2024/11/3 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、秩父でメープルシロップを製造・販売する「TAP & SAP(タップ・アンド・サップ)」という会社の代表「井原愛子(いはら・あいこ)」さんです。
井原さんは地元秩父の豊かな自然に魅せられ、会社を起こし、現在はメープルシロップ作りのほか、いろいろなプロジェクトに取り組んでいらっしゃいます。
きょうはそんな井原さんに秩父のカエデの森や、秩父産メープルシロップの特徴のほか、森づくりやエコツアーのお話などうかがいます。

メープル農家さんを訪ね、本場カナダへ!
※秩父には、もともと20種ほどのカエデが自生していて、地域活性化の事業として、その樹液を採取し、商品を作る取り組みが20年ほど前から行なわれていたそうです。
●井原さんは、秩父のご出身だそうですが、どんな経緯でメープルシロップを作って、販売することになったのでしょうか。
「私が社会人になって、一度、地元を出て横浜で働いていたんですね。そんな時、地元で自生しているカエデの樹液を採取して、メープルシロップとかに商品化しているっていう動きがあるのを知って、その活動に関わっているNPO団体の活動に参加したんです。
ただの面白い取り組みをしているっていうことだけではなくて、将来の森づくりをしているっていうところに感銘を受けて、私も森づくりをすることで地域を活性化していったりとか、森の恵みをみなさんに届けることで、こういう活動を多くのかたに知っていただきたいと思って、思い切って会社を辞めて(秩父に)Uターンしました」

●メープルシロップを作りたい! って思ったとしても、秩父産メープルシロップの製造・販売の拠点作りには資金とかノウハウが必要ですよね?
「そうですね。実は私、最初(秩父産の)メープルをより多くの人に知ってもらいたいって思ったんですが、自分が(メープルシロップを)作るっていうふうには、実は思ってなかったんです。メープルシロップは知ってはいたけど、そこまでメープルシロップが好きというわけではなかったんです。
正直、秩父のみなさんと一緒に活動していくには、やっぱり本場を知らなければと思ったので、まだその時は会社に所属していたんですが、有給を使ってカナダに渡って、現地のメープル農家さんを訪ねる旅をしたりしたんですね。
そこで出会ったのが、今は(秩父に)『MAPLE BASE』がありますけれど、“シュガーハウス”という、カナダのカエデの森の中に小屋がありまして、そこに集めてきた樹液を持ってきて、煮詰めてメープルシロップを作る場所、小屋になりますね」
●本場カナダでは、どんなことを勉強されて、どんなこと体験されたんですか?
「カナダは(メープルシロップの)一大産地ですので、秩父とは本当に次元が違う形になっています。森の中にはパイプラインが張りめぐらされていまして、ポンプで全部集約して小屋まで(樹液を)持って来るっていう(仕組みです)。(煮詰めるのに)ちょっと旧式なんですが、薪を(専用の機械に)くべて湯気が立ち昇る様子が真冬の極寒のカナダで風物詩になっています。
たとえば(メープルシロップ作りの)様子を、スクールバスが乗り付けて、子供たちに見学してもらえるようになっていたりとか、あとはお気に入りのメープル農家さんに、できたてのメープルシロップを買いに行くのが習慣であったりとか、メープル・フェスティバルが各地で開催されていたりとか、地域に根づいている様子でありました。
そういうことを見て、秩父もせっかくメープルを作っているのだから、ただ商品を売ることだけではなくて、そこに来れば、メープルのことを知ったり食べたりしてもらえる、そういう場所作りが必要なんじゃないかなと思うようになりました」
(編集部注:井原さんが参加したのは、NPO法人「秩父百年の森」が主催するエコツアーで、その時、自然の豊かさに驚き、もっと森の恵を届けたいと思い、会社を辞めて地元に戻った井原さんなんですが、周りの人たちは、無謀ともいえる決断にびっくり! NPOの活動では食べてはいけないよと心配されたそうです。

それでも井原さんの本気と熱い思いに応えようと、地元の組合などが協力、地域活性化の事業のひとつとして進み始めます。そして、秩父ミューズパークにあった空き家のログハウスを改装し、2016年に日本初のシュガーハウス「MAPLE BASE」をオープン。本場カナダから輸入した、樹液を煮詰める機械を使って、秩父産のメープルシロップを製造するなど、「MAPLE BASE」を拠点に秩父の森の豊かさを発信されています)
50分の1? 66〜67度?
●井原さんの会社「TAP & SAP」で販売されているメープルシロップと樹液、私も取り寄せて試食、試飲させていただいたんですけれども、樹液はほのかな甘さで、水のようなとっても爽やかな感じがしました。一方、メープルシロップは濃厚でコクのある甘さがあって、鼻に抜ける香りもすごく甘くて美味しかったです!
「はい、ありがとうございます!」

●改めて、カエデから採取した樹液がメープルシロップになるまでの工程を教えていただけますか?
「みなさん、樹液という名前を聞くと、どうしてもクヌギとか、カブトムシが食べるようなペトペトしたような甘いものを想像するかと思うんですね。カエデの樹液は、春先の大体2月が最盛期になるんですが、カエデの木が芽吹くための準備として、根から地中の水分をどんどん吸い上げて、枝葉のほうに行き渡らせようとする栄養の水になります。
もともとは水分なので、そこに甘みはないんですけれども、やはり極寒の冬の秩父は、マイナス十数度っていうのはざらにあります。通常それぐらい木の中に水分があると凍ってしまいますよね。 ただの水だと結構、膨張してしまうかと思うんですが、樹液の成分のデンプン質を糖に変えて甘くすることで、よくシャーベットとかだと膨張はせずに、ちょっとシャリシャリしたシャーベット状になるかと思います。
カエデの木の内部は、ちょっとシャーベット状のようになって、その時期にカエデの木に少し穴を開けるとポタポタその樹液が滴り落ちてきます。春に向けてどんどん気温が上がっていく中で、内部のシャーベット状のものが溶け出して樹液として外に出てくる、私たちはその一部をいただいています」

●樹液の段階では、ほんのり甘いぐらいですけれども、それがメープルシロップになるとすごく濃厚な甘さになるっていう、それもすごく不思議だったんですが・・・。
「そうですね。カエデの樹液自体は糖度が大体1.5度から2度ぐらいという、本当に薄っすら甘いぐらいなんですけれども、それを煮詰めていくことで、大体(糖度が)66度から67度になります」
●何時間ぐらい煮詰めるんですか?
「そうですね・・・半日ぐらいはかけて煮詰めていくんですね。メープルシロップを作るまでに工程的には3日間とか、準備まで含めると4日間とか、本当に時間をかけて作っていて、大変手間のかかるものとなっています」
●たとえば、瓶1本のメープルシロップ作るには、どれぐらいの量の樹液が必要になってくるんですか?
「その時の樹液の糖度次第で高ければ少なくて済みますし、糖度が低いとたくさん必要になってくるんですね。今私たちが販売しているメープルシロップが60グラムなので、大体50分の1ぐらいまで煮詰めて作っています。樹液としては3キロぐらいですかね。なので、たくさん樹液が採れて、たくさん作れるぞと思っても、50分の1ぐらいの量になってしまうので、本当に少なくなってしまいます」
まるで黒糖!? 和の味?
※秩父産メープルシロップはカナダ産と比べて、どんな特徴がありますか?
「カナダのメープルの木は、シュガーメープル『サトウカエデ』というんですけれども、私たちは『イタヤカエデ』っていう日本の固有のカエデであったり、モミジと呼ばれるものなど、様々な木を使っています。
味わいの特徴としては、ちょっと黒糖のようなコクのある、和な味がするってよく言われます。そして秩父の土地柄もあるとは思うんですが、カリウムやカルシウムなどのミネラル成分が、カナダのものと比べても多いっていうことがわかっています」

●樹齢何年ぐらいのカエデから樹液を採取するんですか?
「私たちは木の直径が20センチ以上25センチとか、ある程度大きく成長した木からしか採らないというルールを設けています。あまり小さい木からは採らないので、樹齢としては50年〜100年以上というか、本当に立派な木からも採っています」
●そういう木から、どうやって樹液を採取するんですか?
「木に少しだけ穴を開けて、そこに管を通してポリタンクに貯めて、それでポリタンクを順次回収していくっていう形ですね」
●樹液を集めて運ぶだけでも重労働ですよね?
「そうですね。今私たちが(樹液を)採っているカエデは自生しているカエデなんです。やはり私たちがアクセスしやすいような場所にある木は、ほとんどがスギやヒノキなんですね。逆にカエデの木はとても根を張るので、たとえば、ここの木を切ったら崖が崩れるとか、ある意味ハードな場所にカエデの木たちは残っています。正直、私たちが採取する時もちょっと崖をまず降りて、川を渡って対岸の急な斜面を登りながら採っていったりとか、場所もバラバラだったりするので、大変手間暇がかかります」
●継続的に樹液を採取するためには、カエデの手入れだったりとか植林だったりとか、森づくりがやっぱり大事になってきますよね?
「そうですね。私たちの特徴としては、ただ採るということではなくて、やっぱり植林することを大事にしています。NPO法人『 秩父百年の森』という団体が、カエデを苗から畑で育てて、ある程度大きくしてから山に返すという、かなり手間暇のかかる作業を行なっています」
新しいハチミツ!? 「第3のみつ」!?
※井原さんが2015年に立ち上げた会社「TAP & SAP」という名前には、どんな思いが込められているんでしょうか?
「まずTAPは、スマホをタップするとか・・・ “タップ・ザ・ツリー”で、実は樹液を取る時に木に穴を開けて、とんとんとんってするのがその由来なんですね。で、SAPが樹液なので、どちらも言葉としてはカエデの樹液とか、カエデの木にまつわるものになっているんです。そういった恵みをより多くの人に届けて、食べてもらって、森づくりにつなげていきたいっていう気持ちを込めて、この名前をつけました」
●メープルシロップの製造・販売のほかに、どんなプロジェクトを進めていらっしゃるんですか?
「この活動や、食べてもらったりするのも大事なんですが、やはり現地を見ていただいたりですとか、そういったこともやっていきたいなと思いまして、エコツアーの開催、コロナ禍でここ数年できてない状態だったんですけれども、そういった活動でみなさんと交流をしたり、現地を見ていただいたりっていうことも行なっています」

●エコツアーは、具体的にはどんなツアーなんですか?
「樹液を採っている場所が私有地になるので、誰でもいつでも入っていいよっていうものではないんです。そういったところにご案内して、実際、樹液が出ている様子を見ていただいたりとか・・・。あとはMAPLE BASEで、いろいろランチを食べたり、樹液からシロップってどうやって作っているの? とか、いろんなワークショップを開催したり、結構盛りだくさんの1日で、参加されたかたには好評となっております」
●井原さんご自身がガイドをされたりするんですか?
「そうですね。私もそうなんですが、あとは森づくりをしているNPOのメンバーたちにもガイドをしてもらいながら、一緒に冬の森を歩くことも行なっています」
●あと、プロジェクトのひとつ「第3のみつ」についても教えていただきたいんですが・・・。
「はい、メープルシロップも天然の甘味料として有名ですが、もうひとつはハチミツで、実は私たちの活動からちょっと珍しいものが生まれました。それが『第3のみつ』になるんです。実はメープルシロップは春先に近づけば近づくほど、その樹液で作ったメープルシロップって甘いんですけど、エグみがどうしても出てしまうんですね。
まず、最初のきっかけは、このプロジェクトに関わった地元の高校生が、ちょっとエグさがあるメープルシロップを、ハチにあげたら食べるんじゃないかっていうところで実験したところ、ハチさんがエグみのあるメープルシロップを食べて、それで蜜を作ったんですね。
その蜜を埼玉大学の先生に分析をしていただいたら、ハチミツなんですけれども、メープルシロップの成分がきちんと入っている蜜ができたと・・・。なので、これはちょっと新しいハチミツなんじゃないかっていうところで盛り上がったんですけど、厳密にはハチさんに餌をあげて作る蜜は、ハチミツと呼んで売ることができないんです。
それで、その製造等で特許も取りまして・・・メープルシロップは今なかなかたくさん採れるわけではないので、果実とか野菜とか、一般の生のもので販売できないのを、よくジュースにしてしまうと思うんです。そういったものを無駄なく使えるということで、そのジュースをハチに与えることで、そこからできた蜜を! というので、いろんな野菜、果物で実験したところ、ハチさんがいちばんよく食べるのがリンゴジュースだったんですね。
リンゴジュースをハチに与えてできた蜜っていうことで『第3のみつ』の商品化ができるようになりました」

(編集部注:「第3のみつ」商品名は「秘密」の「秘」に 蜂蜜の「蜜」で『秘蜜(ひみつ)』なんです。どんな味がするのか、気になりますよね。「TAP & SAP」のオフィシャルサイト(https://tapandsap.shop-pro.jp)から購入できますよ)
人間が関わる森づくり
●2013年に井原さんが、秩父のカエデの森を歩くエコツアーに参加されたことが、まさにターニングポイントとなって、劇的に井原さんの人生が変わったと言っても過言ではないと思うんですけれども、その時に抱いていた思いは今も変わらずにありますか?
「そうですね〜生まれ育った地元で暮らしていた時には、なかなか感じなかった、自然の豊かさとか森の気持ちよさとか、そういうものは実はもともと自然にあったということではなくて、いろいろな人が気持ちいい森にするために手入れをしていたんですね。
このメープルシロップも目を向けなければ、誰にも気づかれず、日が当たらずにいたものが、みなさんが苦労して頑張ってきたことで、地域の特産となって、今に至っていると思うんです。
そういうことを続けていかないと、結局途絶えてしまうものだと思うので、森づくりもそうなんですが、より若い世代を巻き込みながら続けていけるような、そういう形で今後も活動していきたいと思います」
●メープルシロップは秩父のカエデの恵みだと思いますけれども、30年後、50年後の秩父の森にどんなビジョンをお持ちですか?
「今、秩父のみならず日本全体がそうかと思うんですが・・・半分が人工林のスギやヒノキで、そのほかの半分は広葉樹なんですが、どんな木があるかっていうのはほとんどの地域で知られてないかと思います。私たちが一度関わってしまった森は放置していたら、いつかはもとに戻るかもしれないんですが、それはかなり長い時間を要するんですね。
私たちが今やっているのは、人間が関わっていける森づくりをしたいっていうことで、そのひとつとして、カエデの木を育てて植樹をして、そのカエデの森から将来的にもっとたくさんメープルシロップを作れたり・・・私たちが関わり合い続ける森づくりを一緒にしていきたいと思って活動しています。ですので、森づくりをより多くの方と協力しながら行なっていければと思っています」
INFORMATION
秩父ミューズパーク内にある日本初のシュガーハウス「MAPLE BASE」では、本場カナダから輸入したメープルシロップを製造する機械を見学できるほか、パンケーキなどを食べられるカフェや、メープルシロップなどの商品を購入できるショップもありますよ。

11月23日(土・祝日)には「MAPLE BASE」の芝生エリアで「秩父の森ジャンボリー」を開催、大人も子供も楽しめる催しを予定しているそうですよ。ぜひお出かけください。詳しくは「MAPLE BASE」のオフィシャルサイトをご覧ください。
◎MAPLE BASE:https://tapandsap.jp/maplebase/
井原さんが取り組んでいる「第3のみつ」やエコツアーなどのプロジェクトについては「TAP & SAP」のサイトを見てください。オンラインで樹液やメープルシロップなどの商品を購入できます。
◎TAP & SAP:https://tapandsap.jp

2024/10/27 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、アウトドアズマン「清水国明」さんです。
清水さんは、1970年代から80年代にフォークデュオ「あのねのね」、そして芸能界で大活躍! 90年代からはアウトドア活動に夢中になり、その後、河口湖に「森と湖の楽園」、瀬戸内海の無人島「ありが島」に自然体験施設を開設。そして去年は茨城県にキャンプ場「くにあきの森」を整備するなど、実業家として、いろいろなプロジェクトを手がけていらっしゃいます。
今回は、先頃立ち上げたばかりの団体、災害時に助け、助け合う「日本セルフレスキュー協会」について、じっくりお話をうかがいます。

日本セルフレスキュー協会 JSRA
●今週のゲストはアウトドアズマン、清水国明さんです。毎年ご出演いただいて行なっています定点観測、今回で29回目となります! 長いお付き合い、ありがとうございます!
「よろしくお願いします。まあそんなに長いことね・・・どこにもないですよ! 私の関係でね、29年も・・・。実は29年間付き合っている人も少ないですよ。嫁さんも取り替えているしね」
●あははは(笑)。きょうもよろしくお願いいたします。
「はい、よろしくお願いいたします」
●前回は、結成50周年を迎えた伝説のフォークデュオ「あのねのね」のツアーですとか、茨城県常総市のふるさと大使に就任されて、常総市にキャンプ場「くにあきの森」を整備されたりだとか、あとは笑顔食堂プロジェクトのお話など、うかがいました。
今回のメインの話題は先頃、清水さんが創設されました、災害時には助け合いましょうという「日本セルフレスキュー協会」JSRAについてなんですけれども、この協会を作ったのは何かきっかけがあったんですか?
「阪神淡路大震災の時から今日まで、災害が起きると、のこのこ出かけて行って、あまり役に立たないかもしれないけれども、支援物資を運んだり、あとその町の賑わいを取り戻すまでのことに、ずっと関わってきたんですね。それの延長で、東京都知事選にも出て、そういうことをみなさんにアピールして・・・つまり、つながることが安全になると・・・。
いろいろ支援をやらしてもらったんだけども、何しに来たの? っていうか、余計なおせっかいみたいなこともあるのよ! ですから、いちばんいいのは友達から助けてとか、支援物資をちょうだいって言われた時に、よっしゃ! って言って出かける時があるんですけど、その時がいちばんモチベーションも高いんですね。で、やったかいもあるし、向こうも喜んでくれる・・・。
だからね、支援の仕方もすごく難しい・・・ですから、先ほど言った、知り合いを助けるという、知り合いからのSOSで動ける、動き始めるというか・・・。だから助けますけども、助けてももらうという、つながりを全国ネットで広げたいというのがいまの取り組みなんですよ。
この日本セルフレスキュー協会は、自分で自分の命を救うと同時に、自分たちで友達を助けるというような、そういう協会を立ち上げたわけです」
(編集部注:「日本セルフレスキュー協会」JSRA(https://www.jsra.life)には、理念に共感されたかたならば、どなたでも入会できるとのことです。月会費は税込1920円。会費は、災害時の出動経費、コンボやショベルカーなどの重機や支援物資の備蓄などに使われるそうです)
誰かの役に立ちたい
※清水さんは阪神淡路大震災から、直近の能登半島地震まで災害時の救援活動にこの30年来、取り組んでいらっしゃいます。その原動力になっているものは、なんでしょう?
「自分でも分からないんですけれども・・・この間の能登半島(地震)の時ね、1月1日、元旦じゃないですか・・・いろいろ東京でごちゃごちゃした仕事があって(終わって)、そのまま無人島に行ったんです。
瀬戸内海の『ありが島』って島を持っているんですけど、そこで船から釣り糸を垂れてゆっくり魚釣りしてたら、”地震があった! すごい被害だ!”ってニュースが携帯に入って、その瞬間に釣り道具をばたばたって片付けて・・・。31日に(ありが島に)着いて、正月に食べるための餅とか、てんこ盛りに持っていたのにひとつも食べないうちに、気が付いたら能登半島に向かっていて、30時間かかったけどね、車で行くのにね。
そういう意味では気が付いたら、やっていたみたいなところもあるんですけどね(笑)。まあ日頃ろくなことをしてないっていうのもあるんだけど、誰かの役立ちたいっていうか喜んでもらいたいっていう・・・。
基本的には褒められ育ちだから、人に褒めてもらってなんとかしている人生なんで、そういう意味では誰かが困っている時に、何かをできるということは、自分の根本なのかな。そういうふうに生きたいなと思っているんじゃないか・・・そんな大した人間じゃないけどね」
●いやいや・・・でもそういった30年の救援活動の知見とか経験が、この日本セルフレスキュー協会に活かされているってことですよね。
「確かにそうですね。いろんなことをやってきて、結局、民間と行政っていうか、公(おおやけ)が協力をしないと災害ってのは復興、復旧しないと・・・。この間の台湾の災害の時に、国とか地方自治体と民間のボランティアがものすごく上手くやっていた。
日本は特に石川の時なんか、行っている最中に、ボランティアは来ないでください、みたいな風潮になってきたもんだから、行っている俺らがなんか悪いことしてんのかよ、みたいな後ろめたさを感じるくらい・・・。
でも、行ったことによって多くの人に喜んでもらえたし、“お腹すいたよ〜”って言いながら支援物資の倉庫に、おばあちゃんと小っちゃい女の子が来たんだけど、“いや、これは渡せないんです。ここは倉庫だから、体育館で配りますから、それまで待ってください”って・・・けど、女の子はお腹がすいて、うえーんとか泣いているから、俺らボランティアが用意したお弁当を食べてもらったの、それで解決ですよ、それは。
そういうルールとか平等とかね、そういうのはやっぱり、公の人は仕方ないですよ、その人が悪いわけじゃなくて、ルールはルールだから・・・けど、民間だったら目の前の子が泣いていたら、できるじゃないですか。そのフレキシブルというか柔軟性が、やっぱり民間の力が必要になってくると思ったから、我々は民間で救うとこまで、救助から延命、そういうところまで関わるべきだなという・・・これは長いことやってきた結論ですけどね。それでそういう組織でとりあえず、つながりましょうということをいまやっています」
(編集部注:清水さんとしては、自分で自分の身を助ける「自助」、共に助け合う「共助」、国や地方自治体の「公助」に加え、友達同士で助け合う「友助」を担おうとされている、ということなんですね)

技術者の集まり「災害友助隊」
※先ほどからお話をうかがっていると、「つながり」というのが、ひとつのキーワードになっていますよね?
「だから、つながりがあるか、ないかだけが非常に命にも関わるし、安心にもつながることなので、ぜひ友達になってくださいと。で、いつでも助けに行きますよっていう人が全国におるわけですよ、助けに行きますよ! って言っている人が・・・。地震とか洪水とかでやられた時に“うわ~、やられちゃった”ってことを本部に言ったら、すぐに近くの人が駆けつけるわけです!
公的な体育館とかで避難していると、支援物資はいっぱい届くんですけど、自分のちょっと崩れた家とか納屋とか、ビニールハウスとかに避難している人も結構、災害の時は多いんですね。そこには支援物資って届かないわけですよ、公的なとこじゃないんでね。
そういうところに友達として、ビニールハウスにいまいるんや~っていうことになったら、よっしゃ!って・・・。そこにドコドコドコっていっぱい全国から届く、“なんであの人ばっかりあんなに支援物資が届くねん?”って近所で話題になるぐらい・・・“それは日本セルフレスキュー協会に入っているからですよ!”っていうような現象が起こると思いますね」
●心強いですね~。「災害友助隊」っていうのが相互救助チームですよね?
「そういうことですね」
●つながっている仲間たちと組んでいるチームっていうことですよね?
「はい。もしね、小尾さんが災害でひどい目に遭った時に、家が潰れたり流されたり、今夜どうしようっていうような時には、思い浮かぶでしょ、あの人とこの人に電話しようと・・・ガーっと駆けつけてくれる人は何人いますか? そういう人?」
●そうですよね・・・いざという時に・・・。
「いざという時に、親戚も遠くだったり高齢だったりしたら、助けに来てくれないけど、ピチピチしたやつ、そういう人助けが趣味みたいなやつが、ムキムキだとしたらね(笑)、それのほうが会員同士だから、仲間同士だから、気兼ねなくしてもらえるんじゃないかな~と思いましたね」
●しかも、災害友助隊には、いろんな職種のかたがいらっしゃいますよね?
「そうなんです! うちはね・・・いま私のメインの仕事はキャンプ場作りなんですけど、重機で木を伐採したり、道を作ったり、高いところにツリーハウスを作ったりとか、そういうことばっかりなんです。
そうすると設備屋さんもいるし、水道工事もできたりトイレも作れたり、そういう工作隊なんですけどね。それがほとんど家を作ったりビルを建てたりする時の、ひと通りの技術者が集まっているわけですよね。それプラスやる気ですよ。そんな人が集まっているチームなんで結構心強いですわね」
自分の生存力を高める
※清水さんが茨城県常総市に整備したキャンプ場「くにあきの森」で、災害友助隊のキャンプ・イベントを行なったんですよね? どんなイベントだったんですか?
「結局100回、防災訓練するよりも1回サバイバル・キャンプをしたほうが身につくと、私は日頃から言っていて、そんな本も出したりしているんですね。
火を起こしたり雨、風、寒さ、暑さから身を守ったり、それからそこで食べ物を調達して作るという、基本的に衣食住とかね。体温を上げても体温を下げても死んじゃうわけですから、保温という基本をキャンプで学んでもらったり・・・。
それからどんな状況でもたくましい生きる力、その生きる根性を失わない体験というのが、非常に重要だと思うんですね。これが自分で自分の命を救う、そして自分にとって大切な人の命を守るということにつながりますので、自分の生存力を高めていくっていうことが、安全な強靭な日本になる術だと思っていますよ」
●そのイベントで「国明式 災害生存術」という冊子を配布されたということですけれども、どんな内容なんでしょうか?
「これ、いま手元にあるんですけど、ペラペラのもんですが、結構いままでの災害の時に学んだことを自分のエピソードとしていっぱい書いているんです。“いまいずみひろみ”っていう漫画家がうちの工作隊の仲間におりまして、そいつが漫画を描いてくれたわけです」
●カラーの漫画で、すごく読みやすいですね~!
「4コマ漫画で、私の文章に漫画をつけたという前提でスタートしたんですが、いまやこの漫画に文章もついているという主客顛倒っていうのかな(笑)。けどね、それぐらい面白いように一生懸命(漫画を)描いて、僕も一生懸命、文章は書きましたけども、いまいずみも命かけてやってくれましたから、これは一家に一冊、生存するための術として、ぜひ備えていただきたいなという、そういうものでございます」
(編集部注:清水さん書き下ろしの冊子「国明式 災害生存術」は、「日本セルフレスキュー協会」に入会すると、いただけるそうです)
「体験家」としてチャレンジ!?
●清水さんは今月10月15日に74歳になられました! おめでとうございます~!
「わ~お! めでたいのかどうか、わかりませんけれども(笑)」
●いやいやいや~! 若々しくって、これまでにいろんなことに全力で挑戦されてきたイメージあるんですけれども、今後新たに挑戦してみたいことは何かありますか?
「挑戦だな、挑戦するんだろうな・・・俺はね、基本的に冒険家ではないんですよ。冒険しないで、チャレンジはしますけども、つまりね、体験したいだけなんですよ。だから冒険家ではなくて、今後は“体験家”という、そういう名前でいこうかな〜(笑)。
誰かに評価してもらいたいわけじゃなくてね。たとえば芸能界の界でしょ、それからレース界とかアウトドア界とか、ビジネス界もやっているんですよ。この前は政界までやりました。そしたらその界を渡り歩くごとにいろんな物差しがあって、いろんな発見があって・・・新たに体験したいことがあったら、またやろうかなと思っています。やりたいことは、これ、突然現れるからね!」
INFORMATION
「日本セルフレスキュー協会」以外の近況としては、瀬戸内の山口県・周防大島町に準備していた5Gを導入したワーケーション施設の運用が試験的にスタート。町とタッグを組んで、島全体をデジタルアイランドにする構想もあるとか。
また、まだ決まっているわけではありませんが、日本全国にキャンプ場を作る事業に参入するかもしれないとのこと。さらに歌とおしゃべりのライヴツアーも計画中。清水さんのチャレンジは、まだまだ続きそうです。
次回の定点観測も楽しみですが、その前に「日本セルフレスキュー協会」JSRAにご注目いただければと思います。入会方法など、詳しくはオフィシャルサイトをご覧ください。
◎「日本セルフレスキュー協会」JSRA :https://www.jsra.life
清水さんのFacebookもぜひ見てくださいね。
◎https://www.facebook.com/kuniaki.shimizu2/?locale=ja_JP
2024/10/20 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、牛写真家の「高田千鶴(たかた・ちづる)」さんです。
大阪府泉大津市に生まれた高田さんは、子供の頃から動物が大好きで、小学4年生のときに、引っ越した先の近くに農業高校があり、そこで牛との運命の出会いがあったそうです。
ある日、友人の家に遊びに行こうと、たまたま農業高校のそばを通ったら、牛の「モー」という声が聴こえ、牛がいる学校は楽しそう、中学を卒業したら、その高校に進学すると決めたそうです。そして大阪府立農芸高校に入学。農業の基本を学びながら、畜産を専攻し、「大家畜部」通称「牛部(うしぶ)」で3年間、牛舎の掃除、堆肥作り、餌やり、乳搾りなど、まさに牛まみれとなって、大好きな牛の世話に取り組んでいたそうです。
卒業後は、酪農ヘルパーとして、2年ほど活躍。365日、休みなく働く酪農家さんの仕事を手伝っていたそうですが、日々、一袋10キロもある餌を運んだり、一輪車で重い牧草を運ぶなどの作業で腰を痛めてしまい、泣く泣く、酪農ヘルパーを辞めることになってしまったとのこと。
大好きな牛から離れて、心にぽっかり穴が空いたような状態だった高田さんは、ある時、たまたま牛好きな友人が発した「牛の写真集があったらいいのに」というひとことに、それだ! と思い、高校生の頃から、ずっと牛の写真を撮っていたこともあり、作品として牛の写真を撮るために、一眼レフを購入。
牛の写真集を作ることを目標に、ついには牛写真家として歩み始め、現在は全国の牧場をめぐり、牛の写真を撮り続け、酪農や牛、食と命などをテーマに写真や文章で発信されています。そして先頃、新しい本『牛がおしえてくれたこと』を出されました。
きょうはそんな高田さんに「食と命」をテーマに酪農のこと、経済動物といわれる牛のこと、そして東京の郊外にある、高田さん憧れの牧場のお話などうかがいます。
☆写真協力:高田千鶴

牛乳は、子牛が飲むはずのお乳
※私たちは牛のお乳を「牛乳」としていただいているわけですが、牛がお乳を出すためには、妊娠と出産が必要なんですよね? 普段私たちは、そのことを忘れてしまっている、そんな気がしているんですが・・・。
「ホルスタインは白黒の、いちばんよく見かける牛だと思うんですけれども、オスでもメスでも、お乳が出るって思っているかたもいらっしゃるんですね。でも、本当に人間と同じで、牛が出しているお乳も子牛に飲ませてあげるためのお乳なので、出産しないとお乳も出ません。
そういった意味では、私たちは子牛が飲むはずのお乳を分けていただいているっていうのを、改めて酪農と関わるようになって感謝の気持ちと言いますか、やっぱりすごいことだなと思っています」

●すごくありがたみを持っていただかないといけないですよね。牧場で飼育されている牛ってほとんどが人工授精なんですね?
「そうなんです。私は人工授精の資格も実は持っているんです。オスって本当に大きいと1トンぐらいになるんですね。とても扱いが難しいですし、酪農家さんはオスをいっぱい飼うということもできないんですね。それで人工受精っていう形が取られているんです。
中には牧場の中でオス牛を飼って自然交配しているところもあるんですけれども、やっぱり近親交配が続いてしまうのもいけないので、そういった意味でも人工授精を取り入れながら飼育しています」
●妊娠してから子牛が生まれるまでは、どれぐらいの日数がかかるんですか?
「それも人間と同じで280日、約10ヶ月間なんですね。お腹の中に10ヶ月間いて、人間だと3〜4キロぐらいで生まれてくるところ、牛だと30〜40キロぐらいで生まれてくる、本当に10倍ぐらいの大きさで生まれてくる感じですね」
(編集部注:高田さんは酪農ヘルパー時代に、より深く酪農の仕事に関わりたいと思い、「家畜人工授精師」という資格を取得されています)
乳牛の一生
※酪農家さんにとっては、生まれてくる子牛がオスなのか、メスなのか、そこがポイントになってきますよね?
「そうですね、酪農に関して言えば・・・。やっぱり酪農ってお乳を絞るっていう仕事ですので・・・。メスだと大きくなってから、人工受精して出産して、初めてお乳を出してくれるようになるので、メス牛が生まれると、そのまま牧場で育てていくということになりますね。
でも、メスばっかり生まれて欲しいっていうわけでもなくて、(メスばかりだったら)だんだん牧場も牛が増えすぎてパンクしてしまいます。なので、オスもメスも生まれてくるんですけど、酪農家さんとしては、いい牛の遺伝子を継いでいるメスの子牛が生まれてきたら、やっぱり嬉しいというのはありますね」

●お母さん牛って毎年、子牛を出産するんですか?
「そうなんです。本当にこれも人と同じなんですけれども、やっぱり赤ちゃんが生まれて2〜3ヶ月ぐらいで、乳量のピークと言いますか、お乳がいっぱい出るようになって、そこからはだんだん減っていきます。
牛だと1年ぐらいしかお乳は出ないので、また1年後に出産して、お乳を出してもらうというサイクルが理想的とされていますね。そのために出産のあと、しばらくしたら人工授精して、10ヶ月後に生まれるようになって、それがちょうど1年、12ヶ月くらいになるようなペースで考えられています」
●メスは乳牛となってお乳を出してくれますけれども、生まれた子牛がオスだった場合はどうなっていくんですか?
「オスの子牛は肥育農家さんで飼われて、そこで2年ぐらいですかね・・・大きくなるまで育てられて、そのあと出荷っていう感じになりますね」
●乳牛となったメスでも年を重ねると、お乳って出なくなっちゃうものですよね?
「そうですね」
●だいたいどれぐらい・・・平均で何年とかってあるんですか?
「初めて出産するのが成牛、成人みたいな感じで、大人の牛として出産するのがだいたい2歳ぐらいなんです。そこから1年に1回産んでいくペースで3〜4回、多くて5〜6回、もっと長く生きる牛もいるんですけれども、だいたい5〜6回ぐらい出産したとしたら、それプラス2年で7〜8年ぐらいですかね。で、出荷されるっていうのが多いかもしれないです」
●最後はメスでもお肉になっちゃうということなんですね。
「そうですね」
牛との別れ、葛藤
※高校生の頃や酪農ヘルパー時代、牛を可愛いと思って世話をしていても、いずれはお肉になってしまう・・・何度も葛藤があったんじゃないですか?
「そうですね。それは本当にすごくあって、私もやっぱりお肉を食べることに躊躇していた時期もあったんです。(私が通っていた)農業高校も乳牛が多かったんですけれども、肉牛がその時は1頭だけいて、それを先輩から引き継いでお世話をしていたんです。2週間ぐらいしかお世話はしていなかったんですけれども、出荷される日に最後、見送りたいと思って、その子がいるところまで行ったら、もうトラックに乗っていたんですね。

今まさに屠殺場に向かうトラックに乗っていて、私が聞いたことないような声で鳴いていたんですね。私がトラックの荷台に足をかけて、ほっぺたを撫でてあげると、すごく静かに私のことを見返してきて・・・本当に今でも思い出すと、ちょっと泣いてしまうんです・・・それで撫でて落ち着いて、でももうトラックが行くっていうんで、私も降りて、そうしたらまた大きい声を出しながら遠ざかっていく和牛を見送ったんですけれども、その時に可哀想だから食べられないとか言ってられないなと思って・・・。
出荷された先でお肉になって、みんなが食べてくれるならいいですけど、余ってどこかで捨てられるぐらいだったら、全部自分が食べたいぐらいに思って・・・何て言うのかな・・・最後にできることって、その命に責任を持って大切に食べるっていうことしかないなと思ったので、可哀想だから食べないっていうよりかは、自分はちゃんと食べようって思ったっていうのがありますね。
やっぱり消費者としてはスーパーに並んでいる状態が、初めて会うところっていうのが多いと思うんですけれども、その前に生きている牛っていうのも知ってもらいたいというか、もっと身近である存在なのになんか遠い存在、みたいなところを埋められたらなっていう思いはありますね」
牛と人の幸せな牧場
※東京都八王子市に、高田さんが特にお世話になっている牧場があって、今回の本には、そこで撮った写真が多く載っているそうですが、どんな牧場なのか、教えていただけますか?

「磯沼牧場っていう磯沼正徳さんっていうかたがオーナーとして(運営)されているんです。磯沼さんが『牛と人の幸せな牧場』っていうのを大切にされていて、放牧とかもしていたりして、牛も本当に幸せそうで、そこに来る人たちも笑顔になれるような牧場ですね。
観光牧場ではないんですけれども、オープン・コミュニティーファームとして開放していて、誰でも来て見学することができるっていう、本当に東京になくてはならない牧場だなっていうのをいつも感じていて、すごく家族でもお世話になっているところです」
●その磯沼牧場では、何頭ぐらいの牛が飼育されているんですか?
「子牛とか全部合わせると100頭ぐらいいるんです。磯沼牧場の、私のいちばんの推しのポイントは、7種類の牛がいることなんですね。日本で言うと、99%以上はホルスタインっていう白黒の牛が乳牛としては多いんですね。それに加えて、ジャージーとブラウンスイスとエアシャー、ガーンジー、ミルキングショートホーン、モンペリアルドっていう牛7種類を飼っているんです。
それってすごいことで、ひとつの牧場で7種類も飼っているのは、本当に磯沼牧場だけで、それが酪農の盛んな北海道ではなく東京にあって、消費者に近いところにあるっていうのが本当にすごいなって思っています。
私はいつも、もっとこのすごさを伝えたいってすごく思っているんですね。本当にここ東京なのかな? っていう・・・今はカフェができて(牧場の)上のほうまで牛は来ていないんですけれども、カフェができる前はいちばん上まで牛が来ていて、(道路を)車で走っていると、“えっ!? 牛?(笑)”みたいな、信号待ちしている人がみんなびっくりして、え~! って見るぐらい・・・八王子なので都会とは言えないんですけれども、ここが東京なのか! っていう、すごくいいところなんです」

(編集部注:磯沼牧場のサイトを見ると、里山の緑の中に牛が放牧されていて、ほんとにここが東京!? と思ってしまう、のどかな風景が広がっているんです。ぜひオフィシャルサイトをご覧ください。
☆磯沼牧場:https://www.isonuma-milk.com)
カウボーイ・カウガール
※磯沼牧場では、子供たちが酪農の仕事を体験する「カウボーイ・カウガール」というスクールをやっているそうです。そのスクールに高田さんのお子さんが小学校3年生の時に友達と一緒に参加したそうですね。牛の世話をしているお子さんを見て、どんなことを感じましたか?
「私は高校で酪農を、というか畜産を学んでいたんですけれども、子供に関しては大事なことを牛から教わっているなっていうのをすごく感じましたね。私たち大人が“食べ物を大事にしなさい”とか“命を粗末にしてはいけないよ”とか、口で言うことよりも、牛と触れ合って自分自身で命の大切さを、牛から教わって学んでいるなっていうのをすごく感じました」

●高田さんご自身も、磯沼牧場から学ぶことっていうのは多いですか?
「そうですね。磯沼さんがおっしゃっていた、私の好きな言葉があって、“同じ釜の飯を食った牛は、やっぱり仲間のことをよく覚えている”っておっしゃっていたんです。
息子がカウボーイ・カウガール・スクールに入って、名前をつけた子牛がいるんですけれども、同時期に生まれた牛にお友達が名前をつけて、その子たちを見ていると、やっぱりいつも寄り添っているというか、ずっと一緒にいて、生きている牛には感情があるんだなっていうのを改めて思い出させてくださったというか・・・。
あと磯沼さんは、すごくチャレンジ精神の旺盛なかたで、そういうところは本当に見習いたいなっていうのをいつも感じています」
(編集部注:磯沼牧場の「カウボーイ・カウガール・スクール」は現在、磯沼さんのご都合で開催していないそうです。
高田さんによると「酪農教育ファーム」という活動があって、これは一般社団法人「中央酪農会議」という団体が認定した全国各地の牧場で、地域の子供たちに酪農を体験してもらったり、牧場から小学校へ牛を連れて行き、乳搾りなどで触れ合ってもらい、子供たちに食や命の大切さを伝える、そんな取り組みだそうです。「酪農教育ファーム」については、高田さんの新しい本に詳しく書かれていますので、ぜひ読んでください)
牛が笑っている!?
●高田さんが撮った牛の写真を、この本でもたくさん拝見しました。本当に可愛い顔をしていますよね~。
「そうですよね~(笑)、ありがとうございます! そうなんです。私、酪農家さんに言っていただいた言葉で、ちょっと嬉しかったなって思うのが、“高田さんが撮った牛は、すごく笑っているように見える”って、“自分たちが毎日見ている牛とは、また違った顔をしている”っておっしゃっていただいたんです。“それは多分、写真を撮っている時に高田さんが笑っているからなんだろうな“っていうのを言っていただいて・・・。

思い返してみれば、やっぱり可愛い! と思っている瞬間を切り取っているので、それを見て可愛いと思っていただけたら、すごく嬉しいなっていうのを思いながらいつも撮っています」
●牛の写真を撮っている時に、どんなことを牛から感じますか?
「本当に牛って表情が豊かだなっていうのを感じるんですね。私が撮った牛を可愛いって思ってくださるとしたら、その可愛い表情になるのは、牛がやっぱりリラックスしていて、穏やかな気持ちでいられるっていうことなので、酪農家さんが大切に育ててくださっているんだろうなっていうのを感じながら撮っていますね。
あと本当に酪農家さんがいなければ、私の仕事も成り立たないですし、大好きな全国の牛に会いに行けるのも、酪農家さんが本当に大変な思いをされながらも(牛に)向き合って、頑張ってくださっているからだなっていうのをいつも感じながら撮影しています」

●では最後に、新しい本『牛がおしえてくれたこと』を通して、いちばん伝えたいことはなんでしょうか?
「そうですね・・・私、農業高校に入学したのがちょうど30年前なので、本当に30年間、牛と向き合ってきて、自分自身もそうですけれど、やっぱり息子が体験しているのを見て、本当に牛から教わることってすごく多いし、すごく大事なことを、『食と命』っていう、人間が生きていく上でどうしても必要な部分を・・・それを牛は教えてくれているつもりはないかもしれないですけれども、すごく教わることが多いなって思います。
この本をもし読んでくださったかたがいらっしゃったら、牛に興味を持って、じゃあちょっと家族で牧場に行ってみようかとか、その行った先でたくさん牛と触れ合って、酪農家さんとお話されたりとか・・・そういった意味で、牛乳を飲んでいただいたりとか、酪農のファンになってくれたらいいなっていうのを思っています」
(編集部注:私たちの食と健康を支えてくださっているといっても過言ではない酪農家さんたちなんですが、全国の牧場をつぶさに見てこられている高田さんによると、今年2月の時点で、全国の酪農家さんは約1万2千戸、それがどんどん減っていて、もしかしたら年内に1万戸を切るかもしれないそうです。
そのおもな原因は、ロシアのウクライナ侵攻による世界的な餌不足や円安など。飼料価格の高騰が酪農家さんを直撃しているとのこと。酪農家さんの減少は、酪農発祥の地、千葉県でも例外ではなく、ここ数年、全国的につらい状況が続いていると心配されていました)
INFORMATION
高田さんの新しい本をぜひ読んでください。高田さんの牛への愛情や、酪農家さんへの思いに溢れた本です。牛の可愛い写真が満載! ほんとに笑っているように見えるから不思議です。漢字には全部、ふりがながふってあるので、ぜひお子さんと一緒に見ていただければと思います。緑書房から絶賛発売中です。詳しくは、出版社のサイトをご覧ください。
◎緑書房 :https://www.midorishobo.co.jp/SHOP/1644.html
高田さんのオフィシャルサイトも見てくださいね。
◎高田千鶴:https://ushi-camera.com
2024/10/13 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、東京都青梅市で「lala farm table(ララファームテーブル)」という農園を営むハーブ農家の「奥薗和子(おくぞの・かずこ)」さんです。
奥薗さんはドイツのお花屋さんで働きながら、専門の学校に通い、「マイスター・フローリスト」の資格を取得。その後、日本に戻ってからは有機農業を学び、2019年に青梅市にハーブ農園を開園されています。そして先頃、『ドイツ式 ハーブ農家の料理と手仕事〜育てる、味わう、丸ごと生かす』という本を出されました。
きょうはそんな奥薗さんに、ドイツのマイスター・フローリストの資格やハーブを使った意外なレシピ、そして里山にあるハーブ農園のお話などうかがいます。
☆写真:高木あつ子、協力:山と渓谷社

マイスター・フローリストの専門学校へ
※奥薗さんは、日本でフラワーアレンジメントの教室に通っていたそうですが、理論がしっかりしている本場ドイツで、アレンジメントを学びたいと思い、2002年にドイツに渡ります。
そして、ご本人曰く、チンプンカンプンだったドイツ語を習得するために、半年ほど語学学校に通い、その後、フローリストとして、ドイツ国内3つの街のお花屋さん、いちばん長く働いていたのは、ベルリンにあるお花屋さんで7年ほど、2014年に帰国するまで働いていたそうです。
そんな奥薗さんは「ドイツ・マイスター・フローリスト」の資格を持っていらっしゃいます。
●これはドイツの国家資格ですよね?
「はい、ドイツの国家資格です。ドイツ人がドイツでお花屋さんを開きたい時に、その資格がないとお店を開けないんですね。そのマイスターの資格になります。私たち日本人とかは、そこで学べる実技だったり理論が、より高度なものなので、それを求めてマイスターの資格を取りにドイツの学校に行きました」
●マイスター・フローリストの資格を取るための、専門学校のようなスクールがあるんですか?
「マイスター学校も各地に何校かあるんですけれども、そこで教えてくださる先生がたが違いまして、その先生の作風だったりとか、教え方とか、どういうものを教えてくれるかで、その学校に通って学べることが全然違ってくるんですね。
理論とか基本的なものは統一されているんですけれども、私はやはり自然素材を使ったアレンジメントがすごく好きだったので、そういうナチュラルなアレンジメントが得意な先生がいる学校を選んで、そちらに通いました」

●何年ぐらい通われたんですか?
「1年半から2年間ぐらいの間になりますね。そこで寮生活を送りながら、授業がある時期はマイスター学校に通って、授業がない時期はお花屋さんで働いていました。働きながら通える学校だったので、そこに通いながら1年半から2年ほどの間で資格を取りました」
●どんな勉強をされたんですか?
「科目が結構いろいろありまして、基本的なドイツのフラワーアレンジメントの理論だったり、お花の素材についてとか、色彩学だったり・・・。あと作品を作るためのデッサンも必要になってくるので、スケッチの授業があったり・・・。あとは実務的なところで、経営学や簿記、お店のレイアウトを考えたり、デザインするとか、そういう授業などがありました」
●すごい! 多岐にわたっていろいろ学べるんですね?
「そうですね。お花屋さんを開くための学校なので、実際に開くときに、必要なことをすべて教えていただけるっていうことで・・・そう! 農薬の扱い方も学んだりとかして、その資格も取りに行きました」
(編集部注:ドイツの国家資格マイスター・フローリストの試験は2日間にわたって行なわれ、花束やリース作り、空間装飾などの実技と、法律や簿記などに関する筆記試験があり、とても難しかったそうです。奥薗さんは過去に出された筆記試験の問題を、ドイツ語と格闘しながら、必死に暗記し、なんとか乗り越えたとおっしゃっていましたよ)
ハーブが身近にある暮らし
※ではここからは、奥薗さんが先頃出された本『ドイツ式 ハーブ農家の料理と手仕事〜育てる、味わう、丸ごと生かす』をもとにお話をうかがっていきましょう。

この本には、ハーブやお料理のレシピのほか、ドイツでの日々の暮らしで体験したことなども書かれています。ドイツのかたは、暮らしの中にいつもハーブがある、そんな感じなんですか?
「そうですね。やはりいちばんよく感じたのは、お花屋さんでお花と一緒に鉢物も一緒に販売するんですけれども、ハーブの季節になるとお花屋さんの店頭でもハーブをいろいろ売ったりします。あとスーパーとかマルシェとかに行きますと、お野菜と一緒にハーブがたくさん売られていて、みなさん、週末に作るお料理のお野菜を買う時に一緒にハーブを買いに行くっていう光景をよく見ておりました」
●ドイツのみなさんは、暮らしにハーブを取り入れているっていう印象が強いっていうことなんですね?
「そうですね、はい。職場やお花屋さんでも給湯室にハーブの苗が置いてあって、お仕事しながら休憩時間に給湯室に置いてあるハーブをちょっと摘んで、それをマグカップに入れて、お湯を注いでハーブティーを飲んでいたりとかしていましたね。
朝は目覚めのコーヒーを飲み、午後からはハーブティーを飲んだりとか・・・。カフェインで夜眠れなくなるから、その代わりにハーブティーを飲んでいますっていう同僚も多かったですね」
●へぇ~いいですね。職場の給湯室にハーブってすごくおしゃれですね!
「そうなんですよ!(笑)」
●ぜひ日本の職場にもそれが普及したらいいですね~。
「すごくいいと思います!」

●この本では代表的なハーブ20種類の説明、育て方、そしてそのハーブを使ったお料理のレシピなどが紹介されていますけれども、レシピ本としても楽しめる本だなというふうに感じました。
「ありがとうございます」
●初心者がベランダなどでも育てられるおすすめのハーブってありますか?
「そうですね・・・例えば、チャイブだったり、あとミントだったり、そういった繁殖力が強いものは比較的、植えても育てやすいですね」
●この時期、10月頃に種まきして、年内に収穫できるハーブはあるんですか?
「寒くなる前までに収穫できるハーブを植えるといいと思うんですけれども、もしくは苗を買ってきて、それを植えてあげたほうが年内に収穫できると思います。
例えば、ディルだったり、イタリアンパセリだったり、あとルッコラとか・・・ルッコラも一応ハーブとしてのカテゴリーに入るので、そういう葉物を育ててあげると、年末頃まで収穫できて楽しめると思います」
ハーブオイル、ハーブマヨネーズ、ハーブバターの作り方
※奥薗さんの新しい本に載っているお料理のレシピ、どれも美味しそうで気になったんですが、ハーブの活用法として、オリーブオイルにハーブを漬け込んだ「ハーブオイル」、お塩などと混ぜた「ハーブソルト」、さらには「ハーブマヨネーズ」に「ハーブバター」が紹介されていました。
とっても興味があるので作り方を教えていただけますか。まずは、ハーブオイルからお願いします。
「これはとっても簡単です。今回本でご紹介しているハーブオイルは、本当にどんなハーブでもいいんですけれど、お好きなハーブを細かく刻んでいただいて、それにオリーブオイルを注ぐ、それでちょっと時間を置いてあげるだけで、ハーブの香りがオリーブオイルにしっかりつきます。

それをドレッシングで使ったりだとか、パスタを作る時の仕上げにしてもいいですし、ペペロンチーノとか何かパスタを作る時にニンニクを入れてオリーブオイルに香り付けしますよね。そういう時にそれを使ってあげると、すごくおいしいパスタが簡単にできます」
●いいですね~。お肉とかお魚とか、なんでも合いそうですよね。
「ほんとになんでも合います。トーストに合わせても美味しいですし、食パンにそれが染み込む、バター塗るみたいな感じでハーブオイルを塗ってあげると、とっても美味しくなります」
●瓶に詰めておけば、保存もできますし、いいですよね~。
「1回仕込んでおくと、逆に忙しい時、お料理する時に、このハーブオイルを使うと、あっという間に美味しいお料理ができちゃうので、これはおすすめです」
●それからハーブマヨネーズなんですけれども、これはどうやって作ったらいいんでしょうか?
「はい、これも簡単で、本ではマヨネーズを作るところからご紹介しているんですけれども、それが大変だったりするので、市販のマヨネーズを使っていただいてもいいです。
市販のマヨネーズに刻んだお好きなハーブ、これは本当にどんなハーブでも合うので、刻んだハーブを入れて、そこに少しレモン汁とか、ワインビネガー、お酢など入れてあげて、少し塩と胡椒で味を調節してあげると、それだけでとってもおいしいハーブマヨネーズができて、ワンランクアップしたお料理になると思います」
●ドイツのかたは、これを何につけて召し上がっているんですか?
「ドイツのかたもよくチャイブ、セイヨウアサツキっていうふうに日本名は言われているんですけれども、ちょっと小ネギに似たもので、そのチャイブを刻んだものをマヨネーズに混ぜてあげて、それをサンドイッチとかに塗ったりして、よく使われていますね」
●ハーブバターっていうのもありましたけど、これはどうやって作るんでしょうか?

「はい、これも簡単で(笑)、好きなバターを少し常温に戻していただいて、そこに刻んだお好きなハーブを入れていただいて、少しお塩とかで調整してあげてもいいですし、味を変えたいなっていう時には、レモンの皮を少し擦って入れてあげると、ちょっとレモンの香りがするハーブバターができるので、それを混ぜて冷やしてあげるだけで簡単にできます」
約7000平米のハーブ農園
※奥薗さんが2019年4月に開園されたハーブ農園「lala farm table(ララファームテーブル)」は、どんな農園なんですか?
「lala farm tableはハーブと、ハーブに合うお野菜もお作りしています。もともと青梅にありました里山を生かした農園なっていますので、栗林とか田んぼとか、そういったところもあるんですね。それを含めまして全体で約7000平米ぐらいの広さになります」

●スタッフは、何人ぐらいいらっしゃるんですか?
「今現状ひとりで、あとお手伝いしてくださるかたが来てくださったり・・・最近ですと研修で来られたかたもいらっしゃるので、そういったかたのお力をお借りしながらやっております」
●現在ですと、何種類くらいのハーブや野菜を育てていらっしゃるんですか?
「秋冬になるんですけれども、40〜50種類ぐらいはある感じになります」
●開園する前に有機農業の研修もされたということですけれども、どこでどんな勉強をされたのですか?
「有機農業は山梨県の上野原市というところで、ちょっと中山間地にある山あいの有機農家さんで研修させていただきました。そこではやはり自然に沿った形で野菜を育てる方法を学びました」
●なんかすごく有機農業って手がかかるイメージがあるんですけど、どうですか?
「はい、やはりかかりますね。農薬も使わないので除草作業をしたりとか、あとやはり害虫とか、そういうものがどうしても自然の中だと出てくるので、お野菜が食べられないように守ったりする作業をしたりとか、真夏はすごく暑かったりするので、そういった中でお野菜とかハーブが育ちやすいように草を抜いてあげる作業とか大変でした」
●奥園さんが育てたハーブや野菜を購入したいと思ったら、どのようにしたらよろしいんでしょうか?
「通常、私のほうはオンラインショップでハーブの定期購入をやっておりまして、そのほかにはお野菜やハーブの旬の時期に“お任せセット”みたいな形で販売をしております」
1日のスイッチにローズマリー
※農園で作業をされていて、いちばん好きな季節や時間帯はありますか?

「難しいですね〜。いろんなシーンやいろんな瞬間にやっていてよかったな~とか、すごく好きだなっていう時はあるんですけど、いちばんって言われますと、例えば5月や6月にハーブのお花だったり、野菜のお花が一斉に農園で開くっていう時があります。その時期はいろんな香りに包まれるので、作業していてもとても癒されますし、見た目的にも農園が素敵になるので、すごく気に入っている季節です」
●暮らしにハーブを取り入れるようになって、奥園さんご自身に何か変化ってありました?
「やはりハーブ自身を触ってあげるとか収穫してあげるとか、そこにあるだけで気持ちや心がすごく豊かになれるんですね。で、それだけじゃなくてハーブティーにしてあげて、一緒に身体にも取り入れてあげる、そうすることによって、心も体もすごく優しくなれるというか、体がすごく優しい体になれたような感じがします」
●特に好きなハーブって何かありますか?
「そうですね・・・農園で育てているハーブは、自分の好きなハーブを植えているので(笑)、どのハーブも好きなんですけど、いちばん好きなハーブって言われましたら、やはり定番のローズマリーがすごく香りが好きなので、農園の入り口のところに植えて、毎回通るたびに少し手で触ってあげて、香りを楽しみながら、“よし! きょうも作業を頑張るぞ!”みたいな感じで(作業を)始めています」

●いいですね。スイッチになっているんですね~。
「そうですね」
●では最後にハーブ農家として、今後やってみたいこと、または夢などがありましたらぜひ教えてください。
「もともとフラワーアレンジメントをやっていたので、ハーブ農家になったのも、やはり自分で育てたハーブやお花を使ったブーケとかアレンジメントを作りたいっていうことがありました。
なので、もう少ししっかりハーブを育てて、それをブーケにしたりとか、農園に実際に来ていただいてお客様に摘んでいただいて、それをその場で束ねていただけるような、なんかそういうワークショップを、農園に漂うハーブの香りや空気を感じながら、そういう制作とか、農園で安らいでいただけるようなことをやっていけたらいいなというふうに思っております」
INFORMATION
『ドイツ式 ハーブ農家の料理と手仕事〜育てる、味わう、丸ごと生かす』
奥薗さんの新しい本をぜひチェックしてください。ドイツ流のハーブの使い方や活かし方のほか、人気ハーブ20種の育て方のコツや、お料理のレシピなどが豊富な写真とともに紹介。お話にもありましたハーブオイル、ハーブマヨネーズ、ハーブバターのレシピも載っていますので、ぜひ参考になさってください。山と渓谷社から絶賛発売中です。詳しくは、出版社のサイトをご覧ください。
◎山と渓谷社 :https://www.yamakei.co.jp/products/2823450680.html
「lala farm table(ララファームテーブル)」のオフィシャルサイトも見てくださいね。奥薗さんが育てたハーブや野菜などがオンラインで販売されています。
◎lala farm table:https://lala.farm
奥薗さんは今月、丸の内や日比谷、有楽町、豊洲で開催される「東京味わいフェスタ2024」に出店される予定です。「lala farm table」のブースは日比谷に出店予定。開催日程は、10月25日から27日までの3日間。詳しくは「東京味わいフェスタ2024」のサイトをご覧ください。
◎東京味わいフェスタ2024:https://www.tasteoftokyo-ajifes.jp
2024/10/6 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、標本画家の「川島逸郎(かわしま・いつろう)」さんです。
標本画とは、科学的な裏付けのもとに描かれ、図鑑や科学論文に掲載される動植物の絵のこと。川島さんは、専門家たちが一目置く標本画の第一人者で、先頃新しい本『標本画家、虫を描く〜小さなからだの大宇宙』を出されました。
きょうはそんな川島さんに、極細のペンを使って「点と線」だけで描く昆虫、まるでモノクロ写真のように見える精密な標本画についてお話をうかがいます。
☆協力:川島逸郎、亜紀書房

必ず本物を見ながら描く
※川島さんが標本画を描くようになったのは、大学に入ってからで、かれこれ30年ほどになるそうです。標本画は例えば昆虫なら、その昆虫の標準的な姿を描くようにすることが大事で技法はいろいろあるものの、基本的に点描画が多いとのこと。
川島さんも、点と線だけで描く技法に取り組んでいらっしゃいますが、点を打つにしても線を引くにしろ、細かい作業を強いられるので、さぞかし大変かと思いきや、ご本人曰く、根気はいるけれど、30年もやっているので慣れてしまったとか。
心がけているのは、描くことに熱中し過ぎると実物から離れてしまうので、時々その標本に立ち戻ることだそうです。使っているペンは、漫画家さんが使う丸ペンと、製図用のペンでペン先の直径が0.1ミリから0.3ミリを使っているとのこと。
また、標本画はモノクロが多いそうですが、何を伝える絵なのかによって、例え、色彩を伝えるためなら色をつけたり、形を示すのであれば、モノクロに留めておくなど、情報を詰め込まず、目的によって使い分けているそうです。
●川島さんが先頃出された本『標本画家、虫を描く〜小さなからだの大宇宙』にカブトムシのオスの標本画が掲載されています。体の黒い色や光沢、そして丸みがかったフォルムなどまるでモノクロ写真のようなんですが・・・これは標本を見ながら描いたんですよね?

「そうですね。標本、実物ですね。それ以外から描くってことは、まず、ほぼないですね。必ず本物から描きます」
●細かい部分は顕微鏡で見ながら描くんですか?
「カブトムシは、そうは言っても昆虫の中では巨大なもんですから、顕微鏡も使うんですけれど、そういった場合には触覚だけを見るとか、口の先っちょだけを見るとか、爪の先だけを見るとか、そういった時には使います。全体的には普段私、巨大な虫あまり描かないもんですから・・・。
カブトムシの場合は、測る道具があるんですけども、コンパスみたいな道具があるんです。それであちこち測っといて、大まかな形を描いといてから、細かな部分は顕微鏡で確認してからということになりますね」
●なるほど・・・。このカブトムシの標本画を完成させるまでに、どれぐらいの時間がかかったんですか?
「え~っと10日ぐらいですね。昔だと大体2日か3日で描いたんですけれど、やっぱりそう描けなくなってきて(苦笑)、10日かそれ以上かかるようになってきましたね」
●細かい作業ですよね~。この絵の対象になる昆虫の標本は、川島さん自身が採取してきた昆虫なんですか?
「私自身が自分で採取することもあるんですけれども、例えば絵を描いてくださいって言われた時に、その虫の専門家が頼んできたりってことがあるもんですから、それはその専門家が採取したものだったり、あとは各地の博物館に収まっているものをお借りしたりとか、それは毎回状況は違います。
自分でもなるべく捕るようにはしているんです。ただ、昆虫ってのは膨大ですから、自分のところですべてあるってことはあり得ないです」
●海外の昆虫を描く場合はどうしているんですか? 写真を見て描くんですか?
「写真を見て描くことは100パーセントないですね。必ず標本、本物、実物なんですけども、大体その場合はそれを持っている研究者だったり、それを収蔵している博物館だったり研究施設だったり、そういったところからこれを描いてくださいっていう形でお借りすることになって、それで描くわけです」
●なるほど。必ず標本をもとにされているんですね。
「そうですね~。はい」
職人技のスケッチ
※絵にする昆虫の大きさとか、頭や胴体、足などの長さは正確じゃないとだめですよね? どうやってスケッチするんですか?
「昆虫の場合は、やはり外側が硬くて外骨格、海老とかカニと同じで、外側が硬いもんですから・・・比率とか長さとか、みんなちゃんと種類ごとにある程度決まっているので、そこが正確じゃないといけなくて、分かれている節の数とか・・・。
そういった場合に顕微鏡で写生するんですね。全くお聞きになったことはないと思いますけれども、『描画装置』っていうのがあります。顕微鏡をイメージしていただくと、目で覗く部分がありますよね。レンズがあります。『接眼レンズ』っていうんですけれども、そこの手前にそれをはめるんです。はめるとプリズムだったり、斜めになった鏡がついていて・・・私は右利きなんですけれども、右利きのペンを持った手と、覗いた虫が一緒に重なって見えます。それでなぞってトレースしていくわけです」

●へぇ~、そういう装置があるんですね。掲載されている標本画の多くは真上から見た構図になっていましたけれども、それはいわゆる昆虫標本と同じようにされているっていうことなんですか?
「そうですね。全身像を描く場合には、大体真上からっていう場合が多いです。虫によっては、トンボとかハチみたいなものは、側面から見たほうが特徴があって、そこに(その対象の)情報があるので、そういった場合には横向きにしますけれども、大体全身を示す時には背中、真上から見ることが多いですね」
●標本画を描かれている時にその昆虫の体の構造などから、新しい気づきだったりとかってあったりしますか?
「それは非常に多いですね。私たちが例えば、見慣れている蝶々だったりしても、飛んでひらひら舞っている姿はよく見ますけども、例えば口がどうなっているかとか、そういったところを初めて知ったっていうことは、いつもいつも毎回どんな虫でも、身近な虫であっても(気づきがあるので)、それが楽しみでもあるんですけども・・・」
●描く作業されている時は、どんなこと考えていらっしゃるんですか?
「描く作業している時にはあまりものは考えない・・・考えられないってこともあるかもしれません。ただ、例えば点を置いたりしますけれども、そういった時には点をひとつひとつ置きながら、次にどこに点を打つかというようなことは、半分無意識的なんですけど、ここに打ってここに打ってみたいな、その連続ですね」
●へ~〜、次のこと考えながら点を描いているんですね~。
「次に点を、ひとつの点を置く位置を見ながら、次はここに置こう、ここにっていう・・・」
●へぇ~すご~い、職人技ですね~!
「うん、そうですね。それは職人技って言えるじゃないかなと思います」
(編集部注:実は川島さん、30代の頃に目を患い、人工レンズを入れたことで意のままに見えなくなったそうです。画家としてはとても辛い状況になり、絵を描くために、対象である昆虫を顕微鏡で見ることになったそうです。最初はピント合わせがうまくいかず、慣れるまで大変だったそうですが、いまでは当たり前にこなせるようになったとおっしゃっていました)
線一本引くにも根拠がある
※標本画に向き合って、うまくいかないこともあると思いますが、あと少しで完成、というときに描き損じたりしたら、そのときはどうするんですか? いちからやり直すこともあるんですか?
「これは、いちから描き直しだなってくらい大きな失敗はまあ・・・まずない。ところが近年、一度もなかったような大失敗をしたことがあって、それは今回の本に書いたんですけれど、それも(いちから)描き直ししないで、その部分だけ切り取ってっていうことはしましたけども、そのぐらいですね。

あと部分的には紙にインクがにじんだりとか、そういうことがあったり、昆虫の毛を描くときに先がシャープに細くなっていたりっていうか、ちょっと失敗することがあって、非常に細かいんですけど、そういうのは普通に白い絵の具で塗って修正はしますね。でもそれは普通なことなんです」
●すごく緊張感のある作業ですね。
「そうなんですけど、私自身は楽しいんですね。ここを白で修正しなきゃみたいな、それをやってるのも、ものがちゃんと出来上がっている感じで、すごく楽しい!」
●本来、絵は描く人の自由な発想とか表現方法があって、自由奔放なものなのかなって思うんですけれども、川島さんが向き合っている標本画は、正確に昆虫を再現する制約があるように感じるんですが、描くときによりどころにしているものとかってありますか?
「例えば生き物の絵もそうなんですけど、そういった自由自在な、まあ絵っていうのは本来自由自在で、そこが楽しいんですけども、たまには線一本引くにも、これはなぜここの線を引かなければならないか・・・みたいな、そういった根拠がある絵って言うのが、今本当になくなっているんですね。
逆にそういった絵があってもいいな~と思って、必ずここには理由があって、なぜこう描いているかっていうのは、必ず背景に基づくんですよっていう根拠があるんですね。それが(今)なくなってきただけに、それが生き甲斐っていうんですかね。そういうのを自分は取り込み続けてもいいんじゃないかなっていう、それがよりどころですかね」
●川島さんは大学時代に昆虫を研究されて、現在は「日本トンボ学会」や「日本昆虫分類学会」の会員でもいらっしゃいます。川島さんにとって標本画は、研究に近いことなのかなって思ったんですけれども、いかがですか?
「はい、ほぼ研究ですね。それが私の絵らしさの、おおもとになっているもんですから、やっぱりそういった研究的な視点で対象を見て、それをいかに他者に伝えるために表現するかっていうことが、やりがいっていうんですかね。でも楽しいことではあるんです」
人懐っこい「サラサヤンマ」
※川島さんがいつ頃から生き物の絵を描くようになったのか・・・川崎市に生まれ育った川島さんは、幼稚園に入る前から昆虫が大好きで、当時まだ川崎近辺には武蔵野の名残があり、田んぼなども残っていたことから、トンボやカエルを捕まえたりするような子どもだったとか。

また、絵を描くのも大好きで、図鑑を見ながら、昆虫の絵を描いていたそうです。そして中学・高校では野鳥にも興味を持ち、自宅で鳥を飼うような少年だったそうですよ。
●川島さんは、大学では昆虫の研究をされていたそうですね?
「そうですね。大学に入る時に、私もあまり学校の勉強ができたほうではないので、絵を描くかどうするかなって思った時に、昆虫の絵をしっかり描くには、絵は後からでも勉強できるかもしれないけども、昆虫学っていうのは必ずこれは知ってないと描けないなって、その頃からちょっと思っていたんですね。なもんですから昆虫を学べるところにっていう経緯ですね」
●どんな研究をされていたんですか?
「ただ、そうは言っても学生ですから、特に私なんかあまり・・・周りには優れた学生がたくさんいたんですけどね。
私はトンボが好きだったもんですから、その頃、熱中していたトンボがいました。それはまだどんなふうに育っていたのかわかっていなかったもんですから、せっかくだから調べてみようって・・・研究っていうか観察日記の延長みたいな、そのくらいのことしかしてなかったんですね」
●ちなみになんていうトンボなんですか?
「それは、サラサヤンマっていう、ちっちゃいオニヤンマなんです」
●サラサヤンマは、どんな特徴があるんですか?
「ヤンマって言うと、普通は例えばオニヤンマだったり、大きなトンボを想像されると思うんですけれど、(サラサヤンマは)すごく小さいですね。それが水辺っていうか、山の谷あいの湿地みたいなところに棲んでいるんですけども、すごく人懐っこいって言うんですかね。
普通トンボって言ったら、例えば(人間が)近づいていくと逃げていきますよね。ところがサラサヤンマは湿地に棲んでいて、変わっていて、暮らしぶりもわかってない・・・。成虫に向き合った時に、オスは縄張りを張って、ずっとじーっと空中の一点で止まって、縄張りを飛びながらですね。
例えば写真を撮ろうとしますよね。そしたらレンズに止まろうとして、追っ払っても払っても・・・私は飛んでいるところを撮りたいんですけど、手で追い払ってもまたレンズに止まりに来ちゃうような、そんなところがあったもんですから・・・。
解明されてなかったことも多かったし・・・すごく色も綺麗なんですね、『サラサ』って名前つくぐらいですから。黄色と緑のちっちゃい波紋が体全体に散りばめられたようなトンボなんです」
●人懐っこいんですね!
「そうですね。ほかのトンボとちょっと趣が違うんですね」
(編集部注:川島さんは、2012年から神奈川県立生命の星地球博物館、2014年からは川崎市青少年科学館で、学芸員をやっていたこともあるんです。学芸員時代にトンボの特別展に向けて、先輩学芸員からポスター用の絵を描くように言われ、手がけたこともあるそうですよ。
そんなこともあり、自然に生き物の絵を仕事にするようになった川島さんは、時代の変化に伴い、手描きの標本画がだんだん消えていくのを憂い、その素晴らしさを伝えるために、最後の生き残りになっても、標本画を描き続けたい! そんな気持ちを抱くようになったそうです)

ハチとトンボはわかりやすい!?
※よく質問されることだと思いますが、いちばん好きな昆虫はなんですか?
「一番目はハチですね。二番目ぐらいがトンボですね」
●えっ、ハチですか? そうなんですね。トンボがいちばんなのかと思いました。ハチがいちばん好きな理由っていうのは?
「小さな頃は、川崎で採取、虫取りしていた頃は、例えばクワガタムシなんかをやっぱり最初は捕るんですね。ところが同じのしか捕れないんですよ。ハチは非常に種類が多くて、形も様々で綺麗な斑紋を持っていたり、それがもう捕っても捕っても次の種類が捕れる、それが非常に楽しかったってことと・・・。
あと私が大きくなってからは、標本だけじゃなくて野外での虫の生態、それも知ってないと、やっぱり描く大事な要素になりますので・・・。虫の写真を撮った時に、ハチとトンポは、虫が何したいかってのがすごくわかりやすい・・・。野外で昆虫の暮らしを見ていた時に、例えば獲物を狩りたいんだなとか産卵したいんだなってのは、すごくわかりやすいわけです。それが非常に野外で虫の生活を見ていて楽しかったんですね。
例えばそれがセミだったら、ミンミン鳴いていますけれども、なかなかいつ産卵したいのかなって、表情が鳴いている以外はわかりにくいんですね。今は私でもわかるようになったんですけども・・・。ところがハチとトンボは、見て何したいんだなってわかりやすいってのが、すごく親近感を覚えるっていうか、楽しさもあります」
●昆虫をよく見て絵を描くっていうのは、その昆虫を、ひいては自然を知ることにもつながりますよね? 是非、子どもたちにもやってほしいですよね。
「そうですね。それが例えば虫ではなくても、その虫を描くっていうのではなくても、身近に共に生きている生き物、あとは自然環境ですね。
それがすごくわかりやすいって言うんですか、虫を見ることによって自然のありよう、環境のありようってのもわかりやすいもんですから、その自然感を一般の人にも持ってほしいなっていうのは、(以前)博物館にも勤めたもんですから、よくそのようなことを考えていました」
●では最後に、川島さんにとって昆虫とは?
「そうですね・・・昆虫がそうしてくれているわけではないんですけれども、人に例えるならば、恩人ですね。私のひとつのキャラクターを形づくってくれたっていうんですかね。虫がなければ、私らしさってのも出せなかったかもしれませんので、そういった意味ではその恩があります」
INFORMATION
川島さんの新しい本には専門家が一目置く、点と線だけで描いた緻密な標本画が100点掲載されています。また、文章からは自ら描いた標本画と昆虫に向き合う生き様を感じ取ることができると思いますよ。ぜひ読んでください。亜紀書房から絶賛発売中です。詳しくは、出版社のサイトをご覧ください。
◎亜紀書房 :https://www.akishobo.com/book/detail.html?id=1176&st=4
川島さんのオフィシャルサイトも見てくださいね。学芸員時代に特別展のポスター用に描いたトンボ「ヤブヤンマ」のカラーの絵も見ることができますよ。
◎川島逸郎オフィシャルサイト:https://www.kawashima-itsuro.com
2024/9/29 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、カリフォルニア大学バークレー校の教授で、理論物理学者の「野村泰紀(のむら・やすのり)」さんです。
野村さんは1974年生まれ、東京大学理学部から東京大学大学院で理学博士に。現在はカリフォルニア大学教授、バークレー理論物理学センター長のほか、ローレンス・バークレー国立研究所の上席研究員など、多方面で活躍されています。
ご専門は素粒子物理学や宇宙論で、近年は宇宙はひとつではない、たくさんあるという「マルチバース理論」の研究でも世界的に注目されています。また、2年前に出版されたブルーバックス・シリーズの一冊『なぜ宇宙は存在するのか〜はじめての現代宇宙論』がロングセラーを記録しています。
宇宙研究の最前線にいらっしゃる野村さんですから、きっと子供の頃から、星や宇宙にのめり込む天文少年だったのかな〜と思ったら、そうでもなかったそうです。ただ、NASAの探査機ボイジャーが土星に接近する時期に合わせて、1980年に日本でも放映された、アメリカの科学者カール・セーガン監修の科学ドキュメンタリーを見て感動! また、高校生の時に、特別講義で相対性理論をわかりやすく解説するような、とてもいい先生に出会ったことで、野村少年の意識の中に「物理学」はあったそうですよ。
そんな野村さんが一時帰国されていたときに、都内某所でお話をうかがうことができました。今回は宇宙の、数ある謎や不思議から、膨張しているとされている宇宙はこの先どうなるのか、そしてマルチバース理論や パラレルワールドのお話などお届けします。

素粒子物理学とは? 宇宙論とは?
※野村さんは東京大学大学院で、今のご専門「素粒子物理学」と「宇宙論」を研究されていたんですか?
「当時は、まあ今でもそうなんですけど、一応、素粒子物理学の研究室と宇宙論の研究室が分かれているので、僕は素粒子だったんですよ。で、素粒子の人って宇宙論を結構やるんですね。宇宙を調べるのに実は素粒子っていう、非常に高い温度とか高い密度の状態で、物がどうなるかを調べる学問が必要なんですよ。
なぜかというと、宇宙は実は昔すごく熱かったんです。なので(宇宙論も)やるんですけど、僕は素粒子論研究室にいたので、宇宙はセミプロというか素人として手を出すみたいな感じだったんです、最初は。で、だんだんやるようになっていったという感じですね」
●その素粒子物理学ってどんな学問なのか、かいつまんで教えていただいていいですか?
「はい、たぶんかいつままないと、とんでもなくひどいことになると思うので(笑)、できるだけかいつまんでいきますね。
僕らの世界って、例えばいろんな物質があるけど、原子でできている、そこぐらいまでは習うというか、聞いたことがあると思うんですけど、実は原子には構造があって、中心に原子核があるんですね。本当に核みたいなやつがあって、プラスの、正の電気を持っているんですけど、その周りをマイナスの電気を持った電子っていう、小さな粒がフラフラしているんですよ。
そういう絵とかを見たことがあるかたもいらっしゃるかもしれないんですけど、そのスケール感って実はすごくて、例えば原子核が1円玉ぐらいだとすると、原子のサイズってサッカーコートぐらいのサイズなんですよ。だから電子がフラフラ飛んでいるのってものすごく遠い、5桁くらい大きさが違うんですね。
原子のサイズが0.000000000、0が9個ぐらいついて1ぐらいなんですけど、さらに0を5個ぐらいつけたサイズが原子核なんですね。その原子核も実は陽子っていう粒と、中性子って粒からできていることが分かってきたんですね、20世紀初頭の頃ですけど・・・。そうすると、実はその陽子ももっと小さいクォークっていうものからできていることが分かってきているんですよ。
で、現在どのぐらい小さいところまで人間が分かっているかっていうと、原子核のサイズの1万分の1とか、10万分の1ぐらいまで見ることができている。で、だから自然界って何でできているのか、全部クォークと電子とか、あとちょっと変なのがいろいろあるんですけど、ニュートリノって聞いたことあるかもしれないんですけど・・・。
そういうふうに世の中が何で成り立っているのか、そういうものがどういう仕組みで動いているのか、具体的にはどういう力を感じて、どういうふうに、相互作用っていうんですけど、お互いに影響を与え合って動いていくのかを調べていく学問です。
今ある意味、それは解明されつくしていて、1本の式ですべてが、人間も物質も机もすべてが、その1本の式に従って動いているだけだ、っていうところぐらいまではいっているんですよね。それより小さい世界はまだ分からないし、今でも観測と理論、実験と理論で調べているっていう、それが素粒子っていう学問ですね。
宇宙論はよくイメージするのは、おそらく宇宙っていうと、僕もよくいろいろ(講演で)呼ばれたりするんですけど、宇宙開発とかそういうのは宇宙論とはちょっと違うんですね。もちろん興味はあるし、つながっているんですけど、それこそ天体すらあんまり関係ないみたいな、アンドロメダ銀河があっていろんな銀河があって、銀河がどういう形をしていてとか、それすらあんまり関係なくて・・・。
宇宙論と言った場合は、例えば地球って一方向に歩いていくと、後ろから戻ってくるじゃないですか、球面なので。そういう感じで宇宙は、例えば一方向にずっと進んでいったら、後頭部の後ろから戻ってくる構造になっているのか、例えばそれとも無限に続いているのかとか、宇宙っていうのは実は変わっているんですね。膨張しているんですけど、物と物との距離が広がり続けているんですよ。
ということは、昔はもっとギューギューだったはずなんです。高い密度なので温度も高くて、ビッグバンとか言うんですけども、もうピカピカに光り輝いている世界、そんな世界がどうして始まったのかとか、どうやって温度が下がってきて、その過程で何が起こったのかとか、そういう宇宙全体を見るみたいのが、宇宙論って呼ばれている分野です。
近くの星とかをイメージするのはどちらかというと、例えば天体物理学とか天文学って呼ばれる分野になりますね」
●なるほど〜、ちょっと違うんですね。
「もちろん、お互いにいろいろ刺激も与え合うし、ほかの研究もしますけど、一応そういう名前としては棲み分けみたいになっていますね」
ビッグバンとは!?
※野村さんの本『なぜ宇宙は存在するのか〜はじめての現代宇宙論』でも触れていらっしゃいますが、宇宙はビッグバンという大爆発で誕生したんですよね?
「そうと言われているんですけど、いわゆる一般に思っている爆発と違う可能性が結構あって・・・ビッグバンっていうと、宇宙は昔ギューギューだったのは確かなんですよ。
さっき膨張していると言ったのは・・・これ、20世紀の頭ぐらいに分かったんですけど、自分の銀河系以外にも銀河系があるってことが分かってきたんですね。アンドロメダ銀河とかも点に見えますから、僕らから見ると・・・。
それが本当に僕らがいわゆる銀河って言っている星の塊のひとつなのか、それとも同じような星の塊がもっと遠くにあるのかっていうのは分かんなかったんですよ。僕らの銀河系を宇宙って呼んでいたんですよね。宇宙以外に宇宙はあるのかって言った時は、アンドロメダとか別の銀河の話をしていたんですよ。
でも20世紀に実は、銀河っていうのはいっぱいあるんだってことが分かってきて・・・で、その銀河までの距離を測れるようになったら、あと、銀河がどれだけのスピードで近づいているか、遠ざかっているかを測れるようになると、どうもほとんど全部の銀河が遠ざかっているんですよ、僕らの銀河系から。
で、それを考える時に僕らが中心だと思っちゃう、みんなが遠ざかっているから。でもそうじゃなくて、イメージする時によく言うのは、風船の上に点々を書いて、ふーって膨らましていくと、点と点の距離って全部広がっていくので、自分がどの点だったとしても、すべての点が遠ざかっていくように見えるわけですよ。
同じことがやっぱり起こっているようで、理論的にもそうだってことは分かってきて、距離が遠ざかっているんですね。ってことは・・・すいません、ビッグバンの話ですね。これね、悪い癖なんですよ。ひたすら話しちゃうんで、止めてください(笑)。
で、距離が遠ざかっているってことは、時間を遡っていくと、物と物との距離が近かったんですよ。物と物との距離が近いと、やっぱり密度がギューギューになって、密度がギューギューになると、温度が高いっていう状態なんですよ。だから昔に遡れば遡るほど、すごく熱い状態だった、それをもってビックバンっていうので、宇宙全体のサイズが0になったりする必要ないんですよ。
全体は、例えば非常に大きいというか無限に大きいまま、密度が非常に高い状態から出発して、密度がどんどん下がっていったっていうことだけが分かっていて、その高温高密度の状態を一応ビッグバンと言うんですよね」
100億年後は、超巨大銀河!?
●先ほどもお話にありましたけれども、宇宙はこのまま膨張し続けるってことですか?
「それが知りたくて・・・宇宙の膨張って、広がっているんですけど、みんな(研究者は)その広がりのスピード自体は遅くなると思っていたんですよ。なぜなら重力は必ず引力なので、万有引力って言われるように、物と物は引き合っているから、遠ざかっていてもその遠ざかるスピードは遅くなる、どのくらいのスピードで遅くなるかを測っていたんですね、みんな。
なんでそれを測ったかっていうと、遅くなり方が非常に早いと、どっかでその膨張は止まって、今度は収縮フェーズに入って、逆に“逆戻しビッグバン”みたいな、『ビッグクランチ』とか言っているんですけど、それが起こって、すごく高温高密の世界になっちゃうか、それとも遅くなり方がそんなに遅くなってないと、そのまま膨張のスピードが遅くなりながら、でもずっと永遠に広がり続けるかを知りたくて、どれだけ減速しているかを測っていたんですね。
で、1998年に精密なその結果が出て、答えはその膨張が早くなっていたんですよ、加速しているんですよ。
それは理論的にはすごいことで、物は必ず減速させるんで、さっき言ったように万有引力なので、宇宙のエネルギーのほとんどって物ですらないってことで、重力、引力なはずなのに、物をはじき飛ばして、加速させて膨張させるようなことが実際に現在起こっている・・・。
そのまま続いていくと加速しているので、ひたすら膨張していって、しかももっと早く膨張するような、ある意味ずっと膨張を続ける感じになるじゃないかなと思ってますね」
●加速して膨張し続けると、どうなっちゃうんですか?
「あるところですごく早くなっちゃうので、遠くの物って原理的に見えなくなっちゃいます。なぜなら、例えばすごく遠くの銀河から、こっちに向けて光が来ているわけですけど、光がこっちに来ようと思っても、空間が膨張するほうが早いので、空間膨張って、より空間ができるって感じなんですよ、イメージ としては。物と物との間に空間が作られ続けちゃう、その作られているスピードのほうが光より早いので、原理的に見えなくなっちゃうんです。
だから、あるところから壁みたいのがあって、全くそこから先は見えないっていう世界になって、しかもアンドロメダとか僕らの銀河はそんなに遠くないので、実は引き合っているんですね、重力で。近い銀河たちはそれが勝つので、それこそ40億年ぐらいすると、僕らの天の川銀河は隣のアンドロメダ銀河に吸収されます。ひとつになっちゃう・・・。
その近くにある、ちっちゃい銀河は全部ひとつになって、ひとつの超巨大銀河になるので、100億年後ぐらいにはたぶん、”え、宇宙って巨大銀河がひとつあって、あと遠くは全く見えない世界だよね”っていう、その頃に宇宙論の人がいればですけど、宇宙ってそういうのに決まっているだろ、みたいな感じの世界にまずはなります」
宇宙はひとつじゃない!? 〜マルチバース、パラレルワールド
※宇宙は英語では「ユニバース」で、この「ユニ」は「ひとつの」という意味ですから宇宙はひとつと、これまで当たり前に思っていました。ところが、野村さんの本で初めて「マルチバース」という言葉に出会いました。このマルチバースとは何なんでしょう?
「人間ってこの世界がすべてだと思ったのが、すべてじゃなかったっていう繰り返しをやっているんですよ。
ルネサンスの時代に太陽系、実は地球が中心じゃなくて、太陽を中心として、ほかの惑星があるんだって言った時も、ほかの星の背景は壁紙みたいに思っていたわけです。でも、実は違ったんですよね。この太陽系みたいなものがたくさんあったんですよ、本当に一部にすぎなくて・・・。銀河系を理解した後も実は銀河系、たくさんある銀河系のひとつに過ぎなかったんですよね。
で、僕らが全宇宙だと思っていた領域も、実はもっと大きな構造のひとつっぽいということがわかってきて、だからあまり衝撃的な話では、ある意味ないんですけど、その都度やっぱり自分が思っていたより、全然大きい世界があるっていうのは、衝撃的ですけどね」
●宇宙ってたくさんあるっていうことなんですか?
「そう! 具体的に言うと、宇宙とは何かって言わないと、実は今の話もあまり意味がなくて・・・宇宙のほかに何かがあったとするじゃないですか。それも含めて宇宙って呼ぼうぜって言えば、宇宙しかないに決まっているので・・・。
まず僕らの宇宙は何かって言うと、さっき言った、それこそ素粒子の研究が進んできて、僕らの宇宙ではアンドロメダに行こうが、遠くの銀河に行こうが、原子でできていて、電子がフラフラしていて、原子核があってっていうのは同じなんですよ。同じ法則というか、同じ素粒子の種類、同じ力の性質とかで全部(式が)書ける。
で、それがすべてだと思っていたんですけど、どうもそうじゃないらしくて、例えば電子のない世界、それこそ光もない世界とか、素粒子の質量っていう重さとか種類とかが全然違う世界がやっぱり山ほどある・・・。
僕らの周りというか僕らの宇宙って呼んでいるところは、たまたまこの原子核なり電子なりっていう性質の構造になっていると考えないと、なかなか理解できないような現象がいっぱい見つかってきて、理論方程式を見直してみたら実際そういうふうになっていた・・・人間は気づいてなかったけど、80年代に作った方程式はそうなっていたみたいなことで、そうなんじゃないかなって思うようになってきたっていうまだレベルですね」
●どうして、そもそもそのマルチバースに着目しようって思われたんですか?
「僕の場合は、本当はもう少しテクニカルなこともあるんですけど、僕らの宇宙がよくできすぎているんですよ。例えば電子とか原子核みたいのを調べていくじゃないですか。僕のキャリアはその素粒子物理から出発したので・・・。
そうすると例えば電子の重さなりを変えますと・・・変えてもいいはずなんですよ、理論的には。単に重さって、パラメーターって言うんですけど、測ってこうだったんだから、こうだって言っているだけで、それをちょっと変えた世界を考えてみたりすると、ちょっと理論を少し変えるだけで、何にもない世界になっちゃうんですよ。
人間とかが変わるのは当たり前ですよね、変えているんだから・・・じゃなくて、例えば元素の種類が百何十種類ありますよね。日本でも『ニホニウム』が見つかったりして、それがあっという間に1種類とかになっちゃうんですよ、ちょっと変えると。ほかのパラメーターもちょっと変えると、銀河なんか一切できないですよ。本当にピッタリうまくいった時にしか、こういう構造ってほとんどできないっぽいんですよ。それは困りますよね。やっぱり神様が作った、でもない限りは、なんで世の中そんなふうになっているんだと・・・。
ところが、同じ現象をもうすでに僕ら何度も経験していて、例えば地球ってすごくよくできていますよね。水があって森があって自然があって生物が繁栄して・・・。でも太陽と地球の距離がちょっと違っていたら、あっという間に灼熱の世界とか液体窒素だけになっちゃうけれど、なんでこんなにうまく、神様が作ってくれた星なのかと・・・いや、違いますよね。
いろんな距離のところにいろんな大きさの惑星が山ほどあるから、ほとんどのところは実際本当になんもいないんですよ、なんも構造ないんですよ。灼熱の世界だったりするんだけど、たくさんの種類のものがものすごくあるから、そうするとたまたまラッキーなところもあって、そういうところにだけ、こういう知的生命体とか構造が生まれるから、その人たちが周りを見た時には、なんでこんな奇跡的なんだ、俺ら超ラッキー! ってなるわけですよ。
おそらく宇宙全体にも同じようなことが起こっているんですよ。だから構造がなんでこんなにラッキーかっていうと、違う種類の宇宙が山ほどあるので、そうすると山ほどあれば、たまたまレンジに入る、レンジに入ったところにしか銀河なり、生命体ってできない。
それは計算で示せるので、ちょっとずらすと何にもできなくなっちゃうから、そうするとたぶんそういう理由で、僕らが見ている宇宙の構造自体が決まっていたんじゃないかと考えると、神様を持ち出さなくて済む。
で、サイエンスっていうのはやっぱり神様を持ち出さずに、僕らが観測した周りをどれだけ理解できるかっていう学問なんですよね。神様はいるかもしれないですけど、それを持ち出さずにどれだけ理解できるかっていう学問なので、自然に考えると、理解して僕らが全宇宙だと思っていたのも、たくさんの構造のひとつなんじゃないかっていうルートですね、僕は」
●映画になりそうですね?
「そうですね。なんか映画で逆に結構使われますよね。でも実は映画で使っている『マルチバース』というと、いろんな世界があるってことなんですけど」
●パラレルワールドみたいな、またそれとは違うんですか?
「パラレルワールドとは、もともとは違うコンテクストで出てきたんですね。僕自身が言っているのは、あまり違うものでもないんじゃないかっていうことなんですけど、ちょっとずつ違った世界があるんですよ。それがパラレルにあるのか遠くにあるのかを考えると、遠くにあっても無限にデカければ、必ず繰り返して似たような世界ありますから、ちょっとずつ僕が違う・・・きょうはここに来るのにちょっと遅刻をしてしまったんですが(笑)、してなかった世界とか、ちょっとずつ違う世界があるはずだっていうふうになると、映画とかに使いやすいですよね。
あの時、ああしてなかった世界もあって・・・ただ、映画と現実ではちょっと違う、映画は自由に行ったり来たりできるんですよ。そうじゃないとストーリーにならないので・・・。でもそれはやっぱりなかなかできないですよね。例えば遠くにあれば、光のスピードを超えられないので物理的には行けないし、パラレルワールドもそんなに簡単に干渉できないのはわかるので・・・でも映画によく使われたりしますよね」
●もしかしたら私たちのような地球人が、ほかの宇宙のどこかにいるかもしれないってことですか?
「いるじゃないですかね。実はパラレルワールドみたいな考え、量子力学って言うんですけど、それを考えると、物っていろんな状態の重ね合わせっていうか、いろんな状態に分かれていくのは、電子とかの簡単なシステムでは、その分かれた世界をもう1回、一緒にさせるみたいなことができているので、電子とかの世界では、どうもパラレルな世界がいっぱい分かれているって事実なんですよ。
でも僕らって電子とかからできているから、それがちょっとずつ違う位置にあるような世界に分かれているんだったら、 ちょっとずつ違うってことは、僕らのシナプスとかもちょっとずつ違っているはずなので、ちょっとだけ考えが違う世界とか、ちょっとずつずれている世界ってやっぱりあるんですよ。
でも、どこまでが僕なのかっていうのは微妙ですよね。ちょっとずつ変わっていって、顔もちょっと変わって、僕は大谷選手ぐらい野球がうまくて、それはもう僕じゃないだろう!という感じなので、いろんな僕がいるっていうけど、どこまで僕なのかとか、そういう話になって面白いですよね」
夢は『量子重力理論』の完成
※今後、解き明かしたい宇宙の謎はありますか?
「実は僕らが宇宙とかマルチバースを調べる時って、実は理論的にはパッチワークでやっているんですよ。
それはどういう意味かっていうと、僕らの世界って量子力学って、実はさっき言った変な仕組みで動いているんですね。それを使って計算なんかやろうっていうのもあって・・・量子コンピューターって名前を聞いたことがないかもしれない、これから聞くと思うんですけど、そういう原理で動いているんですよ。でもその原理を使う方程式は普通、重力は入ってないんですね。
重力を扱う時には、僕らはアインシュタインが作った一般相対性理論を使っているんですけど、その理論の中に量子力学の効果は入ってないんですよ、全く。でも両方あるはずなんですよ。僕らは量子の世界に生きておきながら、重力もあるのは確かなので、両方が入った理論はあるはずなんですけど、人間、完全に持ってないんですよ。一緒にしようとすると、クラッシュしちゃうんです。すごく難しいんですよ!
だからマルチバースの話をする時とかも、重力が重要なところはアインシュタインの理論を使って、量子が効くところはこっちを使って調べているんですけど、本当はそれを一緒にした理論を使って、バン!と調べなきゃいけないような・・・。
なぜか重力が重要になるところって、量子が重要じゃないんですよ。量子が重要になるところって、重力が重要じゃないんだけど、宇宙に例えば空間の始まりとか時間の始まりとか、そういうところってやっぱり両方が効いてきちゃうので・・・。その『量子重力理論』を完成させるのは、僕だけというよりはこの業界というかコミュニティの夢なんですよね。それが解明できたら嬉しいですよね。その瞬間、やることなくなってクビですけど(笑)」
●宇宙を研究したいと思っているお子さんたちや、学生さんたちに伝えたいことがあれば、ぜひお願いします。
「研究したいと思ってくれているかたたちがいるとしたら、もうそれはその時点でありがたいというか、そのまま興味を持ってくれれば嬉しいですね。
実際、例えばプロの研究者としてやりたい人じゃなくても、やっぱり面白いですから、興味を持ち続けてほしいっていうのがひとつと、もしそういう興味を持ってその先に研究っていうのがあるんだとすると、やっぱり情熱を持ち続けることが、これはどんな分野でもそうですけど、いちばんなので、刺激あるものに触れて、新しいものを読んで聞いて、人に会って刺激を受け続けながら、新しいことを開拓していってくれれば嬉しいなと思います」
●野村さんが宇宙に行けるとしたら、どこに行って何をしたいですか?
「そうですね・・・基地とかができていたら・・・基地を作ろうとしているわけじゃないですか。その基地に行って、窓から火星の真っ赤なのが見えたりしたらすごいですよね。たぶん1週間で慣れちゃうと思うんですけど、人間って・・・。でもそういう全然違う世界を死ぬ前に1回見られたら、見てみたいなとは思っていますね」
INFORMATION
ロングセラー中の野村さんの本をぜひ読んでください。宇宙論とあるように、天体とか銀河の話ではなく、宇宙全体の話で、この100年ほどの宇宙論の歩みを、いち科学者の視点で解説されています。ダークマター、ビッグバン、マルチバースなど壮大なスケールで語られる宇宙論にぜひ触れてみてください。
講談社のブルーバックス・シリーズの一冊として好評発売中です。詳しくは、出版社のオフィシャルサイトをご覧ください。
◎講談社:https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000362613
野村さんの研究サイトも見てくださいね。
◎カリフォルニア大学バークレー校:https://physics.berkeley.edu/people/faculty/yasunori-nomura
2024/9/22 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、ドイツ・ミュンヘン在住のシンガー・ソングライター「NILO」さんです。
2007年にボサノヴァ・シンガーとしてメジャー・デビューしたNILOさんは、関西を拠点に音楽活動をしながら、ふるさと札幌でラジオ番組のDJ、さらには趣味の自転車やトライアスロン、アウトドアの体験を雑誌に寄稿するなど、マルチに活躍。
また、元バックパッカーで世界をひとり旅。その後、サイクリストとしても活動していたアクティヴ派で、以前この番組が女子チームを組んで、モンベルの環境スポーツイベント「SEA TO SUMMIT」に出場したときに、自転車のパートを担っていただき、10数キロを激走していただきました。
その後、ひとり旅でハワイの山をトレッキングしていたときに、ドイツ人の男性と知り合い、電撃結婚! 2011年からドイツで暮らしていらっしゃいます。
最初はドイツ語がうまく話せず、また、すぐにお子さんを授かったこともあり、子育てに追われ、慣れないドイツでの生活は毎日大変だったそうです。また、日本にいた頃は、仕事人間だったNILOさん、ドイツではゼロからのスタートとなり、なかなか仕事が見つからず、それもつらかったそうですよ。現在はドイツと日本を行き来しながら、精力的に音楽活動に取り組んでいらっしゃいます。
今回は、現在ミュンヘンで暮らしていらっしゃるNILOさんにリモートでご出演いただき、環境先進国といわれるドイツでの暮らしや、人気のアウトドア・アクティヴィティのほか、ライヴ活動のお話などうかがいます。
☆写真協力:NILO

本場ドイツのビール・フェス!
●NILOさんが暮らしているミュンヘンは、ドイツでは3番目に大きな都市なんですよね。
「結構大きいです。私ふるさとが北海道の札幌なんですよ。同じくらいの大きさで、札幌と似たような感じですね。ここは仕事があるので、以前はたぶん120万人くらいの都市だったんですけど、今は200万人に近いくらい人が増えていますね」
●NILOさんが暮らしていらっしゃる街は、中心地に近い感じなんですか?
「そうですね。去年引っ越しをしたんですけど、その前までは本当に中心地に歩いて行けるぐらい街中に住んでいました。でも今も、自転車でも地下鉄でも20分圏内っていう感じなので、まあ中心地って感じだと思います」
●公園とかはあるんですか?
「ものすごくありますよ。ミュンヘンって、ドイツ全体がたぶんそうなんですけど、緑地面積の広さが結構有名で、緑がとっても多いんですよ。海があまりない分、緑が大事っていうか、みんな自然が好きなんで、緑はものすごく多いですね」

●素敵な場所ですね〜。
「そうですね。特にミュンヘンは治安もとってもいいので、ファミリーには向いているかなと思います」
●この時期は季節的には秋っていう感じですか?
「そうですね。最後ちょっと暖かくなって、9月の終わりぐらいに毎年オクトーバー・フェストっていうのがあるんですけど、それが終わると寒い冬がやってくるって感じで、そこから長いんですよ(笑)。3月ぐらいまでなかなか暖かくならないんで、厳しい冬が来るって感じですね」
●オクトーバー・フェストって、あのビールのフェスですよね?
「そうです!」
●私、ビールが大好きで、日本で開催されているオクトーバー・フェストはよく行くんですけども、いつか本場のオクトーバー・フェストに行ってみたいっていう夢があるんですよ〜。
「もうね、すごいお祭り騒ぎなんで、まあでも1回は来たらいいよって、みんなにお勧めしています! 2週間、開催されるんですけど、その2週間はミュンヘンはエラいことになっていますね。道を酔っ払いの人が歩いているみたいな感じなので、フラ〜フラ〜ってしている人が多かったりして・・・(笑)。
本当の地元の人はあまり行かなかったりもするんですよ。”もうあれはいいわ。疲れるから〜”みたいな、人混みがすごいので・・・でも2週間で一応、毎年600万人くらいの来場者があるらしいですよ」
●ドイツといえば、やっぱりビールってイメージはすごくありますよね〜。
「ええ、美味しいですよ。地元地元のいろんなビールが楽しめるようになっていて、あまり外に出さないんですよね。輸出したりするビールはすごく少ないので、来ないと飲めないっていう感じのコンセプトがあるんですよ。なので、そのビール巡りとかをするのも結構楽しいですね」
●いつか絶対行ってみたいです!
「ぜひ! ぜひ来てほしいです! ビール好きは本当に楽しめますよ」
クロアチアでアイランド・ホッピング!?
●NILOさんは、とにかくアウトドア派なんですよね?
「そうです。気がつけば(そうなってましたね)。ミュージシャンって結構インドアが多いんですよ。私もインドア生活がすごく長いとそうなっちゃう・・・やっぱりずっとものを作ったりすると、全然外に出なくなっちゃうので、若い頃から意識的に体を動かしたりするように気をつけていて、それでアウトドア(活動を)するようになったのかなっていう感じはしますね」
●山登りもそうですけれども、サイクリストでトライアスロンにも挑戦されていたということをお聞きしたんですが・・・?
「そうですね。最近は大会はなかなか出られないし、モチベーション的にもちょっと難しくて・・・早く走るとか競うっていうのが、モチベーション的に最近はあまりないんですけどね。トライアスロンは変わらず、長い間一緒に練習している仲間がいるので、まあゆっくりですけど、走ったり自転車に乗ったり泳いだりというのはコンスタントにやっていますね」
●ドイツでもアウトドアは結構楽しんでいらっしゃいますよね?
「そうですね。こちらは休暇がすごく多くて、子供がだいたい2ヶ月おきぐらいに2週間、学校の休暇あるんですよ。暦でちゃんと祝日があるんですけどね。休暇が多いので、やっぱりどこかに連れて行くっていう感じになっちゃうから、キャンプに行ったり、山に行ったり、川に行ったりとか、いろいろアウトドアしていますね」
●具体的にNILOさんのお気に入りのフィールドはありますか?

「家族で毎年同じ場所にキャンプに行っているんです。クロアチアにキャンプに行っていまして、結構クロアチアってドイツ人に人気あるんですよ。日本からはあまり想像がつかないと思うんですけど、意外と近い、そんなに遠くなくて、車で6時間ぐらいなんですね。で、海があって、島がいろいろあって、私たちは船に乗るのが好きで、私、船舶免許を、いつだったかな・・・それこそコロナの時に取ったんですよ」
●ええっ!? すごい〜!
「コロナで仕事がなくなって、ぽっかり時間ができたんで、なんかやろうかなと思って、その何年か前に旦那が先に取っていて、そのうち私も取ろうと思っていたので、船舶免許を取ったんですよ。
なので、クロアチアにキャンプに行って、クロアチアはあまり波がないんで、たまに揺れる時もありますけど、まあまあ凪いでいるので、船でちょこちょこっと島をホッピングするっていうのが楽しみです。

ギリシャも結構近いし、イタリアとかも近いので、船に乗る人がヨーロッパってとっても多くて・・・なので、その辺の島をホッピングしている人たちもいっぱいいて、そういう人たちと交流したりとか、そんな楽しみを毎年やっていますね」
(編集部注:NILOさんによると、ドイツのかたはアクティヴな人が多くて山登りに、スキーやスノーボード、そしてミュンヘンには川や湖がたくさんあって、ウインド・サーフィン、さらには、フランスまで行ってサーフィンをやるかたもいるそうですよ)

環境先進国ドイツの環境教育
●NILOさんの好きな自転車は、ドイツではどうなんでしょう?
「自転車はすごいですよ、本当に! ここ2年ぐらい、すごくロードバイクが流行っているみたいです。もともと(自転車は)少なくなかったんですけど、最近ちょっと溢れ返るぐらい増えていて、ドイツには自転車専用道があるんですけれど、それじゃ足りないぐらいになってきているので、自転車専用道を増やしたりとかしているぐらい盛んですね」
●ミュンヘンの街も自転車は走りやすい感じなんですか?
「基本的にはとっても走りやすいです。ちゃんと左右の方向とかもはっきりしているし、看板もちゃんと出ていて、“ここは走行、自転車はオッケー”とか“車はダメ!”とかもはっきりしているので、走るところがわかりやすいというか、そういう意味ですごく走りやすいですね」
●NILOさんの好きなサイクリング・コースはあるんですか?
「やっぱりあまり車がないところのほうが走りやすいし、サイクリング・ロードは本当にたくさんあるので、半分オフロード的な、そんなに激しくないですけどね(笑)。半分オフロードっぽい感じのサイクリング・コースで、川沿いとか目指していたりとか、湖を目指したりして走ったりとか、そんな感じですかね」
●環境先進国と言われているドイツですけれども、実際に暮らしていて、エネルギー面だったりとかゴミの削減だったりとか、これはいいなって思うような取り組みってありますか?
「最近の日本も似たような取り組みをしているんじゃないかなと思うんですけど、たぶんドイツのほうがそういうのは早くて、たとえばレジ袋とか、かなり昔からなかったんですよ。自分で袋を持って行く、袋を再利用したりとか、もともと袋は有料だったので、10年以上前、私が住み始めた頃からレジ袋とかなかったですね。
あとは、やっぱり子供の教育が、学校での環境に対する意識を持たせる教育がすごくて、小さい子どもがゴミをあまり出さないように意識したりとか、プラスチック(ゴミ)をあまり出さないようにっていうことを考えていたりとか、子どものレベルで、学校で教えていることがちょっと違うのかなっていうのは、すごく思いますね」
●学校で環境教育の授業があるっていう感じなんですか?
「そうですね。授業の一貫で、たとえばゴミを使って工作をしたりとか、社会見学的なことをして、ゴミがどういうふうに処理されているのかを、日本でもあると思うんですけど、ドイツはそういうのを頻繁にやっているって感じですかね。だから、ちっちゃい子がそういうのを意識した発言をすることに、びっくりする時がありますね」
日本の80’s、ドイツで大流行!?

●NILOさんは、現在ドイツと日本でライヴ活動をされています。ドイツでは、どんなところでライヴをやることが多いんですか?
「私今、二本立てというか、ふたつの違うジャンルを同時進行で活動していて、ひとつはずっと昔からやっているボサノヴァのフィールドで、ジャズ・バーとかを中心に、あとはビーチ・イベントとか、そういうところで歌ったりしています。
で、もうひとつは今ヨーロッパで若い人を中心になんですけど、日本の80’sの曲がすごく流行っているんですよ。私世代は逆に知らなくって、それよりも若い人たちが、10代とか20代の人たちを中心に、80年代の日本の曲が流行っているという、そういうフィールドがあるんですよね。
“アニメ・コンベンション”っていって、アニメとかゲームが好きな子たちが集まるようなイベントとかで、日本の歌を80’sとかを中心に歌って、自分もそれで(曲を)書くようになったんですけど、ちょっと懐かしい感じの日本の歌、歌謡曲とか、シティ・ポップを歌って、あとは今、日本のイベントも、日本自体がすごくブームで、たぶんフランスもちょっと早めにそのブームが来ていて、ドイツにその後、日本ブームが来たっていう感じですね。
私が昔から出ていた日本系のイベントも、昔はもっとちっちゃかったんですよね。でも今は本当に何千人っていう人が来るようになって、イベント自体が大きくなって、私もやっぱり歌う機会が増えて、日本の歌とか80‘sの歌を歌ったりする機会が今年は特に多くなりましたね」
●80年代の曲をカヴァーしたりとかされるそうですね?
「そうです、そうです! 私が子供の頃ってインターネットとかなかったので、私の世代は・・・(笑)。だからまさか外国の人が日本の曲を聴くようになるなんて思っていなかったんですよね。それを叶えたいというか、外国の人が自分の母国語の歌を聴いてくれたらいいなっていう気持ちはずっとありましたけど、そういうふうになるのは難しいんだろうなと思っていましたね。
でもいつの間にか、インターネットでこういうふうになって、今本当にいろんな人が、どこに住んでいても別に言葉がわからなくても、好きだったら聴けるっていう環境ができて、まさかこんなふうに自分の母国語でドイツで歌って喜んでもらえる日が来るとは思っていなかったから・・・それはなんかすごく感動的なことだし、半分ぐらいはやっぱり起こらないと思っていたことだったから、すごく奇跡的に感じている部分もあって、でも本当に嬉しく思っているっていうことをいつも(ライヴの時に)伝えています」
●カヴァーする時は日本語のままで歌われるんですか?
「はい、日本人がちゃんとネイティヴの日本語で歌うのが、彼らにとってはすごく珍しいことなんですよね。なのであえて、やっぱり“日本語でぜひ歌ってほしい!”っていう要望もあるので、日本語で歌っていますね」

ジャパン・ツアー、コンセプトは「懐かしさ」
●日本でのライヴ・ツアーが決定しているそうですね。いつからいつまでのツアーなんですか?
「9月25日、札幌からスタートして、今回あっという間なので9月30日まで。本当にぎりぎり9月最後まで歌って、その翌日にドイツに帰るって感じです」
●場所は札幌から始まって、その後は・・・?
「札幌で2回やって、その後、大阪、名古屋、湘南、東京と来て、帰ります」
●そうなんですね。今回のツアー・メンバーはどんな感じなんですか?
「私が日本に来たら同じメンバーでやっているんですけど、大体同じかな・・・ 北海道だけ、伝統楽器をやっているメンバーがいて、彼らは伝統音楽だけじゃなくて、ジャズとかポップスとかにも果敢に挑戦して、即興演奏をしたりする人たちなので、尺八と三味線を入れて札幌ではやったり・・・。
大阪、名古屋はこじんまりとベースとギターとボーカルだけで、デュオで回すんですけど、湘南、東京はバンドで、あとパンデイロとギターが入るので、結構派手にバンド演奏できる感じになるかなと思います」
●場所によって、いろいろ(ライヴの)カラーが違うんですね?
「そうですね。なので、プログラムもちょいちょい変えつつ、あとはメンバーが違うので、聴こえ方はその会場会場で違うかなと思います。お近くのかたにはぜひ楽しんでいただきたいです」
●今回のジャパン・ツアー、ここに注目してほしいというのがあれば、ぜひ教えてください。
「今回、私がヨーロッパで80年代の曲を中心に歌っていることで、自分もそういう80年代テイストを出した『懐かしさ』をコンセプトに曲作りしているんですね。で、私のオリジナル曲もやりますし、ボサノヴァだけじゃなくて、80’sの曲も少しやろうと思っているんです。
特に私の上世代とかは懐かしい感じもあると思うんですが、コンセプトが『懐かしさ』なので、ぜひ一緒に、“あれっ! これ懐かしいな~”みたいな、ちょっと自分の若い頃を思い出したりとか(笑)、そんな感じで来ていただいたりしても嬉しいなと思っています。特にこのベイエリアの近くのかたがたは東京、湘南あたりに来ていただけるかなと思うので、ぜひチェックしていただければ嬉しいです!」
(編集部注:実はNILOさん、コロナ禍でライヴ活動ができない時期に、ドイツの大学でオーディオ・エンジニアの勉強をされ、専門用語と格闘しながら、コンソールや機材の使い方、そして録音のノウハウなどをマスター。その集大成ともいえるのが、作詞・作曲・編曲はもちろん、レコーディング、ミキシング、そしてマスタリングまで全部ひとりでこなして完成させた、7月リリースの新曲「フィール・ザ・フロー」で、この日のラスト・ソングとしてオンエアしました)
INFORMATION
NILOさんの今月9月のジャパン・ツアー、日程と会場をおさらいしておくと・・・
9月25日(水)「札幌D-BOP (ディーバップ)JAZZ CLUB」
9月26日(木)同じく札幌の「純喫茶オリンピア」
9月27日(金)大阪・東心斎橋「真心場(まほろば)」
9月28日(土)名古屋・今池「imago(イマーゴ)」
9月29日(日)江ノ島・虎丸座(とらまるざ)
9月30日(月)表参道・ZIMAGIN(ジマジン)となっています。
ぜひライヴ会場にお出かけください。会場によってはソードアウトになっているところもありますので、詳しくはNILOさんのオフィシャルサイトをご覧ください。
◎NILO:https://officenilo.com
2024/9/15 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、女優、そしてタレントとして活躍されている「長沢 裕(ながさわ・ゆう)」さんです。
長沢さんは、日本テレビの「ZIP!」でお天気キャスター、そしてNHK Eテレの「趣味の園芸 やさいの時間」にもレギュラーで出演されていましたよね。現在はYouTubeの人気ドラマ「おやじキャンプ飯」シリーズでもお馴染みです。
きょうはそんな長沢さんに、農作業体験や東京湾での釣り、そしてソロキャンプのお話などうかがうほか、番組後半では「日本シェアリングネイチャー協会」の事務局長「渡辺峰夫(わたなべ・みねお)」さんに加わっていただき、長沢さんの地元福島で開催するキッズ向けネイチャーゲーム・イベントについてもうかがいます。

もう一度、自然の近くに
※テレビの情報番組やドラマ、舞台、CMなど、幅広い分野で活躍されている長沢さん、出身は福島で高校卒業後、大学進学のために上京。私と同じ立教大学の同窓生なんです。
そして、大学在学中に初めて受けたオーディションで合格したWEB版「電波少年Tプロデューサーと行く 海外!究極アポなし旅」でデビュー。Tプロデューサーと一緒に世界を巡ったそうですよ。いきなり海外へ連れて行かれて、さぞかし大変だったんだろうな〜と思ったんですが、ご本人は楽しいロケだったとおっしゃっていましたよ。
●長沢さんは、生まれ育ったのが福島県伊達市、なんですよね。どんなところなんですか?
「伊達市は中通りのいちばん北部に位置する、宮城との県境の場所にあるんですけど、やっぱり第一次産業がすごく盛んです。
私が幼い頃から、祖父母が農業をやっておりまして、春になるとサクランボから始まって夏に桃が獲れて、最後はあんぽ柿という伊達市名産の果物があるんですけれども、そちらを生産していて、本当に季節の移り変わりを食だったり、果物で感じているような幼少期でした」
●素敵な場所ですね~。ということは、子供の頃は自然いっぱいの中を駆けまわるような、そんな少女だったですか?
「そうですね。それこそ家の前が小さな里山みたいな感じだったので、裸足になってフキノトウを採りに行ったり、山菜を採ったり、あと秘密基地を山の中に作って遊んでいました」
●すごく自然と距離が近い場所にいたわけですね?
「そうですね。はい!」
●で、高校を卒業されて、東京の大学に進学されたんですよね。東京での生活はすぐ慣れましたか?
「そうですね。すごく刺激的で楽しかったんですけれども、やっぱり自分が田舎が好きっていうのがあったので、ちょっと息苦しさを感じたと言いますか・・・、食生活とかもすごく荒れてしまって、そしたらお肌とかも荒れてしまったので、そこでやっぱり自然が近くにあった生活が、いかにありがたかったのかを感じるようになりました」
●離れてみて気づく、地元の良さというか・・・。
「そうなんですよ~。お野菜とかも安いお野菜ばっかり買うようになっちゃって、目の前の食卓がすごく白いお野菜ばっかりっていうか、もやしとか水菜とか大根とかばっかり買っていたら、あれっ!? 旬とかその時々に食べていた季節を感じる野菜がいつの間にか自分の食卓からなくなってしまったっていう感覚がすごくありました。そういうところからも、やっぱりもう一度、自然の近くに行きたいってすごく思うようになりましたね。
自然にすごく興味があったので、農家さんのところに行ってみようだとか、あと漁師さんのところに行ってみようっていうことで、岩手県釜石の漁師さんの、その当時はまだ仮設だったんですけど、泊まらせてもらって、ワカメ漁を手伝ったりとか・・・。あとは三重県美杉町にある農家さんのところに行って、1日中、芋掘りをするっていう体験をしていました」
●すごいですね~! 子供の頃の、伊達市の経験が役に立ちそうな感じもありますね?
「そうですね。やっぱり自然とのつながりを感じるっていう部分では、“食”ってすごくわかりやすいなって思っています。自分も今一度、自然とのつながりを思い出したいなって思った時に、やっぱり目の前にある食べ物がどこから来て、誰がどんなふうに作っているのかっていう、その現場を見たいなって思っていました」

農作業に釣り、自然とつながる
※長沢さんのプロフィール欄に、趣味として「農作業、釣り、キャンプ」などが書いてありました。ここからは、そんな趣味についてうかがっていきたいと思います。まず、農作業なんですが、大学時代に経験されたそうですね?
「そうです。はい!」
●大学時代に農作業って、どういう経緯で、そういう経験につながったんですか?
「上京してから食生活が乱れてしまったっていうのがあって、もう一度目の前にある食がどこから来ているのか、誰が作っているのかを知りたいっていうふうに思って、よし! これは農家さんのところに行ってみようって考えていた時に、ちょうどゼミの先生からご紹介があって、三重県美杉町にある農家さんのところへ行ったんですね。
そこが、すごくニッチの話になってしまうんですけど、自然農を営んでいたかたで、その考え方とか、単に農産物を作るというよりも生き方として(農業を)やっているかただったので、その考え方に触れられたというのも、すごく衝撃を受けたとともに面白い体験でした」
●なんでそもそも農作業体験を? そういうつながりがゼミであったんですね?
「そうです。ゼミがもともと埼玉県の小川町って有機の里で有名な、『オーガニックタウン』っていう形で、今すごく移住者も増えている場所なんですけれども、そこで活動していて農家さん、それこそそこでも農家さんの田植えを手伝ったりだとか・・・。あと『小川町オーガニックフェス』っていうフェスの実行委員などもさせてもらっていて、そこでそういう世界にさらに興味がわきましたね」
●今でもつながっていたりするんですか?
「つながっていますね。その『小川町オーガニックフェス』で出会ったのがご縁で、そのイベントが環境省さんも後援に入ってくださっていたんですね。そのつながりで今でも、環境省さんの『つなげよう、支えよう 森里川海プロジェクト』というのがあるんですが、そこでアンバサダーをさせてもらっています」
●すごい! そうなんですね~。
「はい!」
●長沢さんのブログなどを見ると、最近は釣りにもハマっているんですよね?
「そうですね。釣りは全くの素人だったんですけども、番組の中で体験させていただくようになったので、本当に初めての釣りから、ひとつひとつ積み重ねていく模様を、まさにその番組の中で見ていただけているというか、そういう感じですね」
●私も一度だけ船に乗って、東京湾で釣りしたことがあるんですけれど、改めて釣りにはどんな魅力があると思われますか?
「東京湾は、すごく豊かな漁場が広がっているんですけど、どっちかって言ったら、私は東京湾で釣りってイメージがあんまりなかったんですね。でも、フグだったり、キスだったり、アジだったり、いろいろ釣ったんですけれど、自分たちが食べている魚が、こんなに近くの海から獲れているんだっていう実感もわきましたね。
自分のキーワードの中で、自然とのつながりって、やっぱり人間が生きている上で、みんな外せないものだけど、それってちょっと忘れがちになっちゃうことだとも思うんですね。そのつながりを取り戻していくことが、私は生活の豊かさとか自分の中身の豊かさにもつながっていくんじゃないかなって考えています。
やっぱり釣りは“釣って自分で料理して食べる! あのキラキラした海から獲れた魚!“、それが自分の体の一部になっていくみたいな、その流れをすべて体験できるのがすごく魅力だなって思っていますね」
友達と行くソロキャンプ!?
※長沢さんは、YouTubeドラマ「おやじキャンプ飯」シリーズにレギュラーで出演されていますが、以前からキャンプはやっていたんですか?
「そうですね。子供の頃から父と一緒に家族みんなで(キャンプに)行っていました!」
●キャンプ用のグッズも、ひと通り揃えていらっしゃるんですね?
「そうですね。実家には父が昔から集めてきた年季の入ったキャンプ・グッズがありますし、あと自分ではソロキャンプしたいなって思って、ひとり用のテントを買って・・・」
●そうなんですね~。
「はい、リュックの中にすべて詰めて行くぞ! っていう感じのキャンプ用品を買いました」
●まだソロキャンプはされてはいないんですか?
「2回行きました! なかなか行けてなくて、まだ2回なんですけど・・・」
●もう行かれたんですね! どうでした、ソロキャンプは?
「ソロキャンプは2回行って、友達と行くんですけど、でもソロなんですよ。行くまでは一緒なんですけど、キャンプ場で別れて、ひとりひとりテントを張って、ご飯を食べてっていう感じなんですね。今は“グループキャンプ”って言うんですかね? それなんですけど、すっごく楽しいですよ! やっぱり夜空を眺めながら食べるご飯とか、あと夜の静けさとかはやっぱりキャンプ場じゃないと感じられないなと思いますね」
●そうですよね~。お友達といろいろ喋りながら見るわけじゃなくて、ソロキャンプそれぞれのキャンプだから・・・。
「そうです!」
●自分で見たい時間に星空を見て・・・。
「そうです! もうひと言も喋らないですね (笑)。次の朝、荷物をまとめるまでひと言も喋らなかったです(笑)」
●キャンプのどんなところに魅力を感じますか?
「やっぱり『おやじキャンプ飯』を観ていただくと、特に感じられると思うんですけれども、焚き火のはぜる音だったり、ただ無心で焚き火を眺める瞬間だったり、星を見上げる瞬間だったり、風の音を聴く瞬間だったり・・・キャンプを始めて時間が経つにつれて、五感が解放されていく感覚ってすごくあって、それは体験しないとわからないですし、体験すると病みつきになっちゃうなって思います」
●おすすめのキャンプ飯とか、定番のキャンプ飯っていうのはあるんですか?
「これはやっぱり友達と行った時にやるのが楽しいんですけれど、ちっちゃいスキレットを持っていって、アヒージョをするのがすごく好きですね。アヒージョって何入れても美味しいじゃないですか! なので、その土地のお野菜とか直売所で見つけたお野菜だったりを買って、アヒージョを作るっていうのがすごく好きですね」
『シェアリング・ネイチャー・ウィズ・チルドレン』
※ここからは「日本シェアリングネイチャー協会」の事務局長「渡辺峰夫」さんに加わっていただきます。
長沢さんは地元福島で、キッズネイチャー倶楽部のプロジェクト・リーダーを担っていらっしゃいます。その倶楽部を始めたきっかけや、活動内容などをお話いただきました。

長沢さん「もともと私が日本シェアリングネイチャー協会さんのリーダー養成講座を受けさせていただきまして、それがすごく楽しかったんですよね。自然の中で様々な体験を、ということで、ちょっとしたゲームをするんですけれど、それをぜひ福島にも広めたい! もともと福島にもあるんですけど、もっと活発に子供たちと一緒にネイチャーゲームで遊べたらなって思って、こういう活動をしたいんです! っていうような話をいろんなところでしていたんですね。
その中で昔から私のことをすごく応援してくださっていたかたが手を挙げてくださって、福島テレビさんとも組んでやらせていただくことになりました」
●何かコンセプトのようなものはあるんですか?
長沢さん「これはちょっと個人的な思いにもなってしまうんですが、やっぱり私自身小さい頃、自然の中で遊んでいた体験が、大人になってからもすごくキラキラした思い出として残っているんですね。
それって子供の頃は当たり前にあった風景、たとえばフキノトウを採った思い出とか、すごく暑くて、でも秘密基地を作っていたら、すごく爽やかな風が吹いていったとか、そういった体験が大人になってからも素敵だったな~って思うので、そういうのを子どもたちと一緒に、子どもたちの中にも共有できたらなって思って始めました」
※ネイチャーゲームという名前を初めて聴いたというリスナーさんもいらっしゃると思いますので、改めて、ネイチャーゲームとは何か、ご説明いただけますか?
渡辺さん「ネイチャーゲームは、1979年にアメリカのナチュラリスト、ジョセフ・コーネルが書いた書籍『シェアリング・ネイチャー・ウィズ・チルドレン』、これは“子どもたちと自然を分かち合おう”というタイトルの書籍なんですけども、その中で発表された自然遊びのプログラムになっています」

●具体的にネイチャーゲームは、何種類ぐらいあるんですか?
渡辺さん「今、登録されているゲームは166あるんですね。これはいちばん最初に書かれた本に入っていたものが166なのではなくて、その後に、たとえば日本で“これ、ネイチャーゲームにならないかな?”っていうのを応募してもらって、いろんな段階を経て“これはいいぞ”というやつをネイチャーゲームとして新しく登録しているので、166のうちの半分ぐらいが日本で生まれたネイチャーゲームになっています」
オリジナルのネイチャーゲーム「いろいろ鬼」
※長沢さんがプロジェクト・リーダーのキッズネイチャー倶楽部で、もうすぐイベントを開催するんですよね?
長沢さん「これは子どもたちと一緒にネイチャーゲームを通して、自然の持つ様々な表情だったりとか不思議とか、あと自然の仕組みを学んで、普段気づかないような発見だったり、自然とのつながりを感じましょうというようなものなんですね。
(イベントの)日程をお知らせしますと、9月28日に『ふくしま県民の森 フォレストパークあだたら』、10月6日に『国立磐梯青少年交流の家』そして11月2日に『福島県いわき海浜自然の家』で行ないます。詳しくは『福島キッズネイチャー倶楽部』で検索していただきたいと思います」
●どんなネイチャーゲームをやるのかっていうのは、もう決まっているんですか?
長沢さん「はい、決まっていますね」
●ちょっと教えていただいてもいいですか?
長沢さん「はい、大丈夫です! 何がいいですかね・・・今回『生き物ビッグパズル』というものをやるんですけれども、これは大きなパズルがひとり1枚配られて、それをみんなで完成させるっていうようなものなんですね。
あとは『カモフラージュ』っていうものもやるんです。これは自然の中にちょっとした人工物だったり、自然の中にもいるようなカマキリのフィギュアみたいなものだったりを隠しておいて、それをみんなで列になって、静かに目を凝らしながら探していくようなゲームもやったりします」

●渡辺さんも、そのイベントのサポートをされるんですか?
渡辺さん「はい、私はプログラム作りのサポートをさせていただくんですけど、福島県にいるネイチャーゲームの仲間が長沢さんと一緒にプログラムの指導をすることになっています」
●長沢さんが考えたオリジナルのネイチャーゲームもあるんですか?
長沢さん「基本は(日本シェアリングネイチャー協会の)ネイチャーゲームから選ばせていただいて、アレンジは渡辺さんと一緒に考えさせていただいたんですね。今回はその中でもあれですね・・・『いろいろ鬼』!」
渡辺さん「ああ~!」
長沢さん「これは渡辺さんと話している中でできた遊びで・・・いいですかね?」
渡辺さん「そうですね、はい! いいですね!」
●いろいろ鬼?
長沢さん「はい! これは昨年(イベントを)実施させていただいた時に、最後に子供たちが、最初はみんなちょっとよそよそしいんですけど、ネイチャーゲームを体験していく中で、最後はもう友達みたいになって、いつの間にかみんなで遊び始めるんですよ。その時に“色鬼”を始めたんですよ。
その体験がいちばん、私の中ではやってよかったなというか、こうして人が自然につながって、最後はみんなで遊ぶってすごく素敵だなっていう話を渡辺さんにした時に、“その色鬼、いいかもね!”っていう話をしてくださったんですね。
色鬼ってみなさんご存知だと思うんですけれど、鬼が色を言って、鬼に捕まる前にその色にタッチしたらセーフっていう遊びじゃないですか。その色を言うだけじゃなくて、いろいろなもの、たとえば・・・“チクチクしたもの”とかでもいいかもしれませんし、秋口にやるんであれば、“黄色い葉っぱ”とかでもいいと思うんですけね。そういったいろいろなものを鬼が言って、それを鬼に捕まる前にタッチしてもらうっていうような『いろいろ鬼』を考案させていただきました」
「心の自然」を豊かに
※では最後におふたり、それぞれお聞きします。これまで自然の中に身を置いて、どんなことを感じ、何か気づいたことはありましたか?
長沢さん「私は悩んだ時とか、ちょっと心がモヤモヤした時に自然の中に行くんですよ。それは家の近くで、ただ空を見るでもいいですし、温泉に入りに行くとかもそうなんですけれども、なんて言うんでしょう・・・やっぱりゆっくり自然の中に浸っていると自分を取り戻すことができるんですね。
日々から離れてちょっとゆっくり考える時間を持つとか、それこそ自分の感覚を研ぎ澄ますこととか、それってすごく豊かになるなって思っていて、私は『心の自然』っていう言い方をしているんですね。
やっぱり心の自然が豊かになればなるほど、何か自分が疲れてしまった時とか、あと大変な時にちょっと思い出すだけで、すごく“心の栄養”になると言いますか、自分を支えてくれるものになるなと思っているので、これからもたくさんいろんな経験を自然の中でしていきたいなと思っています」
●渡辺さんはいかがですか?
渡辺さん「はい、自然って言うと大自然みたいなことをイメージするじゃないですか。なので、そういった大自然の中に行って、すごく安らぐなって思われるかたはたくさんいらっしゃると思うんですね。でも、実は自然って大自然ばかりじゃなくて、植木鉢の花とか、あとは車がたくさん通っているところの横に生えている街路樹とか、そういったものも自然なんですよね。
そういう自然に気づけた時に、自然からも安らぎを得られるみたいな、そんなふうになってもらうといいなと思っていて、私自身が昔はそういうことは感じなかったけども、ネイチャーゲームを知って感じられるようになったので、そう思っています」

INFORMATION
長沢さんがプロジェクト・リーダーの、福島の未来を作るプロジェクト「キッズネイチャー倶楽部」のイベント、日程や場所などをおさらいしておくと・・・
9月28日(土)「ふくしま県民の森 フォレストパークあだたら」、
10月6日(日)「国立磐梯青少年交流の家」、
11月2日(土)「福島県いわき海浜自然の家」、
いずれも午前10時から。各回・定員は80名、参加費は無料です。参加ご希望のかたは、締め切り間近の回もありますので 早めにチェックすることをお勧めします。参加方法など、詳しくはキッズネイチャー倶楽部のオフィシャルサイトをご覧ください。
◎キッズネイチャー倶楽部:https://kidsnatureclub-ftv.jp
「日本シェアリングネイチャー協会」主催のイベントも来月開催されます。毎年10月の第3日曜日は「全国一斉シェアリングネイチャーの日」で、今年は10月20日(日)の開催となっています。今年のテーマは「はっぱで遊ぼう!」。はっぱや落ち葉を使った遊びが、順次サイトで紹介されていますよ。
参加方法など、詳しくは公益社団法人「日本シェアリングネイチャー協会」のオフィシャルサイトを見てください。
◎日本シェアリングネイチャー協会:https://www.naturegame.or.jp
2024/9/8 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、特別展の総合監修を担当された国立科学博物館の研究員「井手竜也(いで・たつや)」さんです。
井手さんは1986年、長崎県出身。昆虫少年というよりは野球少年だった井手さんなんですが、生き物は好きで、九州にいるクマゼミをたくさん採っては家の中に放つような子供だったそうですよ。
そして高校生のときに生物部に入部、そこで昆虫研究の面白さに目覚め、宮崎大学農学部に進学し、昆虫の研究室に所属。おもにキャベツ畑に発生する「蛾(が)」を研究していたそうです。その後、九州大学大学院、森林総合研究所の研究員を経て、現職の国立科学博物館・動物研究部の研究員として活躍されています。

今週は特別展「昆虫 MANIAC」をクローズアップ! マニアックとタイトルづけされた特別展の見所や、井手さんの専門ハチの研究から、香りを運ぶハチや、寄生するハチの戦略など、興味深いお話をうかがいます。
☆写真協力:国立科学博物館
5人の研究者、五人五様のマニアック!?
※今回の特別展、タイトルに「マニアック」とあるのがポイントなんですよね?
「はい、そうですね。虫の色や形、生態とかの多様性にマニアックな視点で迫るっていうのが今回の特別展のポイントになっていて、研究者が監修しているんですね。
夏は昆虫展がいろんなところで行なわれていて、その中には研究者が監修に関わっているものもあるんですけれど、今回は本当に第一線でやっている、国立科学博物館の昆虫研究者が5人揃って監修していることもマニアックなところです。滅多に見られない昆虫とか、知っている虫でも全然知らないポイントがいろんなところで紹介されているような展示になっています」

●「トンボの扉」「ハチの扉」「チョウの扉」「クモの扉」「カブトムシの扉」など、いろいろありましたけれども、厳密には昆虫ではないクモとか、ムカデなども展示されていますよね。それは昆虫ではなく、ムシっていう扱いなんでしょうか?
「そうですね。昆虫には定義があるんですよ。ただ“ムシ”っていう言葉には実は定義がなくて、小さな生き物を総称して“ムシ”って呼ぶこともあるんです。なので、ムシの中に昆虫が含まれているっていうことになりますね。クモとかムカデは昆虫ではない、大きくいうとムシだというところですね。
昆虫の定義は頭、胸、腹に体のパーツが分かれていて、その胸の部分から6本の足が生えているのが、昆虫のいちばんの基本的な定義になるんですね。一方で、クモだったら足が8本で、ムカデだったらもっとあって、多足類って呼ばれていて、たくさんの足が生えているんです。
ただ、昆虫とかムカデやクモは全部、ひとつの節足動物っていうグループに入るんですね。この特別展では、昆虫と昆虫以外の陸上に生息する節足動物類を、ムシと定義して扱っています」
●展示してある標本などは、すべて国立科学博物館で所蔵しているものということですか?
「そうですね。大部分は国立科学博物館の収蔵庫から、筑波に収蔵庫があるんですけれど、そこから選び抜いて持ってきたもので、いくつかほかの博物館だったり大学だったりからお借りしているものとか・・・。さらには今回の特別展のために研究員が自ら野外で採集してきて、標本を作ったものなんかも展示していたりしています」
●巨大な模型も目を引いて、思わず写真を撮っちゃいましたけど、この精巧な模型にもこだわりを感じたんですが・・・。

「そうですね! あれは研究者が5人いまして、五体全部、それぞれにこれだ! っていうのを選んで作っているものになるんです。職人のかたがちゃんと一個ずつ作っていて、それを研究者が細かい部分、この部分の形が違うとか、この色が違うとか、そういうところを細かく監修して作ったものなんですよ。
本当に顕微鏡で覗いた時に感じる、その虫の面白さとか、あと野外で近づいてよく観察した時に見える、その虫のちょっとした動きみたいなところも表現していて、それを大きなもので見ることができるっていう模型になっています」
●ただ単に大きな昆虫の模型っていうよりは、マニアックな視点で見る模型っていう感じですよね?
「そうですね。細かいところを見れば見るほど、ここはこういうふうになっていて、こういう動きに役立っているんだとか、そういうのが見えてくるようなものになっています」
ミツバチはハチ界では珍しい!?
※井手さんの専門は、ハチだそうですね。今回の特別展でも、もちろんハチの展示を担当されていますが、なぜハチを専門に研究することにしたんですか?
「ハチと言っても、実は自分の専門は、タマバチっていうごく小さな、2〜3ミリくらいしかないようなハチなんですね。タマバチからハチの世界に入ったというところで、タマバチの研究をしていく上では、ほかのハチのことを比較対象として知らなければいけないっていうところで、徐々にハチ全体にという感じで、ハチの研究を始めたという感じです」
●タマバチには、どんな特徴があるんですか?
「タマバチは植物に寄生する寄生バチなんですね。要は植物に卵を産みつけて、その部分を“虫こぶ”と呼ばれる、植物の一部が膨れたような巣に変形させるっていう特徴を持っています」
●そもそも井手さんは、どうしてタマバチを研究することになったんですか?
「やっぱり“虫こぶ”を作るっていう生態の面白さから、タマバチの研究をやってみたいって思ったんですけど、タマバチってそもそもほとんど名前が知られていないというか、図鑑にもほとんど載ってないような昆虫です。いわゆる分類学っていう、新種とかもまだまだたくさんいるような、名前がついていないようなハチがたくさんいるようなグループだったんですね。だからそのタマバチの分類学という分野を専門に研究することにしました」
●ハチっていうと、ミツバチとかスズメバチっていうイメージがあったんですけれども、世界的にはハチってどれぐらいいるんですか? 種類でいうと・・・?
「種類でいうと、ハチは名前がついているだけで、いま世界で約15万種って言われています。15万種ってどれくらい多いかっていうと、哺乳類だと世界で約6500〜6600種くらいと言われているので、ハチだけでも圧倒的に哺乳類の全種数を上回るほどです」
●すごい! 日本だと何種類ぐらいのハチがいるんですか?
「日本で、大体6500種以上が知られていますね」
●そんなにいるんですね!
「はい、ただ多分みなさんが知っているのは、ミツバチとかアシナガバチとか
スズメバチとか、そのあたりの名前しかあまり知られてないっていうところがあったりします」
●ミツバチは花粉を運んで、いろんな果実とか野菜などを作ってくれているっていう、人間にとってありがたい存在かなって思うんですけれども、ミツバチ自体の種類は多いほうなんですか?
「いや、これがですね〜、ミツバチっていうのは、ミツバチ族っていうグループがあるんですけど、ミツバチ族は世界で9種しか知られてないですね。しかも日本でいうと2種なんですね。ニホンミツバチとセイヨウミツバチ。もともと日本にいたミツバチはニホンミツバチのたった1種しかいないくらい、実はミツバチってハチ界でいうと、ものすごく珍しい存在と言えるかもしれない昆虫なんですよね」
香りを運ぶハチ、寄生するバチ
※今回の特別展で「香りを運ぶ」ハチのパネルがありました。この「香りを運ぶ」ハチとは、どんなハチなんですか?

「その香り運ぶハチって、中南米だけに生息するシタバチっていうハチなんですね。中南米のシタバチは、ベロが長いようなストロー状の長い口を持ったハチなんですけど、これのオスが、花の香りを集める習性を持っているんですね」
●オスだけなんですか?
「オスだけなんです。オスの後ろ足が太くなっていて、その後ろ足の中がスポンジ状になっているんですね。シタバチのオスは花を見つけると、その花の表面を前足で撫でて、口から出した分泌液と香りを混ぜて、香り成分をその液体の中に閉じ込めるんですね。それをスポンジ状になった後ろ足の中に、後ろ足に隙間が空いていて、そのスリットから分泌液を押し込んで、香りを足に溜め込むっていう習性を持っています」
●その香りがあることで、どうなるんですか?
「香りを集めるオスほど、メスに選ばれやすくなるのが知られていますね。だからメスへのアピールとして使われているっていうところです」
●そのために香りを運んでいるんですね! 特別展の会場でその香りを再現していますよね?
「そうですね。シタバチを採集したり調査する時に、香り成分をぶら下げて、ハチが寄ってくるのを捕まえるんですけど、捕まえる時に使う香り成分を実際に(会場に)置いています。2種類置いていまして、ちょっといい香りとちょっと嫌な感じの香りと、ふたつ置いてあります」
※ほかにも寄生するハチの展示がありました。ほかの虫の幼虫に寄生するハチがいるんですよね?
「そうですね。さっきハチが世界で15万種いるって言ったんですけど、実はその半分以上は“寄生バチ”って言われていて、ハチの中ではいちばんメジャーなグループが寄生バチなんですね。特にいちばん種類が多いのがヒメバチって呼ばれているグループで、ヒメバチって名前がついているだけで約2万5000種、全生物の中でもそのグループの種数が多いものとして知られています。
ヒメバチって英語で『ダーウィン・ワスプ』って呼ばれていて、ダーウィンは進化論で有名なチャールズ・ダーウィンなんですけど、ダーウィンが手紙の中で『神がこんな残酷な生物を作るはずがない!』っていうメモを残していて、だから進化論を考えるに至ったみたいなことが言われています。それに由来して『ダーウィン・ワスプ』って呼ばれているのが、このヒメバチっていうグループがいる寄生バチの仲間ですね」
●ヒメバチは、どんなハチなんですか?
「ヒメバチは今回実は、巨大模型として作ったエゾオナガバチがあるんですけど、それもヒメバチの仲間なんですね。ほかの昆虫に卵を産みつけて、寄生した相手を幼虫が食べて育って、体を突き破って出てくるっていう習性を持ったハチです」

●なんかすごいですよね・・・エイリアンみたいな・・・寄生するってすごい!
「そうですね。本当にリアル・エイリアンみたいですね」
●ヒメバチって可愛らしい名前なのにすごいですね(笑)
「このヒメバチにすごく近い仲間で、コマユバチっていう寄生バチがいるんですけど、その仲間だと『寄主操作』って言われていて、寄生した相手を操るっていう現象も知られています。実際展示ではコマユバチがシャクトリムシ、シャクガっていう蛾の幼虫なんですけど、寄生したシャクトリムシを操っている様子の動画も見ていただくことができるようになっています」
刺すのはメスだけ?
※ハチは「刺す」昆虫のイメージもありますよね。刺すのはメスだけなんですよね?
「はい、そうですね。おもに毒針を使って刺すのは、メスだけっていうことなんですけど、これって実はいろいろ話があるんです。まず、なぜメスが刺すのかっていうと、メスの毒針はもともと産卵管って呼ばれる、卵を産みつけるための針だったんですね。なので、それを進化させたため、毒針を持っているのはメスだけだからメスしか刺さない、オスは刺さないっていうのが一般的なハチとして知られているところなんですけど・・・。
もう一歩先に行くと、実は刺すオスも見つかっていて、それは毒針で刺すのではなくて、交尾器って呼ばれる、メスと交尾するための部分が針状に変化していて、それで刺すっていうものも見つかっていたりします。
一方でメスであっても毒針を退化させて刺さないハチもいて、それはハリナシバチっていうハチがいるんですけど、そんなものもいるとか・・・例外だらけでひと言で語れないっていう、この面白さを伝えたいっていうのが、今回の『昆虫 MANIAC』のポイントでもあるんですね」
●へぇ~面白いですね~。なんかハチとハエって似ていますけど、近い種だったりするんですか?
「ハチとハエはどちらも『完全変態昆虫』って呼ばれる、さなぎを経て成虫になるタイプの昆虫って意味では近くて、あと、 どちらも翅(はね)が薄い膜状で透明になっているっていうところは共通しているんですけど、ハチとハエ自体は昆虫の進化の流れでいうと、少し離れたところにはいるものになります」
昆虫は多様で面白い
●今回の特別展「昆虫 MANIAC」では、子供たちにも大人気のカブトムシなどの甲虫から、とても美しいチョウだったり、あとパンダのようなアリ、バイオリンのようなカマキリなど、本当にマニアックな標本が展示されていて、昆虫好きにはたまらない特別展だと思うんですけれども、昆虫の世界って本当に多様性に富んでいるんですね?

「そうですね。名前が付いているだけで100万種で、付いてないものも含めると約500万種くらいいるって言われていて、だからもう本当に形にしろ生態にしろ、いろんな多様性が見られるっていうのが面白さですね」
●世界にはもう昆虫だらけってことですよね! 特別展の総合監修を担当された井手さんから今回の特別展のここを見てほしいとか、こんなことを感じてほしいなど、何かありましたらぜひ教えてください。
「会場にはたくさん標本があるんですけれど、標本と一緒に解説パネルがいっぱい用意されているんですよね。全部読まなくてもいいとは思うんですけれど、その解説パネルを読んで、その標本を見ると、なんでこの標本が展示されているんだろうっていうのが見えてきて、それ読んだ上でまた昆虫を見ると、すごく面白く感じていただけると思います。

研究としては標本を基本的に扱っているんですけど、やっぱり生き物なので、自然の中で生きている姿を見てもらうのがいちばんだと思うんですよね。だから博物館でまずは、逆に標本じゃないと細かいところは見られないので、そういうところでいろんなことを知った上で、改めて身近な環境でたくさんの種類に出会うことができる、多様性の面白さを感じられるのが昆虫だと思うので、そういったものになればいいなと思います」
INFORMATION
井手さん始め、5人の研究者がそれぞれの得意分野を存分に発揮して、マニアックに攻めた展示をぜひご覧ください。「トンボ」「ハチ」「チョウ」「クモ」そして「カブトムシ」の5つの扉があなたを待っていますよ。標本、写真パネル、動画、そして精巧に作られた巨大模型にもご注目ください。
音声ガイドナビゲーターは声優の江口拓也さん、公式サポーターはアンガールズで、山根さんが発見した新種の昆虫標本も展示されていますよ。特別展のオリジナルグッズにも注目です。
現在開催中の特別展「昆虫 MANIAC」は10月14日まで。尚、9月9日(月)は休館日となっています。開館時間は午前9時から午後5時まで。入場料は一般と大学生2,100円、小・中・高校生は600円。9月中は、ほかにも休館日がありますので、ご注意ください。詳しくは、オフィシャルサイトをご覧ください。
◎昆虫 MANIAC:https://www.konchuten.jp
井手竜也さんの研究サイトも見てくださいね。
◎https://www.kahaku.go.jp/research/researcher/researcher.php?d=ide
2024/9/1 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、バックパッカーそして紀行家の「シェルパ斉藤」さんです。
斉藤さんは1961年、長野県生まれ。本名は「斉藤政喜」。学生時代に中国の大河、揚子江をゴムボートで下ったことがきっかけで、フリーランスの物書きになり、1990年に作家デビュー。
現在もアウトドア雑誌「BE-PAL」の人気ライターとして「シェルパ斉藤の旅の自由型」という連載を30数年続けています。また、1995年に八ヶ岳山麓に移住、自分で建てたログハウスで自然暮らしを送っていらっしゃいます。
今回は、斉藤さんらしい旅のお話として、まずは、新しくなったお札をモチーフにしたユニークな旅、そして新しい本『シェルパ斉藤の山小屋24時間滞在記』をもとに、温泉や食事が抜群の、個性的な山小屋のお話などうかがいます。
☆写真:シェルパ斉藤、イラスト:神田めぐみ、協力:山と渓谷社

1万円札の旅!?
※今回、斉藤さんにお話をうかがったのは先月で、実は前日まで旅をされていて、ご自宅に戻る前だったんです。そんな斉藤さんが、東京に立ち寄った際に時間をとっていただき、まずは最新のユニークな旅のお話をうかがいました。どんな旅だったのか、今回はほんのさわりだけ、ご紹介します。
「行っていたのは九州なんですよね、大分県の中津ってところにいて・・・。で、きのういたのが埼玉県の深谷。まだ家に帰ってないから、旅の途中なんですよ」
●きょうも大きな荷物を持っていますよね。
「ええ、それで中津、深谷でピーンときた人は、相当アンテナを張り巡らせているかただと思うんですけど、最近の日本での大きな出来事でいうと、オリンピックは日本の話じゃないので、その前に1万円札が変わったんですよね」
●新紙幣に!
「はい、それで僕、たまたま3月に九州を旅して、その時は野田知佑さんが亡くなって、追悼する自転車ツーリングに出かけていたんですよ。大阪から自転車で走って、大分県の国東半島に入って、そこからずっと走ったら中津を通ったんですね。で、中津を通ったら、“1万円札、さようなら”みたいな感じで、福沢諭吉の生誕地なんですよ。駅にいろいろとちょっとしたメモリーっぽいものがあったりして・・・。
それを見たあとに、5月かな、今度は旧中山道を旅していて、下諏訪のほうから江戸日本橋を目指して、いろいろ宿場町に寄って深谷に着いたら、新1万円札で、渋沢栄一でガッと盛り上がっているから、それでピーンときて、このふたつを結びつけてみたら面白いなと。だから福澤諭吉の生誕地から渋沢栄一の生誕地まで旅をしようと。で、1万円札の旅なので1万円だけでやってみようと思ったんですよ」
●1万円で、ですか!?
「うん、だから予算1万円の旅。普通はヒッチハイクとか使わない限りできないんですよ、物理的に」
●大分から埼玉ですよね。
「そうなんですよ。いろいろ交通機関を調べても(1万円では)できないんだけど、今この時期、7月から9月10日まで『青春18きっぷ』っていうのが使えるんですよね。あれは12,050円で5枚つづりで、1日あたり乗り放題、だから1枚あたり2,500円くらいになるんですよね。
で、これを使えば、2日で行けたとしたら5,000円分くらいのはずだから、残り5,000円だと多分食事を1日500円を3回としても1,500円、2日間で3,000円で、2,000円くらいだったらネットカフェか、あとベンチに泊まればなんとかなるんじゃないかっていうことで始めたのが・・・ってか、きのう終わったんですけどね」
(編集部注:1万円札リレー旅の結末、気になりますよね〜。果たして、費用が1万円以内で収まったのか・・・「青春18きっぷ」だけで1万円を越えちゃってますからね〜。どうしたんでしょうね〜。
ほかにも、列車の移動はうまくいったのか、福澤諭吉、渋沢栄一、それぞれの生誕地で何を感じたのかなど、旅の顛末は、9月9日発売の「BE-PAL」10月号の連載記事「シェルパ斉藤の 旅の自由型」で明らかになります。ぜひチェックしてください)
山小屋の間取りをイラストに
※ではここからは、斉藤さんの新しい本『シェルパ斉藤の山小屋24時間滞在記』をもとにお話をうかがっていきます。この本は山岳雑誌「PEAKS」に連載していた記事を、大幅に加筆修正してまとめた本ということで、まずは、連載が始まったいきさつについてお話しいただきました。

「僕は実は山小屋、あんまり詳しくなかったんですよ。いつもテントを張ってどうこうしているっていうのがあって・・・。それと、なんか山小屋は泊まりにくかったんですよね、なんとなく気分的に。
まずひとつはお金がかかるっていうのがあるし、僕は63歳になったんですけど、若い頃って山小屋はなんか嫌だったんですよ、怖くて親父さんが・・・。すごく怒られるみたいな、”山はそんなもんじゃねえ!”みたいなイメージがあって、頑固親父のイメージがあったんですよね。
それもあって、なかなか山小屋を実は避けていて、これが50歳過ぎてから、とりあえず山小屋に対する抵抗感がなくなってきてというか、やっぱり代も様変わりしていますし、それもあるけど・・・。
僕が住んでいるのは八ヶ岳のふもとなんですよ。ふもとに住んでいるのに地元の山小屋は実は泊まったことがあんまりないなって気づいて、それで『PEAKS』って山雑誌が、なんか連載してくれないかって頼んできて、提案したのが山小屋をやりたい、泊まったことないから。
それでまず八ヶ岳の山小屋を片っ端から泊まってみたいと・・・その時に僕がひとつ提案したのが、この本の売りにもなっている間取りですよね。山小屋ってその地形に合わせて作っているし、自然環境に合わせて作っているので、例えば平地の建売住宅のような同じ建物って絶対作れないんですよ、限られた条件の中で工夫して作っているもんですから。で、さらに建て増し建て増しとかってやっていくと、すごく複雑になっているんですよね。
で、一軒として同じ建物がないこの山小屋の間取りとかをイラストで描いたら面白いんじゃないですかっていう提案をして・・・。で、普通、山小屋ってだいたいご主人とかそこの歴史とかをフィーチャーしていくんだけど、やっぱり建物だけでも面白いから、僕は当然、人物の話を書いたりいろいろしていくんだけど、建物が一発でわかるイラストを載っけたら面白いんじゃないかと・・・。僕が自分で家を作っているってこともあって、ちょっとした建築のことなら少しわかるので・・・。で、編集長に提案して、間取りを描けるイラストレーターを誰か紹介してって頼んで、紹介してもらったのが神田めぐみさん。
ただ、彼女は当時25〜26歳だったかな。まだ駆け出しのイラストレーターだったんですけど、(神田さんは)山に登れるっていうのは聞いていたんですよ。で、その時、僕が“間取りを描けますか?”って聞いたら、”はい、描けます!”って力強く言ってくれたんですけど、あとで聞いたらほとんど描いたことがなかった(笑)」
●そうだったんですね(笑)
「駆け出しだったからやっぱり連載を持てるっていうのに喜んで、それが始まりだったけど、本当に初っ端からかな、すごく上手く描いてくれて、それからコンビでずっと一緒に(山小屋取材に)行くようになりましたね」
(編集部注:イラストレーター神田めぐみさんと山小屋の取材を行なうようになった斉藤さん、年齢的には二回りも違うということで、最初はいろいろ気を遣っていたようですが、神田さんが斉藤さんの話にのってくれるし、同じ視点で見ていることに気がつき、手応えを感じたそうです。また、神田さん自身も山旅を楽しんでいたそうですよ)
「滞在記」がポイント
※取材する山小屋は、どんな基準で選んだんですか?
「この本は全部で4章に別れているんですけど、最初は八ヶ岳編、次は奥秩父編、これは僕の家から近いからっていうか、僕の地元だからっていうことなんですけど(笑)、最初はエリアごとに区切って、奥秩父が終わった段階で全国に足を伸ばそうと。ですから八ヶ岳編、奥秩父編の時には一応全部(山小屋を)選ぶことなしに片っ端から行くっていうのがあったんですね。
で、全国編になってからどこでも行きたいと思ったところに行こうと。その時の基準は・・・基準というか、できない山小屋があるんですよ。それはでかい山小屋、大きな山小屋。これはやっぱりイラストを描くっていう売りなので、大きすぎると描ききれない、ページに収まりきれない。それと僕がいろんな人と話をするのにスタッフが多いとやっぱり無理なんですよね。
僕は普通の宿泊記ではなくて(タイトルを)滞在記にしているのは、そのスタッフのかたと仲よくなる。いろいろと話を聞いたりとか、それにはやっぱり顔と名前を覚えられなければいけないっていうのが僕の中であって、10人くらいまでならまだいいんですけど、大きな山小屋って30人40人、全員と話ができないって状況になると、ちょっとそれは本当にただ宿の紹介だけになっちゃうから・・・。
だからこの滞在記っていうタイトルも、24時間滞在記ってなっているんですけど、要は宿泊じゃなくて滞在したからこそ仲よくなれたりとか、滞在しているからこそ、普段だと聞けないような話も聞けたりとか、ということができたっていうのもあるので、そういう意味では話ができる山小屋というのを前もって、僕も神田さんも山業界にいろいろと知り合いがいるから、あそこはいいよとかっていう情報が回ってくるから、それで選んでましたね」
飲ませ上手な花ちゃんと、しのぶさん
※この本には、唯一無二の個性的な山小屋が145軒、立体的なイラストとともに紹介されているんですが、山小屋のご主人や小屋番、そしてスタッフがこれまた個性的なんです。その中から、南アルプスの「光岳(てかりだけ)小屋」の管理人になった花ちゃんのお話をしていただきました。

「そもそも知り合ったのは、この山小屋の取材で知り合ったんですけど、その時は南アルプスの『鳳凰(ほうおう)小屋』ってところにいたんですよ。そこで知り合って、当時はまだ(彼女は)26歳くらいだったのかな。
で、知り合ってからいろいろと、うちにも遊びに来るようになって・・・そう! 彼女と僕、結構、山に行ったり、いろいろしているんですよね。一緒に東北の山へ、たまたま僕が避難小屋で薪を使ったから、“薪の恩返しに行こう! 付き合う?”って言ったら、わざわざ薪を運んでくれて、東北の山に行ったりとか・・・」
●花ちゃんは、山小屋を転々として管理人さんになったんですよね?
「そうなんですよ。最初は『鳳凰小屋』にいて、それから順番もバラバラなんだけれども、『広河原(ひろがわら)山荘』とか『こもれび山荘』とか、と言っても多分みんなピンと来ないと思いますけれども、『金峰山(きんぷさん)小屋」とか、いろんな小屋を転々と渡り歩いて・・・。
やっぱり山小屋をやっているかたって、自分の山小屋をやってみたいっていう憧れのようなものがあって、要するに雇われているんだけど、管理人としてね。でもやっぱり管理人さんって自分のカラーを出せるわけです、自分の山小屋っていうのは・・・。

その募集があったのが静岡県の『光岳』で、みんな『ひかりだけ』って呼んだりとかするんだけど、すごくマイナーな山なんですよ。一応、深田久弥の『日本百名山』には入っているんですが、みんなここには行きたくないっていうくらいに、“絶望のてかり”って言われていて、それは字で書くと“絶望の光”っていうふうになるんだけど・・・。
普通、山って登ると“やった~、こんな景色が開けていて”っていうのがあるんだけれど、光岳は登っても大して絶景でもないし(笑)、だから“絶望のてかり”って呼ばれているんですけどね。
行くのは遠いんですよ。そこで(花ちゃんが)管理人をやるっていうのがちょうどコロナ禍の時だったのかな、募集があって・・・。だけどコロナ禍になったもんだから、山小屋を開けなくて、準備をコツコツと進めて、ようやく2年前に自分の山小屋として開いたんですよ」
●女性の管理人さんって珍しいですよね?
「最近ちょっと増えているんですよ。光岳の花ちゃんもそうですし、それから南アルプスに『馬の背ヒュッテ』ってあって、そこをやっている斎藤しのぶさんってかたも管理人としてやっているんですね。で、しのぶさんも花ちゃんもどっちも酒を飲ますのがやたらうまい!」
●そうなんですね(笑)
「花ちゃんも自分でいろいろ酒を置いてあるし、特にしのぶさんは本当にお酒が大好き! 自分も好きだし、飲ませ上手なんで、いろんな銘柄を置いてあって、好きに飲めるっていうようなバータイムが始まるんですよ。
特にしのぶさんのところは日本酒なんですけど、飲ませるのがうまいんですよ! 僕は“スナックしのぶ”って言っているんですけど、山の中で気が付けばガンガン飲ませる! でも心地よい飲み方なので・・・ですから、女性ならではの細かいもてなしがあったり。
花ちゃんも(山小屋に)着いたらちゃんと、静岡だから静岡茶のサービスがちょっとあったりとか、そういうきめ細かいサービスがあるところって、ありますよね。なんかそういう意味では(山小屋が)昔のイメージとは全然変わってきて、いいですね」
温泉、混浴、星明かり
※続いては、温泉のある山小屋の、ドキッとして神秘的なエピソードです。
●北アルプスの「白馬鑓(はくばやり)温泉」は男女混浴なんですね?
「だいたい混浴が多いですよね。ほとんど女性は水着を着ているし、男はちょっとね、別にっていう感じで、裸で入ったりしていて、別に決まりじゃないんですよ。女性が水着を着なきゃいけないとかってわけじゃなくて、でも着なきゃ入れないよねっていう・・・。

ただ白馬鑓温泉に行った時は、営業がもうすぐ終わりだったんですよね。白馬鑓温泉って、ほかにも『岳沢(だけさわ)小屋』とか『阿曽原(あそはら)温泉』がそうなんですけど、山小屋ってすごく雪崩が多いところもあるんです。そういうところだと建物も毎回シーズンが終わると撤収するんですよ。撤収してまたシーズンが始まると組み立てる、ですからテントみたいなもんで、それをずっと繰り返すんですね。
それで白馬鑓温泉もそういうふうにシーズン終了に近かったので、全部撤収してっていうので、スタッフが来ていたんですよね。夜、飲んでいるうちにスタッフたちと“お風呂に入ろうよ!”って話になって、それまでは女性もみんな水着とかで入っていたのに、その時はみんなして、すっぽんぽんで!」
●あらっ!!
「僕は男だから当然だけど、女性もすごく気持ち良さそうに(お風呂に)入るんですよね。その時はたまたま、本当に新月で、月明かりもなくて星明かりしかない、だから電気さえつけなければ、本当に真っ暗けなんですよ」
●なるほど~。
「本当にすっ裸で解放感、しかも空を見上げると満天の星だし、その満天の星がたまに湯船に映ったりもして、宇宙を素っ裸でみんなして、仲間になりながらバーっと見上げているっていう感覚は・・・あの感覚はすごくよかったですね」
(編集部注:ほかに苗場にある「赤湯(あかゆ)温泉山口館」は歴史があり、温泉としても旅館としてもよくできているとおっしゃっていました。気なるかたはぜひ、本を見てくださいね)
本格的なフランス料理!? 一流の料亭の味!?
※霧ヶ峰の「鷲ヶ峰(わしがみね)ひゅって」はフランス料理が食べられることで有名なんですよね?

「あそこはちょっと特別ですね。だから山小屋っていう概念じゃなくて、でもペンションでもないし、民宿でもないし、ホテルでもないしっていう独特な世界観がありますね。
ご主人が東京の超一流のシェフから直伝でいろいろ教えてもらって、3年ぐらい修行したとか言ったかな・・・その料理を提供するんですけど、雰囲気もいいから美味しいんですよ。オードブルから始まって本格的なフランス料理が次から次と出てくる!」
●山小屋でフランス料理が食べられちゃうって、すごいですよね~!
「うん、あそこは料理だけでも本当に行く価値があるかなって思いますね。
あとは、おすすめで言うと 『山楽荘(さんらくそう)』って御岳山にあるんですけど、ここはちょっとびっくりするくらいの料理、料亭のように次から次へといろんなものが溢れんばかりに出てきて、しかも一流の料理人のかたが作っているんですけど、そこ自体がもう本当に神の領域なので・・・。
次から次とちっちゃい料理がたくさん出てくる、だから料亭気分ですよね。それを山小屋と言っていいのかっていう感じにはなってしまいますが、あそこもよかったですね~、そういう意味では」
●旅の疲れを取るための山小屋っていうよりは、わざわざ行きたくなる山小屋がいっぱいありますね。
「そうですよね。山小屋は料理もそうですし、それからやっぱりあと場所ですよね。景色はやっぱり行かなければ、見えないものはかなりあるので・・・。
なんでこんなに山小屋がいいのかなって考える時に、日帰りだと多分見えない景色があって、それは山で一日が暮れる、暗くなるまでそこにいられるっていうのは、しかもご飯がちゃんと出てくる、そのあとはそこに暮らしてる仲間たちとお話ができる、夜になると星が出てきて夜明けを迎えられるっていうのは、やっぱりこれ、山小屋の魅力だなっていうのを、山小屋を全然知らなかった人間が言うのはなんですが、それは感じますよね」

(編集部注:ほかにお料理が素晴らしい山小屋として三重の御在所岳にある「日向小屋(ひなたごや)」をあげてくださいました。海の幸、山の幸がテーブルに載らないほど出てきて、どれも美味しい、それでいて、宿泊費が一泊2食付きでなんと4,000円! ご主人の人柄もよく、斉藤さんいわく、山小屋の概念を超越し、知り合いのうちに遊びに来たような感覚になったそうですよ)
映画で言うなら予告編!?
※改めてなんですが、山小屋の魅力とはどんなところでしょう?
「山小屋って、山頂に登るために泊まる施設なんですよね。それから帰りが遅くなった場合とか、山に登るための補助施設みたいな感じなんですけど、僕はそこを旅の宿として、究極の旅の宿というふうに僕は思っているんですよ。旅ってやっぱり非日常を味わうために行くっていう意味では、あんな非日常の宿はないなと・・・。
まず行くのも、大体のところは車で行けないわけだし、歩いて汗をかかないといけないし、そこには電気がなかったり水もなかったり、限られた中で一生懸命みんな工夫しているんですよね。だから人間の生きる知恵も見える、その中で一生懸命もてなしてくれるっていう意味では、非日常を味わえる究極の宿かな、それが山小屋じゃないかなって僕は思っています」
●最後にこの新しい本『シェルパ斉藤の山小屋24時間滞在記』をどんなふうに活用してくれたら、著者としては嬉しいですか?
「正直ね、これ(「PEAKS」に)連載の時は4ページで、結構大きく割いていたんですよ。で、いろんな写真も載っけていたりとか、僕も文章をしっかり載っけていたんですけど、この本は各山小屋を2ページずつで145軒だから、300ページ以上の本になって、文章をかなり削っちゃったんですよね。
ですから、ワンショート・ストーリー、この山小屋はこういう話だってことで、ショート・ストーリーをずっと綴ったつもりなんですね。神田さんのイラストはそのまま載っけているんだけど、僕の文章に限って言うならば、大幅にカットせざるを得なかった。だから最初は、文章を書く人間としてはそれはすごく辛かったし、いいのかなこれでと思ったんだけど、ある時書いているうちに、これは映画で言うなら、予告編の集まりなんだなっていうふうに思って・・・。
やっぱり面白そうな映画って予告編を見たら本編を見たい!と思って、映画館に行くように、だからこの本を読んで、この山はこういうふうになっていて、こんな感じなのかって思ったら、この山小屋に行ってもらいたいな。だから山小屋へ行くための導きになったらいいな、きっかけになってもらいたいなっていう、そういう意味ではパラパラ見ると大体わかるし・・・。
それから詳しいデータは一切載っけていません! っていうのは、ホームページとか見れば大体わかるから。だから誰もがわかることではなくて、僕が感じたこと、滞在してわかったことを書いているんですね。だけど多分行けば、全然違う体験になるだろうから、それを味わうためにあくまでもインビテーションっていうか、きっかけとしてこれを使ってもらえればなと思います」
(編集部注:今回の本は“24時間滞在記”ということで長く滞在することで、山小屋のスタッフと過ごす時間も増え、お互いに心を開いて話すことができたそうです。なので、山小屋をあとにするとき、スタッフがいつまでも手を振って見送ってくれたそうです。斉藤さんはとてもじーんとしたとおっしゃっていましたよ)
☆この他のシェルパ斉藤さんのトークもご覧ください。
INFORMATION
斉藤さんの新しい本をぜひチェックしてください。全国の山小屋から、実際に訪れた145軒を掲載。オールカラーで、ひとつの山小屋を見開き2ページで紹介。斉藤さんの、エピソードを交えた簡潔な文章を読み、神田めぐみさんの、間取りを立体的に描いたイラストを見る、それだけで山小屋に行きたくなると思いますよ。
山と渓谷社から絶賛発売中です。詳しくは、出版社のオフィシャルサイトをご覧ください。
◎山と渓谷社:https://www.yamakei.co.jp/products/2824330810.html
本の発売を記念して、イラストの原画展がモンベルストア渋谷店5階のサロンで開催されます。期間は9月13日から20日まで。初日の13日には、夜7時から斉藤さんのトークショー&サイン会が予定されています。詳しくはモンベルのサイトをご覧ください。
◎モンベル:https://www.montbell.jp
斉藤さんのオフィシャルサイトも見てくださいね。