三方を海に囲まれる房総半島に位置する千葉県。
首都圏からのアクセスもよく、
通勤圏でありながら海や里山の豊かな恵みをあわせもち、
自然とともにある生活を楽しめるエリアです。
そんな「千葉の魅力」を支えるさまざまな活動や
想いムーブメントなどにスポットを当て、
現地取材の声も通して「魅力あふれる千葉」をご紹介していきます。

毎週月~木 18:35頃~「YOU 遊 チバ」はこちら
※「YOU 遊 チバ」は、ミンナノチカラ~CHIBA~と連動し週ごとにさまざまなテーマで千葉の魅力をお届けしているコーナーです。

Every Fri. 18:45~18:59

第85回:11年連続日本一の水揚げ量 銚子漁港

2022/2/18 UP!

銚子といえば、醤油の街、漁業の街としてのイメージが強いですよね。江戸時代には醤油をはじめ、お米や銚子・九十九里でとれた海産物などが利根川の水運を利用して江戸に運ばれ、銚子は大きく発展しました。さて、歴史の深い港町にある銚子漁港はなぜ11年連続で水揚げ量が日本一なんでしょうか?今日はその理由をご紹介していきましょう。

銚子の沖合は、水深200mの大陸棚が広がり、北上する黒潮と南下する親潮、そこに利根川の栄養豊富な水が流れ込み日本有数の好漁場となっています。でもそれだけではないようですよ。その訳を銚子市漁業協同組合の 常世田吉弘さんにお話聞いています。

常世田さん:よく言われているのが、この銚子の沖に親潮と黒潮のぶつかるところがありまして、そこで漁場ができやすいっていうのもありますけれども、銚子自体に製氷設備、燃油設備、買受人さんの冷蔵庫設備等を含めまして、買受人さんが買いやすい、量をさばき切れるっていうところがありまして、皆さん船が集まるのではないかと思っております。第一市場と呼ばれる場所は、はえなわ船の専門の水揚げになります。はえなわ船はマグロを中心とした水揚げになります。第二市場は、巻き網船がメインの水揚げになりまして、サバ、イワシ等の巻網で取ってくる魚の水揚げが中心になります。第三市場に関しましては、小魚専門の小船がメインの水揚げとなります。やっぱり 今からですとサワラとか、カツオ、あと底引き船でヤリイカを取ってるんですけども、ヤリイカも、これから春に向かって少しずつ増えてくるのではないかなと思っています。

たくさん水揚げがあるのは、流通から加工まで、それに対応できる設備を整えている、っていうのが大きいんですね。船、魚の種類によって揚げる場所が3か所に分かれている、というのも、規模が大きい銚子ならではの話なのかもしれないですね。だから銚子から離れた、東北沖などで漁をした船からもたくさんの魚が水揚げされているんです。さっき、「銚子漁港は太平洋に突き出ている」とおっしゃいましたが、例えば、東北沖で採れた魚を東京湾の内側の港にもっていくと、時間がかかりますよね。魚は鮮度が命、いち早く陸にあげるのには、銚子はとても都合のいい場所なんです。 そんな銚子漁港に水揚げされるのはどんなお魚なんでしょう。

常世田さん:銚子の街は基本、昔からサバとイワシの街と言われてますので、サバ・イワシが主体となって水揚げは行われております。他にも今ですと、太平洋側でのマグロの生マグロの基地局としても活動させてもらってます。昔からみますと、背黒鰯とか去年とかだいぶ不漁でしたが、サンマ等ですね、だいぶ水揚げ量が少なくなっているのが見受けられます。数年前は本当に全然漁獲がなかったイワシとかに関してはここ近年ですね、だいぶ水揚げの量が増えてきているなあと思われてますね。豊洲の方に卸している方とか、あとまあ、この辺のスーパーの方とかもだいぶ購入はしていただいてますけども。

ほかにも、季節ごとにマダイ、アジ、キンメダイ、ブリ、ヒラメなど、いろんな種類の魚が水揚げされる、お魚の種類の多さもまた、銚子漁港の魅力ですね。そんな銚子漁港では、「船から魚を揚げて、朝7時すぎから始まるセリ(入札)にかけ、トラックで消費地に運ぶ」という、従来の形とは違った新しいことにも取り組んでいて、それが大変好評なのだそうです。

さて、日本最大級の漁業基地である銚子漁港、最近は新しい取り組みも始めています。例えば、市場直営のオンラインショップ。その日にあがった鮮魚のパックなんかは大変人気で、入荷の情報が入ると即売り切れなんてことも多いそうです。そして、こんなことにも取り組んでいらっしゃいます。

常世田さん:ご紹介をいただきまして、東京のマルシェで販売をしてみないかと打診頂いたもので、高速バスを使って東京の方に何度かテスト配送はさせていただいております。ただ、ちょっとこのコロナ禍で、今のところはまだちょっとストップしてますが、今後、いいように進んでいくのではないかという見解も出ています。また、只今好評いただいていますのが、高速バス等を使って、道の駅の発酵の里こうざきの方に鮮魚の方を配送させていただいています。金目鯛含めました鮮魚の方を配送させていただいているんですけれど だいぶ好評をいただいておりまして、防災無線みたいなのを使ってでもですね、放送をしていただいて、銚子の魚入荷しましたよということで流していただいて、だいぶウケが良いと話を伺っております。

ちなみに、銚子に集まる魚介類、船からだけではないんです。例えば、茨城の港であがったタコがそのままトラックで銚子の市場に持ち込まれるというルートもあるそうです。海からも陸からも魚が集まってくるんですね。 最後に、常世田さんにリスナーの皆さんへのメッセージをいただきました。

袋に入っているのは大きなタコ!

常世田さん:

今このコロナの中でなかなか皆さん動けないとは思うんですけれども、落ち着きましたら銚子の町の方来ていただいて、銚子じゃなきゃ食べられない魚、鮮度は間違いないんで、がいっぱいありますので、ぜひ銚子の方にいらっしゃっていただいて、美味しい魚を食べていただきたいなと思います。金目はまあブランド化してるんで、もちろん食べていただきたいんですけれども、銚子の入梅時期に揚がるイワシ、とっても美味しいんでこちら刺身とかだとやっぱ地元じゃなきゃ食べられない部分もありますので、是非食べて頂きたいですね。

梅雨の時期、5月から7月ころに揚がる脂がのった「入梅いわし」という名前は銚子発祥と言われているそうです。手釣りによって銚子漁港に水揚げされることから「銚子つりきんめ」と呼ばれる銚子産のキンメダイは、2013年4月に千葉県内の水産物として初めて地域団体商標登録をしました。さらに、千葉を代表する優良水産物ということで、千葉ブランド水産物の生鮮水産物第一号に認定されました。それから銚子漁港に水揚げされるマグロは冷凍ではなく「生マグロ」なのが特徴で現地にいくと生マグロ専門のお店もあるそうですよ。銚子産の魚介類、たくさんあります。まずはお近くのスーパーなどでみかけたらぜひ手に取ってください。

http://www.choshi-gyokyo.jp/

第84回:「輪廻のラグランジェ」から始まった「アニメの聖地」鴨川

2022/2/11 UP!

アニメ作品に出てくる建物や景色が実在のものに似ていて、ここがそのモデルとなった場所じゃないかな?と話題になる「アニメの聖地」。ファンが「聖地巡礼」と称して実際にその場所を訪ねたりするアニメツーリズム動きもという動きも注目されていますよね

今回は、ここじゃないかな?じゃなくてズバリ「鴨川」が舞台とはっきりしている 放送後10年以上経った今でも多くのファンが訪れるきっかけとなったアニメ 「輪廻のラグランジェ」を支えるミンナノチカラをご紹介します。

まずは輪廻のラグランジェとはどんな作品なのか。輪廻のラグランジェ鴨川推進委員会のWebページからの引用になりますが、

TVアニメ『輪廻のラグランジェ』は2032年の鴨川市を舞台に繰り広げられる、鴨川女子高校に通い、「困った人を見たら助けずにはいられない」ジャージ部を率いる京乃まどかを主人公とするロボットアニメです。2012年1~3月・7~9月の2期各12話・計24話が、読売テレビ/TOKYO MX/チバテレビ/札幌テレビ/中京テレビ/福岡放送で放送されました。

とのこと。2032年に宇宙とつながるところが鴨川。ものすごい発想ですね。

https://lag-rin.com/

鴨川が舞台のこのアニメ、実は、鴨川で地元の街おこしを考えるみなさんの活動が大きな役割を果たしています。今回はそのアニメ作品で街を盛り上げようと鴨川市役所をはじめ地元の5団体から組織された「輪廻のラグランジェ鴨川推進委員会」の委員長 岡野大和さんにお話を伺いました。まずは、鴨川を舞台にしたアニメが制作されるという話を初めて聞いた時のエピソードです。

岡野さん:鴨川に初めてお話しが来たというのは、ちょうど2012年の1月に放映がスタートしているんですが、その半年前の2011年の6月に「制作委員会」の方々がやってきて「鴨川を舞台にしたアニメを実は作ってるんです」と。で、来年の1月から放映しますと言うことで、当時は市役所の方が、その話を受けたんですけれども。私たち一般市民にお話が徐々にこう漏れ伝え聞こえてきたというのは、まあ、8月から9月ぐらいだったんですね。ですので、放映のもう本当に数カ月前になります。もう内容も知りませんから、どういうふうに?じゃあ鴨川が、アニメで描かれているのかなっていう。それはもう、私とかあと鴨川で一緒にやってる仲間なんかも話しても、そこはもう想像の世界っていうんですかね。全然分からなかったですよね。はい。まあ、楽しみでもありましたけどね。はい。

突然、降って湧いたような話に驚いた岡野さん。岡野さんは、鴨川の情報フリーペーパーなどの発行人もされているので、情報が入ってきたのだそうです。とは言っても、その時の情報は「舞台が鴨川」ということだけで、絵の感じもストーリーも全くわからなかったそうでが、その後、第1話ができあがって、街の人たちにも見てもらおうということで、上映会があって、ようやく岡田さんたちも作品を見ることになります。そのときの感想をお話しいただきました。

岡野さん:先行上映会というのを12月の23日の日に鴨川で行ったんですけれども、だいたい私もほぼその頃に第1話だけは見させていただいたんですね。でもですね、やっぱり地元の人間としてはストーリーよりもまああとキャラクターとかよりも、どうやって鴨川市のどこがどうやって描かれてるんだろう?みたいなところばっかり気になっちゃって、正直、あんまりストーリーは頭に入ってこなかったですね。やっぱり放映見てても、あ、ここがこういう風に描かれているんだとか、結構忠実に描いてはくれてましたので、そういう目線がやっぱり先に来ちゃいましたね。はい。聞くところによると、もう数年前からその制作される方々が、ロケハンをして何度も鴨川に通っていたというのは聞いてまして。結構、山の上とか上がって普通地元の人でも行かないような場所なんですよ。で、そこからこう鴨川の俯瞰図を書いてたりとか。かなり綿密に調査はされてたんだなっていうのは、正直、地元としても感心しました。

ちなみに、岡野さんは地元鴨川にある天津神明宮で神職をされている方。

もしかして、自分のところもこのアニメの舞台になるのか?とかなり期待をされたそうですが、残念ながら、場面で登場することはなかったそうです。

かなり綿密にロケハンをされていたようですね。作品12話分のタイトルをご紹介しましょう

第1話「ようこそ、鴨川へ!」/第2話「鴨川スピリット」/第3話「鴨川にランの花咲く」/第4話「鴨川スイマーズ」/第5話「鴨川に来た男」/第6話「風と火と水と鴨川と」/第7話「曇り のち 鴨川」/第8話「鴨川ロリータ」/第9話「勝浦発→鴨川行」/第10話「さらば鴨川」/第11話「鴨川絶対防衛ライン」/第12話「またいつの日か、鴨川で」

全部に鴨川が入っています。ここまで一つの町に入れ込んでいるアニメは他にないでしょうね。

アニメ「輪廻のラグランジェ」の放送終了後も、アニメのキャラクターが鴨川ふるさと特別大使に任命されたり、2014年の夏には鴨川市郷土博物館で「輪廻のラグランジェ展」が開催されたり、鴨川での展開は続いていました。そんな中、アニメ制作側から「この作品の制作資料をそろそろ処分する」という話が出てきます。それを聴いた鴨川推進委員会が「それならばその資料をください!」と申し入れ、結果、この作品の絵コンテをはじめとする制作資料のほとんどが2015年鴨川市に寄贈され、大切に保管されるようになったそうです。アニメの放送当時からの動きを岡田さんに伺っています。

岡田さん:今までの、アニメっていうのはファンの方々がここはここじゃないかなっていうことで、徐々にファンが集まっていくっていう流れだったんですけど、この「輪廻のラグランジェ」という作品は、おそらく初めて、制作委員会がはっきりと、もう「ここの舞台は千葉県鴨川市です」と、放映前から言ったアニメだと思います。これがどうも舞台になった高校らしいぞとか、結構もう写真付きでブログであげたりしていて、私たちもいや、もう来てるんだと、もう放映される前からファンの方々が本当にチェックに来てるんだっていうのはですね。ネットを見てですね。非常にびっくりしました。やっぱり僕たちに夢を持たしてくれた。地域にも夢を持たしてくれた。そういう制作資料、しっかり大切にやっぱ地域が保管して行くっていう、まあ、ある種の文化的な見方っていうんですかね。そういった思いで今活動を継続しているっていうところはあると思います。

制作の過程でたくさん生まれる制作資料、放映後は処分されることも多いのだそう。それをしっかりと受け継いでいるというのはいいことですね。

さて、実は 輪廻のラグランジェ、すでに10年後のイベントが発表されていて、この作品との出会いを大切にしていらっしゃる鴨川推進委員会のみなさんは いまそこに向けて活動をされています。

岡野さん:作品の舞台設定年が2032年。一つ私たちの取り組みとして、そこで市内の「ー戦場スポーツ公園」という芝生の広場にですね。2032年の自分とか大切な人に向けたそのハガキとか、そういうものを封入したタイムカプセルを埋めたんですよ。で、それを2032年の10月17日の正午に、掘って開けようっていうことで、もう実はイベント決まってるんです。アニメの中では(鴨川は)宇宙と繋がる場所になってるんですよ。鴨川がある種の一番地球の最前線というか.。で、そこで宇宙と戦うわけですね。でこれ、荒唐無稽な話かもしれませんけど、でも今想定外のことが起こる時代じゃないですか。だから、もしかすると本当に鴨川が地球の最前線になっている可能性も0じゃないなあっていうふうに思いながら、でも、もうあと10年かと、、、活動今我々やってますね。

鴨川推進委員会や製作スタッフ、声優さん、ファンなど、関係する皆さんで埋めたというこのタイムカプセル。掘りだすの楽しみですね。

http://lag-rin.kamonavi.jp/

掘り出す日までのカウントダウンタイマーほか、盛り上げ活動の報告などは上記のリンクからご覧いただけます。

今回、取材班(チーバくん)は輪廻のラグランジェに出てくる、場所を実際に行って写真を撮ってきました。アニメの場面と比べながら写真を撮ると楽しいものですね。

第83回 世界に味噌文化を発信! 田所商店

2022/2/4 UP!

みなさんは味噌、どのぐらい食べていますか?味噌汁や味噌煮込み、もろきゅうにつけてなど色々な食べ方がありますが、今日はラーメンを通じて世界へ「味噌文化」を発信して いこうという会社のお話です。

ご紹介するのは、 「蔵出し味噌 麺場 田所商店」です。千葉県内だけでなく、全国的に展開をされているお店で、行かれたことのある方も多いと思いますが、味噌ラーメンの味はもちろんのこと、その経営力の高さも評価され、「千葉県経営革新企業」として2度も表彰されているんです。

千葉発の味噌ラーメン店ってことだと思いますが、味噌ラーメンっていうと、 北海道!ってイメージだけど、このお店の成り立ちはどんなだったんでしょうか。社長の田所史之さんにお話を伺いました。

田所さん:味噌ラーメンの専門店を150店舗、国内で営業させていただいている会社ですね。それがメインです。私生まれ、福島です。まあ本当、小さい、小さい味噌蔵だったんですけどね。味噌で学校も出していただきましたし、味噌でご飯も食べさせていただきました。はい。私の実家はですね、私も35歳で一度倒産してるもんですから、倒産と同時にすべてなくなりましたんでね、実家の味噌は現在ありません。まぁ起業するつもりもなかったんですけど、たまたまの巡り合わせだと思うんですけどね、その時に何かにこう頼ると言いますかね。それやっぱりご先祖様と言いますか、私が育ってきたこの味噌に頼ったんだと思うんですよね。これがね、19年前ですね。あの味噌ラーメンの時代というと札幌味噌ラーメンの時代でしたんでね。おそらく35年、40年前、皆さん札幌に旅行に行かれて、あのラーメン横丁で味噌ラーメンを食べて帰ってくるっていう、それがあの「道産子」さんになって「くるまやラーメン」さんってチェーンになっていったんだと思うんですよね。それもまあ、あの一段落して実は下火になってた時代でしたね。横浜の家系ラーメンさんっていうのは、全盛の時代だったんですね。

ラーメンブーム、色々ありましたよね。

田所社長は再チャレンジにあたり、家系全盛の時代に、醤油や豚骨ではなく、「味噌ラーメン専門店」に特化して展開されました。それが現在北海道から沖縄まで国内143店舗。もちろん「味噌ラーメンファン」は多いとは思いますが、なぜ ここまで受け入れられたのでしょうか。田所社長、こんな風にお話されています。

田所さん:ラーメンをやってるっていうイメージがあまりないんですよ。これ、うちの社員もそうだと思うんです。この間、鹿児島の駅の中にですね、あの味噌ラーメンを出させていただいたんですけど、実はラーメンが3軒並んでます。地元の昭和23年創業のラーメン屋さん。私どもの隣が24年創業のラーメン屋さん。で、私どものラーメン屋があるんですけどね。通常であれば、おそらくラーメン屋で考えれば出さないんだと思うんですけど、私はもう味噌を売ってるっていう感覚なんですね。ですから、もちろんラーメンの形にさせていただいているんですけれども「味噌を売ってる」という感覚なもんですからね。ですからまあ、鳥取県の米子で行きますとですね。人口15万人ぐらいの、小さい町なんですけどね。ここにラーメン屋さん何軒もありますけれども、私どもが出ていっても、よそのラーメン屋さんも売り上げ落ちてないと思ってますし、よそのラーメン屋さんが・・大きいラーメン屋さんが出てきてもですね、われわれの売上が落ちないんですね。ですから、あのラーメンなんですけれども、我々は味噌売ってるっていう。ラーメン屋なんですけど、ラーメン屋じゃないみたいなあの形でその営業させていただいているんだと思うんですよね。

味噌は日本古来の発酵食品。「手前味噌」という言葉がありますが、かつては日本全国、各地、各家庭でそれぞれの「味噌」が造られていました。海外で日本食が注目されるなか、栄養価が高く、必須アミノ酸・ミネラル・ビタミンが豊富で、ビタミンB2やカルシウムの補給にも役に立つほか、調味料としても重宝されてきた「味噌」。「味噌ラーメン」を通じてトライしている「海外への味噌文化の 発信」についてもお話しいただきました。

田所さん:あの2007年にですね、ブラジルが1号店だったんですけどね。海外の2号店の台湾、で、の後が、シリコンバレー、ニューヨークもこれもみそ専門でやってきましたけどね。ラーメンっていうくくりでいくと、もうラーメンやっぱりチャイニーズなんですよね。豚骨がジャパニーズになってきて、この味噌ってのはどこにも入ってないんです。未だにあまり入ってないですね。味噌ラーメンを食べると健康っていうか、その発酵食っていうこと自体ですね、よくわかってないと思います。なぜその日本食がですね、今ユネスコなんかにも登録されたりですね、やっぱりこう世界でブームになっているかと言うと、やはりこれは日本人が長寿だからなんだと思うんですよね。食べることがイコール健康というところにつながっていってるんだと思うんですよね。そういう意味での味噌という発酵食というところでのその認知をされてまして、ですね。そこからラーメンへの、ブラッシュアップをしていると言うかですね。そのまだ程度だと思っています。昔のね、その日本のことわざですと「医者に金を払うなら、味噌屋に払え」っていうぐらいのことわざがあったようですけどね。江戸時代にはですね。腸をきれいにしたのが、この発酵食であって、その代表だったのが味噌っていうことらしいんですけどね。まあ、そういう意味でのその健康食という言われるところなんだと思いますけどね。

300年以上前の医学と食に関する本『本朝食(ほんちょうしょっ)鑑(かん)』(1695)には、「味噌はわが国では昔から『1日も欠かしてはならないもの』であり、元気をつけて血のめぐりをよくする効果がある」と記されています。元禄の時代から知られていたこのパワーが海外の方にもっと伝わるといいですよね!

最後に田所社長の今後の夢についてお話しいただきました。

田所さん:海外での味噌の製造含め、ですね、そちらに入ってきたいというふうに思ってます。で、それを踏まえてラーメンの味噌ラーメンは、やっぱりまた世界にこう広げていけるようなですね。今ちょっとコロナでつまずいてますんでね、また、これを修正して前進をして行きたいという風に思っています。当初ですね、19年前にこれをさせて頂いた時に、なんとか50店舗作りたいと。各県に1店舗を作りたいということで始めたんですよね。今、こうやってでも150店舗させていただいたんですけど、でも、まだまだ作れるところいっぱいあるんですよね。北陸なんかまだ出てませんしね。そういうところにもどんどんあの出店をしていってですね、全国の、味噌屋さん、私の実家なんかもそうですけど、小さい味噌屋さんがやっぱりさらに、小さくなってるお店やさんもあるんでね。こういうところにそのもっと、もっとその活力と言いますかね、あのもう一回元気になっていただけるような、「味噌文化」を、ラーメンを通して、作れたらいいなと思ってます。

ちなみにこちらは田所社長からいただいた、オンラインショップで販売されている「味噌ラーメン」を自宅で作っていただくDJの中西悠里さん。お店でもおいしくいただいたそうですが、自宅でも本格的なお味噌の味が沁みたそうです。

田所商店の味噌は自社製造で、北海道・信州・九州・江戸前・伊勢など日本各地の味噌の中から各店舗ごとに選んだ三種類の味噌を基本にバリエーションを楽しめるようになっています。お近くのお店を見つけたらぜひいろいろ比べてみてください。(お店はこちらから検索できます)

https://misoya.net/

第82回:成田空港スペシャルツアー

2022/1/28 UP!

今日は成田空港のお話です。

現在、国を跨いでの移動にいろいろと制限がある状態が続いていますね。 空港は利用する方が激減して、寂しい状態の日々が続いていますね。そんな中、成田空港では、スペシャルバスツアーというものが行われていましてとても人気があるのだそうです。

空港は、みなさんご存じの通り厳しいセキュリティーがあり、どこへでも勝手に行けるというところではありません。一般人であ る私たちは、電車やバス、クルマで空港に着いたら、離発着ロビー、レストランや展望デッキなどがある旅客ターミナルビルの中の決められたエリアと、搭乗する飛行機に乗る、それですべてですが、このバスツアー、それ以外の普段入れない区域にも行けちゃうという特別なツアーなんです。

今回は、成田空港を運営しているN A A(成田空港株式会社)のグループ会社である、グリーンポートエージェンシーの大澤宏司さんに、このツアーについてお話伺いました。

大澤さん:成田空港のスペシャルバスツアーの企画・造成を担当しております。成田空港スペシャルバスツアーとは普段は関係者以外立ち入り禁止エリア皆様をご案内いたします。空港を支える裏方の仕事を車窓見学したり、国内での唯一の空港会社職員がターミナル周辺の航空機や車両の動きを専門に管理するランプセントラルタワーへ登頂も可能となっております。一部滑走路付近にて降車もするので離発着状況によっては普段見られないアングルからの航空機の離発着を見ることもできます。コロナ禍により壊滅的な状況にある航空業界であったり、観光業界、それを下支えする成田空港も非常に厳しい状況にあり、今できることを成田空港とその周辺の関連事業者と連携して成立しているツアーとなっております。

実は、中西さんも参加しましたよ

成田空港は、現在は、人を乗せて飛ぶいわゆる「旅客便」は激減しているんですが、貨物はあまり減ってません。そもそも航空貨物の取り扱いは、日本で一番多いので、カーゴとよばれる貨物便がたくさん往来していますから、コロナとはいえ大変なことなんです。迫力ある風景をこんなに間近で見られるというのは、空港関連会社であるグリーンポートエージェンシーならではでもあり、しかもいろんな空港関係者が協力してくれてこそ成立しているそうなんです。

大澤さん:バスツアーのまずガイドについては、普段は空港のインフォメーションで働くスタッフをガイドに迎えて、警備については普段空港関連施設を警備している警備員が対応します。バスについては地元のバス会社であったり、普段は成田空港と都内を結ぶリムジンバスなんかも協力しながら、対応しているところです。 毎回その企画内容を変えて月3〜4回程度実施をしているところです。例えばですね、先ほどのリムジンバスとタイアップした企画などは、バスの車庫見学と空港見学を組み合わせたり、近くにある航空会社関連のレストラン古民家を改装したジャルアグリポートと連携したツアーであったり、この周辺の博物館や機内食工場とタイアップした企画なども実施しております。弊社のツアーに関しては、関係者の協力が必須となっておりまして、まあ今置かれているその空港の状況であったりとか、そういったところは関係機関に理解いただいて協力を得て信頼関係を得ながらツアーの方を造成をしているところです。

10年ほど前から、こんなツアーができたらいいなという話はあったそうなんですが、コロナの影響を受けて実現に向けた話が一気に加速したそうです。でも、普段一般の人が入らないところに人を入れるということはなかなかハードルが高くて、保安上の問題とか、衛生上の問題などありますし、もちろん空港としての通常の業務に支障があってはいけません。そういったことを細かく調整しながら、ひとつひとつツアーを企画していったそうです。

空港内のいろんなセクションとの交渉を進め、さまざまなスペシャルバスツアーを展開しているそうですが、だいたいは、大人ひとりのお値段がおよそ2万円ほどど、パッと見るとちょっとお高めに見えるんですね。でも大人気なんです。 どんなお客様が参加しているのか、その反応などについて聞きました。

大澤さん:全国からこのツアーの為に来ていただくお客様がいたりとか、実際にもう3回、4回とリピートしてくれてるお客さんもいれて、大変好評いただいております。遠くはその宮古島からこのツアーの為に来ていただいたお客様もいらっしゃいます。このツアーのために前泊して参加していただいております。特別なアングルで 写真が撮れて、非常に満足して帰って行かれました。

どちらかというと、やはり航空ファン、そういった方の方が中心となっているところです。見学ツアー中では下車ポイントを用意しておりまして、滑走路の中央付近の消防署付近で下車が1度できまして、そちらの方からは航空機の離発着が見られますので、写真好きの方とか、大きなカメラを持って皆さんその離発着の様子を写真に撮られているところです。望遠レンズを用意したりとか、三脚を準備して離発着を待ち構えているお客様などもいらっしゃいます。日によって、飛んでる飛行機も違いますので、1度に限らず2回、3回と参加していただきたいところです。

鉄道だと、写真を撮影する鉄道ファンを「撮り鉄」なんて言いますけど飛行機の写真を撮影する航空ファンは「スポッター」と呼ばれているみたいですね。

大澤さん:今後、外国人需要の方が回復してくる時にはですね、空港とその周辺地域の観光の魅力を感じていただけるようにですね、そういったツアーも企画していければいいなと考えております。空港見学ツアーの私の1番のおすすめポイントとしてはランプセントラルタワーとなっております。地上約60mのタワーとなっておりまして、360°見渡せる景色からはですね、夕方などは遠く富士山やスカイツリーなどを見渡せて大変魅力的なタワーとなっております。夕方がおすすめですね。タイミングが合えば、4000mの滑走路に航空灯火がパーッと明るく光るタイミングに会うことができますので、それは本当に感動すると思います。おすすめです。成田空港を、もっと好きになってもらっていただくこと請け合いです。あなたの知らない成田空港をこのバスツアーで見つけてください。

すでに、香取神宮と佐原の町での食事などをセットにしたツアーも行っていらっしゃいます。成田空港を移動の通過点としてではなく、目的地として楽しんでもらうための企画・・・過去には、朝一番の飛行機が到着るする前の空港を楽しむ、朝3時45分出発するというハードなものもあったそうですが、朝日と飛行機のコラボレーションの写真を撮影できるということで大人気だったそうです。今後もオンリーワンのツアーの魅力を発信していただきたいですね。ツアーの詳細はグリーンポートエージェンシーのホームページに紹介されています。ぜひ最新の情報をチェックして、成田空港の新しい楽しみ方 見つけてください。

https://nrttour.gpa-travel.jp/

お話聞いてきました。

第81回 柏相撲少年団

2022/1/21 UP!

柏に、全国でもかなり有名な相撲クラブがあるんです。そこから未来の大相撲横綱を目指して多くの子供たちが頑張って、実際、相撲部屋に入門、力士として活躍している方もいるそうなんです。 今日は「柏相撲少年団」をご紹介します。

練習は主に、柏市中央体育館の相撲場で行っています。取材スタッフによると、取材当日の午前10時、気温なんと5度だったそうですが、立派な土俵の上で、子供たちが元気に練習していました。

ご自身も柏相撲少年団のOBで、現在・監督をされている永井明慶さんに、今回、お話いただきました!柏相撲少年団、いつ頃、どうやってできたのでしょう。

永井さん:柏相撲少年団の監督をやっている永井です。平成元年にスタートしまして、当時はですね、柏市のゆかりの力士として、麒麟児さんが有名なんですけど、麒麟児さん引退直後、この柏の地に、相撲を残すためにあの立ち上げた次第ですね、はい。関東でも数少ない大会ができる会場でして、いつもゴールデンウィークとかは子どもたち300人ぐらい来て、相撲大会をやっています。うちはですね。まあ入団するっていうところでいうと、オムツが取れてから入れるので、1番下の子は3歳 とか。上は中学3年生ですね、はい。私がちょうど始めたのは、平成4年の小学4年生の時だったんですけど、ちょうど世間が「若貴ブーム」で相撲ブームが来てる時に親に声をかけられてですね、ちょっとそれをやってみないかということで、「この町に土俵があったので、相撲と出会えた」という形ですね。

その盛り上がりをしっかり繋いでいこうということで始まったのが、柏相撲少年団。今でも常に多くの子供たちが練習に参加しているのには、監督をはじめとする指導者の皆さんのこんな思いがあったからなんです。

永井さん:うちって強くすることも大事かもしれないんですけど、それ以上に「相撲を好きになるように」色んな事に取り組んでます。やっぱり強くなる上で厳しい稽古とかもありますので、そういった時に嫌いなものに関しては、忍耐力とかもつかないんですけど、好きなものに対してはやっぱり厳しい事とかきついことにも耐える精神力が身に付いてきますので、そういったことでは好きにさせるような工夫を色々してますね、はい。1番遠い子は鹿児島の徳之島の方からきたりとか、愛知から来たりとか、何人かですね、自分の町に相撲をやれる環境が無いとかいう子はですね、親元離れて ここで取り組んでいる子もいます、はい。

柏ではこの「柏相撲少年団」だけでなく、柏市から力士を応援・育成する、柏の力の会と書いて「はくりきかい(柏力会)」というプロジェクトが始まっています。柏市内で活動する未来の力士を育て上げるための協力、支援。そして柏市にゆかりのある力士への応援。さらに柏市とゆかりある力士が引退した際の活動の場を支援し、福祉活動にも貢献するという3つの柱を持った活動を行っています。

少年相撲大会で、全国的にも強豪として有名な柏相撲少年団。永井監督に、番組リスナーの皆さんへメッセージをいただきました。

意外と柏から力士出てるんですけど、相撲クラブあったんだってまだ言われるので。まあ本当に何かこういうラジオも通じて、柏に相撲クラブがある頑張っている子供がいるって知って欲しいですね。全然もう来ていただければ、本当に中に観客席があるので、もうそこに座って誰でも見れるようには開放してます。うちは、はい。結構ね、見てて見てるうちにやりたくなったから体験するって子もいますし、あとはもううちすごくいいなと思うのが、子供たちいっぱいいつもやってるじゃないですか、その親だけじゃなくて、おじいちゃん、おばあちゃん、だから3世代で楽しんでくれてるので。この柏で唯一の相撲クラブである柏相撲少年団。毎週土日の9時から12時で稽古してます。大きい子から幼児のちっちゃい子まで、みんな土俵の上で頑張ってますので、本当にふらっと気軽に立ち寄る感覚でいいですので、ぜひご興味ある方は見に来てほしいです。

第80回: 千葉の花畑 カラーの産地君津

2022/1/14 UP!

第80回でご紹介するのは君津のカラーです。実は千葉県は全国トップクラスのカラーの産地なんですが、中でも君津市の小糸地区は、湿地でよく育つカラーの生産が盛んな地域なんです。今回は、日本有数のカラーの産地、君津のカラー農家さんを取材しました。ちなみに、カラーという花はその生育場所によって「湿地性」と「畑地性」の2種類があります。「湿地性」は、常に水がある状態のところで育てるもの。そして「畑地性」畑・・つまり土の上で育てられるものです。「湿地性」の君津のカラーの特色について、生産者団体の ブルームネット、松崎航さんに伺いました。

松崎さん:君津でカラーを作ってます。ブルームネットの松崎航と申します。サトイモ科で南アフリカ原産なんですけども、阿蘭陀海芋っていう和名がありますね。この千葉県の君津市っていうのは、すごく井戸水が豊富にでるところなんですけど、自噴井戸が沢山実はある地域なんですね。井戸の水がたくさんないとカラーっていうのが、実は育たないっていう。ビニールハウスの中にずっと井戸水を掛け流してるんですけど、そこに球根がうわっている。よく循環させているの?とかっていう人いるんですけども、もう「かけ流し」。井戸水をかけ流し。ここら辺で出るその井戸水の温度が、15°前後なんですけども、それが要は冬場はビニールハウスを温めて、凍らないようにする。で、夏場は、その球根腐らないように冷やしてくれる。井戸水の恩恵じゃないですけども、そういうのを受けて、ここら辺、君津の小糸あたりっていうのが湿地性カラーの一大産地となっている理由かなと思います。この千葉県の君津市、世界一、多分カラーに合って いる地域なんじゃないかなって。原産国よりあってるかもしれない!という人も、昔いましたね。

白いカラーは、ちょっと大ぶりな感じで、大きめの生花や結婚式の装飾とかで使われていることが多かったと思いますが、昨年秋、千葉県が新しい品種を発表しました。名前はブリリアントベル、10年の歳月をかけて開発したそうですが、従来の人気品種・ウェディングマーチと比べてどんな特徴があるか伺いました。

松崎さん:去年、千葉県の方で育種した新しいブリリアントベルというカラーが発表されまして、ブルームネットとあと、小糸花き組合という、生産組合2つあるんですけれども、そちらの方で今皆さん作付して栽培を始めています。(従来の)ウェディングマーチっていうのはすごく茎が太いですが、このブリリアントベルは細いんです。で、花もそんなに大きすぎないので、何本かまとめて束ねて持っても太くならないんです。ウェディングマーチだと5本ぐらいで大の大人がつかむような感じになっちゃうんですけども、ブリリアントベルだったら10本とか15本とか持っても、そのなんですかね、花嫁さんが持っている姿が凄い綺麗に見える。そういう花だと思ってますね。

千葉県のホームページによりますと、特徴は

  • 花は小ぶりで、ややクリームがかった白色
  • 茎は細く、収穫本数が多い
  • 従来の栽培品種(ウェディングマーチ、アクアホワイト)よりも収穫開始時期が早い(10月頃~)
  • カラー生産の大敵である「疫病」に強い
  • フラワーアレンジメントやブーケに使いやすい

ということです。ちょっと小ぶりなら、確かにブーケなどアレンジしやすいですし、小さな手の方でも持ちやすいですよね。それに早く収穫できるということは、カラーを楽しめる期間が増えたわけですから、私たちにとっても嬉しいことですよね。まだ作り始めて間もないということですが、花屋さんやお客さんからの反応も上々だそうです。

松崎さんは生産者組合ブルームネットのメンバーで、お父様の代からカラー農家で育ちましたが、後を継ぐのはあまり乗り気ではなかったそうで一旦大手の花屋さんに就職。いろいろな現場でさまざまな種類のお花と向き合う中で、君津のカラーのクオリティの高さに驚いたそうなんですね。 そして、この花を継いでいかなくては、と就農されたそうなんです。ブルームネットのカラーはその品質の高さで、信頼を得ていますが、実はカラーというお花、扱いがとても難しいんだそうです。

松崎さん:ブルームネットの1番の売りっていうのが厳しい選別。このカラーっていうのが実はすごく傷つきやすい花なんです。白いところが折れジワとかが入ってしまったりするとすぐ茶色くなっちゃったりするんですけど。やっぱり1番取ってきた状態っていうのが1番きれいなので、そういう状態でお客さんに届けたいという思いがあるので、しっかり1本1本、丁寧にキズが入ってないかっていうのを選別して、したものを束ねて箱詰めして出荷するという形をとってますね。輸送中のスレっていうのが1番怖いんですよね。我々の手元できれいに箱詰めしても、やっぱり輸送中に揺れたりっていうことがあるので、その箱詰めでいかにすれないかっていうのは、丁寧に・・そうですね。梱包はしてますね。お客さんのもとに綺麗に行ってこいってみたいな感じですね。

松崎さんご自身の農園で栽培しているカラーについては、全部無農薬で作られているんです。井戸水掛け流しでも、下流の地域にも環境に影響がでないように持続可能な生産に配慮されています。そして、お花の収穫、摘み取り、寒い時期は、あまり朝早くは収穫しないんですが、なぜでしょうか?

この時期の君津内陸部は、霜が降りることも多々あるそうで、そんな時に摘み取って置いておくと、花が凍ってしまい、傷んでしまうことがあるので、少し気温があがってから摘み取り作業をするそうです。

お花屋さんでカラーつかいたいという時に、やっぱり太いと花束を組みにくかったりして使いにくいってよく言われたんですけども、新しいこのブリリアントベルでしたら、ほかの花と合わせてもいいですし、

一般の家庭っていうのは、大きい花瓶がない家庭って結構たくさんあると思うんですよ。ちっちゃい花瓶

しかないとかっていう方にもこのブリリアントベルだったら楽しんでいただけるサイズ感なんじゃないかなと

思ってます。このカラーっていうのは、やっぱりすごくスタイリッシュで、線があってカッコいい花だと思うんですよ。男性の人が持って歩いても、すごくサマになってカッコいい花だと思うので。是非、女性の プレゼントとか考えている方、ぜひね、君津のカラーを買って街を歩いていただけたらいいなと思います。

日本有数の産地という言葉に驕らず、一本一本大切に作られている君津のカラーは品質も抜群です。お花屋さんでカラーをみかけたら、それは君津から届いたカラーかもしれません。乾燥に注意してお手入れすれば 10日から2週間は楽しめます。ぜひ注目してみてくださいね!

第79回:山武市のストロベリーロード順子のいちご園

2022/1/7 UP!

今年もよろしくお願いします。

山武市の国道126号沿いに いちご園や直売所が並ぶ「ストロベリーロード」があるのをご存知でしょうか?

このエリアには、およそ20軒もの観光苺園がありまして、イチゴ狩りシーズン、たくさんのお客さまをお迎えしようとみなさん、頑張っていらっしゃいます。およそ20軒の苺園から組織されるこの組合では、「真紅の美鈴(黒イチゴ)」や「白いちご」といった珍しい品種も含めると20種類以上のイチゴが栽培されているそうです。今回は、観光苺組合の組合長でインパクトのある名前のいちご園「順子のいちご園」の園主、中村隆幸さんに、お話を聴いてきました。まず、イチゴよりも先に気になるのがその名前。順子さんって、どなたなんでしょう?

中村さん:順子はうちの母でございます。イチゴっていう字が草かんむりに母という字を書きますので、まあうちの親父が母ちゃんの名前でうちはいこうと言うことで、この名前になりました。以前は中村いちご園ということで、名字での園名ではあったんですけれども、この方がインパクトがあるということで好評いただいております。東京の高級フルーツ店などに卸す出荷組合が母体となってまして、そこからだんだん観光に舵を切っていくのが、それが40年ぐらい前からということですかね。千葉県の耕作地の土壌の性質というのを地図で見ますと、この辺一帯はですね、黒土、すごく肥沃に富んだ土地柄でありまして、特に甘いイチゴを作る。そういう地力のある土と言うことで、すごく合ってたんだと思いますね。

取材時には順子さんはお出かけ中で会うことはできませんでした。

順子のいちご園では、12月初旬から直売所、年明けからいちご狩りが始まっています。8種類の美味しいイチゴを作られているそうで、食べ比べできるのも楽しいところ。「とちおとめ」「あきひめ」「ふさのか」「おいCベリー」「やよい姫」「かおりの」「紅ほっぺ」「チーバベリー」で8種類だそうです。それぞれに特徴があって、美味しい時期も少しずつズレているので、シーズン中 何回行っても楽しめます。

いろんな種類の中でチーバベリーという名前のものがありますが、これは一体どんな味がするのでしょうか?

中村さん:葉県の試験場で開発・育種された品種でして、もう10年以上前試験段階の頃から成東地区ではずいぶん作ってました。当時は千葉S4号という名前で試験栽培として、この辺で実証試験みたいなことをやってたんですけれども、もうこれを世に広めようということで「チーバベリー」という名前で皆さんから公募したと思います。はい。育種登録をし世に出たわけですね。特徴としては割と大果です。大きいです。粒が。甘みもあるんですけれども、酸味とほどよいバランスですごく濃厚芳醇な、果汁も多いので、そういった食べ応えのあるイチゴだって、そういう印象ですね。そこはやっぱり千葉県が満を持して世に出すイチゴですから、相当その試験場の方々も苦労なさったのではないかと思います。直売とイチゴ狩りの2本立てなので、うちは苺狩りのみなんですけれども、もちろん直売店で買える園もございます。

名前からも分かる通り、千葉で開発されたイチゴなんですね。

食べ比べも楽しいいちご狩りですが、だいたいは5月の大型連休ごろまで楽しめるのだそうです。まだ4ヶ月もありますが、長い期間私たちを楽しませていただくために、イチゴ農家の皆さん、大変なご苦労もあるようです。

たとえば、現在2022年のこの時期に収穫できるようにするためには2019年の秋から準備を始めなくてはいけないそうです。「夏の間は暇そうでいいね!」ってよく言われるけど、そんなことは全くなくて、サウナ並みに暑くなっているハウスの中で、イチゴの手入れをされているそうです。そして   令和元年、2019年の秋に千葉を直撃した台風ではこの地域に壊滅的なダメージを与え、次のシーズンを諦めようと考えた農家さんも多かったそうです。

中村さん:まあ、私共組合の中にはやはり高齢の方で70代半ばぐらいになる方もいらっしゃいます。ほぼほぼ台風19号でハウスが倒壊してしまい、正直どうするのかなと思ってたんですが、まあ、政府のいろんな支援もありまして、ハウスをまた立て直し、またね、いちごを作ってるんですね。おじいちゃんが言ったことがですね、やっぱりお客さんが待ってるからさっていうんですね。私の所も被害は少ない方だったんですけれども、それでも、もう本当にまさに途方にくれる、呆然としてしまう、何から手をつけていいんだろうっていうような感じでした。で、ちょうどやはり、どうかなと、大丈夫かなと思ってたんですけども、うん、やはりお客さんの顔がこう思い浮かぶんでしょうね、頭にね。待ってるお客さんがいるから、やっぱり苺作らなくちゃっていう。そういう思いがあってのイチゴ作りなんだと思いますね。

お客さんのためにというその思い。ありがたいです。その思いのお陰で味わえるこの美味しさ。スタジオでも楽しませていただきました。

この番組を聴いて、山武にいちご狩りに行きたいなと思った方、中村さんにいちご狩りに役立つ「アドバイス」伺いましたよ!美味しく楽しむために、何時頃行ったらいいんでしょうか?

中村さん:もうこれは朝イチに限りますね。早くから入った方から順番に、大きい実だとかおいしそうな実をどんどん口にして、だんだんそういう実が少なくなってきちゃいますので、できれば午前中に来ていただければ、もう充分かと思います。午後きたらちょっと、小さい粒、小ぶりな実にもね、ちょっと手を伸ばしてみてほしいと思いますね。割と小粒の方が美味しいって言って召し上がる方ずいぶん多いです。食べ放題なので、もう100個200個食べても全然大丈夫なんで、はい、とにかく美味しい実をいっぱい食べていってもらいたいですね。山武市成東観光苺組合はですね、感染症対策もキッチリとして皆さんのお越しをお待ちしております。ここに来ないと、なかなかこういったいちごってのは食べられないと言うのが、正直、お客様、いろんな方から聞く声なので、是非ともですね、私たちが最高の状態で捥いできたいちごをぜひ召し上がっていただきたいと思います。食べればわかります。これは間違いなくわかります。

朝イチからイチゴ三昧とは贅沢な感じですね。大きいのだけじゃなく小振りでもおいし〜いものもたくさんあるそうですから、しっかりと見極めたいですね。

山武市の「ストロベリーロード」、ぜひ皆さんも、現地で食べてみてください。完熟いちごはサイコーですよ!近くには人気の道の駅「オライはすぬま」もあって、地元の新鮮な野菜や水産加工品などもいろいろ買えるので、是非立ち寄ってみてください!

山武市成東観光苺協会

https://sanmu15.com/

第78回 千葉の郷土料理

2021/12/31 UP!

今回は、千葉の郷土料理を取り上げています。中でも、特色がある「太巻き寿司」です。かなり大雑把に言いますと、大きな海苔巻きなんですが、どんな特徴があるのでしょうか?千葉伝統郷土料理研究会会長の杉崎幸子さんにお話を伺っています。

杉崎さん:千葉伝統郷土料理研究会会長の杉崎幸子です。この会は千葉に伝わる郷土料理、これを伝えていこう、継承していこう、残していこうということで始まってはいるんですけど、今、中心的に活動しているのは太巻き技術。太巻き寿司の技術を皆さんにお伝えしていこう、広めていこうという活動が大体の活動にはなっています。千葉の太巻き寿司は独特です。切り口から色々な模様というか、図柄が出てきます。花であったり文字であったり、色々な楽しい図柄が出てきます。お寿司の中に色々な絵をかく想像して作っていくというのは独特ですね。いろいろな食べ物ではありますけど、まあ金太郎飴のようなイメージをしていただければいいかと思うんですけど、元気な男の子の顔も出てきますし、蝶々も出てきますし、凝る方は富士山まで作ってしまいますので。

みなさん、太巻き寿司といいますと最近は関東にも浸透してきました「恵方巻き」を思い浮かべる方もいると思いますが、千葉の太巻き寿司、まずは見た目も違いますし、使う素材も独特なんです。なぜこのような形になったのか千葉の太巻き寿司のルーツについて杉崎さんに伺いました。

杉崎さん:私たちの会を作りました、龍崎がいろいろ調べたんですけど、どうも紀州の方の漁民の皆さんが九十九里の方へ色々交流があった。その時に紀州の高菜漬で作る「めはり寿し」の、大きくまくっているのが原点になって、どういうきっかけかわからないんだけど、ちょっと工夫してみると中に色々な図柄ができるというのを発見したのが、ルーツではないかと、私たちにこう色々説明してくれる中ではあります。今のように華やかではなくて、もう少しシンプルな簡単な図柄だったんではないかなと思います。いろいろ江戸時代とか、いろいろおっしゃるんですけど、漉き海苔、今のような海苔ができて、農民の手から生まれているんですけど、農家の方々が海苔をちゃんと買えるようになった時代からではないかといわれています。ただ人によっては、江戸時代とか江戸時代の終わりからとは、まあ、古い歴史があるという風にはおっしゃってますけど、はっきり何年ぐらいからという文献はまた探せてないです。

お話にあった「めはり寿司」は、和歌山県、三重県にまたがる「熊野地方」や奈良の「吉野地方」の郷土料理で、大きな高菜の葉でまるくご飯を包んだ ものなんですが、見た目もあんまり似てないですし、作り方もかなり違いそう。ということで、実は先日中西さんが、特別に、杉崎会長に直接、作り方を教えていただくことになりまして、感染症対策をしっかりとした上で、作ってきました。

なかなか上手にできてますね

昔は、この太巻き寿司、専門の人が作っていたようなんです。

杉崎さん:冠婚葬祭ですので、お正月の人がたくさん集まる時とか、その他のお祭りの時とか、大勢の人が集まる時のおもてなし料理として作られていたものです。作る方によって、いろいろな図柄を作る、特異な図柄があったようです。今は100種類以上、140種類とか言われてますが、昔、素朴な図柄で作られていた時代は、すしつけ名人という男性の料理人の方いらっしゃって、女性たちは食材を準備してお待ちしている。そこへ名人が来るとお寿司を巻き上げて、切らずに帰ったんだそうです。伝え聞くところによると巻き簾と包丁をさらしの手ぬぐいに巻いて、(太巻きを)巻いたら、帰ってしまうというふうに伝え聞いております。で、それを準備をしていた女性たちがこういう風に作っていたよねっていうのを思い出しながら、実は終戦後、すしつけ名人の男性が作らなくなってから女性の手に移って、今のような華やかな図柄になったと言われています。

杉崎さんが会長をつとめる千葉伝統郷土料理研究会は、現在、コロナの影響でお休みしていますが、県内各地や時には海外でも「太巻き寿司製作体験教室」を行って、この伝統料理を伝える活動に取り組んでいます。この活動の今後についてお話いただきました。

杉崎さん:やはり止まってしまったら、もうそこで伝えるということが消えていってしまうような心配がありますので、常にこう情報提供をして郷土料理があるんだ千葉県にはこんな素晴らしいものがあるんだというのは、情報として発信し続けていきたいと思っていますので、早く再開したいなと思っています。千葉県いろんな食材がとれるので、その食材を使ったお料理がやっぱり地域で残されていて、それが今に伝わっています。地域で採れたもので作った郷土料理がちゃんと残っているということは皆さんに、知っていただきたいなと思います。

こちらはコロナ禍前の勉強会の様子

流通の発達によって、今や全国どこでも同じクオリティの食材が手に入る時代ですが、その場所でとれたてで土地の空気や水なども含んだ味わいを楽しめる「郷土料理」。ぜひあなたのまわりのさまざまな郷土料理、探してみてください。千葉伝統郷土料理研究会でも体験教室を徐々に再開していきたいということでしたので、番組ブログにリンクを貼っておきます。ぜひチェックしてくださいね。

千葉伝統郷土料理研究会

https://fmsushi.jp/

第77回:千葉交響楽団

2021/12/24 UP!

第77回でご紹介するのは千葉交響楽団です。1985年設立。36年の歴史がある、地域に根差したオーケストラを目指して主に県内での演奏活動を行なっている楽団です。

音楽監督を務め、指揮者でもある山下一史さん、あの世界的に有名な指揮者・カラヤンのアシスタントをしていた時に、急病となったカラヤンに代わり黒のジーンズのまま指揮をして、演奏会を大成功させたと言うとんでもエピソードをお持ちの方なんです。まずは山下さんに「指揮者」ってどういう役割なのか聞きました。

山下さん:『音楽家なのに楽器を演奏しない指揮棒を振るだけ。これはおかしいですよね?普通の感覚からいくと。ちょっと考えていただきたいのは、お芝居の演出家。演出家っていうのは、台本をすべて理解して、もうセリフの言い回しも全部自分で理解した上で、それを色んな人に割り振っていく。または役者の個性もありますから、割り振るだけじゃなくても、役者の良さも引き出すとか、そういう役割ですね。演出家っていうのは本番でいつも客席の後ろの方ですね、手に汗握るしかないわけですけども、指揮者の場合は同じ舞台に立つことが出来るっていう。これは演出家より幸せなことだと思っています。』 

2016年4月から音楽監督として千葉にやって来られた山下さん。演奏活動をしながらいろんなことを感じたんだそうです。そこで出したスローガンが「おらが町のオーケストラ」。その思いについて伺いました。

山下さん:『まず僕が千葉に来た時に千葉交響楽団っていうのが、千葉の皆さんにそこまで知られてないという認識があったんですね。で、これをなんとか知っていただきたい。そのためにはどうしたらいいか。もちろん良い演奏することなんですけれども。やっぱり、これはたとえ話で、野球のチームとか、サッカーのチームで必ずあるじゃないですか。僕は広島生まれですから、広島東洋カープってことですね。それからサンフレッチェというのがあって、とっても強いからいいっていうんじゃなくて、自分の街のチームだから愛して行くんだっていう気持ちが地方都市にあったと思うんですよね。で千葉っていうのは、あまりにも東京に近すぎて、首都圏という括られ方しますよね。そういう意味で、もしかしたらそのローカルの気持ちが少ないのかもしれないけれども、それでもやっぱり千葉愛って絶対あるじゃないですか。その中に千葉交響楽団を加えていただきたいというふうに思って、わざとちょっとくだけた物の言い方で 「おらが町のオーケストラ」っていうふうに言わせていただいているわけです。最近、少しずつ千葉交響楽団も今言った仲間に県民の方々の口にのぼるようになってきたかなっていう実感はあるんですけど、、、』

これまで、定期演奏会はもちろん、県内各地での県民芸術劇場公演や学校に出向いての音楽鑑賞教室などをたくさの活動を通じて、県民の皆さんに音楽をより身近に感じていただけるようにと取り組んで来られたそうです。そんな思いがある千葉交響楽団ですが、コロナの影響で演奏活動ができない時期が続いていました。ですが、少しずつではありますが演奏活動を再開しています。

そんな状況の中もっと困ったのが練習です。個人練習は家などでそれぞれがすることができますが、オーケストラはいわば全員野球。演奏会当日に来て「はい、やりましょう」と言うわけには行かない。オンラインで繋いでやろうとしても、微妙にタイミングもズレるし、音のレベルも違う。昨年の8月に再開した演奏会に向けての久々の練習は、とても感慨深かったようです。そして、その演奏会で、オーケストラ、観客の両方の顔を見ることができる山下さんは、このように感じたそうなんです。

山下さん:『まあプロフェッショナルっていうとね、仕事っていうイメージがありますけれども、もともとは音楽好きが高じて、それが仕事になったという幸せな人種なわけで。逆にまた音楽できるっていうことが、こんなに嬉しいことなんだって再認識できたっていう面もあったんじゃないかと思うんですよね。お客様と我々、要するに、舞台の上とそれから客席、この距離がもう飛躍的に縮まったと思うんですよ。去年の8月1日のコンサート。これ我々にとって、半年ぶりのコンサートだったから、演奏するだけで嬉しかったんですけども。指揮者なんて、お客さんの顔はだから最初と最後しか見ることができないんですけども、まあ終わってホッとしてお客様の方を向いた時のお客様のその笑顔と拍手。ああー、その要するに音楽を求めてたのは我々プロフェッショナルの音楽家だけじゃないんだなと。聴衆の皆さんもライブの演奏を待ち望んでいてくださったんだ。それが言葉なしにね、もう一瞬にして通じたのがわかったんですよね。で、それから先っていうのは、いつでももう近くにいるっていう感じが。まあ、僕は個人的な意見ですけどね、してるんですよ。 』

地元に支えられている千葉交響楽団、年明けのコンサートが決まっています。「ニューイヤーコンサート2022」 千葉県文化会館大ホールで1月8日土曜日14時開演です。

山下さん:『特にニューイヤーコンサートの場合は、女性の団員はいつもはね、黒い衣装なんですけども、赤いドレスだったり、青いドレスだったり、中には着物を着てくる人もいるんですよね。そういう華やかな雰囲気をぜひ楽しんでいただきたい。やっぱり楽器からこう出てきた音が空気に乗って耳に届くわけですよ。これは何千万円のですね、オーディオ機器を使っても、電気に変換された音っていうのは、99.9%は本物に近づけるかもしれないけど、残りの0.01%、これが違う。その違いこそが、大きな違いなんだという事を訴えたいと思います。足を運んでくださって、もしお聴きいただけたら、絶対それは心を掴むね、自負は持っているんですよね。千葉交響楽団は「おらが町のオーケストラ」というスローガンを掲げて、やっております。これも心から千葉県民の皆さんに愛されるオーケストラになりたいと思っていますので、ぜひぜひコンサートに足をお運びいただければと思います。』

オーディオでは再現しきれない0.01%、それが最大の魅力。オーケストラに限らず、音楽イベント、これから色々と再開していくことになるでしょうがやっぱり、生の演奏に勝るものはないと思います。ニューイヤーコンサートについて、詳しくは千葉交響楽団のホームページに掲載されています。ぜひご覧いただき、コンサートにお出かけください。

千葉交響楽団 ニューイヤーコンサート2022

2022年1月8日(土)14時開演 / 千葉県文化会館大ホール

千葉交響楽団

https://chibakyo.jp/

第76回 加曽利貝塚

2021/12/17 UP!

千葉には歴史的な遺構がたくさんあります。その中でも特に有名なのが貝塚です。

千葉県がその数日本一を誇る「貝塚」。中でも日本最大級、縄文時代の遺跡についてご紹介します。

国内の貝塚のおよそ3割が千葉県で発見されているんです。縄文時代は今よりも暖かく、海岸線はもっと内陸にあって、栄養豊富な東京湾の海の幸に恵まれた千葉には、すでにたくさんの人が暮らしていといいます。千葉市若葉区には「貝塚」という地名もありますし、高速道路にも「貝塚インター」があります。その近くにある日本最大級の縄文貝塚・加曽利貝塚をご紹介していきます。

加曽利貝塚は、千葉市若葉区にある日本最大級の貝塚で、直径およそ140mでドーナツの形をした北貝塚と直径およそ190mで馬の蹄の形をした南貝塚の2つが上空から見ると8の字形をつくっています。2017年には国の特別史跡に指定されている日本の歴史にとっても、重要な場所なんです。小学校の時に社会科見学でいかれたという方もいらっしゃると思います。

加曽利貝塚の敷地は縄文遺跡公園となっていて、その中に、千葉市立加曽利貝塚博物館があります。ここには発掘された縄文土器や石器、動物、魚、人の骨などが展示され、当時の人々の生活の様子を知ることができます。また、現在も発掘調査が行われているそうなんです。今回は千葉市立加曽利貝塚博物館の長原亘さんにお話を聞いています。

長原さん:加曾利貝塚は日本で最も重要な貝塚。縄文時代の大きな貝をさまざまなことで利用した村人が作った最大の村というふうに思ってもらったらいいと思います。で、実際には貝塚の貝があるところだけが遺跡というわけではないので、だいたい15.1ヘクタールぐらい・・東京ドーム3個分ちょいぐらいの大きさが史跡に指定されているんですが、指定外のとこも含めて、かなりの広範囲で遺跡として認識されています。実際には加曽利貝塚の場合は、すぐ近くまで海があったわけではないということが分っています。地図の上の直線距離だと5キロぐらい離れていた。今千葉市内という意味で言うと、千葉神社だとか千葉県庁があるあたり、あの辺りぐらいまでしか海は入っていなかったのではないかという風に今のところ考えているので、実際に川を伝って行き来するとなると、直線距離で5キロなので、もう少し移動距離はあったんじゃないかなっていうふうに思います。  

海岸線から五キロも離れていて、おそらく道は真っ直ぐでなないでしょうから実質十キロぐらいあったかもしれません。片道2時間ぐらいかかっていたかもしれない。だから海に貝を取りにいって、また帰ってくるとなると、半日以上かかってしまうのではないかということでした。

さて、貝塚と何か?という質問に、多くの方は「貝を食べた後の貝殻を捨てていた場所」「ゴミ集積の場所」と習ったと思います。教科書にもそう書いてありました。でも、検証などが進んでくると、どうあらそうでもなさそうだという説が上がってきたようなんです。

長原さん:実際にですね、発掘調査をしてみたりとかしますと「ゴミ捨て場」という側面は否定はできないんですけど、実際には縄文人、わざわざ貝がある所を掘って人骨を埋葬・・お墓として使ったりだとか、縄文時代の犬、縄文犬をわざわざ穴掘って埋葬してあげるですとか、貝層そのものの上をですね、ならして人がいろいろ何かお仕事をしたりだとかしている。そういうところをわざわざ使うということは、村の一部として、普通に活用する空間であったってことは間違いないだろうと。なので、そういう意味で言うと単なるゴミ捨て場ではない、ということが貝塚を研究をしている方の中では常識的な話になってきていると思ってください。今後さらに貝塚の調査をして研究していく中で、もしかしたら決定的にただのゴミ捨て場では無いっていう証拠が出てくる可能性はあるだろうな、とは思っています。

さて、その加曽利貝塚にはどんな貝が埋まっているのでしょうか?

長原さん:イボキサゴという貝(小型の巻貝)は、小さいがゆえに実として食べるのは、とても満足感得るにはかなりの労力が必要なんですね。ただ、それをとったものを食べて美味しいんだけども満足感は得られないわけで。だけどもたくさん持ってきている、わざわざ。ということは何か目的があって持ってきてるという風に考えざるを得ないんですが、その目的もまだ明確なものはわかっていません。ただ、1つの考え方として最近加曽利貝塚で推している考え方という意味では、実際にお湯に入れてですね、煮出していくと“いい感じ”にお出汁が取れるんですよね。そのお出汁でとれたものに、例えば山のもの、山菜でも良いし、山のものでも良いし、味付け無味無臭だったものに、そういう味付けがして食べやすくする。そういう効果を狙った調味料の役割のもあるのではないかという考え方も最近推してはいます。ただ、それはたぶんいろんな用途の中の一部なんじゃないかなっていうふうには思います。

なんと、出汁をとっていたのではないかという話なんですね。それならばたくさんの貝が必要になります。しかもそんな生活が2000年以上続いているとなるとそれはそれは大量になるわけです。

さて、加曽利貝塚の発掘調査はどのくらい行われたんでしょうか?全部を発掘していないのには理由があり、そしてロマンがありました。

長原さん:そもそも加曽利貝塚だけで考えても、発掘調査の面積は15 haぐらいのうちの8%程度しかまだ調査を行っていません。なので発掘調査をしていない所には、まだまだ未知の情報がたくさん眠っているということは間違いありません。基本的に発掘調査は別の見方をすれば、破壊とイコールなので、今、現代の発掘調査の技術よりも、10年後・20年後のほうがもっとさらに精緻に細かく、さらに技術が発達している可能性も当然あるわけで、そういうときに、その時まで待って発掘調査をした方が、もしかしたら、日本の歴史的な遺産の1つとしてはいいのではないかというふうに考えている研究者は多いので、我々はなるべく壊さないで遺跡を理解を深まるような調査研究法というのもどんどん作らなきゃいけないというふうに考えています。掘ってみなくても、「あ、これ、〇〇」ってわかる時代も多分遠い未来ではなく出てくるでしょう。そういうことになってから、また調査することがたぶんまあいいのではないかと、私なんかは考えています。

確かに!発掘調査は、破壊するということ。元には戻せない。でも技術がさらに進歩すれば全部を掘り出さなくても、何が埋まっているのかがわかる時代がきっとくる。 例えば、地上から地中に向けてレーダーを発射して、その反射などから地面の中の構造物を探すとかは既に始まっているそうです。もちろん、全部を掘り起こすことは可能なんだそうですが、もしかしたら大事な発見を見落としてしまうかもしれない心配もある。8%の発掘実績でも、出土したものから得られる膨大な資料、推察そして検証など、やることがたくさんあって、間に合わないぐらい。ならば、残してある部分については未来の発掘調査に委ねようということなんですね。

 貝塚には未知の情報がたくさん眠っている。まさに縄文時代のタイムカプセルですね。

未来にきっと新しい発見があるってロマン広がりますね!

コロナが落ち着いて学校などの社会科見学も徐々に再開されているそうです。縄文時代の人々がどう暮らしていたのか、貴重な資料や、発掘現場も目の当たりにすることができる千葉市立加曽利貝塚博物館。縄文文化の謎とロマンを探しにお出かけしてみてはいかがですか?

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