2021/1/29 UP!
今回は横芝光町を取材。
横芝駅前にある観光や地域情報など、町の案内役となる情報発信施設「ヨリドコロ」横芝光町を訪れる人にはおもてなしの空間、駅を利用する人には待ち合わせの場所、誰でもいつでも気軽に立ち寄れる駅前のヨリドコロとして、また、移住定住サポートセンターとして、さまざまな支援を行っているところです。
この場所で、一般社団法人横芝光町観光まちづくり協会の会長、井上富雄(さんに伺いました。
この町ではある木を植えて、産業としてきた経緯があるそうです。
「坂田城が昔ここにありました。その跡地をどう活用しようかと色々と地元の方が全国を視察しました。和歌山にも行ったそうです。そうしたら梅は商売になるぞいうことになり、50年前に梅林協会を作って梅を植えることになったんだそうです。今では白梅1200〜1300本はある。我々観光まちづくり協会が管理しているのは150本。その会場で天空の梅まつりというものをやっている。成田空港に近いので真上を飛行機が飛ぶので、間近に見られるということで毎年やっております。」
ということでしたが、コロナの影響で今年はまつりは中止。でも見ることはできます。現在は白加賀、石川1号、甲州小梅、奥州など様々な種類の梅を作っています。お手入れは色々とあり一年中何かしらやることがある。観光まちづくり協会には「梅部会」というのがあり、部長が頑張っているんです。理事が25名、会員が110名、そのほか会社で会員になっていただいているところもあります。」
ということでした。
お話を伺ったヨリドコロでも、梅干しや梅日本酒など梅を使った製品が販売されていました。
このヨリドコロでは、横芝光町に移住を検討されている方の相談窓口もあるようです。過疎や高齢化といった話は、郊外の市町村にとっては重要な問題です。
実は会長の井上さんも移住しておられた方のお一人。そこで、移住してきた人として横芝光町の印象を伺いました。
「ここは、農業が中心の町。素朴な方が多い。私も27年前に移住してきたが、人当たりがよく、すぐに馴染めました。すぐ仲間に入れてもらえた。野菜をもらうことも多い。すごくいいなと思うが、住んでいらっしゃる皆さんはそれを当然のことだと思っているから言わないんです。我々移住者からするとすごく生活しやすい。食べ物は美味しく、安いということが重要なことになってますよね」
とてもこの町が気に入っているがよく伝わってきました。
伝統芸能や古墳、そして今が見頃の梅、夏は海など見どころがたくさんある横芝光町、出かけられる時が来たら、訪れたい場所になりました。
取材途中で、売店にちょっとお高いトマトジュースを発見。こちら、横芝光町で作られているトマトで作ったジュース。砂糖が入っているんじゃないかと思うほど糖度の高い濃厚なジュースです。これはウマイ!驚きました!
最後にチーバくんは、横芝光町の公認キャラクター「よこぴー」とともに記念に一枚。
2021/1/22 UP!
今回は大網白里からのミンナノチカラです。
大網白里市生まれのイチゴ「真紅の美鈴」。ご存知ですか?
果肉まで濃紅色に染まっていて、糖酸比が高い特徴があります。色・香り・味わい・甘さ、全てが濃厚。驚くほどコクのある、あま~い真紅の美鈴。このイチゴを育てている農園をご紹介します。
このイチゴを作っているのは、知的障害がある方の自立支援をしているN P O法人のジョブファームです。こちらの皆さんは、大網白里で農業をやられています。このジョブファームの代表、高橋正己さんに設立のいきさつを伺いました。
所有している田んぼの隣に知的障害者が入所する施設ができることになり、興味があったのでそこで10年間働いたのだそうです。閉鎖的な部分もあるので、いろいろ考えて私の家の農業の手伝いをしてもらったことがあり、作業の後、お昼ご飯を食べて、お駄賃を上げておわったら「帰りたくない」といっていた。ここで気づいて、色々とできるんじゃないかと思い、退職して平成24年から彼らのためにジョブファームを立ち上げたそうです。
単純作業が得意な彼らは、米作りに挑戦して、その酒米を酒造に送ってお酒を作ってもらいます。
そんなある時、ビニールハウスを建てている作業を見かけた方から「うちのもやってくれないか」と声をかけられたのだそうです。地域で活動するきっかけがここにありました。地域活動をすることで色々と広がっていく。地域の方と障害者をいきなりつなぐのではなく、高橋さん達がが間に入ってうまくリンクさせるようなやり方を工夫して活動が広まっていきました。
そして、イチゴ作りに挑戦します。品種は大網白里生まれの真紅の美鈴。色が濃くて中まで真っ赤。黒イチゴとも呼ばれる。本当に濃い。色も味も。そして日持ちする。ただイチゴを作るのだけでなく、それをどうするか、付加価値をつけるか?ストーリーをどう作るかを高橋さんは考えました。日本酒を作るために酒米を作っている。生産の過程で酒粕ができるが、それをもらってきて肥料にしてみたところ、これがいちごにはいいらしく品質の高いイチゴができてきているのだそうです。
実は今回、番組収録時に、スタジオにそのイチゴをお持ちいただいたんです。
KOUSAKUも中西も大喜び。その美味しさに舌鼓を打っていましたよ。
ジョブズファームの代表の高橋さんは常に前向きです。知的障害者と我々の生活の接点をうまく見つけて、お互いにいい結果が生まれるよう、日々活動をされています。例えば、落花生の皮むき。これは機械でもできるんですが、手作業の方が実は傷付けず綺麗にむけるそうなんですね。結果的に見た目が綺麗なピーナッツになるので、売り上げにもつながるそうなんです。私たちが食べているピーナッツも彼らのお世話になっているかもしれませんね。
2021/1/15 UP!
今回は、長生村を取り上げます。この番組、いろんな話を地元の方に伺ってきていますが、今回はちょっと違います。長生村の話なんですが、長生村のことをあまりよく知らなかった方にお話を聞いています。映画監督、映像作家の安田瑛紀さんです。映像制作会社エレファントストーンで仕事をされている安田さんの元に、長生村のPR動画の制作依頼があったのがきっかけで、最終的に短編映画を作ってしまったというエピソードを紹介します。
会社に依頼があって安田さんが担当になり、まずは現地に行ってみようということで訪れたところ、「とにかく高い建物がない。」「抜けの良さ、空が広いという印象」「撮影しやすそう」というのが第一印象だったそうです。
個々のものは素晴らしいものが多いが、「これ」というインパクトがあるものに出会えなかったと振り返っています。綺麗なところや美味しそうなものを撮影してそれをつなぐだけでは見劣りしてしまうのではと心配になったそうです。そこで、発想を変えてみることにしたのだそうです。長生村を舞台とした映画を作ったらどうか考え方を変えたのです。準備の段階で役場の皆さんや家をロケで貸してくれたみなさんの 優しさをストーリーに落とし込みたいと思いが強くなってきました。
そこでできいた短編映画が「長生ノスタルジア」という作品です。これは現在もYouTubeで無料で見ることができます。
視聴はこちら「千葉県長生村 presents 映画『長生ノスタルジア』」
撮影エピソードを伺うと「ここではお雑煮に青のりをたっぷり振りかけて食べているんですよ。撮影の時もそのシーンがあって、後で自分も食べようとしたが、時間の都合で自分だけ食べることができなかった。別のインタビューでそのお雑煮を食べられなくて心残りと発言すると、それを知ってか、後日、映画の完成披露の時、長生村の村長が用意してくれた。ものすごくおいしかった。よかったです。食べられて。」
地域で実際にやっているお祭りなどを撮影したのですが、全くよそよそしさがなかったそうです。みなさんとってもとても自然でそれに安田さんは驚きました。村のいいところを皆さんに聞くというシーンがあるのですが、実際、悪口、文句を言う人が一人も出なかったのはちょっと驚き。あったら編集でカットしようかと思っていたが本当になかった。長生村は本当にいいところなんだと思う。と振り返っています。
今回は、東京のエレファントストーンのオフィスで安田監督にインタビューを行ったのですが、代わりにチーバくんに長生村にいっていただきました。その時のショットをいくつかご披露いたします。
長生村は東京などの都市部からの移住も積極的に誘致しているそうです。
この映画が、長生村に興味を持つ大きなきっかけになるといいですね。
2021/1/8 UP!
今回は、全国で最多タイ8つの道の駅がある市、南房総市に伺いました。
とみうら琵琶倶楽部の立ち上げから携わられた「観光カリスマ」(観光庁認定)でもある加藤文夫さんにお話を伺ってきました。
まだ「道の駅」という概念がないころ、地域の魅力を発信する場所を 開発しようと、当時は役所に勤めていらした加藤さんたちが取り組んでいた考えと国交省の「道の駅」構想が合致し、モデルケースのように出来上がったのが「とみうら琵琶倶楽部」なんだそうです!
その後平成の大合併で8つの道の駅が存在することになった南房総市。
「多すぎるのではないか」という声も出たそうですが、一つの道の駅のために作ったシステムが8つの場所で使えるなど、知恵の共有ができることを強みととらえ、南房総市ならではの「道の駅」づくりに取り組んでいます。
2019年秋の台風・大雨ではこのとみうら琵琶倶楽部も建物の崩壊や琵琶の木の倒木など大きな被害を受けました。そしてようやく復興に向けて動き出した春から襲ったコロナ禍。ミンナノチカラで難局を乗り切ろうと、いままた新たな道の駅の存在意義を感じていらっしゃるそうです。
「これからやっていくのには地元の方々に信頼されることが大事。そのためには地域とともに伸びるという思いを失いたくない」と語る加藤さん。
現在は市が運営している南房総いいとこどりというサイトを立ち上げ情報発信する一方、地元にお住いの方や農家さんにも気軽に立ち寄ってもらえる場所にしたい、と教えてくださった加藤さん。道の駅のみなさんの挑戦はこれからも続いていきます
2021/1/1 UP!
2021年最初のご紹介は成田市です。
成田といえば、成田山新勝寺は初詣の場所として人気があります。今年は、新型コロナ感染防止のために、三ヶ日に集中せず、分散の初詣をお願いしています。
そんな成田山新勝寺ですが意外と詳しいことをご存知ない方も多いのではないでしょうか? できたのは西暦940年。参拝客の多さは昨年までは千葉県1位となっています。
成田山新勝寺には実はさまざまなエピソードや、イベント、歴史的 建造物などがあります。それを詳しくガイドしてくださるのが、成田ボランティアガイドの会の皆さんです。 とても人気の高いこのガイドですが、今回は、会長の大野吾一さんにお話を伺いました。
大野さんによりますと、参拝には年間1000万人以上、各種各様お年寄りから若い方までお越しになる。ボランティアガイドは10時から15時までやっています。。時間内は事務所に3人から5人いるのでご要望があればいつでもガイドします。声をかけてくださいということでした。
案内所は成田山の総門前の門前広場に面した成田山信徒会館内にあって、こちらにはガイド依頼以外にもいろいろな情報を求めてたくさんの方が立ち寄られるそうなんです。日本の文化をたくさんの方に知っていただくために英語でのガイドにも対応されているそうです。
実は大野さんは成田出身の方ではなく、成田のニュータウンに移り住んできている「新住民」なん出そうです。それが、かえって昔から住んでいる方よりも新鮮にいろいろ知りたいと思ったのがガイドになろうと思ったきっかけなのだそうです。6ヶ月ぐらい勉強してデビュー。ガイド終わりに「こんなに面白いところがあったのか、来て良かった」という声が多いそうです。今ではその声を聞くためにやっているようなものです。とお話しくださいました。
境内にはいくつもの建物があり、それぞれに物語がありますが、あまり知られていないことを教えてくださいとお願いしたところ、護摩焚きの話をしてくださいました。
「本堂で1日数回行われている護摩です。これは感動する。火をたいて太鼓がなり、声明(ショウミョウ)がミックスされてミステリアス。これ、誰でも参加ができるので見てみる価値はあります。
1日に5、6回。一番早いのは朝6時から午後は3時の回までだそうです。ここで、自分で納めた護摩木(ごまぎ)をたいていただくのもいいかもしれません。天気が良い時は、寺務所から本堂へ護摩だきに向かうお坊さんの列を見ることができます。
その他、表参道、広い境内、大きな公園もあります。旅行の帰り(成田空港への道すがら)時間があったから来てみたけど、ここが一番良かった、旅のハイライトになったという声もよくあります。」とのこと。
新勝寺の隣には成田山公園というところがあります。東京ドーム3個分の広さがあるこの大きな公園。滝があったり、公園内各所には松尾芭蕉や高浜虚子など著名な文人たちの句碑なども建っていて、当時の成田でも俳句や歌をたしなんでいた人々が多くいたという事を物語っているようです。じっくり、ゆっくり、時間をかけて訪れてみたいですね。
2020/12/25 UP!
今回の取材は東庄町(とうのしょうまち)に行ってきました。JR成田線の下総橘駅からすぐのところにある廃校になった小学校 旧石出小学校を訪ねました。
人口減、高齢化など東庄町にも深刻な問題があります。この東庄町では、この町出身の有志の皆さんが集まって街を盛り上げ、さらに未来に繋いでいこうというアクションをしています。集まりの名前は「オンラア未来会議」。「オンラア」は「私たち」という 意味の地元のことばだそうです。
代表の柳堀裕太さんにお話を伺いました。
「東庄町には13,000人の人口がありますが2060年には5,500人ぐらいになる。このままだと次の世代が立ち行かなくなる。(そこで)今僕たちにできることをやろうと集まりました。今年の春に5つあった小学校が統廃合で1つになってしまって廃校となった1つの小学校(石出小学校)を(集まりの場所として)使わせてもらっている。僕らの時は全校生徒280人いたが最後は80人ぐらいだった。まさかそんなこと・・・人口減少がこうなっているとは思ってもいなかったので、びっくりしました。」
柳堀さんが卒業したのは今から25年ほど前でした。
実は柳堀さんは東京に4月までお住まいでした。東庄町になぜ戻ったのかを伺いました。
「この4月まで麻布十番に事務所を構えてC Mプランナーの仕事をしていた。今はこちらの住民として活動してみて、何の不自由もない。東京へは1時間半、成田へは45分、ご飯は美味しい、気候は温暖、人は優しい、お金使わなくても幸せになれる。東京の仕事もできる。 他にそんなところがあったら教えてほしい、ってとこですね(笑)」
そんな「オンラア未来会議」がドライブスルーイベントを企画されました。
旧石出小学校のグランドに屋台車両が並び、買い物に来た人は車のまま会場に入り、お店の前で止まって買い物をする。これですと密も避けられるし売る方も感染のリスクが大幅に減る。
実際にイベントにも顔を出してみたんですが、「よしもと千葉に住みます芸人」の「もぐもぐピーナッツ」さんも参加して、盛り上がっていました。近所の人に頼まれたなどで大量に買う方もいて、コミュニケーションも取りながら売る方も買う方も楽しんでいました。この形のイベントならコロナが収束した後でも継続できますね。
この辺りは畜産が盛んで、新鮮なモツが手に入るということで、イベント会場で「もつ鍋」をいただいてみました。美味しさにびっくりしました。この美味しさを普通に食べておられる東庄の皆さんが羨ましくなりました。
柳堀さんが代表の「オンラア未来会議」は、会員の会費と寄付で成り立っています。今後、新たな仲間を増やしていく計画もあるそうです。地元の出身ではなくても東庄町で楽しく一緒にできる人に出会っていきたいとお話しいただきました。楽しい街の雰囲気づくり、人づくり。東庄町の「オンラアみらい会議」応援したいと思います。
※オンラア未来会議 ドライブスルーイベントのレポートはこちらから。
なお、千葉県では現在、新型コロナウィルス感染症拡大防止のため、不要不急の外出自粛要請が発表されています。お出かけは外出要請解除後にぜひお楽しみください。
2020/12/18 UP!
今回は、千葉市で行われている文化的な活動に注目しましょう。千葉で活躍されている陶芸家の神谷紀雄さん現在80歳にお話を聞きました。焼き物のまち、栃木県益子のご出身で、25才の時に千葉市に越されてきて、それから55年、千葉市で作品を作り続けながら、県内の陶芸家を集めてグループをつくっていらっしゃいます。
神谷さんは、「千葉というと皆さん、文化度が低いとか芸術的に理解がない県とか言われる。これが寂しいし悔しい。ならば我々が文化度や芸術度を上げていかないといけないんじゃないかと。最初、日本で一番輝く県にしようと。仲間を集めるために「千葉はいいところだぞ!」と言い続けているんです。」と力強くおっしゃっていました。
陶器の陶、千葉の葉で陶葉会。伝統工芸陶葉会という名前はすんなり決まったそうです。出来てから16~17年になります。会員には日本伝統工芸展もしくは東日本工芸展に入選した千葉県に住んでいる人が入会できるそうです。会ができたら切磋琢磨するんですね。一人一人の成長が早くなったのだそうです。最初は6―7人の入選だったのが今では14−5に増えてきたというんです。神谷さんによりますと2桁以上の入選は千葉ぐらい。さらには入賞する人も出てきた。今では千葉県はすごいなと言われるようになtたそうです。今では毎年2人か3人ずつ(入賞者が)出ているんというからすごいですね。
神谷さんからリスナーの皆さんへのメッセージをいただいています。
「最初から焼き物や絵画が苦手だと決めないでほしい。触れてみて、何か感じて、面白い、変わっている、素敵だ、綺麗だなど心を動かす。それがないと本当の芸術はない。足を止めてもらえるような作品を作るのが、ものつくりには大事。デパートなどの展覧会などはやっているので、直に作品を見てもらうのが大事で、一人でも多くの方にまめに見ていただくのがものづくりにとってはしあわせだと思いますね」
3人集まれば文殊の知恵と言いますが、もっと多くの陶芸家の皆さんがが集まり、切磋琢磨しながらいい作品を作り、それが更なる芸術の土壌をつくっていく。まさにミンナノチカラ、文化の中にも感じました。
最後に窯を見せていただきました。昔は登り窯といって薪を燃やして焼いていましたが、今は電気やガスを主に使っているそうです。
2020/12/11 UP!
今回は浦安市の取材です。
浦安市役所のすぐ近くにある浦安市郷土博物館・主任学芸員の林奈都子さんにお話を聞いています。
浦安市の歴史と博物館の成り立ちについて伺いました。
浦安は元々小さな漁師町。海苔と貝の町。この博物館は埋め立てで町が大きくなっていく反面きえていったその時代の町の姿を伝えるために建てられました。平成13年開館なのでちょうど20年になるところです、とのこと。
明治時代には浦安から東京まで連絡船が出ていた時期もありました。
昭和24年のキティ台風の高潮被害で町が水没したそうですが、大正時代の台風・高潮での被害を教訓に犠牲者は出なかったという、人々の結びつきが強い町。この博物館にはそんな佇まいを再現した区画があるんです。
足元の砂利には貝殻が混ざっており、漁村だったことを物語っています。
歩くとジャリジャリと音がする。これは現在の防犯砂利のヒントになったのかもしれません。
また、「これは残したいね」という家が8棟ほど移築されています。
そのうち4棟は文化財指定されているそうです。さらにそのうち1棟は千葉県の文化財指定になっています。映画やドラマの撮影に使いたいという話もくるそうで、訪れた方は、博物館に入られて建物を見ると「わぁー」と声をあげて驚かれるそうです。
また、浦安市内の小学4年生を対象にした海苔すき体験学習も行っていて、すでに20年。つまり10歳から30歳ぐらいまでの浦安市民はみんなやったことがあるということになりますね。こうやって地元に伝えていける文化があるのはいいことだと思います。
マンションが立ち並ぶイメージの浦安ですが、この郷土博物館に行くとタイムトリップした気分になれます。当時使われていた道具などがたくさん展示してあって詳しい説明もしていただけるそうなので、ぜひ一度お出かけになってみてはいかがでしょうか?
浦安市郷土博物館について詳しくはこちらから。
■浦安市郷土博物館:〒279‐0004 浦安市猫実1-2-7
2020/12/4 UP!
今回は、酒々井町に行ってきました!今回からDJ KOSAKUが応援部長として番組参加です。
酒々井はその名の通り、酒が出たという伝説の井戸が由来となっています。
そんな酒々井には300年以上続く飯沼本家という造り酒屋さんがあります。 名前を飯沼本家と言います。そちらの直系のご子孫で16代目当主になる予定の飯沼一喜さんにお話を伺ってきました。
飯沼本家は昔から町に貢献したいという気持ちが強く、当時の当主は町長をされたり、町役場の建物を寄贈したりしていたそうです。今では有志の市民団体の皆さんと新酒祭りというイベントを展開してます。新酒で盛り上がるイベント、今年はコロナ禍で中止。みんなで祝い、味わい、響き合うのが大事だとお話しいただきました。
飯沼本家がある場所は酒々井町の南側ですが、ちょっと酒々井の駅から遠いということで、線路沿いの飯沼本家の土地を提供して、総武本線に南酒々井という駅まで作ったそうです。近隣の皆さんはとても感謝しているそうですよ。
肝心のお酒の方ですが、
人気の甲子(きのえね)政宗 純米吟醸は、 とてもフルーティーな感じで、日本酒初心者でも飲みやすいお酒なんですね。「ワイングラスでおいしい日本酒アワード2019 【最高金賞】」を受賞しているそうです。
飯沼さんはこんなこともお話しされています。
「酒文化創造企業としてのビジョンを持っている。酒の消費は1970年代をピークに下がってきている。どうしていくか?魅力的な商品を作ることはもちろん、もっと知ってもらう、ワクワクしてもらうということを提供していかないといけない。
酒を通して楽しい場を提供するというのが本質的には大事だと考えている。なのでそういったアクションをしてきたい。醸造だけでなく、地元の文化を作っていくということのようです。具体的には、2021年の5月ごろには300年続いた飯沼本家が代々住んでいた古民家を改装したレストランを開業予定。もっと、酒という世界を感じられる場を提供して行くとのことです。
あと、店内に飲めませんというボトルを見つけました。これは醸造でできた高濃度66%のエタノール。消毒、殺菌用です。コロナ禍ならではの製品です。こんなものも作られているんですね。
取材で伺った時は、広い庭で火を囲みながらゆったりと日本酒を楽しむ場所が提供されていました。
楽しみですね。
2020/11/30 UP!
- 「親孝行は週に2回」の中西悠理がご紹介しました「酒々井の由来、酒の井伝説」などの情報は、以下のHPでご覧いただけます。
https://www.town.shisui.chiba.jp/docs/2014021803876/
- 最新の情報を必ずご確認ください
- おでかけの際は、しっかり感染対策をとり、
- また施設の周辺にお住まいの方へのお気遣いもお忘れなく!
- 身近にある魅力的な場所へお出かけして、
- 千葉の観光を応援していきましょう!