2021/5/16 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、シンガー・ソングライター「リピート山中」さんです。
山中さんは1960年、神戸市生まれ。12歳から弾き語りを始め、1996年にグループでデビュー。その後ソロ活動も行ない、2000年に「ヨーデル食べ放題」が大ヒット! そして、子供の頃から地元・六甲山に親しんでいたこともあり、山小屋や山頂などでライヴ活動。ほかにも地球や心の環境、家族をテーマにした楽曲作りなど“出かけて 出会って 感じて歌う”体験派シンガー・ソングライターとして活躍中です。
きょうは、そんな山中さんに山小屋コンサートのことや、山に魅せられた登山家への想いなどうかがいます。
☆写真協力:リピート山中

僕が山の歌を作る!?
●今週のゲストはシンガーソングライターのリピート山中さんです! よろしくお願い致します〜!
「はい! よろしくお願い致します! 」
●山中さん、今手に持っていらっしゃる楽器はウクレレですか?
「これね、ギターなんですけど、優れものでね。ギタレレっていう、某会社の割と低価格で買えるウクレレ・サイズのギターなんです。これ、山に行く時は必ずザックに縛り付けて、どこでも歌えるようにしているんですよ」
●へぇ〜! せっかくなので、ぜひ1曲何か弾いてください!
「じゃあ、ちょっと名刺代わりにね、唯一僕が作った歌でちょっとヒットした歌があるんで。こんな歌です」
(ここでギタレレの弾き語りで「ヨーデル食べ放題」の一節を歌っていただきました)
●うわ〜! ありがとうございます!
「この歌、今から20年以上前にちょっと東京方面でヒットしたんですけど、”ヨーデル食べ放題”」
●いやもう誰もが知っている曲ですよね〜!
「そうですか! 聴いたことありますか!? ありがとうございます」

●テンション上がります!(笑)。きょうは色んなお話をうかがいたいと思うんですけれども、リピート山中さんのオフィシャルサイトを見てみたら、山小屋でコンサートを行なっている記事がすごくたくさん載っていたんです。これはいつ頃、どんなきっかけで始まったんですか?
「最初は2004年のゴールデンウィークに、北アルプスのわさび平という小屋がありましてね、そこから始まったんですけれども、きっかけというのはね、私、中学生くらいからずっとギターを持って歌っては何かしていたんですよね。
その頃から山の歌も好きでね。昔ダークダックスさんとかが山の歌のLPレコードを出したりとかしてね。それこそ“雪山讃歌”とか色々有名な歌があるんです。ところがよく考えてみると、最近山の歌を作ったり歌ったりしている人がいないなと思いまして、若者たちはみんな海辺の歌が好きで。だから山の歌を作る人がいなければ、僕がやるしかないな、なんて思ってね。
で、歌から山につながるんですけど、じゃあ山に登って山小屋でコンサートをやろうと思い始めたのが大体2003年ぐらいなんです」
●ギターを背負って登るわけですよね?
「そうですね。まぁこれ(ギタレレ)は小っちゃいんで、ずっとザックの横に縛り付けているんですけど、いわゆる通常の大きなサイズの、ドレットノートサイズのギターも背負って登ったりもします」
●登山に必要なウェアや道具とかも持っていくんですよね?
「そうですね。最小限にして、それは小さなザックで前に赤ちゃんを抱っこするみたいな感じで。だから後ろにギターで、前に小さなザック、そういう感じで登って、最高の高さは富士山の剣ヶ峰までは行きました。で、ちょっと歌ったりとかして」

●ええ!? 何時間もかけて歩いてやっと山小屋に到着して、そこから歌うってなると、かなり体力的にも厳しいんじゃないですか?
「これはね、体力もさることながら、気力が・・・。通常、山に登られる方っていうのはやっぱり山小屋に着いたらほっとして、ここで一応ね、きょうのスケジュール終わりと。あとはもうビールを飲んだり、くつろいだ時間を楽しまれるわけですが、私はそこからが仕事なんで(笑)。
とにかくまだ、はめは外せないという、私がはめを外せるのは、皆さんの食事が終わったあとに1時間ほどコンサートして、そのあとですから、本当に消灯までのわずかな時間なんです。でもね、やっぱりそのために登っていますから、全然苦に思ったことはないです」
加藤文太郎に惹かれて
※山小屋コンサートで披露する定番曲にはどんな曲があるんですか?
「先ほど、ご挨拶で歌いました”ヨーデル食べ放題”、これ必ず歌うんですけど、やっぱり山の歌を作ろうと思って、私が作詞作曲して第1弾で作ったのは、実在した登山家”加藤文太郎”という、小尾さんお聞きになったことあります?」
●お名前だけは・・・。
「明治生まれの方で、兵庫県の浜坂っていう日本海側に生まれて、14歳から私の住んでいる兵庫県の神戸で、造船所で図面を引きながらね、山を覚えていくんですけど、当時画期的な、たった一人で真冬の北アルプスを縦走して歩くという、とんでもない登山をやった人で、今の社会人登山の先駆者なんですよね」
●どうしてまた加藤さんの歌を作ろうと思ったんですか?
「山に登るに際して、色んな山に行っている先輩に話を聞いたんです。何か注意しないといけないことないですか? とか、何か知っておいた方がいいことないですか? とか言うと、この本を読んどけって言われてね。それが新田次郎という小説家の『孤高の人』っていう小説だったんです。それの主人公が加藤文太郎という実名、小説はフィクションなんですけど、その人の魅力に惹かれて、故郷の浜坂を訪ねたり色々しながら歌を作ったんです」
(ここでオンエアでは「加藤文太郎の歌」を聴いていただきました)

嘘のない山の歌
※山での体験は、シンガー・ソングライターとしては、曲作りにつながっていますよね?
「そうなんですよ。山に登って山の歌を作って山の歌を歌うというのを出発点にしているんですけど、やっぱり行った者でないと分からないものがあるんですよ。だから街中で山を想像して作るのと、実際に登ってその苦しさとか、爽やかさとかを体感して作るのではやっぱり違うんですね」
●そうですよね〜。
「だから嘘のない山の歌を作れているなと」
●山関係の方とも色々つながりとかはありそうですけれども、いかがですか?
「やっぱり加藤文太郎っていう人がすごく山の世界ではまだ有名人で、昭和11年に亡くなっているんだけども、いまだに人気があるんですよ。で、この文太郎さんの歌を私が歌っているということで、色んな人が私に話しかけてくださったりとか、文太郎さんのご縁で、例えば(登山家の)田部井淳子さんであるとかね、モンベルの辰野会長であるとか、この前(この番組に)ゲストで来られたシェルパ斉藤さんもそうですね」

●歌がつないでくれたご縁ですね。田部井淳子さんは2016年10月にお亡くなりになっていますけれども、田部井さんに作詞をお願いして出来上がった曲もあるんですよね?
「そうなんですよ。出会ったのは某公共放送のラジオの公開収録だったんですけど、そこでご一緒しまして、私の色々な歌を聴いてくださって、やっぱり“加藤文太郎、私も好きなのよ”ってね。
で、私の持っているこのギタレレ、これを“私も弾きたい”って言ってね。当時70歳だったんですけど、田部井さんがこのギターを売ってくれと言って、だから私、別あつらえで購入して田部井さんにお送りしまして。
そのあと色々交流があって。で、山の日というのが制定されるというので、その時に山の日の歌を私、作ろうと思ったんです。
でも、リピート山中ごときが山の日の歌を作りましたって言っても、誰も相手にしてくれないだろうと思って、誰かに詞を書いてもらおうと思った時に、この人しかいないと思ったのが田部井淳子さん。
田部井さんに山の日をイメージして歌を作ってもらったら、僕が曲付けてこれを皆さんに知ってもらいたいなと思ってお願いしたら、お亡くなりになる直前にメールで詞が届いたんですよ。だから出来上がりを田部井さんに聴いていただくことはできなかったんですけど、身内の方とか、そのお友達の方にはお披露目もして、今一応CDも作ってはあるんですけどもね」
●天国で聴いてくださっていると思います。
「この詞がね、田部井さんの遺言みたいな詞なんです。というのは、女性で世界で初めてエベレストの頂上に立った人なんですけど、そういう命がけの厳しい登山もする一方で、とにかく男の世界だった山の世界に、女の人どうぞ! 行きましょう! 楽しいよ! って言ってね。
低い山でいいんで一緒に行って、ピクニックがてらお弁当を食べてって、ものすごくたくさんの人を山に誘ったんですよ。そんな気持ちをずっと持っておられて、山って楽しいよっていうことを、どうぞ山の楽しみを知っているあなたが伝えてあげて、みんな山に連れてあげてよっていう思いを書いてくださったんです」
(番組ではここで「山ってやっぱりたのしいよ」をオンエアしました)
「行きあたりばっ旅」 はサプライズ曲!
※先月この番組にご出演いただいたバックパッカー「シェルパ斉藤」さんから、リピート山中さんが、自分の誕生日に歌を作ってプレゼントしてくださったと連絡があったんですが・・・タイトルが「行きあたりばっ旅」?
「シェルパ斉藤さんの人生観そのものやね、”行きあたりばっ旅”っていうのはね。とにかく行ってみるというね。そのシェルパさんの言葉をいただいてタイトルにしたんですけども、元々はこれ、ご本人には内緒の話だったんです、サプライズで誕生日プレゼントをしたいと。
息子さんの一歩くんがちょっと知り合いなんで相談に来られましてね。もちろん奥様もなんですけど、家族のみんなで、お父さんのシェルパ斉藤さんに誕生日サプライズプレゼントしたいと、だから歌を作ってほしいと言われて。で、何度も一歩くんと打ち合わせして、当日まで気付かれないように、家族の人も大変だったみたいなんですけど、出来上がりました」
●そうだったんですね! 作詞は奥様や一歩くんのアドバイスがあったってことですか?
「そうです。やっぱり一人の人物のことを歌にするとなると、知ってないと出来ませんから。一歩くんや奥様から色々資料を、新聞の記事とか本とか、そういうのをいただいて、とにかく本人が聴いて、“おい、それは嘘だぞ”って言われたらおしまいなので、とにかく本人のチェックがないままに発表するわけだから、よく練り合わせて作りました」
●斉藤さんには生演奏で披露されたということですけれども。
「そうです、そうです。生で聴いていただいて、その横で奥さんと、ご近所歌劇団がいらっしゃってね。ご近所の仲良しのお姉さん方が振り付けして踊ってくださって、それをシェルパ斉藤さんはもう照れながらというか何ていうか、面白かったですわ(笑)」
●シェルパ斉藤さんは何かお言葉はおっしゃっていました?
「嬉しいという気持ちは持っている、ただどう表現していいか分からないと。とにかく照れ臭いし、いちばんいいのは泣いたらいいだろうけど、泣くわけにもいかんなと(笑)。この気持ちはわかるんです。仮に私が斉藤さんの立場であっても恥ずかしいですよ! 家族の者が私に何か歌を作ってプレゼントされて、いきなりそれ聴かされたら、まぁ正直戸惑いますね。ただね、こうやって小尾さんのこの番組“ザ・フリントストーン”に斉藤さんの方から情報がいったということは、気に入ってくれている証拠ですよ、これは!」
●本当そうですよ! すごく喜んでいると思います〜。すごく嬉しいと思います。
「聴かせたくなかったら内緒にしているはずですから、だから斉藤さんも、これは例えば仮にオンエアしてもいいよというぐらいのね、気持ちになってくださっているってことやから、よかったんじゃないですか(笑)」
●サプライズ大成功ですね!
(ここで「行きあたりばっ旅」をオンエア!)
「見えてるラジオ」生配信中!
※いまは新型コロナの影響で、なかなかライヴができない状況にありますが、そんな中「見えてるラジオ」という生配信ライヴをやっているそうですね。これはどんな配信ライヴなんですか?
「これFacebookで基本的に毎週やっていまして、今50回目まで終わったんですけど、週末の夜の10時からね、私とFacebookで繋がっている人はみんな無料で見られるんですよ。そのあとYouTubeにも“リピート山中チャンネル”っていうのがありますので、検索していただいたら、そこにも全部アップしています。
ギター1本で、自分の家の汚い部屋で何の飾りもなく、ただただ歌って喋ってという歌語りのラジオ。一応映像は見えていますけど、ラジオ好きなんで」
●山小屋コンサートはいずれ復活させる予定はあるんですか?
「これはもう小屋の状況次第ですね。一応今年も槍ヶ岳山荘とか、南岳小屋、槍沢ロッヂ、このグループがやろうという方向では話を進めてくださっているんです。ただこれは本当に状況判断しないと、今決められないので、一応やる方向だけど、今後の状況次第。もしやるとしたら7月の後半になると思いますけどね。まだこれは未定の話ですけど」
●今後も山を歌う活動は続けられるということですよね。
「そうですね。毎年7件から8件、レギュラーで小屋に行っていますから、そこに本当に安全にみなさんが集って、僕も歌を歌って、みんなと一緒に歌える日が1日も早く来ることを本当に心から願っております」

INFORMATION
山中さんが毎週土曜日の夜10時からFacebookで生配信している「見えてるラジオ」、ぜひ見てくださいね。歌ってトークをして歌って、という感じで、ほんとにラジオのような親しみやすさがあります。YouTubeの「リピート山中チャンネル」でもご覧いただけますよ。
今後の山小屋コンサートを含めたライヴ情報などは、ぜひリピート山中さんのオフィシャルサイトを見てください。また、山中さんのCDや音源はオンライショップで購入できます。
◎リピート山中さんオフィシャルサイト:http://repe.jp/
2021/5/9 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、葉山のダイビングショップNANAの代表で、ダイビングガイドの「佐藤 輝(さとう・てる)」さんです。
1976年、葉山に生まれた佐藤さんは、学生時代はヨット部に所属し、毎日のように葉山の海で練習。卒業後は有名ホテルの営業マンとして働いていたそうですが、体験ダイビングでその魅力に取りつかれ、ダイビングガイドの道へ。そしてサイパンなどで修行したのち、15年ほど前にダイビングショップNANAをオープン、湘南の海を知り尽くしたガイドとして活躍されています。
そんな佐藤さんが先頃、写真集『湘南 波の下水族館』を出されました。この写真集は鎌倉在住の水中写真家「鍵井靖章(かぎい・やすあき)」さんとの共著という形で出版されています。
きょうは子供の頃から葉山の海に親しんできた佐藤さんに湘南の海の特徴や、気になる海の変化などうかがいます。
☆写真協力:佐藤 輝

魚と同じ目線に感動!?
※それでは佐藤さんにお話をうかがいましょう。初めて地元の、葉山の海に潜ったときは、どうでしたか?
「それは今でも鮮明に覚えているんですね。ヨットで海の上にはもう毎日のように行ったし、小さい時から磯場とかでもいっぱい生き物を見たりもしたんですけど、初めて葉山の海に潜った時は何かもうびっくりするぐらい感動しました。水中で苦しくなくて、普通に呼吸が出来て、魚と同じ目線にいる自分に感動っていう感じでした」
●ダイビングガイドになろうと思ったのは何故なんですか?
「それは、ライセンスは社会人1年目で取ったものの、本当に軽い趣味だったんですね。年に2回ぐらい海外に行ったら潜ってみたりとか、そんな程度だったんですけども、だんだん社会人の時の趣味が、どんどんのめり込んでいくというか、土日にどこに潜りに行こうかなっていうのを考えるのが、いちばんの楽しみぐらいダイビングが好きになっていて、ある日とっても浅はかなんですけど、これを仕事にしたら毎日潜れるのになぁ〜みたいな気持ちになってきて、もうその気持ちが抑えられなくてサラリーマンを辞めました」
●そうだったんですね! 今はお客さんの案内を含めて年間どれぐらい海に潜っているんですか?
「その年によってちょっと違うんですけど、だいたい数えたら250日でした」
●ええ!? すごい! 転職してよかったですね!
「そうですね。本当に好きなことを仕事にしているっていうことに、とっても毎日のように感謝はしています」
●毎回、未だに感動しますか?
「これはとっても正直に言うなら、さすがに毎日のように潜っているんで、毎回、感動の頂点みたいなのを迎えているわけではなくて(笑)、とっても今は基本的には日常というか、普通の方が会社に行ってくるねっていう感覚で潜っているんですね。
ただサラリーマンの時と大きく違うのは、毎日じゃないですけど、見たことないウミウシっていう生き物が出てきたりですとか、あとは普段いっぱいいるお魚が、生態行動って言うんですけど、産卵してみたりとか、そういうことがちょいちょい起きるんで、そういうのを見た時はやっぱり、どの仕事も感動って毎日やっていてもあると思うんですけど、僕たちはそういうところにすごく感動を覚えますね」

穏やかな海
※改めて、葉山を含めた湘南の海の特徴を教えてください。
「相模湾っていう湾にある海なんですけども、相模湾の中では結構奥まったほうにあって、水深とかも深くなくて、イメージ的にはお気軽にダイビングできるというか、来るのも近いし、ボートに乗っている時間も短いし、潮の流れが強いとかもなくて、とっても穏やかな海にちょっと気軽に潜りに行けるっていう感じが特徴の海ですね」
●年間を通してどれくらいのお魚を見ることができるんですか?
「ちょっと考えてみたんですけど、何種類って分からないなと思いまして、例えばきょうの朝も潜ってきたんですけど、バッと見渡しただけでも何十種類っていう風に、一箇所見てもブワッといるんで、今度機会があったら数えてみたいと思います(笑)」
●そんなに葉山の海にたくさんの生き物がいるっていうのは、やはりそれを支える豊かな生態系があるからっていうことですか?
「それは本当そう思います。やっぱり岩場があって、砂地があって、色んな環境があって、そういうことがたくさんの魚たちがいる環境を作ってくれているんだと思います」

海中の春夏秋冬
※陸上は初夏を迎えつつありますが、海の中も春・夏・秋・冬と季節の変化はありますか?
「とってもありまして、陸よりも海の方が春夏秋冬を少しだけ先取るんですよ。ざっくり言うと、春は気温が冬から春になって、だんだん上がってきて、魚が増えてくる季節みたいな感じで、プランクトンが増えて、海の透明度が落ちて、海が汚くなるんですね。でもそれはとっても海にとっては栄養が豊富で大事なことで、生まれてきた小さなお魚たちはそのプランクトンを食べて大きくなっていきます。
夏になると水温がどんどん上がってくるんで、いちばん魚が多い季節みたいな、海の中に群れがいっぱいいます、みたいなのが夏です。夏の終わり頃になると今度は、季節来遊魚って言うんですけど、黒潮っていう南からこっちのエリアの方に流れている潮に乗っかって、熱帯魚たちが流れてくるんですね。夏秋は群れとその季節来遊魚っていう熱帯魚、普段は見られない子たちを楽しむ季節ですね。
秋が終わってだんだん水温が下がってくると、さっきとは逆でプランクトンがどんどん減ってくるんで、透明度がドンドン上がってくるんですね。綺麗な海になってきて、その代わり群れは減って、水温が落ちた冬は、冷たい水温でしか生きられないお魚たちを観察できるようになるサイクルでまわっています。本当に春夏秋冬で全然違うものになるっていう感じがあります」
●葉山の海でそれぞれの季節を代表する生き物は、例えばどんな種がいるんですか?

「いちばん人気みたいな感じで言うと、春はダンゴウオです。ダンゴウオは大きさ1センチもないようなお魚なんですけど、お団子みたいな、これがもうとにかくダントツ人気で、この子は3月ぐらいから5月しか見られないんですよ。水温が上がってくるといなくなっちゃうんですね。
夏になると、夏秋はやっぱり季節来遊魚が人気なので、ミナミハコフグの赤ちゃんとか分かりますかね? さかなクンが被っている帽子の」
●あ〜! はいはい!
「あれも1センチとかそれぐらいの大きさなんですけど、あんなお魚たちが人気の魚です。夏秋はそういうのが人気で、冬になると葉山の場合は、ウミウシって分かりますか? ナメクジみたいな、本当は貝の仲間なんですけど、そのウミウシが冬になると一気に増えるんですね。1日30種類とか40種類とか見られるんですけど、冬はそのウミウシが人気ですね。人によって好きなものが違うんで何とも言えないんですけど、僕のお勧めはそんな感じです」


海藻が激減している!?
※葉山の海に潜り始めた頃と比べて、何か変化を感じることはありますか?
「これは多分どこの海も、この辺でいうと伊豆や千葉がダイビングポイントとしては、割と多くの方が潜っている場所なんですけど。どこもだと思うんですけど、やっぱり海藻が激減しているエリアが多いですね。
昔はアカモクっていう海藻に引っかかっちゃって、浅いところは冬になると前に進めないぐらい海藻が生えていたんですけど、それが全く何もなくなっちゃっているところもいっぱいあって、10年前と比べたら全然違う景色です」
●そうなんですか。地球温暖化の影響っていうのも感じることは多いですか?
「僕はその専門家ではないので、ダイビングガイドの僕が地球温暖化ですって言い切るのはちょっとよくないのかもしれないんですけど、確実に冬の水温が昔に比べると1度か2度は高いんですね。昔は12度から13度までいちばん冬の冷たい時に落ちたのが、今は14度ぐらいにまでしか落ちていなくて、陸上に比べると水中の2度っていうのは、陸上の何倍も大きい差があって。
やっぱりよくよく考えてみると、昔当たり前のようにいた魚がすごく減っていたりとか、いなくなっちゃっていたりとか、そういうのはやっぱりすごく大きく言ったら、地球温暖化は絶対関係しているんだろうなとは思います」

●佐藤さんがいちばん危惧していることって何ですか?
「それは写真集にもそういうページを作らせていただいたんですけど、色んな魚が減ったりとか、色んなことが起きているんですね。もととなっているいちばん悪いことは、さっきも言ったんですけど、海藻が減っちゃっていることだと思います。海藻が減って小さいお魚たちが隠れる場所がなくなるから大きいお魚に食べられちゃうとか、だから何とかその海藻を取り戻すことが出来れば、もとにもう一回戻るチャンスはあるんじゃないかなっていう気がします」
●どうやったら戻るんでしょうか?
「例えば僕たちがいつもやっているのは、海藻が減ったことによって”磯焼け”って言うんですけど、ウニとかが食べるものがなくなっちゃうんですね。海藻を食べていたのに海藻がなくなっちゃうんで。
今までは岩の下とかに隠れていて、夜ちょっと出てきて、いっぱいある海藻を少し食べていたウニが、食べるものがなくなっちゃうんで、どんどん表に出てきて、もう何でもかんでも食べだしちゃうんですね。そうすると岩肌が全部見えてきちゃうような状況に今はなっていて。それもまた賛否両論あると思うんですけど、その海藻を食べてしまうウニを漁師さんと一緒にみんなで駆除したりするんですね。
でも僕がいつも思っているのは、そのウニを僕らレベルが10人20人で潰したところで、海藻が全部のエリアに戻ってくるとはもちろん思っていないんですけれども、何かそういう地道な活動をして、今そういう大変なことが海に起きているんだよっていうことを、少しでも多くの方に知っていただくことが大事なのかなと思います」
気をよくしてくれる場所!?
※最後に「佐藤」さんが感じる海の魅力って、どんなところですか?
「やっぱり何かちょっと神がかっているかもしれないんですけど、気がよくなる感じがすごく僕はしていて。やっぱり嫌なこととかあっても、毎日海に潜っているといつもフラットな気持ちでいられますし、あとはたまに潜りに来てくれたお客さんが、潜るとなんとなく自然な感じで、“海はいいなぁ〜”みたいなことを本当に自然に言っているのを見たりしていると、やっぱり人間をリフレッシュさせて気をよくしてくれる場所なんだなっていうのが魅力なんじゃないかなと思います」
●私はシュノーケリングしかしたことなくて、ダイビングはしたことないんですけれども、やはり深いところから見るとまた全然違いますか?
「シュノーケリングとはやっぱり違いますね。最初に言った、魚と同じ目線にいるっていうのがやっぱり僕の中では大きく違いますね」

●気持ちよさそうですね! 一緒に泳げるわけですよね。
「そうですね。本当に一緒に泳いでいる感じですよ」
●今後も佐藤さんは、葉山の海の写真っていうのは撮り続けるわけですよね?
「もう僕は、写真集を出させていただくのは今回が人生で最後だとは思っているんです。でもやっぱり10年前の写真と今の写真は、要は今は10年前の写真を本当に撮れなくて、海藻もなければ絶滅した魚もいれば。
なので10年前の写真を撮っておいてよかったなと思うこととかいっぱいあるので、これからも写真を撮って、楽しみつつ、ちゃんと葉山の自分のホームとしてる海の記録を残すという意味でも撮っていこうと思っています」

●改めて今回の写真集『湘南 波の下水族館』でいちばん伝えたいことは何でしょうか?
「湘南に住んでいる子供にもとっても伝えたいんですけれども、都心から近い湘南って何かすごくお洒落な海だけど、潜るっていうイメージがまだ多分ないと思うんですね。でも東京から近い海にはたくさんの生き物が暮らしていて、とってもカラフルな海が広がっていて。
でも今その海には温暖化を含め色んな危機が迫っていて、このままだったらそのカラフルな海は失われちゃうんじゃないかなっていう危機感も感じています。素晴らしい海だっていうことと、今その海に危機が来ているんだよっていう両方を見ていただけたら嬉しいなと思います」
INFORMATION
『湘南 波の下水族館』
佐藤さんが水中写真家の鍵井靖章(かぎい・やすあき)さんと共に出版した写真集です。東京から近い海にこんなにもカラフルな生き物がたくさんいることに驚きます。数メートル潜っただけで別世界が広がっていることが分かり、可愛らしくてユーモラスな生き物たちに癒されますよ。青菁社(せいせいしゃ)から絶賛発売中です。
詳しくはダイビングショップNANAのオフィシャルサイトをご覧ください。
◎ダイビングショップNANA HP:https://nana-dive.net/
◎青菁社 HP:https://www.seiseisha.net
2021/5/2 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、「こどもみらい」の代表「廣瀬泰士(ひろせ・たいじ)」さんです
廣瀬さんは1973年、高知県生まれ。学生時代に建築を学び、都市計画のコンサルタント会社から造園会社に転職、園庭造りに携わり、2011年に独立し、「こどもみらい」を設立。園庭造りのかたわら、講演活動も行なっていらっしゃいます。
園庭というと、滑り台やアスレチック用の遊具があるイメージだと思いますが、廣瀬さんが手がける園庭は、草木や生きものたちと触れ合えるような造りになっています。そして先頃、『園庭づくりのヒントがいっぱい〜こどもがあそべる木と草花』という本を出版されました。
☆写真協力:株式会社 こどもみらい

先生たちと一緒に造るオリジナル園庭
※それでは廣瀬さんにお話をうかがいましょう。廣瀬さんが手がける園庭にはどんな特徴があるんでしょうか。
「基本的に園庭っていうのは遊具先行型っていうのが主流です。ですが僕たちは、当然遊具もお客さんのご要望があればご提案させていただきますが、決して遊具ありきの園庭造りではないというところです」
●具体的にはどんな庭を作ってらっしゃるんですか?
「基本的なテーマと言いますか、自然と冒険というテーマで取り組んでいます。その中で園庭造りにおいては、弊社の者が保育園に対して一方的にご提案するわけではなくて、先生方と一緒に話をしながら積み重ねていって、その都度、ご提案をして修正をしてというような組み立てと言いますか、積み重ねで園庭造りをしています。結果的に園オリジナルの園庭が出来上がるというところです」

※廣瀬さんの園庭造り、その工程を少し説明しておきましょうね。
保育園や幼稚園からの問い合わせを受けて、現地におもむき、丁寧にヒアリングを行ないます。そこには今ある園庭を良くしたいという園長さんや先生たちの思いがあるのでそれをしっかり汲み取りつつ、今まで廣瀬さんが手掛けた事例を説明。そして本格的な図面を作る前に、改造する園庭のイメージを絵で表現し、共有します。
その後、着工しても一度には工事を終わらせないそうです。そこそこの面積がある園庭の場合、先に取り掛かるエリアを決めて、第1期の工事を行ないます。そして、そのエリアで四季を通して、園児たちと遊んでもらい、第2期の工事に入る前に、着工前に決めた計画で進めていいのか先生たちに問いかけるそうです。
そうすると先生たちから意見や要望が出てきて、それを受けてマイナーチェンジを行ない、その後、夢の園庭が完成するということです。

廣瀬さんいわく、短期間で完成させるのではなく、工事をする期間を1期から3期くらいまで分け、中長期で取り組むのがポイントだそうです。また、植物を植えたりする作業を、先生や園児たちと一緒に行なったり、工事をしている様子を園児たちに見てもらったりするそうですよ。これ、いいアイデアですよね。園児たちに愛着がわきますよね。
廣瀬さんの会社「こどもみらい」では完成後も定期的に樹木の剪定や木の遊具のメンテナンスも行なっているとのことです。
もともと自然が好きだった!
※廣瀬さんは自然豊かな四国の高知で育っていらっしゃいます。そのことも今の仕事のバックグラウンドになっているようですよ。
「地域独特の特徴のある自然ってあると思うんですけど、僕の祖父母だとか、あと友達とかと遊んだその豊かな自然っていうのが、僕の今の人間性をすごく形成したと思えるんです。自然と本当に共に生活したという、まぁ市内なんでね、そんな山の中っていうわけではないんですけども、お爺ちゃんお婆ちゃんから生活の中でいろいろ教わった、季節が巡るその自然と共に生活したっていう、それが僕の中で染み付いているもんですから、そういったことですかね」
●冒険とか自然体験ができる園庭を造ると言っても、色んな知識がないとだめですよね? 土木的な知識から、植物だったり生き物だったり、幅広く知っていないといけないと思うんですけれども、廣瀬さんはどちらで勉強されたんですか?
「もともとは自然が好きだったものですから、虫とかそういうことにはすごく興味、関心はありました。当然学問として勉強しているわけじゃないんですけども、すごく興味があったので、本だとかはすごく常々読んでいたりもしていました。
で、造園の技術っていうのは当然(造園会社に)入社した時から社内の人間、先輩とか、職人さんとか、いろいろ教わっていました。ただ園庭造りに関してはそれだけではなかなか出来なくて、そこで僕も前職の頃から、やはりこれは保育に関する専門的な知識は必要だなと思って、通信で保育士の資格を取ったっていうのがありますね」
●やはり保育士さんの視点っていうのも大事な要素ですね。
「そうですね。僕は必要かなと思っています。社内のスタッフにも頑張ってねとは言っていますが、なかなか両立が難しいところがあって、やっぱり子供の成長とか発達っていうのは僕たち設計する上ですごく基本になるところなんです。だから今の園庭をいろいろ考えていく中での基礎になっていると思います」

豊かな人生を味わうきっかけに
※廣瀬さん、自分が手掛けた園庭で、園児たちにどんなことを感じとって欲しいですか?
「自然の大切さと言いますかね、触れ合うことでの喜びとか感動を味わってほしいんですね。当然、人間って誰しもが生き物が大好きとか、土に触るのも全然問題ないよってなかなかそうはならないですね。苦手な人もいます。
それは決して良い悪いじゃなくて、やっぱり人として成長していく中で、何か出来事があって、それに対する反応で、苦手だなとか見るのも嫌いってなると思うんですけれども、それはもう止められないし、決して悪いわけでもないんです。
おぎゃあと産まれた子供が生き物を見て、例えば蝶の幼虫を見て、これ気持ち悪いとはならないんですよね。そもそも生き物とは認識しないんです。ムニュムニュ動くもんだと思って、やっぱり子供っていうのはいろんなものに興味を持ちます。でもそれがいつぞや成長していく過程で先ほど言ったように苦手になるんですね。
その中で特に好きっていう人たちが、例えば昆虫博士になったり生物学者になったり科学者になったりすると思うんですね。ですので、弊社が関わらさせていただいた、先生たちと共に作った自然豊かな園庭で子供たちに、せめて乳幼児期、0〜5歳までのこの間、思う存分自然と触れ合ってほしい、そこでいろんな体験をしてほしい、いろんな感動を味わってほしいですね。
でも、その中でも苦手な子は早々に出てくるし、もっと興味のあるサッカーとかで遊びたいってそういう子たちも興味はそっちに行きます。でもそれはそれでいいです。いいですというか、僕はそんな良い悪いを判断するわけじゃないですけど、それはそれで尊重していいと思うんですね。

ましてや一緒に造った自然豊かな園庭で、ここで育った子供たち全員、生物学者になってほしいなんてこともないわけです。ただそういった環境を整えることで、経験する機会が要するに増えるわけなので、少しでも(自然や生き物に)興味を持って、その子の豊かな人生を味わうひとつのきっかけと言いますかね。園庭でやれることなんて本当に人生の中では一瞬なんですが、その一瞬だけでも思う存分、安全と言われる園庭の中で、先生たちと一緒にその感動を味わってほしいなと。
どういう結果に繋がってほしいとかそういうことはないです。単純にその瞬間を思い切って、“センス・オブ・ワンダー”って言うんですけどね、自然の不思議さとかそういったことに目を見開いて、感動とか感性を思いっきり育める環境を、先生と共に育みたいと思っています」
名前はあえて教えない!?
※廣瀬さんは先頃『園庭づくりのヒントがいっぱい〜こどもがあそべる木と草花』という本を出されています。この本は保育園や幼稚園の先生向けに書いた本なんですか?

「そうですね、僕たちが日頃やっぱり接していますのは先生方とのお話、対応っていうのが多いですから、やっぱり先生たちに対するメッセージがありますが、本として世に出ていますから、当然お母さんに限らず、お父さんも含めて、子供と関わる方々は読んでくださいとは言いませんが(苦笑)、ご参考に何かしていただければいいかなという風に思っています」
●公園に咲いている花について、ちょっとうんちくが言えたりとかできますね! この本を参考にすると。
「よく園庭で木を植えたりして、先生方が名前を知りたがるんです。この木は何? って、それは子供たちに伝えたいから、それは分かります。でも、何かね、名前を書いて覚えてくださいって言って覚えたら、先生の中で完結しそうで。
この名前を知った、でも実はその後のストーリーが大事で、子供たちとどう遊ぶか、共有するか、その本にもあるようにどのように遊べるか、食べられるか、どんな味がするかっていうのはその先にあるもの。だから僕、名前を聞かれてもあんまりパッと答えずに考えてみてくださいって言います。
植物って昔の人は生活と馴染んで名前をつけたものが多いじゃないですか。だからそれの名前をすぐ言わずに、“先生これ何に似ていると思う?”というところから始まって順番に考えて、“そうそう、それ!”とかね。そういうのを先生にぜひ子供たちと一緒にって。名前はあんまり僕はあえて言わないようにしています」
●ストーリーごとお伝えするっていうことなんですね。
「そうそう、そこが実は楽しいところなんですよ」
●この本はお庭がある一軒家に住んでいる方にも参考になりそうですよね!
「そうですね。ぜひ子供たちと一緒に(植物を)植えてほしいですし、季節を感じてほしいですね」
子供たちの豊かな感性のために

※では最後に、廣瀬さんが園庭造りを通して伝えたいことを教えてください。
「僕たちは園さんからご要望あったことを誠実に応えている、スタッフとみんなで頭を悩ませて頑張っているだけなんですけども、おそらくひと昔前は、僕たちのようなこの仕事の取り組みってビジネスにならなかったと思います。っていうのは身近な自然っていうのはそこら中にありましたから。
そこに対するアプローチとか、まさにその本に書いてあるようなことっていうのは、僕が友達や爺ちゃん婆ちゃんとかと一緒に生活する中で、実は身につけたものなんです。だからこの時代だからこそ、こういったことを伝えないと、子供たちの豊かな感性とかそういうことは育まれないんじゃないかなと一方で危惧をしながらも、僕たちは仕事に一生懸命向き合うだけなんですけども、そういったことを先生たちと一緒に子供たちに伝えられたらなというだけです 」
INFORMATION
『園庭づくりのヒントがいっぱい〜こどもがあそべる木と草花』
この本には園庭造りのヒントが第5章にまとめられていますが、第1章の「春」編から第4章の「冬」編まで樹木や草花を紹介。植物の特徴はもちろんなんですが、その植物にどんな昆虫が寄って来るのか、葉っぱでどんな遊びができるのか、熟した実を食べたり、ジャムを作ったり、植物を通して、どんな遊びができるのか、それをイラストや写真でわかりやすく解説。これは小さなお子さんを持つパパやママ、孫がいるおじいちゃんやおばちゃんにも読んで欲しい一冊です。小学館スクウェアから絶賛発売中! 詳しくは出版社のサイトをご覧ください。
◎小学館スクウェアHP:https://shogakukan-square.jp/publish/books_new/747/
廣瀬さんが代表を務める「こどもみらい」のオフィシャルサイトは以下。
◎「こどもみらい」HP:https://www.codomomirai.com/
2021/4/25 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、芸能界きってのアウトドアズ・マン「清水国明」さんです。
清水さんは1950年、福井県生まれ。73年に原田伸郎(はらだ・のぶろう)さんとのユニット「あのねのね」でデビューし、「赤とんぼの唄」が大ヒット!90年代からは、アウトドア活動に夢中になり、2005年に河口湖に自然体験施設「森と湖の楽園」、その後、瀬戸内海の無人島「ありが島」に同じく自然体験施設を開設。芸能活動のほかに、いろいろなプロジェクトを手がける起業家としての顔も持っていらっしゃいます。
清水さんには毎年4月にご出演いただき、そのとき、いったいどんなことに夢中になっているのか、そんなことをお聞きする定点観測をやらせていただいています。今回は清水さんが千葉県鴨川で進めている、あるプロジェクトについて。このあとじっくりお話をうかがいます。
☆写真協力:kuniaki.plus

有言実行! YouTuber!
●今週のゲストは、芸能界きってのアウトドアズ・マン、清水国明さんです! 清水さんにお話をうかがうのはちょうど1年ぶりとなります。お元気でしたでしょうか? ご無沙汰しております!
「はい、どうも! 1年ぶりでございます。清水国明です」
●よろしくお願いいたします!
「何とか生きておりました〜」
●定点観測ということで、清水さんには毎年4月にご出演いただいているんですよね。今回でなんと26回目になるんです! この番組が4月から30年目に入りましたので、清水さんと共にこの番組があると言っても過言ではない状況なんですけれども。
「すごいですね。毎年のプレッシャーはですね、前の年に何を言ったかなというような記憶ですよね。言ってることとやってることが違うし、清水くちだけという評判なので(笑)。まあ皆さんお忘れになるからいい加減に何でも思いついたことを喋っているんですが、この番組だけは今までの証拠残っているからね〜」
●番組ホームページにぎっしりと残っています(笑)。
「そうなんよ! 言ってること違うじゃねーかって(笑)、そういうプレッシャーを感じつつ、今年もよろしくお願いいたします」
●長年のお付き合い本当にありがとうございます。来年も再来年もよろしくお願いいたします!
「はい、よろしくお願いいたします」
●去年ご出演いただいた時は、ユーチューバーになるとおっしゃっていましたけれども、本当になりましたね!
「なったね〜。そっか、そういう風に宣言していた時だったんやね」
●はい、おっしゃっていました。
「もう、何て言うか、全身ユーチューバーですよね(笑)。大したことないけどね」
●「くにあきの自然暮らしチャンネル」ということで、YouTubeで定期的に更新されていますけれども、改めてどんなチャンネルなのか教えてください。
「色んなことにチャレンジしているんですけども、結局は清水国明個人の日常生活をレポートするような感じで、今いちばん面白いなと自分が思っていることを皆さんにもお知らせして、一緒にやってくれる人にどんどん集まってもらって、一緒にものづくりをやっているって感じですかね」
●私も見させていただきましたけれども、キャンプ場を作るために、伐採して開拓していく様子だったりとか、あとチェーンソーなどの道具をひとつひとつご紹介してくださっていたりとか、本当にアウトドア初心者の私にとって、すごく勉強になりました! 面白かったです!
「そうですね。YouTubeって芸人さんとかがやると、ものすごく反応があるじゃないですか。そんな世界になるのかなと思ったら、登録者が1000人超えるのがやっとでしたね。あれ、何でみんな10万とか20万とかいくのかなというね(笑)。全然別の世界の、YouTubeの世界だなという風に今思っていますけれども」
千葉県鴨川4000坪、開拓中
※ユーチューバーとしても活動されている清水さん、その動画の撮影場所は千葉県鴨川の杉林なんです。そこを開拓し、キャンプ場などの施設を作っているんですよね?
「そうですね。それは珍しく言った通りに行動していまして、伐採から整地までしてですね、結構色んなものを今まで作ってきましたね」
●本当に仲間の皆さんと一緒にみんなで開拓していくって感じが伝わってきて、特に清水さんがいちばん楽しそうな感じがして、見ていて私も楽しかったです。
「そうですか。ただ、どんどん本性がバレましてね。昼間ゴルフしていて夕方だけ参加するとかね。朝、やれって言ってそのままいなくなったりとかっていうのが、YouTubeだと全部正直に出てしまいますよね(笑)。だから本当にみんな呆れてるけど、まぁ呆れながらも未だに協力して、騙されたふりしてくれていますけどね。ありがたいです」

●すごく広そうな場所ですよね?
「ええ、まだまだ広く使えるんですけど、とりあえず今は坪数で言うと4000坪とか、そんな感じで、今楽しませてもらっています」
●へぇ〜! 見るからに手付かずの荒れた林で、いちから(やぶなどを)刈っていくってなかなか大変なんじゃないですか?
「何が大変ってあの辺りにですね、野生動物のイノシシとかシカとかキョンとかがいっぱいいましてね。それに伴ってヤマビルがいるんですね。ヒルって分かりますか? ちゅーっと血を吸うやつ」
●見たこともないです!
「噛まれたこともないですか? それがいてですね。いるってことはみんなには言わないで、言うと誰も集まってこないんで黙っていたんですけども、休憩の時に、皆さんありがとうとか言ってご飯食べている時に、ひゅっと足めくって見たら、俺の足にペタッとくっ付いていましてね。ひえ〜! とか言ってバレちゃって、こんなのがいるんですか! みたいな。
まぁ伐採して整地したらいなくなったんですけど、日陰とかにいて、クーラーボックスの裏にくっ付いていたのを知らずに、そのまま自宅に持ち帰ってしまってですね。明くる日そのクーラーボックスをちょいと動かしたら、ぴっこたんぴっこたんって部屋中を横断していたんですよ! それでもう女房がひっくり返って、ぎゃー!
やっぱりね、山の中で見るよりも自宅のフローリングを歩いてると、本当に俺も情けないながら叫び声を上げてしまいまして。冷たいクーラーボックスの下に、真夏でしたからくっ付いて涼んでいたやつをそのまま持っていって、ってなことがありましたね」
ログハウスは自然の曲線美

※現在、清水さんは仲間たちと一緒に千葉県鴨川に、大きなテントや板張りのデッキ、そして2台のトレーラーハウスを設置するなど、自然体験のための施設の整備に力を入れていらっしゃいます。さらに清水さんにとって、19棟目にあたるログハウスも作っているそうなんですが、ログハウス作りの工程で、いちばん気を使うところはどこなんでしょうか?
「あのね、ログハウスはやっぱり水平垂直という、延直線でずっと地球の真ん中に向かっていく垂線と、それから水平と、それを基準にして作業するんですね。それをいい加減にせずに丁寧に守ってやっていくと、隙間のないぴったりとしたログとログを組み合わすことができるんですよ。それがピタッとはまった時には本当に感動ですよ」
●ログハウスの魅力ってどんなところですか?
「いわゆる、世の中直線が多いじゃないですか。このデスクにしろパソコンにしろ。それが天然の丸太っていうのは曲線なんですね。ぐねぐねしてぼこぼこしてるでしょ? そういったものの中で過ごすと、何か気持ちが安らぐところがあるんですね。
だから、自然の曲線美みたいなものと、それから太古の昔から人間が感じていたであろう木の温もりとか香りとかね、そういったものが人間に安らぎをもたらすんではないかと、聞いた風なこと言ってますがね(笑)、そんな風にいつも思っていますね」
●暖かみがありますものね。
「そうそう、それは感じられますね。全く同じものはふたつとできないんで、毎回オンリーワンですよね」
●YouTubeを見ていると色んな仲間の皆さんがいらっしゃいますけど、「いちはら自然楽校」のチェーンソーカービングの達人、栗田宏武さんもいてくださるっていうのは安心ですね。
「そうやね。自然楽校の校長の方ですけども」
●栗田師匠っておっしゃっていましたけど。
「そうそう、ログハウスとかカービングで一緒に共同して色んなことをやっている人なんで。あの人この頃はスウェーデントーチって分かりますかね? 」
●スウェーデントーチ!?
「丸太を縦にびゃーっと十文字に切り込みを入れて、そして真ん中で火を燃やすと真ん中から、わーっと燃えてきて外側は残るという・・・ヒノキとかそんなのでやるとよく燃えるんですけど。(栗田さんが)自分のログの工房の近くに置いてある、使いものにならないでっかい丸太の切り株を時々持ってきてくれるんですよ。それをスウェーデントーチに、切り込みを入れて、今4つ目かな? そのくらい燃やしていますね。あの焚き火はすごいですよ」
元気の秘訣は、ピチピチ!?
※鴨川で整備している施設が「かもがわ自然楽校」という名前になっているんですよね?
「そうです。名前としては、かもがわ自然を楽しむ校で”自然楽校”って付けていますけどね」
●その楽校ではどんなことをやっていくんですか?
「ものづくりとか、陶芸もこれからやろうと思っているんですけど、あと散策したり、それからカービングも教えますけれども。あとトレッキングコースも壮大な長いルートがあるんで、そこをヒルと戦いながらね(笑)、歩いてもらうというようなこともあるし、最終的にはジップラインってやつね、高いところからびーっと向こうの山まで行くやつを今計画を企ててはいますね」
●楽しそうですね! 去年70歳になられた清水さんですけれども、本当にパワフルで前向きでとってもお元気でいらっしゃいます。その元気の源はやはり自然の中で活動しているからなんですか?
「好きなことをさせてもらっているっていうのが、同世代から見ても“いいなお前、好きなことばっかりして”みたいに言われるんで、好きなことをしているからかなという風にも思いますし、周りに若いのがいてですね、自分の姿は見えないから若いやつばっか見ていると自分もその仲間だと錯覚するんでしょうね。だから年寄りが年寄りと付き合っていると歳が増幅してしまうから、より若いピチピチとしたやつと付き合っていった方がいいのかなという風に思います」

5Gのワーケーション基地
※では最後に、今後のプロジェクトについて、教えてください。
「今ね、鴨川じゃないんだけれども、山口県の周防大島町っていうところに、無人島があるところですね、そこの島に廃校ができたんですね。4月で廃校になったいい小学校があったんですけど、そこを町と協力してですね、ワーケーションのスモールオフィスにしようということで、今取り組み始めています。
これだけ長いこと生きていると色んな人のご縁があって、産業総合研究所というところで開発された28ギガヘルツの5Gの電波が使えるワーケーション基地というのを作ろうということで、今もうバリバリやっているんですよ!
東京で仕事するよりも20倍、30倍早くサクサクと、しかも大容量で低遅延の電波を使った仕事ができるっていうワーケーション・ステーション。“5Gワーケーション瀬戸”っていうのを今、学校を改造して15部屋作るので進んでいるんです。だから自分の人生の中で、今いちばん世の中に爪痕を残しそうな事業ですよね(笑)。赤トンボの歌を歌った人っていうだけではなくて、本物の5Gを日本に広めた人だということで。
来年の今頃はしょぼくれているかもしれませんが(笑)、今は本物の5Gを地方からインフラとして整備することによって、色んな人が東京とか大阪とか大都市に集中せずに、過疎と言われる地方にどんどん出て行ってですね、そこで東京以上の仕事ができるっていうのを、これが過疎と過密のアンバランスを、都市と地方の格差を是正するのにいちばんいい方法だと思いますんでね。これを今、国の方とか、県の方とか、町の方とか町長さんとか、みんなと話し合って、結構進んできました」
●え〜! すごい!
「去年のユーチューバーになるぞ、以上のチャレンジですんで、これは鴨川のキャンプ場にもそういう電波を設置してですね、都市で働くよりもそういうアウトドアのところで働きながら、実は都会でやるよりも何十倍も効率よく大容量で高速で仕事ができるという、そういうスペースを今全国に作ろうとし始めています」
●自然を感じながら仕事ができるのはすごくいいですね。
「そうですね。自然の中でちゃんと仕事ができるっていうのは、俺はいちばんいいなと思うんですが、日本人ってバケーションだけで一週間くらいどっかに行くと、帰ったらデスクなくなってんじゃねーかと思って、だんだん落ち着かなくなるんですね。
バケーションしながら午前中サクサクっと仕事して、午後は漁師さんの手伝いをしたりするような、そういうワーケーション・スタイルがこれから主流になってくるに違いないと私は読んでいましてですね、この5Gのインフラ作りに全身全霊をかけておりますので、これちょっと言ったもん勝ちなんで言いますけど、ぜひ覚えといてください! 来年の今頃はどうなっているか」
●次回の定点観測、楽しみにしています!
「はい、これは日本で本当にすごいイノベーションと言いますか、すごい改革が起こると思いますから、やりますよ」
INFORMATION
千葉県鴨川での活動についてはぜひYouTubeの「くにあきの自然暮らしチャンネル」をご登録いただき、じっくり見ていただければと思います。いろんなハプニングもあって、面白いですよ〜!
◎「くにあきの自然暮らしチャンネル」https://www.youtube.com/channel/UCOChtMFwUIwohlW-bNA8UBg
また、清水さんプロデュースの、河口湖にある自然体験施設「森と湖の楽園」、瀬戸内海の無人島「ありが島」、そして清水さんの近況についてはそれぞれのオフィシャルサイトを見てください。
◎森と湖の楽園HP:http://www.workshopresort.com
◎ありが島HP:http://arigatou-island.jp
◎クニアキドットプラスHP:https://kuniaki.plus/
2021/4/18 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、シティとサーフが融合する新世代ハイブリッド・バンド「SPiCYSOL(スパイシーソル)」のヴォーカルKENNY(ケニー)さんです。
今月メジャーデビューを果たした注目のバンド「SPiCYSOL」、実はサーフィンやキャンプが大好きな、アウトドア派のメンバーが揃っているということで、番組にお迎えすることになりました。
ザ・サーフ・ビート・ミュージックを掲げ、ロックやレゲエ、R&Bなど、いろいろなジャンルの要素がマッシュアップしたサウンドとメロウな歌声が聴く人の心をとらえ、人気を博している「SPiCYSOL」。メンバーはギターのAKUN(アクン)さん、ヴォーカルのKENNYさん、トランペットのPETE(ピート)さん、そしてドラムのKAZUMA(カズマ)さんの4人。


KENNYさんは2019年に恋愛リアリティ番組に出演、また、バンドのCDジャケットのデザインを担当していて、アート作品を展示する個展を開催するなど、幅広く活動されています。
きょうはバンドを代表してKENNYさんに、サーフィンやキャンプ、そして音楽への想いなどうかがいます。
ジャック・ジョンソンに憧れて
※それでは、KENNYさんにお話をうかがいましょう。今回のメジャーデビューEPでもジャケットのアートワークを手掛けたんですよね?
「そうですね。僕、絵が好きで、絵を描くのが好きで描かせてもらいました」

●透明なブルーの海の中を大きな白いクジラが泳いでいて、海面から太陽の光が降り注いで、クジラの後ろには数字の1が遺跡のように立っているといったアートですけれども。
「ご説明ありがとうございます。めちゃめちゃ詳細(笑)」
●このアートにはどんな思いが込められているんですか?
「そうですね。思いを込めたっていうよりかは、メジャーデビュー1作目、やっぱり新たな一歩っていうことだし、今まで応援してきてくれた人たちもひとつになって、これから進んでいきたいなということで、そこをイメージして、降ってきたものを描いたって感じですね」
●へ〜! クジラお好きなんですか?
「クジラが超好きってわけではないんですけど(笑)、環境のこととかも僕らの音楽性とは切っても切り離せない気がしたのと、サーフミュージックからインスパイアされているところもあるので、海の生き物で絶滅危惧種ってところで、今回シロナガスクジラなんですけど、モチーフにしてみました」
●本当にSPiCYSOLさんの音楽って海や空をすごく感じられて、ミュージックビデオにも美しい海が多く出てきますけど、やはり海、お好きなんですか?
「海好きですね。僕が影響を受けたアーティストが、ジャック・ジョンソンで、2000年代前半のサーフミュージック、アコースティックなサウンドのサーフミュージックを奏でていたミュージシャンたちから影響を受けたんですけど、彼らが調べるとだいたいサーフィンをやっているんですよね。
それか、元々プロサーファーで音楽を始めたみたいな方が多くて、僕はサーフミュージックから、音楽から入ったんですけど、じゃあ彼らのやっているサーフィンってどんなものなんだろうと思ってやってみたら、やっぱりハマったというところから、海、好きですね」
裸足で地球と交わるスポーツ

※どの辺のサーフスポットでサーフィンを楽しんでいるんですか?
「千葉だと片貝漁港という、片貝ってポイントがあって、そこをよく、それこそベイエフエムのDJ TSUYOSHIさんとかと行かせてもらったりしています」
●へ〜! そうなんですね! サーフィンの魅力って何ですか?
「大人になると裸足で地球と交わることってないじゃないですか? だいたいアスファルトがあるし、家とかマンションに住んでいたら、なかなか地球と直接繋がるとかは少ない気がしています。
サーフィンはやっぱり身体全体で味わい、地球の鼓動というか、地球を感じられるなって思うのがいいのと、あとは少しゾーンに入れるというか、無になれる状態がとても多いスポーツで、待っている時間も多いスポーツなので、その時に普段の悩みだったり、イライラしてたものが溶けたりとか、そういう心地よさが魅力だと思いますね」
●ジャック・ジョンソンに憧れてという話もありましたけれども、初めてサーフィンをされた時はどんな感じだったんですか?
「いやー全く上手くいかなくて、波にのまれまくって。でも、ものすごく憧れていたので、それでも気持ちいいみたいな、どんだけのまれても気持ちいいなと思って、ようやく出来たっていう気持ちが大きかったですね」
●KENNYさんは北海道出身でいらっしゃいますよね?
「そうなんですよ。だから南への憧れがもうすごくて」
●そうか、もう憧れっていう存在になるんですね。
「なかなか北海道はサーフィン文化がちょっと薄かったりするので、憧れていましたね」
●実際、海を感じていかがでしたか?
「何か、これでようやく俺も彼らの仲間を入りしたか! みたいなちょっと大きい気持ちになっていましたけど、海の大きさおかげですね」
●どんなことを考えながら海にいるんですか?
「いや〜もう無心で、ただサーフィンを上手くなりたいって思ってやっているだけなんですけど。でもきっと、何事も集中するとゾーンに入るみたいな、よく言うじゃないですか? それがたまに起きて、悩んでいた歌詞の部分がぽっと出てきたりはたまにありますね。
あと僕が好きなのは、結構波待ちの時間に、地元のローカルの方とか、横って言っても2〜3メートルぐらい隣なんですけど、横の方が話しかけてきてくれたりして、そのゆるいコミュニケーションみたいなのが好きですね」
●KENNYさんはサーフィンされてどれぐらいになるんですか?
「恥ずかしいんですけど、歴だけ長くて10年ぐらいやっていますね」
●おお! すごい!
「歴だけです。実力はもう本当にペーペー中のペーペーで」
●でもやっぱり海のパワーを感じたりとか癒されたりっていうのは、曲にも影響がありそうですね。
「僕自身がそれで影響を受けたひとりでもあるので。ジャック・ジョンソンだったりのサウンドからも。僕もそんな感じで同じように伝えられたらいいなと思っています」
キャンプ時間、自然音でリラックス

※メンバーたちと一緒にキャンプも楽しんでいるそうですが、どの辺でキャンプしているんですか?
「最近だと和歌山のアウトドアショップOrangeっていうお店があって、そこが運営してらっしゃる和歌山のキャンプ場ですね。ちょっとポイント名は忘れちゃったんですけど、そこにみんなで、バンドメンバーと和歌山のお友達と行きましたね」
●サーフィンをするための海辺のキャンプっていうことなんですか?
「あ、そこは山でした。でもサーフィンしにキャンプに行くときもあって、AKUNと一緒に行った宮崎とかは、日向という場所で、サーフショップの隣にテントを張らせてもらってキャンプしたりしましたね」
●AKUNさんはバーベキュー検定の中級の資格もお持ちだということで。
「焼かせたらうるさいんですよ(笑)」
●キャンプの食事はAKUNさんの担当っていう感じなんですか?
「そうですね。結構担当してくれますね。そして本当にムカつくぐらいおいしいですよね(笑)」
●いいですね!(笑)
「いい特技だなと思います」
●みんなでワイワイお酒を飲みながらとか、ご飯を食べながらとか、いろんな話もしながらするんですか?
「やっぱり普段、居酒屋で飲んでる時には喋らないような熱い話とかたまにしたりしますよね。その瞬間に流れている時間が、車の音もなく、自然の音がたくさん聴こえながら、耳もリラックスしながら喋るっていうのが好きなんですよね」
●やっぱり自然の中に身を置くっていうのは、皆さんの音楽に色んな影響もありそうですよね。
「そうですね。すごくインスパイアされる部分でかいです」
シボレーのバンで音楽の旅へ
※去年からコロナの影響で、今までとはまったく違った日常になりました。そんな中でバンドとして車を買ったそうですね?
「なかなかライヴができない状況だったので、だったらキャンプがてら、ライヴをしてもいい場所に自分たちから行っちゃえば面白くないかってことで、みんなでシボレーのバンを買ったんですけど、今改造中です」
●楽器を積んでツアーに出るためっていうことですか?
「そうですね。僕の憧れた昔のミュージシャンって自分たちでバスとかで、結構海外のアーティストが多いですけど、そういう旅をしているイメージがあって、それに憧れたところもあったので、やってみたいなと思っていますね」
●どんなふうにされているんですか?
「バンライフとかってご存知ですか? 海外でバンを、内装を全部木張りとかにして、その車自体をキャンピングカーみたいな住める状態にしているのをお手本にしたりしますね」

●その技術というか、そういったものをどうやって学んだんですか?
「全然まだ学んでいなくて、YouTubeで見よう見まねでやっているって感じですね」
●楽しそうですね! 自分たちでやるっていうのは。
「はい、やっぱり面白いですね」
●車に名前も付けたんですよね?
「実はまだ正式な名前が決まっていなくて、みんなふざけて呼んだりしているんで、“スパソル号”が落ち着いちゃっているんですけど、僕はそれまだ納得いってないです(笑)」
●認めてないんですね(笑)
「もうちょっと何かいい名前にしたいなって」
●具体的に車でツアーに出る予定っていうのはあるんですか?
「確定しているのはないですね。でも2か月ほど前の、東京、名古屋、大阪のツアーは一緒にそのバンで行きました」
●車で向かう音楽の旅っていうのも楽しそうですね。
「本当、映画のワンシーンみたいな感じで、そこから聴こえてくる音もすごくあるなって思いながら旅していましたね」
過去最大規模のライヴ!
※毎年恒例の「波MACHI」ライヴは今年も開催されますか?
「はい! 開催予定です! 7月3日に」
●言える範囲でいいんですけど、どんな感じのライヴになりそうですか?
「Zepp DiverCityという会場で、僕ら的には一応、過去最大規模というか、一番大きいところでやるので、今までスペースが足りなくてできなかったこととかを詰め込んでみたいなと思っています」
●お客さんを入れてのライヴってことですよね?
「今のところ、一応その予定で進めています」

●楽しみですね! SPiCYSOLの音楽を通して、改めてリスナーの皆さんにどんなことを伝えていきたいですか?
「僕らの音楽を聴いて、僕らの音楽スタイルがバンドなんですけど、やっぱりメロウな心地よいサウンドを心がけて作ったりしていて、何かこう反骨心とは真逆の、みんなの生活に寄り添える音になればいいなと思って、作って奏でているので、是非ライヴも遊びに来てほしいですし、日常で僕らの音をかけて、ストレスフリーな毎日を送ってもらえたらなと思います!」
INFORMATION

SPiCYSOLのメジャー1stデジタルEP『ONE-EP』には、「ONLY ONE」「From the C」「NAISYO」の全3曲収録されています。どの曲もスパイシーソルらしくてグッド・ソング! KENNYさんのヴォーカルに爽やかさと男の色気も感じます。KENNYさんが手がけたジャケットのアートワークにも注目ですよ。詳しくはワーナーミュージックジャパンのオフィシャルサイトを見てください。

毎年恒例の自主企画「波の日」に行なう波MACHIライヴは、7月3日(土)にZepp Diver Cityで開催される予定です。SPiCYSOLの近況や情報など含め、詳しくはSPiCYSOLのオフィシャルサイトをご覧ください。
◎SPiCYSOLオフィシャルサイトHP:https://spicysol.com/
シボレーのバンを改造している動画はYouTubeで、どうぞ!
◎https://www.youtube.com/playlist?list=PL1fdL9QNpH9niv455k2-Dony7JUqjK9mQ
2021/4/11 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストはバックパッカー、そして紀行作家の「シェルパ斉藤」さんです。
斉藤さんは1961年、長野県生まれ。本名は「斉藤政喜(まさき)」さん、学生時代に中国の大河、揚子江をゴムボートで下ったことがきっかけで、フリーランスの物書きになり、1990年に作家デビュー。現在もアウトドア雑誌「BE-PAL」でバックパッキングや自転車など、自由な旅の連載を30年以上続けています。また、1995年に八ヶ岳山麓に移住。自分で建てたログハウスで自然暮らしを楽しんでいらっしゃいます。
斉藤さんは、実は20年以上にわたって、息子さんの成長の節目にふたりで旅をしていたんです。そんな斉藤さんの新しい本が『シェルパ斉藤の親子旅20年物語』。長男の「一歩」くんが、6歳から27歳までの成長の節目に、親子ふたりで旅をしたときの紀行文をまとめた一冊なんです。 きょうは、お父さんと息子さんのハートウォーミングな「親子旅」についてうかがいます。
☆写真協力:シェルパ斉藤

6歳の息子とバックパッキングの旅
※斉藤さんが一歩くんと旅に出たのは、その1年前に奥様が一歩くんと電車を使って日本全国を回る旅をしたので、「次は僕の番でしょ」ということで、一歩くんが小学生になる直前、6歳の時に八ヶ岳山麓の自宅から四国や関西を巡る旅に出発したんです。
電車や船に乗ったりヒッチハイクをしたりと、最初からバラエティーに富んだ旅になりましたね?
「割とね、僕は普通に旅をしたつもりなんですよ。だからヒッチハイクは正直しようと思っていたわけじゃなくて。息子との旅ってことで僕なりにちょっと気を遣って、何せ体力もないだろうから。かみさんからアドバイスを受けて、一歩が途中で嫌になったら困るからって思いもありましたね。
あの子は電車が好きだったんですよね。だから旅に行く時も最初は嫌だって言っていたんですけど、電車に乗っけてあげるよって言ったら、じゃあ行くって話になったんです。だから色んな電車に乗ったり、宿に泊まったり、遊園地も行ったりとかっていう風にしていたんですけど、旅先からかみさんに電話して、こんなことこういう風にしているよ〜って言ったら“それじゃ〜私(の旅)と変わんないじゃない”って言われて。
自分でもこんなことしていていいのかなって思いもちょっとあったので、“あんたバックパッカーのくせに私の旅と変わんないじゃない”って言われて、それでスイッチが入りましたね。
その時は歩く旅のスタイルじゃなくて、服装も何も持ってなかったから、帰りはヒッチハイクしようかと思って、名古屋の先あたりから家までヒッチハイクしようってことにして、それでやったのがだんだん自分なりに面白くなってきちゃったんですね。要するに普段ヒッチハイクはちょこちょこずっとしていたんですけど、6歳の子とヒッチハイクするなんて経験なかったし。それとね、やっぱり成功率高いんですよ」
●あ、お子さんがいらっしゃると!?
「そう、子供がいると、あんた一人じゃ止まらないけど、こんなに小っちゃな子が頑張ってんだから止まらないわけいかないでしょっていうおばさんが結構いたりとかして、そこそこそれで自信つけたんですよね。
それでその旅が終わった後に、小学校に上がる前に、ちゃんと・・・僕は荷物を背負ってフィールドを歩くバックパッキングって旅のスタイルをずっと書いている人間ですし、そういう旅をずっとやっている人間だから、それを一歩と小学校に上がる前にやろうって決めて、歩く旅の要素や環境が整っている熊野古道を歩こうと思ったんですよ」

●バックパッキングの旅ですよね!? 荷物を背負って歩く旅っていうのは一歩くんにとってどうだったんでしょう? 楽しんでいたように本を読みながら感じましたけど。
「それは最初の旅の時もそうだったんだけど、かみさんと一歩との初めての旅をどうするかっていう時に、とりあえず一歩のペースに合わせるってことと、自分の荷物は自分で持つっていうことは守らせようって話をしたんですよね。
それでちゃんと自分のことは自分でやるんだっていう自覚を、まだ小学校に上がる前だったんだけれども、そういう自覚を持たせることが大事かな。その旅も自分で歩いて前へ進んで行くんだぞっていうのを、まだ未就学の子だったけれども、そうするとやる気が起きるんじゃないかという思いもありましたね」
●やはり旅をする父親の背中を息子さんに見せたいなという気持ちもあったんですか?
「そんな立派なのじゃないけども、ただ父親はこれだけのものを持っているんだぞっていうのは伝わるんじゃないかなっていう・・・要するに二人分の食料とか、それから当然寝床、テントとかそういうのを全て持って歩くわけなので、僕が背負っている荷物大きいんですよ、それを見せる。しかも衣食住どこでも寝泊りできる道具を自分で背負って歩けるんだっていうことを、伝えたいっていうか見せたかったのはちょっとあったかもしれないですね」
息子の成長、親の葛藤
※斉藤さんは一歩くんが小学6年生の時に九州縦断自転車ツーリング、中学2年生のときに、親子での初めての登山、高校2年で50ccバイクでの信州ツーリング、そして23歳のときに、東北の「みちのく潮風トレイル」をトレッキングと親子ふたりでいろいろなスタイルの旅をされてきました。振り返ってみて、いまどんな想いがありますか。

「この本の原稿って後から思い出して書いているんじゃなくて、その旅を終えた時に書いているんですよ。だから考え方も、今こんなんじゃないな、あの時はこんなこと考えていたのかっていうのが自分でも新鮮な部分もありましたね。
だからやっぱり最初は原稿を自分でも読み返して、なんか嫌な大人だなって思う部分もちょっとあったりとかして・・・例えば中学生の頃に山に登った時なんかも“ほら、自分の足で汗かいて山に登るといいだろう?”っていうのを、何か感動を押し付けている部分もちょっと(笑)。
だからいちいち口にしたくないけど、それに対して一歩は“うん”ぐらいしか反応がないんです。あんまり自分でこんなことを口にしたくないんだけど、それを口にしている自分が嫌になったりとか。でも本当こいつ分かっているのかなとかそんなことを考えながら、気を遣っていたっていうよりも、何か完全に上から目線で“山ってこんなにいいんだぞ”っていうのを伝えたくて仕方なかったっていうのが中学、高校くらいまでかな。
でも23歳の時(の旅)はもう完全な、実際20歳になったらもう大人だと思っていたので、その頃から関係が変わってきましたね。もう普通の1対1の旅人的な感じで」
●ひらがなを読めて喜んでいた一歩くんがこんなに大きくなったんだっていうのを、この本を読みながらすごく感じました!
「最初そうですよね〜、高松のうどん屋に入って、そば食いたいなんて言うから、そばなんかあるかって言ったら、“ざ・る・そ・ば”ってひらがなを読んで喜んでいたくらいですから、やっぱり色々と感じますね」
●同じ男性としてやはり息子さんには厳しく言いたいっていうのが、父親のイメージでありますけれども、その点はいかがでしたか?
「最初ですね、いちばん初めの6歳の時なんかは、もう本当にあいつに何でもしてあげようっていう、あげようだったんですよ。小学生になってくると、特に高学年、あの時は6年生くらいだったので、自分で何でもやりたがる歳だったんですね。それを僕はちゃんと受け入れられなかった部分もあって“何、生意気言ってんだ”というそのアンバランスさがね。
彼は彼で背伸びしたい、しかも当時から大人と結構付き合っていましたから、自分はできるんだって部分と、僕は父親としてまだまだお前なんか甘いっていう部分で、そのバランスがね。小学生の時の九州ツーリングはいちばん自分でも(それを)感じて、自分の未熟さも感じたし、それからあいつの背伸びしたがるのをもっと受け入れる時だったんじゃないかって反省もすごくありましたね」
ヒッチハイク、正直かなわない!?

※いろいろな親子旅を通して、一歩くんの成長もそうですが、斉藤さんご自身も成長したと感じたりしましたか?
「そうですね。それぞれの時代に旅をしたっていうのがやっぱりよかったな、しかも全部同じ旅じゃなかったっていうのもね。自分の中で振り返っていくと、どんどん付き合い方が変わっていくし、自分の旅のスタイルをちょっと変えているんじゃないかなって気もしますね」
●例えばどんな風に変わっていくんですか?
「どんどん信頼していく。例えば陸奥の(旅の)時もそうだけれども、全部僕がやるとかじゃなくて、だんだんあいつに決めさせていく部分もちょっと増えていくんですよ。その時はある地点に車を置いて歩き始めて、じゃあ車を取りに行こうかっていう時に、ヒッチハイクで頼むよって言うと、じゃあ僕行ってくるって言ってヒッチハイクして、車もちゃんと運転して帰ってくる。
で、一回、道を間違えたこともあるんですよ。“一歩、この道であっているか?”って言ったら、“いや、違うと思うから戻った方がいいよ”って対等に言ってくれるようになって、その辺は自分でも今振り返って、ちゃんと成長しているんだ、それは一歩も成長しているけど、僕も対等にちゃんと耳を傾けるようになっているなっていうのを、(一歩が)23歳ぐらいの時に感じましたね」
●一歩くんとの成長と共に、シェルパ斉藤さんのライバル意識もちょっと感じました(笑)。
「いや、ライバル意識っていうかね、正直かなわないんですよ(笑)。特にヒッチハイクの時に書いたんですけれども、その当時、僕は55〜56歳だったのかな。もういい歳したおっさんだけど、未だにヒッチハイクしているんですよ。自分一人だとなかなか(車が)止まらないんですよね。ところがあいつがやると3分くらいで止まっちゃうんですよ。
だからあの時は本当に思いましたよね。やっぱり人生の中で可愛がられる年齢って絶対あるんだなって。自分を振り返っても22〜23歳の頃なんて言ったら、どこを旅しても何か皆に可愛がられたなって印象があって、だからそういう時に旅しないと本当に人生損すんじゃないかなって思ったくらいですね。何でこんなにこいつヒッチハイクが上手いんだっていうのは羨ましかったですね」
自分の子供じゃない感覚!?
※きょうは斉藤さんの新しい本、長男一歩くんとのふたり旅の紀行文をまとめた本『シェルパ斉藤の親子旅20年物語』にそってお話をうかがっていますが、最終章がとても感動的でした。どんな旅だったのか、ごく簡潔に説明していただけますか。

「そもそもシェルパ斉藤って名前は・・・30年以上前に自転車でネパールを旅したんですよね。その旅の終わり、最後はどうしようかって時に、旅の終わりを選ぶなら、もう道の終わりまで行こうと。で、道の終わりは何かって言ったらそれはエベレスト、この先はもう登山しかない、普通に行ける最後はエベレストのベースキャンプじゃないか。で、そこまで自転車で行ったんですよ。
(日本に)帰ってきたら、BE-PALで今も連載やっていますけれども、そこで歩く旅の連載をしないかと言われて、それでシェルパ族の故郷から帰ってきたばっかりだし、読者を歩く旅に誘うわけだから、ガイドするわけだから、登山のガイドとして定着しているシェルパっていう名前を付けられたんですよね。
で、シェルパ斉藤っていう名前になったんですけど、そのシェルパ斉藤として(連載記事を)書き出してちょうど30年目に、30年企画で何か面白いことやろうよって話になった時に、やっぱり原点だな、自分の原点としてもう一回ネパール行きたいな、ネパールを旅したいな。で、気づいたのがですね、15〜16年前かな、一回世界のトレイルをあちこち歩いた時に、ネパールではアンナプルナってところに行ったんですね。
結構ぐるっと周るサーキットですけど、当時そこいいな、もう1回行きたいなと思っていたんですけどね。そこにモータリゼーションでだんだん道路ができていて、一応未舗装のダートなんですけど、道路が今通じていると。だったら自転車で行けるんじゃないかな。昔30年前、自転車でずっとエベレストのベースキャンプまでかついで行ったんですけど、普通に走れるんじゃないかな、そこ行こうよ、よし行こうと思って決めて、その夏休みかな、息子が当時もう就職していたんですけど、(家に)帰ってきていたんですよ。
その時に“今度お父さんネパールに行くんだ、いいだろ? お前も行くか?”ってふらっと言ったら“行く”って言ったんですよ。“本当か? 交通費くらい出してやるけど本当に行く?”って言ったら“行く”って。
一歩はモンベルってアウトドアのメーカーで働き始めていて、アウトドアに関しては理解がある会社だから、多分10日くらい休めるよって話になって、じゃあ行こうか! ってことで、懐かしのネパールに息子と二人でマウンテンバイクで、さらにムクティナートっていう聖地があるんですよ、そこを目指す旅に出かけたのが2年前ですね。2019年です」
●やはり一人で行くのとはまた全然違いますよね、親子旅で。
「今回に関しては親子旅って言うよりも、何かもうパートナーとして行く、気の合うパートナーっていうか、信頼できるパートナーと行くっていう感じが近かったかな。で、やっぱりいちばん鮮明に覚えている旅っていうか、いちばん近い旅なので思ったんですけど、その時に感じたのは、この子は自分の子供だけど自分の子供じゃないんだっていうのを強く感じたんですよね」
●と言うと?
「例えば旅先で、僕は30年前に自転車でずっとアジアを放浪して、最後ネパールに行ったりとかしていたんですけど、自転車が何かおかしくなっちゃったら、もう旅はおしまいなので、出来るだけ大事にしていたんですよね。地域の人が自転車を触ろうとしたらダメ! みたいな感じで断っていたんだけど、あいつは1日走り終えて、近所の子供たちが来たら自ら遊びに行くんですよ。
一緒にバレーボールしたり、自分の乗っている自転車に乗ってみる? みたいな話とかして乗らせたりして、キャッキャと遊んでいるんですよね。僕はその間1日走り終えた自転車のメンテナンスとかしているんだけど、一歩はずっと遊んでいるんですよ、近所の子供たちと。
これは僕の子だけど、半分はやっぱり子供が大好きなかみさんの血が入っているんだっていうことを、その時つくづく感じて。だからこいつは僕の要素もあるけど、かみさんの要素をちゃんと持って成長しているんだなと思ったら、より人間として1対1で、僕の要素も持っている、違う別の旅人、別の人間として、自覚を僕が持てたって感じですね」

全力で楽しむ!
※一歩くんもこの時の、ネパールの旅の紀行文を書いています。そこに父親に対する気持ちも書かれていて読んだ時、じ〜んと来ました。
●斉藤さんどうでした? 読まれた時。
「やっぱ嬉しかったですね。こうだったんだな、確かに僕がこう意識していた部分もちゃんと原稿に書いていて。例えばそれは、基本的にいろんなトラブルが起きるんですよ。トラブルが起きることに対して、僕は経験者だし、いろんな旅のノウハウもあるから、だったらこうしたらどうだ? っていう色々選択肢を出すんですね。こういう方法もある、こういう方法もある。で、どうする? っていう最終決定は一歩にさせようと思っていたんですよね。
それをやっぱりあいつも感じていたらしくて、いつも何かがあると色々とすかさず答えを出す。答えじゃなくても選択肢を見つけて来るのは、解決方法を見つけてくるのは僕であって、決定権は僕(一歩)にあるっていうのがよかったと書いてくれて、それはちょっと嬉しかったですね」
●やっぱり旅好きに一歩くんも育ってますけれども、一人旅を好む青年になっていますよね?
「時間があれば、モンベルって会社にいるもんですから、しょっちゅうアウトドアに行ってますね。つい先週も行ったみたいですし」
●会社員となって30代目前の一歩くんにどんな言葉を贈りたいですか?
「もう好きにすればっていう感じですね(笑)。僕今回、後書きで最後のところに、夢は孫連れバックパッカーなんて書いたんだけど、それは本人にとってすごくプレッシャーになっちゃうし、そういうのは、今しゃべっておきながら言うのもなんだけど、それは絶対やめようと。考えたら、僕が30歳の時なんか本当に好きにやっていましたもんね、そう思いますね」
●いつか三世代で旅できたらいいですね!
「と思って言っちゃうとプレッシャーになるから言わないです!(笑)心の中でそう思っているというか、三世代にはならないようにしましょう! それぞれ好きにしましょう! ということかな(笑)」
●息子さんを連れて旅に出たいと思っている世の中のお父様方に、アドバイスを送るとしたらどんなことがありますか?
「最初僕もそうだったんですけど、子供のことを考えてとか、こうすれば子供にいいんじゃないかって考えていたんですけど、それも大事ですけどね、常に全力で遊ぶこと、ということかな。自分を振り返って割と全力で楽しんでいた気がします。
子供のためっていうよりも、自分が楽しかったから全力で頑張って、特に体力を使う旅が多かったから、汗を流して全力でやっていましたね。で、結局ね、子供の楽しみって何かって言ったら、父親が全力で喜んでいることじゃないかな〜。その姿を見たら多分子供も喜ぶんじゃないかなと思うので、子供というか息子、娘に限らず、遊ぶ時は全力で遊びましょうよっていうことがアドバイスになるかな・・・」
●確かに親の、全力で楽しんでいる姿は嬉しいです、子供として。
「やっぱ楽しいですよね。楽しいことを楽しくやる、素直にいればいいんじゃないですかね」
※この他のシェルパ斉藤さんのトークもご覧下さい。
INFORMATION
『シェルパ斉藤の親子旅20年物語』
息子さん一歩くんの、旅を重ねるごとにたくましく成長していく姿と同時に、斉藤さんの、一歩くんを見る目が変わっていくのもよくわかります。微笑ましく読めるハートウォーミングな親子旅、子育て中のパパやママにも読んで欲しい一冊です。産業編集センターから絶賛発売中です。詳しくは出版社のホームページを見てください。
◎産業編集センターHP:https://www.shc.co.jp/book/14478
「シェルパ斉藤」さんの近況についてはオフィシャルサイトをご覧ください。
◎シェルパ斉藤オフィシャルサイト:https://team-sherpa.wixsite.com/sherpa
2021/4/4 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは冒険ライダー、そして「地球元気村」の大村長「風間深志(かざま・しんじ)」さんです。
風間さんは1950年生まれ、山梨市出身。1982年に日本人として初めて「パリ・ダカールラリー」に参戦、2輪500CCクラスで6位入賞! その後、エベレストにバイクで登り、6005メートルという世界記録を樹立! さらに、バイクによる史上初の北極点と南極点に到達と、数々の大冒険に挑戦し、輝かしい記録を残しています。
そんな風間さんが1988年に設立したのが「地球元気村」。大冒険の挑戦から学んだ、自然の中での人間のあり方などを多くの人に伝え、「人と自然が調和している社会」の実現を目指して作られたプロジェクトです。
きょうは再び風間さんにご登場いただき、「地球元気村」というプロジェクトへの思いや、抱いている大きな夢、そして夕陽に向かうバイクのツーリングラリーのお話などうかがいます。
☆ 写真協力:風間深志事務所

番組名は「火打石」!?
●今回が1500回目の放送ということで、ゲストはこの方をおいて、ほかにはいません! この番組の記念すべき第1回目のゲストでいらっしゃいます。冒険ライダー、そして地球元気村の大村長、風間深志さんです。よろしくお願いいたします!
「はい! どうも〜! 1500回目の私です〜。風間深志です。どうぞよろしくお願いいたします」
●この番組がスタートしたのが、今から29年前の1992年4月4日ということで、きょうの放送から30年目に突入いたします!
「30年目に入るんですか、すご〜い!」
●風間さんには毎年4月の第1週目にご出演いただいています。
「そうなんです。僕の人格と性格にぴったりの日にちを選んでいただきましてですね、何を言ってもいいという(笑)」
●この番組「ザ・フリントストーン」とも30年のお付き合いになるということで、NPO法人、地球元気村はもっと長い歴史がありますよね?
「まぁちょっとね、今年で33年になるね。ところで“フリントストーン”って何だか分かっていますか?」
●風間さん、教えてください!
「ほら! これだからね!(笑)番組の主として解説しますけど、やっぱり人生とか生活のいちばん基本、原点を見つめようってわけで、まずは生活は火からですね。この火を起こすのに昔は火打石ってやつを使ったんですよ。それがフリントストーンです」
※風間さん、番組名の解説、ありがとうございます! そうなんです。番組名には「火打石」という意味があるんです。そしてもうひとつ、こんな思いも番組名には込められています。
1960年代にアメリカのアニメーション「原始家族フリントストーン」(原題 THE FLINTSTONES)が日本のテレビでも放映されていました。毎回オープニングで主人公が「ヤバダバドゥー!」と叫んでいたので、覚えている方もいらっしゃると思います。このアニメはその後、1994年に映画の実写版としても公開されました。
「原始家族フリントストーン」は原始時代のサラリーマン家庭の、ほのぼのとした物語なんですが、原始時代は人間が自然を壊さず、恵みをいただきながらともに生きていた、いわば「共生」していた時代ということで、今の時代もそうあって欲しい、という願いを込めて、この番組の生みの親、初代プロデューサーの「村上太一」さんが「ザ・フリントストーン」と命名したということです。
変わらず伝えていきたい
※33年の歴史を誇る「地球元気村」ですが、いまはどんな活動を行なっていますか?
「当時、僕たちがキャンプブームの第一世代を作って、キャンプがすごく流行ったね。で、アウトドアがものすごく開花した。ここへきてまた、ひとつの普及段階を経て、みんなはやっぱりパソコンとかiPhoneとか、そういったものが手元に常にあるようになって、何となく自然っていうか、アウトドアの方たちの多くは都会志向っていうことが否めない部分もあったよね。
そんな中で急にとにかくキャンプブームじゃないですか。むちゃくちゃ、みんな焚き火が好きじゃないですか。火は付けられるのかな〜?とか僕はちょっと疑って見ているんだけど(笑)、でも好きだよね。まぁどんな形にしろ、初心者っぽいキャンプをしていても構わないと思う。
外にあるのはやっぱり自然だし、森だしね、川だから、そういったものを、前進基地のようなものを作って見るっていうことはとても有益なことだからいいんですけど、現在の元気村は昔ほど毎週(イベントを)やるような感じにはなっていなくて。というのも、やりたいっていう地方自治体が少なくなったんですね。
これはちょっと冷めた話ですけど、自然じゃ食えないんだよっていう本音を、地方自治体の皆さんは抱いてます。平成の大合併ってありましたよね。3つある、4つある市町村が1つになって、強固な財政とか産業を生み出していこうっていうような形でやっているんですけど、日本の地方はやっぱり、今は地方創生っていう言葉があるように、地方を元気にしなきゃダメなんだ、一極集中ではダメなんだって声高に言ってますけど、やはり集中型で経済は回っている部分は否めないのでね。
つまり何かっていうと、地方自治体の中で主な産業がなかなか育成できない。そうなるとやっぱり地方自治体は、うちらはやっぱりこの森ですよね! っていうところになってくるわけですよね。また、地域に残っていく文化とか、都会にない素晴らしいものがいっぱい残っているから、そんなものを僕らも、昔と変わらずみんなに伝えていきたいなって」

地球元気村キャンプ場計画!?
※いま私たちは新型コロナウィルスに仕事も生活も大きな影響を受けていますが、そんなコロナ禍のなか、風間さんはこんなことを感じているそうです。
「どうやって生きていくんだっていう、生きるってことに非常に皆さんの関心がフォーカスされている時代が、コロナによって急にきました。そういう意味で、もたらしたものは、本当に人間が生きることに真剣になったっていう時代だよね」
●そうですね。
「何か潤ったり、より多くを得たりっていうものに、生産性っていうものにひっちゃきになっている時代から、デジタルを使ってすごく効率よく得られる時代から、(コロナが)一気にここで嵐のように降ってきて、みんなが身体を剥き出しにさせられて、生きるか死ぬか、とにかくマスクをして、呼吸にさえも気を遣いながら生きている現在ですよね。
そんな中でやっぱり、マスクの向こう側に見えるのは、解放された、のびのびと生きていく社会なんだっていうことで、そういうものがどこにあるんだ、どういう方向に行けばいいんだ、医療や、あるいは社会のシステムや、そういったものはどうなんだ、っていうことを一回ここでリセットして考える時代がやってきたような気がするんですね。
そういう意味からすると、非常に多くの方たちから“おい、また地球元気村の出番だぞ!”という風に言ってくれるように、昨今すごく感じてます。だからまたここで頑張らなきゃいけないなっていう風に、おじいさんはね、昔おじさんだったんだけど(笑)もう一回考えていますよ!」
●先ほどキャンプブームというお話もありましたけれども、地球元気村キャンプ場計画というのもあるそうですね?
「あ、早いですね!?」
●はい! 情報、手に入れました!(笑)これはどんなキャンプ場なんですか?
「あのね、昔から地球元気村って“その村はどこにあるの?”って言われ続けたんですけど、これはやっぱりひとつの、心のユートピア、理想郷の意味での村なんですね。だからどこにっていうと、強いて言えば山梨県の山梨市にある“天空のはたけ”っていう畑が42枚あって、それが具体的には、ある特定の場所なんですね。

地球元気村ってテーマに取り組んでいただいている、和歌山県や福島県の市町村で開催するイベントもありますけども、やっぱり固定した地球元気村を作りたいなっていうのは32年間ずっと悲願だったんですね。こんなアウトドアブームだったら地球元気村キャンプ場を作ったらどうですか? っていうプレゼンテーションがあったので、じゃ〜やるかな! って今思っていて、そういうところが八ヶ岳の裾野にできるかな? って感じ」
●楽しみです〜!
「楽しみだよね。そこはそんなにむちゃくちゃ広いわけじゃないので、まぁ火起こしだけ専門にやるキャンプ場とか、あるいはアウトドア料理だけをやろうとか、何かカテゴリーでスペシャリティを作っていくことも手だなと思っているんですけどね。まぁ夢は膨らむ一方ですよ」
南極点に集まって、イエーイ!
※ところで風間さん自身の冒険の予定はあるんですか?
「ここ数年実現できていません。今年パラリンピックができそうですよね? パラがこれだけ脚光を浴びる以前から僕は、障害者が思いっきり世界的な檜舞台に立つステージを、ある特定のパラリンピック選手だけじゃなくて、障害者が南極点に立って、そして夢は思えば叶うみたいなことをいうのが、南極点がいいなと思ってね。南極点に障害者を連れて行くプロジェクトをもうずっと温めているんだけど、このパラリンピックが終わったら出番ですね!」
●おお〜!
「やっぱり、パラリンピックを見送ってからの方がやりやすいんでね。ちょっと冷めた話だけど、お金もすごくかかるのでね。また何よりも安全面の対策を講じないと、障害者による南極点到達っていうのもできないし。
それも世界の人、ユーラシアからこの人、南米からこの人っていう風に思っていまして。冒険はやっぱり何かを生み出すものじゃなくて、やることに意義があるわけですから、できれば世界各国の人たちに集まっていただいて、そして南極点に集まって“イエーイ! やったー!”みたいなことが言えたらいいなと。とにかく夢はすごく大事ですよ」
朝日から夕陽に向かうラリー


※風間さんが発案したオートバイのツーリング・イベント「SSTR サンライズ・サンセット・ツーリング・ラリー」とはどんなラリー・イベントなんですか?
「これ“ラリー”って言っても、集まるっていう意味のラリーなんだけど、やはりラリーって付けている以上、皆さんに多少冒険心を持って走っていただきたいと。
やっぱり冒険は扉を開ける感動、それから行き着く感動っていうのがあって、ゴールの感動はサンセットにあるんですね。最初の扉はサンライズにあって、東の海の任意の場所、自分が行きたい、気に入っている海辺に立つんですよ。それでじっと夜明けを待つわけ。やがて空がしらけてきて、海からぽこっと太陽が出るわけですね。
この悠久の時を刻む天体、宇宙の中で、きょうこの日、一瞬っていうのは一回しかないんだよね。その時に自分はここに立っていた。そしてこの海を眺めている自分がこんな想いなんだ。バイクと共にそれを見ている自分がいる。いざ、ここから出発だ!っていうわけで、冒険が始まるわけですよ。
そして冒険の先にあるものは、今度は反対側の日本海に沈むサンセット、夕陽なんですね。そこまでを、例えば関東であったら、房総半島の犬吠埼から出発して、東京を越えて、それで長野県の松本から安房峠を越えて行くとか、あるいは岐阜の方に一回南下してから、飛騨高山を越えて、そして白山を眺めながら能登半島に行くっていうね。
行き先を、サンセットの場所を、僕は石川県の千里浜(ちりはま)っていう、羽咋市(はくいし)と羽咋郡宝達志水町( はくいぐん・ほうだつしみずちょう)っていう2つの市町村にまたがっている8キロの、日本で唯一バイクや車が走れる砂浜があるんですよね。そこを終点にゴールを設けて、サンセットのビーチとして、ここまでみんなおいでと、太陽が沈んじゃったらもう完走はダメだよと、沈む前にゴールすれば完走だっていうわけで、ものすごくシンプルにサンライズ・サンセット・ツーリング・ラリーは、朝日に出発して夕陽にゴールするっていう、このプロセスの旅を演出するのはキミのアイデアと、1つのモチベーションなんだっていうわけでね、自分の旅をしてきてほしいんだよね」

●改めて、風間さんにとってオートバイとは?
「オートバイとは、何だろうな〜、大好きなものって感じだね(笑)。乗っちまえばオートバイっていうのは、ほかの乗り物と違ってですね、これただじゃ動かないんですよ、バランスとらないと。だから二輪っていうのは四輪とえらい違いなのは、バイクが自分の身体の一部になるんですね。身体の一部なんですよ、オートバイは自分になるんですね。
それくらい大切なものだし、切っても切れないものだし、身体の一部がやっぱり、よりいい環境の中で、思いっきり出先で呼吸をしたいし、歓迎されたいなって思うので、僕は日本にモーターサイクル文化がいい感じで根付いていくことが自分自身の成長だし、自分自身の環境作りだと思っているから、バイク=僕ですね!」
※この他の風間深志さんのトークもご覧下さい。
INFORMATION
NPO法人「地球元気村」では山梨市で農業体験ができる「天空のはたけ」を運営、ほかにも縄文体験教室や、土のう袋を重ねる自然と調和するハウス作りなどのイベントを開催しています。
そして「地球元気村」では随時村民を募集中です。登録料はビジター村民で500円個人村民で2,000円、家族村民6人までで3,000円。村民になると年4回、季刊誌「地球元気村」が届くほか、元気村イベントの参加費が割引になります。ぜひ、この機会に村民として登録しませんか。
いずれも詳しくは「地球元気村」のオフィシャルサイトをご覧ください。
◎「地球元気村」HP:https://chikyugenkimura.jp
「風間」さん発案のオートバイのツーリング・イベント「SSTR サンライズ・サンセット・ツーリング・ラリー」は、今年は9月から10月にかけて開催される予定です。詳しくはSSTRのサイトを見てください。
◎ 「SSTR サンライズ・サンセット・ツーリング・ラリー」HP:https://sstr.jp
2021/3/28 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、“足元から世界を変える!”プロギングジャパンの代表「常田英一朗(ときた・えいいちろう)」さんです。
常田さんは愛知生まれ。子供の頃から自然が大好きで、滋賀大学在学中はワンダーフォーゲル部に所属。大学4年生のときに2年間休学、海外にも遠征し、山登りざんまい。卒業後、一般社団法人「プロギングジャパン」を設立、1年足らずで100回以上のイベントを開催し、注目されています。
「プロギング」とは、ゴミ拾いとジョギングを合わせた新しいフィットネスで、プロギングジャパン主催のイベントが国内数カ所で開催され、大変人気だそうです。
きょうは常田さんに、プロギングの魅力や、活動を通して伝えたいことなどうかがいます。
☆写真協力:常田英一朗

100カ国以上で楽しまれているプロギング
※ゴミ拾いとジョギングを合わせた新しいフィットネス、プロギングはいつ頃、どこで始まったんですか?
「2016年頃にスウェーデンで始まったフィットネスで、そこからスウェーデンのアスリートが、すごくいい活動だから世界中で真似してみてよ、広げてやってみてよっていうことで、今世界の100カ国以上で楽しまれているフィットネスになります」
●日本では、まだそこまで馴染みがないかなと思うんですけれども、ヨーロッパではすごく盛んっていうことですか?
「そうですね。ヨーロッパを中心にして、中国とかメキシコでも今かなりブームになっているようです」
●ジョギングしながらゴミを拾うっていうのは、結構体力的にきついんじゃないですか?
「そうですね。ガチでやるとかなり息があがります。ただ、プロギング自体はジョギングだけでなくて、ウォーキングも含まれていますので、それぞれの体力に合わせてやっていただければいいと思います」
●プロギングのメリットっていうのは、改めてどんなことになるんでしょうか?
「大きく分けると3つありまして、まず1つ目が高いフィットネス効果です。通常のジョギングよりも1.2倍ぐらいカロリーを消費すると言われていますし、拾い方によってはヒップアップとかダイエットにも効果があったりしますので、とても高いフィットネス効果を持っています。

2つ目が、すごく気持ちがいい。単純に気持ちがいいっていうのが2つ目のメリットになります。
普段生きていて、結構当たり前のことって多いじゃないですか。朝起きて、しっかりご飯食べて、仕事に行って、勉強とか子育てして、で、次の日に備えて。全部やって当たり前だと思うんですけれど、結構大変じゃないですか(笑)。
僕は大変で、こんだけ頑張ってるのになかなか認めてもらえないなーって思う方も多いんじゃないかなと思っていまして、その点、ゴミ拾いはゴミ1個でも拾ったら、ものすごいヒーローになれるわけです。
そこで、お互いに褒めあったりとかしますと、満足感とか自己肯定感が高まってすごく気持ちがいいんですよ。ストレス解消になりますよ、というのが2つ目のメリットになります。
そして3つ目が、ジョギング自体すごく気持ちがいいです。そして社会貢献もとても気持ちがいいということで、プロギング自体が純粋に、ものすごく爽快感があって気持ちがいいフィットネスになります。それを仲間と共有することによって自然と交流が深まる、友達ができるというのが3つ目のメリットになります」
●ゴミを拾うことで結果がすぐに見えるっていうのも気持ちよさそうですね。
「そうなんですよ。拾ったあとには重さを測ったりするんですけれど、すっごく達成感があります」
●常田さんのプロフィールに、“世界一ゴミ拾いを楽しむ人”とありましたけれども、やはり楽しむっていうことが大事なんですね。
「そうなんです! 楽しむということを私いちばん大事にしていまして、私自身は登山が好きで、自然が好きでゴミを拾っていたんですけれど、ただ、やらされてゴミ拾いしてもなかなか続かないですし、多くの方はそれだとゴミ拾いをやらないと思うんです。そこをフィットネスとか、自分のためになるからということで、楽しんでやってもらいたいなと思ってこのプロギングを広めています」

プロギングで観光や町おこし!
※プロギングジャパンでは具体的に、どんな活動をされていますか?
「メインはやはりプロギングイベントの開催です。1つの特徴が、先ほど言ったように、色んないいことがあります。これを基にして色々なイベントとコラボできるというのがプロギングの魅力なんです。
例えば観光ですね。ゴミを拾う時にちょっと裏路地に入ったりするじゃないですか。そうすると地元の方でも知らなかったような隠れた名店を発見できたりですとか、初めて行った土地でも走りながら、ゴミを拾いながら色んなところを見て回れるので観光になります。
商店街でやってイベントっぽくしたら町おこしにもなりますし、親子のイベント、子育てに疲れている親御さんにはストレス解消でやってもらって、お子さんには体感で環境問題について考えてもらうという機会になります。朝活でやるのもそうですし、企業の方から言えば、商品のPRに使ったりですとか、あと変化球でいうと婚活とかもあったりします」
●主な開催場所は、どのあたりなんですか?
「今、主に開催してるのは東京、愛知、京都あたりが多いんですけれども、これからもっともっと広げて日本全国で開催していきたいと思っています」
●大体いつも何人ぐらいの方が参加されているんですか?
「今ちょっとコロナの関係で募集人数を30名〜40名ぐらいに絞っているんですけれども、大体どのイベントでも1週間前には満員になって、応募は締め切りという形でやらせていただいています」
●実際参加された方々からはどんな反響があります?
「今プロギングジャパンのイベントでは大体、全体の6割が今までゴミ拾いしたことないですとか、あんまり興味がなかったという方にご参加いただけているんです。そういう方に聞くと、普段歩いている時には気にならなかったゴミが、改めて見てみると結構、街って汚れているんだねと、気づけたという声が多いですね」
●そうなんですね。ホームページを拝見しましたら、写真も載っていて、皆さんすごくいい笑顔をされていたんですよね。だからやはり達成感とか、楽しみとか、色んな感情が味わえるのかなっていう風に思ったんですけど。
「本当に楽しさだけは誰にも負けません! やってみるまでは皆さんジョギングとゴミ拾いってどうなんだろうなという感じの方が多いんです。初めてやる時はどうしても、ジョギング、ゴミ拾い、ジョギング、ゴミ拾いとバラバラになりがちなんですけれども、そこをプロギングジャパンのスタッフが上手くまとめて、こういう楽しみ方をするとすごくいいよ! というのをレクチャーしますので、それで1回やっていただくと、ガラッと意識が変わると思います」

プロギングリーダー検定試験
※ところで常田さん、集めたゴミはどう処理しているんですか?
「集めたゴミは3つ処理方法がありまして、まず1つ目が行政にお願いするというものです。それぞれ皆さんが活動されている地区の、環境事業所などがあると思いますので、そちらに問い合わせていただきますと、地区によってゴミの回収をしますとか、ゴミ袋を支給しますというような色々なサービスがありますので、そちらを利用していただくというのがまず1つ目です。
2つ目が飲食店などと協力するというので、特に商店街とかでプロギングする際は使っていただきたいんですけれども、お店とか商店街が綺麗になったりとか、PRになるというメリットがありますし、毎日事業ゴミとして色々なゴミを排出していますので、そこに混ぜて一緒に処理してもらうという方法です。3つ目は家庭ゴミとして捨ててもらうという方法になります」
●今年からプロギングリーダーの検定試験を行なうということですけれども、これはどんな目的で始めるんですか?
「こちらは、おかげさまでだいぶプロギングという言葉が日本中に広がってきまして、やってみようかなという初心者の方もどんどん増えてきました。そういった中で、しっかりと、プロギングの面白さをお伝えしたいなと思っています。
どうしても先ほど言ったように、初めてやるとジョギングとゴミ拾いがバラバラになりがちで、イマイチ面白さがわからないなという方もいらっしゃると思います。そこをプロギングリーダーの資格を持っている方、この方のイベントですと、しっかりと皆さんを安全に楽しませてあげられますよという、そういった保障になる資格を作りました」
●へ〜! どんな試験になるんですか?
「試験は一次試験と二次試験に分かれていまして、一次試験が筆記で、二次試験が実技になっています。筆記の方はプロギングの歴史もそうですし、それ以外にも環境問題ですとか、フィットネスに関する基本的な知識を幅広く問う予定です。
実技試験の方は実際にイベントを開催していただいて、その様子を動画に収めていただいて、それをチェックするという形になっています」
●3月31日まで申し込みということですね。
「そうです。4月3日土曜日に検定があります」
●たくさんの方が応募してくれるといいですよね。
「はい、お待ちしております! 」
できることで返していきたい
※常田さんがプロギングに出会って、すぐに活動を始めるようになったのは何か理由があったんですか?
「元々、プロギングジャパンは2人のクライマーによって作られたんです。私ともう1人、2人で最初立ち上げたんですけれども、北欧にクライミングに行った際に、実際に街中でプロギングの様子を見ました。
帰ってきてからどんな山だったかと共有するわけですよ。こんな感じでこう登ってというのを共有する中で、そういえば北欧で何か街中走りながら、ゴミを拾っている奴らがおったと聞きまして、調べてみたらプロギングというフィットネスでした。 じゃあ体力をつけたいし、自然にいいこともしたいから、1回やってみようかなと思ったのがきっかけなんですけれども、これやってみたら、環境問題が解決するとかそういうのを抜きにして単純に面白いと、そこにすごく惹かれまして、プロギングを広めていこうと思いました」

●常田さんは大学時代に山登りに夢中になっていたということですけれども、そこからどうして環境問題を意識するようになったんですか?
「私、山も岩も、滝とかも登ったりするんですけれど、どこに行ってもゴミって絶対にあるんですよね。山に登ったりするのって、私はすごく自然が好きだから行くんですけれど、同時に自然を破壊しているという側面もあります。
やっぱり人が歩いたところには道がついて、ちょっと自然を破壊しているという側面も絶対あります。そういった中で自然に恩返しじゃないですけれども、何かしら自分ができることを返していきたいなと思って環境問題に興味が湧いてきました」
●そういう下地があったからこそ、プロギングジャパンの設立にすんなり動けたということなんですね。プロギングジャパンの目標は何ですか?
「目標は今、環境問題を解決しようと色々な活動があると思うんですけれども、今の時点ではやはり環境問題に興味がある人がメインで動いていると思っています。そこを全然、環境問題に興味がない人を巻き込んで、全ての人で環境問題を解決していくという意識作りをしていくのがプロギングジャパンの目標です」
環境問題を解決しようとあえて言わない!
※環境問題の危機意識というのか、それを意識していない人に伝えるのは難しいことだと思うんですけど、伝えるときに何か意識していることはありますか?
「私たちは環境問題を解決しようと言わないことを売りにしてるんです」
●え! 言わない!?
「というのも、ゴミ拾いをされる方、してみたいなって方で多いのが、恥ずかしいと思っている方が結構多いんです。何かちょっといい格好しいみたいな、そんな感じでちょっと恥ずかしいなと思う方が多くて。
そこを私たちは、地球にいいから優しいからしようよーということではなくて、フィットネスで皆で楽しく健康になろうぜと、環境問題は一旦置いといて、単純に自分が楽しむためにやろうぜと、そういうことで敷居を下げるようにしています。実際に拾ってみたら絶対何かしら感じることがあるので、環境問題を解決しようよと言わなくとも解決するような活動を目指しています」
●SDGsにしても徐々に浸透はしてきたと思いますけれども、企業レベルならまだしも、やはり一般的にどこか他人事と思っている方も多いと思うんです。プロギングは意識を変えるツールになる可能性はありますよね。
「もちろんです! 本当に企業にお勤めなさっている方でも、なかなか知識では知っていても、体感として理解できていない方も多いと思うんです。
去年の夏に衝撃的だったのが、SDGsのピンバッチあるじゃないですか、ピンバッチつけてジャケットを羽織っているんですけど、汗だくなんですよ。夏場でジャケットを羽織ってピンバッチつけて、汗だくでクーラーの入った部屋に行くんですけれど、それSDGsじゃないよね? という風にすごく衝撃受けました。
それにはやっぱり知識ともう1つ、体感、行動で理解するということが必要だと思っていまして、是非プロギングを体験していただければなと思っています。
プロギングは環境問題の解決だけではなく、健康にもなりますし、ストレス解消、働き方というところでもSDGsにコミットできますし、パートナーシップ、17番目のゴールにもコミットできます。色々なSDGsのゴールを包括、体系的に学べるものですので、色んな方にSDGsと言わずとも、その概念を理解してもらえればなと思っています」
●SDGsに関しての勉強は、どのようにされていたんですか?
「自分で勉強することももちろんですし、今様々なイベントが開催されていますので、そこに実際に行って、自分が知らない分野を学んでということで、あとはSDGs検定というものがありまして、それもきっかけでSDGsを学びました」
●合格されたんですか?
「はい、なんとか、1回落ちちゃったんですけれど、2回目でなんとか合格させていただきました!」
●改めて常田さんはプロギングを通して何をいちばん伝えたいですか?
「私たちがいちばん伝えたいことは、やっぱり楽しみながら皆で変えていこうという、共通意識を持ちたいなと思っています。
どうしてもネガティブになりがちだと思うんです。環境問題しかり、色々なSDGsの問題、どれも発信する時には、可哀想な人がいてとか、こんだけゴミが落ちていて、泣いたり悲しかったり怒りがあったり、そういったネガティブな感情が大きいと思うんです。
でも、そういうネガティブな感情で世界を動かしていくんじゃなくて、私は未来は明るいから全員でもっともっと楽しい未来作っていこうよと、ポジティブな力で世界を変えていけるんだぞというところを、皆様にお伝えしたいなと思って頑張っています」
INFORMATION
一般社団法人「プロギングジャパン」

プロギングジャパンではだれでも参加できるプロギングイベントを定期的に行なっています。開催の1週間前には定員に達するほど人気なんだそうです。いつどこで開催するのかは、オフィシャルサイトにどんどんアップされていますので、ぜひチェックしてください。
近いところでは4月10日(土)に千代田区の日比谷公園で開催される予定です。
初めて行なわれる「プロギングリーダー」検定試験、応募の締め切りは3月31日です。
詳しくはプロギングジャパンのオフィシャルサイトをご覧ください。
◎プロギングジャパンHP:http://plogging.jp
2021/3/21 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、山の天気予報サービス「ヤマテン」の代表で、山岳気象予報士「猪熊隆之(いのくま・たかゆき)」さんです。
猪熊さんは1970年、新潟生まれ。中央大学卒業。在学中は登山部で山の経験を積み、卒業後は海外の山にも遠征。そして2007年に気象予報士の資格を取得。2011年に国内唯一の山専門の気象予報会社「ヤマテン」を設立し、山岳気象予報のエキスパートとして多方面で活躍されています。
きょうは猪熊さんに、山で見かける雲の特徴や、急変する山の天候から身を守るリスクマネジメントのお話などうかがいます。
☆写真協力:猪熊隆之
平地と山の天気の違い
※本のタイトルにある「観天望気」という言葉、いまはあまり馴染みのない言葉だと思うんですが・・・猪熊さん、どんな意味なんでしょうか。
「簡単に言うと空を観て天気を読むということで、例えば雲とか、風の変化ですね、そういったものから今後の天気を予想していく、そういう方法を観天望気と言います」
●この本では山で見かける雲というものがキーワードになっていますけれども、やはり雲にまつわる観天望気というのが多いんですか?
「はい。空気っていうのは残念ながら目に見えませんよね? ですが、雲っていうのは見えない空気がですね、気持ちというか状態を表してくれるものなんですよ。ですから、雲の動きとか変化から、そのあとの空気の変化を読むことができますので、雲を使うことがいちばん多いですね」
●山で見かける雲については、後ほど詳しくおうかがいしたいと思うんですけれども、まずは初歩的な質問からさせてください。山と平地ではどうして天気が違うんですか?
「それはですね、平地はあまり凹凸(おうとつ)がないですよね。山はでこぼこしていて、凹凸があります。天気が崩れる要因としては雲ができて、雲が成長することがあるんですけれども、曇は水蒸気を含んだ空気が上昇して、その水蒸気が冷やされることで水滴とか氷の粒になって、それが雲になっていきます。
で、平地は低気圧とか前線とか、そういったものが近づくと天気が崩れていきます。それは低気圧とか前線の近くは、空気が上昇する上昇気流という現象が起きているからなんですね。そうするとその中に水蒸気が含まれていれば、それが冷やされてどんどん雲になっていくということになります。
でも山は低気圧とか前線が来なくてもですね、簡単に上昇気流が起きてしまうんですね。それは平地では、風が吹いても上昇気流が起きないのに対して、山では風が吹くと風によって空気が動いていきます。それが山にぶつかると山の斜面に沿って昇っていきますので、どうしても上昇気流が起きてしまうんですね。ですから山は上昇気流が起きやすいので、その分、雲ができやすくなります」
●山の天気ってとにかく変わりやすいっていうイメージがありますけれども、登山中の天気の変化ってどんなところに注意したらいいですか?
「やはり事前に、観天望気より前にですね、登山に出発する前に、天気図とか天気予報からしっかりとその日の天気の状況を、どういった危険があるのかっていうのを把握しておくことが大切になります。その上で実際に山に行った時には、特に風上側ですね、風が吹いてくる方向の空とか、あるいは日本付近では西から東に天気が崩れていくことが多いので、西側の空をチェックしていくといいと思います」
●今はスマホなどで最新情報も入手できますけれども、山では電波が繋がらない! とかそういったこともありますよね。
「そうですね。そういったこともありますし、あと、平地の、皆さんが一般的にテレビとかラジオとかインターネットで入手できるような予報と、山の天気っていうのは大きく変わってしまうこともあるんですよね。そういう風に平地と山の上とで天気が大きく違う時に、気象遭難が発生しやすくなりますので、どうしても天気予報だけではリスクを減らせないということがありますから、やはり雲を観ていくことが大切になっていきます」
要注意! 積乱雲とレンズ雲

※具体的に、天気が崩れてしまう雲について、これは知っておいた方がいいという例をいくつか教えてください。
「やはりいちばんリスクが大きいのは、突然の雷とか強い雨に襲われる時です。そういったものをもたらす雲は積乱雲と言いまして、入道雲ってご存知ですか? 夏によくソフトクリームみたいなモクモクした雲が出ますよね? あの雲が成長していくと積乱雲になります。
あの雲が周囲にどんどんやる気を出していく、雲がどんどん成長していく、そういった時は危ないので、早めに避難した方がいいということと、あともうひとつ、山では天気だけではなくて風の強さが登山において大きなリスクになっていきます。
晴れていても風がものすごく強く吹いていると、風にあおられて滑落してしまったり、あるいはテントが飛ばされたりっていう非常に危険な状態になりますので、風の強さっていうのも知っておくことが大切なんですね。
で、その強風を知らせるサインとなる雲がレンズ雲という雲になりまして、よく地震雲とか、あるいはUFOみたいな形の雲なので、UFOがきたとか間違えられることがあるんですけれども。メガネのレンズありますよね、そういったレンズの形をした、厚みが一定で、強風に流されたような、そういった雲が出ることがあるんです。
見ていただくとすぐ分かると思うんですけれども、そういったレンズ雲が出ている時は山の上では風が強くなっていますので、あるいはこれから風が強くなるサインになりますので、無理をしないということが重要になります」
●へ〜! 入道雲やレンズ雲が出てきたら早めに下山するなどした方がいいということですね?
「そうですね。あるいは風が強くなるところは、樹林帯から樹林がない草原状のところに出るところなんですよね。ですから樹林帯の中までは比較的安全ですので、草原に出るところで雲をもう1回チェックして、その場所の風の強さと合わせて判断していただくといいと思います」
●これから春から初夏にかけて、最も注意しておきたい山の気象の変化っていうのはありますか?
「春、特にゴールデンウィークには登山者がすごく多くなるんですけれども、ゴールデンウィークによく起きる事故として、低体温症による事故っていうのがあるんですね。低体温症っていうのは低い体温の症状と書くんですけれども、体温がどんどん下がっていく、そういう怖い症状で、熱中症の逆みたいな感じですよね。
この症状は特に、雨風が強いところを長く歩いたり、雪と風が強いところを長く歩いたりする時に、体温ってどんどん奪われていきます。で、先ほども言いましたように平地ではそれほど天気予報は悪くなかったりしても、山の上で風雨が強かったり吹雪になったり、まだゴールデンウィークだと高い山は吹雪になることがあります。
こういった時に遭難事故が多発していますので、特に低気圧が日本列島を通過していって抜けたあとに。天気図には等圧線っていう線が必ず引かれているんですね。その線が混み合っている時は日本海側の山で猛吹雪になります。そういった時に事故が多発しています。 関東地方とか平野部では晴れていても、山の上では吹雪いていることがありますので、低気圧が抜けたあとも、1日くらいは日本海側の山では吹雪になることが多くなりますから、もう1日待っていただくのがいいと思います」
山の人たちに恩返し
※本格的に登山を始めたのはいつ頃なんですか?
「私は小さい頃から田舎育ちだったんですけれども、本格的に始めたのは大学の山岳部に入部してからですね」
●どんな山を登っていたんですか?
「最初はもう訳も分からず、やはり雪山が目標ですから、雪の上を1年を通じて、春のうちから歩いていく、そういう訓練を積んでいくんですよね。ですから、いきなり谷川岳とかの雪のあるところに連れて行かれて、もう傾斜もすごくあって、怖くて降りられないんですよね。その時期の雪ってすごく固くて滑るんで、それでもう本当に怖かったのを覚えています(笑)」
●そうだったんですね! 海外にも行ってたんですか?
「そうですね。卒業してからは海外の山に興味を持ちまして、ヒマラヤですとか、アメリカのヨセミテ国立公園っていうところがありまして、そこに大きな岩壁があるんですけれども、そこに登りに行ったりとか、そういったことをやっていましたね」
●へ〜! そんな中、山岳気象予報士になろうと思ったのは何かきっかけがあったんですか?
「そうやってずっと山を登っていたんですけれども、大学時代に1回すごく大怪我をしたことがあって、その怪我がもとで慢性骨髄炎っていって完治が非常に難しい病気になって、日常生活もままならなくなったんですね。入退院をずっと繰り返して、闘病生活が5〜6年続いたんですけども、その時に、一生この病気と付き合っていかなきゃいけないので、それまでは山中心の生活を送って、登山専門の旅行会社で働いていたんですが、そういった仕事をするのはもう難しくなりましたので、こういった病気と付き合いながらやれる仕事、それまでは身体を使った仕事がメインだったんですけれど、今度は頭を使った仕事をしていかないと生きていけないっていうことになりましたので。
それで小さい頃から天気が大好きだったんですよね。私にとって他の人よりも少しでも興味があって、勝てる可能性があるものは天気かなと思って、気象予報士の勉強をして、たまたま受かってしまったので、それだったら今まで散々お世話になってきた山の人たちへの恩返しをしたいということで、山の天気予報を始めようと、そういう風に思いました」
●山岳気象予報士っていう資格があるわけではないですよね?
「これは私が最初にヒマラヤの登山隊に予報を出して、当時はですね、日本の気象予報士が出すことはなかったんで、欧米の、アメリカとかヨーロッパの気象会社がヒマラヤの登山隊に出していたんですよ。当時はまだ精度が低くて、その時にヨーロッパとかアメリカの登山隊がみんな大雪になるって(予測していた)日に、私が、“7500メートルから上は晴れます。風も弱いです。絶好の登山日和になります”って言ったのが本当に当たってしまって。
今、エベレストの登山ってすごく混んでいるんですよ。渋滞して酸素がもたなくて亡くなってしまう方もいるくらいなんですね。そんな中、本当に貸し切り状態で山頂を独り占めにできたっていうことで、それを新聞社に取り上げていただいたんですよね。記者の方が命名してくださったのが山岳気象予報士で、それで私も気に入って使わせてもらっています」
山のプロが信頼する「ヤマテン」の天気予報

※猪熊さんが設立した山専門の気象予報会社「ヤマテン」では、どんな気象予報サービスを行なっているんですか?
「いろいろやっているんですけども、メインのサービスとしては、登山者向けに日本の国内の、主要な山の山頂の天気予報を配信したりとか、そういうページを作っていまして、それを皆さんにご利用いただいて、登山のリスクを事前に察知して、安全登山に繋げていただくっていうことをやったりとか。
あるいは三浦雄一郎さんとか、竹内洋岳さんとか、野口健さんとか、そういった登山家の方に登山をする際に予報を利用していただいて、安全登山に繋げていただいたり。“世界の果てまでイッテQ!”のイモトさんにも毎回、海外の登山の時、あるいは国内の登山でも情報を利用していただいて、この日がいちばん登るのに安全だよとか、この日はちょっと大雪の可能性があるから、高所順応とか、そういったのに行かない方がいいですよとか、そういったアドバイスをさせていただいたりしていますね」
●今はなかなか山にも行けない状況ですけれども、登山の準備期間として安全に繋がる装備の見直しとかあってもいいかもしれませんね。
「昨年から山に行けない期間だからこそ、山に対しての知識を深めていったり、安全登山に対して勉強していく、いい機会なのかなと思いまして、うちの方でもですね、ヤマテンチャンネルをユーチューブで作りまして、誰でも天気について勉強できるような、そういった仕組みを作ったりしました」
●具体的にそのユーチューブではどんなことを教えてくださるんですか?
「やはりですね、天気予報だけだと登山のリスクっていうのは減らせないので、天気図を、特にヤマテンでは、先ほど申し上げた“山の天気予報”って有料サイトがあるんですけれども、そこでいろんな天気図を見ることができるんですね。その天気図をどういう風に使っていったらいいのかっていうのを詳しく解説したり、そういった動画を公開しています」
●改めて、猪熊さんが思う山のいちばんの魅力とは何でしょうか?
「難しいですね。若い頃はやはり自分の限界に挑戦できる場、自分が成長していくことが、やればやった分だけ成長していくことが分かるっていうことがありました。自分の限界への挑戦とか、危険な場所とかを登ると、アドレナリンがすごく出てきて、そういったものに対する面白さっていうのもあったんですけど(笑)、今は純粋に楽しい! っていうことと、やっぱり色んな楽しみ方ができるっていうことですね。
老若男女それぞれ、あるいは森に興味があったり、花に興味があったり、川に興味があったり、なんでもいいんですよね。どういった形でも自分が興味のあるものを深められる、そしてやっぱりその場にいると、すごく幸福感を感じるってこともありますし、山から降りてくると、すごく日常生活がハッピーに感じられるんですよ。
あと山って食べる料理とか、山で飲むお酒とかコーヒーは、本当に下界で飲んだり食べたりするものよりも遥かに美味しいんです! 極端にいうと本当にレトルト食品でもすごく美味しいって感じられるぐらいなんで、そういった何か日常にないものを感じられるっていう、そういう楽しさとか、幸福感っていうのがやっぱりあると思いますね」
INFORMATION
『山の観天望気〜雲が教えてくれる山の天気』
雲のイラストや写真も豊富に掲載されていて、とてもわかりやすく、登山が趣味のかたはもちろんですが、雲や気象に関する知識は日常生活でも役立ちます。また、落雷や強風のリスクから身を守ることにもつながるかと思います。ぜひ読んでください。ヤマケイ新書シリーズの一冊として絶賛発売中です。詳しくは山と渓谷社のサイトをご覧ください。
◎『山の観天望気〜雲が教えてくれる山の天気』HP:
https://www.yamakei.co.jp/products/2820510720.html
◎ヤマテンチャンネルHP:
https://www.youtube.com/channel/UCdl4pfoWmvUCUc3K8CwqNLA/featured
『山の観天望気〜雲が教えてくれる山の天気』を、この番組のリスナーのかたに、抽選で3名さまにプレゼントいたします。
応募はメールでお願いします。件名に「本のプレゼント希望」と書いて、番組までお送りください。メールアドレスは flint@bayfm.co.jp です。
あなたの住所、氏名、職業、電話番号を忘れずに。番組を聴いての感想なども書いてくださると嬉しいです。応募の締め切りは3月26日(金)。当選発表は発送をもって代えさせていただきます。たくさんのご応募、お待ちしています。
応募は締め切られました。たくさんのご応募、誠にありがとうございました。
2021/3/14 UP!
今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、路上園芸鑑賞家の「村田あやこ」さんです。
村田さんは福岡県生まれ。大学では地理学を学び、上京してからは街角の園芸や植物に惹かれ、ひとり「路上園芸学会」として、撮影や記録を行ない、SNSやウエブのコラムなどでその魅力を発信。そして『たのしい路上園芸観察』という本も出されています。
路上園芸とは、民家や商店の軒先で、植木鉢やプランターなどに植えられ、育てられている植物たちのこと。路地裏に入ると、意外なところに植物が生い茂っていたりしますよね。
きょうは、そんな路上園芸に魅了されてしまった村田さんに、代表的な植物や、観察を始めるコツ、そして路上園芸から見えてくる人と街についてうかがいます。
☆写真協力:村田あやこ

肩の力が抜けた緑の光景
※村田さんが路上園芸に目を向けるようになったのは、いつ頃、どんなきっかけがあったんですか?
「最初に気になって、写真に収めたりするようになったのが10年ほど前ですね。きっかけを今考えると、何か色んなことが組み合わさって、興味に至ったのかなと思うんです。
まず、大学時代までずっと地方で過ごしていて、実家の裏もすぐ山があって、小っちゃい頃は山で遊ぶような子どもでした。大学もキャンパスの中がすごく緑豊かで、割と自然に囲まれた環境でずっと育ってきて、それだからか、植物は、さほど積極的に意識しなくても周りにある環境だったんですね。
ただ上京して何年か経ったタイミングで、多分自然回帰みたいなところがあるかもしれないんですけれど、急に植物に興味が湧き始めて、最初、植物を使って空間をデザインしてみたい、そういう仕事に就きたいなと思って、商業空間とかオフィスの中を鉢植えで装飾したり、植栽を管理するアルバイトをする傍ら、1年間、専門学校にも通って、園芸装飾技能士っていう資格も取得したりしたんですね。
実はそのぐらいの時期に、路上園芸にも興味が湧くようになりまして、その時に志していたのは、計画して緑を配置していくことだったんですけれど、その街の園芸、本当に家の近所にふと放置されていた鉢植えに目がいくようになって、一回気になり始めると、他の町でも、ここにもある! ここにもある! みたいな感じで、本当に身の回りに溢れているものだなと思って見始めたんです。
そういったものはそこに暮らす方が、自分の暮らしを彩りたいなと思って、思い思いに私的に置いてある鉢植えだと思っていて、ある意味、デザインとかは考えずに、少しずつを育てていって、愛でていって、時に放置されていたりとか、あと植物が思いもよらないぐらいのサイズに大きくなったりとか。
あまり計画通りには進まないみたいなところもあって、何かそういう、植木鉢に入っている状態で、多分森や自然の中とは違う環境だと思うんですけど、デザインとは無縁な、暮らしを彩るための、肩の力が抜けた緑の光景ってなんだかいいなぁと思って、写真を撮り始めたっていう感じです」

●路上園芸の魅力や特徴ってどんなところにありますか?
「本当にたくさんの魅力があるんですけれど、まず私がやっぱり惹かれるのは、人と植物それぞれ別の生き物が、街中の空間を使って、そこを舞台に作り上げている光景っていうところにいちばん惹かれます。
最初は人の都合というか、そこに住む方が自分の暮らしを彩るために置かれるんですけれど、植物は植物で、そんなこと知ったこっちゃないみたいな感じで、たまに鉢から逃げ出して、その辺の隙間に逃げて行ったりとか(笑)。
あと本当に根っこが鉢を食い破って、地面に根ざしてしまったりとか。そういう植物は植物で、その街の中で必死になんとか生きて、命を繋いでいこうとしているので、そういった動きを丸ごと観察するとすごく楽しいですね」
路上が育む園芸
※路上園芸は「路上で営まれる園芸」と「路上が育む園芸」のふたつに分けられるそうですね。その違いを教えていただけますか。
「まず、“路上で営まれる園芸”っていうことで定義しているのは、路上の空間、軒先とか路肩とか室外機の上とか、街中のちょっとしたスペースを使って営まれる園芸のことを、路上園芸のひとつの定義として、路上で営まれる園芸と呼んでいます。
もうひとつは“路上が育む園芸”、最初は人目線で路上園芸を見ていたんですけれど、段々さっきお話ししたように植物は植物で生命力を発揮して、どんどんと隙間に生えていったりとか、たくましいなって思って、植物自体にも興味が湧くようになって。
路上が育む園芸っていうのは、最初は人の都合で植えられていても、環境が合っていたりとか、丈夫だったりすると、最初決められた枠みたいなものをはみ出して成長することがあるので、そういう路上で自然に任せて育まれて、たくましく、したたかに生きる植物そのものも路上園芸という風にしています」
●路上園芸の代表的な植物というと、どんなものがあるんですか?
「本当によく見かけるものだとアロエとか、ご実家にそれがあったなっていう方も多いと思うんですけど、あとカネノナルキっていう、ちょっと小判みたいな形をした多肉植物とか、ナンテンとか、多肉植物のオボロヅキとか。
丈夫で、多少水がなくても大丈夫なものだったり、あとは挿し木とかで簡単に増やせるものとか。あとは縁起物の植物が結構多いのかなと思いますね」

観察するなら下町がおすすめ!
※路上園芸をよく見に行くエリアは、どの辺なんですか?
「よし、見るぞ! って思って行く時は、割と昔ながらの商店街とか、長く住んでいる住人の多そうな街とか、あとはいい飲み屋街がありそうな街、例えば赤羽とか、そういったところは路上園芸自体もすごく楽しいんです。
打ち上げとセットで楽しめるっていう感じとか、何かそういういい感じで、人の生活感覚が長く育まれていそうな場所によく行きますね。
東京でいうと墨田区とか、押上周辺、向島や曳舟、浅草とか、その辺のちょっと人も賑やかで生活感もあって、いい感じの商店街や飲み屋街がありそうな街っていうのが結構好きで、よく出没しています」
●飲み屋街では、ビールケースが再利用されているのがすごく面白かったです! ビールケースの中に植木鉢があるというような感じですよね?
「この本の表紙でも、まさに黄色いビールケースを鉢カバーにして、その上に鉢を置いているお宅の写真を載せているんですけれども」
●何気ない風景でも、やっぱりこうやって見ているとすごく面白いですよね。
「そうですね。何かそういう色んな身近なもの、身の回りで使っていたものを、鉢や園芸のために転用しているのもいいなと思いますね」
●今まで色々観察された中で、特に印象に残っている路上園芸ってありますか?
「どれもそれぞれのストーリーや魅力があるので、本当に選び難いんですけれど、いちばん印象的だったなと思うのが、とある東京の下町エリアで、ものすごく見事な路上園芸をなさっていたおうちがあって、すぐその裏に大きなソメイヨシノが立派に育っていて、本当に大木になっていたんです。
偶然、家主の方がいらっしゃったのでお話をうかがったところ、実はその大きなソメイヨシノは、その方が結婚される時に結婚祝いとして、40年ぐらい前に鉢植えで育て始めたものが大木になって、今その地区の保護樹木に指定され、プレートも掲げられていて、それがすごく印象に残っていますね。
ちょっと行くと大きいビルがあったり、周りもアスファルトに囲まれていて、けっして広い公園とかそういう場所ではなくても、何かそうやって人の育てた緑が街の緑の景観になって、周りの人たちを楽しませるシンボルになることもあるっていうのがすごく印象に残りました」

見上げて楽しむ、台湾の路上園芸
※村田さん、台湾も路上園芸が盛んだそうですね?
「本当に台湾すごかったですね(笑)」
●どんな感じなんですか? 台湾の路上園芸って。
「台湾はやっぱり暖かくて湿気も多いからか、植物がとにかく色んなところから育っているのがすごく印象的で、例えば店の屋根、軒先、雨どいとか、お店のひさしの上とか、そういった場所でもちょっとした隙間から、日本では見られないぐらいの勢いで、元気よく生い茂っているのも印象的でした。
あとは日本では、集合住宅のベランダって覆われていて、そんなに中は見えないデザインが多いと思うんですけれど、台湾の集合住宅ってベランダが格子になっていて、外からもベランダの様子が見えるようなデザインのところが結構あります。
そのベランダの格子の中いっぱいに鉢植えを置いて育てているお宅がすごく多くて。なので路上ももちろんなんですけど、台湾は上を見上げても楽しい、上の方まで緑が生い茂っていて楽しかったですね」
●日本の路上園芸とはまた違った風景なんですね。
「そうですね。共通するところもあるし、やっぱり植生とかも違うので、またちょっと一味違って楽しめましたね」
おうちの周りをキョロキョロ!?

※では最後に、路上園芸を観察するとしたら、どこかおすすめのコースなどあったりしますか?
「色んな楽しみ方があるので、まずはおうちから一歩外に出て、おうちの周りの半径10メートルでもいいので、周りをキョロキョロしてみるだけでも楽しめます。
私は路上園芸を、人が育てている緑も、路上の隙間から勝手に生えているような植物も、広く路上園芸鑑賞という風に捉えているんです。おうちを一歩出た外でも、道の端や隙間、マンホールの穴とか、ちょっとしたスペースに目を向けてみると、隙間で生きる、はみ出す緑っていうのを楽しめますよ。
まずは一歩外に出て、視線を普段見ないようなところにも向けて、キョロキョロしてみましょうっていうのはまず是非おすすめしたいですね。あとは人が育てた緑だと、ほどよく生活感のある商店街とか住宅街が特に楽しいですよ」
●すぐ明日からでもできることですね!
「そうですね。すぐに実践できる楽しみだと思います」
●うろうろしていて、怪しまれたりしたことはないですか?(笑)
「きっとはたから見ると怪しいのかなと思うんですけれど(笑)、はたから見ると怪しい趣味だっていうのは痛感しているので、住人の方が表に出て手入れなさっていると、できるだけご挨拶してお話しするようにはしていますね。
不思議なことに植物の話をきっかけにすると、本当に表情がほぐれて色々とお話ししてくださることが多くて、たまに“この鉢、よかったら持っていって”って言われて、植物をいただくこともありますね」
●へ〜! そういう繋がりもあるんですね!
「そうですね、そういう繋がりもありますね。ただ観察される時は是非プライバシーには配慮していただいて、私有地とか敷地には絶対立ち入らないっていうのは、ちょっと(路上園芸観察を)やってみたいっていう方はお気をつけいただければとは思います」
●マナーは大事ですよね。改めて路上園芸観賞家としての夢や目標があれば教えてください!
「今、なかなか心置きなく旅行するのは難しい状況で、そんな中でも路上園芸は本当に身近な場所でも楽しめる趣味ではあるんです。心置きなく旅行できるような状況になったら、是非今住んでいる場所じゃない色んな場所とか、国内だけでなく海外にも旅して、色んな町の路上園芸を観察したいなって思っています。
あとは植物の名前や生態についてもまだまだ勉強中なので、もうちょっと知見を深めたいなっていうのもありますね。
SNSを通じて、海外の色んな国の方でも、私と同じような視点で、街の園芸や隙間から生える緑を愛でる仲間たちと出会ったので、いつか将来そういう人たちで何か一緒に本を作るのか、展示をするのか、何か一緒にできたらいいなっていうのが夢です」
INFORMATION
『たのしい路上園芸観察』
村田さんの初めての本、おすすめですよ。本のタイトル通り、路上園芸の楽しさが伝わってきます。写真もたくさん。植物に覆われてしまった家、植木鉢から根を出し、たくましく育っている植物、隙間からちゃっかり芽を出して成長した植物の写真など、写真を見ているだけでも楽しいです。日本人と園芸の歴史や台湾の路上園芸のコラムなども掲載。グラフィック社から絶賛発売中です。詳しくは以下のサイトをご覧ください。
◎『たのしい路上園芸観察』HP:
http://www.graphicsha.co.jp/detail.html?p=42898
SABOTENS(サボテンズ)
村田さんはお散歩ユニット「SABOTENS」としても活動中。散歩を楽しみつつ、路上で見つけたアイテムをハンコなどのグッズにして販売。路地裏で見つけた植物や置物などなど、意外なものがハンコになっていて、とても面白いです。以下のオフィシャルサイトからでも購入できます。
◎「SABOTENS」HP:https://www.sabotens.com


◎路上園芸学会:
https://botaworks.net/?fbclid=IwAR1RNNveWo_gWCPh52y4STuVkSuAFY8CylTqB_mMQNZ1I3ykIDedzjxbAHk
https://www.facebook.com/rojoengei/
https://www.instagram.com/botaworks/?hl=ja
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