも豊かな蜜源があるので、そういうところから本当に様々な雑味のない蜂蜜というか、すべての採蜜日が外れたことがないというか、私たちは、それがありがたいですね」

●3種類、どれも本当に美味しかったです! 

「自信を持っておすすめします。全く混ざりものがない非加熱の蜂蜜なので、蜂蜜の本来持っている大事な酵素とかビタミン、ミネラルがすべて生きたまま入っています。体にとっても非常にいいんですよね」

(編集部注:杉山さんが愛情込めて世話をしている、蜜蜂たちが集めた蜜は「シモキタハニー」として販売されているほか、蜜蝋も活動拠点の「こや」や「ちゃや」の椅子やテーブルなどのワックスとして使っているほか、シモキタ園藝部のワークショップなどでも活用しているそうです)

まとまり、つながり、循環

シモキタ園藝部の皆さん

※それでは最後に、シモキタ園藝部の良さは、どんなところにあるのか、前田道雄さん、斉藤吉司さん、そして杉山直子さんにお聞きしました。まずは前田さんです。

「誰かが中心になって全部やっているというよりは、いろんなかたがいろんな興味に応じて手を加えているので、すごく統一感のある世界というよりも、少しバラバラなんだけれども、なんとなくみんなの意識が共有されているようなまとまりができているように思いますね。
 それが『のはら広場』の(植栽が)バラバラだとしながらもまとまっている、なんとなく雰囲気があるみたいな感じ・・・それと同じように園藝部自体もいろんな人たちが集まって、みんなちょっとずつ違うほうを見ているんだけれども、全体としてはまとまりがあるっていうのがとても魅力的かなと思っています」

※続いて斉藤さんです。

「コンポストを2年間やってきて、いろんなかたとゴミを介してお会いできるし、そういうつながりがあって、自分たちもその刺激を受けながら、なんか新しいことがどんどん広がってくっていうのがすごく楽しいことですね」

※では最後は、杉山さんです。

「埼玉の(養蜂家の)師匠に弟子入りしたと同時に、やっぱり地元の下北沢で養蜂をやってみたいという思いがさらに強くなって、その間、下北沢で養蜂ができる場所を探していたんですけど、園藝部の先ほどお話しされた前田さんと、割と早い時期から活動されていた男性が私の小中学校の同級生で、たまたま道でばったり会った時に私の思いを伝えたんですね。
 そうしたら実はシモキタ園藝部というのがあって、養蜂もいいよねと話していて、だから君、まず園藝部に入りなさいって言われて、即入部して、そこからみんなに呆れられるほどプレゼンをして、なんとか屋上を貸してくださるかたを見つけるまでに至りました。

 園藝部のかたがたから言われたんですよ。私たちの巣箱を埼玉から下北沢に移動して、丸1年間か2年目に入ったぐらいの時から、花の付きが段違いでよくなったっていうふうに言ってくださって・・・。

 蜜蜂による受粉活動で街の緑が豊かになっていく。それは私が最初に園藝部さんにプレゼンする時の第一の売り文句でもあったので、それを実感してくださる人たちがいるということに非常に感謝しておりますし、植物が豊かになってくれば、より多くの花が咲くので、蜜蜂たちの蜜源もそこで増えていくから、非常によい“循環”が生まれてくると思っています」


INFORMATION

 シモキタ園藝部は活動のテーマが「循環」ということで、その循環の輪の中で、植物も蜜蜂も人も調和しながら、まわっているように感じました。また自治体、地元企業、そして市民が参加する再開発のモデルケースで、まさに「住み続けられるまちづくりを」を形にしていると思います。

 下北線路街は緑あふれる素敵なエリアです。お洒落なカフェやお店も点在しています。まずはぜひ訪れてみてください。

 シモキタ園藝部ではワークショップなどのイベントも定期的に開催。また「ちゃや」では採れたての野花を使ったワイルドティーを楽しめますし、天然はちみつの「シモキタハニー」も販売しています。詳しくは、シモキタ園藝部のオフィシャルサイトをご覧ください。

◎シモキタ園藝部 :https://shimokita-engei.jp

昆虫写真家 工藤誠也〜寝ても覚めてもチョウに夢虫

2024/6/2 UP!

 今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、弘前大学の研究員で、
昆虫写真家としても活躍されている「工藤誠也(くどう・せいや)」さんです。

 工藤さんは1988年、青森県弘前市生まれ。お父さんの影響もあって、子供の頃から昆虫好き。そして岩手大学大学院を経て、現在は弘前大学農学生命科学部の研究員としておもに魚や鳥など、生物が自然環境の中でどんなふうに生きているのかを調査・研究されています。

 また、研究活動のかたわら、青森の野山をおもなフィールドとして昆虫の撮影を行ない、先頃、撮りためた蝶々、約200種を掲載した本『チョウごよみ365日』を出されました。

 この本はタイトル通り、四季折々のフィールドで出会うチョウの写真を日めくり感覚で楽しめて、美しい写真に添えてある、撮った時の状況や、チョウの特徴を解説した文章に工藤さんのチョウへの思いが溢れています。また、カヴァーに載っている「寝ても覚めても チョウに夢虫」というコピーにもチョウへの愛を感じます。

 きょうは、その本をもとに、同じ蝶々なのに翅(はね)の色を変える種や、アリを巧みに利用するチョウなど、意外と知られていない蝶々の生態についてお話をうかがいます。

☆協力:工藤誠也、誠文堂新光社

ミドリシジミ
ミドリシジミ
『チョウごよみ365日』

越冬する日本のチョウ

※日本には何種類くらいのチョウがいるとされていますか?

「240種くらいと言われることが多いです。ただ、いかんせんチョウは飛ぶ生き物なので、ほかの国で普段過ごしているチョウが台風とかで運ばれて、日本に飛んできて、まれに記録されたりだとか、毎年のように日本にはいるけど、実は冬に一度滅んでしまって、また次の年に来るっていうのを繰り返している種だとか・・・あと外来種とか、そういったものが結構多くあります。

 記録のあるチョウをすべて数えたら300種を超えると思います。もっと厳密に昔から日本にいて、越冬しているみたいなやつだけを数えたら、200種よりちょっと多いくらいになるんじゃないかと思います」

●チョウというと、東京でも都市公園とか郊外の住宅地などで春から夏にかけてよく見かけますけれども、その頃が繁殖の季節ということなんですよね?

「春に出るチョウもいますし、夏に出るチョウも秋に出るのもいて、種数でいうなら夏が多いのかなとは思いますが、それぞれいろいろあると思います」

ミドリシジミの羽化
ミドリシジミの羽化

●工藤さんがお住まいの、メイン・フィールドの青森は冬の期間が長いじゃないですか。となるとチョウの活動期間は短くなっちゃうんですか?

「寿命自体は一個体一個体、そう大きく変わらないと思うんですが、どうしても春から秋までの時間や、夏自体も短くなりますので、いろんな種が同じタイミングで出てくる。で、たくさんの種が短い期間に一気に出てくるような状態になります。春から秋までの期間は、虫が見られる期間自体はちょっと短いですね」

●冬を越すチョウは結構多いんですか?

「日本に生息している都合上、何かしらの形では冬を越さなきゃいけないですね。成虫で冬を越すっていうことであれば、タテハチョウの仲間とか、シロチョウの仲間とかに一部成虫で冬を越す種がいて、そういった種が春早い季節に飛んでいます。あとは蛹とか、卵の殻の中で小っちゃい幼虫が冬を越すとか、卵で冬を越すとか、本当に様々な越冬体を持つものがいます」

同じ種なのに、翅の色を変えるのはなぜ?

※この本を読んで初めて知ったんですけど、季節の移り変わりで、翅(はね)の色を変える種もいるんですね?

「一個体の中で色や形が変わることは基本的にはないんですが、一生が短い生き物なので、春に出たあとの次の世代が夏に出たり、1年の中で多い種だったら5回とかそれ以上とか、発生を繰り返すような種が多々います。そういう中には、寒い季節に出現する時の色や形と、暑い時期に出てくる時の色や形が違っているものが結構います。

 例えば、サカハチチョウっていう小ぶりなタテハチョウの仲間だと、春に出てくるやつは綺麗なオレンジ色ですし、夏に出てくるやつは、ほぼ真っ黒というとちょっと語弊があるんですが、かなり黒く地味なチョウになります」

サカハチチョウ春型
サカハチチョウ春型
サカハチチョウ夏型
サカハチチョウ夏型

●どうしてそういうチョウがいるんですか?

「季節で最適な色や形が違う。周りが枯れ草だらけのシチュエーションと、緑で覆われているシチュエーションで、色が違うのはひとつあると思います。

 あとは、どうしても季節というか、世代によって個体の数というか、チョウの密度が変わってきますので、たくさんいる時はむしろ外敵に襲われにくいように地味な見た目をしているほうが有利だったり、逆に寒くてあまり生き残れないような時は、派手な身なりをして、異性の気を引いたほうがって言ったらいいんですかね・・・モテるような姿をしたほうが有利だったりということがあるんだと思います」

アリを巧みに利用するチョウ

※これも工藤さんの本で知ったんですけど、チョウの幼虫に餌を与えて育てるアリがいるんですね?

「そうですね。クロシジミとか、キマダラルリツバメとか、国内で知られているだけでも、その2種かな・・・アリから直接、口移しで餌を与えられて過ごします。特にキマダラルリツバメは、幼虫の最初から最後まで一貫して、アリから口移しで餌をもらって成虫になるはずです」

キマダラルリツバメ
キマダラルリツバメ
キマダラルリツバメの幼虫に口移しで給餌するハリブトシリアゲアリ
キマダラルリツバメの幼虫に口移しで給餌するハリブトシリアゲアリ

●チョウに尽くすアリっていう姿ですけれども、アリに何かメリットはあるんですか?

「シジミチョウの幼虫が背中に蜜腺と呼ばれるものを持っていまして、その蜜腺から名前の通り甘い蜜のようなものを出すんですよ。で、それをアリは好んで舐めるんです。なので、その蜜をもらえることがアリ側のメリットと言えばメリットです。

 ただ、最近の研究で、必ずしもすべての種でそうなのか調べられているわけじゃないと思いますけど、少なくとも一部のシジミチョウが出しているその蜜は、アリ側からしたら好きであって、舐めている嗜好物質ではあるんだろうけど、舐めることで利益を得ていることになるのかはわからないし、どちらかというと寄生的な関係であるみたいなふうに言われることが多いです」

●なるほど〜。ほかにもアリを手なずけて、アリの巣に潜り込むチョウの幼虫もいるんですね。

「ゴマシジミの仲間は、ほかのクロシジミとか、さっきの口移しで餌をもらうシジミチョウ自体もそうなんですが、小っちゃい頃、別の植物を食べたり、アブラムシの汁を吸ったりして、小っちゃい幼虫時代を過ごして、ある程度まで大きくなったら、アリを呼ぶわけじゃないと思いますけど、うまいことやって、くわえてもらって、アリの巣に運んでもらう。

 で、運んでもらって巣の中に入ったら、あとはしれ〜っと仲間のようなふりをして、ゴマシジミの幼虫だったらアリの幼虫を捕食しますし、さっき言ったクロシジミであれば、仲間のふりをして餌をもらうようなことを続けて育っていきます」

ゴマシジミの幼虫を巣に運ぼうとするシワクシケアリ
ゴマシジミの幼虫を巣に運ぼうとするシワクシケアリ

キラキラ光る、くるくる回る

※工藤さんが撮影している中で、いちばん驚いたチョウの生態はありますか?

「今言ったアリに寄生するシジミチョウの仲間は、特にすごい生態をしているチョウだと思います。それ以外にも、そうですね・・・ゼフィルスって呼ばれる翅が緑色にキラキラ光るミドリシジミの仲間がいるんですけれども、これなんかはそんなキラキラ光る必要があるのかな? って思うくらいキラキラ光る翅を持っています。

アイノミドリシジミの飛翔
アイノミドリシジミの飛翔

 モルフォチョウとか、絵のモチーフになったりする青いチョウが海外にいますが、あれほど大きくはないですけれど、輝きの強さだけなら、それと肉薄するチョウが日本にもいます。

 その仲間は成虫が一時期、限られた時間帯だけに陽の当たる空間に出てきて、1時間ぐらいだけ激しく飛び回って、オスとオスがお互いに追いかけ合った都合上、そうなるのかわかんないですけど、輪っかを描くようにって言ったらいいんですかね・・・くるくると二個体で追いかけ合って回るんです。それなんかを見ていると、なかなか不思議なことをする奴らもいるなと思います」

真っ赤なアカオニシジミ

※工藤さんの本の、12月30日のページに、この日は私の誕生日なんですけど、タイで撮影した「アカオニシジミ」というチョウの写真が載っていました。こんなに赤くてきれいなチョウがいるんですね。

「あれは東南アジアとか海外のチョウをひっくるめて、赤色のチョウの中ではトップクラスに美しい種のひとつじゃないかなと思います」

アカオニシジミ
アカオニシジミ

●南方に生息しているチョウは、びっくりするぐらいカラフルなんですね。

「そうですね。もちろん地味な種もたくさんいるんです。なんていうか昆虫はどうしても寒いところに行くと、種数が少なくなって同じ種がたくさんいて、暖かい地域に行くと、種数が多くなってその一種あたりの数が必ずしも多くないみたいな生き方というか生息をしているんですね。

 暖かい地域に行くと、いかんせん種数が増えるので、その派手さのピラミッドみたいなものが、地味な種がとにかくたくさんいるけど、そのてっぺんにすごく派手なやつが少数だけいて、そいつらがかなり目立つみたいなところがあります。

 例えば、大きくて緑色に光るトリバネアゲハの仲間であるとか、それこそ今言ったアオカオニシジミであるとかが、うわずみ的な存在にあたるのかなというふうに思います」

●日本で見られるチョウとの違いは、どんなところにあるんですか?

「いちばんの違いは、たぶん1年中何かしらいることだと、成虫が飛んでいることだと思います。あとは先ほど言った通り、少し一部派手な種がうわずみ的にいて目立ちますすね。

 どうしても種数が多いので、ひとつの種が活動できる時間とか空間が限られてしまって、同じ場所に、例えば1日朝から晩までいても、30分ごとに違うチョウが現れるみたいな、すごく切迫したタイム・スケジュールの中で、いろんなチョウがひとつの空間に生息しているところが、熱帯とか暖かい地域の特徴かなと思います」

(編集部注:工藤さんは青森に冬がやってくると、海外へ。おもに東南アジアのタイ、ベトナム、マレーシア、台湾などにチョウを追い求めて出かけるそうです)

美しい翅は生き残るための進化

※工藤さんの本を拝見していて、改めて感じたんですが、チョウの翅の色や模様は、個性的で美しくて、まさに芸術ですよね。翅の色や模様を決定づける要因はなんでしょうね?

「チョウはどうしても弱い存在というか、生き物全般からしたら食べられて死ぬことがとても多い生き物だと思うんです。なので、そのチョウの色とか模様は捕食者に対する警戒というか・・・例えば、毒を持っているほかの虫に擬態するためのものであったりだとか、あるいは身を隠すためのものであったりすることが多いと思います。

 あとは自分の配偶の相手を探すための標識的な模様であったりするとは思いますね。そういったところで自分の翅を綺麗に着飾ったり、あるいは地味に周りにとけ込むような斑紋を持つことで、うまく生き残るために進化した結果なんじゃないかなとは思います」

●では最後に、工藤さんにとってチョウの魅力とは?

「そうですね・・・昆虫の中ではチョウは、すごく大きい虫だと思うんです。シジミチョウは、チョウの中ではすごく小さい体のサイズのグループですけど、それでもちっちゃいもので1センチぐらいはある。でもほかの甲虫とかだと1センチだったら結構な巨大種なんですよ。なので、人の目で見て扱いやすいというか、分かりやすい体の大きさを持った分類群っていうのがまずひとつ魅力だと思います。

 あとは色とか模様が鮮やかで目を引くことと、それからこれは体が大きくて観察しやすいっていうところにもちょっとつながる部分があるんですけど、昼活動するので、自分の目でそのチョウが実際に生きて活動しているところを見ることができるっていうのが魅力かなと思います。

 例えば、蛾も僕は好きなんですけれども、蛾は夜何しているか実は知ることが難しくて、花に行って蜜を吸ったりする種もいるはずなんですが、ライトを当ててしまったらどうしても驚かれて、行動が変わってしまいます。自然な形で観察がなかなかできないというところがあるんです。

 ただその点、チョウだったら、青空の下で花の蜜を吸ったりとか、交尾相手を探したりとかしますので、気軽にそういう姿を見ることができるのが魅力かなと思います」

夜に蛾を採集するために待つ工藤さん
夜に蛾を採集するために待つ工藤さん

(編集部注:工藤さんの撮影のメインフィールド、青森の野山でチョウが去年より少なくなっていると感じることはよくあるそうですが、多くなったり少なくなったりする「ゆらぎ」なのか、当たり外れなのかはわからないそうです。ただし、外れ年と思っていたら、いっこうに戻らない、復活しない。この十数年、そんな流れになっているとのこと。気候や環境の変化が蝶々にも影響を与えているのか・・・気になりますね。

 また、今後撮りたいチョウについては、インドネシアやパプアニューギニアなどに生息している「トリバネアゲハ」を撮りたいとおっしゃっていました。てのひらサイズの大きなチョウで、翅の色も個性的で美しいので興味のあるかたは、ぜひネットで調べてみてください)


INFORMATION

『チョウごよみ365日』

『チョウごよみ365日』

 工藤さんの新しい本をぜひご覧ください。四季折々のフィールドで出会うチョウの写真を日めくり感覚で楽しめて、美しい写真に添えてある文章にチョウへの思いを感じますよ。ページをめくるごとに、季節が進んでいく感覚も味わえます。「寝ても覚めても チョウに夢虫」な工藤さんの本、おすすめです! 誠文堂新光社から絶賛発売中! 詳しくは出版社のサイトをご覧ください。

◎誠文堂新光社 :https://www.seibundo-shinkosha.net/book/science/85779/

「森里海連環学」〜目に見えない「つながり」を紡ぎなおす。次世代の幸せのために

2024/5/26 UP!

 今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、京都大学名誉教授の「田中 克(たなか・まさる)」さんです。

 田中先生は1943年、滋賀県大津市生まれ。京都大学大学院と水産庁の水産研究所で、おもに日本海のヒラメやマダイ、有明海のスズキなど、稚魚の研究に40年以上、取り組んでこられたそうです。

 そして、2003年4月に設立された「京都大学フィールド科学教育研究センター」の初代センター長に就任。ご自身の研究などから、森と海の関係性に着目し、「森里海連環学(もりさとうみ・れんかんがく)」を提唱。

 現在も「森里海を結ぶフォーラム」や「“宝の海”の再生を考える市民連絡会」などで、精力的に活動されています。また「森は海の恋人」運動で知られる気仙沼の漁師さん「畠山重篤(はたけやま・しげあつ)」さんとは、活動をともにする同志的な関係でもいらっしゃいます。

 きょうは、そんな田中先生に「森里海連環学」がどんな学問なのか、改めて解説していただくほか、有明海の再生を願う市民運動のシンボルにニホンウナギを掲げ、
「サステナブル・ウナギ ・ゴールズ」SUGsを提唱されているということで、そんなお話もうかがっていきます。

☆写真協力:田中 克

田中 克さん

「森里海連環学」は『里』が肝心

※2003年から提唱されている「森里海連環学」とはどんな学問なのか、改めて教えていただけますか。

「ちょっと堅苦しい名前なんですが、基本的には森と海とは不可分につながっている。ところがその間の里は人の生活集団みたいなもんですから、その里の、都会も含めた人々の営みと、広くとっていただくと、その営みが海にも森にも少なからぬ影響を与えて、海と森の間の、命の最も大事な源である水の循環を壊してきていると。それが地球環境問題の根源のひとつで、それをもとのまっとうな形に直したいという思いの学問なんですね。

 今までの学問というのは、客観的な事実を明らかにして論文にすれば、事が足りたと。でもここまで地球環境問題が深刻になってくると、研究者の役割もそこでストップするんじゃなくて、得られた科学的データを基にして、森とのつながり、自然の再生、それを壊してきた社会の仕組みの再生も含め、まっとうな方向まで戻す提案までできる学問になればということがひとつの思いですね。

 それからもうひとつは、森は森、海は海、その間の里や、あるいは森と海をつなぐ川、それぞれ個別にこれまで研究も教育もされてきた。でもそれらは一体につながっていることがだんだん明らかになって、そういう個別細分化された学問じゃなくて、バラバラになった専門分野をもう一度つなげ直して、もうちょっと大きな視野で物を見て、物事が多様につながりながら地球が動いている、そういうメッセージを発したいという思いの学問になります」

●森と里と海は、川でつながっている。そのつながりを強く意識するようになったのは、何かきっかけがあったんですか?

「私は、もとは京都大学の農学部に在籍をしていたんですが、農学部はある面では総合学問領域で、森を研究する部門もあれば、海を研究する部門もあるし、里に関わる部門もあるし、川に関わる部門もある。でもそれぞれ10個ぐらいの学科で、森は森の林学科、海は海の水産学科・・・一切の交流がなかったんですね。

 たとえば(農学部は)京都府にありましたから、京都府のいちばん代表的な森というのは、由良川という京都でいちばん大きな川の上流域に、森の研究や教育をする演習林、芦生研究林っていうのがあるんですね。そこから由良川が140キロぐらい流れて、若狭湾の河口近くに海の研究をする水産実験所がある。

 同じ農学部であるのに何十年も一切、教育研究でつながりがなかったというのを、これはちょっとおかしいよっていうので、まずは森の教育研究施設と海の教育研究施設がもう一度、川を介してつながっているんだから、一緒にいろいろ進めましょうというのが思いのひとつにあります。

 確かに森と海は川がつなぐんですが、最近の研究では見えない川があるんです。見えない川というのは地下水で、目に見えないつながりがある。ともすれば、見える川だけに注目しますけれども、地下水も含めて、本来は森と海を水がつなぐという意味では、森川海連環学でいいんですが、 そうではなくて、川の流域に住む私たちの暮らしのあり様、産業のあり様をもういっぺんちゃんと問い直すという意味で、間を『里』にしたんですね。そこが味噌になります」

「森は海の恋人」運動、畠山さんとは同志

※以前、この番組に「森は海の恋人」運動で知られる気仙沼の漁師さん「畠山重篤(はたけやま・しげあつ)」さんにも何度かご出演いただいています。畠山さんは牡蠣などの魚介類が育つには、川が運ぶ森の養分が欠かせないことに、いち早く気づき、気仙沼の海に注ぐ川の上流に、木を植える運動を長年続けていらっしゃいます。

 田中先生は、畠山さんの活動に影響を受けた、そんなこともありますか?

「はい、結果的にはものすごく影響は受けているんです。畠山さんたちの、気仙沼の牡蠣やワカメの養殖漁師さんたちは、海が汚れてきて、それは自分たちが海を汚したわけではなくて、川の流域だとか森の荒廃だとか、そこに感覚的に気づかれたんです。それで漁師が山に登って木を植えようと。それが始まったのが1989年なんですね。それから2003年に京都大学に森里海連環学が生まれて、それまでは基本的には一切つながりがなかったんです。

 私たち研究者が頭をひねって、これからこういう学問が大事だっていう思いを深めたら、既に現場の漁師さんたちは、そんなことは当たり前だと言って、行動に移されて10数年続けていた・・・。それでこれからは社会運動としての『森は海の恋人』運動と、それを支えながら協同する森から海までのつながりの学問、森里海連環学が、その後は一緒にお互いに助け合いながら動いてきた。ですから『森は海の恋人』のほうが先輩ですし、いろんな影響を受けております」

写真協力:田中 克

●では畠山さんとは、志を共にする同志のような関係なんですね。

「そうですね。(畠山さんとは)生まれも1943年で同い年ですし、それから私も、もともとは海の出身で、畠山さんたちは代表的な生き物として牡蠣を指標にして、牡蠣がまっとうに育つためには、森からの栄養分や微量元素が必要だということで、私は魚の研究でしたけれども、魚の子供たちが海辺の水際で育つのも全く一緒の原理だということで、思いはひとつですし、同い年だし、志が一緒ですから、むしろ私のほうが教えられながら一緒に歩んできているというのが現実ですね」

(編集部注:田中先生は、2011年3月11日の東日本大震災で壊滅的な被害を受けた気仙沼の、牡蠣やホタテなどの養殖業を1日でも早く復活させるために、全国の研究者に呼びかけたそうです。そして2011年4月に予備調査を行ない、5月には全国から手弁当で研究者が集まったということです。

 畠山さんからは、牡蠣やホタテなどの養殖に欠かせない、植物プランクトンが回復しているかを調べてほしい、そんな要望があり調べたところ、予想以上の回復が確認され、養殖業再開への希望の明かりが灯ったとのこと。この調査は現在も続けられているそうですよ。

 実は田中先生は、気仙沼の舞根湾(もうねわん)に2014年に設立された「舞根 森里海研究所」の所長でもいらっしゃいます。この研究所は、漁師さんが漁網などの道具を保管する小屋「番屋」を復活させる、日本財団の「番屋」の復興プロジェクトの一環として作られ、現在も研究者や学生さんの活動の拠点として大きな役目を果たしているそうです)

牡蠣の養殖筏が蘇った舞根湾
牡蠣の養殖筏が蘇った舞根湾

ニホンウナギのブックレット

※田中先生の活動はさらに加速し、2021年10月には「森里海を結ぶフォーラム」を発足。これは森の養分が海の養殖業を支えている仕組みは気仙沼に限らず、全国の主要な河川とその流域でも同じなので、森の人、海の人が一堂に介して相談や情報交換ができる場を作ろうということで、年に一回、フォーラムを開催。また、広場という名目で、隔月でオンラインでも開催しているそうです。

 そんな田中先生は現在、「森里海連環学」を象徴する生き物といえるニホンウナギをテーマにしたブックレットを制作されています。企画と編集は田中先生なんですか?

「そうですね。一応、呼び掛け人的な役割をさせていただきながら(進めています)。ウナギというのはご存知のように、南の遠い海で生まれて、半年かけて日本にやってきて、川の入り口や汽水域や、場合によっては川の上流で、要するに森の中で育って、今度は子孫を残すためにふるさとに帰っていく・・・。どんなふうにして日本にやってきて、どんなふうにして向こうに帰るかっていうのはいまだに謎で、とっても面白い生き物だと。地球のことを我々人間よりもずっと長い年月をかけて、よく知っていると。

 そういう大先輩を絶滅危惧種にしてしまった人間が彼らに謝って、彼らの賢さをもう一度学びながら、まっとうな自然や社会に再生したいと。そんなことで、ウナギはきっと迷惑でしょうね。そんな位置付けにされるのは、ほっといてくれって言われそうですけども・・・(笑)。

 私たちに続く未来の世代がもうちょっと自然を楽しみながら、自然と共存できる、共生できる暮らしをするためには、最も身近な絶滅危惧種のウナギの、彼らが発信しているメッセージを聞き取って、そしてウナギと私たちが共に確かな未来を開こうよと、そういうことをまとめた本なんです。

 (執筆者が)28名にもなると、いろんなかたがおられて、なかなか思うようには原稿が集まらないという・・・(笑)、でもほぼ集まりましたので、今年の土用の丑の日までにはウナギの声としての、いちばん端的には、野生の生き物ウナギにも、こんなに厳しい環境に追い込まれた彼らにも、裁判所に訴えて裁判ができるという、『自然の権利』と言って、今世界中でもそういうことが認知されているんです。

 日本ではまだまだ認知度が低くて・・・ですからウナギ読本、ウナギ・ブックレットは、ウナギにもちゃんと自然をまっとうにしたいということを願う、訴訟する権利があるんですよって、そんな本なんです」

●その本は一般のかたでも入手可能なんですか?

「むしろ一般のみなさんにぜひ! 特に小学校高学年から中高生ぐらいの、これからの時代を担う人に、自然と共生するということの意味だとか、そういうことを世界に発信できる、そういう日本にしていきたいというので、むしろ若い世代の人に読んでもらいたいという本ですね」

「サステナブル ・ウナギ・ゴールズ」=SUGs

※去年の夏に長崎県諫早市で、「“宝の海”の再生を考える市民連絡会」という市民団体が発足したという記事がありました。この運動のシンボルが、ニホンウナギになっていますが、この市民連絡会の代表も田中先生なんですか?

「そうですね。これまで有明海、”宝の海”というのは本当に豊かな海だったんですね。貝も魚もエビもいろんなものがたくさん獲れて、獲っても獲っても獲り尽くせないぐらい豊かな海だったのが、いろんな問題が重なって、そういうものはだんだん獲れなくなってきた。

生物多様性の宝庫から海苔養殖の畑になってしまった有明海湾奥部
生物多様性の宝庫から海苔養殖の畑になってしまった有明海湾奥部

 獲れなくなっただけじゃなくて、日本では有明海だけにしかいない魚介類が、これは中国大陸の沿岸に起源を持つ、氷河期の遺産的なすごく面白い生き物がたくさんいる。要するに生物多様性の宝庫なんですね。その生物多様性の宝庫で、漁業者にとっても暮らしが成り立つし、地域の経済も回る。そういう海が残念なことにこの半世紀の間にどんどんおかしくなって、今では”瀕死の海”と言われるぐらいになってしまった。

 これまでは、そういうことに関心を持った地元のみなさんが、本当に頑張って再生を願っておられたんですが、裁判に訴えてもなかなか認められない。ですから、もう地元のみなさんだけの話ではなくて、この国が多かれ少なかれ関わった、そういう水際を大事にしてこなかったツケとして、今まで関わった人たちだけじゃなくて、もっと広くみなさんにというので、今進めつつあるということですね」

●目指しているのがSDGsならぬSUGs「サステナブル・ウナギ・ゴールズ」と記事に書いてありました。これにはどんな思いが込められているんですか?

「ひとつは有明海全体の、いちばん上に筑後川が流れて、その河口が柳川市なんですね。柳川市は堀割が巡らされて、そこにはいっぱい昔はウナギがいたと。今もウナギのせいろ蒸しで、すごく有名な場所なんですね。
 有明海の、筑後川から流れた砂や水が最後に半時計回りに流れてたどり着くのが諫早湾で、諫早湾の湾奥には本明川という川があって、牡蠣とウナギがたくさん獲れて、そこもウナギがすごく大事な場所なんです。

 でも堤防を作ったりすると、なかなかウナギが来なくなったというので、有明海の森とのつながりの、命の循環を考える上でウナギがいちばんわかりやすいし、しかも人間が絶滅危惧種にしてしまった彼らと共に生きることが、人間にとってもすごく大事ですよっていうので、SDGsのDはディベロップメントですよね。
 これはやっぱり人間中心の人間のためのディベロップメント・・・そうじゃなくて、自然とともに共生するためには、野生の生き物の知恵を借りて物事を考えていくのが大事だというので、これまたウナギに無断でSUGsにしてしまったということです(笑)」

柳川の掘割で再捕獲されたウナギの稚魚
柳川の掘割で再捕獲されたウナギの稚魚

(編集部注:「“宝の海”の再生を考える市民連絡会」には共同代表として、元テレビキャスターの野中ともよさんや、ファッション・モデルのNOMA(ノーマ)さんも名を連ねているそうですよ)

シーカヤックで海遍路

※田中先生は70歳を前にシーカヤックを始め、高知大学の名誉教授「山岡耕作(やまおか・こうさく)」さんたちが2011年にスタートした、四国お遍路の海版「海遍路」に2年目から参加。東北、九州、三浦半島、山陰など、日本の漁村をめぐる旅を、いまもこんな感じで続けているそうですよ。

「年に1週間から10日間ぐらいですけれども、数人のグループ、カヤック2艘ぐらいで、すべての生活機材を積んで、たどり着いた漁村で泊まって自炊をしながら粗食に耐えていると、漁師さんがもの言わず“これ食べろ”って魚をくれる。そうすると自然な対話ができるんですね。もういっぺん、海からものを考えようという旅になっています」

●シーカヤックの魅力ってどんなところにあると思いますか?

「漁師の人から見れば、すぐにひっくり返ってしまうように見えるんですけど、意外に安定性もある。まずは自分の力で漕がないと目的地に行けない。でも頑張れば目的地にも行ける、そんなところですね。

 要するに現代社会が失ってしまった、何かみんなレールの上に乗せられて、自分が行きたいとこじゃないところに連れていかれるようなこととは違う。その代わり危険なことも体感しながら、逆に新しい出会いがある、そんないろんな魅力がいっぱい! とても面白いですね。

 もともと日本人がどこから来たかというのも、大陸説もあるし海洋説もあるし、かつての我々の大先輩もあんなボートの原型みたいなので、暮らしを切り開いてきたのかもしれない。
 そんなことも思うというのと、もうひとつは、一般の船よりはお尻が水の中に入るぐらいの位置ですから、目線が言ってみればアメンボ目線みたいに・・・ですから本当に海の生き物たちと同じ目線でものが見られるというのも特徴かもしれませんね」

写真協力:田中 克

「つながり」をもう一度大事に

※「森里海連環学」を提唱されて20年以上が過ぎました。いまどんな思いがありますか?

「私自身は提唱して4年で現役を退職して、森里海のやっぱり”里”が鍵だと、我々自身の振る舞いですね。ですから、それを畠山さんたちと一緒に現場で取り組んできた。そういうのと、現役の京大フィールド研の研究者のみなさんは研究教育の分野、それが今、両方がかさ上げしながら少しレベルアップして、幸いなことに畠山さんのお力がすごく大きいと思いますが、テレビや新聞とかいろんなニュースにも森と海のつながりが、比較的当たり前のように出始めたというので、それは非常に喜ばしいんです。でも、それで私たちの行動がどう変わるかというのが次のステップで、それをもうちょっと頑張ってやれればという思いでいます」

●では最後に、リスナーのみなさんに特に伝えておきたいことなどがありましたら、お聞かせください。

「いろんなことが本当はつながっている。ところが目先の暮らしの利便性だとか直近の経済の成長とか、どうもそちら側に舵が切られすぎて、この世に自分たちが生まれてきてよかった! っていうような思いが、なかなか実感できない世の中です。

 それは目に見えない、さっきの川じゃないですけれど、地下水が大事な役を果たしているように、縁の下の力持ち的な、目に見えないつながりをもう一度丹念に紡ぎなおす。そして同時に次の世代が幸せになるにはどうしたらいいかっていうのをいちばんに、物事を考えられるようになり行動できれば、地球ももうちょっとよくなるし、日本社会もよくなるんではないか・・・。ですから、いろんなことがつながっていることをもう一度大事にしましょうよ! というのが、いちばんの思いですね」

有明海の干潟は子供たちの遊び場、そして学びの場だった
有明海の干潟は子供たちの遊び場、そして学びの場だった

INFORMATION

 ぜひ田中先生の活動にご注目ください。先生が代表を務める「森里海を結ぶフォーラム」や「“宝の海”の再生を考える市民連絡会」、そして畠山さんの「森は海の恋人」運動のサイトを定期的にチェックしていただければと思います。

◎森里海を結ぶフォーラム :
 https://morisatoumi-forum.studio.site

https://www.facebook.com/p/森里海を結ぶフォーラム-100064565959236/?paipv=0&eav=AfaPsVz7ydw78viDeAirknQr9frCd1f2l1flCfgpgz2XhNe6aa4WOyf22Bhnk7v0HU8&_rdr

◎“宝の海”の再生を考える市民連絡会 :http://www.einap.org/jec/subcategory/projects/49

◎森は海の恋人 :https://mori-umi.org

 今年の「土用の丑の日」に出す予定で進めていらっしゃるニホンウナギのブックレット、発売日や入手方法については、分かり次第、この番組または番組ホームページでもお知らせします。

ブラックホールとは!? 宇宙人はいる!? 暗黒物質はありがたい!? 〜宇宙は謎だらけ! だから面白い!

2024/5/19 UP!

 今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、ブラックホール研究の第一人者、「国立天文台 水沢VLBI観測所」の所長「本間希樹(ほんま・まれき)」さんです。

 本間さんは1971年、アメリカ・テキサス州生まれ、神奈川県育ち。東京大学大学院から国立天文台の研究員などを経て、2015年より、現職。そして国際的なプロジェクト「イベント・ホライズン・テレスコープ(EHT)」の日本チームの代表としても活躍されています。

 そして、そのEHTプロジェクトの大きな成果として2019年4月に世界で初めて、ブラックホールの画像を公開し、大変話題になりました。その時も取材が殺到する中、お電話でこの番組にご出演いただき、お話をうかがっています

 きょうは、そんな本間さんが出された新しい本『深すぎてヤバい 宇宙の図鑑〜宇宙のふしぎ、おもしろすぎて眠れない!』をもとにブラックホールや天の川の謎、そして果たして宇宙人はいるのかなど、宇宙や天文の、不思議や疑問をわかりやすく解説していただきます。

☆写真協力:講談社

本間希樹さん

宇宙でいちばん変な天体!?

※本間さんに、宇宙や天体の不思議や謎をうかがう前に本間さんが所長を務める「国立天文台 水沢VLBI観測所」について、少し説明しておきましょう。

 岩手県奥州市にある、この観測所は120年以上前に設立され、その後、国立天文台の一施設となったそうです。観測所の名前にある「VLBI」とは、電波望遠鏡を使って、特殊な観測をする方法や技術を表わす専門用語。宇宙から来る電波を、岩手のほか、鹿児島や小笠原の父島、沖縄の石垣島などにもある観測所の電波望遠鏡がとらえ、総合的に分析するそうです。

 本間さんいわく、複数の観測所を組み合わせることで「視力」があがり、遠くの小さな天体が見えるようになるそうです。このVLBIはもちろん、ブラックホールの研究にも使われています。

 それではまず、本間さんのご専門ブラックホールとは、いったいどんな天体なのか、改めて教えていただけますか。

「ブラックホールは本当に謎めいた天体です。宇宙でいちばん変な天体だと言って間違いないんじゃないかと思うんですけど、とにかく重力が強いんですね。重力が強いからこそ、なんでもかんでも吸い込んでしまって、二度と吐き出すことがない。光が入っても出てこないし、物が入っても二度と出てこない。何も出てこないってことは真っ暗になるっていうことですよね。ブラックホールは英語で”黒い穴”という意味ですけど、まさに真っ黒な球体のような、なかなか難しい天体で、本当に宇宙でいちばん変な天体です」

●どんなものでも飲み込んでしまうんですね?

「どんなものでも吸い込んでしまいますね。で、入ったものは絶対出てこない。ほんとに不思議な天体ですね」

●画像として公開されたブラックホールはどこにあって、どれくらいの大きさだったんですか?

「いちばん最初に撮ったブラックホールは天体でいうとM87っていう、銀河の真ん中にあったブラックホールなんですね。M87をいちばんわかりやすくいうと、ウルトラマンの故郷だって言えば、たぶんいちばん馴染みがあるんじゃないかと思うんですけど、太陽みたいな星が1兆個ぐらい集まったような、とんでもなく大きな天体なんですね。その真ん中に巨大なブラックホールがひとつあって、それを世界中が協力したVLBIで 、むちゃくちゃ視力を上げてみたらブラックホールが見えた! それが2019年の発表ですね」

●どういう感じだったんですか?

「ドーナツみたいな写真を見ていただいたと思うんですけど、穴が開いている状態ですよね。真ん中は真っ暗になっているんですけど、その真ん中の黒い部分、ドーナツの穴の部分がブラックホールの影なんです。だから、なんでもかんでも吸い込んでしまう。天体だからそれ自身の写真を撮ることは、実は不可能なんですね。でも周りに光とか電波が漂っているのを背景にして、影として映し出したのがこのドーナツの写真なんです」

(編集部注:2019年4月に、世界で初めて公開したブラックホールの画像は本間さんが日本チームの代表を務める国際プロジェクト「イベント・ホライズン・テレスコープ」が成し遂げた、天文学の歴史に残る大きな成果なんです。

 このプロジェクトには世界20カ国以上から、同じ夢を持った300人を超える研究者が集い、世界中の複数の電波望遠鏡を結合させて、地球を巨大な電波望遠鏡にするという、まさに地球規模の活動を行なっています)

写真協力:講談社

ブラックホールを画像から動画へ

※現在、この「イベント・ホライズン・テレスコープ」では、どんなことに挑んでいるのでしょうか?

「ブラックホールは今まで写真が2枚撮られているんですね。M87と、もうひとつは私たちの天の川の、巨大ブラックホール『射手座Aスター』って呼ばれている天体なんですけど、そのふたつが静止画として撮られている状況なんです。
 実は3つ目はないんです。地球と同じ大きさの電波望遠鏡を合成して、今見えそうなブラックホールはその2個しかないので、3つ目をやるっていう方向ではなくて、次は動きを見たいと、そういうことを考えていますね。

 というのは、ブラックホールはなんでもかんでも吸い込む。だからガスがぐるぐる回りながら落ちていく。光もぐるぐる巻きつきながら吸い込まれていく。一方で完全に吸い込みきれなかったものが、一部『ジェット』っていうもので外に飛んでいくんですね。水鉄砲の水がシューって飛ぶような、あんなイメージを持っていただくといいんですけど・・・。

 ということで、動きが非常に激しいはずなんですよ。なので、動きを見たいので、そうすると1枚の写真ではダメで、そのデータを積み重ねて何年もやって、あと解析も工夫すると、今度はガスの動きとかそういうものが見えてくるんじゃないかなっていうふうに期待しています」

●静止画だけでもすごく大変なことだったと思うんですけど、それで今度は動きとなると、またもっともっと大変なことになるんですよね・・・?

「大変ですよね。動画といってもみなさんが期待しているような、本当に綺麗な動画になるのは何年かかるかわからない。最初はコマ撮りで1コマ2コマ3コマって、ちょっと動いたかなっていうのが見えるかぐらいのところが当面目指していることですね」

●うわ~、でも動きで見られたらすごいですね!

「はい、それでちょうど、今年の1月に発表した成果として、2コマ目の写真が撮れたっていう・・・M87を2017年に観測した画像と、2018年に観測した画像、ようやく2枚目があって比べることができて・・・そうするとやっぱり1年でほんの少しだけ明るい場所が動いているんですね。これを見るとやっぱり動画にしたほうがいいよなっていうのが明らかになったので、あとは着実に頑張って続けていきたいなって、そんなふうに思っています」

●いや〜、なんか夢が広がりますね!

「子供の頃、教科書の端っこにパラパラ漫画とか描いたと思うんですけど、ようやく2個目が書き終わった、そんな状態ですね」

重力のない宇宙は、誰もいない宇宙!?

※ここからは、本間さんの新しい本『深すぎてヤバい 宇宙の図鑑〜宇宙のふしぎ、おもしろすぎて眠れない!』をもとにお話をうかがっていきます。

 138億年前に誕生したとされる宇宙は謎だらけで、そんな宇宙の不思議を、一般のかたにわかりやすく解説してあるのが、本間さんの本です。まずはこんな話題から。

 本に「宇宙でいちばん大事な力は重力」と書いてありました。これはどういうことなんですか?

「重力がないと天体が存在しないんですね。天体はすべて重力で引っ張られて一箇所に固まっていますから、重力がない宇宙はまず銀河ができません。それから銀河の中で星ができません。だから太陽もできない。地球も重力で一箇所にまとまって球体になっているので、重力がなければ地球もできないということで、重力のない宇宙は誰もいない宇宙ですね。本当に何も存在できない世界なので、それはやっぱり困りますよね」

●とっても大事な力なんですね!

「だから重力が・・・普段はどっちかっていうと、たとえば階段を上がって疲れるとか、ああいうのは全部重力のせいで疲れちゃうわけですけど、重力に逆らって上がるので・・・。だから普段は厄介な存在だなって、みなさんは思うかもしれないですけど、重力がないと僕らは存在しないですね」

写真協力:講談社

●そうなんですね。天の川は本当に流れているというふうに、これも本に書かれてありましたけれども、どういうことなんですか?

「天の川、ご覧になったことはあります? 」

●いや〜ないですね〜。

「千葉だとこの辺は明るいから、なかなか見えないかもしれないですね。もっと暗いところに行って、月がない夜に夜空を見上げて、空のある部分が白くなっているんですけど、それは薄っぺらい、回転している銀河の中から見ているものなんです。

 どう言えばいいかな・・・どら焼きと言ったら、ちょっと極端なんですけど(笑)、ああいう平べったいものを想像していただいて、それを横から見ているようなイメージですね。天の川も含めて銀河は回転していますので、ある特定の方向に星が動いているんですね。

 もちろん僕たちの目では、それを見ることはできないんですけど、電波望遠鏡とか、先ほどのVLBIを使うと、たとえばきょうの星の位置と明日の星の位置は違って見えるので、みんなが天の川の向きに沿って、ある方向に動いていくんですね。

 だから、そういう意味でいうと、流れているんですけれど、望遠鏡で見ないとわからないですね。でも昔の人は天の川を、本当に”川”という文字を当ててるぐらいですから、やっぱり流れを想像しながら見ていたと思うんです。人間の想像力ってけっこう当たっているので、すごいなと思いますよね」

●この本には「ダークマター」という言葉もありました。日本語にすると「暗黒物質」ということで、映画『スターウォーズ』の世界だなって感じたんですけど・・・。

「そうですね。暗黒って出てくると、ちょっと悪いやつに見えちゃうんですけど(笑)、英語でいうと『ダークマター』ですけど、これも天文学あるいは宇宙にまつわる最大の謎のひとつですね。

 どういうことかっていうと、これは『見えない質量』。さきほど天の川の話をしましたけど、天の川はまず見上げると星が光って、白く光ったのは星で、その星の重さを全部足し上げたのと、天の川全体の重さを測ったのを比べると、星だけじゃ全然足りないんですね。どこかに見えない奴らがたくさんいるはずだっていうことで、その見えないもののほうが実は見えている星の重さよりずっと重いんです。

 その見えない質量のことを暗黒物質、あるいはダークマターで、もう100年近くあるということはわかっているんですけど、みんなそれがなんだろう? って知りたいと思っているんですが、これはまだ決着がついていないんですね」

●もう謎だらけですね〜。

「謎だらけですね! さきほど悪役みたいにおっしゃったんですけど、実はダークマターはすごくありがたい存在で、もし宇宙にダークマターが存在しなかったとすると、その宇宙にはやっぱり重力が足りないので 、星も銀河もできないですね。だから、なんだかよくわからない。しかも名前からするとちょっと悪役に見える暗黒物質、ダークマターですけど、これは宇宙に天体が誕生して、最終的には人類が誕生した最大の立役者のひとつ、そんなふうに言っていいんじゃないかと思いますね」

宇宙人はいる? いない?

※ズバリ、お聞きします。宇宙人はいると思いますか?

「はい、これもみなさん気になりますよね!」

●気になります!

「これは僕の個人的な見解ですけど、必ずいるでしょうね」

●必ずいる! その理由は?

「宇宙人が存在するっていうことは、もうこの地球で証明されているんです。僕らは宇宙人なんですよ。宇宙人の一種ですね」

●私たちも宇宙人・・・!?

「宇宙人の一種なので・・・だから宇宙では、ある条件が満たされれば・・・地球の場合ですけど、地球のように適度な温度があって、適度な環境があれば生命が誕生し、それが進化して少なくとも地球人レベルの文明を持ったわけですね。これはもう間違いない事実としてあるので、あとはそれが本当に地球だけなんですか? ほかでも起きるんですか? っていう確率の話になるわけですね。

 宇宙にはどれぐらい星があるかって考えると、天の川の話、私たちが住んでいる銀河でも、少なくとも太陽みたいな星が2000億個あると・・・。その周りに惑星もいっぱい見つかっているので、地球にしか生命がいないって考えるのはやっぱり変かなと・・・。しかも天の川の外に出ると今度はその天の川みたいな銀河が無数に、あと数千億とか、見える範囲だけでありますので、そこまで数えたら必ずどっかにいると・・・。

 問題は彼らに会えるかどうかですよね。それは別ですね。UFOに乗ってここに来ているかって言われれば、まあ来てないだろなと・・・(笑)」

写真協力:講談社

●なるほど! 宇宙開発がどんどん進んで地球以外の星に住めるようになったら、本間さんはどの星で暮らしたいですか?

「それもはっきりしていて、やっぱり地球ですね!」

●そうなんですね! どうしてですか?

「もちろん宇宙人が住んでいる星とか、生命がいる星はあると思うんですけど、たぶん地球人にとってはあまり住み心地がよくないんじゃないかと・・・。たとえば暑すぎたり寒すぎたり、あるいは全然違うシステムの生命がいたりして、やっぱり地球は僕らにとって素晴らしい環境であるのは、宇宙をくまなく見渡して探したとしてもこれほど住みやすい、僕らにとって住みやすいふるさとはないと思います」

●そうですね。地球がいちばん!

「(ほかの星でも)ちょっとどういうところか行ってみたり、様子をうかがってみたいなとは思いますけど、やっぱり自分の星がいちばん、それはもう間違いないと思いますね」

宇宙人、大発見!?

※本間さんがいま取り組んでいる研究はなんですか? やはりブラックホールでしょうか?

「そうですね。ブラックホールはもちろん! 一方で質問をいただいた宇宙人、これも科学としてやっぱり真面目にやりたいということで、宇宙人が何らかの理由で電波を出して、たとえば放送でラジオかテレビをやっていれば、電波が出てきますし、あるいはもっと積極的に地球人に気がついて、電波を送ってくれているかもしれないですよね、コンタクトを取ろうとして・・・。

 そういうものをキャッチすることが、宇宙人を見つけるいちばんの近道だというのが今、天文学者の間で言われています。そうすると電波望遠鏡でいろんな星を順番に探していく、そういうことをやる。僕ら観測所でも試験的にですけど、そういう観測を始めていますので、こればっかりはいつ見つかるかは全くわからないんです。宝くじを買うような部分もあるんですが、ぜひ宇宙人がいるかっていうことを研究としてさらに発展させたいなと・・・」

●ぜひ解き明かしていただきたいです!

「見つかったら見つかったで、もちろん大発見だし、見つかんなかったら見つかんなかったで、地球っていうのはやっぱり本当に貴重なんだっていうことがわかるので、たぶんどっちに転んでも地球人にとっては非常に意味のあることだと思いますね」
 
●なるほど・・・。本間さんが好きな星空で、この季節とかあるんですか?

「僕は天の川に関わる研究をずっとしてきたので、やっぱり天の川という天体、星空の一部ですけど、それが好きですね。天の川って非常に大きいので、何座とかそういう星座では言えないんですけど、暗いところに行って、たとえば私は仕事で沖縄の石垣島に行きますけど、そこで見る天の川が本当に素晴らしいです。何度見ても心が洗われるというか、素晴らしいですね。

 みなさんもちょっと暗いところ、街明かりから離れた場所に行くチャンスがあったら、ぜひ天の川を見てほしいですね。夏のほうが見やすいので、これから夏にかけて非常にいいシーズンになりますから」

●天文学を志す学生さんですとか、宇宙に携わる仕事がしたいと思っているかたに、ぜひアドバイスをお願いいたします。

「宇宙に関わる仕事をするときに、宇宙に対する思い、情熱だったり、あるいは愛情って言ったらちょっと変かもしれないですけど、やっぱり宇宙が好きで、その謎を解き明かしたり、あるいは宇宙に関わる何かを自分で開発したいってその思いですよね。
 最後はそれが決めるので、若い人に宇宙を目指したいんだったら、宇宙に対する熱い思いをまず磨いてほしい。いろんなことに興味を持ったり、やっぱりそれが大事だと思います。ぜひ宇宙に対する思い、憧れ、そういうものを毎日、少しずつ育ててほしいなって、そんなふうに思います」


INFORMATION

『深すぎてヤバい 宇宙の図鑑〜宇宙のふしぎ、おもしろすぎて眠れない!』

『深すぎてヤバい 宇宙の図鑑〜宇宙のふしぎ、おもしろすぎて眠れない!』

 この本では宇宙と生命、太陽系、星と銀河などに関する不思議や謎がわかりやすく解説。好奇心をくすぐられる見出しとともに、写真やイラストを豊富に掲載。見開き2ページで完結するので、とても読みやすいし、興味のあるところから読めますよ。漢字にはふりがながふってあるので、お子さんにもおすすめです。
 講談社から絶賛発売中! 詳しくは出版社のオフィシャルサイトをご覧ください。

◎講談社 :https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000379061

 本間さんが所長を務める「国立天文台 水沢VLBI観測所」のサイトも見てください。

◎国立天文台 水沢VLBI観測所 :https://www.miz.nao.ac.jp

自作の水中ロボットを持って南極へ。工学博士、奮闘す!

2024/5/12 UP!

 今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、東京海洋大学の助教「後藤慎平(ごとう・しんぺい)」さんです。

 後藤さんは、ひょんなことから、南極調査用の水中ロボットを作ることになってしまい、そんなつもりはまったくなかったのに、南極地域観測隊の隊員として、憧れの「しらせ」に乗って、南極へ行ってしまった工学博士。

 1983年、大阪生まれ。筑波大学大学院から民間企業、そして海洋研究開発機構JAMSTECを経て、現職の東京海洋大学・助教として活躍。専門は深海探査機の開発と運用。

 2017年から2018年には南極地域観測隊、いわゆる夏隊の隊員として、水中探査機ROVを湖に投入し、湖底に生息する、ある生物の撮影に成功するという世界初のミッションを成し遂げています。そして先頃、『深海ロボット、南極へ行く〜極地探査に挑んだ工学者の700日』という本を出されています。

 きょうはそんな後藤さんに、ROVの開発秘話や、南極の湖底に広がる景色のほか、およそ3ヶ月にわたる南極滞在・小屋暮らしのお話などうかがいます。

☆写真協力:後藤慎平、太郎次郎社エディタス

写真協力:後藤慎平、太郎次郎社エディタス

南極調査用ROVとは!?

※まずは、初歩的な質問になりますが、南極の調査用に作ったROVと呼ばれる水中探査機は、どのくらいの大きさで、どんな作りになっていて、何ができるのでしょうか?

「ROVと言われて、ピンとくる人はそんなにいないかなと思うんですね。一般的には、最近よくある言葉で水中ドローンと呼ばれているものがあるんですけれども、私はずっとROVと言い続けています。水中ドローンはやはり空中用のドローンの水中版だから、水中ドローンっていう造語ができているだけで、やっぱりROVっていう、昔からある言葉を今も使っているというところがこだわりとしてあるんです。

 これがどういうロボットかと言いますと、言ってみれば、水中カメラの一部なんです。そこにスクリューが付いていたりとか、観測機器が付いていたりとかすることで、水中の映像をリアルタイムで見ることができるロボットになります。ケーブルがつながっていますので、手元でその映像がリアルタイムで見られて、しかも手元で操縦した通りにロボットが動いてくれるというものになります。

 で、いろんなROVが世の中にはあります。海溝に潜れるものもありますし、今回の極地に潜れるものもあって、いろんな種類があるんですけれども、今回作ったものは非常に小型のものです。大きさとしてはだいたい40センチか50センチぐらいで、重さが10キロ以下という制約があったので、すごく小型軽量のものを作って持って行ったということになります」

●設計から製作まで、すべて後藤さんが担当されたんですか?

「そうですね。基本的に設計とか電気回路もそうなんですけれども、外の筐体(きょうたい)と呼ばれる、いわゆるケース、そういったところの強度計算だったりとかもすべて自分でやっています。ただやはり金属加工を自分ですることができないので、それは業者さんにお願いをして作ってもらって、自分で組み立ててっていう作業になります」

●開発でいちばん大変だったことは、どんなことですか?

「やっぱり重さを軽くするところですかね。10キロ以下に抑えないことには・・・作っている時は自分が持って歩くとは思ってなかったので、研究者の人にこんな重たいものを持たせて歩かせていいのかっていう思いがあって・・・なので、とにかく軽くしよう軽くしようということをやっていたんですね。結果として自分がそれを現地で担いで背負って歩くことになったので、やはり軽くするっていうところがいちばん神経を使いましたね」

(編集部注:ROVはREMOTELY OPERATED VEHICLE/リモートリー・オペレーテッド・ヴィークルの略で、日本語にすると「遠隔操縦式探査機」。

 南極の調査用に作ったROVの操縦方法についてお聞きしたら、いろいろなコントローラーがあるけれど、壊れたからといって、部品を買いに行けるような場所ではない南極という特殊な環境を考えて、タブレットにソフトウエアを組み込んでコントロールする方法を選んだそうです。もし不具合が起きても誰かのパソコンを借りれば、代用が効くというわけです。

 また、ROVを運用する際に、方位や水深などを知る航法デバイスが必要になるそうですが、それを本体に組み込むと製作費がかさむし、重くもなるので、今回はカシオの協力を得て、時計のG-SHOCKを画面に写すという原始的な方法をとったそうです)

後藤慎平さん

開発費用は小型自動車1台分!?

※水中にいるROVはケーブルで地上、つまり後藤さんとつながっている、ということですよね。ケーブルの長さはどれくらいなんですか?

「ケーブルは、今回は100メートルでした」

●ROV本体の強度も大切だと思うんですけど、ケーブルの強度も大事ですよね。

「そうですね。最悪、探査機が水中で、どこかに引っかかってしまった場合は、ケーブルを引っ張って回収するっていうことがあるんです。なので、ケーブルが弱いと、そこでプチッと切れて探査機が帰ってこなくなるので、なるべく強度も強くしなきゃいけない・・・。

 ただ問題なのが強くするとなると、それだけ素材も太くしなきゃいけないので重くなってしまう・・・それを誰が背負うのかっていうのもあって、今回ケーブル・メーカーさんと協力して、軽量で強くて電送損失とかも少ないケーブルというのを新たに開発しました」

●どれくらいの時間、水中で動けるんですか?

「今回のROVは陸上から電力を送っているので、言ってしまえば、パイロットの体力が持つまでです (笑)」

●そうなんですね。 ROVを1台完成させるのに、どれくらいの日数と費用がかかるんですか?

「今回のROVに限って言うと、約半年で作らなきゃいけなかった(笑)。できれば1年くらい欲しいんですけれども、そんなことを言っている暇がない。10月には船に積み込まなきゃいけないっていうことで半年しかなかったし、費用も本当に軽自動車1台分もないぐらいの費用で作らなければいけない。となると外注すると、それだけ人件費とか外注費用がかかってしまうので、外注できない・・・じゃあ自分で作らなきゃいけないと・・・」

●すごいですね! でもその期間はやっぱり心躍るというか・・・?

「そうですね・・・躍るかどうかって言われると・・・(笑)」

●迫られている感じですか? 

「そうですね。やっぱり自分の目の前に技術課題が山ほどあって、これをどう解決するか、しかも限られた、10月っていうリミットまでに解決しなきゃいけないのに、持っている武器は少ないってなった時に、どうしたらいいのかなという・・・正直行き当たりばったりなところはあったんですね。

 一方で協力してくださるメーカーさんも出てきだして、これはいけるなって思った時には、やっぱりこの探査機が南極に行って、これまで見たことのない水中の映像を明らかにしてくれるかもしれないって思った時には、すごくワクワクしました」

南極の湖には生物がいる!?

※後藤さんは2017年から2018年にかけて、南極地域観測隊としておよそ3ヶ月にわたって南極に滞在され、南極大陸にある湖に水中探査機ROVを投入して調査をされました。そもそもなんですが、南極大陸にはどれくらいの数の湖があるのでしょう?

「これ、ものすごく数があって、正確にはわかっていないんですけれども、今回行ったスカルブスネスっていう地域だけで言うと、30以上の湖があると言われています」

写真協力:後藤慎平、太郎次郎社エディタス

●その中からいくつの湖を調査されたんですか?

「この時は3つですね」

●なんという名前の湖ですか?

「『長池』と『仏池』と『くわい池』という3つの湖で、これらに生物がいるという研究者さんの情報があったので、その生物の観測に行ったということになります」

●いろいろな湖がある中で、3つの湖を選んだのは生物がいるっていう理由なんですね。

「そうです」

●それぞれの大きさってどれくらいなんですか?

「大きさ・・・難しいですね、湖の大きさですよね? いちばん大きいのはやはり仏池っていう湖ですごく大きくて、対岸まで何百メートルもあるようなところでした。それが数百メートルの山の上にあるので、そこに行くのもけっこう大変だったりとかもします。
 一方で今回のメイン・ターゲットであった長池は縦に長いんですよ。対岸まではそんなに距離はなく、“おーい”って言ったら届くぐらいの距離なんですけども、縦に関しては全然声が届かないぐらいの距離だったりするので、いろんな形をしてますね」

●どんな生物がいるんですか?

「苔の集合体で『コケボウズ』と言われるものなんです。苔とかシアノバクテリアが長年かけてタケノコ状に成長したものです」

●初めてモニターでコケボウズを見た時はどう感じましたか?

「やっぱり感動しましたね! これがコケボウズかと。最初映った時に・・・今まで写真では見ていたんですけれども、実際に自分の手で動かしている探査機を通して見えた時は、やはりこれまでの苦労もあって、より一層感動はしました」

●色はどうなんですか?

「色は今回の本に(写真が)載っているんですけれども、緑色に見えるんですよ。ただ(深度を)上げてくると茶色っぽかったりとかして、やはり光の加減があっていろんな色に見えている状態です」

●コケボウズ自体の大きさは、どれくらいなんですか?

「これがいろんな大きさがあって、浅いところでは、浅いところって言っても水深7〜8メートルのところなんですけれども、80センチとか大きいのもいるんです。深いところいくと本当に数センチ、あるいは親指くらいの大きさ・・・ただ親指くらいのは三角形のタケノコ状ではなくて、どちらかと言うとなびくような感じの、草が生えているように見えるマット状のものが多かったです」

●3つの湖を調査されて、コケボウズの違いはそれぞれあるっていうことですね。

「ありましたね。長池のコケボウズがいちばん美しかったです」

写真協力:後藤慎平、太郎次郎社エディタス

●美しいというのは?

「三角形の形もそうですし、密集度もけっこう綺麗・・・綺麗っていう言い方がいいかもわからないんですけれども、見ていてもなんかすごく幻想的な雰囲気を受けました。
 一方、くわい池と仏池に関しては形状が三角ではなくて、くわい池に関しては、ぽこっと丸いマウンド状みたいな形になっている物が多かったですね。仏池に関しては、上の部分がおそらく氷が張って潰されているので円錐状になっている、ペットボトルみたいな形になってしまっているものもあって、やはりいちばん綺麗なのは長池だったなという印象です」

ホタテとウニだらけ!?

※海にも水中探査機ROVを潜らせたそうですね。どんな景色が広がっていましたか?

「海の中が、これが面白くて、この時には一面にホタテとウニがいました!」

●え~! そうなんですね~(笑)。

「はい! 見渡す限りウニとホタテしかいない!」

●すごい景色ですね〜。

「そうですね。数えるとか、そんなこと絶対できないぐらいの、たぶんみなさんが想像を絶する景色でしたね。自然というか生物層がすごく豊かな海だなというふうには感じました」

●ご自身で開発された水中探査機ROVが、実際に期待通りの活躍をしてくれたってことですよね。人間が潜れないような厳しい環境下での調査には、ROVはすごく有効なものですよね?

「そうですね。想像してみていただければわかるんですけども、流氷が来ている北海道の海に潜るのってけっこうきついじゃないですか。そういう時にやはりロボットが行ってくれるっていうのは、すごくありがたい話で、寒い思いをしなくていい、苦しい思いをしなくていい・・・なんて言うんでしょう、3K、4Kと呼ばれるような危険、きつい、怖い、汚い、いろんなKがありますけれども、そういった場所に人間が行くんではなくてロボットが行くっていうのは、すごくそのロボットの理にかなっているかなと思います」

(編集部注:実は後藤さんは子供の頃から、南極観測船「しらせ」に憧れていて、本の口絵に、オレンジ色の船体が特徴の、本物の「しらせ」をバックに、小学4年生の後藤さんが自分で作った「しらせ」の模型を持って立っている写真が掲載されているんです。

写真協力:後藤慎平、太郎次郎社エディタス

 後藤さんは、国立極地研究所の研究員から南極の調査用にROVを作ってくれないかという話があるまで、まさか憧れの「しらせ」に乗って、南極に行くとは、1ミリも思っていなかったそうですよ。ひょんなことから、あれよあれよという間に、南極に行く羽目になったいきさつも、後藤さんの本に詳しく書かれています。ぜひ読んでください)

南極滞在は小屋暮らし!?

※南極は、雪や氷の世界というイメージがありますが、その通りでしたか?

「南極観測船『しらせ』が昭和基地に近づいてくると、定着氷と呼ばれる一面氷で覆われた海を進んでいくんですけれども、実際私が行っていたスカルブスネスっていう地域は雪がほとんどないです」

●南極なのに!?

「そうです(笑)。岩肌剥き出し、ガレ場ザレ場と呼ばれるような、石がゴロゴロと転がっているような場所で生活をするというようなことをやっていました」

●南極っぽくないようなイメージですけれども、実際はそうだったんですね。

「そうですね。実はそういう場所は『露岩域(ろがんいき)』って呼ばれていて、南極の中でも約3パーセントしかないと言われているような場所になります」

●本を読んでいて驚いたんですけれど、後藤さんたちの調査チームは昭和基地ではなくて、最初からベースキャンプというか小屋に滞在されていたんですよね?

「そうですね。ちらちらお話に出ていますけども、スカルプスネスっていう場所が生物の観測拠点になっているので、そこで生活をするんですね。昭和基地からはだいたい50キロから60キロぐらい離れている場所にあって、小さな小屋と言ってもコンテナのようなものが置かれているだけです」

写真協力:後藤慎平、太郎次郎社エディタス

●どんな小屋なんですか?

「中は快適で、快適って言っていいのか、住み慣れると快適なんですけれども、たぶん初めて行く人はびっくりするとは思うんですね。二段ベッドがふたつあるだけで、真ん中にちょっと作業する机があるような部屋ですね」

●そこに何人が滞在するんですか?

「多い時は十何人・・・」

●えっ! 二段ベッドが・・・!?

「なので(ベッドの)取り合いですね(笑)」

●ちょっと計算が合わないですよね(笑)。その小屋ではどんな生活を送られていたんですか?

「あくまでも小屋は生活をする場所なので、その中で寝泊まりをするんです。料理したりとかっていうこともできますので、そこで料理をしてみんなで食事をすると・・・。あとは取ってきたデータの解析だったりとかそういうこともします。

 あとブリザードが来た時・・・小屋の中、ベッドの競争に負けて、負けてっていうわけではないんですけども、あえて外で寝るかたもいらっしゃいます。せっかく南極に来たんだから、外にテントを張って寝たいぜっていう人もいて、そういうかたがたはテントで寝るんですけれども、やはりブリザードが来ている時に外で寝るのは危ないので、そういう時には中に入ってきて、一緒に寝たりとか食事をしたりっていうようなことをやっています」

●厳しい環境下での食事は大切だと思うんですけど、食料はどうされていたんですか?

「これが大変で、最初行きの『しらせ』の中で糧食配布と呼ばれる、ちょっとしたイベントがあります。その時に野外に出る人間が何人なのか、その人たちが何日間野外にいるのかっていうのを計算して、さらにそこに仮に助けに行けなかった場合には、どれくらいの非常食がいるのかっていうような足し算までして、食料が配られるということがあります。

 それを持って出るんですけれども、一度に持って出ると冷蔵庫も何もないところなので腐ってしまうということもあって、3回ぐらいに分けて、観測期間が1ヶ月半ぐらいありますので、その前期、中期、後期ぐらいに分けて運び出すというようなことをしていました」

●どんな食料が配られるんですか?

「これがけっこう日本で食べているものと変わらない食料が多いです」

●それは精神的にもいいですよね?

「そうですね。その辺、やはり長年の南極観測の中で配慮が重ねられていて、普段口にしているものが食べられないと、おっしゃる通りストレスになってしまうということもあるので、ありとあらゆるものが配られます。調味料に関してもこの味の調味料が欲しいなっていうのがたまにあるじゃないですか。そういうのもないようになっていましたね。いろんな種類が配られますし、飲料とかに関してもいろんな飲料が配られるというような状況ですね」

(編集部注:後藤さんたちの調査チームは小屋暮らしなので、当然お風呂はなく、トイレも簡易的なものだったそうですよ。
 そんな隊員たちの活動を支えているのは、実はヘリコプター。食料などの物資の運搬や、隊員の移動に大活躍する様子が本に書かれていますよ。)

小さなことは気にしない!?

●実は後藤さん、2度目の南極での調査を終えて、この3月に帰国したばかりなんですよね?

「はいそうですね。3月の21日に帰ってきたばっかりです」

●お帰りなさいませ! もう2回も行かれているんですね! やっぱり一度経験していると2回目となったら、余裕って感じですか?

「いや〜全然そんなことないですね(笑)。前回行って6年経っているので、前回の手順が通用しなくもなっていますし、忘れていることもありました。
 前回は湖の調査チームだったんですけれども、今回はペンギンの調査チームだったので、調査ターゲットも違う、調査を一緒にする隊員も違うってなると、やはりけっこう準備とかにもいろいろ苦労がありましたね」

●ペンギンの調査で行かれたんですね。何か新しい発見はありましたか?

「そうですね・・・そういう意味では、物資が帰ってきて、いま解析をしているところなので、その成果に関してはこれから乞うご期待! というところですかね」

●楽しみにしています!

「はい」

●2度目の南極で、今後の課題というか目標みたいなものはできましたか?

「今回南極に行くにあたっていろいろと、前回行ったことを踏まえて、どんなことを解決しなきゃいけないのかっていうようなことも考えてはいたんですけれども、2回目行ってみて、やはりターゲットが違う、ペンギンという新しいターゲットになったことで、そのペンギンをこれから観測をどう続けていくのかっていうようなところで、新しい気付きと言いますか、課題っていうのはあったかなと思います」

●南極での経験は、後藤さんにどんなことをもたらしてくれました?

「そうですね。いちばんは、いろんな人に言っているんですけれども、小さなことを気にしなくなる(笑)」

●小さなことを気にしない!?(笑)

「なんて言うんでしょう・・・それって生きていく上で必要? みたいなことを、今まで気にすることもあったんですけれども、南極ってそういう意味では明日死んでいるかもしれない場所なので、むしろそれよりも先に生きることを考えようよっていうふうには思うようになりました」

●南極観測は国家事業ですから、南極地域観測隊の隊員として南極に行けるのは本当に限られたかただけですよね。それでもやっぱり隊員として南極に行ってみたいって思っているかたに向けて、何かアドバイスなどありましたら、ぜひお願いします。

「意外と南極観測隊に参加している人が、どういう人かっていうのが知られてないかなと思います。研究者じゃないと行けないとか、国立極地研究所の人じゃないと行けないとかっていうように思われているかたが、多いのかなと思うんですけれども、実際、観測に来られているかたはメーカーの人だったりとか、私みたいな大学の教員だったりとかっていうこともあるので、いろんなところにアンテナを張って、どうすれば行けるのかなというようなことを探ってみていただきたいなと思います。

 実際、本学(東京海洋大学)を卒業した学生で、南極に行きたいからということで、南極観測に関わっている会社に就職したという話も聞きます。なので、いろんなところに南極に行くチャンスはあるよ! と思いますね」

(編集部注:2度目の調査のターゲットはペンギンだったというお話でしたが、ペンギン用ROVは、泳いでいるペンギンを追いかけるのではなく、ペンギンが海の中でどんな活動をしているのか、何を食べているのかなどを観察するための観測機器にしていたそうです)


INFORMATION

『深海ロボット、南極へ行く〜極地探査に挑んだ工学者の700日』

『深海ロボット、南極へ行く〜極地探査に挑んだ工学者の700日』

 後藤さんの新しい本には南極調査用ROVの開発秘話、憧れの「しらせ」や南極の小屋暮らし、そして湖でのROVの活躍など、慌しくも活気に満ちた日々が、生き生きとした文章で綴られていて、後藤さんの奮闘ぶりが手にとるようにわかると思います。コケボウズや、ホタテやウニだらけの写真も掲載されていますよ。おすすめです。
 太郎次郎社エディタスから絶賛発売中です。詳しくは出版社のオフィシャルサイトをご覧ください。

◎太郎次郎社エディタスHP:http://www.tarojiro.co.jp/product/6423/

◎東京海洋大学・後藤慎平さんの研究者情報
https://tumsatdb.kaiyodai.ac.jp/html/100000613_ja.html

「モンベル フレンドフェアin九十九里」取材レポート!〜魅力的な九十九里エリアをもっと発信!

2024/5/5 UP!

 今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンは、千葉県・九十九里で初めて開催された「モンベルフレンドフェア」の取材レポートです。

 当番組のコラムでお馴染み、モンベルの「辰野勇(たつの・いさむ)」会長や、フィールドナビゲーター「仲川希良(なかがわ・きら)」さんのインタビューのほか、九十九里浜でのノルディック・ウォーキング体験や、お箸づくりのワークショップの模様などお送りします。

「モンベルフレンドフェアin九十九里」

 今回の「モンベルフレンドフェアin九十九里」は山武市、芝山町、そして横芝光町の3つの自治体の協力のもと、4月20日と21日に蓮沼海浜公園・南浜スポーツ広場をメイン会場に開催されました。

 ステージでは、南米の民族楽器サンポーニャ&ケーナ奏者の「瀬木貴将(せぎ・たかまさ)」さんのライヴや、俳優「宍戸 開(ししど・かい)」さん、山城ガール「むつみ」さん、そして「仲川希良」さんや「辰野勇」会長のトークショーがあったり、アウトドアのプログラムとして、クライミングタワーに登る体験や、スポーツ用自転車の試乗会、そして2本のポールを持って砂浜を歩くノルディック・ウォーキング体験のほか、モンベル製品がお買い得のアウトレットセール、さらに地元の特産品やご当地グルメを販売するブースがおよそ40店舗も出店するなど、盛りだくさん! 

 地元のかたを始め、ご家族連れなど、多くの参加者がイベントを楽しんでいらっしゃいました。私たち番組取材チームは、2日目のフレンドフェアに参加。当初、お天気がちょっと心配だったんですけど、お昼頃からは日も差してきて、絶好の取材日和でした。

包括連携協定〜7つのミッション

※トークショー&横笛のライヴを終えた辰野勇会長にお話をうかがうことができました。まずはその模様をお送りします。

辰野勇さん

●モンベルは、全国の自治体などと包括連携協定を結んでいます。実は、今回の「フレンドフェア」の初日に会場で九十九里エリアの3つの自治体、山武市、芝山町、そして横芝光町と包括連携協定の締結が発表されました。それを踏まえて、改めてなんですが、これはどんな協定なのか教えていただけますか?

「実は今回が150か所目の包括連携協定で、奇しくもきのう、千葉県の副知事、黒野嘉之さんおっしゃっていたんですけど、千葉県が150周年の節目というこの年に今回150か所目の包括連携協定という、象徴するような協定式があったんです。

 おもに我々が常に発信しているアウトドアを通じた7つのミッション・・・アウトドア活動を通じて、いろんなことにお役に立てるんじゃないかということで、まずひとつ目は、アウトドア活動を通じた環境保全意識の向上。それからふたつ目は子供たちの生き抜く力、知恵とか勇気をアウトドアを通じて身につける。3つ目は健康寿命の増進。最後のその日を迎えるまで人生の質、クオリティ・オブ・ライフを全うできる。そのためにもアウトドアっていうのはすごく役立つ。

 それから4つ目が、最近特に地震とか、いろんな災害が各地で起こっていますけど、いわゆる災害時における対応力。アウトドア活動をやることによって有事の時にすぐ役に立つというようなこととか。5つ目が特に自然環境の素晴らしいところ・・・過疎にいま日本国中、いろんな自治体さんもけっこう問題意識を持たれているけれど・・・このような自然豊かなところの自然を活用したエコツーリズムを通じて、地域経済の活性にお役に立つ。

 そして6つ目が農林水産業に従事されるかたがたに、我々のアウトドアのテクノロジーを活用した物作りでの支援。例えば農業女子、女性もおしゃれで安全に快適に農業ライフを楽しんでもらうとか。最後の7番目が、高齢者を含めたバリアフリーの実現。障害を持たれたかたにも等しくアウトドアを楽しんでもらおうと・・・。

 この7つのミッションを基軸にいま申し上げた150か所の産官学、県の単位で12か所、それから市町村の単位でも100以上、あと大学、企業、病院、こういったところとの包括連携協定を結んできましたけど、今回はまさに九十九里の3つの自治体、山武市、横芝光町、そして芝山町、この3か所と協定を結びました」

(編集部注:今後3つの自治体とは、特にエコツーリズムの観点から成田空港を利用するインバウンドの観光客のかたがたに飛行機の乗り換え時間を利用し、九十九里エリアまで足を伸ばしてもらって、地元のグルメや自転車などのアクティビティを楽しんでもらえるように働きかける。また、モンベルクラブの会員およそ118万人に、九十九里エリアの情報をどう発信していくかなど、そんな課題も見えてきてともおっしゃっていました)

辰野勇さん

※数年前から空前のキャンプ・ブームといわれています。また、山登りなどのアウトドア・アクティヴィティを気軽に楽しむ、いわゆるアウトドア派という方々も増えているように思います。アウトドアグッズ・メーカーの代表として、どんな思いがありますか?

「はい、今キャンプ・ブームとおっしゃいましたけど、それはコロナの時期に密を避けて家族でキャンプという、そういう時代背景と共に、一過性のブームという言い方がいいかもわかりませんけど、コロナが収束したら、そういった目的でやるかたもだいぶ(キャンプ)人口も減っていることも事実です。

 実は1週間前、鳥取大山に環境省の運営するキャンプ場を、モンベルがリニューアルして運営が始まっているんです。我々が提唱するキャンプは、あくまでアウトドア・アクティビティのための手段。キャンプそのものが目的というよりも、例えば山登りをする中で、一晩どうしても過ごさなければならない時にするのが、我々のテント泊であって、コロナの時期に、いま空前のっておっしゃったけど、そういうかたがたは、より快適なキャンプを望んでいらっしゃると思うんですね。そういう意味では我々がいわゆる一丁目一番地でやってきたアウトドアとは少し意味合いが違うかもわからんですけど・・・。

 要はただキャンプだけじゃなくて、カヌーであったり登山であったり自転車であったり、こういうアクティビティをやる、そういうかたがたを対象に、我々これからも物作りを進めていこうと、こういうふうに考えています」

九十九里浜でノルディック・ウォーキング!

※続いて、ノルディック・ウォーキング体験の模様をお送りします。

 ノルディック・ウォーキングとは、ポールを2本持って歩く運動で、もともとは雪原をスキーで滑るクロスカントリー・スキーの選手が雪のない夏にトレーニングのために行なっていたそうです。

 そんなノルディック・ウォーキングの初体験。早速、受付をすませ、ポールを2本借りて、ほかの参加者のかたがたと、砂浜に近い松林の道に移動。地元でサーフショップ 「トレジャーサーフ」を経営されている今回のイントラクター「水野恵一(みずの・けいいち)」さんの指導のもと、まずは準備運動、そして、ポールを持って歩き方を練習しました。

イントラクター「水野恵一」さん

「コツがありまして、(ポールのグリップから)手を離していただいて普通に歩いていった時に、ぶらぶらっとさせて、ちょっと突っ掛かるところから後ろに押してもらえれば、それで普通に歩けるようになっていくかたが多いので、ちょっと離れて練習してみましょうか。

 (ポールを)軽く握ってやっていただいてもいいですし・・・そうですね! それで十分! 上手です、上手です、さすがですね! それで上半身も使って歩ければ、もっと全身運動になってきますから・・・。

 モンベルさんのは山でも使えるポールなので、ノルディック用のやつはちょっとだけ、手首のところが違ったりするんですけど、これでも十分練習できますから・・・。はい、いいですね。手と足が一緒になっちゃっていると最高です! いいですね、みんな最初はなっちゃうんです。

 力を入れずに普通に歩く感じで、ツンツンと止まったところから後ろに、背中側が使えれば、もうそれで、うん、いいです・・・あの坂を越えたら海ですから!」

●おお〜海だ〜! この砂浜を歩くわけですね! 頑張ります!

ノルディック・ウォーキング体験

※九十九里浜でのウォーキングを終えて。

●ありがとうございました!

「こちらこそ、ありがとうございました!」

●すごく楽しかったです!

「こちらこそ感謝です」

●気持ちよかったです~。砂浜を歩くノルディック・ウォーキングって珍しいんじゃないんですか?

「サーフィンのトレーニングも兼ねた一環で、最初お客さんにご紹介して興味あるかたにお伝えさせていただいたり、少しレッスンをさせていただいたりということで、基本的にはサーフィン・スクールの中で、レッスンをやっているのが通常になるんです」

●九十九里浜の景色を楽しみながらのウォーキングってすごく贅沢ですし、なにより気持ちいいですね~!

「本当に体験していただいて、ありがたかったです」

●本当に楽しかったです! 水野さんは生まれも育ちも横芝光町で、サーフショップ「トレジャーサーフ」を営んでいて、サーフィンのインストラクターでもいらっしゃいますよね。横芝光町、そして九十九里浜はどんなところが魅力的ですか?

「何もないと言ったら、ちょっと言葉が合わないかもしれないんですけれど・・・。サーフィンも、うちの場合はゆっくりスタートしていただけるようなかた向けも考えていたり、何もないところに来て、少しのんびりしていただくような、そういう良さがある町かなと・・・。

 もっといろんないいところが実はあって、生まれてほとんどずっとこの町に住んでいますので、素晴らしいところだと思って住んでいるんですが、やはりのんびりできるのがすごく自分にとってはありがたいとこですし、うちに来ていただいているお客様も少しリフレッシュをかねて、のんびり海でサーフィンして帰っていただけるような時間をなるべく提供できたらと思って行なっております」

●長年、九十九里の浜や海を見てこられて、どんな思いがありますか?

「そうですね・・・サーフィンを始めて35年なるんです。35年やっているにはそんな上手ではないんですが、地元のかたたちが、自分たちもちょっとお手伝いをしながら、20年以上海岸清掃を継続していただいていたり、サーファーとしてイメージの向上に頑張っていただいている若いかたたちが、いまたくさん自分の町にはいらっしゃるので、いい意味で海自体をもう少し綺麗に、逆に活用するようなことがあれば、ぜひ地元のサーファーと一丸となって協力したいなと思っています」

(編集部注:水野さんも協力されている九十九里浜の清掃活動については「屋形海岸(やかたかいがん)」「ビーチクリーン」で検索してみてください。また、水野さんのサーフショップ 「トレジャーサーフ」のサーフィン・スクールの情報はオフィシャルサイトをご覧ください)

◎トレジャーサーフ :https://www.tsurf.net

山武杉を使って箸作り

※今回のフレンドフェアでは、地元の特産品やご当地グルメを販売するブースが40店舗ほど出店していたんですが、その中から、山武市の特産「山武杉(さんぶすぎ)」を材料にお箸を作るワークショップがあったので、体験させていただきました。ご指導いただいたのは「さんむチーム木工」の「小川 清(おがわ・きよし)」さんです。

「さんむチーム木工」の小川 清さん

●こちらは山武杉の箸作り体験ということですよね。早速教えていただきたいんですけど・・・お願いします。

「はい、かんな台に箸の材料、これを乗せていただいて、かんなで削っていき、最後まで削っていくと箸の原型が作れます。ここまでがこの作業になります。小さいお子さんですと、きのうは3歳の女の子も、普段は80歳のおばあちゃんも、みんなできますので・・・」

●え、すごーい! かんなを滑らせていけばいいんですか?

「そうですね。右手、左手、で、太ももをこの台に押し付けて、引っ張るように、平行に引っ張るように、そうですね・・・ちょっと斜に構えて、手前に最後まで引くようにやっていただくと綺麗なかんなくずが出るはずです」

●あ、(かんなは)ちゃんとずっしり重みがあるんですね。

「この台に太ももを押し付けて、右足をちょっと下げて・・・で、今度かんなの上の部分をこうつかんでいただいて、右後ろに引き抜く」

●引き抜く!? おお〜!

「いい音ですね」

●綺麗に剥けました! 気持ちいいですね!

「これを何回かストロークで早くやっていくといい音が出ます」

●おお〜! (このやり方で)合っています?

「合っています」

●すごーい! (かんなくずが)くるくるくるっと! これをどんどん削っていくとお箸の形になっていくんですね。

「20回くらい削ると片面ができます」

●すごく綺麗にくるくるくるっと! これ楽しいですね!

「そうですね。きょう来ている家族のかたも、子供がきのうやって楽しくて、きょうはお父さんとお母さんもやっています(笑)」

●いいですね〜!

「削りの音が楽しいって、(参加者のかたは)言っていますね」

●楽しいです! なんか夢中になっちゃいますね。無心でやっちゃいます!

「だいたいみんな、これやっていると無言になっちゃいます」

●確かに気づいたら無言になっちゃってました(笑)。

「削れなくなったら箸の原型ができ上がりということになります」

●おお〜すごい!

「で、綺麗に先端が真四角になって、持ち手も真四角になる・・・」

●これ、自分で削ったってなると愛着もわきますし、いいですね。

「あとは向こうに行って、角を紙やすりで落としていただいて、仕上げにサラダ油を塗って、山武杉の特徴の赤い色に・・・」

●美しい綺麗な赤茶色になりました〜。

「これででき上がりと! でき上がったものを持っていただくとわかるんですけれども、とっても軽くて・・・」

「さんむチーム木工」の小川 清さん

●軽いですね! この軽いっていうのが山武杉の特徴なんですか?

「そうですね。杉自体が軽いんですけれども、山武杉の特徴はこの赤い色ですね。白いやつよりも赤色のほうが特徴があります」

●すごい、あっという間に作りました〜。嬉しいですね。楽しい! ありがとうございます。

◎さんむチーム木工:https://www.city.sammu.lg.jp/data/doc/1610676955_doc_32_0.pdf

九十九里エリアも「ジャパンエコトラック」!

※ここからはフィールドナビゲーターの「仲川希良」さんにご登場いただきましょう。仲川さんは登山を始めて、今年で15年目。お子さんと山に行くようになって、子供目線の山の楽しみ方にも気づき、山に行く回数は減ったけれど、以前とは違う「濃い山時間」を過ごしているそうですよ。

 そんな仲川さんは、大規模会場で行なっていた頃の「モンベル フレンドフェア」にも何度か、ゲストとして参加されています。今回のようなエリアを限定しての「フレンドフェア」には、こんな魅力を感じたとおっしゃっていました。

「今回みたいに開催地密着型の、コロナ以降の開催として(私は)今回初めてだったんですが、これはこれでその開催地について、より詳しく知ることができるっていうのがすごくいいなと思いました」

●すごくアットホームな感じがしますよね。

「そうですね〜。あとやっぱりこれまでの会場よりも、さらに地元のかたがたくさんいらっしゃっているので、きっと地元のかたにとっても発見があるっていうのが、面白いところなのかなと思うんですよね。

 何か発見したいと思っている人が遠くからたくさん集まってくるっていうだけじゃなくて、あ、自分のところってこんな良さがあったんだ、こんな美味しいものも、こんな面白いこともあったんだっていうのを再確認できるような、フレンドフェアなのかなと思いました」

●仲川さんは、モンベルさんが提案する「ジャパンエコトラック」のナビゲーターでもいらっしゃいます。改めてこのジャパンエコトラックとは何か簡単にご説明いただけますか?

「はい、ジャパンエコトラックというのは、新しい旅のスタイルとしてご提案させていただいているんですけれども、ポイントは人力でそのフィールドを体感するというところにあります。水辺だったらカヤックだったりSUPだったり、もちろん泳いでもいいですけどね。

 で、民家があったり作物が育っているような里のエリアは、自転車で駆け抜けたり、歩いたり・・・。山のエリアはもちろん登ったり、トレイルが好きだったら走ってもいいですけども・・・基本的に人力で動くっていうことがポイントになっているんですね。そうすることによって、そのフィールドをより深く味わうことができます。

 私だったら山が好きなので、例えば、ある山に行こうと思うと、着いて登山口まで車でばっと移動して、山だけを歩いて帰ってくるみたいな旅の仕方をしがちなんですけれども、そこからさらに足を伸ばして、麓だったりその麓の先にある海だったりまでを、自分自身の体を使って旅をして味わうことによって、よりその山が育んだ麓の文化だったり歴史だったりっていうのも一緒に味わうことができるようになるんですよね。

 なので、アクティビティをすでに楽しんでいらっしゃるかたも、自分が知っているエリアよりも、より広いフィールドを人力で楽しんでみることによって、その土地をより深く味わえるっていう、そういう旅のスタイルになりますね」

●この九十九里エリアもジャパンエコトラックに登録されているんですよね。

「そうなんです。いま関東のエリアが3か所登録されているんですけど、その中でいちばん初めに登録されたのが、この九十九里エリアになります」

●実際に仲川さんも、このエリアを自転車で走られたそうですね。どうでした?

「いや〜気持ちよかった! そしてこんなに気軽に手軽に味わえるジャパンエコトラック、実は初めてだったんです! 
 これまで9か所ですかね・・・ジャパンエコトラックのエリアを試してみているんですけれども、やっぱり人力で移動するって、それなりに体を使った旅の仕方なので、準備もしっかり必要だったりだとか、体力も使いますから、それなりに大変だなっていうような印象もあったりしたんです(笑)。

 でもね、九十九里エリア、私が住んでいる東京から、パッと来てパッと帰れる日帰り圏内。そして日帰りで味わえる気軽なルートがたくさん設定されているんですよ。

 私が楽しんだのは木戸川・栗山川サイクリングルートっていう、ちょっと短めの半日ぐらいで周れるルートを選んでみたんですけれど、九十九里って九十九里平野で知られている通り平坦なので、このルートは特に大きなアップダウンがなく、たぶんスポーツ用の自転車でなくても、普通の自転車でも問題なく周れるくらいの気軽なルートなんですよね。

 九十九里エリアは空が広い! そして(成田空港が近いので)飛行機が飛び立っていく様子が見られるんです。気持ちが清々しくなるこの空の下を自転車でパーっと気軽に駆け抜けることができて、とっても気持ちいい場所でした!」

仲川希良さん

※今後、当番組のコーナー「モンベル アウトワードコラム」でこんなことを発信していけたらいいな〜というのがあれば、教えてください。

「そうですね・・・例えば、ひとつのエリアを旅するにしても、その旅のスタイルによって味わい方がまったく変わるんだなっていうのを、ジャパンエコトラックでよく感じますけれども、例えばですよ・・・ここおすすめっていうエリア、辰野会長と私とで共通するエリアを選んで、それぞれの視点から魅力を語るみたいな!」

●面白そうですね!

「アウトドアのエキスパートの辰野会長の視点と、(私は)技術的にはまだまだ初心者、そして女性だったり家族連れだったりっていう、そういう目線で土地を分析すると、(味わい方が)変わっていくんじゃないかなと思うので、ひとつのエリアの、旅のし方を辰野会長と私でプレゼンしあうみたいな・・・楽しいかなと思います(笑)」

辰野会長、最初の出演は30年前の1月15日!

※それでは最後に再び、モンベルの辰野 勇会長にご登場いただきましょう。

●この番組「ザ・フリントストーン」は放送開始から33年目になるんですね。実は辰野会長に初めてこの番組にご出演いただいたのが、30年前の1994年1月15日だったという、記録が残っているんです。

「えっ! 本当に? よく覚えているね(笑)」

●『社長室はアウトドア』という本をもとにお話をうかがったということで、スタッフから聞いたんですが、長いお付き合いをありがとうございます! 

「そうですか・・・いや〜そういう昔話をすると健康になりますよ」

●いま30年前のご自身に何か言っておきたいことはありますか?

「もう振り返りたくない! 振り返らないのも健康になる・・・(笑)。たまにね、自慢話はするのはいいですよ。でもね・・・いつに戻りたいですか? っていう質問をされるかたがいるけど・・・ないね。いまがいちばんいいね」

●素敵です! 現在、会長にはフィールドナビゲーターの仲川希良さんと共に毎週、「モンベルアウトワードコラム」というコーナーで番組にご登場いただいています。リスナーのかたにはお馴染みでファンのかたも多いと思いますので、ファンのかたに改めて、ひと言いただいてもよろしいですか?

「千葉のみなさんがた、すみません、今回初めて来ました!九十九里。本当に素晴らしい自然がたくさんあるので、もちろん地元のかたはご存知でしょうけど・・・。(この九十九里エリアは)モンベルと包括連携協定、フレンドエリア、そしてジャパンエコトラックのコースも整備もしていただきましたので、ぜひご活用いただきたいなと思います。よろしくお願いします」


INFORMATION

 九十九里エリアは、モンベルのフレンドエリアにもなっていて、もともと協力関係にあったんですが、今回、山武市、芝山町、そして横芝光町と包括連携協定を結んだということで、さらに今後の展開が楽しみになってきました。来年もぜひ「フレンドフェア」を九十九里で開催してほしいですね。

 このエリアは、仲川希良さんのお話にもありましたが、関東で初めて「ジャパンエコトラック」に認定されていて、7つのサイクリングルートやパドリングフィールドなどのルートマップも公開されています。レンタサイクルで、海岸線を走ったら、気持ちいいと思いますよ。ジャパンエコトラックの登録エリアは、全国に30数か所あります。あなたもぜひ、人力だけで移動する新しい旅のスタイル「ジャパンエコトラック」を体験してみてください。

 ちなみに、ルート検索機能などが搭載されている専用のアプリもあって、とても便利だそうです。詳しくはオフィシャルサイトをご覧ください。

◎ジャパンエコトラック:https://www.japanecotrack.net

◎モンベル :https://www.montbell.jp

ドキュメンタリー映画『おらが村のツチノコ騒動記』、ついに一般公開!〜果たしてツチノコはいるのか、いないのか!?

2024/4/28 UP!

 今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、ツチノコのドキュメンタリー映画を制作した「今井友樹(いまい・ともき)」監督です。

 今井さんは1979年、岐阜県東白川村生まれ。日本映画学校、現在の日本映画大学を卒業後、民俗文化映像研究所に入所。その後、2015年に映画制作会社「工房ギャレット」を設立。おもにお祭りや芸能などの民俗文化の記録映画を制作、これまでに短編も含め、30本ほどの作品を発表されています。

 そんな今井さんの最新作が自分のふるさと、岐阜県東白川村に伝わるツチノコをテーマにしたドキュメンタリー映画『おらが村のツチノコ騒動記』。2016年頃から制作を開始、人づてに目撃情報を集め、日本全国40カ所ほどをめぐり、60人以上のかたに取材、足掛け9年かけて完成させた映画です。そしていよいよ来月から一般公開されるということで、監督を番組にお迎えしました。

 きょうはツチノコとは、いったいどんな生き物とされているのか、果たして、本当にツチノコはいるのかなど、その実態に迫ります。

☆写真協力:工房ギャレット

今井友樹さん

ツチノコ、そしてふるさとへの思い

※今井さんは子供の頃から、村で開催されるツチノコ探しのイベントに参加するなど、身近にツチノコを感じて育っています。

 ツチノコをご存知ではないかたもいらっしゃると思いますので、まずは、どんな生き物とされているのか、その特徴などを教えてください。

「今ツチノコっていうと、たぶん大人から子供までみんな、同じような形状を思い浮かべると思うんですね。それは頭がぼこっと大きくて、首がきゅっと細くしまっていて、胴体がさらに太くなって、尻尾が細くきゅっとなっている、これ、例えば、今の子供たちだったら、アニメとかにもキャラクターとして登場していて、おなじみですし、僕が子供の頃はビール瓶のような形状でツチノコをたとえていました。

 それより以前は『ツチノコ』という言葉の、たぶん語源にもつながると思うんですけど、木槌の『ツチ』、それがツチノコの形状に似ているということで、胴が太くて尻尾が細いっていうようなことを思い浮かべてもらえれば、いいと思いますね。それがヘビなのかどうかはわかりません」

●なんかほんとにヘビみたいに見えますよね~。でもヘビじゃないんですよね?

「そうですね。なんなんでしょうか(笑)」

●呼び名っていろいろあったんですか?

「そうですね。僕の田舎、岐阜県の東白川村という地域なんですが、そこの山村では僕のおじいちゃん、おばあちゃんの世代は『ツチヘンビ』っていうふうに呼んでいましたね。隣村ではツチノコと同じような形状のものを『ヘンビの大将』と呼んでいましたし、また別の場所では『ノヅチ』と呼び、で、そのまた隣の地域では『転がりヘビ』・・・だから自分のふるさとの周辺だけでも呼び名がそんなにも違います。
 全国を訪ねると『ゴハッスン』であったり『サメ』と呼んでいたり、なんかもう本当にヴァリエーションがあって、10種から20種類ぐらいの呼び名があるんじゃないですかね」

※ツチノコのドキュメンタリーを制作しようと思ったのは、どうしてなんですか?

「今ツチノコっていうと、ツチノコ捜索をすることが世間でニュースになったりとかあるんですけれども、実は僕の生まれ、ふるさとである岐阜県東白川村は、今から35年前、1989年、平成元年の頃に、ツチノコ捜索イベントを行なったんですね、そしたら全国から200人以上の参加者が集まって、以来毎年ツチノコの捜索を続けている地域なんですね。

 今年も開催されるんですが、その地域で当時、僕は小学校の高学年でして、おじいちゃん、おばあちゃんから、もともとツチノコの話や存在は聞かされていたわけではないんです。突如、村で1989年がヘビ年だったっていうこともあって、ヘビ年にちなんで、ツチノコの話題が盛り上がったんですね。その時におじいさん、おばあさんたちはツチヘンビと呼んでいたものが、実はツチノコだったんじゃないかっていうようなことで、村の中でツチノコがブームになっていくんですね。

 おじいさん、おばあさんたちは当時ツチノコは、見ても人には言ってはいけないという存在だったんですね。怖れられていて神様のような存在として受け止めていて、僕もそのように聞かされていたんです。だからツチノコは、おじいちゃん、おばあちゃんたちがいるって言うんだから、僕もいると信じて疑わなかったんです。

 それがですね、だんだん・・・ふるさとを離れて、ひとり暮らしをして、仲間や知り合いに自分のふるさとを説明する時に、ツチノコで有名な村だって言うとみなさんだいたいわかってくれるんですけど、リアクションが“いないツチノコを探している村”だとか、“なんかそれ本当にいるの?”みたいな眉唾で反応してくれて、それはそれでありがたかったんですけど、だんだんそういうのを繰り返してるうちに僕自身の中でもやっぱりツチノコに対する思いや気持ちが冷めていって・・・。

 その冷めていく気持ちとふるさとへの思いがなんか重なって、“いないツチノコを探し続けているふるさと、いやだな~”なんて思っていた時期が長い間あったんですね。そういうのを振り返ってみようと思ったのが、今回の映画作りのきっかけになります」

「いるかもしれない」、それが魅力!?

※目撃情報がたくさんあるのに、一般的にはあまり知られていなかったのは、東白川村以外でも、実際に見たとしても、ほかの人に話してはいけないという、そんな掟みたいなものがあったんですよね。

「そうですね。ツチノコ探しに発展していく前までは、そういうような言い伝えと言いますか、いわれがあって、おそらく実際にツチノコを見たという人が周りにいた時に、“あんたもツチノコ、見たんか!”と言って、怖れられるような世間があったと思うんですけれど、その背景にはやっぱり自然を相手に暮らしてきた人の暮らしというか、そういうのがちゃんと展開していたんですね。

 それが自分の子供の頃を振り返ってもそうですけど、生活の舞台がどんどん機械が入ったり道路が補装されていったりとか、少しでも暮らしが豊かになっていくような形で開発されていくんですね、土地改良とか。

 そういった過程の中でツチノコという存在が変化していったと・・・それが怖れられた存在からどんどん探す対象に変わっていったのを、ちょうどふるさとでの自分の体験から見ても、自然の変化とかそういったものをうかがうことができるということですかね」

●都道府県が違っても目撃者の証言は、ほとんど同じ内容というのが興味深いなと思ったんですけれども・・・。

「そうですね。実際ヘビ自体は飛ばないんですけど、ツチノコはビュンと飛びかかったりする、(ツチノコに)噛まれたという人は聞いたことはないですが、転がってくるというような現象はあちこちで聞きましたし、非常に似たものを日本各地で目撃しているんです。それは僕もなぜだろうって不思議でした」

●目撃されたのは、みなさん山あいで豊かな自然が残っているような場所でした。やはりそういうのも、ツチノコの生き物としての信憑性みたいなものを表していますよね?

「そうですね。ツチノコ探しが始まった発端は、1960年代ぐらいからなんですけれども、釣りのエッセイストであった、山本素石(やまもと・そせき)さんというかたが仲間を集めてツチノコ捜索に乗り出したんですね。

 彼自身は京都の山中でツチノコのようなものを目撃して、京都の地元の人に尋ねたら、それはツチノコだということで、ツチノコ探しが始まっていくんですが、何回もツチノコ探しのブームは断ち切れてはまた現れっていうのを繰り返して、今に至るっていうことで、非常に(ツチノコは)誰にとっても魅力の詰まった存在ですね。

 生き物としての存在で言えば、いるかもしれないっていう、そういうような期待がやっぱりツチノコにはあって、いるかもしれない、目撃者もたくさんいるのにまだ見つかっていないっていう、そこが最大の魅力ですね。

 中にはツチノコの誤認説っていうものがたくさんあって、ヘビだったんじゃないかとか、トカゲだったんじゃないかとか、なんかと見間違えたんじゃないかとか、いろいろあるんですけれども、そういうのも含めて、ツチノコはなにか惹きつける魅力があるんだなっていうのは素材としてよく感じました」

写真協力:工房ギャレット

ノヅチ、草の神様!?

※ツチノコらしきものの資料というのか、記録が残っているのはいつの時代からなんでしょう?

「これは民俗学者の伊藤龍平 (いとう・りょうへい)さんがおっしゃっていたんですけれども、ツチノコという言葉は江戸時代の頃には『ノヅチ』という呼び名で言われていて、そのノヅチという言葉自体は日本書紀の頃から出てくるような神様の名前らしいですね。
 草の神様なんですが、生き物というかそういった存在として文献に出てくるのは、1700年の終わりぐらいから1800年ぐらいにかけてですね。絵にもノヅチというのは、こういう形をしているっていうような、今我々が見てもツチノコと連想できるような形で描かれていますね」

●そういった文献では、どんなふうに紹介されているんですか?

「僕のふるさとの隣に中津川市加子母(かしも)という地区があるんですが、御嶽山の麓にある山の中で、彦七というかたが山を歩いていたら、笹林の中で足もとをぬるっと触るような冷たい感触があった。で、見たらかつお節のような形をしていて、太さが一尺だから30センチぐらいの太さのものがぬるっと過ぎていって、その奇妙な体験を里に降りて話をしたら、それはノヅチだとそういうような日記が残されていたりもしますね」

未来を示唆する光を探す!?

※今井さんは、映画制作会社「工房ギャレット」の代表でもいらっしゃいますが、映画監督を志したのは、なにかきっかけがあったんですか?

「僕は子供の頃、田舎で生まれ育って、テレビで映画を見る機会が多かったんですね。父親が大工で寡黙、その寡黙な父親が、映画が流れているテレビの画面に釘付けになって、毎晩見ているっていう姿が非常に僕にとっては印象的で、その父親を惹きつけるようなものを作っている、その映画監督に憧れが生まれたんですね。

 次第に劇映画、例えばハリウッドの映画とかもそうですし、アクション映画なんかもそうですけど、そういったものに憧れて、映画のことを勉強する学校に入ったんですね。そこで授業の中で自分のふるさとを取材するっていうドキュメンタリーの世界に触れて、そしたらいかに自分が自分のふるさとっていうか、足もとの部分を見てこなかったのかっていう、そういう反省に至って、それ以降はそういう民族文化に代表されるような、そういった生活の記録を中心にやってきているっていう感じですね」

●今井さんが映画制作で大事にしていることですとか、心がけていることは何かありますか?

「その時代その時代に生きてきた人の証は、もちろん偉人であれば文献にも残るでしょうし、語り継がれていくこともあるかもしれないですけど、本当に普通の、僕を含めた一般の生活者の人たちって、日々いろんなことを考えたり悩んだり、そういったことを繰り返しながら生活を営んでいるんですよね。

 それが科学技術に依存しなくても、自然の中で暮らしてきた、長い間の歴史の積み重ねがあるので、そういうところの中に、実は今生きている僕ら現代人にとって、生きる糧というかヒントというか、そういった未来を示してくれるような光みたいなものがいっぱい埋もれているんですよ。そういうのは見過ごしてきてしまいがちなんですけれど、そういうところに立ち止まって目を凝らしていきたいなっていうのが・・・自分が全部できているわけではないですけども、そういうのを心がけています」

ツチノコにはロマンがある!?

※ツチノコの目撃情報はたくさんあるのに、捕獲されていない、写真さえもない、そこにツチノコらしさがあるようにも思いますが、どうなんでしょう? 

「僕自身、取材を始めた9年前は、ツチノコなんてもういないのにっていうような気分から始めているので、疑いながら話を聞きに行っていたんですね。映画制作に一緒に付き合ってくれたカメラマンも“ツチノコですか・・・?”みたいな感じで(笑)、取材に同行してもらったんですが、その当時の目撃者であったりとか、ツチノコ探しに一生懸命に取り組んだ人たちの話を聞いていると・・・(みんな)真剣なんですよ。

 その真剣な気持ちとか、あとはその一生懸命の中にも楽しさとか、その当時を思い出すと笑顔がこぼれるような、そういう姿をじっと見ていると、大切なものがそこにあるような気がして・・・ツチノコはいないって冷めている自分の心を熱くしてくれたというか・・・カメラマンも取材を終える頃には“ツチノコ、いますね!”みたいな感じで、僕よりも乗り気になってくれたっていうのをよく覚えていますね」

●確かにツチノコはいると思いますか?

「ツチノコは実際に見た人もいますし、そういった伝承が各地にあるっていうのは、いないということはないはずですよね。いた、あるいは、今でもいる、そっちのほうが人間、未来があっていいなって思いますね。完全にいないっていうふうに言い切ってしまうと、なんか閉ざされてしまうような・・・心がですけどね。だから僕はそういう期待も込めていると思います。

 未確認動物とか、今なかなかそういう新種の生き物の発見も、地域によってはあるとは思うんですけど、かつてほどビッグニュースみたいなものってないですよね。ツチノコを発見したら、すごく明るいに話題になるなって! 

 僕は自分のイメージの中では、忙しく働いている、渋谷の交差点を歩いているサラリーマンが、スクランブル交差点の大きな掲示板に“ツチノコ発見!”っていう速報が流れた時に、はっ!て振り向くような、未来へ明るい顔で振り向くような、そういう感じの存在だと思うんですよ、ツチノコって。だからそこにはロマンがあると思うんです。そのロマンはずっと大事にしていきたいなと思います」


INFORMATION

ドキュメンタリー映画『おらが村のツチノコ騒動記』

ドキュメンタリー映画『おらが村のツチノコ騒動記』

 いよいよ来月、5月18日(土)からポレポレ東中野を皮切りに、順次全国で公開されることになっています。ぜひ劇場に足を運んでご覧ください。

 詳しくは、工房ギャレットの専用サイトを見てくださいね。公開情報は、決まり次第、順次アップされる予定です。

◎工房ギャレット:https://studio-garret.com/tsuchinoko/

 岐阜県東白川村では、ツチノコを探す「つちのこフェスタ」が今年も開催されます。去年はおよそ2500人ほどのかたが参加されたそうですよ。今井さんは、今やツチノコは立派な観光資源にもなっている、そんなこともおっしゃっていました。

 東白川村での「つちのこフェスタ」、今年の開催は5月3日(金・祝)。詳しくは、東白川村のホームページをご覧ください。

◎東白川村:
 https://www.vill.higashishirakawa.gifu.jp/syoukai/gaiyo/tsuchinoko/tsuchinokofesta/

福井から東京に恐竜がやってきた!〜「オダイバ恐竜博覧会2024」の見所 & 恐竜王国・福井の謎に迫る!

2024/4/21 UP!

 今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、現在開催中の「オダイバ恐竜博覧会2024」の監修を統括された「福井県立恐竜博物館」の主任研究員「柴田正輝(しばた・まさてる)」さんです。

 柴田さんは1975年、兵庫県生まれ。子供の頃からお城や古墳など、古いものに興味があり、特に幼稚園の頃に見た、小さな葉っぱの化石に感動! いまだに印象的な出来事として覚えているそうです。

 そして、地質の研究をしていた広島大学大学院時代に偶然にも恐竜の歯の化石を発見。これを機に、恐竜の研究をしたいと思うようになり、恐竜研究の先進国アメリカに留学。モンタナ州立大学ボーズマン校を経て、現職の福井県立恐竜博物館の主任研究員、そして福井県立大学・恐竜学研究所の教授として活躍されています。

 今週は、いま話題の「オダイバ恐竜博覧会2024」をクローズアップ! 恐竜博の見所ほか、なぜ福井で恐竜の化石が多く発掘されるのか、そして見つかった新種など、恐竜王国・福井の謎に迫ります。

「オダイバ恐竜博覧会2024」

なぜ福井で恐竜化石!?

※「オダイバ恐竜博覧会2024」のお話の前に、なぜ福井県で恐竜の化石が多く発見されるのか、そのあたりのお話から・・・どうして福井県で恐竜の化石がたくさん発掘されるのでしょうか?

「よく聞かれる質問のひとつではあるんですけど・・・現在、日本では実は北海道から鹿児島まで様々な場所で、恐竜化石は発掘されているんですね。

 恐竜化石を見つけたいとか見つけようと思った時に、恐竜化石が見つかるポイントが大きく3つあります。 まずひとつ目は、恐竜時代の地層があることなんですね。恐竜時代は時代名でいうと、三畳紀から白亜紀っていう時代なんですが、ざっくりいうと、だいたい2億3000万年前ぐらいから6600万年前ぐらいの地層なんです。やっぱり恐竜がいた時代の地層がないと、化石は見つからないんですね。それがあるってことがひとつの条件なんですね。

 もうひとつは、恐竜は、みなさんよく間違えちゃうんですけども、陸にいたその時代の大型の爬虫類なんですね。ですから、空を飛んでいる翼竜だとか、海にいた首長竜は、恐竜とは呼ばないんです。なので、陸の体積した地層、川とか湖で溜まった地層があるということ、これがふたつ目になります。

 ですので、恐竜時代の陸とか川とか湖で溜まった地層があれば、そこでは絶対に恐竜化石が見つかるんですね。それに加えて最後は、その地層が見えていないと化石を見つけることができないので、その地層が見えていることっていうポイントがあります。

 というのも、日本の山々を見ていただければわかるんですけども、恐竜で有名な、例えばアメリカや中国のそういう発掘現場をイメージしてみても、日本の山は木々で覆われていまして、地層がほとんど見えないんですよね。そこに今の条件のふたつを満たす地層があったとしても、やっぱり見えていなければ、見つけることはできない。その3つの条件さえ満たせば、日本のどこでも恐竜化石は発掘されます。

 現在、兵庫県や熊本県でも多くの恐竜化石が発見されているんですね。その中でなぜ福井県が日本でいちばん恐竜化石が多く発見されているのかというと・・・これがいちばん大きなポイントではあるんですけれども、継続的に発掘調査を行なっていると・・・。
 福井県の発掘調査は1989年から始まっていまして、そこから1年とか2年の休止時期はあるんですけれども、ほぼ継続的にここ30年以上発掘調査を行なっています。そこにほかの県、ほかの場所とは違うポイントがあるので、そういうところから福井県が、日本でいちばん恐竜化石を産出する場所になっていると言えると思います。

 福井県の場合は、私たちの発掘現場は勝山市というところにあるんですね。その隣の大野市でも恐竜化石は発見されているんですが、恐竜博物館が発掘調査を行なっているのはまさに、その勝山市のひとつの発掘現場のみ。その現場だけでずっと発掘調査をやっています。
 ですから、もちろん先ほど言った3つの条件も重要なんですけれども、我々の場合は、先人たちが恐竜の骨も含めたその当時の骨の化石、脊椎動物の化石が密集している地層を見つけてくれていますので、そこをずっと調査することによって多くの化石を発見することができています」

福井県立恐竜博物館・主任研究員 柴田正輝さん
福井県立恐竜博物館・主任研究員 柴田正輝さん

福井で発見された6種の新種

※勝山市北谷町の発掘現場で、これまで6種の新種が見つかったそうですね。どんな恐竜の化石が発掘されたんですか?

「全部説明するとたぶん1時間ぐらいかかるので、だいぶ割愛しないといけないんですが、特に重要なものとしては、日本の恐竜として名前が付けられた『フクイラプトル』という恐竜がいるんですね。これは肉食恐竜なんですが、福井の恐竜の代名詞みたいな感じで、よく使っている恐竜になるんです。鋭い前の爪を持つ全長4メートルほどの肉食恐竜、これが非常に代表的な恐竜のひとつです。

 そのほかに植物を食べる草食恐竜の『フクイサウルス』。これは日本で最初に全身骨格が復元された恐竜になるんです。そういった恐竜も発見されたり、全長10メートルほどの首と尻尾の長い『フクイティタン』という草食恐竜も発見されています。

 まだまだいるんですよ。最も新しいものとしては・・・論文になることによって、学名としてちゃんと恐竜に名前が付くんですけども、昨年の9月に名前が付いたばかりの『ティラノミムス』という新しい恐竜ですね。

 これはオルニトミモサウルス類という恐竜で、(映画)『ジュラシックパーク』をご覧になられたかただったら、ダチョウ型の恐竜が集団で走ったりするのを覚えていらっしゃるかたもいると思います。その恐竜のずっと祖先になるタイプにはなるんですけれども、このような恐竜が発見されているように、非常に多様な恐竜化石が発見されて、名前が付いているんです。今回のお台場恐竜博でも展示しています。

ティラノミムス・フクイエンシス
ティラノミムス・フクイエンシス

 『スピノサウルス』っていう、みなさんによく知られた恐竜がいるんですけども、その歯の化石も発見されています。それ自体はまだ骨の化石が発見されていないので、種類だとか新種なのかどうかっていうところも含めて、はっきりはわかってないんですね。歯の化石だけが発見されていますので、今知られている6種類に加えて、将来まだまだ新しい種類を発見することができるんじゃないかなというのが、私たちの発掘現場になります」

●その6種の中に、柴田さんが発掘された新種も含まれているんですか?

「私も2007年から発掘調査に参加していますので、私が調査に参加してから発見して名前が付いたものも半分ほど含まれています。やはりその中でも思い入れのある恐竜のひとつは、フクイティタンという首と尻尾の長い恐竜ですね。これはちょうど私がこの恐竜博物館で仕事を始めた次の年に発見できた恐竜ですので、非常に思い出のある恐竜のひとつになります」

世界に誇れる恐竜博物館

※柴田さんが所属する福井県立恐竜博物館は、規模や展示内容も含め、世界的にも評価されているそうですね。どのあたりがいちばんのアピールポイントなんですか?

福井県立恐竜博物館の全景
福井県立恐竜博物館の全景

「当館は恐竜博物館としては、やはり世界的にも展示標本数も展示の仕方も展示内容も、かなり誇れるレベルにあると、自画自賛ですけれども、私も海外の博物館を見てそのように思っています。

 私たちの博物館が目指してきたところのひとつとして、まずはアジアの恐竜を数多く展示して、当館に来れば、アジアの恐竜を様々たくさん見られる、そんなふうにしたいという、私たちの先輩がたの思いもあります。そういった中で、去年の7月にリニューアルしてから、恐竜の全身骨格が50体展示されているんですね。こんな博物館は日本にはどこにもなくて、世界的にも非常に少ないんですね。

 その中で、もちろん福井県の恐竜は当館でしか見られませんけれども、それ以外にも中国やタイ、そういったところで発見されている、当館でしか見られないユニークな恐竜化石を展示できているのが、ユニークなポイントのひとつですね。

 もうひとつは、やはり発掘現場を持っている博物館、世界的にもあるんですけど、発掘現場の近くにある博物館はなかなかないんですよね、世界的にも。で、発掘現場を持っていることと、発掘現場から15分しか離れていないという利点を利用して、博物館本体とは別に、発掘現場に『野外恐竜博物館』っていうちっちゃな博物館も持っています。

 もちろんここは非常に雪が多い地域ですので、雪が溶けた春から秋までしかオープンしてないんですけど、発掘現場を直接見ていただける、なおかつそこで私たちが発掘している岩石を直接割って、化石調査の体験もできるというような、ほかの博物館にはない特徴があるということが、たくさんのお客さんに来ていただいている理由になるんじゃないかなと思います」

(編集部注:実は福井県立恐竜博物館は世界三大恐竜博物館のひとつとされています)

福井県立恐竜博物館の近くにある発掘現場
福井県立恐竜博物館の近くにある発掘現場

※柴田さんは、どんな恐竜を専門に研究されているんですか?

「私は今、恐竜博物館では恐竜を研究していますが、恐竜といってもやはり恐竜博物館の研究員も複数人いますと、個々に研究する種類が分かれているんですね。
 私の場合は植物を食べる草食恐竜のイグアノドン類っていう種類で、それを専門的に研究しています。その軸となっているのが福井県で発見されているフクイサウルスという恐竜になります。このフクイサウルスという恐竜なんですが、ぱっと言ってしまうと、一般的に子供たちにはあまり人気がない恐竜の仲間なんですね」

●え、そうなんですか?

「というのも、なんていうかな・・・ツノも持たない、敵も襲わない、武器も持たない・・・見た目がツルッとしているって言ったらおかしいですけど、走って逃げるぐらいの恐竜なので、子供たちを魅了するような恐竜ではないですね。

 ですが、やっぱりその当時の恐竜の中では非常に重要で、どの発掘現場でも恐竜の中では比較的多く見つかる種類です。もちろん肉食恐竜の餌にはなっていたんですが、非常に多様に進化して世界的に広まる種類なので、その種類を調べることで、その当時の恐竜の移動みたいなことが議論できればなと思っています」

(編集部注:柴田さんは博物館のプロジェクトとして、中国やタイでの発掘を10年以上、行なっているそうです。特にタイでは福井と同じ時代の地層から、福井で発見された恐竜に近い化石が発掘されていて、その中から「シリントーナ」と命名された恐竜の発見があったそうです。
 名前の由来はタイのシリントーン王女で、古生物学の発展に寄与したことから王女の名前をとって「シリントーナ」と名付けられたそうですよ。この「シリントーナ」の骨格標本は福井県立恐竜博物館に展示されているそうです)

お台場を背景に泳ぐスピノサウルス

●柴田さんが監修を統括されました「オダイバ恐竜博覧会2024」を、私も先日見学させていただきました。第1会場から第3会場までどれも本当に楽しかったです。

「ありがとうございます」

●多くの家族連れのかたがいて、賑わっていました。お父さんお母さん、大人たちもみんな夢中になっている姿がすごく印象的だったんですね。今回の恐竜博覧会は福井県立恐竜博物館の特別協力ということで、福井からどれくらいの数の全身骨格ですとか標本などを持ってこられたんですか?

「ロボットと一部の実物以外は、ほぼ全部、福井県立恐竜博物館から持ってきたものを展示しております。全身骨格だと恐竜以外のものも含めて21体持ってきておりまして、そのほか細々なものを含めると、もう少し展示数が増えるんですが、その標本すべて恐竜博物館から持ってきております」

●恐竜の復元ロボットも迫力ありますね!

「今回展示しているロボットはすべて実物大です。実物大のスケールで、なおかつロボットを作っている会社さん自体が世界的に恐竜のロボットでは有名なところです。非常に作り込んだ、リアルに動く、非常に鮮やかな生き生きとしたロボットが展示できているのかなとは思います」

●今回の恐竜博覧会でいちばんのアピールポイントというと、やはり第3会場の展示ですか?

泳ぐスピノサウルス
泳ぐスピノサウルス

「第3会場の、やっぱり展示自体ですね。フジテレビ本社屋の“はちたま”という球体展望室、あそこで見られる景色と展示はここでしか見られないものになるんですね。
 当初この展示を作る時に、やはりスピノサウルスっていう恐竜にフォーカスするとなった時に・・・このスピノサウルスは、ぜひフジテレビで見ていただきたいんですけども・・・遊泳スタイル、水中で泳ぐような感じで復元されていることが一般的になってきて、その泳ぐスタイルでロボットを作るということになったんですね。

 そのロボットが“はちたま”から見た背景、東京の背景の中を泳いでいるようなイメージで、ロボットを配置できればという思いがあって、それが見事に表現されています。やはりここでしか見られないポイントとしては、“はちたま”でのスピノサウルス、第3会場のその展示かなとは思います」

(編集部注:第3会場に展示されているスピノサウルスは全長15メートル! 第1会場にあるティラノサウルスの12メートルよりも大きいんです。迫力がありますよ! そんなスピノサウルスには、ある仕掛けが・・・ぜひ会場で体感してください。

ティラノサウルス
ティラノサウルス

誰でも楽しめる恐竜博覧会

※福井県立恐竜博物館の研究員でいらっしゃる柴田さんとしては第2会場の「恐竜研究最前線!」に注目してほしいんじゃないですか?

「今回このように恐竜博物館の恐竜を研究している研究員の、それぞれの研究のトピックっていうか研究テーマみたいなものを、このように展示するのは初めてでした。どのようになるのかなと思ったのですが、各研究の個性も出たし、その研究員がどんなことをしているのかを、みなさんに知っていただく非常にいい機会になりましたね。

 また、その展示も我々研究員からすると、全体的にけっこうカタくなってしまうイメージなんですけれども、今回フジテレビさんでやらせていただくっていうことで、フジテレビさんがかなりポップで明るい雰囲気にしてくださったので・・・。なんていうのかな~、博物館はカタくてなかなか行きにくいって思っているかたがたにとっても、言い方はいいかどうかはよくわかりませんけども、ハードル低く、恐竜展示を見ていただいて、我々の研究を知っていただく、いい機会になったんじゃないかなとは思います」

●今回の展示で、特にこだわった点があったらぜひ教えてください。

「やっぱり我々の感性だけではできないところを、フジテレビさんの柔らかい、けっこう明るくカジュアルなところと、融合できたっていうのがいちばん大きいのかなと・・・。  
 先ほどもおっしゃっていただいたように、お父さんお母さんが来て、一緒に驚いていただけるっていうように、やはり第1会場と第3会場に関しては、一般のかたが恐竜を楽しんでもらえるような展示を含めているんですね。

 難しくならずに、“恐竜って、こんなんで、こんなんだったわ!”っていうような感じで楽しんでいただいて、第2会場では少し学術的なところをお勉強していただく、なおかつ福井県立恐竜博物館がどういう研究を行なっているのかを知っていただくという、ちょうどカタいところと、柔らかいところをミックスした、一般の人が受け入れやすい、来やすいような展示にできたというところが、今回の魅力になるんじゃないかなと思います」


INFORMATION

「オダイバ恐竜博覧会2024」

 現在開催中の「オダイバ恐竜博覧会2024」は第1会場では、全身およそ12メートルのティラノサウルス・ロボットがお出迎え! 第2会場の「恐竜研究最前線!」では、福井県勝山で発見された6種の新種のうち、3種の全身骨格を展示。中でも東京初展示が新種「ティラノミムス・フクイエンシス」! 

 第3会場には世界初展示となる、全長15メートル! 新作スピノサウルスのライフサイズロボット、そして実物のスピノサウルスの下顎と、同じく頭の骨の復元模型は日本初展示となります。

 「オダイバ恐竜博覧会2024」は5月6日まで、フジテレビの本社屋で開催。時間は午前10時から午後6時まで。チケットの料金など、詳しくはオフィシャルサイトをご覧ください。

◎オダイバ恐竜博覧会2024:https://www.odaiba-dino2024.jp

 日本が世界に誇る「福井県立恐竜博物館」にもぜひお出かけください。

◎福井県立恐竜博物館:https://www.dinosaur.pref.fukui.jp

世界を放浪する自転車の旅人、山下晃和。自転車とキャンプのすすめ!

2024/4/14 UP!

 今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、自転車の旅人、モデルの「山下晃和(やました・あきかず)」さんです。

 山下さんは1980年生まれ、東京都出身。高校生の時に海外に行きたい、そんな思いから、ロサンゼルスに語学留学。その時、文化の違いにカルチャーショックを受け、もっと広く世界を見てみたいと思い、大学では語学を学んだそうです。

 きょうは、そんな山下さんに東南アジアや中南米の自転車旅のお話ほか、山下さんが主宰する自転車とキャンプを楽しむイベント「BIKE & CAMP」についてうかがいます。

☆写真協力:山下晃和

写真協力:山下晃和

スペイン語と自転車旅

※得意の語学を活かす意味でも、山下さんは自転車での旅をライフワークにされ、海外に出かけています。移動手段に自転車を選んだのは、なにかきっかけがあったのでしょうか。

「それは20代の頃に、モデルの仕事が本業なので、自転車雑誌の仕事で自転車ウエアを着ることがあったり、あと自転車メーカーのカタログとか、雑誌のページで自転車を見ることがあって、その中でツーリング自転車っていう、旅専用の自転車があるのを知ったんですね。

 その雑誌はレース系の雑誌だったので、普通の自転車ではなくて、レース用の、ドロップハンドルって言われているような、スピード出すための自転車が多かったんですけども、バッグをくくりつけて、タイヤがちょっと太めで、いろんなキャンプ道具を積載できる自転車があるのを知って、すぐ買いましたね」

●実際に初めて、そのツーリング自転車で行った国はどちらだったんですか?

「いちばん最初に行った国は東南アジア、早速縦断しました」

●えー! いきなり縦断ですか! そんな急にできるものなんですか?

「できると思って行ったんですけど、もちろんできないところというか・・・そもそも僕は香港からスタートしたんですね。香港のチョンキンマンションっていう安宿街があって、沢木耕太郎さんの『深夜特急』っていう本を読んで憧れていたんで、そこをスタート地点にしたんですけど、行ってから香港が地続きで自転車で走れないことに気づいて(笑)、早速フェリーに乗せて中国本土に渡るみたいなこともあったりしました。

 ほかにもカンボジアも国道がつながっていると思ったら、川を渡らないと国道がつながってないってところがあるんですね。そういうところも含めると、全部自転車じゃねえだろうってなると思うんですけど、でも一応、目的としていた国は全部走りましたね」

●それ以降、旅する時の移動手段は基本的には自転車なんですか?

「自転車のことが多いですね」

●今まで自転車で、どんなところを巡ったんですか?

「最終的に僕が目標にしていた中南米に行きたいと思って、大学で勉強していたのがスペイン語 だったんですよ。スペイン語は中南米の国で主要な公用語になっているところが多いんです。そこを(地元の人と)話をしながら旅をするには自転車がいちばんいい手段というか・・・観光地をずっと旅していくと英語を使うケースが増えてしまうと思ったんで、できるだけ公共交通機関、バスとかそういうものを使えればいいなと思ったんですね。

 自転車雑誌でツーリング自転車を見つけてから、自転車だともっと面白い旅になりそうだぞって思って、それを組み合わせて、中南米を自転車で走ったら、たくさん言葉を使えるんじゃないかっていうのがあって、それを最終目的で、練習で東南アジアを走ったという感じです」

●確かに自転車だと出会う人の数が増えそうですよね?

「そうですね。困りごとがあったら自転車の場合、本当にすぐその人に話しかけないと、次にどなたに会えるかがわからないので、身振り手振りいろいろ使ってですけども、会話しようと頑張るんですね。自分は、そういうところに身を置かないと、ついついほかの言葉を使っちゃいそうになるんですよ」

写真協力:山下晃和

(編集部注:山下さんがこれまでに自転車旅で訪れた国は約30か国。国内外を走ったトータルの距離はおよそ3万3千キロ。ちなみに、キャンプ道具と自転車の総重量は50キロから55キロ、1日の移動距離は80キロから100キロほどにもなるそうです。
 旅のスタイルは目的地だけを決めて、あとは行き当たりばったり。東南アジアも中南米も、半年くらいかけて旅をされたそうです)

笑って旅したバングラデシュ

※自転車旅の魅力は、どんなところにありますか?

「自転車旅の魅力は、いちばんはやっぱりその国の純度の高い文化が見えることだと僕は思っています。観光地は英語がしゃべれるかたがいたりとか、観光地でもその国の文化、ちょっと着色しているような文化があると思うんですね。

 観光地と観光地の間にある、本当に小さな町とか村には全くそういうのがなくて、日々の暮らしそのままを見せてもらえるというか、見ることができる機会があるので、それが自転車旅のいちばんの良さかなって思いますね」

●これまでの旅で印象に残っている場所とか、人との出会いって何かありますか?

「観光する場所としては、マチュピチュとかアンコールワットは素晴らしいとは思ったんですけども、実際にそういう素晴らしい景色以外に、自分の中に面白いとか、記憶にずっと残っているところは、実はバングラデシュという国で、そこが本当に面白かったですね」

●どういうふうに面白いんですか?

「まず、人が面白いです! 僕が自転車で旅をしているので、その時はインドから入ったんですけど、最初の町に着いて、商店みたいなところで飲み物を飲んでいたら、村中の人が集まってきたんですよ。日本人が来たぞ、みたいな噂が流れたらしくて、たくさん集まってきて、ジロジロジロジロ見て一緒に写真を撮ろうとか、あとSNSにあげてもいいかみたいに言われて、ちょっとヒーローみたいな気分になって、面白いなと思っていたんですね。

 その村が特別に日本人が少ない場所なんだと思っていたところ、止まるところ止まるところで集まってくるんですよ、人が・・・。どうやらSNSを見た人が次にこの町に来るかもしれないよみたいになって、僕を追いかけてくれるというか、(SNSを)見たよっていうような人もいて、本当に笑っちゃいましたね。なんで知ってるのとか、君見たよ、何かで、みたいな感じで、もう笑い続けてました。おじさんが隣にいて写真を撮ったりするんで、誰だろうとか思いながら、そんな笑いの連続でしたね(笑)」

写真協力:山下晃和

ラオスの親切、ボリビアのアルパカ

※ほかにも東南アジアの旅でこんな出来事があったそうですよ。

「いちばん面白いことがありまして、ラオスで・・・本当にラオスという国を僕は知らなさすぎて、町と町の間がけっこうな山あいで、進むのが本当に大変だったところが多かったんです。

 なにせ50キロ近いキャンプ道具を積んで、さらに自転車でアップダウン、標高1000メートルから0メートルみたいなところを、ずっと行ったり来たりして大変だった時に、僕はキャンプするつもりで、その村に入ってテントを張らせて欲しいっていう感じで、民家のかたにお願いしようとしたら、そんなことしなくていいよ、こっちに部屋があるよって言われて・・・学校の小屋みたいなところがあって、誰も人はいなかったんですけど、小さな小屋にここに寝ていいよって言って案内してもらったんですね。

 で、けっこう綺麗だったんですよ。ここで寝ていいんだと思っていたら、この町は実はお風呂は少ないから、あの竹から出ている水で水浴びしてもいいよっておっしゃって、子供たちと一緒にキャッキャッ言いながら水浴びさせてもらったんですよ。で、就寝しようと思っていたら、コンコンって音が鳴って、ろうそくを持ってきてくれたんですよ。暗いだろうって言って、これ使っていいよって持ってきてくれて・・・そこで、一晩過ごしたことがありましたね」

●すごいですね。親切なかたというか。

「最高でしたね。0円でしたけど、本当にスーパー高級ホテルなんじゃないかなってぐらい感動した 1日でした。
 また面白いのは、その小屋から夜ちょっと外に出たら、星空がめちゃくちゃ綺麗で、光がないとこんなに星って見えるんだって思って、黒いカーテンみたいなところにいっぱい白いペンキをバーッてつけたような、そんな夜空でした。震えました」

●忘れられない情景ですね。

「一生たぶん忘れられない景色ですね、あの星空は」

※ほかに 自転車の旅で出会った絶景などありますか?

「ボリビアのアルティプラーノっていうところがあるんですけど、標高が3000メートル近いところで山の上なんですね。でも山の上だからといって、アップダウンがあるんじゃなくて、アルティプラーノは高い所の平らな所っていう意味があるんです。

 高い所をずーっと走る、山の稜線をずっと走るみたいな箇所があって、そこは人工物がほぼなくて、高い所なんで植生がなくて、草原みたいな感じのところが続いて、ずーっとアルパカの群れがいて、その中を走るみたいな光景があったんで、それは感動しましたね」

●アルパカと一緒に走れちゃうんですか?

「走れていましたね、その時は。草を食べている姿を横に見ながら、ずーっと自転車で直線の道を永遠に走っている時は、幸せだな〜自転車でよかったな〜っていう瞬間がありましたね」

(編集部注:山下さんが海外に旅に出るのは、いろんな国の文化や風土に触れることで、改めて、日本の良さを再認識することや、現地の人々の暮らしや生き方を見てみたい、そんな理由もあるそうです)

山下晃和さん

自転車とキャンプ、恩返しと車椅子

※山下さんは「BIKE & CAMP」というイベントを主宰されていますが、どんなイベントなのか、教えてください。

「このイベントは自転車とキャンプをテーマにした『旅イベント』ってうたっています。自転車とキャンプって、けっこうハードなイメージだと思うんですけど、旅フェスにするとちょっと緩く感じると思うんですよ。
 そこに会場があって、みんなで集まってキャンプをして1日過ごすのは、旅の目的地としてもいいですし、あとは自転車の試乗もできるんです。旅用の自転車ってなかなか見る機会少ないと思うんですけど、自転車メーカーが来てくださって、そういう試乗もできて、アウトドア道具とかも展示してある、そんなイベントになっています」

●イベントの趣旨というか目的っていうのは、どんなところにありますか?

「いちばんの目的は、自転車キャンパーをひとりでも増やすことっていうのが僕らの目標にあります。自転車で早く走る、ロードバイクとかはけっこう今人気になってきてはいるんですけど、ちょっとスポーツになってしまうので、その土地の魅力をもうちょっと感じてもらいたい場合には、キャンプで一泊をすることによって、たとえば地元のスーパーで買い出ししたりとか、本当に行き先がわかんなかったら誰かに聞かなくちゃいけなかったりとか・・・。

 あとはキャンプを終えた次の朝とかは、学生が通学している風景が見られて、その横を自転車で走ることができたりとかすると、その場所の暮らしがわかるんですよ。

 そういった観光の新しいスタイルが自転車キャンプには含まれているなと思っているんです。そういうのをもっと体験してもらいたい、自分が好きだからっていうのもあるんですけど、それをもっと初心者向けにワークショップなどをしながら、やりやすいような環境を作りたいなと思って始めたイベントだっていうのがひとつ。

 あともうひとつは、僕が海外を旅していて、いろんな人にお世話になったんですね。たとえば自転車で走っていたら、うちに来てご飯を食べていきなよ!とか、突然言われたこともあったりしたんです、カンボジアとかであったんですけど・・・。あとは突然、これはネパールだったかな・・・これ食べていいよ!とか水を飲んでいいよ!って言って渡されたことがあったりとか、いろんな人に助けてもらいながら旅をしていたんで、恩返しをしたいっていう思いもあって・・・。

 実はこのイベントでチャリティオークションをやっているんです。このチャリティでは『海外に子ども用車椅子を送る会』に全部寄付金としてお渡ししています。  海外にはその車椅子がすごく少なくて・・・日本の車椅子は世界でもナンバーワンの造りなんですね。そのナンバーワンの車椅子が、子供が成長したら捨てられてしまうケースが多いので、それを会のかたが修理して直して、海外に送るっていうボランティアをやっているんです。それに僕はすごく感銘を受けて、実は僕もボランティアで年に何回か直しに行っています。自転車と同じパーツなんで直せるんですよ」

写真協力:山下晃和

●なるほど〜。

「タイヤも一緒、ブレーキも一緒なんで、協会のメンバーみんなで直しに行ったりしています。海外の子供たちに恩返しになるかなと思って、それは(イベントで)前面にはうたってはないんですけども、何か役に立てるかなと思って、そういう思いも込めてチャリティにはしています」

(編集部注:「BIKE & CAMP」は一般社団法人「自転車キャンプツーリズム協会」が行なっているイベントで、山下さんはその協会の理事でもいらっしゃいます)

5月開催の「BIKE & CAMP」

※5月に開催を予定している「BIKE & CAMP」、その日程や開催場所など、詳細を教えてください。

「5月の25日、26日の土日で、福島県いわき市のワンダーファームという所でやります。あと関東でも10月26日、27日に茨城県土浦市で開催が決定しました」

●お〜、そうなんですね! 秋に!

「秋に関東でやります」

●ワークショップみたいなものはありますか?

「はい、あります。毎回焚き火のワークショップはやっているんです。それ以外に僕はたぶん、自転車キャンプの道具をどうやったら、バッグにうまく詰められるのかなとか、どういったバッグを選べばいいのかとか、あとはどういう自転車を選べばいいのかみたいなところを含めた自転車旅のワークショップっていう、ざっくりとした本当に初心者向けのものをやる予定ですね」

写真協力:山下晃和

●自転車でキャンプって、どうしてもちょっと大変そうなイメージがあるので、一歩踏み出すのに勇気がいると思うんですけど・・・。

「そうなんですよね(苦笑)」

●でもそういうかたには絶対いいですよね。簡単にできるんだよっていうのを教えてもらえるわけですよね。

「そうなんです。だからカゴ付きの普通のシティバイクで乗りつけてもらっても、できるようなやりかたを教えます」

●いいですね! 参加したいかたはどうしたらいいんでしょうか?

「ワークショップは基本的には無料でやっているので、その場に来てもらえればすぐ教えます。宿泊だけはホームページから予約いただくんですけども、だいたい100名くらいまでで締め切りにはなっちゃうんですけど・・・」

●なるほど。じゃあ早めがいいですね?

「そうですね。宿泊したいかたは、できるだけ早めにホームページから予約していただければと思います。日帰りで来たいかたはもう自由です! 無料です! 誰でもOKです」

●では最後に、今後こんな旅をしてみたいという夢があれば、ぜひ教えてください。

「そうですね・・・夢というか、今年は中国の(新疆)ウイグル自治区を旅したいなと思っています。そこは本当に以前からずっと行きたかったんですけど、コロナ禍があってなかなか行けなかったんですね。民族衣装とか、あとウイグル人は帽子をいっぱい被るのがオシャレだっていうの聞いて、見てみたいなと思って・・・」

●きょうも帽子をかぶっていらっしゃいますね!

「帽子が好きすぎて(笑)」

●そうなんですね!

「いっぱい持っているんですよ。ウイグル人はどうやら男性は帽子をかぶることがオシャレだっていうことで、もともとモデルとして仕事をしていて、ファッションにも興味があるんで、どんな帽子なんだろうと思って・・・」

●いいですね〜。

「帽子探しの旅にしようかな〜(笑)」

●いいですね! ファッション・チェックに!

「ファッション・チェックに行こうと思っています!(笑)」


INFORMATION

写真協力:山下晃和

 5月開催の「BIKE & CAMP」、日程は5月25日(土)から26日(日)。開催場所は福島県いわき市の「ワンダーファーム」。どなたでも無料で参加できますが、宿泊を希望される方は、事前にご予約ください。山下さんのワークショップほか、ツーリング自転車の試乗もできます。ぜひご参加ください。
詳しくは「BIKE & CAMP」のオフィシャルサイトをご覧ください。

◎BIKE & CAMP TOUHOKU24:https://touhoku24.bikeand.camp

◎自転車キャンプツーリズム協会:https://bikeand.camp

 山下さんのオフィシャルブログもぜひ見てくださいね。

◎山下晃和オフィシャルブログ:http://blog.livedoor.jp/akikazoo/

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