2021/6/25 UP!
今回は市川市を取材にいきました。市川市役所、文化芸術課で学芸員をされている中能淳子さんにお話を伺っています。
単刀直入に、中能さんにお尋ねしました。市川市ってどんなところなんですか?
「古くから、旧石器の頃から人が住み始めていたという遺跡といったものも残っておりますので、その頃から海に面していながら谷津といいますか谷になっているところ、またその間に川が流れていて、非常に、食生活にもまた居住空間としても住みやすい場所だったことがわかります。貝塚が市内に複数あるんですけれども、その中でも国の指定になっています史跡が、堀之内貝塚・曽谷貝塚・姥山貝塚、この大きな史跡が3つございます。縄文の住居の跡でしたりいろんなものが市川に残っておりますし、そういったものは堀之内貝塚の近くに考古博物館というところがございますので、そこで資料ですとか遺物ですとか、そういったものも ご覧いただくことができます。」

古くから人が住んでいた場所というところなんですね。文明的にはどうなんでしょうか?
「街を歩いていただくと表情がそれぞれ異なるといいますか、市川だったり、国府台という地名は国府台と書きますので、やはりそれは国府のあった場所、下総の国の中心地といいますか、役所、行政機関の中心地。また、国分寺・国分尼寺が学問所ということもありますので、文化の中心地。地方の都市ではありますけれど下総の中心がこの国府台にあったということですね。国衙といいますか、その役所があった場所ということで先ほどの国府台という地名の元々のルーツになりますね。大きな川も御座いますので、交通ですとか、そういう国の要所と言いますか、そういう中心的な場所であったということが伺われます。それからまた、行徳の方に行きますと塩に関連する塩浜ですとか塩焼ですとか、そういった地名もございますので、街を 散策するときに、その地名を見ていただくというのも、1つ町の成り立ちがわかるかな?ヒントになるかなと思います。」
人ば住んでいるだけでなく、要所になっていった市川地区、その後、文学の要所にもなっていくのです。
「近代になっても、文人といいますか、例えば、作家の幸田露伴さん、また北原白秋さん、そして永井荷風さんだったり、戦争によって永井荷風さんなんか焼け出されて、東京からこちらの方に移り住んで来たんですけど最後まで、亡くなるまで市川で過ごされた方もいらっしゃいます。「断腸亭日乗(だんちょうていにちじょう)」という日記を42年間ずっと綴られていました。その中で荷風さんは本当に散歩の達人として、川をずっと遡って行ったり、また下流のほうに歩いて行かれたり、そういったところを観察したことを 事細かに日記ですとか、それからご自身の作品「葛飾土産」ですとか、そういったところにも残されていますし、その荷風さんを慕って、作家の井上ひさしさんがこの地に移り住まわれたりとかですね、やはりその歴史や文化ですとか、そういった土壌とともに、自然豊かなところが皆様に好んでいただいた理由ではないかなと思われています。
断腸亭(だんちょうてい)日乗(にちじょう)、これは永井荷風が1917年(大正6年)の9月16日から、亡くなる前日の1959年(昭和34年)4月29日まで、市川で暮らしながら感じる世相や、散歩しながら得た季節感などを綴った日記なんですが、読み物としても、近代史の資料としても、荷風最大の傑作と言われています。その永井荷風を慕って、井上ひさしさんも引っ越してきちゃうという市川は引き寄せ効果もあるですね。日本文学を勉強すると出てくる名前もいくつか聞こえてきましたが、人が集うパワーがこの地は強いのがわかります。
そんな歴史を感じられるものが1月から展示されるようになったそうです。

彼がそこで亡くなられたんですけれども、6畳間の書斎をそのままこの市川市役所の中に、移築したんですね。市役所という文学に興味のある方も無い方も、皆様の大勢の目に触れる場所にということで、この市庁舎の一階に移築したようです。誰でも見学することができます。

そしてその横には永井荷風さんの実物大のフィギュア(?)が立ってらっしゃて。結構身長高い方だったんですね。175センチもあったそうです。ちょっとリアル、、、


中能さんのお話にもあった、市川ゆかりの文化人や芸術家の作品は、市川市文学ミュージアムで展示・紹介されていますので、 ご覧になっていただければ、市川をより深く知ることができますね。

都会の部分に目が行きがちな市川ですが、こうやって古くから人が集い、栄えてきた市川。歴史と文学の風を感じにお出かけになりませんか?ゆったり歩けば文学の発見や出会いがきっと待っていますよ
2021/6/18 UP!
今回は長南町を取材してきました。
かつて長南町には、カリスマ的な存在の蓮根(れんこん)農家さんがいらっしゃいました。長南町の自分の水田で品種開発をし、育成方法も確立して、日本の蓮根農家さんで知らない人はいない、蓮根の神様とまで言われた方なんですが、残念なことに十数年前に突然亡くなられてしまったんです。そこで呼び戻されたのが、東京で就職したものの仕事がうまくいかず、引きこもり気味になっていた息子さんの金坂あきひろさん。思いがげず蓮根づくりを引き継ぐことになってまさに青天の霹靂だった そうなんです。
家業の手伝いとして作業をしたことはあったのですが、自分が責任を持って作るということはしていなかったので、とても悩んだそうです。近所の方に教わったり、独学で研究をしたりしたそうです。

金坂さんは同時をこう振り返っています
「父親が亡くなってまあ誰かしらが父親の品種を残さなきゃいけないってところで、ただレンコン作りをやり始めたら、「あのお父さんの息子さんだ」ってことで辞めることが出来ないので、そこが就農するのにかなり躊躇しましたね。(レンコン業界の)偉い人たちがお父さんにお世話になりましたとか頭を下げたりとか、そういうの見てて、あの父親の偉大さというか、それを実感したりしましたね。関東だと7割ぐらいですかね。父親の品種。 ここで、はい作ったタネが全国に行ってますね。最初やっぱり知識もないですし、新規就農で、あのー、これからここでどーやってこう生き残っていこうか? と(そればかりを)考えていましたね。」

そんな亡くなられた父親の偉大さを改めて知ることになったのですが、金坂さんは、東京で仕事をされていたけど、引きこもり気味になってネットゲームばかりやっていた時期だそうで、農業はまったく引き継ぐつもりがない。「でも、あの蓮根の神様の息子さん、あの水田を引き継がないってことはないでしょ?」と言われたりしたそうですが、全く経験も知識もなかったので、跡を継ぐのが恐れ多く、とても悩まれたそうです。
でも自分なりにやっていこうと腹を決め、周りに生えている竹をチップにして土壌を作ったりして、他に負けないレンコンを作ることにまずは取り組みます。
食味を上げることに集中して土壌改良を進め、レンコンとしては驚異の糖度9を実現できることができたんです。糖度9とはフルーツトマトレベルなんです。揚げ物や煮物になることが多いレンコンですが、単体でこの糖度は十分存在感を出せるレベルです。
ここで、金坂さんは色々と考え、自分の作るレンコンのブランド化を考えます。

名前を金坂蓮魂としてネット販売を中心に始められました。こちらでは夏の終わりごろから販売を始めるそうです
http://kanesaka-lotus-root.com/
ダイレクトに消費者の声が届くのが、嬉しく、励みになる。美味しいものをもっと作りたいと思うようになったそうです。直接尋ねてくる方もいるそうなんですが、驚いたのは、ある日、インド人の方が金坂レンコンを買いにわざわざやってきたこと!ひょんなことから金坂レンコンを食べてその味に感動した、ということでまさに「インド人もびっくり!」(笑) どんなところで作っているのかと、やってきてしまったそうです。

全く家業を継ぐ気がなかった金坂さんですが、今では、SNSや通販を通じていろんな方と繋がり、そして作ったものへの評価がダイレクトに伝わるということに、楽しみでもあり、シビアでもあると、話していただきました。

なかなか出ない糖度9のレンコン、おすすめの食べ方は、オリーブオイルをひいてただ焼く。シンプルですが、これが一番甘みを感じられるそうです。塩胡椒でちょっと味をつけると余りが引き立つそうですよ。

ぜひ一度お試しください。
2021/6/15 UP!
- 「昔、黄色いぬいぐるみを灰色になるまで連れ回していた!」中西悠理がご紹介しました「芝原人形(しばらにんぎょう)」の情報は、以下のHPでご覧いただけます。

https://www.town.chonan.chiba.jp/shoukai/rekishi/584/
- 長南町芝原(しばはら)の芝原(しばら)人形です。お間違えなく!
- 千葉県の新たな魅力を知って、
- 千葉県の観光・産業を応援していきましょう!

2021/6/11 UP!
6月15日は千葉県民の日。ということで、今回は、この春第56代千葉県知事に就任された熊谷俊人知事をゲストにお迎えして番組をお届けしました!

番組レギュラー・応援部長のKOUSAKUとはゴミ拾い活動を通じて以前から交流があったということで、和やかな雰囲気の中、就任から2か月、真っ先に取り組まれたことから、地方自治・県政への想い、今後に向けてなど、いろいろなお話を聴かせていただきました。
これからも 素敵な「ミンナノチカラ~CHIBA~」がどんどん発信される魅力的な「千葉県」になりますよう、よろしくお願いします!
2021/6/4 UP!
今回は富里市を取材してきました。
富里といえばスイカというイメージですね

実は千葉県はスイカの産出額が全国2位なんですが、中でも随一の 生産量を誇るのは富里市で「富里スイカ」のブランド名でも親しまれています。富里市にはスイカ部門で日本でただ一人、農林水産省から富里スイカの地域特産物マイスターに認定されている方がいらっしゃいます。スイカ栽培のスペシャリスト篠原弘安さんにお話を伺いました。

「富里は 北総台地といいまして標高40〜50mの台地の上にあって田んぼが少ない。台地で、水はけが良すぎちゃって、作物を作るのに水はけが良すぎてなかなか育たない。スイカは原産地がアフリカの砂漠地帯なので、水がなくてもよく育つ。かえってないほうが美味しいスイカができる。台地なんで内陸性の台地の気候で昼間は温まりやすく、夜冷えちゃう。その寒暖差で甘みが乗ったスイカができるということで産地になりました。昭和の初期から作ってます。組合をつくって始めたのが、昭和8年からスイカ出荷組合。まとまって、遠くに送って やってきましょうということで本格的に始めました。それから80年ぐらいずっとスイカ作り頑張ってます。」

富里の出荷量は年間およそ3万6千トン。シーズンは5月半ば辺りから3ヶ月ほど・・1位の熊本の出荷シーズンの4月から1か月半くらい遅れてスタートするそうですが、「3ヶ月間」出荷し続けるには農家の皆さんのある工夫がありました。
「富里でスイカ作っている人は200人ぐらいいるんですけど、農協通して出荷している人が170名。5月の今年は8日から出荷が始まりまして、5月は、大きいハウスで作ります。暑くなって来ると、少しトンネルを小さくして、人間がやっと入れるぐらいの、小さいトンネルで6月。7月でもっと暑くなると、もっと小さいトンネル。その時期に合わせてスイカが好きな温度にしてあげるために、トンネルの大きさを変えてます。で3ヶ月間順次出荷しています。一気には出ない。5月ハウスの時期は寒い時期なので、寒さに強い品種を作って。ハウスの時期だと「春の団欒」とか「祭囃子R G」っていう品種。寒くても糖度がのって美味しいスイカができる。6月になったら雨の時期の梅雨にも負けない品種で「味きらら」とか「こうだい」って品種。雨が降っても甘くなるんです。で7月が暑くなると暑さにも強いってことで種無しスイカとか自根スイカとか暑くても美味しくなるスイカを作ってます。」
というお話でした。春の団欒とか祭囃子RGというスイカ品種の話は聞いたことがなかったので、とても興味深く伺いました。

スイカは大きく育てるのがいいのかと思っていましたが、実はそうでもないそうで、こんな話もしていただきました。
「大きいとやっぱり収穫が大変。輸送も大変。運送屋さんも大変。カットして今売るのが多いんで、カットする人も大変だって、やっぱ理想としては中くらいの大きさ2Lぐらいが1番売れる。S、M、L、2L〜5Lっていう規格があるんですけど、やっぱり2Lを取りたいんですね。7キロから8キロが2Lになります。1キロ刻みでスイカってあって、10キロ以上が5Lで、その中で2Lは7キロから8キロ。持って歩くにも楽です。農家の人も。それでいて値段が結構いいんです。味も乗りやすいんです。」

では美味しいスイカはどうやって見分けるのか?ここ一番大事なところだとおいもいますが
「味を見分けるには、撫でるといいんです。こう2つあって1個がつるっとしている。もう1個は緑色の部分が膨らんで、縞の黒い部分が凹んでいるとボコボコしています。ボコボコしたスイカの方が、甘くて美味しい。お店行って叩くより撫でた方がいいといいと思います。お店ではあまり叩かれたくないでしょう?撫でた時に、おいしいよっての手に伝わってきます。」

だそうです。スイカを撫でると本当に凸凹しています。興味のある方は試しに触ってみてください。
スイカ農家の皆さんは普段はライバルですが、助け合いもしています。
「一人でスイカをつくってるようなんですけど、やっぱ独りじゃないんです。みんなで。大変な時もあるんです。天気が悪くて、今ミツバチ交配なんですけど、ミツバチが飛ばなくてどうするとかっていう困った時とかは、情報交換して、ちょうど今頃雨が降っていて、今日はハチ休んでるから人間がつけましょうとか。情報交換とか。あと、今年は雨が少ないんで、ちょっと肥料やってあげようかとか、ちょっと水あげようかとか情報交換することで、みんなの腕があがるし、味もみんな良くなっていく。困った時もみんなで、嬉しい時もみんなで共通して頑張ります。やっぱ組合はみんなで頑張ろうって気持ちになるので、大事かなと。そして富里のスイカはイカの顔をしたトミちゃんというマスコットがいるんですけど、そのマスコットの絵のついたシールがスイカに貼ってあります。1個1個のシールがあって、箱にもトミちゃんの絵がどーんと大きく出ています。そのトミちゃんを目印に買って頂ければ美味しいスイカなんです。あたりです。」
これからスイカがさらに美味しいシーズンです。トミちゃんを探してみてくださいね。

2021/5/28 UP!

今回は四街道市にやってきました。住宅街のはずれにある森への入り口。この階段を上がるとそこには子供たちの笑顔がたくさんありました。
やってきたのは四街道市にあるどんぐりの森。
森や林などの一角で遊べるスペースなんですが、大人がいて、でも子供たちがのびのびと遊んでいる場所なんです。今回は、四街道のプレイパークについて、NPO法人四街道プレイパークどんぐりの森の代表 古川みゆきさんに設立のいきさつと、どんなところなのかをまずは伺いました。


「プレイパークっていうのは、本当に子供たちが自主的に自発的に遊ぶ場ですね。子供が考えて遊び始めて、何をして遊ぼうか、子供たちが自発的に遊び、そして遊び切るっていう場ですね。そこで色んな人と交わりながら。 過ごすって場です。道具を使ったり、まあそういうあのロープなどのものを使ったりして、子供が自分たちで自分のやりたい遊びを自ら始めるってことを大事にしているので、いろんな子供たちがチャレンジしやすいような、いろんな道具も置いてあります。私がまあ、子供を育てる時に、自然豊かな町だったんですけど、なかなかその山で遊んだりとか、川に入って泳いだりとか、そういうことが自然はあるんだけど、なかなかできないっていう、公園は禁止事項が増えてきた中で、子どもたちはもっと自然の中で土の上で体験をして育ってほしいなって、そういう場を作る必要性が今の時代にはあるんだなということで、遊び場を始めました。もう20年前ですね。」

写真右側の方が古川さんです。
小学生ぐらいの子供だけなのかと思ったら、中学生も部活がないときにふらっと来たり、遊ばなくてもしゃべりに来てるといいます。古川さんは、そういった子供たちをこう見ています。

「高校に行ったり、社会に出てもやっぱり時々こう寂しくなったりとか,自信無くしたりした時も、なんかここにきて誰かと喋ったり、自然に触れたりするとまたなんかエネルギーチャージして、そしてまた帰っていくっていうこともありますね。千葉県ではもうすでに40カ所ぐらいプレイパークがありまして、とても盛んです。で、千葉県でネットワークを組んで、このプレイワーカーという、まああのうスタッフの研修などもしてまして、集まりということで立ち上げてまして、どうしたらいいかっていう情報交換とかとか相談のような場も作っていますので、はい、あのう子育て中のお母さんに限らず、男性の方もとてもよく参加していて、とても活発になっています。年に5回ですね。研修をやってます。」

このどんぐりの森では人気者のプレーワーカーがいらっしゃいます。中島さんという男性。常に子供たちから声を掛けられる存在。ただ一緒に遊んでいるだけに見えますが実は違います。

「安全管理とか場所を作っていくというのも仕事なんですけど、1番は多分、その環境を作るっていうか、遊びの環境づくりっていう結構よんでるんですけど、まあ、遊びの道具を用意したり、自分自身が遊んで子供から遊びたくなる雰囲気を作ったりとか、火も使えます、で今直火でできる場所って本当に少ないんですけど、今家なんかI Hでその炎ってなかなか見る機会がないんですよね。だから本当に火を見たことないっていう子もいるんですよね。たまに、だからそのやっぱ火あついのかって言う感覚はここでたぶんわかると思うんですね。おたまに砂糖を入れてこう焚き火に当てると飴ができるんですけど、そういうのも子供が自由にできるようにしてました。どんぐりの森は楽しいです。」

火をまじまじと見たことがないという子供がいるという話には驚きました。確かにマッチが使えないという話は時々聞きますが、文明の発達で火を知らないというのはいかがなものかとも思います。プレイワーカーの研修もあるという話でしたが、今では市の事業の一つとして活動しています。市内の子供たちにお知らせが配布されるということで、自ら進んでプレイパークに出かけられるようになった子供たちが増えてているのがうれしいということでした。取材をしたこの日も、近くの場所で、新しいプレイパークを作りたいという方々が、見学しながら、準備をされているようでした。子供たちの楽しそうな声がいつも響いてくる、そんなどんぐりの森だったそうです。

夕方5時になってみんな仲良く帰っていきました。

大人が監視すると、危ない、とかいろいろ言ってしまいそうだけど、リスクを含めての遊びだということがみんな承知で遊びに来ている。きっと想像力、そして遊び心豊かな大人に成長するんでしょう。

千葉県内のプレーワーカー研修について
四街道市どんぐりの森
2021/5/21 UP!
白子町は外房にある町です。
テニスコートがたくさんあるこの街を今回は取材いたしました。
この時期、白子町といえば「たまねぎ」です。白子町でもんちゃんファームという名前でタマネギ農家をされている北田百人さんにお話を伺ってきました。

そもそも、白子町はなぜタマネギが有名なんでしょう?
北田さんはこのように話してくださいました。

「昭和41年ごろに国の指定産地を受けまして、これ、大きかったですね。玉ねぎ出荷組合という組合ををつくりまして、それから結構人も増えましたし、面積も確認したんですけどね。でマルチ栽培(方法)が発達したんで早期栽培ができるようになったんですね。」
資料によりますと、大正時代から、ちょこちょこと玉ねぎを作っていたようなんです。畑に黒いビニールを張るマルチ栽培という方法が昭和30年後半に取り入れられることによってものすごく生産量が増え始めたんだそうです。その急成長によって国の産地指定を受けたということなんですね。さて、そのタマネギ栽培なんですが、出荷は4月ごろからなんですが、その前にも出荷するものがあるんだそうです。

「いろんな 種類がありまして、極早稲とか早稲とかオクとか色々あるんですけどね。今は1番早く食べられるのは玉ネギに関しては4月の頭ぐらいから食べられますね。極早生っていうやつで、その前は葉玉ネギって言って。 根から葉まで全部食べられるというのを1月から出荷してるんですよ。それは玉ねぎの若い葉を出荷するということでやってるんですけど、それが結構流行ってましてね、結構、それは白子のアピールになってます。 葉玉ねぎはね、まあ1番あたしとしてはヌタっていうか、酢味噌で食べるのが1番ですね。 茹でて柔らかくして酢味噌で食べて、 後は、かき揚げとか天ぷらもできますけども、葉玉ネギも出荷してますよ。農協を通して東京方面に出荷しています。 結構ね。」
この葉タマネギが美味しいんだそうです。今年はもうないので、来年を狙いましょう!

北田さんのもんちゃんファームではタマネギ畑のオーナーも募集していて、食育活動にも力を入れています。
「14、 5年になるんですけども、食育体験入学ということで、いろいろ募集をかけまして、オーナー制の畑を作るんですね。玉ねぎをそれで1区画、お客さんに購入してもらって、定植、草取り、追肥、収穫を年3回来てもらって、そういった対応してるんですよ。結構喜ばれていますね。それはご家族づれとか友達とかっていうことで一区画でやってますね。うちはね、今年は6000円でやっています。 それでだいたい数量にしてね10キロ袋で7から8袋取れます。全量お持ち帰りいただけます 。収穫の時は農協の出荷場の脇に圃場があるので、出荷時に車停めて、そこから歩いて行くんですけど、結構楽しんでやってます。」

6000円で70キロとは爆安です。
そのままお持ち帰りになるオーナーさんも
いますが、さすがに量が多くて、宅配便で畑から発送する方も多いのだそうです。年に数回ですが、実際に手入れをして、愛情をもっていただいているので、タマネギが嫌いだったお子さんが、逆に大好きになったというエピソードもあるそうですよ。ちなみに、タマネギは地上に出ている緑色の部分が自然に倒れるのが収穫どきなんだそうです。そのまえだと(ちょっと若いと)収穫するときに葉を折ってしまうと涙が出ちゃうそうですよ。
最後にメッセージをいただきました。
「白子は砂地で甘くて美味しい玉ねぎができますから、皆さんに食べてもらって、買うところは直売所とか、スーパーで多分あると思いますので、それでお願いします。 農協が出荷する時は、白子産玉ねぎと袋に書いてありますから、いいんですけども、青果店から買う場合は、お店の人にそのどこの産地を聞いてもらった方が良いと思いますね。玉ねぎもいろんな産地があるんで、まあ白子なんかは白子たまねぎで売ってますけど、まだまだ知名度が低いんで。 もっとPRとかそういったことやらないといけないですけどね。。だからこれからまあ私個人としても色々自分のホームページ見てP Rしてるんですけど、町としても組合として。 もっとPRしなきゃいけないなってことは話はしてます。ご賞味いただければ有難いと思います。はい。」


取材後、私もいただきました。基本の玉ねぎスライス。辛味の成分は揮発性のものなので、スライスしてから水に晒さずに20〜30分程度ラップをせずに置いておくと辛味が大方抜けてくるのだそうです。食べました。実際そうでした。生でも甘い!美味しくいただきました。
お店で玉ねぎ探すとき、産地が白子町かどうか確認してみてくださいね。


2021/5/14 UP!
今回は柏市の取材です。
ウラカシという地域をご存知でしょうか?
柏駅のほど近くにあるエリアなんですが、「ウラカシ」では、お店のご主人など現役世代の皆さんが、色々と盛り上げイベントなどをやっていて、今、注目を集めています。具体的には柏3丁目、柏駅の東口を出て7分ほどあたりだそうですが、「ウラカシ100年会」の代表、自らもウラカシでセレクトショップを営んでいる田中庸介さんにお話を伺いました。
田中さん

「1990年代後半に柏駅の中心部から離れた場所で、フリークスストアというセレクトショップがあるんですけれども、そこの柏店が誕生して、その近辺に古着屋さんを中心とした。都内からの出店が相次いだという場所がウラカシ。という風に名付けられたんですけども、じゃそもそもウラカシなんだった?って時に、当時ギャル文化が渋谷で起きて、東に位置する柏は「東の渋谷」と言われまして、その時のこの地域のネーミングもなかったので、渋谷、原宿、原宿の裏原→裏原 柏だからウラカシ、そういうような感じで、かしわインフォメーションセンターを中心としてウラカシっていう名前が付けられたっていうような流れですね。」
ウラカシ100年会には、飲食店、雑貨店、ファッション店などさまざまな店が参加して、エリアを盛り上げるためにイベントも開催しています。今はコロナの影響でお休み中ですが、また落ち着いたら再開していきたいと考えているそうです。どんなイベントをやっているのでしょうか?
「われわれウラカシ百年会は エリア型といって別に通りを限定している訳でもなく、何か催すイベントをやるっていった時に、その通りだけじゃなくていろんな場所でイベントやったりとかっていう会なので、要はエリア型商店会になっています。食のイベントだったり、肉フェスだったりとか。そこの中にウラカシ何なにっていうネーミングをして、ウラカシ動物園とか子供たちが遊んで食べて、親御さんたちが楽しんでいただけるようなイベントやったりしますね。えっとウラカシ動物園って銘打ってフクロウ。

10羽ぐらい呼んでですね、いろんなフクロウを。そこでフクロウと戯れるイベントで、

そこをそもそも肉フェスの中のウラカシ動物園っていう部分もあったので、肉だったらなんでもいい、ワニの肉だったりとか、牛肉以外だったり、いろんな肉を集めた集合した肉フェスとかやってますね。」

お話を伺った田中会長は40歳代ですが、とにかくノリがいいんです。かといってチャラチャラ軽いわけでもないんです。ご出身は千葉県いすみ市で、大学の時に柏に来られて、そこで柏のまちが好きになり、一度就職された後、独立されてセレクトショップを始められたそうなんです。みんなで盛り上がっていこうという思いは、会の他の皆さんも同じで、型に囚われずさまざまな活動をされています。


ところが、予想を上回る反応があって大変なこともあったそうです。
「店主がみんな若かったり行動派が多いので、本当に臨機応変型で、即行動にうつすっていう会ですね。一昨年ラグビーのワールドカップが来て、ニュージーランド代表がキャンプがあったんですけど、それにあやかってポロシャツ作ったんですね。で、それが柏市のクールビズで使ってもらって、ぱっとやったは良いが、ものすごく受注があって、我々も、販売すれはいいけども、あのいろんな取り決めとかがね、ぐちゃぐちゃにはなってないですけど、ものすごい反応が良かったので頑張りました。洋服のボディ以外は全てネームから刺繍からデザインから販売から集計からすべて会でやってるので量が凄かったっていうのもそうなんですけど、生産の方もてんやわんやしながら大反響を頂いたという・・・」
言い出して始まってしまったことは最後までやり遂げる。ここは責任持ってウラカシの盛り上げのために頑張ったんですね。こういった活動をしながら、ウラカシが100年続くように頑張っていこう と作られた会は、まだ4年目です。
ウラカシ100年会は次のイベントを今年の秋ぐらいにできたらいいなと思っているそうです。その時の状況で判断したいということでした。ただ、アイディアは次から次に出てくるようで、この収拾をつけるのも大変なんですよとうれしい悲鳴をあげてらっしゃっています。ウラカシ100年会。その名のとおり100年、それ以上にずっと続いていくエネルギーを感じますね。どんなイベントが次に行われるのか今から楽しみです。
2021/5/7 UP!
今回は八千代市を取材です。
東葉高速鉄道 八千代緑が丘駅前にやってきました。

こちらは京成バラ園もより駅となっていまして、花の季節になると薔薇の花を楽しみにされている方が訪れます。駅から徒歩15分ぐらいのところにバラ園があります。
駅の改札を出て、駅前広場に目をやると、今の時期、綺麗なバラがかなりの数咲いています。

今回の取材は、駅前の広場や京成バラ園に続く道沿いに薔薇を植え、管理、育成をされている皆さんについてお話を聞いてきました。

東葉高速鉄道・八千代緑が丘駅の北口駅前ロータリーの中心を囲むエリアには200本ものバラが植えられていて、花の季節には、赤、黄色、白などいろとりどりのバラ駅を利用する人を迎えてくれているんです。ちょうどこれからが満開を迎えるシーズンです。
この「八千代緑が丘駅前バラ園」は、日本一の駅前バラ園を目指す 「八千代 花と緑の応援団」というボランティア団体の皆さんの活動によって育成、管理が行われています。京成バラ園の技術指導を受けて愛情を持って育てていらっしゃいます。「八千代市=バラのまち」と実感できるまちづくりに取り組んでいるそうです。
八千代花と緑の応援団、事務局長の濱野俊輔さんにお話を伺いました。

「この駅前に薔薇を植えようとなったのは、地元商工会議所の「やる気塾」という青年の方たちがスタートしたのが始まり。皆さん、10名の方々、若かったんですけど、まあ、だんだん年を取られて、家庭の事情だとか、転居だとか、転勤だとか、諸事情でだんだん少なくなりましたけど、最後は、1人、代表だけになられたと言うことで、地元のみなさんに手伝って欲しいと、自治会等に要請がありました。たまたま私がが、当時自治会長をやってまして、その時は最初、もうできないから市に(薔薇が植えてある場所を)返そうという話があったんですね。あの市の土地を借りてましたんでね。もう手に負えないと。そのまま返すの、残念だなと思って皆さんに、お声をかけたんですね。そうしたところ16人の方が、一緒にやろうじゃないかという手を挙げられましたので、心強く思いました。そこから復活していったんです。」

一時は無くなるかもしれなかったんですね。

最初の頃のエピソードを話してくださいました。
「最初は数名で。 多くはリタイヤ組ですからね。夜、酒を飲んではいろんな話してて、なんかやることないかなっていう、、、いや、実は自治会にこういう話が持ち込まれてね、バラ、あそこをなんとかしなくちゃ。バラはいいなあという話になる。あの駅の北口だけでは、物足りないから、あそこのバラ園までもバラが1本もないぞと。バラが1本もないバラ園までの道っておかしいんじゃないの?北口をバラでいっぱいにしたら、その次はバラ街道作ろうよ。という話からスタートしてるんですよね。その飲み仲間には私を含めて、言い出しっぺでここまで仕掛けてきたんだから、もう最後まで責任もって、若い人に引き継ごうよと、それまでへこたれるなと言う気概でやってますよ。で、ここまで来たらですね。市の方も前向きになっていただいてるんで。頑張っていきたいです、なんとかね。2年半前ですかね。チームを立ち上げて、まあリフレッシュしたと言うことです。」

なんと前向きな話し合いなんでしょう!
そして、盛り上がっただけでなく、実際に行動を起こして今では毎月第3土曜日を中心に作業を行っていらっしゃいます。雑草とりや水やりなど、それこそ育成のプロの京成バラ園の皆さんに育成の指導をいただきながら活動をされています。

京成バラ園までの道、改札を出たところからすぐにバラでお迎えしようという「八千代 花と緑の応援団」の皆さんの思いは、今、まさに大小様々な花を咲かせて訪れる人を迎えてくれています。
2021/4/30 UP!
今回は匝瑳市に取材に行ってきました。匝瑳市は2006年に八日市場市、匝瑳郡野栄町が合併してできた市です。
ここは隣接する東金を含め、千葉県の木でもあるマキやクロマツといったものに代表される日本庭園や公園などを飾る樹木・植栽の栽培が盛んなところなんです。
ということで今回は、匝瑳市植木組合の組合長 大木忠さんにお話をうかがいました。まずは匝瑳地域で植木業が始まった歴史について。

「戦後、都内で公園を作ってみたりとか、緑化を国で進めていたんです。そこで植木を植えるという時代になっていったんじゃないかなと思います。元々はこの地域は畑に芋作ったり麦作ったりをしていたのが、植木が売れるようになって、植木を作るようになっていったんじゃないかと言われてます。自分達の年齢だと、二代目三代目という方が多いですね。私は63(歳)ですね。種を蒔いてから、芽が出ますよね。早いものだと3年とか出荷できるものもありますけど。 古い家の垣根にあった木を畑に移動して、それを形に作って売れるようになると、それには10年以上かかります。早くでも2〜3年、要するにあとは10年ぐらいかかる。」
そうです、木も最初はタネから始まるんです。そこから、数年かけて育てていく。根気が要りますね。
千葉県特有の温暖な気候と、首都圏の消費地に近いという条件に恵まれて徐々に発展し、現在では日本有数の栽培面積と多種多様な栽培樹木数を誇り、2018年農林水産省の資料によると植木生産の都道府県別出荷額は千葉県が1位、そのおよそ半分を匝瑳市が担っているということなんです。

皆さんの家の近くの木々も匝瑳市から来ているものかもしれませんよ。
匝瑳の植木まつり(昨年と今年は中止)は例年大変な人気があり、植木を買うこともできます。毎回、100万円単位の植木が売れるそうですよ!
植木のイベントなどでは、バサバサ生えっぱなしの植木を1日かけて1日かけて枝を割ったりして形を作って、1日で仕上げるというパフォーマンスを披露することもありますてね。ただ、カットじゃなく手を加えてよく見せるというこのパフォーマンス。県の要請もあり、毎年、成田空港には出発ロビーで、坪庭(つぼにわ)を作って海外の人にアピールしてみてもらうようにしているんだそうです。
大木さんの話によりますと、手入れされている植木を見ると、地方によっても形の作り方や、見せ方が違うようで、どこの地域の植木なのかわかるのだそうです。なかなか素人には難しい話ですが、、、

この20年で植木を買う人たちもだいぶ様変わりしたようです。
大木さんは、「輸出が盛んになり出したのは15年か20年くらいですよね。その前は、ほとんど考えられなかったですよね。 土を海外に持っていくこと自体がね、だめでしたから。バブル期はね、このゴルフ場であったり、盛んに植木が動いた時代もありましたけど、今はね、輸出。海外に広めたいということで、フランス、ヨーロッパも(ありますが)やはり中国が1番、大きいでしょうかね。自分も何度か行ったことあるんですけど、中国にも植木はあるんですよね。ただ、形造っている物は日本がいいらしいんです。向こうではないわけですからね。 今後もまたコロナを抜けて。またね、これるようになったらまたどんどんくると思います。来て欲しいです。またね、気に入ったものを気に入った金額買ってくれると思いますね。」
と期待も大きいようです。
匝瑳市ではマキやクロマツのほか300種もの植木を生産しているそうです。新しい技法や流行を取り入れながら、植木を育て、庭を造る植木組合の皆さん。ホームページには組合の皆さんの取り組みなどについても詳しく掲載されていますので、お時間あるときに覗いてみてください。国内外で高く評価されている匝瑳の植木。これからも世界レベルでどんどん有名になってほしいですね。