三方を海に囲まれる房総半島に位置する千葉県。
首都圏からのアクセスもよく、
通勤圏でありながら海や里山の豊かな恵みをあわせもち、
自然とともにある生活を楽しめるエリアです。
そんな「千葉の魅力」を支えるさまざまな活動や
想いムーブメントなどにスポットを当て、
現地取材の声も通して「魅力あふれる千葉」をご紹介していきます。

毎週月~木 18:35頃~「YOU 遊 チバ」はこちら
※「YOU 遊 チバ」は、ミンナノチカラ~CHIBA~と連動し週ごとにさまざまなテーマで千葉の魅力をお届けしているコーナーです。

Every Fri. 18:45~18:59

第45回:柏市

2021/5/14 UP!

今回は柏市の取材です。

ウラカシという地域をご存知でしょうか?

柏駅のほど近くにあるエリアなんですが、「ウラカシ」では、お店のご主人など現役世代の皆さんが、色々と盛り上げイベントなどをやっていて、今、注目を集めています。具体的には柏3丁目、柏駅の東口を出て7分ほどあたりだそうですが、「ウラカシ100年会」の代表、自らもウラカシでセレクトショップを営んでいる田中庸介さんにお話を伺いました。

田中さん

「1990年代後半に柏駅の中心部から離れた場所で、フリークスストアというセレクトショップがあるんですけれども、そこの柏店が誕生して、その近辺に古着屋さんを中心とした。都内からの出店が相次いだという場所がウラカシ。という風に名付けられたんですけども、じゃそもそもウラカシなんだった?って時に、当時ギャル文化が渋谷で起きて、東に位置する柏は「東の渋谷」と言われまして、その時のこの地域のネーミングもなかったので、渋谷、原宿、原宿の裏原→裏原 柏だからウラカシ、そういうような感じで、かしわインフォメーションセンターを中心としてウラカシっていう名前が付けられたっていうような流れですね。」

ウラカシ100年会には、飲食店、雑貨店、ファッション店などさまざまな店が参加して、エリアを盛り上げるためにイベントも開催しています。今はコロナの影響でお休み中ですが、また落ち着いたら再開していきたいと考えているそうです。どんなイベントをやっているのでしょうか?

「われわれウラカシ百年会は エリア型といって別に通りを限定している訳でもなく、何か催すイベントをやるっていった時に、その通りだけじゃなくていろんな場所でイベントやったりとかっていう会なので、要はエリア型商店会になっています。食のイベントだったり、肉フェスだったりとか。そこの中にウラカシ何なにっていうネーミングをして、ウラカシ動物園とか子供たちが遊んで食べて、親御さんたちが楽しんでいただけるようなイベントやったりしますね。えっとウラカシ動物園って銘打ってフクロウ。

10羽ぐらい呼んでですね、いろんなフクロウを。そこでフクロウと戯れるイベントで、

そこをそもそも肉フェスの中のウラカシ動物園っていう部分もあったので、肉だったらなんでもいい、ワニの肉だったりとか、牛肉以外だったり、いろんな肉を集めた集合した肉フェスとかやってますね。」

お話を伺った田中会長は40歳代ですが、とにかくノリがいいんです。かといってチャラチャラ軽いわけでもないんです。ご出身は千葉県いすみ市で、大学の時に柏に来られて、そこで柏のまちが好きになり、一度就職された後、独立されてセレクトショップを始められたそうなんです。みんなで盛り上がっていこうという思いは、会の他の皆さんも同じで、型に囚われずさまざまな活動をされています。

ところが、予想を上回る反応があって大変なこともあったそうです。

「店主がみんな若かったり行動派が多いので、本当に臨機応変型で、即行動にうつすっていう会ですね。一昨年ラグビーのワールドカップが来て、ニュージーランド代表がキャンプがあったんですけど、それにあやかってポロシャツ作ったんですね。で、それが柏市のクールビズで使ってもらって、ぱっとやったは良いが、ものすごく受注があって、我々も、販売すれはいいけども、あのいろんな取り決めとかがね、ぐちゃぐちゃにはなってないですけど、ものすごい反応が良かったので頑張りました。洋服のボディ以外は全てネームから刺繍からデザインから販売から集計からすべて会でやってるので量が凄かったっていうのもそうなんですけど、生産の方もてんやわんやしながら大反響を頂いたという・・・」

言い出して始まってしまったことは最後までやり遂げる。ここは責任持ってウラカシの盛り上げのために頑張ったんですね。こういった活動をしながら、ウラカシが100年続くように頑張っていこう と作られた会は、まだ4年目です。

ウラカシ100年会は次のイベントを今年の秋ぐらいにできたらいいなと思っているそうです。その時の状況で判断したいということでした。ただ、アイディアは次から次に出てくるようで、この収拾をつけるのも大変なんですよとうれしい悲鳴をあげてらっしゃっています。ウラカシ100年会。その名のとおり100年、それ以上にずっと続いていくエネルギーを感じますね。どんなイベントが次に行われるのか今から楽しみです。

第44回:八千代市

2021/5/7 UP!

今回は八千代市を取材です。

東葉高速鉄道 八千代緑が丘駅前にやってきました。

こちらは京成バラ園もより駅となっていまして、花の季節になると薔薇の花を楽しみにされている方が訪れます。駅から徒歩15分ぐらいのところにバラ園があります。

駅の改札を出て、駅前広場に目をやると、今の時期、綺麗なバラがかなりの数咲いています。

今回の取材は、駅前の広場や京成バラ園に続く道沿いに薔薇を植え、管理、育成をされている皆さんについてお話を聞いてきました。

東葉高速鉄道・八千代緑が丘駅の北口駅前ロータリーの中心を囲むエリアには200本ものバラが植えられていて、花の季節には、赤、黄色、白などいろとりどりのバラ駅を利用する人を迎えてくれているんです。ちょうどこれからが満開を迎えるシーズンです。

この「八千代緑が丘駅前バラ園」は、日本一の駅前バラ園を目指す 「八千代 花と緑の応援団」というボランティア団体の皆さんの活動によって育成、管理が行われています。京成バラ園の技術指導を受けて愛情を持って育てていらっしゃいます。「八千代市=バラのまち」と実感できるまちづくりに取り組んでいるそうです。

八千代花と緑の応援団、事務局長の濱野俊輔さんにお話を伺いました。

「この駅前に薔薇を植えようとなったのは、地元商工会議所の「やる気塾」という青年の方たちがスタートしたのが始まり。皆さん、10名の方々、若かったんですけど、まあ、だんだん年を取られて、家庭の事情だとか、転居だとか、転勤だとか、諸事情でだんだん少なくなりましたけど、最後は、1人、代表だけになられたと言うことで、地元のみなさんに手伝って欲しいと、自治会等に要請がありました。たまたま私がが、当時自治会長をやってまして、その時は最初、もうできないから市に(薔薇が植えてある場所を)返そうという話があったんですね。あの市の土地を借りてましたんでね。もう手に負えないと。そのまま返すの、残念だなと思って皆さんに、お声をかけたんですね。そうしたところ16人の方が、一緒にやろうじゃないかという手を挙げられましたので、心強く思いました。そこから復活していったんです。」

一時は無くなるかもしれなかったんですね。

最初の頃のエピソードを話してくださいました。

「最初は数名で。 多くはリタイヤ組ですからね。夜、酒を飲んではいろんな話してて、なんかやることないかなっていう、、、いや、実は自治会にこういう話が持ち込まれてね、バラ、あそこをなんとかしなくちゃ。バラはいいなあという話になる。あの駅の北口だけでは、物足りないから、あそこのバラ園までもバラが1本もないぞと。バラが1本もないバラ園までの道っておかしいんじゃないの?北口をバラでいっぱいにしたら、その次はバラ街道作ろうよ。という話からスタートしてるんですよね。その飲み仲間には私を含めて、言い出しっぺでここまで仕掛けてきたんだから、もう最後まで責任もって、若い人に引き継ごうよと、それまでへこたれるなと言う気概でやってますよ。で、ここまで来たらですね。市の方も前向きになっていただいてるんで。頑張っていきたいです、なんとかね。2年半前ですかね。チームを立ち上げて、まあリフレッシュしたと言うことです。」

なんと前向きな話し合いなんでしょう!

そして、盛り上がっただけでなく、実際に行動を起こして今では毎月第3土曜日を中心に作業を行っていらっしゃいます。雑草とりや水やりなど、それこそ育成のプロの京成バラ園の皆さんに育成の指導をいただきながら活動をされています。

京成バラ園までの道、改札を出たところからすぐにバラでお迎えしようという「八千代 花と緑の応援団」の皆さんの思いは、今、まさに大小様々な花を咲かせて訪れる人を迎えてくれています。

第43回:匝瑳市

2021/4/30 UP!

今回は匝瑳市に取材に行ってきました。匝瑳市は2006年に八日市場市、匝瑳郡野栄町が合併してできた市です。

ここは隣接する東金を含め、千葉県の木でもあるマキやクロマツといったものに代表される日本庭園や公園などを飾る樹木・植栽の栽培が盛んなところなんです。

ということで今回は、匝瑳市植木組合の組合長 大木忠さんにお話をうかがいました。まずは匝瑳地域で植木業が始まった歴史について。

「戦後、都内で公園を作ってみたりとか、緑化を国で進めていたんです。そこで植木を植えるという時代になっていったんじゃないかなと思います。元々はこの地域は畑に芋作ったり麦作ったりをしていたのが、植木が売れるようになって、植木を作るようになっていったんじゃないかと言われてます。自分達の年齢だと、二代目三代目という方が多いですね。私は63(歳)ですね。種を蒔いてから、芽が出ますよね。早いものだと3年とか出荷できるものもありますけど。 古い家の垣根にあった木を畑に移動して、それを形に作って売れるようになると、それには10年以上かかります。早くでも2〜3年、要するにあとは10年ぐらいかかる。」

そうです、木も最初はタネから始まるんです。そこから、数年かけて育てていく。根気が要りますね。

千葉県特有の温暖な気候と、首都圏の消費地に近いという条件に恵まれて徐々に発展し、現在では日本有数の栽培面積と多種多様な栽培樹木数を誇り、2018年農林水産省の資料によると植木生産の都道府県別出荷額は千葉県が1位、そのおよそ半分を匝瑳市が担っているということなんです。

皆さんの家の近くの木々も匝瑳市から来ているものかもしれませんよ。

匝瑳の植木まつり(昨年と今年は中止)は例年大変な人気があり、植木を買うこともできます。毎回、100万円単位の植木が売れるそうですよ!

植木のイベントなどでは、バサバサ生えっぱなしの植木を1日かけて1日かけて枝を割ったりして形を作って、1日で仕上げるというパフォーマンスを披露することもありますてね。ただ、カットじゃなく手を加えてよく見せるというこのパフォーマンス。県の要請もあり、毎年、成田空港には出発ロビーで、坪庭(つぼにわ)を作って海外の人にアピールしてみてもらうようにしているんだそうです。

大木さんの話によりますと、手入れされている植木を見ると、地方によっても形の作り方や、見せ方が違うようで、どこの地域の植木なのかわかるのだそうです。なかなか素人には難しい話ですが、、、

この20年で植木を買う人たちもだいぶ様変わりしたようです。

大木さんは、「輸出が盛んになり出したのは15年か20年くらいですよね。その前は、ほとんど考えられなかったですよね。 土を海外に持っていくこと自体がね、だめでしたから。バブル期はね、このゴルフ場であったり、盛んに植木が動いた時代もありましたけど、今はね、輸出。海外に広めたいということで、フランス、ヨーロッパも(ありますが)やはり中国が1番、大きいでしょうかね。自分も何度か行ったことあるんですけど、中国にも植木はあるんですよね。ただ、形造っている物は日本がいいらしいんです。向こうではないわけですからね。 今後もまたコロナを抜けて。またね、これるようになったらまたどんどんくると思います。来て欲しいです。またね、気に入ったものを気に入った金額買ってくれると思いますね。」

と期待も大きいようです。

匝瑳市ではマキやクロマツのほか300種もの植木を生産しているそうです。新しい技法や流行を取り入れながら、植木を育て、庭を造る植木組合の皆さん。ホームページには組合の皆さんの取り組みなどについても詳しく掲載されていますので、お時間あるときに覗いてみてください。国内外で高く評価されている匝瑳の植木。これからも世界レベルでどんどん有名になってほしいですね。

https://www.sosa-ueki.jp/

第42回:芝山町

2021/4/23 UP!

成田空港に近い芝山町を今回は取材です。

実は、千葉県は古墳の宝庫で、その数はおよそ1万3千基。全国第4位という多さなんです。3世紀中ごろから7世紀頃の古墳時代から千葉県あたりは河川や湖・沼などが多く水に恵まれていたので、豊かな豪族などが多かったそうです。中でも芝山町周辺は県内有数の古墳密集地なので、この地域で宅地開発などがあって古墳が出土すると、まずは調査が行われ、記録が作られるようになっています。しっかり記録した後で土地開発などが行われるので貴重な史料も残されているというわけです。

芝山町にある芝山町立芝山古墳・はにわ博物館(4月にリニューアルオープン)で学芸員の奥住淳お話を伺いました。

「芝山町は今でも100基ぐらいの古墳が残っていまして、昔は500ぐらいの古墳があったと思います。で、古墳には、ヒト形とか動物型とかはにわが昔に建てられていましたので、そういうのが多く発掘された発見された土地と言うことになります。古墳時代後期と呼ばれる時代で、およそ6世紀、1500年ぐらい前と思っていただければと思います。古墳は1個単独であるわけじゃなく、偉い人は、前方後円墳ていう古墳に葬られるんですけど、その家臣とか一族のような人たちも周りに今度は、小さな円墳とか作って群を作っているんですね。なので、あの古墳はまとまっていて、数が多くなってくるのと。 まあ、そういう人たちの古墳がどんどん集まってきて、あたかも今風にいえば霊園のような、そんな感じになっていったんだと思います。」

古墳密集地と言っても過言ではない数ですよね。

そもそも、芝山町地域の古墳発掘は、どのような経緯で始まったのでしょうか?

実は、昭和31年、博物館のすぐ隣に芝山仁王尊観音教寺という天台宗の古いお寺があり、そこに赴任された住職、浜田住職さんが、まだ20代の頃で、近くに古墳があるっていうことを知り、ちょうど千葉県でその頃いくつか古墳の発見とか発掘があったこともあり、自分も、近くであるので、掘ってみてはどうかということを考えて、知り合いのツテで、早稲田大学に来てもらって発掘したということのようです。 それで早稲田大学の学生さんだけでは人手が足りないので、地域住民の皆さんにも、回覧とか回して何月何日は何区とか、そういう動員をかけたという資料も残っているのだそうです。青年団とか婦人会の皆さんが発掘したら、埴輪が40数体一度に並んで出てきて、埴輪の配列どんな順番で並んでいたというのが貴重な考古学上の発見になって、ちょっと大騒ぎになったということがあったそうです。

取材時はまだリニューアルオープン前でしたが、中を拝見しました。

中には、私たちが普通教科書で見たイメージのはにわとはまた違うタイプの埴輪が多くありました。人の形の埴輪がなんだかとてもおしゃれなんです。下の写真の埴輪、ロン毛でカールしていて長い髭。

着ている服や、帽子、持ち物などが細かく再現されています。顔つきもちょっと渡来人のような感じもします。下の写真の埴輪は首飾りや右側の埴輪はイギリスの近衛兵のような帽子をかぶっています。鼻も高い!

そのほか、鶏や犬、鹿、猪、そして珍しい「魚の埴輪」も展示してあります。

この魚は鮭ではないだろうかと推測されているそうです。

学芸員の奥住さんのお話で、なるほどと思ったのが、埴輪の土台の部分。ほとんどの埴輪が足の部分の下に台のようなものが一緒に作られています。

これは、埴輪を地面に固定させるためのもので、地中に埋めておく部分、いわゆる基礎の部分です。ですから、その上の部分が地表に出ている。多少の雨風が吹いてもこれなら倒れません。出土して全体が見えていますが、実は、当時は3分の1は埋まっていたんですね。

芝山町では縄文時代の装束をきて街を歩く祭もあります、現在はコロナの影響でお休みとなっていますが、落ち着いたらまたやるそうです。顔に赤い今でいうペインティングデザインを施すのですが、この赤色を塗るというのも、出土した埴輪の顔の部分に赤色の顔料で塗られていたことがあったからなのだそうです。

売店ではいろいろなお土産も販売されていて、取材時目を引いたのは、埴輪のレプリカです。結構大きなものもありまして、迫力があります。博物館では、学芸員さんによる説明ツアーなども企画しているそうです。

はにわは、当時の生活を立体的にかたどった歴史的遺産です。人々の暮らし、集団行動、そして村のようなものができ、やがて国になっていく時代の文化も勉強することができる。そんな貴重な展示を見られるよりパワーアップした「芝山古墳はにわ博物館」。お近くに行かれた際は寄ってみてはいかがでしょうか?

芝山古墳・はにわ博物館 https://www.haniwakan.com/

第41回:鴨川市

2021/4/16 UP!

今回の取材は鴨川市です。鴨川シーワールドでお馴染みの地域ですね。

実は鴨川は米所でもあるんです。そしてこの辺りは丘陵地帯の傾斜に作られた田んぼがあります。

海のイメージが強い方も多いと思いますが、鴨川市の山間部、大山(おおやま)という地域には、房総丘陵の山の斜面を利用した田んぼ「棚田」が連なる場所 「大山(おおやま)千枚(せんまい)田(だ)」があり、美しい景観をつくっています。写真スポットとしても人気が出てきています。

大山千枚田で地域を元気にしていこうと活動されているのがNPO法人大山千枚田保存会の皆さん。まずは、大山千枚田の歴史などについて、事務局長の浅田大輔さんにお話を伺いました。

「江戸時代の終わりぐらいには棚田が広がってきたと思われています。鎌倉時代には人が住んでて少し暮らしのために田んぼを作ったんじゃないかっていうふうに言われていますね。日本中、山の中の地域というか中山間地域って言ってるんですけども、そういうところは後継者がいないっていう、それで農地が荒れてくる、で地域が元気がなくなるっていうことが あって、それを防いでなんか地域を元気にしたいねって言うので、何かできないかなって思った時に、実は、ここが大山千枚田って名前がなかったんですね、大山地区にある普通の田んぼ、棚田だったんですけれども大山千枚田保存会というのを立ち上げたんですね。ただ保存というよりもここを活用している村おこしができたらいいねっていうのが大きな目的の団体ですね」

ということでした。この地域は蛇紋岩(じゃもんがん)という土壌があって、実にこれがコメ作李、味の良さに貢献しているというんですね。少し青みがかかった石ですが、これが長い年月を経て年度に変わり、そこからミネラルが溶け出して美味しいお米ができてくるという仕組みなのだそうです。

「大山千枚田」と名付けて保存や活性化などの活動をはじめたのは25年ほど前からで、N P O法人が設立されたのが2003年のことだそうです。保存のために、棚田一枚一枚にオーナー制度を用いて、そのオーナーさんが草刈りをしたり、田植えをしたり、収穫をしたいるする作業も行います。日頃の細かい作業などは保存ん会の方で行っていますが、イベントとして、たくさんの人たちがオーナーとして作業をしにここにやってくるのだそうです。

今年のオーナー受付はすでに終了していますが、収穫したお米は、棚田全体の面積から按分して、配分されるのだそうです。数年前の実績ですと、1口のオーナーで27キログラムの美味しい玄米を手に入れたそうです。そんなオーナー制度導入でどんな効果があったのか、どんなところに期待したのか、浅田さんに伺いました。

「移住者の確保も出来れば、そこにつなげたいなと言うのがあって、始めた当初は、やはりその年配の方というか、もうすぐリタイヤか退職される方がターゲットの部分もあったんですけれども、子供たちにやっぱり知ってもらいたいと思うようになってきました。それはオーナー制度に来た子供たちもそうですし、地元の子供たちにも伝えたいということで、オーナー制度に家族で来てくれてる小学生の子が大学生になって、時間ができたから手伝うよーとか、あと、ちょっと田んぼの仕事じゃない仕事なんですけども、地元の小学生、中学生が少し仕事を手伝ってたってくれたりしますので、そういう子たちにも感謝していますし、もっと棚田の魅力を発信していかなきゃいけないのかなっていう。むしろそのほうが大事なのかな? と思っています。」

元気がなくなってきていた農村、作業が大変な棚田、でもその一枚一枚が小規模であることで、オーナーのできる範囲の作業量になっていくという利点もあります。(実際にはトラクターなどが入れない場所も多くあり、人界戦術でないとできないという事情もあります)

取材時は3月だったので、まだ田植えの準備の前の段階でしたが、もうすぐ田植え。この夏も青々と美しい棚田の景色が見られるようになります。

夜には棚田の境界にランタンを置いて幻想的な景色を見られるイベントも準備をしているということです。

詳しいことをお知りになりたいかたは、保存会のHPをご覧ください

https://senmaida.com/

第40回:市原市

2021/4/9 UP!

今回は市原市を取材。市原市には実は世界に誇る地球の歴史に関わる重要な証拠を見ることができる場所があるんです。チバニアンと言う言葉を最近お聞きになった方、多いと思います。

「チバニアン」はラテン語で「千葉時代」という意味で、その名前で呼ばれるのは、およそ77万4千年前から12万9千年前までの時代。その名前の由来となった地層が市原市田淵(たぶち)の養老川沿いにあるんです。 今日は、その地元で頑張っている皆さんの活動についてご紹介します。

まずチバニアン時代とは何か?地球の歴史上、地磁気が入れ替わったり場所をが入れ替わったりすることが数回あったのだそうです。その時の証拠がここにあるというんです。

この市原市田淵の養老川沿いの地層には一番新しい地磁気逆転の記録が最もよく残っていて、地質年代を分ける境界がよくわかる唯一の地層だと2020年1月に認められました。そこで、地球の一時代に「千葉時代=チバニアン」という名前が付けられて、世界的に注目されることになったんです。

その現地で、チバニアンの魅力を多くの方に知っていただこうと、ビジターセンターを 運営しているのが田淵チバニアンズというN P Oの皆さん。有名になる前はこの地域も過疎などの問題を抱えていたそうなんですが、徐々にある変化がおきてきました。昔は地元の皆さんで婦人会が地元の絆のために活動をしていました。そして時代の流れとともに、婦人会が解散して新しい地元組織ができ、それも時代の流れとともにまた活動が先細りしてきていたそうです。

そこにチバニアンの話が持ち上がり、昔使われていた道を整備すれば、現地に行き易くなると言うことで、草刈りを始め、活動が復活していきました。

ところが、話が少しづつ大きくなっていき、多くの人が来るようになると、予期せぬ出来事も色々起きるようになったそうです。会の代表の石井あゆみさんにお話を伺いました。

「2017年の秋に1次審査を通った後は、1ヶ月半で1万人の方が押し寄せたんですね。とにかく見たこともないような人数の人が集まって。で、市の職員が交通整理に出るという状態で、知らない車が家に入り込んで来たとかっていう騒ぎもあって、ちょっとしたパニックになりました。すごい勢いで人が、マスコミも押し寄せましたので、その時に本当に驚きました。」

近いうちに、駐車場から地層が見える養老川の河原までの道の整備と、そこに、新しく、チバニアンを勉強するための施設「ビジターセンター」が建設されることが決まりました。現在は、近くの駐車場にコンテナハウスがあり、そこが暫定のビジターセンターとなっています。こちらの中には、チバニアンの説明や、どの部分がその証拠になる地層なのか?などの説明が詳しく展示されています。ほかにも、地層を見ただけではわからない いろんな魅力を案内してくれるチバニアンガイドツアーもあるそうです。これがかなり人気なんだそうですよ.

石井さんは、NPO活動の今後についてこのように語っています。

「ただ単にボランティアでやりたい人だけがやっているという組織は長続きしませんので、いろんな人たちが、それぞれ自分のやりたいことをやりながら、それがなおかつ自分の利益にもなるっていうような、上手くかみ合った活動ができればいいなと思っていますので、そうすることによって仕事の場というのができれば、地域に住んでいる若い人たちの中で、仕事としてN P O(法人)に入ってきて、一緒に地域おこしをやれるっていうことも可能になってきますので、自分達が年とったら終わりではなくて、若い人たちにバトンを繋いで行けるような、そういう組織作りをしたいなと思っています」

私も現場を拝見しました。パッと見ただけでは崖なんですが、説明を受けると、川底に見えるものや地層の意味がわかってきます。貝の化石も結構出土しています。そうすると、突然、「すごい!」感が出てくるんです。不思議ですね。地元の皆さんが気持ちよくお客様を迎えようと言う気持ちがあることもしっかり感じられた取材でした。

第39回:印西市

2021/4/2 UP!

今回は印西市役所に行ってまいりました。

印西市は成田空港の近く、古くから利根川水運の宿場町「木下河岸(きおろしがし)という宿場があった場所で、千葉ニュータウンがあるところです。最近では成田スカイアクセス線の開業によって、成田空港と東京両方へのアクセスが格段によくなったところでもあります。

そんな印西市が、最近続けて三本の動画をインターネット上に投稿しました。これが話題になっています。特に第一弾の印度じゃないよ印西市はインパクトが強いものでした。

動画を作成した印西市企画財政部シティプロモーション課の星野郁夫さんにお話をきてきました。

この動画の狙いを聞きました。「関東一円の移住を検討している世代に売り込みをかけるといった目標を掲げております。 日本旅行さんとポニーキャニオンさん、この2社はですね共同でこちらの提案をいただきました。色々な方面から提案があったのですがインパクト強いと言う事でこちらの動画のタイトルですね。採用した経緯がございます。 皆さんにはよくあのぶっ飛んでますねという言葉頂きますね。」

いんにしし、いんぜいしなどとちゃんと読んでもらえないことも多くあり、まずは名前行ってみよう。ということで制作したそうです。動画を見てもわかるとおりボリウッッド(インドのミュージカル映画)風に作っています。短い動画ですが、しっかりメッセージは伝わってきますね。

その再生回数も17万回を超え、今もその数は伸びています。さらに、第2弾としてINZAI BALANCE や 第3弾の印西妄想落語 と立て続けにYouTubeにアップしています。

印西市役所の中でも異彩の仕事をしているシティープロモーション課

印度じゃないよ印西市が公開された後、勢いで、、印度じゃないよ印西市キーマカレーを開発。イベントで販売されたそうなんです。

これが1000個、即日完売! カレーの種類はインド風チキンキーマカレー。コンセプトは「やっぱり印度!?」としつつも、“印度じゃない”ということで国産の鶏を使用して、化学調味料は使わず、辛さも甘口から中辛の中間位の辛さで、子どもも安心して食べられるレトルトカレーになっていルそうです。 パッケージデザインは、この動画を演出した印西市出身のCMディレクター、香取徹(かとりとおる)さんが担当されたそうです。問い合わせも多く、あまりの人気ぶりに、現在、印西市のふるさと納税の返礼品のラインナップに加わっているんです。

シティプロモーション課は、今後、動画の第4弾、第5弾を作って行けたらいいなと考えているそうです。次はどんな切り口でくるのか?楽しみにしたいと思います。さらに、動画だけでなく、新しいメディアにも挑戦したいそうです。あっという方法で、また印西市の名前がメディアの中に出てくるかもしれませんね。

楽しみです。

第38回:茂原市

2021/3/26 UP!

今回は茂原市を取材してきました。

茂原市、日本における天然ガスの生産量が日本一らしいです。今のペースで採掘しても600年以上はもつぐらい埋蔵量があるそ愛なんです。チーバくんでいうと左肩のあたりに位置する茂原市。今回は、映画のワンシーンに茂原の風景をと頑張っている市役所の方のお話を伺いました。

2年ほど前から千葉もばらロケーションサービス事務局という部署が活動しています。映画などのロケ地探しで、問い合わせがあったときに、その要望に見合う場所を紹介したり、お手伝いをする部署です。茂原市役所 渡部智之さんに、実際には何本ぐらいこの2年で撮影があったのかなどについて伺いました。

「今まで100件ぐらい。映画やドラマ、再現ドラマ、ミュージックビデオなど。C Mでも使ってもらいました。いろんな要望があります。古い家、誰もいないところ、廃墟のビル、壊してもいいような建物など要望は多岐に渡ります。私は役所に入ってからいろんな部署にいたので、公用車でよく市内を走っていたので、景色はある程度わかります。知識を総動員して対応している、時には現地確認に行ったりしています」

渡部さんを含む3名が茂原のロケーションサービスとして活躍しています。東京からも近いことから、問い合わせは多く、部署ができてからの2年間でトータルの問い合わせは600件以上もあったそうです。有名な作品からほんのちょっとのシーンまで様々だそうですが、最近ではどのような作品が茂原の景色を取り込んでいたのでしょうか?

「映画「浅田家」のワンシーンや、「罪の声」などの映画の撮影がありました。ドラマだと「チアダン」。こちらの舞台は市内の中学校。今は廃校になっているのですが撮影当時はまだ学校がやっていたので、生徒たちと、俳優や制作スタッフとの交流もあり、よかったと思っています。最近だと「青のスクールポリス」藤原竜也さん主演。これら茂原で撮影したシーンがどのぐらいの長さ放送されているか、実は測っているんです。見ると思わず「お!映った!」って。たのしくやっています。」

茂原ロケーションサービスのホームページには、過去の撮影の一覧が掲載されています。今放送中のドラマもいくつか入っていますね。茂原市民の皆さんも、「あれ?これどこかで見たような景色や建物だな?」と感じたら、確認してみるといいかもしれません。茂原駅周辺のロケ地マップというものも公開されていて、こちらも茂原市役所のホームページからダウンロードしてみることができます。

マップ

ロケーションサービスでは、場所を紹介するだけでなく、地元の美味しいものの紹介もするラッキーなこともあったそうです。

「青くて痛くてもろい(吉沢亮、杉咲花 2020年夏公開) という作品の撮影で、撮影の合間に地元のオリジナル餃子のネギっぺ餃子を差し入れたんです。みんな美味しいと食べてくれました。数日後、村祭りのようなシーンのところでネギっぺ餃子にお呼びがかかり、屋台の店として映画のワンシーンに映ることになりました。スタッフ側が店ののぼりまで作ってくれたんです。これは茂原にとって快挙です。差し入れしてよかった。栄冠ですね(笑)」

この餃子、形は小さいお饅頭のような形なのですが、味は全国の自治体などが、魅力をアピールする「第5回全国ふるさと甲子園」で、グルメ部門で1位を獲得するほどの実力派。撮影スタッフが美味しいと絶賛するのもわかります。

毎日のようにある問い合わせに、この仕事に携わって、より茂原のことを細かく知ることができた渡部さん。もっと面白い場所、ロケだけでなく、写真撮影に素敵な場所もたくさんご存知とのことです。茂原市役所内の千葉もばらロケーションサービスに問い合わせると、教えてくださるそうなので、気になる方はホームページをぜひご覧ください。

第37回 流山市

2021/3/19 UP!

今回の取材は流山市です。

流山はみりん製造で栄えた町ということはご存知でしょうか?

流山は江戸川の東側、利根川との間に位置しています。現在も市内で味醂製造は行われています。ですが、今ひとつ、みりんで盛り上がっていないなと感じている方も多く、そこで流山商工会議所の商業部会の有志が「みりんde繁盛実行委員会」を立ち上げました。まずはガイドブックを作ってみようということになり、市内在住イラストレーターのノグチノブコさんに お声がかかったようです。

ノグチさんに経緯を伺いました

「2018年下の春から夏にかけて。そこでキラキラ可愛いフリーの冊子を作って、美味しいものなどを紹介していきました。本ができた頃、いろいろ歴史とかも知るようになり、さらにその辺りも網羅したらどうかという話になり、郷土史に詳しい方に話を聞いたりして2020年3月に新しい冊子を制作いたしました」

本を作っていくうちに、色々と興味深いことがわかってきて収まり切らなくなって新しい本を作ったようです。

ちなみに、流山でできた味醂は、最初は船で江戸、東京に運んでいました。それが鉄道(常磐線)で運べるようになって、流山から常磐線馬橋駅まで輸送用の鉄道が引かれました。これが今の流鉄です。さらに車で運ぶようになって、大きな橋も完成。みりん製造は流山のまちを大きくしていきました。

これはお隣、野田市の醤油とそれを輸送するために開通させた東武アーバンパークライン(野田線)との関係と似ています。

ノグチさんは、今までの歴史を知らないでいたが、知ってからはこれをもっと多くの人に知ってもらいたいと思うようになり、小冊子と別に漫画流山みりん物語を制作したということです。

ちなみに、みりんは現在は調味料としての認識が高いのですが、昔は飲み物として使われていました。製造過程がお酒と非常に似ています。

昔、戦国時代はお酒の一種として当時のセレブの間で飲まれていたそうで、甘めの味ですから、今の甘めの酎ハイのような感じだったのかもしれません。お正月にいただくお屠蘇(とそ)もみりんで作ります。

流山みりんの2大ブランドは万上(まんじょう)本みりんと天晴(あっぱれ)みりんですが、天晴みりんの方は紆余曲折があり、その名前が一度途絶えてしまっていたんですが、生産を受け継いだ業者が、2015年にその名前を復活させています。万上本みりんは現在も流山市内で生産されています。

流山を育てたみりんの歴史だけでなく、みりんを使った料理やスイーツなどにも興味を持ってもらいたいとノグチさんは話します。市内には、みりんを使ったケーキ屋さんや、和食、そして洋食もあります。実際取材で行ってみると、古い建物や蔵を改装したカフェなどもあり、散歩しながら楽しむことができます。

この春、お出かけになってみてはいかがですか?

切り絵行燈が照らす「流山本町江戸回廊」

2021/3/15 UP!

  • 「星占いのラッキーアイテムが行燈だった!」中西悠理がご紹介しました「流山市の切り絵行灯」の情報は、以下のHPでご覧いただけます。

https://www.city.nagareyama.chiba.jp/contents/23140/30074/33395/033234.html

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中西家の花
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