2026/6/26 UP!
千葉県は美味しい食材、野菜やお肉、魚介、フルーツなどたくさんありますよね?
そう言った色々な食材を一度にあれこれ楽しめる料理といえばなんでしょう?
それは、ピザですね〜!
今回は、君津市大戸見地区にある地元の食材をふんだんに使うことで人気のピザ屋さんをご紹介します。

房総半島のほぼ中央に位置し、豊かな水と肥沃な土地に恵まれた君津市。そんな君津市で人気を集めているのが、2005年オープンの本格ナポリ風ピザを味わえる店「村のピザ屋カンパーニャ」です。オーナーの加藤満穂さんに、まずは開店したきっかけを伺いました。電機関連のお仕事をやめてから5年が経った、45歳の時に、このままフラフラしていてはいけないと思ったことが始まりでした。
加藤さん:生活を立て直さなきゃいけないということで、思いついたのが、まあ、飲食店だったんですね。友人にいろいろ相談したらば、最初、僕はあのパンレストランやろうと思ったんですよね。まあ、料理も好きだったんですから、まあ、その友人にパンレストランって何?って言われたのがきっかけで、だから、そこでじゃあ何がいいんだいって聞いたら、ピザだったら誰だって知ってるし、ピザ屋っていうだけでも何やってるかわかるんだから、その商品力が一番いい、もしやるんだったら、ピザ屋がいいんじゃないって言われて。で、まあ、こっちもその気になってね、二、三年かけて建物を改造しながらですね、ピザのいろんなことを勉強しながら、あのオープンにこぎつけたというのが流れですね。まあ、とりあえず家族で飯を食うためには、自分がお金を要するにプラスマイナスゼロでいいかなと、ボロ儲けしようなんて全く思ってもいなかったのでね。

ピザ屋をやった方がいいよというアドバイス、今思えば、ドンピシャだったわけですね。
今からおよそ20年前に、ご自身の生家だった明治17年建築の古民家を少しずつ改装しながら、独学でピザの勉強も始められました。もともとピザはお好きだったようなんですが、「ピザ屋をやったら?」というアドバイスで、自分がピザを好きな理由を改めて思い返し、そこがピザ作りを始める原点になったそうです。開店当初のメニューなど伺いました。
加藤さん:ピザを初めて知ったのが、19歳の時に、六本木にニコラスっていうピザ屋さんがあったんですよ。そこで生まれて初めてピザ食べたんですね。だから、それでこんなうまいもの世の中にあるんだっていう衝撃だったんですよね。それから、ピザは好きで、で、最初スタートしたときには、5種類ぐらいだったかな。もう一般的な皆さん、ご存知のマルゲリータとか、いろんなものを混ぜたミックスだとかっていう種類しかやってなかったんですが。これだけじゃダメだなと思って、じゃあ、これをひろげるためにはどうしたらいいか、じゃあ、何を乗っけるかで、ピザっていろんな種類ができるわけですよね。最初スタートしてからね、5年間ぐらいですかね。5年もっとかな、10年近くやってたのかな、あの。今月のピザって、毎月新しいピザをやろう。そしたらば、やっぱりあの人気のあるものから、人気の全くないもの、自然に生まれてきますので、その中から今チョイスして、30種類ぐらいが今のメインのピザとしてね、やらせてもらってるんですけどね。

「今月のピザ」の企画で、メニューを増やしていって、人気のあるものを残していく。うまいマーケティングですね!
人気があるのは、「ビアンカハーブ」という、地元産のベビーリーフと自家製ベーコンを使用したピザです。ベーコンはハーブとブランデーなどで2週間漬け込んだ後、8時間かけて山桜で燻製しているので、香り豊かで旨味もぎゅっと詰まっています。そのほか定番のマルゲリータも人気があります。そして、ここならではのメニューが、地元で捕獲した鹿と猪を使用したジビエピザ!「裏山のジビエ 鹿と猪のチョリソー」です!鹿はチョリソー、猪はフランクに加工してトッピング!さらに、アスパラとトマトが乗っています。ジビエでも全く臭みがないので、苦手意識のある方でも食べやすい一品なんですって!
これは滅多に味わえないレアなピザですね!

君津市大戸見地区で「村のピザ屋カンパーニャ」を営む加藤さん。ご自分が生まれ育った生家を改装してピザレストランにしています。こだわりは地元食材をふんだんにつかうこと。先ほど紹介したジビエピザの食材調達にはこんな仕掛けがありました。

加藤さん:野菜もそうなんですけど、地元の方が一番新鮮だと思うのでね。おまけに、この辺には、結構大きな農家さんがあって、専門にやっているトマト専門のところだったり、野菜専門のところだったり、ハーブ専門のところだって、いろいろあるんですよね。それプラス、あの、この近くにあの養豚場がありまして、そういう人たちから、いろいろ話を聞きながら、今に至るっていう感じだと思います。空気感というかね、まあ、気持ちがほとんどなんでしょうけど、やっぱり美味しいと思いますね。例えば、ジビエってありますけれども、ジビエの鹿ですとか、イノシシっていうのは、このすぐ近くで食肉業者がいらっしゃるんですね。で、私も狩猟をやってまして、自分が捕まえたやつは、そこに入れていると、で、そこから買ってうちで出しているというのがあるんですよね。あと、それから海鮮も全部が全部じゃないですが、すぐ近くにその海もありますので、そういうものも時期になってあれば、いろんなことをその都度いろいろやってますね。
君津の山には猪や鹿が、たくさん獲れるらしいですが、食材としてはなかなか活用されていないみたいだから、こういう取り組みで美味しく食べられるのはいいことですよね。

加藤さんのお話によると、多い年は、年間で50頭ぐらい捕れたこともあるそうです。それを食肉加工場にだして、お肉になったものを購入しています。お店で出しているもの全てが、加藤さんが捕獲したものではありませんが、君津の山を走り回っていた地元のものであることに違いはありません。
ところで開店から20年余り、加藤さんは今もピザを焼いているのでしょうか?

実は、今は息子さんの健太さんが後を継いで、ピザを焼いていらっしゃいます。息子さんは、静岡の会社にお勤めになっていたのを、辞められて、君津に戻ってきたので、「帰ってきたなら一緒にやるか?」と、加藤さんが誘ったんだそうです。息子さんもその気になって、加藤さんがピザの作り方を教えて、ピザを焼きはじめるんですが、実はこの後、驚きの展開が待っていました。
加藤さん:そこで、僕が2年間教えて、やっぱり本場の空気感って、まあ、僕は独学でやりましたけど、やっぱり息子の代になったら、やっぱりちょっと違うんでね。本場の空気感を味わってきたほうがいいんじゃないかなと思いまして、イタリアに行かせたんですよ。ローマの近郊のヴェトラッラという街のピザ屋さんにですね、3か月だけ厄介になりまして、その間にヨーロッパピザ職人レストラン連合という、協会みたいなのあるんですが、そこの大会に出まして、まあ、飛び入り参加だったんですが。優勝しちゃいましてね。で、現在に至るっていう感じですね。まあ、こういうところで、安心安全な食材っていうのができるので、そういうところを皆さんにやっぱり楽しんでもらってですね、ま、倅も、まだ今年、ちょうど40になったんでね、まだまだこれから続けてもらいたいなって、これは親としての願望でもありますから。よろしくお願いしたいと思いますね。

息子さんの健太さんは2013年度ピザオリンピック優勝のクラベーロ氏のもとで修業し、2014年のヨーロッパ伝統ピザ職人協会認定大会クラシック部門で優勝、地元イタリア人が多く参加する中での快挙だったんです。それが息子さんの自信につながり、今も毎日おいしいピザを焼かれているそうです。
確かな腕に、確かな食材。本当に食べにいきたいですよね!テイクアウトもできるそうなので、詳しくは、「村のピザ屋カンパーニャ」のホームーページ、インスタグラムなどをご覧ください。

https://www.instagram.com/explore/locations/8358976/cunnopiza-wukanpanya
2026/6/19 UP!
千葉県の花は何でしょう。
菜の花ですよね。
それでは、千葉市の花は何でしょうか?
「オオガハス」です。

千葉公園では、毎年、花の見頃に合わせて「大賀ハスまつり」が開催されていますよね。今日はそんなオオガハスの魅力をご紹介します。
千葉市の花として親しまれている「オオガハス」。千葉市が「発祥の地」で、「世界最古の花」としても知られています。1951年に、市内で、植物学者の大賀一郎博士が、およそ2000年前(弥生時代)の地層からハスの種を発掘。その後、発芽・開花まで成功したことから大賀博士の苗字にちなんだ名前がつきました。
古代の種を発芽させようと思ったことがすごいですし、本当に開花させちゃうなんて!
千葉市ではオオガハスの名所や栽培地で、学習・栽培、ガイドやイベントまで、幅広くボランティアとして活躍する「ハス守さん」がいます。今回は種が見つかった場所に隣接する東京大学旧緑地植物実験所のハス品種見本園で活動されている田中玲子さんに、まずはハス守さんになったきっかけを伺いました。

田中さん:地元が新検見川駅の花園というところなんですけど、そこの自治会活動として、実は夏に夏祭りの一環として、観蓮会、観察するハスの会っていうのがあるんだけど、そこの活動のお手伝いをしてくれませんかっていう声がかかりまして、まあ、じゃあやってみようかなと思って行ったのが、私のハスとの初めてのこの接点でして、それまでは実は全然ハスのことは知りませんでした。でも、一回活動に行って、それがちょうど開花したら、その美しさと香りとあと背が高いんですね。ハスっていうのは、一番高いと2メートル超えするんですね。その圧倒的な美しさと香りと美しさですよね。それを見てから、まあとりこになりまして活動していたっていうのが10年前でして、それで未だに続いております。
よく、ハスと水蓮の違いを聞かれるそうですが、水蓮は、水面に近いところで花が咲き、丸い葉っぱには切れ目が入っています。一方ハスは、水面から高い場所で花を咲かせます。ちなみにハスの根っこ、正しくは地下茎なんですが、太くなると、みなさんご存知のレンコンになります。

天ぷらにすると美味しいですよね?
続いて、田中さんにハスの魅力について伺いました。
田中さん:ちょっとハッカが入ったような香水の中でも、甘ったるいんじゃなくて、爽やかで、少し甘みが入った、リフレッシュできるような爽やかな香りがふわっと舞い上がっておりまして、結構強い香りに包まれます。開花したハスの花が、太陽の動きとともに、この向いていくんですけど、その生命力っていうんですかね。緑のその大きな直径。葉っぱですと、5、60センチぐらいになります。美しい真っ白だったり、赤だったり、ピンクだったり、グラデーションあと、あの斑入りって言って、こう点々が入ったようなものから千弁蓮って言って、千の花弁があるハスっていうのもあるんですけど、千弁蓮は、実は数えると3000枚ぐらいあるんですね。そういったものをもう一堂に会して、オオガハスが「ザ・ハス」っていう原型の形で。一番ベーシックで直径30センチ、大きいと40センチぐらいになる、ハスもあるんですけど。
ハスの花の香りは番組やブログではお伝えできないですが、ぜひこの時期、花の美しさと一緒に楽しんでもらいたいですね。
オオガハスを中心としたハスの手入れや見守り、開花時期にはガイドなどもこなすハス守さん。田中さんの活動されているハス品種見本園には、300種類以上のハスがあり、花が咲いていない時期の春先には3年に一度植え替え、夏は害虫の駆除、秋にはハスの花からの種取り、冬は剪定作業など、次の年に綺麗な花を咲かせるための手入れが根気強く続きます。続いて田中さんに、花の見頃や、開花の時間帯についてお話しいただきました。

田中さん:早朝にしか咲きませんので、大体6時半ぐらいから、もう咲き始めますが、11時ぐらいになると、閉じ始めます。写真撮りたい方は、光が横から入るような感じのきれいな蓮のショットっていうんですか。でも、蓮の花、4日の命でして、最初つぼみみたいな感じで、またピチャって、夜は昼過ぎに閉じます。で、2日目開いて、3日目に結構一番大きい直径になるんですけど、開いて。もう3日目は、だんだんその花の力がなくなって、閉じる力がないのでちょっと半分ぐらい閉じて、4日目にはまたマックスで開くんですが、ちょっとしたそよ風とかでバラバラと散っていく蓮の花の命は4日なんですけど、千葉公園でもそうですし、私が活動している旧緑地植物実験所のハス品種見本園でも、そのいろんな状態の1日目、2日目、3日目、4日目。まあ、皆さん、一度来られると、虜になって、何度か通われる方が多いです。

花の命は儚いんです。朝早くに行かないともう閉じちゃっているわけなんです。
何日目かで見え方が違うと考えると、確かに通いたくなってしまいそうですよね。最後に、千葉市の取組に対する思いなどを伺いました。

田中さん:ハス守さんとして、そして、ボランティア団体、大賀ハスのふるさとの会として、活動している身として、今感じていますのは、千葉市のオオガハスという千葉市の花ですよね。それは、実は、世界的にも有名な花ですね。発掘されて、ニュースにも世界的になりましたけど、開花した時はですね、向こうの雑誌でも、写真付きで取り上げられるほど、その植物の生命の神秘ということで、あの話題になりました。それを毎年、千葉市が継続して、その現場を見ていただくっていう意味では、もちろん、大賀ハスまつりやってますので、1週間ほど、ぜひ、そこで大賀ハスっていうのは、あの古代のハスですので、古代から復活したハスっていうのは、昔の方がやはり今よりちょっと気候が寒かった関係もありまして、6月中旬ぐらいに、結構もうどんどんあの咲くのが花季。花の開花時期を花季って言うんですけど、早くなってます。

田中さんのお話にもありました、千葉公園の「大賀ハスまつり」は、明日6月20日・土曜日から28日・日曜日まで開催されます。見頃のハスの花はもちろん、多くの飲食店や物販、音楽のパフォーマンス、そしてハス守さんによるハスの説明を楽しめますよ。オオガハスをモチーフにしたキャラクター「ちはな」ちゃんのオリジナルグッズの販売も行われるそうです。そして、ハスの葉と茎を杯に仕立てたものを象鼻杯(ぞうびはい)と言うそうなんですが、土日には、その長い茎から飲み物を飲む楽しい体験もできるそうです。なんと、今回はその象鼻杯をスタジオに用意していただきました。二人で楽しんでもらいました!

ちなみにハスの葉っぱのうえに水滴がころころと水玉になりますが、 これのことをロータスエフェクトというらしいです。ロータス=ハス

また、田中さんが活動されている東京大学旧緑地植物実験所のハス品種見本園」でも7月17日と、18日に「ハスを観る会 観蓮会」が行われます。7月17日 は観覧のみ。18日 は、自由研究紹介展示や学生イベント、ハス守さんによる蓮に関する説明などが予定されているとのことです。千葉公園で開催される大賀ハスまつり、そして、ハス品種見本園で開催の観蓮会について、詳しくはそれぞれのホームページをご覧ください。
https://www.city.chiba.jp/toshi/koenryokuchi/ryokusei/oogahasumaturi2026.html
2026/6/12 UP!

みなさん、「発酵県ちば」という言葉はご存知ですか?千葉県は、醤油やみりんの生産量が全国一位であったり、酒蔵や酪農など、発酵に関連する文化や産業が発展していますよね。
県内各地に発酵の文化や歴史、技術が根付いていて、「発酵」は千葉県の大きな魅力の一つとなっています。その中でも今回は、「発酵の里」として知られる神崎町を巡る「発酵文化体験ツアー」をご紹介します。利根川に面し、江戸時代には水運によって醸造業が発展した神崎町。そんな神崎町で、今、注目を集めているのが、「発酵文化体験ツアー」。現職のお寺の住職による案内で町を巡り、1日で仏教と発酵文化を体験できるというユニークなツアーです。お寺の方が案内してくれるというのがまず面白いですよね。
発酵文化体験ツアーを主催しているのは真言宗の神崎寺。関東八十八ヶ所霊場四十四番目のお寺です。こちらの住職で、ツアーの案内人・金澤真勝(さんにお話を伺っています。まずはお寺について教えていただきました。

金澤さん:江戸時代では、霊山みたいな扱いをね、受けていた山なんだそうです。1600年ほどの時って聞いているんですけども、その時にあるお坊さんが来て、ここの山に霊気を感じて、ここに大日如来を祀って、それからここが霊山になったなんていうふうに言い伝えられております。明治時代の廃仏毀釈で潰れまして、で、その後は戦後、宗教者のいない地域の人たち、信仰の厚い人たちの集まりで、そして、先祖の供養ぐらいしかしてなかったんだそうです。平成15年に、このここに先代住職だった人がですね、突然亡くなりまして、そして、跡取りも後の組織もなくなったものですから、突然のことで全く後がなかったんですね。で、4年間、全くの空き寺になってしまいまして、で、宗教活動は弟子が細々とつないでくれましたけれども、やっぱり人が来なくなっていて、どんどんどんどん減っていくような、そんな時代が4年間あって、私が入ったのが、平成19年の春でした。

元々は外資系の会計事務所でお仕事をされていた方で、海外勤務もされていたそうです。では、ここからなぜ発酵文化を発信することになったのでしょうか?こんなきっかけがあったようなんです。

金澤さん:私、この町に来てからですね、その頃はもちろん、発酵の里なんていう言葉はなかったんですけれども、寺田本家という酒蔵の1つの寺田圭介さんという方で、社長さんですね。本当によくしてもらって、この町に来た時に支えてくださったんですね。その方が発酵っていうものをすごくキーワードとして押してたんですね。発酵って素晴らしいんだよっていうふうによく言っていらっしゃったんです。その時からですね、影響を受ける方々が、発酵の里という名前をその作ったんですけれども、それからおよそ15年ぐらい経っていると思うんですけれども、特にその広がりを見せているとは思えない感じなんですね。農村の中にポツリとあるような小さな集落みたいなね町ですので、じゃあ何が必要なのかっていうと、ここに来て、ここに行けば、この町のそういうところとつないでもらえるんだよとか、ここに来れば案内してもらえるんだよって、その入り口がないから、いきなりお店に行かなきゃいけない、いきなり問い合わせしなきゃいけないってなっちゃうので、そこも難しいんじゃないかなと思いまして。

神崎には300年以上の伝統を持つ寺田本家と鍋店という酒蔵があって、「酒蔵まつり」というのが3月に行われているんだけど、毎回大変多くのお客さんが集まることで有名な男です。その寺田本家の社長さんが「発酵」というキーワードを押していたんですね。金澤さんによれば、「発酵の里」という名前が作られてからも、しばらくは広がりを見せている感じではなかったようなんです。そんな金澤さんが、発酵を身近に感じてもらおうと考えて作ったのが発酵文化体験ツアーでした。

神崎町の寺院「神崎寺」が提供している発酵文化体験ツアー。バラエティに富んだ内容になっているとのことですが、まずはお寺に集合して、「瞑想体験」から始まります。発酵文化と瞑想、どんなつながりがあるのでしょうか?そこには住職のこんな考えがありました。

金澤さん:発酵っていうのは、やっぱり世界的な流れとしては健康っていうものとつながってくると思うんですけれども、健康というのを考えると、体の健康、そして我々、じゃあ、仏教は何目指しているのかっていうと、心の健康体ですよねそちらの方ですね、お寺として提供できる、そういったことを考えたらどうだろうかって考えると、そこを1つこうパッケージにしてですね、皆さんにこういうふうに一日過ごせる日があるんですよ。こういうふうな方法ありますよっていうふうに提案できたら、人って入りやすいんじゃないかって思ったんですよね。で、このお寺にとりあえず来て、そういったことをすると、その後にセットとしては、街のね、そういった発酵スポットに連れてってもらえるって言ったら、皆さん来やすいんじゃないかなっていうふうに思ったんですよね。日本人のみならず、今、海外の方が発酵というキーワードは強く影響力を持っているようになったんで、成田空港が近いっていう、そのロケーションも非常に強みになってくるんじゃないかとも考えたんですよね。

発酵で体の健康、瞑想などで心の健康。これはセットで嬉しいですね。お寺ならではのツアーですね。
ツアーの流れとしては、朝8時30分に神崎寺に集合。9時から瞑想体験を行い、その後地元の「フジハン醤油」で醤油作り体験。作ったものはペットボトルに入れて持ち帰り、家で熟成させて、およそ1年後に味に深みが出ておいしくなってくるそうです。お昼ご飯は「精進料理のケータリングランチ」で、午後は「鍋屋源五右衛門こうざき東蔵店」で日本酒の飲み比べを楽しみ、大体夕方4時半ごろには解散となるそうです。もちろん未成年の方は、日本酒の飲み比べはできません。
これは海外からの観光客にも楽しんでもらえそうですね。

このツアーは2名から申し込みができるんですが、なんと英語での対応もしてもらえるそうです。こうやって「発酵の里」を発信する側になった金澤さん。発信者となったことで、金澤さんの行動にも少し変化があったようです。

金澤さんお味噌だとか、お醤油だとか、お酒だとか、極めて日本人として、基本な部分のものをね、一度味わってもらって、そして、あ、こんなにこの千葉県にいいものがあるんだっていうふうに思ってもらったら、え、また継続的にね、買ってもらえることにもなると思います。私、今、外に行くときにね、お酒飲む相手がいるならば、今、神崎のお酒を自信を持って持っていけるようになりましたし、そういうね、使い方が今、千葉県の中でもあるんだよ、こう言えると思うんです。こういったものにね、ご興味あってで知ってみたい、やってみたい、食べてみたいっていう方が、まあ来てもらって。で、あの、まあ、まあまあ、そのなんていうんでしょう、来て、悪くないものになると思います。

神崎寺ではそのほかにもマインドフルネス体験ツアーや、一般の方も参加可能な利根川の河川敷で行われる火渡り修行など、様々なイベントを開催しています。まずはたくさんの方に神崎町に来てもらい、さまざまな体験を通して町のよさを知ってもらいたい、発酵文化の素晴らしさを広げることに繋げていきたいという強い思いが感じられますね。近い将来には古民家一棟貸しの宿も用意して、ゆっくり神崎を楽しんでもらうことを計画中だということです。神崎寺の発酵文化体験ツアーは大人ひとり税込1万8千円。食事の料金も含まれています。ツアーの詳細、申し込み方法など、詳しくは神崎寺のホームページをご覧ください。

2026/6/5 UP!
日本遺産というのはご存知ですか?

日本各地の文化や伝統を語る「ストーリー」を文化庁が認定するものなんです。
千葉県では、「北総四都市江戸紀行・江戸を感じる北総の町並み」として、佐倉・成田・佐原・銚子の町並み群」が唯一認定されています。この地域には、百万都市江戸を支えた文化や歴史的遺産など、重要なものがたくさんあるんです。今回は、その中から佐倉市にある、「佐倉順天堂記念館」をご紹介します。

徳川家康の命により、江戸の東の要衝として佐倉城が築かれた佐倉市。城下町として栄えたエリアには、今も江戸から明治期の歴史的建造物が点在しています。そのうちの一つ「佐倉順天堂記念館」は、日本医学の発展に大変重要な役割を果たした場所なんです。まずは、こちらの記念館がどういった場所なのか、佐倉市の学芸員 須賀隆章さんに教えていただきました。

須賀さん1:もともとは、蘭方医だった佐藤泰然が、1843年に開いた順天堂があった場所になっています。1843年には、今の建物の道の向かい側にあったんですけれども、1858年に、今の場所に、新たに医学塾、蘭医塾兼診療所が建てられていまして、その建物の一部が今残っている状態になっています。昭和60年、1985年にですね。記念館として公開されているんですけれども、その10年前ですね。千葉県の指定の史跡になっていまして、そういったところから、その幕末から、明治にかけての佐藤家であったり、佐倉順天堂の歴史を伝える場所として、今は公開されているところになっています。記念館の隣にですね、佐倉順天堂医院さんというのがありまして、ここが、佐藤泰然から数えて7代目の方が、今も病院をやられているというような場所になっています。

順天堂って現在では大きな病院で、東京のお茶の水や浦安にもあるけど、佐倉がルーツだったんです!
佐藤泰然は、まず江戸で「和田塾」という蘭医学塾を開き、その後佐倉へ移住して順天堂を開きました。移住の理由は諸説ありますが、幕府による蘭学者弾圧事件「蛮社の獄」が起こるなど、幕府が蘭学者への警戒を強めていたために、江戸で目立った活動がしにくくなったということが理由の一つだと推測されています。
記念館では、日本医学の歴史上、大変貴重なものが展示されています。
須賀さん:当時の天然痘の予防接種で使われていた種痘の器具がございます。この天然痘の予防接種を普及させるにあたり、佐倉藩と協力してその知識を生かして行っていたというのが分かるものになっています。佐藤泰然は、外科医として名声を得ていたというところがありまして、当時のですね、手術道具、こちらはレプリカになってしまうんですけれども、手術道具の展示もございます。こちらご覧いただくと、本当にそののこぎりであったりですとか、その焼きごて、まあ、烙鉄っていうんですけれども、そういったものになっていまして、これが本当にその外科の手術で使った道具なのかなっていうふうな形で思われるかもしれないんですけれども、確かにその通りで、ヨーロッパからですね、直接輸入したものになると、日本人の手に合わない、サイズが大きすぎて合わないということがあって、大工道具を作る職人さんに、お願いをして、サイズの調整をしたっていうような話をですね、順天堂大学の先生から伺ったことがあります。

レプリカではありますが、鉄砲の弾丸を摘出するためのものや、骨鋸という骨の切断に使われたものなど、話しているだけでちょっと背筋が寒くなるような道具が展示されています。当時は、これらの道具を使って手術をしていたわけですが、なんと佐藤泰然、麻酔をあまり使わない主義だったらしく、麻酔なしで手術をやっていたそうなんです。弟子の記録によると、あまりの痛さに失神してしまった患者もいたようですよ。

1858年(安政5年)に建てられた建物の一部を使用して、展示を行っている佐倉順天堂記念館。こちらでは、歴史的に貴重な医学に関する資料を数多く見ることができます。今でも病院で使われているこんなものも資料として残っているんです。

須賀さん:当時の手術の承諾書が残っている、というようなところがございます。今でこそ、その手術をする際には、きちんと同意を得る同意書を書くということは、当たり前ですけれども、この幕末の佐倉においても、そういったことが行われていたということが、よく分かります。「万が一、手術に失敗しても、いささかも恨み申し上げません」っていうようなことが書かれておりまして、なかなかですね、そういうリアルな現場の、そういったところが見えてくるような資料になっています。全国各地からですね、弟子が集まっていた佐倉になるんですけれども、なかなか、その門人たちもですね、地元の藩士たちと、こう喧嘩じゃないんですけれども、なんかやったりとかっていうので、結構、厳しい規則っていうのが設けられていたようです。大きな声で騒いで、歌って騒いではいけないとか、囲碁将棋の禁止だとか、外泊禁止、あと面白いのが、飲酒禁止っていうような規則が設けられていまして、やっぱりこういう厳しい規則があるっていうことは、っていうような形がですね、窺われていた、そういう展示内容にもなっております。

須賀さんのお話によると、門下生たちは、勉強のための解剖も、幕府からなかなかお許しが出なかったため、野良犬の解剖などをして勉強したそうです。ところが、ある時、つかまえた犬が佐倉藩のお偉いさんの飼い犬だったことが後からわかり、相当叱られたということがあったそうなんですよね。こうした出来事もあったので、門下生たちには、日頃の振る舞いや礼儀など、厳しい規律が定められていたそうです。

今でいうコンプライアンスにも通じる考え方かもしれないですね。記念館で当時の資料まで見ることができるのはほんとに貴重なことですよね。でも古い資料だから、解読するのは難しそうですが、記念館には、心強いガイドさんがいらっしゃるんですよ。
須賀さん:主にですね、土曜日、日曜日に文化財ボランティアガイド佐倉という団体さんのボランティアガイドで、直接展示の内容をご案内することができます。また、それ以外にも、QRコードを読み込んで、スマートフォンなどで、解説ですとか、音声ガイドが聞けるサービスも提供しておりますので、そういったところから展示の内容をさらに詳しく知ることができるようになっております。こちら日本語だけではなくてですね、日本語のほかに、12言語に対応しておりますので、さまざまな言語で、この順天堂の歴史というのを知ることができるようになっております。佐倉順天堂以外にもですね、佐倉には、城下町の歴史を感じることができる佐倉城跡ですとか、佐倉武家屋敷、旧堀田邸といったですね、文化財、歴史資源がございますので、ぜひ、併せてそちらの方もご覧いただいてですね、幕末、明治のね、城下町・佐倉の歴史を感じていただければと思います。

12の言語で解説を聞くことができるというのも外国からのお客さんにとっては嬉しいんじゃないかなと思います。
今回お話を伺った須賀さんは、来年1月から佐倉市美術館で開催される企画展示醫風一変 ― 佐倉・長崎・オランダ 仁を尽くした幕末・明治の医師たち」の準備も進めていらっしゃいます。日本の近代医学に大きな変革をもたらした三人の医師の「佐倉・長崎・オランダ」における軌跡を、貴重な史料を通して紹介するとのことです。こちらもぜひご覧いただきたいですね。佐倉順天堂記念館の詳しい情報はホームページに掲載されています。

佐倉順天堂記念館の施設案内
https://www.city.sakura.lg.jp/soshiki/bunkaka/bunkazai/sisetsu/juntendou/5797.html
佐倉順天堂の歴史などについて
https://www.city.sakura.lg.jp/soshiki/bunkaka/bunkazai/sisetsu/juntendou/juntendounokiseki/11318.html
佐倉市立美術館の企画展示「醫風一変 ― 佐倉・長崎・オランダ 仁を尽くした幕末・明治の医師たち」について
https://www.city.sakura.lg.jp/section/museum/exhibition/2026/202701ifuuippen.html
中西 中西悠理でした。 後クレ: ミンナノチカラ~CHIBA~




