2022/12/11 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、コミックエッセイ『山登りはじめました』で知られる漫画家の「鈴木ともこ」さんです。
鈴木さんは東京都豊島区生まれ。日本大学芸術学部卒業。ポプラ社に勤務後、執筆活動を開始。2009年に発表したコミックエッセイ『山登りはじめました』、そしてその続編もベストセラーに。現在はご家族と松本に暮らし、松本市観光大使としての活動もされています。
もともとインドア派だった鈴木さんが、どうして山登りにハマってしまったのか、その辺のいきさつは、2017年9月、この番組に出演してくださったときにお話しいただいていますので、ぜひその時のインタビュー記事をご覧ください。
鈴木さんは先頃、新しい本を出されたんですが、今回の舞台はなんとハワイ!
本のタイトルはズバリ!『山とハワイ』。上・下巻に分かれたこのコミックエッセイは、3世代家族5人で行った、およそ1ヶ月にわたるハワイの旅をまとめた力作なんです。
きょうはそんな鈴木さんに、標高4000メートルを超える山登りや秘境のビーチを目指すトレッキングなど、ハワイの、あまり知られていない魅力についてうかがいます。
☆写真協力:鈴木ともこ

ハワイはどうやら山もすごいぞ!
※それでは早速、鈴木さんにお話をうかがっていきましょう。
●鈴木さんの新しいコミックエッセイ『山とハワイ』の上・下巻を拝見させていただきました。3世代5人で行く初めてのハワイということで、オールカラーの漫画を読みながら一緒に旅をしているような、すごくワクワクしっぱなしでした!
「とっても嬉しいです! ありがとうございます」
●ハワイと言えば、やっぱり海のイメージが強かったんですけれども、ハワイ諸島の山に目をつけたのはどうしてなんですか?
「そうなんです。実は私は一切泳げないんですね。でもハワイと言えばやっぱり海やビーチで、あとショッピングと芸能人、そういったイメージなので、自分とは縁のないところだとずっと思っていたんですね。
ただハワイに行った知り合い全員がハワイを絶賛するので、なんでだろう〜!?とちょっと自分なりに調べてみた時に、ハワイはどうやら山もすごいぞということを知りまして、それで行くことに決めたんですね。というのもハワイは富士山を超える標高4000メートル以上の山がふたつもあって、実はスキーもできるんですよ」
●ちょっとイメージなかったです。
「ですよね。ほかにも500万年かけて浸食された彫刻のような崖があったり・・・これは自分の目で見て歩いて、それを本にして伝えたいと思ったというのが最初のきっかけですね」
●本によるとおよそ1か月間、ご両親とお子さんを連れての一大旅行という感じでしたけれども、1か月、家を空けてお仕事も減らして行かれるのは、かなり思い切ったことなんじゃないですか?
「そうですよね。実はもともと私は父の仕事の関係で、子供時代から住む場所を転々としていたんです。小中学校の時はイギリスに4年間家族で住んでいました。なので両親も海外には抵抗がないというのと、いろんな異国の文化を知りたいっていう気持ちがありましたね。ただ子連れで1か月は、確かにかなり思い切ったなとは思います」
●で、初めてのハワイですよね!?
「家族全員が初めてでした」
●鈴木さんは以前から山登りはされていたっていうことですけれども、ご主人やご家族は山登りの経験はあったんですか?
「はい、夫とは一緒に山登りを楽しんでいまして、それは私の本『山登りはじめました』というコミックエッセイで書いているんですね。両親はそんなに山登りを頻繁にするほうではなくて、それでもアウトドアには興味はある感じでしたね」
●そうだったんですね。事前に登る山をいろいろ決めてからハワイに行かれたんですか?
「はい、やっぱり旅の時間っていうのは限られていて、なるべく無駄にしたくなかったので、登る山はすべてあらかじめスケジュールを組んで、しっかり下調べもしましたね。ただ火山のことを調べていたら時間切れになってしまって、ホノルルの観光はノープランでした」
●そうだったんですね!(笑)
「もう行き当たりばったり」

身長が9000メートル!?
●ハワイ島に1位と2位の山があるということなんですけれど、これはどういうことなんでしょう?
「標高っていうのは平均海水面からの高さのことなので、高台にある山は山自身が小さくても標高は高くなります。ハワイの島は海底からそそり立っている巨大な山なんですね。で、海底までは大体5000メートルあって、標高が4000メートルを超える山がふたつもあるので、身長が結果的に9000メートル以上の山がふたつあるということなんです。だからこの身長が世界で1位と2位ですね」
●それぞれなんという山なんですか?
「身長が1位の山は”マウナ・ケア”、身長が2位の山は”マウナ・ロア”って言うんですが、こっちは富士山の軽く50個分のボリューム、ちょっと想像が追いつかないですよね」
●富士山の軽く50個分ってすごい!(笑)
「体積が世界一の世界最大の山でもあるんです。そしてこの世界最大の山マウナ・ロアに登ってきたことを私は(『山とハワイ』の上巻に)メインで書いています」
●すごいですね。ハワイに世界1位と2位の山があったわけですね。
「スケールがもう半端ないんですね」
●まずはマウナ・ケアのお話からうかがっていきます。頂上までは車で行くツアーに参加されたんですよね?
「そうなんです。ほとんどのレンタカー会社が通行禁止にしているので、ツアー会社のバスで行きました。高山病になりやすいかなと思うかたもいるかもしれませんが、ツアーなので滞在時間もそんな長くないですし、途中で休憩をしっかり取りながら登っていくので、高山病になる人はそこまで多くない感じですね。観光客がすごくたくさんいます」
●マウナ・ケアの山頂に行かれてどうでしたか?
「マウナ・ケアって地球上で最も宇宙に近い場所って言われているんですね。それぐらい天体観測にすごく適した場所なので、夕暮れもすごいんですが、星空にもびっくりします。変な例えなんですけど、プラネタリウムみたい・・・ちょっと嘘みたいなんですよね。目がびっくりしてしまって・・・そして寒いです。高い山なので(気温が)2度ぐらい・・・」
●ハワイなのに!?
「はい、しっかりダウンジャケットを着込んだツアー客のかたがいっぱいいますね」
●どうしてそんなに星が綺麗なんでしょう? 空気が澄んでいるから!?
「そうですね。標高の高さと、すごく晴天率が高いんですね。あと赤道に近かったり、いろんないい条件が重なって、結果的に日本のすばる望遠鏡とか世界的な天文台が何個もありますね」
(編集部注:鈴木さんファミリーは、ホノルル到着後、すぐに最初の目的地ハワイ島に飛び、ヒロの街を散策。のんびりとした雰囲気と人の良さがすっかり気に入り、ヒロで暮らしたいと思ったそうですよ)
世界最大の山マウナ・ロア

※先ほどご説明いただいた、ハワイ島にある世界最大の山マウナ・ロアにはご主人とふたりで行かれたんですよね。
「はい、こちらはかなり大冒険といった感じでしたね」
●世界最大の山ですからね〜。どんなスケジュールの山登りだったんですか?
「こちら2泊3日で行きました。最終的に55時間5分の登山だったんですが、イメージとしては富士山に2回登る感じですね。さらに水を担いだり食料を担いだり・・・山小屋も無人なので、すれ違う人もほとんどいなかったですね。
もうひたすら溶岩です。黒い溶岩がどこまでも続いていて、違う惑星に降り立っちゃったみたいな感じなんですね。だからもし溶岩に興味がなかったり、溶岩を楽しめなかったら、すごく心細くなると思います」
●ガイドのかたはいらしたんですか?
「いなかったんですね。というのもマウナ・ロアをガイドしてくれるかたを探しても誰もいなかったんですよ。見つけられなかったんです。
それで夫婦で行ったんですが、結果的には良かったなとすごく思っていますね。自分たちでどうにかしなきゃいけないっていう思いによって、すごく感性が研ぎ澄まされたというか、その場その場を目一杯楽しんで、しっかりと歩こうっていう気持ちになれて、よかったですね」
●55時間ですよね。具体的にどういう感じなんですか? 想像がつかない世界です。
「それを『山とハワイ』に書き切ったという感じなんです(笑)。1日目はまず途中の山小屋を目指すので、決して55時間ずっと歩きっぱなしってわけではないんです。ただし、例えば日本の山ですと、山頂に向かって上に上に登るっていう感じですよね。マウナ・ロアは山頂がまず見当たらなくて、ひたすら平らな道を歩いてる感覚なんですね。 大きすぎて自分の向かう場所が分からないっていう、その果てしなさ・・・私もすごいところに来ちゃったなって思いながら歩いていましたね。くじけそうにもなりましたね」
●ご主人と励まし合いながら歩かれたわけですね。
「夫はすごく溶岩とか火山とか地質に興味があって、とっても喜んで興奮する感じなんですよ」
●そうなんですね(笑)
「ひとくちに溶岩と言っても噴火の時代によって種類が変わったり・・・なので溶岩の山なんですが、色が微妙に黒から赤に変わったり、質感が滑らかからゴツゴツに変わったり、そういった変化に気づくと一気に面白くなりますね」
●へえ〜〜、溶岩は溶岩でもいろいろと違うわけですね。
「そうなんです。私も行くまでは全く知らなかったんですが、そういったことに注目すると、また本を読んでいただく時も楽しんでもらえるんじゃないかなって思いますね」
●マウナ・ロアの頂上に立ったときは、どんな思いがこみ上げてきましたか?
「達成感よりもホッとする安堵といった感じで、ようやく着いたっていう、まず力が抜けましたね。
目の前には180メートル下まで切れ落ちた巨大なカルデラがあるんですね。その全長は6000メートル! 想像が追いつかないですよね。あまりにも大きくて、人間なんか立ち打ちできないなっていうのが、実感としてぶわっと込み上げまして、大自然の中で生かされているってね。普段日常でなんとなく思っていても、それが圧倒的な実感として迫ってきて、 なんというか、日々誠実に生きていこうってすごく謙虚に思いました」
(編集部注:鈴木さんはマウナ・ロアの登山は、生涯忘れられない体験になったとおっしゃっていました)
秘境のビーチ、カララウ

※鈴木さんはカウアイ島にも行かれています。ハワイ島と比べて、どんな島でしたか?
「『山とハワイ』の下巻のメインがカウアイ島なんですね。ハワイの火山って大量に溶岩が出るので、一気に成長するかわりに中が空洞になってたり、崩れやすかったり、もろいところがあって、それがハワイ島の火山では特徴なんです。
一方、カウアイ島はもともとそういった火山だったものが、500万年かけて雨や波に浸食されてできた場所、そして緑がすごく豊かに水も豊富で、(映画)ジュラシックパークの舞台になったので知られていますね。その侵食された崖が芸術品みたいに美くしくて、神様が創ったみたいな、そういった崖や渓谷がいっぱいあります」
●具体的にはどんな場所に行かれたんですか?
「メインは”カララウ”という渓谷です。 ”カララウ大聖堂”という異名を持つ崖なんですが、その崖は自然が浸食して作ったものですね。まるで大聖堂みたいに、いくつかの塔がそびえ立ってるみたいに見えるんです。
そこを見に行くためには、真下に秘境と言われるビーチがありまして、そのビーチに向かってテントを担いで、海沿いの断崖絶壁のトレイルを8時間かけてっていう、そこにチャレンジしました」
●かなり過酷ですよね。
「それがですね〜、聞くと結構怖そうとか思いますが、海沿いがとにかく美しくて、ダブルレインボーがびっくりするぐらいたくさん出たり、奇跡みたいな景色の中を行くので、実は怖さよりも楽しさのほうがすごくある場所でしたね」
●そうだったんですね〜。
「途中に激流があったり、川を越えてったり・・・水も自分たちで担いで、テントも背負って歩きましたね。水は飲めるんですが、消毒というか、ろ過しなきゃいけないので・・・」
●重い荷物を担ぎながら歩いたんですね。
「そこは全米ハイカーの憧れの地としても知られているので、結構ハイカーのかたもよく会いました」
●そうだったんですね〜。ご主人と一緒におふたりで?
「はい、そうですね」
●お目当ての秘境のビーチに到着された時はどんな気分でした?
「それこそ世界の常識がすべてひっくり返って、新しい世界にいるような・・・ここだけ違う世界があるような不思議な魅力に包まれた場所だなって思いましたね。
夕焼けが本当に美しく輝いていました。
世界50カ国以上に行ったかたに出会ったんですが、そのかたはいつも”カララウに戻りたくなる“、世界中を知った上でそうやって言ってたんですね。その気持ちがなんとなくわかるような気がして、それぐらい私もまた行きたい場所ですね」
●何がそんなに魅力なんですか?
「まずは、歩かないとたどり着けないっていうのは、やっぱりすごいことだなと思いますね。スケジュール(の都合上)1泊にしたんですが、5泊ぐらいのんびりしたかったですね。時間の感覚もなくなりますし、海の音を聴きながら、緑のすごい渓谷を見上げて、なんかこうね、生きているって最高! って叫びたい感じでしたね」
●カララウ、行ってみたいです! 素敵ですね〜。
(編集部注:カウアイ島での秘境のビーチを目指すトレッキングでは途中で、かなりユニークな人たちに出会ったそうですよ。どんな人たちだったのかは『山とハワイ』の下巻に載っているので、ぜひ見てくださいね)
ハワイで感じた、旅っていいな
※およそ1ヶ月という期間で、8つの山登りとハイキングを経験されて、ハワイの印象は変わりましたか?
「ガラッとひっくり返りましたね! ハワイはこんなに奥が深いっていうのを行って初めて私は知ったんですけども、今までいかに食わず嫌いだったか、ハワイってちょっとベタだなとか、観光地でしょうみたいな目で私も見ていたんですね。実際そういうかたもいらっしゃると思うんですが、多分『山とハワイ』を読んでいただいたらガラッと変わると思いますね。
この『山とハワイ』の最後のほうでは、山の要素は実は薄まっていきまして、最終的にはハワイが歩んできた歴史と向き合い、居心地のいい社会とは何かっていうところにテーマが収束していくんです。
でもそれこそが旅の醍醐味だなってすごく思っていて、出発前の目的を果たすだけじゃなくて、その旅で何を感じて、予想もしなかった出来事や出会いを得て、それをその後の人生にどう自分が生かしていくみたいな・・・旅っていいなって思うのがハワイでいちばん感じたことですね」
●ハワイには日系移民のかたも多くいらっしゃいますよね。古くから日本ともご縁があると思うんですけれど、山登りとか出会った人たちを通して、改めてどんなことを感じましたか?
「今のハワイっていうのは観光と軍事の一大拠点になっていて、多種多様な人たちが集まる場所になっていますが、ただこれはもともといたハワイアンのかたが自発的に選んだ姿ではないなと思うんですね。
ハワイアンのかたには忸怩(じくじ)たる思いがあって、アメリカになっていく、併合されていく歴史ですとか、サトウキビ・プランテーションで働くために22万人もの日本人が移民として渡った歴史を知ると、決してハワイって楽園ではないっていうことがわかるんですね。
それでも、なぜこんなにたくさんの人を惹きつけて、こんなに居心地がいいっていう、その理由を考えると、やっぱりハワイの、一歩も二歩も先に行っている社会に対する考え方だなってすごく思ったんですね。そのことを本に熱く書いていますし、やっぱり日系移民のかたを知るための歴史も大事に伝えたかったので、ぜひ上・下巻通して読んでいただけると、その真意が伝わるんじゃないかなと思います」
●では最後にこの放送を聴いて、ハワイ諸島の山登りにチャレンジしたいと思ったかたにアドバイスをお願いします。
「とにかく下調べと準備は大事だなと思いますね。そしてある程度余裕を持ったスケジュールも必要だなと思います。特にもしマウナ・ロアに登りたい、挑戦したいというかたがいましたら、出発前日か当日にしか登山の許可が降りないんですね。やはり(マウナロアは)火山なので、天候や火山活動によっては閉鎖もされてしまいますので、決して無理はしないで楽しんでいただければなと思います」
INFORMATION
『山とハワイ〜行け! 断崖秘境のビーチ カウアイ島&オアフ島篇』下巻
鈴木さんの新しいコミックエッセイ『山とハワイ』の上・下巻をぜひ読んでください。全編カラー漫画で、キャラクター化された登場人物が可愛いんです。旅の行程をきちんと絵と文で説明してあるので、旅を擬似体験できます。さらに人との出会いや出来事が面白すぎて、ハマりますよ。
新潮社から絶賛発売中です。詳しくは出版社のサイトをご覧ください。
◎新潮社HP:
https://www.shinchosha.co.jp/book/354831/
https://www.shinchosha.co.jp/book/354832/
鈴木さんのオフィシャルサイトもぜひ見てくださいね。
◎鈴木ともこさんHP:https://suzutomo1101.com/
2022/12/11 UP!
オープニング・テーマ曲「KEEPERS OF THE FLAME / CRAIG CHAQUICO」
M1. NATURALLY / KALAPANA
M2. OUR HAWAI’I / NA LEO
M3. THE ROSE / BETTE MIDLER
M4. HAWAI’I / KEALI’I REICHEL
M5. One Day with Jake Shimabukuro / Def Tech
M6. COUNT ON ME / BRUNO MARS
M7. WHAT A WONDERFUL WORLD / ISRAEL KAMAKAWIWO’OLE
エンディング・テーマ曲「THE WHALE / ELECTRIC LIGHT ORCHESTRA」
2022/12/4 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、カナダの大自然を撮り続けている写真家「岡野昭一(おかの・しょういち)」さんです。
岡野さんは、三重県四日市市出身。1995年、日本写真芸術専門学校を卒業。フォトジャーナリスト樋口健二(ひぐち・けんじ)さんに師事。現在は、カナダの大自然をテーマに撮影活動を続けていらっしゃいます。そして先頃、『命めぐる川〜カナダのベニザケ』という写真集を出されました。
これは、カナダ・バンクーバーにそそぐフレーザー川の支流、アダムス川に、4年一度、およそ200万匹が遡上する、その名の通り、真っ赤な色になったベニザケの生態をとらえた写真集で、集大成的な作品となっています。
きょうはそんな岡野さんにベニザケの生態や、写真家になるきっかけとなった星野道夫さんとの出会いなどお話しいただきます。
☆写真:岡野昭一

何これっ!? 綺麗! すごいっ!
※そもそもなんですが、どうしてカナダの川でベニザケを撮ろうと思ったんですか?
「最初、きっかけになったのが『釣りキチ三平』っていう釣り漫画だったんですね。小学生の時に読んで、初めて意識した外国で、行ってみたいなっていうのは子供心にあったんです。
実際、大人になって行ってみると自然が広くて・・・たまたま現地の新聞にベニザケの記事が載っていたんですよ。その写真が本当に赤くて、こんな魚! サケ! ? えっ、いるの!? っていう感じで、行ってみたいなと思って、そこがきっかけでしたね」
●写真だけでもすごく衝撃的ですけれども、実際にご覧になっていかがでしたか?
「もう圧倒されたのと綺麗すぎて・・・生き物なんですけど、生き物に見えない。なんかひとつの芸術作品みたいな感じで、ずっと見惚れていましたね。何これっ!? 綺麗! すごいっ! ていう感じでしたね」
●名前の通り、顔以外、ほとんどが真っ赤ですけれども、日本ではヒメマスとも呼ばれていますよね?
「はい、そうですね」
●いつもこんなに赤い色をしているわけではないんですよね?
「実は海の中では白いんですよね。それが産卵するために、河口からずっと内陸の川に向かっていく途中で、徐々に徐々に赤く変わってくるんですね。
詳しく言いますと、サケの体内の血液がだんだんと表面のほうに移行してきて、体の色が赤く染まってくるっていうのが、ベニザケの赤くなる原因だそうなんです」
●オスもメスも赤くなるってことですか?
「そうですね。メスもオスもですね。川にのぼってくるあたりで、徐々に赤くなってくるんで、本当に綺麗ですよ。 びっくりするぐらい・・・」
●カナダのアダムス川に何年ぐらい通われているんですか?
「最初に行った時が1994年、写真学校の学生の時だったんですね。とにかくどんなものかと見てみたいと思って行ったんですけど、川にのぼってくるサケ自体、それから群れのすごさ・・・初体験ですよね。北海道とかでサケを見たことがないもんですから、初めてのサケで、川の遡上がカナダで、こんなに赤いサケっていうのが、すごく衝撃的でしたね」

4年に1度の「ビッグラン」!
※サケは自分が生まれた川に戻ってくる習性がありますが、アダムス川に戻ってくるベニザケは、どんな一生を送るのでしょうか。
「ざっくり言いますと、みなさんご存じのように、親ザケが(川に)戻ってきて産卵をして、卵は翌年ぐらいに孵(かえ)って、それから稚魚になって成長していくんですね。
ベニザケの特徴はそこから直に海に下るんではなくて、1〜2年ぐらいでしょうか、ある程度、下流の湖とかで過ごして、大きくなってから海に降りていくって形にはなりますね。
そして海を回誘して、4年後にちゃんと(生まれた川に)帰ってくるのは本当に不思議なんですよね。どういう計画が頭の中にあるのかが、すごく不思議なんですけど、そこもちょっと神秘的なところですよね」
●その4年に1度は、ものすごい群れになるっていう感じなんですか?
「一気にあがってくるっていうわけではなく、言ってみたら、細長い列になって徐々に徐々にあがってくるんですよね。
いちばん先頭群があがっていくのは、大体早くて9月の下旬ぐらい。それから徐々にあがってきまして、だんだん大きくなってきて、川の(サケの)密度がどんどん増えてくるわけですよ。どんどん来ますので・・・。そこから産卵したりとか流れたりして、もうぐしゃぐしゃになっているんです。
11月の下旬頃になってくると、やっと落ち着いてきて、12月頃にはほぼサケがいなくなるっていうか、死んだり流されたりして、いなくなるっていうのが(繁殖の)流れですね」
●アダムス川のベニザケというと、「ビッグラン」っていう表現があると思うんですけれど、改めてそのビッグランの説明をしていただいてもよろしいですか?
「これは現地のかたが例えば、新聞だったりとかで、ビッグランもしくレッドラン、魚が赤いのでレッドランとか、あとサーモンランとか言ってるんですね。
実はこの川は、山奥の川ではなくて、国道も鉄道も走っているような民家の近くにあるんですよ。交通の便もいいし、日帰りで行って帰って来れるような、バンクーパーからもチャーターバスが出たりするんですよね。
アダムス川の本流になっているフレーザー川っていうのがあるんですけども、そこでも上流のほうにビッグラン的な川はいくつかあります。中でもアダムス川は、メディアも撮影する人もたくさんいらっしゃるので、徐々にその知名度があがってきたっていう、特別なところはありますね」

「4000」から「2」!?
※ベニザケはなるべく上流に行って、川底に卵を産み付けますよね。どんな感じで産卵するんですか?
「サケって川にのぼってきますと、特にメスなんですけど・・・研究者のかたがおっしゃるには、川底を通って、また川の中に噴き出してくる伏流水っていう地下水があるんですね。 まずメスのサケはそこを探して、卵を生んだあと、砂利をかけるんですけどね。
卵に酸素がいき届くようにって、そういう場所を探すんですよ、メス自体が鼻を利かせて・・・。あっ! ここだ! って見つけたら、メスは一生懸命、穴を掘るんですよね。いつまで掘るんだろうと思うぐらい納得するまで掘るんですよ。
それでオスはそのメスを取り合うんです。噛み付き合ったり体当たりをして、俺のメスだ! みたいな感じなんですかね。その間もメスはずっと穴を掘っているわけですよ、納得するまで・・・。
で、やっとメスが卵を産むタイミングになってきて、何回もその穴の周りを往復して、何回も上を回って口を開けた瞬間に、オスがパッとやってきて、よし、今か! って踏ん張って、卵をパッと出して、オスも精子を出すっていうような、そういう形になるんですよね」

●へぇ〜! メスは卵をどれぐらい産むんですか?
「約4000っていう数らしいですね」
●4000!
「すごい数ですよね」
●そのうち大人の魚になるのはどれぐらいなんですか?
「統計なんですけど、実際に卵から無事孵って、海に行って回遊して戻ってくのは、たったの約2匹・・・」

●えっ! 4000も産んでいるのに! ベニザケ自身も繁殖活動を終えると、そこで一生を終えるっていうことなんですよね?
「そうですね。川とかにいる淡水魚、魚は何年か生きるみたいですけど、サケの場合は、本当に一回きりっていうふうに体がなっているんでしょうね。ですから一回きりの産卵で、そこで全部体力も使いきって、次の子孫を残してっていう形になるんですよね」
●子孫を残すために命がけなんですね。
「そうですね。命がけですよね」
●川を遡上するサケたちが、海の栄養分を山に森に持っていくっていう話を聞いたことあるんですけれども、これはどういったことなんでしょうか?
「(サケは)海に行って小魚だったりプランクトンだったりをたくさん摂るんですけども、そこで海の栄養分をたくさん体の中に蓄積するんですよね。
サケはもともと白身魚なんですよ。それが海に行って、プランクトンとかの食べ物の中に、アスタキサンチンっていう色素があるそうで、それが蓄積するとだんだん体が染まっていって、あの見事な赤い身の色になってくるんですよね。
海のたくさんの栄養分を蓄積したサケが川に戻ってくる中で・・・特にクマだったり、鳥だったりがサケを食べると、その栄養分を森に持ち帰ることになるんですね。(サケの)死骸がその場所の栄養分になっていくんです。
炭素や窒素、リンっていうような栄養素がたくさんサケの中にあって、それが土の栄養になったり、それを食べる鳥やクマの栄養になっていくってことなんです。言わば、“海からの贈り物”がサケによって川にもたらされて、生き物も森も豊かになる、もちろん川も豊かになる、それが自然の恵みっていうことになるんですよね」
●循環していくわけですね。
「そうです。循環していくわけです。そういう意味ではサケの役割ってものすごく大きいと思いますね」

星野道夫さんとの出会い
※岡野さんが写真家になったのは、実はいまなお多くのファンがいらっしゃる写真家、星野道夫さんとの出会いがあったからなんです。
岡野さんが星野さんの存在を知ったのは、1988年。カナダ・バンクーバーの英会話学校の先生に、クリスマス・プレゼントとしてもらった星野さんの写真集『MOOSE』を見て、衝撃を受け、さらにアメリカで写真集を出版する日本人がいることに驚いたそうです。そして職業としての写真家にとても興味がわき、どんな人なのか会ってみたいと強く思ったそうです。
とはいえ、アラスカに住んでいて、連絡先もわからない星野さんに、いったいどうやってコンタクトをとって、会うことができたのでしょうか。
「実際、お会いいするにも手立てがないわけですよ。それで一度目のワーキング・ホリデーが終わって日本に帰国した時に、本屋さんに星野さんのエッセイ集があってそれを買って、2回目のワーキング・ホリデーをまた取って、(日本を)出る時はアラスカに行くって決めていたので、そのエッセイ集を持ってアラスカに行ったんですね。
エッセイ集の中に星野さんが行きつけにしているアウトドアのお店の名前があって、そこを訪ねて行ったんですよ。それで、店主のかたが(星野さんを)知っているよ! っていうんで、何人かにお電話して取りついでくださったんです。突然(お店に)行って、いま思うと大変失礼なんですけども、手立てがなくて・・・。
現地の星野さんを知っているかたに電話をつないでいただいて、受話器を渡されて、“すいません、来ちゃったんですけど、星野さんってかたにお会いしたくて” って電話したら、何時に電話してくださいって言われたんですよ。で、一回電話を切って、その後電話し直したら、“あっ、星野です”って。“すいません、岡野なんです。突然来て申し訳ないです”って話になって、明日そのお店に行くから会いましょうって約束してくださって、お店で待ち合わせして、初めてお会いすることができたんですよ」
●すごーい! どうでしたか? 憧れの星野さんにお会いして・・・。
「憧れっていうよりかは、私ファンです! っていう気持ちじゃなくて、職業としての写真家のかたにお会いするって意識だったんですよ。芸能人にお会いするファンですとか、そういう感じでは全然なくて、写真家ってどんな仕事なのか? っていう、もう人生相談ですよね。
もちろん写真の話もお聞きしたかったんですけど、写真家ってどんな仕事なんですか? それを聞きたくて・・・星野さんの印象に残っている言葉がありまして、”この仕事ってお金もかかるし、精神的にものすごく大変なんだけど、なぜそこまでしてやりたいかっていう目的意識、それがすごく大事になるね”って。
それがいちばん大きいお話でしたね、時間がかかるって・・・。その時、写真集も一緒に持って行ったんですけど、星野さんが“あっ! 持ってきたの!”ってびっくりしていましたね。でもページをめくりながら、”実はね、この写真集を作る時に、あまりにも自分が持っている写真が少なくて、ショックだったんだよね”っておっしゃっていて、10年以上やっているかたが、少ないっていうこの言葉の重さ、それがすごく大きかったですよね。
でも、突然行って失礼な話なんですけど、そこまで話をしてくださって、本気で向き合って話をしてくださったのが、すごくありがたかったですし、それがいまも財産になってますよね」
地球の肖像写真
※岡野さんは今後もカナダに通われると思いますが、撮りたい被写体はありますか?
「ひとつサケに関しては、今までこうやって撮影してきたんですけども、動画も撮ってみたいなっていうのはありますね。というのは、昨年9月だったんですけど、写真展を開催させていただいた時に、写真の展示のほかに、ちょっと動画を撮ったものがあってモニターで流していたんですね。
親子連れのかたがいらして、お父さんが(お子さんに)一生懸命説明しているんですよ。お子さんがきょとんと反応がなくて・・・でも、モニターに映った卵が孵るシーンを見ると、すごく前のめりに食いついてきて、やっぱり動いているシーンってお子さんにとってはわかりやすいんだなと思ったんです。
実際にサケの生態とかも見ているんですけど、まだ写真に収めてないところもあるので、そういうとこも撮りたいですね。
あとカナディアン・ロッキーとオーロラ、この三部作でやってきたので、カナディアン・ロッキーも歩いたり、オーロラに関しても、もう少し自分の中で、例えばトナカイと一緒にオーロラを撮れないかなとか、かなり難しいと思うんですけど、そういうところも撮ってみたいなっていうのはありますね」

●では最後に写真を通して、どんなことを伝えたいですか?
「そうですね。ひとつはカナダっていうところを通して、地球の肖像写真を撮っていると思っているんですよ。地球ってどんなところ、僕はカナダを撮る、そういう意味では、地球って私たちのお家のような解釈なんですよね。
いま気候変動だったりとか、いろいろな問題がありますよね。自分たちが住む家を大切にしなきゃいけないのに、開発だったりとかで、どんどん自然を壊しちゃったりして、水害とかいろいろな災害も起きていますよね。
だからそういう意味で考えると、自分たちのお家なんだから、もっと大事にしたいし・・・あとサケを通して食料のことだったりとか、環境だったりとか、そういうことをもっと大事にしてね。
この星で、私たち人間も含めて生き物が生きていけるように、環境を大事にしていかなくちゃいけないよなってのは思います」
INFORMATION
岡野さんの新しい写真集は約25年かけて追い続けたベニザケの、命をつなぐ生態が迫力のある写真とともに紹介されています。凍えるような川に入ってとらえた産卵シーンなど見応えのある写真ばかりですよ。ベニザケを取り巻く環境の変化にも触れています。漢字にはふりがながふってあるので、お子さんにもおすすめです。講談社から絶賛発売中です。詳しくは出版社のサイトをご覧ください。
◎講談社HP:https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000370295
岡野さんはカナダ・イエローナイフでオーロラの撮影も行なっていらっしゃいます。神秘的なオーロラ写真、ぜひ岡野さんのブログで見てくださいね。
◎岡野昭一さんのブログ:https://ameblo.jp/shoichiokano/
2022/12/4 UP!
オープニング・テーマ曲「KEEPERS OF THE FLAME / CRAIG CHAQUICO」
M1. BAD DAY / DANIEL POWTER
M2. COMPLICATED / AVRIL LAVIGNE
M3. SWIM AWAY / C.W.NICOL
M4. GOLD IN THEM HILLS / RON SEXSMITH
M5. DIE FOR YOU / THE WEEKND
M6. WHEN YOU’RE GONE / SHAWN MENDES
M7. HEAVEN / BRYAN ADAMS
エンディング・テーマ曲「THE WHALE / ELECTRIC LIGHT ORCHESTRA」
2022/11/27 UP!
◎束元理恵『幼稚園の先生から狩猟女子に~「生き物の命をいただく」を考える』(2022.11.27)
◎梶 海斗(「無人島プロジェクト」の代表)
『自分の生きるを全部やってみる~「生きるを学ぶ」無人島体験ツアー』(2022.11.20)
◎荻田泰永(北極冒険家)
『雪の中を歩いて旅をする男~北極冒険家・荻田泰永』(2022.11.13)
◎まつおるか(漫画家/イラストレーター)
『シャチになりたい!~海の生き物が好きすぎて』(2022.11.06)
2022/11/27 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、幼稚園の先生から里山暮らしの猟師さんになった「束元理恵(つかもと・りえ)」さんです。
束元さんは1994年、広島県生まれ、熊野町育ち。子供が好きで、家族の勧めもあって、2015年に、念願の幼稚園の先生に。ところが1年を過ぎようとしていた頃に体調を崩し、自主退職。苦渋の決断だったこともあり、心にぽっかり穴があいた状態になったそうです。
そんな時、お母さんが気分転換にと理恵さんをドライヴに誘い、北広島町の芸北に連れて行ったそうですよ。芸北地区は広島県と島根県の県境にある、標高800メートルを超える場所もある自然豊かな山あいの里。
そんな芸北に強く惹かれた理恵さんは2017年、22歳の春に移住。慣れない里山暮らしではあったものの、特に不安はなく、地域の方たちに温かく迎えてもらい、春から秋には農家さんのお手伝い、雪深い冬は子供園の先生として、生活費を得ていたそうです。
そんな芸北での暮らしぶりは、先頃出された本『いただきますの山』に詳しく載っていますので、ぜひ読んでください。
現在、芸北を離れ、同じ広島県の江田島に暮らしている束元さんにリモートでお話をうかがいました。
幼稚園の先生から、なぜ猟師さんに!? と思うかも知れませんが、そこには「自分の手で獲って食べる」というこだわりがあったんです。
☆写真協力:束元理恵

現代風なデジタルな猟法
※束元さんは芸北に移住してから、猟師さんの資格を取得されましたが、以前から猟師さんになりたかったんですか?
「はい。もともと猟師ではないんですが、虫取りが好きで、小さい頃はよく野山に入って虫取りをしていました。小学生の頃に海女さんになりたいと思ったことがあったり、何かを獲って、それを食べる仕事をいつかやってみたいなとずっと思っていました」
●最近は猟師さんの資格を持つ女性も増えてきていると思うんですけれども、狩猟をするには、やっぱり地元の猟友会に入らないとダメなんですよね?
「はい。猟友会に入ったほうがいいですね。その土地の決まりとかルールとかもたくさんあって・・・また知らない人が山に入ったら、誰が何をしているんだろうって、地域のかたが不安に思っちゃったりするので、そういうことを教えていただくためにも、猟友会に入ったほうがいいかなと思います」
●猟友会や地元のかたがたは、束元さんのような若い女性が来て、びっくりされたんじゃないですか?
「はい! びっくりされていました(笑)」
●まわりはやっぱりおじ様方が多いんですか? どういう雰囲気なんですか?
「うちの父がちょうど今60代だったりするので、うちの父よりも少し年上のかたっていうイメージで、みなさん、ほんとお父さんのような、おじいちゃんのような感じで接してくださいました」
●いろいろ指導を受けられたそうですけれども、どんな指導を受けたんですか?
「指導は、怒られもしたり(苦笑)・・・やっぱり危ない現場なので、そういうことをしたら危ないよっていうことも厳しく教えてくださったり、時にはその本の中にもあるんですけど、奥さんが作ってくれたおにぎりを分けてくださったりとか、そういう優しいこともありました。
●初めて猟友会のかたたちと狩猟に行ったときは、どうでしたか?
「初めての猟期は、銃を持つこともドキドキして、銃で動物を撃つことも初めてだったので、自分が持っている銃の先を動物に向けたら、その動物の命を奪ってしまうっていうことにもドキドキして、責任をすごく感じました」
●狩猟はリーダーがいて、猟友会のメンバーが連携して動くっていう感じなんですか?
「はい。山のことをよく知っているかたがひとりいらっしゃって、本の中にも出てくるんですけど、私の師匠の元八(もとはち)さんです。どの山がどういう地形かも全部頭に入っとられて、イノシシの気持ちもすごくわかるかたなんですね。
”このイノシシだったら、いま向こうに歩きよるけ、あの谷に出るんじゃないか”とか、そういう指示を出してくれちゃって、それをみんなで無線を聴きながら、”どこどこで待っとくよ”とか、そういうコミュニケーションもすごく大切な猟のやり方です。
たぶんみなさんはマタギ、そういう昔の猟法を思い浮かべられると思うんですけど、今はGPSを使ったりとか、携帯もあるので、写真を撮ってLINEで送ったりとか、本当に現代風なデジタルな猟をしています」

(編集部注:北広島・芸北地区での狩猟期間は、始まりは全国と同じ11月15日からですが、終わりはほかの地区よりも半月ほど長く、2月末だそうです)
ハラハラ、ドキドキ
※猟をするために山に入っている間、どんな気持ちで獲物を待っていたんですか?
「イノシシがいつ自分の目の前に出てくるかがわからないので、最大で4時間、山の中でひとりで待っていたことがあって、そういう時はもうハラハラ、ドキドキしていました。
足を雪の上につけていると、どんどん熱が奪われて、膝の下が感覚がないような状態になったりしたので、雪を掘って、まだ葉っぱがついている杉の葉とかを敷き詰めたりして(そこに足を置いて)待っていました。
本当に雪山は静かで、陽が出ていないうちは静かなんですけど、陽が照り出したら、雪がぽた〜ぽた〜って水滴になって落ちたりとか、そういう音に、“わっ! びっくり”ってなったりとか、イノシシじゃないかと思ったり・・・。
あと時々無線が人から入って、”束元のほうに行った!”って言われたら、もうドキドキが止まらなくて、どうにかして仕留めんと、と思いながら(待っていました)。今まで私の前には出たことがなくて、先輩たちに言われるんですけど、”お前は食い意地が張っとるけ、イノシシも気づいて出のんじゃないんか”っていつも言われていました(笑)」
※初めて自分の銃で仕留めた獲物はなんですか?
「その時は初めてカモを獲りました。川に浮かんでいて、今でもくっきりと覚えているんですけど、どの川でどの場所でっていうのも覚えています。
先輩たちがまわりにいて、1発目を撃つとカモは逃げてしまうので、1発目は束元が撃ちんさいって言って、いつもみなさんが譲ってくださっていました。
私が鉄砲を撃ってカモが落ちていって、そのカモは川に落ちていくので、川をどんどんカモが流れていくのを走って追いかけて、濡れるとかも全然気にならずに川の中に飛び込んで、カモを拾い上げて、自分の手で震えながらしたのを覚えています」
●自分の手でっていうところで、いろんな感情が込み上げたと思うんですけれども、どんな思いでしたか?
「その時は必死で何かを思う余裕もなくって、ただただそのカモを逃がしちゃいけんと思って・・・撃ってそのまま流してしまって、いなくなるっていうのがいちばん失礼だと思うので、どうしても持って帰らんとって思って走ったのを覚えています。
でも後から考えると、このカモもやっぱり生活があったりとか、家族もいたんだろうなと思うと、やっぱり自分がしているのは・・・でもそれもスーパーに行って、ニワトリとかブタとかを買ったりするのと一緒なのかなと思うと、自分の手で獲るって、食べる時にとてもおいしいなと思いながら食べます」
(編集部注:束元さんは師匠から教わったことで、肝に銘じているのは、足を大切にすること。山に入って、獲物を探すのも追いかけるのも足、ということで、師匠から言われた「一足、二足、三に足」という言葉をいまも大事にしているそうです)
セミは美味しい!?

●この本『いただきますの山』には昆虫食のお話も載っていましたよね。実は私の大学時代の恩師が昆虫食を研究していて、この番組にもゲストとして出演してもらったんですけれども、立教大学の野中教授というかたなんです。授業中に、みんなでキャーキャー言いながら、いろんな昆虫を食べさせられたんですけれども(苦笑)。
「何を食べられたんですか?」
●イナゴとか蜂の子とか食べました〜。なんかイモムシみたいなものも・・・。
「そうだったんですね〜」
●昔からイナゴとか蜂の子は食べる文化はありますけれども、束元さんはセミも召し上がっていましたよね?
「はい。セミも食べました」
●セミはどんなふうに処理して食べたんですか?
「成虫はだいたい焼いて食べて、幼虫は茹でたりとか、揚げてからポップコーンのように食べたりとか・・・昆虫の中でいちばん美味しいと思っています」
●セミによって味が違うっていうこともあるんですか?
「セミによっても味が違っていて、ツクツクボウシだったりアブラゼミだったり、いろいろと違うように思います」
●野中先生に私もセミを食べさせられたことがある、食べさせられたって言ったら、あれですけど(苦笑)、食べたことがあるんですけれども、それもパリパリしていて確かに美味しかったんですよ。それは何のセミだったんだろう? ちょっと見るのも怖くて、薄目にしながら食べたので・・・(笑)
「あ、そうなんですね〜」
●あまり覚えてないんですが、セミによって味も違うんですね?
「木の樹液を吸って育つので、樹液によって香りが違うのかなっていう研究をされているかたもいました」
●なるほど〜、昆虫食も奥深いですね。特に束元さんが美味しいなって思った昆虫はありますか?
「特に美味しいのは・・・セミが美味しいなと思うんですけど」
(編集部注:束元さんいわく、春に採れるカミキリムシの幼虫は、昆虫食界では最も美味しい虫とされ、「昆虫界のトロ」と言われるほど、人気なんだそうです)
本当の食欲とは

※北広島の芸北では、借りた畑で作物を育てていましたよね。どんなものを作っていたんですか?
「畑では夏野菜をおもに育てていたり、秋から来年の春にかけては麦を育てて小麦(のタネ)を蒔いて収穫して・・・石臼も近くの石屋さんが特注で作ってくださったので、その石臼で粉をひいてパンにしていました」
●いろいろご自身でやるとなると手間暇もかかると思いますが、でもそれだけやっぱりでき上がった時の達成感というか・・・どんな気持ちになるんですか?
「なんか不思議なんですけど、パンを焼く時に麦畑の匂いがして、収穫前の麦畑にいた気持ちを思い出して、1年間通してパンを作ったと思ったら、とても感動してちょっとずつ食べました」
●そうなんですよね〜、思い入れがすごく強いですよね。都会に暮らしているとスーパーマーケットとかに行けば、すぐに食材が手に入る環境にありますよね。
例えば食肉にしてくださるかたたちがいて、初めてお肉が食べられるわけですけれども、普段命をいただいている意識が希薄になっているなって思うんです。自然のものを獲って食べることをされている束元さんは、どのように感じられますか?
「焼肉に行ったりした時に、牛だと思って食べるよりは、何の肉とかハラミとか、そういうふうに並べてあるので、なんかいくらでも食べて・・・というか、食べ放題ならたくさん食べたほうがいいじゃないですか。だからたくさん食べるんですけど・・・。
イノシシを実際に自分で捌いて食べた時に、これはお腹のお肉だったなとか、背中のお肉だったなと思いながら食べると、お腹がいっぱいになるまで食べることができなかったんですね。
なぜか捌いている間にお腹がいっぱいなるような経験があって、もしかしたらそれが本当の食欲なのかなと思いながら・・・だから自分で獲って食べることが本当の食べるっていうわけじゃないですけど、私はそれを選びたいなと思って続けたいです」
芸北の人たちに恩返し
※束元さんは、現在は銃の免許は返上されていますが、今後また猟師さんに戻ることはありますか?
「銃の猟はすることはないかもしれないんですけど、箱罠っていう罠の檻をかけたりとか、ワイヤーで足をくくったりする括くり罠っていうものがあって、その罠の免許は今も継続して持っているので、罠の猟師は続けたいと思っています。
今年、江田島に引っ越してしまったんですが、芸北の猟友会のかたたちとは今もつながりがあるので、雪が降った時に、私は銃は撃てないんですけど、イノシシを追いかける役はできるかなと思っています。そういうのを”勢いの子”って書いて、『せこ』って読むんですけど、勢子として参加できたらいいなと思っております」
●また師匠たちと一緒に?
「はい。山を歩けたらと思っています」
●いいですね〜。では最後に、北広島町の芸北地区での暮らしは、束元さんに何を残しましたか?
「私は芸北で、最後はちょっと体調崩してしまったんですけど、いろんなかたがたに教えてもらった、命のいただき方というか、イノシシの獲り方とか、あとお米の作り方とか、里山で暮らす中での自然と人との間のいろんな葛藤とか・・・。
そういうことをたくさん経験して、実際に見て体験して、悔しい気持ちにもなったり、悲しくなったり、時にはみんなでお祭りをして喜んだりとか・・・実際に自分で経験したことで 、自分の血となって肉となって、力になっているのをすごく感じています。
そういうことをたくさんいただいたので、今度は私が芸北に住んでいた時にお世話になったかたがたに、たくさん恩返しができたらいいなと・・・どういう形かわからないんですけど、今回この『いただきますの山』っていう生活の本を通して、北広島の素晴らしさとか、人の温かさとか、自然の豊かさをたくさんの人に届けることから始めたいなと思っています」
INFORMATION
束元さんの初めての本は、副題に「昆虫食ガール 狩猟女子 里山移住の成長記録」とあるように、北広島の芸北地区で猟友会や地域の方たちにいろいろなことを教えてもらいながら、過ごした日々と自然や生き物への感謝、そして命をいただくことへの葛藤を綴った青春ドキュメントです。ぜひ読んでください。
「ミチコーポレーション・ぞうさん出版事業部」から絶賛発売中です。詳しくは出版社のサイトをご覧ください。
◎ミチコーポレーション・ぞうさん出版事業部HP:https://zousanbooks.com
2022/11/27 UP!
オープニング・テーマ曲「KEEPERS OF THE FLAME / CRAIG CHAQUICO」
M1. GEORGE PORGY / TOTO
M2. BRAND NEW ME / ALICIA KEYS
M3. SITTING, WAITING, WISHING / JACK JOHNSON
M4. TOP OF THE WORLD / THE CARPENTERS
M5. 楓 / スピッツ
M6. PEACEFUL EASY FEELING / THE EAGLES
M7. POWER TO THE PEOPLE / JOHN LENNON
エンディング・テーマ曲「THE WHALE / ELECTRIC LIGHT ORCHESTRA」
2022/11/20 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、「無人島プロジェクト」の代表「梶 海斗(かじ・かいと)」さんです。
梶さんは1988年生まれ。京都出身。同志社大学卒業後、リクルートに入社。その後、無人島ツアーを企画し、2016年に株式会社ジョブライブを設立、代表取締役に。そして現在、無人島プロジェクトの事業を展開されています。
きょうはそんな梶さんに無人島体験ツアーや、島でのキャンプ生活がもたらす効果などお話しいただきます。
☆写真協力:無人島プロジェクト

生きるを学ぶ体験
※いったいどんなプロジェクトなのか、お話をうかがっていきましょう。まずは、無人島プロジェクトについて教えてください。
「はい、日本全国には6400近くの無人島があるんですけれども、そういった無人島にお客様をお連れして、『生きるを学ぶ』体験というのを提供しています」
●無人島プロジェクトのテーマが「生きるを学ぶ」なんですね。
「そうですね。まさに来ていただくお客様には『生きるを学ぶ』を大切にしていただきます。みなさん、日々色んなことをされていると思うんですね。仕事をしたりだとか趣味にいそしんだりだとか・・・・実はその生活の根底に、食べるとか水を飲むとかそういったところがありますよね。
無人島に行くと、さあご飯を食べようと思っても食料調達から始まりますし、調理しようと思うと火を起こさなくてはいけないところがあって、それが当たり前に今の日常では提供されていることに気付けたりもするんですよね。
無人島でしか気付けないことがたくさんあって、そういったことも含めて、生きるとは何なのか、生きることにどういうことが含まれているのかを、少し気付いていただくっていうようなことですね。生きるを学べるような価値があるかなと考えていまして、それがひとつテーマになっています。
一方で、無人島というくくりで言いますと、先ほども言いましたように日本全国に無人島は6400もあって、(有人島を含めると)日本には6800近くの島があるんですけれども、人が住んでいない島のほうが多いんですね。それをどう活用していくのかが、地域を盛り上げるためにも非常に重要になってきますので、そういう活用プロジェクトも、ひとつのテーマだと思います」
『十五少年漂流記』に憧れて

※梶さんが個人的に、初めて無人島に行ったのはいつ頃なんですか?
「初めては、私が19歳の頃ですので、2007年から2008年ぐらいじゃないですかね」
●どこの無人島に行かれたんですか?
「私は京都出身ですので、京都から近い島はどこにあるのかを、インターネットが(今ほど)発展していない中でなんとか調べて、たどり着いたのが瀬戸内海で・・・瀬戸内海の無人島に京都から行ったのが初めてでした」
●どうしてまた無人島に行ってみようと思われたんですか?
「無人島っていう言葉が冒険心をくすぐるというか、そういうのがあると思うんです。自分自身は小学生の時に、『十五少年漂流記』っていう小説を読んだんですね。ロビンソン・クルーソーみたいなやつなんですけど・・・15人の少年が、船が難破して、たどり着いたのが無人島で、そこで共同生活をしていくっていうストーリーなんです。
仲間と一緒に限られた環境で生き抜いて、絆ができていくっていうようなことに対して憧れがあって、いつか(無人島に)行ってみたいなっていうことを、ずっとなんとなく心のどこかに持っていました。それが大学生になった時に何か新しいことをしたい、キャンプで何かできないかなと思った時に無人島に行ってみようって、ふと思い立ったんですね。
行けるかどうかは全然わからないので、手探り状態だったんですけど、まずは人口が30人とか40人ぐらいしかいないような小さい有人離島にフェリーが出ていますので、そこに行って漁師さんに頼み込んでみたんですよ。そうすると無人島に渡してあげるというような話があって、今こうなるとは(その時は)思っていませんけど、そこが本当にいちばん最初の始まりでしたね」
●それを今度はビジネスにしようと思われたのは、いつ頃なんですか?
「思い立ったのは社会人2年目ですので、2013年から2014年ぐらいのタイミングだと思うんです。無人島に初めて行ってから毎年行くようになったんですよ。友達を連れて行くとすごく喜んでくれるんですね。
こんな体験できるところないし、誘ってくれる友達もなかなかいないから、自分が楽しんでいたのと同じように仲間も楽しんでくれていたんです。そういう人たちが増えていく・・・次は誰を連れて行きたいとか、将来子供できたら子供と行きたいよね、みたいな話とかをもらうようになって、なんとなく心の中に、需要はあるんだなって思っていたんだと思います。
で、いざ自分でビジネスを立ち上げようっていう気持ちになった時に、何をテーマにするのかを考えた時に、そのひとつとして無人島をやりたいなって思ったんですね」
(編集部注:梶さんは小学生の頃にYMCAのキャンプ教室に参加。そのとき、キャンプのスキルを身につけていたので、無人島に初めて行ったときでも、不安はなかったそうです。子供の頃からアウトドアや自然が大好きだったそうですよ)
個人から企業向けプランまで

※無人島プロジェクトでは現在、どんなツアーや事業を行なっているんですか?
「まずは、今までお話ししたような私のルーツである個人向けのツアーですね。日本全国、みなさん、無人島にほぼ行ったことない人ですし、キャンプも初めてという人が20%から30%ぐらいはいらっしゃるので、アウトドアにそんなに慣れていないかたでも無人島で2泊3日、初めて出会った仲間たちと冒険するツアーをやっているんです。
これがすごく人気で、今までで1500人近くのかたにお越しいただいています。1回あたり20人から30人で行きますので、それなりの回数になるんですけれども、みなさんすごく満足して、初めて出会ったと思えないぐらい仲良くなって、たくましくなって(無人島から)帰ってきてくれます。これが個人向けのツアーで、我々スタッフとかインストラクターが付いていくパターンです。
もうひとつが仲間たちだけで無人島を借り切って、自分たちでキャンプするプランもやっています。これが『無人島セレクト』っていう名前でやっているんですけど、島を選べるんですよ。島がいくつかあって、その中から(参加者が)この島いいな〜って思ったら、そこに行く船の手配だとかキャンプ道具の手配は我々でさせていただきます。
無人島で過ごす注意事項とかそういうガイダンスをさせていただいたうえで、みなさんで1泊2日楽しんでいただきます。もちろん、なにかあって連絡いただいたらすぐ助けに行くんですけど、助けに行くようなことはあまり起きないですね。そういう個人向けプランもあります。
あとは我々、日本全国の無人島、あちこちと提携していますので、そういったところをオーダーメイドで使わせていただいています。
例えば、無人島を借り切ってイベントをやりたいとか、子供向けの体験教室をやりたいとか、企業研修で新入社員にたくましくなる経験をしてほしいとか・・・やっぱり助け合わないと無人島では生きていけないので、難易度は会社によって様々なんですけど、こんな体験をしたいとか、そういったお話をうかがいながら、ゼロから一緒に作っていくオーダーメイド・プランがあって、これも人気ですね」
(編集部注:無人島プロジェクトでは現在およそ100の島と提携しているそうです)
ルールは敬語禁止!?

※先ほどお話にあった、アウトドア初心者のかたが多く参加する個人向けツアーで、20人から30人の参加者が2泊3日の無人島体験をする企画、これは「ベーシックキャンプ」というツアーなんですが、このツアーには、こんなルールがあるそうですよ。
「ルールは敬語が禁止(笑)。日常では社会的な立場とか年齢とか、いろいろあるけれども、 今からみんなは無人島に行って、無人島に漂着したんだと。だからひとりの人間として助け合わなきゃいけない。助け合って3日間、きちんと生き抜いて帰ってこようね。
もちろんスタッフはいて、そのためにサポートはするけど、みんなで生き抜くことが今までにない経験で楽しいことだから、それをサポートするガイドみたいなもんですよ。だからみんなで、スタッフも含めた30人で、3日間生きていきましょう! っていうガイダンスから始まるんですね」
●へぇ〜、面白いですね。
「もちろん敬語は、慣れなかったら、最初は出ちゃうんですけど、徐々にみんな慣れていきますね。何をするにも、火を起こすにも食料を調達するにもテント建てるにも、助け合わなきゃいけないので、固くなっちゃっているのが自然に取れていって、2日目の夜にはもう明日終わってしまうのが寂しいねとか、生き抜くことがどんなに大変なのかを一緒に理解し合えたねとか、ちょっと苦しいことを一緒に分かち合えた仲間たちになって帰ってきてくれるんですよ。

無人島を活用していろいろやらせていただいていますけど、私がこの無人島の企画をやりたいなって思えたのは、非日常体験を通じて人生の転機になり得るような、すごく濃い3日間を作れるところが、とても魅力的だなと思って始めたってことがあります。
初めましての人たちと、敬語禁止ルールとかがある中で、3日間一緒に助け合って生き抜くツアーにはなるんですけれども、ただ体験をするだけではない深さとか、そういったものも提供できているんじゃないかなって思っています」
(編集部注:無人島プロジェクトでは、ロケ撮影のコーディネイトも行なっています。例えば、ゴールデンボンバーの全国ツアーファイナルの無人島ライヴをサポートしたこともあるそうです。無人島からの配信ライヴで、その映像にはドローン撮影もあり、島の全景が映し出され、ロマンを感じたそうですよ)
「生きる」を全部やってみる
※無人島でのキャンプは、参加者のかたの意外な才能が発揮されたりすることもあるんじゃないですか?
「むちゃくちゃありますよ。本当にひとりひとりできることもそうだし、キャラクターも違うので、みんなの中心になって盛り上げることが上手な子もいますし、みんなが見てないところで、”これから暗くなると思って”と言って、大量の焚き木を持ってきてくれる子がいたり、誰も気づかなかったわ、それ! っていうような・・・。

魚を捕ってくる子もいれば・・・スキルっていう観点でいうと、料理が上手な子とか、歌を唄うのが上手とか踊れるとか泳げるとか、それぞれ人生があって、できることが違うので、それを生かしていただける環境があって、みんなの役に立つ、っていうような状態なので、本当にバラバラな個性があって楽しいですよね」
●サバイバルに近い状態ですから、積極的に自分たちで動かなきゃっていう気持ちにもなりますよね。
「そうですね」
●動かなきゃ始まらないですよね。
「それがいいところだとは思うんですけどね。何もしないってこともできるんですけど、何もしなかったら楽しくないですし・・・」
●そうですよね〜。
「みんな、無人島って環境は、着いちゃったんで諦めるんですよね(笑)。諦めた上で、いかにみんなで楽しい時間を過ごすのか、どうやって過ごせるのかっていうことに、自然とフォーカスしていけるので、初めて出会ったんだけど、ある意味ひとつの方向を向きやすいのが面白いところですね」
●参加されたかたに、価値観が変わったとか人生感が変わったとか、そんなかたもいらっしゃるんじゃないですか?
「ありがたいことに、そういうお話をいただくことも多いですね。100円持っていれば、わずか1〜2分でコンビニで肉まんが買えて、めちゃめちゃおいしいじゃないですか。それがどれだけ恵まれたことなのか、みたいな話とか・・・お布団ってすごいんだなみたいな、そんな話もありますね。
あとは、日常の日々の暮らしが、すごくありがたいことなんだと気づいて、違う場所に移住をすることを考えるかたがいたりとか、人々と助け合って生きていくことに、もっとフォーカスした生き方をしたいっていうので、都会からちょっと違うところに生活(の拠点)を変えたりだとか・・・。
逆に結婚の決意をされるかたとか、離婚を決意するかたとか・・・いろんな感情が溢れるんだと思うんです。ねらっているわけじゃないですけど、島で出会って結婚するかたがいたりもしますね」
●ここまで生きることを全力でするって、都会にいたらなかなかないですよね、そういう経験ってね。
「ないと思うんですよ。便利なものはいっぱいありますし、逆に言うとそれは人の力だと思うんですけど、ただ人生に一度ぐらいは、自分で自分の生きるを全部やってみるっていう体験があってもいいかなとは思いますね」
「やりたい」をかなえる
※無人島プロジェクトの、12月以降、または来年のツアーでおすすめはありますか?
「やっぱり無人島っていうと夏のイメージ強いじゃないですか。みんなヤシの木の生えた常夏の島を思い浮かべると思うんですね。暗い曇り空のゴツゴツした岩肌の、風が吹きすさぶ島には行きたくないっていうのが本音だと思いますので(笑)、我々のツアー自体はだいたい夏なんですよ。ゴールデンウィークとか7日から10日ぐらいの連休でやることが多いんです。
ただ、先ほどお伝えした少数のグループで、無人島を借り切って使っていただける『無人島セレクト』のプランだったりとか、あとはやりたいことに合わせた企画を提供するオーダーメイドのプランは年中やっていますので、そこはお問い合わせいただければと思います。
たまにすごい強者が、真冬の無人島サバイバル体験をやりたい、YouTubeで配信したいとか、そういったお話もいただくことがあるので、無人島でこれをやりたいっていうのをかなえるのが我々かなと思いますので、まずはお問い合わせいただければと思いますね」
●では、最後に梶さんにとって無人島とは?
「無人島だから人の温かみだったり、社会の温かみだったり、生きることに対する大切さを感じさせてくれる場所だなって思っています」
INFORMATION
無人島プロジェクト

無人島プロジェクトで実施しているツアーは以下の通り。
参加型の個人向けツアー、2泊3日の「ベーシックキャンプ」は現在、姫路と博多での開催となっています。
仲間と行く個人向けツアー「無人島セレクト」は、行きたい無人島を選べるプランです。
ほかにも研修や会社の行事を無人島で行ないたい法人向けのオーダーメイド・プランなどもあります。
詳しくは、無人島プロジェクトのオフィシャルサイトをご覧ください。
◎無人島プロジェクトHP:https://mujinto.jp
2022/11/20 UP!
オープニング・テーマ曲「KEEPERS OF THE FLAME / CRAIG CHAQUICO」
M1. ISLAND LIFE / MICHAEL FRANKS
M2. WONDERFUL / INDIA.ARIE
M3. ADVENTURE OF A LIFETIME / COLDPLAY
M4. EVERYBODY WANTS TO RULE THE WORLD / TEARS FOR FEARS
M5. そばにいるよ / Uru
M6. DREAMTIME / DARYL HALL
M7. FOR YOUR LOVE / STEVIE WONDER
エンディング・テーマ曲「THE WHALE / ELECTRIC LIGHT ORCHESTRA」
2022/11/13 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、北極冒険家の「荻田泰永(おぎた・やすなが)」さんです。
荻田さんは1977年、神奈川県生まれ。21歳のときにたまたま見たテレビのトーク番組で、冒険家の大場満郎さんが若者たちを連れて北極に行くことを知ったそうです。
エネルギーを持て余していた荻田さんは、北極に行ってみたいと思い、大場さんに手紙を書き、大場さん主宰の「北磁極を目指す冒険ウォーク」に参加することに。そしてカナダの北極圏から北磁極までの700キロを、食料などを積んだ重いソリを引いて、35日間かけて、徒歩で走破。
実は荻田さん、参加する前は、アウトドアの経験はまったくなく、海外に行くのも、飛行機に乗るのも初めてだったそうですよ。
その後、たったひとり徒歩で、それも食料などの補給を受けずに北極点を目指す冒険にチャレンジするなど、20年間に16回、北極に行き、北極圏をおよそ1万キロ以上、移動。2018年には「植村直己冒険賞」を受賞、国内外で注目されている北極冒険家でいらっしゃいます。
きょうはそんな荻田さんに、20年以上通い続けている北極の魅力や、先頃出された絵本『PIHOTEK(ピヒュッティ)〜北極を風と歩く』のお話などうかがいます。
◎写真:荻田泰永

北極冒険の扉を開く
※2000年に冒険家・大場満郎さんの「北磁極を目指す冒険ウォーク」に参加されて、北極に行ったわけですけど、初めての北極体験は荻田さんに何を残しましたか?
「何を残したんでしょうね。最初は大場さんの旅に参加する前は、なんか広い世界に出てみたいなっていう思いはありながらも、出方が分からないし、出る扉の存在も分からなかった。どの扉を開ければいいのか全く分からないし、(大場さんが)扉の存在を教えてくれたし、開けたらどういう世界が待っているかを、一回体験させてもらったんです。
その翌年から今度はひとりで行くようになるんですけども、やっぱり一回(扉を)開けると、次もう一回、自分で開けてみようっていうところに、えいや〜っと行けるので、そのきっかけを作ってもらったって感じですね」
●その扉を開けて、もう20年以上、北極に通われていますよね。何がそんなに荻田さんを惹きつけるんですか?
「よく(言われるのは)初めの北極で夢中になっちゃったんですね、とかね。翌年からひとりで行くんですけどね。確かに魅力があるんですけど、正直に言うと別にほかに行けるところがなかったから、また北極に行っただけです。
行動力が本当にある人は、たぶん大場さんのテレビを見る前にもう動いているんですよ。でも私はその行動力はなかったんですね。動けなかったんです。だから大場さんの計画、言葉に乗ったんです。連れて行ってもらったんです。”行った”んじゃないんです。”連れて行って”もらったんです。
翌年、北極に行くんですけども、その時も北極以外行ったことがないから、今度はひとりで動かなければって時に、必然的に行ける場所は北極しかないわけですよ。土地勘があるのはそこしかないんで・・・。
だから魅力があったから重ねて行ったっていうよりは、最初のうちはそこしか行けないから、もう1回行ったっていう要素が強くて・・・ただ何度も重ねて行くと、今度は北極に行く理由がちょっとずつ見つかってくるし、面白さとか難しさとか、そういうものが分かってくるんですよね。
例えば現地で、昔から住んでいるイヌイットの人たちと一緒に狩りに行くと、やっぱり日本とは違う常識に出会えるし、違う価値観に出会えるし、全く違う自然の世界がそこにあるし、そういうのも魅力ですね。
極地冒険は、やる人が少ないので情報も少ないですし、装備もないです。ないからこそ自分で考える、自分で工夫しなければいけない。アウトドアショップに行ってお金で解決できないんですよね。
ないものは自分で作るとか、地元の人たちはどんなものを使っているんだろうっていうのを観察して、そこから真似るとかね。なんかエッセンスを盗むとか、そういうのが必要になってくるんですけど、それがまた面白い。そこに主体性があるんですね。道具をお金で解決できるって、そこにはあまり主体性がないんですよ。そういうところの面白さですかね」
(編集部注:荻田さんが北極冒険の拠点にしているのは、おもにカナダ北極圏のレゾリュートという、人口が200人ほどの小さな村だそうです。食料や装備などは、もちろん日本で準備していくそうですが、足りないものはカナダのバンクーバーほか、レゾリュートでも調達するとのこと)
いちばん怖いのは自分自身
※荻田さんは2012年と2014年に北極点に向けて、無補給単独徒歩での到達にチャレンジされました。北極点は南極と違って海の上、なんですよね。
「そうですね」
●ということは、氷の上をずっと歩いて行くっていうことですよね?
「そうですね。みなさんはあまり北極と南極って何が違うんだろうとか、イメージがわきづらいとは思うんですけど、大雑把にいうと南極は”南極大陸”であって、北極の場合は”北極海”って海なんですね。
私は南極は1回行ってますけども、メインは北極であって、北極の場合はだから海の上を歩く、海の表面を歩くんです。
北極海ってまあ広いわけですね。対岸はロシア、シベリア、ユーラシア大陸、その反対側に北米大陸があって、2000キロから3000キロ四方の大きな海になっていますけども、平均の水深でいうと2000メートル近くあるんです。
海の深さが平均して2000メートルあるんですけど、氷の厚み、海の表面の氷の厚みは平均すると2メートルくらいのもんですね。2000メートルの海の水に対して、表面の2メートル凍っているだけなんで、本当に薄い膜が張っている程度です。その上を歩いて行くのが極地の冒険です。薄膜なので、氷は流れるし、動くし、風の作用で流れたりとか、海流で流れたりとか、表面の氷は激しく動き回るんです。
だから、割れたりとか、ぶつかったりとか、流されたりとかっていうのはしょっちゅう起きる。平らなスケートリンクみたいな平原とか氷原を想像するかもしれないですけど、現場に立つと凸凹なんですよ。海辺のテトラポットを積み上げたみたいな氷が、自動車大のブロックが、何個も積み上がった壁のような状態が永遠と続いているのが北極海ですね」

●危険だらけじゃないですか! 何がいちばん怖いですか?
「いちばん怖いのは自分自身ですよね。我々、東京で生活していても危険はいっぱいあるじゃないですか。みなさん、自然の中に行くと、危険でしょ危険でしょって言うんですけど、私は都市のほうが予測不可能な危険がはるかに多いと思うんです。
なぜかっていうと、都市の中では人為的な作用で、どうにもできない要素があまりにも多いんです。他者が多いから・・・。では極地でそういうことが起きるかっていうと、極地っていうか自然の中ってないんです。自然の中で起きることは、全部自然の法則に則っているんです。
よく言われるのが、自然の中では何が起きるか分かんないでしょって・・・。分かるんです。ただいつどこで起きるかが分からない、もちろんね。北極を歩いていても、起きる危険の要素は種類をあげつらえば、数は少ないんですよ。寒さとか、ホッキョクグマとか、風とか、足元が薄い氷であるとか、数えられるぐらいのものしかないんです。
都市だったら、数えきれないぐらい要素がありますよね。その要素はすべて他人が関わっているんです。全く予測不可能です、こっちのほうが・・・。でも極地は起きる要素は数限られているし、そのひとつひとつが、なぜどういう理由で起きるかがちゃんと分かるんですよ」
●想定できるってことですね。
「できるんですよ。ただそれを事故に結びつけちゃうのは、自分自身の経験不足だったりとか、知識不足だったりとか、準備不足とか、装備が不足しているとかっていう自分の中の問題だから、いちばん怖いのは自分自身ですね」
(編集部注:荻田さんは2018年に日本人として初めて、南極点・無補給・単独徒歩での到達に成功されています。荻田さんいわく、南極は大陸でほぼ平坦なので、極端な言い方をすると、北極よりは簡単だったそうですよ。北極の経験があるからこその成功だったんでしょうね)
できることのちょっと上!?
※食料や燃料などを補給せずに、ひとりで歩くスタイルは、冒険のハードルを一気に上げている気がするんですけど、どうして、そこにこだわっているんですか?
「なぜかって言ったら、そうしないとできちゃうから。要は無補給は外部からの物資補給を受けない。外部のサポート、人の力を借りない。単独はひとりで徒歩、機動力は自分の体っていうことですね。つまり条件は”無補給・単独・徒歩”の3つです。
無補給じゃなかったら、外部からの物資補給を受けるっていうこと。単独じゃなかったら複数人ってことですね。徒歩じゃなかったら機動力を使うってことです。スノーモービル使うとか、犬ぞりを使うとか。
要は物資補給を受けたら、北極点(到達)なんて今の自分の力だったらできちゃう。初めからできると分かっていることをやったって、何にもやる必要ないじゃないですか。ただの確認作業なので・・・。
これは自分ができるかな、できないかなっていうのを見極めて、今自分が確実にできることのちょっと上をやらなかったら、そこのちょっとの部分が成長なわけですよ。確実にできることの下をやったところで成長はないんですよね。
かといって、あまりにも飛び越えすぎて、確実にできることと、やろうとしていることに、あまりにも乖離(かいり)があると、それは無謀と言われることになっちゃうので、 そのさじ加減は全部自分で決めるんですけどね。で、なんでそれ(無補給・単独・徒歩)をやるかっていうと、 それが自分ができることのちょっと上のところだから、それを選んだだけですね」

●なるほど、そういうことなんですね。当然、多めに食料とかは持って行くってことですよね?
「ある程度多めに、といっても、そんなにたくさんは持っていかないですけどね」
●テントとかも含めて装備や物資は、どれぐらいの重さになるんですか?
「大体50日とか60日分の食料や装備を引くんですけど、100キロから120キログラムぐらいですね」
●へ〜! それをソリに積んで引っ張るっていうことですか?
「そういうことですね。自分の力で、体にハーネスっていうベルト付けて、腰からロープを取ってソリにつないで・・・。ソリといっても船の形でボート状のものなんですけど、足元はスキーを履いて、自分の力で引っ張っていくっていうスタイルですね」
※北極の場合、冒険に適した時期はいつ頃なんですか?
「北極の場合は海が凍った時を狙っていくんですね。 北極といってもやっぱり季節の巡りがあるので、北半球ですから日本と同じです。8月ぐらいがいちばん暖かくて、そうすると海の氷も大体、全部じゃないですけども、結構溶けるんですね 。また青青とした海に戻るんです。そうなると、もちろん歩けない。
いちばん歩ける時期が3月前後ですね。その時期がいちばん気温も下がって、いちばん氷が分厚く安定した時を狙って行く、っていうのが2月から3月、4月、5月の上旬ぐらいまでですね」
●最低気温だと、どれぐらいになるんですか?
「私が軽減したのはマイナス56度までは、動いていますね」
(編集部注:荻田さんが経験したマイナス56度、想像できない世界ですよね。荻田さんによれば、現地で低温に体を慣らすトレーニングを行なって、冒険の旅に出るので、時にはマイナス30度でも暖かく感じることがあるそうです。寒さとは温度という数字ではなく、寒く感じるかどうかだとおっしゃっていましたよ)
イヌイットからもらった名前!?
●先頃「PIHOTEK (ピヒュッティ) 北極を風と歩く」という絵本を出されました。私も読ませていただきましたけれども、たったひとりで北極を歩く”僕”の1日が描かれていますよね。この僕を通して 生きるということをすごく考えさせられたんですけれども、このタイトルの「ピヒュッティ」にはどんな意味があるんですか?

「これはぜひ本を読んでいただきたいなっていうのもあるんですけど、ネタバレをしちゃうと、私が北極のイヌイットの村で、イヌイットのおじさんからもらった名前なんですね。
イヌイットってよそから来た人たちと親しくなると名前をくれるんです。 で、ピヒュッティっていう名前をつけてくれたんですけど、その意味は”雪の中を歩いて旅をする男”っていう意味があって、お前にぴったりだろう! って、つけてくれたっていうのがエピソードですね」
●初めてピヒュッティという言葉を聞いた時は、どんなことを感じられました?
「語感は可愛いらしいじゃないですか(笑)。 だから、なんかしっくり来るような来ないような、みたいな感じでしたけど・・・嬉しかったですね」
●この絵本は荻田さんがストーリーを考えたんですよね?
「そうですね」
●絵本のイメージは、いつ頃からあったんですか?
「2020年の年末ぐらいから動き出して、実際、完成して発売したのが今年の8月です。だから1年半以上やってましたね。
きょうの話を通して、私かなり理屈でしゃべってるんですよ 。理屈っぽくしゃべってるし、たぶん理屈をだいぶしゃべってると思うんですけど、こうやって言葉で説明できる部分は、実は私のやっていることもそうだし、世界全体を見渡しても、言葉で表現できる部分は本当にごく一部でしかないんですね。
例えば、ホッキョクグマは言葉を持ってないわけですよ。ホッキョクグマは何を考えているかって言葉では表せないですよね。でも彼らだって何かを考えているわけですよ。それは、人間の言葉で書き起こそうと思ったら言えるけども、でも人間の言葉で書き起こした瞬間に、それはホッキョクグマの考えていることじゃないし、とかね。
だからなんていうかな・・・言葉の限界はどうしてもあるし、私がやっていることって冒険とか探検って言われますけども、 日本語を分解したら、”冒険”は危険を冒す、険しきを冒す、危ないことをするっていう意味ですよ。”探検”は、探り調べること、探査・検査・検証とかっていう意味ですから、探検っていうのはね。
私は確かにさっきも言ったように、危険なことはあるかもしれないけど、危険を冒しに行っているわけじゃないし、 危険であるのは(北極に)行っている間の付随事項みたいなものであって、それがメインじゃないんですよね。
何かを調べに調査に行っているかって言ったら、そういうわけでもないし・・・そうなると、私がやっていることは、探検とか冒険っていう言葉で100パーセント言い表しているかっていうと、全く言い表せていないんです。
じゃあなんですかって言っても、 言葉がないから言い表せないんですよ。言葉で表せられないんだったら絵で表現するとか・・・別の表現方法も人間は持っているんですよね。そういうイメージもあって、絵本を作ってみようかなっていうのはありますね」
(編集部注:絵本『PIHOTEK(ピヒュッティ)〜北極を風と歩く』の絵は、絵本作家で画家の井上奈奈さんが担当されています。荻田さんは以前から井上さんとは知り合いで、絵を描いてもらうのは、この人しかいない、と思ってお願いしたそうです。お陰で、深味のある“大人の絵本”に仕上がったとのこと)

テーマは「風と命」
※この絵本を通して、どんなことを伝えたいですか?
「そうですね。感じ方は人それぞれで全然いいんですけども、今回、私が書いた絵本は、”風と命”をテーマにしています。命をテーマにすると、生きる生かされるとか、食べる食べられるとか、主体と客体に分けた話にどうしてもなりがちなんですけど、命に主体も客体も本来ないはずなんですよ。
全部つながっているわけですから・・・全てつながっていますよね。地球っていう宇宙から閉ざされた空間の中で、40億年ほど前に生命が生まれてから、ずーっと繰り返しているわけですよ。
私の体を作っているカルシウムとかアミノ酸とかっていうのは、ある日突然、無から急に発生したものじゃなくて、分子レベル原子レベルでいったら、100年前とか1万年前とか1億年前には何かの植物だっただろうし、土の中に埋まっていたかもしれないし、何かの動物だったり・・・そういう物質が私を作っているわけであって、そういった時に私という主体はどこにあるかって言ったら、そんなものないんですよね。
そういうつながり、その関係性全体こそが主体であって・・・だから命っていう話を書こうかなって思った時に、主体と客体に分けない話にしようと思って、全部が交じり合っていくような話にして、ああいう感じになりました! ぜひみなさんに読んでもらえたら嬉しいですけど・・・」
(編集部注:荻田さんは、北極に行くきっかけを作ってくれた冒険家の大場満郎さんがしてくださったように、2019年に若者たちを連れて、カナダ北極圏をおよそ1ヶ月かけて600キロ歩いたそうです。20年前の自分と旅したような気分になり、とても新鮮だったそうですよ。この活動はできれば、今後も続けていきたいとのこと)
INFORMATION
荻田さんが先頃出された絵本は、北極をたったひとりで歩く“僕”の1日が描かれ、北極の冒険を追体験できます。井上奈奈さんの、柔らかいタッチの絵とのコラボレーションが深みのある世界を醸し出しています。素敵な大人の絵本、ぜひ読んでください。講談社から絶賛発売中です。詳しくは出版社のサイトをご覧ください。
◎講談社HP:https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000363049

荻田さんは去年、神奈川県大和市に「冒険研究所書店」という本屋さんを開業されました。冒険に関する本は多いものの、普通の本屋さんだそうですよ。詳しくはぜひ荻田さんのオフィシャルサイトを見てください。
◎荻田泰永さんHP:https://www.ogita-exp.com