2020/12/4 UP!
今回は、酒々井町に行ってきました!今回からDJ KOSAKUが応援部長として番組参加です。
酒々井はその名の通り、酒が出たという伝説の井戸が由来となっています。
そんな酒々井には300年以上続く飯沼本家という造り酒屋さんがあります。 名前を飯沼本家と言います。そちらの直系のご子孫で16代目当主になる予定の飯沼一喜さんにお話を伺ってきました。

飯沼本家は昔から町に貢献したいという気持ちが強く、当時の当主は町長をされたり、町役場の建物を寄贈したりしていたそうです。今では有志の市民団体の皆さんと新酒祭りというイベントを展開してます。新酒で盛り上がるイベント、今年はコロナ禍で中止。みんなで祝い、味わい、響き合うのが大事だとお話しいただきました。



飯沼本家がある場所は酒々井町の南側ですが、ちょっと酒々井の駅から遠いということで、線路沿いの飯沼本家の土地を提供して、総武本線に南酒々井という駅まで作ったそうです。近隣の皆さんはとても感謝しているそうですよ。


肝心のお酒の方ですが、
人気の甲子(きのえね)政宗 純米吟醸は、 とてもフルーティーな感じで、日本酒初心者でも飲みやすいお酒なんですね。「ワイングラスでおいしい日本酒アワード2019 【最高金賞】」を受賞しているそうです。

飯沼さんはこんなこともお話しされています。
「酒文化創造企業としてのビジョンを持っている。酒の消費は1970年代をピークに下がってきている。どうしていくか?魅力的な商品を作ることはもちろん、もっと知ってもらう、ワクワクしてもらうということを提供していかないといけない。

酒を通して楽しい場を提供するというのが本質的には大事だと考えている。なのでそういったアクションをしてきたい。醸造だけでなく、地元の文化を作っていくということのようです。具体的には、2021年の5月ごろには300年続いた飯沼本家が代々住んでいた古民家を改装したレストランを開業予定。もっと、酒という世界を感じられる場を提供して行くとのことです。
あと、店内に飲めませんというボトルを見つけました。これは醸造でできた高濃度66%のエタノール。消毒、殺菌用です。コロナ禍ならではの製品です。こんなものも作られているんですね。

取材で伺った時は、広い庭で火を囲みながらゆったりと日本酒を楽しむ場所が提供されていました。



楽しみですね。
2020/11/30 UP!
- 「親孝行は週に2回」の中西悠理がご紹介しました「酒々井の由来、酒の井伝説」などの情報は、以下のHPでご覧いただけます。

https://www.town.shisui.chiba.jp/docs/2014021803876/
- 最新の情報を必ずご確認ください
- おでかけの際は、しっかり感染対策をとり、
- また施設の周辺にお住まいの方へのお気遣いもお忘れなく!
- 身近にある魅力的な場所へお出かけして、
- 千葉の観光を応援していきましょう!

2020/11/27 UP!
今回はいすみ市の取材です。
いすみ市は大原を中心に広がる市で、太平洋の沖合には日本最大級の岩礁である器械根があり、イセエビの漁獲量では本家・伊勢を上回る年もある海の恵み豊かな土地です。
12月にはタコ漁が解禁になるそうです。タコは、実は東北の方の海で美味しいものをたくさん食べて冬に南に降りてくるんだそうです。 周辺ではイセエビも食べるからおいしいと言われる大原のタコ。一番美味しい時期を迎えと、港の朝市でもたこしゃぶが楽しめます。おいしそうですね。
美味しいものにたくさん出会えるいすみ市ですが、人口の減少や高齢化が課題になっている地域でもあります。平成17年の合併により「いすみ市」が誕生したのを機に、市内の若手商工業者を中心に地元について考えようという機運が高まりいすみ市では市役所と民間のN P O法人がうまく連動して、移住促進などに力を発揮しているそうなんです。どのような取り組みを行なってきているのか。取り組むことになった事情についていすみ市役所、水産商工課 移住・創業支援室の班長、土屋 佐津貴さんにお話伺いました。

土屋さんによりますと、10年ほど前に現市長の太田洋(おおたひろし)氏が提唱して始まったプロジェクトは、「これからどんどん移住を受け入れていこう」という内容のもの。最初は「移住」ということばもあまりしられていなかったものが、時間が経つにつれ徐々に理解が進んでいったそうです。

移住者の受け入れに当たって、N P O法人のいすみライフスタイル研究所という民間の団体と組んで活動をしているといういすみ市役所。「(民間の方は)行政では知り得ない情報の提供もしてくださる。不動産の情報・・・どこに空き家があって、そのお掃除をするとか間を繋ぎ手伝ってあげたりなど、いろいろしてくださっている。」とのこと。
実際に移住してきて、事業を始められた方も。
例えば「杢(もく)コーヒー」というお店は、まずは大原の港の朝市でコーヒーを出してファンづくりをしファンが増えてきたところで、市内に店を構えて、今では人気のカフェになっています。若い世代で米作り農家になった方や、その奥様で和菓子職人の方、また、ゲストハウスをやられる方も多くいらっしゃるとか。英語教室、写真屋さん、パン屋さん、民間図書室、チーズやさん、芸術家などさまざまな分野で若い方達が創業しているのというのは、その土地のエネルギーを感じますね。
さらに土屋さんの話は続きます。
「いすみ市には民間サークルで起業部というのがあって100人もの人がいて困ったことがあるとみんなで集まって話をしてます。行政ではなく、民間同士がアドバイスを出したりしているそうですよ。起業された皆さんは情報発信が上手。市を盛り上げようと、すごく話を繋いでくれる。活気のある方達が揃っているのをすごく感じています。」
いすみ市で起業すること、そしてそれを発信することで新しい仲間が増えていく。高齢化が進む社会の中で、人口減少に悩む地方都市にとって、いすみ市の在り方は大きなヒントになるのかもしれませんね。
「いすみ市お試し居住」ついて興味のある方はこちらから
起業のサポートについてはこちら
2020/11/20 UP!
今回は栄町の取材です。

ここでの特産品といえば人気が広まりつつある「どらまめ」ですね。今も龍神伝説が息づく栄町イメージキャラクターの「ドラム」にちなんだ名前なんだそうです。そのドラムも名前の由来はは龍神伝説のドラゴンから来ています。
今日はこの「どらまめ」について取材をしてきました。
「どらまめ」を使ったカステラやロールケーキ、焼酎など加工品もたくさんあって、町全体で盛り上げようと頑張っていますよ。「どらまめ」は品種でいうと「黒大豆」。

綺麗でしよね。美味しそうです。この黒大豆の生産のきっかけは、減反政策があるそうなんですが、今では「どらまめオーナー制度」などもあり人気となっているんです。まずは「どらまめ」にたどり着くまでのいきさつについて、地元農家の野村さんにお話伺いました。

「元々は平成10年に米の転換から始まりました。最初は数名。黒大豆が作れると言うのがわかって、仲間を増やしていった。いろんな野菜を試してきたが土地にあったものを見極めるのは大変。うまくいかない時もあったが、だんだん広がっていった。5年ぐらいかけて広まって、これだったらいけるかもと言うことで、私の場合は、オーナー制度で作っています。枝豆の味を知ってもらって美味しいと認知してもらう、皆さんに喜んでもらえると思って使っております。」

取材したこの日も、上の写真でもわかる通り、畑のオーナーになっている方が熱心に枝豆を取っておられました。ところが、全部は取らないというんですね。その理由は、時期によって味が違うからなのだそうです。旬が3つあるそうで、10月上旬「はしり」爽やか。中旬から下旬は「さかり」一番のおすすめ。10月後半は「なごり」味が栗に似てくる(?)この地域の方しか食べてない。オーナー制度の皆さんは、自分のベストのタイミングで収穫しているそうです。野村さんが好きなのは「さかり」と「なごり」の間あたり、だそうです。11月中下旬ではこの緑の枝豆が黒くなっていくのだそうです。不思議ですね。

黒大豆といえば、丹波の黒大豆が有名ですが、栄町の皆さんはチャレンジャーでありたいと思っているそうです。

オーナー制度で枝豆を作られている方の9割が翌年も作りたいと申し込んでいるようなんです。9割というのはかなりの数字だと思います。旬の美味しさを感じるには、栄町で食べないといけませんね。(今年の旬は残念ながら過ぎてしまいましたが)もう今から来年が楽しみになってきました。
2020/11/13 UP!

今回は、いすみ鉄道の本社がある大多喜駅で、社長の古竹孝一さんにお話を伺ってきました。いすみ鉄道は、1988年に国鉄の特定地方交通線の一つだった木原線を引き継いだ鉄道路線いすみ線を運営する、沿線自治体や民間企業が出資する第三セクター方式の鉄道事業者です。運行区間は、JR外房線の大原駅からいすみ鉄道・上総中野駅まで。最近では「自費で運転士になる人募集です」とか、「なのはな列車」「レストラン列車」などの話題で注目されています。
古竹社長は、いすみ鉄道が行った社長公募に応募されて、2018年から社長を務められています。

取材班は大多喜駅を訪れ、古竹社長に駅の近くのベンチでお話を伺うことにしました。とても気さくですが、エネルギーをとても感じる方です。
インタビューで「昨年・今年は経営に打撃があった」とお話くださった古竹社長。

「はっきり言ってしまえば、台風、豪雨、コロナなんです。台風の時は計画運休を初めてやった。5日間の運休は初めて。コロナは菜の花、桜の時期(に影響して)前年比90%マイナス。ガラガラの車内を見たときに、もしかしたら10年後の現実なのかもしれないと神様が教えてくれたのかも。今のうちに手を打っておきなさいと言われたような風に僕は捉えているんですけどね。」
とにかくポジティブ。列車を走らせること、地元の皆さんのために、続けていくためにはどんな手があるのか、いつも考えていると言います。

前職は香川県のタクシー会社の会長。今も時々帰ることがあるそうですが、学生時代に交通系の学校で勉強されていて、いずれは交通に関する仕事をしたいと思っていたそうです。

「就任後、公募で社長になったときに、最初はよそ者と言われた。でもよそ者だから変えられることもある。鉄道が存続する限り社長でいたいと心底思っている。覚悟は決めている。いすみ鉄道がみなさんの生活の中で「動いている」ことが安心になるようにしたい。」
強い決意を胸に地元でがんばる古竹社長ですが、新しいアイディアにも取り組んでいます。
「第3セクターの鉄道同士で鉄印帳・・御朱印集めみたいなもの・・というのも始めている。車両にはWI-FIもつけた。ワーケーションに適しているいすみ地域。いろんな意味でリノベーションみたいなことに携わっていけたらいいなと思ってます。」
とにかく、やれること、発信できること、沿線の皆さんの生活の一部として守り抜く、気合がすごいです。年を越して、コロナに負けず、菜の花が綺麗な時期になのはな列車を走らせて頂きたいですね。
いすみ鉄道ホームページはこちら
2020/11/6 UP!
今回は八街の落花生の魅力、そして買って住みたい街ランキングに首都圏で前年70位から26位に急浮上した理由などについて、北村新司 八街市長にお話を伺っています。

ちなみに、この八街という名前、八つの街と書きますが、明治新政府の政策で、江戸幕府の放牧地であった小金・佐倉地区の開拓、開墾が計画れて、その開墾順序に新しい地名が付けられた経緯があって、8番目の入植地として作られたので八街と命名されたそうなんです。まさに名前の通り8番目の街なんです。

落花生の産地として有名になりましたが、市長によりますと最初は千葉半立が入ったのだそうです。八街市の農家の95%が落花生を作っていた時期もあ利、平成19年に八街産落下氏という名前を商標登録したという事です.

ほかの産地との差別化を狙った。価値を高めたいという思いがあったそうです。
さらに落花生は健康食品として注目を浴びていて、市長は自分としてはゆで落花生を食べている。これで健康を維持しているのかなと思っているそうです。そのほかに、「実はしょうがの産地でもあり、その加工品として八街のしょうがを使ったジンジャエールを作っているのだそうです。年間12万本も出荷できるようになった。大変おいしいジンジャエールですのでよろしくお願いします。」とPR

また、また、買って住みたい町としてランキングに入っていて、物価の安さが関東首都圏で5位、地価も安い、高速道路などのアクセスもよく、人口当たりのスーパーの数も多い。地元産のおいしい野菜をすぐ買える。民間施設でドギーズアイランドという犬とともに過ごせる施設がある。関東では一番の施設ではないかと思っている。と魅力を語る市長。
落花生の町から住み良い街へさらに進化を感じる八街市です。
2020/10/30 UP!
今回の取材は野田市です。
皆さんご存知のように、野田は「醤油」製造で大変栄えた町です。
数多くの醸造所が江戸時代からあり、多かった時代にはその数は数百ともいわれています。
歴史を紐解くと、明治20年ごろに野田醤油醸造組合が結成されて、
地元の醤油名家である茂木一族と高梨一族の8家が集合して
「野田醤油株式会社」が設立されます。
この時に野田の醤油醸造業者の多くがこれに参加しました。
こうしてできた会社が、のちに「亀甲萬(キッコーマン)」となるんです。
この時合流しなかったキノエネ醤油は現在も独自に醤油を作り続けています。
野田市周辺は、第2次世界大戦の戦災を免れたため、醤油で財をなした多くの名家の屋敷や工場など古くからの町並みが現在も多く見られます。

その建物や、名家の歴史などをガイドして下さるのが、今回お話をきいた
「むらさきの里 野田ガイドの会」の皆さんです。
野田市市民会館を拠点に活動するガイドグループで、野田市内の史跡・施設・建物や街並み・自然等を、
野田を訪れた団体・個人のお客様と街を歩きながらガイドをしているボランティア団体です。

今回はメンバーの中島隆さんにお話を伺いました。ガイドの会は平成16年に行ったボランティアガイド養成講座を受けた有志が発足させた会でメンバーは33名。
中島さん以外にもメンバーのみなさんがいろいろお話をしてくださいました。
野田の街づくり、発展に大きく寄与しているのが現在のキッコーマンさん。
しょうゆ工場で必要な清潔な水。これを、一般市民用にも供給。興風会館という、今でいう地域文化センターホールのような文化施設も建立。


これは現存しており、見学することができます。また、従業員の福利厚生のために作られたキッコーマン病院も、現在は総合病院として一般に開放。
これら地元への還元、貢献は、キッコーマン創業家である茂木、高梨両家の家訓であったということなんですね。
地域住民の大事な交通手段でもある東武アーバンパークライン(野田線)も、野田の醸造所組合が県の債権、県債を多額に 購入していたということもあり、県に、いろいろとお願いをして建設されたようなんです。醤油パワーはすごいですね。


町のいたるところに、歴史的価値のある建物が見受けられます。
今では海外でも「キッコーマン」といえば醤油がでてくるという世界の調味料によって発展した町。
一つ一つの建物に物語があるようなので、ゆっくりと散策するときは、ぜひガイドの皆さんのお話とともに歩いてみてください。
むらさきの里 野田ガイドの会はこちらから。
2020/10/23 UP!
水戸街道の要所である「松戸」市に、徳川家ゆかりの場所があるということで行ってきました。入り口からして、趣があります。



松戸駅を見下ろす小高い丘の上に国指定の重要文化財、水戸藩11代目・最後の藩主、徳川昭武の最後の家、通称、「戸定邸(とじょうてい)」があります。15代慶喜公の弟で、江戸幕府が続いていたら、次の将軍になっていた徳川昭武公は江戸幕府の使節団としてフランスにいかれたり、外交的な活動もされた方。
現在までしっかりと建物が残っているのは、見た目はシンプルですが、ものすごくいい材料を使っているということと、人の出入りがあったということが大きな理由なのだそうです。一時期は松戸市のこの地域の公民館として使われていたこともあったそうです。徳川のお屋敷が公民館とは恐れ入りました。





この戸定邸を中心に市内の史跡や自然についてボランティアガイドをされている「松戸シティガイド」の会長、宮部たかこ さんに お話を伺いました。

宮部さん、若い頃アメリカで過ごされた時期に培った語学力で、英語でのガイドもされているそうです。

松戸の駅近くの小高い丘の上あるので、天気が良ければ富士山を見ることも。富士山の方向の木は背が低くなっていて「関東の富士見百景」にも選ばれています。旧大名家の住まいがほぼ完全に残っている貴重な建物。日本庭園史における学術的な価値が評価されている戸定邸庭園とあわせてぜひお楽しみください。

◆松戸シティガイドのHPはこちら。
2020/10/16 UP!
今回は、江戸(=東京)との水運で栄えた町「香取市佐原」のミンナノチカラです。
江戸時代、佐原からは小野川から利根川をとおって、米などの穀物や醸造した調味料などを江戸に運んでいました。その帰りには、江戸の文化や技術を持ち帰り、当時から江戸と変わらない最新の建物が立つ「江戸優り」の街としてにぎわっていたそうです。
東京駅と同じ建築方法のレンガつくりの建物も現存しています。

この町の中心を流れる小野川のまわりは今でも風情ある街並みが守られています。そこで、「小野川と佐原の街並みを考える会」 理事長の佐藤健太良さんにお話を聞いてきました。

この会は活動開始から30年。古い街並みを保存していこうという活動を続けられています。観光案内のボランティアもされています。


佐原の街は、おおきな山車が町を練り歩く祭りでも有名ですが(佐原の大祭)、あるところで時が止まったようになっている建物が今となってはとても魅力的です。また、日本の地図の父といわれる伊能忠敬の家をはじめ、歴史上の人物にゆかりのある建物も数多くあります。

東日本大震災の時は、この地域は液状化現象により水路が埋まったり、土手が壊れたり、建物が傾いて崩壊するなどの大きな被害が出ました。今ではほとんどが修復されその傷跡は目立たなくなっているということですが、さらに魅力ある街へということで、電線の地中化の工事を進めているということです。電柱が無くなると、いい写真が撮れそうですね。
この街並みを守っていこうという活動をされている方の多くは、仕事をリタイアされた方などが中心で、年齢的にも高齢化が進んでいます。現在は、地元の高校生などの協力もいただき、交流しながら、町の人づくりに励んでいるそうです。
これは大事なことですよね。


佐藤さんのお話によれば、一軒一軒の中に物語があるのだそうです。
「マニアックにはなるけれど、昔の生活に興味を持ってくださる方だと私たちのガイドが役に立つと思う。」とおっしゃっています。
長い歴史を誇る家とお店もありますが、代替わりして新しいお店になっているところもあります。それも含めて佐原の街並みが守られているのだそうです。
たばこ一服一銭という看板も味がありますね


こんな風に風情ある佐原の街並み。
一度行けばその魅力に取りつかれることでしょう。あなたも、じっくり、ゆっくり時間をかけて佐原の街を散策してみてはいかがでしょうか?
その時はぜひボランティアガイドの貴重な話を参考にしてください。
※ ボランティアガイドの予約はこちらから
NPO法人 小野川と佐原の町並みを考える会 HPはこちら
2020/10/9 UP!

今回の取材は我孫子市。手賀沼湖畔にある白樺文学館に行ってきました。
この地域、とても静かでいいところだなと思っていましたが、実はある時代、別荘地として大変な人気があったところなのだそうです。
それは、明治・大正期に活動した日本文学の一派で「白樺」という同人誌に参加した文学者や美術家の方たち・・いわゆる白樺派の面々が、この地に集い活動されていたということ。志賀直哉、武者小路実篤、有島武郎といった錚々たるメンバーがここ我孫子に居を構えていたそうなんですね。
その白樺派の資料を展示した文学館が手賀沼の近くにあります。どうして我孫子が別荘地になっていったのか、学芸員の稲村隆さんに お話を伺いました。

お話によると、常磐線の我孫子駅ができて、東京までのアクセスが良くなってから別荘地が広がっていったそうです。特急で40分、緩行でも1時間15分という立地に集まった別荘族の中に、日本オリンピックの父と呼ばれる柔道の神「嘉納治五郎」がいたのだそうです。その甥の柳宗悦が白樺派のメンバーの一人で、学習院大学の友人や先輩後輩関係の志賀直哉や武者小路実篤を誘ったりして、我孫子が文化人の集まるところになった、ということだそうです。

つまり、今でいう、ハイソな皆様方が、我孫子の辺り良さそうだぞということで、一人二人と仲間が仲間を誘って増えていったということなんですね。志賀直哉は我孫子で「城の崎にて」をはじめ多くの名作をここで執筆。長編小説も我孫子で連載を始めています。武者小路実篤も、執筆活動を盛んに行っていたようですし、柳宗悦が民芸という現在も続く運動のきっかけを掴んだのも我孫子だったとのこと。彼らにとっては第二のステップを踏む重要な場所であったと回顧しています。

その時代の貴重な資料や、今でいう流行発信文学雑誌の白樺のレプリカ本(全冊!)も見ることができます。レプリカ本に至っては、手にとって読むことができます。今読んでも面白い!ですよ

都会からのアクセスが良い風光明媚な場所で、ひとつの大きな文化のうねりが生まれた。千葉県にはそういう側面もあるんですね。白樺文学館は我孫子市手賀沼のほとりにある手賀沼ふれあいラインから一本奥に入った住宅街にあります。白い大きなオブジェが目印です。夏目漱石が志賀直哉に宛てた手紙の本物やロダンの彫刻の本物など興味深いものがたくさん展示されています。じっくりと見学するのがおすすめです。
我孫子市マスコットキャラクター「手賀沼のうなきちさん」がお迎えしてくれますよ!

白樺派のカレーもお土産として販売してました。どんな味なのでしょう?

館内の工事による休館から営業を再開した白樺文学館では、白樺創刊110年記念・我孫子市市制施行50周年記念企画展『志賀直哉展~山田家コレクションを中心に』として、志賀直哉の子孫である山田家寄贈による資料の展覧会を11月8日まで開催しています。この秋、我孫子で白樺派の文化・芸術に触れてみてはいかがでしょうか。当時の文化人たちが好んで集まって暮らしていた我孫子。今日は、新しい千葉の魅力を発見できた気がします。
◆白樺文学館のホームページはこちら↓
https://www.city.abiko.chiba.jp/event/shiseki_bunkazai/shirakaba/index.html
公式ツイッターでも情報を発信しています。