2026/6/5 UP!
日本遺産というのはご存知ですか?

日本各地の文化や伝統を語る「ストーリー」を文化庁が認定するものなんです。
千葉県では、「北総四都市江戸紀行・江戸を感じる北総の町並み」として、佐倉・成田・佐原・銚子の町並み群」が唯一認定されています。この地域には、百万都市江戸を支えた文化や歴史的遺産など、重要なものがたくさんあるんです。今回は、その中から佐倉市にある、「佐倉順天堂記念館」をご紹介します。

徳川家康の命により、江戸の東の要衝として佐倉城が築かれた佐倉市。城下町として栄えたエリアには、今も江戸から明治期の歴史的建造物が点在しています。そのうちの一つ「佐倉順天堂記念館」は、日本医学の発展に大変重要な役割を果たした場所なんです。まずは、こちらの記念館がどういった場所なのか、佐倉市の学芸員 須賀隆章さんに教えていただきました。

須賀さん1:もともとは、蘭方医だった佐藤泰然が、1843年に開いた順天堂があった場所になっています。1843年には、今の建物の道の向かい側にあったんですけれども、1858年に、今の場所に、新たに医学塾、蘭医塾兼診療所が建てられていまして、その建物の一部が今残っている状態になっています。昭和60年、1985年にですね。記念館として公開されているんですけれども、その10年前ですね。千葉県の指定の史跡になっていまして、そういったところから、その幕末から、明治にかけての佐藤家であったり、佐倉順天堂の歴史を伝える場所として、今は公開されているところになっています。記念館の隣にですね、佐倉順天堂医院さんというのがありまして、ここが、佐藤泰然から数えて7代目の方が、今も病院をやられているというような場所になっています。

順天堂って現在では大きな病院で、東京のお茶の水や浦安にもあるけど、佐倉がルーツだったんです!
佐藤泰然は、まず江戸で「和田塾」という蘭医学塾を開き、その後佐倉へ移住して順天堂を開きました。移住の理由は諸説ありますが、幕府による蘭学者弾圧事件「蛮社の獄」が起こるなど、幕府が蘭学者への警戒を強めていたために、江戸で目立った活動がしにくくなったということが理由の一つだと推測されています。
記念館では、日本医学の歴史上、大変貴重なものが展示されています。
須賀さん:当時の天然痘の予防接種で使われていた種痘の器具がございます。この天然痘の予防接種を普及させるにあたり、佐倉藩と協力してその知識を生かして行っていたというのが分かるものになっています。佐藤泰然は、外科医として名声を得ていたというところがありまして、当時のですね、手術道具、こちらはレプリカになってしまうんですけれども、手術道具の展示もございます。こちらご覧いただくと、本当にそののこぎりであったりですとか、その焼きごて、まあ、烙鉄っていうんですけれども、そういったものになっていまして、これが本当にその外科の手術で使った道具なのかなっていうふうな形で思われるかもしれないんですけれども、確かにその通りで、ヨーロッパからですね、直接輸入したものになると、日本人の手に合わない、サイズが大きすぎて合わないということがあって、大工道具を作る職人さんに、お願いをして、サイズの調整をしたっていうような話をですね、順天堂大学の先生から伺ったことがあります。

レプリカではありますが、鉄砲の弾丸を摘出するためのものや、骨鋸という骨の切断に使われたものなど、話しているだけでちょっと背筋が寒くなるような道具が展示されています。当時は、これらの道具を使って手術をしていたわけですが、なんと佐藤泰然、麻酔をあまり使わない主義だったらしく、麻酔なしで手術をやっていたそうなんです。弟子の記録によると、あまりの痛さに失神してしまった患者もいたようですよ。

1858年(安政5年)に建てられた建物の一部を使用して、展示を行っている佐倉順天堂記念館。こちらでは、歴史的に貴重な医学に関する資料を数多く見ることができます。今でも病院で使われているこんなものも資料として残っているんです。

須賀さん:当時の手術の承諾書が残っている、というようなところがございます。今でこそ、その手術をする際には、きちんと同意を得る同意書を書くということは、当たり前ですけれども、この幕末の佐倉においても、そういったことが行われていたということが、よく分かります。「万が一、手術に失敗しても、いささかも恨み申し上げません」っていうようなことが書かれておりまして、なかなかですね、そういうリアルな現場の、そういったところが見えてくるような資料になっています。全国各地からですね、弟子が集まっていた佐倉になるんですけれども、なかなか、その門人たちもですね、地元の藩士たちと、こう喧嘩じゃないんですけれども、なんかやったりとかっていうので、結構、厳しい規則っていうのが設けられていたようです。大きな声で騒いで、歌って騒いではいけないとか、囲碁将棋の禁止だとか、外泊禁止、あと面白いのが、飲酒禁止っていうような規則が設けられていまして、やっぱりこういう厳しい規則があるっていうことは、っていうような形がですね、窺われていた、そういう展示内容にもなっております。

須賀さんのお話によると、門下生たちは、勉強のための解剖も、幕府からなかなかお許しが出なかったため、野良犬の解剖などをして勉強したそうです。ところが、ある時、つかまえた犬が佐倉藩のお偉いさんの飼い犬だったことが後からわかり、相当叱られたということがあったそうなんですよね。こうした出来事もあったので、門下生たちには、日頃の振る舞いや礼儀など、厳しい規律が定められていたそうです。

今でいうコンプライアンスにも通じる考え方かもしれないですね。記念館で当時の資料まで見ることができるのはほんとに貴重なことですよね。でも古い資料だから、解読するのは難しそうですが、記念館には、心強いガイドさんがいらっしゃるんですよ。
須賀さん:主にですね、土曜日、日曜日に文化財ボランティアガイド佐倉という団体さんのボランティアガイドで、直接展示の内容をご案内することができます。また、それ以外にも、QRコードを読み込んで、スマートフォンなどで、解説ですとか、音声ガイドが聞けるサービスも提供しておりますので、そういったところから展示の内容をさらに詳しく知ることができるようになっております。こちら日本語だけではなくてですね、日本語のほかに、12言語に対応しておりますので、さまざまな言語で、この順天堂の歴史というのを知ることができるようになっております。佐倉順天堂以外にもですね、佐倉には、城下町の歴史を感じることができる佐倉城跡ですとか、佐倉武家屋敷、旧堀田邸といったですね、文化財、歴史資源がございますので、ぜひ、併せてそちらの方もご覧いただいてですね、幕末、明治のね、城下町・佐倉の歴史を感じていただければと思います。

12の言語で解説を聞くことができるというのも外国からのお客さんにとっては嬉しいんじゃないかなと思います。
今回お話を伺った須賀さんは、来年1月から佐倉市美術館で開催される企画展示醫風一変 ― 佐倉・長崎・オランダ 仁を尽くした幕末・明治の医師たち」の準備も進めていらっしゃいます。日本の近代医学に大きな変革をもたらした三人の医師の「佐倉・長崎・オランダ」における軌跡を、貴重な史料を通して紹介するとのことです。こちらもぜひご覧いただきたいですね。佐倉順天堂記念館の詳しい情報はホームページに掲載されています。

佐倉順天堂記念館の施設案内
https://www.city.sakura.lg.jp/soshiki/bunkaka/bunkazai/sisetsu/juntendou/5797.html
佐倉順天堂の歴史などについて
https://www.city.sakura.lg.jp/soshiki/bunkaka/bunkazai/sisetsu/juntendou/juntendounokiseki/11318.html
佐倉市立美術館の企画展示「醫風一変 ― 佐倉・長崎・オランダ 仁を尽くした幕末・明治の医師たち」について
https://www.city.sakura.lg.jp/section/museum/exhibition/2026/202701ifuuippen.html
中西 中西悠理でした。 後クレ: ミンナノチカラ~CHIBA~




