2021/6/15 UP!
- 「昔、黄色いぬいぐるみを灰色になるまで連れ回していた!」中西悠理がご紹介しました「芝原人形(しばらにんぎょう)」の情報は、以下のHPでご覧いただけます。

https://www.town.chonan.chiba.jp/shoukai/rekishi/584/
- 長南町芝原(しばはら)の芝原(しばら)人形です。お間違えなく!
- 千葉県の新たな魅力を知って、
- 千葉県の観光・産業を応援していきましょう!

2021/6/11 UP!
6月15日は千葉県民の日。ということで、今回は、この春第56代千葉県知事に就任された熊谷俊人知事をゲストにお迎えして番組をお届けしました!

番組レギュラー・応援部長のKOUSAKUとはゴミ拾い活動を通じて以前から交流があったということで、和やかな雰囲気の中、就任から2か月、真っ先に取り組まれたことから、地方自治・県政への想い、今後に向けてなど、いろいろなお話を聴かせていただきました。
これからも 素敵な「ミンナノチカラ~CHIBA~」がどんどん発信される魅力的な「千葉県」になりますよう、よろしくお願いします!
2021/6/4 UP!
今回は富里市を取材してきました。
富里といえばスイカというイメージですね

実は千葉県はスイカの産出額が全国2位なんですが、中でも随一の 生産量を誇るのは富里市で「富里スイカ」のブランド名でも親しまれています。富里市にはスイカ部門で日本でただ一人、農林水産省から富里スイカの地域特産物マイスターに認定されている方がいらっしゃいます。スイカ栽培のスペシャリスト篠原弘安さんにお話を伺いました。

「富里は 北総台地といいまして標高40〜50mの台地の上にあって田んぼが少ない。台地で、水はけが良すぎちゃって、作物を作るのに水はけが良すぎてなかなか育たない。スイカは原産地がアフリカの砂漠地帯なので、水がなくてもよく育つ。かえってないほうが美味しいスイカができる。台地なんで内陸性の台地の気候で昼間は温まりやすく、夜冷えちゃう。その寒暖差で甘みが乗ったスイカができるということで産地になりました。昭和の初期から作ってます。組合をつくって始めたのが、昭和8年からスイカ出荷組合。まとまって、遠くに送って やってきましょうということで本格的に始めました。それから80年ぐらいずっとスイカ作り頑張ってます。」

富里の出荷量は年間およそ3万6千トン。シーズンは5月半ば辺りから3ヶ月ほど・・1位の熊本の出荷シーズンの4月から1か月半くらい遅れてスタートするそうですが、「3ヶ月間」出荷し続けるには農家の皆さんのある工夫がありました。
「富里でスイカ作っている人は200人ぐらいいるんですけど、農協通して出荷している人が170名。5月の今年は8日から出荷が始まりまして、5月は、大きいハウスで作ります。暑くなって来ると、少しトンネルを小さくして、人間がやっと入れるぐらいの、小さいトンネルで6月。7月でもっと暑くなると、もっと小さいトンネル。その時期に合わせてスイカが好きな温度にしてあげるために、トンネルの大きさを変えてます。で3ヶ月間順次出荷しています。一気には出ない。5月ハウスの時期は寒い時期なので、寒さに強い品種を作って。ハウスの時期だと「春の団欒」とか「祭囃子R G」っていう品種。寒くても糖度がのって美味しいスイカができる。6月になったら雨の時期の梅雨にも負けない品種で「味きらら」とか「こうだい」って品種。雨が降っても甘くなるんです。で7月が暑くなると暑さにも強いってことで種無しスイカとか自根スイカとか暑くても美味しくなるスイカを作ってます。」
というお話でした。春の団欒とか祭囃子RGというスイカ品種の話は聞いたことがなかったので、とても興味深く伺いました。

スイカは大きく育てるのがいいのかと思っていましたが、実はそうでもないそうで、こんな話もしていただきました。
「大きいとやっぱり収穫が大変。輸送も大変。運送屋さんも大変。カットして今売るのが多いんで、カットする人も大変だって、やっぱ理想としては中くらいの大きさ2Lぐらいが1番売れる。S、M、L、2L〜5Lっていう規格があるんですけど、やっぱり2Lを取りたいんですね。7キロから8キロが2Lになります。1キロ刻みでスイカってあって、10キロ以上が5Lで、その中で2Lは7キロから8キロ。持って歩くにも楽です。農家の人も。それでいて値段が結構いいんです。味も乗りやすいんです。」

では美味しいスイカはどうやって見分けるのか?ここ一番大事なところだとおいもいますが
「味を見分けるには、撫でるといいんです。こう2つあって1個がつるっとしている。もう1個は緑色の部分が膨らんで、縞の黒い部分が凹んでいるとボコボコしています。ボコボコしたスイカの方が、甘くて美味しい。お店行って叩くより撫でた方がいいといいと思います。お店ではあまり叩かれたくないでしょう?撫でた時に、おいしいよっての手に伝わってきます。」

だそうです。スイカを撫でると本当に凸凹しています。興味のある方は試しに触ってみてください。
スイカ農家の皆さんは普段はライバルですが、助け合いもしています。
「一人でスイカをつくってるようなんですけど、やっぱ独りじゃないんです。みんなで。大変な時もあるんです。天気が悪くて、今ミツバチ交配なんですけど、ミツバチが飛ばなくてどうするとかっていう困った時とかは、情報交換して、ちょうど今頃雨が降っていて、今日はハチ休んでるから人間がつけましょうとか。情報交換とか。あと、今年は雨が少ないんで、ちょっと肥料やってあげようかとか、ちょっと水あげようかとか情報交換することで、みんなの腕があがるし、味もみんな良くなっていく。困った時もみんなで、嬉しい時もみんなで共通して頑張ります。やっぱ組合はみんなで頑張ろうって気持ちになるので、大事かなと。そして富里のスイカはイカの顔をしたトミちゃんというマスコットがいるんですけど、そのマスコットの絵のついたシールがスイカに貼ってあります。1個1個のシールがあって、箱にもトミちゃんの絵がどーんと大きく出ています。そのトミちゃんを目印に買って頂ければ美味しいスイカなんです。あたりです。」
これからスイカがさらに美味しいシーズンです。トミちゃんを探してみてくださいね。

2021/5/28 UP!

今回は四街道市にやってきました。住宅街のはずれにある森への入り口。この階段を上がるとそこには子供たちの笑顔がたくさんありました。
やってきたのは四街道市にあるどんぐりの森。
森や林などの一角で遊べるスペースなんですが、大人がいて、でも子供たちがのびのびと遊んでいる場所なんです。今回は、四街道のプレイパークについて、NPO法人四街道プレイパークどんぐりの森の代表 古川みゆきさんに設立のいきさつと、どんなところなのかをまずは伺いました。


「プレイパークっていうのは、本当に子供たちが自主的に自発的に遊ぶ場ですね。子供が考えて遊び始めて、何をして遊ぼうか、子供たちが自発的に遊び、そして遊び切るっていう場ですね。そこで色んな人と交わりながら。 過ごすって場です。道具を使ったり、まあそういうあのロープなどのものを使ったりして、子供が自分たちで自分のやりたい遊びを自ら始めるってことを大事にしているので、いろんな子供たちがチャレンジしやすいような、いろんな道具も置いてあります。私がまあ、子供を育てる時に、自然豊かな町だったんですけど、なかなかその山で遊んだりとか、川に入って泳いだりとか、そういうことが自然はあるんだけど、なかなかできないっていう、公園は禁止事項が増えてきた中で、子どもたちはもっと自然の中で土の上で体験をして育ってほしいなって、そういう場を作る必要性が今の時代にはあるんだなということで、遊び場を始めました。もう20年前ですね。」

写真右側の方が古川さんです。
小学生ぐらいの子供だけなのかと思ったら、中学生も部活がないときにふらっと来たり、遊ばなくてもしゃべりに来てるといいます。古川さんは、そういった子供たちをこう見ています。

「高校に行ったり、社会に出てもやっぱり時々こう寂しくなったりとか,自信無くしたりした時も、なんかここにきて誰かと喋ったり、自然に触れたりするとまたなんかエネルギーチャージして、そしてまた帰っていくっていうこともありますね。千葉県ではもうすでに40カ所ぐらいプレイパークがありまして、とても盛んです。で、千葉県でネットワークを組んで、このプレイワーカーという、まああのうスタッフの研修などもしてまして、集まりということで立ち上げてまして、どうしたらいいかっていう情報交換とかとか相談のような場も作っていますので、はい、あのう子育て中のお母さんに限らず、男性の方もとてもよく参加していて、とても活発になっています。年に5回ですね。研修をやってます。」

このどんぐりの森では人気者のプレーワーカーがいらっしゃいます。中島さんという男性。常に子供たちから声を掛けられる存在。ただ一緒に遊んでいるだけに見えますが実は違います。

「安全管理とか場所を作っていくというのも仕事なんですけど、1番は多分、その環境を作るっていうか、遊びの環境づくりっていう結構よんでるんですけど、まあ、遊びの道具を用意したり、自分自身が遊んで子供から遊びたくなる雰囲気を作ったりとか、火も使えます、で今直火でできる場所って本当に少ないんですけど、今家なんかI Hでその炎ってなかなか見る機会がないんですよね。だから本当に火を見たことないっていう子もいるんですよね。たまに、だからそのやっぱ火あついのかって言う感覚はここでたぶんわかると思うんですね。おたまに砂糖を入れてこう焚き火に当てると飴ができるんですけど、そういうのも子供が自由にできるようにしてました。どんぐりの森は楽しいです。」

火をまじまじと見たことがないという子供がいるという話には驚きました。確かにマッチが使えないという話は時々聞きますが、文明の発達で火を知らないというのはいかがなものかとも思います。プレイワーカーの研修もあるという話でしたが、今では市の事業の一つとして活動しています。市内の子供たちにお知らせが配布されるということで、自ら進んでプレイパークに出かけられるようになった子供たちが増えてているのがうれしいということでした。取材をしたこの日も、近くの場所で、新しいプレイパークを作りたいという方々が、見学しながら、準備をされているようでした。子供たちの楽しそうな声がいつも響いてくる、そんなどんぐりの森だったそうです。

夕方5時になってみんな仲良く帰っていきました。

大人が監視すると、危ない、とかいろいろ言ってしまいそうだけど、リスクを含めての遊びだということがみんな承知で遊びに来ている。きっと想像力、そして遊び心豊かな大人に成長するんでしょう。

千葉県内のプレーワーカー研修について
四街道市どんぐりの森
2021/5/21 UP!
白子町は外房にある町です。
テニスコートがたくさんあるこの街を今回は取材いたしました。
この時期、白子町といえば「たまねぎ」です。白子町でもんちゃんファームという名前でタマネギ農家をされている北田百人さんにお話を伺ってきました。

そもそも、白子町はなぜタマネギが有名なんでしょう?
北田さんはこのように話してくださいました。

「昭和41年ごろに国の指定産地を受けまして、これ、大きかったですね。玉ねぎ出荷組合という組合ををつくりまして、それから結構人も増えましたし、面積も確認したんですけどね。でマルチ栽培(方法)が発達したんで早期栽培ができるようになったんですね。」
資料によりますと、大正時代から、ちょこちょこと玉ねぎを作っていたようなんです。畑に黒いビニールを張るマルチ栽培という方法が昭和30年後半に取り入れられることによってものすごく生産量が増え始めたんだそうです。その急成長によって国の産地指定を受けたということなんですね。さて、そのタマネギ栽培なんですが、出荷は4月ごろからなんですが、その前にも出荷するものがあるんだそうです。

「いろんな 種類がありまして、極早稲とか早稲とかオクとか色々あるんですけどね。今は1番早く食べられるのは玉ネギに関しては4月の頭ぐらいから食べられますね。極早生っていうやつで、その前は葉玉ネギって言って。 根から葉まで全部食べられるというのを1月から出荷してるんですよ。それは玉ねぎの若い葉を出荷するということでやってるんですけど、それが結構流行ってましてね、結構、それは白子のアピールになってます。 葉玉ねぎはね、まあ1番あたしとしてはヌタっていうか、酢味噌で食べるのが1番ですね。 茹でて柔らかくして酢味噌で食べて、 後は、かき揚げとか天ぷらもできますけども、葉玉ネギも出荷してますよ。農協を通して東京方面に出荷しています。 結構ね。」
この葉タマネギが美味しいんだそうです。今年はもうないので、来年を狙いましょう!

北田さんのもんちゃんファームではタマネギ畑のオーナーも募集していて、食育活動にも力を入れています。
「14、 5年になるんですけども、食育体験入学ということで、いろいろ募集をかけまして、オーナー制の畑を作るんですね。玉ねぎをそれで1区画、お客さんに購入してもらって、定植、草取り、追肥、収穫を年3回来てもらって、そういった対応してるんですよ。結構喜ばれていますね。それはご家族づれとか友達とかっていうことで一区画でやってますね。うちはね、今年は6000円でやっています。 それでだいたい数量にしてね10キロ袋で7から8袋取れます。全量お持ち帰りいただけます 。収穫の時は農協の出荷場の脇に圃場があるので、出荷時に車停めて、そこから歩いて行くんですけど、結構楽しんでやってます。」

6000円で70キロとは爆安です。
そのままお持ち帰りになるオーナーさんも
いますが、さすがに量が多くて、宅配便で畑から発送する方も多いのだそうです。年に数回ですが、実際に手入れをして、愛情をもっていただいているので、タマネギが嫌いだったお子さんが、逆に大好きになったというエピソードもあるそうですよ。ちなみに、タマネギは地上に出ている緑色の部分が自然に倒れるのが収穫どきなんだそうです。そのまえだと(ちょっと若いと)収穫するときに葉を折ってしまうと涙が出ちゃうそうですよ。
最後にメッセージをいただきました。
「白子は砂地で甘くて美味しい玉ねぎができますから、皆さんに食べてもらって、買うところは直売所とか、スーパーで多分あると思いますので、それでお願いします。 農協が出荷する時は、白子産玉ねぎと袋に書いてありますから、いいんですけども、青果店から買う場合は、お店の人にそのどこの産地を聞いてもらった方が良いと思いますね。玉ねぎもいろんな産地があるんで、まあ白子なんかは白子たまねぎで売ってますけど、まだまだ知名度が低いんで。 もっとPRとかそういったことやらないといけないですけどね。。だからこれからまあ私個人としても色々自分のホームページ見てP Rしてるんですけど、町としても組合として。 もっとPRしなきゃいけないなってことは話はしてます。ご賞味いただければ有難いと思います。はい。」


取材後、私もいただきました。基本の玉ねぎスライス。辛味の成分は揮発性のものなので、スライスしてから水に晒さずに20〜30分程度ラップをせずに置いておくと辛味が大方抜けてくるのだそうです。食べました。実際そうでした。生でも甘い!美味しくいただきました。
お店で玉ねぎ探すとき、産地が白子町かどうか確認してみてくださいね。


2021/5/14 UP!
今回は柏市の取材です。
ウラカシという地域をご存知でしょうか?
柏駅のほど近くにあるエリアなんですが、「ウラカシ」では、お店のご主人など現役世代の皆さんが、色々と盛り上げイベントなどをやっていて、今、注目を集めています。具体的には柏3丁目、柏駅の東口を出て7分ほどあたりだそうですが、「ウラカシ100年会」の代表、自らもウラカシでセレクトショップを営んでいる田中庸介さんにお話を伺いました。
田中さん

「1990年代後半に柏駅の中心部から離れた場所で、フリークスストアというセレクトショップがあるんですけれども、そこの柏店が誕生して、その近辺に古着屋さんを中心とした。都内からの出店が相次いだという場所がウラカシ。という風に名付けられたんですけども、じゃそもそもウラカシなんだった?って時に、当時ギャル文化が渋谷で起きて、東に位置する柏は「東の渋谷」と言われまして、その時のこの地域のネーミングもなかったので、渋谷、原宿、原宿の裏原→裏原 柏だからウラカシ、そういうような感じで、かしわインフォメーションセンターを中心としてウラカシっていう名前が付けられたっていうような流れですね。」
ウラカシ100年会には、飲食店、雑貨店、ファッション店などさまざまな店が参加して、エリアを盛り上げるためにイベントも開催しています。今はコロナの影響でお休み中ですが、また落ち着いたら再開していきたいと考えているそうです。どんなイベントをやっているのでしょうか?
「われわれウラカシ百年会は エリア型といって別に通りを限定している訳でもなく、何か催すイベントをやるっていった時に、その通りだけじゃなくていろんな場所でイベントやったりとかっていう会なので、要はエリア型商店会になっています。食のイベントだったり、肉フェスだったりとか。そこの中にウラカシ何なにっていうネーミングをして、ウラカシ動物園とか子供たちが遊んで食べて、親御さんたちが楽しんでいただけるようなイベントやったりしますね。えっとウラカシ動物園って銘打ってフクロウ。

10羽ぐらい呼んでですね、いろんなフクロウを。そこでフクロウと戯れるイベントで、

そこをそもそも肉フェスの中のウラカシ動物園っていう部分もあったので、肉だったらなんでもいい、ワニの肉だったりとか、牛肉以外だったり、いろんな肉を集めた集合した肉フェスとかやってますね。」

お話を伺った田中会長は40歳代ですが、とにかくノリがいいんです。かといってチャラチャラ軽いわけでもないんです。ご出身は千葉県いすみ市で、大学の時に柏に来られて、そこで柏のまちが好きになり、一度就職された後、独立されてセレクトショップを始められたそうなんです。みんなで盛り上がっていこうという思いは、会の他の皆さんも同じで、型に囚われずさまざまな活動をされています。


ところが、予想を上回る反応があって大変なこともあったそうです。
「店主がみんな若かったり行動派が多いので、本当に臨機応変型で、即行動にうつすっていう会ですね。一昨年ラグビーのワールドカップが来て、ニュージーランド代表がキャンプがあったんですけど、それにあやかってポロシャツ作ったんですね。で、それが柏市のクールビズで使ってもらって、ぱっとやったは良いが、ものすごく受注があって、我々も、販売すれはいいけども、あのいろんな取り決めとかがね、ぐちゃぐちゃにはなってないですけど、ものすごい反応が良かったので頑張りました。洋服のボディ以外は全てネームから刺繍からデザインから販売から集計からすべて会でやってるので量が凄かったっていうのもそうなんですけど、生産の方もてんやわんやしながら大反響を頂いたという・・・」
言い出して始まってしまったことは最後までやり遂げる。ここは責任持ってウラカシの盛り上げのために頑張ったんですね。こういった活動をしながら、ウラカシが100年続くように頑張っていこう と作られた会は、まだ4年目です。
ウラカシ100年会は次のイベントを今年の秋ぐらいにできたらいいなと思っているそうです。その時の状況で判断したいということでした。ただ、アイディアは次から次に出てくるようで、この収拾をつけるのも大変なんですよとうれしい悲鳴をあげてらっしゃっています。ウラカシ100年会。その名のとおり100年、それ以上にずっと続いていくエネルギーを感じますね。どんなイベントが次に行われるのか今から楽しみです。
2021/5/7 UP!
今回は八千代市を取材です。
東葉高速鉄道 八千代緑が丘駅前にやってきました。

こちらは京成バラ園もより駅となっていまして、花の季節になると薔薇の花を楽しみにされている方が訪れます。駅から徒歩15分ぐらいのところにバラ園があります。
駅の改札を出て、駅前広場に目をやると、今の時期、綺麗なバラがかなりの数咲いています。

今回の取材は、駅前の広場や京成バラ園に続く道沿いに薔薇を植え、管理、育成をされている皆さんについてお話を聞いてきました。

東葉高速鉄道・八千代緑が丘駅の北口駅前ロータリーの中心を囲むエリアには200本ものバラが植えられていて、花の季節には、赤、黄色、白などいろとりどりのバラ駅を利用する人を迎えてくれているんです。ちょうどこれからが満開を迎えるシーズンです。
この「八千代緑が丘駅前バラ園」は、日本一の駅前バラ園を目指す 「八千代 花と緑の応援団」というボランティア団体の皆さんの活動によって育成、管理が行われています。京成バラ園の技術指導を受けて愛情を持って育てていらっしゃいます。「八千代市=バラのまち」と実感できるまちづくりに取り組んでいるそうです。
八千代花と緑の応援団、事務局長の濱野俊輔さんにお話を伺いました。

「この駅前に薔薇を植えようとなったのは、地元商工会議所の「やる気塾」という青年の方たちがスタートしたのが始まり。皆さん、10名の方々、若かったんですけど、まあ、だんだん年を取られて、家庭の事情だとか、転居だとか、転勤だとか、諸事情でだんだん少なくなりましたけど、最後は、1人、代表だけになられたと言うことで、地元のみなさんに手伝って欲しいと、自治会等に要請がありました。たまたま私がが、当時自治会長をやってまして、その時は最初、もうできないから市に(薔薇が植えてある場所を)返そうという話があったんですね。あの市の土地を借りてましたんでね。もう手に負えないと。そのまま返すの、残念だなと思って皆さんに、お声をかけたんですね。そうしたところ16人の方が、一緒にやろうじゃないかという手を挙げられましたので、心強く思いました。そこから復活していったんです。」

一時は無くなるかもしれなかったんですね。

最初の頃のエピソードを話してくださいました。
「最初は数名で。 多くはリタイヤ組ですからね。夜、酒を飲んではいろんな話してて、なんかやることないかなっていう、、、いや、実は自治会にこういう話が持ち込まれてね、バラ、あそこをなんとかしなくちゃ。バラはいいなあという話になる。あの駅の北口だけでは、物足りないから、あそこのバラ園までもバラが1本もないぞと。バラが1本もないバラ園までの道っておかしいんじゃないの?北口をバラでいっぱいにしたら、その次はバラ街道作ろうよ。という話からスタートしてるんですよね。その飲み仲間には私を含めて、言い出しっぺでここまで仕掛けてきたんだから、もう最後まで責任もって、若い人に引き継ごうよと、それまでへこたれるなと言う気概でやってますよ。で、ここまで来たらですね。市の方も前向きになっていただいてるんで。頑張っていきたいです、なんとかね。2年半前ですかね。チームを立ち上げて、まあリフレッシュしたと言うことです。」

なんと前向きな話し合いなんでしょう!
そして、盛り上がっただけでなく、実際に行動を起こして今では毎月第3土曜日を中心に作業を行っていらっしゃいます。雑草とりや水やりなど、それこそ育成のプロの京成バラ園の皆さんに育成の指導をいただきながら活動をされています。

京成バラ園までの道、改札を出たところからすぐにバラでお迎えしようという「八千代 花と緑の応援団」の皆さんの思いは、今、まさに大小様々な花を咲かせて訪れる人を迎えてくれています。
2021/4/30 UP!
今回は匝瑳市に取材に行ってきました。匝瑳市は2006年に八日市場市、匝瑳郡野栄町が合併してできた市です。
ここは隣接する東金を含め、千葉県の木でもあるマキやクロマツといったものに代表される日本庭園や公園などを飾る樹木・植栽の栽培が盛んなところなんです。
ということで今回は、匝瑳市植木組合の組合長 大木忠さんにお話をうかがいました。まずは匝瑳地域で植木業が始まった歴史について。

「戦後、都内で公園を作ってみたりとか、緑化を国で進めていたんです。そこで植木を植えるという時代になっていったんじゃないかなと思います。元々はこの地域は畑に芋作ったり麦作ったりをしていたのが、植木が売れるようになって、植木を作るようになっていったんじゃないかと言われてます。自分達の年齢だと、二代目三代目という方が多いですね。私は63(歳)ですね。種を蒔いてから、芽が出ますよね。早いものだと3年とか出荷できるものもありますけど。 古い家の垣根にあった木を畑に移動して、それを形に作って売れるようになると、それには10年以上かかります。早くでも2〜3年、要するにあとは10年ぐらいかかる。」
そうです、木も最初はタネから始まるんです。そこから、数年かけて育てていく。根気が要りますね。
千葉県特有の温暖な気候と、首都圏の消費地に近いという条件に恵まれて徐々に発展し、現在では日本有数の栽培面積と多種多様な栽培樹木数を誇り、2018年農林水産省の資料によると植木生産の都道府県別出荷額は千葉県が1位、そのおよそ半分を匝瑳市が担っているということなんです。

皆さんの家の近くの木々も匝瑳市から来ているものかもしれませんよ。
匝瑳の植木まつり(昨年と今年は中止)は例年大変な人気があり、植木を買うこともできます。毎回、100万円単位の植木が売れるそうですよ!
植木のイベントなどでは、バサバサ生えっぱなしの植木を1日かけて1日かけて枝を割ったりして形を作って、1日で仕上げるというパフォーマンスを披露することもありますてね。ただ、カットじゃなく手を加えてよく見せるというこのパフォーマンス。県の要請もあり、毎年、成田空港には出発ロビーで、坪庭(つぼにわ)を作って海外の人にアピールしてみてもらうようにしているんだそうです。
大木さんの話によりますと、手入れされている植木を見ると、地方によっても形の作り方や、見せ方が違うようで、どこの地域の植木なのかわかるのだそうです。なかなか素人には難しい話ですが、、、

この20年で植木を買う人たちもだいぶ様変わりしたようです。
大木さんは、「輸出が盛んになり出したのは15年か20年くらいですよね。その前は、ほとんど考えられなかったですよね。 土を海外に持っていくこと自体がね、だめでしたから。バブル期はね、このゴルフ場であったり、盛んに植木が動いた時代もありましたけど、今はね、輸出。海外に広めたいということで、フランス、ヨーロッパも(ありますが)やはり中国が1番、大きいでしょうかね。自分も何度か行ったことあるんですけど、中国にも植木はあるんですよね。ただ、形造っている物は日本がいいらしいんです。向こうではないわけですからね。 今後もまたコロナを抜けて。またね、これるようになったらまたどんどんくると思います。来て欲しいです。またね、気に入ったものを気に入った金額買ってくれると思いますね。」
と期待も大きいようです。
匝瑳市ではマキやクロマツのほか300種もの植木を生産しているそうです。新しい技法や流行を取り入れながら、植木を育て、庭を造る植木組合の皆さん。ホームページには組合の皆さんの取り組みなどについても詳しく掲載されていますので、お時間あるときに覗いてみてください。国内外で高く評価されている匝瑳の植木。これからも世界レベルでどんどん有名になってほしいですね。
2021/4/23 UP!
成田空港に近い芝山町を今回は取材です。
実は、千葉県は古墳の宝庫で、その数はおよそ1万3千基。全国第4位という多さなんです。3世紀中ごろから7世紀頃の古墳時代から千葉県あたりは河川や湖・沼などが多く水に恵まれていたので、豊かな豪族などが多かったそうです。中でも芝山町周辺は県内有数の古墳密集地なので、この地域で宅地開発などがあって古墳が出土すると、まずは調査が行われ、記録が作られるようになっています。しっかり記録した後で土地開発などが行われるので貴重な史料も残されているというわけです。

芝山町にある芝山町立芝山古墳・はにわ博物館(4月にリニューアルオープン)で学芸員の奥住淳お話を伺いました。

「芝山町は今でも100基ぐらいの古墳が残っていまして、昔は500ぐらいの古墳があったと思います。で、古墳には、ヒト形とか動物型とかはにわが昔に建てられていましたので、そういうのが多く発掘された発見された土地と言うことになります。古墳時代後期と呼ばれる時代で、およそ6世紀、1500年ぐらい前と思っていただければと思います。古墳は1個単独であるわけじゃなく、偉い人は、前方後円墳ていう古墳に葬られるんですけど、その家臣とか一族のような人たちも周りに今度は、小さな円墳とか作って群を作っているんですね。なので、あの古墳はまとまっていて、数が多くなってくるのと。 まあ、そういう人たちの古墳がどんどん集まってきて、あたかも今風にいえば霊園のような、そんな感じになっていったんだと思います。」
古墳密集地と言っても過言ではない数ですよね。
そもそも、芝山町地域の古墳発掘は、どのような経緯で始まったのでしょうか?
実は、昭和31年、博物館のすぐ隣に芝山仁王尊観音教寺という天台宗の古いお寺があり、そこに赴任された住職、浜田住職さんが、まだ20代の頃で、近くに古墳があるっていうことを知り、ちょうど千葉県でその頃いくつか古墳の発見とか発掘があったこともあり、自分も、近くであるので、掘ってみてはどうかということを考えて、知り合いのツテで、早稲田大学に来てもらって発掘したということのようです。 それで早稲田大学の学生さんだけでは人手が足りないので、地域住民の皆さんにも、回覧とか回して何月何日は何区とか、そういう動員をかけたという資料も残っているのだそうです。青年団とか婦人会の皆さんが発掘したら、埴輪が40数体一度に並んで出てきて、埴輪の配列どんな順番で並んでいたというのが貴重な考古学上の発見になって、ちょっと大騒ぎになったということがあったそうです。
取材時はまだリニューアルオープン前でしたが、中を拝見しました。


中には、私たちが普通教科書で見たイメージのはにわとはまた違うタイプの埴輪が多くありました。人の形の埴輪がなんだかとてもおしゃれなんです。下の写真の埴輪、ロン毛でカールしていて長い髭。

着ている服や、帽子、持ち物などが細かく再現されています。顔つきもちょっと渡来人のような感じもします。下の写真の埴輪は首飾りや右側の埴輪はイギリスの近衛兵のような帽子をかぶっています。鼻も高い!

そのほか、鶏や犬、鹿、猪、そして珍しい「魚の埴輪」も展示してあります。

この魚は鮭ではないだろうかと推測されているそうです。
学芸員の奥住さんのお話で、なるほどと思ったのが、埴輪の土台の部分。ほとんどの埴輪が足の部分の下に台のようなものが一緒に作られています。

これは、埴輪を地面に固定させるためのもので、地中に埋めておく部分、いわゆる基礎の部分です。ですから、その上の部分が地表に出ている。多少の雨風が吹いてもこれなら倒れません。出土して全体が見えていますが、実は、当時は3分の1は埋まっていたんですね。
芝山町では縄文時代の装束をきて街を歩く祭もあります、現在はコロナの影響でお休みとなっていますが、落ち着いたらまたやるそうです。顔に赤い今でいうペインティングデザインを施すのですが、この赤色を塗るというのも、出土した埴輪の顔の部分に赤色の顔料で塗られていたことがあったからなのだそうです。

売店ではいろいろなお土産も販売されていて、取材時目を引いたのは、埴輪のレプリカです。結構大きなものもありまして、迫力があります。博物館では、学芸員さんによる説明ツアーなども企画しているそうです。


はにわは、当時の生活を立体的にかたどった歴史的遺産です。人々の暮らし、集団行動、そして村のようなものができ、やがて国になっていく時代の文化も勉強することができる。そんな貴重な展示を見られるよりパワーアップした「芝山古墳はにわ博物館」。お近くに行かれた際は寄ってみてはいかがでしょうか?
2021/4/16 UP!
今回の取材は鴨川市です。鴨川シーワールドでお馴染みの地域ですね。
実は鴨川は米所でもあるんです。そしてこの辺りは丘陵地帯の傾斜に作られた田んぼがあります。

海のイメージが強い方も多いと思いますが、鴨川市の山間部、大山(おおやま)という地域には、房総丘陵の山の斜面を利用した田んぼ「棚田」が連なる場所 「大山(おおやま)千枚(せんまい)田(だ)」があり、美しい景観をつくっています。写真スポットとしても人気が出てきています。
大山千枚田で地域を元気にしていこうと活動されているのがNPO法人大山千枚田保存会の皆さん。まずは、大山千枚田の歴史などについて、事務局長の浅田大輔さんにお話を伺いました。

「江戸時代の終わりぐらいには棚田が広がってきたと思われています。鎌倉時代には人が住んでて少し暮らしのために田んぼを作ったんじゃないかっていうふうに言われていますね。日本中、山の中の地域というか中山間地域って言ってるんですけども、そういうところは後継者がいないっていう、それで農地が荒れてくる、で地域が元気がなくなるっていうことが あって、それを防いでなんか地域を元気にしたいねって言うので、何かできないかなって思った時に、実は、ここが大山千枚田って名前がなかったんですね、大山地区にある普通の田んぼ、棚田だったんですけれども大山千枚田保存会というのを立ち上げたんですね。ただ保存というよりもここを活用している村おこしができたらいいねっていうのが大きな目的の団体ですね」

ということでした。この地域は蛇紋岩(じゃもんがん)という土壌があって、実にこれがコメ作李、味の良さに貢献しているというんですね。少し青みがかかった石ですが、これが長い年月を経て年度に変わり、そこからミネラルが溶け出して美味しいお米ができてくるという仕組みなのだそうです。
「大山千枚田」と名付けて保存や活性化などの活動をはじめたのは25年ほど前からで、N P O法人が設立されたのが2003年のことだそうです。保存のために、棚田一枚一枚にオーナー制度を用いて、そのオーナーさんが草刈りをしたり、田植えをしたり、収穫をしたいるする作業も行います。日頃の細かい作業などは保存ん会の方で行っていますが、イベントとして、たくさんの人たちがオーナーとして作業をしにここにやってくるのだそうです。

今年のオーナー受付はすでに終了していますが、収穫したお米は、棚田全体の面積から按分して、配分されるのだそうです。数年前の実績ですと、1口のオーナーで27キログラムの美味しい玄米を手に入れたそうです。そんなオーナー制度導入でどんな効果があったのか、どんなところに期待したのか、浅田さんに伺いました。
「移住者の確保も出来れば、そこにつなげたいなと言うのがあって、始めた当初は、やはりその年配の方というか、もうすぐリタイヤか退職される方がターゲットの部分もあったんですけれども、子供たちにやっぱり知ってもらいたいと思うようになってきました。それはオーナー制度に来た子供たちもそうですし、地元の子供たちにも伝えたいということで、オーナー制度に家族で来てくれてる小学生の子が大学生になって、時間ができたから手伝うよーとか、あと、ちょっと田んぼの仕事じゃない仕事なんですけども、地元の小学生、中学生が少し仕事を手伝ってたってくれたりしますので、そういう子たちにも感謝していますし、もっと棚田の魅力を発信していかなきゃいけないのかなっていう。むしろそのほうが大事なのかな? と思っています。」

元気がなくなってきていた農村、作業が大変な棚田、でもその一枚一枚が小規模であることで、オーナーのできる範囲の作業量になっていくという利点もあります。(実際にはトラクターなどが入れない場所も多くあり、人界戦術でないとできないという事情もあります)
取材時は3月だったので、まだ田植えの準備の前の段階でしたが、もうすぐ田植え。この夏も青々と美しい棚田の景色が見られるようになります。
夜には棚田の境界にランタンを置いて幻想的な景色を見られるイベントも準備をしているということです。
詳しいことをお知りになりたいかたは、保存会のHPをご覧ください