三方を海に囲まれる房総半島に位置する千葉県。
首都圏からのアクセスもよく、
通勤圏でありながら海や里山の豊かな恵みをあわせもち、
自然とともにある生活を楽しめるエリアです。
そんな「千葉の魅力」を支えるさまざまな活動や
想いムーブメントなどにスポットを当て、
現地取材の声も通して「魅力あふれる千葉」をご紹介していきます。

毎週月~木 18:35頃~「YOU 遊 チバ」はこちら
※「YOU 遊 チバ」は、ミンナノチカラ~CHIBA~と連動し週ごとにさまざまなテーマで千葉の魅力をお届けしているコーナーです。

Every Fri. 18:45~18:59

第59回:千葉県で盛ん「障がい者スポーツ」

2021/8/20 UP!

東京パラリンピックがもうすぐ始まります。

今回は、千葉県でも盛んな障害者のスポーツのキーマンにお話を伺ってきました。千葉県知的障害者、スポーツ協会理事長の生駒三男さんです。生駒(いこま)三男(みつお)さんは、障がい者スポーツ大会の前身「ゆうあいピック」の立ち上げから長年、知的障がい者スポーツの指導・普及に努められた方で、今まで多くの国内、国際大会で監督・団長などを歴任、パラリンピックの陸上競技の監督も務められてきました。

まずは生駒さんと障がい者スポーツとの出会いについて伺いました。

「私が昭和58年に千葉県富里市にございます「富里福葉園」の指導部長として招かれたときに、そこは就職を目的とする知的障がい者の施設でした。知的障がいを持つお人達は1年以内に就職をしても、リタイアする人たちが50%以上いると言う事を聞きました。そして調査をいたしますと「体力がない」というところに行き着いたわけでございます。そこで「楽しく体力を作る」。その当時の施設というのは、「生活指導」と「作業指導」が主なカリキュラムになっておりました。そこに3本柱として「体力づくり」を加えて目的を達成したいというふうに考えました。」

生駒さんの場合は、知的障がい者の体力育成のためスポーツをというのが始まりだったんですね。

でも、スポーツを教えようと思った時、いろんな壁があることがわかったそうです。

「ソフトボールも千葉県で最初のチームとして完成された施設でございますけれども、ちょうどバザー品で出てきました公認のソフトボールとか、あるいはグローブがありましたので、手にはめて「とってごらん」って言って投げる動作をしたら、石でもぶつけられるんじゃないかというような身構えをする恰好をされました。これは、私が個別が分かっていなかったんだなと思いまして、すぐ和菓子屋さんに飛んでいきましてビニールでくるんだ おまんじゅうを買ってきまして、本当に近い距離で素手で「5回とったら食べていいよ」っていうふうにして投げると綺麗に取れるようになりまして。「あ、取ればいいんだ」と言うことも覚えながら第1歩はそういう簡単なものから、できるものから、知っているものから、というような指導方法をとりましたところ、千葉県で最初のチームが完成を致しました。今では千葉県チームは、全国障がい者スポーツ大会の優勝経験もある日本のトップレベルになっておりますが、できたての頃は(対戦相手を)小学生の、今回は4年生でお願いします。或いは5年生でお願いしますというような形でやるようなチームからスタートでございました。」

私たちも、もし野球のルールを全く知らなかったら、同じことになっているでしょう。生駒さんの最初の頃の努力に敬服いたします。

お饅頭投げるところから始まって、全国制覇まで行くなんて、すごいですよね

その後、スポーツの種目は広がり、多岐にわたっています。

今では陸上競技100メートルを10秒台で走る選手もいるそうですよ。1989年、カナダ・バンクーバーの国際マラソン大会には生駒さん率いるマラソンチームの2人が招待選手として参加し「知的障がい者フルマラソン」で、当時の世界最高記録を樹立し、世界中の障がい者スポーツ関係者に驚きと喜びを与え、大きく報道もされました。(その時の写真が、上記のチーバくんを抱いている生駒さんの写真の後ろのモノクロの写真です)1994年には第1回パラリンピック世界陸上大会にも日本から陸上選手が身体障がい者の方とともに参加。1995年の福島国体では冬のスピードスケートで知的障がいのある選手が県代表選手として一般選手に混ざり選出されました。体力づくりからスタートしておよそ10年で世界レベルすごくないですか?生駒さんが取り組みをはじめてから、知的障害者のスポーツの輪、そして 実力が格段に上がりました。

ここまで、広がってきた障がい者スポーツ。その指導にあたり、生駒さんはいつも心掛けていることがあるそうです。

「知的障がい者のトップアスリートはね、記録で本当にあのプロのように実業団に雇っていただいて、陸上をすればご飯が食べられると言うような人たちも本当にわずかですけども今出てきました。しかし、大多数は、体力をつけて、スポーツを楽しみながら、それが就労にもつながっていく、それから自分が生きる上でも非常に役立ってくる。健康を増進していく。そういったような中で、ほんとに、レクレーション的スポーツを例に挙げれば「パン食い競争をやりますよ」と言えば、千葉県でも寝たきりで無い限りの大半の人が参加してくるんですね。それには徒競走の要素も入りますし、それからまた出ようというような積極性も持ってくる。そうしたことからですね。生きる上でですね、必要なことをたくさんスポーツが与えてくれるって言うことですね。ですから、それぞれに合ったスポーツ・・・ただ1秒速く走ったらどうだ というような競技的なスポーツだけではなくて、人間らしく生活をエンジョイしてゆくような身体づくりをしていこう体力作りをしていこう、精神作りをしていこう、というようなことで役立っていただきたいなという風に思っております。」

スポーツだけでなく、そこからどう生きていくのかということまでをしっかりと見据えているんですね。

スポーツをしていくことで、みんな表情が明るくなっていくそうです。顔も下を向いていたのが、視線が上がって、しっかりと前を見つめていけるようになって、体力だけじゃない いろんな効果があるというのをずっとみてきたという生駒さん。皆が前向きになっていく姿をみて、こっちも元気になれるんですとお話しくださいました。これからもサポートを通じて、多くの人に希望や勇気を与えてもらいたいですね。

お話ありがとうございました。

第58回:未来に受け継ぐ伝統の技「行徳神輿」

2021/8/13 UP!

今週は『未来に受け継ぐ伝統の技「行徳神輿」』について、神輿の製作、修理などをされている中台製作所の中台洋さんにお話を聞いてきました。もともとは3つあった行徳地区の神輿製作店さん、今は中台さんのところだけになってしまいました。今もつながる伝統の技やお祭りについてなどいろいろな想いを聞きました。

「やってることは宮大工さんに近いんですけど、扱っているものが建物じゃないので、小さいんですよね、簡単に言うと。宮大工さんは大きな建物をつくる、我々は、小さなやしろを作っているということで、あの道具もなので、大きい道具はあんま使わないですよね。神輿はもう単純に神の乗り物なので、御霊を移してね、氏子、地域を巡行するっていうのがメインの役割なので、それはもう昔から変わってないんですけど、それ以外にやっぱり地域の人々がお祭りっていうもので、ひとつになれるっていうことは、世代を超えて非常に地域のコミュニケーションツールとして、私は非常に、重要な存在ではないかなというふうには思いますよね。」

皆さんは、御神輿が担がれて街を練り歩く姿を見たことがあると思います。大変賑やかで、活気にあふれていますよね。「祭りの季節だな」と感じる方もおられるでしょう。中台さんは、その御神輿自体について、こんなふうにお話しされています。

「僕は神輿担ぐのもそうなんですけど、お客様にも言うんですけど、やっぱりそのつくりを見てもらいたいですよね。

彫刻とか、歴史を反映していることもあるし、やっぱり古くて豪華じゃないんだけど、その時代を反映して、その時代によくここまで作ったなって言うものもあるし。

だから本来はそのお神輿が渡御をしているところだけじゃなくて「神酒所」って、いわゆる担ぐ前に、お借り屋みたいな所にしまってあるのを、やっぱそばでまじまじと、あの神輿を見てほしいなあと思いますね。ありますよ。本当に昔の作りで何だろう?これってよくこんなのやったなあっていう。一年以上かかっただろうなっていう作りをしているものもあれば、その当時、お金が凄いあったのか、それは分からないですけどね。無い中でも、それだけやっぱりその神輿に対してお金をかけちゃおうっていうのが、やっぱり 信仰心の現れだと思うんですよ。だからやっぱそれは地域の力ですよね。」

神輿とは、その字が示す通り、神様の乗り物です。夏の終わりや秋に、その年の農作物がちゃんと出来ているのか?地域の人たちは健康でいるのかなど、地元の神様が、御神輿に乗って地域を見て回る。今でいう、視察のようなものでしょうか?ですから、神様への感謝の気持ちが御神輿の作りにも反映されているんですね。

御神輿は地域の結束力の象徴なんですね

中台さんは、中台製作所がある妙典駅近くに、ミュージアムを作られたんです。

入場無料。人数がそろえば、有料で制作工程を見る事ができるツアーもやってくれて、職人さんたちが道具や作業の仕方などを披露してくれるそうです。ミュージアムの中には、作り方の細かい解説が展示されていて、それを見ると、どれだけの時間と技術が結集されてできているのかというの がよくわかるようになっています。

御神輿は、近くで見ると、どこが作ったという、小さな看板のようなものがついている事があるのでそれを探すのもなんか「通」っぽいですよね。中台さんは、職人さんたちの技の継承も含め御神輿という文化を伝え続けていかないといけないと強く思っているとおっしゃっていました。

「お祭りって言えばなんか全て丸く収まるじゃないですけど、私の、ちょっと例えがいいかわかんないけど、その例えば学校の学園祭とか文化祭みたいなノリだと僕は思っていて、何かに向けてね、その盛り上げよう、それを成功させようじゃないけど、全然考え方も違う仲間が集って、そこでやっぱり議論し合うことが、で、その人となりが理解をできて、お祭りってやっぱある程度そういう平等というか、ある意味ね、いろんな歴史を知ったりとか、育っていくっていうと、やっぱり顔が見えるから、その地域に住んでても、普通に引っ越してきたんだけど、お祭りでいろんな人と会って話したら、なんかすごく溶け込んじゃって、やっぱ引っ越してきてよかったなあっていうふうになればいいじゃないですかって、私は思うんですね。」

みんなの心が一つになる、地域のコミュニケーションの大事なチャンスの一つとしても、お祭りっていいのかもしれないですね。みんなが挨拶しあえる街、防災にも大事なことかもしれません。地域をひとつにする、つなぐ、御神輿にはそんな役割もあるんですね。中台製作所は 地元だけでなく全国各地のお神輿の製作や修理、リニューアルを行っているそうです。個人で御神輿を発注する、っていうことはなかなかないと思いますが、素晴らしい職人さんたちの作品、伝統工芸を、まずはミュージアムでご覧になってみてはいかがでしょうか。

ミュージアムのほか、市川市役所1階にも中台製作所のみ御神輿が展示されています。

行徳神輿ミュージアム

http://www.mikoshiya.com/museum/

第57回:魅力たっぷり房総の山々

2021/8/6 UP!

今回のテーマは房総の山。ピンと来ない方も多いかもしれません。山というイメージ、あまりありませんよね。でも、魅力がいっぱいあるんです。

「房総の山」の魅力について千葉県勤労者山岳連盟会長の廣木国昭さんに お話伺いました。

「千葉県には山がないとか、「えー山があるの?」っていう風に言われるんですけども、 千葉県にもものすごいあのハイキングとかそういうのをやっているコースがあります。整備もされています。まず、あの交通の便が良くて、誰でも気楽に歩ける。家族連れも良いし、高齢者でも登れる。そんなに力を使わずとも登れますから。それで登った頂上からは太平洋、もちろん大島も見えます。で、東京湾から見るとずっとあの船橋の方、スカイツリーまで見えますから。それで僕のオススメは夕日が綺麗な時に東京湾に浮かぶ房総の山から眺めた時に1番目に付くのは富士山ですよ。富士山が夕日のシルエットになって羽田付近に飛ぶ飛行機がキラキラ光っているっていうのは千葉県でしか味わえない山だと思います。なだらかで誰でも登りやすいというのは房総の山だと思いますね。」

確かに、おっしゃる通り。アクセスもいいですよね。

千葉県、南房総市にある愛宕山(あたごやま)が、標高408.2mで千葉県の最高峰で、実は各都道府県の最高峰の中では最も標高が低いんです。ということは、つまり、房総の山々は制覇しやすい、親しみやすいといえますよね。そんな千葉県には「山岳連盟」や「山の会」といった山登りをされる皆さんの集まりがいくつかあって、自分たちが楽しむだけでなく、もっと山登りの裾野を広げたいと環境整備などの活動もされています。2年前の千葉県を襲った台風の後では、さまざまな登山道やピクニックロードが被害を受けましたがその時も皆さんが活躍して、復旧に当たられたりしたそうですよ。

「関東ふれあいの道というのを県の方で中心になって整備して、すごくあの歩きやすくなったと思います。ただ、そういう道が台風で壊れちゃったので、じゃあどうしようかっていう時に、千葉県にある山岳団体が3つ集まって房総の山を守ろうとか、またあの台風で決壊した登山道を復旧しようというようなもので活動してきました。特に私たちの勤労者山岳連盟では鋸山とか嵯峨山、そういったところを中心に チェンソーを持参して、山道をふさいでいる大木をチェンソーで切ったり、また決壊して崩れた所をスコップ持っていって補修したり、そういうような早く房総の山を楽しんでもらえるために登山道の復旧活動というのを組織をあげてやってます。」

有難うございます。

山登りはきついというイメージをお持ちの方も多いと思います、。なんで、あんなに苦しんでいくのか?疲れるだけなじゃいかという方もおられるでしょう。でも廣木さんはこうおっしゃいます。

「山に行って楽しい思い出を残してほしい。苦しいことばっかりの山登りというのは長続きしないと思いますね。何が楽しいかって言うと、やはり事前にですね、一緒に行く仲間と一緒に計画を作る。今度いく山はこういう風なところだねとか、ここは気をつけなくちゃいけないねっていうようなことから始まって、あとは山に行ったらば、やはりどんな安全な山と言われても、つまづくこともあります。それとやはりあの先輩と言える人を1人作った方が良いのかなと思いますね。アドバイザーですよね。ですからそういった意味では長く楽しむ為には無理をしないでライフワークとして取り組んでいただければいいのかなっていうふうに思います。具体的な山登りで相談したい事とか知りたいことがあれば、ホームページの方にありますのでいつでも問い合わせをしてください。」

とのことでした。暑さが和らいだら、いい先輩を見つけて、山に目を向けてみましょう!

千葉県勤労者山岳連盟 https://www.cwaf.jp/

第56回:中世の遺構「山城」

2021/7/30 UP!

近年ブームの山城(やまじろ)なのだそうです。

かつて千葉県には1300もの山城があり、その数は関東一を誇ります。これは、中世に争いが絶えなかったことを示しているんです。理由は水運も含めた交通網の良さから、この豊かな土地を皆が己の領地にしようと考えたためだったと言われています。全国の山城に精通する「山城ガールむつみ」さんに山城に興味をもったきかっけや、千葉県の山城の魅力、県内での活動などを伺いました。

まずは、「山城」とは何でしょう?私たちがイメージしている白い壁の建物とは違うのでしょうか?

「山城というのは、お城の中の種類なんですけれども、まあ山の上もしくは山全体を要塞としてですね、山全体を人工的に加工して、その領地を守ろうとした。そういったものが山城というものになります。城というのは、「土」が「成る」という漢字を書きますので、建物ではなくて土で加工した・・・要は土木技術によって敵を防ぐ構造物のことを言うんですね。なので、みなさんが思うお城というのは天守閣になりますけれども、ああいうのはお城の中の1つのパーツであって、その全体を含めて「お城」。で、その中でも「山」を使って築かれたものが「山城」ということになります。」(山城ガールむつみさん談)

陣地というイメージなのかもしれません。

山城ガールむつみさんによると、他の県では都市開発によって崩されてしまう山城が多いんですが、千葉県には当時の姿を留めたものが多く残っているそうなんです。そんなお城の魅力は、土木技術のすばらしさを感じたりするだけでなく、地図を見て「ここに山城があるとなると、敵がこう攻めてきて・・」とかシミュレーションゲームができちゃうことなんだそうです。

そして、実際に現地に行ってみると、自分が想像していたところに新たな お城のあとを見つけたりして、妄想が止まらなくなっちゃうんだそうです。草木は生えてわかりづらくなっているとはいえ、ほぼそのまま残っているものも多いというのが驚きです。

そんな山城の魅力を積極的に発信しようと、山城ガールむつみさんは活動をしています。

「今千葉県は『城』の数もすごく多いので、そのお城をちょっとソフト化して皆さんに楽しんでもらおうという取り組みをやってます。それは『御城印』という絵はがきサイズのカード状のもので、1枚300円くらいのもの。お城の名前と歴史を図柄化して、道の駅やいろんな駅で売っているんですね。それを、お城観光の資源として、千葉銀行さんや千葉県観光物産協会さんらが 協力してくださって、お城を使った町づくり・町おこしで子供たち世代に地元の歴史を知ってもらうというような活動を広げています。(『御城印』は)今千葉県下で60ぐらい出てるんですね。全国的にはもう700を超えるんですが、ほかの県と違って、千葉県のものは私がデザインさせていただいて、カラフルな図柄で、その1枚を見ただけで、お城の歴史絵巻が広がるような、そんなものになってます。県内でまず100を目指そうというところで「歴史発信・お城発信」をやってます。」(山城ガールむつみさん談)

https://maruchiba.jp/miryoku/shun/allchiba/gojyoin2020.html

スタジオでも現物を拝見しながらトークしました。本当にカラフルで迫力があって、コレクター心がくすぐられるアイテムですね。現在多古町が積極的にこの取り組みを進めているんですが、そのほかの地域も『山城』のもつ魅力に気づいてきているということで、これからもっと広がっていくと思います。興味を持たれた方、千葉県観光物産協会のホームページでぜひチェックしてみてください。

山城ガールむつみさんは、山城の解説をするツアーの開催もしていらっしゃいます。詳しくは「山城ガールむつみ」で検索してみてください。

ご近所のこんもりとした山、や森、林、流れのない川のようなところ、もしかしたら、まだ発見されていない山城の跡かもしれません。地図を見ながらシミュレーションを楽しんでみてください。

https://www.rekitoki.com/

第55回:鮮度抜群!江戸前船橋瞬〆すずき

2021/7/23 UP!

千葉県内の市町村をひとつづ紹介してきましたが、先週の一宮町で一段落。今週からは新たな視点で千葉県の魅力などをご紹介していきます。

今回はタイトルにもある通り、鮮度抜群!江戸前船橋瞬〆すずきです。

船橋港を拠点に東京湾で巻き網漁業をされている大野和彦さんにお話を伺ってきました。江戸前船橋瞬〆すずきあ千葉ブランド水産物にも認定されているんですよ。スズキは白身の美味しい魚。「セイゴ」→2~3年もの「フッコ」→4年以上「スズキ」と呼び名が変わる出世魚でもあります。

そんな「すずき」。漁師さんがとって、陸にあげるとすぐ劣化が始まります。魚は新鮮さが大事。でも、ちょっと時間が経つと熟成があって味に深みが出る。超新鮮か、熟成かのどちらかしかなかったんですが「瞬〆」という方法でしめると、その両方が成立しちゃうそうなんです。そんなウマイ話なんでできちゃうのか? 大野さんに教えていただきました。

「この〝活〆神経抜き〟をした「すずき」。船でまき網漁業でとって生かしたまま船橋漁港で水揚げをして、乗組員総出で血抜きをします。それから血液が良く抜けたらエアガンで神経を吹き飛ばすという締め方ですね。神経を飛ばすことによって、もう魚がそこで一瞬にして絶命をする、自分が絶命したことすら気づかないうちに、つまり死後硬直が遅れるんですよね。死後硬直すると魚の劣化が始まるんですが、その時間を稼げると。少し休ませてから不意を突いてしめると出る血液もすごいサラサラなんですよね。歯ごたえ食感も、こりこりぷりぷりと言うものが残っている。お陰様で、高評価いただいています。時期がはじまると「まだないの」とか「今日シケなの?なんだ~」なんて言う言葉もいただいていますし、直接飲食店さんの方からもオーダーいただいたりしてます。」

日本全国で、『すずきの水揚げ量日本一』が、実は船橋漁港なんです。「すずき」は日本の広いところに分布している魚なので、船橋が日本一というのは驚きでもあります。ところが、これ、大野さんによると「自慢できる話とはちょっと違う」んだそうで、むしろ心配なところもある、という ことなんです。

「すずきがたくさんとれるんですけれども、その背景には他に取る魚が少なくなったっていう現実があって。このすずきを大切に持続的にとっていかなければ、船橋の漁師すべてが死滅してしまうことに繋がる。だから、量で稼ぐのではなくて質で稼いでいこう、そういう資源管理型の漁業に切り替えたということですね。資源が豊富であれば、やすく消費者に提供できますけれども、そんなにない、なけなしのものをとっている中でたたき売る必要はないですよね。私は今年で船に乗って40年ですけれども、20年ぐらい前からそんなことを思い、悶々としてました。冬になるとすずきが産卵期を迎え、捕るものがなくなってしまうんですが、わざわざ産卵場に出向いて、卵を持ったすずきを捕っていた時期や、すずきの幼魚であるセイゴをとっていた時期もあった。そういうことをして売れるからいいや、買ってくれる人がいるからいいやということで捕り続けていた姿が今日なのかな。なので、ここで我々が改めないと、もう手遅れになってしまうということに気づいたという ことです。」

そんな思いの中、実は、東京でオリンピック、パラリンピックが開催されることが決まって「是非とも江戸前の魚を世界の人たちに食べてもらいたい。」と思った大野さん。交渉してうまくいけば納品できるのかと思っていたら、国際認証機関の厳しい審査を通ったものでないと提供できないということが判明しました。その基準には「とっている量は適切なのか?」「生態系に与える影響はどのぐらいのものなのか?」などの項目があり、「世界は、こんなにしっかり未来のこと、環境のことを考えてやっているんだ、日本はどうなんだろう?」と愕然とされたそうです。自分が悶々と思っていたこと、心配していたことはまさにこれだ!と気づき、とてつもなく高いかもしれないけれど、その壁を乗り越えようと決めたそうです。

大野さんは、こうお話くださしました。

「これは乗り越えなきゃならない壁だから、それにもまして江戸前の魚を東京オリンピックに出したいっていう思いの方が人1倍、やっぱり強かったんだと思います。『今この地球というのは、先祖から受け継いだものではなく、子供たちから借り受けているものだ。だから持続的な状態で子供たちに返さなければならない』というサンテグジュペリという星の王子さまの作家さんが言った言葉。非常に重い含蓄のある言葉だなと思います。我々東京湾の漁師って、長年『東京湾で魚が捕れるんだ』『捕れてもそれ食べられるの?』とか、負のイメージを払拭する戦いをずっと続けてきたんですが、今後(の戦い)は、例えば近畿大学の先生の調査に東京湾のセグロイワシの中からマイクロプラスチックがいくつ見つかっただとかありましたが、次の世代の子供たちにそういったプラスチック汚染をした魚を食べさせたくない。自分たちが努力することによって、そういったものを少しでも解消できる方向に導いていきたいなと。例えば、発泡スチロールの箱を自然に溶けるような生分解性の素材を使ったものに変えていくだとか、我々の使っているナイロンの網をですね、これもやはり生分解性の方に徐々に変えていくだとか、そういった取り組みを続けております。」

大野さんは、その想いを本にまとめられています。

「ただ獲れればいい」という考えを完全に捨てて、「未来にちゃんと返せるのか」をしっかりと考えたうえで漁をする。例えば魚を運ぶ発泡スチロールの箱、生(せい)分解性(ぶんかいせい)のものは、普通の十倍近いお値段がするんだそうです。でも、使いきりだったこの箱をお店との間で10往復以上させれば、コスト的にも成立するし、環境にも負荷をかけにくくなる、、、とか。目の前の魚のことだけじゃなくて、私たちが住んでいる環境もしっかりと見据えて色々と活動していかないと未来がないと、熱くお話しされていました。

大野さんのお話からは、海へのリスペクト、そして長年、それに気づかず魚をとってきた罪滅ぼし、責任、いろんなものを感じます。「船橋の瞬〆すずき」。海への感謝の気持ちも重なって、さらに美味しく感じる。是非皆さんにも食べてもらいたいです。

詳しくは以下のリンクからご覧になってみてください。「瞬〆すずき」の急速冷凍品は、解凍してお刺身でもいけちゃうそうです。他に、東京築地の『漬け人』がすずき本来のおいしさを最大限に引き出した逸品「漬け魚」や大野さんの著作本なども紹介されています。

https://kaikobussan.com/

第54回 一宮町

2021/7/16 UP!

今回は一宮町に行ってきました。

サーフィンの町として、そして東京オリンピックのサーフィン競技の会場として、知られています。

ちなみに「一宮」の意味なんですが、ここはかつて上総の国と呼ばれていまして、その「一之宮」一番格が高い神社の玉前(たまさき)神社がここにあることから、その名前が付きました。ちなみに下総の国の」の国一宮は香取市の「香取神宮」、安房の国の一宮は館山市の「安房神社」となっています。今日は、「サーフタウン一宮町」を紹介していきたいと思います。

昭和50年代には、すでに多くのサーフショップがオープンしていた一宮。現在では年間に60万人ものサーファーが訪れ、町も「一宮版サーフォノミクス」を総合戦略として掲げて「サーフタウン一宮町」のブランドづくりを進めています。2009年には 役場に移住促進担当を設置して「サーフィンと生きる町」を目指しているそうです。

今回は一宮町のサーフィンや魅力についてお二人の方にお話を聞いています。一人目は、一宮町の老舗のサーフショップ カルフォルニア ハワイ プロモーション通称「CHP」に所属されている、地元出身のプロサーファー河野正和さんです。

河野さんは12歳でサーフィンを始め、高校3年の時に全日本選手権ジュニアクラス優勝。さらにその年プロトライアルに合格。17歳でプロデビューを果たし、2009年に22年間の選手を引退するまで活躍。’97年 2001年2002年と3度のグランドチャンピオンを獲得されている方です。 河野さんに、一宮の海になぜ、サーファーたちが集まるのか教えていただきました。

「このエリアは日本を代表するトップproから、ビギナーの方まで遊べる波があるんですよ。すごい狭いエリアなんですけど、違う波質の波がこういろんなところにあって、ビギナーでも安心してできる場所もあれば、TO Pの方が技を磨いたりする場所もあって、すごい波質の豊富な場所ですね。バラエティにすごい富んでいる場所だと思います。全然ビギナーの方とかも是非のサーフショップでいろんなサーフショップでスクールとかやったりもするんでそちらとか参加して頂くと色々教えてもらえて、そのビギナーのやりやすい場所とかも色々教えてもらったりとかできますよ。」

と、お話しいただきました。

もうおひとりお話を伺ったのはサーフィンのために一宮町に移住してきたというつい先日も大会に出場したプロロングボーダーの高橋浩二さんです。まずは移住をしてきたいきさつを伺いました。

「出身は東京です。中学校3年生の時に友達の先輩のお兄さんがやっていたので、見に行くようになりました。湘南に行ったり千葉に先輩に連れて来てもらったり、あとショップの社長なんかと全国でこう回ってサーフィンしてました。でも僕が(一宮に)来た時は堤防とかがなかったんで、沖が深くてサーフィンするような場所ではなかったんですよ。まあ台風とか低気圧がきた時に、沖で割れて、こうブレイクする。そこで、大きい時だけやれるような感じでした。コンスタントに波があるし、やっぱ一宮町の先輩とかサーファーが結構ウェルカムな感じで。人が良かったりとか、そういう部分でいいなと思って住み始めました。

もう移住して人生の半分以上は行きましたけど、やっぱり毎日、時間がない中でも必ずサーフィンもできるし、あと野菜なんかもすごく美味しいし、本当来て良かったなと思います。僕なんかはサーフィンスクールをやってて以前70歳の方でも、自分で乗って楽しんだりとか、できるようにまでなったので、もしやりたい方がいたら、ぜひ波音まで来て、いろんなご質問なんかを受け付けますので、是非一宮に来てサーフィン楽しんでみてください。一宮の人達はサーフィンの町なんでウェルカムだと思います。僕なんかも受け入れてもらって、自由にサーフィンをやらせても頂いているんで、 ぜひみなさんもきてください。」ということでした。

現在は釣ヶ崎海岸のすぐ近くで「波音(なみおと)」という海の見えるビーチレストラン&カフェバーを奥様のチカさんとされて います。

世界が認める「サーフタウン一宮町」。千葉県一宮町で繰り広げられる世界トップレベルの波乗りを楽しみにしたいと思います。地元出身の河野さんも住んでいて心地いいとおっしゃっていますし、越してきた高橋さんも、もう離れるつもりがないとおっしゃっているそうです。そんな町の雰囲気も合わせて世界の方々に知っていただければと思います。

第53回 白井町

2021/7/9 UP!

今回は白井町を取材していきました。

白井町は梨の出荷量が多い地域として知られていますよね。

白井市を中心としたこの地域は古くから梨の栽培が行われていました。白井での梨づくりは、明治38年に鎌ケ谷から移住した方が梨の木20本余を植えたことに始まり、100年を超える歴史があります。現在、梨の収穫量全国1位の千葉県において、白井市は収穫量トップを誇っています。ご存知でしたか?今日は、そんな白井市で梨作りに挑戦しはじめたばかりの若き梨農家さんにお話を伺っています。

今回は、3年まえに、梨農家になられた、梨農家3代目の後藤拓也さんにお話を伺っています。白井市には200ほどの梨農家さんがいるそうで、後藤さんの梨園は白昇園(はくしょうえん)と言います。まずは、後藤さんが梨農家を注ぐきっかけについて伺いました。

「白井市で梨を作っている後藤拓也です。白井の梨PR委員会のメンバーでもあります。梨の生産は、祖父の親の代からやってるんで、70年ぐらいからやっていますね。自分は3年前からですね。ちょっと僕が、結婚とか子供とかでき始めて、それからちょっと本気で、しっかりやってみようかなという感じで就農しましたね。はい、就農するまでは、まあ、いろんな職人の仕事してましたね。型枠大工とか。僕、次男なんで兄がいたんですけど、兄貴はもう頼んだぞみたいな。 それで出ていっちゃったんで農業が始まりました。俺でも出来るなじゃないですけど、ちょっとなめてかかったらこんな大変だったんだっていうのがありました。やっぱ農薬カケ1つでも薬かけてないと梨は作れないので、そういうのもかけるタイミングとか薬何をかけるとかも大変だったので。 そういうのをやっぱ見極めてやるのがとても難しいと思いますね。」

梨の生産に気が向いてlいたころで、実際に親と一緒に作業をし始めたら、その大変さに気づいたそうなんですね。

驚いたのが作っている梨の種類なんです。「本当ちょっと枝だけっていうのも数えると18種類作ってますね。うちの父が美味しいだろうってなんかだんだん増えてきましたね。今、僕が1番おすすめしているのは秀麗ってやつと。 秋あかりってやつです。かおりとか幸水とか違う甘さ、ももっぽい甘さなんですよね。色んな人に秀麗ですって食べて何これ?おいしいって言うのがすごいあったんで、今年僕のおススメです。で、もう1個、秋あかりは、ただ甘いんじゃなくて、さっぱりした甘さ。 僕の感じですけど、こう透き通る甘さじゃないですけど、甘さが僕は結構好きでした。」

梨の甘さも色々あるようです。

ちなみに、幸水、豊水、あきづき、かおり、秀麗、新興、新高、秋あかり、 王秋、カンタ、新雪、夏光、筑水、菊水、秋満月、あきのほほえみ、なつしづく、長十郎を作っているそうです。

今年の出来具合、出荷具合はどんな感じなのでしょうか?

「今年は7月の下旬から幸水というのが出て、そのあと多分豊水、豊水が終わるかなと思って、その後にかおり、秋月がたぶん重なって出てきます。運が良ければ白昇園で豊水、秋月、かおりが3種類で。 1つの箱でご提供できる場合もありますね。で、まだその先も色々ニイタカとかオウシュウとか、まあ10月の終わりまで3ヶ月梨のシーズンがありますね。梨は夏の果物ってイメージありますけど、10月の本当終わりまである。 夏から秋までの存分に楽しめますね。4種類も入れれば、やっぱそうやって食べ比べもできるんでその場で食べないと、やっぱ味がわからないと思うので、そういう売り方をしてお客様に楽しんでもらうというかいうのをやっていますね。」

一つの箱にいろんな種類の梨が入っているというのは楽しいですね。

さて、美味しいいただき方について、

後藤さんのお話によりますと、保管は部屋の涼しいところに置いておけばいいのだそうです。そして、食べようかな?と思うその10分前に冷蔵庫に入れるぐらいがいいというんです。 確かに、梨の魅力は甘さとみずみずしさですが、冷やしすぎると、甘さを舌が感じにくくなってしまうそうで、冷やし過ぎは禁物なんです。理想は食べる10分前の冷蔵庫、食べる5分前に冷水につけるので十分。リスナーの皆さんもお試しくださいね。 さて、白井の梨P R委員会のメンバーでもある後藤さん、就農して、農家の立場から、白井の梨があまり知られていない事に驚きます。ちなみに白井の梨の箱には なし坊 といキャラクターがいますので、それが目印だそうです。PRにもっと力を入れたいということなので、頑張っていただきたいですね

第52回:九十九里町

2021/7/2 UP!

今回は九十九里町を取材してきました。

漁業がが盛んで、町を走るといわしとはまぐりのお店が目立ちます。天然記念物のハマナスの群生地があり、ウミガメも産卵にやってくるそんなところです。

皆さんご存知とは思いますが、千葉県の太平洋側に面している九十九里浜。9つの市町村にまたがる砂浜海岸で全長およそ66キロメートル。弓状の長い海岸線に白波が打ち寄せる様子は、自然の雄大さを感じます。その九十九里浜のほぼ中心にあるのが九十九里町です。 チーバくんで言うと首の付け根あたりでしょうか。

今回は、九十九里漁業協同組合の組合長 小栗山喜一郎さんに、いろいろとお話を伺っています。まずは、九十九里町のイワシ漁についてお聞きしました。

「九十九里町といえば、イワシの町と昔からイワシ漁が盛んでこの地域の活性化につながってきたと思います。九十九里一帯が、大陸棚でどこ行ってもイワシがいると昔から地引網が盛んでイワシを中心にとってきました。 九十九里浜全体が漁場みたいなもんで、あまり遠くに行かなくてもイワシがいるっていうのが九十九里の特徴。1〜2分の所で漁場になる時もあります。出てすぐですね。 2隻のまき網船と漁業の5隻ぐらいの船団を作って漁をしています。探索船、運搬船、網船 5隻ぐらいで1船団を作って操業しています。イワシは鮮度が命ですから、そのまますぐ何トンでも積んだらすぐ港に持っていきます。 多い時で大体80tから100tぐらいはとれますね。」

港からも見えるぐらいのところでもイワシの大群に出くわすこともよくあるようです。とにかくあげたらすぐに運ぶ。船と港の間を運搬船がピストン輸送をしするということです。

沖合を流れる親潮と黒潮の影響をうける九十九里の海は、日本有数のいわしの漁場で、ほかに鯖類などの回遊魚もたくさんいるんです。そして九十九里の沖合はずーっと大陸棚が続いていまして、 いわしたちにとって居心地がいい場所、なんだそうです。九十九里で取れるでイワシは3種類あります。マイワシ、カタクチイワシとウルメイワシのだいたい3種類が、主流でとれています。マイワシは結構大きいんですけども、煮干しの原料とかにあるカタクチイワシはだいたい10センチ前後。マイワシは大きいのについては20センチ以上になるイワシもあります。10月頃にかけて、カタクチイワシの漁が本格的になってくるそうです。最初のうちは細かいイワシが取れて、だんだんだんだん育ってきて、11月12月になるとゴマ漬けの用のイワシになったり、煮干しの原料になるようなものが上がるようになるということです。

小栗山さんに個人的に好きなイワシの食べ方を伺いました。

「9月か10月頃の秋口にとれるカタクチイワシの5センチから6センチ位のそれを頭とハラワタをとって、そのまま醤油につけて生で食べるのはちょっとわたし的には好きなんで、つまみにいいと思います。こればかりはちょっととれたてのイワシじゃなければ食べれないんで、役得ですね。ちょっとお客さんが来たら、本当に食べさせてやりたいぐらいのおいしさだと思います。」

「まず生で食べてもらいたいと思います。少しでも九十九里の漁業の歴史を知っていただければと幸いと思います。イワシの町、九十九里にはとれたての、新鮮なイワシを含め、多くの水産物を販売しているところもたくさんあります。町内に美味しいイワシ料理や加工品を提供しているお店もたくさんありますので是非ご賞味いただきたいと思います。漁協の直売所でハマグリも売ってますし、巻き網船が出てる時は 新鮮なイワシも置いてますので、九十九里に来た時は寄っていただければと思います。朝10時頃から直売所は開いていますので、午前中は良いかと思います。新鮮なイワシが買えると思います。」

ということでした。

直売所の名前は「おさかな新鮮大使」というんだそうです。漁港のすぐ近くにあります。また、その近くには、加工品など、地域の名産を扱う「海の駅九十九里」という施設もあり、

ここには海をイメージした青色のポストがあって、人気のスポットになっています。(実際に郵便を出せる現役のポストです)館内にはいわし資料館も併設されていますので、こちらでいわし漁の歴史や文化、学んでみたいですね。

  そして、最後に、この地域の漁協からのお願いがあるそうです。最近、九十九里浜で潮干狩りをしたりする方がいらっしゃるそうなんですが蛤(はまぐり)をはじめ、ながらみ、そのほか貝類を取ることは禁じられています。 大切な海の恵みは地域の漁協の皆さんが大事に管理しながら育んでいるものです。食べたい時は、九十九里浜の近くのお店で是非ご購入くださいね。

第51回:市川市

2021/6/25 UP!

今回は市川市を取材にいきました。市川市役所、文化芸術課で学芸員をされている中能淳子さんにお話を伺っています。

単刀直入に、中能さんにお尋ねしました。市川市ってどんなところなんですか?

「古くから、旧石器の頃から人が住み始めていたという遺跡といったものも残っておりますので、その頃から海に面していながら谷津といいますか谷になっているところ、またその間に川が流れていて、非常に、食生活にもまた居住空間としても住みやすい場所だったことがわかります。貝塚が市内に複数あるんですけれども、その中でも国の指定になっています史跡が、堀之内貝塚・曽谷貝塚・姥山貝塚、この大きな史跡が3つございます。縄文の住居の跡でしたりいろんなものが市川に残っておりますし、そういったものは堀之内貝塚の近くに考古博物館というところがございますので、そこで資料ですとか遺物ですとか、そういったものも ご覧いただくことができます。」

古くから人が住んでいた場所というところなんですね。文明的にはどうなんでしょうか?

「街を歩いていただくと表情がそれぞれ異なるといいますか、市川だったり、国府台という地名は国府台と書きますので、やはりそれは国府のあった場所、下総の国の中心地といいますか、役所、行政機関の中心地。また、国分寺・国分尼寺が学問所ということもありますので、文化の中心地。地方の都市ではありますけれど下総の中心がこの国府台にあったということですね。国衙といいますか、その役所があった場所ということで先ほどの国府台という地名の元々のルーツになりますね。大きな川も御座いますので、交通ですとか、そういう国の要所と言いますか、そういう中心的な場所であったということが伺われます。それからまた、行徳の方に行きますと塩に関連する塩浜ですとか塩焼ですとか、そういった地名もございますので、街を 散策するときに、その地名を見ていただくというのも、1つ町の成り立ちがわかるかな?ヒントになるかなと思います。」

人ば住んでいるだけでなく、要所になっていった市川地区、その後、文学の要所にもなっていくのです。

「近代になっても、文人といいますか、例えば、作家の幸田露伴さん、また北原白秋さん、そして永井荷風さんだったり、戦争によって永井荷風さんなんか焼け出されて、東京からこちらの方に移り住んで来たんですけど最後まで、亡くなるまで市川で過ごされた方もいらっしゃいます。「断腸亭日乗(だんちょうていにちじょう)」という日記を42年間ずっと綴られていました。その中で荷風さんは本当に散歩の達人として、川をずっと遡って行ったり、また下流のほうに歩いて行かれたり、そういったところを観察したことを 事細かに日記ですとか、それからご自身の作品「葛飾土産」ですとか、そういったところにも残されていますし、その荷風さんを慕って、作家の井上ひさしさんがこの地に移り住まわれたりとかですね、やはりその歴史や文化ですとか、そういった土壌とともに、自然豊かなところが皆様に好んでいただいた理由ではないかなと思われています。

断腸亭(だんちょうてい)日乗(にちじょう)、これは永井荷風が1917年(大正6年)の9月16日から、亡くなる前日の1959年(昭和34年)4月29日まで、市川で暮らしながら感じる世相や、散歩しながら得た季節感などを綴った日記なんですが、読み物としても、近代史の資料としても、荷風最大の傑作と言われています。その永井荷風を慕って、井上ひさしさんも引っ越してきちゃうという市川は引き寄せ効果もあるですね。日本文学を勉強すると出てくる名前もいくつか聞こえてきましたが、人が集うパワーがこの地は強いのがわかります。

そんな歴史を感じられるものが1月から展示されるようになったそうです。

彼がそこで亡くなられたんですけれども、6畳間の書斎をそのままこの市川市役所の中に、移築したんですね。市役所という文学に興味のある方も無い方も、皆様の大勢の目に触れる場所にということで、この市庁舎の一階に移築したようです。誰でも見学することができます。

そしてその横には永井荷風さんの実物大のフィギュア(?)が立ってらっしゃて。結構身長高い方だったんですね。175センチもあったそうです。ちょっとリアル、、、

中能さんのお話にもあった、市川ゆかりの文化人や芸術家の作品は、市川市文学ミュージアムで展示・紹介されていますので、 ご覧になっていただければ、市川をより深く知ることができますね。

都会の部分に目が行きがちな市川ですが、こうやって古くから人が集い、栄えてきた市川。歴史と文学の風を感じにお出かけになりませんか?ゆったり歩けば文学の発見や出会いがきっと待っていますよ

市川市 文学の散歩道

第50回:長南町

2021/6/18 UP!

今回は長南町を取材してきました。

かつて長南町には、カリスマ的な存在の蓮根(れんこん)農家さんがいらっしゃいました。長南町の自分の水田で品種開発をし、育成方法も確立して、日本の蓮根農家さんで知らない人はいない、蓮根の神様とまで言われた方なんですが、残念なことに十数年前に突然亡くなられてしまったんです。そこで呼び戻されたのが、東京で就職したものの仕事がうまくいかず、引きこもり気味になっていた息子さんの金坂あきひろさん。思いがげず蓮根づくりを引き継ぐことになってまさに青天の霹靂だった そうなんです。

家業の手伝いとして作業をしたことはあったのですが、自分が責任を持って作るということはしていなかったので、とても悩んだそうです。近所の方に教わったり、独学で研究をしたりしたそうです。

金坂さんは同時をこう振り返っています

「父親が亡くなってまあ誰かしらが父親の品種を残さなきゃいけないってところで、ただレンコン作りをやり始めたら、「あのお父さんの息子さんだ」ってことで辞めることが出来ないので、そこが就農するのにかなり躊躇しましたね。(レンコン業界の)偉い人たちがお父さんにお世話になりましたとか頭を下げたりとか、そういうの見てて、あの父親の偉大さというか、それを実感したりしましたね。関東だと7割ぐらいですかね。父親の品種。 ここで、はい作ったタネが全国に行ってますね。最初やっぱり知識もないですし、新規就農で、あのー、これからここでどーやってこう生き残っていこうか? と(そればかりを)考えていましたね。」

そんな亡くなられた父親の偉大さを改めて知ることになったのですが、金坂さんは、東京で仕事をされていたけど、引きこもり気味になってネットゲームばかりやっていた時期だそうで、農業はまったく引き継ぐつもりがない。「でも、あの蓮根の神様の息子さん、あの水田を引き継がないってことはないでしょ?」と言われたりしたそうですが、全く経験も知識もなかったので、跡を継ぐのが恐れ多く、とても悩まれたそうです。

でも自分なりにやっていこうと腹を決め、周りに生えている竹をチップにして土壌を作ったりして、他に負けないレンコンを作ることにまずは取り組みます。

食味を上げることに集中して土壌改良を進め、レンコンとしては驚異の糖度9を実現できることができたんです。糖度9とはフルーツトマトレベルなんです。揚げ物や煮物になることが多いレンコンですが、単体でこの糖度は十分存在感を出せるレベルです。

ここで、金坂さんは色々と考え、自分の作るレンコンのブランド化を考えます。

名前を金坂蓮魂としてネット販売を中心に始められました。こちらでは夏の終わりごろから販売を始めるそうです

http://kanesaka-lotus-root.com/

ダイレクトに消費者の声が届くのが、嬉しく、励みになる。美味しいものをもっと作りたいと思うようになったそうです。直接尋ねてくる方もいるそうなんですが、驚いたのは、ある日、インド人の方が金坂レンコンを買いにわざわざやってきたこと!ひょんなことから金坂レンコンを食べてその味に感動した、ということでまさに「インド人もびっくり!」(笑) どんなところで作っているのかと、やってきてしまったそうです。

全く家業を継ぐ気がなかった金坂さんですが、今では、SNSや通販を通じていろんな方と繋がり、そして作ったものへの評価がダイレクトに伝わるということに、楽しみでもあり、シビアでもあると、話していただきました。

なかなか出ない糖度9のレンコン、おすすめの食べ方は、オリーブオイルをひいてただ焼く。シンプルですが、これが一番甘みを感じられるそうです。塩胡椒でちょっと味をつけると余りが引き立つそうですよ。

ぜひ一度お試しください。

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