三方を海に囲まれる房総半島に位置する千葉県。
首都圏からのアクセスもよく、
通勤圏でありながら海や里山の豊かな恵みをあわせもち、
自然とともにある生活を楽しめるエリアです。
そんな「千葉の魅力」を支えるさまざまな活動や
想いムーブメントなどにスポットを当て、
現地取材の声も通して「魅力あふれる千葉」をご紹介していきます。

毎週月~木 18:35頃~「YOU 遊 チバ」はこちら
※「YOU 遊 チバ」は、ミンナノチカラ~CHIBA~と連動し週ごとにさまざまなテーマで千葉の魅力をお届けしているコーナーです。

Every Fri. 18:45~18:59

冬休みの宿題と言えば書き初め!「書星会」

2023/1/2 UP!

  • 「今年の目標は 目標を立てすぎない事 !?」な中西悠理がご紹介しました「一般社団法人()星会」()の情報は、以下のHPでご覧いただけます。

https://shoseikai.wixsite.com/shoseikai

  • 千葉県小・中・高校書き初め展覧会の課題を決めている、()星会
  • 今回も「まつ」「強い決意」「明るい世界」など、学年や年齢に亜合わせた課題となっています。
  • 千葉県の新たな魅力を知って、
  • 千葉県の観光・産業を応援していきましょう!
  • 今年もみなさんにとって素晴らしい一年になりますように!そして千葉の魅力をどんどん再発見していきたいと思います。
千葉県庁職員おすすめの絶品‘丼’ 観音食堂丼屋七兵衛「極上さば漬け丼」

2022/12/30 UP!

千葉県庁職員を対象に「他県の人におすすめしたい千葉の丼グルメ」をテーマにアンケート調査を実施したところ、銚子ならではの逸品「極上さば漬け丼」が1位に選ばれました。お店は全国一の水揚げ量を誇る銚子漁港のすぐ近く。鮮度抜群の脂がのったさばを特製の塩ダレと千葉伝統の濃い口醤油に漬け込み、大きな丼に隙間なく盛られた漬け丼は、味わいもボリュームも大満足の一杯。開発秘話やこだわり、美味しさの秘密などを伺いました。

銚子漁港で水揚げされた鯖のうちたった1%しか獲れない、1尾700g以上の極上さば。独自のたれに漬け込んだこの鯖のお刺身をご飯の上にたっぷり盛り付けます。召し上がった方は、「鯖に旨みがある!」「臭みがなくて食べやすい!」「まるでマグロの大トロのような味わい」と、みなさん、大絶賛なんです。まずは、この丼を作られた店主の、清水俊和さんに、お話を伺いました。

清水さん:処理をした生のサバ、これを銚子の独特の醤油ダレで漬けて、それをどんぶりに乗っけて香味野菜と一緒に召し上がっていただくと、そういうものでございますね。サバはもともと銚子では一、二を争う水揚げを誇っておりましたけれども まあ、なかなか関東では鯖を食べるというのは非常に少ないっていうか、習慣的に。関西の方は結構九州の福岡とかそういうところはサバの消費量が非常に多いんですけれども、銚子を中心とした、この辺、関東地方では、なかなか鯖はですねえ、焼いたり干物にしたり煮たり味噌煮にしたりして食べるっていうのが普通だと思います。生で食べるっていう習慣はほとんどないと思います。その辺に結構トラックが通っていくとサバ落としたり、いわしもこう町のカーブなんかになりますと道に落ちてたり、まあ、そんなイメージで。食べたくなる、 食欲をそそると言うことはあまりなかったような記憶ですね。

この「極上さば漬け()」、実際に食べたスタッフによると、酢〆していないので、さばそのもののうまみが感じられてとても美味しかったということでした。さて、店主の清水さん、実は、本業は別にあるそうなんですね。ではなぜ、このさば漬け丼のお店を始められたのでしょうか?そこには清水さんのこんな思いがありました。

清水さん:食器屋をやっております。未だに続いておりますけれども、ちょっと時代が変わってきてまして、非常に何て言うんですか、生業っていうか、それを生業にすることが難しくなってきてきているっていうのはもう多分、全国みなさんご感じになっていることだろうなと思います。ですから、そんな時にですね、自分のこれからの生涯、どういう風にして生きていったらいいんだろうかってずいぶん悩みましたけれども、この生まれ育って骨をうずめるところに、なんとか自分の本当に微々たる力ですけれども、銚子のためになってくれたらいいなというような、そしてビジネスにもなると、両立できるようなものができたらいいなと。しかも子供の頃にこの飯沼観音・・観音様で遊んでましたけれども、ここに愛着を持ってここを何とか新しいその郷土性というものを作り上げていきたいなあっていう。そういう感じたものですから、わざわざシャッター通りの立地にこのお店を作るという決心をしました。

そんな風にお店を作ると決心した清水さんでしたが、どんなお店をつくればいいのか、なかなか見当がつきませんでした。そこで、力になったのが食器屋さんとして培った地元のネットワークなんです。

清水さん:これはですね、私が食器屋ということもあって、周りが飲食店の方たちがお知り合いが多くてですね。そういう料理の専門家の中にいたということが幸運だったのかもしれません。銚子うめぇもん研究会という会を平成19年に設立したんですけれども、その時にですね、加工の方法として獲れたての鯖を塩だれにつけて、また塩を取って水洗いをして乾燥させて、で一回冷凍にかけると、そういう製法を生み出した方がいらっしゃいます。渡辺さんという方なんですけれども。その方がですね、生で一度冷凍にして食中毒の危険性をなくして、しかも美味しく食べれるという方法を考え出したということで。商売としてずっと継続して行くためには、えっと一時的に取れた取れないっていうことではなかなか商売続きませんので、そういう 製法があると、しかも美味しくなるということで、この商売っていうことに決めたっていう経緯があります。

銚子うめぇもん研究会では、梅雨時には「入梅()いわし祭り」、この時期は「極上さば料理祭」を開催するなど、季節に合わせて各飲食店が美味しいものを提供するイベントも行っていますが、ものすごく美味しい鯖の缶詰も作っておられます。一番美味しい時の鯖を新鮮な状態のまま加工したもので、この缶詰、名前が「銚子極上鯖 うめぇもん水煮」。年間数百個しか作れない大変貴重なものです。今回はこちらをスタジオにお持ちしました。(ちなみに一缶1500円です!)

※「第13回 銚子極上さば料理祭」はさばの水揚げ量の関係で、日程が変更になりました。詳しくは公式ホームページでご確認ください→リンクはこちら

さて、食品保存技術も進化していますが、この丼はお取り寄せやテイクアウトができないようです。それには清水さんのこんな考えがありました。

清水さん:やっぱり、もう一度その元気を取り戻して行きたいっていう思いが非常に強くてですね。ぜひ来ていただきたいという意味ももちろん一番あります。だけど、生の魚という性質上、ぜひここで食べていただきたい。もう一つはテイクアウトどうしてもということであれば、鯖寿司を用意しております。昔から保存食になっておりますので、これのみお持ち帰りをしておりますので、ぜひ鯖寿司の方をお求め頂ければと思います。七兵衛のある所在地の通りはですね、門前町なんです。鎌倉時代以前にできた由緒ある飯沼観音という観音様がありまして、これを中心に銚子というのは発展しました。で、ここの門前に七兵衛があります是非ですね、この飯沼観音にお参りに行きがてらによって頂ければ、非常に嬉しく思いますので、ぜひ銚子は見るところが他に海も屏風ヶ浦とか犬吠埼とかたくさん美しいところがありますので、 ぜひぜひおでかけいただいて、七兵衛の漬け丼を召し上がっていただけたら最高に幸せです。

「昔から当たり前にあった鯖」の「新しい食べ方」を街に人を呼ぶ起爆剤にしようと考えるとは思っていなかった清水さん。自分がそのおいしさの伝道師になっている今が不思議だとご本人もおっしゃっていました。お店の営業は現在、午前10時から夕方5時まで。水曜日と木曜日がお休みです。年末年始ですが、1月1日恒例の特別メニュー日の出丼の販売など、3が日は営業します。詳しくはホームページでチェックしてください。千葉県プレミアム食事券加盟店でもあります。ぜひこの機会に千葉県庁職員が他県の人に教えたい美味しい丼第一位の味、楽しんでくださいね。

https://www.shichibee.com/

第128回 冬の味覚 シャキシャキ食感「チンゲン菜」 

2022/12/23 UP!

今回は、日本の青梗菜の故郷をご紹介します。その場所は千葉県にあるんです。

日本で、最初に作り出したのが千葉県・柏の農家さんなんです! そのきっかけと農業の未来についてのお話です。日本で最初に青梗菜の生産を始めた西川ファームです。代表の西川圭二さんに、まずは、なぜ柏で青梗菜を作ることになったのか伺いました。

西川さん:柏で農業をやっている西川です。それで地域で指導農業士もやっています。中国野菜を軸にに一般野菜も結構作ってますね。ブロッコリーとかニンジン、大根、里芋、サツマイモとかもやってます。自分が中学生の時に父が日本で初めて中国野菜を始めました。柏のコックさんが、中国人の方がいまして、ほんで日本に来たら中国野菜がないから美味しい野菜が料理ができないとそういう話から父が興味を持って始めましたね。種をサカタに作ってくれと頼んで日本の気候に合うものを頑張って頑張ってサカタに作ってもらいました。自分の代になってから面積を増やしたかもしれませんね。契約で休みが無いんで休みがないってことは切らしちゃいけないから、それを切らせないってことはいっぱい作らなきゃ絶対繋がらない。だからいっぱい作りました。

お話に出てくる「サカタ」とはサカタの種でお馴染み、種苗会社では日本一のシェアを誇るあの会社です。地元のコックさんの要望で取り組んだものの最初は苦労したようです。そして青梗菜が生産できるようになると人気が出て他にもいろんな中国野菜を東葛地区のかなり広い面積で作るようになったそうですが、西川さん、一時は独占市場だった青梗菜について、こんなスタンスで流通させていったそうです。

西川さん:日本の青梗菜は千葉県柏市が発祥の地です。自分だけでやってても、日本の一般野菜にはなれないということでうちは包み隠さず誰にでも教えます。よく農家でね、教えない人もいるみたいですけど、私は何でも教えてあげます。幕張メッセで農業資材の展示会みたいなのもあるんですよ。そこに行ったとき、みかんの肥料に出会いまして、そのとき持たせてもらったらすごい軽かったんで、これはきっと美味しくなると思ったらそこの社長が調べたら、やっぱみかんに入ってるある成分が野菜を美味しくする成分があるってことで自分は「みかん野菜ブランド」で今出荷してます。機械で測るとよく味が変わるのがわかるっていうけど、不思議と機械で分かんないはずのすっきりしたというかがえぐみが消えていくんです。 広東料理だと聘珍樓さんの契約農場になってます。

新しい野菜を日本でも一般的な野菜にするためには、生産者を増やすべきと考えた西川さんの「中国野菜」は評価され、中国料理の専門店のほか、市場でも流通しました。このみかんの肥料にも代表されるような西川さんの味を追求する姿勢は、美味しい野菜を育て、「西川ファーム」の野菜は中国料理店だけでなく、イタリアンやフレンチ料理の有名店からも指名されるようになっていきます。

柏で美味しい中国野菜を生産している西川さん。病気で倒れられてから農業の方は3代目である息子さんについでもらい、ご自身は、今後進の育成に力を注いでいるそうです。柏の市役所で「農業をやりたい」と相談すると紹介してもらえる 「農業指導士」。どんなことをやっていらっしゃるのでしょうか。

西川さん:後継者を育成するのが主な仕事です。だから新規就農者なんか来ても割と成功する人が多いですね。だから売り場からトラクターから農機具から全部紹介してる。土地からね全部紹介してあげます。すっごいきつくて、ある人は西川さんが厳しく教えたから、自分でやっても全然辛くないとゆってる子もいます。新規就農者は、一人がものすごい確率で多いです。それをどうやって生活するだけの収入を上げてあげようか思うと、時間の使い方はものすごい大事です。だから「時間をうまく使うように考えてやんなよ」って、それはずいぶん言います。ほんでうちに来ればうちと同じ作り方をすれば絶対味は保証付きなんだからあんまり人の意見は聞かないで、そのまま行った方がいいよって。 あの、人がいれば面積いっぱいできるわけじゃないです。機械はものすごい大事。 だから、ブロッコリーなんか植えるのも全部機械。人をいっぱい使うなら高性能の機械を買った方が良いと思います。

今は西川ファームでの作業を息子さんが主にやっていらっしゃいますが、本当に時間をうまく使わないといけないので大変そうだとおっしゃいます。でも、自分もやってきたことなので、できないことでもないなとも思うそうです。農業の未来は明るいのでしょうか?

西川さん:(明るい未来は)農家が一番あるんじゃないかと思います。なぜかというと、平均年齢がもう普通の会社にいるんだったら、もう定年過ぎの年齢が平均年齢。ってことはあと10年後を考えたら、今農家やったらすっごい儲かるかもしれない。今、息子がものすごい広い面積に対応してますけど、今はなんでこんなにやんだよって思ってるかもしれないけどだから俺は常々自分の時代より息子の時代の方が儲かると思っています。 柏市我孫子市内に出してますけど、そこで「みかん野菜」を見かけたら私の野菜と思って味に保証はしますから買ってみてください。

ここに西川さんの名刺があるんですが、裏を見てみると読めない漢字の野菜がたくさん書いてありますが、これみんな「西川ファーム」で作っているんです。

柏で就農を考えていらっしゃる方、柏市役所に相談されると、西川さんをはじめとする「農業指導士」の方とひきあわせていただけるそうです。中国野菜、日本での生産のパイオニア、西川ファームのノウハウも学べるチャンスあるかもしれません。まずはおいしい「みかん野菜」ぜひ、柏・我孫子市内などで探してみてくださいね。

第128回 心も体も満たされる「宿 中屋」

2022/12/16 UP!

今週のテーマは「海辺で過ごす贅沢な時間」です。心も体も満たされる鴨川の「宿 中屋」さんをご紹介します。城崎海岸 天津小湊()温泉に昔からあるお宿です。

「宿 中屋」さんは、旅行業者など旅のプロが選ぶ「人気温泉旅館ホテル250選」に通算5回以上選ばれて、最高評価「5つ星」認定された、全室オーシャンビューのおもてなしの宿。8代目女将にお話伺います。

女将の中田淳子さんに、まずはこの土地とお宿の歴史について伺いました。

中田さん:天保年間から宿を営んでおりまして、160年以上の歴史を刻んでおります。代々、旅館を営んでおりました。日蓮聖人がご生誕されたのが小湊でございまして、その生誕の地として知られております誕生寺や清澄寺が古くから参詣に訪れる人も多く、そして名跡名称の地として親しまれて、お越し頂いた方が多かったようでございます。ここは漁業で大変栄えた街でございまして、あの漁業が終わって帰ってきた後に、まあ皆さん華やかな宴席を設けてくださって、芸者さんもたくさんいらして大変そういった意味でも栄えていたようでございます。

昔は芸者さんもたくさん集まっていたという中屋さんですが、昭和49年に現在の場所に移転し、木造3階建てから鉄筋コンクリートの近代的なホテルに変身しました。最初は周りにホテルもなかったそうですが、だんだんライバルが出現。建物も年月と共に傷み出して苦戦を強いられる日々が続いたそうです。そんなある日、大きな転機が訪れます。そのきっかけとなったのは意外なものでした。

中田さん:ちょっと低迷をしていた時期がございます。その時に、私の主人である社長、現社長なんですが「親父が、掘った井戸をもう一度調べてもらおう」と。先代が昭和58年に水道代倹約のために井戸をほっていてくれたんですが、その井戸は全く何も使わずにそのまましまっておりました。ただ、もう一度ダメ元で調べてもらおうと思っておりましたら、なんとその井戸が温泉だということが判明致しまして、そこから私どもまた温泉旅館として再出発できる時になりました。本当に「灯台下暗し」で、本当でもこれは本当ありがたいことだなと思って。それから少しずつ温泉宿として、ただ建物も古いし直さなきゃいけない部分がございましたので、とにかく温泉とあと居心地の良さ、そして料理はしっかりとご提供していこうと。大変料理は定評がありましたので、料理には原価を抜かずしっかりとご提供しようというところから、少しずつ少しずつですが、お客様のリピーターを増やして行く努力を続けていきました。

建物についても、コロナ禍の数年前、大宴会場を個室の食事処に改装したり、露天風呂付きのお部屋を整備するなど、居心地の良さをしっかり考えて少しずつ変えていきました。大切な人と過ごすプライベートな空間づくりが 時代にマッチしたんですね。こちらに写真がありますが、夕日を見ながらお風呂に入れるお部屋は大変人気なんだそうですよ。さらにお料理。高い評価をうけている調理長の佐藤義昭さんは、採れたてのお魚など地元の食材を使って見た目も華やかな美味しいお料理を一つ一つ丁寧に作っていらっしゃいます。

おもてなしの宿、「中屋」さんですが、お泊まりになるお客様の年齢層、だんだんと変わってきたそうなんですね、どのように変わってきたのでしょうか?

中田さん:元々は年齢層が本当に高くて、ほとんど平日だったらご年配のご夫妻しか居らっしゃらなかったようなところだったんですが、今は本当に年齢層はまちまちで、本当にお若いかたから本当にご年配の方、たくさん来ていただいてます。そしてまたこの頃は少しちょっと緩和されたためか四世代の旅行もだいぶ増えて参りました。コロナになる前は、やはり四世代のご家族が、やはり土曜日とか、そのひとときだけ・・介護施設にいらっしゃる方が呼び寄せて、そしておじいさまおばあちゃまとご一緒に曾孫さんとご一緒に住んでいただくご家庭のような場として、喜んでいただいていたのが、本当に目に浮かびますが。今はだんだん少しずつそういったものを増えて参ります。で、若い方たちもおかげさまでリピーターの方も増えて、ロケーションを見てホッとして、そして温泉に入って、そして美味しい料理を食べて、やっぱり「ここの料理、もう一回食べに行きたかったのよ」って言ってくださる方が大変多いということは、本当にありがたいことで調理場もそれだけ頑張ってくれております。

とにかく、このお宿に来たらリラックスして過ごして、いい気持ちになって帰っていただきたいというその一心でおもてなしをしていらっしゃる宿。最後に女将さんに、一番好きな景色について教えていただきました。

中田さん:お子様の頃にいらして、そして今現在、ご自分が親になって、そしてまた来たら、本当に変わらない中屋でほっとしたというお声をきいたりした時に、旅館冥利に尽きるなと思います。やはりこの一回こっきりでない、つなぐという気持ちを代々大事にして、そしてその後も大事にして行きたいなと思っております。ここの屋上から見る海が大好きですね。私はこうやっぱりこう清掃した後、お客様にちょっときてチェックして入ったりとか、時々見に行ったりするんですけど、見た時ああなんていい景色なんだろうと。胸キュンと言いますか?ああ、本当にいい夕日の後の残照がぽっとこう一番星が出るんですよ。そういうと毎回私感動。毎回感動してやっぱり一番好きなところは、この城崎海岸のこの海かなって思います。

取材に伺ったスタッフも、働いている皆さんも、女将さんと同じ気持ちでお客さまと接している、気持ちのいい宿だと言っていました。夕日と一番星、見てみたくありませんか?。「継続して評価されている宿」のおもてなしを実感されてみてはいかがでしょうか。

https://www.nakayahotel.com/
第127回:パン屋産が取り組むSDGs 川島屋

2022/12/9 UP!

SDGsに取り組むパン屋さんのお話です。どんなチャレンジをしているのでしょうか。ご紹介していきます。長い歴史をもつ千葉市にあるパン屋さん「川島屋」まずは「川島屋」について代表取締役社長・川島隆弘さんに伺いました。

川島社長:川島屋はですね。大正5年に創業しました。稲毛で和菓子屋として開業したのが始まりになってます。関東大震災がありまして、東京の方からパン職人さんが職を求めて来たということがありまして、その当時まだパン文化というのが千葉の方では珍しかったというのもありまして、私どものお店でその職人さんたちを受け入れてパンを作り始めたというのがきっかけというふうに聞いております。現在川島屋ではですね。パン事業と致しまして「マロンド」「石窯パン工房ルマタン」というブランドでもパン屋を行っています。それ以外に千葉県の学校給食パンとご飯の納入というのをさせて頂いています。またそれ以外に、お米をたきまして地元のスーパーさん、そういったところに納めるといったようなこともしております。その他に、乳製品の宅配販売事業というのもやっております。

 現在では千葉県内の学校給食のパンやご飯も提供していらっしゃるということは、「川島屋」さんと知らずにお世話になっているお子さんもたくさんいらっしゃるでしょうね

さて、歴史ある川島屋さんですが、今回のコロナ禍で学校が休校になったことで大打撃を受けることになります。いったい何があったのでしょうか。

川島社長:コロナ禍があり、学校が休校になってしまったということで、学校給食がなくなってしまった。工場自体、学校給食をメインに作業しているものですから、実際、学校給食で使う材料、これがやっぱり賞味期限を間近に控えるというものが出てきてしまったという問題があったそうです。学校給食のそういった賞味期限近い材料を、私どもの方で買い取らせて頂いてですね、それを学校給食パン」として販売の方をさせていただきました。「食パン」と「コッペパン」この二種類で作らせていただきました。食品を作るものとしては、やっぱりその食品がお客さんのところに行かずに捨てられてしまうというのは、やっぱり非常に悲しいと考えてますんで。そうなるのをやっぱりいくらかでも防げたらなというのは、やっぱり常に思っております。食材が無駄になって捨てられてしまうのは、やはり食品を製造するものとして見過ごせなかった、無駄にせずにすんでほっとしている、と社長の川島さんはおっしゃっていました。さて、県内を中心に、パンの製造販売などをされている川島屋さん。千葉市では個人や企業が持つものやスキル、場所などを、インターネットを介して提供したり共有したりする「シェアリングエコノミー」という事業を推進しているのですが、ある日、千葉市から「余ったパンでビールを作りませんか?」というお話がきました。「パンでビール?」戸惑いながらもさらに新しい取り組みにチャレンジしました。

川島社長:千葉市さんの方から「ヨーロッパの方でパンビールというものがある」と。幕張ブルワリーさんというビールを造っている会社さんがありますと、一緒にパンのビールを作ってみないかという話がありました。それが実際にね、ちゃんとビールになるのかというのは、正直、不安な部分が結構ありました。パンの味がしたかというと、あまりしなかったというところではあるんですけれども、ビール自体はあの幕張ブルワリーさんの力でも非常に美味しいビールになって、パンを材料にしてビールができるんだなというのは、もう素直にびっくりしましたね。ビールを作る時に沈殿物、ビールのオリというものが出るっていうことを伺いまして、パンの中に入れてパンができるんじゃないかなという風に思いましてですね。まあ、うちのほうでパンビールじゃなくて、今度はビールパンを作ってみようとちょっと考えました。結果的にパンにすることができました。循環型というような形で、いろんな一つの材料がですね、パンになったりビールになったり、またそれがパンになったりっていう形で、ぐるぐる回るというのは、ちょっと作っているこちら側としても非常に面白い取り組みだったなと思ってます。 

確かにビールの原料も、パンの原料も「麦」。できないこともないかなとは思うけど、日本ではあまり聞かない話ですよね。その「パン・クラフトビール」はクラウドファンディングのプロジェクトとして行われ、今年1月に完成しましたが、好評で売り切れてしまいましたので今日は残念ながら味わえません。でも味は大変良かったというお話でしたよ実は川島屋さんは、このプロジェクトだけでなく、以前から千葉県の生産者の皆さんと協力してフードロス削減に取り組んできていらっしゃいます。どんな内容なのでしょうか。

川島社長:リサイクル、弊社でも取り組んでおります。もう一歩先を進んで、フードロスであれば、捨ててしまうものを価値を高めて出すようにしようということで、私どもではそれを「アップサイクル」ということで、今取り組むようにしています。弊社では千葉県の飯岡の方で獲れますメロン。一般的に流通しないメロンというのも、やはり農家さん、生産者さんの中ではあるというところで、それをピューレにされていると。そのピューレを私どものほうでですね、メロンパンに入れて本当にメロンの果汁が入ったメロンパンと作っております。コロナ禍においては、千葉県のイチゴの観光農園さん、私どもそこになんか手助けできないかということで、いちごの方を引き取らせて頂いて、当社でジャムにしてジャムパンを販売したりということをっております。近々であれば。ワインのオリを使ってですね。これをパンにできないかとチャレンジ中です。皆さまのところに商品として届けられるように、今、頑張っておりますのでその時は皆さんよろしくお願いしたいなというふうに思っております。 

捨ててしまっていたものに新たに価値をつけて提供する「アップサイクル」へ。農家さんと、パン屋さんがタッグを組んだらフードロスも減り、新たな美味しいものも食べられて、一石二鳥。お話にあったいちご狩り農園さんも、コロナの時はお客さんが来られなくなって、いちごの行き先がなくて困っていようです。

 そして、お話の最後に出ていた只今試作中のを材料に取り込んだパンなんですがこちらも オリとして捨てられてしまうものをパンとしてアップサイクルする取組今回11月にイベントとして販売されました。いろんな人たちや業態の方々とコラボすることで、新しい商品を生み出し、SDGsに貢献していく。千葉県の食品業界、これからも注目ですね。

第126回 千葉のリトル海外 ワールドワイド 市川・行徳

2022/12/2 UP!

今週のテーマは千葉のリトル海外です。今日は市川市・行徳地区についてご紹介していきたいと思います。今回ご紹介するのは、市川・行徳地区。都心へのアクセスも良いこの地域は外国からいらした多くの方が住んでいることでも知られています。市川市役所の近くには「市川市国際交流協会」があり、そこで日本語教室委員会の委員長をされている近藤明子さんに、まずは市川国際交流協会の成り立ちについてお話を伺いました。

近藤さん:私が活動を始めた30年ほど前には協会もありませんでしたし、市役所の中に国際交流課というものがなかったんですね。外国の人たちからの「困っている」という声が、大きくなってきて、それを市の方に働きかけた時に「国際交流シンポジウム」というのを発足して、それの実行委員会に関わりました。 で、その後、市として都市交流を長くやっている国と市がありまして、そちらと都市交流の団体と自分たちで外国人と交流している日本語教室だったり、異文化交流だったりのグループ、在住外国人との交流をしているグループが集まって「国際交流協会」の前身の 「市川市国際交流協議会」というものを作ったんですね。まだ20年経ってないと思うんですけど、市川市国際交流協会になって、今にいたってます

実際に、どのような活動をされているのか、近藤さんに聞きました。

近藤さん:都市交流の方は、海外の都市との、、市民団派遣したり、高校生が来たり、お互いに交流したりっていうことをやっていました。で、ここの2年コロナでちょっと活動が、交流が止まってるんですけれども、それ以外の在住外国の人の交流では異文化交流ですとか、ホームステイホームビジットあとは外国人の人たちが自分たちで外国人委員会というものを作って、自分たちで情報提供、おしゃべりの場、憩いの場にしようっていうところもあります。日本のことを紹介するジャパンデイを全体でやったときもありますし、お国の紹介をしてもらうインターナショナルデーというのも、それぞれのゲストスピーカーを呼んで、その国のことを勉強させてもらったり。もちろん楽しくいろいろな国の料理を作って、みんなで食べようというワイワイやろうっていうそういうこともありますし。あと防災についても、積極的にいろいろやっているグループでもあります。 

コロナ禍の今は、料理を作って食べるというのは、残念ながらお休みということですが、大変活発にみなさん集まっているようです。おしゃべりサロンのような時間もあって、集まって色々といろんな国の話をする。楽しそうですね。。ところで、市川市の人口は50万人弱なんですが、2015年、外国の方はおよそ6500人ほど住んでいらっしゃいました。今、どのぐらいいると思いますか?近藤さんに教えていただきました

近藤さん:一番新しい2022年9月1日の数字で、えっと17,000人108カ国の人が市川に住んでいます。そうですね。ほかの外国人の集中都市と比べて、とにかく多国籍108か国もの人が住んでいるっていうのは、特徴的なものがあると思うんですね。アジアの人が多いんですけれども、ラテンアメリカ、アフリカ出身の人も非常に多い。あと、行徳に、ヒラーモスクというイスラムのモスクもある関係で、イスラムの人たちがものすごく多いです。民間のアパートが多くて、以前は古かったので、大家さんが外国の人にも貸してくださるっていう物件が多かったことで、とにかく住む所が安く済むところがあって、そこで頑張って仕事をして、日本でお金を貯めて家族を呼び寄せたっていうケースも多いと思いますし、公的な住宅があるわけではないんですけれども、民間の安い住宅で沢山外国の人が住めるっていう特徴があるのが一番じゃないかなと思います。国籍別にみると一番多いのが中国の方で6000人強で全体の3割以上。次に多いのが、ベトナムだそうです。中南米のペルーやブラジルの方、そしてアフリカ系の方も国が細かく分かれていますが人数は多いそうです。小学校や中学校でもクラスに数人は外国籍の子供がいて、日本人の子供たちと仲良くみんなで勉強しています。お互いにとって、これはいいことですよね。そして、行徳地区には、異国の食文化もたくさん入ってきているんです。

近藤さん:エスニックのグルメツアーができるぐらいあります。私がラテンアメリカの人と関わってた時代には、ラテンアメリカのレストランも食材店もあって、今ちょっと少なくなってなくなっちゃったんですけど、今現在、行徳ではもちろん、中華料理、インド、ネパール料理、ベトナム料理、フィリピン料理、いろいろいろいろ食べるところもありますし、その料理を作る食材店もたくさんあるので、日本の人も皆さん食材を買い求めて色々なエスニック料理楽しんでいると思います。違うものを食べてみたい、美味しいものを知ってみたい、こんな習慣があるんだ、って、習慣の違いを知ることで、こちらも面白いなと思うこともたくさんありますし。 30年やってると一番最初の教え子がもう大人になって、その子供の世話をするとか、立派な大人に成っているのを見るのもまたすごく楽しみですね。楽しく市川ですんでもらいたいな。そういった外国の人と楽しく、日本の人も子育てをして住んでもらいたいなと思っています。

行徳駅前には、イスラム教の方々が祈りをささげるための「ヒラーモスク」という教会があるという話が出ましたが、完成したのは1997年。それ以来、周辺には、イスラム教を信仰する方に向けたハラールレストランや、ハラールショップもできているそうです。このモスクも地域交流のひとつの拠点になっているんですね。子供のうちからいろいろな国の文化と触れ合えると、異文化への理解も深まるだろうし、ワールドワイドな視点が身につくかもしれませんね 。市川・行徳にそんな視点を持ってお出かけしてみてはいかがでしょうか?

第125回:館山炙り海鮮丼リニューアル!

2022/11/25 UP!

今日は今年10周年を迎えリニューアルした館山のご当地グルメをご紹介します。館山といったら、もう、海の幸ですよね?

とっても豪華でお得な「館山炙り海鮮丼」なんですが、予約でいっぱいになるほどの人気なんですね。

今日はその理由に迫りたいと思います。

館山の「炙り海鮮丼」です。実は10年前からあるご当地グルメで、召し上がったことがあるリスナーの方もいらっしゃるかと思います

が、今年リニューアルして、さらに豪華になったということなんです。まずは 館山市新ご当地グルメ推進協議会会長の小金晴男さんに、どういった思いでこの海鮮丼を作ったのか伺いました。

   

小金さん:館山の小金はるおと申します。館山市新ご当地グルメ推進協議会の会長を務めさせて頂いております。

小さい民宿旅館、あるいはホテル勤めが経験値で長くて、じゃあ館山においでになるお客さんが、何を求めて、またなんの観光ということで、若い頃からやはり一つの課題がありました。その中で、やはり館山は魚種の多いところなんですね。これをやはり私どもお客さんに食べさせてあげたときに、あ、こんなオイシイのがこの館山にあるのか? そのひと言で、わたし、この魚をお客さんに提供できれば、館山のその観光の価値っていうんですかね。わざわざ来てもらえるような価値が得られると、そんなことを思って。館山は食にあると。そんなことでどこの旅館に来ても飲食店来てもいい味が出せて絶対当たりはずれのない店づくり観光地づくりがやはり一番必要かなと思いまして、まあ、こういう協議会を設立したって、そんな考え方ですかね。

館山炙り海鮮丼は、特製の3段重ねのどんぶりで提供され、見た目の豪華さも特徴のひとつです。現在の海鮮丼は、「炙り海鮮」「お刺身&カルパッチョサラダ」

「海鮮押し寿司と野菜巻き寿司」が入って、税込二千五百円。その人気のほど、評判を 館山市役所・食のまちづくり推進課の矢代まことさんにお話を聞いています。

矢代さん:令和4年10月の頭の今の現在ですけれども、126,000食を超えて提供しております。年間1万食を超えるペースでこれまでずっと売り続けて、またくさんのお客様に楽しんでいただけたという形ですね。リピーターが、、、現在、半数近くの方がリピーターですけど、一番多いリピーターというのが、4回以上食べているという、かなりヘビーユーザーの方が多いというのが特徴ですね。これを食べて文句が言えるのは量が多すぎるということだけで、他に文句が出るような商品ではないと思います。これがお得じゃなかったら何がお得なのかなっていうぐらいですかね。

この館山炙り海鮮丼は、実際館山に行かないと食べることができないんですが、これはわざわざ足を運びたくなる豪華さですよね。

内容は季節などによって違いがあるそうです。今までのお客様の感想、調理場からの意見などをもとに、より楽しめる内容になっています。実はこれ市内4か所で提供されているんですが、それぞれに違う魚が出ていたりするんだそうです。館山炙り海鮮丼のルールを小金会長に伺いました。

小金さん:館山炙り海鮮丼はですね、まず館山は南総里見八犬伝で、八人の武士がいて、じゃあ魚で8種類揃えて南総里見八犬伝にちなんで、8種類魚が揃えられる街は館山だと。それだったら新鮮な魚8種類。でも今日は今日、明日は明日で漁によって違いますんでね、その時の最高の魚を提供できるっていうのが非常に受けましてですね。8種類1回で食べられるわけですから。それと同時に「炙り」っていうのは、生だけじゃなくて、ちょっと炙って火を通してあげるとか、またお寿司にしたりとかね。生で、そのまま食べられるとか、そういうその魚もいろいろな味わい方をできるっていうことが、この館山新ご当地グルメなんですね。はい、4か所の今、ホテル旅館が2軒、飲食店が2軒と4か所で召し上がれるようなスタイルになってます。 

バラエティに富んだ豪華なメニュー、宿泊のお客さんからは「お酒と一緒に、夜いただきたい」という声もあるそうなんですが、ランチタイム限定なんです。どのくらいお得なのか伺いました。

小金さん:いろいろリニューアルしてきて、2500円というお値段でやらせていただいてますが、これはもう原価割るっていうわけじゃないんですけど、もう限定食、20食ぐらいしか提供できないんですよ。正直。でもやはり「これを食べてください。館山を知ってください」ということで無理無理その4軒にお願いして、また、あるいは全国のご当地グルメを監修してるヒロ中田が、館山は少し異常だと。原価かけすぎですよ。でもやろうと。ですから、私、お客さんがね、まあなんかの機会できたら、必ず食べていけば、笑顔で帰れる商品は私はこれしかないと思って。でもでもやはり各のお店にはね、すごく負担かけました。でもよくね、10年頑張ってくれたなと思ってね。また、それをお客さんもね、足繁く大勢、いらっしゃる。そんなことで、やりがいある商品だなと思ってますから。この炙り海鮮丼は食べないと損しちゃうじゃないけど、ぜひおいでいただくような商品だなと思ってます。

全国のご当地グルメを監修している人から「原価かけすぎで異常だ」といわれても、皆さん がんばって続けていただいているのはありがたいことです。

会長のお話に出てきました、ヒロ中田さんは、旅行雑誌の制作などに広く携わってきて現在は全国各地のご当地グルメのプロデュースも数多く手掛けていらっしゃる方。今回の館山炙り海鮮丼リニューアルにも参加されています。そんな方がいうんですから、相当ですよね。館山の皆さんの気合や地域を盛り上げようという強い気持ちも感じられます。

館山炙り海鮮丼」はランチタイムのみの提供で、数に限りがあります。日にちによってはかなり早いタイミングで予約が埋まってしまうという事なので、予定を立てたらお早めの予約をおすすめします。「館山炙り海鮮丼」で検索すると詳しい情報が出ています。

館山炙り海鮮丼の詳細はこちら→https://www.tateyama-gourmet.com/

     

第124回 千葉劇場

2022/11/18 UP!

今回ご紹介するのは、千葉市中央区中央にあるミニシアター 千葉劇場です。 支配人の鴫原さんに、その歴史を伺いました。

鴫原支配人: 簡単に千葉劇場の歴史をいいますと、1913年頃に千葉県千葉市蓮池地区に千葉演芸館というものを前身として開園しております。その後、戦争等があって詳細が不明ではあるんですけれども、1994年に現在のビルの二階にオープンする形になって、現在につながっております。(映画がかからないときには)演芸館という名前でございますので、プロの方が実際に演奏したものを楽しんでいただいたりとか、いわゆる演芸を楽しんでいただいてたものと思います。昔ながらの映画館になっておりまして、今は一つの建物に複数のスクリーンがあることが一般的かと思うんですけれども、一つの建物の中に一つのスクリーンしかない映画館になっております。座席数に関しましては110席を用意しております。

現在「千葉劇場」は千葉市中央区にあるビルの2階にあり、1日3~4作品を上映しています。どのような作品を上映しているのかをお話しいただきました。

鴫原支配人:毎週一本、新しい映画をお客様に届けられるようにというふうに上映作品を組んでおりますので、年間50本以上は新しい作品を上映しております。他の映画館・・・現状みなさんがよく行くような映画館と比較しますと、どうしても1スクリーンということもあって、周りの映画館と同じ上映作品を上映したとしても、なかなかお客様に来ていただけないのではないかな、と考えておりまして、東京で10スクリーンとか、日本全国で10スクリーンとか30スクリーンぐらいでしか公開しないような「ミニシアター」と言われる作品を選ぶことによって、地域のお客様に遠方まで行かなくても、良質な映画を楽しんでいただけることを心がけております。

 

歴史あるこだわりのミニシアターとして多くのファンに愛されてきた千葉劇場ですが、今回のコロナ禍では休業を余儀なくされます。昨年10月頃から全席販売など通常営業が再開したものの、一度離れてしまったお客様はなかなか元通りとはいきません。そんな状況を打開するべく、今年の4月、ある噺家さんからのお話で、あらたな取組みがはじまります。

鴫原支配人:春風亭昇太さんのお弟子さんである春風亭昇咲さんから映画館を使って落語ができないかというお問い合わせがありました。映画館で落語って本当にできるのかなっていう不安はもちろんありました。千葉劇場で目的としている落語が達成できるのかどうか、下見をしていただいた結果、問題ないということだったので、じゃあぜひやりましょうっていう答えに至りました。劇場としてもやはりチャレンジしないとっていうところと、なかなか映画だけだと、映画の数字も、コロナの影響で、回復してきてないところもありましたので、このままやってても何も改善しないんであればいいタイミングなんで、新しいことに挑戦したいなって思った時期でもあったので、このタイミングでやってみようと決意しました。印象としては大成功でした。普段千葉劇場に来てないお客様が、落語が見たくて千葉劇場にお越しいただくということもあったので、お互いにとって非常にメリットがあった落語になったのかなというふうに思っています。満席になっております。映画館ってなかなかこう映画を見ながら面白いシーンがあっても、なかなか笑い声が出せない環境だと思うんですけれども、落語会の時にはお客さまが非常に大きな声で笑ってらっしゃって、なんとなく少し違和感を感じるぐらい盛大に行えたのが良かったかなと思います。楽しかったよって見終わった後に言って頂けるのは、映画のいいところではあると思うんですけれども、こういったそこでしかない、リアルタイムでお客様の反応を見れるっていうのは非常に良くて、ああ、本当にこれ楽しんでいただけてるんだなあっていう実感できる場であったかなと思います。

千葉劇場は映画専用シアターですから、舞台はあるものの奥行きが1メートル足らずと短く、落語会開催は難しいのではないかと心配したそうですが、春風亭昇咲さんは「これだけあれば十分です!」と言ってくださったそうです。結果、大成功を収めた落語会。改めてエンターテインメントについて考えた鴫原さん、千葉劇場のこれからについてもお話くださいました。

鴫原支配人:落語だけではなく、ライブ感溢れるイベントを積極的に行っていきたいなというふうに考えております。まんべんなくお客様がおかけになられて、皆さん一体になって笑っていただけるっていうのを考えると、110席っていうのは非常に良いサイズなのかなというふうには思います。 やはり近郊の皆様に東京までいかなくても、良質な映画を届けるというのが、千葉劇場の求められていることなのかなと勝手に思ってますんで。それを継続できるように、努力して行きたいなというふうに思ってます。千葉劇場と調べていただければ、今後の上映予定作品や上映時間などがご確認いただけます。 

こだわりの映画作品の上映やライブ感たっぷりの落語会。その他にもいろいろなことに挑戦して私たちを楽しませてほしいですね。歴史あるミニシアターならではの挑戦、私たちも応援していきましょう。ぜひ一度 足を運んでみてください。

※ 第3回の落語会が決まりました。詳しくはこちらをご覧ください。→https://cinemax.co.jp/chibagekijo_rakugokai/

※映画の上映スケジュールはこちらから→https://cinemax.co.jp/movies-showtimes/

第123回 ホキ美術館

2022/11/11 UP!

今週のテーマはミュージアムです。

 今回は、千葉市緑区にあります、ホキ美術館をご紹介します。こちらは日本初の写実絵画専門の美術館。最寄りの駅はJR外房線の土気駅。「あすみが丘東」という住宅街の一角にあります。緑豊かな公園「昭和の森」の近くにある、ユニークな外観で人目をひく美術館です。

写実絵画とは、油絵、アクリル、テンペラなどの技法を駆使して、見たままをそのまま忠実に描くことを基本にした絵画です。まるで写真と見紛うほどのリアルさですが、写真とは違う表現であり、ありのままを描くことを基本に、それ以上の存在を描きます。画家が描く対象と深く向き合い、長い時間をかけて、コツコツと描いたからこそ、対象の本質や思いまでも感じ取ることができるといいます。

ホキ美術館には、その写実絵画がずらりと並んでいます。まずは館長の保木博子さんに、この美術館ができたいきさつを伺いました。

   

保木館長:ホキ美術館の館長をやらさせていただいております保木博子と言います。父(故保木将夫氏)が写実絵画のコレクションをずっとしておりまして、だんだんだんだん家の壁が足りなくなってきて、じゃあ隣におうちをひとつ買って、そっちをコレクションハウスにしようということで、コレクションハウスを作ったんですけれども、そうするとだんだんほかのお客様にも見せたくなってきて、それで「じゃあいっそのことオープンハウスしてみる」みたいな感じからオープンハウスを年に一度することになりました。最初は20~30人だったお客様が、ある時、はっ!て気がついたら1000人を越えていたので、これはもし何かあったら大変なことになるから、これはちょっとお休みしましょうっていうことで。そうですね、3年ぐらいやった時ですかね、休みました。もうオープンハウスがなくなるんだと私は思っていたのですが、父がやはりどうも美術館構想を頭の中にその頃から思い描きはじめまして、美術館を作るっていうことにだんだん方向性が向いてたっていうことですかね。

館長のお父様である保木将夫さんは、医療機器メーカー・ホギメディカルの創業者。ホキ美術館の初代館長でもいらっしゃいます。個人のコレクションが1000人もの人を集めるほど魅力的なのもすごいですけれど、美術館を作るときにも保木さんのさまざまなアイディアが生かされたそうです。細長い箱に四角い大きさの違う箱が組み合わさっていてその一部は宙に浮いているように見える斬新な外観の美術館はこんな風にできていったそうです。

保木館長:観光地にあるような美術館を作るんだろうっていうふうに思ってたんですね。そうしましたところ、父が自宅の近くで作ればいいんじゃないかっていうことを言いだしまして。じゃあ自宅の近くで土地を探そうって言った時に「あすみが丘東」が造成するちょい前ぐらいだったので、そこならまだ土地があるんじゃないかっていうことで、ここらへんで土地を探し始めました。そうすると、昭和の森の中を駐車場に向かう道があるんですけれども、そこを車で通った時に「この建物絶対入ろう」と思う建物を建ててくださいっていうのだけが、コンセプトとしてあって。依頼事項はそれだけで、ほかのことは何も依頼しなかったんですね。それで半年ぐらい経ったら、なんかちょっと変な格好してるものができそうだぞっていうのがわかり始めて、その後「えっ?」て思うような建物ができてました。まさかこんな格好してると思わなかったです。やっぱり四角いものだとは思いませんでしたけど、若干なんか凹凸があるんだろうと思ってましたけど、こういう回廊型の建物になるとは思ってなかったです。

基本の設計が終わって、まず、出来上がってきた模型を見たときも、博子さんは「随分と変な形」と思ったそうですが、お隣にある「昭和の森」との調和や、住宅街であるための高さの制限なども考えられています。

この設計・建築に携わる全員が「写実絵画を快適にみられる環境」にこだわり、「人生の中で1度あるか、ないかくらいの貴重な美術館を建てるチャンス」に向けて、アイディアを練りに練ったそうです。

そんなホキ美術館、2010年に開館して順調に営業を続けましたが、令和元年、最大のピンチが美術館を襲います。突然の災害が美術館を襲い、その影響は今も続いているといいます。

保木館長:(令和元年)前の二回の台風の時も大雨がずっと続いてたんですけど、三回目の時に線状降水帯というあれがちょうどここの緑区の上をずっと停滞していたものですから、うちが水害にあいまして。地上一階地下二階なんですけれども、地下二階部分が1mほど水没してしまいました。地下二階のすぐ下あたりに収蔵庫がありまして、収蔵庫の中はもう5日間ほどそのドアが開けられない状態になるほど、水がなかなか引かなくて、絵が百枚ほど水没してしまいました。どうしようって思いました。水が引ければ元に戻るような気がしてたんですけど、修復士の先生に「何をすればよろしいんですか?」ってお尋ねしたところ、「水で洗ってください」とかいろいろなことを教えていただいたんですけれども「そんな甘くありませんから」って言われて。その倉庫のドアを開けた時に目の当たりにしたっていうことですかね。

 土地の傾斜の関係で地下に水が流れ込み、5日後にやっと倉庫のドアを開けたとき100枚の絵は泥まみれになったり、沈んでいたり、浮いていたり、全てが散らかって惨憺たる状況だったそうなんです。絵の修復士の方からのアドバイスで、まずは水洗い。ついたゴミや泥を流し、乾かして、燻蒸(薬剤を気体の状態にして浸透)して消毒していったそうです。

保木館長:燻蒸まではして、そのあと修復したりとか、額を作ったりとかっていうのを、まだ額に入ってない絵っていうのが半分ぐらいありますので、これからもまだ作家さんと相談したり修復士の先生と相談しながら絵を直し、額を作りっていうことをしていかなきゃいけないっていうのが現実です。駄目になっちゃった絵っていうのもあるので、作家さんたちともそういうことを色々話し合って、作家さんも、うちを盛り上げてくれようとしていらっしゃる方たちもたくさんいらっしゃるので、そういう方たちは対策とか「自分がこういうを絵を描きたかったから描いてもいいか」とたくさん作品をあげてくださいますし。あと、水害にあった絵を修復するとこうなるんだよとか、修復途中で、こういう状態からこうなってこうなって修復していくんだっていうことも、何かの機会でお見せできればいいなあというのはございます。

11月18日以降、新しい展示も始まりますので、その時にまた来ていただけるとありがたいですよろしくお願いいたします。

 ホキ美術館は、この水害で9ヶ月間、休館を余儀なくされました。建物の復旧、そして今も続いている作品の修復作業。作品に新たに筆をいれるということはオリジナルとは変わってしまうことになりますから、「手直ししたい」「そのままで」など、作家の皆さん全員に連絡をとって確認をしながらその想いを最優先に作品の修復作業は現在も続いています。

「写実絵画」は特別な知識がなくても入っていける絵画作品ともいわれます。まずはぜひ美術館で、その魅力を確かめてみてください。館内にあるイタリアンレストランの窓から望む豊かな森の景色と絵画鑑賞をセットで楽しむのもおすすめです。

11月13日までは色をテーマにした「いろいろ色の魔法・・・色から見える写実展覧会」を開催していましたが、11月18日からは「レッツトラベル」と題し、旅をテーマにした企画展が開催されています。

また、ホキ美術館では写実絵画作家の発掘と写実絵画の発展を目的として3年に1度「ホキ美術館大賞」を開催していますが、次回の受付は来年の7月からスタート。現在は41歳以上の作家の方を対象とした「ホキ美術館プラチナ大賞」の応募作品を募集しています。こちらの応募期間は2024年7月まで。入選作品はホキ美術館で展示されるそうですよ。

ホキ美術館ホームページ

ホキ美術館 ベースデータ ※変更になる場合があります。ホームページでご確認ください。

所在地: 〒267-0067 千葉県千葉市緑区あすみが丘東3-15/電 話:043-205-1500

営業時間:午前10時~午後5時30分(最終入館 午後5時)※要事前予約/休館日:火曜日

第122回 「順天堂大学陸上競技部」

2022/11/4 UP!

11/6には、ちばアクアラインマラソン2022が4年ぶりに開催されました!

ジョギングするのにも気持ちいい時期にまりました、駅伝もまさにシーズン真っ最中。お正月には箱根駅伝を必ず観ているって人も多いのではないでしょうか?

その強豪校の一つ、順天堂大学は、印西市のさくらキャンパスに練習拠点があります。

順天堂大学陸上競技部は、箱根駅伝98回の歴史の中で63回出場。往路優勝8回、復路優勝9回、総合優勝11回。今年の箱根では準優勝を果たしています。年明けも期待が高まりますね!今回は、そんな順天堂大学の陸上競技部をご紹介していきます。

JR酒々井駅から見える小高い丘の上に校舎で、陸上競技部の監督代行をされているスポーツ健康科学部の仲村明准教授に順天堂大学とスポーツとの関係について伺いました。

仲村さん:仲村明です。長距離種目を担当させていただいているんですけれども、今年度から陸上競技部の監督代行として、まあ全体を統括する役割を果たしています。(自分は)箱根駅伝四回出場しまして三回優勝で実業団に進んで世界陸上ユニバーシアードっていうところで3000mスティープルチェイス(障害)っていう種目に出場しています。順天堂大学は医学部からスタートしまして、医学部は怪我を治す病気を治すっていうところだったんですけれども、人の健康を支えるものは何だろうということで、体育ということで、体育学部っていうところが医学部と体育学部という両輪でスタートしました。その後、改組いたしまして現在この印西市でスポーツ健康科学部と言うところで、学生たちが勉強をしています。スポーツを通じてトップアスリートを目指す学生、それを支える学生社会に健康増進というところで寄与すると言う学生を育てていくっていう、そういう学びができる大学になっています。

順天堂大学の基となったのは、幕末の蘭方医、佐藤泰然が佐倉につくった医学塾。当時は「西の長崎、東の佐倉」と並び称されていて、全国から医学を学びたい若者が集まっていた。それにしても、監督代行の仲村先生、ご自身も順天堂大学の駅伝選手として「3回優勝」は素晴らしい成績です。

市立船橋高校から順天堂大学へ進み、社会人では富士通で活躍されていました。高校時代には、当時教員だったあの「小出義雄監督」の指導を受けられたそうです。

さて、現在の順天堂大学の陸上競技部は部員が338人。短距離、中距離、長距離やハードル、走り幅跳び、ハンマー投げなどの種目に学生たちが取り組んでいます。陸上競技というと基本的には個人で取り組むイメージがありますが、実は、大学ならではの特徴があるようなんです。

仲村さん:陸上競技は基本的には「個人スポーツ」っていうくくりになると思います。ただ、大学スポーツとしての陸上競技になりますと、対抗戦であったり、インターカレッジであったりっていう部分で一つの種目で得点を積み重ねていって、3日間の戦い抜いた末に点数で総合が競われるというような種目になります。駅伝だったりリレーだったりっていうのは襷やバトン、そういったものを介在して、まあ一緒にがんばろうと言うことは、チームの意識を作りやすいんですけれども、競技を一つ一つ完結して行く中で、自分が頑張った頑張れなかった、それをカバーして行く一つ一つの種目の積み重ねっていうところがすごく、高度なチームプレーだと。みんなが共有する、それを支える周りにいる代表になれなかった選手も、マネージャーやトレーナーも、みんな、そういった思いのもとでチーム一丸となって戦っていくっていうスタンスが、根強く順天堂にはチームの一体感っていうところを感じられる部分が非常に多いかなというふうに思います。

 競技に出る選手だけではなく、マネージャーさんやトレーナーさんのいろいろな思いや気持ちが重なって、強いチームになっているんでしょうね。大学の限られた時間の中で共に過ごして得られる経験は、何ごとにも代えがたいですね。

現在この300人を超える大所帯を率いているキャプテン、佐田征義さんにお話を聞きました。佐田さんは今年9月に行われた「全日本インカレ」という、全国から陸上の強豪校が参加する競技会に特別な思いがあったそうです。

佐田さん:順天堂大学陸上競技部の主将をやっております佐田征義と申します。やはり順天堂となると、このインカレで勝つっていうところをとても重要にしていて、歴史から見ても、そこはとても大事なところになってくるんで、そのインカレで勝つチームを作るっていうところを、僕の大学陸上の一個の目標としてすべてを捧げようと思っていたので、全日本インカレで総合優勝することができたので、順天堂で陸上ができてよかったなというふうに思っています。 あの全日本インカレのーヶ月半前にけがをしてしまって痛みが全くひかない状況だったので、出場できて十種競技をしっかりやりきれるのかなっていうところはこう不安視してたんですけど、あの順天堂には、入れ替わりでドクターの方がいらっしゃっていて 本当にギリギリにはなったんですけど、半ば

諦めていたその怪我痛みによるその競技に対する気持ちも、そのいろんな先生方の支えもあって、出場することができたのが、本当に順天堂で陸上ができてよかったなというふうに思います。

佐田主将がやっているのは10種競技と呼ばれる、さまざまな陸上競技を行なってそのトータル点数を個人で競う種目。中学・高校でも同様の競技で全国1、2位を争ってきて、大学でも活躍していましたがインカレ直前で怪我。モチベーションを保つのも大変だったとも思うのですが、なんとか10種目をこなせたことでポイントもとり、優勝につながったそうです。これも順天堂大学ならではの医学部との協力、ドクターによるサポートなどがあったからこそなんですね。強さの秘訣は、チームにあり!順天堂大学陸上競技部、応援したくなりました!最後に、多くの学生を指導している仲村先生に、生涯スポーツとしてのランニングの魅力をお話いただきました。

仲村さん:長距離ってやれば、力がつきやすい種目で、逆にやらないとすぐ落ちてしまう能力なんですね。最初の一回、二回目はやっぱり走っていると、息が苦しいとか、足がつらいとかいうことがあるんですけれども、それを二回三回っていうふうに繰り返していくと、走ることに対して慣れが生じて「あれ私なんか前よりも速く走れるようになった」とか「長く走れるようになった」っていう気づきが生まれて、もっとそうなりたいっていうような思いが出て来ると、これが持続性につながって、気がついたら、あのたぶんジョギングとかランニングにのめり込んでいくということになるんだと思います。中高年になっていくと、少しずつ衰えていくような、ちょっと残念な気持ちの部分を、元気にさせてくれるでは無いですけど、そういうことをやって自分が前の自分よりも今の自分へ、そして未来の自分、というところにつながっていくことが、面白みにつながるんではないのかなというふうに思います。気が付いたら成長しているということにつながっていくと思いますので、生涯スポーツとしてはいい運動種目だと思いますので、ぜひ皆さんにやっていただければなというふうに思います。

佐田さん(左)仲村准教授(右)

自分がステップアップできていることが実感しやすい、というランニング。

みなさんもお近くの公園やランニングコースなどで、少しずつ、はじめてみてはいかがでしょうか。

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