2023/4/9 UP!
オープニング・テーマ曲「KEEPERS OF THE FLAME / CRAIG CHAQUICO」
M1. BLOW / 山下達郎
M2. GOD’S BREATH / TUBE
M3. IF YOU WERE A SAILBOAT / KATIE MELUA
M4. WAITING ON THE WORLD TO CHANGE FEATURING BEN HARPER / JOHN MAYER
M5. SIMPLE DAYS / BABYFACE
M6. SAILING / CHRISTOPHER CROSS
M7. I WANNA BE THE ONLY ONE / ETERNAL featuring BEBE WINANS
M8. DON’T WORRY BE HAPPY / BOBBY McFERRIN
エンディング・テーマ曲「THE WHALE / ELECTRIC LIGHT ORCHESTRA」
2023/4/2 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、冒険ライダー、そしてNPO法人「地球元気村」の大村長「風間深志」さんです。
風間さんは1950年生まれ、山梨市出身。1982年に日本人として初めて「パリ・ダカールラリー」に参戦、さらに、バイクによる史上初の北極点と南極点に到達など、前人未到の大冒険に挑戦され、輝かしい記録を残されています。
そんな風間さんが1988年に仲間と設立したのが「地球元気村」で「人と自然が調和している社会」の実現を目指して作られたプロジェクトです。
きょうは、人も地球も元気になる活動の最新情報などうかがいます。

番組タイトルに込めた願い
風間さんにお話をうかがう前に、新年度ということで、改めて番組タイトルについてご説明しておきましょうね。
「フリントストーン」は「火打石」という意味がありますが、実は1960年代に日本のテレビでも放映されたアメリカのアニメーション「原始家族フリントストーン」にもあやかっています。原始時代は人間が自然を壊さず、その恵みをいただきながら、ともに生きていた時代、ということで、今も、そしてこれからも、そうあって欲しい、という願いが込められています。
そんな番組「ザ・フリントストーン」のシンボルが風間深志さんなんです。
それでは風間さんにお話をうかがっていきましょう。
地球元気村の思い
●今週のゲストはこの番組の記念すべき第1回目のゲスト、冒険ライダーそして地球元気村の大村長、風間深志さんです。よろしくお願いいたします。
「はい! よろしくお願いいたします。大村長っていつも言ってくれるんだ、毎年ね。何が大村長かなと思うんだけど、大村長の風間です!(笑)よろしくお願いいたします」
●こちらこそ、お願いいたします。この番組「ザ・フリントストーン 」がこの4月から32年目に入ったんですけれども、風間さんが仲間とともに作ったNPO法人「地球元気村」は今年で35年目になるんですよね?
「はい、もう35年、あっという間ですね」
●あっという間ですか?
「35年前と今は変わんないから面白いね。自然っていうものに対してのテーマ、みんなやっぱり自然が好きだね。
昔は自然を好きになってくれっていうメッセージを、広く訴えていこうってことで始まったけど、今は空前のキャンプブームだよね。なんかもうアウトドアの洋服とか、そういったものを普通に街でも着るのが当たり前になったしさ。そういう意味ではすごく普及したけど、人は自然が常に好きだなっていう感じは、今も昔も変わんないなと思って見ています」
●風間さんには、毎年4月の第1週目にご出演いただいているんですけれども、30年を超える長いお付き合いということで、本当にありがとうございます。
「昔ね、4月1日に、むちゃくちゃホラ話をしたのよ(笑)っていうのが思い出。俺は太平洋でトビウオになるとか言っちゃってさ(笑)。トビウオになってどうするんですか? アメリカまでトビウオで行くのさ!(笑)みたいな、そんな話をよくしたよね(笑)。今は通用しないんだよ、そんな話。いいよ!(きょうも)嘘話でも」
●ダメです、ダメです(笑)
「ダメですか。きょうはちょっとリアリティを持っていくんですね」
●お願いします。改めて地球元気村のテーマを教えてください。
「そういう意味では、昔より今のほうが馴染んだかも知れないね。要するにもともと足もとにある自然と、もうちょっと仲良くしながら、会話をしながら、文明文化を進めていきましょうよっていうメッセージなのね。
(「地球元気村」を設立した)当時1988年、思いっきり工業化とか、思いっきり生産力を高めていくっていう、国とか世界中はそっちの方向に必死になっていた時代で、時はバブルという時だったんだよね。
そんな時にやっぱり足もとをもうちょっと見て、そして人間は自然に触れながら、子供を育てたりとか、やっぱり伝統文化っていうものをもうちょっとちゃんと継承しながら、人間らしくっていうと変だけど、何が人間らしくだよっていう感じになるけどね。やっぱり人間には自然は不可欠だし、自然との調和社会を目指していきましょうっていうわけで・・・。
折に触れて自然との触れ合いで・・・アウトドアのことが最初はちょっと多くて、なんだか俺はアウトドアの伝道師みたいだなって・・・。
別にアウトドアに限ったことはなくて、村祭りにしても郷土芸能にしても、そういった日本の古き良き文化を、みなさんに伝えながらいきたいなと。でも結果、みなさんが好きだったのは、自転車に乗ったり、川で釣りしたりとか、そういうのが好きだから、アウトドアをメニューにしながら、自然と触れ合うきっかけをここまで作ってきました」
(編集部注:「地球元気村」といっても特定の場所があるわけではなく、豊かな自然が残る市町村と連携するなどして、自然体験型のイベントを開催してきたそうです。風間さんは「地球元気村」をひとつの「理想郷」と表現されていました)
地球元気村ファーム「天空のはたけ」
●地球元気村のホームページや会報誌を拝見すると、ここ数年、風間さんは農業に視線を向けていらっしゃるのかなって感じるんですが、どうですか?
「あ、見てくれた? ありがとうございます。まあそうだな・・・地球元気村の真髄は結局(シンボルマークの)地球元気村の焚き火の炎みたいなのがあるでしょ。あれはとりあえず焚き火の炎なんだけど、実は命の炎なんだよと、命のときめきを表していまして、それは元気の証拠でもあるよね。
人間が醸し出す、元気や喜びや幸せは、どっから来てるかって、やっぱり自然から来ていて、足もとの土をいじって、そこに作物を育てて、それを食して、人間は命から命をつないでいくっていう、その循環がうまく、滞りなくスムーズにいくことが健康のひとつの循環ね。
みなさん(お店で)買ってくれば(手に入る)ホウレン草やネギを自分で作って、そしてそれは土から生まれて、土の元気がネギの葉っぱに伝わって、その葉っぱを食べることによって、僕らに元気が伝わってくるっていう循環型ね。そういったことを意識してもらうために農業をやっているんだけどね。
もうちょっと言えば、そこで見てもらいたいのは、命なんですよね。命は、スプーン一杯の土の中にも70何億の微生物がいて、生命なんだよね。その生命そのものが、強い生命力を持っていることが、我々の元気であるっていうことを考えようよということだよね。分かり切っているけど、なかなかこれは忘れちゃうんだよね」
●そうですね。山梨市に地球元気村ファーム「天空のはたけ」というものがありますよね? それはどんな畑なんですか?
「それはね、天空のはたけなんですよ!(笑)」
●あははは〜(笑)。広さはどれくらいあるんですか?
「えっとね、どんぐらいあるかな・・・3000坪ぐらいあるかな。畑が46区画あって、標高が700メートルぐらいの、ちょっと高いところにあるのね。そこから見下ろすと時々、甲府盆地がたなびく雲の下に見えたりとか、正面には富士山がどんと五合目以降、顔を出して、おーい、こんにちは! みたいな感じで挨拶ができるわけ。だからそこを『天空のはたけ』って名付けたんですよ。
みなさんすごく喜んでくれて、そこが嫌だっていう人は誰もいない、大人も子供を喜んで、その大空間の中で、心も体も羽を広げるっていう気分なんだよね」
(編集部注:お話に出てきた「地球元気村」のトレードマークは焚き火の炎で、ロゴも含めて制作されたのは、段ボール・アートで知られるアーティスト、現在は東京芸術大学の学長でいらっしゃる「日比野克彦」さんなんです。どんなマークとロゴなのか、ぜひ「地球元気村」のホームページを見ていただければと思います)
美味しいは農業から

※山梨市にある地球元気村ファーム「天空のはたけ」では、ジャガイモやサツマイモなどを育てているそうです。去年は、オリーブの木も植えたそうですよ。ほかにも村民のみなさんと味噌作りを行なったり、秋には収穫祭を開催し、大地の恵みをわかちあっているということですが・・・天空のはたけで作物を育てたり、収穫したりする作業からどんなことを感じますか?
「畑に来るってことは、土をいじるってことは、命とちょっと触れ合うってことになるんだけど・・・そうだね〜“美味しい”を感じるね! いつも畑に行くとね、昼飯が美味しいんだよね。それに入れ込む大根にしても、人参にしても作るからね。だから特に美味しい。なんだろ・・・農業から始まんのかな、美味しいは! 本当に汗をかいて、美味しくて、作業をして、語りをして、大人も子供も跳ね回ると、この世の楽園ですね!」
Jomonさんがやってきた!
※「地球元気村」では、縄文大工「雨宮国広(あめみや・くにひろ)」さんのプロジェクトを応援されています。以前、この番組にも出てくださった雨宮さんは、縄文時代の人たちがそうであったように、石斧(いしおの)だけで木を倒し、加工する特別な大工さんなんです。
そんな雨宮さんが進めているのが「Jomonさんがやってきた!」というプロジェクトなんですが、どんなプロジェクトなのか教えてください。
「あのね、もう元気村と同じね。縄文時代は1万数千年続いたんだよね。それだけ長く続いたのは、平和で安定した時代だったんだろうと。その人たちのライフスタイルが何かっていうと、自然と密接につながって、自然の摂理とか原理原則みたいなところから、はみ出していないライフスタイルをやってきたから、長く続いたわけ、無理がないからね。
人間は物を作るから、そういう時に手に持ったものは、鉄のアックスじゃなくて石の刃に枝をつけて、それで木を倒したりね。言ってみれば、石斧(いしおの)の文化だね。それを通じて人間本来の、縄文時代にやっていた人間の生き方、それから生き方による考え方、方向性をもう1回考えてみましょうよっていうメッセージなんだよね。
雨宮さんが何をやっているかっていうと・・・例えば、鉄斧(てつおの)は石斧よりか9倍とか10倍の威力を持ったわけだ。つまり作業が早くはかどるわけ。その分、手返しっていうか、早い分、人間はそれに追いつくために無理をするんだよね。
人間には人間のサイクルがあるよね。つまり人間にはひとつの一定した心拍があり、生きてくための呼吸は1分間に何回しているとか・・・それを早い機械を使うと、例えばチェーンソーを使うと(石斧の)200倍とか伐っちゃうわけ。それに合わせようとするから、せせこましくなるわけだね。
作業効率とか、きょう中にこれを作ろうってなってくると、本来の人間の動きから飛び出したことになって、それでいいのかってことをやっぱり雨宮さんはすごく感じているんですよ。
彼は今、日本縦断をやっているんですね。丸木舟を、北海道から沖縄まで、毎週どっかの都道府県に持って行って、子供たちと一緒に(石斧で)コンコンやって深く掘り下げているんですよ。僕も今まで3回ぐらい行ったけどね。コンコンやっていくと、なんかいいんですよね」
全国ネットワーク「テラなび」
※「地球元気村」の会報誌に全国ネットワーク「テラなび」の記事が載っていました。この「テラなび」はどんなネットワークなんですか?
「テラは地球、なびはナビゲーション、地球をナビゲートしていこうっていう、そのためにはどういう考え方で、どういう見地が必要なのかを、みんなで考えようっていうひとつの委員会なんですよ。
それを今まで地球元気村をやった全国の市町村の元首長さんとか、自然学校を専門にやっている学校の校長先生とか、あるいは大学のそういうことを専門に研究している人とか、そういう人たちに集まってもらって委員会を作ったんですよ。そこからもう1回出直そうかっていうための、準備のためのシンクタンクも去年作りまして、真剣にやっていこうと思っています。
ずっと考えているんですよ、実はここ10年ぐらい、次の一手はなんだろうと・・・以前キャンプはむちゃくちゃ流行ったし、今も流行っているからね。今度、次の一手はなんだろうなって考えていますね。
しかし、SDGsって言葉がむちゃくちゃ流行っているよね。それでなんか答えが出ましたかってこと・・・。それはひとつの一環で、取り組みのひとつですっていうことであって・・・いずれにしても物作りだったり、会社のひとつの事業やひとつの指針だったりするよね。その言葉を使うことによって、みんなそれで気が済んでいる部分もあるけど、実際に生活を少し変えていくってことは、やっぱり容易なことじゃないよね。
そこも含めて、変えていけるようなインパクトを与えられたらいいなっていうふうに、地球元気村はもう30何年考えているからさ。パイオニアとして見本を見せるような活動とか、メッセージが発信できればいいなって思っています」
●最後に、今後、風間さんとしては、どんなことに挑戦していきたいと考えていらっしゃいますか?
「そうですね・・・僕もいい歳になったんですけど、歳を忘れながら、地球元気村を本当にブレイクさせていきたいなと思っています。 次の世代につなげていくような、何か伝えて手渡してくような、何かを手にしたいなと思っています。
一方、僕個人とすれば、何年も前から言っていますけど、ダカール・ラリー、これに出るために、今、国際ライセンスを取っていますね。去年は国内Bを取ったんだけど、今年は国際ライセンスを、4輪ですよ、今取っています。
2026年あたりに行ってみようかなと思っていますけどね。そうしたら何歳だっていうと、やばいんですけどね(笑)。そんなことを忘れて、いろんなことをやるのがいいんですよね。歳を考えているうちは、まだダメだね」
●また、来年お話をうかがえるのを楽しみにしています。
「まあ、生きていたら(笑)お会いしたいと思います」
●ありがとうございました!
「はい、どうも、ありがとうございました!」

INFORMATION
「地球元気村」
お話に出てきた山梨市の「天空のはたけ」では5月中旬くらいにサツマイモの植え付けや、梅の畑で小梅の収穫を行なう予定です。また、「地球元気村」では、山梨県山中湖村の村営山中湖キャンプ場を運営しています。時々鹿が出てくるような森の中のキャンプ場だそうですよ。どなたでもご利用になれます。
そして「地球元気村」では随時村民を募集中です。プレミアム村民は会費が年間10,000円、村民になると年4回、会報誌「地球元気村」が届くほか、イベントの参加費が割引になるなどの特典がありますよ。
詳しくは「地球元気村」のオフィシャルサイトをご覧ください。
◎https://chikyugenkimura.jp
縄文大工の「雨宮国広」さんのプロジェクト「Jomonさんがやってきた!」もぜひ応援してくださいね。
◎https://jomonsan.com
2023/4/2 UP!
オープニング・テーマ曲「KEEPERS OF THE FLAME / CRAIG CHAQUICO」
M1. (MEET) THE FLINTSTONES / B-52’s
M2. Natural Man / Lou Rawls
M3. Into The Fire / Sarah McLachlan
M4. Just Like Paradise / David Lee Roth
M5. All I Wanna Do / Sheryl Crow
M6. リンゴの木にかくれんぼ / C.W.NICOL
M7. Rock The Boat / Hues Corporation
M8. 地球は元気 / 地球元気村の仲間たち
エンディング・テーマ曲「THE WHALE / ELECTRIC LIGHT ORCHESTRA」
2023/3/26 UP!
◎岡村泰斗(NPO法人「リーブ・ノー・トレース・ジャパン」の代表理事)
『「リーブ・ノー・トレース」〜自然に与えるインパクトを最小限に!』(2023.03.26)
◎真鍋 真(国立科学博物館の副館長)
『きみも恐竜博士! 「恐竜博2023」にLET’S GO!』(2023.03.19)
◎シェルパ斉藤(バックパッカー/紀行家)
『シェルパ斉藤の青春記! 初めての野宿は河原のデート!?』(2023.03.12)
◎鈴木みき(イラストレーター/防災士)
『「もしも」のために。おうち防災チャレンジ!』(2023.03.05)
2023/3/26 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、NPO法人「リーブ・ノー・トレース・ジャパン」の代表理事「岡村泰斗(おかむら・たいと)」さんです。
「リーブ・ノー・トレース」とは、直訳すると「足跡を残さない」となりますが、この言葉には、アウトドアで遊ぶときにフィールドである環境に与える影響を最小限にして楽しみましょう、そういう意味が込められているそうです。
きょうはそんな考え方を広め、指導者を育てる活動をされている岡村さんに登山やキャンプなどの野外活動で、自然に与えるインパクトを最小限にするための7つの原則などうかがいます。

「リーブ・ノー・トレース」7つの原則
●まずは、リーブ・ノー・トレースについて教えてください。
「リーブ・ノー・トレースというのは、アウトドア・レクリエーションによるインパクトを最小限にして、環境へのダメージをなるべく少なくして、アウトドアを楽しみましょうというアウトドアのテクニックですね」
●「リーブ・ノー・トレース・ジャパン」は、まだ新しい団体なんですよね?
「そうなんですよ。日本では2021年にNPO法人として立ち上がったんですが、このリーブ・ノー・トレースって考え方自体は、北米で発展し、1970年代ぐらいからあります」
●以前から自然愛好家のかたの間には「撮っていいのは写真だけ。残していいのは足跡だけ」という合言葉があるんだよって、番組スタッフから聞いたことがあったんですけれども、このリーブ・ノー・トレースの考え方は似ているんですか?
「まったくその通りだと思います。日本には『立つ鳥、跡を濁さず』であるとかそんな言葉もありますよね。
単に何も残さないっていうだけではなくて、自然を変える原因になるようなものを持ち込まないであるとか、自然を楽しんでいる時にも自然をなるべく変えないようにしようであるとか、そんなことも含んだ考え方ですね」
●ミニマムインパクト、つまり最小限に、ということなんですね。
「そうですね。ただやっぱりどうしても、インパクトがあるのかないのか、これいいの? 悪いの? って聞かれてしまうんですけれども、我々が自然の中に入ると必ずインパクトを残しますので、そのインパクトをみなさんの持っている経験値、みなさんの持っているアウトドア技術で、最小限にしましょうという考え方です。
経験が少ない人や、技術が少ない人って、当然高い人よりもインパクトを残すかもしれないんですけれども、その人が悪いっていうのではなくて、自分のできる範囲で一生懸命ミニマムにしましょうっていう考え方ですね」
●リーブ・ノー・トレースには7つの原則があるとオフィシャルサイトに載っていました。まずはどんな原則があるのか説明していただけますか?
「はい、まず7つの原則を紹介しますと、原則1は『事前の計画と準備』ということです。原則2というのが『影響の少ない場所での活動』、これはキャンプサイトとかトレイルの問題ですね。
原則3が『ゴミの適切な処理』、原則4が『見たものはそのままに』ということ、原則5が『最小限の焚き火の影響』、焚き火をやってはいけませんではなくて、最小限にしようってことなんですね。
原則6が『野生動物の尊重』、原則7が『ほかのビジターへの配慮』ということで、環境に関することなんですけれども、ほかのビジターさんへの配慮というのも7つのうちのひとつに含まれているというということですね」
(編集部注:アメリカ発祥の「リーブ・ノー・トレース」は国際的な団体で、支部はカナダやニュージーランドなどにもあって、世界90か国ほどで、アウトドアでの行動基準になっているそうです)

原則4『見たものはそのままに』
●特に詳しく教えていただきたいのが、原則4の『見たものはそのままに』なんですが・・・。
「先ほどの『撮っていいのは写真だけ』と非常に似ているんですね。どうでしょう・・・聴いているリスナーのみなさんも、自然が豊かな観光地に行って、何かお土産に、例えば貝殻を拾って帰るとか、せっかく登った山の頂上の石を持って帰るとか、時にはビーチの砂を持って帰るとか、そんなことをされたかたもおそらくいるんじゃないかなと思うんです。
たったひとりが、例えば貝殻や石を持って帰ることは、生態学であるとか、地形上にはほとんどインパクトはないんですけれども、それが有名な観光地ですと毎年何十万人っていうかたが来て、何年間も積み重なると、貝殻がひとつもなくなってしまったり、山頂の地形が変わってしまったりします。
南西諸島のほうのお土産で、星の形をしているような砂があるかと思うんですが、時にお土産さんで売ったりしてしますよね。ああいった砂ですら、なくなってしまうことが起こりうるんですよね。
たったひとりだから大丈夫だろう・・・確かにひとりだと大丈夫なんですけれども、それが何万人も何年も積み重なると大きなインパクトになってしまう・・・こういうのを英語で『アキュムレート・エフェクト』って言いまして、日本語だと『累積効果』と我々は訳しているんですが・・・ですので、たったひとりでも小さなものを持ち帰るのもやめましょうね、というようなことが原則4に含まれますね」
●花を摘むとかもそうですよね。
「そうですね。花はさすがに生きているものなので、例えば花の調査をするとか、観察とか、そういった目的があれば、リーブ・ノー・トレースは別にダメですよとは言ってないんですね。あとは非常に希少種であるとか、再生の難しい自然環境もあります。持ち帰ってしまうのは、できる限り最小限にしましょうっていうのが原則4ですね」
●持ち帰るのではなく、写真を撮ったり、スケッチしたりっていうことですね。
「そうですね。その通りです」
原則5『最小限の焚き火の影響』
※続いて、原則5の『最小限の焚き火の影響』について詳しくうかがいたいのですが、焚き火の大きさも必要最小限にしましょう、ということですか?
「もちろん必要以上に大きくすることはないと思います、薪も無駄に使うことになりますが、今とても心配しているのは焚き火台の問題です。
かつては直火と言って、地面の上で焚き火をして、それで何が悪いの? って言われていたんですけど、地表が黒焦げになることによって、次に来る人があまり見たくない光景になってしまったりとか、石でかまどを作って、その石が焦げてしまうと、ずっと黒い焦げは残りますよね」
●そうですね。
「それに比べると、焚き火台を使うとインパクトは、はるかに少なくなったんですけれども、焚き火台自体が金属ですので、焚き火台の上で焚き火をしたとはいえ、地表にはかなりの熱が伝わるんです。それによって結構、日本全国のキャンプ場の芝生が焦げてしまったりとか・・・。
そうすると、キャンプ場は芝生を一回はいで、つけ直さないといけないので、焚き火台を使ったから大丈夫ではなくて、焚き火台をどう使えばいいのかまで考えていただけると、よりいいのかなと考えます」
●リーブ・ノー・トレースの焚き火のテクニックは、焚き火の跡を残さないとホームページにも載っていましたね。
「そうですね。実際、登山に行く人やクライミングをやる人は、山の中に焚き火台を持って行くのはあまり現実的ではないんですよね。我々は荷物を最小限にして持って行きますので、大きな金属性のものを持って行くことは、基本的にはあまりしないです。
焚火台はオートキャンパーのかたたちの文化なんですね。登山をやるかたが、焚き火台がない時にどうしたらいいのかが、リーブ・ノー・トレースのテクニックですね」
●薪も落ちている枝を使いましょうということですよね。
「そうですね。おそらく多くのキャンパーのかたが、あえて枝を折って薪にすることは少ないと思うんですよね。生木と言って、折った枝ですと火が起こせませんので・・・」
●立っている木は生き物の生息地ですよね。
「落ちた枝、落枝(らくし)って言うんですけれども、落ちた枝も考えようによっては生き物の生息地でもありますね。それが土壌に返って、森がそこから生まれるわけですので・・・」
野外教育をするための大前提
岡村さんは、子供の頃から大学までサッカーに打ち込んでいたそうですが、群馬県で生まれ育ったことや、お父さんの影響もあって登山やキャンプなど、アウトドア活動にも熱中。中学生のときには、ひとりで谷川岳や尾瀬ヶ原に行くような少年だったそうですよ。
そして大学の卒論のゼミで、アウトドア活動が子供の教育や人づくりに効果があることを恩師から教わり、それからは、研究という視点でアウトドアをとらえてきたそうです。
岡村さんは「リーブ・ノー・トレース」という考え方に、いつ頃出会ったんですか?
「文献としてはリーブ・ノー・トレースって言葉は当時からありましたので、頭では理解していたんです。よくある自然保護のアイデアというか標語いうか、その程度にしか理解していなかったんですが、実際これぞリーブ・ノー・トレースと理解したのが2003年でした。
私は、2003年は大学で教鞭をとっておりまして、大学教員だったんです。当時勤めていた大学の、自分のゼミの学生とアメリカの大学の学生が合わせて10数人、インテグレーションコースって言うんですけど、統合コースをアメリカのグランドティットン国立公園で実施しました。
2週間ぐらいずっと山を歩く中で、10日間ぐらい連続で山の中にいるというコースに学生を連れて行ったんです。その時にアメリカの指導者から初めてリーブ・ノー・トレースという考え方と、それをどう人に伝えるかというテクニックを学んだのがきっかけですね」
●その時はどう感じましたか?
「単なる自然保護のテクニックなんですけれども、重要なのはそれをテクニックとして伝えるんじゃなくて、どう人に分かりやすく、しかも楽しく、腑に落ちるように伝えるかっていうティーチングのテクニックが目から鱗でしたね。
単にいいことを伝えるだけでも、なかなか人には伝わらないですし、やはりどう伝えるかが非常に重要だなと、改めて気づいたコースでしたね」
●「リーブ・ノー・トレース・ジャパン」では野外教育の指導者を育てる活動もされているんですよね?
「あっ、なるほどですね・・・リーブ・ノー・トレース=野外教育っていうわけではなくて、リーブ・ノー・トレースはあくまで野外教育をするための前提だと思います。
野外教育は当然インドアではなくて、アウトドアに人を連れて行きますので、アウトドアに人を連れて行った時、そこにインパクトを与えてしまったら、野外教育という手法が持続不可能になっちゃうんですよね。ですので、野外教育をするための、我々が理解しておかなければいけない大前提のひとつかなと思います」
「気付くこと」から始めよう
※「リーブ・ノー・トレース・ジャパン」にはアウェアネス、トレーナー、そしてマスターエデュケーターという3つのコースがありますが、どんな内容なんですか?
「リーブ・ノー・トレースを普及させるための教育体系ですね。アウェアネス・ワークショップは・・・アウェアネスって気付きですよね。ですからリーブ・ノー・トレースを初めて知るかたのためのワークショップ、参加体験型学習です。
どういうふうに展開されているかと言いますと、トレーナーもしくはエディケーターという資格を持っているかたが、例えば自分の自然学校に来た子供たちに教えたりとか、時にはアウトドアガイドをやられているかたが自分のガイディングの中で、ゲストに必要に応じて伝えたりであるとか・・・ワークショップはいろんな伝え方のパターンがありますね。
リーブ・ノー・トレースの団体メンバーさんが今どんどん日本全国に増えています。例えばホームページにリーブ・ノー・トレースのロゴが付いていたりとか、リーブ・ノー・トレースを導入しています、っていうキャンプ場やガイドさんにつくことによって、アウェアネスワークの一端に触れることができますので、それでいいなと思ったら、人に伝えたいなと思ったら、トレーナーコースを検討されるのがいいかなと思います」
●そうですね。いいですね。では最後に岡村さんが大自然から学んだことを教えてください。
「なかなか難しい質問なんですけれども、人ができることはそんなに大きくないので、自然には逆らわないと言いますか・・・いま一生懸命リーブ・ノー・トレースの普及にあたっているんです。我々が当然アクションプランを立てるんですが、その通りにはなかなかいかなかったり、こちらが期待していたものとは違う方向にいくようなことも、いくらでも普段の世の中というか社会の中で起こるので、そういう時に流れに逆らわないというか、何か問題が起こっても受け入れるというか、あまり抗(あらが)わないというのが、自然のスタイルなのかなと思います」
INFORMATION
お話に出てきた「7つの原則」については、ぜひオフィシャルサイトでご確認ください。
「リーブ・ノー・トレース・ジャパン」で行なっている教育体系はアウェアネス、トレーナー、そしてマスターエデュケーターと3段階に分かれていますが、まずは、どなたでも気軽に体験できるアウェアネス・ワークショップというプログラムに参加されるのがいいかもしれません。
「リーブ・ノー・トレース・ジャパン」では活動を支援してくださるサポーターやメンバーを募集しています。いずれも詳しくは、オフィシャルサイトをご覧ください。
◎「リーブ・ノー・トレース・ジャパン」HP:https://lntj.jp
2023/3/26 UP!
オープニング・テーマ曲「KEEPERS OF THE FLAME / CRAIG CHAQUICO」
M1. LEAVE NO TRACE / SKINNYFABS
M2. FOOTPRINTS / SIA
M3. AS IT IS / ELI LEV
M4. BONFIRE / PEDER ELIAS
M5. LATE FOR THE SKY / JACKSON BROWNE
M6. Quiet Light / ハナレグミ
M7. TEACH ME TONIGHT / JAMES TAYLOR
M8. NOTICE / THOMAS RHETT
エンディング・テーマ曲「THE WHALE / ELECTRIC LIGHT ORCHESTRA」
2023/3/19 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、「恐竜博2023」を監修された国立科学博物館の副館長「真鍋真(まなべ・まこと)」さんです。
真鍋さんは1959年、東京生まれ。横浜国立大学卒業後、アメリカや英国の名門大学に留学し、博士号を取得。現在は国立科学博物館・副館長と、群馬県立自然史博物館・特別館長を兼務。おもな研究テーマは、恐竜など中生代の化石から読み解く爬虫類、そして鳥類の進化となっています。
きょうは「恐竜博2023」の見所はもちろん、恐竜界の人気者ともいえる、ティラノサウルスの秘密や、真鍋さんたちが発掘し、大注目されている新種の恐竜についてもうかがいます。

ティラノサウルスも10代が成長期!?
現在、恐竜博士として大人気の真鍋さんですが、実は子供の頃から恐竜が好きだったわけではなく、大学生になったときに、地質調査をする学問を専攻すれば、世界中に旅行に行けると思い、古生物学や地質学を研究することにしたそうです。そしてその後、化石の発掘などにより、どんどん恐竜の研究にのめりこんでいったそうですよ。
そんな真鍋さんの新しい本が『きみも恐竜博士だ! 真鍋先生の恐竜教室』。この本はコロナ禍のなか、子供たちに向けて行なったオンライン授業がもとになっていますが、大人が読んでも面白い、恐竜の入門書的な本なんです。
では、この本をもとに、恐竜に関する素朴な疑問についてお聞きしていきたいと思います。

ティラノサウルスは、大きくて強いというイメージがありますが、体が大きいと維持していくのが大変で、それは寿命にも影響しますよね。ティラノサウルスの寿命は、どれくらいだったと推定できますか?
「ティラノサウルスは有名だし、恐竜の中でいちばん研究されているって言ってもいいんじゃないかなと思うんです。年齢に関しては、戸籍があるわけではないので、本当は年齢とか簡単には分からないんですけど、足の骨とか太い骨を切ってみると、例えば、大きな木の切り株を見た時に木の年輪、あれを数えると樹齢が何年って分かったりする、あれと似たような方法で、骨の断面を切ると木の幹みたいに見えて、そこに成長の跡が線として残っている場合があるんですね。
それを数えると、ティラノサウルスはだいたい寿命が28歳から30歳・・・20歳ぐらいでほぼ成長して、あとの8年から10年っていうのは、その年輪と年輪の幅がすごく狭いので、ほとんど成長しなかったようです。
だいたい20歳くらいで大人になったんじゃないかって言われていて、僕ら人でも12歳から14歳とかティーンエイジャーの頃って、グングン成長するじゃないですか。ティラノサウルスも成長期があって、年輪と年輪の幅が12歳から16歳ぐらいが広いんですよ。
人間と似てるって言うとちょっと語弊があるかもしれないですけど、10歳代にすごい成長期があったので、あんなに大きくなれて、そしてだいたい30歳ぐらいの寿命だったんじゃないですかって言われています」
(編集部注: ティラノサウルスの全長は13メートルくらいで、体重は7トンくらいだったと推定されているそうです。そんな大きな体を維持するために1日60キロから70キロの肉を食べていたのではないかということです)

爬虫類と恐竜、どこが違う!?
※続いても素朴な疑問です。爬虫類と恐竜の違いはどんなところなんでしょうか?
「爬虫類にはワニがいたりカメがいたりするんですけれども、みんな基本的に四足歩行なんですね。恐竜には二足歩行と四足歩行、両方いるんです。
で、爬虫類は地面を這って歩いていた生物だったんですけど、なぜか急に立ち上がって、足をガニ股じゃなくて、まっすぐ伸ばして歩くようになったんです。そうするとコンパスが長くなる、足の一歩一歩が長くなる、速く走れるようになりました。
恐竜も爬虫類のひとつなんですけれども、ほかのトカゲとかワニとかカメとかゆっくりしか歩けない、走れないのに対して、恐竜は速く走れるようになったので、すごく繁栄したって言われているんですね」
●そうなんですか。ところで恐竜は変温動物だったんですか?
「もともとは爬虫類なので、変温だったはずなんですけど、恐竜の子孫が実は鳥類なんです。だから今のニワトリとかハトとかカラスとかペンギンとか、みんな恐竜の子孫なんですね。
恐竜の進化の中で変温動物から恒温動物に、つまり体温が一定である・・・そうすると例えば、ほかの爬虫類が朝とか夜になると気温が下がっちゃって、体温も一緒に下がっちゃって、それであまり活発に動けなくなって、おとなしくしているイメージがあるじゃないですか。
それに対して恐竜は恒温動物になって、足のコンパスが長くなって、より活動的になっていって、それで朝でも晩でも活発に動けるようになったので、あれだけ繁栄したんじゃないかと言われています。
大きな分類では爬虫類なんですけど、恐竜の中から鳥類、鳥が進化してきたので、爬虫類と鳥類を結ぶミッシングリンクみたいな、そんな存在になっています」
新種の肉食恐竜を発見!
※真鍋さんたちの発掘隊が化石を発見した新種の恐竜がいるんですよね?
「アルゼンチンで発掘された『マイプ』という名前の肉食恐竜です」

●どんな特徴がある恐竜なんですか?
「ティラノサウルスは体が大きくて13メートルぐらいで、恐竜時代の最後の6600万年とか7000万年前ぐらいになってくると、北アメリカやアジアでは食物連鎖の頂点にティラノサウルスの仲間の肉食恐竜がいたんですね。そういう手の小さい恐竜が歩き回っていた情景がよく復元されるんです。
今回、南アメリカで調査して見つかったマイプっていう恐竜は、メガラプトルの仲間なんですけど、南半球の大きな肉食恐竜たちは手が短くなっていなかったんですよ。
“メガ”が大きい、“ラプトル”って略奪者とか泥棒って意味なんですけど、手のところに大きな鉤爪(かぎづめ)が付いているグループなんですね。だから北半球ではティラノサウルスみたいに、手が短くなって小さくなるような進化があったのに対して、南半球では手は小さくならなくて、大きな鉤爪を付けているような、そんな恐竜が繁栄していたみたいだってことが分かってきたんですよね」
●へ〜〜! 場所によって違うんですね。ところで、発掘した時はどんなお気持ちでしたか?
「発掘している段階って、地層の中に骨とか歯が埋まっている状態じゃないですか。それを研究室まで持って帰って、クリーニングって言うんですけど、砂とか泥、岩石を削っていって、それで骨とか歯を綺麗に取り出して、こんな形しているんだね、こんな大きさしているんだね、こんな特徴があるんだねってことに気が付いていくんですね。
発掘している時には肉食恐竜の化石が見つかったと、みんな喜んでいたんですけど、それが新種かどうかは実際に研究していって、この特徴はメガラプトル類の、手が小さくなっていない大きな肉食恐竜だろうなっていうのは分かっていたんです。
メガラプトルってほかにいたりするので、そのメガラプトルとどこが違うんだろうみたいなことを研究室で比べながら、これはすごく重要な違いだから、新種って言えるんじゃないかなっていうことで、こういう特徴に基づいて、私たちは新種だと思いますって論文を発表したんですね」
(編集部注: 新種として発表した肉食恐竜「マイプ」は全長が9メートルくらいだと推定しているそうです。ちなみに正式な名前は「マイプ・マクロソラックス」。「マイプ」とはパタゴニア地方の伝説に出てくる「風の死神」という意味。そして「マクロ」は「大きな」、「ソラックス」は「胴体」だそうですよ)
自然が化石を発掘!?
※マイプを発掘したパタゴニアもそうだと思うんですが、化石のありそうな場所は、環境的には厳しいところですよね?
「そうですね。いろんな場所があるんですけど、みなさんの恐竜化石の発掘現場のイメージだと、モンゴルのゴビ砂漠だったり、アメリカの西部だったり、今回のアルゼンチン・パタゴニア地方も山の上なんですけど、もうほとんど木がない草がないような荒涼とした場所なんですね。
そういう場所がなぜいいかって言うと、日本の山みたいなところに行くと、木があって草があったりするじゃないですか。そうすると毎年、雨が降ったり、雪が降ったり、風が吹いたりするんだけど、そういう植物が地層、地面を守ってくれているんですよね。
だけど、植物がないと風が吹いたり、雨が降ったり、雪が降ったりすると、地層の表面がどんどん削れていくんですね。そうすると自然が発掘してくれているようなものなんですよ。
定期的に通っている発掘現場に行くと、例えば昨年の夏、発掘をやめて帰ってくるじゃないですか。で、同じ場所に今年行ったとします。そうすると、その1年の間に雨とか風とか、雪と氷が表面をちょっとずつ削ってくれるので、同じ場所に行っても新しい化石が顔を出しているのが分かるんですよ。そうやって自然も化石の発掘を手伝ってくれるので、ああいう荒涼とした場所が見つかりやすい、見つけやすいってことだと思うんですね」
未来の恐竜博士に
※恐竜博士になりたいと思っている子供たちや学生さんに向けて、伝えたいことがあれば、ぜひお願いします。
「いろいろ知りたいこととか、分かりたいことが山ほどあって、それで研究者になって、自分で解明したいな、解き明かしたいなっていうことだと思うんですよね。自分が好きなことを、知りたいことを、面白いと思うことがあるのは、すごくいいことなんです。
自分が謎に思っていることを、図鑑で調べたり、本を読んだり、研究者に聞いても分かんないことは、たくさんあったりすると思うんですけど、答えが分かりにくかったり、自分の求めている答えと違うなっていうことだったら、きっとそれは大人も世の中の研究者も、今は分かっていないことなのかもしれないんですよね。
その時にそれにがっかりせずに、自分がそれを解決してやろうみたいに、頑張らなくてもいいんですけれども、きっとまだまだたくさん分からないことがあって、これからどんどん世界中で研究が進んでいく・・・恐竜の研究をやっていると、やっぱり恐竜に国境がなかったように、学問の世界にも国境がないので、世界中の人たちと一緒にやっていって、ライバルがいたり、気の合わない人も山ほどいるんですけれども、気の合う人もたくさんいます。
そういう人たちと一緒に発掘をしたり研究したりして、恐竜の謎をひとつでも多く解き明かしていくことができるので、知りたいことがあったら、どんどん調べて、いろんな人と話をして、さらに勉強していくみたいなことって、きっとずっとワクワクすることにつながって、自分の世界も広がっていくので、ぜひ続けてほしいなと思いますね。
それから化石だけじゃなく、今生きている動物植物・・・だから動物園とか水族館とか植物園とか、博物館のあとにはそんなところにも足を伸ばして、自分の見方、それから関心のある世界を広げていってくれると、きっと恐竜のことが益々面白くなるんじゃないかなと思います」
(編集部注: 世界では新しい恐竜の発見、発表が相次いでいるそうですよ)
「恐竜博2023」の見所!
※現在、上野の国立科学博物館で「恐竜博2023」が開催されています。監修された真鍋さんに見所を教えていただきました。
「国立科学博物館では恐竜博とかそういう形で、何年かに一回、大きな展覧会をやっているんですけど、今回は2019年以来4年ぶりの展覧会です。
ポスターとかチラシとかインターネットでは、トゲトゲっていう、鎧竜(よろいりゅう)アンキロサウルスとか、体を鎧で守ったそういう恐竜のグループがいるんです。草食恐竜ですけどね。その子たちのすごくいい化石が見つかって、それがアメリカで見つかった『ズール』っていう名前の鎧竜なんですけど、その全身の実物骨格が来ています。

ゴルゴサウルス(右)の全身復元骨格
それから、みんなが大好きなティラノサウルス・レックスの実物化石が来日していたり、先ほどちょっとご紹介した、私たちが2020年3月にアルゼンチンで発掘してきた『マイプ』っていう新種の肉食恐竜の化石、これは実物の化石を特別にアルゼンチンから持ってきて展示しているんですけど、まだ組み立てていないんですね。だから恐竜の姿にはなってないんですけれども、その実物化石も展示されます。実はマイプはアルゼンチンでも公開されていないので、世界初公開なんです。ぜひ会いに来ていただきたいと思っています」
INFORMATION
この本には、真鍋さんたちが発見した新種の肉食恐竜「マイプ」のイラストや発掘現場の写真もあって、興味深いです。恐竜に関する専門的なことがわかりやすく載っているので大人が読んでも面白いですよ。恐竜研究の入門書的な一冊、ぜひ読んでください。
岩波書店から絶賛発売中です。詳しくは出版社のオフィシャルサイトをご覧ください。
◎岩波書店HP:https://www.iwanami.co.jp/book/b616719.html
現在、上野の国立科学博物館で開催されている「恐竜博2023」は6月18日まで。ぜひお出かけください。詳しくはオフィシャルサイトを見てくださいね。
◎「恐竜博2023」HP:https://dino2023.exhibit.jp
2023/3/19 UP!
オープニング・テーマ曲「KEEPERS OF THE FLAME / CRAIG CHAQUICO」
M1. WALK THE DINOSAUR / WAS(NOT WAS)
M2. AGE / BLAKEY
M3. ALL TOO WELL / TAYLOR SWIFT
M4. WEATHER / NEVO AMOR
M5. Birthday / Mr.Children
M6. BROADEN YOUR HORIZONS / HANNA OGREN
M7. COME SEE ABOUT ME / NICKI MINAJ
エンディング・テーマ曲「THE WHALE / ELECTRIC LIGHT ORCHESTRA」
2023/3/12 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、バックパッカーそして紀行家の「シェルパ斉藤」さんです。
斉藤さんは、アウトドア雑誌「BE-PAL」でお馴染みの人気ライターであり、人力移動の旅の本を数多く出版されている作家でもいらっしゃいます。
この番組とは30年来のお付き合いで、事あるごとにご出演いただいています。そして、きょうの放送が1600回目ということで、何かのご縁を感じます。
そんな斉藤さんが先頃『あのとき僕は〜シェルパ斉藤の青春記』という本を出されました。今回は「旅と音楽、そして原点」というテーマのもと、斉藤さんの甘酸っぱくも切ない青春時代の思い出に迫ります。
☆写真協力:シェルパ斉藤

原点は山村の通学路
●今週のゲストはバックパッカー、そして紀行家のシェルパ斉藤さんです。以前はオンラインでのご出演でしたので、やっとリアルにお会いできました。よろしくお願いします!
「よろしくお願いします! こんな顔をしています。やっぱり嬉しいですね、会えると・・・」
●そうですね〜、嬉しいです! 今回は先頃出された本『あのとき僕は〜シェルパ斉藤の青春記』をもとにいろいろお話をおうかがいしていきますが、番組のほうで勝手にテーマを決めさせていただきました。
そのテーマとは「旅と音楽、そして原点」ということで、旅は広く解釈して人生という意味もありますし、斉藤さんの場合は節目節目で、音楽もすごく重要な要素になっていますよね。
「なんか結果的ね。なんとなく音楽があると、あの時はああだったなっていうのをたまに思い出しますね。たまたまラジオで(懐かしい曲が)かかると、ああっそうだったっていう・・・そういうのを(本の)ところどころに書いていますからね」
●そうですね。
そして原点は、そのものずばり斉藤さんを物語るいろいろな原点に迫っていきたいと思っております。まずは斉藤さんの原点、生まれ故郷についてなんですけれども、故郷は長野県松本市ですよね?
「松本と言っても、生まれたところはすごく山奥なんですよ。名前はあえてこの本にも書いていないんですけど、今は合併して松本市になっているんです。
すごく山奥の村で、中学になる時に松本市内に引っ越すんですが、その時やっぱり初めは、ああ清々したみたいな感じにちょっと思ったりとかして(笑)・・・松本で暮らしているとだんだん・・・今はすごくいい町だなと当然思っていますしね。それは自分が山に登ったり、旅する中でよく出来た文化もあるし、いい町だなと思うんですけど、盆地なんですよ、松本って。
要するに周りを全部、北アルプスとかに囲まれていて、それもなんかだんだん、ここで終わりたくないっていう・・・こんなとこって言ったらひどいけど(笑)、当時はまだ高校生で、ここで終わったら本当に井の中の蛙みたいな感じで、やっぱりちゃんと広い大海を知らなければと・・・ですから、東京志向がすごく強かったですね」
●そうだったんですね〜。
「でも思えば、そこから東京に出てきて、日本は狭いなって思って、結局そこからまた世界に飛び出しちゃったわけだから、そう考えると原点って意味では、山村の狭いところに生まれ育ったから、今こうやって、いろんなところに行くようになったっていうのはあるかもしれないですね」
●本にも、山村の通学路が僕の原点とも書かれていましたけれども・・・。
「歩く旅はそうかもしれないですね」
●歩くノウハウを自然に得ていたという記述もありましたね。
「まあでも子供って誰でも歩けばそうなるでしょっていう・・・(笑)。今バックパッカーとしていろんな所を旅して、たまにトークショーとか講座とかやってほしいと言われて、山の歩き方を教えてほしいって真面目な方から聞かれても、普通のちゃんと歩ける方だったら、山も歩けるでしょ、としか言いようがないですよね。
要するにそれは子供の頃に通っていた通学路が、今のように集団登校とかも何もなくて、安全な道は一応あったんですけど、子供たちは出来るだけ近道にしたいっていうことで、本当に山道があったんです。そこを一気に行けば、早く学校に着くし、やっぱり楽しかったんですよね。みんなバラバラ歩いて・・・そうしたら歩き方なんて絶対身につくし・・・で、冬になると当然凍っちゃうし 、雪になっちゃうし、そういうところの歩き方が本当に原点になるのかな・・・そんなのが(笑)」

愛聴盤は、吉田拓郎 『元気です。』
●山村で暮らしていた小学生時代に、初めて買ったレコードが吉田拓郎の『元気です。』と本に書いてありましたね。
「ちょうど拓郎さんが出始めた頃で、デビューしてだんだん『結婚しようよ』って曲が大ヒットして、やっぱり憧れはありますね、多分」
●でも小学生で、吉田拓郎のレコードって結構ませていませんか? 大人びてるイメージがあります。
「それはね、うちの兄貴のせいです! ふたつ上の兄貴がいるんですけど、兄貴がやっぱり拓郎とか好きで、当時ね。田舎の山の中ですけど、東京のラジオ局も夜になると(電波が)入るんですよ。で、当時、吉田拓郎はずっと深夜のラジオ番組をやっていて、それをうちの兄貴は夢中になって聴いていたんですよ。
それでお小遣いとかお年玉とか貯まってきて、自分もレコードが欲しいなって思った時に、兄貴が”松本に行くから、政喜(まさき:斉藤さんの本名)、お前にもレコードを買ってやるぞ。俺が買ってきてあげるから、拓郎にしろ”って言われて(笑)。向こうがこれにしろ、みたいな感じではありましたけど、ただ憧れありましたよね、拓郎かっこいいなって・・・。
かっこいいなっていうのは、テレビに出ないっていうのがね。テレビに出なくてラジオだけでっていうのがかっこいいって思ったんですよね。それで最初に買ったのが、というか買ってきてもらったんですけどね・・・一応、僕のお小遣いで買ったのが小学5年生の時の、吉田拓郎の『元気です。』っていうアルバムです」
●特に好きな曲とか、よく聴いていた曲はありますか?
「好きもあるんですけど、よく聴いていたのは絶対に1曲目ですね。CDじゃないからレコードですからね。普通、アルバムのレコードをかけると言ったら、まず1曲目の同じところに針を落とす・・・(笑)、だからアルバム1曲目がいちばん聴いていたはずですね。
要するに途中に針を落とすってなかなか難しいから、だから最初にかけるのはもう1曲目の『春だったね』って曲がいちばん印象に残っていますね。中学くらいまでいちばん聴いた曲は何かって言われたら、『春だったね』だと思いますね」
初めての野宿は、彼女とのデートだった!?
●原点で言うと、キャンプの原点は高校3年生の時の野宿だったことが新しい本『あのとき僕は〜シェルパ斉藤の青春記』で判明しました。地元の川のほとりで野宿されたようですけれども、これはどうして、そうなったのか説明していただけますか?
「なんか取調室みたいな感じになっていますけど・・・(笑)、好きな子がいたんですよ」
●はい、ナツコさんっていう方ですよね。
「仮にナツコですよ(笑)、ナツコって本には出てきますけど。好きな子がいて、高3になった時に初めて告白したんですね。その子は、実は中学から一緒だったんですよ。なので今さらそんなこと、みたいな雰囲気になったんですけど、友達からみたいな感じで、はっきりしないまま、会って放課後、一緒に帰るようになったりしたんですね。
当時の共通一次試験、今はセンター試験と名前は変わりましたけど、僕は共通一次の1期生なんですよ。僕が高3の時にその制度になって、それまでずーっと高校の文化祭は秋に開かれていたのが、夏休みってすごく重要だから、進学のために受験勉強をしなきゃいけないから、(文化祭の開催が)7月に前倒ししたんです。7月に文化祭をやると・・・。
で、僕は生徒会に絡んでいて、文化祭を盛り上げるためにいろいろやろうってなって、文化祭のテーマが「破天荒」だったんです。今までやったことがないことをやるとかっていうので、一生懸命、燃えていたもんですから、自分も何かやろうと考えて思いついたのが、河原で野宿する、で、朝を迎える・・・。
で、なぜその河原を選んだかって言うと、仮のナツコっていう女性の家の近くに川が流れていたんですよ。で、夜にデートしたいと思って、河原で(笑)、それで当時は携帯電話も何もないから、文化祭中に彼女に今夜、女鳥羽川(めとばがわ)、松本に行くといちばんの繁華街を流れている川です。
松本城とか近くにあったりする、本当に繁華街を流れている、ちっちゃな川で、そこにベンチがあったりするんです。僕はそのベンチに朝までいるから、夜会おうって約束をして、それで一応野宿するとか言いつつ、ずっとベンチでいたんですよね」
●ずっとナツコさんを待っていたわけですね。
「携帯電話とかないから本人からも連絡が来なくて・・・で、(夜中の)12時をまわっても来なかったから・・・」
●ずっとベンチで待っていたんですね。
「まあ寝床ですからね(笑)。それで全然来ないからダメかなと思ったら、12時もまわって1時に近かったかな・・・息を切らせて彼女が来て・・・言うには両親が寝静まってからバレないようにこっそり(家を)出てきて・・・息切らしているのもやっぱり怖かったからって一生懸命駆けてくるんですよ・・・なんか自分で喋っていて小っ恥ずかしいね(笑)」
●いや〜キュンとしますね!
「で、ずっとふたりでベンチに座って流れる川を眺めつつ・・・本当にバンカラですから、松田聖子の『赤いスイートピー』じゃないけど、半年経っても手も握らないようなバンカラな子だったから僕はずっと・・・でもやっぱり愛おしくて・・・。
結局彼女は(午前)2時か3時くらいに帰っていって・・・(家まで)送ろうかって言ったけど、大丈夫、帰れるからって・・・。で、そのまま僕はベンチで朝を迎えるんですけど、もうドキドキだし、興奮しちゃって、寝れなくて寝れなくて・・・。気がついたら朝になっていて、結局一睡もしてない野宿・・・それがかれこれ、あちこち旅をしてテントを張ったり、多分1000回以上テントに泊まっているはずだし、野宿もしているはずですけど、第一回っていうのはそれですね」
(編集部中:実はナツコさんとの微妙な関係は大人になっても続いていたそうなんですが、その恋模様についてはぜひ本を読んで確かめてください。益々、胸がキュンとしますよ)

人生の転機となった一通の手紙
※斉藤さんがアウトドア雑誌「BE-PAL」のライターになるきっかけは実は、編集部に宛てた一通の手紙にあったんです。
詳しくは本に載っているので、ここではかいつまみますが、大学生の時に、ひょうなことからゴムボートで中国の大河「揚子江(ようすこう)」を旅することになった斉藤さんは、愛読していた「BE-PAL」に記事を書かせてほしいと、思いの丈を綴った手紙を出したんです。するとなんと! 当時の編集長から数日後、直筆の手紙が、それも速達で届き、直接会って話がしたいと書かれていたそうです。
斉藤さんの手紙には、プロの編集者を魅了する力があったということなんですね。それがきっかけとなり、斉藤さんは編集部に出入りするようになったんですが・・・。
●「BE-PAL」で最初に書いた連載の記事はどんな記事だったんですか? 揚子江の記事は書いたんですか?
「揚子江(の記事)は普通に(本名の)斉藤政喜という名前で書かせてもらって、食べるためってのもあるんですけど、要するに『BE-PAL』の記事を作りたかったんですね。ライターとして今回はこんな特集をやるからっていうので・・・だけど、やったことがないし、しかも文章の勉強なんかまったくしてないし、だから最初はアシスタントですよね。いろいろなものを集めたりとか、ファッションの撮影があったらついて行って、カメラマンが(カメラを)構える横で、レフ板を一生懸命(被写体に)あてたりとかいろいろしながら・・・。
で、わかったんですけど、要は給料はもらえないんだってことに気づいて・・・なってから気づくお前もお前だって言われたんですけど、やった結果でしかギャラって払われないんですよ。フリーってみんなそうですけど・・・だからページを何ページやったらページあたりいくらってギャラが払われるから、自分で仕事を取らなければ、何も収入がないという状況でして、ある意味、本当に平等なんですよね。
そこには学歴も関係ないし、年齢も関係ないし、みんな一律なんですよ。(仕事を)やったらやった分だけ、そのギャラが出ると・・・それで仕事をだんだん覚えてきて・・・今思えば本当に恵まれていたのは、編集長自らが、お前この世界に来いって言ったもんだから、とにかく毎日来いって言われたんですよ。
編集部にも毎日行くと一緒に食事とかご馳走になって、夜は酒を飲みながら食事して・・・で、その時にいろんな話を聞いたりとか、それが刺激になるし、そういうことしているうちに、だんだんと文章も少しずつ書けるようになって・・・だから最初はライターをやっていましたね、ずっと。
だけどある時にやっぱりフリーのライター・・・まあなんでもかんでもフリーランスはそうですけど、仕事が来ると嬉しいから、いろいろ引き受けちゃうと結局休みもないし、俺、旅に行きたくって、自由になれると思って、フリーになったのにぜんぜんフリーな状態じゃないじゃんって思ったんですよね。
それで一回仕事を引き受けないで、生意気なんですけど(笑)、海外に行ったんですよ。当時マウンテンバイクが流行り始めたから、それでとことん(旅をしようかと)パキスタンと中国の国境にクンジュラブ峠って峠があって、それが(標高)4〜5000メートルなんですけど、そこまで行こうと思って行ったんですね。
ずっと旅をして何ヶ月も旅をして、旅の最後はどうしようかなって考えた時に、道の終わりまで行ってみたい、道の終わりってどこよっていったら、この先はもう行けないよっていうのを考えた場合に世界最高峰のエベレスト、そこにベースキャンプがあるんですね。(標高が)5500メートルくらいですけどね。その先はもう登山の領域だし、当然登山料とか必要になってくるけど、そこまではトレッキングの領域なんですよ。じゃあそこまで自転車で行こうと思って、自転車をずっと押していったりとかしていたんですよね。
そういった旅を終えて帰ってきたら、ちょうど『BE-PAL』が100号記念かなんかで、東京から大阪まで東海自然歩道っていう道があるから、そこを歩かないか? 歩いて連載しないか? って言われたんですよ。
それで、斉藤政喜って名前じゃつまんないから、お前はネパール帰りだし、シェルパ族のシェルパでいいだろう、”シェルパ斉藤”にしろって言われたんですよね。シェルパって、クーンブ地方って言うんですけど、あの辺に住んでいる山岳民族で高地に強いから登山のガイド的な代名詞になっていますよね。考えたら読者を歩く旅に導くって意味ではシェルパでもいいかなと思って、それを受け入れて、かれこれデビューして33年から34年になるのか・・・ずっと(『BE-PAL』)で書いていますけどね」
●シェルパ斉藤としての原点はそこだったわけですね〜。
「そこですね」

これからが僕の本番!?
※現在も野営の道具を持って歩く旅を続けている斉藤さんは今、旅に対してこんな思いを持っています。
「旅はまだまだこれからだなと、僕は実は思っていて・・・」
●まだまだこれから!?
「まだまだこれからっていうか、実は2年前にコロナの影響もあったんですけど、その時に僕60歳、還暦を迎えたんですよね。その時にふと思ったのは、今まで40年間くらい旅をずっとしてきたんだけど、これってこれから旅をするための養成期間だったんだなと思ったんですよ。いろんな旅をしてきたけど、60歳を過ぎて、旅をするための養成学校だったんだって思えると、これからが僕の本番だぞって思えたんですよ。
本当に長い40年もかかる学校をようやく卒業したんだ! いろんなことをやってきたけど、あれはみんな学ぶためにやってきたんだ! だからこれからはそれを実践していく場なんだって思ったら、なんかすごく未来が開けた気がして、あっ!これからが本番じゃないかって」
●その本番はどんな展開になりそうですか?
「今までいろいろやってきたことの繰り返しも当然あるでしょうし、それからこの年になるとまた発想が変わってくるので、正直言ってしまうと当然、体力も落ちているからだけど、それはよりゆっくりといろいろなものを見るために、お前の体力を落としているんだぞって考えたら、いろんなものが見えてくるんじゃないかなと思いますしね。だから来年どんなことに興味を持つかわからないけど、興味を持つものをやってこうかと・・・」

●この本を読んで、本当に人生には無限の可能性があるっていうのをすごく感じることができました。
「あっ! それは僕もちょっとそういうのは頭に置いて書きました。 この本を読んでいる同世代の方も、当然読めば、あ〜懐かしいねって思いもあるんだけど・・・僕、実は18歳の時に家業が潰れちゃって、自立して自活して、もう自分で生きていくしかないっていう道で、ある意味道を切り開いてきて、自分でお金を稼いで大学に行ったりとかしたんですけど、ただ何をすべきかずっと見えなくて・・・さっき話したけど、たまたま一通の手紙によって切り開けたんですよね。
それは若者にやっぱり伝えたいな、何があるかわかんないから、本当に可能性っていくらでもあるんだよ! ってことを、勇気を与えたいな、偉そうに言うと・・・。だから、今の歳になって昔の話を書けたので、それは若者に対するメッセージとして受け取ってもらえればなと思っていますけどね」
●では最後に音楽好きの斉藤さんが、あの時の僕に捧げる曲を1曲あげるとしたら、どんな曲でしょうか?
「昔聴いていたんですけど、20歳の時に結構音楽を聴いていて、東京に出てきて、よくレコードを買っていたんですよ。レコードも輸入盤のレコードばっかりをずっと買っていたんですけど、やっぱり自分を鼓舞する曲(を聴いていましたね)。
もうほんとうに辛いし、ひとり暮らしだし、仕送りもないしって時に、自分を鼓舞する曲をよく聴いていて、特に印象に残っているのが、ボブ・シーガー・アンド・ザ・シルヴァーバレッドバンドの『アゲインスト・ザ・ウインド』っていう曲があって・・・その曲がすごく好きで・・・。
その『アゲインスト・ザ・ウインド』の後半のところに、『アイム・オールド・ナウ・バット・スティル・ランニング・アゲインスト・ザ・ウインド』「俺はもう若くないけど、それでも俺は風に向かって走っているんだ」っていう歌詞があって、当時もそれ聴いていて、わっ! と思ったんだけど、今この歳になって聴くと、本当にそれをもう一回言いたくなるな。
だからあの時の僕に言いたいとしたら、本当にもう今「アイム・オールド・ナウ・バット・スティル・ランニング」、正しく言うなら「バット・スティル・ウォーキング」ですかね。「ウォーキング・アゲインスト・ザ・ウインド」、風に向かって僕はずっとまだ歩いているぞ! っていうのはやっぱり言いたいですね!」

INFORMATION
この本には、斉藤さんの少年時代からフリーのライターになるまでの出来事が綴られています。見開き2ページでひとつの話題が完結しますし、なにより斉藤さんの文章は親しみやすので、すいすい読めますよ。ドラマチックな青春映画のような本、ぜひ読んでください。しなのき書房から絶賛発売中です。詳しくは出版社のオフィシャルサイトをご覧ください。
◎しなのき書房HP:http://shinanoki.net/?pid=172662166
斉藤さんのオフィシャルサイトもぜひ見てください。
◎シェルパ斉藤さんオフィシャルサイト:https://team-sherpa.wixsite.com/sherpa
2023/3/12 UP!
オープニング・テーマ曲「KEEPERS OF THE FLAME / CRAIG CHAQUICO」
M1. BORN TO RUN / BRUCE SPRINGSTEEN
M2. WALKING MAN / JAMES TAYLOR
M3. 春だったね / 吉田拓郎
M4. ずっと好きだった / 斉藤和義
M5. ONE MORE CUP OF COFFEE / BOB DYLAN
M6. WALK ON / U2
M7. AGAINST THE WIND / BOB SEGER & THE SILVER BULLET BAND
エンディング・テーマ曲「THE WHALE / ELECTRIC LIGHT ORCHESTRA」









