2021/2/19 UP!
今回の取材は鎌ヶ谷市です。鎌ヶ谷大仏やなしの生産などが知られているところです。この鎌ヶ谷に北海道日本ハムファイターズの球場があります。そこに行ってきました。
ある時は一軍の選手が調整のために、そして新人の選手が 一軍で活躍するために育つ場所、それが鎌ヶ谷スタジアムです今回は、北海道日本ハムファイターズ首都圏事業部ディレクターの中原信広 さんにお話を伺ってきました。

中原さんに、鎌ヶ谷球場とはどういうところなのかを聞きました。「球団理念として、スポーツコミュニティの実現というのがある。地域に必要とされる存在になりたい。ということで取り組み始めたのが15年前。たくさんの人たちと交流する、野球を知らない方々にもきていただいて。ここで思い出を作ってもらおうと取り組み出したのが2006年からでしたね。だいぶ認知も進んできていると思います」とのことでした。

球場を外から見ると、今メジャーリーグで活躍しているかつての日ハムの選手、例えばダルビッシュ投手や大谷翔平選手などの大きな写真が球場の外壁にドーンと描かれています。ここを経験して、さらに大きなステージで戦っている選手ばかりです。これを見るだけでもテンション上がってきますね。


北海道日本ハムファイターズは球団内に鎌ケ谷事業部を設け、このファイターズタウンを中心としてファイターズと地元市民との結びつきを更に強めようと様々なイベントを企画、実施をしています。若手選手はこれらを通じて技術や体作りだけではなく、一軍昇格後の北海道民だけでなく全国でのファンに対する姿勢やファンサービスのあり方を学んでいるんだそうです。そして鎌ヶ谷スタジアムのすぐ近くには2軍選手の寮があります。勇翔寮と言います。その寮の中にある出世部屋について教えていただきました。
「404号室が出世部屋。ダルビッシュ、大谷、中田翔、今では吉田選手。昔はおじさんばかりがお客さんであったが、今では女性がとにかく多い。甲子園で活躍した選手がいるからでしょうか?ここで応援していた選手が一軍で活躍すているのを見るのは嬉しいです。」とのこと。コロナ禍で現在は、選手との交流をすることはできていません。

実は鎌ヶ谷の寮に入ったらまず最初にすることは鎌ヶ谷市に住民票を移すことなんだそうです。つまり鎌ヶ谷市民になる。いわば、本当に皆さんのご近所さんになるです。ここから一軍の北海道に巣立っていく、まさに鎌ヶ谷市はファイターズにとって「書類上でも」故郷なんですね。
中原さんはさらに語ります。
「鎌ヶ谷と北海道、共に盛り上げていきたい。選手たちは普通にそこら辺を歩いている。ダルビッシュも帰国した時に顔を出してくれたこともある。みんなここが好きなんです。気にかけてもらっているのは嬉しいです。お客さんには「あいつ(選手)は俺が鎌ヶ谷で見届けて育てたんだ」でいいと思います。そうやってみんなで築いていく球場になれたらと思います。」
試合がある日は近くの駅などからシャトルバスも出ているようです。ぜひ、球場に行って、自分が見る、応援することで育てるファイターズの選手を見つけてみてください!
近所に、選手たちも食べによく来るという中華料理店があり、取材の帰りに立ち寄りました。店の名前は東新軒。いろんな選手の色紙が壁一面に掲出されてました。今回は吉田輝星選手に因んだ「輝星くんカレー」をいただきました。星型のチーズがアクセントのようです。お客さんもファイターズファンの方と地元のかたなので、「あの選手は今年はイケる」とか知らない人同士で盛り上がることも多いそうです。


2021/2/12 UP!
今回は、睦沢町を取材。
睦沢町は、房総半島の中央部に位置し、町のほぼ中央部を埴生川・瑞沢川・長楽寺川が流れ、恵まれた土壌を生かした農業が盛んな地域です。地下には、豊富な天然ガスが埋蔵されているのだそうです。おととしの台風の時も停電の中、この天然ガスで発電した電気が道の駅や町営住宅に電気を供給していたそうです。すごいですね。
このまちで、鮭の稚魚の放流活動が行われています。

これは、「鮭の稚魚を放流する会」が続けているもので、現在、三代目の会長である松本敏男さんに町内を流れる瑞沢川で放流を始めたきっかけを伺いました。「他の町から越してきて、ここの街のいいところを聞いても、誰も特にないという話ばかり。サケが上がってくるのも見たし、緑が豊富、夜空の星もきれいなのに何もないってどういうこと?転勤族だったので、元いたところの自慢話をしてくれよとよく言われていた。睦沢の人たちが巣立っていって、「何もないところ」というのはよくない。なんとかこれ(鮭の遡上)のことを知ってもらいたいと思ったのが大きな気持ち。でこの活動に参加し始めました。

松本さんは元々は東京にお住まいだったそうです。睦沢に移住してきて、その環境の良さ、自然の豊かさに日々感心していたのに、周りの人たちはそうでもない。改めて町を見つめてもらうきっかけの一つとしてこの活動に参加。ただ、この活動は楽しそうではありますが、大変なこともあったそうです。

放流に関して、最初は2000〜3000匹。だんだん増えていって、今回準備しているのは、1万粒の卵(イクラ?)を入手して今、孵化している最中。孵化は、卵を預けた方の自宅や学校でやってもらっているそうです。最近は埼玉の入間川にサケを放す会に分けていただいていたそうです。卵を里親の皆さんにお分けるときに育て方マニュアルも渡しているそうです。最初のころは中学生に卒業式の前に育ててもらったそうです。今では放流日も2月の第2日曜日と決めてて、一般の方も参加していただけるような形で放流しています。

ところが、今年は、頼りにしていた埼玉の入間川にサケを放す会がコロナの影響で放流活動を断念。ということで卵の入手ができなくなってしまったそうなのです。小学校の授業の一環にも取り入れてもらっているのにと、会長の松本さんは東北地方や新潟を訪ね、卵を分けていただけるように働きかけたそうで、多方面に問い合わせや足を運んだ末に、新潟から今回はなんとか分けてもらったそうです。

鮭の稚魚は2月の第2日曜日という寒い時期に、一度に放流します。その理由を松本さんはこう教えてくださいました。「いっぺんに放流する理由、それはまとまった集団になるからなんです。稚魚たちが移動するのは夜になってからで、しかも塊(かたまり)になって1ヶ月ぐらいかけて忍者のように海へ動く。その間に川の水の匂いなどを覚えていくらしい。水が冷たいこの時期は稚魚を食べてしまう他の魚の動きも鈍い。ということは襲われず、川に帰ってくる率も上がってくるかなと思っています。」
効率よく、なるべく多くの稚魚が海に出られるのにはこの時期がいいということなんですね。
活動を始めて10年、放流した稚魚たち、そのうちの何匹が実際に帰ってきているのかは、調査はできていないようなんですが、おとなのサケが泳いでいるところは多くの方が町内で毎年目撃しているようなので、成果が少しづつ出てきているのでしょう。睦沢のまち自慢がしっかりできていますね。今頃子供たちも放流直前でワクワクしているでしょうね。ロマンがありますね!
確実に町の財産になっている鮭の稚魚の放流。町のミンナノチカラで育てた稚魚がたくさん帰ってくるといいですね。
2021/2/8 UP!
- 「闇夜とともに登場!」の中西悠理がご紹介しました「妙楽寺と妙楽寺の森」については、以下のHPでご覧いただけます。

https://maruchiba.jp/sys/data/index/page/id/8809
- 現在、緊急事態宣言発令中です。 不要不急の外出はお控えください。。
- おでかけは 緊急事態宣言解除後にお願いいたします。

2021/2/5 UP!
今回は習志野市で取材。習志野というと、音楽のまちというイメージを持たれている方も多いかもしれません。
今回は習志野におらが村のオーケストラを目指して活動されている音楽家に お話伺っています。
日本を代表するオーケストラNHK交響楽団の首席クラリネット奏者を長年にわたってつとめ、ソリストとしても活躍。主要な国際コンクールの審査委員もつとめるほか、指揮者としても活躍している習志野市在住の横川晴児さんに、習志野と音楽の関わりのルーツについてお話しいただきました。
「今から45年ぐらい前、当時の市長の 吉野孝さんという方が国立音楽大学出身だったこともあり、市として音楽の環境を整えようということになり、小学校や中学校にオーケストラを置いたり、住民からの反対もあったと思うが1500人入るホールを作ったりした。それが今につながっていると思う。聞く人間よりも演奏する人間の方が多いんじゃないかと思うぐらいみんな音楽が好き。もちろんジャンルを問わずにですけれども。」ということでした。

習志野文化ホール、習志野市民にとっては、親子、さらには三世代で訪れたり、ステージに上がったりされる方いるぐらい馴染みのある場所です。大きなパイプオルガンが特徴です。
横川さんの話は続きます。
「小中高と習志野文化ホールで演奏をするのが夢だった子供たち、その一部が音大に行き、そしてプロになり、日本、そして世界で活躍しています。お世話になった習志野のため、親や親戚、近所の人、お世話になった人たちに自分の晴れ姿をにせたい。ならば、恩返しでオーケストラを作らない?という話になったのだそうです。その名前は習志野シンフォニエッタ千葉。声がけすると、みんな喜んで参加してくれている。習志野文化ホールで演奏できることにみんなすごく喜んでいるんです。」

習志野出身の著名音楽家などが集って演奏会をする習志野シンフォニエッタ千葉。
横川さんはこの集いにこんな思いを寄せています。
「後に続くものを応援したい。地元の音大を目指す学生をプロの演奏家の中に混ぜている。その経験を生かしてもらいたいし、いずれここでもう一度演奏したいと思ってもらいたい。このホールはじつにいい音がする。ホールも生き物でいい演奏をしているといい音がなるようになる。素晴らしい財産だ。手を差し伸べるというと大袈裟かもしれないができるだけそういった子供たちと演奏できる機会を作りたいと思ってます」と熱く語ります。
自分たちだけでなく、これからの演奏家たちにとってのチャンスを作ることも考えておられました。コロナ禍でなかなか演奏会の実現も難しい状況ではありますが、できる範囲で続けていきたいと前向きです。
世界最高といわれるベルリン・フィルは、有志の集まりから始まりましたし、ウィーン・フィルは、いまでも自主運営団体。この習志野シンフォニエッタ千葉が、地元の皆さんの力で素晴らしい楽団になり、地域の子どもたちが、このオーケストラに入りたいという夢を持ってくれることを望んでいる横川さんとメンバーの皆さん。。45年続いている習志野の音楽への思いは、まさにミンナノチカラなんですね。
2021/1/29 UP!
今回は横芝光町を取材。


横芝駅前にある観光や地域情報など、町の案内役となる情報発信施設「ヨリドコロ」横芝光町を訪れる人にはおもてなしの空間、駅を利用する人には待ち合わせの場所、誰でもいつでも気軽に立ち寄れる駅前のヨリドコロとして、また、移住定住サポートセンターとして、さまざまな支援を行っているところです。

この場所で、一般社団法人横芝光町観光まちづくり協会の会長、井上富雄(さんに伺いました。

この町ではある木を植えて、産業としてきた経緯があるそうです。
「坂田城が昔ここにありました。その跡地をどう活用しようかと色々と地元の方が全国を視察しました。和歌山にも行ったそうです。そうしたら梅は商売になるぞいうことになり、50年前に梅林協会を作って梅を植えることになったんだそうです。今では白梅1200〜1300本はある。我々観光まちづくり協会が管理しているのは150本。その会場で天空の梅まつりというものをやっている。成田空港に近いので真上を飛行機が飛ぶので、間近に見られるということで毎年やっております。」
ということでしたが、コロナの影響で今年はまつりは中止。でも見ることはできます。現在は白加賀、石川1号、甲州小梅、奥州など様々な種類の梅を作っています。お手入れは色々とあり一年中何かしらやることがある。観光まちづくり協会には「梅部会」というのがあり、部長が頑張っているんです。理事が25名、会員が110名、そのほか会社で会員になっていただいているところもあります。」
ということでした。

お話を伺ったヨリドコロでも、梅干しや梅日本酒など梅を使った製品が販売されていました。

このヨリドコロでは、横芝光町に移住を検討されている方の相談窓口もあるようです。過疎や高齢化といった話は、郊外の市町村にとっては重要な問題です。
実は会長の井上さんも移住しておられた方のお一人。そこで、移住してきた人として横芝光町の印象を伺いました。
「ここは、農業が中心の町。素朴な方が多い。私も27年前に移住してきたが、人当たりがよく、すぐに馴染めました。すぐ仲間に入れてもらえた。野菜をもらうことも多い。すごくいいなと思うが、住んでいらっしゃる皆さんはそれを当然のことだと思っているから言わないんです。我々移住者からするとすごく生活しやすい。食べ物は美味しく、安いということが重要なことになってますよね」
とてもこの町が気に入っているがよく伝わってきました。
伝統芸能や古墳、そして今が見頃の梅、夏は海など見どころがたくさんある横芝光町、出かけられる時が来たら、訪れたい場所になりました。
取材途中で、売店にちょっとお高いトマトジュースを発見。こちら、横芝光町で作られているトマトで作ったジュース。砂糖が入っているんじゃないかと思うほど糖度の高い濃厚なジュースです。これはウマイ!驚きました!

最後にチーバくんは、横芝光町の公認キャラクター「よこぴー」とともに記念に一枚。

2021/1/22 UP!
今回は大網白里からのミンナノチカラです。
大網白里市生まれのイチゴ「真紅の美鈴」。ご存知ですか?


果肉まで濃紅色に染まっていて、糖酸比が高い特徴があります。色・香り・味わい・甘さ、全てが濃厚。驚くほどコクのある、あま~い真紅の美鈴。このイチゴを育てている農園をご紹介します。
このイチゴを作っているのは、知的障害がある方の自立支援をしているN P O法人のジョブファームです。こちらの皆さんは、大網白里で農業をやられています。このジョブファームの代表、高橋正己さんに設立のいきさつを伺いました。

所有している田んぼの隣に知的障害者が入所する施設ができることになり、興味があったのでそこで10年間働いたのだそうです。閉鎖的な部分もあるので、いろいろ考えて私の家の農業の手伝いをしてもらったことがあり、作業の後、お昼ご飯を食べて、お駄賃を上げておわったら「帰りたくない」といっていた。ここで気づいて、色々とできるんじゃないかと思い、退職して平成24年から彼らのためにジョブファームを立ち上げたそうです。
単純作業が得意な彼らは、米作りに挑戦して、その酒米を酒造に送ってお酒を作ってもらいます。

そんなある時、ビニールハウスを建てている作業を見かけた方から「うちのもやってくれないか」と声をかけられたのだそうです。地域で活動するきっかけがここにありました。地域活動をすることで色々と広がっていく。地域の方と障害者をいきなりつなぐのではなく、高橋さん達がが間に入ってうまくリンクさせるようなやり方を工夫して活動が広まっていきました。
そして、イチゴ作りに挑戦します。品種は大網白里生まれの真紅の美鈴。色が濃くて中まで真っ赤。黒イチゴとも呼ばれる。本当に濃い。色も味も。そして日持ちする。ただイチゴを作るのだけでなく、それをどうするか、付加価値をつけるか?ストーリーをどう作るかを高橋さんは考えました。日本酒を作るために酒米を作っている。生産の過程で酒粕ができるが、それをもらってきて肥料にしてみたところ、これがいちごにはいいらしく品質の高いイチゴができてきているのだそうです。
実は今回、番組収録時に、スタジオにそのイチゴをお持ちいただいたんです。
KOUSAKUも中西も大喜び。その美味しさに舌鼓を打っていましたよ。


ジョブズファームの代表の高橋さんは常に前向きです。知的障害者と我々の生活の接点をうまく見つけて、お互いにいい結果が生まれるよう、日々活動をされています。例えば、落花生の皮むき。これは機械でもできるんですが、手作業の方が実は傷付けず綺麗にむけるそうなんですね。結果的に見た目が綺麗なピーナッツになるので、売り上げにもつながるそうなんです。私たちが食べているピーナッツも彼らのお世話になっているかもしれませんね。
2021/1/15 UP!
今回は、長生村を取り上げます。この番組、いろんな話を地元の方に伺ってきていますが、今回はちょっと違います。長生村の話なんですが、長生村のことをあまりよく知らなかった方にお話を聞いています。映画監督、映像作家の安田瑛紀さんです。映像制作会社エレファントストーンで仕事をされている安田さんの元に、長生村のPR動画の制作依頼があったのがきっかけで、最終的に短編映画を作ってしまったというエピソードを紹介します。

会社に依頼があって安田さんが担当になり、まずは現地に行ってみようということで訪れたところ、「とにかく高い建物がない。」「抜けの良さ、空が広いという印象」「撮影しやすそう」というのが第一印象だったそうです。
個々のものは素晴らしいものが多いが、「これ」というインパクトがあるものに出会えなかったと振り返っています。綺麗なところや美味しそうなものを撮影してそれをつなぐだけでは見劣りしてしまうのではと心配になったそうです。そこで、発想を変えてみることにしたのだそうです。長生村を舞台とした映画を作ったらどうか考え方を変えたのです。準備の段階で役場の皆さんや家をロケで貸してくれたみなさんの 優しさをストーリーに落とし込みたいと思いが強くなってきました。
そこでできいた短編映画が「長生ノスタルジア」という作品です。これは現在もYouTubeで無料で見ることができます。

視聴はこちら「千葉県長生村 presents 映画『長生ノスタルジア』」
撮影エピソードを伺うと「ここではお雑煮に青のりをたっぷり振りかけて食べているんですよ。撮影の時もそのシーンがあって、後で自分も食べようとしたが、時間の都合で自分だけ食べることができなかった。別のインタビューでそのお雑煮を食べられなくて心残りと発言すると、それを知ってか、後日、映画の完成披露の時、長生村の村長が用意してくれた。ものすごくおいしかった。よかったです。食べられて。」
地域で実際にやっているお祭りなどを撮影したのですが、全くよそよそしさがなかったそうです。みなさんとってもとても自然でそれに安田さんは驚きました。村のいいところを皆さんに聞くというシーンがあるのですが、実際、悪口、文句を言う人が一人も出なかったのはちょっと驚き。あったら編集でカットしようかと思っていたが本当になかった。長生村は本当にいいところなんだと思う。と振り返っています。
今回は、東京のエレファントストーンのオフィスで安田監督にインタビューを行ったのですが、代わりにチーバくんに長生村にいっていただきました。その時のショットをいくつかご披露いたします。







長生村は東京などの都市部からの移住も積極的に誘致しているそうです。
この映画が、長生村に興味を持つ大きなきっかけになるといいですね。
2021/1/8 UP!
今回は、全国で最多タイ8つの道の駅がある市、南房総市に伺いました。
とみうら琵琶倶楽部の立ち上げから携わられた「観光カリスマ」(観光庁認定)でもある加藤文夫さんにお話を伺ってきました。


まだ「道の駅」という概念がないころ、地域の魅力を発信する場所を 開発しようと、当時は役所に勤めていらした加藤さんたちが取り組んでいた考えと国交省の「道の駅」構想が合致し、モデルケースのように出来上がったのが「とみうら琵琶倶楽部」なんだそうです!
その後平成の大合併で8つの道の駅が存在することになった南房総市。
「多すぎるのではないか」という声も出たそうですが、一つの道の駅のために作ったシステムが8つの場所で使えるなど、知恵の共有ができることを強みととらえ、南房総市ならではの「道の駅」づくりに取り組んでいます。
2019年秋の台風・大雨ではこのとみうら琵琶倶楽部も建物の崩壊や琵琶の木の倒木など大きな被害を受けました。そしてようやく復興に向けて動き出した春から襲ったコロナ禍。ミンナノチカラで難局を乗り切ろうと、いままた新たな道の駅の存在意義を感じていらっしゃるそうです。
「これからやっていくのには地元の方々に信頼されることが大事。そのためには地域とともに伸びるという思いを失いたくない」と語る加藤さん。
現在は市が運営している南房総いいとこどりというサイトを立ち上げ情報発信する一方、地元にお住いの方や農家さんにも気軽に立ち寄ってもらえる場所にしたい、と教えてくださった加藤さん。道の駅のみなさんの挑戦はこれからも続いていきます
2021/1/1 UP!
2021年最初のご紹介は成田市です。
成田といえば、成田山新勝寺は初詣の場所として人気があります。今年は、新型コロナ感染防止のために、三ヶ日に集中せず、分散の初詣をお願いしています。

そんな成田山新勝寺ですが意外と詳しいことをご存知ない方も多いのではないでしょうか? できたのは西暦940年。参拝客の多さは昨年までは千葉県1位となっています。
成田山新勝寺には実はさまざまなエピソードや、イベント、歴史的 建造物などがあります。それを詳しくガイドしてくださるのが、成田ボランティアガイドの会の皆さんです。 とても人気の高いこのガイドですが、今回は、会長の大野吾一さんにお話を伺いました。


大野さんによりますと、参拝には年間1000万人以上、各種各様お年寄りから若い方までお越しになる。ボランティアガイドは10時から15時までやっています。。時間内は事務所に3人から5人いるのでご要望があればいつでもガイドします。声をかけてくださいということでした。
案内所は成田山の総門前の門前広場に面した成田山信徒会館内にあって、こちらにはガイド依頼以外にもいろいろな情報を求めてたくさんの方が立ち寄られるそうなんです。日本の文化をたくさんの方に知っていただくために英語でのガイドにも対応されているそうです。

実は大野さんは成田出身の方ではなく、成田のニュータウンに移り住んできている「新住民」なん出そうです。それが、かえって昔から住んでいる方よりも新鮮にいろいろ知りたいと思ったのがガイドになろうと思ったきっかけなのだそうです。6ヶ月ぐらい勉強してデビュー。ガイド終わりに「こんなに面白いところがあったのか、来て良かった」という声が多いそうです。今ではその声を聞くためにやっているようなものです。とお話しくださいました。

境内にはいくつもの建物があり、それぞれに物語がありますが、あまり知られていないことを教えてくださいとお願いしたところ、護摩焚きの話をしてくださいました。
「本堂で1日数回行われている護摩です。これは感動する。火をたいて太鼓がなり、声明(ショウミョウ)がミックスされてミステリアス。これ、誰でも参加ができるので見てみる価値はあります。
1日に5、6回。一番早いのは朝6時から午後は3時の回までだそうです。ここで、自分で納めた護摩木(ごまぎ)をたいていただくのもいいかもしれません。天気が良い時は、寺務所から本堂へ護摩だきに向かうお坊さんの列を見ることができます。
その他、表参道、広い境内、大きな公園もあります。旅行の帰り(成田空港への道すがら)時間があったから来てみたけど、ここが一番良かった、旅のハイライトになったという声もよくあります。」とのこと。
新勝寺の隣には成田山公園というところがあります。東京ドーム3個分の広さがあるこの大きな公園。滝があったり、公園内各所には松尾芭蕉や高浜虚子など著名な文人たちの句碑なども建っていて、当時の成田でも俳句や歌をたしなんでいた人々が多くいたという事を物語っているようです。じっくり、ゆっくり、時間をかけて訪れてみたいですね。
2020/12/25 UP!
今回の取材は東庄町(とうのしょうまち)に行ってきました。JR成田線の下総橘駅からすぐのところにある廃校になった小学校 旧石出小学校を訪ねました。


人口減、高齢化など東庄町にも深刻な問題があります。この東庄町では、この町出身の有志の皆さんが集まって街を盛り上げ、さらに未来に繋いでいこうというアクションをしています。集まりの名前は「オンラア未来会議」。「オンラア」は「私たち」という 意味の地元のことばだそうです。
代表の柳堀裕太さんにお話を伺いました。
「東庄町には13,000人の人口がありますが2060年には5,500人ぐらいになる。このままだと次の世代が立ち行かなくなる。(そこで)今僕たちにできることをやろうと集まりました。今年の春に5つあった小学校が統廃合で1つになってしまって廃校となった1つの小学校(石出小学校)を(集まりの場所として)使わせてもらっている。僕らの時は全校生徒280人いたが最後は80人ぐらいだった。まさかそんなこと・・・人口減少がこうなっているとは思ってもいなかったので、びっくりしました。」
柳堀さんが卒業したのは今から25年ほど前でした。

実は柳堀さんは東京に4月までお住まいでした。東庄町になぜ戻ったのかを伺いました。
「この4月まで麻布十番に事務所を構えてC Mプランナーの仕事をしていた。今はこちらの住民として活動してみて、何の不自由もない。東京へは1時間半、成田へは45分、ご飯は美味しい、気候は温暖、人は優しい、お金使わなくても幸せになれる。東京の仕事もできる。 他にそんなところがあったら教えてほしい、ってとこですね(笑)」

そんな「オンラア未来会議」がドライブスルーイベントを企画されました。
旧石出小学校のグランドに屋台車両が並び、買い物に来た人は車のまま会場に入り、お店の前で止まって買い物をする。これですと密も避けられるし売る方も感染のリスクが大幅に減る。

実際にイベントにも顔を出してみたんですが、「よしもと千葉に住みます芸人」の「もぐもぐピーナッツ」さんも参加して、盛り上がっていました。近所の人に頼まれたなどで大量に買う方もいて、コミュニケーションも取りながら売る方も買う方も楽しんでいました。この形のイベントならコロナが収束した後でも継続できますね。

この辺りは畜産が盛んで、新鮮なモツが手に入るということで、イベント会場で「もつ鍋」をいただいてみました。美味しさにびっくりしました。この美味しさを普通に食べておられる東庄の皆さんが羨ましくなりました。
柳堀さんが代表の「オンラア未来会議」は、会員の会費と寄付で成り立っています。今後、新たな仲間を増やしていく計画もあるそうです。地元の出身ではなくても東庄町で楽しく一緒にできる人に出会っていきたいとお話しいただきました。楽しい街の雰囲気づくり、人づくり。東庄町の「オンラアみらい会議」応援したいと思います。
※オンラア未来会議 ドライブスルーイベントのレポートはこちらから。
なお、千葉県では現在、新型コロナウィルス感染症拡大防止のため、不要不急の外出自粛要請が発表されています。お出かけは外出要請解除後にぜひお楽しみください。