2021/4/9 UP!
今回は市原市を取材。市原市には実は世界に誇る地球の歴史に関わる重要な証拠を見ることができる場所があるんです。チバニアンと言う言葉を最近お聞きになった方、多いと思います。

「チバニアン」はラテン語で「千葉時代」という意味で、その名前で呼ばれるのは、およそ77万4千年前から12万9千年前までの時代。その名前の由来となった地層が市原市田淵(たぶち)の養老川沿いにあるんです。 今日は、その地元で頑張っている皆さんの活動についてご紹介します。
まずチバニアン時代とは何か?地球の歴史上、地磁気が入れ替わったり場所をが入れ替わったりすることが数回あったのだそうです。その時の証拠がここにあるというんです。
この市原市田淵の養老川沿いの地層には一番新しい地磁気逆転の記録が最もよく残っていて、地質年代を分ける境界がよくわかる唯一の地層だと2020年1月に認められました。そこで、地球の一時代に「千葉時代=チバニアン」という名前が付けられて、世界的に注目されることになったんです。
その現地で、チバニアンの魅力を多くの方に知っていただこうと、ビジターセンターを 運営しているのが田淵チバニアンズというN P Oの皆さん。有名になる前はこの地域も過疎などの問題を抱えていたそうなんですが、徐々にある変化がおきてきました。昔は地元の皆さんで婦人会が地元の絆のために活動をしていました。そして時代の流れとともに、婦人会が解散して新しい地元組織ができ、それも時代の流れとともにまた活動が先細りしてきていたそうです。
そこにチバニアンの話が持ち上がり、昔使われていた道を整備すれば、現地に行き易くなると言うことで、草刈りを始め、活動が復活していきました。
ところが、話が少しづつ大きくなっていき、多くの人が来るようになると、予期せぬ出来事も色々起きるようになったそうです。会の代表の石井あゆみさんにお話を伺いました。

「2017年の秋に1次審査を通った後は、1ヶ月半で1万人の方が押し寄せたんですね。とにかく見たこともないような人数の人が集まって。で、市の職員が交通整理に出るという状態で、知らない車が家に入り込んで来たとかっていう騒ぎもあって、ちょっとしたパニックになりました。すごい勢いで人が、マスコミも押し寄せましたので、その時に本当に驚きました。」


近いうちに、駐車場から地層が見える養老川の河原までの道の整備と、そこに、新しく、チバニアンを勉強するための施設「ビジターセンター」が建設されることが決まりました。現在は、近くの駐車場にコンテナハウスがあり、そこが暫定のビジターセンターとなっています。こちらの中には、チバニアンの説明や、どの部分がその証拠になる地層なのか?などの説明が詳しく展示されています。ほかにも、地層を見ただけではわからない いろんな魅力を案内してくれるチバニアンガイドツアーもあるそうです。これがかなり人気なんだそうですよ.

石井さんは、NPO活動の今後についてこのように語っています。
「ただ単にボランティアでやりたい人だけがやっているという組織は長続きしませんので、いろんな人たちが、それぞれ自分のやりたいことをやりながら、それがなおかつ自分の利益にもなるっていうような、上手くかみ合った活動ができればいいなと思っていますので、そうすることによって仕事の場というのができれば、地域に住んでいる若い人たちの中で、仕事としてN P O(法人)に入ってきて、一緒に地域おこしをやれるっていうことも可能になってきますので、自分達が年とったら終わりではなくて、若い人たちにバトンを繋いで行けるような、そういう組織作りをしたいなと思っています」


私も現場を拝見しました。パッと見ただけでは崖なんですが、説明を受けると、川底に見えるものや地層の意味がわかってきます。貝の化石も結構出土しています。そうすると、突然、「すごい!」感が出てくるんです。不思議ですね。地元の皆さんが気持ちよくお客様を迎えようと言う気持ちがあることもしっかり感じられた取材でした。
2021/4/2 UP!
今回は印西市役所に行ってまいりました。
印西市は成田空港の近く、古くから利根川水運の宿場町「木下河岸(きおろしがし)という宿場があった場所で、千葉ニュータウンがあるところです。最近では成田スカイアクセス線の開業によって、成田空港と東京両方へのアクセスが格段によくなったところでもあります。
そんな印西市が、最近続けて三本の動画をインターネット上に投稿しました。これが話題になっています。特に第一弾の印度じゃないよ印西市はインパクトが強いものでした。
動画を作成した印西市企画財政部シティプロモーション課の星野郁夫さんにお話をきてきました。

この動画の狙いを聞きました。「関東一円の移住を検討している世代に売り込みをかけるといった目標を掲げております。 日本旅行さんとポニーキャニオンさん、この2社はですね共同でこちらの提案をいただきました。色々な方面から提案があったのですがインパクト強いと言う事でこちらの動画のタイトルですね。採用した経緯がございます。 皆さんにはよくあのぶっ飛んでますねという言葉頂きますね。」
いんにしし、いんぜいしなどとちゃんと読んでもらえないことも多くあり、まずは名前行ってみよう。ということで制作したそうです。動画を見てもわかるとおりボリウッッド(インドのミュージカル映画)風に作っています。短い動画ですが、しっかりメッセージは伝わってきますね。
その再生回数も17万回を超え、今もその数は伸びています。さらに、第2弾としてINZAI BALANCE や 第3弾の印西妄想落語 と立て続けにYouTubeにアップしています。
印西市役所の中でも異彩の仕事をしているシティープロモーション課
印度じゃないよ印西市が公開された後、勢いで、、印度じゃないよ印西市キーマカレーを開発。イベントで販売されたそうなんです。
これが1000個、即日完売! カレーの種類はインド風チキンキーマカレー。コンセプトは「やっぱり印度!?」としつつも、“印度じゃない”ということで国産の鶏を使用して、化学調味料は使わず、辛さも甘口から中辛の中間位の辛さで、子どもも安心して食べられるレトルトカレーになっていルそうです。 パッケージデザインは、この動画を演出した印西市出身のCMディレクター、香取徹(かとりとおる)さんが担当されたそうです。問い合わせも多く、あまりの人気ぶりに、現在、印西市のふるさと納税の返礼品のラインナップに加わっているんです。
シティプロモーション課は、今後、動画の第4弾、第5弾を作って行けたらいいなと考えているそうです。次はどんな切り口でくるのか?楽しみにしたいと思います。さらに、動画だけでなく、新しいメディアにも挑戦したいそうです。あっという方法で、また印西市の名前がメディアの中に出てくるかもしれませんね。
楽しみです。
2021/3/26 UP!
今回は茂原市を取材してきました。
茂原市、日本における天然ガスの生産量が日本一らしいです。今のペースで採掘しても600年以上はもつぐらい埋蔵量があるそ愛なんです。チーバくんでいうと左肩のあたりに位置する茂原市。今回は、映画のワンシーンに茂原の風景をと頑張っている市役所の方のお話を伺いました。
2年ほど前から千葉もばらロケーションサービス事務局という部署が活動しています。映画などのロケ地探しで、問い合わせがあったときに、その要望に見合う場所を紹介したり、お手伝いをする部署です。茂原市役所 渡部智之さんに、実際には何本ぐらいこの2年で撮影があったのかなどについて伺いました。
「今まで100件ぐらい。映画やドラマ、再現ドラマ、ミュージックビデオなど。C Mでも使ってもらいました。いろんな要望があります。古い家、誰もいないところ、廃墟のビル、壊してもいいような建物など要望は多岐に渡ります。私は役所に入ってからいろんな部署にいたので、公用車でよく市内を走っていたので、景色はある程度わかります。知識を総動員して対応している、時には現地確認に行ったりしています」

渡部さんを含む3名が茂原のロケーションサービスとして活躍しています。東京からも近いことから、問い合わせは多く、部署ができてからの2年間でトータルの問い合わせは600件以上もあったそうです。有名な作品からほんのちょっとのシーンまで様々だそうですが、最近ではどのような作品が茂原の景色を取り込んでいたのでしょうか?
「映画「浅田家」のワンシーンや、「罪の声」などの映画の撮影がありました。ドラマだと「チアダン」。こちらの舞台は市内の中学校。今は廃校になっているのですが撮影当時はまだ学校がやっていたので、生徒たちと、俳優や制作スタッフとの交流もあり、よかったと思っています。最近だと「青のスクールポリス」藤原竜也さん主演。これら茂原で撮影したシーンがどのぐらいの長さ放送されているか、実は測っているんです。見ると思わず「お!映った!」って。たのしくやっています。」

茂原ロケーションサービスのホームページには、過去の撮影の一覧が掲載されています。今放送中のドラマもいくつか入っていますね。茂原市民の皆さんも、「あれ?これどこかで見たような景色や建物だな?」と感じたら、確認してみるといいかもしれません。茂原駅周辺のロケ地マップというものも公開されていて、こちらも茂原市役所のホームページからダウンロードしてみることができます。
ロケーションサービスでは、場所を紹介するだけでなく、地元の美味しいものの紹介もするラッキーなこともあったそうです。
「青くて痛くてもろい(吉沢亮、杉咲花 2020年夏公開) という作品の撮影で、撮影の合間に地元のオリジナル餃子のネギっぺ餃子を差し入れたんです。みんな美味しいと食べてくれました。数日後、村祭りのようなシーンのところでネギっぺ餃子にお呼びがかかり、屋台の店として映画のワンシーンに映ることになりました。スタッフ側が店ののぼりまで作ってくれたんです。これは茂原にとって快挙です。差し入れしてよかった。栄冠ですね(笑)」

この餃子、形は小さいお饅頭のような形なのですが、味は全国の自治体などが、魅力をアピールする「第5回全国ふるさと甲子園」で、グルメ部門で1位を獲得するほどの実力派。撮影スタッフが美味しいと絶賛するのもわかります。

毎日のようにある問い合わせに、この仕事に携わって、より茂原のことを細かく知ることができた渡部さん。もっと面白い場所、ロケだけでなく、写真撮影に素敵な場所もたくさんご存知とのことです。茂原市役所内の千葉もばらロケーションサービスに問い合わせると、教えてくださるそうなので、気になる方はホームページをぜひご覧ください。
2021/3/19 UP!
今回の取材は流山市です。

流山はみりん製造で栄えた町ということはご存知でしょうか?
流山は江戸川の東側、利根川との間に位置しています。現在も市内で味醂製造は行われています。ですが、今ひとつ、みりんで盛り上がっていないなと感じている方も多く、そこで流山商工会議所の商業部会の有志が「みりんde繁盛実行委員会」を立ち上げました。まずはガイドブックを作ってみようということになり、市内在住イラストレーターのノグチノブコさんに お声がかかったようです。

ノグチさんに経緯を伺いました
「2018年下の春から夏にかけて。そこでキラキラ可愛いフリーの冊子を作って、美味しいものなどを紹介していきました。本ができた頃、いろいろ歴史とかも知るようになり、さらにその辺りも網羅したらどうかという話になり、郷土史に詳しい方に話を聞いたりして2020年3月に新しい冊子を制作いたしました」
本を作っていくうちに、色々と興味深いことがわかってきて収まり切らなくなって新しい本を作ったようです。
ちなみに、流山でできた味醂は、最初は船で江戸、東京に運んでいました。それが鉄道(常磐線)で運べるようになって、流山から常磐線馬橋駅まで輸送用の鉄道が引かれました。これが今の流鉄です。さらに車で運ぶようになって、大きな橋も完成。みりん製造は流山のまちを大きくしていきました。

これはお隣、野田市の醤油とそれを輸送するために開通させた東武アーバンパークライン(野田線)との関係と似ています。
ノグチさんは、今までの歴史を知らないでいたが、知ってからはこれをもっと多くの人に知ってもらいたいと思うようになり、小冊子と別に漫画流山みりん物語を制作したということです。

ちなみに、みりんは現在は調味料としての認識が高いのですが、昔は飲み物として使われていました。製造過程がお酒と非常に似ています。
昔、戦国時代はお酒の一種として当時のセレブの間で飲まれていたそうで、甘めの味ですから、今の甘めの酎ハイのような感じだったのかもしれません。お正月にいただくお屠蘇(とそ)もみりんで作ります。
流山みりんの2大ブランドは万上(まんじょう)本みりんと天晴(あっぱれ)みりんですが、天晴みりんの方は紆余曲折があり、その名前が一度途絶えてしまっていたんですが、生産を受け継いだ業者が、2015年にその名前を復活させています。万上本みりんは現在も流山市内で生産されています。

流山を育てたみりんの歴史だけでなく、みりんを使った料理やスイーツなどにも興味を持ってもらいたいとノグチさんは話します。市内には、みりんを使ったケーキ屋さんや、和食、そして洋食もあります。実際取材で行ってみると、古い建物や蔵を改装したカフェなどもあり、散歩しながら楽しむことができます。
この春、お出かけになってみてはいかがですか?


2021/3/15 UP!
- 「星占いのラッキーアイテムが行燈だった!」中西悠理がご紹介しました「流山市の切り絵行灯」の情報は、以下のHPでご覧いただけます。

https://www.city.nagareyama.chiba.jp/contents/23140/30074/33395/033234.html
- 現在、緊急事態宣言発令中です。 不要不急の外出はお控えください。。
- おでかけは 緊急事態宣言解除後にお願いいたします。

2021/3/12 UP!
東金市に行ってまいりました。
鷹狩りなどの逸話も残る東金市にある、道の駅「みのりの郷東金」を訪ねました。こちらでは、オリジナルのお菓子 東金天門どう というものを生産販売をしています。
道の駅の駅長の今関雅喜さんにお話を伺いました。

まずは、東金天門どう とは何なのでしょうか?

「東金天門どうは野菜や果物を砂糖で炊いて乾燥させたものです。道の駅に加工場ができることになり、新しい名物をここから作ろうという話になりました。苺や葡萄を使ったものなどのアイディアが色々あったのですが、まずは柚子や生姜を使った昔からある 天門どう をアレンジしようと研究を始めました。

レストランの半田シェフが開発に尽力してくれました。かぼちゃは煮崩れしてしまったり、失敗も数々ありましたが食材の味が残るような加工を目指し、色々と研究しました。一つ一つの食材の特性が違うので、煮る時間、乾燥の時間が違う。ですので、これ、実は野菜によって別々に作っているんです。季節によって、椎茸、生姜、なす、紫空豆、レンコン、ミニトマトがあるんです。実は旬の野菜は取れすぎることがある。そう なると出荷すると残ってしまって次の日に廃棄されるということもある。有効活用ができてお土産になるので農家さんにも喜んでもらっているんです。」

とのことでした。
東金地域は、さまざまな野菜や果物が栽培されています。その作物をロスすることなく、お土産として、保存食として加工しているというのは地域の活性化にもつながることになります。みのりの郷東金によられることがありましたら、東金天門どうを探してみてください。
下の写真の建物は敷地内にある加工場。ここで東金天門どうは作られています。


道の駅があるところは元は植木の取引をしていた場所なので、今でも、植栽関係の販売を行っています。

2021/3/5 UP!
今回の取材は長柄町です。長柄町と千葉大学がタッグを組んで作り上げたものについてなのですが、、、それがこれ
ながらとガラナ〜いろはにほへと〜
です。
千葉大学で地方創生などのプロジェクトをされている工学博士の田島翔太助教授を中心に長柄町を盛り上げるプロジェクトが始まっていました。
それがこの写真にあるドリンクです。ガラナドリンクなんです。まさかとは思いましたが、田島先生に名前の由来などを伺いました。するとこんなお答えが

「ダジャレです。地方創生の授業の一環で始めました。長柄町には飲料メーカーのジャパンフーズや香料を扱うナリツカコーポレーションの工場がある。そこで役場の皆さんと学生も交えて、どうやろうかと考えているときに『ながらとがらな』が出てきた。そこから検討が始まったということですね。」
ちなみに、ガラナの原産地はアマゾン川流域で、日本ではありません。長柄町でも作られてないようです。
最初は他にも色々と案が・・・町でとれる無花果(イチジク)やタケノコ、自然薯という話もあったそうですが、ドリンクにするにはちょっとハードルが高すぎる。しかも、日本中各地でご当地ドリンクが作られている中、インパクトのあるドリンクを作りたかった。それならこれだろう!ということでガラナに行き着いたようなんです。確かに「ながらながらながらながら、、、、ガラナ!」になりますね。

飲料開発、間のデザインなども学生が積極的に参画し、今から1年前に完成。さぁこれから街をこのドリンクで宣伝するぞ!という時になって新型コロナ感染症の拡大。企画していたさまざまなイベントは全て休止になってしまいました。それでもまずは町民の方々に配布などをして町内の認知を図ってきて、今年春以降は、実際に販売に向けた動きが始まるようです。
田島先生は「ラジオやテレビで紹介されたことが功を奏してコンビニがおいてくれることになった。これからは販路の開拓が課題。町の事業でもあるので、儲けを求めている感じではないが、売れたら、売上金の一部を基金にして災害の時のまちづくりに生かしていきたい。一方で、このドリンクの開発に携わった学生のほとんどがこの春卒業してしまうんです。今後は新しい学生で新しい活動をしていく。町の人たちもそれを受け入れてくれている。すごくありがたいことです。来年度以降も頑張りたい」とおっしゃっています。

お近くのコンビニで見かける日も近いのではないでしょうか?ぜひ一度お試しあれ
2021/2/26 UP!
今回は神崎町を取材しました。神崎町は千葉県内で一番小さい町です。
町の中に発酵の里こうざき という道の駅があります。こちらが大変人気のスポットで、東京から高速バスに乗ってわざわざ訪れる方もいるという場所になっています。人口5000人ほどの神崎町になぜ人気スポットができたのか?


神崎町役場まちづくり課発酵の里推進室担当の、澤田聡美さん、通称おさとちゃんに、発酵の里を名乗るきっかけについて伺いました。
神崎町の中に2軒の350年以上のの歴史のある酒蔵があって、もともとそれぞれが酒蔵祭りをやっていたのですが、平成21年から町が主体になって、一緒にやりましょうとなったのだそうです。それが発酵の里を知っていただくきっかけになった。酒蔵祭りに2000人ぐらい来ればいいかなと思っていたら2万人来ちゃった。町の人がみんな驚いたそうです。今では5万5千人もくるという大きなイベントになっています。

発酵はお酒だけではありません。そこで、もともと道の駅の構想があったところに「発酵」のテーマでやっていこうと決めて、開業したようなんです。
神崎町はもともとは農業の町。美味しい水があるので。道の駅ができる前は年間5万人の観光客が来ていたのだそうです。大半が町の中にあるゴルフコースのお客さん、酒蔵祭りでプラス2万人になり、道の駅ができてからは、なんと一気に年間80万人に増えたそうです。ものすごい人気が出ているのがわかりますね。
お話を伺った澤田聡美さんは、週末になるとお里ちゃんというキャラクターに扮し、商品の説明をしたり、小学校でトークをしたりして、発酵伝道師として汗を流しています。

赤いほっかむりをしてカスリの着物をているそうなので行けばすぐにわかります。でも、平日は、先ほどご紹介した通り神崎町役場の職員です。週末やお休みの時はお里さんというかなりお忙しく活動しているようです。
発酵の里こうざきには、地元で作られたお酒や酒粕など、そして全国から集められた発酵食品が所狭しと並んでいるんです。



醤油もたくさんあるので買って味比べというのも楽しいところ。簡単に始められる糠床(ぬかどこ)なんていうのもあります。なんと水を入れるだけで糠床が。

ノンアルコールの甘酒や味噌を使った商品など見ているだけで楽しくなる場所です。
道の駅では、そこでしか買えない、お取り寄せができないフレッシュな発酵食品なども扱っているので、圏央道を走っている時、神崎の看板が見えたら、ちょっと寄り道してみてください。今は、感染症拡大防止の観点からお休みになっていますが、ぷくぷく講座という、発酵食品を作る(たとえば、手前味噌、モッツアレラチーズ、藍染め、ザワークラウトなどを作る)講座もあるようです。毎回テーマが違うようなので、心配なく出かけられるようになったら、ぜひ再開をしていただきたいと思います。楽しい発酵ワールドがきっとあなたを待っていますよ。

2021/2/19 UP!
今回の取材は鎌ヶ谷市です。鎌ヶ谷大仏やなしの生産などが知られているところです。この鎌ヶ谷に北海道日本ハムファイターズの球場があります。そこに行ってきました。
ある時は一軍の選手が調整のために、そして新人の選手が 一軍で活躍するために育つ場所、それが鎌ヶ谷スタジアムです今回は、北海道日本ハムファイターズ首都圏事業部ディレクターの中原信広 さんにお話を伺ってきました。

中原さんに、鎌ヶ谷球場とはどういうところなのかを聞きました。「球団理念として、スポーツコミュニティの実現というのがある。地域に必要とされる存在になりたい。ということで取り組み始めたのが15年前。たくさんの人たちと交流する、野球を知らない方々にもきていただいて。ここで思い出を作ってもらおうと取り組み出したのが2006年からでしたね。だいぶ認知も進んできていると思います」とのことでした。

球場を外から見ると、今メジャーリーグで活躍しているかつての日ハムの選手、例えばダルビッシュ投手や大谷翔平選手などの大きな写真が球場の外壁にドーンと描かれています。ここを経験して、さらに大きなステージで戦っている選手ばかりです。これを見るだけでもテンション上がってきますね。


北海道日本ハムファイターズは球団内に鎌ケ谷事業部を設け、このファイターズタウンを中心としてファイターズと地元市民との結びつきを更に強めようと様々なイベントを企画、実施をしています。若手選手はこれらを通じて技術や体作りだけではなく、一軍昇格後の北海道民だけでなく全国でのファンに対する姿勢やファンサービスのあり方を学んでいるんだそうです。そして鎌ヶ谷スタジアムのすぐ近くには2軍選手の寮があります。勇翔寮と言います。その寮の中にある出世部屋について教えていただきました。
「404号室が出世部屋。ダルビッシュ、大谷、中田翔、今では吉田選手。昔はおじさんばかりがお客さんであったが、今では女性がとにかく多い。甲子園で活躍した選手がいるからでしょうか?ここで応援していた選手が一軍で活躍すているのを見るのは嬉しいです。」とのこと。コロナ禍で現在は、選手との交流をすることはできていません。

実は鎌ヶ谷の寮に入ったらまず最初にすることは鎌ヶ谷市に住民票を移すことなんだそうです。つまり鎌ヶ谷市民になる。いわば、本当に皆さんのご近所さんになるです。ここから一軍の北海道に巣立っていく、まさに鎌ヶ谷市はファイターズにとって「書類上でも」故郷なんですね。
中原さんはさらに語ります。
「鎌ヶ谷と北海道、共に盛り上げていきたい。選手たちは普通にそこら辺を歩いている。ダルビッシュも帰国した時に顔を出してくれたこともある。みんなここが好きなんです。気にかけてもらっているのは嬉しいです。お客さんには「あいつ(選手)は俺が鎌ヶ谷で見届けて育てたんだ」でいいと思います。そうやってみんなで築いていく球場になれたらと思います。」
試合がある日は近くの駅などからシャトルバスも出ているようです。ぜひ、球場に行って、自分が見る、応援することで育てるファイターズの選手を見つけてみてください!
近所に、選手たちも食べによく来るという中華料理店があり、取材の帰りに立ち寄りました。店の名前は東新軒。いろんな選手の色紙が壁一面に掲出されてました。今回は吉田輝星選手に因んだ「輝星くんカレー」をいただきました。星型のチーズがアクセントのようです。お客さんもファイターズファンの方と地元のかたなので、「あの選手は今年はイケる」とか知らない人同士で盛り上がることも多いそうです。


2021/2/12 UP!
今回は、睦沢町を取材。
睦沢町は、房総半島の中央部に位置し、町のほぼ中央部を埴生川・瑞沢川・長楽寺川が流れ、恵まれた土壌を生かした農業が盛んな地域です。地下には、豊富な天然ガスが埋蔵されているのだそうです。おととしの台風の時も停電の中、この天然ガスで発電した電気が道の駅や町営住宅に電気を供給していたそうです。すごいですね。
このまちで、鮭の稚魚の放流活動が行われています。

これは、「鮭の稚魚を放流する会」が続けているもので、現在、三代目の会長である松本敏男さんに町内を流れる瑞沢川で放流を始めたきっかけを伺いました。「他の町から越してきて、ここの街のいいところを聞いても、誰も特にないという話ばかり。サケが上がってくるのも見たし、緑が豊富、夜空の星もきれいなのに何もないってどういうこと?転勤族だったので、元いたところの自慢話をしてくれよとよく言われていた。睦沢の人たちが巣立っていって、「何もないところ」というのはよくない。なんとかこれ(鮭の遡上)のことを知ってもらいたいと思ったのが大きな気持ち。でこの活動に参加し始めました。

松本さんは元々は東京にお住まいだったそうです。睦沢に移住してきて、その環境の良さ、自然の豊かさに日々感心していたのに、周りの人たちはそうでもない。改めて町を見つめてもらうきっかけの一つとしてこの活動に参加。ただ、この活動は楽しそうではありますが、大変なこともあったそうです。

放流に関して、最初は2000〜3000匹。だんだん増えていって、今回準備しているのは、1万粒の卵(イクラ?)を入手して今、孵化している最中。孵化は、卵を預けた方の自宅や学校でやってもらっているそうです。最近は埼玉の入間川にサケを放す会に分けていただいていたそうです。卵を里親の皆さんにお分けるときに育て方マニュアルも渡しているそうです。最初のころは中学生に卒業式の前に育ててもらったそうです。今では放流日も2月の第2日曜日と決めてて、一般の方も参加していただけるような形で放流しています。

ところが、今年は、頼りにしていた埼玉の入間川にサケを放す会がコロナの影響で放流活動を断念。ということで卵の入手ができなくなってしまったそうなのです。小学校の授業の一環にも取り入れてもらっているのにと、会長の松本さんは東北地方や新潟を訪ね、卵を分けていただけるように働きかけたそうで、多方面に問い合わせや足を運んだ末に、新潟から今回はなんとか分けてもらったそうです。

鮭の稚魚は2月の第2日曜日という寒い時期に、一度に放流します。その理由を松本さんはこう教えてくださいました。「いっぺんに放流する理由、それはまとまった集団になるからなんです。稚魚たちが移動するのは夜になってからで、しかも塊(かたまり)になって1ヶ月ぐらいかけて忍者のように海へ動く。その間に川の水の匂いなどを覚えていくらしい。水が冷たいこの時期は稚魚を食べてしまう他の魚の動きも鈍い。ということは襲われず、川に帰ってくる率も上がってくるかなと思っています。」
効率よく、なるべく多くの稚魚が海に出られるのにはこの時期がいいということなんですね。
活動を始めて10年、放流した稚魚たち、そのうちの何匹が実際に帰ってきているのかは、調査はできていないようなんですが、おとなのサケが泳いでいるところは多くの方が町内で毎年目撃しているようなので、成果が少しづつ出てきているのでしょう。睦沢のまち自慢がしっかりできていますね。今頃子供たちも放流直前でワクワクしているでしょうね。ロマンがありますね!
確実に町の財産になっている鮭の稚魚の放流。町のミンナノチカラで育てた稚魚がたくさん帰ってくるといいですね。